【偉人録】郷土の偉人

郷土の偉人の志を引き継ごう!偉人の故郷、ゆかりの地の紹介。生誕地、記念館、史蹟、墓所、関連HP、関連書籍、ニュースの紹介。【郷土の偉人研究会】 人気ブログランキングへ にほんブログ村 歴史ブログ 偉人・歴史上の人物へ
にほんブログ村

加藤高明(かとう・たかあき)・愛知の偉人

尾張国海東郡佐屋(愛知県愛西市)生まれ。
父は名古屋藩士。

万延元年1月(1860)3日−大正15年(1926)1月28日 66歳

外交官、政治家。

第24代内閣総理大臣
首相在職期間:大正13年(1924)6月11日(64歳)−大正15年(1926)1月28日(597日)

加藤高明1
(国立国会図書館・近代日本人の肖像より)


愛知県立第一中学校(現愛知県立旭丘高校)、名古屋洋学校を経て、東京大学法学部を首席で卒業し(加藤は近代的大学を卒業した最初の首相)、三菱に入社。
明治19年(1886)岩崎弥太郎の長女と結婚。

官界に転じ、大蔵省銀行局長、駐英公使などをつとめる。

明治33年(1900)第4次伊藤内閣外務大臣となる。

明治35年(1902)衆議院議員に当選。

東京日日新聞社長、第1次西園寺内閣外務大臣。
鉄道国有法に反対して、外務大臣を辞任した。

明治41年(1908)駐英大使となり、明治44年(1911)第三次日英同盟を締結。

大正2年(1913)第3次桂太郎内閣の外務大臣に就任し、立憲同士会入党。
桂太郎の没後、総理(総裁)となった。

大正3年(1914)第2次大隈内閣の外務大臣に就任し、第一次世界大戦参戦、対華二十一ヶ条の要求を断行した。

大正4年(1915)貴族院議員に勅選。
大正5年(1916)立憲同士会を中心に憲政会を結成し総裁となる。

大正13年(1924)の総選挙で第一党となり、護憲3派内閣の総理大臣に就任。

翌年普通選挙法、治安維持法などを制定。
日ソ基本条約を成立させ、ソ連との国交を回復。

3派提携決裂後に新たに憲政会単独内閣を組織したが議会途中で病没。

加藤高明3
(国立国会図書館・近代日本人の肖像より)


加藤高明少年時代住居地(愛知県名古屋市栄1)
大正十三年(1924)、第二四代内閣総理大臣となった加藤高明は、万延元年(1860)尾張藩佐屋代官所手代服部重文の次男として佐屋に生まれた。
慶応三年(1867)、八歳のとき名古屋に転居した。
十三歳のとき、親戚加藤家の養嗣子となり、明治六年、勉学のため東京に出るまで、この地で育った。
外交官として日英同盟の基礎を築き、政治家としては普通選挙法を制定するなど、明治・大正の外交.政治に大きな功績を残した。(名古屋市教育委員会)


普選記念壇(鶴舞公園・愛知県名古屋市昭和区鶴舞1-1)


加藤高明関係文書


加藤高明墓所(青山霊園・東京都港区南青山)  



加藤高明2
(国立国会図書館・近代日本人の肖像より)
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

コメント

コメントフォーム
評価する
  • 1
  • 2
  • 3
  • 4
  • 5
  • リセット
  • 1
  • 2
  • 3
  • 4
  • 5
  • リセット