【偉人録】郷土の偉人

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津久井磯(つくい・いそ)・群馬の偉人

上野国群馬郡青梨子村清里(群馬県前橋市)生まれ。

文政12年(1829)−明治43年(1910) 82歳

鎖鎌を携えて夜半一人で往診した先駆的助産師。
助産師(産婆)の質と地位向上に尽くし評価を一新させた。

元水戸藩士関根紋太夫の次女に生まれ、父に和漢学を学ぶ。

17歳で江戸小石川の水戸藩邸に仕え、行儀作法を習うと同時に、伯父から鎖鎌術を習う。これが後に往診時の護身に役立った。

25歳で前橋の産科医津久井文譲と結婚。
『産論』等の専門書を読みながら、夫を師として産科学を学び、「産婆」として生計を助けた。

明治3年(1870)夫を亡くすが、前橋の堅町に「産婆」を開業する。

当時「助産師」という言葉はまだなく「産婆」と呼ばれていた。
資格や免許も必要なく、堕胎・間引きなどが行われ、また、出産時の事故も多かった。

そこで明治政府は、明治8年(1875)東京府病院産婆教授所を創設して、ドイツ式の助産学を教えて、試験に合格した者に免許状を与えた。

磯もこの産婆教授所に学び、免許を取得した。
専門知識と経験に裏打ちされた産科医も及ばぬ的確な技術で評判を上げたという。

貧しい人々からは診薬の報酬を受けず、内弟子をとり、後に女医第三号となる高橋瑞子等を育てる。

こうした優れた技術と人望によって、明治21年(1888)「群馬産婆会」の初代会長に推された。

また、私費で群馬県初の「産婆講習所」を開設し、医師を講師として解剖・生理学などを教授し、産婆の育成と保健衛生の意識向上に生涯を捧げた。


津久井磯墓所・遺徳碑(隆興寺・群馬県前橋市三河町1-17-1)

理系の扉を開いた日本の女性たち―ゆかりの地を訪ねて



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