【偉人録】郷土の偉人

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岡田啓介(おかだ・けいすけ)・福井の偉人

越前国福井(福井県福井市日之出3-2-4)生まれ。 

慶応4年(1868)1月21日―昭和27年(1952)10月17日 84歳

海軍軍人、海軍大将、海軍大臣(第14・18代)
政治家、第31代内閣総理大臣(福井県初の首相)。
首相在職期間:昭和9年(1934)7月8日(66歳)〜昭和11年(1936)3月9日(611日)

岡田啓介1
(国立国会図書館・近代日本人の肖像より)

福井藩士・岡田喜藤太の長男に生れる。

福井中学(現福井県立藤島高等学校)を卒業し、司法省局長の叔父をたよって上京。

共立学校で高橋是清から英語を教わったりした後、海軍兵学校に進んだ。
同期には小栗孝三郎、竹下勇、財部彪(いずれも後に海軍大将)らがいた。

海軍大学校を卒業し、海軍省人事局長、艦政局長、艦政本部長、海軍次官を経て、大正13年(1924)海軍大将、連合艦隊司令長官となる。

昭和2年(1927)田中義一内閣で海軍大臣に就任するが、昭和4年(1929)大臣を辞任し軍事参議官。

昭和5年(1930)ロンドン海軍軍縮会議の際、「軍拡による米英との戦争は避け、国力の充実に努めるべし」という信念に基づき海軍部内の対立の調停役として手腕を発揮し、条約締結を実現した。

昭和7年(1932)斎藤實内閣で海軍大臣に就任。

昭和9年(1934)第31代内閣総理大臣兼拓務大臣に就任。

岡田はおとぼけが得意だった。
天皇機関説を問題視した右派は、議会で岡田を攻撃、「日本の国体をどう考えるか」と聞かれると、「憲法第1条に明らかであります」と繰り返す。
「憲法第1条には何と書いてあるか」と聞かれると「それは第1条に書いてある通りであります」と、人を食った答弁で切り抜けた。

そのしたたかさから「狸」とあだ名される。
吉田茂は岡田を「国を想う大狸」と評している。

昭和11年(1936)2・26事件で青年将校に襲われるが、九死に一生を得る。

重臣として鈴木貫太郎内閣に娘婿の迫水久恒(大蔵官僚、のち郵政大臣)を書記官として送り込み終戦工作に尽力した。

岡田啓介2
(国立国会図書館・近代日本人の肖像より)

ふくいドットコム
昭和最大のクーデターで九死に一生を得る。

昭和9年(1934)7月、斎藤内閣の後を継ぐ形で岡田啓介は、県人初の内閣総理大臣に任命された。
当時は3月事件、10月事件、5・15事件と不穏な出来事が相次ぎ、政治は腐敗し、汚職事件が頻発していた。
満州で政治への不信感から軍による満州事変が起こると、全国的に「我が国の政・財界の腐敗、軍内派閥の対立と国家、民生を忘れた国内の情勢に対し、昭和維新を断行し、乱れた世相を正そう」という空気が強まっていった。
つまりいつクーデターが起こっても不思議ではなかったのだ。
斎藤前首相も「こういう時代には岡田のような粘り強く自分の信じる道をゆく男が良いと思う」と岡田を推したという。
海軍大臣引退後、自宅にいた彼は「ただならぬ 時勢だから」と引き受けたものの、それなりの覚悟はしていた。

その約1年半後、昭和11年2月26日午前5時、2・26事件は勃発した。
30年ぶりの大雪で白一色に染まった街の静寂を銃声と悲鳴が打ち破る。
「昭和維新」を信奉する青年将校ら20余人が約1400人の兵士を指揮し、政府要人宅を襲撃。斎藤内大臣、高橋蔵相、渡辺教育総監、鈴木侍従長が銃弾に倒れる中、岡田首相は女中部屋の押し入れに逃れていたために難を逃れる。
彼を逃がすため身代わりとなったのは彼の義弟・松尾伝蔵大佐だった。
この昭和最大の事件で九死に一生を得た岡田だが、事件の2日後に天皇に拝謁した際、彼は自ら謹慎を申し出る。
軍を押さえ切れなかったことに責任を取って切腹するよりも生きて新たに奉公する道を見つけようとしたのだろう。

決起から4日後、事件は終結するが、時代の流れは一気に戦争へと加速する。
内閣を総辞職し、ひたすら謹慎をしていた岡田だったが、太平洋戦争が激しくなると終戦工作のため「東条内閣」打倒に乗り出した。
そして昭和20年、岡田が尽力した鈴木貫太郎内閣成立後、日本はようやく終戦を迎えた。

岡田啓介生誕地(福井県福井市日之出3-2-4)
海軍大将、連合艦隊司令長官、海軍大臣等を経て、内閣総理大臣の要職に就き、無謀な戦争突入の多勢に押されて、官を退いた後もいわゆる重臣の一人として敗戦の収拾に肺肝を砕いた郷土出身の偉材 岡田啓介は、明治元年1月20日、この地に生まれ、明治18年東都に遊学するまで在住した。

岡田自筆の扁額(福井県立藤島高等学校蔵・福井県福井市文京2-8-30)
「自彊息まず(じきょうやまず)」と書かれ、これは「易経」中の言葉で、「自分からすすんでつとめ励んで怠らない」という意味。

岡田啓介像(福井市中央公園・福井県福井市大手3-11)
手には宮中から送られた鳩杖を持つ。生涯を通じて天皇を敬愛していた。

義弟・松尾伝蔵大佐の像と碑(福井市立旭小学校・福井県福井市手寄2-2-5)
2・26事件当日、岡田首相の身代わりとなった。
総理になにかあってはと自ら秘書となり、外見も似せていたという。
岡田、松尾はともに旭小学校で学んだ。

福井市立郷土歴史博物館(福井県福井市宝永3-12-1)

岡田啓介墓所(多磨霊園・東京都府中市多磨町)

岡田啓介回顧録 (中公文庫BIBLIO20世紀)

最後の重臣岡田啓介―終戦和平に尽瘁した影の仕掛人の生涯

巨木は揺れた―岡田啓介の生涯

父と私の二・二六事件―昭和史最大のクーデターの真相 (光人社NF文庫)

聖断 昭和天皇と鈴木貫太郎 (PHP文庫)


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