【偉人録】郷土の偉人

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平沼専蔵(ひらぬま・せんぞう)・埼玉の偉人

武蔵国高麗郡飯能村(埼玉県飯能市)生まれ。

天保7年(1836)1月2日―大正2年(1913)4月6日 78歳

明治時代の実業家、相場師、政治家。
横浜貿易商、銀行家。

平沼安兵衛の三男に生まれ、幼少期を今宿村(埼玉県比企郡鳩山町)で過ごした。

安政6年(1859)開港後の横浜に出て、海産物売込商・明石屋平蔵の店員として働き、慶応元年(1865)年、独立して洋糸・洋反物・米穀などの引取商を開業して頭角を現す。

アメリカの南北戦争で綿花相場が暴騰するとみると、綿糸を買い占めて巨利を占めるなど投機に専念した。

明治元年(1868)には、米が凶作となり、外国米が急増すると、外国商館の足元をみて値をたたき、大量の米を買占め、市価よりも安く貧しい人たちに売るという義侠心を発揮した。
買い占めた外国米の値が急上昇して巨利を博す。

明治6年(1873)当時の洋糸引取額は横浜で第三位でったという。

明治12年(1879)芝屋清五郎の業務を継承して生糸売込商に進出するが明治20年(1887)頃には撤退した。

明治23年(1890)一族で資本金百万円の横浜銀行、資本金三万円の金叶貯蓄銀行を設立、明治43年(1910)にぞれぞれ平沼銀行・平沼貯蓄銀行と改称した。

明治32年(1899)横浜株式米穀取引所が誕生すると、初代頭取に就任した。

明治44年(1911)池袋・飯能を結ぶ武蔵野鉄道(現西武鉄道)を設立して同社の初代社長に就任した。

明治40年(1907)婿養子延治郎が相場に失敗して自殺している。
延治郎は、名古屋の豪商・瀧兵右衛門の次男で専蔵に見込まれて養子となり、「ハマの三養子」(原・茂木・平沼)と呼ばれるほどの秀才の養子だった。
日露戦争後の好景気による株の暴騰で大金をつかむが、明治40年(1907)の大暴落で破綻、九州の名勝耶馬溪に身を投じた。享年43。

専蔵は、政治家としても県会議員、市会議員、貴族院議員、衆議院議員(政友会)となった。

伊藤博文の知遇を得て、伊藤の勧めで、金沢文庫復興に2000円の建設資金を寄付し、また、私立平沼小学校を設立するなど地域に尽くした。

晩年、臨終に及んで生前縁故の地に教育基金を寄贈するよう遺命したという。

「平沼専蔵翁彰徳碑」(埼玉県比企郡鳩山町大字赤沼2430・おしゃもじ山公園)
今宿村(現鳩山町)民は、平沼専蔵を郷土の偉人として仰ぎ、その業績を忘れぬよう有志を募り、財を拠出して「平沼専蔵翁彰徳碑」を大正3年(1914)1月に鳩山町赤沼のおしゃもじ山頂上に建立した。

旧平沼専蔵別邸亀甲積擁壁及び煉瓦塀(神奈川県横浜市西区老松町29)

西武鉄道の歴史・沿革

平沼専蔵墓所(増徳院・神奈川県横浜市中区本町1)

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