【偉人録】郷土の偉人

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栗本鋤雲(くりもと・じょううん)・江戸/東京の偉人

江戸神田猿楽町生まれ。

文政5年(1822)3月10日‐明治30年(1897)3月6日 76歳

幕臣、外国奉行。
明治初期の新聞人。

栗本鋤雲
(国立国会図書館・近代日本人の肖像より)

幕府医官・喜多村槐園(かいえん)の三男に生まれる。

少年時代は病弱、17歳で安積艮斎(あさか・ごんさい)に入門し、昌平坂学問所で古賀侗庵(こが・とうあん)、佐藤一斎に師事した。

黌試(校試)において優秀な成績を修め褒賞を得た。

嘉永元年(1848)、幕府医官・栗本氏の養子となり奥詰医師を継いだが、安政5年(1858)上司の忌諱に触れて蝦夷地に左遷された。

以後10年間を箱館で過ごし、山野の開拓、鉱物資源調査、医学所・病院の建設、薬草園経営などに尽力した。

その実力を認められて、文久2年(1862)医籍を士籍に改めて、箱館奉行所組頭に任じられ、樺太や南千島の探検を命じられた。

この頃、箱館に来住したメルメ・カションと日仏語交換教授を続け、その際の西洋事情問答を『鉛筆紀聞』にまとめている。
その縁もあり、文久3年(1863)に江戸に戻ってから、幕府の親仏外交の第一線に立った。

元治元年(1864)目付に転じ、横浜鎖港談判にあたり、翌年外国奉行に就任した。

この間、フランス軍事顧問団を招聘し、横須賀造船所の設立に尽力するなど、フランス文化の移植と殖産興業につとめた。
奉行小栗忠順らと親交を結ぶ。

慶応3年(1867)幕府名代・徳川昭武一行がパリ万国博覧会に訪問した際には、その補佐を命じられたため、鋤雲もフランスに渡った。

幕府倒壊により、明治元年(1868)帰国する。

一時、世間との交渉を断ち、在仏見聞記『暁窓追録』を刊行。

明治5年(1872)横浜毎日新聞に入社し、翌年には、郵便報知新聞の主筆として入社、ジャーナリストとして活躍した。

藤田茂吉、犬養毅、尾崎行雄などの後進を育成しつつ、幕末回想の随筆類を寄稿した。

島崎藤村は、晩年の門人の一人である。

栗本鋤雲胸像(東善寺・群馬県高崎市倉渕町権田169)
20091108 013

20091108 014
栗本鋤雲胸像(横須賀市自然人文博物館・横須賀市深田台95)

栗本鋤雲住居跡(東京都墨田区石原3-18)

栗本鋤雲墓所(善心寺・東京都文京区大塚5-2-7)



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