【偉人録】郷土の偉人

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小布施新三郎(おぶせ・しんざぶろう)・長野の偉人

信濃国高井郡日野村(長野県須坂市高梨)生まれ。

弘化2年(1845)2月14日‐大正14年(1925)2月17日 80歳

明治大正期の証券業者。
相場師として活躍、「財界の異彩」と称された。

小布施民蔵の次男に生まれる。

10歳で上京し、丁稚奉公をつとめ、9年後に郷里に帰るがわずか60日で感ずるところがあり、再び上京した。

独立して濁酒の製造販売業を営んだが、将来横浜が発展性のあることを考え横浜に移る。

横浜で大弓場を経営したが失敗し、外国商会につとめて貿易活動に従事しつつ、ドル相場に注目、その実際知識を身につけた。

明治12年(1879)東京・兜町において小布施商店(現ちばぎん証券)を開業、古金銀販売と公社債株式仲買業を営む。

明治16年(1883)には、東京株式取引仲買人となり、以来50余年間、経済界に貢献した。

明治22年(1889)ごろの金利安による株式界の活況と日清・日露戦争・第1次大戦期の景気の上昇に乗じて、その積極主義によって業績を伸ばし、不況期にも打撃を受けず、莫大な資産を得て、「財界の異彩」とも称された。
日本相場師列伝〈2〉時代を動かした巨人たち (日経ビジネス人文庫)

小布施新三郎は毎日酒気を帯びて兜町にやってくる。そして年中強気をぶっていた。
場で翁を見かけた人が「どうです、この相場は」などと聞こうものなら「ここは買いでしょう」と答えるのが常だった。
村夫子然(そんぷうしぜん)としたその姿は、巨万の富を擁しているにもかかわらず誰にも親しまれた。
・・・
一九二〇(大正九)年のパニックで多くの仲買が苦杯を喫するが、小布施は繁栄を続けた。
小布施の相場師振りについては「神算鬼謀(非常にたくみなはかりごと)を巡らし、画策の功を奏した」とも伝えられており、年がら年中買いの一点張りとも言い切れない。
・・・
こうして小布施は東株の隆昌と軌を一にして、昌盛をたどり、新三郎は仲買人組合委員長から東株監査役、相談役にかつがれる。
小布施商店からは数多くの俊才を兜町に送り出したが、代表格が山一証券の小池国三である。
郷里を思うことまた厚く、後進を誘掖して成功の道を開き、郷里の発展のために多大の財貨を寄せたことは、再三に止まらなかった。
大正十三年九月高梨区民は、その徳を称え「小布施新三郎翁寿碑」を高梨区庵境内に建立した。(須坂市人物誌)
日本相場師列伝〈2〉時代を動かした巨人たち (日経ビジネス人文庫)

晩年は書画骨董に親しみ信心深かった。
そして奇妙な癖があった。道を歩く時いつも下を向いて、仏の顔に似た石ころや仏像になりそうな岩石を拾って入念に彩筆をふるい、仏の顔や仏像を作って家に並べ、その数は何千にも及んだという。
その甲斐あってか八十歳の天寿を全うした。

小布施新三郎碑(長野県須坂市高梨53)


小布施坂(こぶせざか・東京都文京区目白台1-15)
小布施新三郎の邸宅が近くにあったことから名付けられた。


ちばぎん証券


小布施新三郎墓所(谷中霊園・東京都台東区谷中)
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