【偉人録】郷土の偉人

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福羽逸人(ふくば・はやと)・島根の偉人

石見国津和野藩(島根県鹿足郡津和野町)藩士・佐々布利厚の三男として生まれる。

安政3年(1856)11月16日‐大正10年(1921)5月19日 66歳

農学者、造園家、園芸家。
園芸技師として小豆島のオリーブや「ふくばいちご」など園芸分野で活躍、「園芸の技神」と称された。

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産業基盤づくり (日本の『創造力』―近代・現代を開花させた470人)

近代園芸―福羽イチゴを作出した福羽逸人

著名な国学者で神道政策の推進者であった福羽美静の養子となった逸人は、早くから園芸家の道を歩み、「葡萄試験園創設」を建議して、播州葡萄園創設の任にあたり、その運営に尽力した。そして、近代園芸導入のため仏独に留学し、帰国後は新宿植物御苑の責任者となり、園芸作家の促成栽培の先駆者となった。洋ランやメロンの栽培にも先鞭をつけた福羽は、福羽イチゴの名で知られる品種改良の成功者でもある。
明治5年(1872)福羽美静の養子となる。若くして上京し、農業化学を学び、明治10年(1877)勧農局試験場農業生となった。
産業基盤づくり (日本の『創造力』―近代・現代を開花させた470人)

養父の美静は、津和野藩士で、平田派の国学者・歌人として名をなし、上京して、尊攘派として国事に奔走し、明治維新ののち藩主亀井茲監が神祇官副知事についたのにともない、関係の要職についた。明治二年に天皇の侍講となり、のち元老院議官などを歴任し、子爵を授けられている。
逸人が美静の養子となる年、彼は兄とともに上京し、培達義塾に寄宿して普通学、ドイツ語を学んだのち、工部省工学寮小学部に入学した。さらに明治八年には、津田仙が創設した学農社に入学し、かたわら進藤章三について農芸化学を実修した。二年後、すでに発足していた勧業局内藤新宿試験場の農業生となった。ここで農業園芸の実修と加工品製造に従事し、福羽逸人は園芸の道を歩み出したのである。
明治12年(1879)三田育種場植物御苑係となり、「葡萄試験園創設」を建議、葡萄園創設の任にあたり、播州葡萄園長となる。

播州葡萄園では、ぶどうの栽培、ワインの醸造に成功している。

明治19年(1886)フランス・ドイツに留学し、ヨーロッパの園芸を研修し、その後、パリ万国博覧会事務官をつとめた。

帰国後は、農商務技師、東京農林学校勤務、式部官、新宿植物御苑係長、大膳頭、宮中顧問官などを歴任する。

大正8年(1919)7月、農学博士を授けられる。逸人が作り出した「福羽苺」は促成用品種としては、他の追随を許さず優秀品種であり、近年までその品質は評価された。
農業技術を創った人たち〈2〉

福羽が後世に残した遺産の一つは、なんといってもイチゴ品種の「福羽」だろう。
促成栽培を完成した福羽が、つぎにこれに向く品種づくりに取り組んだのは、当然のなりゆきだった。じつは福羽ははじめ、外国品種の苗を導入して選抜しようとしたのだが、船での長旅輸送のため、枯死させてしまった。やむなくフランスの品種「ジェネラル・ジャンジー」の種子を取り寄せ、その実生から選抜したのが、のちの「福羽」である。なお、「福羽」の育成には、逸人の門下生で親戚筋に当たる福羽恩蔵も大きく貢献したと伝えられている。恩蔵は当時御苑で、逸人の片腕として活躍していた。
イチゴ品種の「福羽」は明治32年(1899)に育成された。はじめは苑内だけで栽培され、門外不出とされたが、昭和のはじめから静岡県を中心に栽培され、やがて各地に広がっていった。御苑で育成されたので、「御苑イチゴ」「御料イチゴ」とも呼ばれる。
「福羽」はそれまでの外米品種に比べ、早生で、大粒で、肉質もよく、低温下でも結実する。クリスマスや正月用によろこばれ、大正の中ごろから昭和40年代まで、ほぼ半世紀にわたって促成イチゴの王座にあった。最盛期の昭和35年(1960)ころには、静岡・神奈川・千葉の三県を中心に、約1700tが生産されていたという。
著書に『甲州葡萄栽培法』『蔬菜栽培法』『果樹栽培全書』全四冊などがあり、わが国の園芸学の草分け的存在である。
『近代日本の先駆者』(日外アソシエーツ)

温室設計のパイオニア

日本最初の温室は明治3年(1870)、東京・青山の開拓使の園内に建てられていたが小規模なものであった。その後建てられたものもあまり振るわなかった。
福羽は明治26年、新宿植物御苑に75坪の第1号温室を建設、その後それぞれ様式の異なる温室を3つ完成させ、そのためのボイラーの開発にも力を尽くした。福羽は様々な果菜の促成栽培に成功したが、中でも育成の困難な洋蘭とメロンに苦心し、明治末には何とか軌道に乗せるまでに至っている。

稲美町郷土資料館・播州ぶどう園歴史の館(兵庫県加古郡稲美町国安1286-55)



播州葡萄園跡(兵庫県加古郡稲美町印南646-33ほか)
平成8(1996)年に発見された醸造場のレンガ遺構(稲美町ウェブサイト)

明治13(1880)年に誕生した国営播州葡萄園は、平成12(2000)年で満120歳を迎えました。
郷土資料館では、平成8年の夏にレンガの地下室の遺構が発見されてから延べ6回の発掘調査を行いましたが、園舎(管理事務所)の建物跡が残っている「園舎遺跡」と収穫した葡萄を加工するための施設跡が集まっている「醸造場遺跡」という二つの遺跡が残っていることを確認しています。
それらは、明治時代という比較的新しい生産遺跡ですが、稲美町や兵庫県はもちろん、全国的にも数少ない貴重な遺跡であり、明治という時代の証言者としての価値は高いと考えています。
郷土資料館では、今後も、関係する資料の収集や調査を繰り返しながら、「播州葡萄園」を明らかにする活動を展開します。
  
新宿御苑(環境省ウェブサイト)



山梨のワインの歴史(7・福羽逸人の「変遷の記」)



新宿御苑100周年記念出版・福羽逸人『回顧録』



福羽逸人・福羽美静墓所(青山霊園・東京都港区南青山)
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