【偉人録】郷土の偉人

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秋月種樹(あきづき・たねたつ)・宮崎の偉人

高鍋藩主・秋月種任の三男として生まれる。

天保4年(1833)10月17日-明治37年(1904)10月17日 72歳

江戸時代後期の日向国高鍋藩世子。貴族院議員、参与、明治天皇侍読。
若年より英明で知られ、小笠原明山、本多静山と並んで学問界の三公子と称された。
詩文にも優れ、書家としても知られた。


通称政太郎、叙任して右京亮を称す。

天保4年(1833)10月種任の三男に生まれ、文久3年(1863)6月藩主の兄種殷の世子となる。

学問所奉行に任じられ、若年寄格に任じ、学問所奉行を兼ね、将軍徳川家茂の侍読を命ぜられた。

家茂の上洛に随従し、元治元年(1864)5月本役および兼役を辞した。

維新後新政府に出仕して、明治元年(1868)2月参与・内国事務局権輔に就任。
閏4月行政官の弁事に転じ、7月議政官下局議長を兼ね、9月議事体裁取調掛を命ぜられて議会制度の調査に従事。

明治2年3月公議所が開設されると初代議長となったが、4月罷めた。

また学校制度の整備にも与り、学校取調御用掛を兼ね、判学事、副知学事に進み、大学少監、大学大監を歴任。

この間、元年6月より3年7月まで侍読として明治天皇の輔導にあたった。

この後、左院少議官、元老院議官などを歴任、明治27年貴族院議員に勅選された。

この間、華族会館・第十五銀行の設立にも尽力した。

明治37年10月17日没した。72歳。

参考文献 内閣修史局編『百官履歴』下(『日本史籍協会叢書』)(日本近現代人名辞典)
秋月種樹墓所(秋月墓地・宮崎県児湯郡高鍋町大字上江)

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