【偉人録】郷土の偉人

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小栗家の火縄銃 菩提寺・東善寺所蔵、忠順の父の銘 研究のために製造か 高崎 /群馬(毎日新聞・2017/6/20)


日本の近代化の礎を築いた幕臣、小栗上野介(こうずけのすけ)忠順(ただまさ)(1827〜68年)の菩提(ぼだい)寺である東善寺(高崎市倉渕町権田)が所蔵する「小栗家の火縄銃」に、幕府の鉄砲隊長も務めた忠順の父、忠高(ただたか)(1809〜55年)の銘が刻まれていることが分かった。

同寺の村上泰賢住職は「忠高自身が、銃について研究するため、鉄砲鍛冶の指導を受けながら作ったものであろう」と推測している。

火縄銃は長さ118センチで、銃身に小栗家の家紋が付いている。村上住職は、江戸幕府が幕末に行ったフランス式の陸軍訓練を受けるため、小栗家の領地、権田村から16人が江戸屋敷に行った際、小栗から記念に渡され、村に持ち帰ったものとみている。

村上住職の父親が住職だった1970年ごろ、倉渕地域の農家から「家に伝わるもので、菩提寺で保存してほしい」と寄付されたという。

手入れのため専門家が分解したところ、銃身の根元の部分に「小栗又一 忠高造」と刻まれていた。

「又一」は徳川家康から小栗家に授けられ、代々名乗っている別名という。忠高は1847年10月、持筒頭(幕府鉄砲隊長)に就任、54年7月には第3代新潟奉行として赴任したが、翌年病死して、忠順が家督を継いだ。

忠高自身が研究のために自ら製造したとみられる銃の発見に、村上住職は「忠順は現実をきちっと押さえて物事を進めるリアリスト。

自分で現地調査をして問題点を洗い出し、根回しをした上で、幕府に提案していたが、こうした手法は父親の影響が大きかったことが裏付けられた」との見解を示している。


覚悟の人 小栗上野介忠順伝 (角川文庫)
佐藤 雅美
角川書店(角川グループパブリッシング)
2009-12-25

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