【偉人録】郷土の偉人

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腐敗追及、現代にはおらんのか(追跡 大塩平八郎:1)(朝日新聞・2017/11/20)


大阪・梅田の地下街「ウメチカ」。ここで、かつてはベトナム反戦集会が開かれ、阪神タイガースが1985年に日本一になったときには、毎晩のようにファンが繰り出して、騒然となった。

【特集】大塩平八郎

阪神・梅田駅周辺には新聞スタンドが連なり、支柱に張り出されるどぎつい見出しの夕刊紙の紙面が、雑然とした地下道の名物だった。ところが、90年の国際花と緑の博覧会を機にスタンドは大阪市から「通行の安全」を理由に立ち退きを求められる。

反対の声が上がった。折しも公費による飲食やヤミ手当、マンション不正入手など大阪市役所の「公費天国」が次々に明るみに出ていたころだ。
「売店を守れ」という声に市役所への怒りが加わり、市民手づくりの「壁新聞」が地下道に登場した。

「市役所に大塩平八郎はおらんのか」。

壁新聞のひとつにこんな一文があったと私が知ったのは最近、大阪にある「大塩事件研究会」の会誌をめくっていたときのことだ。

大塩事件は江戸末期の天保8(1837)年2月19日、大坂東町奉行所の元与力で陽明学者の大塩平八郎が、救民をかかげて蜂起した反乱である。

大塩は、幕府の役人の腐敗や天保の飢饉(ききん)に対する失政を糾弾したと伝わる。
つまり、地方の一官吏が国政の腐敗を追及したのだ。

大塩事件研究会のメンバーは、研究者や蜂起に加わった大塩門弟の子孫、市民ら。
会誌で壁新聞について回顧していたのは、初代会長で三重大学教授の酒井一さんだが、酒井さんはすでに故人で、直接聞くすべはない。

当時を知る何人かに電話をしてみた。「大阪の虎はタテジマ、市役所はヨコシマ」や「公金で飲み食いしている議員を追い出すのが市長の役目」といった風刺の文言を記憶している人はいたが、「大塩」の壁新聞を覚えている人は見つからなかった。

ただ酒井さんは94年の朝日新聞に登場して、やはり壁新聞のエピソードを紹介し「政治腐敗や社会不安が起きるたびに必ず大塩思想が思い起こされますね」と語っている。

大塩の乱で大坂は当時の市街地の5分の1が焼ける被害を受けたが、大塩は民衆のために立ち上がったのだと、いまも変わらぬ人気を誇る。

史料によると、焼け出された人々は幕府のお救い小屋で食事にありつき、復興に向けて大工や左官の仕事についたことを「大塩様のおかげ」と感謝したという。
別史料には「江戸中の人心みな大塩をあわれみひいきす」とある。

大塩が住んでいた大阪・天満にある上方落語の定席「天満天神繁昌亭(はんじょうてい)」。
建設費を寄付した人の名が入ったちょうちんが客席の天井にぶら下がり、中には「大塩平八郎」もある。

大塩ファンの寄付らしいが、支配人の恩田雅和さんはこう言う。「大塩を取り上げた落語はないと思います。滑稽噺(ばなし)には向いていません」

与力時代は決してわいろを受け取ろうとせず、陽明学者として説いたことを実践しようと蜂起したとして、大塩は主に「清廉潔白」のイメージで語られてきた。

だが、一方で「江戸で栄達を得ようとして失敗した」などと、異なる大塩像を唱える人も昔からいる。蜂起から180年。大塩の「素顔」を追ってみる。


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