【偉人録】郷土の偉人

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◆「鉄道の父」帰ってきた 丸の内駅広場に 新橋−横浜工事責任者 井上勝の銅像(東京新聞・2017/12/7)


新装なった丸の内駅前広場に、東京駅のシンボルが十年ぶりに帰ってきた。
明治政府の鉄道庁長官を務め、「鉄道の父」と呼ばれた井上勝の銅像。工事のため撤去され、「お蔵入り」となっていたのを嘆いていたゆかりの人たちは、「井上あっての東京駅」と復活を喜び合った。

「発展した東京駅を見て感慨にふけっているだろう。戻ってきてくれてありがたい」。
広場のオープンに駆け付けたのは、井上勝のひ孫に当たる井上勝重さん(73)=東京都港区。感激した様子で銅像を見上げた。

本体の高さ約三メートル、台座部分は約五メートル。足せば約八メートルになるこの像は、二代目だ。

一九一四年の東京駅開業に合わせて建てられた初代は、戦時中の金属供出で撤去された。その後、井上の没後五十年を記念して五九年に再建された。「東洋のロダン」と呼ばれた彫刻家朝倉文夫が手掛けた。

工事のため撤去されていた時期もあったが、八七年からは駅正面から皇居を向いて立っていた。

二〇〇七年、東京駅舎を創建当時に復元する工事が始まり、再び撤去。一二年に復元工事が完了しても像が戻らなかったため、心配する声が広がっていた。

井上の出身地の山口県萩市はJR側に、像を早く再設置するよう要請した。

戻ってきた像は、駅前広場の北西端で「丸の内オアゾ」と「新丸の内ビル」に近い場所に移された。
歩行者の流れを妨げないで銅像の近くに行けることや、初代の像が立っていた場所に近いことなどが理由という。

像の視線は駅舎の中央部を向く。JR東日本の冨田哲郎社長は「井上勝という大先輩が、われわれのことをにらんで激励してくれている。像を見ながら仕事に励みたい」と話す。

萩市の萩博物館で井上没後百年の展示を企画した主任学芸員道迫(どうさこ)真吾さん(44)も、像の復活を喜ぶ一人。「鉄道で日本の国力を上げようと一生を懸けた人のことを、広く知ってもらいたい」と声を弾ませた。


<井上勝(いのうえ・まさる)> 
1843〜1910年。幕末の長州藩が西洋文化を学ばせるため、伊藤博文や井上馨らと共に英国に派遣した5人の一人。
明治政府の初代鉄道頭(てつどうのかみ)となり、鉄道局長、鉄道庁長官などを歴任。
1872年に新橋−横浜間に開業する日本初の鉄道の工事責任者を務めたほか、東海道線(89年)、東北線(91年)など主要路線を造った。

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