P1020787平成23年4月20日、ご案内して来た元西鉄大牟田市内線204号が、ついに再び大牟田の土を踏んだ。今回はその搬入までのドキュメントをお届けしたい。写真は19日、これまで保存されていた光市立図書館での最終日、搬出を待つ204号である。



ちなみに、右側の12tクレーンは本体の搬出用ではなく、移動のための鉄板敷き込み等作業のために配置されたもの。204号の置かれた場所付近は通路が狭く、本体を持ち上げる大型クレーンや輸送用トレーラーが近づけない。この背後にある広い場所に置いた大型クレーンで吊り上げ可能な位置まで、204号を手前側へ牽き出す作業が必要。そのためには現在位置から吊り上げ位置までの間に植えられたツツジを伐採させて頂き、その土の上に分厚い鉄板を敷く… という段取りだ。



P1020789当日、204号を迎えに出向いたてっしい君とワシ。調達して来た電動チェーンソーで最小限のツツジを切らせて頂き、そこへ重機によって鉄板も敷かれて、いよいよ本体を動かす時が来た。ところが、牽引用のトラックでいくら牽いても動かない。ブレーキなど掛かっていないのだが、思いのほか車輪が回転しないのである。ある程度覚悟はしていたものの、36年の間に車輪とブレーキーシューが完璧にサビで固着してしまっているようだ。



P1020791重機会社の皆さんとワシらで、懸命に車輪やブレーキシューを叩き、バールでこじってみるが、204号は頑として動かない。ふと気が付いた重機会社作業員さんが、軸箱にジャッキを当てて持ち上げてみたところ、車輪とレールもこびりついているのを発見。バーナーやグラインダーで踏面をキレイにしたり、レール上に薄い鉄板を挟んでみる。



P1020793もしもこのまま、動かなかったらどうしよう… と、ワシらを焦りと緊張が覆う。万一にも、本日中の搬出が無理という事になれば、てっしい君を中心に今日〜明日のために手配した重機や低床トレーラーの費用が、完全に無駄になってしまう。現実に、同じ費用を再び用意する事は難しく、事によっては204号の移設・保存自体も諦めざるをえないといった、最悪の事態もアタマをよぎる。
そうした心配をよそに、牽引車もトラックから40tクレーン車に替えられて再チャレンジ。ジワリと牽くと、ようやく204号は動き始めた。サスガ!! プロの為し得る業である。




こちらがその動画。安住の地とはならなかったこの場所から、36年ぶりの新たな歩みが始まった。



P1020798展示されていたレールの途切れた先は、こうして分厚い鉄板の上を、車輪の踏面でなくフランジで移動していく。何もガイドはないワケだが、さすがに12t以上もの自重では簡単に台車も向きを変える事はなく、鉄板の段差もまっすぐに乗り越えて進んで行く。




さらに牽引されて、吊り上げ可能な位置までジワリジワリと動く。レール上でこそないものの、204号が自らの車輪で再び転がるというシーンは、もしかしたらこれが最後かも知れない。



P1020803ギャラリーには地元プレスの皆さん初め、光市教育委員会の方々もお見えになって見守って居られるだけに、作業もなんとか大きな支障なく進めたいものであったが、上記の如く移動の段階で手間取ってしまった。日没までにはなんとしても終了せねばならない。



P1020804やがて16時を回り、204号にはまるで後光が差すように瀬戸内海からの夕日が降り注いだ。そんな中、ボロボロになった電車をなんとか運び出そうと囲む人々がせわしなく動き回る。
周囲と背後の斜面をツツジが覆い、春には斜面上の桜も咲き誇る、この素晴らしい場所… 改めて見渡して、204号はこの場所で決して冷遇されていた訳ではない事を実感する。

「電車はきれいな花たちや、子供たちの歓声に囲まれて、幸せに暮らしました…」公園や公共施設にこうした路面電車が保存される時、多くの人たちがそんな温かい光景をイメージするだろう。しかし現実には、そうした多くの保存車の末路は悲惨だ。204号の場合、その姿を留めていただけでも幸せと言うべきである。



P1020819ワシ的に声を大にして言っておきたい事がある。ここ光市でも、204号をどうでもいいと思っていた人など、一人も居ないという事だ。関係した全ての人が出来る限り美しく保ちたいと思ったし、現実に荒廃してきた時にも何とかしたいと思った。しかし現実が許さなかったのである。むしろ、荒廃しても壊すことなく今日まで存置して頂いた事に、心から感謝したい。



多くの公の場所で、造園管理などの費用支出は一定費用認められている。だが同じ屋外でも、保存された電車に一定の維持管理費が必要という概念はない… というか、少なくとも日本国内の常識としては存在しない。福岡では、西鉄自身の手により香椎花園に保存された筈の歴史的高性能連接車1001号、そして204号の僚友201号が、僅か10年余りで朽ち果て解体されてしまった。いくらワシらが努力したところで、こうした世の中の常識が改められなければ、同じ事は何度も繰り返されていく。文化は「タダ」でとっておく事など出来ない。



P1020821こうして日没の頃、ようやく204号は車体を低床トレーラーに、台車とパンタを別のトラックに積載されて、現地を19時30分頃に出発。国道2号線経由で九州へ向かった。
2002年、この地で204号を「発見」したてっしい君。当時現地で仲間と共に、同車を一度修復した事を契機として、今日まで光市側との調整を全て受け持って来た。搬出当日の段取りも殆ど彼によるもので、更には結果的にかなりの部分が自前になる事も覚悟で、費用負担もしている。そんな彼に、頼りない先輩であるワシは改めて敬意を表しておきたい。



光市民の皆様、光市立図書館の皆様、そして教育委員会の皆様、永い間204号を守って下さり有難うございました。そして困難な中、重機で手際良く作業頂いた三信興業の皆様にも、心より御礼申し上げます。



P1020827そして20日朝9時、トレーラーは大牟田市宮部の「大力茶屋」に到着。当ブログで先般お知らせしていた、駐車場に敷設済みの線路上へ無事搬入された。
「無事」とはいえ、この時も台車が簡単には転がらない状態のため、概ね台車中心間ピタリに台車を降ろし、辛うじて動く片側の台車で微調整しながら車体を載せる… といった苦心を強いられた。



さて、最近増殖中という「建設機械大好き」人間の方は、上の写真で当然注目されるであろう、かなり古いクレーン車。これは仮設置場所となる「大力茶屋」様のご厚意で手配して頂いたもの。「熊88」ナンバーという相当な古兵で、もう30年も使っているという。作業完了後に思わずワシが「大事に使われてるんですね〜!」と操縦していた重機会社の社長さんに言うと、横で聞いていた大力うどん社長の新開さんは「あんた、そげなキツか言い方はなかでっしょうもん!!(筑後弁で『あなた、そんなキツイ言い方はないでしょう!』)」と大笑いしていた。



そんな大力うどんの新開さんには、いくらお礼を述べても言い尽せないほど、この204号の帰郷ではお世話になった。上記のクレーン手配等々、それは単に場所の提供という事だけに留まらない。改めて厚く御礼申し上げます。


P1020831こうして幾多の困難を乗り越え、59年ぶりに大牟田の地に帰った204号。当日は写真の状態でプレスの方々などに一旦お披露目となったものの、夕刻までには屋根を中心にブルーシートで覆われた。この写真では判り辛いものの、窓周りや屋根の木部は基本的に全て取り替えが必要な状態で、雨漏りも酷いためである。しかしご覧のように、台車やパンタグラフはまるで新品のように(…と言えば大袈裟だが)状態が良く、特にこの時代を象徴する軽量台車は美しい。
修復プランは今後「204号の会」で練られる事となるが、現時点での募金額が目標(204万円)に遠く及んでいない事もあり、そこそこの修復を経てひとまず公開出来るのがいつ頃かは、現時点では決まっていない。とはいえ、204号はこうして「救出」された。まずは一息といったところである。



なお設置先の「大力茶屋」現地は、毎時1本となるが西鉄バス55番系統「宮部大町」バス停前。大牟田駅からは同バス(南関方面行き)で20分程度、新大牟田駅からだと同バス(大牟田駅方面行き)で僅か5分程度。ただ、上記の通り現在は見学公開している状態ではなく、通常ブルーシートで屋根から窓周りまでが覆われている事をご承知頂きたい。現地にお立ち寄りの際には、麺もダシも絶品でしかも安い(かけうどん170円!!)大力茶屋のうどんを是非ともご賞味あれ。但し水曜は定休日で麺・スープ・具材のテイクアウトのみ。



人の生涯も電車の生涯も悲喜こもごも、運・不運もある。でも「生きてるだけで丸儲け」という明石家さんまの人生訓は真にその通りで、命さえあれば出来る事は山ほどある。ワシも当ブログでは以前記した通り、数年前に心臓などの大手術を受けて身体障害者となった時には落ち込んだものだが、今でも手術後の「命があって良かった!」と思った瞬間を、困った時には思い出す事にしている。こんなに朽ち果てた姿だが、とにかく204号という電車は生き長らえた。その命さえあれば、この大牟田の地で果たせる役割は大きい。



命を長らえただけでなく、204号は故郷に居場所を得た。物理的な「場所」だけではない。ここが仮住まいであり終の棲家ではないとしても、多くの人たちの理解を得られる存在となった。家や会社はあっても居場所がないと悩む人間が山ほど居る社会にあって、少なくとも「歴史的な存在価値」という意味で居場所を認められた204号の今は幸せである。物言わぬ彼なれど、多くの人たちの思慕で生かされ、帰って来た。ワシら人間も、時には他人に頼ってでも生きていこう。生きてさえいれば、いつか居場所は出来る。きっといい事もある。



末筆ながら、ハンドルネーム「博多魂」様を初めこれまでこの活動にご寄付を戴いた方々、そしてご支援頂いている全ての方々に厚く厚くお礼申し上げると共に、今後も引き続きのご支援を心よりお願い申し上げます。