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世界支配者層は19世紀以降、大多数の被支配民を家畜として飼い慣らす文明の総仕上げにかかっている。最終ステージ、それは日本と日本人、その文明・文化の徹底的破壊と征服。大多数の日本人がその現実に全く目覚めぬまま、日本という国と日本民族はこの地球上から姿を消すのだろうか?

2011年06月

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ナチスドイツによるユダヤ人迫害の象徴というイメージのある「アンネの日記」をご存じの方は多いだろう。映画にもなり涙した方も少なからずいるはずだ。日記は世界で2500万部を越えるベストセラーにもなっている。

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しかし、愛読者達の夢を壊して申し訳ないが「アンネの日記」は主人公のアンネ・フランクが書いたものではない。日記は別人による捏造、創作である。メイヤー・レビンというアシュケナジー・ユダヤ人が、アンネの父から依頼されて書いた小説なのだ。小説だから当然内容もフィクションで実際には無かったこと。
参考ウェブサイト:アンネ・フランクは「アンネの日記」を書かなかった

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原文はとても13才の少女が書いたとは思えない、大人の文章であり、ある日本人ドイツ語学者によれば、その文章は大人びているだけでなく、古典的ドイツ語で書かれているという。アンネ・フランクはオランダで生まれたアシュケナジー・ユダヤ人で、13才で死亡。彼女は当然、オランダ語を話す。古典的ドイツ語は自在に操れるほど堪能ではないはず。また何より、日記が捏造である証拠として「アンネの日記」の筆跡と、アンネの筆跡が全く違う。さらに、日記に使用されている筆記具ボールペンは1951年以降実用化され一般化したが、アンネの生存中は一般には出回っておらず、とても高価なものだった。

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「アンネの日記」真贋論争は白熱し1981年、日記を保管するオランダ国立戦時資料館は法務省所属のオランダ国立法科学研究所に鑑定を依頼する。

このとき、使用されている物質(インク、紙、糊など)と筆跡を調査した結果、内容的には『アンネの日記は1942年から1944年の間に書かれた』ということが異論の余地無く論証され追加改ざんされた様子は無い、と結果が出た。しかし事態を複雑にしたのは、日記の四巻目から使われているボールペンの筆跡は以前の一、二、三巻と同じ、と結果が出されたこと。このため1945年に死亡した人物が1951年に普及したボールペンで書ける訳も無く、結果として、

1、アンネは実は死んでおらず、戦後に全編を完成した。
又は、
2、作者はアンネの名を語った偽者で、戦後に全編を完成した。

という二つの可能性しかなく、結局2が正しいとされた。

アンネの日記ホンモノ説支持者は、ウィキペディアの記述を根拠に、

「問題のボールペン・インクによる記述は、最初の文書鑑定(1960年)の折りに紛れ込んだ小さな二枚の紙片に見られるに過ぎず、日記の内容に影響を与えるものでもなければ、当然アンネ・フランクが書いたものでも、ましてやメイヤー・レヴィンが書いたものでもない。この紙片の筆跡は、ドロテア・オッケルマンのものであったことが明らかになっている。鑑定レポートは、第三者の書き込みについても分析を行ない、これらをアンネが書いたものと区別して論述している。」

と言う。しかし、これは苦し紛れの、一般大衆を欺くための真っ赤なウソ。真実は、

「ドイツの裁判では、そんな小さな紙切れ二枚の鑑定などしていない。第四章全部が、ボールペンで書かれていると鑑定している。『小さな紙切れ二枚の鑑定』はすり替えである」。 概要「そもそもウィキペディアの記述は出典が明らかでない。ネット上で類似の情報を探しても何も引っ掛かってこない。『81年にオランダ国立法科学研究所において、紙質、インク、糊などに関する文書調査と筆跡鑑定が行われ、結果、42年から44年の間に、本人が書いたものと結論付けられた』というのも、出典不明である。つまり、便所の落書きと同じで根拠がない」。

「アンネの日記」の真の作者はユダヤ系アメリカ人作家メイヤー・レビン。彼は「アンネの日記」が大ヒットするにつれ欲が出たのか、最初にもらった原稿料に飽き足らず、日記が生み出す利益の供与を主張するようになった。版権は本来なら父のオットーに有るのだが、メイヤーが版権を主張したため、両者は対立。醜い争いは裁判に発展し、メイヤーは自分が版権を持つことを主張するために自分がゴーストライターとしてアンネの日記を書いたことを暴露してしまった。

という経緯で、その判決により「アンネの日記」はアンネ・フランク直筆の作品では無く、ゴーストライターのメイヤー・レビンが書いたことがはっきりした。この結果「アンネの日記」がシオニストユダヤ人のプロパガンダとして世間に広く知られることとなった。


ニューヨーク最高裁判所の判決の書類番号は「2241ー1956」であり、ニューヨークの地方事務所になければならない。だが何故か、このファイルは現在紛失してしまっている。原因は不明。調査しようとすると、何者かの圧力がかかり調査は続行不能となる。

1988年に発見された、アンネがアメリカの友人に送った手紙を見れば、余程根性の曲がった人(或いは組織的確信犯)でない限り「アンネの日記」は別人によって書かれ、アンネは「アンネの日記」を書いていないと、一目瞭然で分かる。やはり、ウソはいつかはバレるものだ。

「アンネの父親オットー・フランクは1980年に亡くなるまで、自筆原稿の公開を拒否。テレビに登場 しても、自筆原稿にはフォーカスさせず。遺言でオランダ国立戦時資料研究所に寄贈された後も、実質未公開。」(紫霄閣)というのも頷ける。オットー・フランクの死後8年経って、彼が恐れていた真実暴露の悪夢が遂に現実に(アンネ直筆の手紙アメリカで発見!)。

以下、ブロック体に加え、筆記体でも並べて比較。


「アンネの日記」の筆跡(右に傾斜する右利きの特徴と大人びた筆致)

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アンネがアメリカの友達に宛てた手紙(1988年発見)の筆跡。ブロック体は少女らしい丸っこい筆致、筆記体は左に傾斜する特徴。この手紙(頁トップ)の日付は1942年10月10日、アンネがゲシュタポに発見される日が1944年8月4日。最大で2年も経過しない内に、或いは数日乃至数ヶ月、もしかすると「瞬間」で、これほどまでに筆跡が変わるものだろうか?素人目で見ても、明らかに別人と考えた方が整合性があるのでは?それとも「アンネは多重人格障害(英: Multiple Personality Disorder ; MPD)を患っていたので、これくらい急激に筆跡変化が起きても不思議は無い」という新(珍)説を展開?

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その他、この件に関する文献を紹介する。「エコノミック・カウンシル」誌 1959年4月15日

「『アンネの日記』は十代の子供が書いたとは思えない。この事についてニューヨーク最高裁判所の判決から裏付けを取る事が出来る。アメリカのユダヤ人作家メイヤー・レビンが、アンネ・フランクの父オットーから、この日記作成に対する謝礼金として、5万ドルを受け取ったと認めている。フランクはこのレビンに五万ドルを払い、その後レビンの作品を、まるで自らの娘の作品のようにしてしまったのである。この最高裁の判決の書類2241-1956は、ニューヨークの地方事務所にあるはずなのだが、残念な事にこのファイルはいまやいずこかへ消えてしまっている。『アンネの日記』は1951年、出版後ただちにベストセラーになった。しかしなぜアンネの父を巻き込み、本の真実性を追ったこの裁判が、今日公に報告されることがないのだろうか。オットー・フランクがその娘の死、およびその悲劇から膨大なカネを儲けたというのに。」(見えざる帝国 宇野正美 著)

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スウェーデンのジャーナリスト、ディトリィェブ・フェルデュラーは、この様に証言している。

①1959年、映画『アンネの日記』が作られた時、アンネが住んでいたというアムステルダムのオリジナルの建物を、日記に書いてあるように改装してもよいと言われたという。
②13歳の少女が冒頭でフランク家の歴史を語り、そのすぐ後にドイツの反ユダヤについて語っているのは何故か?
③彼女は本文中で『オランダ風の階段』と語っているが、彼女はオランダでしか育っていない。

1980年10月9日のニューヨーク・ポストには、エルンスト・ロエマーなる人物が「アンネの日記」は真実ではなく、フィクションである事を追及し続け、裁判に持ち込んだ記事が書かれている。そして、二度目の裁判で彼の主張は正当であると認められた。

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アンネ・フランクは1945年3月上旬、ベルゲン・ベルゼン強制収容所で発疹チフスを患って亡くなった。もし治療を受けていたら、もしかすると彼女は助かっていたかもしれない。しかしユダヤ教に入り込んだ悪魔の法典タルムードの「偶像礼拝者や異教徒からの医療的な助けは避けなければならない」(Pesachim 25a) という邪義がそれを許さなかった。タルムードを信ずるユダヤ人達に、非ユダヤ人の治療を受ける選択肢は無い。もし彼女が治療を受けて生き延びていたら、悲劇の主人公が描かれる「アンネの日記」をゴーストライター、メイヤー・レビンが書くことは無かった。

彼女も国際金融寡頭勢力によるシオニズム運動の犠牲者の一人である。シオニズム(ヘブライ語: ציונות‎, Zionism)とは、イスラエルの地(パレスチナ)に故郷を再建しようという運動で、ロスチャイルド財閥等の国際金融寡頭勢力を筆頭とするシオニストによって進められた。パレスチナの住民を追い出して、無理矢理イスラエルを1948年に建国。何のために?彼等の計画通り、ユダヤ教とイスラム教の戦争をきっかけに世界を第三次世界大戦に巻き込むためだ。そのためにはイスラエルという国の建国がどうしても必要だった。

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世界に散らばったユダヤ人の殆どは、パレスチナに帰ろう、等とは考えず、むしろ現地に同化することを望んでいた。しかしそれではせっかくイスラエルを建国しても誰も住まないことになってしまう。そこでロスチャイルド財閥の血を引くヒットラーのナチスを育てて使ったということだ。同化してユダヤ人としてのアイデンティティーを失ってもらっては困るのである。それでその国で住めない状況を作り出し、イスラエルへ向かうように仕組んだのだ。ユダヤ人の血を引くヒットラーが何故同じユダヤ人を強制収容所送りしたのか、という疑問はこれで理解できるであろう。(ヒットラーが弾圧したのはアシュケナージユダヤ。つまりユダヤ人としての血統を引く人々で無く、かつてカスピ海付近にあったカザール帝国の末裔。ユダヤ教カザール人。)

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アンネはごく普通の女の子だった。日記で言われるような「小説家志望」というのも疑わしい。恐らく嘘だろう。彼女がアメリカの友人に送った本物の、彼女の手紙の筆跡を見れば見るほどそう思えてしまう。そしてそこに本当の愛らしい13歳の少女の姿が浮かび上がってくる。

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何故父親のオットー・フランク(写真中央の人物)は5万ドルという大金(現在の貨幣価値で約2億円)を払ってまで、ゴーストライターに娘の名前で小説を書かせたのか?必ず背後で糸を引く黒幕がいたはず。そう考えるのが自然だろう。

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以上が『アンネの日記』の顛末。しかしここら辺はまだ序の口だ。「アンネの日記」をさらに追求していくと、600万人ユダヤ人殺戮のホロコーストは実際無かったとか、有名なガス室は使われた痕跡が見つからず、後で捏造された等々、新しい事実がボロボロと出てくる。こんなことを欧州で発言すれば逮捕され懲役を食らってしまう(実際2年懲役を受けた人もいる)。

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皆様方と共に、日本人として生まれ自由にものの言える日本に育ったことを感謝したい。しかし、先日6月16日にその自由が無くなる法案が国会で成立した。俗に言う「コンピューター監視法案」。勝手に人のメールをのぞき見することが可能になり、怪しい者は即刻逮捕できるようになる。言論弾圧、国民の言論をすべて監視する現代の治安維持法だ。しかし、極少数の人々しかこの事実を知らない。この法案はTVや新聞でも全く取り上げず、秘密裏に成立したからだ。

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真実を知れば何も怖いものは無い。しかし、真実を知る道が閉ざされようとしている。法案は成立してしまった。しかし、郵政民営化法案と似たケースと考えることもできる。この法案も成立したが、勇気ある政治家やネットユーザーが呼びかけて、現在のところウォール街に350兆円が盗られる最悪の事態はストップしている。

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コンピューター監視法案を廃止に追い込んで、さらに彼等の嘘を暴いてゆこう。『アンネの日記』捏造は氷山の一角にしか過ぎない。日本人の全てが洗脳から目覚めるとき、その時世界は初めて良くなる。日本人が変われば世界が変わる。これは真実だ。

世界の未来を決める原則白人だけの秘密会議、各界の実力者を集め、今日から4日間の日程で始まる。

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2011年ビルダーバーグ会議(6月9日-12日) がスイスのサンモリッツ、ケンピンスキー・グランド・ホテル・デ・バンで幕を開けた。

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ビルダーバーグ会議(The Bilderberg Group, Bilderberg conference, Bilderberg Club, Bilderberg Society)とは、1954年から毎年1回開かれてきた。欧米各国で影響力を持つ王室関係者・欧州の貴族や政財界・官僚の代表者など約130人が、北米や欧州の各地で会合を開き、政治経済や環境問題等の多様な国際問題について討議する完全非公開の会議。ビルダーバーグ・クラブ、ビルダーバーグ・ソサエティとも言われ、「陰のサミット」と呼ばれることもある。出席者リスト、議題は公表され、欧米のジャーナリストも招待されるが、会議での討議内容は非公開であり記事になることはない。また、日本を含めて、非欧米諸国からの参加者は中東、イスラエルを除きほとんど存在しない。

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ジョセフ・レティンガー(Joseph Retinger)、オランダのベルンハルト王配らの働きによって創設された。冷戦中に、欧州の北大西洋条約機構(NATO)加盟国と米国の橋渡しを目指したとされる。第1回は1954年5月29日から31日にオランダのオーステルベーク(Oosterbeek)のビルダーバーグ・ホテル(the Hotel de Bilderberg)で開かれた。1970年代頃からその存在を一般に知られるようになった。

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デイヴィッド・ロックフェラーは「ビルダーバーグは本当に、きわめて興味深い討論グループで、年に一度ヨーロッパと北アメリカの両方にとって重要な問題を論じ合っている―ただし、合意に達することはない。」 と述べている(『ロックフェラー回顧録』新潮社 2007年)。

ビクトリア英女王時代(十九世紀)の宰相で文学者でもあったベンジャミン・ディスラエリ伯は、「世界は、舞台裏まで潜り込む目を持たない者が想像できない他の人物たちによって統治されている」と述べたが、ビルダーバーグ会議にもこの言葉が当てはまる。

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出席者は差し支えの無い者だけ公表。ロスチャイルド家やロックフェラー家等、特に影響力の大きな者達は出席が公表されない。彼等の参加を確認するには現場に行くしか無い。ここに会場となったスイスのサンモリッツ、ケンピンスキー・グランド・ホテル・デ・バンの6月8日の模様を写真で公開する。興味のある人は今からでもスイスまで飛んでみては?

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会議の内容は非公開だが、もし内容で漏れ伝わるものがあればお伝えする。


Talmud Laws of Satan(悪魔の法典タルムード)

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何故、彼等は日本人を数万人、平気で殺せるのか?震災直後60兆円を奪って何とも思わないのか?

一言で言えば、ある宗教の教えに従ったまで。彼等にとっては正しいこと。その教えとは金融寡頭勢力のバックボーンとなっている「Talmud Laws of Satan(悪魔の法典タルムード)」。過去数千年間にわたって、この地球上に災いをもたらし害毒をふりまいている。利益を得ているのはこの法典の信仰者だけだ。

日本には幕末に上陸した。読者は現実との余りのギャップに、話としては聞いてもその存在すら信じられないだろう。がしかし、しばし付き合って頂きたい。この教えの存在を知らないと彼等の精神構造は理解できない。あなたは彼等に永遠に騙され続ける。全てを失ってから気付いたのでは遅すぎる。

誤解の無きよう一言断っておく。この法典はユダヤ教のものとなっているが、実はこの法典、ユダヤ民族には元々は無かったもの。ある特定の支配者層がユダヤ民族を奴隷化し、注入したのがこのタルムードである。このことについては述べると煩雑になりすぎるので今回は省略する。ユダヤ人の中にもタルムードを批判する人達はいるのである。

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悪魔の法典「タルムード」については、今までユダヤ人や日本人のユダヤ教徒達が紹介してきた。しかし、肝心の後述のような戦慄の内容の箇所については、除かれた。一般に公表されているタルムードの解説書などの多くは、タルムードを信奉する者達が知られたくない、このような箇所については除かれている。過去にこのタルムードを完全翻訳しようとした者や、伏せたい内容を暴露した者が暗殺されてきた。勇気を持って核心部分を翻訳してくれた翻訳者に感謝する。

中東ユダヤ問題専門家、宇野正美氏によれば、TVによく出てくるアメリカ人タレント、デーブ・スペクターはアシュケナージユダヤ教徒で、日本のメディア界にあって、国際金融寡頭勢力の日本支配のため、彼等の都合の良い方向に日本国内世論を導く任務を帯びているという。「たかじんのそこまで言って委員会」では911事件の真実を追究する民主党の藤田幸久議員に「存在自体が悪」等と興奮してまくしたて、彼の正体が白日の下にさらされた。911事件の真実が日本人に広く知られてしまえば、彼は情報操作任務をサボっていたことになる。彼の上役からどんな仕打ちを受けるか恐れたのだろう。参考動画:http://www.youtube.com/watch?v=QFK9ihpEOkQ&feature=fvwrel 

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週刊文春「宇野正美vsデーブスペクター対談」の折り、最初は宇野正美氏(写真下)に「タルムードなんて知りません」ととぼけていたのが、興奮してくると「反ユダヤ!このゴイム(豚野郎)が!」と叫び、宇野氏が「ゴイムとは何だ!それはとんでもない差別用語だぞ!」と言うと「アメリカでは普通に使われている」と答え、宇野氏が「バカなことを言うな。ゴイムなんてアメリカのメディアで発言したらとんでもないことになるぞ!」と応酬。するとまた「ゴイムめ!」となじったという。(注:「ゴイム」はタルムードで使用される非ユダヤ教徒の蔑称。獣、豚等を意味。)参考動画:http://www.youtube.com/watch?v=c_3cEMt6-C4 

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以下の箇所を知れば、日本人から巨額の富を強奪するのも彼等にとっては何ら不思議なことでは無いことが分かる。神の教えに則った神聖な行為だからだ。


「非ユダヤ人(日本人)の所有する財産(米国債=表向きには600兆円実際は4000兆円、国と個人の総額5000兆円を越える資産、その他を会わせ1京円の資産)は本来ユダヤ人(国際金融寡頭勢力)に属するものなれど、一時彼等(日本人)に預けてあるだけである。故に何等の遠慮もなくこれら財産をユダヤ人(国際金融寡頭勢力)の手に収むるも可なり」(シュルハンアルクノショッツェンハミツバッド第三百四十八条)

元総理故小渕恵三氏、元総理故橋本龍太郎氏、元財務・金融担当相故中川昭一氏(法律に則り、通貨発行権を取り戻して国の借金をゼロにしようとした)等は皆、タルムードの教えに背いて暗殺された。原因は全てカネの問題だ。一旦日本政府が購入した巨額の米国債(表向き600兆円、実際は4000兆円)は、タルムードの解釈では日本政府に償還されることは永遠にあり得ないのである。


下の転載はタルムードの膨大な量の法文面の中から、一部抜粋したもの。

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タルムード

●ユダヤ王は真の世界の法王となる

ユダヤ王は真の世界の法王、世界にまたがる教会の総大司教となる。だが、一方で、われわれが青年層を過渡期の新しい伝統の宗教に、後にはわれわれの宗教で再教育する間、われわれは明らさまには既存の教会には指一本触れないけれども、教会内部の軋轢を目ざし批判を加えて宗教人と闘う。その場合、一般的には、われわれの現代の新聞はゴイムの国家問題、宗教、ゴイムの無能さを断罪し続けるが、常に、わが民天与の才能を振い、あらゆる手段を駆使してかれらの威信を剥奪すべく、罵詈雑言を浴びせ百方中傷する。<十七>

●臣民が王者に見たいのは力の権化である

重ねて述べるが、臣民は自分たちとは絶対的にかけ離れた力強い手に対しては、盲目的に服従する。かれらはそこに自分たちを襲う社会的な鞭から守ってくれる防御の剣を感じて支持するのである……かれらは王者に天使の心を期待するのか? かれらが王者に見たいのは力、力、力の権化なのである。<二十三>

●ダヴィデ王の子孫のうちの数人にのみ大真理が伝授される
ダヴィデ王の子孫のうちの数人が、相続権ではなく優れた資質を基準にして王と後継者を選定する。その人々には、政治の最高機密と政府の仕組とが伝授されるが、常に何びとにも極秘の知恵が漏れないように留意する。この方式の真意は、このような秘義を授けられたことがない者には、政府を委すことはできないということを徹底させることにある。これらの人々にのみ、何世紀にもわたる諸経験と比較しつつ、私がこれまでに述べたような計画の実際化や、政治経済運動や社会科学研究の全成果・・一言で言えば、人間関係を律する動かしがたい天然法則の大真理・・が伝授される。<二十四>

●残忍であったとしても無条件に断固たる人物にのみ支配統治の手綱を渡される
たとえ残忍であったとしても無条件に断固たる人物にのみ、われらの賢人長老たちから支配統治の手綱を渡されるのである。……通常の時間における王の行動計画と将来に関することはすべて、最も親しい助言者たちにも知らされない。王と三人の顧問のみが、将来の計画を知っている。断乎とした意志で自分と人類を律する王の人柄には、万人が神秘の宿命を認めるのである。何びとも王が何を行おうとしているのかを知らぬので、あえて知らぬ小路を遮ろうとする者はいない。王の頭の中には実行すべき政府計画を理解するに足りる知恵が貯えられていなければならない。王位に就く前に、前に述べた賢人長老たちが試験を行うのは、そのためである。<二十四>

●われらが至高の王は完全無欠の権化でなければならない

ユダヤ王は自分の感情、とりわけ情欲のとりこになってはならない。王は自分の人格のどの一面でも、荒々しい本能に精神をしのがせることがあってはならぬ。情欲はいかなる精神的な欠点よりも、明晰に見る力を殺ぎ、思考を人間の性質中最悪の獣的なものに落とし込む。ダヴィデの聖なる子孫である全世界統治王その人は、人類の支柱であり、人民のためにはいかなる個人的希望をも犠牲にしなければならない。われらが至高の王は完全無欠の権化でなければならない。<二十四>『タルムード』その他より トーラー……旧約聖書の最初の五書 ゴイム・ゴイ・アクムはいずれも非ユダヤ人のこと

神の選民

●あなたは、あなたの神、主の聖なる民である。あなたの神、主は地の面にいるすべての民の中からあなたを選び、御自分の宝の民とされた。(申命記、七章六)
●主はあなたの意のままにあしらわせ、あなたがかれらを撃つときは、彼らを必ず滅ぼし尽くさねばならない。彼らと協定を結んではならず、彼らを憐れんではならない。(申命記、七章二)。
●世界はただイスラエル人の為にのみ創造されたるなり。イスラエル人は実にして、他の民は空なる殻皮のみ。従ってイスラエルの他に民族なし。彼等はことごとく空皮に過ぎざればなり。<イェシャヤ法師>
●神言い給う、我は我が予言者を畜獣に過ぎざる偶像崇拜の徒の為に遣わしたるにあらず。人間なるイスラエル人の爲に遣わしたるなり。(ミトラシュ・コヘレート)
●人間の獣に優れる如く、ユダヤ人は他の諸民族に優れるものなり。<アブラハム・ゼバ法師>
●もしイスラエル人無かりせば、この世に幸福なかりしならん。これ申命記二八の八に記されたる如し。またイスラエル人無かりせば、天の諸星も昇らざるべし。これエレミヤ記三三の三五に記されたる如し。また地の上に雨の降る事なかるべし。これ申命記二八の一二に記されたる如し。<シメオン・ハダルサン法師>
●選ばれたる民のみ永遠の生命を受くるにふさわしく、他の国人はロバに等し。<アバルバネル法師>
●「汝は主なる汝の神が汝に与え給いしすべての民を喰い尽くさん」との文句(申命記七ノ十六)は、今は亡き吾等の教法師達により次の如く解せられたり。すなわち、すべての民を喰い尽くし、すべての民より掠奪することは、彼等すべてが吾等の權力下に置かれる時に始まるべし、と。<ベハイ法師>
●神はユダヤ人にすべての方法を用い、詐欺、強力、高利貸、窃盗によってキリスト教徒の財産を奪取することを命ずる。(オルディン一、トラクト一、ディスト四)
●メシヤ來る時代において各ユダヤ人は、エジプトより出で行きたるイスラエル人の数に等しき数の子孫を持つべし。エジプトより出で行きし者六十万人なれは、各ユダヤ人はメシヤの時代の間に六十人の子を持つべし。<エリエゼル法師>
●レヴィ法師教えて曰く、神が世界の諸々の民を裁き給うは、彼等が罪の中に眠れる夜の間においてなり。しかもイスラエルを裁くには、彼等が掟を学ぶ昼においてこれをなし給う。(ヴェネツィア版ミトラシュ、一五一六年版)

ラビ(法師)とタルムード

●吾々はタルムードがモーゼの律法書に対して絶対的優越性を有することを認むるものなり。(イスラエル文庫、一八六四年)
●律法(聖書)は多少とも重要ではあるが、長老方が聖典に記された言葉は常に重要である。
●掟の言葉より法師の言葉を敬え。<アシ法師>
●汝知るべし、法師の言葉は予言者の言葉より美し、と。<アシ法師>
●教法師を畏るるは神を畏るるなり。<モシェー・バル・マエモン>
●教法師の言葉は、生ける神の言葉なり。<ベハイ法師>
●教法師の日常の言辞も、誡律同様に重んずべきなり。(ヴェネツィア版ミトラシュ、一五一六年版)
●もし法師、汝の右の手を左の手と言ひ、左の手を右の手と言ふとも、彼の言葉に違ふべからず。<アシ法師>
●タルムードの決定は、生ける神の言葉である。エホバも天国で問題が起きたときは、現世のラビに意見を聞き給う。(ラビ・メナヘン、第五書の注解)
●神は夜の間にタルムードを学び給う。<メナヘム・ベン・シラ法師>
●天上にも地上と同じき数の高等なる学園あり。神もそこにて熱心にタルムードの研究に従事す。<ロイベン法師>
●天上に於て困難なる問題の生ずる時、主なる神この世の法師等にも諮問し給う。<メナヘム・ベン・シラ法師>
●法師の言葉を嘲る者は、地獄の煮え立つ糞の中にて罰せらるべし。<アシェル法師>
●ラビの言葉に背くことはトーラーに背くことよりも、さらに悪い。(ミズナ、サンヘドリン、十の三)。
●ラビの言葉を変える者は死罪に処すべきである。(エルビン、二一のb)
●トーラを学ぶゴイは死罪に当る者なり。<モシェー・バル・マエモン>
●神はユダヤ人の魂六十万を創り給えり。聖書の各節は六十万の解釈を有し、各々の解釈は一の魂と関係あればなり。<アシェル法師>

ゴイム・異邦人・偶像崇拝者

●なんじらは人類であるが、世界の他の国民は人類にあらずして獣類である。(ババ・メチア、一四六の六)。
●汝等イスラエル人は人間なれど、他の民族は人間に非ず。彼等の魂穢れし霊より出でたればなり。<メナヘム・ベン・シラ法師>
●イスラエル人は人間と呼ばる。しかれども偶像礼拝者は汚れし霊より出でしものなれば、豚と呼ばるるなり。<ロイベン法師>
●イスラエル人はアダム(人間)と呼ばれん。然れど他の諸族はアダムと呼ばるることなし。<アブラハム・ゼバ法師>
●悪魔と世界の諸民族とは、畜獣に数えらるべきなり。<ナフタリ法師>
●犬は異邦人より勝れたるものなり。<アシ法師>
●聖書に「隣人」と記されたる個処はいづれも非ユダヤ人を含まざるなり。(「シュルハン・アルフ」の注釈書より)
●神を畏るる者は悪しき人(非ユダヤ人)を憎まざるべからず。<ゲルソン法師>
●レビ記十九章十一節には、汝は汝の隣人に不法を為すべからず、と記されたり。この文句は、ゴイ(非ユダヤ人)がその中に含まれ居らざる事を明白に示すものなり。<モシェー・バル・マエモン>
●ゴイが住んでいる家を見て、人はこう言った。〝神は傲慢の家を亡ぼすだろう〟。そして家々が亡ぼされたのを見て人は言った。〝復讐の神が顕現されたのだ〟(バビロニアン・タルムード、ベラチョット、五八の六)。
●汝殺すなかれ、との掟は、イスラエル人を殺すなかれ、との意なり。ゴイ、ノアの子等、異教徒はイスラエル人にあらず。<モシェー・バル・マエモン>
●神はイスラエル人を審くには立ちてなし、尋問も簡単にして速かなり。世の諸民族を審く時は坐して、嚴格に長々と取調べをなす。<ラバ・バル・ナハマニ法師>
●「世界はただイスラエル人のみの為に造られたり。」この文句は極めて明瞭なれど、人々はこれをなほよく熟考しまた味うべきなり。イスラエル人に掟の与えられし時、イスラエル人はその掟によりて種々の美点をことごとく保持せしが、他の民は掟を受入れざりしによりこれ等の美点を全く有せざるなり。<アブラハム・ゼバ法師>
●イスラエル人は、他のすべての民に対し優越する者なり、他の諸族の中には賢く利き者唯一人も居らざるに、イスラエル人にあっては全部が特に賢く利き人間なり。<アブラハム・ゼバ法師>
●一人のイスラエル人の魂は神の前において他の民族全部の魂より価値多く、また神によって悦ばるるところのものなり。<シェフテル・ホルヴィッツ法師>
●ゴイがゴイもしくはユダヤ人を殺した場合は責めを負わねばならぬが、ユダヤ人がゴイを殺すも責めは負わず。(前掲書、Ⅷの五)
●悪しき者(非ユダヤ人)を憐むことは、正しき者(ユダヤ人)に相応わしからぬなり。<ゲルソン法師>
●ユダヤ人も非ユダヤ人の判断に信を置く事を、非ユダヤ人をして知らしむべからず。(シュルハン・アルフ、第二巻智慧の教)
●ゴイに金を貸す時は必ず高利を以てすべし。<モシェー・バル・マエモン>
●拾得物を紛失者に返却すべしとの戒は、ユダヤ人に対してのみ守らるべきものにして、ゴイに対しては然らず。この事に就き亡き吾等の教法師達の言えるあり。即ち、「遺失物とはすべて汝の兄弟の失いしところの物を指すものにして、ゴイの失える物は然らず。その理由は、ゴイは神に属する者に非ずして、地の邪神に属する者なる故なり。故にゴイの失える総べての物は、此の世にては再び見付けらるる事なき遺失物にして、その所有者に還るべきにあらず。財宝は唯イスラエル人にふさわしく、他の民はこれに値いせざるものなればなり。これ預言者イザヤ(二六ノ一九)の言えるが如し」と。<ゲルソン法師>
●ゴイの耳は不潔である。かれらの浴槽、住居、田園は不潔である。(トセフタ・ミクワト、vの一)
●九歳と一日以上のゴイの少年と、三歳と一日以上の少女は、不潔とみなされる。(パーフォコヴィッツ、タルムード、t・v、一一頁)
●他民族の有する所有物はすべてユダヤ民族に属すべきものである。ゆえになんらの遠慮なくこれをユダヤ民族の手に収むること差し支えなし。(シュルハンアルクのショッツェン・ハミッバッド三百四十八)
●ゴイがゴイまたはユダヤ人を殺した場合には、その責任を負うべきであるが、ユダヤ人がゴイを殺した場合には責任を負うべきものでない。(トセフタ、アブダ・ザラ八の五)
●〝盗賊〟という言葉の解釈。ゴイは、ゴイからであろうとユダヤ人からであろうと、盗むこと奪うこと女奴隷を使うことは禁じられる。だが彼(ユダヤ人)はゴイに禁じられているこれらのすべてのことを為しても禁じられない。(トセフタ、アボダ・ザラ、Ⅷの五)。
●安息日には非ユダヤ人の焼きたるパンを食すべからず。非ユダヤ人に公衆浴場を貸すべからず。(シュルハン・アルフ、第一巻生存の道)
●すべてのイスラエル人は一定の法式により動物及び動物視されている非ユダヤ人を屠ることを許さる。(シュルハン・アルフ、第二巻智慧の教)
●ユダヤ女を求め得る場合には、異邦女の乳を幼児に吸わしむべからず。異邦女の乳は心眼を閉ざし、悪しき性格を形成するが故なり。(シュルハン・アルフ、第二巻智慧の教)
●偶像礼拝に帰依せる非ユダヤ人及び賎しき牧人はこれを殺すことを許さず。されど彼等が危険に面しまた死に瀕せりとて彼等を救うことは許されず。例えば彼等の一人水に落ちたる時、報酬ある場合と雖も彼を救い上ぐべからず。また彼等を瀕死の病よりも癒すべからず・・報酬ある場合と雖も。しかれども吾等と彼等の間に敵意の生ずるを防止する為ならば、報酬無き場合にも彼等を救出しまた癒すことを許さる。しかれども偶像を拝む者、罪を犯す者、掟と預言者を否む者は、これを殺すべし。而して公然と殺すを得ば、その如くなせ。しかするを得ざる場合には、彼等の死を促進せよ。例えば彼等の一人井戸に落ちたる時、その井戸に梯子あらば、これを取去り、直ちに再び持来るべしとの遁辞を用い、かくすることにより落ちたる者の身を救い得べき道を奪うべし。(シュルハン・アルフ、第二巻智慧の教)

●アクムと奴婢の死はこれを悼むことなかれ。彼等の葬式の列に加わる事なかれ。(シュルハン・アルフ、第二巻智慧の教)
●無事平穏のためならば、非ユダヤ人死者を葬い、その遺族を慰問するも差支えなし。非ユダヤ人の墓所は祭司を汚れしむる事なし。然れども彼処に赴かざる方更によし。(シュルハン・アルフ、第二巻智慧の教)
●レビ記十九章十三節には、汝は汝の隣人に不法を為すべからず、と記されたり。この文句はゴイ(非ユダヤ人)がその中に含まれ居らざる事を明白に示すものなり。<モシェー・バル・マエモン>
●非ユダヤ人の証人たることろの証書はすべて無効なり。(シュルハン・アルフ、第三巻正義の楯)
●成人せる非ユダヤ人奴隷は、牧者なき家畜の如し。(シュルハン・アルフ、第三巻正義の楯)
●總べてゴイは月經時の子にして、根絶さるべきものなり。<ベハイ法師>
●キリスト教徒は異教徒なり。<アバルバネル法師>
●改宗してユダヤ人となれる者は、同様にユダヤ教に改宗せるその母あるいは伯母と婚姻するも差支えなし。改宗者は新たに生れたる者と見做され得る故なり。(シュルハン・アルフ、第二巻智慧の教)
●二十四項の罪あり。これに触るる者は除名さる。例えば第八項、その地所を非ユダヤ人に売りたる者、第九項、非ユダヤ人法廷においてその隣人(即ちイスラエル人)に対し不当なる証言を為せる者、等。(シュルハン・アルフ、第二巻智慧の教)
●非ユダヤ人及び奴隷も証言を為す資格なし。敵・混血児・裏切者・自由思想家・変節者(背教者)、キリスト教の洗礼を受けたる者はゴイ(非ユダヤ人)より更に悪しければ、同じく証言を為すを得ず。(シュルハン・アルフ、第三巻正義の楯)
●他の宗教に改宗したる者は、盗賊になりたると等し。(シュルハン・アルフ、第三巻正義の楯)
●神を拜せざる者の齒は三度毀たるべし。すなわち、一度はこの世において、次はメシア來る時において、然して最後には來世において。然もイスラエル民族を喰う者の歯は、二十二エレの長さに伸ぶべし。<アキバ法師>
●汝知るべし、イエスの教に從がいて迷えるキリスト教諸國民は、その信仰には種々あれども、ことごとく偶像礼拝者なり。故に彼等は偶像礼拝者相応に扱わるべし。これタルムードの説くところなり。<モシェー・バル・マエモン>
●汝殺すなかれ、との掟は、イスラエル人を殺すなかれ、との意なり。ゴイ、ノアの子等、異教徒はイスラエル人に非ず。<モシェー・バル・マエモン>
●ゴイ、計算をなして過つ時は、イスラエル人は、我知らず、と言え。しかれどゴイをして過ちをなさしめんとするはよからず。ゴイ、イスラエル人を試みんとて故意に過ちをなすことあればなり。<モシェー・バル・マエモン>
●第五十の誡は、偶像礼拝者を憫む事を堅く禁ず。<モシェー・バル・マエモン>
●惡しき者(非ユダヤ人)を憫むことは、正しき者(ユダヤ人)に相應はしからぬ事なり。<ゲルソン法師>
●決して偶像礼拝者と事を共にするなかれ。また彼等を憫むべからず。その故は、申命記七章二節にその如く記されたればなり。故に非ユダヤ人が生命の危険に瀕するか、あるいは河に溺るるを見るとも、これを救助することは許されず。<モシェー・バル・マエモン>
●神を畏るる者は悪しき人(非ユダヤ人)を憎まざるべからず。<ベハイ法師>
●偽善はこの世においては許さる。すなわち、背神者に対し慇懃になし、彼等を敬い、彼等に向いて「我汝を愛す]と言うもよし。すなわち、必要上止むを得ざる場合、恐怖に驅られたる場合は然り。<ベハイ法師>
●聖書に「隣人」と記されたる個処はいずれも非ユダヤ人を含まざるなり。(「シュルハン・アルフ」の註釋書より)
●總べてこれ等の條項(三十箇條のユダヤ信仰箇條)を信ぜざる者は異教徒なり。故にかかる者を憎むは吾等の義務にして、彼を賎しみ、出來得べくんばその亡ぼしまた根絶するは當然の事なり。<アバルバネル法師>
●キリスト教徒は異教徒なり。彼等、神は血と肉なりと信ずる故なり。<アバルバネル法師>
●キリスト教徒は偶像禮拜者なり。彼等十字架の前に跪く故なり。<キムヒ法師>
●カトリック教司祭が手に持つ銀の十字架及び香を焚く香爐は偶像礼拝に属するものなり。<アシェル法師>
●他の諸族はイスラエル人と同じ姿を有すれども、真の人間に比ぶれは模造に過ぎず。彼等は、ダニエル書四の十四・十七に記されたる如く、劣等なる種類の人間なり。これに対しイスラエル人はアダム(人間)なる語の真の意味における高き価値ある人間にして、この故にまた単に人間とも呼ばるるなり。<シメオン・ハダルサン法師>
●平穩無事を希う為に涜神者を慇懃に遇する者も、彼に関し善き事を語るなかれ。また鄭重なる態度を示す際にも、注意して涜神者を真に尊敬するものなりと人々の信ずる事なきよう心せよ。一般に慇懃を示す際には、その者の真の功績の故にあらず、彼の富すなわち彼の幸運の故にかく為すというが如くせよ。然しいずれにせよかかる事は罪にして、涜神者に慇懃になす事は、涜神者勢力を得て我々を害しあるいは我々に損害を与うる恐れある場合のみに許さるるなり。ただし人間(ユダヤ人)の問題にて涜神者を襃め、彼に関し善き事を言うべからず。(フランクフルト・アム・マイン發行文書、一八六七年)
●偶像礼拝者は畜獣と呼ばるべきものにしてただ最広義においてのみ人間と呼ばれ得るに過ぎず。<ロイベン法師>
●イスラエル人は人間と呼ばる。然れども偶像礼拝者は汚れし霊より出でしものなれば、豚と呼ばるるなり。<ロイベン法師>
●割礼を受けずまた安息日を守らざる者は人間に非ず。<ロイベン法師>
●偽善はこの世に於ては許さる。即ち、背神者に対し慇懃に為し、彼等を敬い、彼等に向ひて「我汝を愛す」と言うもよし。すなわち、必要上止むを得ざる場合、恐怖に駆られたる場合は然り。<ゲルソン法師>

(さらに続くが膨大なので割愛)



Alessandro Valignano 01


日本の中央銀行日銀は既に彼等国際金融資本家達の手に落ちた。景気を良くして豚を太らせるのも、恐慌を起こして屠殺場へ送り解体して食するのも、今や意のままだ。日本人は彼等の所有する家畜となった。彼等の視点から見れば『思えば長い道のりだった。ようやく我々の努力が報われ500年来の悲願が達成された。ご先祖様もさぞかしお慶びであろう』ということになる。

日本征服計画は16世紀のイエズス会宣教師派遣にまで遡る。まず宣教師を送って洗脳し、信者を使って時の為政者に反乱を起こさせ、後で軍隊を送って占領する、というおきまりのシナリオだ。「徳富蘇峰の『近世日本国民史』の初版に、秀吉の朝鮮出兵従軍記者の見聞録が載っている。『キリシタン大名、小名、豪族たちが、火薬がほしいぱかりに女たちを南蛮船に運び、獣のごとく縛って船内に押し込むゆえに、女たちが泣き叫ぴ、わめくさま地獄のごとし』。ザヴィエルは日本をヨーロッパの帝国主義に売り渡す役割を演じ、ユダヤ人でマラーノ(改宗ユダヤ人)のアルメイダは、日本に火薬を売り込み、交換に日本女性を奴隷船に連れこんで海外で売りさばいたボスの中のボスであつた。

キリシタン大名の大友、大村、有馬の甥たちが、天正少年使節団として、ローマ法王のもとに派遣された。その報告書を見ると、キリシタン大名の悪行が世界に及んでいることが証明される。『行く先々で日本女性がどこまでいっても沢山目につく。ヨーロッパ各地で50万人という。肌白くみめよき日本の娘たちが秘所まるだしにつながれ、もてあそばれ、奴隷らの国にまで転売されていくのを正視できない。鉄の伽をはめられ、同国人をかかる遠い地に売り払う徒への憤りも、もともとなれど、白人文明でありながら、何故同じ人間を奴隷にいたす。ポルトガル人の教会や師父が硝石(火薬の原料)と交換し、インドやアフリカまで売っている』と。

Gaspar Coelho 01


秀吉は九州統一の直後、博多で耶蘇会のリーダーであったガスパール・コエリョに対し、「何故ポルトガル人はこんなにも熱心にキリスト教の布教に躍起になり、そして日本人を買って奴隷として船に連行するのか」と詰問している。秀吉の言動を伝える『九州御動座記』には当時の日本人奴隷の境遇が記録され「バテレンどもは、諸宗を我邪宗に引き入れ、日本人を数百男女によらず黒舟へ買い取り、手足に鉄の鎖を付けて舟底へ追い入れ、地獄の呵責にもすくれ(地獄の苦しみ以上に)、生きながらに皮をはぎ、只今世より畜生道有様」と記述。こうした南蛮人の蛮行をまね、日本人が子を売り、親を売り、妻子を売る状況が、『九州御動座記』に
書かれ、秀吉はその状況が日本を「外道の法」に陥れることを心から案じた。

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宣教師が諸大名に火薬を売りつけたために日本は戦国時代となった。徳川家康は、火薬の流入が日本に戦乱を引き起こしたことを承知しており、鎖国の狙いはキリシタンと絶縁することにより火薬の流入を防ぐことであった。

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1582年、日本に3年ほど滞在したイエズス会東インド巡察師アレッサンドロ・ヴァリニャーノは、フィリッピン総督のフランシスコ・デ・サンデに下記のような手紙を出している。「私は閣下に対し、霊魂の改宗に関しては、日本布教は、神の教会の中で最も重要な事業のひとつである旨、断言することができます。なぜなら、国民は非常に高貴かつ有能にして、理性によく従うからです。もっとも、日本は何らかの征服事業を企てる対象としては不向きでしょう。なぜなら、日本は、私がこれまで見てきた中で、最も国土が不毛かつ貧しい故に、求めるべきものは何もなく、また国民は非常に勇敢で、しかも絶えず軍事訓練を積んでいるので、征服が可能な国土ではないからです。しかしながら、支那において陛下が行いたいと思っていることのために、日本は時とともに、非常に益することになるでしょう。それゆえ日本の地を極めて重視する必要があります。」

この「支那において陛下が行いたいと思っていること」とは、スペインによる中国の植民地化のこと。つまり「日本には資源が少なく、国民は強いので、植民地にするには向いていないが、その軍事力は支那の征服に利用できるから、日本へのキリスト教の布教を重視する必要がある」ということ。このような見方は、以降、一貫して西洋からみた日本の“位置づけ”となり、後の明治時代、日本は彼等の思惑通り、日清日露戦争を戦わされることになる。

彼等邪教集団は、今は日本征服にエネルギーを割くよりも、ヨーロッパの支配が先決と考え、ヨーロッパ諸侯から金融詐欺によりその財産を奪い取る活動に専念して行く。フランス革命によるルイ王朝打倒、ナポレオンを育てて諸国を蹂躙等々。さて、残るはロシアのロマノフ王朝と中国の清王朝となった。日本を開国させ軍事国家として育て上げ、中国とロシアを征服せねばならない。

Matthew Calbraith Perry 01



19世紀半ば、いよいよ機は熟し、日本征服計画が全力で決行されることになる。彼等の息のかかったペリー提督が先兵を務める。商人として21歳の若き日のグラバーも海を渡る。日本征服の使命を帯びて。かくして、西洋人が絶賛した美しい江戸文化は終焉を迎える。
(その2に続く)


「山本五十六は生きていた」と聞いて皆さんはどう思われるだろうか?「ヒットラーは生きていた」に続いて、ここまで来ると『もう、ついて行けない!』と踵を返す人も多いことだろう。しかし、彼がアメリカ留学中にフリーメーソンに入会していたことを知る人なら『さもありなん』と別に驚かない。

Free Mason 02



ルーズベルトも、山本五十六も、海軍大臣米内光政も、皆フリーメーソンであった。表の歴史ではこうなっている。

Isoroku_Yamamoto 01

「山本五十六連合艦隊司令長官は昭和18年4月18日、ブーゲンビル島ブインの航空基地視察のためと称して、午前6時ラバウル東飛行場を一式陸攻で離陸。長官を乗せた一式陸攻は高度2500メートルでゆっくりと飛行、6機の護衛戦闘機はその500メートル上空を飛行していたが、ブーゲンビル島南端のブイン基地上空にさしかかったところ、ガダルカナル島ヘンダーソン基地を飛び立ったミッチェル少佐の指揮するP-38米攻撃機28機が午前7時33分山本長官機と遭遇。直ちに撃墜。長官機は翌19日午後2時頃陸軍の捜索隊によって発見される。山本長官の遺体は機外に投げ出された座席に腰かけ、軍刀を握りしめたままであった」

Yamamoto Isshiki Rikuko 01

しかし、墜落現場を最初に発見した浜砂陸軍少尉は次のように証言している。

「長官はあたかもついさっきまで生きていたかのような風貌で、機外に抛出された座席上に端然として死亡していた……その顔面には創はなかったし、出血の痕もなかった。その発見は墜落後実に30時間前後も経った頃である」


一体どういうことか?真相は次の通りだ。


捜索班が事故機を発見したとき、長官の身替りとされた男(恐らくは風貌の似た人物)を座席に縛りつけ毒殺。従って発見時には顔面の創も背部盲貫機銃創も存在しなかった。その後、山本長官を「機上死」であると捏造するため、遺体に拳銃か鋭利な刀物で人工的な死後損傷を加えた。事実、田淵軍医が検死をしている最中に長官のワイシャツを脱がせようとしたが、渡辺参謀から突然大声一喝され、「脱がすな、これ以上触れてはならぬ!」と怒鳴られ制止されている。人工的な死後損傷であったとする証言も数多く存在するが、これらのすべては黙殺され、渡辺中佐の命令下、虚偽の「死体検案書」と「死体検案記録」が作成され、「機上壮烈なる戦死」という大本営発表となる。

Isoroku_Yamamoto 02

フリーメーソンの山本五十六は同じフリーメーソンのルーズベルト米大統領と共謀して、海軍部内の大反対を押し切り、真珠湾攻撃を立案、決行。わざと旧式の軍艦のみを沈めさせ、空母や燃料貯蔵施設、工廠などは意図的に無傷で残した。

Illuminati 01

ミッドウェー海戦ではわざと情報を漏洩させ、日本海軍に第一線の空母4隻を失う等、壊滅的な敗北を与える作戦を立案、決行。太平洋戦争前半における帝国海軍崩壊のためのすべての役割を完了した。

Midway 01

そのため急遽姿を隠す必要が生じ、側近の宇垣纏中将(連合艦隊参謀長)や渡辺中佐(参煤)と共謀し、あらかじめ暗号をアメリカ側に漏洩した上で長官機撃墜の一大ペテン劇を演出。

Daisanshu 01

当日、山本長官はわざわざ草色の第三種軍装(写真上)を身にまとい、ジャングルを逃亡の際目立たぬよう略装にした。米軍機攻撃の際、いち早くパラシュートで脱出、地上よりかねて打合せの場所からガダルカナル島米軍基地へと逃亡。

Midway 03

よく言われることに「太平洋戦争は米軍の物量に負けた」とか、「最初から勝つ見込みの無い無謀な戦争だった」というのがある。それらの言は現場の兵士から聞けばより真実味をもって響く。

Tora Tora Tora 02

果たして真実はどうだったのだろうか?日本と米国では確かに国力の差はあったものの、ミッドウェー海戦に向かった4隻の第一線級航空母艦群を中心とする連合艦隊の実力は、質量ともに米海軍を遙かに凌駕していた。中国戦線以来歴戦パイロットの実力は自惚れでも慢心でも無く、自他共に認める世界一だった。ミッドウェー海戦で米海軍の正規空母全てを沈めてしまえば、米西海岸上陸作戦も可能となり、アメリカ国民は震え上がった筈である。有利な条件での講和も可能だったろう。

Japanese Navy 02

しかし、歴戦の強者パイロット達は勿論、連合艦隊上層部も、山本五十六を始めとするフリーメーソンメンバー以外は、日米双方のイルミナティ・フリーメーソンが仕組んだ「ミッドウェー海戦でイルミナティ・フリーメーソンにとっての邪魔者、世界最強の日本海軍航空部隊をおびき出して葬り去る」という陰謀については何も知らなかった。意気軒昂な10万の兵士達ではあったが、「陰謀という船」に乗せられて「陰謀渦巻く海域」へと出撃していったのである。最初から負けることが決まっていた戦(いくさ)のために。何と虚しいことだ。

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昭和16年(1941年)12月8日、真珠湾攻撃における空襲部隊の総指揮官、第1次攻撃隊総指揮官機に搭乗して有名な「トラ・トラ・トラ」(ワレ奇襲ニ成功セリ」の打電をした淵田美津雄中佐は「真珠湾攻撃は余りにもうまく行き過ぎた。敵は作戦を事前に知っていて、わざと我々に奇襲攻撃を成功させたのではないか?」、「山本五十六大将は凡将である。せっかく育て上げた世界最強の航空部隊を解体し、弱体化してしまった。」等と正直に彼の著書で述べている。彼は現場で戦闘経過を見まもる中、うっすらと山本五十六の正体に気付いていたのかもしれない。

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全てはロスチャイルド財閥やロックフェラー財閥等、国際金融資本家達、延いてはイルミナティ・フリーメーソンのシナリオに沿って行われた世紀の八百長戦争。それが第二次世界大戦の真実である。

以下、参考ウェブサイト:http://ameblo.jp/worldforumnet/entry-10145748533.html 

●戦死が狂言であった此れだけの証拠


 山本長官の「死」は明らかに狂言であろう。其の隠された真相は次の如くであると推測される。

1、山本長官は太平洋戦争前半に於ける帝国海軍崩壊の為の全ての役割を完了した。
2、其の為急遽姿を隠す必要が生じ、側近の宇垣纒中将(連合艦隊参謀長)や渡辺中佐(参謀)と共謀し、予め暗号を米国側に漏洩した上で長官機撃墜の一大ペテン劇を演出した。
3、当日、山本長官は態々草色の第三種軍装を身に纏いジャングルを逃亡の際目立たぬ様略装にした。
4、米軍機攻撃の際、一早くパラシュートで脱出、地上より兼ねて打合わせの場所からガダルカナル島米軍基地へと逃亡した。
5、捜索班が事故機を発見した時、長官の身替わりとされた男(恐らくは風貌の似た人物)を座席に縛り付け毒殺した。
6、従って発見時には顔面の創も背部盲貫機銃創も存在しなかった。
7、其の後、山本長官を「機上死」であると捏造する為、遺体に拳銃か鋭利な刃物で人工的な死後損傷を加えた。
7、山本五十六が生存した証人

1994年6月、私はソロモン諸島ガダルカナルで、深夜土砂降りの雨をついて一人の地元民と出会った。男は山本機が撃墜されたブーゲンビル島ブインの密林の地主の後継者で41歳。ブイン周辺は独立戦争(パプア・ニューギニア政府と、ブーゲンヒル島の分離独立を求めるブーゲンヒル革命軍の戦い)の真っ只中にあった(1994年9月3日に和平交渉が成立した)。男の兄弟三人は最近、革命軍兵士に射殺され、彼は小舟を漕いで対岸のソロモン領ショートランド島に逃げ延びてガダルカナルにいるブイン出身の友人宅に身を隠していた。


 「祖父と父から固く口止めされていた。撃墜機の山本は生きていた。祖父が彼を助け出した」  男は私にそう語った。
内戦の実相はブーゲンヒル島の地下資源からあがる利益配分を争うもので、その背後には旧植民地支配国の英国、ドイツ、オランダなどの世界資本家群が控えているという。


事実、田淵軍医が検死をしていた最中長官のワイシャツを脱がせようとしたが、渡辺連合艦隊参謀から突然大声一喝され、「脱がすな、此れ以上触れてはならぬ!」と怒鳴られ制止されているのである。人工的な死後損傷であったとする証言も数多く存在するが、此れ等の全ては黙殺され、渡辺中佐の命令下、虚偽の「死体検案書」と「死体検案記録」は作成され、「機上壮烈なる戦死」と云う大本営(海軍!忍)発表となるのである。


●「運良く」助かった宇垣纒中将とは何者か


此処で「運良く」助かった宇垣纒中将とは何者かを知らなければならない。
宇垣は明治23年2月、岡山県赤磐郡潟瀬村と云う地に生まれた。岡山一中を経て明治45年7月、海軍兵学校40期を卒業、大正7年、海軍大尉。11年12月~13年11月、海軍大学校甲種学生、13年12月、少佐、14年12月、軍令部一班二課、昭和4年1月、独国駐在、6年12月第二艦隊参謀。7年11月、海軍大学校教官兼陸軍大学校教官。10年10月、連合艦隊参謀兼第一艦隊参謀。11年12月海防艦八雲艦長。12年12月、戦艦日向艦長。13年11月、少将。13年12月、軍令部第一部長、16年8月連合艦隊参謀。

以上がインド洋作戦辺り迄の略歴である。宇垣の態度がデッカク、傲岸不遜、唯我独尊であった事はつとに有名であり、独国駐在の折りにはヒットラーのナチス・独国共直接接する機会を得、日独伊3国同盟時は軍令部第一部長と云う要職にあった。

3国同盟締結の折は賛成派に回った為山本長官に疎んじられている共言われたが、どう云う訳か昭和16年8月、連合艦隊参謀長に任命され、山本五十六大将を直接補佐する事になる。以後、連合艦隊の旗艦「大和」上の司令部内で山本長官の影武者に徹して常に其の意向を尊重し、補佐して来た。
彼れ程傲岸不遜な宇垣が何故山本長官に寄り添い続けたのか。其の訳は宇垣がユダヤ・フリーメーソンに入信した事であろう。

山本・宇垣の組合せ(コンビ)は真珠湾、ミッドウェー、ガダルカナル、ソロモンと呼吸を合わせ、日本海軍の崩壊に尽力した。

ブーゲンビル上空で山本長官逃亡の手筈を整えたのも宇垣である。宇垣もしっかりと生き延びており、昭和17年11月には中将に進級、昭和20年8月15日の終戦詔勅渙発を知るや沖縄の沖合に蝟集する米艦隊目がけて突入すると称して部下の操縦する飛行機に搭乗、其の儘行方を絶った。日本の敗戦を見届けて姿を消したと云うべきか。
戦後山本長官の姿を何処やら見かけたと証言する人も居り、太平洋戦争を敗北に導いた功労者の多くは「世界支配層」ユダヤ・フリーメーソン陣営に依って手厚く保護されたのである。

●ルーズヴェルトの命令を忠実に守ったから


此処で山本長官の果たした役割に就いてもう一度纒めて見よう。 真珠湾攻撃の計画は元々「世界支配層」及び米国其れに山本長官の深慮遠謀から生まれた計画である。 日本人フリーメーソン山本五十六は連合艦隊司令長官にあるずっと以前、恐らくは海軍次官の頃から米国側と連絡を取り、若し日米が開戦になった時は先ず真珠湾を奇襲し、米国の対独戦を合理化させると同時に日本への米国国民の参戦気分を一気に高揚させると云う計画を練り上げたに違いない。

米国側で此の計画を推進したのは勿論フランクリン・D・ルーズヴェルト大統領であった。そして此の計画にはヘンリー・スチムソン陸軍長官、フランク・ノックス海軍長官、ジョージ・マーシャル陸軍参謀長、ハロルド・スターク海軍作戦部長、そしてコーデル・ハル国務長官が加わっていた。

日本側で此の計画を知っていたのは山本五十六以外にはほんの一握りの人間であろう。其れは元首相や海軍大臣、そして外務省の高官達等最高度の機密を保てる者に限られていた。

山本長官は此の計画を実現させる為に色々な手を打った。開戦の年昭和16(1941)年夏の時点では真珠湾攻撃で使用する予定の軽魚雷は未だ開発中であったし、9月初旬に於ても攻撃用の直接部隊は不足していた。山本長官は画策の末、こうした戦術面での問題を11月の末には全て解決した。

ところが肝心の永野修身軍令部総長等海軍首脳部はこぞって反対であった。海軍上層部には尚未だ日米開戦への躊躇と真珠湾攻撃が実際に何れだけ効果を上げられるか疑問を持っていたのである。日本が米国を仮装敵国としたのは明治40(1907)年4月に「帝国国防方針」が制定されてからであるが、日本の陸海軍が立案した正式な計画の中にはハワイ攻略は含まれていない。攻略の対象はせいぜいグアム島止まりだったのである。

昭和15(1940)年ルーズヴェルト大統領は米海軍首脳の反対を押し切って、其れ迄西海岸カリフォルニア州のサンディアゴ軍港にあった太平洋艦隊を年次演習の目的でハワイの真珠湾に進出させた。第二次大戦が勃発し、山本五十六が連合艦隊司令長官として対米戦を計画している最中であった。ルーズヴェルトは山本長官と共謀して、日本側に格好の攻撃目標を提供したのである。

●日本を敗戦に導く山本の謀略とは


山本五十六連合艦隊司令長官が3年8ヶ月に及ぶ太平洋戦争の中で実際に艦隊を指揮したのは真珠湾攻撃の始まった昭和16年12月8日からブーゲンビ島上空で「戦死」する昭和18年4月18日迄の1年4ヶ月である。

此の間に山本長官は偉大為る貢献を「世界支配層」ユダヤ・フリーメーソン陣営に行った。其の貢献とは何であったかである。山本長官は太平洋戦争が日本の敗北で終わる事を望んでいた。日本を敗北させる事がフリーメーソンである山本五十六の役目だったのである。

其の為には日本が圧倒的優位を誇る連合艦隊を速やかに壊滅させる必要があった。そしてもう一つは米国の太平洋艦隊に対し常に手心を加え、其の戦力を温存させる事であった。此の為山本長官が取った手段は次の通りであった。

◆真珠湾攻撃を海軍軍令部の強い反対を押し切って強行。但し其の攻撃は不徹底なものとする。
 
忠実為る配下の指揮官・・南雲忠一中将(第一航空艦隊司令長官)
             草鹿龍之助少将(第一航空艦隊参謀長)
             源田実中佐(第一航空艦隊参謀)
◆珊瑚海海戦で米海軍に手心を加え、米空母「ヨークタウン」撃沈せず
 
忠実為る配下の指揮官・・井上成美中将(第4艦隊司令長官)
             原忠一少将(第4艦隊空母指揮官)
◆ミッドウェー海戦で連合艦隊大敗北を画策
 
忠実為る配下の指揮官・・南雲忠一中将(機動部隊司令長官)
             草鹿龍之助少将(機動部隊参謀長)

◆ソロモン海戦でガダルカナル大敗北の原因を作る
 
忠実為る配下の指揮官・・三川軍一中将(第八艦隊司令長官)
             南雲忠一中将(機動部隊司令長官)
             草鹿龍之助少将(機動部隊参謀長)
             原忠一少将(軽空母「龍驤」指揮官)

◆「い」号作戦で日本の南東方面航空兵力を潰滅させた。


何れの海戦に於いても忠実為る配下の凡将、愚将、怯将である。南雲中将、草鹿少将、源田参謀、井上中将、原中将、三川中将等を長期に亙って使い続け、「攻撃の不徹底」及至は「手心」を加えさせている。

更に大事な要点は海軍が使用していた暗号電報を米国側に筒抜けにさせている事であろう。山本長官は米国が日本海軍の暗号電報を既に解読し、連合艦隊のあらゆる作戦行動を見抜いていた事も予め承知の上で、作戦を強行した節がある。真珠湾攻撃の時もそうであるし、モレスピー攻略作戦(MO作戦)に於ける珊瑚礁海戦は不充分な戦果に終わった。ミッドウェー海戦(MI作戦)の時も、米国側に充分な情報と対応の為の準備期間を与えていたと考えられる[「情報収集と判断能力は相まちて、完璧に近付くものとする」と言う。情報収集能力の欠陥と判断能力の欠如は、競い合って海軍情報力に致命的悲劇を齎らした。大東亜戦争3年8ヶ月、海軍は敵の情報は取れず、我情報は取られっ放しで彼の戦争を戦った。戦後判明した所に依ると、戦争中の、米軍の日本暗号の解読状況は次の通りである。

(外務省)誤字のないものは殆ど全部、全体の約95%が解読された。
(海軍)約70%が傍受され、其の70%が解読された。
(陸軍)戦争前半0%、19年・0.08%、19年末以降0.6%」(含終戦後暗号書をとらえて解読されたもの)が解読された(『昭和軍事秘話中』)!忍」

長期間に及んだソロモン海戦の時も日本の艦隊や輸送船、飛行隊の動きは全て米国に依って把握されていた。結局日本海軍は山本五十六の意図に依って其の初期戦力を激滅させていたのである。

此の偉大為る「功績」により山本長官の役目は一通り終わった。そして姿を消す時期が遣って来たのである。ブーゲンビル島上空に於ける「戦死」がそれである。米国が暗号解読をしている事を承知の山本五十六は前線視察と称して連合艦隊司令部から一式陸攻に搭乗してブーゲンビル島のブイン飛行場に向かったのである。昭和18年4月18日の事である。

山本五十六連合艦隊司令長官はこうして戦線から姿を消すのであるが、山本長官と共に1年4ヶ月の海戦を戦った将官達は、其の極度な無能ぶりにも関わらず戦後様々な戦記作家に依って何れも名将、名参謀として称えられている。

戦後の日本が米国に占領され、民族心を盡く失う迄に洗脳された結果、「世界支配層」に迎合するフリーメーソン作家が此の様な日本民族に対する背信行為をするのも、いわば当然であろう。
日本が開戦した時の米国との国力は1対10の比率であったと云われる。

此の為に日本が戦争したのは無謀であったとか、軈ては負ける運命であった等と云う意見がある事も事実だ。だが、日本があらゆる海戦で勝利(するべき事をする!忍)を納めていれば(其れは可能であった)米国の戦意が喪失し、休戦、和平交渉の道も可能だったのである。


●「Z作戦計画書」を米軍に渡す作戦(日本帝国海軍乙事件!忍)


 米軍はミッドウェー海戦の勝利以降、ガダルカナル、ソロモン、ラバウルを制圧し、アドミラルティからニューギニア北岸を西進、更にパラオからマーシャル諸島のブラウンに到達した。当時パラオにあった連合艦隊司令部は米軍の急迫を避ける為フィリピンのミンダナオ島ダバオへ移転する計画を立てた。

昭和19年3月30日、米輸送船団がアドミラルティの北西を西航中であると云う重大なる情報が大本営より齎された。此の大本営通報が後になって誤報である事が判明したが、何故か確認もされない儘翌31日、連合艦隊司令長官に任命された古賀峰一大将は計画に基づいて31日、司令部の移転を開始した。3月31日当日、パラオとダバオ間約千Kmの洋上には大きな低気圧が発生していたが、移転は次の3機によって実行された。

◆一番機(851空、機長・・難波正忠大尉)乗員・・古賀峰一大将(連合艦隊司令長官)、上野あ太大佐(艦隊機関長)、柳澤あ之助大佐(首席参謀)、内藤雄中佐(航空参謀)、大槻俊一中佐(航海参謀)、山口肇中佐(航海参謀)、柿原少佐(軍医)。

◆2番機(802空、機長・・岡村松太郎中尉)乗員福留繁中将(参謀長)、大久保信大佐(艦隊軍医長)、宮本正光大佐(艦隊主計長)、山本祐二中佐(作戦参謀)、奥本善行大佐(機関参謀)、小池伊逸中佐(水雷参謀)、島村信政中佐(航空参謀・気象)、小牧一郎少佐(航空参謀)、其の他2名

◆3番機(851空、機長・・安藤敏包中尉)乗員・・司令部暗号士及び暗号員

 1番機は22時30分に出発、2番機はやや遅れてパラオを飛び発った。3番機は翌4月1日未明4時56分に出発した。ところが、先に出発した筈の1、2番機は到着予定時刻の4月1日午前3時を過ぎても消息は不明であり、3番機のみが午前7時40分無事にダバオに到着した。

1番機には古賀連合艦隊司令長官が座乗しA2番機には艦隊司令部用信号書及び暗号書、其れに「Z作戦計画書」が積まれていた。

「Z作戦計画」とは「あ」号作戦(マリアナ沖海戦)や「捷1号作戦」(レイテ海戦)の原案となるものであり、此の機密文書と暗号書は福留中将の手提げ鞄の中に収められていた。2番機は2時50分あセブ島ナガ沖に不時着、福留中将は此の鞄を抱いた儘泳いでいたが、数隻のカヌーが接近して来た為鞄を放棄した。ところが漁夫の一人がゆっくり沈んで行く手提げ鞄を拾い上げ収容した。

此の「Z作戦計画書」は防水ケース毎ゲリラの手に依ってセブ島南部へ送られ、米潜水艦に依ってオーストラリアへ移送され、全頁が複写された。そして最終的に其れがハワイ真珠湾の米太平洋艦隊司令部に渡り、マッカーサー及びニミッツの許可の下編集、複写され、海上に出撃している全ての米艦隊司令官等に配布された。

「Z作戦計画書」は元の防水ケースに収められ、潜水艦に依って再びフィリピンの海に流した。計画書が米軍に依って奪われた事を悟られない為の周到な準備であった。

1番機の消息に就いては其の後何の情報も得られず、4月22日捜索は打ち切られた。 此の事件は「海軍Z事件」として秘匿され、何の追求もされない儘不問に付された。事件後の変更、作戦の見直しを訴えた情報参謀の意見も却下され、暗号は其の儘使い続けられ、マリアナ沖海戦もレイテ沖海戦も予定通り遂行されて大敗を喫するのである。

此の事件は海軍首脳部に依って最初から仕組まれていたものであろう。先ず3月30日、米輸送船団が西航海中と云う偽情報が大本営海軍部より意図的に流される。そして司令部移転の日は態々低気圧の発生した31日に指定され、「Z作戦計画書」も遭難不時着を予め想定して防水ケースに入れられた。
古賀長官を乗せた1番機は其の儘逃走、2番機は予定通りセブ島沖に不時着して暗号書及び作戦計画書がゲリラの手に渡る様仕組んだと見ていい。

セブ島のゲリラ討伐中の大西大隊長は4月10日、ゲリラ長のクーシン米軍中佐から福留中将以下10名の将兵引き渡しと交換条件に討伐を中止して欲しいとの手紙を受け取った。福留中将等は12日、セブ派遣隊に引き取られ、13日、セブ水行者に到着した。此の時、福留中将は出迎えの山本繁一第三南遣艦隊参謀に対し、「機密書は漁民の手に渡ったが、彼等には関心が無かった様だ」と語り、平静であったと言われる。

福留中将は18日、飛行機で羽田に帰着し、海軍大臣の官邸で口頭報告を行ったが、福留中将には何の咎めも無かった。結局、作戦構想も暗号も全く変更されなかったのである(此の時期は戦争最中であったから、当然作戦見直す必要があったのではなかろうか。漁夫が、敵の手に情報を渡さない保証は全く無く、最悪の状態を常に考える必要があったのではないか!忍)。其の後福留中将は軍令部出仕となり、6月15日、第二航空艦隊司令官に補され、後にフィリピンで神風特別攻撃隊を指揮する事になる。

古賀長官と福留中将の関係は山本長官と宇垣中将の関係と酷似している。日本海軍売国集団のお得意パターンである。

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