皆さんの来るべき大災害と大戦争への備えは如何だろうか?いざというときのための避難先としてのセカンドハウスの確保、頼るべき親戚や友人との打ち合わせは済ませられただろうか?食料の備蓄は少しずつ始められているだろうか?考えられるあらゆる事態を想定して、準備は万端だろうか?日本国政府は当てにならない、という前提で物事を考えるべき事態を想定しておいた方が良い。東日本大震災、政府のその後の対応を見ると、そう思えてくる。
最近、不動産業者、自治体のトップからは、人々がより安全な避難場所を確保するため不動産を物色する動きが報告されている。海岸沿いの土地は全く売れず、高台の強固な地盤に立つ物件や土地の取引が増えているという。一般に、東北や関東より関西、海岸部より山間部、というトレンドがあるようだ。
筆者の周囲でも1年前には「阪神大震災は人工地震だった」と言うとキチガイ扱いだったが、今はごく自然に都内のそこかしこで「人工地震と津波」が話題に上るようになった。
果たして、来年の今頃はどんなトピックスが人々の話題に上っているだろうか?
「首都圏、特に都内は壊滅だ。(首都圏では)数千万人が死んでしまった。日本政府が消滅したので、日本は米軍の統治下に入った。米海兵隊が水も食料も配給しているが、なかなか空腹は埋められない。そこら中にまだ死体が転がっているが、今は死臭を気にしている場合じゃ無い。」
等という会話が普通に交わされていないことを祈る。
この世界を支配するイルミナティ・フリーメーソンはワン・ワールド、つまり世界統一を実現するために「悪魔の計画」を立てた。
そして不幸なことに、この「悪魔の計画」は今までのところ順調に進んでいる。人工地震・津波を語るようになった人々の間でも、まだこの話題は上っていないようだ。従ってこの「悪魔の計画」の実現してしまう可能性は非常に高い。日本人の多くは騙されるまま、真実を知らされない内に、最悪の事態を迎えるのだろうか。
今回はその「悪魔の計画」を紹介する。イルミナティ・フリーメーソン最高幹部、アルバート・パイクが、革命指導者ジュゼッペ・マッチーニに送った書簡がそれだ。
1871年に出されたこの手紙には「世界を統一するために今後3つの世界大戦と3つの大革命が必要」と書かれていた。そして140年も以前に書かれた内容にも拘わらず、世界はその手紙の内容通りに進んでいる。
「第一次世界大戦は、ツァーリズムのロシアを破壊し、広大な地をイルミナティのエージェントの直接の管理下に置くために仕組まれることになる。そして、ロシアはイルミナティの目的を世界に促進させるための“お化け役”として利用されるだろう。」
手紙が送られたのが1871年。第一次世界大戦が始まったのが43年後の1914年。
「第二次世界大戦は、『ドイツの国家主義者』と『政治的シオニスト』の間の圧倒的な意見の相違の操作の上に実現されることになる。その結果、ロシアの影響領域の拡張と、パレスチナに『イスラエル国家』の建設がなされるべきである。」
第ニ次世界大戦が始まったのが1939年。手紙が送られた68年も後のこと。『ドイツの国家主義者』をナチス、『政治的シオニスト』をユダヤ人に置き換えるとわかりやすい。
「第三次世界大戦は、シオニストとアラブ人とのあいだに、イルミナティ・エージェントが引き起こす、意見の相違によって起こるべきである。世界的な紛争の拡大が計画されている。」
イスラエルによるパレスチナへの非人道的な行為、米軍によるアフガンとイラクへの侵攻、イランとの戦争準備。イランの背後に控える中国とロシア。チュニジア、リビア、エジプトでの内乱。不気味なくらい、手紙の内容と現実が一致。
第三次世界大戦後の世界はどうなるのか?
「キリストの教会と無神論の破壊の後、ルシファーの宇宙的顕示により、真の光が迎えられる。」
第三次世界大戦=最終戦争後の荒廃ののち、ルシファーを唯一の神とした世界宗教と世界政府による「新世界秩序」がもたらされる、と言っている。
皆さんはこのアルバート・パイク書簡をどう思われるだろう?一笑に付して取り合わない、という反応が大半なのだろうか?
コメント
コメント一覧 (9)
http://www.asyura2.com/11/lunchbreak51/msg/719.html
1985年8月12日の日航ジャンボ123便であるが、
1985年8月13日頃の御巣鷹の尾根スゲの沢報道写真中に円筒形の物体が写っている。
水濡れして核反応しないように、物をひさしにして置かれている。
Tu-22盲の残骸の場所であることから、ソ連のAS-4キッチン核ミサイル不発弾と見られる。
また、この場所付近には、核燃料円筒形外周にフィットする減速材も観察される。
http://www.asyura.us/bigdata/up1/source/6961.jpg
<参考>日航ジャンボ123便 御巣鷹に、ソ連AS-4キッチン核ミサイル残骸。ソ連Tu-22に搭載。自衛隊と共に日ソで御巣鷹に核攻撃。
http://www.asyura2.com/11/lunchbreak51/msg/692.html
・高天原で発生した出来事であるから重要。
・マヤ暦の始めの日である8月11日に発生した案件でマヤ暦の終わりの2012年が来ているから重要。
の2点が挙げられます。
高天原の重要性はともかくといたしまして、
日本時間の1985年8月12日18:00~18:57は、19時間の時差があるアメリカハワイでは8月11日「811」となります。
「811」と定義しますと、8月11日はマヤ暦の始めの日ですから、マヤ暦との関連が発生します。
2012年末にマヤ暦が終了しますから、今年は特にJAL123便の型が大事だということです。
実際に1985年8月12日夜から山に入り、8月13日の夜明け前に御巣鷹の尾根に到着した2人の方の話では、
御巣鷹の尾根にいた自衛隊は訛りの無い日本語を話しており見た目も日本人(要は、第二次世界大戦中の関東軍のような風貌の骨格)だったということです。
この方と黒い霧の方と当方等で、実際に御巣鷹の尾根及びスゲの沢に現場検証を行いに行ったりもしていますから確かです。
さらに、決定的な状況と致しまして、当時、米軍最強で最高機密のマッハ3以上で飛ぶ
SR-71
という飛行機が、放置されており翌朝頃の報道カメラマンの写真に写っているわけです。
しかも、容易に移動できるなだらかな開けた場所です。
http://www.asyura.us/bigdata/up1/source/6943.jpg
米軍が機体回収証拠隠滅をしていたならば、真っ先に回収するはずの機体です。これが放置されているわけです。
は、徹底的に回収されて翌朝の写真ではほとんど無くなっています。
http://www.asyura.us/bigdata/up1/source/6622.jpg
要は、ソ連の息のかかったムネオ官僚や中曽根大勲位の指令で、
ソ連軍機の証拠隠滅と、ソ連軍機を見ているJAL123便生存者の殺害が、遺憾ながら加藤紘一自衛隊の手で行われていたという状況です。
日本人の救助に来たのはアメリカだけでした。
http://www.asyura2.com/10/lunchbreak41/msg/920.html
御巣鷹の尾根で人類最強のSR-71残骸が落ちているのを撮影した報道用写真です。
1985年8月13日頃撮影された報道用写真。御巣鷹の尾根スゲの沢
http://www.asyura.us/bigdata/up1/source/6943.jpg
チタンを熱した時の青色になった残骸が認められます。
また、SR-71に機影が酷似した(エンジン位置も同じ)機体です。
http://www.asyura.us/bigdata/up1/source/6942.jpg
<参考>チタンを加熱して酸化膜の色を観察。
http://page.freett.com/brp2/ti/ti.html
現地の住民を虐殺したり、現地の飛行機を落としたりして「訓練」をしているわけです。
実際にPKOに参加している自衛隊員幹部との飲み会で得た情報ですが、アフリカまで行けばマスコミにも暴かれずやりたい放題だということです。
それを、自分たちはクロンボも虐殺できるし飛行機も落とせるということで、いい気になって自慢するわけです。
・自衛隊が飛行機を落とす。
・自衛隊が民衆の虐殺を行う。
どこかで聞いた話です。
そうです。1985年8月12日JAL123便事件です。
もちろん、その九州の自衛隊員には、JAL123便は自衛隊が落として生存者を虐殺したという内容の書籍「鎮魂JAL123便」を、その場でプレゼントしてやりました。
http://www.asyura2.com/11/lunchbreak51/msg/654.html
1985年8月12日の日航ジャンボ123便であるが、
1985年8月13日の御巣鷹の尾根スゲの沢報道写真中にロシア語キリル文字が見られる。これは、JAL123便と共に、ロシア軍機が落ちている状況を示すものである。
http://www.asyura2.com/11/lunchbreak51/msg/676.html
1985年8月12日の日航ジャンボ123便であるが、
1985年8月13日頃の報道用写真、御巣鷹の尾根スゲの沢写真中にロシア語が手書きされた残骸が記録されている。
До свидания(さようなら)の途中までソ連キリル文字書いた残骸。
http://www.asyura.us/bigdata/up1/source/6658.jpg
http://www.asyura2.com/11/lunchbreak51/msg/650.html
第二次世界大戦後、アメリカ主導による日本再構築が行われ、日本は総中流まで成長した。
しかし、1985年8月12日の日航ジャンボ123便でアメリカが日ソ(日露)勢力に対し敗退し、日本での覇権を失った。
そして、2011年の今日も尚、日本は急速に低迷している。
日航ジャンボ123便の教訓として見えてくるものは、
日本に必要なのは純粋な日米同盟であり、アメリカ主導による国家再構築が急務である。