ことり「恋宮殿に誘われ」海未「乙姫心で抱き締めて」【前編】のつづき





358: ◆qpwZInm6fw 2016/03/27(日) 20:16:19.37 ID:U4+BbBrW0

―――


ことり「…………」

「…………どうしたの?」

ことり「いや……うん……あの……」

「…………言いたいことあったら言っていいよ?」


 機織り教室でお着物を作ろうとする私の手に、教室仲間の子の手が重なっている。
 教えてあげる、っていう言い分だけど、余りにも距離感が近すぎる。

 一人だけじゃない、教室中の生徒全員が私の周りに集まって、隙を見ては私に触れてきた。


ことり(こんなあからさまに態度が変わるなんて……)


 住人みんなの前で説明をした翌日から、宮殿の様子は一変した。
 どこへ行ってもみんなの視線が突き刺さる。
 用が無くても私に近付いてきて、ともすれば理由の無いまま触れてくる。
 驚いて目を向けると、視線を合わせたまま相手の顔が迫ってくることさえあった。


ことり(みんなが私を欲しがってる)

ことり(芸事の時間も何も関係無い……もう、安心できる時間なんてないんだ)


359: ◆qpwZInm6fw 2016/03/27(日) 20:17:49.57 ID:U4+BbBrW0

「そこっ! 生徒たちっ!」


 芸事仲間たちの求愛行動に参っていたら、教室内に険のある声が響いた。
 驚いて顔を向けたら、教室の先生が向かってくるところだった。


「今は手習いのお時間です、ことりさんに迷惑をかける暇があるなら集中なさい!」

「無理ですよ先生」「ことりさんと一緒にいたいです」「我慢できない」

「馬鹿を言わないでください! そのような言い分がまかり通るとお思いですか!?」

「御年配の先生にはもう興味ないかもしれませんけど」「私たちことりちゃんにしか興味ないです」

「では今すぐ教室から出ていきなさい!」

「やです」「ことりさんと離れちゃう」「ならことりさんも連れてくわ」


 私を巡って先生と生徒たちで言い争いが起きてしまった。
 先生みたいに味方をしてくれるヒトがいると知って安心したけど、一方で申し訳なく思う。


ことり(先生……ごめんなさい……)

ことり(ううん、先生だけじゃない。生徒のみんなだって私のせいで……)


 言い争いは終わらない。
 私が困惑してる間にも、折を見て誰かが手に触れてきてビクッとしてしまう。

 こんなんじゃ、習い事なんて進めようがなかった。


360: ◆qpwZInm6fw 2016/03/27(日) 20:18:29.54 ID:U4+BbBrW0

―――


ことり(どこに行っても何をしても同じ……)

ことり(習い事も、お手伝いも、一つもまともに進められない)

ことり(それどころか、襲われないよう逃げるので精一杯)


 私が顔を出した場所では、皆が皆私にばかり意識を向けて、何であっても成り立たなくなる。
 あらゆる活動に支障を来してしまう私は大人しくしているしかなかった。

 落ち込んだ気分のまま、お昼を取ろうと大宴会場に顔を出す……けど。


ことり(……う、わ)


 室内に入ると、普段通り賑わっていた大宴会場が途端に静まり返り、全員の視線が私に集まった。
 獣に狙いを付けられた小動物のように、恐怖で身動きができなくなった。


361: ◆qpwZInm6fw 2016/03/27(日) 20:19:13.21 ID:U4+BbBrW0

ことり「あ…………あ…………」

「…………」「…………」「…………」「…………」「…………」

ことり(どうしよ、どうしよ、今日でもこんな大勢から見られたことない)

ことり(……怖い)

ことり(ここでご飯なんて無理だよ、こんなの、どうしたら、)

「嬢ちゃん」


 向けられる多数の瞳に戸惑っていたら、重みのある声が隣から響いた。
 見れば、普段調理場でお世話になっている料理長だった。 


ことり「あ……」

「案の定か。ここじゃ飯なんて無理だろ、自分とこの部屋にでも持ってきな」

ことり「でも、ご飯はここでって決まりが……料理長も守れっていつも、」

「構うな。食い終わった配膳も部屋の外にでも置いとけ、後に回収に行く。いいな?」

ことり「…………すみません」


 追い払うような料理長の態度に促されて、一人じゃ動かせなかった体をなんとか大宴会場から逃がした。
 言外に込められた優しさに感謝しながら、それ以上に早くこの場から去りたいという恐怖心に従い、足早に自室に向かう。

 龍宮城に来て以来、私は初めて、一人きりで食事を取った。


362: ◆qpwZInm6fw 2016/03/27(日) 20:19:55.23 ID:U4+BbBrW0

―――


 どこに行っても逃げ場は無かった。
 出向く所どこでも住人たちは私を待ち構え、居合わせた誰もが私を狙って近づいてくる。
 場所を移しても追われ続け、自室に逃げ込んでも、耐えず誰かが部屋の外をうろついている。


ことり(監視されてるみたい……落ち着ける時間が無い)

ことり(……焦っちゃ駄目。弱気になるから怖く感じるんだよ)

ことり(迫られてはいるけど、強引に何かされてはいないんだから)

ことり(まだ平気……まだ私は、龍宮城で普通の生活ができるはず……!)


 根拠も説得力も無いことは私が一番わかっている。
 だけど、このまま龍宮城での暮らしを恐怖の色に染められるのは嫌だった。


ことり(ここは海底の楽園)

ことり(海未ちゃん、凛ちゃん、希ちゃん、沢山の素敵なヒトたちと出会えた、掛け替えのない場所)

ことり(大切な毎日を、嫌いになりたくない!)


363: ◆qpwZInm6fw 2016/03/27(日) 20:20:52.21 ID:U4+BbBrW0

 各所全方位から迫る求愛行動にも負けないよう、夕方からは覚悟を決めて、意識的に平常通りの生活をした。
 住人のみんなは即座に近付いてきて何かと接してくるけど、下手に弱気にならずにいればやり過ごすこともできた。


ことり(よかった。まだここでの生活を失ってない)

ことり(いけるよ、大丈夫。負けちゃ駄目。気をしっかりもって、私の毎日を取り戻そう!)


 身近に迫る住民たちを牽制し続けて、疲れ切った心身を癒す為に、夜には大浴場に向かった。
 私にとって一番の憩いの場。
 だけど……。


ことり(…………あ)


 入浴の準備をしようと脱衣所で着替えに取り掛かった瞬間。
 衣類を脱いで肌を一部露出しただけで、これまでと比較にならないくらいに熱い視線で貫かれた。


ことり(駄目)

ことり(無理。絶対に無理。お風呂場だけは駄目。ここはいけない)


 気圧されまいという意思があっという間に折られた。
 それ程に、この場で受ける視線が強くて熱くて、危ない。


ことり(このまま肌を見せて湯船に浸かったら、私はきっと……食べられちゃう!)


364: ◆qpwZInm6fw 2016/03/27(日) 20:21:59.45 ID:U4+BbBrW0

 脱ぎかけた服を慌てて着直して、出口に向かおうと踵を返した。


「入らないの?」

ことり「ひっ!?」


 真後ろに見覚えのある人影を見定めて、足が止まった。


ことり(このヒト……! 前にお風呂場で私を引き留めたヒトだ!)


 以前、お風呂から上がろうとした際、二人の住人から強引に湯船に引き戻されたことがあった。
 希ちゃんに助けて貰って事無きを得たけど……その時の一人である長髪の女性が私の背後に立っていた。
 あの時と同じ低音の声音が、私の意識を惑わそうとする。

 二人組のもう一人、浅黒い肌をした女性もすぐに私の方へと近づいてきた。
 退路を塞ぐよう二人並んで、私の前に立ちはだかる。


「まだお風呂済ませていないじゃない。一緒に入りましょうよ」

「今度こそ私たちと温まりましょ?」

ことり(この二人、また……!)


 前回引き留められた時、あのまま湯船に浸かっていたらどうなっていたか、今なら容易に想像がつく。
 そして今、この二人が何をしようと考えているのかも。


365: ◆qpwZInm6fw 2016/03/27(日) 20:22:49.60 ID:U4+BbBrW0

「安らぎましょう?」「温まりましょ?」

ことり「……私、やっぱりいいです」

「どうして?」「大浴場でゆっくりしたいんでしょ?」

ことり「一緒に入ったら、ゆっくりできないと思うから」

「そんなことない、最高の気分になれるわ」「入りましょう? 行きましょう?」

ことり(話を聞いてくれない……!)


 今日一日を通じて、他人の意向を蔑ろにする住人たちの態度が、ちょっと頭に来ていた。
 受け身だからつけ込まれるなら、相手に負けない気持ちでぶつかっていけば……!


ことり「私はっ、」

凛「にゃー!」

ことり「ふぇっ!?」


 反論しようと意気込んだと同時、突然凛ちゃんが割り込んできた。
 不意の登場に、私も、対峙する二人組も揃って呆気に取られていると、虚を突いた形の凛ちゃんは私の手を引いて走り出した。


「あっ!」「凛さんちょっと!」

凛「ことりちゃんは凛のものー!」

ことり「えっ!? えっ!? 凛ちゃん!?」


 何が何やらまるでわからないうちに、私は凛ちゃんに連れられて、脱衣所を抜け出していた。


366: ◆qpwZInm6fw 2016/03/27(日) 20:23:29.38 ID:U4+BbBrW0

―――


凛「ふいー、泳ぐのもいいけど走るのもいいよねっ!」

ことり「はあっ、はあっ……もう、いきなりすぎだよぅ。ここどこ?」

凛「ごめんにゃー。宮殿のどこか端っこの方じゃない?」

ことり「凛ちゃん足早いんだもん、びっくりしちゃった」

凛「泳ぐのより走るようが得意なんだっ!」

ことり「いいなぁ、私あんまり走るの得意じゃないの」

凛「じゃあ今度早くなるコツ教えてあげるね!」

ことり「うん。……ねえ凛ちゃん」

凛「あのままだと危なかったよ」

ことり「え?」

凛「怒ったらね、みんなの思う壺なんだよ。言い争って気が高まって、襲うきっかけを作っちゃうの」

凛「前もね、同じことがあったんだ。まだ乗り気じゃない人間を怒らせて、掴みあいになった隙に強引に食べちゃったこと」

凛「勘違いして無理に迫った凛が責められることじゃないけどね……」

ことり「…………そう、だったんだ……」


367: ◆qpwZInm6fw 2016/03/27(日) 20:24:12.46 ID:U4+BbBrW0

ことり「ありがとう、凛ちゃん。助けてくれたんだね」

凛「前に襲いかかったお詫びだよっ」


 にへらと笑う凛ちゃんは、私の顔をまじまじと見てから、そっと抱きついてきた。
 一瞬身構えたけど、寄り添うように体をもたれかけてくる態度からは、強引さみたいなものは感じなかった。


凛「なんて、ホントはね、他のみんなにあげたくなかったから邪魔したの」

凛「ことりちゃんのこと、ホントに好きなんだもん」

ことり「凛ちゃん……」

凛「ごめんね。これくらい、許してね」

ことり「……いいよ」


 いつも元気な凛ちゃんらしくなく、遠慮がちに私の胸元にしがみつく小さな体に、そっと両腕を回した。


凛「……あったかいにゃ」

ことり「うん。凛ちゃんも温かいね」


368: ◆qpwZInm6fw 2016/03/27(日) 20:24:54.76 ID:U4+BbBrW0

凛「凛ね、ことりちゃんのこと好き」

ことり「うん。ありがとう」

凛「ことりちゃんは海未ちゃんのこと好きなのは知ってるよ」

凛「海未ちゃんも初めて誰かを……ことりちゃんを好きになったから、応援してあげたい」

凛「……でも、凛は乙姫だから。好きになったら手放せないよ」

ことり「今まではどうだったの?」

凛「今までって?」

ことり「今までも沢山の人間と……大切な事をしたんだよね?」

ことり「前に海未ちゃんが質問した時は答えてくれなかったけど、今まで凛ちゃんはどうやって我慢してたの?」

凛「……知りたい?」

ことり「うん」

凛「じゃ、教える代わりにチューしていい?」

ことり「……からかっちゃいけませんよーぅ」

凛「へへ、ごめんなさーい。チューはいいから、もうちょっとこうしてていい?」

ことり「いいよ」

凛「ことりちゃん優しいね。だから好きになったんだ」

ことり「私も、凛ちゃんのことは好きだよ」

凛「……えへへ……」


369: ◆qpwZInm6fw 2016/03/27(日) 20:25:33.74 ID:U4+BbBrW0

―――


海未「…………凛が助けてくれたんですか……」

ことり「うん」


 宮殿どこに行っても住人の手が伸びてくる現状、いくら意地を張って普段通りを貫こうとしても、最早一人で室外を出歩くことは困難だった。
 凛ちゃんや希ちゃんが守る様にしてくれても、そんな私たちに向けられる視線は冷ややか。

 海未ちゃんは何かと用が出来て、私と一緒に居る時間を中々作れないみたいだった。
 住人たちが私に近付けないよう手を回している、って言ってたけど……。

 今日は久しぶりに、海未ちゃんと一緒に宮殿内をお散歩していた。


ことり「住人みんなが落ち着かなくなっても、乙姫さんたちは流石にしっかりしてるんだね」

海未「どうなのでしょう。人間に対する欲望は一般住人と大差無いはずなのですが」

ことり「そうなの? じゃあどうして凛ちゃんと希ちゃんは冷静なんだろ」

海未「理由があるのでしょうか……」

希「そら当然あるよ」

ことり「ひゃっ!? 希ちゃん!?」

海未「ど、どこから出てきたのですか!? 驚かさないでください!」

希「いやー面白そうな話してたからさ。つい、ね」


370: ◆qpwZInm6fw 2016/03/27(日) 20:26:15.76 ID:U4+BbBrW0

希「はい。ことりちゃんに渡しに来たんよ」

ことり「これ……私の服?」

希「前に牛乳零してウチの着替え渡した時のやつ。……あの日着てた服、って言えばわかる?」

ことり「あ…………うん。……ありがとう」

海未「……希。あなたが私たちを助けてくれる理由を聞いてもいいですか?」

希「別に助けてはないけど?」

海未「私たちに助言したり忠告を与えたり、無理にことりに迫ろうとはせずそれとなく守っているではありませんか」

海未「一方で、私がことりと一緒に居るのは見逃しています」

海未「いくら乙姫同士とはいえ、捕食対象である人間を他者へ譲るのは解せません」

希「乙姫は一度抱きしめた相手を離さない生き物のはず、だから?」

海未「はい。恋した相手を他者に委ねるのは、私には理解できないのです」

海未「私はことりに恋をしました。だからこそ守りたい、離したくないと思っています」

希「恋……か」

希「ここは恋する宮殿……ふふっ。いいとこ突いとるよ」

海未「?」


371: ◆qpwZInm6fw 2016/03/27(日) 20:26:53.83 ID:U4+BbBrW0

希「恋って、そういうものやんな」

希「理屈やなくて、ただただ手離したくないって思いでいっぱいになってまう」

海未「ええ。にも関わらず、希や凛はどうして一度手にした人間を手離せたのですか?」

希「それは……んー……海未ちゃんに教えるにはちょーっと早いかなあ」

海未「え? なぜですか? わ、私が恋を覚えたばかりで初心な精神の持ち主だからですか!?」

希「うーん、やっぱりまだ教えられへん。気が向いたらね」

海未「確かに私は恋する身として未熟者かもしれませんがっ! しかしですね!」

希「いやいやそういうわけでもなくてね、まあそういう意味もあるけどさ」

海未「ほらやっぱり! 心外ですっ!」

希「ムキになった海未ちゃんからかうのオモロイわー」

ことり「……同じ質問、凛ちゃんも答えてくれなかった」

希「うん?」

ことり「大切なこと、なんでしょ?」

希「……まあね」

希「ウチと凛ちゃんにとって、とーっても大事なことに関係する質問やから、まだ教えられないんよ」

海未「……」


372: ◆qpwZInm6fw 2016/03/27(日) 20:27:30.46 ID:U4+BbBrW0

海未「希。あなたと凛は味方なのですか?」

希「どう思う?」

海未「……味方であって欲しい、と願っています」

希「甘いよ」

希「恋してるなら、何があっても手離さんよう、誰相手にも気ぃ引き締めなアカンて」

希「龍宮城のみんなだって、ことりちゃんのこと欲しいからあんなに必死になっとるやん。そんなんじゃ取られちゃうよ?」

海未「私は皆の様に、我を忘れてまで誰かを求めたくありません」

希「そう?」

海未「私は私のまま、きちんとした気持ちでことりに恋をしたいんです!」

希「だから甘いんよ」

海未「私の主張は間違っていますか!?」

希「自我を保って冷静になろうとして、その隙にことりちゃん取られたら?」

海未「…………そんな二者択一……考えたくありません」

希「それにいくら海未ちゃんでも、本当に欲しくなったら我を忘れてことりちゃんのこと求めるようになるって」

希「恋、しちゃったんやろ? なら絶対にそうなるよ」


373: ◆qpwZInm6fw 2016/03/27(日) 20:28:25.05 ID:U4+BbBrW0

海未「私は……私は理性を失ってまでことりを求めたりはしません!」

希「言い争うつもりは無いよ。結果は勝手に出るものやから」

海未「…………」

希「さて、海未ちゃん怒らせちゃったからウチは帰るね。ばいばいことりちゃん」

ことり「あっ……」

海未「希……」

ことり「……さっきのも忠告だったのかな」

海未「わかりません……」

海未「情けないです。同じ乙姫なのに、私は時々凛や希がわかっていることがわからない」

海未「……ですが、やはり私は今の気持ちを大切にしたい」

海未「欲に流されたりせず、私は私のまま、ことりと恋をしたいんです」

ことり「……そういう海未ちゃんだから、私は好きになったんだよ」

ことり「大丈夫だよ。わからないことがあっても、海未ちゃんは海未ちゃんだもん」

海未「……私、きっとことりを守りますから」

ことり「うん。信じてる、海未ちゃん」


374: ◆qpwZInm6fw 2016/03/27(日) 20:29:11.60 ID:U4+BbBrW0

―――


ことり(龍宮城に来て、大切な人たちと出会って、大好きな人と結ばれて……)

ことり(海底の世界で一歩一歩進んで、私なりの日々を築いてきた)

ことり(それでも、今もまだわからないことばかり)

ことり(凛ちゃんと希ちゃんは、どうして一度恋した人間を手離すことができたんだろう?)

ことり(海未ちゃんが質問しても教えないのはどうして?)

ことり(私はこの先ずっとみんなに怯えながら暮らさないといけないの?)

ことり(どうやったら逃げるだけの毎日から抜け出せる?)

ことり(それから……たまに夢に見る景色)

ことり(あれはきっと、陸での生活の記憶……私が忘れていた光景)

ことり(私は、誰かと一緒に生きてきた?)

ことり(その人は誰? 私にとってどんな人?)

ことり(どうして私たちは離れ離れになっちゃったの?)

ことり(私はどうして、龍宮城を求めて海に潜ったの?)

ことり(……わからない……私には、何もわからない……)


375: ◆qpwZInm6fw 2016/03/27(日) 20:30:36.47 ID:U4+BbBrW0

―――


ことり「はっ…………はっ…………」


 早足で廊下を歩きながら背後を確認する。
 付かず離れず、微妙な距離を置いて、住人たちが私の後を追ってきていた。
 このまま逃げ続けていても、見逃してくれそうにない。


ことり(この先は確か……)


 角を曲がって、中央区画の調理場内へと身を滑らせた。
 普段からお手伝いで出入りしている場所だから、ちょっとした隙間や物陰の場所を知っている。


ことり(とりあえずここで……)


 私が隠れた直後、調理場に入ってきた住人たちは姿を消した私を探して室内の散策を始めた。
 逃がしたとか、奥から出ていったとか言い合いながら、足音騒がしく調理場を駆け抜けていく。


ことり(……いなくなった、かな)


 目先の危機を脱したことに一息付きつつ、今朝の出来事を思い出して、身を震わせた。


ことり(みんな、私の部屋に強引に上がってきた……)

ことり(開けようと思えば簡単に開けられる障子だけど、今までは私が招かない限り誰も勝手に開けなかった)

ことり(なのに今日のみんなは、私が何か言う前に……!)


376: ◆qpwZInm6fw 2016/03/27(日) 20:31:29.83 ID:U4+BbBrW0

 昨夜から考えていた数多くの謎を抱えたまま、今朝の私は目を覚ました。
 悩みの種は体内の澱みとなって深く沈んでいるようで、体を起こす動作一つが重々しく感じてしまう。


ことり(……なんて風に、後ろ向きなこと考えちゃ駄目)

ことり(悩んだら憂鬱な気持ちになっちゃう。弱味を見せたら、いつ迫られるかわからないんだから)

ことり(今日も頑張って自分を守っていこう!)

ことり(……?)


 意気込みを新たにベッドから下りると、室外からの声に気が付いた。
 朝早いのに、ちょっとした騒ぎみたいな言い争いが聞こえる。


ことり(どうしたんだろう?)


 何かあったのか気になって、そっと障子を開けてみた。
 隙間から中庭を覗くと、住人たちが興奮した様子で話し合いをしていた。


ことり(話し声が聞こえる…………掟がどうとか…………)

ことり(……………………襲、う……?)


377: ◆qpwZInm6fw 2016/03/27(日) 20:32:34.85 ID:U4+BbBrW0

 物騒な言葉が聞こえて、反射的に身が震えた……その瞬間。
 中庭で話をしていた住人たちが、揃って私の部屋へと顔を向けた。
 障子の隙間を通して目と目が合う。


ことり(……いけない)


 何とも言えない嫌な予感に襲われた
 急いで隙間を閉じて障子から離れると、上着を手に取った。


ことり(わからない……でも、目が合ったのは、きっと良くない……!)


 部屋の反対側にある窓へと向かう間に、障子の向こうから何人もの足音が近付いてきた。
 本当にやるのか、待ってると他に取られる、構わない開けちゃえ……なんて声が聞こえる。


ことり(逃げよう!)


 私は躊躇せずに、窓を開けて室外に飛び出した。
 ほぼ同じタイミングで、部屋の主である私の許可を得ないまま、住人たちは障子を開けて室内に踏み込んできた。


378: ◆qpwZInm6fw 2016/03/27(日) 20:33:13.36 ID:U4+BbBrW0

 それから緩やかな追いかけっこが続いて……調理場に隠れた私はひとまず追手を振り払い、今に至る。


ことり(逃げられたけど、これからどうしよう?)

ことり(みんな力づくで私を捕まえようとしてきた。部屋が駄目なら、どこも安心できない)

ことり(……頼りにできるのは、一人しかいないよ)

ことり(海未ちゃんの部屋に行こう)

ことり(朝早い今ならまだ人気もまばらだし、移動するなら今のうちかも)

ことり(海未ちゃん、お願い、助けて……!)


 誰が襲ってくるのか、どこから襲ってくるのか、もしかしたら全員が私を狙っているのか。
 恐怖で足が竦む。

 でも、ここで捕まったら海未ちゃんと離れ離れになっちゃう。
 そうならないよう、私は勇気を出して、物陰から表に出た。


379: ◆qpwZInm6fw 2016/03/27(日) 20:34:09.30 ID:U4+BbBrW0

ことり(…………! こっちも駄目!)


 調理場を離れて、宮殿内の廊下を恐る恐る進んでいく。
 遠くに人影が見えると歩調を緩めて、相手が私を追ってくるかどうか見極めるけど……。


ことり(誰が、じゃない。みんながみんな私を追ってくる)

ことり(全員から逃げないと!)


 住人たちは走ってきたりはせず、早歩きくらいのペースで私を追ってきた。
 私は距離を詰められないよう小走りを続けて、右に行きかけて人影を見つけては左に曲がり、前方に住人を見つけては一度後方に引いてを繰り返す。
 入り組んだ宮殿内を縫うように進んで行く。


ことり(なんだか……誘導されてる気がする……)


 気が付けば宮殿内をぐるりと回っていて、元居た場所近くまで戻っていた。
 廊下の左右から住人が迫ってきて、仕方なしに目の前の出入り口、大宴会場への扉を潜った。


380: ◆qpwZInm6fw 2016/03/27(日) 20:35:11.59 ID:U4+BbBrW0

 龍宮城で最も広い部屋である大宴会場には、朝早くにも関わらず、ちらほらと食事を取っているヒトたちがいた。
 日頃騒がしくしている食事時だけど、今は不気味なくらいに静か。


ことり(ヒトはいるけど……みんなご飯食べて私に見向きしない)

ことり(ここにいる住人たちが追ってこないなら、反対側まで行って向こうの出入り口から外に逃げられるかも)


 宴会場を突っ切って対面の出口に向かおうと、部屋の奥へと踏み入った。
 しばらくは何事も起きなかったけど、私が室内の中央付近、各出入り口から遠のいた場所まで移動したら……。


ことり「……あっ!」


 それまで静かに食事を取っていた住人たち全員が、勢いよく立ち上がった。
 皆が皆、私を見ている。


ことり(誘い込まれた……!?)


 罠にかかった獲物を追い詰めるよう、宴会場にいた住人たちが距離を詰めてきた。
 じわり、じわり。
 廊下を逃げ回っている間から追ってきていた住人たちもどんどん宴会場に入ってきて、包囲網は大きくなっていく。


ことり(……捕まっちゃ駄目っ!)


 完全に囲まれる前に大宴会場を突っ切ってしまおうと、全力で駆けた。


381: ◆qpwZInm6fw 2016/03/27(日) 20:36:06.49 ID:U4+BbBrW0

「あっ!」「逃げるわ!」「誰か止めて!」


 向かおうとしていた対面の出入り口を住人たちに固められてしまった。
 このまま前方に走っていっても捕まえられる。
 けれど、右も左も後ろからも、どの道追手が迫ってきている。


ことり(力づくでぶつかってでも突破するしかないよ!)

ことり(無茶でも何でもやらないと海未ちゃんに会えないんだから!)

ことり「……ぅ、えっ?」


 追手が待ち構える出入り口に突進しようと足に力を入れ……けれど走り出した途端、体がガクンと揺れて勢いが削がれた。
 勢いをつける前に、脇から腕を掴まれていた。

ことり「…………あ……」

希「…………」


 いつの間にか隣に立っていた希ちゃんが、私をしっかりと捕えていた。
 逃げられなかった……。


「希さん!」「やった!」「捕まえたわ!」


 住人たちが周囲で歓声を上げる。
 輪の中心で、私を捕えた希ちゃんが薄らと笑みを浮かべた。


382: ◆qpwZInm6fw 2016/03/27(日) 20:36:44.17 ID:U4+BbBrW0

ことり(この笑い方……!)


 前に希ちゃんから誘惑された時を思い出した。
 妖しげな笑みと共に、意識の全てを欲望で上塗りされた異常な感覚が蘇る。


ことり「ぅ……ぁ……」


 誘惑されるまでもなく、あの日の記憶を思い出しただけで指一本動かせなくなってしまった。
 体が強張り、息が上がる。


ことり(一番捕まったらいけないヒトに捕まえられた……)

ことり(私を追ってきた住人たちの主……私を誘惑した乙姫……)

ことり(私、どうなるの…………助けて…………助けて!)

希「ことりちゃん」


 あの日のように、希ちゃんが顔を近づけてきた。
 まともに頭が働かない私は顔を背けることも出来ない。

 微動だに出来ない私に、希ちゃんはそっと顔を寄せて、耳元にキスをした。


383: ◆qpwZInm6fw 2016/03/27(日) 20:37:22.70 ID:U4+BbBrW0

希「……………………」

ことり「……………………」


 抱き合うようにしている私たちを囲む形で、住人たちは無言のまま様子を伺っていた。
 やがて、私から顔を離した希ちゃんは、勢いよく背後へと振り返った。


希「提案や!」


 大声を上げて両腕を広げ、私から離れるようゆっくりと歩き出す。


希「今、みんなはことりちゃんが欲しくて堪らない。なのに海未ちゃんからは手を出したら駄目って言われとる」

希「これ、みんなは我慢できるん?」

「無理です!」「私だって欲しい!」「一人占めなんて許せない!」

希「せやろ!? みんなだって食べたいやろ!?」


 感情を掻き立てる言い回しをしながら、希ちゃんは宴会場を時計周りに進む。
 演説めいた言葉を発する希ちゃんにみんなの視線が集まっていく。


希「そこでや、ウチには名案があるんよ」

希「海未ちゃんの言いつけを無しにできる方法……みんな聞いてくれるかな?」


384: ◆qpwZInm6fw 2016/03/27(日) 20:38:23.59 ID:U4+BbBrW0

 住人たちの欲望を縛る海未ちゃんの勧告。
 それを打ち破るという希ちゃんの発言に、追手たちの目の色が変わった。


希「みんな興味あるやろ!? 海未ちゃんの言いつけは破れなくても、同じ乙姫のウチなら解決できるんよ!?」


 みんなが声を上げて希ちゃんに賛同の意を表していた。
 歓声を浴びる希ちゃんは室内をぐるぐると歩き回りながら、声のトーンを増々大きくしていく。


ことり「…………」


 じり、じり、と。
 私はそっと、足音を立てないよう、摺り足で後ろに移動する。
 慎重に動いたつもりでも、私の挙動は幾人かの意識を引いてしまい、目を向けられたけど……。


希「脇見してるそこ! ウチの案聞かんでええの!? 海未ちゃんの言いつけ守ってずっと我慢し続けるん!?」

「!?」「い、いえ!」「教えてください!」

希「ええよええよー、みんなよく聞きやー!?」


 一人残らず注目を集めるよう皆を煽る希ちゃんに、場の空気感は完全に支配された。
 大宴会場に集う全員の意識が一人の乙姫に向けられて、他のものに関心が向けられる隙は無い。

 希ちゃんが声を張り上げるのを耳にしながら……。
 住人たちの視線から逃れることができた私は、静かに大宴会場を抜け出した。


385: ◆qpwZInm6fw 2016/03/27(日) 20:39:20.96 ID:U4+BbBrW0

ことり(希ちゃん……)




 大宴会場で私を捕え、耳元に顔を近づけた希ちゃんは、潜めた声でこう言った。


希『返事せんで黙って聞いて』

希『みんなの意識が逸れたらゆっくりとここから出るんや。それまではじっとしとってな』

希『宮殿内は住人だらけで逃げられへん。外に出て塀に沿って遠回りに移動して、機織り部屋に行って』


 耳元に顔を寄せる希ちゃんの表情はわからないけど、何故だか私には、微笑んでくれているように感じられた。


希『上手くいくようおまじない、ね』


 優しい声色と共に、耳に柔らかな感触を覚えた。
 そして勢いよく両腕を広げた希ちゃんは、住人たちに向かって大声を張り上げ始めた。




ことり(…………)


 言いたいことは沢山あった。
 でも今は感謝を伝える余裕も無ければ手段も無い。
 ただ信じて、言いつけ通りの道筋で目的地を目指す。


ことり(希ちゃん…………ありがとう…………!)


386: ◆qpwZInm6fw 2016/03/27(日) 20:40:18.00 ID:U4+BbBrW0

 希ちゃんの指示に従って、縁側から中庭に出た私は宮殿の周囲を巡る塀の方へと走った。
 絶対に誰にも見つからないよう警戒に警戒を重ねて、置き物代わりの珊瑚に隠れながら機織り部屋を目指す。


ことり(宮殿の中と違って外には誰もいない……これならいけそう!)


 順調に進んでいき、目的地が近付いてから、意を決して宮殿内に戻った。
 機織り教室までの内廊下を全力疾走して、教室の障子を勢いよく開けた。


ことり「あっ!」

海未「ことり!」

凛「来たにゃ!」


 室内には海未ちゃんと凛ちゃんが待っていて、私に駆け寄ると再会を喜んでくれた。


海未「どうなっているのですか? 住民たちの様子がおかしいですし、私は凛に連れられただけで事情を把握していません」

ことり「私は希ちゃんからここに向かってって言われて……」

凛「話は移動しながら! ついてきて!」

ことり「う、うん!」


387: ◆qpwZInm6fw 2016/03/27(日) 20:41:01.13 ID:U4+BbBrW0

海未「…………遂に手段を選ばずことりを搾取しに来ましたか」

ことり「もう駄目かと思ったけど、希ちゃんが助けてくれたの」

凛「希ちゃんがね、海未ちゃん連れて機織り部屋で待っててって言ったんだよ」

海未「希が……」

凛「見てわかると思うけど、もうみんな我慢の限界みたい」

凛「正直気持ちはわかるよ。凛だってことりちゃんのこと、ホントは何をしても欲しいもん」

ことり「……そう、だよね」

凛「でもこんな形でみんなで寄って集ってっていうのは違うんだよねー」

海未「違う、とは?」

凛「凛が望んでるのとは違うってこと!」

ことり「ねえ、どこに逃げるの? 宮殿中にヒトがいて逃げ場なんてわからないの」

凛「大丈夫、とっておきの場所があるから!」

海未「……もしやこの方角は」

凛「海未ちゃんわかった? 鋭いにゃー」

凛「龍宮城で一番頑丈な部屋、北に逃げるんだよ!」


388: ◆qpwZInm6fw 2016/03/27(日) 20:41:48.01 ID:U4+BbBrW0

ことり「どこに行ってもみんなから追われたのに、北区画の方は人が少ない気がする……」

海未「北は龍宮城でも特殊な部屋です、本来なら安易に近付ける場所ではありません」

海未「しかし北に逃げるとして、錠付きの鉄の扉と言えど鍵があれば外からも開けられてしまいます」

凛「鍵ってこれのこと?」

海未「あ、いつの間に! 鍵は私が管理しているはずですが!?」

凛「今は見逃して! 二人を北に入れたら鍵はどこか遠くの海に捨ててくるから!」

海未「そこまでして……」

凛「約束してね。ことりちゃんのこと守るって」

海未「…………わかりました」

ことり「凛ちゃん……」

凛「着いたよ! 北! あっという間だにゃ!」

凛「ほらことりちゃん、凛と一緒に走ったら早く走れたねっ」

ことり「……うんっ。もう走るの苦手じゃないよ!」

凛「今度は凛と競争しようね!」


389: ◆qpwZInm6fw 2016/03/27(日) 20:42:35.49 ID:U4+BbBrW0

凛「じゃあ扉閉めるよー」

海未「凛……」

凛「何? 時間かけるとみんなに追いつかれるよっ、用があるなら早く早く!」

海未「いいのですか? ことりを私に預けて。凛だってことりのこと……」

凛「…………じゃ、凛と代わる?」

海未「…………」

凛「ね? それが海未ちゃんの気持ちだよ」

ことり「あ、凛ちゃん後ろ!」

凛「あーほら追いつかれたー。海未ちゃんのせいだよ!」

凛「時間ないにゃー……ね、ことりちゃん」

ことり「なぁに?」

凛「ほっぺになら許してね!」

ことり「えっ、ぅひゃっ!? わっ、やっ、」

海未「凛!? 今何しました!? キキキキスしましたっ!?」

凛「いいじゃんご褒美ってことでー。扉閉めたらちゃんと鍵かけるんだよ!」

海未「……後を頼みます!」

ことり「凛ちゃん気をつけて……!」


390: ◆qpwZInm6fw 2016/03/27(日) 20:43:09.11 ID:U4+BbBrW0

凛「……ふう」

凛「さ、次はみんなと競争だね」

凛「はいこれ見てー! 一つしか無い北の部屋の鍵! 凛から奪ったらことりちゃんのところ行けるよー!」

凛「もし追いつけても意味ないけど……それでもいいなら凛のこと追ってみる?」

凛「えへへー、かけっこなら誰にも負けないよっ!」


391: ◆qpwZInm6fw 2016/03/27(日) 20:43:51.27 ID:U4+BbBrW0

―――


海未「……」

ことり「……」


 鉄の扉を閉めたら、部屋の外の物音は一切聞こえなくなった。

 あの日、海未ちゃんと結ばれて以来二度目に入る北の部屋。
 ベッド一つを室内に置いて他に何もない簡素さが、今は無性に静寂を強めた。


ことり「……凛ちゃんも、希ちゃんも、私を助けてくれた」

ことり「味方じゃないって言ってたのに……」

海未「……現状、表に出るのは危険です。このまま北に籠城するしかありません」

海未「凛と希、二人を信じて」

ことり「うん……」


 一時的な安息を得ても、まるで落ち着けなかった。

 鉄の扉の向こうに残った凛ちゃん、そして希ちゃんは、一体どうなっただろう?
 いくら気懸りでも、二人に頼って逃げる事しかできなかった私に知る術は無く、無力さに耐えるしかない。


392: ◆qpwZInm6fw 2016/03/27(日) 20:44:39.90 ID:U4+BbBrW0

―――


 北に入った私たちは籠城生活を始めた。

 窓一つ無い部屋からは外の様子は一切知れず、不安と歯痒さに苛まれるけど、今は一日を無事に過ごすことが大切。
 やれることをやってみようと、室内の通路から続く拘束部屋の並びを一通り見て回ってみた。


ことり(何十って数の部屋がある。これだけの人数が収容される場合もあるってことだよね)

ことり(全部の部屋に、人間を繋ぎ止める為の拘束具が用意されてる……)


 各部屋には手枷や足枷といった拘束具が壁やベッドに設置されていた。
 無視出来ない異物感に最初は狼狽えたけど、そこを除けばごく普通の小部屋みたい。


ことり「……あ、部屋に食料の貯えとかあるんだ」

海未「一度北に入った人間は以降この場が居住地となりますので。貯えは十分に備わっているはずです」

ことり「じゃあ立てこもる分には問題ないのかな」

海未「生活に必要なものは全てありますし大丈夫でしょう。余計なものが一切ないという点が難儀ですけど」

ことり「そういうことをする為の部屋……だもんね」

海未「……ええ」


393: ◆qpwZInm6fw 2016/03/27(日) 20:45:16.53 ID:U4+BbBrW0

ことり「私たち、いつまでこうしていればいいのかな?」

海未「落ち着くまで、でしょうけれど……いつになれば住人たちが冷静さを取り戻すのか、まるでわかりません」

海未「暴動が起こるなんて、少なくとも記憶にある百年で初めてです……」

ことり「やっぱり私のせいで……」

海未「気持ちはわかりますが、自分を責めて悲観するのはよしましょう」

海未「例え暴動のきっかけがことりであっても、責任はありません」

海未「仮に責任を問うならば、人間を捉えた私たち龍宮城の民にこそ責があるはずですから」

ことり「上手くやっていけないんだね。人間と、海の生き物って」

ことり「私が自我を失って、人としての生き方を止めない限り、悲しい終わり方を迎えるしかないのかな」

ことり「……ごめんね、変なこと言って」

海未「今は後ろ向きな考えしかできない心境なんですよ。深く考えないようにしましょう」

ことり「うん。気を付けるよ」

海未「いえ。私も同じ気持ちですから……」


394: ◆qpwZInm6fw 2016/03/27(日) 20:45:56.47 ID:U4+BbBrW0

海未「人間と海の生物は悲しい終わりを迎えるしかない、ですか……」


 会話の合間に、海未ちゃんが重々しい溜め息をついた。
 気分が参ってるのは私だけじゃない、海未ちゃんだって勿論同じなんだ。
 私が余計な心配をかけてばかりじゃいけない。


ことり「信じて待ってみよう? そのうち凛ちゃんか希ちゃんが外から迎えにきてくれるかもしれないよ」

海未「はい。待つ以外に、今の私たちにできることはありませんから」

ことり「そう……だね」


 待つことしかできない……。
 その状況に、慣れとも親しみとも言えそうな、漠然とした物覚えがある。


ことり(待つ……しか、できない……)

ことり(終わりが見えない、いつまで続くかわからないまま待ち続ける)

ことり(……前も、こうして待っていたことがあったような…………私は何かを、ずっと……)


 形にならない、どうにも輪郭のはっきりしない感覚にむず痒くなる。
 思い出すのを諦めて、今は出来ることをしようと、部屋の散策を再開した。


395: ◆qpwZInm6fw 2016/03/27(日) 20:48:06.95 ID:U4+BbBrW0

―――


ことり(……あれから、何日経ったかな……)


 数だけは多かった個室の散策もすぐに終わって、北での籠城はあっという間にやることが無くなった。
 変わり映えしない一日を送るだけの生活。
 日数で言えば数えられる程度でも、余計な行動を一切できない場所で暮らすのは想像以上に辛くて、あっという間に音を上げそうになった。


ことり(寝て、起きて、何か変化を待ちながら、また寝て……)

ことり(変わらない毎日。変わらない私たち)

ことり(海未ちゃんと一緒なのは嬉しいけど、楽しくお喋りする雰囲気でもないし……)


 状況が状況だけに、私も海未ちゃんも黙りがちになって、会話も乏しい。
 沈黙の中に身を置くと、物音を立てただけでいけない事をしちゃったような気さえしてくる。
 身動き一つが気怠く感じ、時間の経過は最早把握できなかった。


ことり(このまま二人きり、永遠に閉じこもったまま生きていくみたい)

ことり(……それもいい、のかな。大勢に襲われて欲に塗れたり、怖がりながら逃げ続けるのに比べたら)


 だけど、表面に現れないだけで、変化は少しずつ起こっていたの。
 私にじゃなくて……海未ちゃんに。


396: ◆qpwZInm6fw 2016/03/27(日) 20:48:45.08 ID:U4+BbBrW0

 最初は、具合が悪いんだと思った。
 少し前までそうだったように、海未ちゃんの体から力が抜けて、生気に飢えているんだって。


ことり「海未ちゃん、手繋ぐ? 私から生気貰っていいからね?」

海未「…………大丈夫です」

ことり「本当に? 元気なさそうだけど、」

海未「いいんですっ!」


 らしくも無く癇癪を起してまで拒絶されて、正直ショックを受けた。
 私は大人しく身を引いて、海未ちゃんの体調を心配しながらも黙って見守っていた。


ことり(……海未ちゃん、少しずつやつれてきてる)

ことり(なのに昨日も生気をあげようとしても断って……このままじゃ倒れちゃうよ)

ことり(海未ちゃん、どうして……)


397: ◆qpwZInm6fw 2016/03/27(日) 20:49:20.83 ID:U4+BbBrW0

―――


 生気のやり取りを断るに留まらず、次第に海未ちゃんは私との接触を頑なに拒み始めた。
 私たち以外誰もいないのに、一切の会話も無く過ごし続けるのは、精神的に苦しい。


ことり(追い込まれてるの? 不安なの?)

ことり(……当然だよ。どうしようもなくて、待つしかできない。海未ちゃんだって苦しいよね)

ことり(私も苦しい……けど、海未ちゃんに何もしてあげられないのも、苦しいよ……)


 大きなベッドの上で一人転がり、無力感を噛み締めて……ふと、海未ちゃんがどこに行ったのか気になった。
 籠城中の今、北の部屋に居ないってことは、奥の拘束部屋にいるってことになる。


ことり(そう言えば、今日起きてから海未ちゃんの姿を見てないや)

ことり(奥にはもう用は無いはずだし、拘束部屋は狭すぎて生活するには不便なのに)

ことり(何をしてるんだろう……?)


398: ◆qpwZInm6fw 2016/03/27(日) 20:50:15.65 ID:U4+BbBrW0

ことり「…………海未ちゃん!?」


 拘束用の個室を一つ一つ見回って、そのうちの一室で海未ちゃんを見つけた。
 どうして拘束部屋に居たのか、理由はすぐにわかった。
 部屋の用途に合った姿で見つかったから。


ことり「ね、ねえ、どうして手錠してるの? 自分でやったの?」

海未「…………」

ことり「海未ちゃん? 海未ちゃん!?」


 まるで生気が抜けたように呆然としたまま無言を貫く海未ちゃんに駆け寄って、手首の辺りに触れた。
 鉄の拘束具の触感……手枷がしっかりと嵌められている。

 鎖を通じて壁に繋がれている手枷をかけた海未ちゃんは、床に座り込んだまま微動だにしなかった。


ことり「これ、自分でやったんだよね? どうして?」

海未「…………」

ことり「とにかく外さなきゃ……!」


 辺りを見回して、部屋の端に鍵が転がっているのを見つけた。
 鍵を取って海未ちゃんの手を拘束する手枷に嵌め込むと、カチャリと音を立てて、鉄の塊が外れた。


399: ◆qpwZInm6fw 2016/03/27(日) 20:50:50.73 ID:U4+BbBrW0

ことり「よかった。もう大丈夫だよ」

海未「…………ことり…………」

ことり「どうして自分で動けなくなるようなことしたの?」


 肩を揺さぶってみても海未ちゃんは焦点の合わない目をしていて、私を知覚できているのかわからない。
 呆けた顔のまま私を見て、自分の手を見て、外れた手錠を見た。


海未「…………外した、の、ですか」

ことり「え? ……外したよ、当たり前だよ!」

海未「どう、して……」

ことり「どうしてって……ねえ、ホントに大丈夫!?」

海未「外したら、もう……………………ならないように…………」


 聞き取りにくい声を漏らしていたけど、よく聞こえない。
 耳を澄ませていると、海未ちゃんが顔を上げて、カクリと首を傾けた。
 全体的に緩慢な動作を続けていたけど……眼球だけがギョロリと、獰猛な動きで私を捉えた。


400: ◆qpwZInm6fw 2016/03/27(日) 20:51:40.07 ID:U4+BbBrW0

 急に立ち上がった海未ちゃんは、私の手を掴んで強引に引っ張った。


ことり「え。きゃっ!?」


 驚く私に有無を言わせず、個室に用意された小さなベッド上に投げつけた。

 北の部屋に比べると、拘束部屋のベッドはずっと小さくて、一人が身を屈めて寝るのが精一杯。
 そんな小さな場所に私を転がした海未ちゃんは、そのまま上に跨って来た。


ことり「な、なにっ!? どうしたの!?」

海未「せっかく、襲わないよう、繋がっていたのに」

ことり「襲う……って」

海未「ことりが悪いんです……ことりが私を解放するから……」

ことり「ちょっと待って、海未ちゃんもしかして、」

海未「もう待てませんっ!」


 抵抗する間もなく、海未ちゃんは私の両手を掴むと、頭上で固定するように押さえつけた。
 片手で私の両の手を封じる一方、空いたもう片方の手が私の胸を鷲掴みにした。


ことり「ぃっ……!?」


 遠慮の無い掴み方に痛みを覚える。
 抗議の声を上げようとしても、その前に、私の口は海未ちゃんに蓋をされた。


401: ◆qpwZInm6fw 2016/03/27(日) 20:52:26.98 ID:U4+BbBrW0

ことり「んぐっ…………んんっ!? ん、ぉんぅ……!?」

ことり(なんで!? なんで!?)

ことり(こんな、海未ちゃん、どうして……!?)

海未「ぷはっ! ふうっ、ふうっ…………ふっ、ふっ」

ことり「んぅっ……はあっ……う、海未ちゃ、」

海未「ことりっ!!!」

ことり「んんんっ!?」


 海未ちゃんとの二度目のキス。
 でも、こんなのキスなんて言えない。
 無理やりに唇を貪られて、私の気持ちなんて微塵も汲んでくれない。


ことり(どうして急にこんなこと……っ)

ことり「ん…………んっ……っ……」

ことり(…………ダメ……良くなっちゃダメ…………流されちゃ……!)


 愛情も何もないような口付けなのに、海未ちゃんから力強く求められているっていうだけで、心身共に喜んでしまいそう。
 受け入れてしまいそうな本能を理性で叩き直す。
 唇に吸い付く海未ちゃんから逃げようと頭を激しく振って、何とか引き離すことができた。


402: ◆qpwZInm6fw 2016/03/27(日) 20:53:25.74 ID:U4+BbBrW0

海未「はっ! はっ! はっ!」

ことり「海未ちゃん、どうしてこんな……」

海未「……耐えられません」

ことり「な、なにが?」

海未「ことりと結ばれて、全身で交わって、知ってしまった」

海未「私はことりの味を知ってしまいました」

海未「以来ずっと味わうことのないまま、北という特別な場所で二人きりにされて……どう耐えろと言うのですか!」

ことり「ねえちょっと、海未ちゃん、いつもの海未ちゃんじゃないよ」

海未「いつもって何ですか!? 私は乙姫なんです、愛する者を前にして耐えられないんです!」

海未「けれどいけないことだって私だってわかっていたから動けないようにしていたのにそれなのにことりが私を解放したりするからことりが私を」

ことり「海未ちゃん!? しっかりしてよ!」

海未「無理ですよっ!」

ことり「やっ!? ダメっ!」


 襟元を掴まれて思いきり引っ張られた。
 胸元のボタンが飛んで肌が露わになる。
 際どい部分の素肌を晒してしまい……私を見る海未ちゃんの目の色が、変わった。


403: ◆qpwZInm6fw 2016/03/27(日) 20:54:07.68 ID:U4+BbBrW0

海未「ことり、お願いです、ことりっ、」

ことり「やっやだっ! こんな風にするの嫌だよっ!」

海未「もう一度私に全部下さい!」

ことり「一旦やめよ!? 冷静になって!」


 いくら声をかけても海未ちゃんは止まらなかった。
 素肌を露出した箇所に見境なく口付けられ、その都度私は歓喜の声を上げそうになるのを我慢しなくちゃいけなかった。


ことり(違う、反応しちゃ駄目、こんなの間違ってる)

ことり(今の海未ちゃんはおかしい、相手しちゃ駄目)

ことり「ぁんっ!?」

海未「良かったですか? もっとしてあげます……可愛いですよことり、ことり、ああことり」

ことり「ち、違うから……! ダメだよ海未ちゃん落ち着いて!」

ことり(まるで私を誘惑してきた時の凛ちゃんや希ちゃんみたい)

ことり(ううん、それよりも、私を追ってきた住人たちに近い)

ことり(欲望に夢中になって、こっちの言うことを聞いてくれない……!)


404: ◆qpwZInm6fw 2016/03/27(日) 20:55:01.73 ID:U4+BbBrW0

 事態は把握しきれなくても、海未ちゃんに限界が来たんだってことはわかった。

 言ってみれば、目の前に御馳走をぶら下げられて我慢し続けるようなもの。
 初めて人間と交わり、最上級の極楽を知った海未ちゃんにとって、北の部屋に私と二人きりっていう状況がどんな影響を与えただろう。
 求められる側の立場にある私には理解できることじゃない。


ことり(……けど、やっぱりいけない)

ことり(海未ちゃんは言ってた。住民たちみたいに理性を失ってまで私を求めたくない、って)

ことり(普段あんなにしっかりしてる海未ちゃんなら、暴走してる今の姿を許せるはずがないよ)

ことり(海未ちゃん自身で止められないなら、私が止めないと……!)


 これはきっと一時的な暴走。
 一回冷静になれば考えを改めてくれる。

 そう信じて、思いつく手段で海未ちゃんに理性を取り戻させようと決めた。
 抑えつけられた手をばたつかせて、何とか右手の自由を得る。
 抵抗した私に反応して顔を上げた海未ちゃんを狙って、私は右手を振り上げた。


ことり(ごめん、海未ちゃん……!)


 遠慮はしない。
 全力を込めて、海未ちゃんの頬に掌をぶつける。

 けれど、頬を打つ寸前……。
 脳裏に滑り込んできた映像が、私の手の邪魔をした。


405: ◆qpwZInm6fw 2016/03/27(日) 20:55:55.59 ID:U4+BbBrW0

 激しい閃光と共に、目の前の光景が別の光景で塗り替えられた。


ことり(あっ、あっ、あっ、あっ、あっ、あっ、)


 チカチカと点滅した視界に映ったのは……ここではない、どこか別の場所に立つ私と、もう一人。

 私は悲しみと怒りに染まった表情を見せていた。
 私の向かいには申し訳なさそうにしている誰かがいた。
 私は振り上げた右手で、向かいに立つ誰かの頬を叩いた。


ことり(……私……同じことをした)

ことり(前にもどこかで今しようとしたことをした)

ことり(そしてとても後悔した)


 記憶は無い。
 なのに、その時の感情だけが蘇ったように、胸が詰まって自然と涙が溢れた。
 悲しい……痛い……悲しい。

 かつて私は酷い事をして、取り返しのつかない事態を引き起こしてしまった。


ことり(……………………でき……ない……)

ことり(私には、もう……誰かに手を上げることは、できない……)


406: ◆qpwZInm6fw 2016/03/27(日) 20:56:42.43 ID:U4+BbBrW0

 別世界へと飛翔した記憶と光景は、前触れ無しに終わりを告げた。
 気が付けば元通り、小さなベッドの上で、私の肌を撫で回している海未ちゃんに為すがままにされている。


ことり(…………もしかしたら……普段我慢しているだけで、本当はこうして、がむしゃらにしたいのかな……)

ことり(こんなに私を求めてくれる、恋した人を、拒めない……)


 私の衣類を剥ぎ取らんと荒々しく息を吐く海未ちゃんは、とても必死だった。
 見ていると庇護欲が生まれてきそう。


ことり「…………いいよ……海未ちゃん」


 抵抗するのをやめて、胸元に顔を埋める海未ちゃんの頭をそっと撫でた。


ことり「私のこと、欲しいって思ってくれるなら……あげる」

ことり「全部、海未ちゃんの好きにしていいよ」


 諦めて、受け入れることを決めた。
 拒んだら、今度もまた致命的な事態を引き起こしてしまう……そんな恐怖に囚われてしまったから。


ことり(私には、今の海未ちゃんを拒むことなんて、できないよ……)


407: ◆qpwZInm6fw 2016/03/27(日) 20:57:37.65 ID:U4+BbBrW0

 一度諦めてからは楽だった。
 生まれたままの姿に剥かれた私の素肌に余すことなく海未ちゃんの指や舌が這い回り、私は全身を走る快楽に身を任せた。


ことり「あっ!? 海未ちゃん、それ凄い……っ」

海未「可愛いですよことりっ、もっと感じてください」

ことり「良いっ、もっと触って、してっ!」


 局部を深くまで抉られる度に身体が跳ねた。
 まるで海未ちゃんに操作されている気分。
 私が喘いで咽び泣く度に、海未ちゃんは笑ってくれて、その笑顔が余りに無邪気で愛おしい。


海未「ことり、好きです、悶えるあなたも素敵です」

ことり「……ぁぁぁぁぁああだめきちゃうきちゃう海未ちゃんもうそれだめっ! ああっ! ああああっあっあっっっっっ!!!」

海未「愛しいことり、ああ、ことり……」


 私を抱く海未ちゃんは、怖いくらいに激しかった。
 少し前までこんなこと知らなかったはずの私の肉体に、限界以上の快楽を植え付けていった。


ことり「……すき…………すき…………っ」


 過剰な刺激に耐えられなくなった意識がゆっくりと閉じていく。
 最後に目にしたのは、色々な体液で顔中をべちゃべちゃにした海未ちゃんの、恍惚の表情だった。


408: ◆qpwZInm6fw 2016/03/27(日) 20:58:43.77 ID:U4+BbBrW0

―――


 淫蕩の日々。
 箍が外れた欲望が堰を切って雪崩れ込み、私たちは時を忘れて絡み合った。


海未「ことり、もう一度……」

ことり「うん、いいよ」


 どの道時間感覚なんて無くなっていたから、時を忘れてお互いを貪り合った。
 どれだけ口付けを交わして、身体のどの部位に触れたことが無いのか、もうわからない。


ことり「する時は激しいのに、される時は顔真っ赤にするの、可愛いよ」

海未「やっ、見ないでっ、駄目です見ないでくだ、さっ…………っく、ぁっ!」


 どちらかが疲れ果て眠るまで抱き続けた。
 時には相手が倒れても求め続けた。
 求められた側は絶頂で意識を取り戻して、過敏になりすぎた身体に震えながら涙と唾液と喜びの雫を垂れ流した。


ことり(これが極楽……海底の楽園、その中でも、最上級のシアワセ)

ことり(一度味わえば、快楽の虜になって、後戻りはできない……)


 目の前に広がる世界は夢みたいだった。
 夢なのか現なのか、境界も曖昧になるくらい私たちは溶け合って、他の何事をも意識下から捨て去った。

 夢のような時間を、夢を見ているような気分で味わいながら……。
 微睡みの中、私は、夢を見た。


409: ◆qpwZInm6fw 2016/03/27(日) 20:59:26.86 ID:U4+BbBrW0

―――――
―――



 大切な人がいた。

 あなたが私を引っ張って、私があなたを支えて。
 二人だから辛い日々を頑張ってこれた。


ことり(帰ってきて……)


 手を引いてくれる人が居なくなってしまったから、私はここで待っているしかない。
 海を見つめながら、きっと帰ってきてくれるって信じて。
 いつまでも、いつまでも。
 それしかできないから。


ことり(待ってるから)

ことり(帰ってくるのを、私はいつまでも待ってる)


 大切な人の為にそれしかできない。
 それしかできないから、私は待ち続ける。
 待っていなければならない。

 そうしていなければ、私は私を許すことができないから。


410: ◆qpwZInm6fw 2016/03/27(日) 21:00:08.25 ID:U4+BbBrW0


―――
―――――


ことり「……………………」


 薄闇の中で目を覚ました。
 気怠さを我慢してベッドから身を起こすと、隣では海未ちゃんが眠っていた。
 パリパリになったシーツの上、二人とも何も身に着けていない。


ことり「…………ははっ……………………あはははっ…………」


 変な笑いと一緒に、涙が出た。
 何一つおかしくないのに、おかしすぎて泣けてくる。


ことり(思い出した)

ことり(地上で暮らしていた時のこと…………忘れてた記憶…………やっと、思い出すことができた)

ことり(何してるんだろ私……なにこれ?)

ことり(快楽に負けて、好きな人だからって何もかも許して)

ことり(これが私のしたいこと? しなくちゃいけないことなの?)

ことり(……私は、帰りを待っていなくちゃいけない)

ことり(幸せな時間はもうおしまい。戻らないと)

ことり(海底の楽園から、私が生きるべき場所に)


411: ◆qpwZInm6fw 2016/03/27(日) 21:00:54.52 ID:U4+BbBrW0

―――


ことり「むっかしー……むっかしー……うーらしーまはー……」


 私が暮らしていた海辺の地域では、多分一番有名な童謡。
 創作のようで、本当に存在した龍宮城で口ずさんでみると、不思議な気分になる。


ことり(御伽噺の最後ってどうなるんだっけ)

ことり(夢のような時間が過ぎて、陸に戻ったら……そう、残酷な現実が待っている)

ことり(宮殿で過ごしたよりずっと長い時間が陸では過ぎていて、周りは知らないものばかり)

ことり(絶望して、お土産に渡された時に絶対開けたら駄目って言われた玉手箱を開けたら、陸で過ぎた時間と同じくらい年を取っちゃう)

ことり(もし、私が陸に戻ったら、どのくらい時間は経ってるのかな)

ことり(あの人は帰ってきてる? それとももう死んじゃってる?)

ことり(……どうなっても、私は陸に帰って、海未ちゃんとお別れしないといけないことに変わりない)

ことり(御伽噺の結末が悲しい理由、今ならわかる気がする)

ことり(異なる世界に生きる人たちが交わっても幸せにはなれない……そんな教訓が込められてるんだ)

ことり(……まだ、大丈夫)

ことり(例え悲しい最後になっても、今ならまだ、悲劇を防げるはずだから)


412: ◆qpwZInm6fw 2016/03/27(日) 21:01:33.70 ID:U4+BbBrW0

海未「……ん」


 声に気付いて目を向ければ、ベッドの上で海未ちゃんが目を覚ましたところだった。
 少し離れた場所に立つ私は、体を起こす愛しい人の姿をじっと眺めている。


海未「ああ……おはようございます、ことり」


 寝ている間に私が着つけた寝間着の裾を引きずりながら、海未ちゃんは私の方へと近づいてきた。
 ごく自然な動作で私の頬に手を添えて、にっこりと微笑む。


海未「ことり、今日も沢山交わりましょう」


 海未ちゃん……。

 昨日までのようにそうできたら、本当は幸せなのかもしれない。
 だけど思い出してしまった。
 私が陸でどういった暮らしをしていたのか……どうして海に身を投げたのか……。


ことり「海未ちゃん、ごめんね」


 頬に添えられた手を、そっと引き剥がした。


ことり「昨日までと同じことはできないよ」

ことり「私、陸に帰らないといけないの。だからおしまいだよ、海未ちゃん」


413: ◆qpwZInm6fw 2016/03/27(日) 21:02:08.35 ID:U4+BbBrW0

海未「…………何を言ってるのですか?」

ことり「帰るんだよ。私、龍宮城にさよならして、陸に帰らないといけないの」

海未「……だって、ことりは私とここで、いつまでも二人で、」

ことり「できないよ。いつまでも続くはずがない。わかってるでしょ?」

海未「わかりません。何を言っているのか……ことり、どうしてですか?」

ことり「わかるはずだよ。海未ちゃんなら……私が好きになった乙姫さんなら」

海未「……私は……私もことりが好きです……」

ことり「うん。私も海未ちゃんが好きだよ」

海未「で、では一緒にここで結ばれましょう、交わりましょう」

ことり「できないんだよ。私は帰らないといけないから」

海未「……………………いけませんっ!」

海未「帰るなんて、私と別れるなんて、絶対に嫌ですっ!」

海未「どうしてそんなこと言うんですか!? 私のこと嫌いになったのですか!?」

海未「もっと愛しますから! ことりを満足させるため頑張りますから!」

海未「だからここに居ましょう! ずっと一緒に居てください! お願いですからっ!」


414: ◆qpwZInm6fw 2016/03/27(日) 21:03:02.29 ID:U4+BbBrW0

 懇願する海未ちゃんに、私は首を横に振り続けた。

 海未ちゃんがどんなに私への愛を叫んでも、涙して引き留めても、これ以上龍宮城に居続けることは出来ない。
 私には、陸で為すべきことがあるから。


海未「……どうして聞いてくれないのですかっ!」


 耳を貸す気のない私に焦れたみたいで、海未ちゃんは私に押し迫ると、背後の壁に叩きつけた。
 片手で肩を強く押さえながら、もう片方の手は昨日まで同様、私の服の中に滑り込んでくる。


ことり(……目を覚まして)


 一度目を閉じて、すぐに開く。
 息を吸ってから、右手を高く振り上げた。

 記憶が蘇る。
 過去に同じことをして、どういった悲劇を招いてしまったのか。


ことり(……無理やり過去を見せられなくても、もう思い出したんだからっ!)


 今度は止めなかった。
 一切の容赦を捨て、全力を掌に込めて、私は海未ちゃんの頬を叩いた。


415: ◆qpwZInm6fw 2016/03/27(日) 21:03:43.42 ID:U4+BbBrW0

 破裂音と共に、掌に大きな衝撃が走った。
 痛いけど、我慢する。
 叩かれた相手の方がもっとずっと痛いはずだから。


海未「……………………」

ことり「……思い出して。いつもの海未ちゃんを」

ことり「欲に負けない、自分に負けない、理性を保ったままで私を好きって言ってくれた……私が好きになった海未ちゃんのことを」

ことり「私もね、思い出したんだよ」

ことり「陸で暮らしていた頃の記憶、私、思い出したの」


 ポツリポツリと、言葉を零す。
 叩かれた海未ちゃんは手を頬に当て、俯いたまま微動だにしない。


ことり「私ね……大切な人と一緒に暮らしてたんだ」

ことり「ずっと二人、小さな頃から一緒だった幼馴染みと、力を合わせて頑張ってきたの」

ことり「龍宮城に比べれば、陸での生活はとても苦しかったけど、沢山の困難を二人で乗り越えてきた」

ことり「二人一緒なら何だって耐えられたし、幸せだった」

ことり「でもね、そんな些細な幸せは壊れちゃったの。……私が、壊したの」


416: ◆qpwZInm6fw 2016/03/27(日) 21:04:34.69 ID:U4+BbBrW0

ことり「本当につまらないことの積み重ね……でも陸での生活では、そんな小さな出来事が大切なものだった」

ことり「ちょっとした不運が続いて、色々と上手くいかなくなって、私は自棄になっちゃったの」

ことり「好き放題泣き喚いて、何も悪くないのにあの人を罵倒して、責め立てて……」

ことり「気付いたら、私は一人きり。大切な人は、どこかに行っちゃった」

ことり「だからね、私は待ってないといけないの」

ことり「私が全部悪いから……私のせいで居なくなっちゃった人がいつ帰ってきてもいいように、私は待つの」


 陸には海にまつわる言い伝えがある。

『海底の宮殿では 人間が訪れるのを 乙姫姉妹が待っている』

 陸に生きる人間の中には、言い伝えに縋って海に身を投げる人もいた。
 もしかしたら、去ってしまったあの人も海に潜ったのかもしれない……そう思った。
 翌日から、私は一人海を眺めながら、帰りを待つだけの日々を送ってきた。


ことり「でも……ずっと、帰ってこなかった」

ことり「一人で待つのに疲れて……何となく、海に潜れば見つかるかなって思って、海に入ったの」

ことり「勿論見つかるはずなくて、そのうち息が出来なくなって、意識を失って……気付いたら、私はここにいた」

ことり「海底の楽園、龍宮城に」


417: ◆qpwZInm6fw 2016/03/27(日) 21:05:24.70 ID:U4+BbBrW0

ことり「……海未ちゃんのことは、本当に好き」

ことり「幼馴染みは大切な人だった……誰よりも……だけど、好きになって、恋をしたのは海未ちゃんなの」

ことり「こんな話した後だけど、信じて欲しい……これだけは本心だから」

ことり「けどね、好きな人がいるからって、私はここに居続けることはできないよ」

ことり「もしかしたら陸ではあの人が帰ってきて、私を待ってるかもしれないから」

ことり「私の身勝手で突き放した人を放っておいて、一人で極楽を味わうなんてできない」

ことり「そんな軽薄な人間じゃ、海未ちゃんのこと愛してるなんて言えないでしょ?」

ことり「例え海未ちゃんが好きって言ってくれても、そんな私を私が許せない」

ことり「海未ちゃんみたいな素敵な人に恋して貰えたんだから、綺麗なままの人間でいたいの」

ことり「陸に戻らないと……例えあの人が帰ってきてなくても、この先ずっと帰ってこなくても、待っていないといけない」

ことり「人生を一緒に過ごしてきて、私の事をずっと支えてくれた、本当に大切な人なの」

ことり「そんな人の為に、待つことだけが、私ができるせめてもの償いだから」

ことり「……わかって、海未ちゃん」


418: ◆qpwZInm6fw 2016/03/27(日) 21:06:08.76 ID:U4+BbBrW0

 ぱたり

 何かが静かに落ちる音。

 見れば、海未ちゃんの足下に、雫が落ちていた。
 海未ちゃんの瞳から流れる、綺麗な雫が。


海未「……………………何を…………していたんでしょうね…………私…………」


 真っ赤に張らせた海未ちゃんの左頬に、涙が一筋二筋と流れる。
 悲しい光景なのに、とても美しい。


海未「私は……私を保ちながら、ことりを愛すると言っておきながら……こんな体たらくで……」

海未「今だって、衝撃的な話を聞かなければ、未だに狂ったままだったかもしれません……」

海未「一時の欲に負け、我を忘れ……ことりを苦しめて……」

ことり「苦しめてなんていないよ」

ことり「幸せだった。海未ちゃんに愛されて、抱かれて、喜びを共有できて、幸せだったよ」


 海未ちゃんの頬を流れる雫にキスをした。
 ギュっと抱きしめて、頭に手を添えたら、海未ちゃんも私を抱きしめてくれた。
 柔らかく、温かく……これまで通りの優しさで、私を包み込んでくれた。


419: ◆qpwZInm6fw 2016/03/27(日) 21:06:47.42 ID:U4+BbBrW0

海未「……お別れ……しなければ、ならないのですね」

ことり「……ごめんね」

ことり「私は何もできない……陸でも待つしか出来ないくらい無力だから、海未ちゃんにお願するしかないの」

ことり「私を、陸に帰してくれますか?」

海未「…………決まりでは、連絡役を除き、龍宮城と陸の往来は一人たりとも許されません」

海未「ですが、構いません。無法地帯となってしまった今の龍宮城に、掟も何もありません」

海未「ことりの身を守る為に……ことりが大切な人を待つことができるように……陸に帰します」

ことり「……ありがとう……ごめんね……」

海未「謝らないでいいんです。ことりは悪くありません」

ことり「うん…………でも、寂しい」

ことり「海未ちゃんと離れ離れになるの、寂しいよ……!」

海未「……私も……寂しいです……!」

ことり「ごめんね、海未ちゃん、ごめんね……!」

海未「私こそごめんなさい、ことり……ごめんなさい……!」


420: ◆qpwZInm6fw 2016/03/27(日) 21:07:23.09 ID:U4+BbBrW0

―――


 北の部屋に逃げ込んでから何日、あるいは何十日経ったのかな。
 この間、扉の向こうからは何一つ音沙汰が無かった。
 あれから龍宮城の騒動がどうなったのか、外の様子を知る手立ての無い私たちにはわかりようがない。


海未「……行きましょう」

ことり「うん……!」


 それでも陸に帰る為には北から出るしかない。
 何が待ち構えているのか、再び住人たちから逃げ続ける騒動に巻き込まれるのか、わからなくても。


海未「…………?」

ことり「……静か、だね?」

海未「はい……人影が無いどころか、物音一つしません」


 北の部屋を守る頑丈な鉄の扉を開くと、予想外にも、表は静寂に包まれていた。
 私たちを待ち構える見張り一人いない。
 拍子抜けしたけど、移動するには都合が良くて、私たちは急いで廊下を走った。


421: ◆qpwZInm6fw 2016/03/27(日) 21:08:08.64 ID:U4+BbBrW0

海未「このまま更に北に回って屋外に出ます」

ことり「正門は南だよね? 遠回りするの?」

海未「念のため、逃げ場が少ない宮殿内での移動は避けます。海に出て移動しましょう」

ことり「海に? 私息続くかな?」

海未「以前見せたように私が泡でことりを包みます。泡の中で移動して、堀の外をぐるりと巡って宮殿の入り口まで向かいます」


 海未ちゃんに続いて屋外に出て、外庭を走って塀まで向かった。
 南にある宮殿正面の豪華な門扉とは違って、裏口みたいな小さな扉が北側の塀には備えられていた。


海未「行きましょう。私から離れないようにしてください」

ことり「いつでもいいよ」


 以前、夜の海中散歩をした時のように、海未ちゃんが私たち二人を包み込む大きな泡を作り出した。
 泡に包まれた私たちは重力から解き放たれ、泡の中を浮かびながら海を泳ぐ。

 あの日交わした、また二人で散歩しようという約束が、こんな形で守られた……。


海未「本当なら、もっと落ち着いた時にこうしたかったです」

ことり「……うん」


 海中散歩は本当に素敵な時間だった。
 もしも希望が叶うなら、あの胸躍る感動を、時間を忘れて味わうことが出来たなら……。

 けれど、私たちの願いは、この先きっと叶う事はない。


422: ◆qpwZInm6fw 2016/03/27(日) 21:08:54.50 ID:U4+BbBrW0

 塀の外側に沿って海中を泳いでいる間も、近くに住人たちの姿は見当たらなかった。
 不気味なくらい何事も無いまま南の正面門扉に辿り着いて、敷地内に舞い戻った。


海未「こっちです。この先にことりを陸に帰してくれる者がいます」

ことり「海未ちゃんが帰してくれるんじゃないの?」

海未「陸との連絡役は決まっているんです。住人たちとは一線を画す存在ですから、ことりを襲ったりはしません、安心してください」


 宮殿の中には入らずに、門扉の近くに建っているちょっとした小屋に向かった。
 一応中の様子を確認してから、私たちは室内に身を滑らせる。


ことり「あっ!」

海未「陸の言い伝えにもあるのでしょう? 人間は助けた亀に連れられて龍宮城に訪れる、と」

ことり「本当に亀さんなんだ……!」


 龍宮城の住人をこれまで沢山見てきたけど、みんな人間みたいな恰好をしていた。
 だから、ここにきて初めて人間の姿以外の住人……一目で長寿だってわかる巨大な亀を目にするのは、新鮮な気分だった。


423: ◆qpwZInm6fw 2016/03/27(日) 21:09:28.70 ID:U4+BbBrW0

海未「彼の背に乗れば陸まですぐに向かうことができます。道中の心配をすることもありません」

海未「彼を連れて外に行きましょう。さあお仕事です、正門まで行きますよ」


 小ぢんまりとした部屋の真ん中に鎮座していた巨大亀は、海未ちゃんが指示をすると、なんと宙に浮かび上がった。
 驚いていると、私の身長以上もある大きさの亀さんが目の前をプカプカと浮かんだまま、外に出ていった。


ことり「あんなに大きな体が水の中じゃないのに浮いてる……」

海未「陸と海底を行き来する特別な役割を担っていますから、色々と異質なんです」

ことり「本当に海って不思議な世界なんだね」

海未「出来ることなら、もっともっとことりに紹介したかったのですが……」

ことり「……うん……」

海未「……すみません、感傷的になりました。いつ追手が来るかわかりません、急ぎましょう」


424: ◆qpwZInm6fw 2016/03/27(日) 21:10:12.52 ID:U4+BbBrW0

 私は海未ちゃんに手を引かれて、再び正面門扉に戻ってきた。
 繋いだ手を離して、亀の背中に乗れば、今生の別れになる……。


海未「……」

ことり「……」


 わかっているから、互いに手を離すのを躊躇った。
 離さない限り、私は陸に戻ることはできないのに。


凛「無理だよ」

ことり「!?」


 門扉の手前、海水の支配する領域を目前に躊躇していた私たちの背後から、北の部屋を出て初めて他人の声が響いた。
 私たちは手を繋いだまま背後を振り返った。


海未「凛!? ……希まで!」

希「恋した相手を手離すなんて、海未ちゃんには出来ひんよ」

凛「だって、乙姫だもん」

希「一度抱きしめた相手を手離せない……ウチらはそういう生き物やから」


425: ◆qpwZInm6fw 2016/03/27(日) 21:10:54.79 ID:U4+BbBrW0

ことり「二人とも無事だったんだね!」

凛「…………」

希「…………」

ことり「……? どうしたの? 二人が来てくれたなら、もう大丈夫ってことじゃないの?」

海未「待ってください、何かおかしいです」

海未「……二人とも、現状の龍宮城について教えてください」

希「教えてもええよ。何も変な事はしてへんし」

海未「いえ、私には十分異常に思えます」

希「どうして?」

海未「北に入る以前、あれ程執拗にことりを求めて躍起になっていた住人たちが、今は人影一つ見られません」

海未「いくら私たちが遠回りして人目を憚ったとは言え、流石に静か過ぎます」

海未「どういうことですか?」

凛「どうもしないよ。みんなは自分の部屋で静かにして貰ってるだけだもん」

海未「静かに……? 我を忘れ欲望に忠実となって動いていた住人全員が? どう収拾を付けたのですか?」

凛「簡単だよ。凛たちが本気で静かにしてって言えば、みんな静かにしてくれるもん」

凛「それが出来るのが龍宮城の主、凛たち乙姫三姉妹なんだから」


426: ◆qpwZInm6fw 2016/03/27(日) 21:11:36.07 ID:U4+BbBrW0

 北の部屋に逃げる際、私たちを助けてくれた凛ちゃんと希ちゃん。
 再会を喜びたかったけど……どこか、不穏な空気が流れている。
 一重に味方だって言えないような……それこそ、以前希ちゃん自身が言っていたように……。


希「海未ちゃん、ことりちゃんを陸に帰そうとしたね?」

海未「……ことりが陸上で暮らしていた記憶を取り戻しました。ことりには、陸に帰る理由があります」

希「だから帰すんやね……本当は帰したくなくても」

海未「ことりが望んでいます。仮に私が帰したくないと認めたところで、無理に引き留められる問題ではありません」

希「でも握ったまま離さないやん」

海未「え?」

希「手、だよ。ことりちゃんのこと掴んで離さない」

海未「……今、別れと同時に手離します」

希「出来たら凄いね。この先一生の別れになるのを知って尚、手離すことができたら」

希「……でも無理なんよ。海未ちゃんだって、もうわかっとるやろ?」


427: ◆qpwZInm6fw 2016/03/27(日) 21:12:14.66 ID:U4+BbBrW0

海未「…………」

ことり「……海未ちゃん?」


 私の手を握る海未ちゃんの手が締め付ける力を強くしていく。
 きり、きり、って、音が鳴るくらいに。
 握られる手の痛みが段々増して、辛くなってきた。


ことり「海未ちゃん、痛いよ……!」

海未「わかってます、今離します……!」

ことり「……海未ちゃんっ!」

海未「わかってますっ! わかっています、ちゃんと、離さないといけないって……!」


 痛みが生じるくらいの強さではなくなったけど、海未ちゃんは依然として私の手を握ったままだった。
 希ちゃんが言うように、本当に手離そうとしない。


ことり「……もしかして……できないの? 離せないの?」

海未「どうして……どうして……っ!」


428: ◆qpwZInm6fw 2016/03/27(日) 21:13:10.89 ID:U4+BbBrW0

凛「無理なんだよ、海未ちゃん、ことりちゃん」

海未「何故ですかっ!?」

希「別にウチらのせいじゃないよ。何度も言うとるやん? 乙姫はそういう生き物やって」

凛「いくらことりちゃんの為でも、海未ちゃんが乙姫である限り絶対に離せないもん」

希「だからこそ、ウチらはことりちゃんを海未ちゃんに預けたんやから」

ことり「私を預けた?」

希「住人みんながことりちゃんに襲いかかったやん? あの時の話」

希「ウチらは龍宮城の主やから、その気になれば住人たちを意のままに操れる。今みんなを静かにさせてるようにね」

希「とは言え強制的に操るようなことは出来るだけ避けたいし、一瞬でどうこうできる程簡単でもない」

希「せやからあの時は、ことりちゃんがみんなの手に渡って快楽漬けにされるのを防ぐ為に、海未ちゃんに託したん」

凛「海未ちゃんなら何があってもことりちゃんを守るはずだし、相手が海未ちゃんならことりちゃんは理性を保ったままでいられる」

凛「そう聞いて納得したから、凛も手伝ったんだよ」

希「でもね、決して二人の為に逃がしたわけやない」

希「あくまでも自分の為に、海未ちゃんに預けたんよ」


429: ◆qpwZInm6fw 2016/03/27(日) 21:13:57.32 ID:U4+BbBrW0

凛「凛たちもことりちゃんと結ばれたいもん。ちゃんとことりちゃんのままでいて貰わないと意味なかったの」

ことり「わからないよ……何を言ってるの?」

凛「ずっと言ってるでしょ? ことりちゃんのこと大好きだし、まだ諦めてないって」

凛「例え海未ちゃんと結ばれても、凛だってことりちゃんと大切なことしたいよ」

凛「けどみんなに捕まって好き放題交わって、ことりちゃんが快楽の虜になって、理性を失ったらつまらないじゃん」

凛「そんなの今まで見てきた人間と大差ないもん!」

希「簡単に言えば、ことりちゃんが理性を保ってるうちに交わりたい、ってことやね」

海未「その為にことりを私に……」

希「利用した、って思われても仕方ないけどね。と言うかそのまんま利用したわけやし」

凛「でも良かったでしょ? ことりちゃんがみんなに捕まる前に逃げられたもん」

希「海未ちゃんかて、北でことりちゃんと散々ええことしたんやない?」

海未「…………」

希「今の質問は上品や無かったかな? でも、間違いやないやろ?」

希「一人占めがズルイとは言わへん。ただ……ウチらは端で指咥えてるだけで終わるつもりはない、ってこと。わかってくれた?」


430: ◆qpwZInm6fw 2016/03/27(日) 21:14:46.44 ID:U4+BbBrW0

海未「……二人は私たちの味方ではないと言いながら、私たちを逃がしてくれた理由がわかりました」

凛「計算したみたいでズルイって思う?」

海未「窮地を救ってくれたのは事実です。責めるつもりはありませんし、感謝しています」

希「甘いよねーホンマに。怒ってもおかしくない場面だよ?」

ことり「私も二人には感謝してるよ。助けてくれて嬉しかった」

ことり「けど……二人と一緒にはなれないよ」

ことり「私は海未ちゃんのことが好きだし……陸に戻らないといけないの」

希「陸かあ……」

凛「ことりちゃんは陸には帰れないよ」

ことり「どうして? 二人が許してくれないから?」

希「そういうわけやないけどね。その大亀に乗れば、誰だって陸上に行ける」

希「ただし、大亀はウチら乙姫三姉妹の指示が無いと陸との移動は行わない」

ことり「じゃあ海未ちゃんが指示した今なら帰れるんじゃ……」

凛「ちゃんと言葉にした? ことりちゃん連れて陸に帰してあげてって」

ことり「……それは……」

希「ちゃんと指示せんと帰れへんし、海未ちゃんは……そんな指示できひん」

凛「ことりちゃんを手離したくないはずだもん。言えないよ、絶対に」


431: ◆qpwZInm6fw 2016/03/27(日) 21:15:22.59 ID:U4+BbBrW0

ことり「……」

海未「……わかって、います……」

海未「今、もう、すぐに……ことりを帰しますから……!」

希「無理だよ海未ちゃん。諦めよう?」

凛「乙姫ってそういう生き物だもん。諦めてことりちゃんと一緒に過ごそう? 凛たちだってことりちゃんのこと大切にするから」

希「今までの生活に戻って、ことりちゃんをみんなで幸せにしよ?」

海未「ことりの意向はどうなるのですか!?」

海未「海の生物と交わっていけば次第に行為の虜になることでしょう、抵抗する気も無くなるでしょう」

海未「しかしそれではことりの気持ちを度外視しているではありませんかっ!」

海未「ことりを独り占めしたいという思いがあることは否定しません……ですがそれを差し引いても! 無粋な提案過ぎます!」

希「ウチらかてわかって言ってるつもりだよ」

凛「でもそれ以上に良い案はないよ?」

海未「このままことりを陸に帰せば良いではないですかっ!」

希「だって、出来ないやん?」

凛「凛たちだって絶対に帰したくないのに、ことりちゃんの事を本気で好きになった海未ちゃんじゃ、余計に無理だよ」


432: ◆qpwZInm6fw 2016/03/27(日) 21:16:02.88 ID:U4+BbBrW0

海未「帰します……私はことりを、陸に帰すんです……!」

ことり「海未ちゃん……」

海未「…………どうしてっ!」

海未「私は決めたんです! ことりを帰すと!」

海未「私が私らしくある為に……ことりに誇れる私である為に……!」

海未「もう欲望になんて負けないと決めたんです! ことりを苦しめないと誓ったんです!」

海未「なのに何故……! どうしてことりを手離せないのですか……っ!」


 海未ちゃんは苦しそうだった。
 歯を食いしばり、我欲に耐えて……私の為に一生懸命になって。

 けれどどんなに待っても、私の手は離されなかった。
 まるで別人のものをみるような目で、海未ちゃんは私を掴む自分の手を凝視していた。


海未「……………………ごめんなさい…………ことり……」

海未「あなたの為に、陸に帰してあげたいのに……」

海未「本心からそうしたいと思っています…………けれど……乙姫である私は……!」


 葛藤する姿が痛々しい。
 そしてそれ以上に……愛おしかった。


433: ◆qpwZInm6fw 2016/03/27(日) 21:16:45.39 ID:U4+BbBrW0

ことり「わかってるよ、海未ちゃん」


 空いている方の手で、海未ちゃんの目元に溢れている涙を拭き取ってあげた。
 私の目にも同じように、溢れそうなくらいの涙が溜まっているのがわかる。


ことり「海未ちゃんの気持ちはわかるよ。だから泣かないで」

海未「……私……っ!」

ことり「嬉しいの。心から私のことを思ってくれて。こんなに頑張ってくれて」

ことり「乙姫じゃない私には、海未ちゃんがどれだけ苦しんでいるのかわからない」

ことり「私の為に我慢して別れを決意してくれたのに、それでも思い通りにいかない悔しさは、わかってあげられない」

ことり「だから……もし無理なら、それでいいよ」

ことり「私は受け入れるから。龍宮城で生きること、受け入れるよ」

海未「な……!? いけません! ことりは陸に帰るんです!」

海未「あなたを待っている人がいるのでしょう!? ことりは待っていなければならないのでしょう!?」

ことり「そうだよ。私は何があっても待っていないといけないの」

ことり「でもね……私を引き留めるのが海未ちゃんなら、諦められる」

ことり「自分から相手を突き放して、なのに自分一人だけ幸せを手に入れて……そんな汚い私を、私は受け入れるよ」


434: ◆qpwZInm6fw 2016/03/27(日) 21:17:32.08 ID:U4+BbBrW0

ことり「龍宮城に居ても、幸せは長く続かないよね」

ことり「海未ちゃんとだけ一緒になりたくても、またみんなに追われ続ける」

ことり「捕まったら、私は全部を奪われて、私じゃなくなっちゃう」

ことり「みんなに捕まらなくても、海未ちゃんに生気を分け続けるだけで、そのうち私は死んじゃう」

ことり「どの道は終わりは見えてるから、残りの短い時間を幸せに過ごすよ」

ことり「陸に帰らないで、龍宮城に残って、近い未来に私の存在が消え去って……それだけ」

ことり「陸で待っていてもあの人は帰ってこなかった……そう言い聞かせて納得するだけ……」

ことり「大丈夫。私には出来るよ。全部、受け入れられるから」

ことり「海未ちゃんの為なら……海未ちゃんに引き留められた結果なら、それでいいの」

海未「いけませんことり、そんなの、」

ことり「恋した人が決めたことなら何だって受け入れてみせる!」

海未「…………」

ことり「……私、それくらいの思いで海未ちゃんを愛してるつもりだよ」

ことり「だからね……いいんだよ、海未ちゃん」


435: ◆qpwZInm6fw 2016/03/27(日) 21:18:36.70 ID:U4+BbBrW0

 後悔は残るに違いなかった。
 この先自分にどう言い聞かせても、幼馴染みを裏切った私を許せないまま、海底の楽園で最期を迎える。

 けれども、このまま陸に戻ったところで、どの道後悔はする。
 心から恋した人との別れを選択した過去の私を、長く続く陸での人生で何度悔やむだろう。

 どっちにしろ後悔するのなら、恋した人に引き留められただけ、私は幸せ。
 私が私を許せなくたって、そんな私を求めてくれたヒトがいたんだから。


ことり「こんな私を好きになってくれてありがとう。求めてくれて、ありがとう」

海未「ことり……!」

ことり「龍宮城に残って、あの人を裏切って、一人だけ幸せを手に入れた自分のことを嫌いになって……」

ことり「そんなの、大好きな人から愛されたのに比べれば、小さなこと」

ことり「私が私を嫌いになった分、海未ちゃんは私のこと、好きって言ってね?」

ことり「海未ちゃんに好きでいて貰える限り、どんなことでも受け入れてみせる」

ことり「だから……もういいよ」

ことり「私はずっと、海未ちゃんの側にいるから」


436: ◆qpwZInm6fw 2016/03/27(日) 21:19:37.34 ID:U4+BbBrW0

海未「…………」

ことり「…………」

海未「………………ははっ」

海未「は……はははっ…………ははははっ……」

ことり「大丈夫だよ。もう、自分を責めないでいいんだよ」

海未「…………そっ、か……」

海未「……そう……でしたか…………」

ことり「そうだよ。私はずっと一緒だよ」

ことり「この先海未ちゃんが自分を許せなくても、私も同じだから」

ことり「自分を許せない者同士、最期まで一緒に居ようね」

海未「……簡単なことでした」

海未「こんな簡単なこと……私はずっと悩んで……」

ことり「もう一人で悩むのはおしまい」

ことり「これからは、悩んだり、苦しんだり、後悔したりしても、私も一緒だよ」


437: ◆qpwZInm6fw 2016/03/27(日) 21:20:44.52 ID:U4+BbBrW0

 力無く握られていた私の手が、少しずつ締め付けられていく。
 海未ちゃんの手に篭る力が強まる程、繋がっている実感が大きくなっていく。


ことり(この先、私は永遠に、この手から離されなくてもいい)

ことり(選ばれたことを誇りに、短い未来を生きていこう)

ことり(私が恋した……私に恋してくれた、海未ちゃんと一緒に)


 私を捕えて離さないヒトに、出来る限りの慈しみを込めて微笑んで見せた。
 彼女もまた、小さく微笑みを返してくれた。


海未「…………乙姫は、抱きしめた相手を手離せない生き物」

海未「恋をしたから、愛したから、手離したくないという思いを抑えきれない……」

ことり「それでいいんだよ」

ことり「私はそんな海未ちゃんのことを好きになったんだから」


438: ◆qpwZInm6fw 2016/03/27(日) 21:22:02.20 ID:U4+BbBrW0

海未「……本当ですか?」

ことり「え?」

海未「違うはずです。ことり、そうではありません」

ことり「え……? なんで……?」

海未「ことりは、私を好きだと言ってくれました。こんな私のことを、ことりは好きになってくれた」

ことり「そうだよ、私は海未ちゃんを、」

海未「ええ。私だから、好きになって貰えた」

海未「私が乙姫だからではなく、海未という名の私を好きになってくれたはずです」

ことり「……海未ちゃん……?」

海未「あなたに恋して貰えた私で居られるのなら、他のことはどうでもいい」

海未「私の存在も、私の本心も、どうでもいいんです」

海未「……だから……私は……」


 ふっ、と。
 私の手を捕えていた力が消えた。
 支えを失った私の手は、ゆらりと垂れ下がる。


ことり「あ……」

海未「私はもう、乙姫でなくていい」

海未「ただの海に生きる者として……恋したあなたを手離しましょう」


439: ◆qpwZInm6fw 2016/03/27(日) 21:23:13.29 ID:U4+BbBrW0

 自由を取り戻した手を掲げた。
 誰とも繋がっていない、孤独な私の手……。


凛「そんな……!」

希「嘘……!」


 二人の乙姫が信じられないものを目にしたという顔をして、言葉を失っている。
 驚いているのは、私も同じ。
 気持ちでどうこうできるものじゃない、そういう生き物なんだって、乙姫から離れられない運命を受け入れたのに。


ことり「どう、して……」

海未「行ってください。亀の背に乗ってください」

ことり「うみちゃ、」

海未「早くっ!!!」

ことり「…………」

海未「もう一度捕まえないうちに……次は、もう……!」

海未「お願いします、どうか、ことり……!」


 今の私に、何も言い返せる言葉はない。
 指示に従うまま、機械的に体を動かして、私は大亀の背に跨った。


440: ◆qpwZInm6fw 2016/03/27(日) 21:23:55.45 ID:U4+BbBrW0

ことり「……海未ちゃん……どうして……!」

海未「……これでいいのです」

ことり「だって、乙姫なのに」

海未「さあ……何故なのでしょうね?」

海未「意思や決意など関係ない、手離せないのが乙姫という存在であるはずなのに」

海未「私の内にある乙姫の心は、今もずっと、抱きしめた恋人を離したくないと叫んでいるのに」

ことり「じゃあなんで……!」

海未「……どうでもいいんですよ、そんなこと」

海未「ことりは言ってくれました。恋した私の為なら、どんな自分だって受け入れてみせる、と」

海未「……私だって同じですよ」

海未「恋したことりの為なら、何だって受け入れてみせます」

海未「私の行動が乙姫でないというのならそれでいい。本心では別れを惜しんでいようが構わない」

海未「あなたの為なら、他はどうでもいいのです」

ことり「海未ちゃん……!」

海未「さあ、行ってください。帰る時です。ことりが生きるべき世界に」


441: ◆qpwZInm6fw 2016/03/27(日) 21:24:45.49 ID:U4+BbBrW0

 海未ちゃんの指示と共に、私を乗せた大亀がふわりと浮いた。
 龍宮城の敷地から、正面の門扉を潜って、海の領域へと進んでいく。


海未「お別れです。どうかお元気で」

ことり「そんな……本当に……!?」

海未「悲しまないで。泣かないで。これが正しい選択のはずです。そうでしょう?」

海未「ことりに愛して貰えた私らしく、最後まで立派な私でいさせてください」

ことり「…………」


 大亀と私は高くまで浮かび上がり、その分龍宮城から離れてゆく。
 敷地外に出た私を追って、凛ちゃんと希ちゃんが門扉の前まで駆け寄ってきた。


凛「嘘だよ、待って、ことりちゃん!」

希「ありえへん、こんな……!」


 乙姫さんたちの姿が小さくなっていく。
 凛ちゃんも、希ちゃんも、旅立つ私を見上げて泣いていた。
 私の為に、泣いてくれていた。


442: ◆qpwZInm6fw 2016/03/27(日) 21:25:56.15 ID:U4+BbBrW0

凛「海未ちゃん、どうして、出来るはずないよ……!」

海未「ええ、私自身信じられません」

希「理屈でどうこうできるはずないのに……!」

海未「希も言ったではありませんか。恋だって、理屈じゃないんですよ」

希「だって……そんな……」

凛「ああ、ことりちゃん、行っちゃう……」

希「ことりちゃん……!」

ことり「凛ちゃん……! 希ちゃん……!」

凛「ことりちゃんっ!」

ことり「ありがとう。凛ちゃんと沢山遊べて本当に楽しかった。もっと遊びたかったよ」

希「ことりちゃん!」

ことり「ありがとう。希ちゃんの側にいると凄く安心できた。ずっと一緒にいたかったよ」


 龍宮城に来て以来、私をお世話してくれた乙姫さん。
 これまで出会ったどんな人たちよりも素敵だった。


ことり「ありがとう、二人とも。ありがとう……さようなら……」


 万感の思いを込めて、ありきたりな台詞を送った。
 これ以上に、私の気持ちを伝える言葉を知らないから。


443: ◆qpwZInm6fw 2016/03/27(日) 21:26:30.17 ID:U4+BbBrW0

ことり「…………」

海未「…………」


 海未ちゃん……。

 あなたと一生を過ごす未来を一度は考えた。
 けれど、何よりも幸せなはずの選択を手離してまで、この先私たちは別々の道を生きる。

 為すべきことの為に。
 私たちが私たちでいる為に。
 恋した人に愛して貰えた自分たちであり続ける為に。


海未「大好きです、ことり」

ことり「大好きだよ、海未ちゃん」


 海未ちゃんが遠くなる。
 手を伸ばしても、もう、届かない。


海未「さようなら……」

ことり「さよなら……」


 やがて声も聞こえなくなる。
 私は離れ、海未ちゃんは残り、二人の世界が完全に隔たれた。


444: ◆qpwZInm6fw 2016/03/27(日) 21:27:02.93 ID:U4+BbBrW0

 海中を浮かび上がって、広大な龍宮城の全域を俯瞰できるくらいの高さにまできた。
 門扉の前に立つ三人の人影は、もうはっきりと映らない。


ことり(海底の楽園……幸せな時間を過ごした宮殿……大切な人たち……恋した人……)

ことり(私は絶対に忘れません。これからの長い人生、一生覚えています)


 龍宮城の陰影が海に溶けていく。
 暗闇に消え去った海底の宮殿の代わりに、上から光が差し込んで、私を包み込んだ。


445: ◆qpwZInm6fw 2016/03/27(日) 21:27:41.53 ID:U4+BbBrW0


―――
―――――


ことり「…………」


 海を見ていた。

 一人、浜辺に立って、時折足元を掬う波を感じながら。
 海の底から見上げるんじゃない、陸の上から、遠い水平線を見つめていた。


ことり(……帰って、きたんだ)

ことり(元の世界、私の世界に、帰ってきた)


 空には太陽や雲が昇り、風が肌を撫でる。
 海の香りも、潮騒も、全部見知ったものばかり。

 龍宮城という夢から覚めて、陸という現実に帰ってきた。


446: ◆qpwZInm6fw 2016/03/27(日) 21:28:16.71 ID:U4+BbBrW0

ことり(御伽噺のように、私も帰ってくることができた……)

ことり(あ、お土産の玉手箱貰ってない)

ことり(……まあ、いっか)

ことり(大切なものなら、もう沢山、貰ったから)


 苦笑を一つ零してから、背後を振り返る。
 海辺に居並ぶのは、海に潜る前と大差ないように思える建物が並ぶ風景。
 あの中の一つが私の……私とあの人の家だった。


ことり(帰ってきてるのかな……まだ帰ってきてないのかな……それとも……)

ことり(……帰ろう)

ことり(家に帰って……ずっとそうしてきたように、帰りを待っていよう)

ことり(海に潜ってから時間がどれくらい過ぎていて、あの人がまだ生きているのかわからないけど)

ことり(私はずっと、いつまでも、待っていよう)

ことり(待つ為に、私は帰ってきたんだから)


447: ◆qpwZInm6fw 2016/03/27(日) 21:28:53.36 ID:U4+BbBrW0

 家へと帰る前に、最後にもう一度、海へと目を向けた。
 海のずっと奥深く、陸からは決して目に映ることのない場所に、確かに存在する宮殿を思い浮かべて。


ことり(海未ちゃん……)


 愛していた。

 生まれてからずっと寄り添っていた人が居ても。
 一生をかけて待ち続ける別の誰かが居ても。

 私はあなたを愛していた。


ことり「…………ああっ……!」


 海を眺めてあなたを思うと、嗚咽が漏れ、頬を涙が伝う。
 悲しみや後悔は無い、ただただ涙が流れる。

 あなたの記憶と共に、私はこの先、一人で生きていこう。
 帰ってくるかわからない相手を待つだけの孤独な日々も、あなたを思えば辛くはない。
 それだけのものを与えてくれた。


ことり(ありがとう……さようなら)

ことり(さようなら、海未ちゃん…………さようなら、私が恋した乙姫さん…………)


 涙を拭いて、海に背を向ける。
 帰ろう、私の家に。


448: ◆qpwZInm6fw 2016/03/27(日) 21:29:26.84 ID:U4+BbBrW0

―――――
―――



 各所の最終確認は私自ら済ませた。
 各担当からの報告にも問題は見つからなかった。


海未「……では、始めましょう」


 私の指示を合図に、宮殿の住人たちが一斉に動き出す。
 皆が大宴会場に集い、この地に訪れた人間をもてなすための宴が開かれる。


海未(何事も無く今夜の祭典を迎えられそうですね)

海未(問題無い。何も問題はありません)


 慣れ親しんだ決まりに準じ、住人たちが来客をもてなし始める。
 龍宮城では今宵もまた、海底の楽園に相応しい喜びに満ちた時が流れ出した。


449: ◆qpwZInm6fw 2016/03/27(日) 21:30:03.68 ID:U4+BbBrW0

 およそ百年前……。

 龍宮城では、私たち乙姫を含む全住人を巻き込んだ騒乱が起きた。
 たった一人の人間を巡り、誰しもが熱を上げ、掟も慣習も無い無法地帯と化した。

 最終的に彼女はこの地から去り、楽園らしからぬ悲しみを残して、騒乱は沈静化した。
 以降、龍宮城は百年続く平穏を取り戻し、今日まで変わらぬ日々を維持している。


希「海未ちゃんお疲れさま」

凛「ちゃんとお客様をおもてなしできたにゃ!」


 私と同じく乙姫である凛と希が労いにきてくれた。
 全面的な指揮役は私が担うものの、龍宮城の主たる二人もまた、各所で頑張ってくれている。


海未「ありがとうございます。二人もお疲れさまでした、凛、希」


 軽く笑いかけ、賑わいを見せる宴会場から私は早々に立ち去った。

 背後からは、二人の乙姫が去りゆく私を心配そうに見ていることでしょう。
 知っていながら、宮殿の極楽から距離を取る為、歩みを止めはしない。

 あの日々を経てから、私は享楽というものの全てから身を退くようになっていた。


450: ◆qpwZInm6fw 2016/03/27(日) 21:30:47.75 ID:U4+BbBrW0

―――


海未「…………」


 敷地内の南端にあたる正面門扉に立ち、目前に広がる海の領域を見上げる。
 遥か彼方まで広がる海の世界に果てはなく、いくら目を細めても、海が開けた先は見えはしない。


海未(どれだけ見ようとも、海が広がっているだけだと言うのに……)


 元より龍宮城の実質的な代表者として一切を取り仕切っていた私は、より精力的に宮殿の管理を行うようになった。
 常に職務に追われ、余計な思考を挟む隙が生じないよう。

 意識的に娯楽から距離を取る私を、凛や希は心配してくれた。
 あれ以来、一度として人間から生気を頂くことの無い私が近頃衰弱してきている点も、余計に不安を煽っているのだろう。

 けれど、慰めの言葉はかけて欲しくない。
 慰めの最後には、必ず、彼女の名を出されてしまうことがわかっているから。


海未(また今日も無駄なことを考えて……)

海未(……宮殿に戻りましょう)

海未(来客の受け入れが済み、何事も無い日常に戻っても、やることは沢山あるのですから)


451: ◆qpwZInm6fw 2016/03/27(日) 21:31:23.05 ID:U4+BbBrW0

 玄関から宮殿内に戻り、明日以降の予定を復習していた。
 問題点を幾つか上げ、対策を練っていると、遅れて玄関から入ってきた使いの者が私を呼び止めた。


海未「どうしました?」

「このようなものが届きましたけど」

海未「? 箱? 届いた?」


 忙しそうにしていた使いは箱を渡すだけ渡して足早に去ってしまった。
 押し付けられた形の私は呆気にとられつつも、実に珍しい、龍宮城への届け物をまじまじと見つめる。


海未(ここは海の底に存在する宮殿……外界とは接点の無い場所のはずなのに……)

海未(今現在この地に居る者以外に、龍宮城を知っている誰かがいるのでしょうか?)


 箱を観察していると、宛て名が書かれているのを見つけた。
 名指しされていたのは……私、だった。


452: ◆qpwZInm6fw 2016/03/27(日) 21:32:02.39 ID:U4+BbBrW0

海未「……」


 一瞬。

 本当に一瞬だけ、とある人物を思い浮かべてしまった。
 しかし、即座に想像を捨て去るべく大きく首を振り、自発的に思い出してしまったことを悔やんだ。


海未(何年前の話だと思っているのです……!)

海未(私たちとは寿命が違うんですから……もう既に……)

海未(……開けてしまえばいいんですよ。正体がわかれば、余計な考えをしなくて済みます)


 何も期待はしていなかった。
 そのようなもの、とうに捨て去っていたから。


海未「……これは……」


 箱を開け、中から取り出したものは、折り畳まれた着物だった。
 艶めく青地の美しさに目を奪われた私は、しばらくの間無言で眺め続けていた。


453: ◆qpwZInm6fw 2016/03/27(日) 21:32:46.89 ID:U4+BbBrW0

海未(綺麗……)

海未(素敵な、青みがかった……藍色? 空の色? ……いえ……この色は……海?)

海未(龍宮城では扱わない生地に思えますが……)

海未(…………)

海未(……ま……さ、か……)


 不意の予感に襲われ、着物を落としそうになる。
 慌てて着物を掴み、自制心を取り戻し、動揺しかけた自身に対し声を上げて叱咤する。


海未「馬鹿な……馬鹿な馬鹿なっ!」

海未「何を今になって……ありえませんっ!」


 悲鳴のような声が宮殿内に反響する。
 私は大きな呼吸を繰り返して、冷静を保つよう必死に努めた。


454: ◆qpwZInm6fw 2016/03/27(日) 21:33:30.64 ID:U4+BbBrW0

海未(違います……そんな……現実的ではないでしょう。馬鹿な考えは止すのです)

海未(……ずっと、抑えてきたじゃないですか)

海未(耐えられるようになるまで、意識しないよう、思い出さぬよう、徹底してきたんですから……!)


 頭に血が上り、頬が熱くなり、しまいには泣きそうにまでなる。
 弱い私が嫌だった。


海未(……冷静に考えるのです)

海未(冷静に分析して、疑いようのない答えが出れば……当然の帰結として認めましょう)

海未(ですがまだ何一つ断言できる段階にはありません!)

海未(勝手に願望と結びつけるなど…………願望? 願望ですって? まだ未練があるというのですか!?)

海未(……何を、馬鹿な事を……)

海未(血迷ってはいけない……今更、私は何を……)


 着物を取る手が震える。
 震えの正体は何なのか……考えたくもない。


455: ◆qpwZInm6fw 2016/03/27(日) 21:34:03.47 ID:U4+BbBrW0

 するり、と。
 着物の間から、一枚の紙が落ちた。
 反射的に、私は屈んで紙を拾い上げる。

 紙には短い一文が書かれていた。


『恋したあなたの名の色に染まっていますように』


海未「…………………………………………」


 言葉が、出ない。
 疑う余地が無かった。

 百年間封じ込めていた彼女の姿が記憶の濁流となって、私の内に溢れ返った。


456: ◆qpwZInm6fw 2016/03/27(日) 21:34:30.68 ID:U4+BbBrW0

海未「嘘です」


 声が抑えられなかった。
 勝手に口が震え、思いの丈が声の形で私自身の耳を打った。


海未「嘘です、そんな……なんで……」

海未「今になって、どうしてこんな……」


 かつて共に過ごした日々の一幕が次々浮かび上がる。
 抑えていた分、一度溢れ出した思い出の数々は、余計に鮮明な姿で蘇った。


海未「だって……百年も経つのに……!」

海未「陸の世界はここよりも時の流れが早いのですから、尚更どうして……!」

海未「何故、思い出させるのですか……!」

海未「せっかく、耐えられるよう、なってきたのに……! 抑えられそうだったのに……!」

海未「あなたのこと……私はっ……!」


457: ◆qpwZInm6fw 2016/03/27(日) 21:35:06.66 ID:U4+BbBrW0

 信じられない。
 有り得ない。
 理解がまるで及ばず混乱する。

 けれど、一文が示しているのは、他でもない……。


海未「……………………ぁぁぁっ……」


 膝から崩れ落ちた。
 縋るように着物を抱き締め、涙で視界が霞む。

 認めたくなかった。
 それでも認めざるを得なかった。

 だって、あなたの名残に触れただけで……私はこんなにも切ない。


海未「…………百年……経っても…………忘れられない…………」

海未「私は今でもあなたに……恋しています……!」

海未「手離したくなかった……手離さなければ良かった……そう思わずいられない……」

海未「どんなに汚くても、歪でも、あなたと一緒に生きたかった……」

海未「……ぁぁぁ…………ぁぁぁぁぁ…………っ!」


 涙しながら、脇目も振らず叫んだ。
 呼びたくても、呼べば悲しみを生むだけだからと、ずっと呼ばずにいた人の名を。


海未「……ことりぃっ!!!」


458: ◆qpwZInm6fw 2016/03/27(日) 21:35:54.71 ID:U4+BbBrW0

海未「ことり……ことりっ……ぁぁぁぁぁっ…………ぁぁぁっ…………ことり…………っ!」

海未「何故あなたはこの地に招かれてしまったのですか……!」

海未「あなたと出会ってしまったから、好きになってしまったから、こんなに……どうして……!」

海未「どうしてあなたは私の前に現れてしまったのですかっ!」

海未「ぁぁぁ……ことり…………ぅぁぁぁっ……!」

海未「………………こんなことなら……出合わなければ良かった……」

海未「あなたとの別れがこんなに切なく、百年経っても心の傷が癒えず、欠片ほども恋心が損なわれないなんて……」

海未「どんなに求めようとも、二度と会うことはない……恋した人……」

海未「…………忘れられません」

海未「もう、わかってしまいました……私はこの先、何があっても、絶対にあなたを忘れないでしょう」

海未「忘れられないから……永遠にあなたを思いながら、孤独と共に生きます」

海未「あなたからの贈り物を心の支えに………………………………っ……ぅぁぁぁぁぁぁ…………ぁぁぁぁ…………」

海未「ぁぁぁぁぁぁぁ…………」


459: ◆qpwZInm6fw 2016/03/27(日) 21:36:42.74 ID:U4+BbBrW0

 胸に着物を抱いたまま、地べたに座り込み、私は泣いた。
 声を上げ、涙を流し、恋した人の名を何度も何度も呼びながら。

 ことりがこの地にいた時、このようなことを言っていた。
 人間と乙姫、異なる世界に生きる者同士が交わろうとも、最後には悲しみしか残らないと。
 おそらくその通りなのだろう。
 根拠があろうがなかろうが、真実か虚言かも関係なく、私にとっては正しいのだから。


海未「……………………忘れません…………ことり…………」

海未「あなたを、絶対に、忘れない…………」


 この先、誰かに恋することは二度とない。
 ことり以上に愛する人と出会えるなんてことは起こりえない。
 私にとって、ことりは、運命だった。


460: ◆qpwZInm6fw 2016/03/27(日) 21:38:17.29 ID:U4+BbBrW0

 私とことりの物語はここが終着点なのだろう。
 百年前ではなく、ことりへの思いを再確認したこの瞬間が。

 あなたと別れ、長い時間が過ぎ、最後に残ったのが悲しみでも、それでいい。
 共に生きた時間は確かに幸せだった。


海未(あなたを心から愛しています……)

海未(あなたが居なくなっても、いつまでも、愛しています……)

海未「ぁぁぁ…………ことり……………………ぁぁぁぁぁ……っ…………」


 あなたを思って私は泣いた。
 あなたとの思い出を胸に抱き、私は泣いた。

 さようなら、ことり。
 さようなら、私が愛した人。


461: ◆qpwZInm6fw 2016/03/27(日) 21:43:40.56 ID:U4+BbBrW0

 
 
凛「本当にそれでいいの?」



希「悲しいまま終わってもいいの?」
 
 


462: ◆qpwZInm6fw 2016/03/27(日) 21:44:20.93 ID:U4+BbBrW0

海未「………………………………り、ん…………の、ぞ、み…………」


 泣き叫ぶ私の前に、二人の乙姫がいた。

 悲しそうな顔をして私を見ている。
 どうして悲しそうにしているのだろう。


凛「こんなに悲しい終わり方、受け入れちゃうの?」

希「どんなに我慢しても忘れられないのに、まだ耐えるん?」

海未「………………もう……終わったことなんです……」

海未「どんなに願っても、私の望みは叶わない……」

海未「ですから、もう、いいんです……」

凛「凛はやだよ!」

凛「海未ちゃんが悲しいの、嫌だよ……!」

海未「……凛……泣いてるのですか?」

凛「海未ちゃんの方がボロボロ泣いてるくせにっ!」

海未「……そう、ですね……」


463: ◆qpwZInm6fw 2016/03/27(日) 21:44:53.24 ID:U4+BbBrW0

希「普段しっかりしてる海未ちゃんがこんなになって泣いて悲しんでるのに、それでいいで済ませたら駄目だよ」

希「そんなんしたら、ウチも悲しくて泣いてまうよ」

海未「希……」

海未「ですが…………どう足掻こうとも、どうしようもありません……」

凛「でもでもっ! 諦められるわけないよ!」

希「諦められるはずない。だって……恋、したんやろ?」

希「乙姫は恋した相手を離せない。何があろうとも」

希「ウチらだって、どんな手を使ってでも手離さなかったんや」

海未「……二人はこれまで多くの人間と結ばれてきたではありませんか」

海未「結ばれた人間は、他の者の手に渡ってしまったではありませんか」

海未「どうして耐えられたのですか……私には、理解できません……」


464: ◆qpwZInm6fw 2016/03/27(日) 21:45:53.48 ID:U4+BbBrW0

凛「恋じゃないもん」

海未「……恋じゃない?」

希「ウチらは沢山の人間から生気を貰ってきた。けど、全てを許して交わったことは一度も無いよ」

凛「手を繋いだり、肌の一部を触れ合うくらいのやり取りを沢山繰り返してずっと生き延びてきたんだもん」

希「他の住人たちにとって人間はあくまでも食べ物やから、一度交わった相手が誰かに渡っても何も気にすることはない」

凛「けど凛たち乙姫が本気で恋して結ばれたら、手離せるはずないよ」

希「せやから今まで人間を食べてきた中で、恋した相手はおらへん」

凛「恋はね、一回だけしかしたことないよ」

希「ウチも、凛ちゃんも、一度だけね」

海未「一度、だけ……」

凛「ここは恋する宮殿だけど、簡単にはできなかった。恋ってそんな簡単じゃないんだね」

希「長年恋が出来なかったウチらだけど、ある時、恋する相手が現れた」

凛「だけど、やっぱり恋って簡単じゃなかった。上手くいかなかったんだよね」

希「上手くいかなくても、どうしても手離せなくて……手離さないことを選んだ」

凛「だって、恋だもん」

希「恋する宮殿で、恋をする以上に大切なことは無いんやから」


465: ◆qpwZInm6fw 2016/03/27(日) 21:46:46.19 ID:U4+BbBrW0

凛「……ね、海未ちゃん。凛たちがさっきから恋する宮殿って言っても、ピンときてないよね?」

海未「だって、ここは龍宮城ですから……恋する宮殿が何のことだか……」

希「それっていつから?」

海未「それとは?」

希「龍宮城……その名前で呼ばれるようになったのはいつからなん?」

海未「いつからだなんて……生まれてからずっと龍宮城と呼んでいましたし、ざっと思い出せる二百年で変わったことなど無かったはずです」

凛「どうして二百年前は思い出せないの?」

海未「どうしてと言われましても……」

希「乙姫は長寿やから、何百年もそれ以上も生きられるし、ウチらは生きてきてる」

凛「凛たちは二百年以上前のこともちゃんと思い出せるよ。でも、海未ちゃんはできないよね」

海未「……思い出せない……何故……?」

希「ここを龍宮城って呼ぶようになったのはね、二百年前からなん」

凛「宮殿の本当の名前はね、恋する宮殿って書いて、恋宮殿《ラブキュウデン》っていうんだよ」

海未「…………知りません、そんなの」

希「当然だよ。二百年前に恋宮殿にやってきた人間が、ここを龍宮城って呼んでるのを気にいって、呼び方を変えたんやから」

凛「龍宮城って名前はね、二百年前にここにやってきた……海未ちゃんから聞いたんだよ」


466: ◆qpwZInm6fw 2016/03/27(日) 21:47:24.40 ID:U4+BbBrW0

海未「……………………」

凛「聞いても思い出せないよね」

希「自分じゃ絶対に思い出せへんからね」

海未「……何を言っているのですか?」

凛「海未ちゃんはね、人間だったんだよ」

希「人間だった海未ちゃんがここにやってきて、ウチらは恋をしてもうたん」

凛「でも、海未ちゃんには他に好きな人がいたの」

希「全てを捨てて恋宮殿に来たはずなのに、海未ちゃんは恋してた相手を忘れられへんかった」

凛「海未ちゃんは凛たちの愛情を受け入れてくれなかった……それでも、凛たちは諦められなかった」

希「ウチらは善人やない……恋したものを手離せない乙姫やから」

凛「だから、海未ちゃんを手離さないよう、恋宮殿から離れられないよう、乙姫にしたんだよ」

希「同じ乙姫同士になって、誰よりも近しい存在になるために」

海未「…………有り得ません…………そのようなこと…………」

凛「本当だよ。元々乙姫は二人だけだもん」

希「海未ちゃんはね、ウチらの欲が生み出した、作り物の乙姫なん」


467: ◆qpwZInm6fw 2016/03/27(日) 21:48:00.74 ID:U4+BbBrW0

海未「……作られた……乙姫……私が?」

凛「陸でさ、龍宮城についてずーっと昔から言い伝えられてる言葉、知ってる?」

海未「……当然です。それが何か」

凛「『海底の宮殿では 人間が訪れるのを 乙姫姉妹が待っている』」

凛「これさ、乙姫は三人いるはずなのに、何で『乙姫三姉妹』じゃなくて『乙姫姉妹』なの?」

海未「理由など……ただの結果では、」

希「ちゃう。ウチらは自分たちの事を言う時、常に乙姫三姉妹って言っとった」

希「けどそれも海未ちゃんが乙姫になって、三姉妹になってからのこと」

希「言い伝えの文言が『乙姫姉妹』なんは、元々恋宮殿で人間を待つ乙姫が、ウチと凛ちゃんの二人姉妹やったからだよ」

海未「そんなまさか…………」

凛「他にもね、いっぱいあるんだよ」

凛「海未ちゃんが生まれつきの乙姫じゃない、って、説明できること」


468: ◆qpwZInm6fw 2016/03/27(日) 21:49:03.18 ID:U4+BbBrW0

凛「例えばね、乙姫には住人を思うままに操る力があるんだよ」

凛「一日中部屋で静かにしててね、とか、やろうと思えば命令できちゃう。海未ちゃん知らなかったでしょ?」

海未「……そのような力、私にはありません」

凛「海未ちゃんは元々人間だから、乙姫としての力は全部発揮できないみたいだね」

凛「住人を操れないから、代わりに普段から決まり事を作ってしっかり指導してたんでしょ」

凛「海未ちゃんは凛たちに宮殿の主として責任もってみんなを監督しなさい、ってよく言ってたよね?」

凛「凛達が普段からみんなを好き勝手させてたのは、必要になったら言う通りにできるからなんだよ」

希「他には、恋した人間を誘惑する乙姫の力を海未ちゃんは持たない、とかね」

希「もし誘惑できるなら、ことりちゃんのこと好きになった時点で自然と誘惑してたはずやもん」

海未「そんな馬鹿なっ! 私はことりを誘惑の力で籠絡するつもりなど!」

希「する気があるとか無いとか関係無しに、誘惑はね、しちゃうの」

希「本当だったらことりちゃん、あっという間に海未ちゃんの虜になって、すぐに理性を失ってたやろうね」

希「乙姫が恋をするって、そういうことなん」

希「でも、ことりちゃんはそうならへんかった。海未ちゃんが誘惑出来ないっていう証拠なんよ」


469: ◆qpwZInm6fw 2016/03/27(日) 21:50:16.29 ID:U4+BbBrW0

海未「そんな……そんな……!」

凛「海未ちゃんがまだ人間だった時、凛たちすぐに海未ちゃんのこと好きになって、誘惑したんだよ」

希「海未ちゃん、あっという間にウチらの虜になってくれたよ」

凛「でも、北に行って交わろうとしたら、突然抵抗しだしたの」

希「完全に虜にしたにも関わらず、大切な人のことは最後まで忘れなかったんやね」

凛「凛たちも本気で人間を誘惑したの初めてだったから、効果が不完全なのかなって焦ったよ」

希「実態としては、海未ちゃんには他に大切な人がおったから、虜にしても完全には落ちひんかったんや」

海未「私は、元々が人間……? 大切な人がいた……? 人間の時代に……?」

海未「嘘です……全部嘘です……まるで思い出せない……」

凛「ね、海未ちゃん。凛たちの誘惑に抵抗してた時、誰の名前呼んでたか憶えてる?」

海未「……覚えているわけ、」

希「ことり、だよ」

海未「…………は?」

凛「海未ちゃん、北で凛と希ちゃんから逃げながら、ことり、ことり、って叫んでたんだよ」


470: ◆qpwZInm6fw 2016/03/27(日) 21:50:56.79 ID:U4+BbBrW0

希「ウチらが迫ろうとする限り、ことりって呼ぶのをずーっと止めへんかった」

凛「凛たち根負けして、仕方なしに誘惑をやめたの」

希「それから、落ち着いた海未ちゃんからお話を沢山聞いたんよ」

凛「陸で暮らしてた時のこととか、陸を捨てて海に潜った理由とか」

希「話を聞くうちに、ことりって子のことを本当に大切にしてたんだってわかった」

凛「不運なことがあって海に逃げても、まだ心はことりちゃんが好きなままなんだなーって」

希「海未ちゃんの心は奪えない。だから、恋以外に手離さない方法として、海未ちゃんを乙姫にした」

凛「人間だった記憶と存在を無くして、乙姫三姉妹の次女として転生させたんだよ」

希「恋とは違う形だけど、恋した相手とずっと一緒にいられて、ウチらは幸せやった」

凛「それが終わったのは……百年前だね」

希「ことりちゃんって子がここに来て、察しがついた。この子が海未ちゃんの大切な人や、ってね」


471: ◆qpwZInm6fw 2016/03/27(日) 21:51:40.77 ID:U4+BbBrW0

海未「…………有り得ない…………有り得ませんっ!」

海未「有り得ない話ばかりでしたけど、最後だけは絶対に有り得ません!」

海未「だって……仮に二人の話が全て真実だとして、私が元人間で過去の記憶がなくとも、ことりはわかるはずです!」

海未「本当に私がことりの大切な人なら……ずっと帰りを待っていた相手なら……私に気付くはずですっ!」

凛「今の海未ちゃんはね、人間海未じゃなくて、乙姫海未っていう別の存在なの」

希「人間だった頃の海未ちゃんの記憶が他人に残っていても、乙姫である海未ちゃんと同一人物とは結びつきはしない」

海未「嘘です、嘘です嘘です、それだけは絶対……!」

海未「私のはずが……もしそうなら、私はことりの存在さえ忘れていたことに……!」

凛「ことりちゃんが記憶を取り戻した後、陸で一緒に暮らしていた相手の名前を聞いた?」

海未「…………ことりは……一度も言いませんでした」

凛「思い出せないんだよ。大切な人って風に覚えているだけ」

凛「だって、ことりちゃんが思い描く『海未ちゃん』は既にいなくなって、代わりに乙姫の『海未ちゃん』が存在するから」

希「生まれ変わった時点で、海未ちゃんは別の存在になって、その事実に気付く者はいない」

希「海未ちゃんを乙姫にした、ウチと凛ちゃん以外はね」


472: ◆qpwZInm6fw 2016/03/27(日) 21:52:15.12 ID:U4+BbBrW0

海未「……………………何故…………そのようなこと…………言うのですか……」

凛「本当のことだからだよ」

希「勿論言わないつもりやった。人間だった事実は一生隠すつもりやった」

凛「でも、海未ちゃんが余りに悲しんでて、可哀想だったから、決めたの」

希「ウチらも遂に、大切な人を手離さないといけないんや、ってね」

海未「…………もし……そうだとしても…………話が、全て、真実だとしても……」

海未「何故……何故今なのですかっ!」

海未「ことりが去ってもう百年経ちました! 百年っ!」

海未「龍宮城での百年が陸で何倍になるのか…………ことりは……最早生きていませんっ!」

海未「だから思い出したくなかったのに……! 思い出したところで、二度と会えないのに……!」

海未「遅すぎるんです! 今になって全てを知ったところで、何もできないんですっ!」

海未「もう、やめてください……思い出すだけでも辛いんです……」

海未「思い出せば、二度と会えない現実を突きつけられるようで……その上、元はことりと共に生きていたなどと……」

海未「ことりを思っても、もう、何の、意味も…………ことり…………ぅぁぁぁぁ……!」


473: ◆qpwZInm6fw 2016/03/27(日) 21:52:53.91 ID:U4+BbBrW0

希「……こういうところが、やっぱり乙姫として完全じゃなかったんやね」

凛「人間の記憶を忘れたつもりでも、変な風に残ってるんだもんね」

海未「…………何の話をしているのです」

凛「海未ちゃん、龍宮城で過ごした時間が陸では何倍にも長くなる、って思ってるよね」

凛「どこでそんな話聞いたの?」

海未「……だって……そういう話だと……」

希「それさ、陸に伝わる御伽噺の内容やろ?」

希「確か、陸に戻った人間は龍宮城で過ごした時間よりずっと早く時が流れていたことに驚いて、絶望して玉手箱とかいうお土産を……だったかな」

凛「ホントはね、逆なんだよ。陸の時間に比べて、龍宮城は百倍くらい時間の流れが早いの」

海未「…………本当に?」

希「やっぱり勘違いしとったやん。こうしてみると、人間だった頃の名残を消したとはとても言えへんわ」

凛「乙姫になってからも海未ちゃんって人間みたいなことよく言ってたもんねー」

希「まあそんなわけやから、ことりちゃんは、少なくとも寿命では生きとるはずだよ」

凛「後は、龍宮城に来る前と同じように、海未ちゃんのことを待ってくれてるかどうかじゃない?」

希「待ってくれてるって信じられるなら……海未ちゃんは、陸に帰るべきだよ」


474: ◆qpwZInm6fw 2016/03/27(日) 21:53:29.67 ID:U4+BbBrW0

凛「説明も大分できたし、海未ちゃんそろそろ人間に戻ろっか」

希「元通りにしてあげたら今の話も全部本当だってわかるやろ」

凛「本当は手離したくはないし、今まで手離せなかったけど……しょうがないよね」

希「ウチらの愛だって本物やから」

凛「恋した人が悲しんでるの、見たくないもん」


 二人が私に近付き、屈み込む私の頭の辺りに手を翳してきた。

 不穏な予感が過った。
 これはきっと……二人にとって……。


海未「……や、やめ、やめてください」

希「大丈夫だよ海未ちゃん。もう決めたから」

海未「だ、駄目です、何か、これは…………二人が悲しみます」

凛「……ありがとね、凛たちのこと心配してくれて」

希「せやけど、いくら見続けたくったって、夢の時間はおしまいなん」

凛「海未ちゃん……凛たちと一緒に、夢から覚めよう?」


 脳裏で閃光が弾けた。
 一瞬意識を失い、すぐに取り戻し……私は、目が覚めた。


475: ◆qpwZInm6fw 2016/03/27(日) 21:54:04.16 ID:U4+BbBrW0

海未「あ…………」


 蘇る。
 呆気ない程簡単に、過去の記憶が、次々と蘇ってくる。


凛「これで元通りだね」

希「もう思い出せたやろ?」

海未「…………私……私は……」

凛「海未ちゃんは、人間だよ」

凛「龍宮城……恋宮殿にお客様としてやってきた海未ちゃんを、凛と希ちゃんで乙姫にしたの」

海未「人間……私が……」

希「大丈夫、落ち着いて。すぐに思い出すから」

海未「…………はい…………思い出しました……」

海未「私は、ずっと前に、ここにやってきました」

海未「海に潜った人間として……招かれたんです……!」

凛「うん、そうだよ」

希「思い出せたね……良かった……本当に」


476: ◆qpwZInm6fw 2016/03/27(日) 21:54:37.12 ID:U4+BbBrW0

海未「本当…………だったんですね…………」

海未「今の話、全てが、真実……」


 手を掲げ、まじまじと見つめる。
 変わったところは何一つない。
 けれど、人間と乙姫の見た目が同じであっても違いがわかるように……別の存在に生まれ変わっていた。

 私は……人間だ。


海未「私は、生まれついての乙姫ではなかった……」

希「そうだよ。だからこそ、ウチらにできることができなくても、ウチらにはできないことが海未ちゃんにはできた」

凛「乙姫なのに、恋したことりちゃんの為に手離すことができたんだもんね」

希「本当に凄いよ……ウチらじゃ考えられへん」

凛「でも、海未ちゃんは特別だから……特別な乙姫で、特別な人間だもん」

海未「人間……私は、人間」

海未「私は人間として、陸で暮らしていたんです……そう、ことりと共に」


477: ◆qpwZInm6fw 2016/03/27(日) 21:55:19.55 ID:U4+BbBrW0

海未「かつて、私は、陸でことりと共に暮らしていました」

希「うん」

海未「貧しいけれど、幸せで……ことりと一緒なら、満たされていて……」

凛「うん」

海未「ですがあの日……ことりが、私を……私はことりに嫌われ、見捨てられたと……」

海未「ことりが居ない人生なんて生きる意味などなくて……だから、衝動的に海に……」

希「ショックやったんやね。表面的な言葉と態度だけでも、大切な人から拒絶されて」

凛「でも、ことりちゃんだって本気じゃなかったし、海未ちゃんに酷いこと言ったってずっと後悔してたんでしょ?」

希「後悔してなかったら、海未ちゃんの帰りを待ち続けたりしないもんね」

凛「海未ちゃんのことを好きでい続けたから、凛や希ちゃんの誘惑に負けなかったんだよ」

海未「……ことり……私を、待ってくれていた……ずっと……」

凛「まだ間に合うはずだよ。だって、ほら」


 私が胸に抱き続けていた青い着物を凛は指差した。
 ここに、ことりの名残がある。


希「ことりちゃんは今でもずっと、海未ちゃんのことを思ってるんや」


478: ◆qpwZInm6fw 2016/03/27(日) 21:55:58.11 ID:U4+BbBrW0

凛「行こう、海未ちゃん」

希「陸に帰ろう、海未ちゃん」


 凛と希は片手ずつ私の手をを取って、ゆっくりと立ち上がらせた。
 二人に手を引かれて、私は歩き出す。


凛「……許してもらえることじゃないけど、ちゃんと謝るね」

凛「凛たちの勝手で、海未ちゃんを乙姫にして、ごめんね」

凛「手離せなくってごめんね……」

希「そういうものやってこっちが割り切ったつもりでも、相手にとってはただの開き直りやからね」

希「本当しょうもないことをした……取り返しがつかないから、謝るしかできひん」

希「ごめんね、海未ちゃん……本当にごめんね」

海未「凛……希……」

凛「ごめんなさい……!」

希「ホントに、ごめん……!」


 私を先導する二人の乙姫は、静かに涙を流していた。
 惜別を哀れんでいるのか、悔恨に苦しんでいるのか、定かではない。

 ただ、二人が泣く姿を前に、私は一切責める気は起きず、胸には愛おしさだけが募った。


479: ◆qpwZInm6fw 2016/03/27(日) 21:56:37.38 ID:U4+BbBrW0

海未「泣かないでください、どうか、二人とも」

凛「だってっ……ぅぅ……」

希「ウチら、海未ちゃんに……酷いことして……っ」

海未「私は……感謝しています」

海未「本当なら、ことりから逃げた弱い私は、海に潜って既に死んでいました」

海未「ですが二人が私を呼んでくれたから、私は龍宮城に辿り着けました」

海未「二人が私に恋してくれて、乙姫として命を与えてくれたから、私は命尽きることなく今まで生きていました」

海未「二人のお陰で、私はもう一度、愛する人に巡り合えたんです」

海未「ありがとうございます…………凛、希……ありがとう……!」

凛「……うぅっ…………海未ちゃん……っ!」

希「海未、ちゃ…………ぅぅぅ……っ!」

海未「光栄に思います。二人のような素敵なヒトから愛して貰えたこと」

海未「離れ離れになっても忘れません。二人と過ごした日々を。二人の乙姫のことを」


480: ◆qpwZInm6fw 2016/03/27(日) 21:57:27.33 ID:U4+BbBrW0

 ゆっくり、ゆっくり、宮殿内を進む。
 凛と希、二人の乙姫と歩調を合わせて。
 ここで暮らした日々を懐かしみながら、思い出たちに心で別れを告げる。

 玄関から外に出て、正面門扉に向かう。
 門扉の前には、陸との移動役を担う大亀が既に控えていた。
 それだけではない。


海未「みんな……!」


 龍宮城を囲む塀の外、海水が支配する領域に、何百もの住人たちが浮かんでいた。


凛「みんな海未ちゃんを見送りにきたんだよ」

海未「まったく、誰が伝えたのやら。普段からこうして迅速に動いてくれれば指導する私も楽でしたのに」

希「最後までお小言? ちょっとくらい許してあげてよ」

海未「……ええ。最後ですから、特別です」


 私を見送る為に集ってくれた全員が、私の大切な仲間たち。
 あなた方に見送られ、私は元居た世界に帰ります。


481: ◆qpwZInm6fw 2016/03/27(日) 21:58:06.24 ID:U4+BbBrW0

 正面門扉に辿り着いた私は、凛と希に支えられながら大亀の背に跨った。
 二人の指示で、大亀はふわりと浮かび上がり、陸へと旅立つ。


海未「……一つ、聞いてもいいでしょうか」

希「なあに? 最後の質問になるんだから変な事聞かないでよ?」

海未「二人は私に恋をしてくれたと言いました。ですが今、恋した私を手離そうとしています」

海未「何故、出来るのですか? 乙姫なら……生粋の乙姫である二人には、絶対に無理なはずでしょう?」

凛「んーとねー……」


 二人はしばし考え込んだ後、互いに視線を合わせると、ひしと抱き合った。


凛「海未ちゃんとお別れするって決めた時に思ったの。希ちゃんとは絶対に離れられないって」

希「ウチには凛ちゃんがいて、凛ちゃんにはウチがおるから、ギリギリ耐えられるんやないかな」

凛「だって凛たち乙姫姉妹だもん! 海未ちゃんがいない分、今までよりもーっと一緒にいるんだからっ!」

希「仲間外れになったからって後悔しても遅いよ!」

海未「……ふふっ、よくわかりました」


482: ◆qpwZInm6fw 2016/03/27(日) 21:58:41.05 ID:U4+BbBrW0

 最後に、凛、希、二人と視線をしっかりと合わせた。
 長く、人間である限り経験できない程の時間を共に過ごした相手、最早言葉にせずとも思いは伝わる。

 私を乗せた大亀が正面門扉を潜り、海の中を浮かんでゆく。
 長きに渡り身を寄せた龍宮城から去る時がきた。
 旅立ちであり、別れであり……帰郷でもある。


凛「大丈夫だよ、きっとことりちゃんは海未ちゃんのこと待ってるから!」

希「人間に戻った海未ちゃんの姿を見れば、ことりちゃんも全部認識できるようになるから、安心して」

凛「ことりちゃんによろしくね! まだ大好きだよーって!」

希「海未ちゃんと同じくらいにね!」

海未「ええ、必ず伝えておきます!」

凛「ばいばい海未ちゃん! 元気でね!」

希「さよなら! ことりちゃんと幸せになるんよ!」

海未「さようなら! 大切な日々をありがとう! 凛! 希! さようなら!」


483: ◆qpwZInm6fw 2016/03/27(日) 21:59:26.58 ID:U4+BbBrW0

 大亀が私を高くへと運び、龍宮城から離れてゆく。
 長年過ごしていた宮殿が遠のいて、凛と希の姿が小さくなる。

 声が届く限り別れを告げた。
 声が届かなくなっても手を振り続けた。

 海中には沢山の住人が居並び、浮上してゆく私を見守ってくれている。
 彼ら彼女らにも別れを告げた。


海未(帰りましょう……私が本当にいるべき世界に)

海未(私をずっと待ってくれている人の下に)


 不安は多い。
 けれど、凛と希が大丈夫と言ってくれたから、きっと大丈夫。


海未(ありがとう、宮殿のみんな……)

海未(ありがとう……凛……希……)

海未(あなたたちを忘れません。素敵な日々の思い出をこれからもずっと胸に抱いて、私は生きていきます)

海未(……さようなら。お元気で)


484: ◆qpwZInm6fw 2016/03/27(日) 22:00:41.84 ID:U4+BbBrW0


―――
―――――


 海を、見ている。

 激しく荒れる日も、静かに漂う日も、ずっと海を見続けていた。
 その向こうから、いつか帰ってくることを信じて。


ことり(私は、待っている)

ことり(例えあなたが帰ってこなくても、いつまでも)


 何日も何日も一人で待つのは辛いけど、私は耐えることができる。
 私が陸で待つことを許し、自身の本音を堪えて、私の為に全てを捧げてくれたヒトがいたから。


ことり(……贈り物は、届いたのかな)

ことり(贈るかどうかずっと迷って、覚悟を決めて、綺麗な色を作るのに時間かかって……)

ことり(届け方もわからないから、せめて届くようにって、海に流して……)

ことり(……きっと、届いたよね)


 あれから、一年が経った。

 もう会うことはできないくらい遠くにいても、大切な存在がそこにいると知っているから、何でも信じられる。
 離れていても、私の心を支えてくれる、最愛のヒト。
 その存在を糧に強く生きて、今日も海を眺めて帰りを待っている。


485: ◆qpwZInm6fw 2016/03/27(日) 22:01:24.21 ID:U4+BbBrW0

ことり「…………………………………………」

ことり「…………………………………………………………」

ことり「…………………………………………………………………………あ」


 海辺に、小さく人影が見えた。

 波に足を取られないように、ゆっくりと浜辺に向かって歩いていた。
 浜に上がって、建物が並ぶこっちに向かって、ゆっくりと歩いてきていた。

 海から現れた人影は……彼女は、色鮮やかな、海色の着物を着ていた。


ことり(…………ぁぁああああ)


 その姿を見た瞬間、全ての記憶が繋がった。

 陸に帰ってから待ち人のことばかり考えていたのに、ずっとあの人の名前を思い出せず、思い出せないことに違和感さえ覚えなかった。
 あの人の名前が、今はわかる。

 陸で暮らして居た時、ずっと私を支えてくれた人。
 陸だけじゃなく、海の世界に行ってからも、私を支え続けてくれた人。

 浜辺に向かって走った。
 一秒でも早く辿り着けるよう、全力で走った。


486: ◆qpwZInm6fw 2016/03/27(日) 22:02:03.09 ID:U4+BbBrW0

 姿がはっきりと見えて、彼女も私を見てくれた。
 声の限り叫んだ。


ことり「海未ちゃんっっっ!!!」


 同じくらい大きな声で名前を呼んでくれた。


海未「ことりっっっ!!!!」


487: ◆qpwZInm6fw 2016/03/27(日) 22:02:45.46 ID:U4+BbBrW0

 私が駆け寄ると、彼女も……海未ちゃんも走り出した。
 衝突するくらい勢いが出ていても、一秒でも早く側に行きたくて、足を緩められない。

 私たちは全力で駆け寄り、お互いの胸に飛び込んだ。


ことり「海未ちゃんっ! 海未ちゃんっ!」

海未「ことり……ことりっ!」

ことり「待ってた……ずっと待ってた……!」

海未「遅くなりました……! 帰ってきました……!」

ことり「海未ちゃん…………ああ…………海未ちゃんは、乙姫さんだったんだ……」

ことり「私が恋したのは、海未ちゃんだったんだ……!」

海未「はい。私は乙姫として生きていました」

海未「乙姫としても、ことりに恋して……ことりと結ばれることができたんです!」

ことり「海未ちゃんっ……!」

海未「また、会えました」

海未「人間として、今度こそことりと一緒になる為、帰ることができました……!」


488: ◆qpwZInm6fw 2016/03/27(日) 22:03:33.09 ID:U4+BbBrW0

ことり「うみちゃ…………あぁぁ……うみちゃぁん…………!」


 抱き合った私たちは膝を付き、何度も名前を呼びながら泣き続けた。
 大切な人に包まれて、これ以上ないくらい幸せを感じた。


ことり「よかった……帰ってきてくれた……」

ことり「私、酷いことして、もう帰ってきてくれないかもって、何百回も思った……」

ことり「ごめんなさい……海未ちゃん……!」

海未「私こそ、ことりに責められて辛いからと言って、ことりから逃げ出すという愚行を犯しました」

海未「本来なら二度と会うことなく、後悔さえできないはずが、もう一度謝罪する機会を得ることができた……」

海未「逃げてしまい、すみませんでした。一人残してしまって、本当にごめんなさい」

海未「こんな私をずっと待っていてくれて、ありがとうございます……!」

ことり「ううん……いいの……!」

ことり「帰ってきてくれたから……何でもいいの……!」

ことり「私をずっと……陸でも、海でも、海未ちゃんはいつでも助けてくれた……!」

ことり「ありがとう……ありがとう、海未ちゃん……ありがとう……!」

海未「ことり……私を好きになってくれて、ありがとうございます……!」

海未「ことりを愛しています……! もう、今度こそ、絶対に離しません……!」


489: ◆qpwZInm6fw 2016/03/27(日) 22:04:55.43 ID:U4+BbBrW0

 後になって海未ちゃんと話した。
 乙姫は恋した相手を手離せないって言うけど……それは私たち人間だって同じだよね。
 本当に心から恋をしたなら、絶対に離したくない、離さないって、私たちは思うから。


ことり「これからはずっと一緒だよ、海未ちゃん……!」

海未「はい……! もう二度と離れません!」

ことり「離さないでね……! 私も海未ちゃんと、一生離れないから……!」

海未「離しません……! ことりのことを、いつまでも……!」


 いつまでも抱き合って、互いの温もりを感じていた。
 一度は手離してしまった大切なものを、今度こそ離さないように。

 手離す恐怖も、側に居られる幸福も、私たちは骨の髄まで味わった。
 もう何があっても、私たちは離れることはない。
 いつどんな時も、私の手は、海未ちゃんと繋がっている。

 私はこの先の長い人生を、大切な人と……海未ちゃんと、いつまでも一緒に、生きていく。


490: ◆qpwZInm6fw 2016/03/27(日) 22:06:08.98 ID:U4+BbBrW0

―――――
―――



 海に面したこの地域には、ずっと昔からこんな言い伝えがあるんよ。


『海底の宮殿では 人間が訪れるのを 乙姫姉妹が待っている』


 海底には龍宮城っていう楽園があって、そこを目指した人間たちは沢山海に潜るんやけど、誰一人として陸には帰らず…………あれ?


 違うにゃー! 
 陸に帰った人間はいたじゃん!


 そうやった、ついうっかり。
 とまあ、言い伝えとか御伽噺にありがちな逸話の食い違いはあるけど、龍宮城があるんはホンマなん。


 興味があったら海に潜ってみてもいいかもねー。
 海底の楽園を望む気持ちがあったら、龍宮城に招かれるはずだよ!


 だから、いつの日かあなたが来てくれたら……。



希「ウチらの乙姫心《オトヒメハート》で!」

凛「恋宮殿《ラブキュウデン》の虜にしちゃうよっ!」





おわり





493: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2016/03/27(日) 22:19:41.12 ID:paUn0+UQ0

>>1 超乙



495: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2016/03/27(日) 22:31:38.04 ID:0SqKCowko

恋宮殿からの呼び声


ここ最近じゃ一番の力作だったよ
本当に面白かった


497: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2016/03/27(日) 22:59:27.28 ID:4goT3/uu0

完走してくれてありがとう
良いものを読めた


502: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2016/03/27(日) 23:58:51.78 ID:dBMxxHWVo

乙です










元スレ:http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1458563404/