2018年08月12日

0812

家にゴキブリがでた。



一年に一度二度は家にゴキブリがでる。
たいてい大きめの種のクロゴキブリだ。
睡眠から目が覚めて、リビングの椅子に座りテレビゲームをし、
のどが渇いたので飲み物を取りに行く時に、テーブルの下からゴキブリは
現れた。


驚いて声をあげてしまったが、ゴキブリの方もその声に驚嘆し、
逃走を図る。人の家に侵入しておいて被害者面なのが憎らしい。


そのあとは、殺虫剤で駆除し死骸を割りばしとビニール袋で回収する。
自分は決まって駆除後、その死骸をしばらく眺めてしまう。
ゴキブリに限らず、虫などを駆除した後はその死骸を一瞥はするものだと思う。
そこに意識はないような気もするが、ゴキブリの体は生きていた時よりも
小さく見えることが多いが、余りまじまじと見る機会のない虫の体は神秘的に感じる。
もしかしたらゴキブリに一種の敬意を覚えているのかもしれない。


ある程度はゴキブリが侵入しないように対策をとっているのだが、
そのセキュリテイを越えて侵入してくる、
この体の規格でそれが可能な虫はおそらくゴキブリだけで、
まるで忍者のようだと思ってしまう。


望んでいいのなら、侵入に成功したところでゴキブリ自身に未来や可能性は約束されないし侵入された側も不愉快だし殺さなくていい生物を殺すことになり、誰も得をしないということまで理解して頂けたならと思うのだが、残念ながら能力の高いゴキブリといえど虫は知能は具えていないということが現実だ。


ともかく
ゴキブリと遭遇した数日は頭の中がゴキブリでいっぱいになってしまい、
これも恒例なのだが、インターネットでゴキブリの画像や動画を視聴してしまう。
クロゴキブリではないのだが、飼育用の足の遅いゴキブリや
ペット用の食用ゴキブリなどの情報はたくさんでてきて、嫌悪を越えてしまえば
なかなか有意義な時間を提供してもらえる。


自分は何故ゴキブリに嫌悪を抱くのかと自問すると、まずは衛生問題なのだ。
もしゴキブリが例えば蜘蛛のように菌を保持していないのであれば、
自分の前に現れるときに、害を有さない状態でいてくれることを約束してくれるのであれば、少しは譲歩してもいいと思える。
殺すことなく玄関まで見送り外に帰ってもらう。とか。


人間には異物に対する防衛本能がある。
そしてゴキブリにも異物に対する防衛本能がある。
その本能が刹那で人間とゴキブリを隔てる壁の存在をつくってしまう。
ゴキブリじゃなくたって、部屋に急に猫でもお金でも人間でも現れると、
その防衛本能は働いてしまうのだ。


しかし、もし、その刹那を越えることができたとき、
人間とゴキブリの関係が発展する可能性はないだろうかと
思うことがある。
残念ながら虫のゴキブリにそれを期待することは難しいが、
理性を有する人間にはその可能性を追うことが
必ずしも不毛とは限らないと思う。


ずっと嫌いなゴキブリだが
年を重ねるごとにゴキブリに歩み近づけているような感覚が
少しだけ、本当に少しだけだが、めばえているのだ。



テーブルの影に隠れる黒いクリップに殺虫剤を吹きかけて、
おそるおそる生体反応がないか見守ったのちに、照明を中てる
自分のまぬけ具合に苦笑いする、
夏の日々に巡らせた、自分とゴキブリについてのこと。









ikaruga99999 at 21:12  このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Share on Tumblr
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