2010年07月

暑い中にも礼儀あり

昨日のエントリのタイトルを「神と仏」にしたんだけど、よく考えたら神様のことだけで仏様のこと書いてなかった。

謝ることでもないかと思うけどごめんなさい。

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この無人ブログですけど、週の中でも金曜日にアクセス数ががくっと落ちる。まあ無人だからがくっとというほどでもないか。しかしとにかく落ちる。少ない。

特に夕方以降の数が特に少なく、それで考えるのは、やはり金曜日というのは景気の悪いエントリなどを見ている場合ではなくて、みんなお酒を飲んだり帰って手の込んだ料理を作ったり、あるいは逆に来週まで今週の仕事を残したくなくて頑張ったりというようなことをしているのではないかと考えた。

というか俺の仕事・会社観というのはサザエさんちの波平マスオ両氏の物事について描かれている以上のことを知らないのだけれども。どうなんでしょう。

とりわけ酒であるが、祭祀の道具あるいは捧物としての酒の特徴は現代にあっても少しは我々に影響していると思う。

月曜日から金曜日にかけて生き、週末にかけて死に、次の月曜日に再生するというイメージの中で、週末の死を安らかに迎え、翌週に健やかに誕生するために酒がある。と考える。末期の酒なんていうものもあるし。

そういうわけで、このブログを週末に見に来て下さった方は酒を使ってこの後安らかに死んでください(象徴的な意味で)。

神と仏

今日も今日とてチワワと散歩。

涼しくて救われたような気持ちだけれど、歩いたり走ったりするとさすがに暑い。また足がつるかもしれないと恐れて短めにした。

神社の鳥居が新しくなっていた。カメラ忘れた。

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丸谷才一『軽いつづら』(新潮文庫)からまた。

--【引用ここから】--
福の神といふものがあつた。はじめは二神だけだつた。もちろん、
恵比寿
大黒
の二神であります。
ところが福の神なんてものをあがめる人は欲張りですから、これだけでは効果が薄いやうな気がして、もう一つ契機をつけたくなつたんですね。そこで三神にした。
恵比寿
大黒
弁天(あるいは吉祥天)
の三神である。ここまで増えたのは近世初頭の京都での出来事。
これが江戸に伝はつて来た。そしてもう四神ふやした。これこそ七福神の成立である。すなはち、
恵比寿
大黒
弁天
毘沙門
寿老人
布袋
福禄寿
の七神ですね。
--【引用ここまで】--

江戸末期には八福神にしようという動きもあり、その候補としてあの福助が挙げられていたそうだ。

確かに神様のキャラクターとして子どもというのは含まれていないからいいアイデアのような気もするが、民俗学者の宮田登にいわせると<聖数と言われる七にこだわったのでしょう>とのことらしい。

八も縁起の良い数なんて言われているがどうなのだろう。

しかし丸谷も書いているけれど、確かに恵比寿・大黒の二神の知名度は他の神様とずいぶん違うような感じがする。

布袋様や弁天様も“キャラが立っている”と言えなくもないが、これは「でぶ」とか「女」とか、そういうところに理由があるような気がする。

このあたりはアニメやヒーロー物で、どういうふうにキャラクターを増やしていくかというところと通じるものがあるような気がする。

まあそんなことは作り手はみんな知ってるか。

考えない足

昨日はライブでした。来て下さった方、というか宮崎君と大木さん、どうもありがとうございました。

メンバー二人は所用で途中から拝見しましたがあたくしはほぼ全部のバンド様の演奏見ました。いつもあんまり見られないんですけども、今回は本当にいろんなタイプがいてすごかった。満喫しました。ありがとうございました。

思うところがいろいろありましたが、端的には演奏を巧くしたいことと、女の子メンバーのかわいさの再確認であります。

久々にライブ観戦後の幸福な脱力感に浸っています。我々、次回は秋あたりを予定してます。今回おいで願えなかった方もまたぜひ。

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脱力感とともに帰宅して寝たら、今朝俺の足がつった。今も痛いからもしかしたら肉離れを起こしたのかもしれない。痛い。

「足がつる」というのは文であり、名詞としては「こむらがえり」などと言いますよね。「腓返り」と表記するらしい。

「腓(こむら。こぶらとも)」とはふくらはぎの意。「返り」というのは逆の方向に働くという含みがあるけれど、あの異常な力みや緊張をたたえた現象を見ると納得できる。夜っぴいて足がつってることを「こむら(返り)徹夜」と言うしなこむらしゅんすけとかきんぐこぶらとか。

よく中年以降のおじさんなどが「昨日寝てる時足がつっちゃって」などと言うのを聞くが、あんな痛みを年中、とまではいわなくても時たま味わわなくてはならないのか。怖い加齢。

寝起きに訪れたあまりの痛さと唐突さにパニックになり、よくサッカーなどで見るようにつま先をつかもうとしたが身体の硬さが祟って全然つかめない。はらはらと涙を流し、遠いつま先を憧憬の目でただ眺むるばかりなり。

それでもえいと捕まえ、つま先を引っ張ったりねじったりしてみたが一向に治まる気配がない。恐怖を覚え、なむさんと窓枠に足をかけるように上げたら少し緩和してきた。

その後また襲いかかってくる予兆に怯えつつ、何とか静まってくれるのを待ったが、あんまり長い時間だったから痛めたのか。いや本当にこむら返り恐ろしい。

http://bit.ly/Z16jY

傾向と対策を調べました。

運動不足は確かに考えた。それでもチワワと散歩したりしているのだけれども。<熱中症の前兆>というのは高校球児たちを見てるとよくわかる。予選たけなわだが本当にじゃんじゃんつってるもの。

それよか気になるのは原因として<アルコールの飲みすぎ>が挙げられていることである。俺は量をそれほど飲むほうではないのだが、もし俺がそうならあの人もあの人もあの人も、四六時中こむら返りを起こしていそうなものであるが。

いやしかしいろいろな要因があって、何をしてても足がつりそうだ。人生至る所にこむら返りあり。

『マスターキートン』の「FIRE & ICE」にはこういう科白がある。

--【引用ここから】--
ワインを慎め。それから・・・・・・ 新鮮なグレープフルーツジュースを飲むんだ!!
--【引用ここまで】--

その根拠は、

--【引用ここから】--
グレープフルーツジュースは、筋肉を柔らかくし、こむら返りを防ぐと言われています。
--【引用ここまで】--

とのことで、上記サイトにもマグネシウムの吸収を良くするとして紹介されている。

というわけでワインを慎め。それから……新鮮なグレープフルーツジュースを飲むんだ!俺も飲むからみんなも飲めって!

やみくも

明日はライブです。

7月25日(日)吉祥寺PlanetK
open18:30/ start19:00


よろしくお願いします。ぜひおいで下さい。

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わかることとわからないことではわからないことのほうが圧倒的に多い。そういう人がほとんどでしょうと確認したくなる。

それでも自分が普段生活する日常(仕事・暮らし・娯楽・趣味などの領域)では、完全に理解しているとは断言できないかもしれないが、わからないことがあってもそれはそれとしてやり過ごせる。当然、調べたり学んだり教えられたりもするけれども、そのまま放置することもある。当面必要なさそうだと無意識も含めて判断するわけだ。

自分に深く関わり、当然知っているはずのことがわからなかったりすると混乱する。精神に異常をきたすこともあるかもしれない。

前も書いたような気がするが、わからないということの不安を緩衝するひとつの方法が陰謀論である。「アーカーベー四八の大島タンがヱンツなんかと付き合ってるなんて嘘だっこれは総選挙で大島タンに負けたやつらとアメリカ・中国が仕組んだ罠に違いない間違いないッ」というやつである。

この例でもわかるとおり、陰謀論は単に理解できないことの不安を和らげるだけではなく、自分の信じたくないこと・知りたくないことを拒絶し、自分に都合の良いように解釈することを可能にする。これが陰謀論の悪いところ、あるいはまじで超ださいところである。

と書いてみたが、いくつかの事実を観察する時、自分もいくらか陰謀論者の気配があると思う。

例えば前もどこかで言ったが、テレ朝の京都に対する思い入れ。あれはテレビ朝日の偉い人が、京都でいいことをしてもらったからに違いない。これはもう疑いようのない事実である、と信じる。

最近思ったのは、えーとこの人の贔屓筋が知っている人の中にいるので言いづらいのだけれども敢えて言う。三雲さんはTBSと絶対に一筆交わしているよね。

三雲さんというのは三雲孝江のことで、一時期はワイドショウの司会などをしていたが今はいくつかの番組でコメンテーターをしている。

こういう話になるとコメンテーターの資格論みたいなことに話が及びそうになるが、端的に三雲さんがコメントしてると「何コメントしてんだ」といつも思う。

別に三雲孝江以外にも「なぜかコメンテーター」という人はいると思うのだが。司会をしてたりする三雲氏に、当時何の意味も見出さずにいたからかもしれない。

彼女の当たり障りのない、そしておもしろくもないし反感も覚えないコメントを聞きながら、「なぜ」という疑問が首をもたげるのを、「たぶんワイドショウ番組が終わるとき、TBSから『これからもコメンテーターの形で出演を保証します』てな言質を引き出して一筆交わしたのだろうな」という考えで抑える俺であるよ。

to do call

そういうわけで単刀直入に。あさっての日曜、ライブです。

7月25日(日)吉祥寺PlanetK
open18:30/ start19:00


よろしくお願いしますね。

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たまには音楽の話題。当然割合は少ないけれど。

まずは読み終わった丸谷才一のエッセイ『軽いつづら』(新潮文庫)のことなんだけど、おもしろい。また書くことがなくなったらネタを使おうと思う。

丸谷才一が信木三郎という人から、背広の着方について話を聞いた。曰く。いつも前のボタンを留めずに開けっ放しにして歩くのはみっともない。座っている時はボタンを外していてもいいが、立つ時はさりげなく留めるべきだ。

--【引用ここから】--
このことがあるので、ポール・キアーズの『英国紳士はお洒落だ』の背広の章では、ボタンのかけ方に気をつけて読みました。
かう書いてあります。
「(中略)しかしサヴィル・ロウでは二つボタンが一般的であって、必ず上のボタンひとつだけを留めて着る。第一ボタンだけを掛けるよう、すべてのバランスが決定されているからだ。故にいかなる場合でも下のボタンを留めてはならない」
(「背広のボタン」)
--【引用ここまで】--

今では冠婚葬祭を除いてほとんど背広というかスーツというか、そういうものを着ない俺にとっては日常の参考になるとは言いがたいけれども、思い出したことがあった。

滝廉太郎(音楽の話)という人は夭逝した天才といっていいと思うけれど、どうも顔が同じく夭逝した石川啄木に似ているせいか、あるいは不遇な留学時代というのが漱石とかぶるからか、一般的にはあまり顧みられることが少ないように思う。

滝廉太郎に関する人物ドラマ(確か「知ってるつもり?!」だったと思う)の中で、滝の学生時代のエピソードがあった。

それは学生服の一番上のボタンだけ留めるという滝が考えた着こなしというかなんというか、そういうものが学校中で大流行した、というものだった(たぶん)。

まだばぶばぶ言いながらこれを見ていた俺は、たぶんボタン一つというのがマントに似ているから、ヒーローみたいな感じが流行したんじゃないかと思っていた。だがまだマントをひるがえすヒーローっていなかったかもしれないと今思う。

冒頭の部分を読んで思ったのは、ひょっとすると滝廉太郎のボタン一つ留め方式というのはイギリス式を真似したものだったのかもしれないということである。

そういえば滝廉太郎ってけっこう洒落た姿が残っているし、上級武士および高級官僚の家系であったようだし。

制服の改変というのはいろいろと分析・解釈ができそうな現象であるが、現代の改変がどちらかといえば正式から傾(かぶ)き、派生していくものであるのに対して滝の第一ボタン留め方式は(滝がイギリス流に学んだと仮定してだけれども)、正式のさらに源流であるイギリス(明治日本のお手本の国でもある)という先祖に飛ぼうという志向性というのはおもしろい。

ということで、やはり音楽にはあまり関係なかったかもしれないが、何だかつまらないことを覚えているもので、逆に思い出したいことはメモの中に絶対ない。悲しいことである。こんなに忘れるものかね。

昔の光いまいずこ。まとまったかな。

酷暑さゆり

聞き飽きたかもしれないけれど、暑いね。聞き飽きたことを言われるとなおさら。

さて、今度の日曜日にライブがあります。

7月25日(日)吉祥寺PlanetK
open18:30/ start19:00


暑い中でなんですけれども、でかいタオルを持ってぜひおいで下さい。いやサビで投げるんでなく、滝のような汗を拭うため。

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いやライブ告知にかこつけてせっせとエントリを上げねばならぬと思いつつ、なかなか見つからない。

そこで「かこつける」という語を考える。

「恰好つける」というのとは関係ないだろう、とは思った。後述のとおり、果たして、なかった。

いつもお世話になっている『大辞林第二版』によれば、「かこつける」の字義はこうである。

--【引用ここから】--
かこつける 【▽託つける】
(動カ下一)[文]カ下二 かこつ・く
ほかのことに関係づけて、そのせいにする。ことよせる。
「仕事に―・けて毎日帰りが遅い」
(後略)
--【引用ここまで】--

この記述によると、元は「かこつ」というらしい。そこで「かこつ」の字義。

--【引用ここから】--
かこつ 【▽託つ】
(動タ五[四])
(1)嘆いて言う。不平を言う。
「身の不遇を―・つ」
「人手不足を―・っている」
「無聊(ぶりよう)を―・つ」
(2)ほかのことを口実にする。かこつける。
「心きよく、底の光を―・つかたにも/寝覚 3」
(後略)
--【引用ここまで】--

そういえば文例として挙げられている「無聊をかこつ」というのは、あまり終止形で終わらずに「無聊をかこって○○○していた」などという形で聞いたことが(読んだことが?)ある気がする。

ところで、前に引用した「託ける」のほうの最初に<[文]カ下二 かこつ・く>とある。

これは普通、「文語(的文章)ではカ行下二段活用であり、「かこつ」が語幹、「く」が語尾として活用する」という意味だ。

でも「託つく」って手元の小辞典にも古語辞典(これももちろん小辞典)にも載っていないし、『大辞林第二版』にも載っていない。

「託ける」という「eる」となっているのは下一段と下二段を分けるところだから、普通ならば「託ける」は下一段と考えそうなものだけれども、どういう文語表現があるのかさっぱりわからず、さりとて俺も国語はさっぱりわからなくて今いささか混乱してきているのでどうもわからない。

まあ、どこかに「当方無聊を託つくる時」てな文語表現がきっとあるのだろう。

何も書くべき内容がないとこんなもの。

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いやいや書くべきことはしっかとあるのだった。いかづら菩薩の元メンバーであるウメヤマ嬢、本当におめでとうございます。ベーシストにどうやら幸福を掴む握力があるね。

自宅兼お店の名は「梅と海苔」が良いと思います。変わるものと変わらぬものという意味。お茶漬けがおいしそうな名前だし。

漢字tattooあり

さて来週に迫りました、ライブがあります。

7月25日(日)吉祥寺PlanetK
open18:30/ start19:00


我々いかづら菩薩は21:40頃から出演予定です。ぜひ寄って下さい。

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今でもテレビなどで見かけるが、欧米人で漢字の入墨をしている人っていうのはけっこういるようだ。

オリエンタリズムというのか何なのかよくわからないけれども、それでいて彫ってある字が「台所」だったりなどという笑い話、これもまたよくある。

職人が「台所」の意味を知っていたら悪辣極まりない趣味だが、まあそれはないか。「この字を彫ってくれ!」てなリクエストもあろうし。

でも考えてみると「台所」ってけっこう漢字の要素が入っているような気もしてくる。あとは「瓜(うり)」とか。二の腕に「瓜」とか「糸瓜(へちま)」って入ってたらやっぱ笑うけど。

ことほどさように、その意味がわからない人がわからないままに表示する文字は、その文字を理解する人にとって笑いの種になりやすい。これはTシャツの文字(ネタ系ではなくてがちんこでまじめに文字が入れてあるもの)についても言える。 http://365tshirts.com/ でLMが折に触れて考察していることでもある。

これは意味を理解しない者に対する意味を理解できる人たちの優越性を表しているようであり、実際そういう一面は確かにあろうけれどもそれだけではない。

意味を理解できてしまうと、意味を読み取ってしまう。これはある種の鈍感さを示すところもある。

つまり「台所」や「糸瓜」といった文字の、形だけの格好良さを、漢字使用者である我々はもう容易には捉えられない。料理を作ったり皿を洗ったりするあの場(およびその日常性・卑近さ)を思い浮かべ、小学校で作った野菜なのか何なのかわからない、繊維だけ取り出して身体を洗ったりするあの植物(「へっちまったなあ」という駄洒落も含めて)を思い起こして「しまう」。

さて、当て字というものがあって、外来語の音に重きを置いて字を当てるものを言う。日本では漢字を使った当て字が多い。万葉仮名とかはかなりの程度意味ではなく音を表した表記法である。

とはいえ中国でも、例えばサンスクリット語の「ボーディ・サットヴァ」を「菩薩」とするなど、当て字自体は行われていた。西洋でもたぶんあるのだろう。

こういう当て字は本来、あまりその漢字に意味を込めないのが普通だが、漢字の意味を知ってしまうと知らず知らずにその文字に意味を求めてしまう。独逸には孤独で優れた国民が多いような気がしてしまうし、オーストラリアは豪快な印象がある。

俺が日本の文化において、最も当て字に意味を込めてしまってそれに縛られていると思うのは「英語」である。「英語」は言うまでもなく英吉利語の略であるが、「俊英」「英断」等、「優れている」「立派だ」という意味が「英」の文字にあったから、ここまで英語へのコンプレックス・愛憎が強いのではないだろうか。

と、これはまったくの推測に過ぎないけれども、いやでも無意識にあの言語を高めているのはいろいろな政治文化経済等のせいなどではなく、それらももちろんあろうけれども、この当て字のせいではないかしら。梅雨明けの日にそう考えた。

いよいよの夏

九州や中国地方では大雨で大変だ。

関東は空梅雨というほどでもないけれど、天気予報はここ一週間ほどは「ぐずついたお天気」とのことだったのにあまり雨は降らず、むしろ暑かった。

というか俺は関東甲信越という形で関東のふりをしている山梨県のことを言っている。都内とかはよく知らない。

これから東北のほうもたくさん降るらしい。つくづく、関東なかんづく東京というのは大雨や大雪があまりなくて、そのくせ水不足などということもあまり聞かない、他の地域に比べれば相当に恵まれているところだと思う。

ひとつにはこういうこともある。

大雨などによって壊滅的にダメージを受ける産業が、地方に比較すれば少ない。

まあ電車などは弱くて、千葉の何とか線や何とか線などは(「アメリカがくしゃみをすれば……」的な経済圏の喩えに倣えば)風がそよと吹けば遅れが出て、ぴゅうと吹けば運転を見合わせ、びゅっと吹けば脱線するという噂だから、都会も気象条件に強いとまでは言えないけれど、雨が降って病気が流行って数年間の損失が計り知れない、なんていう地域と比べればましである。

東京の街が水浸しになったりしないのはいろいろな要素によるのだろうが、もともと関東平野の中にありつつ東京が坂の街であり山あり谷ありの地域だからだろう。だから谷にあるところはけっこう水がたまりやすい。でもそこが集中しているから、川が氾濫して水浸しというような地域の水害とは異なる。

こんなことが言いたいのではなかった。梅雨明けはしたかしらということを俺は今君に訴えたい。

どうやら関東は明日辺り、てなことを聞いているけれど、でも、後世の時代の人からすれば、2010年の梅雨がいつ明けようが明けまいが、どうでもいい話かとも思う。

という論法で、後世の観点というのは話題によっては無意味な想定であることをここで確認して、晩飯のチキンカレーを食おうと思う。

厭な気分

えーとまずお詫びから。

昨日のエントリで、おっかないところへリンクを張ってしまい、すみませんでした。気分を害された方が幾人かおられたようで、確信犯的なところもあったのでそれも含めて反省しました。もうしません。ごめんなさい。何のことかわからない方は昨日のエントリをご覧下さい。

そういうわけのことでありますので、あたくしが本日畑でテントウムシダマシという害虫を駆除した時の話も何か差し障りがあるといけないのでよします。たーくさんいたんだけどまあいいや。

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落語の「阿武の松」では、のちの横綱となる若者は食い過ぎで武隈部屋を破門になったという設定である。

現代におかれては。

ところで千秋楽翌日のNHK『ゆうどきネットワーク』では芝田山(元横綱大乃国)が「ごっつぁんスイーツ」というコーナーに出演するのが定番なのだけれど、どうなるかな。処分が甘い!とかかしら。

怪しげなるもの

いろいろ調べていたら暗澹たる気分になってしまったが、頑張る。

先日小林秀雄が書いていたような、と何かで触れてそのままになってしまったもの、出典が見つかった。『考えるヒント2』(文春文庫)「学問」。この本はずいぶん昔に放り出してまだ読み終わっていないはず。

--【引用ここから】--
私達は皆、物と物の名とを混同しながら育って来たのだ。物の名を呼べば、忽(たちま)ち物は姿を現すと信ずる子供の心は、そのまま怠惰な大人の心でもある。
--【引用ここまで】--

何だかわかったようなわからないような、つまりいつもの秀雄調といった感じ。

まあでも、頭の中にすべてが存在するという素朴なSF的唯脳論では、たぶん「物」=「物の名」じゃないかしら。そんな条件でなくても、一人の頭の中では物とその名前は一緒のような気がする。俺が怠惰な大人だからか。

それはともかく、慣用句などで使われる比喩の大元が姿を消して、その表現だけが残るという事態も起こる。これは物を知らずに物の名(というかその影)だけを知っている状態だ。中身が朽ち果てたポンペイの遺跡みたいな。

例えば「オブラートに包む」という表現。オブラート自体を知らずにこの表現を知っているということは多そう。

こういうのとはまた別に、何だかよくわからないけれども通用しているのが「怪文書」ということばだ。怪文書。何だか恐ろしげだけれども、ちょっと読んでみたくなる。

ウィキペディアによると、怪文書の定義はこうである。

--【引用ここから】--
怪文書は、その出所が不明で情報ソースが不確かなものである。根拠不明の情報でありながら、拾い読んだ者にある種の影響を与え得る為に問題視される。
http://bit.ly/bQHf58
--【引用ここまで】--

ここでは明示されていないけれど、やっぱり文書ということも条件なのだろう。噂話や流言自体は普通怪文書と言われない。著作者が明示されるべき文書でそれがなされていない、責任の所在が明らかでないという条件が必要だ。

例えば週刊誌というのはずいぶん根拠薄弱なネタを扱うようで、しょっちゅう訴えられて負けたりもしているから、よほどのあれでない限り話半分という受け取り方をする。そこまで言わずとも人間は信じたいことを信じ、信じたくないことは信じないらしいから、「へえ」と思ったり「また嘘ばっかり」と鼻で笑ったりという態度であの出版物に接する。

でも週刊誌は怪文書ではない。これは事実を書く精度ということではなくて、週刊誌は訴えれば誰か責任者が出てくるからだ。つまり責任の所在が明らかだから。まあろくな責任はとってもらえないらしいけど。

それに特定あるいは不特定の人物・団体を扱うというのも条件なのかな。「富士山の高さは3776メートルより高い」という文書は怪文書ではないだろう。それに「政府がごまかしてる」とついたら(ずいぶん程度は低いとはいえ)怪文書になりうる気がする。そして上に述べた「扱う」というのは普通は攻撃することを指す。

みなさんはどうか知らないけれども、俺は怪文書を実際に見たことはない。怪文書の名を知りながら、怪文書を知らない。

この怪文書というのは良い名前で、意味するところは「怪しい文書」という素朴なものだが、しかし妙に力をもった名前だ。

「インセプション」とか変なタイトルつけずに、こういう力強い名前をつけてほしい……ということを言いたくて怪文書について調べたのだけれど、おっかない事件があるのだね。

御中元的に、あたくしの厭な気分をおすそ分けします。こちら
プロフィール

いかづら菩薩 武藤

2003年結成、現在に至る。
都内にて活動中。
武藤Vo, Gt, blog
澤田Ba, Cho
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Live情報
LIVE予定
10.30(日)吉祥寺PLANET K
10月30日(日)「Hello!Hello!」
吉祥寺PlanetK
http://inter-planets.com/
open 17:30 / start 18:00
※我々の出番は最後、20:30過ぎあたりから。
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