プロテスタンティズム - 宗教改革から現代政治まで (中公新書)
今年は「宗教改革」500周年である。1517年10月31日、マルティン・ルターがヴィッテンベルク教会の扉に、カトリック教会の贖宥状(いわゆる免罪符)を批判する「95ヶ条の提題」を釘で打ち付けたことから近代が始まった…と教科書には書かれているが、彼がこの提題を貼り出した形跡はない。ルターがカトリック教会を否定したこともない。

彼らの運動は改良(Reformation)と呼ばれたが、カトリック教会は彼らを「教会に反抗する者」としてプロテスタントと呼んだ。トレルチも指摘したように、ルターの教義は初期教団に回帰する復古主義であり、近代の始まりというより中世の終わりと考えたほうがよい。彼のビラが印刷されてこれほど大きな反響を呼んだのは、終わりかけていたローマ教会のヨーロッパ支配に最後の一撃を与えたためだった。

それは日本でいうと、幕末に似ている。「神聖ローマ帝国」の実態はドイツのバラバラな領邦で、その全体を統括する精神的権威はローマ教皇にあった。贖宥状はルターの前から多くの聖職者が批判していたが、その背景にはドイツの俗権とイタリアの教権の対立があった。ルターがローマ教皇を批判するとき、神の代理にすぎない教皇を超える神の権威を利用したのは、長州藩士が徳川家を倒す復古主義に「天皇」を利用したのと似ている。

ただ「国家神道」が無内容な天皇信仰だったのに比べると、聖書は内容のあるテキストだった。カトリック教会の礼拝はラテン語で行われ、聖書もラテン語で読めなかったので、説教はお経を上げるのと同じ儀式だったが、ルターが初めてドイツ語訳した聖書(特に福音書)は物語としておもしろく、当時できた活版印刷で急速に普及した。
死が日常化した時代

本来はセム語族のローカルな宗教だったユダヤ教は、1世紀にローマ化した。ローマ帝国の支配はきわめてゆるやかなもので、各属州の自治を認め、納税すれば内政には干渉しなかった。各地には民俗信仰があり、カトリシズムはそういう異教との折衷だった。

こういう状況を変えたのが、中世末期の戦争と疫病である。人口が3割以上も減り、人々がつねに死と直面する社会では、それを救済する(死に意味を与える)教会の権威が強まる。死は日常的な出来事になり、死んだら天国に行けるかどうかが人々の最大の関心事となった。人は原罪を負っているが、それは洗礼で取り消せる。しかし洗礼の後おかした罪はどうなるのだろうか。

中世には夫婦以外との性的関係は当たり前だったが、それは教会では「姦淫」として禁じられていた。洗礼後にそういう罪をおかした信徒は、真剣にその罪の「贖宥」を求めた。その罪は教会で告解することで贖えるとされたが、告解の後おかした罪はどうなるのか。

人々は毎日のように罪をおかすたびに教会に行って告解するようになったので、教会はそれを年1回に制限した。しかし疫病が流行しているとき、贖罪の前に死んだらどうするのか――それを解決するのが贖宥状だった。それは文字通り金で罪の許しを贖うものだったので、15世紀後半から爆発的に売れた。それを批判した聖職者は、ルターだけではなかった。

聖書には哲学的内容がほとんどないので、トマス・アクィナスの神学はアリストテレスの異教的な自然学との折衷だった。これは膨大だが首尾一貫していないので、それを批判するスコトゥスやオッカムは自然学を排除して一神教に純化し、ヨーロッパがキリスト教化したのだ。

プロテスタントからピューリタンへ

ルターは異教的な要素を排除してパウロ主義に回帰した。彼は封建領主をパトロンにして教会と闘ったが、その教義は俗権と分離していなかった。彼の義認説は、古代的な宿命論に戻るものだった。人が天国に行くかどうかは宿命的に決まっているという教義は、救済を代行するカトリック教会の批判だったが、結果的には自由主義を否定する思想になった。

本書はルターを継承するドイツの「古プロテスタンティズム」と、それを否定する「新プロテスタンティズム」を区別するトレルチの図式に依拠し、前者を保守主義、後者をリベラリズムの源流としている。これは標準的な考え方とはいえないが、ヨーロッパとアメリカのプロテスタンティズムを区別することは重要だ。

ドイツでもイギリスでもプロテスタント教会は「国教会」として保護されたが、これは宗教と国家を結びつけ、個人を束縛する点ではカトリックと変わらない。そこで教会を国家から切り離そうとする運動がピューリタンである。これは日本ではプロテスタントと同義に使われるが別の概念で、宗派とも必ずしも対応しない。

特に重要なのはバプテストで、これは幼児洗礼を拒否し、教会を信仰ある者だけの自発的結社とするものだ。もちろん国家の保護はないので、信徒の献金だけで運営しなければならない。これがアメリカ社会の競争原理のモデルになり、ナショナリズムという「意識せざる国教」になったと本書はいう。

しかし科学はキリスト教に代わって死を説明できるようになり、人々は罪を許してもらうために教会に行く必要もなくなった。それに代わってヨーロッパを席巻しているのがイスラムである。死を恐れない宗教は戦争に強い。彼らはキリスト教の歴史を500年遅れで繰り返しているのだ。