子ども格差の経済学
改造内閣では「人づくり革命」という意味不明の言葉が出てきたが、要するに「教育無償化」と称して地方に公共事業をばらまこうということだろう。本書は日本の教育に特有の「塾」を調べたものだが、「学校の予算を増やせ」という結論になっている。これは逆である。教育は学校と同義ではない。慶應義塾のような私塾こそ、非効率的な教育を改革する理念なのだ。

日本の公的教育支出のGDP比は、OECD諸国で最低である。この数字はよく教育無償化の根拠として出てくるが、これも逆だ。日本の私的教育支出のGDP比は、大国の中ではアメリカに次いで高い。親が教育の私的利益率が高いことを認識しているから、税金を使わなくても自発的に塾に行かせ、受験勉強をするのだ。

日本と同じような傾向が、韓国にもみられる。それはどちらも大学受験のスクリーニングがきびしく、受験戦争で人生が決まってしまう儒教圏の伝統があるからだ。これに対して大学のスクリーニングの信頼性が低い英米には塾はない。受験勉強しても、金とコネがないといい大学には入れないからだ。
塾は日本の誇るべき文化

本書の引用するデータは、江戸時代から始まった日本の塾の教育効率が高く、特に芸術やスポーツの面では学校教育に不可能な創造的才能を育てることを実例で示している。こうした私塾は親の負担で運営されているので、市場メカニズムが機能し、競争も激しい。

ところが本書は、なぜか「塾に通わせるべきではない」と結論し、学校への公的投資を増やすべきだという。著者は「塾のような私的な教育投資は、教育投資ができる親とできない親の所得格差を拡大するので、国家の教育投資を増やせ」というが、格差を解消するには公立と私立を問わず教育バウチャーを支給し、親が学校を選べばよい。

だが本書は、教育を阻害しているのは私立学校だからバウチャーはだめだという。「日本の公的教育投資のGDP比はOECD諸国で最低だ」というが、著者も認めるように、公的教育投資が小さいのは、日本の私的教育投資が世界最高水準だからである。OECDの調べによると、教育投資のGDP比は成長率とほとんど相関がない。

これほど論理の破綻している本も珍しい。それは著者が「格差社会」を糾弾して公的な教育投資を増やせという結論に合わせてデータを選択しているからだが、彼の主張は彼自身のデータで反証されてしまう。本としては読むに耐えないが、私塾こそ教育改革の中心だという資料集としては役に立つ。