2009年12月

アクセスの多かった日の記事 12月

今年も終わろうとしています。一念発起でブログを始めて早、半年。ブログは、出来事に反応して即座に考えをまとめる訓練になると感じています。もしもその考えが間違っていたら、なぜ間違えたのかを、あとからたどることもできるでしょう。そのばあいは、あえて自分の不明を晒すことになるわけですが、それもいいかなと思います。みなさま、これからもいろいろなご指摘、ご教示、よろしくお願いします。

今月、アクセスの多かった上位3本です。

1位 13日 
辺野古の目はなくなった
2位 25日 嘘をついている人の顔 「呼びつけられた」藤崎駐米大使
3位 9日 NHKは世論操作をやめて! 普天間・辺野古

期せずして、普天間・辺野古問題が並びました。月間を通して、あるいはこれまでのどの月も、そういう話題が多かったこともたしかです。ある方がご自身のブログに、「女性のブログにしては珍しく安全保障問題を取り上げる」というようなことを書いておられましたが、べつにこういう話題が好きなわけではありません。また、辺野古や高江に行けば、そこにいる半数はもちろん女性です。もしもわたしが男性であっても、これは喫緊の課題のひとつと考えると思います。ですから、女性であっても、もちろん。

ほんとうに、辺野古の目はなくなりました。一時的に嘉手納へ、あるいは最近浮上した下地島などへという可能性は消えていませんが、2案とも難題山積ですから、実質、「県内」はなくなったと見ていいと思います。なぜなら、鳩山さんは、5月までに結論を出すそうですが、自民党沖縄県連は、この問題が年を越したら辺野古案反対に転じると、自民党本部に通告済みです。そうなると、来年、沖縄は県ぐるみで辺野古案反対になるからです。辺野古の作業は続いていますし、予断は禁物ですが、来月の名護市長選挙で辺野古案つまり「日米『旧政権間』合意」反対候補を、わたしたちがどれだけ圧勝させるかが鍵だと思います。

鳩山さん、意を強くしてください。あなたが主張してきた米軍常駐を廃するという方針は、限りなく正しいからです。占領軍が銃とブルドーザーでつくった基地が60余年居座り、しかもそれに毎年、巨額の貢ぎ物をし続けるなどということは、どう見ても異常です。世界にこんなところはありません。主権者である住民をアメとムチで分断統治するというやり口を、旧政権ないし外務省と防衛省は植民地支配から学んだのでしょうが、そんなことを踏襲するのは、民主主義によって正統性を付与された政治家として恥だと、肝に銘じていただきたい。嘉手納は封鎖、県内転がしはもうしない。まずは、安保とも「抑止」ともおよそ無関係の海兵隊常駐廃止への突破口であるこの一事をなしとげて、歴史に名を残してください。

ふう、かっかしてしまいました。

アクセスの少なかったのは、以下の記事です。

1位 6日 
校舎になった兵舎 友部にて
2位 1日 自民党終わってるかも 町村サンの野次
3位 5日 「アメリカか連立か」って本気で言ってるの?

こちらも、2本までが辺野古問題です。3位の記事で言ったことは、今ますます言わねばならないと感じています。繰り返しになりますが、鳩山さんは連立を組む前から「県外・国外へ」と主張してきたし、その年来の政治理念は「米軍常駐なき安保」です。マスメディアは、そのことを忘れたフリをしています。

今月の珍現象は、23日に先月25日に書いた「”やねだん”に行ってきました」へのアクセスがたくさんあったことです。メールをくださった方がいて、その日やねだんがテレビで取り上げられたことを知りました。わたしも、テレビで興味のあることをやっていると、すぐネットで調べます。そういう方は多いんですね。でもやねだんの記事を読み返してみて、そうやってこのブログにたどりついてくださっても、情報としてはあまりお役に立たなかったのではないかと思いました。写真もぼけていますし。すみませんでした。

来年は、写真を充実させることが課題、というご意見もあります。記事が長すぎるというご意見には、心してお答えできるようにします。が、短時間で書くので、長くなってしまうのです。なんとか解決すべくがんばります。

みなさま、よいお年をお迎えください。
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スマトラ沖大地震から5年

スマトラ沖大地震は、22万人以上の犠牲者を出しました。地震の起きた26日には、テレビは真新しい、でもどこか薄っぺらい復興住宅の立ち並ぶさまや、テントの下で祈りを捧げるイスラム教の人びとの姿を伝えていました。

5年前の今ごろは、いち早く現地入りした国際緊急援助隊(何度も取り上げ、しつこくてすみません)のオレンジ色のジャケットが、海辺で行方不明の家族を捜す少年に寄り添う姿に、胸もつぶれる思いをしていたものでした。また、帰任とちゅうの自衛艦がUターンして犠牲者の遺体収容にあたったというニュースに、その本来任務はともあれ、家族とのお正月を返上するのだろう乗組員の方がたの心中を思いました。

その後も、この10月2日はサモアでというように、アジアは何度も大地震に見舞われました。アジアの最大の脅威は天災と言ったのは、ゲイツ米国防長官です(
12月20日の記事)。それにたいするシステムは、その後、整備に向かっているようですが、こうしたことに対処することこそが「先進国」の務めだということを忘れないために、「DAYS JAPAN」05年2月号、つまり大津波の直後に広河隆一編集長にせっつかれて大急ぎで書いた記事をここに再掲しておきます。

( 「DAYS JAPAN」年間定期購読キャンペーンには、心あるみなさまが賛同してくださいました。ありがとうございました。でも、安定して発行していけるにはあともう一歩です(こちらの記事参照)。どうか周囲の方がたにもお勧めください。わたしもこんな記事を書いている「DAYS JAPAN」をどうぞよろしくお願いいたします。)


2004年12月26日、スマトラ島西方沖でマグニチュード9の地震が起き、大津波がインド洋沿岸の十数カ国を襲いました。世界でももっとも人口が集中する地域で、正真正銘、未曾有の災害が起きたのです。
 
アメリカを筆頭にした「有志同盟軍」は、六百数十日かけて十万人あまりのイラク人の命を奪いましたが、それをさらに上回る人びとが、一瞬のうちに大自然のメカニズムの犠牲になりました。その後も緊急医療や衣食住の欠如、疫病のおそれ、さらには孤児の人身売買など、災害はかたちを変えてもっとも弱い人びとを脅かし続けています。
 
ところが、地震の翌々日、この天災がじつは人災でもあったと、アメリカの「国際行動センター(IAC)」(主催ラムゼイ・クラーク)が告発しました(TUP-Bulletin 速報433号、山崎久隆訳、12月31日配信)。それによると、この地域が巨大地震の巣であり、津波警報システムの構築が急がれることは科学者たちの共通認識だったのに、米政府はその費用を出そうとしなかったそうです。
 
さらにひどいことがあります。科学者たちは大地震をキャッチし、米政府はインド洋のディエゴ・ガルシア島にある米軍基地に津波警戒情報を伝えました。が、そこまででした。各国への地震情報の冒頭には、「これは津波警報ではない」と書かれていました。IACは、「この地域の人びとに対する帝国の蔑視と人種差別」「犯罪的怠慢」と非難しています。
 
ことの真相は今後の検証にまつとして、たとえそうだとしても、わたしたちはIACの尻馬に乗って米政府を批判すべきではないでしょう。わたしたちはわたしたちの政府と科学者に問うべきです。今まで、そして今回、だれがなにをし、なにをしなかったのか、と。そもそもTSUNAMIという語は、日本語が学術用語になったものです。TSU(湾)にNAMI(波)が入ると大きくなるという、海水の動きと地形の複合現象をどの言語より的確に言い表す語を持つほどに、このくにはこの天災の恐ろしさをよく知っているはずでした。
 
気象庁のサイトは地震の翌日、くわしい解説とともに長野・松代の精密地震観測室がとらえた地震波の画像を掲載しました。でも、地震発生直後、津波警戒情報を各国に伝えねば、と思いついた科学者は、気象庁にも研究所にも大学にもいなかったのでしょうか。そういう動きはあったのかもしれません。が、現実に大惨事は起き、今のところこのくにの科学者から警告が発せられたとの報には接しません。
 
テレビで、嬉々としてとしか言いようのない表情で手際よく今回の津波を解説する科学者を見るにつけ、わたしは恥ずかしくて血が逆流しそうです。なぜなら、もしも科学者たちが、「せめて啓発の必要性をよびかけ、研究者どうしの情報網ぐらいは用意しておこう、さもないと、世論に科学者としての責任を問われる」と発想してこなかったとしたら、世論を形成する市民のひとりであるわたしもまた、責任を免れないからです。
 
津波発生直後から、CNNなどは連日、緊急援助に重点を置いた特別番組を放送していましたが、このくにのテレビ各局は年末年始番組一色で、津波のニュースは日本人被災者のことが主でした。それは、マスメディアがわたしたちの欲望として読んだものがあのように現象していた、とうけとめるべきです。

このくにの首相は予定通りお正月休みをとりました。現地の大使館も休暇に入ろうとしてあわてて撤回しましたが、着の身着のまま帰国を急ぐ自国被災者から旅券再発行の通常料金を取ったそうです。この、国の機関を上から下まで貫く冷たさは、憶えておいていいでしょう。でも、それを許してきたのもまた、ほかならぬわたしたち市民なのです。

米政府が出し渋った、ツナミーターという簡単なブイを二個、インド洋に浮かべるための費用は、50万ドルでした。5000万円強、このくにのちょっとした家一軒分のお金です。もっとも、このことで米政府が責任を追及されるいわれはないでしょう。現地に飛んだパウエル長官の、「アメリカに任せてほしい」とのスピーチが、国連中心の協力体制の前に吹き飛んだのは、当然とはいえよろこばしいことです。今、世界じゅうから空前の規模で支援が提供されようとしていることも、このくにが官民を問わず資金と人材で貢献しようとしていることも、当然だと思う反面、こうなる前にたったの5000万円を惜しんだこの世界は倒錯しているとの重苦しい思いにうちひしがれます。もう人類は戦争などしているばあいではないという叡智へと一歩でも近づければ、わたしたちの愚かしさのために命を落とした方がたへのせめてもの手向けとなる、と思わずにはいられません。
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「『1カ月ルール』破り」は平野官房長官のチョンボ

マスメディアが政権運営を批判してきた理由のひとつに、「天皇会見『1カ月ルール』破り」があります。天皇と習近平・中国国家副主席の会見申し込みが、1カ月前を切っていたのに、政府与党がごり押しで認めさせた、というものです。

ところがこれ、ただの連絡ミスだったというのです。

「北京特派員のひとりが事情を明かす。

『……中国側も1カ月ルールを熟知していて、外交通商部を通じてかなり早い時期から会見の打診をしていたのです。ところが、中国の国内事情によって、習副主席の細かい訪日スケジュールが確定しない。だから、幅のある日程を伝え、確定後、再度連絡をするということで了解をもらっていたのです。

ところが、それを内閣官房が宮内庁に伝えていなかった。正式な要請を「1カ月ルールだから」とはじかれ、青ざめた外交通商部は、なんとかならないかと、方々にお願いしたということです。仮に天皇陛下にあえなかったら、習副主席の将来がぶっとぶような話です。ナーバスになっていたのは中国側です』

(中略)首相官邸の政務のひとりが証言する。

『平野長官が宮内庁に伝えるのを忘れた、それだけの話です』」

以上、「週刊文春」の上杉隆「鳩山民主『100日の愛憎』」(12月31日・1月7日新年特大号 193ページ)からの引用です。

このこと、新聞テレビは報じたのでしょうか。証言者は特派員とありますから、どこかのメディアの一員でしょう。そのメディアはこの重大な経緯を伝えたのか、どうか。

メディアは、小沢幹事長の「憲法読んだの?」会見や、羽毛田長官の異例会見を繰り返し報道しました。でも、これについて誰が何を言ったということより、平野官房長官の連絡ミスという「事実そのもの」のほうが、わたしたちにとって、ずっと知る価値がありました。事実を踏まえたうえでの「誰が何を言った」でなければ、すべては無意味なのですから。けれどマスメディアは、この無意味のなかから「天皇の政治利用」問題という議論をひねり出し、「小沢独裁、鳩山もうだめ」という、彼らにとっての「意味」を生みだしてみせました。まるで、空っぽのシルクハットから兎を取り出すように。

来る国会では、野党はぜひこのことを追求していただきたいと思います。そうすれば、メディアも事の発端に立ち戻って検証せざるを得なくなるでしょう。

中国だって、この騒動は迷惑なはずです。1カ月ルールを破ってもらったことになってしまったからです。中国は相手国の慣例に無知なのか、あるいはそんなものは無視するほど居丈高なのだ、という暗黙の了解が定着するのは、かれらにとって好ましいことではありません。

もしも、民主党が公約通り、官邸記者会見をオープンにしていれば、このことを上杉さんが質問したでしょう。平野サンは、落ち度を認めざるをえなかったでしょう。それをいい反省材料として、従来の事務次官会議をつうじた官僚によるハンドリングを許さないかたちで、いかに省庁間の連絡に遺漏のない体制をつくるか、政権は知恵を絞るべきでした。

今後、事実が明らかになれば、責任問題は官房長官におよぶでしょう。平野サンは、「これまでもずっと自らの失敗や不作為を首相に報告せずに、隠蔽し続けてきた」(上記記事)そうです。まあ、何を失敗、不作為と言っているのかは例示されていないし、上杉さんと平野サンは、記者会見開放問題をめぐって天敵関係にありますので、このコメントは割り引いてうけとめるべきでしょう。それでも今回の一件、わたしは重大な責任を問われると思います。

余談ですが、中国側がまず「そこをなんとか」とねじ込んだのは、もちろん羽毛田サンのところでしょう。そのとき、官邸には1カ月前から言ってあったのだ、という説明はしたでしょう。とすると、「1カ月ルール」をふりかざした羽毛田サンって、けっこう腹黒いかも。そして、小沢さんは、もし中国は1カ月以上前から打診していたことを知っていたとしたら、平野サンの失態をバラさなかった、不遜な会見で悪役を演じ、平野サンをかばったことになります。かばうことないのに、とわたしは思いますけど。

鳩山さんは、来年、記者会見をオープンにしていくそうです。メディアに物語を創作されないために、早くそうすべきです。
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偽装献金会見がX’masプレゼントでなくお中元だったら

鳩山さんは、秘書さんたちが起訴された24日に記者会見をしました。翌25日には予算案が発表され、またしても記者会見。これ、順序が前後していたら、「予算と引き替えに鳩山のクビを」と意気込む勢力を、より利することになっていたでしょう。お役所の御用納めもにらんだ、薄氷の日程だったのでしょうか。

「井戸塀政治家」という、なつかしいことばを思い出しました。政治活動のために田畑も家も蔵も手放して、最後は井戸と塀しか残らなかった政治家、という意味です。政治資金規正法には、この井戸塀政治を禁止する、という意味合いもあります。金持ちが政治を牛耳ってはいけない、という考え方です。たしかに、イタリアのベルルスコーニさんみたいな人が出てくるのは、わたしもなんだかなあと思います。でも、足尾銅山鉱毒事件に奔走した田中正造は「赤貧洗うがごとし」、典型的な井戸塀政治家でした。

ところでこの会見、4、5カ月前の、民主圧勝という観測が出ていた衆議院選挙の最中にやるわけにはいかなかったのでしょうか。結果、民主党はこれほど勝ちはしなかったでしょう。それでも、自民党は負けたと思います。つごうの悪いことをつまびらかにした上での勝ちのほうが、新政権の正統性を強めたことは確かです。そうすれば、政権奪取後、いらぬことで政敵やマスメディアに攻撃の材料をあたえずにすみました。

案の定、26日になると鳩山さんは、「米海兵隊全面グワム移転はむり」と言い始めました。代替施設は長崎の大村と、具体的な地名もちらつきます。抑止力が失われる、というのがその理由です。800人程度の海兵隊なんて、抑止力になどなりませんし、抑止すべきどんな危険があると言うのでしょう。抑止力を持ち出すのは、対米追従で権力を保持しようとする人びとのよく使う手です。抑止力を口にしたとき、鳩山さんはついにかれらの手に落ちたか、と愕然としました。

なぜ案の定かというと、この間のメディアの新政権叩きがそろそろ功を奏してきたと思うからです。実権は小沢、から始まって、3党不協和音、閣内不一致、天皇政治利用、日米「同盟」の危機。わたしの見るところ、とんちんかんなことで騒いでは、判で捺したように、鳩山決断力あるいは指導力に疑問符、と結論づけます。マニフェストにいたっては、こだわるのはよくないと言い、変更すればするでそれをまた叩く。これだけ寄ってたかって叩けば、支持率は下がるに決まっています。

でもこの間、新政権は大仕事をやっています。なんと言っても、予算のつくり方をがらりと変えたことです。官僚の出してくるものにちょこっとお化粧直しをするのが、政治家の役目ではなくなりました。政務次官などの政治家どうしが熾烈なやりとりをして、決めていった。不十分を言うのはたやすいことです。でも、これを数年続けたら、このくにの予算はこれまでとはまったく違ったものになるでしょう。

事業仕分けだって、あれだけの短期間で2兆円弱でしたか、削れたのはすごいことです。あれはサンプル調査であって、無駄を生む同じ仕組みがほかの分野にもあることが学習できたわけで、あと数年、経験を積んでスキルも上げた人びとがこれを続けたら、効果は絶大でしょう。

けれど、マスメディアは新政権を叩き続けた。そして、これまで批判されてきたこととは違って、理由が根も葉もなくはない偽装献金問題での謝罪。鳩山さんは自信をなくしているのではないでしょうか。それで、安保外交の方針を大胆に転換するのが怖くなった。アメリカと言うより隠然たる対米追従勢力、それを代弁するメディア、そしてそれに操られた世論が怖くなった。そして、たしかに辺野古ではないにせよ、「抑止力のために米海兵隊に残って『もらう』」発言をした。

こうしてみると、メディアの新政権叩きは、支持率を落として政治力を殺ぐことにより、米軍基地を国内にとどめ置き、それによって対米追従を続けるため、という一点に向けてのことだったと思わざるを得ません。メディアには、この政権は、将来に向けてこのくにのあり方を変えるという使命を帯びているのだ、という認識が稀薄です。メディアが権力を批判するのは当然です。それでも、その批判のしかたには、ともにこのくにの将来を開いていくために、世論形成に貢献するような、正確な情報を提供しようという意志が感じられません。

しかし、それでも、です。「政権交代政権」としての鳩山政権に期待する人は、自民党の政権復帰を望む人より多いこと、どんなにバイヤスのかかった世論調査を見ても明らかなのです。それを、メディアがきちんと分析したりていねいに伝えたりしないだけの話です。ここは、なんとしてでも新政権に踏ん張っていただきたいところです。
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NHKの”陰徳” 「日本と朝鮮半島2000年」

きのうに続いてNHKを取り上げ、かつ持ち上げます。

よいしょする前にひとこと。

NHKは今、ドラマ「坂の上の雲」について、ネットで総スカンを食らっている感があります。これは軍国主義を美化するものではないのか、と。制作発表の直後にこうした反撥が出たことに、まず驚きました。みなさん、文庫で8冊になるあの長い小説を読んでるんだ、と。

わたしは読んでいません。なのに、講演でこのドラマに触れろ、とのご要望もあるので、毎週とはいきませんが、チラ見しています。本木雅弘が褌いっちょうでふざけた歌をがなり立て、伝統的な民衆の挑発と侮蔑の身振りを披露したシーンでは、もっくんが立っていた高い飛び込み台から転げ落ちるほど驚きました。前まえからいい役者だと思ってはいたけれど、観たことのないNHK大河ドラマも「徳川慶喜」だけは観たけれど、これほどとは思っていなかったからです。

そういうこぼれ幸いとでも言うような眼福はあるものの、なぜNHKは今この小説のドラマ化に巨費と多大なエネルギーを投入するのか、どのような需要があると見ているのか、さっぱりわかりません。当方に、ある種のセンスが欠如しているためでしょう。まあ、当分はもっくんをお目当てに観ることにしますが。

さて、本題です。そのいっぽうでNHKは教育テレビで月に1度ぐらい、「ETV特集 シリーズ『日本と朝鮮半島2000年』」を放映しています。これは録画し、雑用中に流して「復習」しています。それほどに、わたしには知らないことだらけです。古代王権とその統治、それとは一線を画した人や物の交流は、現代の国民国家に縛られた目にはまったく理解できないということが、各地のロケや遺物の映像をとおして、体感として迫ってきます。200年にもならない国民国家の形成をうたいあげる「坂の上の雲」と、国民国家の底の浅さを思わされる「日本と朝鮮半島2000年」、NHKはみょうに「両論併記」です。

きょうは夜10時から、第9回「朝鮮通信使 和解のために」が放送されます。番組には毎回、ロケとスタジオでのトークに女性がレポーターとして登場します。朝鮮語に堪能なタレントさんや、韓国出身のタレントさんなどですが、今回は田月仙(チョン・ウォルソン)というオペラ歌手が登場します。

田月仙さんは在日二世です。その半生を綴った『海峡のアリア』(小学館)は、ノンフィクションの賞を受けました。北に帰った兄たちの運命、家業が倒産し、一家が離散するなかで、たったひとり音楽の勉強をした時代。これが、人が初めて書いた本かと驚嘆するほどの筆力で、ぐいぐいと人を惹きつけます。

当時、唯一、朝鮮高校出身者に門戸を開いていた音楽大学、桐朋学園の入試で、「国語」をまったく勉強したことのなかった月仙さんは、四文字熟語の穴埋め問題、「□肉□食」に「焼肉定食」と解答してマルをもらいました。これ、有名な現代(都市)伝説ですが、月仙さんに限っては実話です。半生記では、なぜかこのエピソードは省かれています。苦境にあっても、どこかおマヌケで誰よりも明るく周囲を元気づける月仙さんを語る逸話として秀抜だと思うのですが、残念です。

友だちのお父さんが月仙さんのピアノの先生だったので、わたしはその友人宅でチマチョゴリの制服姿の月仙さんを見ています。そして、彼女がいよいよ歌手として世に出るときには、小説家の梁石日(ヤン・ソギル)さんたちと応援団をつくり、自主コンサートを開くなどしました。25年ほど前の、わたしたちの「のだめカンタービレ」です。当時は梁さんもわたしも、今からは考えられないほど暇だったのですね。そして若かった。そういえば、わたしは月仙さんの仲人もしました。

その後、月仙さんはめきめきと頭角をあらわし、まさに海峡をまたにかけて活躍しています。平壌とソウルの両方のオペラハウスで主役を演じたのは、今のところ月仙さんだけではないでしょうか。平壌では、金日成サンもその歌を聴きました。金大中大統領が来日したときには、真新しい首相官邸での晩餐会で歌いましたし、10年ほど前には、韓国版紅白歌合戦にも出ました。筑紫哲也さんが何度も「NEWS23」に出して応援してくださったことには、今も感謝しています。

在日という、日本にいても韓国や北朝鮮に行ってもマイナスのカードでしかなかったものを、時の流れを味方につけながら、田月仙という華のある存在が一気に最強のカードにしていった、その過程を思い返すと、その陰にあった月仙さんの強い思いと血のにじむような努力の積み重ねが思い合わされて、胸が熱くなります。

月仙さんが出演するきょうのテーマは「和解のために」。在日というアイデンティティを、北と南、半島と列島の新しくよろこばしい絆のために生かそうとしてきたのが、ほかならぬ月仙さんです。なにか符合めいているようでなりません。
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1年前ガザで ネットがリアルタイムで戦争犯罪を暴く時代が始まった

1年前の2008年12月27日、イスラエルによるガザ攻撃が始まりました。年末年始の3週間、ガザ沖に集結した艦船からの艦砲射撃と地上からの砲撃、有人無人の飛行機による空爆、そして地上軍の「掃討作戦」に、ガザは蹂躙されつくしました。

こんなことが容認されるはずがありません。

9月には、国連人権理事会が、これを戦争犯罪とする報告書を公表しました。今月初めには、ロンドンの治安裁判所が、イスラエルのリブニ前外相に逮捕状を出したため、前外相は予定していた訪英を中止しなければなりませんでした。

政治のレベルでの「正義」は、ぜひ実現してほしいと思います。けれど、それが実現したとしても、失われたいのちは戻りません。失われた手も足も、すこやかなこころも。

このブログは、ことあるごとにNHKを批判してきましたが、ドキュメンタリーでは公共放送の責任を果たしていることも、つとめて評価してきたつもりです。そんな番組のひとつ、4月に放映された「子どもたちは見た 〜パレスチナ・ガザの悲劇〜」は、ガザで長らく取材を続けてきた
古居みずえさんの渾身の訴えがこめられた力作でした。

中学生ぐらいでしょうか、イスラエル兵に両親を殺されたおねえちゃんは、顔いっぱいに黒っぽい緑色の絵の具を塗りたくります。家に踏み込んだイスラエル兵の迷彩メイクをまねているのです。幼い子どもたちは怯えます。やめなさい、というおとなの制止も無力です。おねえちゃんは言います、「こうすると気持ちいい」。

心が壊れている。こういう子は、もちろんおとなもですが、おびただしくいるのでしょう。戦争は、市民1人の死にたいして、10人の負傷者、100人のトラウマに苦しむ人びとを生むとは、よく言われるたとえです。戦場になるのはほぼすべてが途上国で、そこでは2人に1人が14歳以下の子どもです。子どもたちが死に、怪我をし、心に傷を負っています。

そしてこの人びと1人ずつには家族や友人がいて、そのすべての心が傷ついているのです。あれから1年、あのおねえちゃんはどうしているだろう。クリスマスの翌々日は、思い出すだに苦しい日になりました。

あのとき、砲火の中からガザの大学教授が発信するメールを、瞬時に訳してネットに流してくださった方がたがいます。そのメールが、停戦後すぐガザに入ったジャーナリスト
志葉玲さんの写真とともに、1冊の本になりました。きょうは、信濃毎日新聞に書いたその本の書評を貼りつけます。ガザを忘れないために。

きょう夕方から、築地本願寺で、古居さんも参加して
キャンドルサービスが催されるそうです。


サイード・アブデルワーヘド著 岡真理+TUP訳『ガザ通信』 (青土社刊)

昨年の12月27日、イスラエル軍は空と海からガザ地区への爆撃を開始した。2年で5人が犠牲となったハマスのロケット砲への報復だという。ほどなく地上軍も侵攻し、3週間で1400人以上とも言われる死者を出した。
 
私のパソコンに「空爆下ガザのアブデルワーヘド教授からのメール」と題する第一報が入ったのは、大晦日の深夜だった。メールはそれから毎日のように届いた。
 
ガザの大学で英文学を教える教授は、乏しい灯油で発電機を回し、パソコンを起動させた。電気どころか水も燃料もない中、至近距離で絶えず爆発音が響き、おびえ泣きわめく子どもたちをなだめながら、「夜明け前、ガザの空のいたるところに黒煙の雲があった! わぁぁぁぁぁ、今まさに、足元で地面が揺れている!」といったメールを、教授は日夜、世界に発信し続けた。メールの登場によって、市民を標的にした国家による戦争犯罪が、どんなにジャーナリストを排除しようとも隠蔽不可能になった歴史的瞬間だ。
 
その内容のあまりのむごたらしさ、戦場の市民の声にほぼリアルタイムで接しているという事実への恐れ、発信者の住居が特定され、家族ともども抹殺されるのではという恐怖。いてもたってもいられない2週間だった。だからメールが届くと、「血と大量の死体の匂いがする!」といった内容でも、教授はまだ生きている、と安堵したものだが、安堵するなど異常だとの自覚はあった。
 
この間、日本にもろくに眠らずに教授のメールを訳し、発信し続けた人びとがいた。それらのメールは転送に転送を重ね、多くの人びとが読んだ。それがこのたび1冊の本になった。停戦直後にガザ入りしたフリージャーナリストの写真に改めて愕然とし、砲撃にさらされる立場からあの年末年始を再度たどって、恐怖を新たにした。

すべての戦争論者にお願いしたい。勇ましい議論は、存在すること自体が奇跡に近いこのなまなましい記録を読み、戦争が市民に何をもたらすかを知った上でしてほしい、と。そして、私たちは忘れないでいたい。今日も世界各地の戦場で殺された市民の多くは、メールしようにもパソコンも持たなかったことを。

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嘘をついている人の顔 「呼びつけられた」藤崎駐米大使

クリスマスだというのに、きのうに続いてマスメディアの偏向ないしレベルの低さとメディアリテラシーについて、考えこんでしまいました。

まず、12月23日の
TBSニュースをご覧ください。呼び出されたとする藤崎大使の主張を、クローリー次官補が否定した、という内容です。藤崎大使の表情にご注目。動画はいずれ消えるので、記事を貼りつけておきます。

普天間移設問題をめぐり、藤崎駐米大使が21日にアメリカのクリントン国務長官に呼ばれ、会談したと話しましたが、これについてアメリカ側は、「大使は呼ばれたのではなく、国務省に立ち寄った」と説明しました。

「(クリントン)長官が大使を呼ぶというのは、めったにないことでございますが・・・」(藤崎一郎駐米大使)

21日、藤崎大使は、クリントン国務長官に呼ばれて国務省を訪れた、と述べました。これについて、国務省のクローリー次官補は呼び出しを否定しました。

「大使は(クリントン長官に)呼ばれたのではなく、国務省に立ち寄ったのだ」(国務省・クローリー次官補)

そして、訪れた理由については、「普天間問題の解決には、さらに時間が必要だ」との日本側の立場を伝えるためだったと説明しました。

アメリカ側は、大使の呼び出しを否定することで、「異例の会談」との印象を払拭し火消しに走った形ですが、双方の食い違いは、ギクシャクする日米関係を象徴するものといえそうです。(23日11:28)

同じことを、
FNNはこのように伝えています。こちらも、記事を貼りつけておきます。

アメリカ軍の普天間基地移設問題で、日本政府が結論を先送りしたことについて、アメリカのクローリー国務次官補は22日、「計画実施のスケジュールに与える影響を懸念している」と述べ、あらためて日本政府に早期決着を求めた。

クローリー次官補は、「(結論先送りが)現行計画の履行スケジュールに与える影響を、われわれは懸念している」と述べ、日本政府に早期決着を求める姿勢を示したほか、「現行計画が沖縄の負担軽減と、日本の防衛、アジアの安全保障にとって最善の道だ」として、日米合意通りの移設を要求した。

この問題をめぐっては、クリントン国務長官が21日に藤崎駐米大使を呼び出し、現行の日米合意の履行を求めていて、クローリー次官補によると、この会談で、藤崎大使は「もう少し時間が必要」との考えを示したという。


このふたつのストーリーが
同じニュースソース(米国務省サイトに公開されている会見)をもとにしているとは、にわかに信じがたいことです。

なぜこんなに違うのか、その謎の鍵は、2つの局が22日のクローリー次官補の会見の、べつべつの部分を強調したことにあります。

TBSは、映像として、以下の問答の【 】でくくったところを切り取りました。英語力がおぼつかないので、できれば直接、米国務省サイトにあたってください。

質問者:きのうの国務長官と日本大使の会見について何か情報は? 普天間について話すために来てほしいと、長官が言ったと聞いていますが。

クローリー:その、わたしが思うにですね、日本大使はカート・キャンベル副長官と会うため、またクリントン長官と会うために立ち寄った、ちょっと立ち寄ったんですね。会談で大使は、合意に至るにはもうすこし時間が必要だと。わたしたちは、あいかわらず現行案が最善だと信じていますが、この件にかんしては日本側と協議を続けるつもりです。

質問者:「ちょっと立ち寄った」とおっしゃいましたが、大使を呼びつけたわけではないと言いたいわけですね。

クローリー:そうです、よろしいでしょうか……

質問者:政府が閉まっていた日にですよ、しかも…… 

クローリー:【大使は、わたしが思うにですね、わたしの、つまりわたしは大使が呼びつけられたとは考えていません。ほんとに大使が会見を求めてきたのだと、考えています。】


クローリーさんって、例の「肩すくめ会見」と言い、あせって考えをことばにまとめようとするとき、つんのめるような話し方をなさるんですね。いいキャラしています。この言い方からするとクローリーさんは、藤崎大使が「キャンベルさんいますか? いらっしゃるなら、ちょっと立ち寄っていいですか? クリントンさんならもっといいのですが」みたいなノリで国務省にアポを入れてきた、と受けとめているようです。

この日、「政府が閉まっていた」のは、大雪のためです。質問者は、官庁が業務停止しなければならないほどの大雪の日に、外国の大使を呼びつけるなんてことがあるのか、と言いたかったのでしょう。実態は、機を見るに敏な藤崎大使がその日の朝、「大雪で政府のオフィスが閉まってる。長官は暇だろう。アポ入れてみよう」と判断した可能性が高いと、わたしは見ます。

クローリー次官補の会見に戻ります。コペンハーゲンでの鳩山首相とクリントン長官の会話の中身を知っているかとか、なにしろ歩きながらとかディナーをとりながらの話ですからねとか、核密約の証拠が日本で出ましたねとか、あと、北朝鮮問題などについてのやりとりが続き、この日の会見の最後に、また普天間問題を蒸し返した記者がいて、クローリー次官補がこう言った、その一部の映像をFNNは切り取り、字幕付きで報道しました。【 】でくくったところです。

 クローリー:わたしが言いたいのは、日本は政権交代したということです。政権移行にはむつかしいものがあると理解しています。これはわたしたちも経験したばかりです。そしてわたしたちは、日本と作業を続けていこうと。【はっきりしているのは、そのために現行案の実施に遅れが出るのでは、という潜在的な懸念があるということです】が、わたしたちは日本と緊密に話しあいを続け、問題解決につとめていくつもりです。

クローリー次官補は、ここに引用した以外にも、「何度も言ってきたように」と、日本側と協議を続けること、政権交代した日本が方針を決めるには時間がかかることを理解していることを、「この日も」口を酸っぱくして繰り返していました。たいするに、遅れへの懸念への言及は、わたしの見る限り、ここ1箇所です。

TBSとFNN、どちらが正確にアメリカ政府の意向を伝えているかは明らかです。重要なことに、TBSのこのニュースは、これにかんする第2報です。第1報は、FNNも真っ青の、「アメリカが怒ってる!」という論調でした。つまり、TBSは訂正放送をしたわけです(そう謳ったわけではありませんが)。「ニュースのTBS」は腐ってない、まだまだだいじょうぶだ、と思わせるエピソードです。

もっともTBSの、「双方の食い違いは、ぎくしゃくした日米関係を象徴するものと言えそうです」というまとめはないでしょう。ぎくしゃくさせたい勢力が日本の外務省、そしてマスメディアにいるということであって、日本の内閣と米政府は、相互理解のもと、時間をかけて落としどころを真剣に協議しているのですから。

FNNとつるむかたちで「長官が大使を呼ぶということは、えー、めったにないということでございますが」と、伏せた目を横にきょときょと向けながら、せいいっぱい虚勢をはって話した藤崎サン、これが、人が嘘をついているときの表情なんですね。

岡田外相も、こういう奸臣をかかえてたいへんです。召還して真偽のほどを問い糾すべきではないでしょうか。というか、普天間基地は県外・国外へ、と主張している政権の意向を呈して働く気がないのですから、クビです、クビ。そういうことのために、政治家が省庁の長なわけでしょう。

時の政府に逆らってクビになった外交官はいます。天木元レバノン大使は、イラク攻撃反対の具申書を出して、実質、クビになりました。しかし、具申するのは大使の職務です。職務を果たしたらクビというのは不当だとは、名古屋高等裁判所も認めました。しかるに藤崎大使は、両国政府と国民にまっ赤な嘘をつくというかたちで、政府の方針に逆らったのです。これは、外交官として完全にアウトです。天木さんのケースとはまったく異なります。

いえ、これは事実に反します。天木さんは外務省の方針に逆らったので、外務省からクビになったのです。時の政権の方針は、外務省と一致していたというだけの話です。外務省には、政府も国会も差し置いて、われこそは国家なり、と考える一派がいるのです。

いっぽう、藤崎大使はその外務省の方針を体現しています。そして、現政権の意向は外務省の方針と一致していません。だから外務省は、自分から岡田外相に事情をつまびらかにして、藤崎大使を召還し罷免するかどうか裁可を求める、なんてことはしない。つねに外務省は時の政府とは関係なく、外務省の権力保持のために対米追従という方針を貫く、そのために今回は、「クリントン長官から呼び出しを食らいました、これはゆゆしきことです」という一芝居を打ち、メディアが騒いだ、というわけです。岡田さんは、これを放置なさるのでしょうか。

わたしたち市民は英語がよくわからないし、だいいち生活するのに忙しいのです。マスメディアがこんなにバイヤスをかけた報道しかしないとしたら、もうどうしたらいいのか、とほうにくれます。

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政治利用と言うのなら、小泉ジュニアの自衛隊基地見学会はどうなの?

自民党の「いっしょに行こうze」と銘打った議員との見学ツアー、第1回は小泉進次郎議員をガイド役に自衛隊の横須賀基地を見学して、大盛り上がりだったようです。

メディアの報道も盛り上がりました。わたしも、このANNニュースと似たようなニュースを見ました。ニュースには、「党再生」(アナウンサー)、「党だけのプラスではなく」(小泉議員)、「自民党の再生」(現場記者)、「自民党への支持を掘り起こしたい」(アナウンサー)といったことばが当然のように飛び交っています。

当初、自民党はメディアの同行取材を求めましたが、自衛隊は断りました。それを、民主党の嫌がらせか、と報じたのは毎日新聞です。

でも、以下の「自衛隊法に違反か? 小泉議員が引率した横須賀基地見学会」との見出しの「アエラweb版」(12月22日)記事をちょっと読んでみてください。

あなたはどちらの言い分が正しいと思われますか? わたしは、自民党クロ、「アエラ」以外のたぶんすべてのマスメディアもクロ、毎日新聞なんてマックロ、そして自衛隊もクロだと思います。自衛隊側は、「これはびみょうだなあ、でも地元議員だし、小泉ジュニアだし、断るのもなんだかなあ、せめて大ごとにならないように、メディア同行はやめてもらおう」というぐらいの法令遵守感覚は持ち合わせていたと思いたい。そうだとしても、越えてはならない一線を越えてしまったという事実に変わりはありませんが。

とにかく、こうした問題意識をまったくもたずに、小泉ジュニアの自民党再生と無批判に持ち上げるマスメディアの不見識には、愕然とします。自民党サンもです。ほんとにしっかりしてほしい。
 

[田岡俊次の特ダネ記者魂]

小泉純一郎元総理の後を継ぎ8月の衆院選で初当選した小泉進次郎氏は12月13日、自民党本部が主催した海上自衛隊横須賀基地の見学会に応募した約5000人の中から抽選に当たった49人を引き連れ、ヘリコプター空母「ひゅうが」などを訪れた。その際小泉代議士は基地内の国の施設である厚生センターで演説し、民主党の小沢一郎幹事長が600人余(うち民主党国会議員140人余)を同道して訪中したことを批判した。その場景が参加者が撮影したビデオによりテレビで放映されたのには驚いた。

自衛隊法は自衛隊員に許される政治的行為を「選挙権行使」に限っていて(同法61条)、自衛隊法施行令87条には禁止される政治的行為の一つとして「政治的目的のために国の庁舎、施設、資材又は資金を利用し、又は利用させること」が挙げられている。その「政治的目的」の定義(同86条)には「特定の政党その他の政治団体を支持し、又はこれに反対すること」が含まれている。小泉氏は「自民党再生のために」この見学会を企画した、と語っているから、自衛隊の庁舎、施設、資材を政治的目的に使った疑いがあり、利用させた責任者は外形的には自衛隊法違反として「3年以下の懲役又は禁錮」にあたる可能性がある。演説については「艦の見学と厚生センターでの昼食、休憩を許可、案内しただけで、政治演説をするとは思わなかった」と故意を否定することはできようが、演説がなくても政党が党勢拡大のために自衛隊を利用すること、それを許すこと自体に問題がある。

国会議員が自衛隊施設を視察するのは当然だし、一般国民の見学もなるべく認めるべきだが、国会議員が支持者を連れて入るのに協力することは自衛隊の政治的中立性を疑わせる。野党にそれを許せば与党にも認めないと中立ではなくなる。どの民主制国家にとっても軍の政治的中立は極めて重要な原則で、自衛隊法は政治的行為に対し「上官の命令に対し多数共同して反抗」と同じ懲役、禁錮3年で臨んでいるのだ。他国と同様、政権交代が日本でも常態化する中、自衛隊は一層政治的中立の姿勢を示して信頼をえる必要があり、今後この種の催しは原則として断るべきだ。
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みなさん「天皇」お好きなんですね 2題

週刊誌などの見出しに、「○○天皇」という表現が躍ることがあります。今も誰かさんがそう呼ばれています。きのうは、かつてそう呼ばれた人の裁判で、有罪判決が出ました。

「○○天皇」とは、大企業や政党、あるいは官公庁やその周辺団体、NHK、学校など、それなりの規模の組織で絶大な権力を握り、好き勝手なことをしている人、というほどの意味のようです。

それが、陰口の域を超えておおっぴらに使われ出すのは、「○○天皇」のご威光に翳りが見えはじめた時や、なんとしても引きずり降ろそうという意志が生まれた時です。それまで、その横暴のもとで不満を抱えていてもものも言えなかった、だけどもう言うぞ、というわけです。

歴史をふりかえると、天皇に政治的権力がなく、現行憲法の象徴に近い位置取りをしていた時代は、天皇が実質的な権力を握っていた時代より長く、むしろそちらが常態だったぐらいです。戦後公職追放になったアイロニーの文芸評論家、保田輿重郎は戦中から、天皇が強い時代はろくなことがなかった、弱い天皇こそがいい天皇であり、このくにの美の源泉だ、という論陣を張りました。

そんなふうだから、象徴という、世界の憲政史上初めて登場した概念も、すんなり受け入れられたのだろうと思います。そもそも、戦後、憲法を起草する過程で象徴天皇を提案したのは、日本側でした。王政と袂を分かつために生まれたアメリカというくにの人びとに、王政にたいするセンスを期待するのはむりで、かれらに象徴という妙案が思いつけるものではありません。その後、王を象徴とする日本国憲法のまねっこは、世界の憲法にいくつも登場しました。

ともあれ、天皇は権力ではなく権威の源泉だったし、今も象徴という言い方で、その性格を保持しています。ですから、絶対的な権力を自分に集中させたワンマンな組織の長という意味での「○○天皇」というたとえは、実態に照らして間違っています。そして、「○○天皇」は悪口と決まっているのです。これ、ウヨクさんならずとも、「天皇」大好きなみなさんは気にならないのでしょうか。抗議したという話は、寡聞にして知りません。みなさん鷹揚なのか、あるいは「天皇」のイメージが分裂していて、しかもそれが意識されていないのか、わたしにはわかりかねます。どなたか、教えてください。


もうひとつ、お話をします。

数年前のことです。講演のあとの質問タイムに、高齢の男性が言いました。

「近ごろの皇室をどう思いますか?」

そういうお話をしたわけではまったくなかったのですが、話をしに来たよそ者に、個人的に気になっていることをなんでも聞いてやれ、と考える方はよくいらっしゃるもので、そのたびに面食らいます。この方は後継問題などを念頭に置いておられるのだろう、と推測しましたが、わたしはたまたま、ある歌が気にかかっていたので、それについてお話ししました。ある歌とは、戦後60年の正月の、歌会始の天皇の一首です。

戦(いくさ)なき世を歩みきて思ひ出づかの難(かた)き日を生きし人々

この年の「お題」は「歩み」。ほかの皇族の歌が、具体的な場所を挙げ、そこを静かに歩むことのみずからの満ち足りた思いを表現するなか、これにはおや、と思いました。世を歩むという、抽象的な次元でこのことばが使われている、しかも「戦なき世を」、です。そして作者の思いはみずからの内面ではなく、「かの難き日を生きし人々」に焦点を結びます。それは言うまでもなく、15年戦争の時代、そして戦後の混乱期を生き、また死んだ人びとです。

第二次世界戦後、一度も戦争をしたことのない、徴兵制を敷いたことのない先進国はこのくにだけです──わたしはそんなふうに、答えをしめくくりました。終了後、ホールの入口で本にサインをしていたわたしに、高齢の女性が2人までも、「天皇さまは戦争がお嫌いなんだね」と、うれしそうに念を押して帰って行きました。「はい、わたしはそう思います」とお答えしましたが、このくにの人びとは天皇が好きなんだ、そんなことを考えながら、筆ペンを走らせた一夕でした。

この日は、ダグラス・ラミスさんとつくった絵本、『やさしいことばで日本国憲法』がことのほかよく売れました。天皇も平和憲法も好きという層がぶ厚く存在する……このくにの一面を垣間見た気がしました。
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誘惑のオペラ6 「楽しめ楽しめ ひたすらに」

このブログ、もっとお気楽なものにするつもりでした。それが、なぜか政治ブログもどきになり、最近は軍事ブログもどきになっています。

これではいけない、初心に戻ろう、クラシックと言えば映画「のだめカンタービレ」もがんばっているし、ということで、新日本フィル定期演奏会プログラム連載エッセイ転載の6回目、ヨーハン・シュトラウスの「こうもり」をお届けします。偶然ですが、いいタイミングです。わたしたちが忘年会のお酒で1年の憂さを流すように、ウィーンの人びとは、このオペレッタで年越しをするからです。

さあ、楽しい音楽の時間ですよ!


ヨーハン・シュトラウスのオペレッタ「こうもり」には、モラルなど薬にしたくてもない。では、アモラルな作品かというと、どうもそういうことでもない。

ありふれた欲望の数々が、つむじ風となって人びとを旋回させる。ただそれだけのことだ。舞台は、欲望にいそいそと駆り立てられる人びとがおりなす、巨大な万華鏡の感を呈する。

そこには、飲み、食べ、歌い、踊って、楽しくはめをはずしたいと願う人びとがいる。有名になりたいとか、あわよくば異性にちょっかいを出したいとか、ちょっと見栄を張ってセレブになりすましたいという人びともいる。

そうした欲望を目覚めさせる餌を撒かれると、人びとはつぎつぎと、例外なく引っかかる。なんともこらえ性のない人間たち。よくいえば、みずからの欲望にすなおな人間たち。欲望のはえなわ漁は、おもしろいほど大漁だ。

それにしても、ここに列挙してみた欲望の、なんと浅いことか。身を滅ぼすことを知ってもなお消すことのできない熾烈な欲望など、ひとつもない。どれもこれもが限りなく軽いのだ。

それに呼応して、誘惑のなんとたやすいことか。なんの工夫もほどこされていなければ、どんな努力もついやされていない。誘う。誘いに乗る。ただそれだけ。誘惑と呼ぶべきかどうかもためらうほどの安直さだ。

誘惑に直面した内心の葛藤ももちろん論外で、人びとは生まれながらにして懊悩を知らないかのようだ。せいぜい、世間体とのかねあいに一瞬ためらうのが関の山だ。

けれども、そんな軽佻浮薄絵巻とでもいいたくなる「こうもり」が、なぜこれほどまでに人を惹きつけるのだろう。ウィーンでは大晦日の夜、ふだんはあまりオペレッタなどやらない国立歌劇場に最高の歌い手を集めて、豪華絢爛な「こうもり」を上演するのが恒例だ。自作では深刻好みのグスタフ・マーラーも、好んでこの作品の指揮棒を執ったという。

それは、ちっぽけな欲望ではりさけそうなありきたりの人間を、けして否定せず、説教も垂れずに、華麗なワルツにのせて遊び回らせてくれるこの世界が、こよないなぐさめを与えてくれるからではないだろうか。なぐさめられるのは、自分も舞台上の群像とどっこいどっこいの卑小な人間だ、と思うところのある人びとだろう。そうした人びとは、つぎのようなフレーズに、思わずじんとしてしまうのだ。

ままならぬことを 忘れるすべを
知る人こそは 幸せ

深みも内省もないかのように浮かれている人びとにも、憂いはある。浮かれていればこそ、しみじみと身に沁みる憂いもある。それは、楽しいことだけを追っていたい人間にはあいにくの、つらいこともある人生と、時の移ろいのすみやかさへの、人間というちいさな存在の嘆きだ。

人生が 今宵のように軽やかに
過ぎ去るならば 時忘れ 楽しもう

この歌詞が意味するところは、晴れやかな見かけとはうらはらにかなり複雑で、だいいちとことん晴れやかというわけでもない。この歌詞が暗に踏まえている前提は、人生はいつも意のままになるわけではない、軽やかに流れてはくれないということだ。にもかかわらず、時はあきれるほど速く過ぎてしまう。ならば、そんな時を忘れていまこの一刻を楽しむしかないのだ、というほどの屈折と諦念が、ここからは読み取れるだろうか。

時のたつのの 速いこと
あっという間に 過ぎてゆく
ここでの合い言葉 それは
楽しめ 楽しめ ひたすらに

引用すればするほど、切なくなってくる。ああほんとうに人生ははかない、と思えてきて、欲望のまにまに踊らされるちっぽけな人間たちが、こよなく愛おしくなってくる。

がさつなブルジョワのアイゼンシュタイン、貞節と打算が渾然としているその妻ロザリンデ、アイゼンシュタインに手ひどいいたずらをしかける悪友ファルケ。驚いたことに、みんな憎めない人間たちに思えてくる。ロザリンデの独身時代の恋人アルフレードは、いけしゃあしゃあと人妻に言い寄るし、奥さまに嘘をつきドレスを無断借用するメイドのアデーレも、職務怠慢の刑務所長のフランクも、ばれなければいいとしか思っていない。なのに観ている側は、これら凡俗たちがひとときの煩悩を叶えることを願ってしまう。看守のフロッシュにいたっては、職務という観念すらもちあわせていないのに、がんばれ、よくやった、といいたくなってくる。つまり、ここには腹黒い人間が一人も出てこないのだ。
 
野放図に欲望を全開させた人間たちの、この無秩序きわまる世界が、にもかかわらずひとつのまとまりを保っているのは、ひとえに音楽の力あってのことだろう。不品行がある種の品のよさを漂わせ、説得力をもってしまうのも、音楽のなせる技だろう。これでもかこれでもかと繰り出される、ヨーハン・シュトラウスのみごとな楽曲の椀飯振舞が、いつしか下世話な人間の下世話な欲望を祝福したい気持ちにさせる。そして、これほどまでに欲望にすなおな人間たちには誘惑は無用だと、「こうもり」は教えてくれるのだ。

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オスプレイの哀しみ 辺野古にも高江にも普天間にも降りられない

鶚(ミサゴ)はタカ派、ではありません、タカ目タカ科の猛禽で、北半球の海辺に住み、急降下して魚を捕らえます。英名オスプレイ。米海兵隊の次期主力輸送機MV22の別名です。海兵隊所属の現役輸送用大型ヘリはもうぼろぼろで、この新機種への切り替えが進んでいます。

オスプレイはプロペラ機です。でも、両翼についている2つのプロペラがばかでかい、異様な姿をしています。そのままでは、プロペラの先が地面につっかえて、離着陸できません。それで、プロペラをヘリコプターのように水平にして離着陸します。それが、急降下するミサゴになぞらえられているのでしょう。オスプレイは、ヘリのように垂直の離着陸ができ、ふつうの飛行機のように高速で長い距離を飛ぶことができるという、ヘリと飛行機のいいところを兼ね備えているのです(写真はこちら)。

辺野古と東村高江に基地がつくられたとしたら、そこに配備されるのはこのオスプレイです。ところが、これまでの防衛省の環境アセスメントはいいかげんなうえ、オスプレイは想定していません(
資料)。オスプレイ配備は、アメリカでは何年も前に決まったことなのに、「正式の通知がないので、従来型のヘリで環境アセスをやった」というのが、旧政権の説明でした。オスプレイが配備されることなんて、秘密でもなんでもありません。外務省や防衛省は知っていたはずだし、問い合わせれば簡単に確認できたことです。きっと、知っていることにしたくなかったのでしょう。向こうから言ってこない以上、その事実はないことにするというのは、核持ち込みに限らず、このくにの対米追従勢力の対米追従勢力たるゆえんだったことがうかがわれます。

オスプレイは、開発段階でたくさんの死者を出しています。その安全性に疑問符がつくのです。また、出力が現役ヘリの4倍以上というそのすさまじい騒音が、滑走路を辺野古沖にちょっとずらしたぐらいで緩和されるものなのか、なにしろ環境アセスしてないのですから、まったくわかっていません。陸上につくりでもしたら、騒音被害は防げません。

高江はさらに深刻です。ここは、一度行ったことがありますが、ヤンバルの森をひかえた楽園のようなところです。でも、すでにヘリパッドが15ある上にあと6つの増設が予定され、計画通りだと、合計21のヘリパッドにちいさな集落がすっぽり囲まれることになります。今でさえ、爆音をとどろかせて、なんてのどかな表現では足りません、音を通り越した、まるで引き裂かれる世界の断末魔のような大気の状況を突如出現させながら、集落と目と鼻の先のうっそうとした亜熱帯の森の茂みから輸送ヘリの巨体がぬっと浮き上がる光景は、人を底なしの恐怖にたたきこみます。それが、もっと大きなオスプレイだったら……考えるだけでも恐ろしい。

今月5日、前原沖縄担当相は、「オスプレイが配備されれば環境影響評価(アセスメント)をやり直さなければならない」と言いました(記事は
こちら)。あたりまえのことながら、この時期、よく言ったと思います。「移設」が遅れれば、切り替え時期の決まっているオスプレイの配備先は、普天間しかありません(記事はこちら)。そんなことになろうものなら、こんどは宜野湾市民が黙ってはいません。「世界一危険な基地」に危険きわまりないオスプレイが来るというのですから。

ここへきて、防衛省が情報を隠し、市民を甘く見、環境アセスなんて適当にやっておけばいいのだ、としてきたツケが回ってきたのです。「なにぃ? 環境アセスにオスプレイを想定しなかっただと? そんないいかげんなことで『どうぞおいでください、当方に不都合はございませんから』と言ってきたのか?」と怒るのは、普天間、辺野古、東村高江をはじめとする沖縄の人びとや、その人びとと心をひとつにするすべての人びとだけではないはずです。アメリカの当局が怒ります。もしもかれらに、国是である民主主義と人権を尊重する気があれば、「同盟」国当局のサボタージュを怒ります。

海兵隊はもう、八方塞がりです。にっちもさっちもいきません。このくにのどこにもオスプレイを置くことはできないのに、オスプレイへの切り替えは着々と進んでいるのです。時間がありません。計画どおりにオスプレイを配備したければ、海兵隊はこのくにから出ていくしかありません。旧政権下の防衛省の不作為のせいで、海兵隊はお引き取り願うしかないところに、とっくに追い詰められています。前原沖縄担当相の環境アセスやり直し指示は、もしかしたら海兵隊基地縮小、閉鎖への、最後のとどめになるかもしれません。

米海兵隊が、たとえ沖縄の基地はグワムの本拠地を補完するものであったとしても、それを失うことの責めは、前政権と、皮肉なことに事実関係と手続きをごまかしてでも、かたちだけでも海兵隊を沖縄にとどめ置きたかった対米追従勢力が負うことになります。鳩山政権の責任ではありません。

これらは、沖縄の人びとにとっては何年も前から周知のことでした。でも、「本土」ではメディアがあまり伝えないので、知らない人もいると思います。それで、ここに簡単にまとめておきました。
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米海兵隊が災害救助隊になる日?

米上院では、国防予算案が全会一致で委員会を通過しました。

あれ? 辺野古移設が決まらなければ、米議会は海兵隊のグアム移転予算を認めないんじゃなかったでしょうか? 10月末に来日したゲイツ国防長官が、そう言っていました。メディアは、「アメリカの最後通牒だ」と書き立てました。

なのに、何事もないどころか、コペンハーゲンでは晩餐会で隣り合った鳩山さんとクリントン国務長官のあいだで、普天間問題は「時間がかかる」「わかった」というやりとりがあったそうです。拍子抜けと言えば拍子抜け。

「最後通牒」「日米関係、亀裂深まる」と煽ったメディア、いったい何だったのでしょう。この間のメディアの大騒ぎ、わたしはよく憶えておこうと思います。

米政府の中には、「日米安保はもういい、横須賀と嘉手納だけ使えれば」という見方もあるとか。えっ? それって、アメリカは海兵隊を日本に置くことは考えていない、ということでしょうか? だって、横須賀は第7艦隊が、嘉手納は空軍が使っているのですから。

ゲイツさんは、10月21日の北澤防衛相との会談冒頭、言いました。「日米同盟は米国の北東アジア政策の礎であり、この地域において日米両国は複雑な状況に直面しているが、日本が指導力を発揮している災害救援・人道支援の分野における協力など、日米協力を強化するチャンスである。」(防衛省サイト

半田滋さんによると、ゲイツさんは、「アジアの最大の脅威は災害だ」と語ったそうです。アジアに軍事的脅威はない、というわけです。なんと大胆な。アメリカにとって、それを言っちゃあおしまい、ではないのでしょうか。あ、そうか、アメリカにとってではなく、日本の対米追従派にとっておしまいなのでした。

北澤会談での発言は、「アジアの最大の脅威は災害」発言と呼応しています。すくなくともこの点で、ゲイツさんはブレていません。アメリカは国際緊急援助に本気なのではないでしょうか。すでに05年のパキスタン大地震には、海兵隊を派遣しています。

ところが、災害援助なんてやったことない海兵隊、被災地でバスケットボールをして遊んでいたそうです。当時のムシャラフ大統領は、日本の救援隊キャンプには謝辞を表すために訪れたのに、アメリカ海兵隊キャンプは素通りしたそうです(感謝されたことは報じず、感謝されなかったとされる湾岸戦争への拠金はしつこく言い立てる外務省とメディア!)。

パキスタンでの海兵隊のていたらくを、国防長官のゲイツさんが知らないはずはありません。だとしたら、「日本が指導力を発揮している災害救援・人道支援の分野における協力など、日米協力を強化するチャンス」とは、「これからは、うちもアジアでのプレゼンスは災害救援で示していきたいんです。だけど経験が浅い。そこで、実績豊かな日本さん、なにかあったらいっしょに行動して、いろいろ教えてやってください」という意味になります。

けっこうなことではないでしょうか。国際緊急援助隊は、「高速病院船があったなら 海の彼方の大地震」(10月2日)に書いたように、小沢一郎自治相(当時)の発想がもとになっています。自衛隊の海外(軍事)派遣を主張するようになってからは、みずからが生みの親であるこの人命救助による国際貢献組織のことは、とんと口になさらないようで残念です。この際、思い出していただきたいものです。

そういえば、鳩山さんも、このあいだのアジア太平洋経済協力会議(APEC)で、自衛艦を被災地への医療援助船「友愛ボート」に転用する、というアイディアを披露しました(記事はこちら)。さては、わたしのブログをお読みになった? 冗談です、もちろん。

軍事的危機のないアジアで高価な自衛艦を活用するには、「友愛ボート」、いい発想だと思います。日本は、国際緊急援助について、アメリカに手本を示せばいいのです。すでにアメリカは、すくなくともゲイツ国防長官は、災害発生から24時間以内に出発する日本の国際緊急援助隊を、成功モデルとして、羨望のまなざしで見ているのですから。

気候変動で、災害が激甚化し、頻発するようになりました。そうした「災害で亡くなる100人のうち 90人以上は貧しい国の人です」(『世界がもし100人の村だったら 完結編』より) もしもアジアの人命救助の分野で日米が協力したら、アメリカ側から派遣されてくるのが海兵隊などの軍隊だったら、日本の援助隊と力を合わせて、人のいのちを救うために働いたら……これは地味なようでいて、安保条約を、ひいては軍事国家アメリカを変質させる糸口になるかもしれません。

以上、きのう予告した半田さんの「米軍脱軍事化計画」を、わたしの主観で敷衍してみました。
 

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法的には、わたしたちがいらないと言えば米軍基地はなくなる

おととい、「辺野古の目はなくなった」(12月13日)でも引用した、東京新聞の半田滋さんの講演を聞いてきました。沖縄の基地問題について、専門的でしかも血の通った、わかりやすいお話でした。半田さんも、辺野古移設はないと見ておられます。

印象に残ったのは、米軍はグワムに行けばいいとか、本土に行けばいいとか言う立場に、わたしたちはない、という指摘です。「それは米軍、米政府の決めること」と。たしかに、言われて初めて気がつきましたが、そのとおりです。わたしたちは、「出ていってください」と言えばいいだけです。

半田さんは、「なぜだかわからないが、外務省は米軍を引き止めてきた」とも。その理由は、「
官僚の権力の源泉としての対米追従 田中宇さんの分析2」(11月18日)で説明がつくと思います。

半田さんはまた、「米軍は、政府が出て行けと言えば出ていく。国民に出ていってほしいと考える人が少ないのでは」とも言いました。そうなのでしょうかねえ、だとしたら「痛い」話です。国会決議をすれば米軍基地はお引き取り願えるということは、
田中宇さんも指摘していて、同じことを半田さんからも聞くとは。

これはますます、来年の安保見直しが重要になってきました。なにしろ1996年に鳩山さんは、「2010年には日米安保を見直し、常時駐留なき安保へともっていきたい」と、「文藝春秋」に書いたのです。半田さんのお話を聞いて、このところの普天間基地をめぐる鳩山さんの言動は、この「常時駐留なき安保」をにらんでのことではないかとの確信を強めました。わたしは、安保条約そのものを解消したほうがいいと思いますが、米軍基地がなくなることは、その一歩にもなりうるだろうと思います。半田さんは、今後の米軍のあり方、脱軍事化にひとつの可能性を示しました。それはまた稿を改めます。

問題は、主権者の意志が在日米軍基地の命運を握っているという事実を、わたしたちが知らない、ということです。すくなくとも、わたしは知りませんでした。相手国であるアメリカは、民主主義という価値観を共有しているのだから、わたしたちの民主主義的決定を快く受け入れるしかないのだとは、恥ずかしながら、発想したことがありませんでした。

この事実はおそらく、これまで意図的にひた隠しにされてきたのでしょう。とんだ洗脳状態です。それが今、全選挙区で辺野古移設に反対する議員を送り出した沖縄の人びとの意志が尊重されるべきではないのか、という問いかけのかたちで、わたしたちの覚醒を迫っています。だったら、沖縄だけではない、米軍基地のあるすべての選挙区で、基地はいらないという意思表示をする時ではないのか、と。

これまで、対米追従を続けることで権力を維持したい人びとは、「外交防衛を一地方の選挙結果にゆだねるのは無責任だ」とのレトリックで、いかなる民主主義的結果もスルーし、いまだにこの一本調子を続けています。それはウソだと論破すること。50年続いたこの目隠しをかなぐり捨てること。その使命は、まずはマスメディアが負っているはずです。けれど、相も変わらず対米追従思考から抜け出せないおおかたのマスメディアに頼るわけにはいきません。わたしたち自身が、ネットをはじめとするツールを駆使して言い触らさねば。うー、元気が出てきました。

ツイッターやろうかな。慣れてしまえば簡単と、きのうある方が教えてくださいました。わたしがツイッターを使えるようになるまで、ツイッターユーザーのみなさん、この情報をせいぜい広めてください。
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ツイッターってどうなの?

ブログの管理画面にはアクセス解析というページがあります。そのなかに、「リンク元」というのがあって、どのサイトでこのブログを見つけて訪れてくださったのかがわかるようになっています。

最近、twitterという文字列をふくむリンク元URLが急増しています。そこに飛んでみると、ほんの数行の投稿がざざーっと並んでいて、まさにtwitter、おしゃべり、つぶやきです。

みなさん携帯メールのノリで、ちょこちょこっと書かれるのでしょう。そこに、いろんなURLも出ています。でも、この書き込み全体の意味がよくわからない。書き手の時間の流れに飛び込まないと理解不能なのでしょうか。

でも、たとえば12月17日の
http://twitter.com/kappamanにこんな「つぶやき」がありました。

RT @
hanayuu: RT @yoshitaka_w: Twitter始めて、ますますテレビのニュースは見る気なくなった。いかに偏向報道してるかあらためてよくわかる。日本で1000万人ぐらいがTwitterやるようになったら、メディア・リテラシーが高まり、マスコミは完全に淘汰

ふうん、そうなんだ。ネットにはさまざまな情報が飛び交い、それらは必ずしもマスメディアの情報とは一致しません。マスメディアには流れないけれど、きわめて重要と思われる情報も多々あり、このブログもそうした情報をさらにネットに流す、ということをしてきました。伊波宜野湾市長のグワム環境アセス分析がそうですし、きのうのクローリー次官補記者会見がそうです。

それをtwitterユーザーがまた広める。twitterは即応性に優れていると言われます。ブログもメールマガジンもメーリングリストも、送信即受信で、すぐ見るかどうかは別として、即応性をそなえているのでは、と考えるわたしは、twitterのなんたるかがまったくわかっていません。

わたしの周りの人びとも、続々とtwitterを始めています。なんだか落ち着かない気分です。でも、そんな余力ないし、わたしはそんなに忠実(まめ)ではないし、ましてや雨あられと降り注ぐほかの方がたの「つぶやき」をフォローするのは無理。だけど、わたしよりも忙しそうな方もやっています。ブログやって、mixiやって、twitterやってる猛者(もさ)も。

今のところ自分はやらない、と表明している人もいます。たとえば、河野太郎さんはそのメルマガに書いていました(
ごまめの歯ぎしり12月11日号)。

でも、kappamanさんがおっしゃるように、twitterユーザーが1000万人になればマスメディアが変わるなら……うー、考えこみます。

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米政府は怒ってなんかいない 普天間基地問題とメディア

さとうまきこさんは、入念な情報収集と分析で、いつもいろいろなことを教えてくださいます。きょうのBCCメールはとくに興味深かったので、ご紹介します。

きょうもきょうとて、このくにのテレビニュースは、「鳩山政権、終わってる」と言いたくて、その筆頭に在沖縄米軍基地のことでアメリカとの溝が深まった、もうだめだ、と言い立てています。

絶句し、苦笑しながら肩をすくめるクローリー次官補の映像、わたしも数回見ましたから、このくにのテレビは繰り返し流しているのでしょう。「怒りを通り越してあきれている」とコメントした局もありました。しかし、その前後のやりとりは、以下のとおりだったそうです。

バンクーバーのSatokoさんは、deferを「任せる」となさっていますが、もっとへりくだったニュアンスではないでしょうか。ジーニアス英和辞書には、「〔人・意見・希望などに〕(敬意を表して)従う,譲る」とあり、「承(うけたまわ)る」あたりが妥当なのではないかと思います。そうすると、「日本政府がその立場を表明するなら承ります」というどの意味になると思います。We'd be happy to obligeも、ばかていねいなほどの鄭重な言い回しではないでしょうか。英語はよくわからないので、自信はありませんが。

ともあれ、以下の記者会見を読めば、クローリー次官補の「しどろもどろ」は、なにがあっても日本を刺激しないよう指示されていたために、もっと強圧的に出るべきでは、と迫る質問者を躱(かわ)すのに四苦八苦していた結果だとわかります。

では、さとうさんのメールをお読みのうえ、このくにのメディアがかけたバイヤスのほどを計ってください。クローリー次官補の苦労も、このくにのメディアにかかっては水の泡というわけです。


( Bccで少しのかたに勝手にお送らせて頂きます)
普天間問題について、バンクーバーにいるSatoko さんのブログの記事が本人から送られてきました。

http://peacephilosophy.blogspot.com/

おもしろいので興味のあるかたは読んでください。下記に抜き出します。その下は雰囲気がわかるように、問題の「やりとり」を少し抜き出したものです。このマットさんは「いらいらしている」という言葉を引き出したかったように感じられます。

さとう

~~~~~~~~~~~~~~~

日本のメディアは横並びで「海兵隊トップのコンウェー司令官は普天間先送りを「遺憾」」としたと報道している。

「国務省のクローリー次官補(広報担当)も同日の記者会見で、移設先修正をめぐる再交渉には応じない考えを重ねて示した。 」(共同)

このクローリー氏と「マット」と呼ばれる記者のやり取りを見てほしい。「再交渉に応じない」などとはどこにも書いていない。
 
まず 「I will defer to the Government of Japan to describe its position」(日本政府にその立場を表明することを任せる)と始めている。

2006年「ロードマップ」に沿う意向、引き続き協議を重ねる姿勢、沖縄の問題が複雑で日本側にも時間が必要なことに対する理解を示し、最後には 「We'd be happy to oblige.」 ((日本側がもっと時間が必要というのなら)喜んで従います))とまで言っているのだ。

「任せる」から始まり「従う」に終わったこの話のどこから「再交渉に応じない考えを重ねて示す」という、あたかも強硬的な態度を取ったかのような解釈ができるのだろうか。そして、この、何か収穫(日本政府の普天間決定延期に対する否定的な反応)を持って帰らないと、奥さんに殺されるといった勢いの記者は一体何者か。その「奥さん」は誰なのか。心当たりのある人は教えてほしい。

(ここまでブログ)

~~~~~~~~~~~~~~~~

(上記の解説のあと、やりとりの最後の3分の1ほどの訳 この「やりとり」はブログ内にURLがあります)

質問者(マット):ちょっといいかい―この問題全体について。日本の新政権がこんなに時間をかけているのはすこしいらいらする(frustrating)ことじゃないかい? 

クローリー次官補:日本側と作業を続けるつもりだ。我々はこれらが日本側にとって複雑な問題だと理解している。彼らは様々な問題でいま処理のスピードがあがってきているところだ。僕は...とは思わないが。

質問者:これまでも時間をかけてきたと君は思わないかい、キャンベルが日本に何度くらい行ったのかを考えれば。

クローリー:2,3度だ。

質問者:それに日本側も担当者たちをこちらに来させたし。だから、

クローリー:我々は日本側と作業を続けるつもりだ。

質問者:じゃ、引き延ばしもありかい―このままずっと引き延ばさせるつもりかい?

クローリー:ロードマップ(日米合意)があるんだ。それに基づいて計画しつづけるが、しかしこれから数週間か数ヶ月は日本とハイレベル協議を続けるつもりだ。

質問者:本当に「ロードマップ」という言葉を使いたいのかい。他の話においては(笑い)そのロードマップではどこにも行き着かないよ。だから・・

クローリー:もしそれがグアムに至るならばね(笑い)

質問者:まじめに話そう、PJ.まじめに聞いてるのだから

クローリー:マット....

質問者:どれくらい日本にぐすぐすさせておくつもりかい?

クローリー:我々の認識では、沖縄の駐留米軍は沖縄の人々にとり大きな影響をあたえており、そしてそれはまた日本の人々にとって非常に重要で利害をもつものであるということだ。我々は日本政府と協議を続けるつもりだ。

質問者:(マット):しかしそれでは質問にこたえていない。日本にどれくらい引き延ばしさせるつもりなのかい?

クローリー:マット...

質問者:なんだい、単純な質問だろう。

クローリ:広報官は肩をすぼめた、と記録させとこう(笑い)

質問者:それじゃ君には(期限が)わからないのかい?

クローリ:何を?

質問者:分からないかい?これ(日本の引き延ばし)は無期限に続くかもしれないし、そうなったら(米国)政府にとってやっかいだろう?

クローリー:僕は、この日本政府とのやりとりを、無期限とはきめつけないよ。日本政府は我々に、この問題を解決するためにもう少し時間をかけたいと示し、そして我々は喜んで応じるつもりだ。

.......(”マット”は引き下がるが、別の話題からまたこれにもどってくる!)

質問者:日本の基地問題に戻っていいかな? 実際、日本政府は普天間基地の移設値を探そうとしていて、全く別の(聞き取れず)、そして僕の質問は、米国は。。。

................................

質問者:米政権はそれを受け入れることができるのか?

クローリー:現行計画があり、我々はそれが前に進む最善の方法だとかんがえるが、さっきも言ったように、我々はこれを日本政府と協議し続けるつもりだ。

質問者:ああ、我々みんなロードマップが最善だとわかっている、がしかし日本政府はあらたな場所を考えている、だから僕の質問は..

クローリー:それはわかっている。われわれはこの問題を日本政府と協議し続けるつもりだ。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

繰り返し、日本側と協議し続ける、作業を続ける、という言葉がクローリ国務省次官補からでてきます。「いらいらするだろう?」という誘導尋問にはひっかからず、数週間から数ヶ月は日本と協議する、と言っています。

さとう
 

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DAYS JAPAN のない日々なんて

「一枚の写真が国家を動かすこともある」──フォトジャーナリズム月刊誌、「DAYS JAPAN」の表紙の片隅に必ず印字されていることばです。

ほとんど報道されない、されたとしても新聞のベタ記事にしかならない国内外の出来事が、DAYSの紙面からなまなましい映像として迫ってくるとき、マスメディアがもつニュースバリューの尺度が激しく相対化されます。そこで読者が掴むのは、いのちの尊厳という尺度です。それに照らせば、遠かった出来事が、わたしには関係のない、知る価値のないことなどではなくなります。また、マスメディアが報道していることも、そこには抜け落ちている、しかし本質的な問題をつきつけられ、愕然とします。そんな経験を毎号のように運んできてくれるのが、「DAYS JAPAN」です。この数年、わたしはDAYSのおかげでたくさんのことを学び、心を耕すことができました。

わたしは、創刊当時から、ほんのささやかなことしかできませんが、とにもかくにも伴走してきました。いまや世界的な評価をえている「DAYS JAPANフォトジャーナリズム大賞」の審査員も勤めさせていただいてきました。亡くなった筑紫徹也さんも審査員として、DAYSを応援していました(筑紫さんの後任のかたちで、次回からは姜尚中さんが審査に加わる予定と聞いています)。

「DAYS JAPAN」誌は、ときどき英語版も出しています。この、いまや世界にも数少ない硬派の写真ジャーナリズム雑誌をもっていることに、わたしたちは胸を張っていいのです。

続いているのが奇跡だとは、創刊3周年、4周年、5周年を迎えたときにも言われました。それが、あと数カ月で6周年を迎えるこの年末、雑誌は存亡の危機に立たされています。

なくしてはならない。DAYSは、大出版社が余力で出している雑誌ではありません。ほぼすべて購読料のみで、多くの編集・販売ボランティア、そして編集長広河隆一さんの人生を賭けた献身に支えられて、かろうじて存続してきました。

このくにから、ではありません、この世界からDAYSをなくさないための鍵は、このくにのわたしたちが握っています。わたしたちにできることは、購読者になる、お近くの図書館に購入をリクエストする、友だちに勧める。いろいろあると思います。

広河さんと、名古屋の応援団長・宮西さんのメールを転送します。どうかその思いに接してください。よろしくお願いします。

DAYA-JAPAN0912


広河隆一からのお願い(転送歓迎)

DAYSは12月9日に日本写真家協会賞を受賞しました。写真界では日本でもっとも権威ある団体から評価を受けてうれしく思っています。フランスのペルピニヤンでの審査員を務めるなど、海外での評価も高まっています。世界で今ではほとんど唯一となったフォトジャーナリズムの雑誌を絶やしてはいけないという励ましも、多く受けます。

東京都写真美術館では、サルガド展開催中にDAYSのサルガド特集号は300冊以上を売ることができました。週末の私の大阪講演で、年間定期購読者は19人増え、これでキャンペーン開始からの新規定期購読者は、370人になりました。私の写真展を開催していただいている三重県の宮西さんのメールが発信されてたった1日半で、21人の方々が定期購読を申し込んでくださいました。これで390人になりました。(宮西さんのメールは添付しますので、転送歓迎で広めてください)。

DAYSが存続をかけたキャンペーンをしているということを聞いて、朝日ニュースターの上杉隆キャスターは、22日(火)の8時から生放送を準備していただいています。皆さんのおかげで、DAYSはなんとか6周年に向けて進んでいます。「500人定期購読者が増えれば、存続できます」というキャンぺーンの500人という数字に、あと110人に迫ってきました。

しかし正直いますと、DAYSはまだ6周年を迎える3月以降も存続できるかどうか、確約することはできない状況です。お金が全くないというわけではありません。DAYSはこれまでまったく借金をしないで、6年近く続けてきました。そしてまだ私たちが手をつけていないお金があります。それはDAYSにもしものことがあって、休刊せざるを得ないことが起こったら、すでに定期購読をしていただいている方々に、残金を返金するためにとってあるお金です。このお金に手をつけざるを得ない状態になりそうになったら、私は皆さんに事情をお話して、DAYS休刊のお知らせをする覚悟でいます。

営業や拡販をする立場から言いますと、年末年始の休暇は、恐ろしい時期です。この時期には書店に行く人は激減し、すべての雑誌の売りあげが低迷するからです。今出ている12月号は店頭からあと数日で姿を消し、1月号が書店に並びます。しかし世間はすぐに年末・年始の休暇に入るのです。

その前にこのメールを出しておきたいと思いました。「努力すれば続けることができたのに、しなかったから休刊になった」などと、あとで後悔したくないからです。

これまでDAYSを支えていただいた方々にお願いします。

まず定期購読をお申し込みください。年内の特別キャンペーン中にお申し込みいただけますと、定期購読料は7700円と1000円引きになります。かつて購読していただいたけれども、最近は購読を止めているという方は、もう一度購読をご検討ください。すでにご購読いただいているは、周囲の人に広めてください。1人でも2人でも増やしてください。定期購読期間がまだ残っている方も、継続手続きを今していただけますと、7700円になります。

あと数日で書店から姿を消す12月号も、読んでいただいた方からは、高い評価をいただいています。まだお読みになっていない方は、ぜひとも書店でのDAYSを購入してください。書店の人に、「おや? DAYS販売の流れが変わってきたな」と思わせるような、動きを作りたいのです。

ボランティアの方々にお願いします。さまざまなイベントでのご支援、本当にありがとうございました。物販、定期購読拡大、周囲の人へのDAYS購読呼びかけなど、いま一度のご支援をお願いします。

DAYS JAPAN編集長
広河隆一


≪定期購読は下記の方法のいずれかでお願いします≫

方法1
DAYS本誌48ページ綴じ込みの振替用紙、または郵便局備え付け振込用紙にて7700円のご入金(通信欄に、◆存続キャンペーンお申込みの旨◆お名前◆ご住所◆電話番号◆希望購読開始号をご記入ください)

方法2
FAXにてのお申込み
◆存続キャンペーンお申込みの旨◆お名前◆ご住所◆電話番号◆希望購読開始号をご記入頂ければ別用紙でも結構です。(後日お手元に払込用紙とDAYS JAPAN本誌をお届けします)
FAX 03-3322-0353

方法3
E-mailにてのお申込み
◆存続キャンペーンお申込みの旨◆お名前◆ご住所◆電話番号◆希望購読開始号をご記入の上弊社まで送信ください。(後日お手元に払込用紙とDAYS JAPAN本誌をお届けします)
E-mail 
info@daysjapan.net

http://daysjapanblog.seesaa.net/article/135219671.html


宮西さんからの呼びかけメール

・・・・・・・・・・・・・・・ここから・・・・・・・・・・・・・・・

師走に唯一、半日のゆとりのある今日珍しく「朝から朝刊を」拡げました。社会面に大きく、今年休刊した雑誌(定期刊行物)がずらり・・・・と。瞬間広河さんの顔が浮かびました。

『DAYS JAPAN』を愛し、大事と思ってくださる方々に悲観的なこと、ご心配かけるようなことはお伝えしたくなくて控えていたのですが実は『DAYS JAPAN』も、今瀬戸際です。

『DAYS JAPAN』存続にお力を貸してください!といつもいつもご無理申し上げてきましたが今、本当にぎりぎりのところに来ています。「デイズは何で生き残っているの?」とあからさまに言われる方がありますが実はそのとおりなのです。毎月、刊行できていることが不思議なくらいの現状なのです。

書店さんの経営が危機的状況なのは周知のことです。廃業も相次いでいます。書店で買っていただくことが困難になってきています。

こういう状況ですので、定期購読で支えていただくことが一番確かな支えです。

どうかまだ定期購読なさっていない方、この年末にお願いできませんか。一年間8700円ですが、年内特別に7700円でお受けしています。

お願いします。どうか定期購読拡大にご協力お願いします。

とりあえず、このメールにその旨のご返信をいただければ手続きをお知らせ、または、代行させていただきます。勿論、直接本社(電話 03-3322-0233)へ連絡していただいてもいいのですが少人数で、この年末特に大忙しのDAYS社は、お一人お一人のお電話に丁寧に対応できないかもしれませんので取次ぎさせていただきます。

お願いします。この先の見えない世界情勢の中、『DAYS JAPAN』は、信頼できる唯一のフォトジャーナリズム誌と、国際的に認められています、これを廃刊させてはならない、と思います。生き延びさせてください。明日の地球の、世界の平和のために。

8700円、7700円は小さな額ではありませんのでおねがいしにくいのですが現状お察しくだされば幸いです。

このメールにご返信が殺到することを心から待っています! お願いします。

2009年師走に  
広河隆一写真展事務局・宮西いづみ
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辺野古と米国債償還問題 きょう国会前で「県内移設反対集会」

なぜマスメディアは、辺野古の滑走路建設を最終的に不可能にしたジュゴン訴訟のことを伝えないのでしょう。きのうの昼、テレビ朝日系のワイドショーでは、きちんと川村晃司さんが言っていましたが、報道で目立つのは、18日までに結論を、というアメリカ側の言い分ばかりです。それを言い立てているアメリカの人たちが、アメリカの国内法上、辺野古の海に手をつけることはできないと、知らないはずはありません。

きっと、わたしたちを洗脳して、米軍再編上、日本のどこにも新たな基地は必要ないのに、「日米合意を反故にするとは不届きなやつらだ、かくなるうえは、グワム基地建設にもっと金を差し出して、相応の落とし前をつけてもらおうじゃないか」とアメリカは言っている、これに歯向かったらたいへんなことになる、と思い込ませるためではないでしょうか。そう画策するのは、日米双方にいる「日米関係で飯を食っている人」(寺島実郎さんの表現)たちです。

日米のお金の問題はそれだけではありません。むしろこれは目くらましで、来年償還期限を迎える巨額の米国債のほうが深刻なはずです。もちろん、今のアメリカにそんな借金は返せません。「新たな米国債に買い換えろ」と言ってくるのは間違いなく、それは自分たちの死活問題だと、アメリカ政府は重々知っているはずです。

そのために、「日米同盟で飯を食っている人」たちが、米政権にたいして点数稼ぎをしようと、総額ン千万かけてかれらを「お招き」してシンポジウムを開くような日本のマスメディアとつるんで、ジュゴン判決をないことにして辺野古に滑走路をつくらないことを挙げて鳩山政権のせいにし、その見返りという口実でグワム基地建設費用を日本に出させるとともに、その裏でもっと大きな、そしてとことん言いがかり的な「見返り」、すなわち米国債償還についてのアメリカ政権による「弱者の恐喝」、つまり「金を返せだと? 返す金はないっ! わかったな!」というごり押しを確実なものにすべく、18日18日と騒いでいるのだと思います。

それで鳩山政権が辺野古OKなんて言おうものなら、アメリカは当てが外れて、「実は国内法で辺野古移設はとっくにだめってことなんです」と白状しなければならなくなり、面目丸つぶれです。鳩山政権には、米政権のメンツをつぶす動機がありませんし、そんな決定をしたら内閣支持率はがた落ちでしょうから、辺野古でGOという決定には合理性がありません。

万が一鳩山政権がそんな決定を下し、アメリカがなんらかの汚い手を使って基地建設を強行させようものなら、鳩山政権は民意に背き、破壊しなくてもいい自然を破壊してまで、アメリカに「あるに越したことはない、くれるならもらっておく」程度の必要度しかない新しい基地をグワムと辺野古にプレゼントすることになり、世紀の大馬鹿者のそしりを受けることになります。

とにもかくにも、日本が中国のように米国債を外交の武器に使い始めたら、しかも中国と協調して「貸し主外交」をすることにしたら、というのは、アメリカの恐怖のはずです。それをなんとか食い止めるためにも、辺野古グワム連立方程式を、無理筋でもなんでも自分たちのつごうのいい解にみちびくことに、アメリカは必死なのではないでしょうか。

日米「同盟」は、百歩譲って安全保障のためにあったとしても、いまやそれとはおよそ無関係なことでアメリカが日本からお金を出し続けさせる口実になり下がっています。日米安保、もう来年で50年が経つのです。ここらでいったんリセットするのが、健全な関係ではないでしょうか。

グワム移転にお金を出す、しかも今要求されている、実費をはるかに超えるお金を出し、そのわたしたちのお金でグワム基地が拡充されたら、そこでも自然破壊が進み、グワムの人びとの生活が脅かされます。根拠のない恫喝に折れて(折れたフリをして)お金を出すことは、自分たちさえよければという利己的な行動とのそしりを免れません。

移転資金さえなければ、唯一海外にいる第3海兵師団は、アメリカ本土の第1、第2海兵師団に吸収される見通しだそうです。軍人の発想は現実的ですから、そうした二の矢三の矢をつがえて身構えているのです。でも、そもそも受け入れ国の資金なしには海外に基地を置く余力のないアメリカにとっては、第3海兵師団解体が唯一妥当な結論ではないでしょうか。そして、それが後世、戦争国家アメリカの頭を冷やすきっかけになった、ということになれば、日本のわたしたちは世界史的な貢献をすることになります。

ふう。ついかっかして、前置きが長くなりました。

ブログ「
辺野古浜通信」は、辺野古のテント村の日々を、毎日、写真入りで伝えてくれます。

辺野古には、わたしも2度うかがいました。ヤマトのある県で、行政が主催した講演会でのことです。質問タイムにひとりの女性が、「池田さん、このあいだ辺野古のテントで、水着着て座りこんでましたね」

それって質問か?

「テントに行くなら、指示が出たら海に出られる用意をして行きなさい」と教えてくださった方がいたので、そうしたのです。もしもそういう指示が出たらどうしよう、と何十年も泳いでいないわたしは一抹の不安を隠しながら、たった1日ですが、浜に座っていました。「海に出ろ」という指示は出ませんでした。

辺野古のブログには、去年うかがったときの
スナップもあります。「アメリカばんざい」のポスターを発見し、「このコピー、わたしが書いたの」と言っているところです(映画の感想文はこちら。いちばん下に出ています)。

コピーに不似合いな不謹慎な笑顔ですが、長く苦しいたたかいをつづけておられる高齢のみなさんや、献身的な若い方がたにお会いすると、勇気づけられて、つい笑みが出てしまいます。

またもや第2の前置き、しかも不要不急な前置き、失礼しました。

「辺野古浜通信」はときどきのぞきますが、なにかあると田場さんという方が転送してくださいます。8日の転送によると、きょう、東京で集会があるとのことです。うー、わたしは先約があって行けません。残念。20日には新宿でも集会があるそうで、こちらには参加します。FAX・メールでの要請よびかけもあります。

6時からの国会前集会の場所は、国会記者会館前路上(東京都千代田区永田町1-6-2)です。
http://www.mapfan.com/m.cgi?MAP=E139.44.53.3N35.40.13.1&ZM=11
千代田線・丸の内線「国会議事堂前」駅3番出口すぐ

6時半からの集会の会場、星陵会館ホール(東京都千代田区永田町2-16-2)への行き方は以下のとおりです。
http://www.seiryokai.org/kaikan.html
有楽町線・半蔵門線・南北線「永田町」駅6番出口3分
千代田線・丸の内線「国会議事堂前」駅5番出口5分


今朝も多数の作業船が出ています。
実弾演習の音が連日のように集落に響いています。

政治の世界で何をしているのかは、判りませんが、辺野古での埋め立てに向けた調査作業、キャンプ・シュワブ内の関連施設の建設は何一つ止まることなく進んでいます。私たちはいま、それを止めることができないでいます。
このままでは、来年にも埋め立て工事が始まります。もう一度、市民による阻止行動を行わなければならないのでしょう…

以下、辺野古への基地建設を許さない実行委員会 からの呼びかけを転載します。(辺野古浜通信)

******************

今、辺野古が危ない!!【全国の皆さんへ、緊急行動の呼びかけ】
辺野古への基地建設を許さない実行委員会では、いま次の緊急行動に取り組んでいますので多くの皆さんのご参加を訴えます。

★12月15日(火)PM6:30〜「県内移設反対集会」星陵会館(永田町)
       沖縄代表を招いて政府に移設中止を求める決起集会
平和フォーラムとの共催
         →その前段でPM6:00 〜6:30まで国会前集会

★12月20日(日)月例大情宣、PM3:00〜4:00、
新宿駅西口にて首都圏の市民団体、労働組合など団体、個人の大結集をお願いします。

【行動の趣旨】
鳩山政権は、年内にも、普天間基地の「移設」先として、これまで自公政権が進めてきた辺野古へ決定しようとしています。
民主党は、総選挙前、普天間基地の「移転」先として県外、国外「移設」を公約として掲げて、鳩山首相、岡田外務相は何度も主張してきました、ところがここに来て、普天間は県外へとの県民の思いは大切だとしてきた鳩山首相は、仲井真沖縄県知事と密談するなど、日米合意による辺野古「移設」の従来案の容認に大きく踏み出そうとしています。既に外堀は埋まりつつあり、今、極めて危険な状況です。
これは公約違反であり、沖縄の思いを踏みにじるもので、絶対に許すことはできません。

年内決着という暴挙を、許さないために、全国の地域、職場、学園から声を上げていきましょう。
当面、辺野古実では、鳩山政権の関係閣僚へのメールやFAXでの申し入れや要請、抗議(下記)などのほか、上記のような行動を呼びかけています。
是非とも多くの皆さんが参加されることを訴えます。
詳しくは沖縄・一坪反戦地主会関東ブロックのHPへhttp:
//www.jca.apc.org/HHK/

★鳩山政権の関係閣僚へのメールやFAXでの申し入れや要請、抗議
【全国の皆さんへ、緊急の呼びかけ】
私たちは、首都圏を中心に活動を続ける市民グループ・労働組合など、38団体で構成する「辺野古への基地建設を許さない実行委員会(辺野古実)」です。
大至急、総理大臣にあなたの一言を伝えようと呼びかけます。
辺野古に米軍基地を作ることはダメです!
在日米軍の75%(占有面積比)が押しつけられている沖縄に、また1つ、米兵隊の巨大な出撃基地を作って、沖縄の苦しみを増やしてはなりません。
「世界一危険な」普天間基地は、5〜7年の間に返すと約束されてから13年も経ちます。普天間基地はすぐに閉鎖し、撤去されるべきです。
アメリカに、これらの当然の要求をきちんと伝えてください。
対等な日米関係を主張してきたとおりに実践してください。
※辺野古への基地建設を許さない実行委員会
連絡先:沖縄・一坪反戦地主会関東ブロック(090-3910-4140)
市民のひろば(03-5275-5989)


【呼びかけの趣旨】
民主党は「普天間基地の県外・国外移設」を掲げて政権交替を実現しましたが、鳩山連立政権は、ここ2ヶ月あまりの迷走を続け、大変アブナイ様相を帯びてきています。
自公政権は、13年間も辺野古に作ることができませんでした。
沖縄現地の粘り強い不退転の闘いに、多くの人々が共感し、連帯の輪が拡がりました。辺野古への基地建設はマチガイだということを世界に示してきました。
もし「県外・国外」を主張し、アメリカと対等な外交を主張してきた現在の政権が、アメリカの脅しに屈して沖縄県民の声を受け止めず、辺野古を進めてしまったら!鳩山政権の致命傷になる、だけでは済まされません。
今、沖縄の闘いに連帯して、全国から声をあげてほしいのです。
沖縄だけの問題ではありません。日本中の私たちの問題です。
あなたの声を、総理大臣、政府に届けてください。
時間がありません。でも、どんな状況になっても、諦めないでやり続けましょう。
それぞれの地域でも、それぞれ可能な方法で行動し続けましょう。
「辺野古実」は、この「呼びかけ」の他にも、いくつかの行動の「呼びかけ」をしています。

【送り先】
総理大臣 鳩山由紀夫様
・メール(首相官邸「ご意見募集」)
http://www.kantei.go.jp/jp/iken.html
・郵送:〒100-0014 千代田区永田町2-3-1 首相官邸

外務大臣 岡田克也様
・メール
webmaster@katsuya.net
・Fax:03-3502-5047  ・Tel:03-3508-7109

防衛大臣 北沢俊美様
・郵送 〒162-8801 新宿区市谷本村町5-1
http://www.mod.go.jp/j/defense/mod-sdf/mod/index.html
・メール(防衛省ホームページで)
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防衛政務官 長島昭久様
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沖縄担当大臣 前原誠司様
(内閣府沖縄(北方)担当特命大臣)
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蓮池透×(鈴木邦夫+森達也+池田香代子)=?

蓮池透さんの対談集ができました。対談のお相手は、森達也さん(映画監督)、鈴木邦夫さん(一水会)、そしてわたしです。

穏やかで懐の深い鈴木さん、はっとするような、ストレートな真情の吐露は、つねに行動に裏打ちされています。気負い皆無のそのたたずまい。

広い視野から事象を掘り下げ、地の底からゆらりと立ち上るような気配の森さんのことばはしかし、ぐさりと事の本質を突きます。

わたしは……自分のことはわかりません。蓮池さんのひりひりとした覚悟とでも言うべき思いに打たれました。

4人の思いはひとつの焦点を結びます。言うまでもなく、拉致された人びとの上に。しかし世間ではこの焦点が今、ぼやけ、あいまいになり、あらぬ方(かた)へとずれているのではないか、ずらされているのではないかという、焦燥とも悲しみとも、あるいは怒りともつかないものが、3つの対談から浮かび上がります。

rachi2『拉致2 左右の垣根を越える対話集』
(かもがわ出版)、よろしかったらぜひ読んでください。
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辺野古の目はなくなった

寺島実郎さんは鳩山首相と近い人ですが、つい最近、ワシントンに行ってきたそうです。その寺島さんがテレビで、「ワシントンでは日米同盟で飯を食っている人とは会わなかった」と言っていました。(日テレ系)

やっぱりね、日米同盟を飯の種にしている人たちがいて、そういう人たちの声ばかりを伝えるメディアがあって、わたしたちの耳目はそうした情報で目隠し耳栓状態になっているのか。ふむふむ。

でもでも。12月9日の
中日新聞朝刊一面トップには、「米陸軍の座間移転中止へ 米側都合で『再編』変更」という大見出しが躍っていました。

記事によると、06年の米軍再編にかかわるいわゆる日米合意に基づいて、米陸軍第1軍団はキャンプ座間に移転することになっていたのに、アメリカ側のつごうでとりやめになったそうです。
キャンプ座間には、すでにやってきている「日本防衛」のための小規模な第1軍団前方司令部だけがいることになります。

自衛隊は、世界規模で展開する米第1軍団の移転を前提に、陸上自衛隊の海外活動司令部である中央即応集団がキャンプ座間へ12年度に移転する計画で、一部工事が始まっているそうです。でも、はしごを外されたかっこうです。アメリカの世界戦略と一体になって「海外任務」を果たそうと意気込んでいた自衛隊、メンツ丸つぶれ。座間に移る理由がなくなってしまいました。どうするんでしょうね。他人事(ひとごと)ながら気になります。

東新はさらに同日朝刊3面の「核心」で、「『米軍再編』自ら不履行 キャンプ座間移転中止」と報じています。「米側は米軍再編を「ひとつのパッケージ」として日本に履行を迫るが、米自身は都合よく解釈し、「パッケージ破り」をしていることになる。」この記事を書いたのは、編集委員の半田滋さん。半田さんがいるから東新をとっているわたしとしては、「キャー、かっこいい!」です。日米同意はどうなる、との半田さんの追求に、アメリカ側は「あれは過去の話」ですと。

米軍再編は一体的なもので、どこかひとつでも計画通りに行かないと全体がだめになる、とアメリカは言っていたはずでした。日本に、合意にもとづいて辺野古沖にV字型滑走路と港湾をつくれ、と迫っていたはずでした。だったら、それも「過去の話」として悪いはずがありません。

さらにさらに。星川淳さんの
ブログには、驚くべきことが書いてありました。この「沖縄ジュゴン訴訟」緊急院内勉強会のことは、わたしもテレビで見ました。すし詰めの室内には星川さんはじめ、顔見知りの方がたの姿も見えました。

けれど、この勉強会で、原告団がいわば決定的な隠し球を発表したことは、テレビニュースはきちんと伝えなかった気がします。報じていたら、星川さんのブログを読んで初めてびっくり、なんてことはなかったでしょう。それは、アメリカ政府はアメリカの国内法によって、辺野古には指一本触れることができない、という事実です。

アメリカは「日米合意」の履行を日本だけに迫る資格もなければ、そこで要求している辺野古V字型滑走路はみずからの法律の縛りでつくれないのです。もうぼろぼろ。鳩山さんは、沖縄米軍基地問題は3党で協議する、と明言しました。福島さんが辺野古移設に合意するわけはないので、社民カードをつかって辺野古案を白紙撤回するつもりでしょう。タフで周到な政治家だと思います。

解説者の中には、米軍再編計画が変更されそうだ、と言う人が出始めました。事実はもう変更しまくられなのですが、そうでも言わなければ、これまで再編計画はがちがちの規定事項だと言い続け、またわたしたちがそう信じさせられてきたこととつじつまがあわなくなるからでしょう。

以下、とてもわかりやすいので、星川さんのブログを全文引用しておきます。

12月2日(水)、国会議員会館で決定的に重要な緊急院内勉強会が開かれた。沖縄の人びとと環境派弁護士たちが米国で、国防長官を相手どって起こしたいわゆる「沖縄ジュゴン訴訟」(英語では提訴当時の国防長官名を残してDugong vs Rumsfeld caseと呼ばれる)の現状報告だ。

核心部分だけ要約すると、すでに米国内法(ジュゴンを天然記念物に含む米国文化財保護法)に照らして建設を違法とする第一審(連邦地裁)中間判決が言い渡されており、現在は最終判決待ち。米政府/米軍に関係者と協議を尽くすよう命令する強い判決文が出るのは必須らしい。ここは、国策調査捕鯨の闇を暴こうとすると検察から裁判所まで事実の隠蔽を図る日本とは違い、行政府と互角に渡り合う独立した米国司法の醍醐味である。

そして、その協議が続き、あるいは控訴審も争われるあいだ、キャンプ・シュワブの敷地にかかる基地は建設できないという。なぜなら、米政府/米軍は米国司法の判断に縛られるからだ。現行計画の代替ヘリポート(というより実態は大規模な海兵隊の新基地なのだが)は、日本政府がつくって海兵隊に供用することになっていて、米国の判決が直接、日本政府の行為を縛るわけではないのだが、計画が米軍キャンプ・シュワブの敷地と、基地に使用を提供された海域を使うため、日本政府が建設を実行するには、その部分に関して米政府/米軍の許可が必要となる。ジュゴン訴訟によって、この許可が出ないのだ。

ジュゴン訴訟原告団は、この許可問題をいざというときのために温存していたそうだが、鳩山政権が米側の圧力に屈しかねない山場と見て、これを発表した。院内勉強会に出席した10人以上の国会議員や多くのメディアはもちろん、おおよそジュゴン訴訟の経緯を知る私のようなNGO市民セクターの人びとも初耳だった。おそらく、オバマ大統領をはじめ米政府関係者も、この許可問題は理解していないのではないか。ようするに、米国内法で自分が許可を出せないものを、米政府は日本に「やれ、やれ」と迫っているというバカげた構図になる。万一、鳩山首相が辺野古への基地建設を決定して、埋め立て工事に着手するようなことがあれば、ジュゴン訴訟原告団はただちに米連邦地裁に工事の差し止め請求を行う構えだ。

驚いたのは、これほど重要な発表を、沖縄の2紙以外、他のメディアがまったく報道しないこと。そして、もう一つ沖縄以外で報道されないのは、沖縄に駐留する米海兵隊の主要部隊が、普天間飛行場のヘリコプター部隊も含めてグァムに移転する計画を、米側では具体的に進めていることだ。下記、宜野湾市長の公式資料を一読してほしい。普天間のヘリ部隊は、すでにグァムに移すことになっているのではないか。

http://www.city.ginowan.okinawa.jp/DAT/LIB/WEB/1/091126_mayor_5.pdf

http://www.city.ginowan.okinawa.jp/DAT/LIB/WEB/1/091126_mayor_4.pdf

ここにも沖縄密約とまったく変わらず、「国民には不都合なことを知らせない」姿勢が見える。鳩山政権は事実を見つめ、オバマ政権と真剣かつ誠実な交渉をはじめるべきだ。

▼緊急サイバーアクション「鳩山首相、沖縄・辺野古のジュゴンの海を壊さないで!」

https://www.greenpeace.or.jp/ssl/okinawa/?gv このエントリーをはてなブックマークに追加





兵員もヘリも沖縄には残らない 田中宇さんの沖縄米軍基地問題解説(1)

田中宇さんの立論すべてに納得しているわけではありません。

たとえば911米政府陰謀説。田中さんは状況から推論の網を絞っていって、そのように考えて不自然ではない、少なくとも、米中枢は事前に情報をえていたにもかかわらずなるがままに放置した可能性を捨てきれない、としています。どのような深慮遠謀があるにせよ、自国内でおびただしい人命を犠牲にすることにメリットを見出す政治勢力が民主主義世界にあるとは、わたしのばあい、感情がうけいれないのです。

あるいは温暖化陰謀説。先進国が新興国や途上国の経済の足を引っぱるために、つごうのいい数字を集めてつくりあげた虚妄だと、田中さんは主張します。そういう側面はあるでしょう。わたしも、「不都合な真実」のゴアさんは、排出量取引市場という、無から巨万の富を生む装置の広告塔ではと、一歩下がって観察しています。

けれど、中国地方では高品質のリンゴを生産していますが、そのための工夫や労力は年々重みを増していて、後継者問題に暗い影を落としている、そこにはやはり気候変動の影響がある、と聞きます。九州には、ある時期の気温が高すぎると起こる米の白化が問題になっている地域があり、沖縄に野生する琉球朝顔が、今この時期、12月になっても各地で旺盛に花をつけています。そうした実感から、気候変動が作り話だとはにわかに信じられないのです。

でも、タリバンはいずれアフガンを掌握するという予測も、G8は役割を終えるという予測も的中しましたし、ほかにも、読んだときは「まさか」と思ったことがいくつも現実になっています。

沖縄の米軍基地問題についても、田中さんの説は的確だと思います。わたしも11月28日の「やっぱり Marines wanna go home 全国紙ってやつは!」で紹介した伊波洋一宜野湾市長による分析を、田中宇さんが詳論しています。米海兵隊は挙げてグワムに行く計画を粛々と進めていることの動かぬ証拠をとくとお読みください。米軍のグワム基地増設のための環境アセスに、佐世保にいる海兵隊の揚陸艇の港も、沖縄にいるよりたくさんのヘリを置けるヘリパッドも、みんな記載されている、というのです。

(この米軍作成のグワム基地の地図を、きのうどこかの民放テレビのニュースが紹介していました。どこの局かわかれば感謝メールを送るのですが、チラ見だったのでわかりません。残念。北沢防衛相の、「グワム移転はない」発言にぶつけるかたちのこの報道、メディアも、グワム移転は現実だ、という方向に変わってきているのだったら、うれしいのですが。)



田中宇の国際ニュース解説 無料版 2009年12月10日
http://tanakanews.com/

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★官僚が隠す沖縄海兵隊グアム全移転
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この記事は「日中防衛協調と沖縄米軍基地」の続きです
http://tanakanews.com/091208japan.htm

前回の記事を書いた後、読者からの連絡を受け、沖縄県宜野湾市の伊波洋一市長が11月末から、在日米軍に関する常識を覆す非常に重要な指摘をしていることを知った。

沖縄の海兵隊は米国のグアム島に移転する計画を進めている。日本のマスコミや国会では「沖縄からグアムに移転するのは、海兵隊の司令部が中心であり、ヘリコプター部隊や地上戦闘部隊などの実戦部隊は沖縄に残る」という説明がなされてきた。しかし伊波市長ら宜野湾市役所の人々が調べたところ、司令部だけでなく、実戦部隊の大半や補給部隊など兵站部門まで、沖縄海兵隊のほとんどすべてを2014年までにグアム島に移転する計画を米軍がすでに実施していることがわかった。普天間基地を抱える宜野湾市役所は、以前から米軍に関する情報をよく収集し、分析力がある。

ヘリ部隊や地上戦闘部隊(歩兵部隊)のほとんどがグアムに移転するなら、普天間基地の代替施設を、名護市辺野古など沖縄(日本国内)に作る必要はない。辺野古移転をめぐる、この数年の大騒ぎは、最初からまったく不必要だったことになる。米軍が沖縄海兵隊をグアムに全移転する計画を開始したのは2006年である。日本政府は米軍のグアム移転に巨額の金を出しており、外務省など政府の事務方は米軍のグアム移転計画の詳細を知っていたはずだが、知らないふりをして「グアムに移る海兵隊は司令部などで、沖縄に残るヘリ部隊のために辺野古の新基地が必要だ」と言い続けてきた。

http://www.city.ginowan.okinawa.jp/2556/2581/2582/37840/37844.html
宜野湾市「普天間基地のグァム移転の可能性について」

伊波市長は11月26日に上京し、この件について与党の国会議員に対して説明した。同市長は12月9日には外務省を訪れ、普天間基地に駐留する海兵隊はすべてグアムに移転することになっているはずだと主張したが、外務省側は「我々の理解ではそうなっていない」と反論し、話は平行線に終わった。

http://www.city.ginowan.okinawa.jp/DAT/LIB/WEB/1/091126_mayor_4.pdf
伊波市長が与党議員に説明した時に配布した資料

http://www.qab.co.jp/news/2009120913727.html
伊波宜野湾市長 政府にグアム移転を要請

▼司令部は移転する8千人中3千人だけ

「米国は、沖縄海兵隊の大半をグアムに移そうとしている」と伊波市長が主張する根拠の一つは、米当局が11月20日に発表した、沖縄海兵隊グアム移転(グアム島とテニアン島への移転)に関する環境影響評価の報告書草案の中に、沖縄海兵隊のほとんどの部門がグアムに移転すると書いてあることだ。環境影響評価は、軍のどの部門が移転するかをふまえないと、移転が環境にどんな影響を与えるか評価できないので、米軍が出したがらない移転の詳細を報告書に載せている。

http://www.guambuildupeis.us/documents
Guam and CNMI Military Relocation Draft EIS/OEIS

8100ページ、9巻から成る環境影響評価の報告書草案の2巻や3巻に、沖縄からの海兵隊移転の詳細が書かれている。そこには、海兵隊のヘリ部隊だけでなく、地上戦闘部隊や迫撃砲部隊、補給部隊までグアムに行くことが書いてある。第3海兵遠征軍(MEF)の司令部要素(3046人)だけでなく、第3海兵師団部隊の地上戦闘要素(GCE、1100人)、第1海兵航空団と付随部隊の航空戦闘要素(ACE、1856人)、第3海兵兵站グループ(MLG)の兵站戦闘要素(LCE、2550人)が、沖縄からグアムに移転する。4組織合計の移転人数は8552人であり「沖縄からグアムに8000人が移転する」という公式発表と大体同じ人数である。「グアムに移転する8000人は司令部中心」という外務省などの説明は明らかに間違いで、司令部は3046人で、残りは実戦部隊と兵站部隊である。

http://www.guambuildupeis.us/documents_store/volume_2/Volume%202%20Chapter%202.pdf
VOLUME 2: MARINE CORPS - GUAM

http://www.city.ginowan.okinawa.jp/2556/2581/2582/37840/37844.html
宜野湾市「普天間基地のグァム移転の可能性について」

米国側が、沖縄の海兵隊の大半がグアムに移る計画内容を発表したのは、これが初めてではない。2006年9月に米軍が発表した「グアム統合軍事開発計画」に、海兵隊航空部隊とともにグアムに移転してくる最大67機の回転翼機(ヘリコプター)などのための格納庫、駐機場、離着陸地(ヘリパッド)を建設すると書いてある。普天間に駐留する海兵隊の回転翼機は56機だから、それを超える数がグアムに移転する。普天間の分は全部含まれている可能性が高い(残りは米本土からの前方展開かもしれない)。

http://www.docstoc.com/docs/5646080/Guam-Integrated-Military-Development-Plan
Guam Integrated Military Development Plan

この「グアム統合軍事開発計画」は、グアムを世界でも有数の総合的な軍事拠点として開発する戦略だ。米国は「ユーラシア包囲網」を作っていた冷戦時代には、日本や韓国、フィリピンなどの諸国での米軍駐留を望んだが、冷戦後、各国に駐留する必要はなくなり、日本、韓国、台湾、フィリピン、インドネシアなどから2000海里以下のほぼ等距離にあるグアム島を新たな拠点にして、日韓などから撤退しようと考えてきた。

http://posts.same.org/JEETCE2007/presentations/2.3Bice.pdf
グアムの戦略地図

その具体策として、海兵隊の全構成要素を沖縄から移すだけでなく、海軍と空軍の大拠点としてグアムを開発し、米軍の全部門が連携できる体制を作る計画を打ち出している。沖縄の海兵隊は、小さな出先機能が残存する程度で、残りはすべてグアムに移る方向と考えるのが自然だ。

http://www.city.ginowan.okinawa.jp/DAT/LIB/WEB/1/siryo_6_2.pdf
「グアム統合軍事開発計画」より抜粋

▼一週間で消された詳細なグアム計画

米軍の「グアム統合軍事開発計画」は、06年7月に策定され、9月に発表された。策定の2カ月前の06年5月には、米軍再編(グアム移転)を実施するための「日米ロードマップ」が日米間で合意され、この時初めて、日本政府が沖縄海兵隊グアム移転の費用の大半(総額103億ドルのうち61億ドル)を払うことが決まった。米軍は、日本が建設費を負担してくれるので、グアムに世界有数の総合的な軍事拠点を新設することにしたと考えられる。

http://www.mofa.go.jp/mofaJ/kaidan/g_aso/ubl_06/2plus2_map.html
再編実施のための日米のロードマップ

とはいえ、米軍の「グアム統合軍事開発計画」は、国防総省のウェブサイトで公開されて1週間後に、サイトから削除されてしまった。「日米ロードマップ」にも、沖縄からグアムへの海兵隊移転は「部隊の一体性を維持するような形で」行うと書いてあり、司令部だけではなく実戦部隊も移転することがうかがえるが、同時に「沖縄に残る米海兵隊の兵力は、司令部、陸上、航空、戦闘支援及び基地支援能力といった海兵空地任務部隊の要素から構成される」とも書いてある。「海兵空地任務部隊」とは、海兵隊の主要機能全体をさす言葉で、曖昧である。

http://en.wikipedia.org/wiki/Marine_Air-Ground_Task_Force
Marine Air-Ground Task Force  From Wikipedia

日米は、沖縄海兵隊のうち何がグアムに移転し、何が沖縄に残るかを意図的に曖昧にしておくことで、海兵隊が今後もずっと沖縄に駐留し続け、日本政府は「思いやり予算」などの支出を米軍に出し、財政難の米軍はその金をグアム基地の運用費に流用し、日本政府は1日でも長く続けたかった対米従属の構図を残せるという談合をした疑いがある。「グアム統合軍事開発計画」は、具体的に書きすぎており、沖縄海兵隊が全部グアムに移ることがバレてしまう心配が出てきたので、1週間で削除したのだろう。

http://tanakanews.com/091115okinawa.htm
日本の官僚支配と沖縄米軍

その後、宜野湾市関係者が、グアム統合軍事開発計画を根拠に、米国沖縄総領事に「普天間基地の海兵隊ヘリ部隊がグアムに移転する計画ではないか」と尋ねたところ、総領事は「あれは紙切れにすぎない」「正式な決定ではない」と返答し、沖縄海兵隊でグアムに移るのは司令部機能だけだと主張した。だが、その3年後の今年11月20日の環境影響評価の報告書草案でも、グアム統合軍事開発計画の内容は踏襲されており、米軍は沖縄海兵隊の大半をグアムに移す計画を粛々と進めている。伊波市長は先日、グアム統合軍事開発計画について「この3年間、この計画に沿ってすべてが進行している」と指摘した。

http://www.city.ginowan.okinawa.jp/2556/2581/2582/37840/37844.html
宜野湾市「普天間基地のグァム移転の可能性について」

宜野湾市は、周辺市町村も誘って、2007年8月にグアム島の米軍基地を視察し、米軍やグアム政府からの聞き取りや資料集めを行った。その結果、以下のことがわかった。(1)グアムのアンダーセン空軍基地の副司令官に、沖縄の海兵隊航空部隊の施設建設予定地を案内され「65機から70機の海兵隊航空機が来る」と説明を受けた。普天間の常駐機は71機。ほぼ全数がグアムに移る。(2)グアムのアプラ海軍基地に、今は佐世保に配備されている、強襲揚陸艦エセックス、ドック型揚陸艦ジュノー、ドック型揚陸艦ジャーマンタウン、ドック型揚陸艦フォートマックヘンリーのために、停泊施設が新設される。海兵隊の軍艦は、佐世保からグアムに配置換えになる。有事に備え、揚陸艦の近くに駐留する海兵隊の戦闘部隊や兵站部隊もグアムに移ることは、ほぼ確実である。

http://www.city.ginowan.okinawa.jp/DAT/LIB/WEB/1/071030_0708013_mayor_2comment.pdf
グァム米軍基地視察報告(2007年8月13日)
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「ふつうの国になりましょう」 田中宇さんの沖縄米軍基地問題解説(2)

(前回から読む方はここをクリック)

沖縄の米軍基地問題は、今が剣が峰です。それで、きょうは田中宇メルマガ2連発、後半をお届けします。

外務省などが主張し、歴代政府が騙されていた(ふりをしていた?)米軍1万人沖縄残留というのはつじつまがあわないこと、幽霊住民登録のようなものだということが、よくわかります。無駄な税金をじゃぶじゃぶつぎ込み、かけがえのない大浦湾の自然をぶち壊しにして、だれがなにを狙っているのかも。

ずっと黙殺されていた橋下沖縄府知事の「海兵隊、関空へ」発言がメディアにとりあげられたのは、フリージャーナリストが youtube を駆使したおかげだそうです。ネットがマスメディアに対抗しうることを知らしめた、すばらしい事例です。伊波市長の指摘もそのようになりますように。

ここへきてマスメディアの大勢は、鳩山首相の優柔不断を笠に着てあげつらっています。でも、鳩山さんは外相と防衛相に、「解決策をひとつずつ出すように」と指示したのです。それで岡田さんは嘉手納統合を提案しました。北沢さんは、グアムはだめ、とひとつの案を否定しただけで、代案はまだです。

鳩山さんは北沢さんの「グアムだめ」案に、「そうかな?」と一言。この一言は大きいと思います。そうやって、じわりじわりと選択肢を狭め、「最後はわたしが決める」、つまりグアム全面移転の方針を出す。なかなかタフで、いい意味で権謀術数にたけた政治家だと、わたしはうけとめています。もしかしたら日米は、すでに「手切れ金」の金額交渉に入っているのかもしれません。その際、すべてはわたしたちの前にオープンになると期待しています。なんと言っても、沖縄密約を明るみに出すことに積極的な政権ですから。

いまは、マスメディアの大勢をつうじて最後の攻勢をかけてくる、対米追従の洗脳から覚めようとしない勢力と、全選挙区から辺野古移設反対の国会議員を送り、自民党県連も各首長も「もう黙ってはいない」と反対を口にし出した沖縄の人びとを先頭に、基地を抱える各地の市民、そして全国の平和と独立を愛するすべての市民の「最終対決の時」だと思います……ふう、頭に血がのぼりました。

(それにしても橋下さん、今このときに、沖縄戦で自決した大田実海軍中将の「沖縄県民かく戦えり。県民に対し後世、特別のご高配を賜らんことを」を引用するなんて、いいとこある。この件にかんしては、だんぜん見直しました。)



08年9月には、米国防総省の海軍長官から米議会下院軍事委員会に、グアム軍事計画の報告書「グアムにおける米軍計画の現状」が提出された。その中に、沖縄からグアムに移転する海兵隊の部隊名が示されており、沖縄のほとんどの実戦部隊と、ヘリ部隊など普天間基地の大多数の部隊がグアムに行くことが明らかになった。

http://www.city.ginowan.okinawa.jp/2556/2581/2582/37840/37844.html
宜野湾市「普天間基地のグァム移転の可能性について」

▼外務省が捏造した1万人の幽霊隊員

外務省発表や大手マスコミ報道によると、沖縄には1万8000人の海兵隊員がおり、グアムに移るのはそのうち8000人だけで、グアム移転後も沖縄に1万人残る話になっている。私もその線で記事を書いてきた。しかし、在日米軍の司令部によると、1万8000人というのは「定数」であり、実際にいる数(実数)は1万2500人である。しかも、沖縄タイムスの06年5月17日の記事「グアム移転 人数の『怪』」によると、沖縄にいる海兵隊の家族の人数は8000人で、発表どおり9000人の家族がグアムに移るとなると、残る人数が「マイナス」になってしまう。

http://www.awcjapan.org/data/okinawa/okinawa090223.htm
「在沖縄海兵隊のグアム移転に係る協定」の署名に抗議する

沖縄海兵隊の「実数」は、軍人1万2500人、家族8000人の計2万0500人だ。これに対してグアムが受け入れる人数は軍人8000人、家族9000人の計1万7000人である。家族数の「マイナス」に目をつぶり、総数として引き算すると、沖縄に残るのは3500人のみだ。米軍再編の一環としての「省力化」を考えれば、米本土に戻される要員も多いだろうから、沖縄残存人数はもっと減る。今回の宜野湾市の資料は「沖縄に残るとされる海兵隊員定数は、今のところ空(から)定数であり、実働部隊ではない」としている。空定数とは、実際はいないのに、いることになっている人数(幽霊隊員)のことだろう。

http://www.city.ginowan.okinawa.jp/2556/2581/2582/37840/37844.html
宜野湾市「普天間基地のグァム移転の可能性について」

外務省などは、1万人の幽霊部員を捏造し、1万人の海兵隊員がずっと沖縄に駐留し続けるのだと、日本の国民や政治家に信じ込ませることに、まんまと成功してきた。沖縄の海兵隊駐留は、日本が対米従属している象徴であり、外務省は「米国に逆らうと大変なことになりますよ」と政治家や産業界を脅し、その一方で、この「1万人継続駐留」を活用して思いやり予算などを政府に継続支出させて米軍を買収し「米国」が何を考えているかという「解釈権」を持ち続けることで、日本の権力構造を掌握してきた。

http://tanakanews.com/091115okinawa.htm
日本の官僚支配と沖縄米軍

この捏造された構図の中では、普天間基地は今後もずっと返還されない。辺野古では、すでにキャンプ・シュワブの海兵隊基地内に、海兵隊員用のきれいな宿舎や娯楽施設が何棟も建設されている。海兵隊員は2014年までにグアムに移るのだから、これらは短期間しか使われない。外務省らの詐欺行為によって、巨額の税金が無駄遣いされてしまった。これは、自分らの権力を増強するため公金を無駄使いする犯罪行為である。伊波市長は今年4月、参考人として国会に出たときに「幽霊定数が重視されるのなら(海兵隊グアム移転費として日本が出す)60.9億ドルは無駄金になりかねません」と言っている。

http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/171/0005/17104080005007a.html
○伊波参考人 2009年4月8日

(最終的に、海兵隊が沖縄から出ていった後、キャンプ・シュワブは自衛隊の基地となり、辺野古の宿舎は自衛隊が使うことになるのかもしれない)

▼歓迎されない橋下関空容認発言

沖縄海兵隊は、1万人の幽霊定員を残し、日本から巨額の金をもらいつつ、着々と沖縄からグアムに移転している。しかし表向きは、1万人残存を前提に、辺野古に新しい基地を作る話が続いており、沖縄の人々は反対の声を強めている。

反対の声を聞いて、大阪の橋下徹知事が11月30日に「海兵隊が関西空港に移ってくることを容認する」という趣旨の発言をしたが、実は橋下知事はその2週間前にも記者団に同様のことを言っており、その発言は国会でも問題になったが、マスコミはこれらの出来事をまったく無視した。11月30日の会見はフリーのジャーナリストが会見の一部始終をユーチューブで公開し、それが人々の話題になったので、仕方なくマスコミも橋下の発言を報道したのだという。

http://www.j-cast.com/2009/12/07055624.html
大手マスコミ黙殺した橋下発言 「普天間関西へ」浮上の舞台裏

マスコミを、外務省など官僚機構が操作するプロパガンダ機能としてとらえると、マスコミが橋下発言を無視する理由が見えてくる。米軍は沖縄海兵隊のほとんどをグアムに移転するのだから、普天間基地の代替施設は日本に必要ない。「普天間の移転先を探さねば」という話は、具体化してはならない。橋下がよけいな気を回し、本当に海兵隊を関西空港に移す話が具体化してしまうと、詐欺構造が暴露しかねない。だから、橋下の発言は歓迎されず、無視されたのだろう。

海兵隊の移転先として硫黄島の名前が挙がったり、嘉手納基地と統合する構想が出たりしているが、同様の理由から、いずれも話として出るだけで、それ以上のものにはなりそうもない。

(橋下知事は大阪府民に向かって「みんなで沖縄のことを考えよう」と呼びかけており、これは以前に書いた「沖縄から覚醒する日本」と「民主党の隠れ多極主義」で指摘した、沖縄基地問題と地方分権をつないだ日本覚醒の流れに見える)

http://tanakanews.com/091104okinawa.htm
沖縄から覚醒する日本

http://tanakanews.com/091106DPJ.php
民主党の隠れ多極主義

▼日本の将来を決する天王山に

「海兵隊はグアムに全移転しようとしている」という、宜野湾市長の指摘も、マスコミでは報じられなかった。だが、11月末に伊波市長がその件を与党議員に説明した後、12月に入って鳩山首相が「そろそろ普天間問題に日本としての決着をつけねばならない」「グアムへの全移転も検討対象だ」と発言し、事態が一気に流動化した。鳩山がグアム全移転を言い出したことが、伊波市長の指摘と関係あるのかどうかわからないが、議論の落としどころは「グアム全移転」で、それに対する反対意見を一つずつガス抜きしていくような展開が始まっている。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091204-00000058-yom-pol
普天間移設「新しい場所を」首相が指示

そもそも「グアム全移転」は、日本側が提案することではなく、すでに米国がやっていることなのだが、世の中はマスコミ報道を「事実」と考えて動いており、海兵隊1万人沖縄残留という捏造話が、国民の頭の中で「事実」になっている。マスコミがプロパガンダ機能だと国民に気づかせることが首相にもできないほど、この機能が持つ力が強い以上、鳩山はグアム全移転を「米国に提案する」という形式をとらざるを得ない。

鳩山は「(普天間移設に関する)政府の考え方をまとめるのが最初で、必要、機会があれば(米大統領と会談したい)」と言っているが、まさに必要なのは、米国と再交渉することではなく、政府の考え方をまとめ、海兵隊員水増しの捏造をやめることである。外務省など官僚機構が了承すれば、日本は「海兵隊は2014年までにグアムに全移転してほしい」という方針で一致し、米軍がすでに進めている移転計画を、ようやく日本も共有することになる。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091209-00001214-yom-pol
日米首脳会談、要請もできず…米側も消極的

海兵隊グアム全移転が政府方針になると、海兵隊1万人沖縄残留という捏造話に基づく対米従属の構造が崩れ、外務省など官僚機構は力を失っていく。だから外務省とその傘下の勢力は、全力で抵抗している。事態は、日本の将来を決する「天王山」的な戦いとなってきた。自民党は、民主党政権を批判すべく、今こそとばかり党内に大号令をかけた。自民党は、官僚依存・対米従属の旧方針を捨て、保守党としての新たな方向をめざすべきなのだが、依然として官僚の下僕役しか演じないのは愚かである。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091209-00001155-yom-pol
自民が民主批判の大号令、問題指摘のメモ作成

政権内では、北沢防衛大臣がグアムを訪問した。海兵隊のグアム全移転が可能かどうかを視察しに行ったのだろうが、向こうの米軍などに恫喝されたらしく、グアムにいる間に「グアム全移転はダメだ。日米合意からはずれる」と表明した。これに対して社民党の議員が「ちょっと行って、ちょろっと見て『ダメ』って結論が出るのか」と非難するなど、連立与党内も乱闘になっている。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091210-00000554-san-pol
社民・重野氏「ちょろっと見て結論出るのか」 グアム移設で防衛相に不快感

日本政府が「グアム全移転」でまとまった場合、日本が米軍の移転費用を2014年以降も出し続けるかどうかが、日米の問題となる。米軍がグアムを大軍事基地に仕立てる計画について、米軍は当初、総額107億ドルで完成できる(うち60.9億ドルを日本が出す)と言っていたが、これにはグアムで軍関係の人員や車両が増えることによる道路や上下水道、電力網などの補強工事にかかる61億ドルが含まれていない。米政府の会計検査院(GAO)は今年7月、この件で米軍を批判する報告書を発表した(基地移設により、島内人口は14%増となる見込み)。

http://www.stripes.com/article.asp?section=104&article=63628
GAO says cost of Guam move will exceed estimate

米軍は予算オーバーの常習犯で、事業が予算を大幅に超過するのは30年前からの常態だ。米軍は、超過分は日本に出させようと考えていただろうが、鳩山政権は対米従属からの自立を掲げており、財政難を理由に、金を出し渋るだろう。今回の北沢防衛相のグアム訪問時に、グアムの知事が沖縄からの海兵隊移転に初めて反対を表明したが、この反対表明の裏には、日本にグアムのインフラ整備費も出してほしいという要求があるのだろう。

米政府も財政難なので、海兵隊グアム移転にかかる費用の増加分を日本が出さない場合、海兵隊がグアムに移らず、普天間に居座る可能性もある。だが、そうなると海兵隊の居座りに対する沖縄県民の反対も強くなり、鳩山政権は、金を出さないで海兵隊に撤退を要求するという、フィリピンなど世界各国の政府がやってきた「ふつうの国」の要求をするかもしれない。最終的に、米軍は日本らか追加の金をもらえずに出て行かざるを得ず、この場合はグアム移転の要員数が縮小され、米本土に戻る人数を増やすことで対応すると思われる。「政府や議会が一度決議するだけで米軍を出て行かせられる」という、日本人が「そんなことできるわけない」と思い込まされてきた世界の常識が、ようやく日本でも実行されることになる。

沖縄では、来年の沖縄県知事選で、宜野湾市の伊波市長に出馬してもらおうとする動きがあると聞いた。もし伊波市長が沖縄県知事になったら、沖縄県は米軍駐留をなるべく早く終わらせようとする姿勢に転換し、東京の政府も無視できなくなる。それは、沖縄が米軍基地の島を脱却することにつながりうる。
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日米の対立点? NHKの「コラム」

NHKには、夜遅く、10分ていどの短い番組があります。解説委員がニュースにコメントする、というもので、新聞ならコラムや署名社説にあたるでしょう。

9日、ちゃんと見ればよかったのですが、横目で見ていたら、普天間をめぐる日米の対立点を4つか5つ、パネルにまとめていました。

そのなかに、「核の先制不使用」がありました。解説者によると、鳩山政権は核の先制不使用をアメリカに求め、アメリカはそれには反対の意向だ、というのです。理由は、同盟国が核の傘の有効性に不安をもつからだそうです。

その同盟国って、まずは日本のことでしょう。オバマ政権は核の先制不使用に舵を切ろうとしているのに、断乎反対の運動をくり広げているのが日本の外務省だとは、7月30日の「
国是としての核廃絶反対?!」に書きました。それを、この解説者はぼかして、まるでほかのアメリカの同盟国の反対であるかのように言っている。

しかも、核の先制不使用に反対している「日本」とは、旧政権や官僚組織が体現してきた「日本」です。そして、そうした勢力と同じ目でしかものごとを見ることができない、NHKをはじめとするマスメディアです。このくにには、核の先制不使用を積極的に提言し、そうしたアメリカの意向を支持する新しい政権が生まれているというのに。

メディアは早く頭を切り換えるべきです。唯一、東京新聞(中日新聞)が、これまでの蓄積にものを言わせて、新しい事態にあまり外れない見通しをもっているように思いますが。

頭の切り替え以前の問題として、ほんとにNHKさん、あるいはNHKの政治部さん、ことばのごまかしによる世論操作はやめていただきたいと思います。ほかのセクションは、たとえば先日も「海軍400時間の反省会」について、沢地久枝さんや半藤一利さんらが語り合う、いい番組を放送しました。ですから、十把一絡げにNHKのことを批判するつもりはありませんが、あのコラムはいただけなかった。
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「村の鍛冶屋さん」

20091210f大阪から中国自動車道を高速バスで2時間あまり、宍粟(しそう)市の山崎で、鍛冶屋さんを発見しました。

そのバスでさらに2時間走った終点、津山で、かつて高齢のご夫婦がいとなむ鍛冶屋さんを訪ねたことを思い出しました。

おばあさんが炉の火加減を見、おじいさんが鎚をふるう。

「ふいごさまはどちらまで?」わたしがそんな質問をすると、おじいさんは喜んで、「ばあさんや、お茶淹れてくれ、まんじゅうがあっただろう」。まるで落語みたいな展開でした。「ふいごさま」とは、鍛冶屋さんが信仰する神さまのことで、お参りするふいごさまは鍛冶屋さんごとに決まっているのです。あのときは、小振りの出刃包丁を購いました。

こんどもまたそんな会話ができるかと、中をのぞくと……。


20091210e人の気配がなく、炉も長らく冷え切っているようでした。














20091210d仕事場は静まりかえっていました。















20091210cガラス戸の向こうには、かつてつくっていた鍬。昔、鍛冶屋さんは、使う人の体格や、その人独特の作業のしかたを踏まえてつくったものだそうです。よく知った仲だからこそ、そうしたこともできたのでしょう。

晩秋の陽射しの中、鍬は美しい光を放って、ここに鍛冶屋あり、と誇らしげに休らっていました。







20091210bいまは、研ぎでしのいでおられるのでしょうか。











20091210a道を隔てて全貌をおさめました。カメラを構えるわたしのうしろはコンビニです。その隣は、この町でいちばん大きなホテル、ホテルの向かいは市庁舎。鍛冶屋さんのまわりは、いつのまにか町の中心部になっていたのです。鍛冶屋さんだけを昔の村の時間のなかに残して。

 

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NHKは世論操作をやめて! 普天間・辺野古

最近、岡田外相の顔がやつれて見えます。先日の名護での市民との対話集会、民主党沖縄県連が参加者を選び、メディアはシャットアウトという、旧政権のタウンミーティング形式(どうせ外務省が入れ知恵したのでしょう)だったにもかかわらず、野次りたおされたことは、目取真俊さんのブログになまなましく紹介されています。

問題のシンポジウムは、日経新聞とアメリカの保守系シンクタンク、戦略国際問題研究所(CSIS)の共催でした。アメリカ側はCSISのハムレCEO、アーミテージ元国務副長官、グリーン元大統領補佐官、マイヤーズ元在日米軍司令官、ボデスタ元大統領首席補佐官、日本側は石破元防衛大臣、長島防衛政務官。まさに錚々たる顔ぶれです。どれだけのお金をかけたやら。これを12月8日にぶつける。気合いが入っています。

問題の、と言ったのは、普天間基地の辺野古移設を一刻も早く決めろ、さもないと日米関係はたいへんなことになる、というのがシンポの趣旨だったからです。しかも、このシンポのもようをNHKの定時ニュースが延々と伝えたからです。ごていねいにも、グリーン元大統領補佐官にはスタジオでも話をさせていました。NHKも気合いが入っています。

しかし、澎湃とわき上がる、普天間基地を県外へ、国外へ、という沖縄をはじめとする声はまったく伝えないNHK、いったいどういう報道機関なのでしょう。民放ニュースは見ていないのでわかりませんが、NHKニュースは、辺野古移設しかないという世論形成のためにこのシンポを大大的に報じたとしか思えません。

アーミテージさんやグリーンさんを「知日派」と呼んで、あたかもこのくにに好意的な人びとと位置づけるのは、もういいかげんやめにすべきではないでしょうか。かれらは、従来の日米関係から権益をえている日米双方の人びとの代弁者でしかありません。

去年の春、参議院はいわゆる「思いやり予算」関連法案を否決しました。当時は野党だった民主党などが多数を占めていたからです。いま鳩山首相が「思いやり予算見直し」を言うのは、ですから当然のことです。思いやり予算があるから米軍はこのくにに、沖縄に基地を置くのだとは、一時CSISに籍を置いていたケント・カルダーさんもつとに主張しています。「沖縄が地政学的に重要なのではない、思いやり予算と、防衛施設庁のきめ細かい住民慰撫が、沖縄に地政学的価値をもたらしているのだ」と。

数年前、太田昌秀元沖縄県知事にお会いしました。太田さんは根っからの学者さんです。アメリカの公文書館に通って論文を集めることを無類の楽しみとしています。そのなかに、アメリカはアメリカの国益に照らして日本に基地を置く必要はない、とする論文のコレクションがある、とさもうれしそうに、にこにこしながらおっしゃいました。

わたしは、「聞き捨てなりません、笑っているばあいではありませんっ!」と、半ば本気で気色ばみました。その後、那覇の太田平和研究所を訪ね、膨大な書庫を案内していただき、問題の論文をまとめてある戸棚も見せていただきました。そして、なんとかこれを広く紹介したい、と申し上げました。

その翻訳が進んでいるそうです。1日も早い出版が待たれます。

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オペラ番外篇 ワーグナーとメルヒェン ジークフリートの場合

もう40時間以上、起きています。この歳になって完(全)徹(夜)ができるとは。ちょっとうれしい。

さきほど終わりました。ずっと気がかりだった日本ワーグナー協会での話が。初台の新国立劇場大ホールで、オーケストラピットを背に話をするなんて、これが最初で最後でしょう。有名な専門家もおられて、冷や汗三斗でした。でも、メルヒェンの話をさせていただくと、うれしい。

ワーグナーの「ジークフリート」とメルヒェンの関係を述べよ、それがわたしに課されたテーマでした。すこしグリム兄弟の説明が長すぎ、もたもたしたかもしれません。反省。そこを省いて、きょうの話の一部をここに書いておきます。ちょっと長いのですが。


「ジークフリート」には、「ニーベルングの指輪」のなかでもとくにメルヒェンがそれとわかるかたちで使われています。グリムのメルヒェンで言うと、「こわがり修行に出た男」(KHM4)と「いばら姫」(KHM50)です。

みなさんはこのジークフリートという若者、お好きですか。かれは育ての親ミーメを殺すのですよ。ミーメは、ジークフリートを育て上げたあかつきには、かれを利用して権力をわがものにしようという魂胆です。けれども、なんといっても生まれたときからジークフリートを育てたのです。ミーメは嘆きます。

「乳飲み子のおまえを わしは育てた
赤子のおまえが凍えぬように
服を着せ 食べさせ飲ませ
わが身のようにたいせつにして
すくすく育てと世話を焼いた
おれがしつらえた寝床で おまえは眠り
おれが鍛冶でつくったおもちゃや角笛で遊んだ
おまえが喜ぶことなら 骨折りもいとわなかった
ためになることを教えて おまえを導いた
知恵もつけてやった
なのにおれが家にすっこんで
汗水たらして働いているあいだ
おまえときたら気の向くままに
遊び回っているではないか」

ジークフリートは、ミーメの苦労などどこ吹く風で、いつも森を駆け回って、熊や狼と遊びほうけています。ミーメは同情に値します。その育ての親を、主人公は毛嫌いし、罵詈雑言をあびせ、あげく殺すのです。こうした態度には、さまざまな解釈があるようですが、わたしはその原因を、ジークフリートの特異な境遇には求めません。ごくふつうのことだと思います。

ジークフリートはまだ10代の若者です。この役は全3幕出ずっぱりで、最後にはそこで初めて登場するブリュンヒルデと長丁場の歌を歌わなければなりません。それで、この役は技倆的にも脂ののりきった、しかも体力もじゅうぶんの歌手が歌うことになります。オペラは、歌唱力さえあれば元気いっぱいのソプラノが、肺病で死にかけているヴィオレッタやミミに見えてくるものです。でも、10代のガキに見えるジークフリートには、わたしはまだお目にかかったことがありません。この役を歌う能力とその歌手の外見には、いつも大きな隔たりがあるような気がします。そのことが、ジークフリート像を描くのに妨げになっていると思います。

ジークフリートは第2反抗期なのです。この年頃の男の子は、父親のようにはなりたくないと考えます。家には食事をするなど、しかたなく帰ってくるだけで、外で仲間、ジークフリートのばあいは熊や狼といったよからぬ連中とつるんで、乱暴な遊びにうつつを抜かしています。ミーメのグチを聞いても、「くどくて恩着せがましい、せちがらいやつ」としか思いません。親が、あくせくと生活に追われる小心な中年としか見えないのです。自分の理想とする大人像を親とは別のなにかに求めます。それがなにかはわからないので苛立ち、親に当たりますが、とにかく親のようにはなりたくないのです。

親から何かを学ぶなど、ぜったい抵抗します。ミーメは嘆きます。

「おまえが鍛冶のわざを
まじめに習いおぼえていたらよかったものを
なのにおまえはいつだって
上の空だった」

みなさんのなかには、今現在、こうした息子さんや娘さんとの葛藤の日々を送っている方もおられるのではないでしょうか。あるいはかつてそのような修羅場をくぐったと、思い出している方も。わたしもミーメの歌詞は、訳していてほろ苦いものがあります。
 
もっとさかのぼれば、みなさん自身が攻守ところを変えて、多かれ少なかれジークフリートだった過去があったのではないでしょうか。もしかしたら、このワーグナーの作品にめぐり会い、心惹かれたのはその頃だったのかもしれません。もちろん、自分自身をジークフリートに重ねて。ジークフリートは歌います。

「あんたのすることなすことが ウザイんだよ
立ってるところとか、ちょこまか歩くところとか、
猫背でうなずくところとか、
目をぱちぱちしばたくところとか
なにもかもがむかつくんだよ」

わざと今風の若者ことばで訳してみました。ミーメはこびと族です。息子は思春期になると父親よりも背が高くなります。父親を物理的に見下して生理的に反撥し、ああはなりたくないと、やり場のない苛立ちにとらわれます。ジークフリートはしごく尋常な、どこにでもいるティーンエイジャーだと思います。

このジークフリート像をつくるのに、ワーグナーが参考にしたメルヒェンが、「こわがり修行に出た男」だとされています。

父親が、なにをやらせても見込みのない息子を、なにかの修行をして身を立てろと、追い出します。息子は旅に出ますが、メルヒェンの英雄はみんな旅人です。生まれ故郷を離れることが、英雄になる第1の条件です。また、この息子は、ぞっとするとはどういうことかがわかりません。なにかが欠けていること、一人前ではないことも、意外なようですが、メルヒェンの英雄の条件です。英雄の欠損が補われ、一人前になることを目指すのが、メルヒェンです。

息子の門出に、父親は言い渡します。「どこの出だとか、親父はだれだとか、口が裂けても言うんじゃねえぞ。わしが赤っ恥さらすことになるからな」 息子はそれを真に受けて、道中話しかけてきた男とこんな問答をします。

「おまえ、何者だい?」
「わかんねえ」
「どこの出だ?」
「わかんねえ」
「親父さんは、なんて名だい?」
「そいつは言えねえ」

このやりとりは、落語的なおかしさをよそおってはいますが、英雄譚の発端として重要です。英雄は、その出自が謎に包まれていなければなりません。オイディプスがそうですし、ローエングリーンがそうです。メルヒェンでは、貧しいお百姓の三男坊とかお払い箱の元兵士が、冒険の主人公です。つまり、どこの馬の骨とも知れないという属性が、英雄の謎の出自のメルヒェン的な表現なのです。

若者は、呪われた城の三晩の見張りに挑むことになります。そうすれば、ぞっとするとはどういうことかわかる、とすすめられたからです。これをやりとげると、城にかけられた呪いが解け、城の宝物が自分のものになるうえに、王さまがお姫さまの婿に迎えるという、ごほうびがついています。もっとも、若者にとっては、ぞっとするとはどういうことかがわかればいいので、そんなおまけはどうでもいいことなのですが。

これは、難題求婚というメルヒェンのタイプです。なにか困難なことをやりとげると、女王や姫の配偶者になれる、という話は世界各地にあります。日本にも、娘の病を治して婿におさまったわらしべ長者とか、鬼を退治して姫と結婚した一寸法師とか、和歌のかけあいで長者の娘の婿になる山田白滝とか、枚挙に暇がありません。

難題はいろいろです。代表的なのは、姫の病気を治す、笑わない姫を笑わせる、物言わぬ姫になにか言わせる、眠っている姫を起こす、姫の出す謎なぞをとく、竜などの怪物にとらわれた姫を助け出すなどです。いずれも、不活性な状態にある女性を活性化させる、という性質のものです。

古来、大地は女性と深く関係づけられていました。不活性な姫イコール大地とすると、この大地は冬に閉ざされている、と考えることができます。その大地を目覚めさせ、実りをもたらすことのできる男が求められているわけです。男女の性的な交渉が大地にはたらきかけ、芽吹きの春を呼ぶという、農耕社会でひろくうけいれられていた呪術が、こうした難題求婚メルヒェンの基層にあります。

つまり、難題は男性の性的能力の試験の、メルヒェン的な言い換えなのです。メルヒェンの中には、ふたりの求婚者のあいだに姫が寝て、姫を振り返らせた者が勝ちという、かなりあからさまな話もあります。

そもそも太古の社会では、土地は女性が所有しました。狩猟採集の時代、女性は定住して、年寄りや子どもを守りながら、小規模な農耕と採集を営んでいました。土地は、ですから女性に属し、女系で相続されたのです。

いっぽう男性は、集団で狩りに出かけ、女性たちのもとにやってくるのは、たまに持ち帰るほどの獲物が捕れたときだけです。獲物はなかなか獲れず、獲れても自分たちの食料に消えました。現代アフリカの、ある伝統的な狩猟採集生活を送る種族では、栄養源に占める狩猟動物の割合はほとんどゼロだ、という研究もあります。

女性は土地に根づき、男性はいつも外をふらふらしています。男性が特定の土地に関係づけられるには、地主である女性の配偶者になるしかありませんでした。

難題求婚メルヒェンには、姫の父である王さまが出てくることもありますが、姫の配偶者の募集係ていどの役回りしかあたえられていません。プッチーニの「トゥーランドット」でも、王さまは極端に高齢で、無力で影の薄い存在です。

たったひとりでお城におさまって、われこそはと近づく男たちに難題をふっかけ、クリアしなければ命を奪うという、むちゃくちゃ横暴というか、威厳のある姫も、メルヒェンには登場します。父王は、男性が国を支配するという後世の通念にしたがって、後世になって登場したと考えられます。

神話によると、ギリシアのポリス国家の始祖は女性です。神話が書き記される過程で、男性の王へと王権が不自然なかたちで移行しています。地主としての女性からその正統性をうばいとる必要があったから、始祖の神話が改竄されながら文字によって記録された、ということなのかもしれません。

そんななかに、オイディプスの神話もあります。スフィンクスの謎を解き、またテーバイ王を死に至らせたオイディプスは、テーバイの女王イオカステと結婚してテーバイの王になります。つまりテーバイはイオカステの所有物であり、テーバイが豊かな実りをあげつづけるには、イオカステに性的能力をもった配偶者が必要だったのです。オイディプスに殺された王は、すでにその力が衰えていたと考えられます。農耕儀礼としての女王の配偶者の世代交代が、この神話の意味です。一般に古代には、王とは女王の配偶者でしかない、と考えたほうが自然です。王は力を失ったとき、新しい王に殺される、というのは、フレイザーの『金枝篇』に論じられているとおりです。

古代ギリシアでは、女王と新しい王は「母」「息子」と呼び合いました。この親族呼称は、現実の血縁関係をあらわすものではありません。それを現実のものとしたのは、後世、男性が権力を握った後の、政治的な配慮です。それまでの王権のありかたを完全に否定するために、近親相姦の濡れ衣を着せておとしめたわけです。

難題のなかの、謎を解く話は「トゥーランドット」、眠りを覚ますのは、「ジークフリート」にも使われている「いばら姫」です。竜退治も、「ジークフリート」の大蛇退治と重なります。

ブリュンヒルデは、いばら姫のように、英雄によって眠りを覚まされます
が、ブリュンヒルデにはメルヒェンのヒロインとは決定的な違いがあります。彼女は地主ではないのです。グラーネという名前の馬の馬主ではありますが。ですから、ジークフリートはブリュンヒルデと結ばれても、「お姫さまと結婚して、お国を手に入れました」というメルヒェンならではの結末にはなりません。

ジークフリートは大蛇ファーフナーを斃して指輪という至宝を手に入れ、眠れるブリュンヒルデを目ざませたのですから、難題求婚メルヒェンの英雄の偉業を2度もなぞっているかのように見えます。けれど、それは表面的ななぞりでしかありません。ファーフナーも指輪もブリュンヒルデも、ワーグナーの壮大なたくらみのなかで、それぞれの来歴をもたされ、複雑な意味づけがなされていますが、メルヒェンでは大蛇は退治されるもの、宝物は獲得されるもの、姫はヒーローと結ばれるものでしかなく、話はそこで完結します。ワーグナーは、より大きな、より深い物語を語るために、難題求婚メルヒェンのあらすじを利用したに過ぎません。

ジークフリートが忘れ薬によってブリュンヒルデとの契りを忘れる、というシークエンスは、メルヒェンにおなじみです。姫と結婚を約束した王子が、いったんひとりで城に帰り、姫の忠告を破って母親と三言以上のことばを交わしたために姫のことを忘れるとか、あるいはただもう忘れてしまうとかは、よくある話です。それらの王子は、べつの姫と婚約したり、結婚してしまったりします。メルヒェンでは、そこへ下働きとして潜入した姫が、べつの姫をドレスなどで買収して、三晩、王子が眠っている部屋に入れてもらい、朝まで自分の身の上を嘆く、最後の夜に王子が思い出し、本来の姫と結ばれる、という展開になります。けれど、ここでもワーグナーは、婚約者を忘れるというシークエンスのみをメルヒェンから採用して、まったく別の物語をつくりあげました。

話が「ジークフリート」からはみ出してしまいました。はみ出しついでに言いますと、「ジークフリート」の第一話「ラインの黄金」では、財宝を手に入れた巨人の兄弟が取り分をめぐってけんかを始め、いっぽうがもういっぽうを殺してしまいます。これも、メルヒェンにはよくあるシークエンスで、宝物をめぐってけんかをしている大男たちを尻目に、ヒーローが宝物を横取りしてしまう、というのが定番です。

「ラインの黄金」では、生き残ったファーフナーが宝物を独占し、けんかを見ていたヴォータンは横取りしません。ファーフナーが指輪をはじめすべての財宝をわがものにし、大蛇となって守っているわけですが、ここにもワーグナーは独自の意味をつけ加えています。つまり、メルヒェンでは強欲で愚かしい巨人ないし大男たち、としか描かれていないのですが、ワーグナーは、巨人族の同士討ちを指輪の呪いの実現として、「ニーベルングの指輪」全体の不吉な序章としているのです。ここにも、メルヒェンを借りて独自の世界を描こうというワーグナーの意図が読み取れます。

指輪などの財宝は、もとはといえば地底のニーベルハイムに住むニーベルング族のこびとのものでした。メルヒェンでも、こびとといえば地下から財宝を掘り出すものと決まっていて、「白雪姫」の7人のこびとが有名です。地下に財宝があるのは、鉱物が地中に産するからではありません。

ヴァイキング時代の古代ゲルマンでは、人びとは財宝を湿地帯や水中深くに埋めたり沈めたりしました。後で掘り出すために一時的に隠したのではありません。この時代、財宝は所有者の人格の一部をなすものでした。その人の幸運も財宝に宿っていると考えられました。ですから、これが他人の手に渡ることは、わが身に危険が迫ること、幸運を失うことでした。古代ゲルマン人は、死後も生前と同じような生活が死の国で続くと考えていたので、死んでも財宝は確実にわがものとしておかなければなりません。ですから、盗掘が心配される自分の墓には埋めず、誰も知らないところに隠したのです。そこから、「ラインの黄金」や「ニーベルンゲンの宝」といった埋蔵財宝伝説が生まれたのです。

「ジークフリート」に戻りますと、このヒーローは der Helle とも呼ばれています。「金の髪の男」といった意味です。金はメルヒェンに出てくる数少ない色のひとつです。あとは黒、白、赤ぐらいしか、メルヒェンには色は出てきません。

そして、ヒーローやヒロインの資格として、髪は金色か黒でなければなりません。黒髪の白雪姫を例外として、たいていのヒーロー・ヒロインは金の髪です。これは金髪ではありません。髪の毛一本一本がほんものの黄金だというのが、メルヒェンの想像力です。銀の髪というのもあります。とにかく、ジークフリートはヒーローの印を帯びているわけです。

さてところで、こわいということがわからないとは、いったいどういうことでしょう。こわいもの知らず、というのとはちょっと違うようです。ジークフリートはこわいということがわかりません。そしてワーグナーは、こわいということを知らない男にだけ、名剣ノートゥングを鍛え直すことができ、大蛇のファーフナーを斃すことができることにしました。これは、メルヒェンにはない想定です。

こわいとはどういうことか、ミーメがジークフリートに説明します。暗い森の中でえたいのしれない物音や光がせまったとき、

「ぞっとするものが体を走り抜けないか
火のようなおののきに手も足もわなわなふるえ
不安にかられた心臓が、いまにも破裂しそうに
ばくばくと早鐘のようにうたないか」

ジークフリートがこの感覚を知るのは、眠るブリュンヒルデを目の当たりにしたときです。

「火のような不安で 目が釘付けだ
ふらふらする くらくらする
まわりがぐらぐらして見える
痛いほどの憧れに 心が萎えてしまいそうだ
おどおどする胸に当てた手が震える
おれは臆病なのか?
これがこわいということなのか?
横たわって眠るこの女が
こわいということを教えてくれた」

つまり、人を愛し、自分という殻から他者へと一歩外へ踏み出たとき、こわいという感覚がジークフリートを襲ったのです。目覚めたブリュンヒルデがジークフリートの求愛をうけいれると、二人は歌います。

「愛が輝く 死が笑う」

愛のために「死んでもかまわない」とおそれを克服したとき、ジークフリートは真の勇気を手に入れます。死へのおそれとその克服なしでは、その勇気は蛮勇でしかありません。死のおそろしさを知った上で「死んでもかまわない」と大きく一歩を踏み出すとき、「愛が輝く 死が笑う」のでしょう。

ここで思い出すのは、佐野洋子の『100万回生きた猫』という絵本です。生まれ変わってはさまざまな生を生きてきた猫が、白猫と出会い、子供をもうけ、やがて白猫は年老いて死ぬ。猫は泣きに泣いて、あげく息を引き取る。そして二度と生まれ変わらなかった、という物語です。ここには、愛を知らないうちは100万回生きても無感動のまま、生は無意味のままだ、愛を知って初めて、生は意味を獲得し、輪廻から抜け出ることができるという、愛による解脱の思想が描かれています。仏教では愛着は解脱のさまたげの最たるものなのですが、ここではそうではない。

なぜこの絵本を連想するかというと、ワーグナーはドイツロマン派から続くインド哲学に傾倒していた節があるからです。とくに、「指輪」のもととなる「ジークフリートの死」の草稿に描かれたブリュンヒルデの原像にインド思想が反映しているとは、カール・スネソンが論じているところです。インド哲学では、認識の力が迷いと欲望から抜け出て輪廻を断ち切るとされるのに、ワーグナーの「ジークフリート」では、愛という欲望の最たるものが輪廻を断ち切るというように、180度逆転しています。そこがワーグナーらしいところだと思います。

ジークフリートの亡骸を焼く炎にブリュンヒルデが飛び込むのは、いかにもワーグナー好みの趣向です。これはエッダにあるシークエンスですが、ワーグナーは夫の火葬の炎に妻が飛び込む、インドのサティーの風習をも重ね合わせたかもしれません。

メルヒェンの、あのこわがり修行に出た男のことを忘れていました。めでたくお姫さまと結婚して王さまになりますが、あいかわらず「ぞっとしたい」と言い暮らすので、お后はうんざりして、寝ている男に小魚の入った冷たい水をバケツ一杯あびせかけます。すると、「小さな魚が、王さまのまわりでこにょこにょ動きまわった。王さまは目を冷まし、大声で言うことに、『わあっ、ぞっとする、ぞっとする。后や、いまやっとわかったぞ、ぞっとするとは、こういうことだったか!』」

まさに落語のような落ちですが、男が夫婦のベッドで、つまり愛によっておそれを知ったことの、これもメルヒェン的な言い換えです。ジークフリートとブリュンヒルデの悲劇の品格もなにもあったものではありませんが、エキセントリックな展開もいいけれど、この落語的な決着もいいな、と思います。

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校舎になった兵舎 友部にて

11月15日に、12月になったら茨城の友部に行く予定だ、と書きました。

きのう、その友部に行ってきました。目的は、県立友部病院を訪れることです。そこは戦中、筑波海軍航空隊基地だったのです。さまざまな資料もいただいてきました。これについては後日書くことにして、きょうはひとつだけ。

戦争末期、ここは特攻隊の訓練基地でした。その訓練生たちの兵舎は「神風(じんぷう)寮」と呼ばれていましたが、戦後は友部中学の校舎として使われたそうです。
おととい、校舎と兵舎は同じ建築基準によってつくられた、と書きましたが、そうだったからこそ、この転用は容易に行われたのだろうと推測します。

やっぱり、校舎は兵舎だったのです。ひところ流行った「学校の怪談」では、校舎が元は軍の病院などだったりします。真偽のほどはともかくとして、これは、子どもたちの無意識の直感が校舎に兵舎を、つまり国家意志に従順な、ときには命をさしだすほどに従順な国民を育成する施設を見抜いていたために生まれた意匠だったのか、と思い至りました。数年前に友部で話をしたなかで、学校・軍隊・税制は近代国家の三大装置だ、と語ったときには、学校と軍隊がその設備においてこれほど重なった例が、講演会場の目と鼻の先にあるなどとは、夢にも思いませんでした。
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「アメリカか連立か」って本気で言ってるの?

旅先では、メディアチェックが疎(おろそ)かになりがちです。断片的に飛び込むことばや情報への感想ていどですが、書いておきます。

普天間基地問題で、辺野古に移せと言うアメリカと、それを受け入れるくらいなら連立離脱と言う社民党。それを報じるテレビのある朝のワイドショーが、「アメリカと連立とどっちがたいせつなんだ」という論調でまとめていました。

おいおいって言いたくなります。

違うでしょ。それを言うなら、「アメリカと民意とどっちがたいせつなんだ」ではないでしょうか。きょうは辺野古の浜におじいおばあが座りこんで2057日目、そして沖縄選出の衆議院議員は、4人すべてが辺野古移設反対なのです。それを伝えずに、「アメリカか連立か」はないと思います。

来週、北沢防衛相がグワムに飛びます。海兵隊の飛行場機能もこちらに移せないかを検討するためだそうです。鳩山首相は、辺野古以外の可能性を探るよう、岡田外相に言い、前原国交相は、これまで辺野古にオスプレイを配備するなんて話はなかった、配備するならアセスやり直しだと言い、ケッサクなのは、関空をかかえる橋下大阪府知事が、海兵隊基地を関空に受け入れることを考えてもいいというようなことを言い出したことです。ほかにも、佐賀空港などの名前も挙がり、普天間基地をめぐっては、もうしっちゃかめっちゃか、百家争鳴で、日米協議に出ているルース米大使なんか、「もう知らないっ! 次回の日程? 今は話し合ったって無意味でしょ」という感じです。

確かなのは、年内決定はぜったいむりになったこと。これで、自民党沖縄県連が辺野古移設反対に舵を切ることは確実です。

防衛省は辺野古の環境アセスメント調査を中止するし、そもそも最近この海域でたくさんの新種の生物が発見されたこともあって、日米合意書どおりのシナリオなら年内に出さなければならない調査書も、もう不可能になりました。

メディアは、総理の迷走だの不決断だのと、なんとかこき下ろし、日米に深刻な亀裂、と騒ぎたがっているようですが、民意を尊重した結果にアメリカが文句を言うなら、そんなのは民主主義国家とは言えません。メディアの論調に反して、ことは「結論は急がない」「最後はわたしが決める」と言い続けた鳩山さんの思惑通りに運んでいる、そんな気がします。

そもそも、日米政府が米軍基地を沖縄に集中させることにしたのは、沖縄が「返還」される前です。沖縄は、意見を言うこともかなわずに、基地の75%をここに押しつけると、勝手に決められてしまったのです。いまようやく、沖縄の意見が鮮明に打ち出されています。普天間の問題と辺野古などへの移設は一体で解決ということにも、あちこちから異論が出てきました。それこそ正論です。とにかく普天間は閉鎖することになっていたのですから。

あと一息。鍵はあくまでも強い民意です。沖縄の民意に従った解決を、沖縄以外の住民は支持する道義があるのではないでしょうか。沖縄以外の住民は、沖縄の痛みを負い目として受けとめることで初めて、この問題をわがこととして本気で引き受けることができるのだと思います。
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明治の学校建築 国家意志と地域の思いの相克

南側に部屋が一列に並び、その北側に廊下が走る。この建物の南側には広場、その北端、建物の中心あたりに指導者が立つ台、そのそばには旗を掲揚するポール ── 一般的な学校建築です。最近は独創をこらした個性的な学校もつくられるようになりましたが、やはり多くの学校は、上に書いたようなスタイルか、そのバリエーションです。これは、明治末期に打ち出された、校舎建築にかんする国の基準に沿ったものです。それがなんと100年たった今もなおうけつがれているわけです。

この建築基準が出された直後の1907年(明治40年)に建てられた小学校を見てきました。

旧遷喬(せんきょう)尋常小学校。岡学校山県真庭市にあります。当時の村の予算3年分をかけた、それはそれはすばらしい建物でした。まずはその大きさに驚かされます。薄い灰青色の木部と白い壁、スレート葺きの優雅な屋根。中央はひときわ高くそびえ立ち(写真)、そこから鳥が翼を広げたように2階建ての教室部分が流れます。近在のヒノキをふんだんに使った内部といい、当時の人びとの、次世代にたいする思いの強さがつたわってきます。

けれど、この建築基準は、校舎だけに適応されたのではありませんでした。兵舎もまったく同じスタイルでつくられました。校庭は、兵舎にあっては軍事訓練の場だったのです。見方を変えれば、校庭も子どもたちに軍事教練をさせる場所と想定されていました。ここに整然と並び、「朝礼台」の上から発せられる号令にあわせて、前へならえ、休め、右向け右、前へ進め……わたしたちもやらされたこうしたことどもは、将来の兵士の訓練なのでした。

瓜二つの校舎と兵舎は、このくにの近代化のために、人びとの身体をつくりなおす装置でした。校(兵)舎建築基準が日露戦争直後に定められたことにも、ある種の符合が感じられます。欧州列強のひとつに勝った、あるいは勝ったと思い込んだこのくにが、図に乗ってますます軍事国家化していこうとして、その施設の整備に乗り出した、と考えられるからです。

それまでの学校建築は多様で、それをつくったそれぞれの地域の人びとのそれぞれの思いをかたちにしていました。それらを否定し、明治国家の意思を津々浦々に貫徹させようとの意図で、校舎建築基準が定められたわけです。そのすぐあとにつくられた遷喬尋常小学校はしかし、その優美で気品ある意匠に、日本建築の粋をこらした格天井の講堂に、幅広の豪華な無垢材に、軍国主義とは無縁の、子どもたちへの思いがこめられています。国家の意思と地域の思いのせめぎ合いを見たように思いました。

「火垂るの墓」や「ALLWAYS 三丁目の夕陽」などのロケに使われたという遷喬尋常小学校は、いま校舎としての役割を終えて、泰然と翼を広げたまま、休らっています。1990年に完成した新校舎は、中央部がひときわ高いシンメトリーの外観は旧校舎からうけつぎつつ、内部は先進的なオープンスクールだそうです。

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草の生える煉瓦

留学中の夏目漱石は、イギリス人の悪口ばかり言っていました。

あるとき、招かれた館の庭をそのあるじと散策していて、石垣に地衣類が生えているのを見て、「時代づいていますね」と言うと、相手のイギリス紳士は答えたそうです。「あしたにも剥がしてしまおうと思っています」 自分は褒めたつもりなのに、イギリス人ってやつは風情というものをまるで解さない、と漱石は軽蔑もあらわに書いています。

でも、人工物が自然によって浸食されるさまをよしとする感性は、なにもこのくにだけのものではありません。近代、当のイギリスにも廃墟を愛で、わざわざ廃墟を新築するような趣味も生まれました。けれど、それもまた、人工物が滅びていく一瞬を固定するために手入れを怠らないという体(てい)のもので、滅びるがままにまかせるわけではありません。廃墟趣味はわざとらしくて、わたしはどうもついていけません。

091202煉瓦山に囲まれた町で、苔や草が生える煉瓦を見ました。高速道路の法面(のりめん)をがっちりと保護し、しかもいつしか雑草に覆われるようにするために開発されたのだそうです。材料は、ヒノキの間伐材や製材で出るおがくず。林業の盛んな地元にふんだんにあるものを利用したわけです。持つと、拍子抜けするほど軽い。

「これだけ軽いと、ルーフガーデニングなんかにもいいですね。でも強さは?」
「向こうの駐車場に敷いてますが、5年たってもなんともありません」と、同行の元観光課にいた市の女性職員さんが説明してくれます。

実際に敷かれたその煉瓦は、しっとりと水気を含んでいます。これなら、雨水を地下に浸透させ、また水分を蒸散させることで、ヒートアイランド防止にも効果があるでしょう。歩くと、衝撃を吸収して足にやさしい。物陰の煉瓦には苔が生えていました。ゆっくりと自然に浸食され、実用的な堅牢性をそなえながらも、自然の一部に変身してゆく人工物。美しいと思いました。漱石がののしったイギリス紳士なら、汚らしいと感じるだろうかと思い、やっきになってデッキブラシでこする姿を想像して、おかしくなりました。

「住宅の壁材につかえないかと思ってるんですよ。外断熱が火事で延焼したという話を聞きましたが、これならだいじょうぶだ。課題は、どれだけ断熱性を確保できるものを開発できるかですね。通気性はいい」

草の生える煉瓦は、この会社のちいさなエピソード的製品です。大きなコンクリ構造物が、この会社の主力製品です。コンクリの枠に土を詰めて草が繁茂するプレハブの護岸は、イタチが水辺に降りていけるよう、デザインされていました。魚やオオサンショウウオが暮らし、子孫を残せる川底や、鮎が上れる川底もありました。木が生える擁壁も。

091202煉瓦会社「コンクリの会社なのに、コンクリをなるべく使わないものばかりつくってます。コンクリが少なければ、軽くて運びやすいし、土を詰めるほうが安い」とは社長の弁。

しょせんまがいものの自然だ、と片付ける気にはなれません。人間が暮らすには、どうしても自然に手を加えなければならないことがある。そのとき、できるだけ自然との異和感を減らし、もともとそこに生きているちいさないのちを尊重するこれらの工夫は、自然を尊ぶ人間の謙虚さに発している、と思いました。

けれど、なみたいていの工夫ではありません。試行錯誤を重ね、動植物に学び、東京の巨大な実験施設に試作品を持ち込んでデータをとることを繰り返して、製品はようやくものになる。こんなものをつくろう、という提案は、このやる気満々の社長が出すのだそうです。

「開発にあたる社員のみなさんはたいへんでしょうね」
「悲鳴をあげてますよ。今もアイディアがふたつあるんだが、あまりショックを与えないよう、いつどう伝えようかと思ってる」

おかしそうに笑う頼もしい社長は、きっと社員のみなさんのなにくそ魂に支えられているのでしょう。そんな会社がこの山あいの町で気を吐いている。ダムによらない治水ということが言われていますが、そういう趨勢が強まったら、ここの製品は、これまでに増してあちこちの河川に迎えられるのではないでしょうか。ダムなどつくらなくてすむ技術は、もうとっくに洗練されているのだと知って、うれしくなりました。

岡山・真庭落合の株式会社ランデスさん、社長の大月隆行さん、かっこいいと思いました。突然、飛び込んだ旅人の相手をしてくださって、ありがとうございました。たくさんの元気をいただきました。
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「美味しんぼ」がすごいことに! 漫画と環境問題 

このところ、「スピリッツ」を買っています。毎週、と言いたいところですが、忘れてしまったり売り切れだったりして、欠番がいくつかあります。今週号と言っていいのでしょうか、12月14日号なのですが、犬の散歩のとちゅうで思い出し、コンビニに最後に残っていた1冊をゲットしました。

「美味しんぼ」を追いかけているのです。9月に始まったシリーズは、なんと環境問題、第1回は沖縄の泡瀬干潟埋め立て問題でした。そこで採れるおいしい海藻が、埋め立てでなくなってしまう。「この泡瀬干潟を埋め立てるんですか!」というところで終わっていました。

じつはその直前、政権を奪取した民主連合政権は、いちはやく泡瀬干潟の埋め立てにストップをかけました。不都合な現実を暴き、あるべき未来をさししめすことが使命の表現作品に、現実がようやく追いついた瞬間でした。にわかには信じられないほど喜ばしい瞬間でした。作品はその後、かくなるうえは現実の流れをさらに加速させようという意志すら感じさせつつ、怒濤の勢いで各地の環境問題を追及しています。

築地魚市場移転、長良川河口堰、そして今回は、前回に続いて青森・六ヶ所の原子燃料再処理工場です。隣のページは別の漫画の最後のシーンで、ふぐの刺身の女体盛りといういかにもまずそうな料理(だって、刺身ですよ、お皿代わりが美女だろうが美少年だろうが、あたたまってしまって気持ち悪いじゃありませんか)の絵です。そんなエンタテインメント雑誌で、「美味しんぼ」はこれまでのこのくにの環境政策に真正面に切り込み、科学的な裏付けとともに問題点をわかりやすく示しています。こうしたことにあまり関心のなかった多くの人たちへの訴求力に、おおいに期待しています。

科学的裏付けがしっかりしていると言いましたが、それもそのはずです。原作者の雁屋哲さんとともに全国を取材し、情報を提供し解題したのは田中優さん、環境問題のトップランナーにして、ミスチルの桜井和寿さんたちとAPバンクをつくった方ですから。行動力が並外れているだけでなく、頭の回転も速すぎるので、わたしは田中さんのことを秘かに、いえ、けっこうおおっぴらに「頭脳のスピード狂」と呼んでいます


六ヶ所の問題は来週に続きます。どんな展開になるのか、今から楽しみです。
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自民党終わってるかも 町村サンの野次

いろいろあった国会もそろそろ終わりです。いろいろありすぎて、書ききれないほどです。そんななか、今国会の本流からは外れるちいさなエピソードかもしれませんが……いえいえ、ちいさな問題ではありません。とにかくいまだに心に棘がささっているようなぐあいで、個人的にはどうしても忘れられないことがありました。メディアがどれだけ報じ、記録したのか把握していないので、ここに書いておきます。

1カ月前の11月2日、衆議院の予算委員会で、国民新党の下地幹郎さんが質問に立ちました。言うまでもなく、下地さんは沖縄出身です。下地さんは、米軍基地問題が13年間、日本とアメリカの政府間合意はできても、日本政府と沖縄の合意はできなかったと、これ自体強烈な前置きをして、こんなことを言いました。記録は衆議院サイトから引用しました。

「関西空港のB滑走路が全く稼働率ゼロですから、安全保障上は、音も出ないし、あの地域を航空母艦が通るわけですから、あそこを活用して外来機の訓練をやるというと、私は、嘉手納の騒音は半分になる、そういうことを提案しておる。

しかも、沖縄県民のこの思いの中で、基地をつくっていいですかということは聞かない、もう許可、認可も沖縄県の許可を受けずに、基地内基地ですから新たな基地をつくらずにできる、こういうふうなことでどうですかということを1回提案したことがあるわけでありますけれども、外務大臣のおっしゃっている嘉手納統合の定義というのはどんなものなのか、そのことをお聞かせいただきたいと思います。(発言する者あり)」


この「発言する者あり」とは、野次が飛んだ、ということです。誰がどんな野次を飛ばしたかは、岡田外相の答弁のあとの下地さんの発言でわかります。 

「今、町村先生が、私が関西でこの外来機の米軍機の訓練をやるというお話をテレビの前で言わせていただいたら、関西の人はどう思うんだろうかというやじがありましたけれども、では沖縄にずっと負担させていていいんですか。日米安保は重要だと言いながら、米軍基地の負担は、ここにいる国会議員の皆さん、自分たちはやらなくていいと思っているんですか。それはみんなで分け合わなければ、この米軍基地の問題は解決しないんです。こういうやじは言ってはいけないですね。私はそう思いますね。そういうことをやっているから、この13年間やっても決着をつけられなかったんですよ。」

下地さんの言うとおりです。町村サンは、あるいは自民党は、さらには旧政権は、沖縄の人はどう思ってきたのか、どう思っているのかなんて、どうでもいいと考えていた、ということを暴露してしまいました。町村サンは、いやしくも派閥の長です。何度も閣僚を経験してきました。その方がこんな野次を飛ばすとは。居丈高でいただけない野次を飛ばす人だとは知っていますが、それにしてもこれはひどすぎます。瞬間、沖縄のあの方この方のお顔が浮かんで、目から水が出そうになりました。自民党終わってる、と思った次第です。終わられては困る、と思うのですが(本気で言っています)、もしかしたらこの党、もうだめかも。
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「引き返す道はもうないのだから」表紙180


「引き返す道は

 もうないのだから」
(かもがわ出版)

・このブログから抜粋して、信濃毎日新聞に連載したものなども少し加え、一冊の本にまとめました。(経緯はこちらに書きました。)
・かもがわ出版のHPから購入していただけましたら、送料無料でお届けします。
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