2010年01月

1月 アクセスの多かった日の記事

さまざまなコミュニティがあるものです。まるで宇宙に浮かぶさまざまな銀河のようです。先月は、禁煙ファシズムと戦う会の会員さんがどっとアクセスしてくださいました。軍事のことを書くと、そうしたジャンルのコミュニティの方がたが訪問してくださいましたし、あるいは反検察コミュニティの存在も知りました。

また、ツイッターの伝播力のすごさも痛感しました。わたし自身がやらなくても、広めてくださる係の方がおられるみたいなので、ここは分業ということで、わたしはツイッターはもうすこし見合わせようかな、と思った次第です。

7カ月、ブログを書いてきて、自分の傾向がはっきりしてきました。
評価するマスメディア:東京新聞
応援する人:佐藤栄佐久さん、蓮池透さん
注目する人:河野太郎さん

さて、多かった日は以下のとおりです。これもあまり意味ないかなあと考え始めています。というのは、このブログはまだ発展途上にあるので、月末のほうがアクセス数が多いという傾向があるからです。また、先に書いたいろんなコミュニティがある記事を発見するのが、その記事を投稿した日ではないことのほうが多いので、その日に読んでいただいた記事はその日の記事とは限らない、ということもあるからです。でもまあ、とりあえず、挙げておきます。

1位 25日「
この喜びを1人でも多くの方がたと 名護市長選
2位 18日「
民主党、『社会の木鐸』なんぞにがたがたしないで
3位 26日「
今夜『インビクタス』試写会トーク イーストウッドは変わったのか

いっぽうで、少なかった日は以下のとおりです。
1位 2日「
回帰する時間 移転する歴史
2位 3日「
箱根駅伝
3位 10日「
『小国のエリート』

あとからのアクセスがダントツに多かったのは、4日の「
チョコやガムはもらったけど マーシャルプランの恩恵は受けてないゾ」でした。まさに過去7カ月を通じてもダントツでした。あと、23日「検察の首に鈴をつけるか がんばれ東京新聞」、19日「ムネオ語録『検察はフォワードに出てきたGP』@民主党大会」と続きます。

これからも、アクセス数にとらわれずにこつこつと書いていこうと思いますので、よろしくお願いします。
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きょう、日比谷公園で「基地はいらない、どこにも」と叫ぶ

きのうの衆議院での施政方針演説、鳩山さんからも岡田さんからも、沖縄の米軍基地問題については、「5月末日まで」という言葉しか聞くことができませんでした。

いっぽうのアメリカ側は、ルース米駐日大使が、現行の辺野古移設案が最適と念押しし、もうすぐ来日するキャンベル米国務次官補は、かねてより柔軟な対応もありとしています。

恫喝調は効果なしと踏んだのか、影をひそめたものの、アメリカは相変わらず役者を入れ替わり立ち替わりさせて、押してみたり引いてみたりしながら、じわじわと鳩山政権に迫っています。

でも、政権が耳を傾けるべきはアメリカではなく、自国主権者の声です。そうであるからには、政権は1日も早く、「5月末までに移転先を決定する」ではなく、「基地をどうするか決定する」という言い方に変えるべきです。

きょう日比谷公園野外音楽堂で、主権者の声があらためて1万人の口から発せられます。わたしは先約があって参加できなくて、じりじりしています(そのお知らせは最後にご紹介します)。

辺野古だけでなく、東村高江のヘリパッドでも動きがありました。座り込みの住民を沖縄防衛局が訴えたのです。それを取り下げるように求める署名が、あっというまに4721筆も集まったそうです。なのにきょう、国側は提訴。政権が交代しても変わらない末端だか中枢だかが存在することが、よくわかりました。

高江の思いを伝える映像ともども、沖縄の岡田さんが伝えてくださいました。そのまわりのヤンバルの森で、イスラエルをふくむ「多国籍軍」が演習するつもりらしいことも。繊細な動物たちがどんなに怯えることでしょう。貴重な植物系も傷つきます。前に書いたように、これはインドネシアのイスラム勢力を意識した軍事訓練です。まったくもう、何を考えているのやら。

以下に、岡田さんのメールをそのまま貼りつけます。


岡田耕子@おきなわです

東村高江のヘリパッド問題で、「起訴しないでください」要請署名にご協力くださった皆さん、ありがとうございました。昨日、集計して、民主党県連に手渡しました。

1ヶ月足らずで4721筆集まりました。東京要請団の報告は22日の「
東村高江の現状ブログ」にアップされてます。


また以下はWWFジャパンの知人が送ってくださったものです。12月に辺野古、高江を取材したアナベル・パーク氏がyoutubeにアップしたものでワシントンでの日米安保50周年記念シンポの一部と、高江座り込み現場でのインタビューが見れます。

この高江のテントを囲んでいる森が北部訓練場と呼ばれる米軍のジャングル戦闘訓練場です。(絶滅危惧種のヤンバルクイナが棲息し、日本一生物多様性に富むと言われています)訓練場の中を柵も無く県道が走っています。

2008年5月にここに
米軍の招待で、自衛隊、イスラエル軍、独軍、オランダ軍が共同訓練を視野に入れた視察を行ないました。


これ、日本の安全保障に必要なことでしょうか。なぜこれが大きなニュースになって批判を浴びないのか、憤りを感じます。イラクや、アフガニスタン、パレスチナの人が聞いたらなんて言うんでしょうか・・


そして、今日の野音のお知らせです。


普天間基地いらない!新基地建設許さない!
−−−−−−−−−−
全国から日比谷公園・野音に1万人集まろう!
==========
沖縄から100名ほど参加予定!辺野古・高江も

【名称】普天間基地はいらない 辺野古・新基地建設を許さない1・30全国集会
― チェンジ! 日米関係 ―
【日時】2010年1月30日(土)14:00〜15:30(予定)
※集会終了後に銀座・東京駅方向に向けてデモ行進
【会場】日比谷公園・野外大音楽堂(千代田区日比谷公園1−3)最寄り駅:地下鉄「霞ヶ関」駅「日比谷」駅「内幸町」駅
http://hibiya-kokaido.com/access%20map0802.pdf
【内容】方針提起・沖縄からの情勢報告・国会情勢報告・参加団体のアピール
【主催】1・30全国集会実行委員会
問い合わせ:フォーラム平和・人権・環境(電話03-5289-8222)
★チラシを印刷できます。
http://www.peace-forum.com/mnforce/2009/01senden/okinawa02-01.pdf

1月24日の沖縄・名護市長選挙で、辺野古への新基地建設反対の市長が誕生しました。

辺野古新基地建設の是非について、住民投票以来の民意を示す結果となったのです。

しかし、翌日以降、平野官房長官が、名護市長選挙の結果を「斟酌(しんしゃく)しなければならないという理由はない」、地元自治体の合意がなくても「法律的にやれる場合もある」などと暴言を吐き続け、撤回も謝罪もしないでいます。

平野暴言によって名護市長選の民意をつぶさせず、普天間基地の即時閉鎖と辺野古新基地建設の断念を求めることを沖縄とともに全国から政府へ意思表示することがすごく重要なときとなりました。

明日1月30日には、労働組合や市民団体が沖縄をはじめ全国から結集して、集会デモをおこないます。大結集が政府へ強く迫ることになり、沖縄への激励ともなります。ぜひ声をかけあって参加してください。

***********

辺野古への基地建設を許さない実行委員会
http://www.jca.apc.org/HHK/NoNewBases/NNBJ.html
電話090-3910-4140(沖縄・一坪反戦地主会関東ブロック)
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誘惑のオペラ7 ゲルマンの場合

わたしたちの毎日には、賭けのような一面があります。この季節は、受験生たちが最後の運をめぐって神経をすりへらしていることでしょう。

わたしたちは気が弱いので、運にまかせるだけでは心細い。いきおい「○○必勝法」にそそられます。ゲームの、パチンコの、競馬の、株の、仕事の、恋の必勝法。人生の必勝法ともなれば、ときどきベストセラーになるテーマです。いまも、人生の勝利者になる努力法を説く、自身、勝利者を名乗る女性会計士が人気を集めています。でも、そういうのはなんだかガツガツしていて気が引ける、そこまでして勝たなくてもいいや、と思うわたしは、気が弱い上にヘタレです。

ともあれ、「○○必勝法」というのは昔からあって、とくに賭け事の世界で人びとを悩ましく誘惑してきました。新日本フィル定期演奏会プログラム連載エッセイ転載の7回目、誘惑シリーズの最後は、チャイコフスキーの「スペードの女王」です。

 
貧しいということは、つらく切ない。子どもに食べさせる物がないとか、病気なのに薬が買えないといったつらさには、誰でも同情する。それらは、人として誰もが求める、当然のことだからだ。
 
いっぽう、裕福でなければ手の届かないものにあこがれて、わが身の不運を嘆くといったたぐいの貧苦もある。この、社会のなかでの相対的な貧しさとでもいうべき魔物がひときわ残酷さを発揮するのは、覇気はあっても貧しい人間が、社会の上澄みで人生を謳歌する人びととすれ違うときだ。ましてやそこが、自力では運命を切り開くことができないほどがっちりと固められた階級社会で、富は相続するしかなく、生まれが人生を決定づけるなら、やりきれなさはひとしおだろう。
 
帝政ロシア末期、貧富の差は絶望的で、社会は乱れ、人びとは出口のない閉塞感に支配されていた。帝政ロシアの文学は、そうした社会に生きる人びとの相対的な貧しさゆえの懊悩を、これでもかこれでもかと描く。主人公は、下級官吏、貧乏学生、小商人、貧しい士官。貴族でもなければ農奴でもなく、そのはざまに位置するまさにそのために、相対的な貧しさが彼らをじりじりと苦しめるのだ。
 
チャイコフスキーのオペラ「スペードの女王」は、プーシキンの同名の短編小説を原作とする。主人公ゲルマンは貧しい工兵の身で、貴族の娘リーザに一目惚れしてしまう。リーザもゲルマンに恋をする。しかし、ふたりの結婚はありえない。当時、財産のない男と貴族の娘が結婚することは、金輪際ありえなかったのだ。しあわせは、資産がもたらす不労所得なしにはなりたたなかった。
 
ゲルマンの周りでは、裕福な若者たちがカード賭博にうつつを抜かしていたが、ゲルマン自身は賭博には手を出さなかった。自分には分不相応だと思い定めていたのだ。ドストエフスキーの作品にも、賭博はひんぱんに出てくるが、前近代、賭博は特権階級の遊びで、賭場では目も眩むような大金が飛び交った。堅物で知られるオーストリアの女帝マリア・テレージアですら、若いころ、賭に負けて領地を取られたことがあるほどだ。
 
ところが、リーザの叔母にあたる老伯爵夫人が、かつてパリでサンジェルマン伯爵からカードの必勝法を伝授されたと聞くと、ゲルマンの心に変化が生じる。サンジェルマン伯爵は、ルイ15世の宮廷で一世を風靡した不老不死をうたう謎の人物で、魔術や錬金術に通じていたという。噂の真偽はともかく、ヴォルテールも記録している実在の人物だ。ゲルマンは、その必勝法でひと儲けし、リーザと結ばれたい、と思いつめるようになる。賭博こそは、貧乏人が一攫千金を夢見ることができる、唯一の手段だった。
 
そしてある夜、リーザの部屋へ忍ぶ「ついで」に、ゲルマンは老伯爵夫人の部屋に押し入り、必勝法を教えるよう、迫る。伯爵夫人は、恐怖のあまり心臓発作を起こし……それからあとの悲劇は措くとしよう。怪談のあらすじを聞かされるほど興醒めなものはない。
 
このオペラで猛威をふるう誘惑は、もちろん、カードの必勝法だ。誘惑者は、それを世間話の気軽さで口にする、トムスキー伯爵だ。トムスキー自身は金に困る身分ではないので、必勝法の一件は面白い逸話でしかなく、それを知りたいと切望する気配はこれっぽっちもないが、ゲルマンは違う。それは人生を大きく左右する重大な情報だ。一か八かの行動にいざなう、強烈な誘惑だ。
 
ここには、富める者とそうでない者の二重に残酷な非対称がある。富は、貧しい者にとっては渇望の的、誘惑そのものだが、さらにはその富を持つ者は持たざる者に、ときとして無意識のうちに罪深い誘惑をしかけるものらしい。
 
ところで、オペラ台本は、プーシキンの原作を微妙に、しかし大きく変えている。原作では、リーザは老伯爵夫人の姪ではなく、小間使いのようにこきつかわれる養女という設定だ。そうであれば、ゲルマンには、禁じ手を使ってでも金持ちにならなければ結婚できない、と思いつめる必然性もなかった。
 
しかも原作では、ゲルマンはリーザを利用して老伯爵夫人に近づこうとしただけで、恋などしてはいない。恋文は小説の引き写しだ。原作のゲルマンは、魔術的な方法で大金を手に入れるという暗い情熱にとりつかれた、性格破綻者でしかなかった。オペラでは、ゲルマンにとって金はリーザとの恋を成就させるために必要な手段だが、原作では金そのものがゲルマンの目的だったのだ。そんなプーシキンのゴシック・ロマンが、恋というメロドラマの要素を加えられたとき、オペラにふさわしい物語が生まれたといえるだろう。

ところで、サンジェルマン伯爵の「ジェルマン」は、「ゲルマン」のフランス語読みで、どちらも「ドイツ」という意味だ。この名前の類似は皮肉というほかはない。片や、賭け事の勝敗を自在にあやつる伝説の大貴族、片やその秘法にほんろうされるしがない士官。ここにも、名前を介した残酷な非対称がある。

それにしても、賭博とは狂おしい営みだ。ヨーロッパには、これが常軌を逸する時代と場所がふたつあって、ひとつは先のサンジェルマン伯爵が活躍した18世紀末のパリだった。「恐ろしい遊びが始まった。若い貴婦人たちは毎晩たがいを破産させようと集まってカードに興じ……もし突然頭上に革命の雷鳴がとどろかなかったら、われらは退屈のあまりとほうに暮れたことだろう」(カラムジン『ロシア人旅行者の手紙』)。そしてもうひとつが、19世紀末のペテルブルグ、チャイコフスキーが「スペードの女王」を作曲した時代と場所だ。そこにはロシア革命がひたひたと迫っていた。

サンジェルマン伯爵直伝のカード必勝法とは、「3、7、1」の順に賭けることだった。数字には秘められた意味がある。「3」は調和を、「7」は運命の分かれ目を象徴する。人が「7」という数字に出会うと、その次の展開は吉と出ることもあれば、凶と出ることもある。ゲルマンのばあいは後者だった。しあわせを含むすべての初まりを暗示する数「1」は、ゲルマンを永遠に見放した。

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霞ヶ関のみなさんへ

霞ヶ関で働いているみなさん、きょうもご苦労さまです。

何年か前、あるお役所に行って、帰りがずいぶん遅くなりました。でも、振り返ったビルは、どの窓にも煌々と明かりがついていました。ちょうど今と同じように、国会が開かれている時でした。答弁用の作文を書いている、また、どんな用命が議員から来るかわからないので、深夜まで待機しているとのことでした。政権が変わって、答弁棒読み用の作文をつくれ、という指示はなくなったかもしれません。それでも、データを揃えろとか、いろんな要求はあって、みなさんのお帰りは相変わらず遅いのではないでしょうか。ほんとうにご苦労さまです。

わたしのブログ記事は、つい長くなるのですが、みなさんお忙しいでしょうから、きょうはなるべく短く切り上げます。

最近、小沢民主党幹事長の土地取引をめぐる検察の動きは、じつは民主党vsオール霞ヶ関だ、という解説が目につきます。官僚機構の改革に手をつけ、これまで官僚のみなさんが自民党とともに築きあげてきた統治のかたちを変えようとする民主党にたいし、そうはさせじと、東京地検特捜部が政権の力を殺ごうと、無理筋の「事件」を構成しようとしている、というのです。こうした、「検察は純粋に社会正義を追求している」とすることに懐疑的な見方が、ネットにとどまらず、マスメディアにも登場するようになりました。

わたしは一市民ですので、なりゆきを見守ることしかできませんが、検察のリークを最大限活用したマスメディアのストーリーに乗せられないほどにはスレています。

もしも、上記の見立が当たっているとして、霞ヶ関のみなさんが「検察ガンバレ」と声援をおくり、内閣支持率の低下にほっと胸をなで下ろして、この内閣は短命だ、適当にやりすごそう、その政策実現に本気で奉仕することはない、ここは面従腹背だ、と見極めていらっしゃるのだとしたら、それは大間違いです。

小沢さんは、政権交代の起こりうる政治をめざしました。ということは、民主党もまたいつかは政権の座を降りることは、織り込み済みというわけです。次に政権をとるのは、自民党なのか、あるいは政界再編による新しい政党なのか、それはわかりません。けれど、いずれにしても、戦後ずっと続いてきた自民党的な政権が復活することは、まずありえません。

このくにの現状は、みなさんがもっともご存じのはずです。財政立て直しのために、行政のありかたが変わることは必須ということも、日々実感なさっていることでしょう。民主党連立政権が行った、そしておおかたの評判のよかった事業仕分け、あれには、小泉政権に近いところで提言をしてきた人びとが数多く携わっていたことからもわかるように、今すべきことの大筋は、誰が考えても同じなのです。

もしも、自民党が政権の座に返り咲いたとしても、それは旧来の自民党ではありません。帰ってくるとしたら、たとえば河野太郎的自民党です。それは、現政権よりカゲキかもしれません。天下り団体のいいかげんな仕事を容赦なく糾弾し、みなさんが将来天下って行くことになると考えていらっしゃるかもしれない虎ノ門界隈を、空きオフィスだらけにする自民党です。六ヶ所の使用済み核燃料再処理を無期限凍結し、電力自由化を断行して、従来の既得権を根絶やしにする自民党です。そういう、現状とはまったく異なる自民党にしか、主権者は復帰を許さないでしょう。

つまり、現政権だろうが、別の政権だろうが、どのみち行政府のスリム化、効率化、透明化、公正化を目指すことに変わりはない、このくにの利権構造を大改造することに変わりはないのです。誰が考えても、そうするしか未来は開けてこない以上、それをより確実に実行できる政治家を、主権者は選びます。

もしもみなさんが、省庁に乗り込んできた現政権の大臣たちを「洗脳」して、従来の路線に乗せたとしたら、一時はうまくいったと思われるかも知れませんが、そういう政治家は次の選挙で票を減らします。主権者はよく見ていますから、ことによったら、口ほどにもない政治家として、淘汰するかもしれません。なにしろ、支持政党なしの巨大なかたまりが、政権のゆくえを左右しているのですから。

ですから、みなさんが霞ヶ関を目指した初心、それはきっとこのくにのよりよい運営に携わりたいという純粋な志だったと思います。そこに立ち戻って、自信をもって、それぞれの部署でその力をいかんなく発揮していただきたいのです。それが、政権交代が起きうるようになったこのくにの官僚として、唯一の正しい解だなんて、みなさんにとっていちばん喜ばしいことではありませんか。

わたしはどの省庁にも、優れた、まじめな、勤勉な方がたがおられることを知っています。とくに若い官僚のみなさん、どうか長い目で見て、今なにをすべきか、主権者は何をみなさんに期待しているか、考えてください。そして、現政権の蹉跌を待つのではなく、その目となり手となり足となり、本気でその政策実現のために、政治家とともに汗を流してください。それが、みなさんの官僚人生を後悔のない、それどころか「官僚になってよかった」と心の底から思えるものにすると思います。こんなこと、慧眼なみなさんはとっくにおわかりとは思いますが、老婆心からひとこと申し上げました。
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「責任のへらへら」坊ちゃん 説明責任のばか

小説家にして詩人、町田康は、パンクロック歌手時代から大、大、大好きです。「メシ喰うな!」は、隠し撮りしたライブのビデオも持っています。

その志はどこまでも低く、意志は限りなく弱く、性状はとことん情けなく、毒舌だか寝言だか繰り言だか、どこまでも地を這う言葉の連なりをたどるうちに、でもこれは正論だ、これしかない、とすっかり町田教に染まって、深々と思想の深呼吸をしている、それが町田文学の魅力です。

数年前、出版業界のある地味な授賞式のパーティで、町田さん担当の編集者が、「町田さんが池田さんにぜひごあいさつをしたいっておっしゃってます」。

目の前に現れたのは、全身黒づくめのきゃしゃな青年でした。美しいこと、言うまでもありません。もちろん、町田康が池田香代子に会いたいなんて、思うはずがありません。気を利かせたつもりの編集者さんの差し金に決まっています。わかってはいるものの、ひるんだような表情でさしのべられたその手を、わたしは思わず両手で握りしめてしまいました。

「あらあ、どうしましょう! ご本、全部持ってます。ファンです。ご本、持ってくればよかった。お会いできるとわかっていたら、サインしていただくんだったわ。どうしましょう!」

なかなか手を離そうとしない中年女に、町田康であるその青年は、内心、舌打ちしていたに違いありません。そのエッセイから、それはもう決定的だとわかってはいるものの、頭に血が上ってしまったわたしは、そのあとどんな話をしたのか、まるで憶えていません。

その町田康さんの、北海道新聞(09年7月7日付夕刊)に掲載されたコラムを、
ブログ「釧路を知ろう『むしろ釧路』さんが「原文のまんま書き写し」てくださっています。あまりにもすばらしいので、ご紹介します。

説明責任という居丈高な言葉が幅をきかせ、いやな感じがこの社会に蔓延しています。せめて説得責任と言うべきです。相手から、「いいや、そんな説明では納得できない」と言われたらおしまいなのですから……とまあ、わたしが言うと身も蓋もないことが、町田康にかかるとこんなにすてきなエッセイになります(今日のタイトルは、町田康のエッセイ集『へらへら坊っちゃん』にかけています)。


「責任のへらへら」

いまの年齢になるまで物事に対する責任というものをちゃんと果たさないで適当にへらへら生きてきた。なぜかというと、その方が楽だったからだが、しかしこれからはそういうふざけた態度で生きていられなくなるかもしれない。なぜかというと、ここ数年で責任ということを追求する人が急激に増えたからである。

最近は説明責任を果たせと言って怒る人が増えた。この場合、何が恐ろしいかと言うと、説明をしていない、といって怒られるのではなく説明する責任を果たしていない、といって怒られるのが恐ろしい。

それのどこが恐ろしいかと言うと、例えば「午飯にすうどんを食べた」ということについて説明するのであれば「すうどんを食べたかったから」と嘘偽りない正直な気持ち、そしてまた事実を述べれば済む。しかし、説明責任となるとこれでは済まず、世間が納得するまで、ということは世間の興味・関心に沿い、そのうえで世間が納得し、気に入って満足する説明が出てくるまでずっと責任を取り続けなければならないというところが恐ろしい。

さっきのすうどんの例で言うと「すうどんを食べたかったから」と説明しただけでは説明責任は果たしたとみなされず、さらなる説明責任を問われる。

「なぜ、わざわざ味気ないすうどんが食べたかったのですか。おかしいじゃないですか。なぜ天ぷらうどんにしなかったんですか」

「実はお金がなかったのです。お金がなかったのですうどんで我慢したんです」

「なぜ、お金がなかったのですか」

「そんなことまで言うんですか?」

「当然です。説明責任というものがあります」

「昨日、お金を遣い過ぎたからです」

「何に遣ったんですか」

「それも説明責任ですか」

「そうです。説明責任です」

「・・・・・・ソープランドというところで遣いました」

「それはなにをするところですか」

「女性の方の接待を受ける場所です」

「なぜ、そんなところに行ったのですか」

「・・・・・・申し訳ありません・・・・・・」

「それはあなたが人間として最低最悪の脳味噌スポンジ鼻下6メートル級エロバカオヤジだからじゃないのですか」

「はあ?聞こえないんですけど」

「そうです」

「わかりました。ではあなたの口から説明責任を果たしてください」

「はい。私が午飯にすうどんを食べたのは私が人間として最低最悪の脳味噌スポンジ鼻下6メートル級エロバカオヤジだからです。申し訳ありませんでした」というところ、すなわち世間の興味・関心に沿い、そのうえで世間が納得、気に入って満足する説明が出てくるまで説明しないと説明責任を果たしたとは言えないのである。恐ろしいことである。

そのちょっと前は自己責任ということをいう人が多かった。似た言葉で自業自得という言葉が昔からあるが、自業自得が、あくまで自分単独で行なった行為による責任を指すのに比して、自己責任というと、それがたとえ法律の不備や偶然の不幸や運・不運みたいなところにまで拡大して、自分の身に起きたことはすべて自分が決定したことゆえ、自分ひとりで責任をとらなければならない、というニュアンスを帯びて恐ろしい。

そんなことで自分以外の他人にいろんな責任を負わせて怒る、という傾向はこれからますます強くなっていくに違いなく、油断をしていると思いもよらない、眼鏡責任、すし飯責任、ヘゲタレ責任、牛丼責任、散髪責任といった各種の責任を取ることを強く求められ、とても苦労をするのではないか、と思うと心配で心配で夜の目も眠れず、日中睡眠不足でぼうとしているものだから期日を過ぎても約束した仕事が完成せず、このままいくといずれ責任を追及されるのだろうなあ、厭だなあ、と思いつつ、いまのところは何も言われてないので、奥村チヨのヒット曲「中途半端はやめて」(作詞なかにし礼、作曲筒美京平)を、「いざとなったら手を合わせぇ逃げるというの?責任とって、責任とって」なんて、くちずさみつつ、昼酒を飲むなどして赤い顔でへらへらしている。いまのところは。いまのところは。
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今夜「インビクタス」試写会トーク イーストウッドは変わったのか

『インビクタス』3きょう、クリント・イーストウッド監督の新作「インビクタス(負けざる者たち)」の試写会で、竹田圭吾ニューズウィーク日本版編集長とトークをします。応募が殺到したので、アワープラネットTVがストリーミングしてくださることになりました。今夜7時からです(アーカイヴでも見られるそうです)。

本番でよけいなことを言わないよう、思うところをここに書いておきます。

イーストウッドの最大のテーマは、圧倒的に強い何かと個人のたたかいです。そんなものとたたかえば、個人は負けるに決まっています。たたかうと言っても、それを変革しようとか、その力の及ばないところに脱出しようとかするのではありません。あくまでも踏みとどまってたたかい、現象的にはボロ負けする。そして、主人公がスクリーンから消え、多くは物語上の死を迎えたあと、残るのは、打ちのめされたわたしたちの、尊厳は守り抜かれたという、畏怖に達するほど深い感銘です。

圧倒的な何かとは、『マディソン郡の橋』ではモラルでした。『ミリオンダラー・ベイビー』では、逆にアモラルでした。『チェンジリング』では、たたかいの相手はロサンゼルス市警だの官僚主義だのといった卑小なものではなく、宿命的な現実そのものでした。それは、ほんとうは映画の終わったところから始まる、悲惨そのもののたたかいでした。

圧倒的に強い何かとは究極的には国家だと、監督は『硫黄島からの手紙』と『父親たちの星条旗』で明らかにしました。『父親たち』の「たたかうのは国のため、でも死ぬのは友のため」というせりふは、『硫黄島』の「テンノウヘイカッ、バンザイッ」と言う渡辺謙の形相とともに、忘れようったって忘れられません。これについて論じ出すと長くなるのでやめますが、つまり、イーストウッドにとって国家は二の次なのです。親密な人間のつながり(友)が、国家の上に来ている。だって、個人にとっては、たたかうことより死ぬことの方が一大事ですから。

そして『グラントリノ』です。今にして思えば、イーストウッドはここで変わった。わたしは、これはダーティーハリーの遺言だと早合点して、滂沱の涙で見終わったのですが、ここには新しいテーマが打ち出されていたことに気づかされます。赦しです。そして、価値の継承者は変わっていくのが当然で、しかしそのいっぽう、価値そのものは変わらず継承されていくという吹っ切れというか、覚悟、信念、あるいは希望です。

赦しは、心を許しあうというもうひとつのゆるしも伴います。融和です。これまでイーストウッドにとって「友」とは、文字通りの戦友や、ともにボクシングのチャンピオンを目指す「戦友」といった、同一コミュニティの思いを同じくする人びとでした。それがここへ来て、「友」とは何者か、イーストウッドの中でその内実が劇的に変わります。

『グラントリノ』では、アメリカ的小市民の世界を根底から否定するかのような、アジア系コミュニティとの融和が描かれました。そのコミュニティに、とくにその次世代に、フォードの元組み立て工である老いたダーティーハリーは「友」を見出し、グラントリノという、みずから手塩にかけた往年の名車、すなわちアメリカ的価値を託すのです(ちょっとネタバレごめんなさい)。

従来のアメリカでも、出自を異にする移民たちが、軋轢を生じさせながらなんとか融和してきたわけで、映画はそのこともみごとなタッチで表現していますが、今やそこにとびきり異質の人びとがすさまじい勢いで流入している。アメリカの白人人口は、すでに50%を割り込もうとしています。そこでの新たな融和を、しかもアメリカの国家としての罪をとことん背負った果ての融和を、『グラントリノ』はひとりのアメリカ市民の、ひとりの人間の救いと重ねて描いています。

『インビクタス』では、ネルソン・マンデラが大統領に就任して日の浅い南アフリカ共和国で、ラグビーを介して黒人と白人が一瞬の融和を経験した、歴史的事実がとりあげられます。国家とは一線を画してきたイーストウッドが、真正面から国家を描き、しかも国家を寿(ことほ)いだのです。『グラントリノ』では、赦しと融和の先に見えていたのは新しいコミュニティでした。もちろん、新しいアメリカ合衆国なのではありましょうが、物語としてはそこまであからさまには言っていません。でも、『インビクタス』はずばり、南アフリカ共和国の建国神話なのです。「どうなってるの、いったい!?」と叫ばずにはいられません。

一般に、国家には建国の物語、もっと言えば建国神話が必要です。イギリスなら名誉革命、フランスならフランス革命、アメリカなら独立戦争というように。なぜなら、国家とはしょせんフィクションなので、国家には、なぜこのフィクションが「わたし」の与件であるのかを、人びとに感情のレベルで納得してもらう必要があるからです(このくににも、それを記紀神話に求める人や、『坂の上の雲』すなわち明治に求める人がいます。どちらも無理筋だと、わたしは思いますけど)。

南アの人びとは、幾世代も幾世代も、この映画を観るのでしょう。観るべきだと思います。なぜなら、現実の南アはいまだ悲惨だからです。経済成長は頓挫し、人権はアパルトヘイト時代さながらにじゅうりんされ続け、社会は荒廃しています。

イーストウッドは、この不幸な国にその輝かしい原点を提示したのだと思います。とは言え、建国神話のきれいごとで、悲惨な現実を糊塗しようというのではありません。そんなことで目くらましできるような柔(やわ)な現実ではありません。「初心はこうだったよね」と人びとの共通の成功体験にくりかえし立ち戻ることで、現実を乗り越えていく勇気をくりかえし取り戻す。この映画は、南アの人びとにとってそういう作品だと思います。これは、南アの苦しむ人びとへの、イーストウッドのおおいなる贈り物だと思います。

それは、アメリカにも言えると思います。アメリカは、初めて黒人系大統領をもちました。オバマ大統領は、「白いアメリカも、黒いアメリカも、ラティーノのアメリカもない、青いアメリカも、赤いアメリカもない、あるのはひとつのアメリカ、わたしたちがアメリカなのだ」と、選挙中くりかえし訴えました。それに先立つこと20年近く、白人も黒人もいる国で初めて黒人として大統領になったマンデラは、ラグビーのワールドカップ大会に臨んで、「ひとつのチーム、ひとつの国」と言いました。この言葉に、経済的凋落に苦しむアメリカの人びとは、政策実現の困難に苦しむオバマの初発のメッセージのこだまを、新鮮な思いで聞くでしょう。ですから『インビクタス』は、アメリカへの贈り物でもあると、わたしは思います。

異文化にぞくする人びとが、同じひとつの共同体に生きる。これは、世界中で進行している事態ですし、今後ますますその傾向は強まるでしょう。日本も、ようやく外国人参政権が話題になっているように、ひとごとではありません。

「対立を超えた融和が実現するかどうかは、君たち一人ひとりにかかっている」、ダーティーハリーはそう言って、にやりと笑います。そして『インビクタス』というおおきな贈り物を、こともなげに投げてくれました。グラントリノのキーをモン族の少年に投げたように。そう、これは南アの、あるいはアメリカの人びとにとどまらない、21世紀に生きるすべての人びとへの、イーストウッド監督の贈り物なのです。

それを、愕然としながら思い知らされたシーンがあります。ここに書くわけにはいきませんが、これは911以後の世界を、なにがあっても融和をめざして生きていかなければならないわたしたちすべてへの、監督の贈り物なのだと気づいてから、わたしは最後まで涙、涙でした。

それにしても、ネルソン・マンデラという不世出の指導者を描くには、国家を抜きにするわけにはいかない、それはわかります。けれど、あれだけ国家権力に対峙してきたイーストウッドが、なぜここまで踏み出して、国家を前提抜きに肯定的に描いたのか。その答はまだ見つかりません。見つかったら、また書きます。
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この喜びをひとりでも多くの方がたと 名護市長選

「この13年間の思いをぶつけてくれたと思っている。市民の民意が一つになったということを示すことができた。辺野古の海に基地を造らせないということを約束し、選挙運動を戦ってきた。信念をもって約束を貫いていく」(稲嶺進新市長 琉球新報WEB版1月24日)

新市長、おめでとうございます。
名護のみなさん、おめでとうございます。
辺野古浜のみなさん、おめでとうございます。
沖縄のみなさん、おめでとうございます。

行けなくて、ごめんなさい。東京を離れることができず、ちりちりしていました。住民投票という民主主義の厳粛な意思表示を、政府によって無視されてきた名護の地が、このくにの民主主義についに性根を入れるために、この勝利をわたしたちすべてのためにかちとってくださいました。これは、民主主義を宝の持ち腐れにしてきた、このくにの恥ずかしいわたしたちすべてへの、大きな大きな贈り物でもあります。

これからわたしたちは、みなさんの意思を至上のものとして、政府に決断を迫ります。それが、名護のみなさんにたいするわたしたちの恩返しです。

鳩山内閣のみなさん、民意がみなさんの統治権のみなもとであることを、憲法に立ち戻って噛みしめてください。内閣の統治力は、民意への敬意によって強まるのです。腹をくくって、自信をもってアメリカとの交渉に臨んでください。応援しますから。
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クロスオーナーシップが国会で&「出禁」は禁止を

22日、衆議院予算委員会で答弁に立った原口総務相が、クロスオーナーシップについて持論を展開しました。今年に入って、記者会見などでは言及していましたが、舞台はいよいよ国会に移ったわけです。衆議院TVの1月22日、井上議員の質問中、38分から44分あたりです。

井上さんは、おおよそこのように質問しました。

「大臣は会見で、『報道の「関係者」とは検察なのか被疑者側なのか、明確にしなければ、電波という公共のものを使っている以上、不適』と発言した。報道規制と受け取られることを放送許認可権をもつ大臣が言うのは不適切。放送内容に介入する気がないなら撤回すべきだ」

原口さんの答は、だいたいこんなものでした(ちょっと単語を補っています)。

記者会見での質問の趣旨は違う。『クロスオーナーシップ、つまりひとつの資本が新聞・テレビ・ラジオをすべてもち、一方的な検察のリークによって、人権も推定無罪も国民の知る権利も無視した報道をしたら、それはどうなのか』という質問だった。

それにたいしわたしは、『閣議でも確認したように、検察リークなどはないが、一般論として、出所のわからない不確かな情報によって、巨大な資本が一色になって人を追い詰めてはならない』と言ったのだ。取材源を明らかにせよとか、報道内容に介入するなどということは、一切言っていない。

民放の報道指針には、『情報発信源は明示が基本』とある。アメリカでは、『匿名性を保持すべき明確かつ差し迫った必要性がないかぎり、情報源は明らかにされるべき』としている。韓国やドイツでも、『匿名報道でも所属は明らかにすべき』としている。これが原則だ。

わたしは総務大臣として、放送報道の自由を守るとともに国民の知る権利を守る。リークというありえないことによる報道被害はあってはならない。昔、公的機関で、『関係者』という言い方をしないと取材させない、意に沿わないものは出禁(できん、「出入り禁止」の意味)ということがあった。そんなことをやったら、ジャーナリズムも国民の知る権利もなくなる


原口さんの言うとおりなら、井上さんは会見での質問の中心であるクロスオーナーシップのことは完全にスルーしたわけです。
総務省のサイトで確認してみました。うーん、断続的にクロスオーナーシップが話題になり、原口さんが予算委員会で言ったことも確かに発言していますが、井上さんが指摘した発言は、直接にはメディアスクラムについてのお答えなのでした。原口さんご自身の心理的事実は別として、客観的にはちょっと苦しいかな(しかし続けて、反省をこめて、ムネオさんとホリエモンさんの名誉回復はしなければいけないと言ってる!)。

きのう、ちょっと褒めすぎた東京新聞ですが、きのう23日の「こち特」は、検察リークのありやなしやについて、記者さんたちが話し合ったことを紹介しています。

みなさん、「だだ漏れ」のリークはありえない、と言っています。古典的な夜討ち朝駆けで得られたひと言から取材していくそうです。が、意図的なリークもあり、うっかり記事にすると検察を利する、とデスクに言われた経験も語られています。情報源の所属を明らかにすると、調べられている側(特捜のばあいは政治家など)による犯人捜しが始まる虞もある、とのこと(でも、今回なら東京地検特捜部に決まっているし、本人を特定できないようにする工夫はできると、わたしは思います)。

また、密着取材が検察という権力への監視になるという認識は、「なかった」と複数の記者さんたちが告白していて、なんとまあ正直な、と思いました。特ダネ競争は、他社に抜かれるのではという、ジャーナリストというよりサラリーマンの習性から来ているみたいで、面白かった。

テレビでも新聞社のOBが、検事に質問をぶつけて、微妙な表情を読み取って記事にする、と言っていました。でも、「押収した……容疑者の手帳に『小沢先生へ 畳の部屋』と書かれていることが、関係者への取材でわかった」(東京新聞1月17日付)なんて記事が毎日のように出ていますが、そんなディテイルにわたることがなぜ検事の顔色からわかるのでしょう。笑っちゃいます。

原口さんの国会答弁と重ね合わせて浮かび上がる問題は、「出禁」の一点です。原口さんは昔のこととぼかしていますが、今の話なのです。奇妙なのは、今回、しろうとが考えても、捜査に支障をきたすんじゃないの、と思うような細かい証拠にかんする報道が氾濫しているにも拘わらず、どこの社も局も「出禁」になっていないといううわさが伝わってきていることです。

まあ、今回のできごとは、なにごとも、もちろんマスメディアも、眉唾で接することをわたしたちに教えてくれているのでしょう。

しかし、「出禁」などというペナルティで、取材を受ける権力の側がメディアを操作することは、行政の長が禁止すべきです。「出禁禁止」です。これは、すぐにできます。原口さん、国会答弁で問題ありと指摘したのなら、閣議で提案してください。鳩山さん、鶴の、ではない、鳩の一声、お願いします。

そして、クロスオーナシップ制限、原口さんは本気なんですね。メディアは伝えないようですが、どこの新聞社も、重役さんたちは会議会議なのではないでしょうか。メディアのあり方を完全に変えるおおごとですから。

出禁もクロスオーナーシップも、ジャーナリズムを息苦しくし、知る権利を阻害しています。一日も早く、メディアの風通しがよくなりますことを。

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検察の首に鈴をつけるか がんばれ東京新聞

足利事件の再審が進行中です。

あれれ、法廷では流されたけれど、地検・地裁の反対で公表されないことになった菅谷さん取り調べテープですが、その起こし全文が「47NEWS」(WEB版共同通信)に載っています(1月21日付)。起こし原稿も公開取りやめになったはずなのに。どうなっているのでしょう。消えるかも知れないので、保存しておいたほうがいいかも。

公表反対の理由は、「刑事訴訟法で禁止された『証拠の目的外使用』に当たる」からだそうです(東京新聞1月21日付)。過去、証拠品の映像を新聞テレビで見たことがあるような気がするのですが、わたしの勘違いでしょうか。

足利事件取り調べ録音テープ                   10  11  12 

しろうとにはわからないことだらけです。でも、きのう1月22日の東京新聞朝刊はわかりやすかった。紙面のつくりが面白かったのです。

まず一面。トップは「東京地検特捜部 小沢氏あす聴取」。そして「『否定すると殴られるかと』 テープ再生 菅谷さん『つらい』」という、足利事件再審公判のニュースです。

社会面も、トップは「土地購入代金『小沢先生に借りるか』 石川容疑者供述 大久保容疑者が相談」ですが、その隣には苦痛に満ちた菅谷さんの大きな写真と、「聴取テープ 検事 自白ありき 菅谷さん苦渋『気が小さかった』」の見出し。

ここまでは、どこの新聞も同じになるでしょう。しかし東京新聞の華、「こち特(こちら特報部)」の見開きが力作なのです。これがあるとないとでは、一面と社会面の意味が違ってきます。

「こち特」は、「検察抱く四つの危機感」として、「取り調べの全面可視化『贈収賄』自白頼り」「人事への介入「脱官僚」省庁改革」「指揮権発動『真相は闇』懸念」「裁判制度見直し やっとスタート、現場混乱」と、新政権の方針によって検察に走る激震を列挙し、解説します。

「こち特」には、右側に「ニュースの追跡」というサブの記事があって、こちらも見逃せないのですが、この日はとくに異彩を放っていました。検察の裏金作りを告発しようとしたその日に逮捕され、有罪判決を受けて服役していた三井環元大阪高検公安部長が18日出所したのを受けてのインタビューなのですから。検察のもっとも恐れる男が野に放たれ、満を持して第一声を発した、それを数日待って、この日検察を取り上げた紙面の隣にもってきたわけです。

三井さんは言います。「検察はまだ、前の政権与党だった自民党と一体」「検察内部には『風を吹かす』という言葉があり、情報をリークして世論を味方につける」

左ページの、外部筆者の寄稿も注目です。この日は佐藤優元外務相主任分析官。見出しは「石川議員取り調べ 特捜事件の可視化急げ」です。佐藤さんも、特捜と対決し、その息詰まるやりとりをつぶさに著作にぶちまけた人です。

このように、この日の東京新聞は複数のページに亘って、ということは、複数の部、具体的には政治部と社会部と特報部が競いつつ一体となって、小沢事件と足利事件、ふたつの重大事案にかかわる検察が、政権交代の今、どのような状況にある、どのような性格の組織なのかを、その影の部分に注意を十分に喚起しつつ、浮き彫りにしているのです。

新聞にはこういうことができるのだ、新聞だからできるのだ、と感じ入りました。足利事件と小沢事件を、あれはあれ、これはこれと並列させるのではなく、ふたつの事件を光源として検察の抱える問題を明るみに出そうとしていることが、読者に伝わってきます。

引用したい箇所は多すぎるほどありますが、「こち特」のほんの10数行の「デスクメモ」には、こうあります。

「……世論を推し量るのなら、小沢氏や民主党の支持率とともに、検察や特捜部の支持率も並べないと不公平では。(立)」

この日の「こち特」デスクは、あるいはこの日の東新は、これが言いたかったのですね。わたしも大賛成です。たぶん、中日新聞や北陸中日新聞も、同様の紙面ではないでしょうか。これらが手に入る地域のみなさん、もしもご覧になっていなかったら、一見の価値あります。さあ、販売店へGO! 1週間ぐらい前までの号なら、売っていますから。
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政教分離訴訟で最高裁が違憲判決? いやもう現場はズブズブです

きのう21日、最高裁で、北海道砂川市の空知太(そらちぶと)神社が市有地に建っていることに違憲判決が出ました。裁判長は竹崎博允さん、裁判員制度導入のごほうびで、去年、最高裁長官に異例の抜擢をされた方です。裁判にも関わりたいということで、判事も兼ねる。

もうひとつの同市の富平神社は、土地が町内会にただで譲られたことも含めて合憲という判断でした。空知太神社についても、そうするなり、地代を取るなりしなさい、ということのようです。

公有地に建つ宗教施設が全国に2000カ所もあるなんて、知りませんでした。多くが神社だそうです。今回、神社撤去なんていう判決が出たら、2000カ所は大混乱でしょう。それぞれにいきさつがあるのだろうから、話し合って憲法とのおりあいをつけなさいと、最高裁は現実的な指針を示したのだと思います。

でも、空知太も富平も、町内会が神社を祀っているわけで、町内会という地域コミュニティすなわち氏子中なのですね。気にならない人はいいけれど、キリスト教など、宗旨によっては困る人もいるでしょう。また、富平では町内会が固定資産税(2万円)を払っている、ということは、境内地(けいだいち)は非課税なので、富平神社の敷地は境内地ではないということです。あ、そうか、富平神社の氏子中である町内会は宗教法人ではないのだ。法人格をもたない宗教団体はたくさんありますが、町内会ないし氏子中はそれに準じるわけです。

ああ、ややこしい。

ともあれ、全国2000カ所の公有地が、有償でも無償でも、そこに建つ宗教施設の管理団体に譲渡されたら、それもまた既得権を踏まえたえこひいき、憲法89条「公金その他の公の財産は、宗教上の組織もしくは団体の使用、便宜もしくは維持のため……これを支出し、またはその利用に供してはならない」という、今回争点になった条項に触れる、と考える人も出てくるのではないでしょうか。

ああ、ややこしい。

わたしは、産土神(うぶすながみ)や鎮守の神、田の神山の神といった地つきのカミサマは嫌いではありません。独特の神事や芸能が伝承されて、お祭りがたいせつにとりおこなわれているのは、好ましい光景だと思います。

けれど、憲法の政教分離原則に照らせば、現実にはさまざまに悩ましい場面があると思います。子どもたちが活躍する神事、あるいは子どもたちに伝承させていく芸能で、地元の小中学校と連携して、課外活動でやったり、体育館を使ったりしているところも多いでしょう。そのばあいでも、きちんとどこかで線引きはしていただきたいと思います。

あるいは、たとえば黒川能のように、地元挙げての神事に外部から人が集まるばあいに、市町村の観光課が窓口になったり、公民館を臨時の宿泊施設に使ったり、公務員も裏方として立ち働いたり、ということもあります。これを「特定宗教への優遇」と断じるにはためらいがあります。

けれど、これはいかがなものか、と思うこともあります。

某県の公立中学校の校長室には、りっぱな神棚がありました。由来を尋ねると、「学校の裏手に古墳がありまして、学校も一部、古墳にかかっているんです。これまで、学校関係者が何人も不審な死に方をしたんですが、古墳のタタリだと、6年ほど前に近くの神社からお迎えしたんです」とのことでした。現校長は問題ありとして教育委員会にもちこんだのですが、取り合ってくれないそうです。

また、都内の公立中学校の、こちらも校長室ですが、衝立のまん中に地元の有名神社のお札が貼ってありました。問い糾すと、「課外活動として、お祭りに生徒を自由参加させているんですよ、そういう学校だってことを、転校生の保護者や来訪者に説明するために貼ったんですが、いけなかったでしょうか」とのことでした。

わたしはいずれの校長にも、やんわりと「憲法違反ですよ」と言いました。お札校長はあわてて剥がし、「ファイルに入れといて、説明のときに見せるだけならいいですよね」。お札がなければ説明がつかないわけもなし、と思いましたが、貼ることにより宗教的な扱いになるお札も、ファイルに入れればただの紙、まあいいか、と思いました。

神棚校長は、「わたしは信じないんですけど、前校長から不吉なことを聞いて、撤去を躊躇しているんですよ。撤去の方法もわからないし、もとの神社はいま宮司がいなくなっているし」と、困惑気味でした。わたしはかなり強硬に言いました。「タタリ神とは、権力抗争に敗れた人がなるとされています。古墳は、権力者を手厚く葬ったものです。そんな祖先が子孫にタタルのは、このくにのカミ観念からしておかしいと思います。タタリ神とされて、カミサマも心外でしょう。もとの神社にお帰りいただくべきです。そうしたセレモニーを、校長がやるわけにはいきません。地元の人もやらないのなら、外部者のわたしがもう一度乗り込んで、やってもいいですよ。校長は目をつぶっててください」

校長のいないところで、複数の教員にも、「なぜ問題視しないんですか」と苦言を呈しました。校長室に神棚なんてとんでもない、の一念です。

わたしは、地元のちいさなカミサマたちが、明治期に国家神道にじゅうりんされたことを悲しく思い、また怒りを覚えます。そして、このくにの神道はいまだに国家神道を色濃くひきずっています。

なにしろ、ヤマトに征服同然に併合された、ヤマトとは一線を画するはずのイズモの出雲大社ですら、ヤマトの主神である伊勢神宮を頂点とする神社本庁に属さないにも拘わらず、その境内に「女性天皇と女系天皇の違いをご存じですか」なんて大書した特大のポスターを貼っているくらいです。

それに、宗教法人である神社本庁や各県の神社庁は戦前の神祇院をそっくりひきついでいて、官庁でもないのに「庁」をつけて、気分はいまだに国家神道です。そうである以上、公立の、それも義務教育課程の学校にカミサマなんて、とんでもないと思います。

また、ある県に、町が管理して、そこだけは手で田植えをしている田んぼがあります。飾り鉾を押し立てた田楽が賑やかに繰り出し、地元の神社から神主さんがやってきて、臨時にしつらえられた神棚で御幣を振って祝詞(のりと)をあげる、という行事を拝見した時です。町長さんも参列していたのですが、町長名でりっぱな鯛をお供えしたのです。おいおい……。

それは、地元米振興のための、町ぐるみの行事なのでした。田んぼの水を取り入れるところには田植え花とちいさな御幣を刺し、ちょっと歳のいきすぎた早乙女たちが歌いながら手植えしていく。それは、地元のゆかしい伝統芸能と渾然一体になった、でも神事なのでした。町長さんが来るのはいいけど、公費で鯛を買ったとしたら、それはなあ、神主さんのギャラ(とは言わないでしょうけど)は町費から出ているのかなあ、とひとりで内心ややこしくなっていました。

こういう悩ましい例は、いくらでもあるのではないでしょうか。現場はズブズブと申した次第です。
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「700の志が国家を動かすこともある」 DAYS JAPANの訴え

タイトルは、DAYS JAPAN誌の表紙に掲げられている、「一枚の写真が国家を動かすこともある」のもじりです。

DAYS2DAYSが伝える戦争、動乱、災害、人権、自然、そしてなにより命の尊厳。ページを繰るごとに出会うさまざまな人びとのまなざしから伝わってくるのは、かれらにふりかかっている現実がただの情報の域を超えた「わたしが知っている人の問題」、すなわちわたしの問題だ、という実感です。それは重いことだけれど、同時にふしぎな勇気が湧いてくる認識でもあります。

このふしぎを、ひとりでも多くの人びとと分かち合いたい。たとえばこの2月号の表紙、子犬を手にうれしそうに笑う少女は、カンボジアの、両親がともにHIVという境遇にあります。撮ったのは、日本の若者です。安田奈津紀さんは、このシリーズで日本ドキュメンタリー写真ユースコンテスト大賞に輝きました。ほかにも入賞した若いフォトドキュメンタリストのすばらしい写真が掲載されています。若者、頼もしい、のひとことです。

以前も、
DAYS JAPAN存続キャンペーンをご紹介しましたが、あれから1カ月あまり。DAYSは今もなお懸命の努力を続けています。あと700人、定期購読してくだされば、この今や世界的にきわめて重要なフォトジャーナリズム誌は、わたしたちの意志によって存続することになります。DAYS編集部のブログをご覧ください(しつこいようですけど、下にも貼りつけます)。

もしも、あなたがまだ定期購読なさっていなかったら、わたしはラッキーです。あなたが新たな定期購読者になってくださるかもしれないのですから。

ゲルマンの伝統では、「7」という数は運と不運の分かれ道を意味します。DAYS JAPANはまさに岐路に立たされています。あなたの志は、この運命のやじろべえを幸運のほうに傾ける700番目の志かも知れません。


-----------------------------転送転載歓迎---------------------------

DAYS JAPANを支えてくださるみなさま


DAYS JAPANでは昨年9月から進退をかけた「存続キャンペーン」をよびかけています。

年末に広河の流した一通のメールから、波紋のように動きがひとつの強い流れとなり、多くの方がひん死のデイズを守るためにご協力下さいました。

現在1月中旬デイズには目標の半ばを超える数の定期購読お申し込みが届いています。
これでデイズはとりあえず「すぐに廃刊」という危機を脱しました。

しかし、あと700人の定期購読者がどうしても必要です。

ところが、110日を過ぎて、申し込み者の増加は小康状態になり、 私たちは再びみなさまに訴えたいと思います。

まだ定期購読をされていらっしゃらない方、どうか定期購読をお願いします。
存続キャンペーンのチラシをいろいろな人にお渡しください。
この
メッセージを多くの方にお知らせください。
デイズを知らない人にデイズを広めてください。
営業部ではどんな
チャンスにも最善を尽くすよう 色々な場所で存続キャンペーンを訴えています。
そのような場所をあたえて頂けるような機会があれば教えてください。

雑誌というジャンルメディアには 大変に厳しい現在ですが、デイズはまだ廃刊することはできません。

どうか39日、デイズが6周年を迎えるその日まで、存続キャンペーンに協力してください。

DAYS JAPAN
広河隆一
スタッフ一同
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「お上(かみ)の事には間違いはございますまいから」

きのうの記事について、ムネオさんの演説要旨の「こっちに協力すれ」は「協力しろ」の打ち間違いでは、というお問い合わせがありました。打ち間違いではありません。そう発音しているように聞こえて、かわいいな、と思ったので、そのまま音写しました。

ところで、小沢一郎さんが検察の事情聴取に応じる意向だそうです。

4億円の「たんす預金」がやましいものだったとして、それをいったん「つなぎ資金」として個人から政治資金管理団体に貸して、あとで返してもらったら、なぜ「資金洗浄」したことになるのか、わたしはそもそもそこがわかりません。たんすからお金がひょいと出てきたことに変わりはないのですから。表に出せないお金なら、もっと地味な使い方をすればいいのに、と思うのです。まあ、わたしは一般に資金洗浄とは何かがわからないのですが。

わたしも、まさかの時の蓄えは「たんす預金」しています。現金で、銀行の貸金庫に入れています。なぜなら、銀行口座に入れると、そのお金で銀行は日本国債を買い(買わされ)、日本銀行はそうやって吸い上げたお金で米国債を買って(買わされて)いて、その金額はアメリカの軍事予算に匹敵するのだそうです。そのことを田中優さんから教えていただいて、「うわあ、そんなことにわたしのお金が使われるのは1円だっていやだ」と思ったのです。

もちろん、わたしたちの預金がストレートに原子力艦や劣化ウラン弾の代金になるわけではありません。それこそ、お金に色はついていませんから。でも、いやな感じです。ごくごく単純化すれば、わたしたちの預金がなければ、アメリカは戦争できないのです。小沢さんがアメリカの軍事予算を視野に入れて「たんす預金」していたとは思えませんが、そんなふうに、全国で総額30兆円にのぼるとも言われている「たんす預金」のそれぞれには、それぞれの理由があるのです。

検察が、小沢さんの「たんす預金」はアヤシイと考える、そこまではいいとしましょう。だけど、それを調べるためにとしか思えないのですが、国会議員をふくむ元秘書を3人も、帳簿への不記入という形式犯で逮捕、はっきり言って別件逮捕とは、いかになんでもむちゃくちゃです。「鶏を割(さ)くにいずくんぞ牛刀を用いん」です。エリートを自負する組織が泥臭いことをする、という幻滅、そして権力の濫用にたいする怒りを覚えます。

そろそろきょうのタイトルの話題に移ります。

これは森鴎外の「最後の一句」からの引用です。森鴎外は官僚、しかも軍医という職業アイデンティティに生きた体制側の人だったことから、近代化の影の部分を見つめた夏目漱石とくらべて、嫌う人も多いようです。その批判はこの短篇にもあてはまると、わたしも思いますが、明治という時代を考える時、避けて通れない文豪であることは確かです。

物語は、江戸時代の大阪が舞台です。ある船主の北回船が難破し、積荷の多くを失ったが、船主は残った米を売って、本来は荷主たちに配分しなければならないそのお金を猫糞(ねこばば)してしまう。それがばれて、いよいよあしたは死罪ということになると、16歳の長女は、自分を含めて4人の子どもたちの命と引き替えに、父親の助命を奉行所に願い出ます。

お白州で役人が言います。「そんなら今一つお前に聞くが、身代わりをお聞き届けになると、お前たちはすぐに殺されるぞよ。父の顔を見ることはできぬが、それでもいいか。」それにたいする娘の答が、「お上(かみ)の事には間違いはございますまいから」でした。

鴎外は、献身という崇高な概念を知らない江戸の役人は、娘に不遜な反逆の臭いを嗅ぎとって、敵意と不気味な恐れを抱いた、としています。結局、大嘗会(だいじょうえ)という宮中行事が行われて日が浅いという理由にもならない理由をつけて(だって、処刑の日を決めた時、大嘗会のことは問題にしなかったのですから)、父親は罪を一等減じて大阪から追放、ということになります。

奉行所の役人たちが、上役にお伺いを立てたり、右往左往するさまを、鴎外は「当時の行政司法の、元始的な機関」などと、見下したように書いています。そして、娘の行為を、「献身のうちに潜む反抗の鉾(ほこさき)」と高く評価するのです。

たしかに、ギリシア悲劇の「アンチゴネー」にしても、家族を思う強い気持ちが、意図しないに拘わらず時の権力と対立してしまう、ということはあるでしょう。近くは、北朝鮮による拉致問題で、蓮池透さんが政府の方針に批判的になっていった心情が思い起こされます(蓮池さんについては、このブログで再三論じていますので、検索してみてください)。

けれど、鴎外がとりあげたこの実在の事件では、事情はまるで異なるのです。「お上の事には間違いはございますまいから」には、体制への捨て身の反逆の思いなど籠められていない、むしろ体制への信頼が言わせた言葉だと、わたしは思います。

みなさんは「忠臣蔵」の赤穂城明け渡しの件(くだり)をご存じでしょう。大石内蔵助率いる赤穂藩士は、すべての武器兵糧を帳簿と寸分の違いもなく揃え、城内を塵ひとつないほど拭き清めて恭順の意をあらわし、幕府の使者を迎えます。芝居や小説は、あっぱれ大石、あっぱれ赤穂藩士、とほめたたえます。

でもこれ、江戸時代には常識でした。赤穂藩が格別優秀だったのではありません。この時代、どこの藩も、なにが江戸幕府ににらまれて、いつ取り潰しや国替えになるかも知れませんでした。そのとき、武器や書類やお金の管理がきちんとしていないと、たいへんなことになります。国替えのばあいは、それではすまなくなるかもしれません。取り潰しのばあいなら、お家再興など望むべくもなくなります。それで、江戸の官僚つまり武士たちは、ぜったいに間違いを犯さぬよう、日々緊張して職務にあたっていました。

文書管理も見上げたものでした。明治維新で、新政府の役人が江戸の南北町奉行所を接収に行くと、奉行所の役人たちは、幕府開闢以来の訴訟関連書類と金銭出納帳をすべて揃えて引き渡したそうです。幕府みずからが、各藩に範を垂れていたのです。

江戸時代は、文字通り、「お上の事には間違いはございますまいから」だったのです。それが、明治人である鴎外には読めなかった。もしかしたら、鴎外は明治のイデオローグとして、故意に異なる意味を物語に移植したのかも知れません。

江戸時代、官僚機構は厳正に機能し、人びとはそのことを知った上で、「お上」を信頼していた、と言うか、「お上」のすることに不条理があっても諦めて受け入れていました。けれど、いつの世にも、とくに革命的な体制変換のあとは、新体制は直近の旧体制をくそみそにけなすことで、みずからの正統性を誇示したがります。それで、鴎外に見られるように、明治イデオロギーは江戸を貶め、戦後も戦中時代と並んで、江戸はやっぱり貶められたままでした。そのことへの冷静な反省が、この30年ほど徐々に深まってはいますが、江戸の真の姿がわたしたちに明らかになるのはこれからです。

このくにの官僚は優秀でまじめだという神話は、江戸に端を発するものであって、明治維新で獲得された近代の形質ではないのです。この神話を食いつぶしてきたのが、旧日本軍上部の官僚機構であり、経済成長をなしとげたあと、使命感が薄れてしまった官僚機構だったのではないか、わたしはそう考えています。

たとえば社保庁のていたらくを、わたしたちはまざまざと見せつけられてしまいました。ですからもういいかげん、「お上の事には間違いはございますまいから」という呪縛から解き放たれ、優秀な官僚に任せておけば間違いないとする「お任せ主義」から脱する時が来ていると思います。そして、人の組織のすることには、人為的ミスはつきものだ、弱い心が犯すあやまちはつきものだ、というあたりまえのことを前提に、新政権には、霞ヶ関改革をぜひやり遂げていただきたい。

検察という官僚組織も例外ではないどころか、その筆頭です。取り調べの記録と可視化は、今すぐやるべきです。いつまでも「検察の事には間違いはございますまいから」ではないのです。新しい公正なルールのほうが士気が上がると考える、良心的な若い検事さんたちは、きっといると思います。刑事裁判の99%は有罪という事態を異常とうけとめる目をもたなければ、いくら裁判員制度を導入しても、国民主権はいつまでたっても絵に描いた餅です。
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ムネオ語録「検察はフォワードに出てきたGK」@民主党大会

16日の土曜日に開かれた民主党党大会の映像が、党のサイトにアップされています。

そつなく誠実な鳩山代表も、異様なほどの凄みを漂わせる小沢幹事長も、まあ想定内でしょう。

それに先立ち、各党党首のあいさつが続きます。社民党の福島瑞穂さんは、沖縄の米軍基地のことを民主党員の前で念押しし、国民新党の亀井静香さんは、鈴木さんの言葉によると、スマートな、お行儀のいいごあいさつをしました(寝癖ヘアスタイルはいつものとおり)。新党日本の田中康夫さんは、ベーシックインカムについて、わかりやすいレクチャーをしました(これ、一見の価値があります)。

そしてしんがりに登壇した新党大地代表の鈴木宗男さんは、おおよそこんな演説をしました。党の規模順だと思いますが、まさに大トリでした。映像は「来賓挨拶1」の最後、15分30秒あたりからです。

「来賓挨拶1」
http://asx.pod.tv/dpj/free/2010/20100116taikai_02_v300.asx


「検察はゴールキーパーだ。手も足も使える。それがフォワードに出て、手も足も使って何でもありになったらどうなるか。狙われたら、誰でもやられる。わたしは8年前経験した。みなさんの中にも、わたしを批判した人はいる。

あのとき、検察のリークで、わたしはムネオハウスで、三井物産の北方領土関係で、アフリカODAで捕まると言われた。これらの件は裁判になっていない。検察のリークで、世論誘導されていたのだ。結局わたしは、政治資金規正法にもとづいて400万円の領収書を切ったことで逮捕された。

冷静に考えてほしい。千葉法務大臣、12月8日、わたしは検察リークの有無について質問趣意書を出し、その答弁が閣議決定を経て戻ってきている。「検察リークはない」と。閣僚のみなさん、チェックしてほしい。石川代議士に、マスコミに情報提供しているのかと訊ねたら、「してない。なのにわたしの発言が新聞テレビに出てくる。ふしぎだ」と言っていた。それを知っているのは、もういっぽうの検察だけ。検察が正義だと思ったら大間違いだ。

特捜部は、昭和22年、隠匿物資捜査のためにできた。今の時代にあっているか(ヤジ「事業仕分けだ!」)。おっしゃるとおりだ。特捜部がエリート意識をもって、俺たちが国家の支配者だ、国民が選んだ政治家ではなく俺たちが国をリードするのだと、思い上がって権力を行使したらどうなるか、考えてほしい。取り調べの全面可視化をしなければだめだ。中井国家公安委員長、よろしくお願いする。

今、石川さんに検察はこう言っているはずだ。「民主党も小沢もおまえを守らんぞ、だからこっちに協力すれ。誰もおまえを支える者はいないぞ、鈴木も離れるぞ」こんなささやきをしているはずだ。神経戦だ。情報戦をしかけてめろめろにして、つごうのいい調書を取っていく、これが特捜のやり方だ。わたしの秘書もそうやって落とされた。

間違った権力とは断乎戦っていこうではないか。鳩山代表には決断力がないと、マスコミは言うが、たいへんな見識と胆力を持っている。アンドレイ・マルコフという19世紀後半の有名なロシアの数学者は、壊れた機械をどう立て直すかという論文を書いているが、鳩山首相は1977年の博士論文でこれを引用している。壊れた機械を立て直す、まさにこれが政権交代だったのだ。今、鳩山代表には堂々と権力に立ち向かってもらいたい。

小沢幹事長にお願いがある、ここは堂々としてほしい。『秘書を信じている、何もやましいことはない』というあの発言こそが説明責任を果たしている。自信をもって幹事長の役割を果たしてほしい」


とまあ、内容としてはこんなところですが、文字で読んでもあの迫力は伝わりません。ぜひ5分間の視聴をお勧めします。行政のトップにある鳩山さんに、「堂々と権力に立ち向かえ」もあったものではありませんが、この日の朝には鳩山さんご自身が、「(小沢さん)どうぞ戦ってください」と言っていて、この人たちが実感からついこういう言い方をしてしまっているのなら、これはひょっとして検察とのすさまじい暗闘がくり広げられていて、そこでこの人たちは隠然たる権力の存在を感じているのかと、想像をたくましくしてしまいます。

それにしても、5分でこれだけのことが表現できる話術は圧巻です。先にあいさつに立った各党代表にコメントし、小沢代表、そして鳩山、千葉、中井各大臣を名指しし、全閣僚も、かつて自分を批判した人もいるという言い方で満堂の民主党員も名指しして、結局その場のほぼすべての人を名指しし、どきっとさせ、自分一人に向かって話されたような気にさせる。脱帽ものです。

ムネオさんの話芸に感心しているばかりではいけません。メディアはあいかわらず、「関係者」という名前の検察の人間のリークを報じ続けています。これは国家公務員法違反だ、と若手閣僚がテレビで発言していました。内閣も調査に乗り出すそうです。

メディアもメディアです。検察リークは論外で、そうでなくても、裁判員制度が始まったことから、予断をあたえるような犯罪報道は慎むことになったのではなかったでしょうか。なのに、「小沢まっ黒」と断定したい「関係者」の発言を垂れ流す。それについての反省は、メディア内からは出てこないのでしょうか。

そんな中、石川さんの弁護人、安田好弘弁護士らが千葉法相に取り調べの全面可視化を要求した、というニュースがちいさく報じられました。時事通信などは、弁護士らは任意の取り調べの時、「検事が『容疑を認めないと帰さない』などと自白を強要したと主張している」としていますが、同じニュースでもこの恫喝ともとれる検察の発言に触れない朝日新聞などは、ごくそっけない、一般論のような書き方です。


そこで思ったのですが、弁護団の記者会見は映像化して、逐一、youtubeなどに挙げたらどうでしょう。そうすれば、マスメディアが報じない、けれど弁護団は重要だと考えていることが、遺漏なく知れ渡ります。弁護団記者会見の可視化、これはすぐできます。やってください、お願いします、安田さん。

そして、きょうも書きます。小沢さん、わたしたちにわかるよう、説明してください。
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民主党、「社会の木鐸」なんぞにがたがたしないで

社会の木鐸。この言い回しがいつごろから使われるようになったのか知りませんが、最近は聞かないので、若い方はご存じないかも知れません。木鐸は「ぼくたく」と読み、「社会の」がつくと、新聞や新聞記者を指します。人びとに真実を伝えて警鐘を鳴らし、世論形成を助ける存在、というほどの意味合いです。

歴史的オブジェとしての木鐸は、金口木舌(きんこうもくぜつ)とも言われるように、金属の本体に木製の棒を打ち当てて音を出すもので、古代中国で人びとに情報を知らせる人が鳴らしました。為政者に遠ざけられた孔子が木鐸になぞらえられた故実から、権力とは一線を画し、社会のあるべき姿を示すオピニオンリーダー、というニュアンスがあります。

けれど、史実は別のことを暴露します。木鐸は権力者の専有物でした。王の命令を告げる「おふれ役人」が、これを鳴らしたのです。近くは、大本営発表の号外を配る人が、「号外、号外!」と叫びながら振り鳴らした鐘、あれに当たるのが木鐸の正体なのでした。

これ、意味深長ではないでしょうか。わたしたちが権力の番人と思い込んでいた人が、じつは権力の意向を受けて、情報を選別し、あるいはあることないこと垂れ流していた。こんなことを考えるのは、このところ「小沢まっ黒」報道がマスメディアを席捲しているからです。

石川議員逮捕の前後、地元北海道での議員のさまざまな映像がテレビニュースに流れましたが、そのかたわらに鈴木宗男議員の姿がありました。同じ新年行事に招かれていたのでしょう。わたしがマスメディアに距離を置くようになったのは、この人の疑惑が報じられた時だった、と思い出しました。

当時、わたしは単純に、「ムネオ悪いことしてる」と思い込んでいました。ところが、講演先の札幌で会った高校の上級生が、「鈴木宗男を失うことは、北海道にとって20年の損失」と言ったのです。かれは、かつて全共闘でならした人で、現在は大学で教えています。今も変節したわけではありません。その人がそう言う。これはなんだろう、と思ったのが、メディアに自覚的に接するようになったきっかけだったのです。

そこで、
鈴木宗男さんのブログを読んでみました。機会をとらえて石川さんに、「ほんとのところはどうなんだ?」と、さまざまな意味で「先輩」である鈴木さんがその思いを訊ねている図が浮かび上がります。ほぼ毎日、ご自分の経験に重ねて石川さんを気遣っていることが綴られています。たとえば、14日にはこんなふうに。


テレビ、新聞は小沢民主党幹事長、石川代議士、鹿島への強制捜査を扱っている。
 
この強制捜査に関していつも不思議に思うのは、なぜか事前にマスコミが知り、現場にテレビカメラが待ち受けていることだ。誰が事前に知らせるのだろうか。事前リークなくしてどうしてわかるのだろうか。検察側が誘導していることは明らかである。
 
そして「段ボール箱を何箱押収した」と言うが、書類等をあの段ボール箱にぎっしり入れると、とても一人では持てない。捜査官が仰々しく段ボール箱を抱えていくが、その中身はせいぜいノート一冊、書類少々で、極めて軽いものなのである。
 
なぜわかるか。それは、平成14年、私の事務所、自宅が捜索された時、段ボール箱にはもっと書類が入るところを少ししか入れずに、捜査官がただただ数多く運び出した様にしている姿を見ているからである。検察はこうした無駄なパフォーマンスをしているのだ。
 
読者の皆さんも、興味本意で今回の強制捜査を見るのではなく、検察、権力の暴走にかかったら大変なことになるということを考えながら、冷静に見て戴きたい。
 
石川代議士を調べている検事は、おそらく次のように脅かし、すかし、ささやきをしていることだろう。「『政治資金規正法違反を意図的にやりました』と言え」と。そして大きな声で「小沢が守ってくれるのか?小沢は守ってくれないぞ。お前が良く知っているだろう」、「人生やり直した方が良い」、「否認し、聴取に応じないのなら、ガサかけるぞ」、「今からやるぞ」、「明日、また聴取を約束するか」と。石川代議士は、おそらくこの様に検事から言われていることだろう。
 
単純な記載ミスを意図的にやったと言わせるやり方は、誤導、誘導である。それを経験した者として、私はそれなりに検察のやり方が想像できる。読者の皆さんも是非考えてほしい。
 
密室での検事とのやり取りは、一般の人にとって大変な精神的負担になる。だから取調の全面的な可視化が必要なのだ。被疑者は勿論、将来証人、参考人になりうる人に対する聴取も全面可視化すべきだ。そうすれば、冤罪はなくせる。改めて、取調の全面可視化を訴えて行きたい。
 
特捜検事出身の弁護士さんからは、「今回の石川さんの件は政治資金規正法上の単純な記載ミスです。小沢さんがきちんと説明すればわかってもらえることです」といった話も入ってくる。
 
いずれにせよ、ここは小沢幹事長、石川代議士にはしっかり事実を述べ、権力と相対してほしい。リークで世論誘導するやり方は公平、公正ではない。



「ムネオ日記」には、ほかにも瞠目すべきことが書かれています。1月の分だけでも読まれることをお勧めします。

密室で思い当たるのは、このところ「社会の木鐸」マスメディアが書き立てる、水谷建設元会長(社長?)の贈賄供述です。あれは刑務所に検事が赴いて、服役中の人から取ったものです。その状況、みなさんも想像してみてください。断罪され、権力によってすべての自由を奪われている人が、権力が求めていることを言えば仮出所が早まるかも、と忖度するのは、人情ではないでしょうか。

しかも、水谷建設は過去さまざまな事件を起こし、佐藤栄佐久元福島県知事が陥れられた「事件」にもからんだいわくつきの会社、したがってその経営者は、検察とはつきあいが長く、ある意味「昵懇の仲」です。その証言は、じゅうぶん警戒して取り扱うべきです。

警戒は、石川さんの元秘書を名乗る金沢敬サンという人にも必要だと思います。石川事務所にいたのは1年ほど。北海道の不動産屋さんだそうで、政界進出を狙って石川さんに接近したけれど、その目はないと石川さんから告げられて事務所を離れ、新党をたちあげるかたわら、上申書で石川さんに不利なことを言っている。

この経緯からわたしは、申し訳ないけれど、この人物を「正義を求める内部告発者」という額面どおりに受けとめことをためらってしまいます。裏切る人にはそれなりの理由があるのかなあと、テレビに大写しになるその表情を見ながら勘ぐってしまうのです(われながらちょっと恥ずかしい次第ですが)。今いくら自民党の会合に出て「おいしい情報」を提供しても、わたしが自民党の人なら、この人を仲間に引き入れて、政治家に育てようとは思わないだろうなあ、とも。

陸山会が土地を買うにあたって小沢さんが立て替えた4億円には、水谷建設の裏献金が入っている、そう東京地検特捜部が考えていることは、これまでの報道でよーくわかりました。ついては、マスメディアがほんとうに権力の番人を任じるなら、政権与党の実力者だけでなく、検察という国家権力もまた監視していただきたい。

小沢さんには、主権者のわたしたちに、一日も早くわかりやすい説明をしてほしいと思います。そして民主党には、ここへきてがたがたしないでいただきたいのです。マスメディアの報道にもかかわらず、新政権をなお後押しする主権者の思いはそれほどゆらいでいません。それを計るのは困難かも知れませんが、巷が検察やマスメディアに醒めている度合いは、はっきり申して民主党に醒めている度合いと、どっこいどっこいなのです。動揺せずに、政策を推し進めてください。その政策に自信があるなら、推し進めてください。

古代中国の木鐸には、もうひとつ使い方があったことを思い出しました。春、田起こしが始まる頃に、采詩官(さいしかん)と呼ばれる役人が、これを鳴らして農村を回りました。新たな王の命令をふれ回るのではなく、人びとの間に流布するうわさ話を集めたのです。王は集められた情報から、謀叛の企てがないかを分析しました。これは古代ローマでも同じで、民衆の間では皇帝のスパイがつねに耳をそばだてていました。ゆうべ見た夢の話をして謀叛と断じられ、死刑になった人もたくさんいました。

采詩官のしたことは、現代のマスメディアがやる世論調査や、街頭インタビューにあたるでしょうか。間違っても、設問を操作したり、つごうのいい答えだけを取り上げるなどして、古代の中国やローマのように、国家権力につごうのいい意見集約などしないことを切に望みます。采詩官は、うわさを編集する情報操作官でもありました。米英の政権には、世論操作の任を負ったスピンドクターが存在しますが、そのありように重なります。マスメディアがなんらかの権力の「外付けスピンドクター」に脱しないよう、そうではなく、孔子がなぞらえられた木鐸としての機能を果たすよう、中で働くみなさん、ここが踏ん張りどころですよ。
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15年前のきょう アナウンサーが官僚が現場監督が

江川紹子さんが気骨のジャーナリストだとは、多くの人が認めるところだろうと思います。江川さんは、権力や世の中の風潮に迎合しません。きのうの朝も、日本テレビ系列の番組でこんなことを言っていました。

「まるで、検察と小沢さんのメンツ争いだ。メディアは、検察が正しいという一辺倒な報道ではなく、もっと冷静にものごとを伝えてほしい」

そのとおりだと思います。この発言は、その後の番組の進行に少なからず影響したと見受けました。もちろん、あらかじめ決まっていた構成の枠内ではありますが、ほかの出演者たちが、江川さんが指摘した方向で発言しようと気をつかっているのが見てとれたからです。

来週からの国会で、「小沢資金」をめぐる泥仕合(だって、野党の自民党もこれにかんしては目くそ鼻くそ……失礼)がくり広げられるのかと思うと、うんざりです。そういうことは政治倫理特別委員会でやってほしい。予算委員会では、予算案をじゅうぶんに審議してほしいと思います。

代議士逮捕の話題のあと、番組は、まるで阪神淡路大震災の悪夢の再現のような、ハイチの惨状を報じました。奇しくも、番組司会は辛坊治郎アナウンサー。わたしは15年前のきょう、大阪のスタジオから最新情報をまさに出ずっぱりで伝えるかれを見たのが初めてでした。

辛坊さんは、悲痛ななかにも、全国から寄せられる心の底からの共感に、地元の人間として感謝しつつ、「冷静に」と繰り返し呼びかけていました。おそらく届かないだろう、瓦礫と炎のなかの人びとへの励ましを送り続けていました。その報道姿勢は、どのアナウンサーよりも際立っていました。情理兼ね備えるとはこのことだ、それがこういう緊急時にできるとは一流の職業人だ、と感じ入ったものです。

あの日わたしは、次に翻訳する本の監修者との顔合わせがありました。電車に乗っていても、とめどなく涙が流れました。神戸の東灘区の、高速道路が倒壊した、まさにあの海側のせせこましくも温かい町に、高齢の叔母が3人、ちいさな古い木造の家に、肩寄せ合って暮らしていたのです。もうだめだ、きっとだめだ。そんな思いでいっぱいで、顔合わせで何を話したか、まるで憶えていません。その本が、半年後、オウム騒動で江川さんが連日テレビに出るさなかに出版された『ソフィーの世界』です。

叔母たちは、翌日、無事が確認されました。ご近所に助けられて、かすり傷ひとつ負わずに、近くの小学校に避難していました。早朝にもかかわらず、地震が起きた時にはすでに朝食をすませていたそうです。

あの時、神戸からそれほど遠くないところで、国道の建設工事が行われていました。大規模な道路工事は、数キロごとに工事区間を区切って、いくつものゼネコンが請け負います。地震の朝、各区間の現場監督に、建設省(当時)の担当から電話が入りました。「工事はいつ再開できるか」と。「あした再開します」と、すべての現場監督は応えたそうです。ひとりを除いて。それが、わたしの友だちでした。

友だちは、地震が起きると、まずすべての従業員とその家族の安否を確かめました。そして、出てこられる従業員を集めたところに、建設省のくだんの電話がかかったのです(きのうご紹介した外務省中南米局カリブ室と言い、新政権にはこうした官僚主義を根絶やしにしていただきたいものです)。

友人は怒鳴りました。「ばかやろう、何考えてんだ、工事は無期延期だ!」そして、ほかのすべての現場監督に電話をしまくり、怒鳴りあった末に、すべての現場監督が同意して、すべての工事区間から動かせる限りの建設重機が被災地に向かったそうです。

この話、青森で聞きました。当時、友だちはそこの現場にいたのです。生涯、一現場監督として、全国を転々とする会社人生です。講演で行った折りに旧交を温めたのですが、その時は、わたしが関わっていたアフガン支援のために、現場で働く方がたから募金を集めてくれました。友だちは、「会社では最高齢の現場監督だ」と笑っていました。「道路の法面(のりめん)にはその地域の植生を活かしたい、ここにはクマザサを植える研究をしているんだ」とも。じょんがら酒場の津軽三味線とともに、心に沁みる話でした。

その後、音沙汰がないと思ったら、友だちは老骨にむち打って、ODAでアフガンの道普請に行ったと、風の便りに聞きました。かれらしいな、と思いました。一般に、こうしたODAの有効性は精査の必要があるとは思いますが、危険で過酷な現場に進んで行く心意気の人がいて初めて、ゼネコンも政府も「仕事」ができるのだということは、多くの方に知っていただきたいと思います。

中学を除いて、小学校、高校、大学とずっといっしょだった、大学ではサークルもいっしょだったモリクン、今どうしてる? 1.17がめぐると思い出します。まさか、還暦を超えてもまだ現場にいるんじゃないでしょうね。
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ハイチに国際緊急援助隊が出遅れた理由

石川議員が逮捕されました。ふたりの秘書も。報告書不記載でここまで行くとは、正直驚きです。逃亡の虞(おそれ)も、また家宅捜索で書類はすべて押収されているのですから、証拠隠滅の虞もないのに、国会開催直前に現職議員逮捕とは、異常ななりゆきと言わざるをえません。東京地検特捜部は、よほど自信があるのか、あるいはみずから追い込まれたのか。

これにかんして、またしても
ビデオニュース・ドットコムネタで、今国会に政府が提出しようとしているクロスオーナーシップ禁止法案(新聞社の放送局への出資禁止法案)と小沢報道(と言うか、民主党批判報道)について書くつもりでいたら、きのうヤメ蚊さんが書いてくださっていたので、そちらに譲ります。

きょうは、13日に起きたハイチの大地震について書きます。

何度もご紹介している国際緊急援助隊(記事は10月2日12月20日12月30日、医療チームが行くことが、きのうようやく決まりました。これまで、なぜまだ出発しないのか、やきもきしながらニュースや、また15年目になる阪神淡路大震災の回顧報道を見ていましたが
、この遅れ、なんと外務省の担当の資質が災いしたためのようです。

どんなに高い理想をもってつくられ、めざましい実績をあげてきた組織でも、たまたま担当した人に職業人としての自覚というかなんというか、欠けたところがあると、正常に動かないのです。以後、こんなことのないよう、システムの欠陥と携わる人の意識を見直してほしいと思います。これは、わたしたちの委託を受けて、わたしたちの税金で運営されているのですから。

根気よく電話取材した浅井久仁臣さんが、そのことを書いています。主要部分を以下に貼りつけますが、全文は
こちらからどうぞ。


海外で大地震が起きると、私はいつも日本の国際緊急援助隊の「動き」を取材して皆さんにお伝えしているが、今回は消防救助隊を送ることの検討すら真剣になされていないことが分かった。

不思議に思った私は、14日朝から午後にかけて担当者に直接取材した。すると、ひどい実態が浮かび上がってきた。

緊急援助隊の事務局はJICA(国際協力機構)の中に設けられている。そこで先ずは、JICAのホウムペイジを覗いて見た。だが、驚いたことに今回の地震に関する情報は何一つ書かれていない。

その後、担当者と直接話をした。

「緊急援助隊、中でもIRT(国際消防救助隊)は派遣しないのか」と聞く私に、「今、検討中です」とその担当者は答えた。

「12日に起きているのにまだ検討中ですか」

「はい」

「IRTは被災国ないしは国際機関から要請を受けて24時間以内に出発することを目標に掲げているのにまだ検討中ですか」と畳み掛けると、

「外務省からの連絡待ちです」とうろたえながら答えてきた。

確かに、これがいつも私が問題にしている欠陥で、緊急援助隊を派遣するか否かの判断は外務省に多くが任されているのだ。それでも、外務省内に災害対策室なり専門職の人間がいればまだしも、被災国を担当する部署がその役を担うのだから災害対策にはシロート同然の人間に任せるようなもので、この時点で的確な判断が下されないことになる。

今回その任を担ったのが、中南米局のカリブ室だ。それも担当者は一人だと言う。だから午前10時くらいから電話をかけ続けてようやくつかまえたのが4時間半後であった。

○○と名乗る担当者はマスコミ対応に慣れていないのだろう。端から居丈高で、「昨夜の官房長官の会見以上のものはありませんよ。次の会見を待ってください」と突き放そうとする。彼に言わせれば、電話取材などとんでもないということのようだ。

冗談ではない。記者から電話取材の権利を取り上げるのは報道の自由を奪うのと同然だ。その辺りの話をして、私は彼に喰らいついた。

ところが、私の「消防救助隊の派遣をなぜ検討しなかったのか」「現地との連絡は取れているのか?」等の質問にも「当然検討している」「詳細を言う必要はないでしょう」と答えにもならない言い方をして、挙句の果ては、「やらなければならないことが転がっているのであなたとお話している時間はありません。これで電話を切らせて頂きます」と、慇懃無礼な言い方で電話を切った。

(中略)

彼の無礼な態度の裏には、事実上何もしていなかったことを指摘された後ろめたさがあったと私は思っている。

昨年9月30日に発生したスマトラ大地震の際は、珍しく速やかに出動した消防救助隊だが、あれはやはりその時の担当者の決断が的確だったというだけの話で、システム的に改善されたわけではなかった。
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米海兵隊のお仕事 大村移設案に見落とされていること

もう軍事のことを書くのはいやなんですけど、11日発売の「アエラ」(1月18日号)を読んで、また書かないわけにはいかなくなりました。軍事ジャーナリストの田岡俊次さんが、米海兵隊の大村移転には軍事的合理性がある、と書いているのです。わたしは、7日にそれと反対のことを書きました。もちろんわたしはしろうとです。しろうとの当て推量に過ぎません。

田岡さんの主張はこうです。

沖縄にとどまることになっている海兵隊は、1000人ほどの兵員とヘリ36機。これらは、佐世保にいる4隻の揚陸艦に乗って、「海外での戦乱や暴動、天災などの際、一時的に空港や港を確保して米国居留民を救出、避難させる任務を持つ」のだそうです。なのに、船とそれに乗る兵員やヘリがべつべつのところにあると、船がまず沖縄まで迎えに行って、兵員とヘリを乗せて目的地に向かうことになるので、その往復2日がロスになる、船と兵員とヘリが至近距離にいるのは合理的だ、というわけです。海自大村航空基地は佐世保港と35キロしか離れていず、しかも隣接して兵舎を建てるスペースもあるとのことです。訓練は、大分の日出生台(ひじうだい、佐世保から高速道路で200キロ)でやればいい、と田岡さんは言います。

わたしの7日の記事に関連づけて、ひとつ疑義を呈すれば、北朝鮮のミサイル飽和攻撃なんてありえないと考えるから、現にこのあたりに自衛隊も米軍も基地を集中させているし、もっと集中させよという意見も出るのではないでしょうか。「北のミサイル脅威」は目くらましです。もう確信しました。

佐世保や大村、そして日出生台周辺の人びとの負担は、とりあえず今は触れないでおきます。地元負担はどこでも深刻な問題ですから。そうではなく、米海兵隊についてだけ考えてみます。

田岡さんは、海兵隊の任務は、緊急時のアメリカ人の救出だ、と言います。具体的には、「ソウルでの戦乱や、上海、天津、青島などでの反政府の暴動、東京の震災」を挙げています。その任務は「日本防衛」ではない、ということは、多くの方がたと同じ認識です。でも、とわたしは考えます。海兵隊の任務はそれだけでしょうか。古くはベトナム戦争、近くはアフガン攻撃やイラク攻撃、海兵隊は沖縄から出撃していったのではなかったでしょうか。

そうだとしても、船・人・ヘリが常時集まっていることの軍事的合理性はゆるがないでしょう。わたしがひっかかるのは、田岡さんが、沖縄の海兵隊基地は実際には「海外任務」のための訓練と兵站と出撃という機能をもち続けているのに、それにはまったく触れないことです。

米海兵隊のために心配してあげるつもりはありませんが、ついでに書いておくと、日出生台でも訓練はできるでしょうが、なぜ米軍は沖縄本島北部の広大なヤンバルの森の訓練地を手放そうとせず、それどころか東村高江にヘリパッドを増設しようとしているかというと、世界最大のイスラム国、インドネシアのイスラム勢力との戦闘に備えているからです。どちらも亜熱帯の密林です。グワムの訓練基地に予定されている島は、亜熱帯です。対するに、日出生台はそうではありません。

辺野古の浜辺で座り込みを続けているおじい、おばあは、あの過酷な沖縄戦を知っています。「ここから出ていくアメリカ兵が、ああいうことをしているかと思うと、たまらないのよ、ここでそういう訓練をしてほしくないのよ」と、しぼり出すように語ってくださったおじいがいました。

その思いは、地上戦と原爆という違いはあっても、長崎の方がたも同じではないでしょうか。沖縄から給油機が行くことになっている岩国だって、旧日本軍にじゅうりんされたグワムだって、どこだって思いは同じではないでしょうか。

在日米軍の実際の主要な任務は、言うところの「不安定の弧」の端に陣取って、そこから出張っていくことにほかならないのです。イラクにしろアフガンにしろ、そんなことはおやめなさいと言うのが、「深化した同盟」(賛成しているわけではありません、無理してあえて言っています)のいっぽうの国が、「アメリカのために」できることだと、わたしは思います。どこかの国に攻め込むための基地を提供することではない、と。

そして、もしも田岡さんの言うように、海兵隊がこの地域の緊急時の米人救出のために「だけ」、沖縄その他にいるのなら、そのための地元の負担と「思いやり予算」は、いかになんでも見合わないのではないでしょうか。

それは、沖縄に限りません。空に目を転じると、きのう、羽田空港の新しい管制システムが不具合を起こしましたが、あれだって、米軍が首都圏をふくむ本州のど真ん中に、あれほど広い区域を占有していなければ、管制塔はもっとゆったりとコントロールでき、民間機はもっと安全に飛ぶことができるのです。このくにの空はいまだ占領状態にあると、わたしは受けとめています。

羽田空港と那覇空港では、飛行機がどこの空港に降りる時よりぐるりと大きく旋回して、いったん海に出ます。西からの羽田行きなど、富士山を見ながらずっと太平洋沿岸を東進して、そのまま羽田に接近すると思いきや、機首を南に向け、伊豆大島付近まで迂回して、銚子上空あたりから北西方向に羽田に向かいます。あれは、わたしたちが飛ぶことを許されている細い空域に入るためです。たいへんな燃料の無駄、時間の無駄を、わたしたちは過去60年以上、強いられています。全国の空で民間機の空域が広がれば、航空会社の収益や路線の採算点はかなり変わるはずです。

空には、地上の基地のようにフェンスが張り巡らされていないので、わたしたちが気づかないだけですが、太平洋から日本海まで、東京、神奈川、埼玉、山梨、長野、新潟の空の大きな部分は、アメリカ軍の飛行機しか飛んではいけないのです。わたしたちの空ではないのです。ああ、なんてお人好しなわたしたち。

話が逸れましたが、いったいなんのために、わたしたちはこんなにたくさんの土地や海や空を米軍に提供しなければならないのか、「同盟の深化」を言うのなら、まずそもそも論から話しあう必要があると思います。

かっかしてしまって、きょうは(も?)まとまりませんでした。あしからず。
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世界のどこか発・辺野古経由・世界中行き「世界がもし100人の村だったら」

辺野古のことならブログ辺野古浜通信と、以前にも書きました。ほんの数日チェックしていなかったら、こんなエントリーが。

昔話が、人から人へと伝わるうちにいろんなヴァリエーションを生むように、インターネット時代の民話(ネットロア)「100人村」は、媒体もさまざまに、今も姿を変えながら世界を漂っているのですね。

ふたつとも、すてきです。ご覧になったら、左の高江とジュゴンのふたつのネット署名、ぜひよろしくお願いします。

ところで辺野古浜通信さん、このエントリーはひょっとして、そろそろ辺野古に顔を出しなさいという、わたしへの指令ですか?
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「恐ろしいですね」と仲井真知事 「普天間は重要でない」とナイ教授

この連休に、平野官房長官が沖縄を訪れました。平野サンは、普天間基地問題に年末から本腰を入れるようになったそうで、4日には、「首相は黙っていてください。この問題は私に任せてほしい」と鳩山首相に言ったそうです(NIKKEI NET)。鳩山さんも負けてはいません。「県民の思いを官房長官に十分理解してもらうことがスタートラインだ」と、平野サンを送り出しました。鳩山さんの言うとおりです。沖縄の人びとの思いを知れば、選択の幅はおのずと狭まってくるでしょう。

ところがどうして。沖縄で「県内移設反対」「騒音どうにかしろ」「危険や米兵犯罪どうにかしろ」の大合唱に迎えられても、平野サンはめげません。仲井真知事に、「決断をお願いするかも」と、どきっとするような発言をしました。これをとらえて
日経は、まるで平野サンが引導を渡しに行ったかのような書きっぷりです。讀賣は、どうせ辺野古なのさ、という落ちをつけています。

この平野サンの発言に、仲井真知事は、「『正直言って「あれっ?」っていう感じだ。(政府は)県外移設を検討していると思っていた』と首をひねった」そうです(1月11日付東京新聞)。そして、平野サンにたいして口を突いて出たのが、「恐ろしいですね」でした。わかります、その気持ち。人の痛みがわからない人は恐ろしい。

平野サンは、事前に外交評論家・岡本行夫サンのレクチャーを受けたそうです。岡本サンが、寺島実郎さんに代わるかたちで鳩山さんにすり寄っているらしいことが気になっていましたが、さっそく心配が現実になりました。岡本サンのレクチャーが、平野サンの耳栓の役割を果たしたのかもしれない、と思うからです。

上司である鳩山さんには「黙っていてください」と言い、沖縄の人びとのことばはただ聞いたふりをして、平野という人はいったい誰の意を体して動いているのでしょうか。鳩山さんと、沖縄をはじめとする主権者ではないことは、この際、はっきりしました。この人に米軍基地問題なんて任せられないことも。

岡本サンは、アメリカの利益になることしかしないことで、外務省の主流を歩いていた元外交官ですが、そのアメリカの、泣く子は黙らないけれど外務省や自民党などの対米追従派は黙る「アーミテージ・リポート」、日米「同盟」の進化を迫るその第二弾の共同執筆者、ジョーゼフ・ナイ・ハーバード大名誉教授が、
1月6日付のニューヨークタイムズ紙にごく短い一文を寄せています(「個別の問題より同盟が大事」)。記事からは、アメリカでは、「日本、なんか問題あるみたいだけど、なんなの?」という程度の認識しかなく、ナイさんに解説を頼んだ、という印象が伝わってきます。そこでナイさんが言っているのは、だいたいこんなことです。

東京では、日米関係の危機なんて言ってるけど、米軍基地の移転が、過去のこんがらがったいきさつもあって頓挫しているだけだ。

10年以上前、わたしも関わった日本政府との交渉で、とくに危険な普天間基地を人口の少ない地域とグワムに移すことになった。ここへ来て日本には、沖縄の米軍基地の県外・国外移設を公約に掲げた鳩山政権が誕生した。ペンタゴンは、10年以上も死に体になっている従来案に戻れと、鳩山政権をせっついているが、狙いはそこにもりこまれた海兵隊の維持と引っ越しの費用だ


注目はここからです。

日本の新政権にはガツンと言ってやればいいんだ、と考える人びとがワシントンにいる。だが、それはおバカなやり方だ。鳩山政権は、アメリカからの圧力と、アメリカに譲歩したら連立を離脱すると脅す左翼政党の板挟みになっている。ここはしんぼう強く、りこうに立ち回るべきだ。

普天間なんて、何の価値もないし(it is worth noting)、新政権はほかにも、対等の同盟関係とか、中国とのいい関係とか、東アジア共同体とか、わけのわからないことを言い出している。今年は日米安保50年だが、基地問題でごたごたするとムードが悪くなるし、在日米軍基地をもっと減らさなければならなくなるかもしれない。とにかく、台頭する中国と核をちらつかせる北朝鮮が存在するこの地域の安全保障のためには、日本という気前のいいホスト国の援助(generous host nation support)で米軍が居続けるのがいちばんだ。

日本は、自分で結論を出せない時、暗黙のうちに『外圧(gaiatsu)』をかけてほしがるが、今回はそうではない。アメリカが新政権を見くびって日本人を怒らせたら、普天間を獲得してもその見返りはあまりにも大きい


ナイさんは、あくまでもアメリカの国益に立って、「角を矯(た)めて牛を殺すな」と言っているわけです。普天間なんて、無価値なんだそうです。日本は太っ腹なんだそうです。従来案にこだわるのは、お金のためなんだそうです。でも、新政権に外圧は通じないこと、日本のわたしたちを怒らせたらたいへんだということも含めて、これらの元国防次官補の認識は、あながち的外れではないのではないでしょうか。

ナイさんが携わった交渉のカウンターパートナーが、当時外務省北米局にいた岡本サンでした。岡本サンは今回、沖縄の米軍基地交渉に長年関わった、誰よりもこの問題にくわしい専門家として、平野サンにレクチャーしたそうです。ナイさんが一基地の存続にこだわるなと言っているのに、岡本サンはその県内移設にこだわっているらしい。この、当時の交渉の実務担当者同士の微妙な食い違いは、注目に値します。つまり、普天間基地を県内でたらい回しし、沖縄に集中させるかたちでなんとしても米軍を置いておきたいのは、アメリカではなくむしろ日本の一部の人びとに他ならない、ということだからです。

仲井真さん、こんど平野サンに会ったら、「怖いですね」ではなく、「怖いですよ」と言ってください。「沖縄を怒らせたら怖いですよ」と。岡田外相は、きょうハワイでクリントン長官と会うことになっていますが、岡田さんもクリントンさんに言ってください、「新政権、なめたらかんがぁ」って。

(「かんがぁ」は中部地方のことば、「いかん」の「い」が発音されないのでこうなります。「だめよ」という意味です)
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政治とお金 鳩山さんちと河野さんち

蒸し返すようで恐縮ですが、鳩山さんの年末の会見で、言わずもがなのことを、と思ったのは、「私腹を肥やしたり、不正な利益を得たという思いはない」という件(くだり)です。そんなことは、みんなわかっています。政治にはお金がかかるのです。全国どこへ行っても、きれいな政党のポスターが貼ってある。これだけでもたいへんな費用です。またたとえば、麻生サンが選挙をやるやると言ってなかなかやらなかった、その間、事務所を借りたりして、立候補予定者たちはお金を使い果たしたに違いありません。

立党ともなれば並大抵ではありません。河野太郎さんが言っています。

「(父の)河野洋平がいなければ新党をやっていたかもしれない。でも、河野洋平が新自由クラブの立ち上げでいろいろなものを売り払い、借金を重ね、数年前にようやく返し終わりましたという状況で…。親から月に1500万円ぐらいずつもらえる『鳩山太郎』だったら、すぐにでも新党をやるけどね」(
日経ビジネスONLINE インタビュー

新自由クラブは、1976年から86年までの10年間に、5回の国政選挙を経験しました。河野さんちの「持ち出し」も、ずいぶんと多かったことでしょう。河野さんちは、当時の法律に照らして適正に会計処理をしていたのでしょうが、ともあれこのように、政治家が私財をなげうつことはあるのです。

そもそも民主党は、鳩山兄弟それぞれが8億円ずつ出資して立ち上げた旧民主党なしにはありえません(あのときの会計処理は適切だったのでしょうか)。今だって、鳩山さんの政治資金は、鳩山さんがひとりで使っているわけではないでしょう。そこにぶら下がっている人は多いはずです。今回問われているのは、私財を投入することの是非ではありません。手続きの不備不正です。

また、「秘書が間違いを犯したら議員は辞職すべき」という野党時代の発言が蒸し返されていますが、このたび鳩山さんの言うように、本人は会計処理のことをまったく知らなかったのなら、あの「議員辞職すべき」発言をしたときに、会計責任者はなぜ、「じつはうちも」と鳩山さんに教えてあげなかったのでしょう。そうしていれば、そのときに不適切な処理を正すこともできたでしょうに。あるいは、虚偽記載が発言以後なら、鳩山さんは、自分の政治信条を理解しない人に会計を任せていたことになります。危機管理の甘さは、責められてしかるべきだと思います。

とにかく、頭の痛い問題です。鳩山さんちのお金がなければ、わたしたちは政権交代を経験できなかったかもしれないなんて。でも、わたしたちの民意はお金で買われたものではありません。もういいかげん、自民党の政権がいやになったのです。その受け皿として、民主党に期待をかけたのです。ですから、政治資金問題を起こした鳩山政権にイエローカードは出すけれど、レッドカードを出して自民党に政権を戻したいとは思えません。だから、頭を抱えるのです。

手続きの問題にせよ、法律をつくる立場にいながら、立法の精神に悖(もと)るようなことをしたらしい政治家を選んだわたしたちは、知らない間に清濁併せ飲まされてしまいました。心からよしとはしないけれど、そういうことだったとした上で、ではこれから政治に、もうすぐ開かれる国会に何を望むかです。鳩山さんちのお母さまを参考人として引っ張り出せ、と思っている人はあまりいないのではないでしょうか。万が一そんなことになったなら、質問に立つ議員さんは、次の選挙でかならず票を減らすでしょう。すくなくともわたしは、高齢の女性が衆人環視の中で問い詰められる図など、見たいとは思いません。だいいち、時間のむだです。その間、喫緊の問題は待っていてはくれません。

そうではなく、きちんとした予算審議です。マニフェストと現実にへだたりがあるのなら、納得のいくまで説明をしてほしい。わたしたちは聞く耳を持っています。とくに鳩山さん、あなたから聞きたいのは、すべての選挙区から普天間基地の県内移設反対を掲げる議員を国会に送った沖縄の民意は、「国民の厳粛な信託」(憲法前文)によって国政を任じられた者にとってなによりも重い、もちろん前政権がアメリカの前政権と交わした約束よりも重い、という宣誓のことばです。

そして、どんな将来がわたしたちに可能なのか、CO2を25%カットしながら新しい雇用を生みだしていく環境経済や、ありうべき年金システムや子育て支援社会への道筋を高らかに示してほしい、それが有権者の期待だと、わたしは思います。連日、マスメディアがどんなに政権弱体化を狙った報道をしようが、旧態依然の自民党の顔ぶれがまた政権に返り咲くのか、と想像する時、寒波に見舞われていない地域の人でも、「悪い冗談やめてよ」と、思わずぶるぶるっと悪寒に襲われるのではないでしょうか。

鳩山家の先祖は、岡山県の勝山(真庭市)の出です。去年行った時、かつて鳩山兄弟が、秘書も連れずにふたりだけでお墓参りに来た、という話を聞きました。お母さまの命令だったそうです。すでに兄弟の仲が険悪になっていた頃でした。そのことに心傷めたお母さまが、ふたりで政界を離れて話をする機会をつくったのでしょう。鳩山さんちのお母さまは、大金持ちでもなにかと心労の多い人生を割り振られている方なのだなあと、同情を禁じ得ませんでした。
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11分ください 何が西松「事件」を構成しているのかわかります

郷原信郎さんは、元検事の弁護士さんです。企業のコンプライアンスを、ただ法律を守るだけでなく、社会的な道義責任を果たすこととより広くより重く定義づけて、多くの企業から厚い信頼を集めています。

その郷原さんが、去年の暮れに開かれた大久保さんの政治資金規正法違反初公判について語っていることを、ぜひ聞いていただきたいのです。去年、ご紹介するつもりが、取り紛れてしまいました。

しろうと目には、まるでアメリカの司法取引のようなことが西松側の裁判で行われ、しかもそこで否定されたことまでもが、大久保さん側の罪状として挙げられています。メディアがさかんにあげつらっているのはその部分です。司法の立場からすると、これは犯罪を構成し得ないということを、郷原さんがわかりやすく語っています。以前このブログで取り上げた佐藤元福島県知事の「
無形の犯罪」に限りなく近いケースだと思います。

そのときに引用したのと同じ、ビデオニュース・ドットコムがことの重大性にかんがみ無料配信している11分のインタビューです。
こちらからどうぞ。時間の許す方は、大久保さんが逮捕された去年3月の郷原さんのインタビューもぜひ。こちらは17分です。

今はもう、西松事件は公判中にもかかわらず既成の犯罪とされて、小沢一郎さんをめぐる話題は、これを踏まえたかたちで、土地購入疑惑に移っています。ある政治家をひきずり降ろそうとする、典型的な筋書きです。

でも、10日の「サンデープロジェクト」(テレビ朝日系列)では、出演した郷原さんが、小沢さんからの借り入れ4億円が記載されている民主党の2004年の収支報告の官報を示し、司会者が「ええっ!」とあわてる、という一幕がありました。「収支報告書に記載なし」と繰り返し報じてきたメディアは、官報すら確認していなかったことがバレてしまいました。

官報、ネットにちゃんとありました。このページのいちばん右の欄が陸山会で、10数行目の「借入金」のところに「小澤 一郎 400,000,000」って。そして陸山会は、05年と06年に2億円ずつ小沢さんに返しているんですよね。家を買う時、親からつなぎに借りて、融資が出たらすぐ返す、ということはよくありますが、そんなことなのかな、と思いました。

「重要なのは、あの4億円の中にはゼネコンからの1億円が入っていたに決まってる、と無責任な当て推量をすることではなく、どういう4億円なのか、政治家小沢一郎にたいし有権者に納得のいく説明を求めることだ」という、郷原さん、渡部恒雄さん、弁護士でもある枝野新首相補佐官の意見に、新聞社所属のコメンテーターたちはたじたじでした(渡部さんは、中継で出演していたお父さまの恒三さんが、「小沢さんは政治家としてけじめをつけ、役職を降りるべき」と主張するのにたいし、政治とお金の関係は永遠不滅です、みたいなニヒリズムというかリアリズムを主張して、対照的で面白い親子だなあと思いました)。

10日の東京新聞は、「4億円は小沢さんの相続遺産」と、石川知裕議員が東京地検特捜部に説明している、と報じました(web版には載っていません)。同じことを共同通信は「小沢さんのたんす預金」とし、ゼネコンとのつながりを併記して疑惑を深める書き方をしています。いずれも検察リークと見てよく、それ自体は感心したことではありませんが、それにしても、同じ材料をここまで違うニュアンスに仕立てることができるのですね。取材、材を取るとはよく言ったものです。「自然はガチョウだ、問題はこれをどう料理するかだ」(ゲーテ)……すみません、独文やってるもので。

他のメディアがどう報じているのか、ネットでは確認できませんが、これまでマスメディアが「記載されず」と、まるで逆の情報を洪水のように流してきたこの「記載はあった」という事実、これからメディアでどう扱われていくのか、注視したいと思います。

とにかく、これらの郷原さんのインタビューをご覧になれば、民主党連立政権をなんとしても阻もうとし、政権成立後もその政治力を殺(そ)ごうとしている勢力が東京地検特捜部に存在して、公務員としてしてはならないリークを連発し、マスメディアは官報で裏もとらずにそればかり報道してきた、という図式がきわめて鮮明に浮きあがると思います。
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「小国のエリート」

2日に、ドラマ「坂の上の雲」に出てくる、肩いからせた小国のエリートについて書きました。書きながら、思い出していたことがあります。

今から30年ちょっと前、旧西ドイツに留学しました。その頃のその大学では、教授が担当するゼミはじつに権威的でした。ロ(ろ)の字型に並んだ机の、正面には教授をまん中に助教授や助手がその両脇を固め、縦の列には研究生、院生、学部生が学年順に居並び、わたしたち留学生は教授たちと対面する下座にかたまって、ただ臨席させていただく、という感じでした。助教授でも、教授に指名されると、緊張して発言していました。

ゼミでは、毎回ひとりの学生の発表を聞いて討論をします。わたしにとっては、これが終わったら旅行に出て帰国、という最後のゼミでのことです。発表した男子学生のドイツ語がひとことも聞き取れません。あれれ、これが2年のドイツ生活、1年半の学生生活の成果か、と内心当惑していたら、発表が終わるのを待って、教授が言いました。

「一般的な議論に入る前に訊きたい、あなたはどこの出身ですか?」

どこか山の奥だったと思います。それを聞いて、わたしはほっとしました。あまりにきつい地域語で、教授にもわかりにくかったんだ、と。

ゼミが終わると、三々五々カフェテラスに移動します。だいたい、日本人は韓国人と仲良くなりますが、いつもいっしょに行動している韓国の男子留学生が、なかなか席を立とうとしません。

「どうしたの? カフェテラス、行こうよ」とわたしたち日本人が声をかけると、かれの広げたノートにぼたぼたっと、ほんとうにぼたぼたっと大粒の涙が滴り落ちました。「どうしたの? 何かあったの?」わたしたちが尋ねると、かれは言いました。

「きょうの発表、ひとこともわからなかった」

わたしたちは拍子抜けしました。「なあんだ、そんなことかよ! 教授がわからなかったんだよ、おれたちにわかるわけないじゃないか」日本からの留学生たちは、口々にそんな声をかけましたが、かれにはちっとも慰めにならなかったようでした。

かれは両班(ヤンバン)の家の人で、確か全羅南道(チョルラナンドウ)出身でした。郷土の名門の息子が国家を背負ってドイツに学びに来ている、たかがドイツ文学なのに、ここまで思い詰めて、とその背中を見下ろしながら、わたしは森林太郎(鴎外)のドイツ留学についてのエッセイを思い出していました。林太郎はきっとこんな意気込みで、ささいなことでもドイツ人にばかにされたと受けとめて、なにくそで勉強したんだろうなあ、ぜったいにドイツ語の聞き間違いや言い間違いをすまいと、緊張しきって過ごしていたんだろうなあ、と。

金(キム)さん、今ごろどうしているでしょう。大学の先生になって、もうそろそろ定年を迎えているのでしょうか。いつも日本人といっしょに行動するくせに、なにかというと35年の日本支配を持ち出して、わたしたちにつっかかっていたっけ。もうひとりの韓国からの女子留学生はソウルの人で、当時の韓国の軍政に反対の、政治的信念をもつ人でしたが、感覚的にはわたしたちとさほどへだたりがありませんでした。すぐに激する金さんを、しらっとした目で見ていました。韓国では、都市と農村でかなりの文化的思想的な違いがあるのかなあ、と思いました。今はいざ知らず、当時はそう思いました。

金さんはきりっとした、いい面構えをしていました。それに較べて、日本人はふやけた顔をしている、と思いました。わたしたち当時の日本の留学生は、国家など背負っていませんでした。そういう意味では、お気楽なものでした。それぞれの知的関心のおもむくままに、ドイツで勉強することを選んだのでした。例外はありましたが、おおかたは金君のような悲壮感なんて、薬にしたくてもありませんでした。若者の面構えがいいのは、その国がけっしてうまくはいっていない証左なのかも知れないと、その時わたしは本気で考えたものです。

そして今、韓国の若者の「面構え」、どうでしょうか。たとえば日本でも人気の高い俳優さんたち、ハンサムですが、あの金君のひりひりするような、切ないほどの悲壮感は……望むべくもないと思います。軍政の時代に比べて、韓国は今、いい時代を迎えているのではないでしょうか。
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今、中台は何を争っているか これでおしまい「軍事非常識入門」

おととい、米海兵隊大村移設案に反応して、「ありえないー!」という記事を書き、その流れできのうはミサイル防衛のばかばかしさを書きました。それでついでに、領土問題や周辺有事の可能性についても、軍事のさっぱりわからないわたしが「理解」していることを書いておきます。

台湾海峡有事と言えば、1958年金門島の砲撃戦です。金門島は中華民国に属しますが、それから20年、中国はこの島に、正確には島の山奥に大砲を撃ち続けました。人のいないところを狙ったのです。撃つ日も、月水金と決まっていました。金門島の名産は金門菜刀ですが、その材料は大陸から撃ち込まれた砲弾です。火木土日は弾拾い、月水金は刀打ち……まさか。「すべての武器を楽器に」というスローガンがありますが、「すべての砲弾を中華包丁に」というわけです。なんだか拍子抜け。

大砲が届くのですから、金門島は中国大陸のすぐそばです。2キロぐらいしか離れていません。台湾からは300から400キロも離れています。もしも台湾海峡有事が起これば、この金門島は重要な軍事拠点になります。それで、戦車を阻むために、砂浜には無数の鉄道レールが地中深く斜めに埋め込まれていました。いました、と言うのは、去年取り払われてしまったからです。夏に、金門島と中国のアモイを結ぶ遠泳大会が開かれたためです。地雷の撤去も順調に進んでいるそうです。

金門島はいまや国立公園として、台湾だけでなく中国からもたくさんの観光客が訪れていっしょに遊ぶリゾート地です。中国の開放経済が始まった時、いちばんに入って投資し、事業を起こしたのは台湾の人びとでした。そして、それはうまくいっています。戦争などになったら、すべてはおじゃん。戦争を望む人はごくごく少数でしょう。

ですから、一朝事あれば58年の時のように、第7艦隊や海兵隊がこの地域に出張っていくために、米軍は日本に基地を置く必要がある、のではないのです。中台の緊張を言いたがる人には、あまり面白くないかもしれませんが、中台有事なんて昔の話。万が一そんなことになったら、アメリカは台湾を「守りません」。自国の国債をもっともたくさんもっている中国を敵に回すなど、できません。そして今、中台が争っているのは、領土でも主権でもなく、遠泳大会の優勝です。

でも、日本と中国とのあいだには尖閣諸島や海底ガス田の問題がある、と言う人もいるでしょう。だから自衛力増強だ、と。でも、領土問題なら韓国とのあいだにある竹島(独島)問題のことを言いたがる人もいます。ところが、そっちのために軍備増強をという話を聞かないのはおかしなことです。ボスが共通でも、「子分」同士が衝突することは、可能性としてはあるでしょうに。

「北方領土」問題にしろ、すべては外交でしか解決できないし、どの国もそのつもりです。どこかの国でときおり世論の一隅が噴き上がっても、おおかたの人びとも政府も、事を荒立てようとはしません。そんなものです。ここにも軍事の出番はありません。すくなくとも、アメリカの軍事プレゼンスなんて不要です。12月20日に書いたように、ゲイツ米国防長官だって、この地域の軍事的脅威は深刻ではないと認めてしまいました。かくなるうえは、米海兵隊にはグワムでもなく、アメリカ本土にお引き取り願って、アメリカ政府の財政負担を軽くする方向に後押ししてあげるのがいちばんだと、わたしは思います。
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ミサイル防衛の軍事的合理性?

きのうに続いて、「わたしには常識がないので、少々情報をかい撫でしたぐらいでは理解できない、あるいはこういう理解になってしまう軍事問題」です。

このくには、北朝鮮のミサイル攻撃に備えるとして、ミサイル防衛(MD)システムを構築しています。MDは、発射の時刻も発射地点も斜角もわかっている昼の晴れた日の実験をふくめても、命中率60%ぐらいだったでしょうか。まるで頼りにならないしろものです。でも軍人は、実戦で1発でも当たれば成功と考えるそうです。おいおい……。

しかも、今のところ、いっぺんに10数発なら迎撃しようとすることはできる、というレベルです。つまり、それプラス1発が飛んできたら、あとの10数発が奇跡的に命中したとしてもどのみちお手上げということです。そんなことは、ミサイル攻撃をするなら、誰だって考えたうえで撃ってくるでしょう。飽和攻撃と言うのだそうです。それに対処するには、もっとたくさんのMDを用意するしかないのだそうです。それを突破するために、攻撃側はもっとたくさんのミサイルをいっぺんに撃つことにするのだそうです。きのう書いたように、北朝鮮の実戦配備されたノドンミサイルは、200から300発、あるいはそれ以上です。それに対抗するには、どれだけMDの網の目を細かくすればいいやら。ちょっとばかげていませんか。そういうエスカレートする「抑止」のばかばかしさは、冷戦時代の核軍備競争で経験済みです。

このMDシステム、段取りとしてはまず海上のイージス艦から撃って、落とし損なったら、地上を移動させる車輌に乗せたPAC3で迎撃するのだそうです。でも、PAC3をどこに持っていくべきかは、あらかじめそんなにはっきりわかっているわけではないのですよね。そして、ミサイルは発射から10分前後で着弾するんですよね。PAC3だけではだめっぽいので、将来は3段構えにするのだそうです。軍事衛星をどんどん打ち上げ、レーダーもあちこちにつくるのだそうです……ちょっとどころか、ものすごくばかげていませんか。

なにしろ、MDには莫大なお金がかかるのです。こんなのを大まじめに考えているのは、日本と、日本のお金をあてにしているアメリカだけです。「北朝鮮のミサイルから国民の命を守る」と言うのなら、MDにかけるお金、つまり軍需産業に行くお金の何十分の一、何百分の一、もしかしたら何千分の一、何万分の一を北朝鮮支援につかって、体制が内側から変わることを目指したほうが理にかなっていないでしょうか。

ミサイルは、核弾道ミサイルとなったときが怖いのです。でも、このくにを核攻撃するには、ミサイルに核兵器など搭載する必要はありません。ただのミサイルで、日本海側にずらりと並んだ原発を狙えばいい。刈羽原発の現場監督だった方にうかがいましたが、原発の屋根って、ぺらぺらなんだそうです。ぺらっぺら。空からの脅威なんてまったく考えていない。まあ、考えたとしても、ミサイルには対処できないでしょうけど。そんなものを、さあどうぞ攻撃してくださいとばかりに、何十年ものあいだ、日本海側にせっせとつくってきたこのくには、じつはとっくの昔から、彼(か)のくにの攻撃なんてありえない、という「合理性」を前提にしてきたとしか考えられません。

あるいは、「原発ミサイル攻撃はあるかもしれない、人がたくさん死ぬかも知れない、でも知ったこっちゃない、だからそんなことは言わぬが花なのだ」としてきたのなら、このくにこそが、彼のくにも顔負けの、人命軽視の非合理な運営をされてきたことになります。そのいっぽうで、「北は怖いぞ」とわたしたちを脅し、「防衛とは常に最悪の事態を想定して危機管理にあたることだ、だからもっと軍備を増強する必要がある」と、わたしたちに吹きこんできたのです。もう、めちゃくちゃ。

わたしたちのアタマを幻想でぱんぱんに脹らませている北朝鮮のミサイル脅威論に、軍産共同体はほくほくなのではないでしょうか。ねえ、金正日サン、あなた、アメリカと日本の軍需産業からお小遣いもらってない?

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「抑止のための米海兵隊大村基地」の軍事的合理性?

蓮池透さんとの対談でも、このブログのどこかでも言ったのですが、わたしたち市民は生活するのに忙しいのです。軍事のことを考える暇はありません。けれど、それがわたしたちの生活を脅かすとなると、いやでも考えざるをえません。

ところが、考えようとしても知識がありません。いきおい、メディアの諸説を受け入れることになります。もしもそこに、必要十分な情報が提供されていなかったら、もしもある意図によるバイヤスのかかった見方があふれていたら。わたしたちは、いつでも過去の過ちを犯し、好戦的な方向に駆り立てられる危険があります。今は「大本営発表」ではないのだからそんなことはない、なんて言えないと思います。「大本営」の側も、先般の失敗から学んで巧妙になっているでしょうから。危機を煽ることで売り上げを伸ばそうとするマスメディアの体質は、完全に過去のものとは言い難いでしょうから。

こんなことを考えるのは、米海兵隊普天間基地の県外移設先候補として、長崎県が挙がっているからです。今このくににとっての軍事的脅威は、合理的に考えるなら、ない、と思います。ロシアと中国とは、ともに経済圏をつくってやっていく間柄です。攻撃し合うなんて、互いに損です。残るは北朝鮮ですが、これも合理的に考えれば、日本を攻めるのは大損です。あちらの体制が滅亡しますから。

けれど、軍事的脅威を言いたい人びとは主張します。北朝鮮に限っては、非合理な動機で弾道ミサイルを撃ったり、海から潜入したりするかも知れない、と。でも、理にかなっていないことをするにも、それなりの理由があるでしょう。それは、こちらが彼(か)のくにをそこまで追い詰めたばあいです。こちらの外交の失敗です。

ですから、政府にちゃんとした外交をさせることがすべてなのですが、百歩も千歩も譲って、合理に基づかない軍事的脅威について考えてみます。喧伝されているのは、まずはミサイルですが、北朝鮮は短距離弾道ミサイルノドンを200基から、ことによったら300基以上、実戦配備していると言われます。射程距離は1000〜1300キロ、列島をほぼカバーし、沖縄はぎりぎり届くか届かないかです。中長距離のテポドンの実戦配備はまだのようです。

米海兵隊は、海と空から戦場に急行する部隊なので、ミサイルに対処するものではありません。軍事的脅威やそれへの抑止を言い募る人びとがもっともあげつらいたがる「ミサイルの脅威」には、無関係なのです。ただし、ミサイルの標的にはなります。それを、北朝鮮から見て沖縄より近く、より狙いやすい長崎にもっていくことに、どういう軍事的合理性があるのでしょうか。ミサイル戦の緒戦で全滅するのが落ちではないでしょうか。

それやこれやで、普天間基地の沖縄県内移設の可能性が限りなくゼロに近づいた今、代わりに浮上した長崎など国内のどこかに移すという話は、軍事的合理性とは無関係のなんらかの思惑で、米海兵隊にぜんぶグワムに行かれては困る、かっこだけでもとどまってほしいということだとしか、考えられないのです。違います? 違うんだったら、どなたかこのド素人に教えてください。
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アラ還は語る

きのう、全労済サイトからのアクセスがあることに気がつきました。そう言えば、去年の秋にインタビューを受け、元旦公開と聞いていました。なのに、忘れていたのです。でも、シリーズ名「アラ還を生きる」に免じて、早々に自分を許してしまいました。はい、昨年末に61歳になりました。物忘れが多くなるのも道理と、開き直っています。

シリーズには、高校のクラスメイト『黙っていられない』鎌田實さんも登場しています。インタビューに来られた方に、「カマタクンのご推挽?」と尋ねました。カマタクンは、過去、メディアにわたしの名前を出した前歴があるからです。「いえ、今回はそういうわけでは」とのことでした。

 

 

 

 


(鎌田實さんとの往復書簡集『黙っていられない いのちと平和を考える18通の往復書簡』)


全労済のインタビューでは、主に翻訳の仕事について語っています。「これからやろうとしていること」、言わされてしまいました。こうなったら、もう後戻りはできません。もっとも、後戻りなんてとっくにできない状況です。ある方が、解説をふたつ返事で引き受けてくださっていますので。

文中の『夜と霧』の前訳者、霜山徳爾先生は、昨年10月7日に90歳の天寿を全うされました。ガンと10数年、共存なさった晩年でした。なのに、『夜と霧』の翻訳に難渋しているわたしに、いつも「あなた、おからだだいじょうぶですか?」と、労ってくださいました。イラク戦争反対への賛同をお願いすると、「僕の名前でよかったら、なんでもお使いなさい」。ノブリス・オブリージュそのもののような方でした。

写真、けっこう気に入っています。お願いして借用し、このブログの写真と入れ替えようかと企み中です。なにしろ、今使っている写真は、4年ほど前の古いものだからです。インタビューのタイトルは「世界はシンプルだということを伝えたい」。そんなこと言ったっけ、なのですが、こちらからどうぞ。

ついでに書いておきます。このインタビューもあります。こちらは、20代を語っています。やってきたインタビュアーは、よく知っている人でした。息子だったのです。名詞を見たら、なんと鎌仲ひとみ監督と同じ会社。フリーランスなのですが、ここの仕事もやらせてもらっていることを、その時初めて知りました。実の息子に、改まって恥多き若い頃のことを語るなんて、お互いやりにくいったらありませんでした。でも、幸せでした。

さらについでに書いておきます。あとふたりの息子は、大学在学中にわたしの授業を聞いてくれました。その時も、わたしは内心、幸せで舞い上がっていました。すべてはこの日のためにあったのか、と思ったほどでした。ごめんね、朝も夜も、あなたが家にいる時間帯に机にかじりついていたのは、あるいは朝、寝ぼけ顔で「行ってらっしゃい」なんて言っていたのは、こういうことをやっていたからなのよ、と心の中で叫んでいました。

ひとりは、当時教えに行っていた大学に通っていたからです。じつに複雑な顔をして、最後列に座っていました。もうひとりが通っていた大学では、教えていませんでした。息子が構造言語学の担当教師に、「母がおなじようなことをやっている」と言ったら、「では一度、ゲストスピーカーに」ということになったのです。わたしは当時、言語学ではなく、昔話の構造分析をしていました。息子は、わたしがやっていることに無関心のようで、ちゃんと見ていたのだと、喜んでお受けしたところ、「授業は英語で」と言う。そんなこと、できるわけがありません。入試要項を引っ張り出して隅から隅まで読み、「日本語か英語ができれば全単位修得可」という文言を見つけ、なんとか日本語でやらせてもらいました。

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クウェートに何をしに行ったか 外務省だっていいことをしている

「去年クウェートに行ったそうだが、何をしに行ったのか」という複数のお問い合わせをいただきました。「イスラム世界との文明間対話セミナー」という外務省の催しに参加したのです。2001年に企画され、翌年始まって、イスラムのあちこちの国で開催されて、このときが第7回でした。反戦反核でいろいろごいっしょする岡本三夫さんも、15人のメンバーのおひとりでした。

2001年という日付は重要です。偶然とは言え、911が起きた年ですから。ハンティントンの『文明の衝突』が予言の書として、衝撃とともにあがめたてまつられ、アメリカを盟主とするキリスト教世界がイスラム世界と対立するのは歴史の必然という、荒唐無稽で通俗な説がまかり通り、「反テロ戦争」を正当化しました(わたしは「ハンチントンチンカン史観」と名付けていました)。

そんなとき日本は、「文明間は衝突ではない、対話だ」と打ち出したのです。旗幟鮮明です。こういうことを「ショウ・ザ・フラッグ」と言うのです。ちょっといいどころか、すごい話ではないでしょうか。アニミズムもクニツカミもアマツカミも道教も仏教も、対立させずに並立させてしまうこの列島の伝統的な発想を、現代の国際社会に活かそうとしたとも言える、すばらしい発想です。

小泉政権はアメリカの戦争に加担していきましたが、そうした外交の表層の流れの深いところには、別の流れがあったのです。まともな外交を積み重ねていこう、という流れが。セミナーを提唱したのは、
河野洋平外務大臣(当時)でした。その後、当時の与党にいながらアメリカのイラク攻撃に反対したのは、イスラム世界と敵対してはならないという、強い信念に基づいたことだったのだ、と知りました。中心的ブレーンは板垣雄三さんと加藤博さんのようで、この企画にふさわしい顔ぶれだと思います。

じつは、セミナーへのお誘いは去年が初めてではありませんでした。04年にテヘラン、05年にチュニスで開かれた時にも声がかかりました。けれど、2度とも外務省の打診は1カ月ちょっと前、残念ながら予定はすでに埋まっていました。とくにチュニス・セミナーは残念でした。提唱者の河野洋平さんが衆議院議長として同行し、さらには「親父の肝臓が心配」とのことで、
河野太郎さんが自費で(!)参加することになっていたからです。新聞の「議長日程」に、国立博物館視察、などとあるのを見て、わたしも河野親子といっしょにカルタゴの遺物を見ていたかもしれない、とため息をつきました。でも、小学校と高校の講演をキャンセルすることは、どうしても気持ちが許しませんでした。

04年に初めて外務省から打診されたとき、反射的に言ったことがあります。「わたしなんぞ連れていったら、『政府の方針に反して、日本人の70%はイラク戦争に反対だ』って言いますよ」「そういうことを言っていただきたいのです」というのが、外務省中東二課の担当者の答えでした。わたしは、なるほど、事態がどう動いてもいいように、二の矢三の矢で担保しておくのが外交なのだ、と納得しました。

わたしは、このブログでさんざん外務省を批判しています。なにごとも十把一絡げに批判するのはよくないとはわかっているのですが、ついそうなってしまう。わたしが批判するのは、正確には外務省の主流とされている北米局と条約局です。ほかの部署にはきちんと仕事をしている人びとがいることを、当たり前ですが、ここに書いておきます。

とは言え、このセミナーにも、ぎょっとすることがありました。関空・ドバイは、豪華な個室があることで有名なエミレーツ航空を利用するのですが、わたしたちセミナー参加者のチケットは、なんとエグゼクティヴクラス、往復で60ン万円だったのです。普通運賃だと思います。半券は外務省に提出してしまいましたが、写真に撮っておけばよかった。随行の外務省職員2人はエコノミーでした。よっぽど、「わたしもエコノミーでいいから、自分で格安チケットを買うから、差額をちょうだい!」と言いたかった。言ったとしたら問題発言ですけど、気持ちとしてはそうでした。これ、ぜひこんど事業仕分けしてほしいと思います。目的はいいけれど費用のかけ方に疑問がある案件の典型だと思います。

後ろめたいと思ったら、それはすべきことではないのです。すぐに思い知らされました。関空に降り立った時、エコノミーのほうから出てきた西谷文和さんとばったり会ったのです。「いけださーん、おなし飛行機やったんですねぇ、イラク取材してきたんですよぉ、劣化ウランのエグイ写真、ようさん撮れましたぁ!」大声で叫ぶカメラマン・ジャケットの精悍な大男とハグするわたしを、セミナー御一行様は文字通り一歩引いて見ていました。西谷さん、疲れているだろうにエコノミーで、こちらはらくちんエグゼクティヴ……わたしはなにも言えませんでした。
 
クウェートで考えたことはいろいろあります。また機会があったら書こうと思いますが、とりあえずなにをしゃべったか、日本語原稿を載せておきます。スピーチはもちろん英語、生まれて初めて、英語で演説しました。


わたしはドイツ語の翻訳者ですが、民話の研究もしています。それで、イスラムというとまず「アラビアンナイト」を思い浮かべます。あのみごとな伝承文学のアンソロジーのなかでわたしがとくに惹かれるのは、イスラム教徒もユダヤ教徒もキリスト教徒も出てくる笑い話、「仕立て屋とムスリムとユダヤ教徒とキリスト教徒」です。日本の江戸時代に成立した落語という話芸に通じるものがあるからですが、なによりもそれがイスラムの宗教的寛容の伝統と、成熟した都市文化を物語っているからです。

今日は、7年前に出版したささやかな絵本について、お話しします。

2001年9月11日、アメリカで大惨事が起こり、世界は衝撃を受けました。すぐにアメリカ政府は、容疑者をかくまっているアフガニスタンを報復攻撃する、と主張しました。日本の多くの市民は驚きました。アメリカには心から同情するし、日本人もたくさん亡くなっているので怒りと悲しみは深い、けれど容疑者が犯人と決まったわけでも、事件とアフガニスタンのつながりがはっきりしたわけでもない、なのに攻撃されたら、アフガニスタンの人びとはとんでもない被害をこうむる、それは正しいことなのか──それが、一般的な市民の受け止め方でした。
 
911直後から、東京では毎週日曜日にピースウォーク、平和をうったえながら街を歩くということが繰り返されました。日本の市民はおとなしいのです。街頭でデモンストレーションするのは、少数の人びとです。けれどこのときは、「アフガニスタンの人びとを傷つけてはだめ」と、多くの市民が声を上げました。日本の市民は、それまではあまり知らなかったアフガニスタンという国の人びとを、突然まるでわがことのように感じたのです。わたしも、生まれて初めてデモに参加しました。
 
ついでに申しますと、2003年3月8日に開かれたイラク攻撃反対の集まりに、東京では4万人、日本全国では合計5万人が参加しました。当時、世界の各地では、くりかえし何十万人、何百万人の市民が集まりましたが、それに比べると日本の数字はとても少ない。でも、何度も申しますが、日本人はおとなしいのです。デモなどめったにしません。東京でこんなに大きなデモが行われたのは、30年ぶりでした。おとなしい日本の市民が、遠い国の人びとのことを心配して、東京の商業の中心、銀座の大通りを何時間も埋め尽くしました。その手には、ケフィーヤやスカーフを被ってほほえむ人びとの写真に「Do you bomb them?」と書いたプラカードがありました。当時は70%以上の日本の市民が、イラクをいますぐ攻撃することに反対していました。
 
そろそろ絵本の話をしましょう。絵本『世界がもし100人の村だったら』は、2001年の12月に出て、140万部を超えるベストセラーになりました。また、韓国、フランス、中国、台湾、スペイン、タイで翻訳出版されました。
 
絵本のテクストは、英語のチェーンメールを書き換えたものです。このチェーンメールは、911のあと、日本で爆発的に広まりました。当時の人びとの心をつかんだのです。
 
ふつう、チェーンメールの原作者は誰だか分かりませんが、このチェーンメールの原案者は分かっています。それは、地球規模の環境問題を提起した『成長の限界』の共同執筆者の1人、環境学者のドネラ・メドウズです。彼女が1990年5月30日付のアメリカの新聞に発表した「村の現状報告」を、スタンフォード大学のハーター教授が20人ほどの友人にメールで送ったのが、このチェーンメールの旅立ちです。
 
「村の現状報告」のおもなテーマは環境問題です。ドネラ・メドウズは、最大の環境破壊は核戦争だと考えていました。64年前、世界には3発の核兵器がありました。1発は実験のためにアメリカの砂漠で爆破され、あとの2発が広島と長崎に落とされました。今あるのは、分かっているだけで27,250発です。それがどれほどすさまじい数なのか、これから音と映像で感じていただきます。橋本功という、日本の現代アート作家の「OVERKILLED」です。

(上映2分)

この作品は、今年のCTBT発効促進会議で紹介される予定です。アメリカのオバマ大統領は、米ロで80%の核兵器を削減しようと提言しました。それが実現すれば、核兵器廃絶への大きな一歩となるでしょう。地上からすべての核兵器をなくすことを国是としている日本の市民として、このなりゆきは大いに注目したいと思います。
 
再び絵本に戻ります。この絵本は、当時アメリカの攻撃が迫っていたアフガニスタンで長年医療奉仕をし、井戸を掘り、農業用灌漑用水を作っている日本のNGO、ペシャワール会に印税を寄付したいと思って出版しました。印税から税金を払った残りの4000万円ほどを、ペシャワール会をはじめさまざまな草の根のNGOに使っていただいています。その後、絵本は国連の協力を得て、さまざまなテーマを取り上げる5冊のシリーズとなりました。
 
『世界がもし100人の村だったら』は、1人の作者の作品ではありません。原案者、メールを少し変えた人、そのまま転送した人……関わった1人1人すべてが作者です。世界のさまざまな人びとの気持ちを吸収してできあがったこの現代の民話は、現代のグローバルな意識を表現しています。最も重要なのは、次の箇所だろうと思います。

「いろいろな人がいるこの村では、あなたとは違う人を理解すること、相手をあるがままに受け入れること、そしてなにより、そういうことを知ることがとても大切です」
 
911後、わたしたち日本の市民も改めてそのとおりだと考え、これまではどちらかというと遠い存在だったイスラム世界の人びとのために涙を流し、各人がさまざまなことをし始めました。
 
もとより日本の市民は平和を愛し、みずからが血を流すことだけでなく、誰かが血を流すことにも大きな拒否反応をしめします。この、第二次世界大戦後、戦争を放棄した憲法のもとで培われた日本の市民の平和の思想は、世界のなかでもっと大きな役割を果たすべきだし、果たすことができると思います。先日、エルサレム賞授賞式で日本の作家村上春樹が、人間を壊れやすい卵にたとえ、「壁と卵があったら、わたしは常に卵の側に立つ」と言ったとおりです。平和を愛する日本の市民は、常に卵の側に立つものです。
 
お手元の絵本の巻末に、もとになった英語のメールが載っています。これは、911で父を失った日本の若者が、あるメーリングリストに投稿したものです。彼は当初、当然のことですが、強く報復を主張していました。けれど、友人たちと議論するうち、暴力はなにも解決しないと気づき、このチェーンメールを紹介することで、自分の気持ちを表現したのでした。
 
ありがとうございました。
 

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チョコやガムはもらったけど マーシャルプランの恩恵は受けてないゾ

雑用をしたり軽食をとっている時は、テレビをつけます。ろくでもない言説が垂れ流されているので、チェックを入れるためです。

先日も、CNNでトンデモ発言が飛び出しました。アマンプールさんという女性ジャーナリストが司会をする討論番組で、テーマはアフガン問題でしたが、ひとりがおよそこんなことを言ったのです。

「ドイツや日本の戦後復興を助けたマーシャルプランのようなことをアフガンにも……」

「はあっ?!」って、はしたない反応をしたくなりました。戦後復興をアメリカが資金援助したマーシャルプランはヨーロッパが対象で、日本は埒外でした。なにしろ、その正式名は「欧州復興計画」なのです。討論では、誰もこの勘違いを訂正しませんでした。

日本にも、アメリカの復興資金は来ました。ガリオア・エロアと総称されるもので、ガリオアは「占領地域救済政府資金」、エロアは「占領地域経済復興資金」の略です。ありていに言えば、占領を円滑に行うための資金です(占領費用そのものは被占領国、つまり日本が負担しました)。それが、1946年からの5年間で17億ドルほどでした。西ドイツはガリロア資金だけで1兆6500億ドル、日本のほぼ1000倍です。ドイツには、その上にマーシャルプランがあったわけです。日本には、当時アメリカ国内でだぶついていた脱脂粉乳やコーンなどの雑穀が送られ、それを日本国内で売った収入を、日本政府が使いました。

エロア資金、当初は無償ということだったのに、アメリカはあとになって突然、「あれは貸したものだ、返せ」と言ってきました。日本政府としては寝耳に水です。7年ものすったもんだの交渉の末、年賦で返すことになり、日本は70年代に入ると前倒しで完済しました。

ララ物資というのもありました。アメリカのNGOから贈られた脱脂粉乳や衣料で、戦後の学校給食はこのララ物資の脱脂粉乳に始まりました。わたしも、小学校の昇降口に並ぶ、脱脂粉乳の紙製のドラム缶を憶えています。

ところで、このララというNGO(Licensed Agencies for Relief in Asia アジア救援公認団体)は、日系人の組織でした。アメリカの海外支援NGOは、ヨーロッパだけを支援の対象にしていました。それで、日本に特化した支援団体を日系人がつくったのです。けれど、このことはGHQが極秘にしました。ただ、「アメリカの民間団体」とだけアナウンスしたのです。

日本の戦後復興は寛大なアメリカの施政のおかげ、と信じているのは、アメリカ人だけではありません。そう信じる日本の人はけっこういます、と言うか、いまだにほとんどの人がそう信じ込んでいるのではないでしょうか。わたしより上の世代は、「自分も『ギブ・ミー・チューインガム』と言ってしまった」という、自尊心への傷が深すぎたのでしょうか。その「(桃太郎の)きびだんご症候群」が、あとの世代にももちこされているのでしょうか。まるでDNAのように。だとしたら怖いですね、ホラーです。

民間資本も入っていません。日本は明治以来、植民地化を警戒して、外国資本受け入れにきわめて慎重でした。貧しいくにだったのに、人びとの多大な犠牲のもと、莫大なお金をかけて、たとえば富岡製糸場を自力でつくりました。わたしも去年行きましたが、その壮麗なこと、当時の為政者たちの殖産興業に賭けたただならぬ決意を思い知らされました。こうした大工場は、たとえばインドにもつくられましたが、すべては東インド会社の投資で、富はイギリスに吸い上げられました。ですから、外国資本に門戸を閉ざすというのは、帝国主義時代の後進国としては、唯一正しい道だったと思います。もちろん、外圧はあったでしょう。よくはね除けたと思います。

このくには、戦後もこの外資拒絶の方針を採ったのです。60年代の半ばになると、経済成長めざましい日本に投資したくなったアメリカが、資本の自由化を要求してきました。日本は、しぶしぶすこしずつ自由化していきましたが、あの頃の社会を覆った不安を、わたしもうっすらと憶えています。こんなに外国のお金が入ってきて、これからいったいどうなるのだろう、と。ひるがえってグローバリゼーションの現代、どのくにでも外国の投資を呼びこむことが課題とされています。まさに隔世の感があります。

日本は自力で焼け跡から立ち直り、経済成長を遂げたのだ、そう日本の人にもアメリカの人にも声を大にして言いたいところです。が、それもあまりねえ……と言うのは、戦後の復興は朝鮮戦争という犠牲なしにはありえなかったからです。だとしても、戦後復興から現今の安全保障まで、「すべてはアメリカのおかげ」という洗脳状態、いいかげんに抜け出しませんか。その上で、安保条約をふくめたこれからの日米関係をどうするかを議論しませんか。
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箱根駅伝

昔、早稲田と中央でドイツ語を教えていました。どちらも箱根駅伝の強い学校です。今も強いけれど、そのころはもっと強かった、2学で熾烈な先頭争い、優勝争いをした年もありました。わたしはテレビの前で、「どっちでもいいけど、がんばれー!」なんて、無責任な声援を送っていました。

早稲田でも中央でも、わたしは文学部に所属していましたが、早稲田で担当した授業に、第二文学部の上級ドイツ語がありました。必修ではなく、ドイツやドイツ語の好きな学生が自由に選択する授業です。10数人のこぢんまりとしたクラスで、和気藹々と、そのころわたしも字幕翻訳にかかわったドイツ映画「ベルリン・天使の詩」を観たり、シューベルトの歌曲を聴いたりして、映像芸術や近代初頭のドイツ文化について、おしゃべりしていました。

箱根駅伝のテレビ中継では、走っている選手を紹介します。ある年の早稲田の選手の紹介を聞いて、びっくりしました。

神奈川出身のかれは、子どもの頃から沿道で箱根駅伝を見てあこがれ、なかでも、早稲田のえんじ色のたすきにあこがれた、いつか自分もあのたすきをかけて走りたい、と。当時は早稲田にもスポーツ枠の入学がありましたが、かれはその選考には漏れた。それで、いろんな学部を受けて、一浪で第二文学部に合格した。スポーツ枠で入学した学生は、所沢キャンパスの人間科学部に属し、寮に入って、所沢グラウンドでトレーニングを積みますが、一般入学のかれは、早稲田キャンパスの文学部で授業を受け、1時間かけて所沢に通ったそうです。毎日、毎日。同じ陸上部に属しても、練習におけるスポーツ枠入学者と一般入学者の扱いは異なります。かれは「その他大勢」のひとりとして、黙々と走り続けて徐々に頭角を現し、ぎりぎり4年生になってついに念願の選手に選ばれた、そして今、箱根路を走っている。

改めてそのハンサムな横顔を注視すると、なんと、2年前に上級ドイツ語クラスで、1年間いっしょに勉強した学生です。いつもにこにこと、心から授業を楽しんでいました。出席率も悪くありませんでした。所沢でくたくたになって、電車に揺られて新宿早稲田に戻り、夕方からのわたしの授業に出ていたのだ。陸上部で箱根をめざしているなんて、コンパでもひとことも言わなかった。もしも、なんらかの事情で単位が必要なのだったら、万一出席が足りなくても、いくらでもあげたのに、評価Aだってあげたのに……おいおい、と自分でツッコミを入れたくなる問題発言ですが、そのときの動顛のなかでの正直な気持ちです。テレビの前で、わたしはまさに滂沱の涙でした。

正月2日3日、箱根駅伝を見るたびに、かれを思い出します。今、どうしているだろう、あんなすごいことをなし遂げたのだ、きっといい人生を送っていることだろう、と。

一人ひとりさまざまな思いを抱く若い人びとの一瞬の輝きに、今年も心からの声援を送りたいと思います。
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回帰する時間 転位する歴史

明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。

去年は、クウェートと仏領ポリネシアとチリに行きました。今年もすこしずつ海外の知見も広めたいと思います。

年末、昨年最後の取材先の宿でテレビをつけたら、司馬遼太郎さんのインタビューをやっていました。おや、と思ったのは、おおよそこんなことをおっしゃったときです。

「維新の志士たちは、尊皇攘夷は方便だと知っていたが、次世代の陸軍士官学校出の超エリートたちはそれを真に受けた、そういう優等生たちが実権を握ったとき、明治憲法は当時としてはよくできたものだったと思うが、そこから統帥権というお化けが出てきて、あの悲惨な敗戦へとつながった」

なぜ、おや、と思ったかというと、最近ある方からこんなことを聞いたからです。

「元外務次官が言っていた、『日米同盟は方便だったのに、現役の連中は心から重要だと思っているから困る』って」

優等生の第一条件は、目の前の知識情報を既成事実としてすばやく大量に飲みこむ要領、目下の主流を鋭くかぎ分け、それに棹さす順応力です。その過程で、優等生のアタマの中で方便(ネタ)が現実(ベタ)に変換してしまう虞(おそれ)がある、このふたつの発言はそういうことを指しているのだと思います。方便と現実は、タテマエとホンネと言い換えてもいいでしょう。

日米「同盟」を方便と見定めていたのは、もしかしたら、吉田茂の謦咳(けいがい)に接した世代かもしれません。だとすると、下限はせいぜい70代でしょう。それは、この世代の一部から、日米「同盟」を真に受ける「次世代」が出現してくるということでもあります。外務省OBとしてさまざまなシンクタンクで暗躍するあの顔この顔が思い浮かびます。ふむふむ、つじつまが合います。

明治維新から敗戦までが77年、敗戦から77年目は2022年です。あと12年、そのあいだにこのくにが再び優等生の害によって道を誤らないためにはどうしたらいいのか。答えは決まっています。わたしたち劣等生の出番だということです。わたしたちが優等生(官僚)の首根っこを押さえて、わたしたちの意志を実現することがかれらの本分だと覚醒させる、あるいはそれができる政治家に力をあたえる。それしかありません。それには、わたしたちが力をつけなければなりません。

司馬遼太郎さんはまた、こんなことを言っていました。「いまの憲法は、このくにの習慣に似つかわしい」。これからは、ますますそうだろうと思います。言うまでもなく、一部のエリートではなく、わたしたちの意志がくにの進路を決めることの根拠が、ほかならぬ憲法だからです。

それなのに、とため息のひとつもつきたくなりますが、司馬さん原作のドラマ「坂の上の雲」は、パーティでばかにされた在外武官が柔術で相手のロシア人を投げ飛ばすとか、留学先で教えを請うたアメリカ軍人の、日本を見る冷徹なまなざしにカチンとくるとか、小国のエリートが「なにくそ」と肩いからせて世界の現実に向きあうさまを描いて、昨年は終わりました。見ていて「痛い」。

ドラマの時代、つまり日露戦争前、このくにの軍事費は国家予算の30から40%でした。現代の北朝鮮は30%と言われています。もちろん、世界情勢は、植民地獲得の侵略戦争を是とした当時と今ではまったく異なります。が、北朝鮮が国際政治の場面でなにかにつけて肩いからせ、またたとえばスポーツ選手の外国での活躍に国を挙げて溜飲を下げるさまに思いを馳せ、ドラマの「まことに小さな国」のエリートであるかっこいい主人公たちに現在の北朝鮮のエリートたちを重ねる、そんな想像力をはたらかせてほしいという願いをこめて、今このドラマが放映されている……わけはありませんよね。

落ちが奇想天外過ぎますか? そうでしょうかねえ。まあ、お正月に免じてお許しください。

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ikedakayoko

おしらせ
「引き返す道はもうないのだから」表紙180


「引き返す道は

 もうないのだから」
(かもがわ出版)

・このブログから抜粋して、信濃毎日新聞に連載したものなども少し加え、一冊の本にまとめました。(経緯はこちらに書きました。)
・かもがわ出版のHPから購入していただけましたら、送料無料でお届けします。
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