2010年02月

2月 アクセスの多かった日の記事

あっというまの2月でした。政治とお金の問題では、小沢事件がいちおうの区切りをむかえ、その過程でマスメディアと官の関係が検察リーク問題というかたちでかなり知られるようになりました。トヨタの社長が米議会の公聴会に呼びつけられ、「技術大国」「経済大国」の先行きがいよいよ不透明になる中、国会では政策論がたたかわされることもあるのですが、おおきく報じられるのは相変わらず鳩山さんと小沢さんのお金の問題の部分ばかりです。

目先の景気をどうするかも、「新衰退国家」へどう軟着陸するかもはっきりとは見えず、そこはかとない閉塞感や焦燥感をかきたてた、そんなひと月だったように思います。そのいっぽうで、辺野古や東村高江、岩国の米軍基地をめぐっても、油断ならない動きがあります。

政権交代の9月、あれほど清新な風を感じたのに。わたしたちは、これは民主主義社会が成熟していくうえで避けて通れない「踊り場」なのだと、覚悟するしかないのでしょうか。

今月も、アクセスランキングを記録しておきます。

1位 19日 
孫崎元外務省局長「検察の動きを見ればアメリカの意思がわかる」
2位 26日 「サンケイは社員の身元を公的機関で調査」 花岡信昭さんの記者クラブ観 
3位  3日 
「小泉元首相の手は小刻みに震えていた」
    25日 高校無償化、朝鮮学校はだめなの?! 後段

2本が同点で3位に並びました。柄にもなくバンクーバーオリンピックのスノーボードについて、というかその國母選手について書いたら、これを機に多くの方が読者になってくださいました(17日「國母と川口 ふたりの『非国民』」と20日の「スノーボードと近代五輪はクラッシュするはずだ」)。

下位は以下のとおりです。さもありなんです。きわめて個人的関心に限定された話題でしたから。12日も同様の話題でした(「声優の流儀」)。

1位 13日 
女子アナの発音流儀
2位 14日 若い女性の発音流儀とグリムの法則
3位 15日 誘惑のオペラ8 ヴァルターの場合

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矢川澄子さんを偲ぶライブ 原マスミ+知久寿焼

おととい、原マスミさんと知久寿焼さんのライブに行きました。ちらしには、こうあります。

詩人、作家の矢川澄子(1932-2002)は、原マスミ・知久寿焼の親しい友人でした。ふたりの音楽とことばを愛し、ふたりも彼女との交流を大切にしていました。

「天沼の会」と「黒姫 矢川澄子の会」の共催。「天沼の会」は、矢川さんが天沼でルームシェアしていた年下の人びと、「黒姫 矢川澄子の会」は晩年、黒姫にお住まいだった矢川さんのゆかりの人びとです。会場の別のフロアには、矢川さんの本が展示されました。これは、天沼のアジトを引き払うのを機に、矢川さんのことを思う人びとが集まるライブなのでした。「ふたりで矢川さんちでつくった曲」も何曲か歌われました。

「エントランスで寝そべってつくっていると、矢川さんはキッチンでごはんつくってるんだよね。引き戸を閉めると、矢川さんが来て開けて、閉めると開けて、『開けて、やりなさい』って言うんだよね」なんていうMCとともに。

いろいろな方がお見えでした。西江雅之さん、三宅榛名さん、堀内誠一さんの奥さま、そして矢川さんの妹小池一子さんとはごあいさつできました。

亡くなってもう8年になるのだ、と改めて時の流れの速さを思いました。あの日は朝から呆然として、飛行機の時刻を間違えて乗りそびれ、かろうじて別の社の便で所用に間に合ったのでした。

ある雑誌が追悼号を出すことになり、文章など書ける状態ではありませんでしたが、しぼり出すように書きました。その追悼号は出ませんでした。のちに、別の雑誌が追悼企画を出しました。わたしもそこで鼎談をしていますが、原稿は筐底ならぬパソコンの中に眠っています。それを、ここに載せておきます。

中島みゆきに「わたしの子供になりなさい」というアルバムがあります。白い花が両側からそよぐ道を歩きながら振り向いてほほえむ中島みゆき、その前をうつむき加減に歩くふたりの子ども。ほっそりとした中島みゆきの服、矢川さんにも似合うだろうな、この白いちいさな花は蕎麦かしら、矢川さん、黒姫のおいしいお蕎麦屋さんにつれていってくれたっけ……そんなことを考えながらジャケットを見ていると、ふたりの子どもが原さんと知久さんに見えてきました。


矢川さんが死んだ。

矢川澄子が亡くなった。

自死だという。新聞の死亡告知欄の「自殺」には、異和感をとおりこしていたく傷つくものがある。

最後に矢川さんを抱きしめたのはいつだったろうか。あの小さな集まり、矢川さんから「わたしは行くわよ」と聞いていたのに、わたしは行かなかった。共通の友人が受けた文学賞の授賞式、行けば矢川さんに会えると知りながら、わたしは行かなかった。それどころか、忙しさにかまけて、最近出した本をまだ発送していない。矢川さんは本の広告をご覧になって、わたしのところには来ていない、いつもは発売日より前に届くのに、と心外に思われたかもしれない。そして、長野にはとんとご無沙汰だ。伺います、と言うばっかりで。自責の念に狼狽する。あのとき、無理でもなんでも出かけていれば、もしかしたら、と思うのはおこがましいだろうかと、思いは千々に乱れる。

わたしが下訳をしたのはただの一度、矢川さんのクレー論だ。種村季弘先生のご紹介だった。わたしが27歳だったから、矢川さんは44歳でいらした。ひとりになられて、まだ日が浅い頃だった。自立の必要もあり、どんどんお仕事をなさっていた。どう訳したらいいのか、どうしてもわからない語がひとつ残った。正直に申し上げて、訳稿をお渡しした。後日、お電話をくださり、「あれは……にしておいたわ」。みごとだった。

編集者と原稿の詰めをなさっているところに、同席したことがある。矢川さんは、編集者の注文に、つぎつぎと即決で代案を出していった。決断力、強い、というふたつのことばが頭の中を交互にとびかい、舌を巻いた。わたしなら、ごめんなさいして締め切りを聞き、ひとりで考えさせてください、と持ち帰るところだ。ギャラリーはわたしのほかにもいた。わたしなら、あんな状況ではかっと頭に血がのぼって、なにも考えられない。

対立をすると、じゃんけんのグウとパアのように、わたしが必ず負けた。対立の原因は決まっていて、功名争い。といっても、世間でいうのとは方向が逆で、仕事でわたしが矢川さんを前面に押し立てようとすると、決まっていさかいが起きた。矢川さんが中心になって仕事をすることは、もちろん、つねに編集者の意向でもあった。編集者もわたしも、その作品を矢川訳で読みたくて、巣の雛のように切ない思いで懇願したものだ。この作品はアンソロジーのメインだから、訳は矢川さんにやっていただきたい、あとがきは矢川さんでないとだめです……。

「いやよ」

ことば少なにきっぱりと言われてしまうと、編集者とふたりがかりでも、頑として聞き入れていただけなかった。むやみとしゃしゃり出るのはエレガントではない。そういう信念が、矢川さんにはあった。すねたように黙られてしまうと、こちらは手も足も出ないのだった。美学を譲らないお嬢さまの保身の強さに、じゃりんこ育ちは歯が立たないことを思い知らされた。

わたしが勝つには、脅すに限った。もっと重要な仕事をしていただくことになる、というぐあいに。共訳で詩集を出したときだ。あとがきをどちらが書くかでもめた。

「あなたが書いてよ」と、矢川さんは言い張った。わたしは必死になって抗弁した。

「この子ども向けアンソロジーのあとがきを書かないと、こんどおとな向けを出すときに書いていただくことになりますよ」

「じゃあ……書く」

そんなふうに、一度だけ、じゃりんこが勝った。

児童文学の翻訳の世界にわたしをお導きくださったのは、矢川さんだ。先のクレーの下訳のあと、「児童文学や絵本はやらないの?」と聞いてくださった。わたしは3人目の子どもを身籠もっていた。幼い子どもも2人いる。もしも仕事をしくじったら、出版社からは、やっぱり女はだめだとか、子どものいる女に仕事など任せられないのだとか言われ、矢川さんにご迷惑がかかる、と思い、「1年たったらお願いします」と言った。きっかり1年後、ドイツにいたわたしに、矢川さんご紹介の仕事が舞いこんだ。グリムのメルヒェンだった。この仕事が、その後のわたしを決定づけることになる。

あのときはきっかり1年後に仕事を回してくださいましたね、とわたしが言うと、矢川さんはいつも、「あら、そう?」と言うのだった。ほんとうに「あら、そう?」だったのか、あるいは含羞がそう言わせたのか、あまりにさりげなく、じゃりんこには真意が読めなかった。はるかに後塵を拝する後輩を、目下として見るようなことは金輪際なかった。

先のクレーの下訳のときが初対面だったのだが、もうすぐ子どもが生まれる、しかも3人目が、というお話をしたとき、矢川さんはどぎまぎしたように、「わたし、あなたの歳でなにをしていたのかしら」と言った。悲しみにうろたえているように見えた。その思いは後年、いくつかの作品に結晶した。矢川さんは子どもをもうけたかったのだ。細いからだにしては、胸元が豊かだった。わたしはいつも、うるさい子どもたちをひきつれて、矢川さんの秘かな悲しみをかきむしっている、といううっすらとした罪悪感のようなものを覚えていた。

でも、だから、矢川さんは子どもが好きだった。若い人が好きだった。東京のアジトを若い人たちと共同で借りたマンションに設けていらして、伺うと、「お母さんごっこをやってるの」と、うれしそうにおっしゃった。同居の若者たちは、「えぇ?」と、いたずらっぽく笑いあっていた。黒姫では、昆虫採集にやってきた若者にいそいそと同行して、「ここにいるわよ!」と歓声をあげていた。その虫の食性にも詳しくなってしまっていた。子どもの夏休みに喜々としてつきあう、過保護の母親そのものだった。

その若者、バンド「たま」の知久寿焼くんのことは、わたしが矢川さんにお教えしたのだ。拙宅の近くに、詩人仲間の白石かずこさんがお住まいで、矢川さんは白石さんを訪ねる時、決まって子どもたちに豪華なケーキを買って、拙宅に寄ってくださった。そんなあるとき、知久くんが歌っている「いか天」のビデオを、なかば無理やりお見せした。きっと矢川さんがお好きだろう、と思ったのだ。その後、知久くんが矢川さんの3人の同居人のひとりにまでになるとは、思いも寄らなかった。横取りされたような気がした。

「たま」に囲まれて、矢川さんは幸せそうだった。「小町の家に集まっていた連中そっくり」というのが口癖だったが、叩き物(パーカッション)担当の石川くんが松山俊太郎さんだということはわかったが、あとは誰を誰に見立てていらっしゃるのか、さっぱりわからなかった。とくに、誰に澁澤龍彦のおもかげを見ていらしたのかが。

若い女性たちが生き生きと自分の道を行くのを、自分には拒まれていたこととして、一抹の寂しさとともに、まぶしい目で見ておられた。「ほんっと、いまの若い人はえらいわぁ」と言う矢川さんの声を、わたしは聞こうと思えばいつでも記憶のテープを再現できる。

片や若い者たち、片や正当に評価されていないと判断なさった過去の女性文学者に、わがことのように肩入れなさっていた。尾崎翠、野上弥生子、森茉莉、野溝七生子、アナイス・ニン。それから、それから……。矢川さんの書架には、「父の娘」がずらりと並んでいて、そればかりは、わたしには異質で入りこめない世界だった。たとえばラカンの娘について、声をひそめてお話になるのだったが、わたしにはついていけなかった。

自分などものの数ではない、と言い暮らしていた矢川さんの自意識と、矢川さんを囲む者たちの思いは、しかし決定的にずれていた。矢川澄子こそ、誰にもまねのできない日本語で綴られた美しい作品におびただしく囲まれて、燦然と輝く存在だった。ああいう日本語遣いは二度と現れないだろう、というのがお決まり文句だった翻訳仲間もいる。わたしは、いつか自分なりの仕事ができるかどうかなどまるでおぼつかないながら、この歳に、矢川さんにはこういうことがあった、こういうお仕事をなさった、こんなことをおっしゃっていた、と段を一段ずつ踏みしめながら、加齢の梯子を昇っていた。行く手には矢川さんがいた。だから、加齢は楽しみだった。なにしろ、お会いするたびに、矢川さんはすてきでいらしたからだ。

じゃりんこ育ちで、ぽこぽこ子どもを生んで、がさつで、太くもっさりとしていて、矢川さんとはある意味、好対照だったわたしが、45歳を目前に、矢川さんと同じくひとりになるという選択をしたとき、いのいちばんに話を聞いていただいたのは、矢川さんだった。ふらりと黒姫に行った。

矢川さんは、「あらまあ」と意外な展開に驚いていらした。心配してくださる反面、面白がってもいらした。わたしも、矢川さんとは似ても似つかないわたしがそのような仕儀になったことを、矢川さんといっしょに面白がった。まあ、やや常軌を逸した悲壮な興奮状態にあったのだろう。

それ以降は、ますます矢川さんを意識した。初めてわかる矢川さんのお気持ちも、肯定的なものも痛ましいものも含めて、多々あった。加齢の梯子は、はるかに矢川さんを仰ぎ見つつ、ますます楽しいものになった。この今のわたしの歳をこえた矢川さんが、今何歳でこういう存在だ、ということが希望にも励みにもなった。それが、これからは、ふり仰ぐ矢川さんの梯子は71歳でとぎれているのだ。この梯子は、もう伸びない。矢川さんは駆けっこのとちゅうで眠ってしまった兎のように、うずくまったまま動かない。

今のわたしの歳を17年前にこえた矢川さんは、71歳で自死した。わたしは、これからどうやって生きていったらいいのか、わからない。

矢川澄子の名訳ポール・ギャリコの『雪のひとひら』の、ラストの雪の死には、矢野顕子が曲をつけ、歌っている。「おかえり」と、やさしくエロティックな声が歌っている。

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「サンケイは社員の身元を公的機関で調査」 花岡信昭さんの記者クラブ観 

人の話を聞くのは好きです。もしかしたら、自分でしゃべるより。ですから、聞き上手とは言えないまでも、聞いて理解したいという気持ちは人後に落ちないつもりです。

けれど、花岡信昭さんとおっしゃる方の話はわかりにくかった。産経新聞のOBで、最も数多く記者クラブを経験し、97年の新聞綱領に携わり、今日ある記者クラブ制度をつくったと言ってもいい方だそうです。その花岡さんが朝日ニュースターの「ニュースの深層」で、上杉隆さんと記者会見公開問題で議論をたたかわせました(2月24日)。メディア風に言うなら「激論」でしょう。それが、のらりくらり、行ったり来たり、はぐらかし論法というか、わかりにくかったのです。

なぜ記者クラブが存在するのか。花岡さんによると、従来、情報を出したがらなかった官公庁にたいし、市民の知る権利をバックに公開を求め、メディア側がいわばかちとった制度であって、記者会見は記者クラブが主催するところにおおきな意味がある、ということです。それは十全にわかります。会見が官公庁主催だと、つごうのいい時だけに開くことになりますから。

上杉さんもここまでは完全に同意し、その上で、なぜ記者会見が記者クラブだけに閉じられていて、海外プレスや雑誌は一部だけ参加が認められ、フリーランスやネットは完全オミットなのか、政府はオープンにしようと言っているのに、記者クラブ側が反対しているのはなぜなのか、と食い下がりました。

それにたいして花岡さんは、今は過渡期にあり、今後いかようにも調整可能だろう、と言うにとどまりました。まあ、押し問答みたいでしたが、その中にびっくりするようなことがいくつかありました。

まず、昨今のリーク疑惑。花岡さんは、リークはない、とおっしゃりたいようで、「いろいろ取材を重ねて、6、7割あっていると判断したら、告訴覚悟で書いている、それが間違いというなら名誉毀損に訴えればいい、それが、公判結果を待たずに事件を知りたいという読者に応えることだ、ぎりぎり出禁(出入り禁止)をくらわないところまで書いている」と、まとめるとおよそこのように答えていました。

以前このブログで、出禁が問題だと書きましたが(こちら)、権力を監視するための記者クラブ制度と言いながら、やっぱり主導権は権力側にある、出禁によってメディアは権力側に首根っこを押さえられているということを、花岡さんは認めてしまっています。

また、記者会見をオープンにするとセキュリティの問題がある、と言う花岡さんにたいし、上杉さんが、「日本の記者会見は世界一危険、社や局に一括してパスを出しているのだから、そこにある目的をもって誰かが侵入する可能性がある」と反論すると、花岡さんはおよそこんなことを言ったのです。


花岡 あまり言えないが、私も経験あるが、内定を出す前にしかるべきところでちゃんと調べる。民間じゃなくて公的な機関で。

上杉 それは違法行為では?

花岡 だからあまりおおきな声で言えないと言った。もしものことがあったら会社の責任になるから、それなりのことはやる。


この部分、どなたかyoutubeにあげてくださらないでしょうか。いくらCATVとは言え、花岡さん、おおきな声で言ってしまったのです。サンケイは社員の身元について、国家権力のお墨付きをもらっているって。これでは、市民の知る権利のためにメディアが主導権を握る、というたてまえが空しく響きます。ほかの新聞社・テレビ局はどうなのでしょう。気になります。

ほかにも、記者クラブ室は大臣室のすぐそばという特等席にある(すばらしい便宜をはかってもらっているんですね!)とか、興味深い発言がありました。とりわけ、その日の朝日新聞朝刊記事のうち、記者クラブ記者が書いたと思われる記事を花岡さんが推測していたのが面白かった。紙面を色分けして示してくれたのですが、それによると、1面は4割がた、2、3、4面は外信を除いてほとんど、社説もそれに準じるとのことです。これだから、マスメディアが記者会見をオープンにしたがらないわけだ、とみょうに納得しました。言うまでもなく、情報を独占できなくなるからです。

タイガー・ウッズが関係者を並べてペーパーを読むという、会見とも言えない会見をしたことにおふたりとも批判的でしたが、上杉さんが、「記者クラブだけの記者会見は、あれと同じことではないのか」と言っていました。私にはとどめの一撃に思えました。

この番組、再放送があります。受信できる方は録画して、ぜひご確認ください。

2月26日(金)深夜4:00〜
2月28日(日)深夜3:00〜

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高校無償化、朝鮮学校はだめなの?! 後段

朝鮮学校を無償化から外すのは、「北朝鮮に経済制裁を続けても日本人拉致問題に進展が見られない状況を考慮、さらなる強硬姿勢を示すため」と見られています(記事はこちら。まあ、それしかないでしょう。けれど、それで拉致問題の解決が進むのでしょうか。そんなわけはないこと、ちょっと考えればわかることです。政権が交代しても、相変わらず拉致問題を自分の政治パフォーマンスに利用することしか考えていない政治家が拉致問題担当相におさまっている、それは誰にとっても不幸だと思います。こんないやがらせをしても、北朝鮮憎しに凝り固まっているごく一部の声高な人びとが、いっとき溜飲を下げるだけでしょう。

先の記事によると、朝鮮学校を高校授業料無償化から外すために、政府内には、「『授業内容と本国の教育課程が日本の学習指導要領におおむね合致していると確認できること』を無償化対象の条件とすることで、国交がなく教育課程が確認できない北朝鮮を除外する案が浮上している」そうです。もっともなように聞こえますが、では特定の国に依存しないインターナショナルスクールはどうなるのでしょう。個別に確認するしかないと思うのですが。日本と国交がなく、民族学校を経営しているのは、北朝鮮と台湾の人びとです。台湾とは交流があるのでその教育カリキュラムが確認できる、だからOKなのでしょうか。でも、確認のために台湾まで出かけはしないでしょう。台湾系の学校に行くでしょう。だったら、朝鮮学校にも行けばいいのです。「国交がなく教育課程が確認できない北朝鮮」というのは、とんだ言いがかりです。

どこの民族学校も、それぞれの価値観に沿ってカリキュラムを組んでいるでしょう。とくに近現代史などは、朝鮮学校だけでなく、中国系の学校も韓国系の学校も、日本のそれとはぶつかる面もあるでしょう。アメリカンスクールは無償化の対象なのかどうか知りませんが、民族学校としては最大の規模と豪華さを誇りますが(なにしろ校舎は六本木ヒルズにもあるのです)、そこだってたとえばヒロシマナガサキへの原爆投下について、日本とは異なる考え方を教えているかも知れません。

文科省の人が朝鮮学校に出向いたとして、そのカリキュラムが「日本の学習指導要領におおむね合致していると確認できる」かどうか。この「おおむね」が曲者です。裁量の余地は、多ければ多いほど、判定者の恣意を許します。判定者は、判定するという権力を行使するのですから、おおきな裁量の余地は、絶対的な権力を保証するものにほかなりません。もちろん、教育カリキュラムは、どれほど「合致」しているかなんて数値化できない部類のものです。ですから「おおむね」としかしようがないのはわかりますが、そこに権力の恣意が働いたのでは、社会的公正があやうくなります。ここに、私たちの市民力、民主主義力が問われるわけです。それは公正なことなのか、また目的と手段にわたって合理的なのかと、政治家を問い詰めていかねばなりません。

きのうご紹介した、日本が拒否した人権理事会の勧告を思い出してください。このくにの刑事にかんする3項目(死刑廃止、警察取調べの可視化と記録、代用監獄廃止)以外の5項目は、外国人やマイノリティの人権にかかわっていました。そのうちの2項目は新しい問題(難民審査の独立機関設置、不法滞在者の匿名告発の廃止)、残りの3項目は古い、このくにの過去に起因する問題です(
従軍慰安婦問題の国際基準での解決、人種差別禁止法の制定、在日コリアン差別の撤廃)。そのすべてに、北朝鮮は韓国と並んで、被害者の立場でかかわっています。

人権理事会勧告という同根の課題のひとつである高等教育漸進的無償化を解決するにあたって、ほかの課題に深くかかわる在日の人びとの片方の、しかも子どもたちを、これみよがしに冷遇するというのです。北朝鮮の支配層は痛くも痒くもないどころか、むしろ歓迎するでしょう。日本を攻撃する恰好の口実が転がりこむのですから。そして、国際社会は日本の政治や社会を軽蔑しはしないでしょうか。

なにより、朝鮮学校に通う子どもたちやその親たちを、社会ぐるみで深く傷つけることになりはしないでしょうか。朝鮮学校の子どもたちは、この社会を構成するたいせつなメンバーです。その感覚は、日本国籍の子どもたちとなんら変わりません。むしろ、かの国との架け橋となりうる貴重な人材です。私の友人にも、そうした人びとがいます。むしろ進んで包摂し、融和していくのが、この社会がとりうる唯一妥当な道だと思います(同化を促すという意味ではありません、念のため)。この子どもたちから教育の機会均等を奪い、かれらにはおよそ関係もなければ責任もない政治問題のとばっちりを浴びせてよしとする、そんな社会は品位を欠くと言わざるをえません。

今年は朝鮮「併合」100年ということで、相互理解を深めていこうとする動きが、学会や教育界やマスメディア(NHKの「日本と朝鮮半島2000年」)などに顕著です。日中韓共同執筆の歴史教科書も、数年前に完成しました。日本社会の内部だけでなく、おおきく地域を広げて理解と融和、包摂と共生が、地道な努力によって進められています。低レベルな政治パフォーマンスで、この流れからことさらある国だけを排除することはいい結果にはならないと、私は思います。

久しぶりにかっかしてしまいました。

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高校無償化、朝鮮学校はだめなの?! 前段

古い話で恐縮ですが、「日本の教育の06年問題」ってご存じでしたか? 

国連人権理事会は、各国の人権状況を調べ、問題があると勧告をします。08年、日本への勧告は26項目、日本政府はそのうち13項目を受け入れました。受け入れなかったのは、従軍慰安婦問題の国際基準での解決、人種差別禁止法の制定、在日コリアン差別の撤廃、死刑廃止、警察取調べの可視化と記録、代用監獄廃止、難民審査の独立機関設置、不法滞在者の匿名告発の廃止です。このくにが世界にどんな姿をさらしているのかがわかって、胸にぐさぐさ来ます。

死刑については、いくつもの国が、執行の停止を求めました。それにたいして日本政府は、あとで再開したときに残虐だ、だからそんな残虐なことはしない、と拒否しました(たとえば
ここに傍聴記があります)。この詭弁を各国代表がどう受けとめたか、想像するだに顔から火が出そうです。

一般に、国際条約を批准する時、各論について、自国の実情に合わないと判断すれば、「そこだけパス」できます。「留保」といいます。このくにが批准している国際人権規約のなかで、留保しているひとつが「中・高等教育の漸進的無償化努力」です。高校や高専や大学などの授業料は、実質だんだんタダにするようがんばります、ということです。このくには、がんばるのも願い下げだ、としているわけです。批准は79年、国立大学の学費値上げを見据えてのことだったと、今にして合点がいきます。

この条項を留保しているのは、日本だけではありません。マダガスカルとルワンダもパスしていました。01年、人権理事会は「経済大国」日本の留保を重く見て、06年6月末日までになんとかする旨回答しなさいと、きつく言ってきました。でも、当時の政府はこれを無視したのです。ルワンダはおととし留保を撤回したので、残るは日本とマダガスカルのみとなりました。顔から出た火が髪の毛に燃え移りそうですが、これが「日本の教育の06年問題」です。

この問題、多くの方は、知りもしなかったのではないでしょうか。なにしろマスメディア(文科省記者クラブメディアと言っていいと思いますが)は、文科省にぐあいの悪いことはお体裁程度にしか報じないことで文科省とお友だち関係を保ち、結果、政府とメディアの共犯関係のもと、私たち市民の知る権利、きちんとした情報をもとにものを考える権利を奪ってきたからです。

おかげで、高校以上に進むのは自己負担という考え方が、この社会にしっかりと根を張ってしまっています。高校の授業料は、そこで学ぶことで利益を得る本人が負担すべきという、いわゆる受益者負担の論理です。たとえば大阪府知事の橋下サンは、「授業料を払えないのに高校に進学したのは自己責任」なんてことを言っていました(
動画もいくつかあります)。今はちょっとお考えを変えたようですが。

でも、それを真に受けてきたなんて、なんとけなげな私たちでしょう。この日本の常識は(も)世界の非常識です。学びたいのに経済的な理由で学べないのはれっきとした人権侵害だ、というのが、世界の常識なのです。

それがここへ来て、燃えさかる頭髪に恵みの雨が降ってきました。民主党がマニフェストで約束したとおり、連立政権が高校の授業料無償化に踏み出したのです。これを実施しても、OECDでビリから2番目のこのくにの教育費は、OECD平均にまだ遠く及びません。このくには、とにかく子どもにケチなのです。それもすこしは改善される、よかった、と思った矢先に、中井拉致問題担当相が、朝鮮学校は除外するよう川端文科相に要請した、というニュースが入ってきました(記事は
こちら)。

この記事、最後まで書いてしまいたいのですが、時間がありません。あしたに続きます。

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秘書と検事、どっちも会計をわかってない同士の対決? がっくり!

細野祐二さんという公認会計士の論文を読みました。

新月島経済レポート2010年3月号 「政治資金収支報告書」

細野さんは、自身も経済事件で検察特捜部と係争中、その「キャッツ事件」は現在、最高裁にもちこまれているそうです。専門家による、政治家小沢一郎の政治資金収支報告書分析は、これが初めてだそうで、そのことにまず驚きます。特捜部での熾烈な取り調べや、検事の知識レベルをよく知っている方によってなされたこの分析には、わたしのようなしろうとにも理解できるようにというあたたかい気遣いが感じられます。が、それでも十全に理解できたかというと、心許ないものがあります。

それで、自分のことばにするのは控え、中心部分を引用しておきます。お金の流れを完全複式簿記という書き方でまとめ、当該年度の政治資金収支報告書を掲げた上で、「4.邪推に基づく妄想」で、細野さんはこのように論じます。


ここで不思議なことがある。例の小沢氏からの4億円の借受金は陸山会の組んだ同額の定期預金で決済されたことになるにもかかわらず、そのあるはずのない定期預金が陸山会の特定資産・借入金明細書に計上されてしまっているのである。陸山会の平成16年の特定資産・借入金明細には、この年度の定期預金残高として4億7150万円が計上されている。

これが複式簿記を知らない(中途半端に)まじめな人の悲しいところで、石川議員は例の小沢氏からの借受金をせっかく定期預金で返済して簿外化したにもかかわらず、年が変わって平成16年の政治資金収支報告書を作成する段になり、定期預金が陸山会のままで名義変更されていないことにハタと気がつき、これはマズイとばかりに、政治資金収支報告書に定期預金を計上してしまったのである。

小沢氏の個人資産を政治団体の資産として計上するというのであるから、当然のことながら政治団体の資産は4億円分だけ過大計上されて貸借が合わない。そこで、たまたま問題の世田谷の宅地の登記が12月末に間に合わなかったことを思い出し、ならばこちらも4億円近いので、定期預金をこの年度に計上する代わりに不動産を翌年回しにしておけばちょうど辻褄が合うと考えたのではないか?


おわかりになりました? ぜひ、原典にあたっていただきたいところです。そんなに長いものではありません。鳩山資金についても言及されていて、会計的にはこちらのほうが深刻とのことです。(この章の細野さんのオリジナルタイトル、「邪推に基づく妄想」は、検察の筋書きを指しています。上に引用した細野さんの推論のことではありません。念のため。)

私が理解できた範囲で言うと、お金の流れになんらおかしなところはないのに、政治資金収支報告書は借受金やその決済を書き入れることができないために、石川議員は矛盾があると勘違いし、やらなくてもいい辻褄合わせをした、というのです。政治資金収支報告書は部分的単式簿記という、お小遣い帳のような書き方でよく、しかもいろいろ書いても書かなくてもいいものもあるために、いくつもの「法的には正しい書き方」がある、そのためにお金の流れにさまざまな解釈も可能になる、つまり特捜部が妄想をたくましくする余地がある、というのです。

陸山会名義の定期預金で小沢さんが個人名義で融資を受けていたり、しろうと目には公私混同じゃないの、と思えるところもあります。細野さんは、政治家のお金をクリアにするには複式簿記を採用しなければならない、と主張します。今回の騒動が、会計をわかっていない「(中途半端に)まじめな」石川議員と、同じく会計をわかっていない、西松事件の失点を挽回しようとした検察特捜部が起こしたことだとしたら、そしてそれが政局に影響を及ぼしているとするなら、このくに、救いようがありません。

それにしても、細野さん以外の全国の公認会計士さん、このこと気づいていらっしゃいました? 忙しくてそれどころではなかったかも知れませんが、ちょっと教えてくださればよかったのに。そうすれば、しろうとたちがとんちんかんな議論で社会を疲弊させてしまうこともなかったのに。そして、地検特捜部さん、今からでも優秀な公認会計士さんをメンバーにお加えになってはいかがでしょうか。

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「日米安保」と「日米同盟」の違い 孫崎インタビューより

18日、チベット仏教最高指導者ダライ・ラマがホワイトハウスでオバマ大統領と会談しました。ダライ・ラマさんは、去年11月に沖縄を訪問した時、沖縄の「米軍の基地がまだ必要とされる時期が続いていると思う」と発言して、かれを平和の宗教者として尊敬していた人びとに軽いショックを与えました(記事はこちら)。

けれど、ダライ・ラマさんとしてはこれは当然の発言だと、私は思います。ダライ・ラマさんには、チベット亡命政府の長としての冷徹な政治家の顔があります。チベットの自治を求めるダライ・ラマさんは、中国政府とは対立する立場にあるわけですが、政治の世界では、敵の敵は味方です。だから、ダライ・ラマさんは冷戦時代をつうじて西側の諸国、とくにアメリカと仲よくしてきた。今、東西の対立という構図が崩れたことは、ダライ・ラマさんにとっては好ましくありません。アメリカや親米勢力、インドやネパールには、中国と一定の緊張関係にあってほしい。だから、台湾海峡有事をにらんだ在沖縄米軍は、ダライ・ラマさんにとっては重要なのです。

ダライ・ラマさんの認識どおり、そもそも沖縄にいる米軍は日米安保、つまり日本周辺有事から日本を守るためというのがたてまえです。北朝鮮そしてなにより中国を仮想敵として、ここが地政学的に重要としてきました。ところが、19日にご紹介した岩上安身さんによる孫崎享元外務省局長インタビュー7のなかで、岩上さんがこんなことを語っています。


岩上「この辺野古のところですけれども、今重要な問題ですからお聞きしたいんですけど。米国が辺野古を急ぐ理由は、これMV-22、これ、いわゆる垂直に上昇する、、オスプレイの配備が迫っていると。アメリカはどうしてもオスプレイをあそこに持っていきたい。それを、『朝まで生テレビ』でですね、元旦の時に、どうしてもアメリカはオスプレイを配備したいんだよねって、
森本敏さんが話したんですよ。

今までは聞いてもオスプレイの話はしてくれなかったのにと、社民党の代議士がぼやいていたんですけど。(米軍は)オスプレイを絶対に必要とするから、これはどうしても必要なんだって。その時にすっとみんな、それはどこに向かって何に使うの、と聞いたら、『中東』ってポロッと言ったんですよ(中略)まさに先生がおっしゃっているように、日米安保のために使うんじゃないんですね。日米同盟の、要するにアメリカの国際戦略として中東に向かって出撃するための、中東への出撃基地、日本の安全保障とは関係ない話なんですね。

アメリカの国際戦略のために、どうしてもあそこを使いたいんで、それでオスプレイが必要だと。極東の有事が起こったらどうたらこうたらという話は全然関係なかった。


この前後、ぜひ読んでいただきたいのですが、ようするに、05年来言われている日米同盟というのは、日米安保とはまったく別物で、アメリカが世界で、つまり中東でイスラエルの利益のために軍事行動を起こすときに日本をそこに組み込むものだ、というのです。

インタビュー8には、こんなやりとりがあります。


孫崎「この、大村と相浦の一番の売りは、客観的に考えると米国にとってプラスの可能性が高いということなんです。その他にいくつか島がありますよね」

岩上「下地島とか」

孫崎「ええ。あるいは佐賀県であるとか、あるいは富士山麓であるとか、色々なのが出ているんだけれども、それは米国の運用からいくとやっぱり普天間よりは価値が低いという可能性があるわけですよ。ところが、大村と相浦の話というのは、米国にとってより望ましい選択であるかもしれないんです。

ということは、先ほどの話からいって、ヘリ部隊をどこに持っていくかというのは、世界の色々なところに持っていくわけですよね。その時に船に載っけるわけですよね。船に載っけるのは、今、長崎の佐世保があると。佐世保で載っけてすっと行けばいいんで、もしもこれが沖縄だったら、沖縄まで行って載っけてから行かなきゃならないんで、どちらが良いかというと、大村のほうが良いかもしれない。だから、米国がベストの案は他にないんだよと、言っているのだけれども、こっちの方がよりベストじゃないですかと」

岩上「先生も人が悪いですね(苦笑)。つまり、日米安保にとって、ここがベストなんじゃなくて、日米同盟にとって、ここがベストじゃないですか。北朝鮮を相手にするとか、台湾海峡(危機で中国)を相手にするわけじゃないでしょ、中東に出撃するために便利でしょ、どうぞお使いくださいと」

孫崎「便利なのに、なんであなたは嫌だと言っているんですかと(笑)」

岩上「そういう風に、やはり言わないと(笑)」

孫崎「そうすると、それは逆に言うと、これまで米国は今までの自民党の時の合意というのが日米の間で絶対に唯一正しいものだという言い方をしてきたわけですよね。ところが一つでも違うものが入るとね、じゃあ日米合意というものの全体も、ひょっとすると別のオプションがあるかもしれない、いうところに行くわけですよね。その役割を実はこれが持っている」

岩上「変えたいんですね。ここから崩していきたい」

孫崎「崩していきたいというか、それが現在言っているベストというものが、日米のベストであるかどうかは検討する余地があると」

岩上「私も少しインテリっぽく(笑)。このあたりから脱構築して、デコンストラクションしていくと。もう少し脱構築された同盟に……」

孫崎「それは実は、部分的に左翼勢力が気づいているんですよね。これから左翼勢力がどう出てくるか、日本のね。基本的にはグアムへ行けと言っているわけですよ」

岩上「社民党が……」

孫崎「グアムへ行けと言ってるんだから、彼らの立場から言うとこの長崎案はのめないんですよ。ところが、のめないものもオプションだということになると、非常に大きな変化になるんですよね」

岩上「大きな戦略の中の、全然別な、今まで作り上げてしまった日米合意を脱構築していくためのロードマップというものを、どこかに作って……」

孫崎「そういう雰囲気で見ているかもしれないから、だからこれ、一番最初に政党として動いたのは社民党なんですよね。誰か知りませんが、長崎に見に行ったわけですよね、この案を受けて。本来だったらこんなものは、何の役にも立たないと。グアムしかないんだということを言うはずの政党がそうではなくて、一番真剣に取り組んだんですよね」


普天間基地の移設先としての長崎大村案は、日米安保ではなくアメリカの考える日米同盟にとっての最適解なのだ、というわけです。沖縄から長崎に米軍が移るということは、日本がより深くアメリカの中東戦略に組み込まれることを意味するのです。このオプションをアメリカに提案することで、それをアメリカが拒否し、依然として辺野古をはじめとする沖縄に固執したら、その矛盾をつき、一気に「日米同盟」の桎梏をかなぐり捨てて、米海兵隊基地を沖縄からも本土からも出ていってもらってしまう、という捨て身の戦法が、ここから組み立てられないでしょうか。

鳩山さんの首は飛ぶでしょう。5月末にアメリカに、「日本のどこにも、イスラエル防衛のために艦船に載せて中東に向かうオスプレイに提供できる場所はありません」と解答することになるのですから。けれど、米軍常駐なき安保を唱える鳩山さん、本望ではないでしょうか。米海兵隊基地を追い出した政治家として、鳩山由紀夫は歴史に名を残すと思います。

孫崎インタビューについては、また取り上げたいと思います。「同盟の深化」について、岡田外相の発言がおもしろい、というのです。

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「トヨタ社長は謝ってはならない、ひたすら感謝すべきだ」という冷泉彰彦氏の助言

トヨタの社長が米議会で見解を述べる機会を与えられました。おっかない公聴会に呼びつけられた、きっと袋だたきにあう、という報道が占める中、アメリカ在住の作家・大学教授の冷泉彰彦さんは、チャンスだ、と言います。そして、トヨタの社長さんのためにスピーチに盛るべきことと心構えを提案しています。彼我の文化の違いを考えさせる、それだけでもたいへんに興味深いものなのですが、許可がないので全文引用できず、残念です。明日にでもこのサイトに載ると思いますので、ぜひお読みください。

すこしだけ引用します(引用はいいとのことです)。


(1、絶対に謝ってはならない)
謝罪は禁物です。お詫び(アポロジー)という言葉も、済まない(ソーリー)という言葉も禁句です。こうした言葉は、明確な悪意や顕著な過失があり、いかなる責任を負わされても構わないと宣言するようなものだからです。具体的には、損害賠償だけでなく、株主代表訴訟からリストラ時の労働訴訟まで惹起しかねません。ちなみに、豊田社長に関しては、日本での記者会見では謝っており、お辞儀のシーンがアメリカでは何度も報道されています。この点に関しては、文化の違いを説明すべきです。

日本では、問題が生じたら謝罪が誠意の表明であり、謝罪した人間を民事上追い詰めるような文化はないことをハッキリ述べるのです。その上で、アメリカでは民事訴訟の場合に、双方が論理を尽くして利害を調整する文化があり、その文化を自分は尊重する立場でここへ来ている、そう言明すべきです。従って、自分はこの場で謝罪はしないし、日本での謝罪がアメリカでの法的な立場を不利にするとも思っていない、仮に日本での自分のお辞儀を揚げ足を取るように、あたかも自分が不誠実であったことを認めたかのような解釈をするのは許さない、この場でもそうだ、そう言い切るべきです。

その上で、自分は何よりもトヨタ車を愛してくれる米国ユーザーのために、米国トヨタの工場やディーラーで働いている人々のために、その期待を裏切らないように、その信用を裏切らないように、これからの公聴会では(法的に許される限りにおいて)誠実に全ての質問に答える、そう宣言すべきです。更に、このような公的な場で、自分の立場を説明する機会を得たことへの感謝を口にすべきです。

アメリカ人は人を待たせた時に「待っていて下さってありがとうございました。"Thank you for waiting."」と言います。とにかく、日本では謝罪しなくてはならない場面で、逆に謝意を述べることが誠意になるのがアメリカです。もっと言えば、やたらに謝るだけでは「謝罪を喜ぶような安っぽい人間だと相手を見下している」あるいは「ひたすら頭を下げていれば許されると思っている」そう思われることもあるのです。お辞儀などもっての外です。(引用元:JMM [Japan Mail Media]No.571 Saturday Edition  『from 911/USAレポート』第446回「豊田章男社長の公聴会パフォーマンスへの期待」冷泉彰彦)


ね、興味深いと思いませんか? 日本には企業が不祥事を起こした時の対処を請け負う会社があって、言葉遣いからお辞儀の角度まで指南するそうですが、そんな演出で「武装」してアメリカに渡ろうものなら、それこそ取り返しがつかないことになりそうです。

冷泉さんは言います。アメリカが生んだ自動車や半導体技術に敬意を表せ、アメリカの自社工場で働いている人びとやディーラーやユーザーに感謝しろ、その上で、政府を含むアメリカの人びとが今トヨタ車に注文をつけてきていることを真摯に受けとめ、ともによい方向にもっていく所存だと、ひとことも謝らずに堂々と「降伏」するのだ、と。そして、問題の1つ回生ブレーキについては、これからEV(電気自動車)に不可欠の技術であることを説明し、新たな安全基準をともにつくっていこうと提言すべきだ、と。さらには、質問に立つ議員の選挙区のトヨタ車数、トヨタの工場があるばあいは従業員数、ディーラーの数と従業員数なども調べておくべきだ、と。なるほど、中間選挙を控えている議員もいるわけですから、トヨタをこき下ろして点数稼ぎされないためには、そういう手があるのですね。

もうすこしだけ引用します。

協力は惜しまない、だが誤解からイメージダウンを招くことには甘んじない、また自社の技術に不利な安全基準を設定されるのは許さない、そうした毅然とした姿勢が必要です。更に言えば、HVとその中核技術である「回生ブレーキ」は今回の問題で、イメージダウンさせる必要は全くないし、逆に幅広い議論を起こすことで、お客様や政府の意見を聞いてもっと素晴らしい技術に育てたい、そう胸を張るべきです。

トヨタの社長さん、がんばってください。私は冷泉さんのご提案を念頭に、お手並み拝見することにします。

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スノーボードと近代五輪はクラッシュするはずだ

半可通で発言するものではありません。17日の記事「國母と川口 2人の『非国民』」、本筋では外れていないと思いますが、ちょっと気恥かしい思いをしています。國母選手の「腰パン」を、かれ個人の趣味と思い込んでいたからです。

國母選手のことを取り上げたので、なんだかかれを見届ける責任が生じたような気になって、スノーボード競技を録画してざざっと見ました。そうしたらなんと、飛び出す選手飛び出す選手、みんな「腰パン」風のぶかぶかパンツではありませんか。

国別のユニフォームはあまり目立ちません。アメリカはユニフォームでしたが、ジーンズ風のボトムはぶかパンでした。ほかの国の選手はそれぞれに個性的な、でも揃ってぶかパン。これはスノーボードというスポーツの文化の一部なのだと知りました。そして、スノーボードがスケートボードというストリート系スポーツから派生した以上、ヒップホップやストリートダンスと共通のファッションがここにも入ってきているのは、ごく自然なことなのだと納得しました。また、技の独創性を競う競技なのだということもわかりました。選手が個性的なウエアに凝るのももっともです。だったら、あの赤ちゃんのよだれかけみたいなゼッケンはかっこ悪い、せっかくストリート・カルチャーの文脈ですてきなウエアを選んでいる選手がかわいそう、と思ったのは、私だけでしょうか。

國母選手は、きっといつもストリート系ファッションなのでしょう。おそらく多くのスノーボード選手も。國母選手は、お仕着せのスーツのボトムをウエストで穿くのは慣れないことだし、気持ち悪かったのではないでしょうか。それで、選手団のユニフォームを高校生が制服を腰パン履きするように履いて、ぶかパン風にしたのでしょう。そして、高校生が生活指導の教師に叱られるように、寄ってたかって叱られてしまった。あの「腰パン」は、スノボーチームのなかでかれ1人、いつもどおりの自分を通した、ということではないしょうか。

スノーボード競技がオリンピック種目になったのはそんなに過去のことではなく、長野大会からなのですね。ストリート系スポーツがオリンピックに登場するのは、興味深いことです。なぜなら、近代オリンピックの草創期、選手には現役の軍人が多く、夏期の近代五種競技などはナポレオン戦争の故事をふまえています。冬期の種目ではスキーと射撃のバイアスロンが、狩猟から編み出されたとは言え、まるでいにしえの冬の行軍のようです。その選手の多くは、日本のばあい自衛隊員です。

つまり、平和の祭典オリンピックは、戦争と深く関わっているのです。国の威信を賭けて、というノリになりやすいのもうなずけます。そこへ、「お国のため? カンケーネー」みたいなストリート文化が生んだ競技が入ってきた、興味深いと言ったのはそういう意味です。そして、新しいスポーツが遠く「軍隊あがり」の血を引くスポーツ界と文化的衝突を起こしたとしても、おかしくはないと思いました。

懲りずにしろうと談義で恐縮ですが、國母選手はダブルコークという大技に挑戦しなければ、メダルは確実だったのではないでしょうか。あの批判の嵐の中で、自分の滑りを追求し、大技に挑戦して順位を落とした。すばらしいではありませんか。それにしても、あんなに高いところから氷壁めがけてくるくると舞い降りる、スノーボードとは恐ろしい競技です。

きのう、息子がスノーボードをしに出かけました。「あなたも滑る時はぶかパンなの?」と訊ねたら、「そうだよ」と当たり前のように答えるではありませんか。うちにも「ぶかパン野郎」がいたのです。知らなかった。

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孫崎元外務省局長「検察の動きを見ればアメリカの意思がわかる」

ジャーナリストの岩上安身さんのサイト記事を参考に、沖縄の米軍基地問題について書こうと思ったのですが、その孫崎享元外務相国際情報局長のインタビューの番外編にゆゆしいことが出ていたので、先にご紹介します。

検察特捜部が戦後、隠匿物資摘発を目的として発足したことは、このたびの小沢騒動ですこしは知られるところとなりました。私は、闇米などを摘発したのかと思っていたのですが、そうではなく、供出ダイヤモンドなどの旧軍や政府の資産が対象だったそうです。特捜部は、そうした資金をつかってアメリカの意向に反する動きをしそうな勢力を抑えこんだ、と孫崎さんは言います。

インタビュー本編の情報も加えれば、アメリカは自国の国益に添わない日本の政治家を失脚させてきた、それは鳩山一郎、吉田茂(晩年)、田中角栄、武村正義、小沢一郎と続いている、その手段のひとつが検察特捜部による摘発だった、と孫崎さんは断言します。外交の中枢にいた、外務省の元高官である孫崎さんが!

以下に貼りつけますが、元のサイトはこちらです。他の回もぜひお読みください。抜粋映像もあります。抜粋と言ってもvol.12まで、合計80分ほどあります。


話は、先に孫崎氏がさらっと口にした「検察の動きを見ていると、アメリカの意思が分かる」という言葉について。

なぜ、検察の動きを見ていると、アメリカの意思が分かるのか、そうたずねると、「特捜部という組織について知るには、その起源を知らなくてはならない。特捜部の出発は、GHQ(進駐軍)が支配していた戦後直後にさかのぼるんです」と孫崎氏は語った。


孫崎「戦後、隠匿物資を、発掘するために特捜部がつくられました。こんな資産を日本政府は隠していて使っているという。それと政治家と結び付いているというので、隠匿物資の摘発が始まっているわけです。それが特捜部の出発点なんですね」

岩上「隠匿物資というのはこの場合は、戦前の日本軍か?」

孫崎「そうそう。ダイヤモンドであるとか……」

岩上「あの
児玉誉士夫とか、戦中、軍部に協力していた人達が抱え込んでいた軍需物資をドサクサに紛れて私物化して、戦後、すごく成功するじゃないですか」

孫崎「そうそう」

岩上「ああいう一連の戦後右翼と同じように、どさくさに紛れて、いろいろ物資を私物化していった連中がいるという話ですが……」

孫崎「どさくさに紛れなくても、日本政府が持っているわけです」

岩上「特別会計の埋蔵金みたいなもんですかね」

孫崎「日本政府そのものが持っていて、日本の政治がそれを利用しているわけ。それを……」

岩上「どこか帳簿に載っていないとか、国民の為に使われていないとか……」

孫崎「そう。そういうことが起こっているわけですよね。利用の仕方がかなり恣意的なものなんだけど、それを一番追っかけたかったのがアメリカなんですよね」

岩上「日本の隠し財産を発掘しようと」

孫崎「要するに、自分の目のつかないところで、勢力をもっていこうとしているわけだから、全部の経済財産はアメリカの方が把握しているわけだけども、隠匿物資だけは隠しているわけだから、わからない。それを使って動いているわけだから……」

岩上「地下経済ですからね」

孫崎「それの摘発で、特捜部は始まった」

岩上「隠匿物資の私物化ということは、闇屋ややくざのように、私的利益で動いている連中もいるでしょうけど、当時、アメリカの占領下の中で、アメリカに気づかれないように動こうというのは、アメリカに隷従することを潔しとしない勢力、日本の自主独立を求める勢力。いわば、アメリカにとっては非常に困る勢力でしょう、愛国主義勢力というのは」

孫崎「そうそう、そういうことです」

岩上「それを摘発する東京地検というのは、愛国者を摘発する勢力……」

孫崎「愛国者という言葉を避けると、その時の政府に、その時の日本の権力者に歯向かう役割で特捜部はスタートしているわけですよ。じゃあ誰が後ろ盾にいるかというと、米軍がいたわけですよ。それが今日まで続いているわけです」

岩上「そうなんですか、なるほど。日本国内の、国民に選ばれた正当な政治権力に対しても特捜部は歯向かう。その背後には、そもそも出発点からアメリカの存在があった。ということは、東京地検が日本が対米隷属から離れて、独立独歩の道を歩もうとする政治家をねらい打ちにしてきたのは、ある意味で当たり前なんですね」

孫崎「当たり前。だから、特捜部の姿勢は一貫している。田中角栄にも歯向かう。要するに、非常に簡単なことなんですけど、官僚が時の政府に立ち向かうということは、普通やらないです。しかし、時の政府よりも強いものがいると思うからやるんです」

岩上「なるほど。官僚は、一番強いものにくっつきますからね。本来は、官僚は権力に従うものですから。それが官僚というものの本質であり、性質ですよね」

孫崎「というようなことを思っていくと、特捜部というのは何者かという。そういう意味で歴史的なものが、今日までどうなっいてるかという、これまでの特捜部長であるとか、それをずうっと追っかけたら、面白いものができるかもしれない」

岩上「面白い。やりたいけれども、うかつにやろうとすると、つぶされますね(笑)つぶされないでやるための方法を考えないといけないですね」

孫崎「特捜部のトップは、皆、外務省に出向して、駐米大使館勤務を経験したりしていますよね。あれは、大使館勤務が大事なのではない。留学でも何でもいい。検察に入ってから、アメリカに何年間か滞在することが大事。その滞在期間中の経験こそが、大事なんです。その期間中に、権力の機微を学ぶんですよ。くわしくは、私は専門家ではないので、これ以上は言いませんが」

岩上「権力の機微を学ぶとは?」

孫崎「くわしくは、私はその方面の専門家ではありませんから、これ以上は申し上げませんが」

岩上「官僚を動かす一番のテコは、人事ですよね。米国が人事に介入することができれば、それを通じて政府や官僚機構の操作も可能ですね」

孫崎「先に述べたように、
小池百合子さんが武村官房長官について話していることなどが、ひとつの例でしょう。他にも多々あると思いますよ。各省庁の幹部に、どれだけ米国への出向経験者がいるか、ということを調べた人がいます。すると、法務省では、出世組の中に、米国出向経験者の占める割合が高いんですね。他省庁と比べても、ずっと高い。不思議ですよね、これ(笑)」

岩上「これは面白いなぁ(笑)」

孫崎「いやいや、面白いかどうかは別として(笑)。リスクをとらないと」

岩上「僕自身は、リスクをとるのはかまわないんですが、僕だけでは説得力がありませんから(笑)」

孫崎「それはやっぱり、一番説得力のあるのは元の公安調査庁であるとか、あるいは検事であるとか、そういうような人たちに、これでいいのかと思っている人達が必ずいるはずなんですよね。その辺をどうつかむかですよね」

岩上「やっぱりこの捜査はおかしいという風に発言している弁護士というのは、元東京地検の検事なんですよ。郷原さん」

孫崎「ああ、郷原さん」

岩上「郷原さんに実は昨日(1月13日)の夕方、インタビューの約束を入れていて、彼の事務所に着いた時に『小沢氏の関係各所に強制捜査が入る』という速報が、携帯に入りました。うわーっ、とうとう入っちゃいましたね、というところで、
郷原さんとのインタビューを始めたんです。それを大急ぎ、今朝、YouTubeにアップしてきました

孫崎「第二、第三の郷原さんが出てくると、いいんですけどね。だって郷原さんだけだったら、今度彼の足元をすくわれたら……。『郷原さんというのは、あんまり信用ができない』などという、そういうような『評判』を立てていくでしょうからね。ちょうど寺島実郎さんが一時期やられたでしょう? あれと同じような感じになるわけだから。ああいうような人が次から次へと……」

岩上「ああいうような、寺島さんに対する、一種のディスインフォメーションのようなものも、ある程度組織的にやっているわけですよね?」

孫崎「やっていると思いますね。あれは口コミですごい、広まっている。ええっ? と思うような人が、『寺島さんというのは、仕事はあんまりやらないんだよな』とかね。全然違うようなところから、攻撃しているんですよね」

岩上「なるほど。先生ばっかり目立ってはいけないんで、複数の人が立ち上がらないと。できるだけ、とにかく、やりたい事は簡単なんで、この気持ち悪い状態を何とかしたい。この気持ち悪さというのは、本能的に誰でも分かりますから。この気持ち悪さをを分からない人たちは、ちょっと変だと思うんですよ」

孫崎「しかし、郷原さんや、あなたのような人というのは、ほとんどいませんよ」

岩上「たしかに今はまだ数は少ない。小沢会見で、120人いる報道陣の中で手を挙げて、『検察の不当捜査、マスメディアがリーク報道で足並みそろえている異常事態をどう思うか』と質問したのは、僕だけですから、ええ。もう気が狂っているというふうに、記者クラブ側からは思われているでしょうけど、僕は記者クラブ側のほうこそ気が狂っていると思いますからね、やっぱり。

検察と、主要マスメディアがやっていることは、集団狂気による集団リンチでに等しいと思います。捜査のデュー・プロセスも、推定無罪の原則も、冤罪可能性への配慮も、集中報道による人権侵害の懸念も、何もない。

それが、小沢一郎という権力者に対する『反権力』のポーズをとりながら、実は、より上位の権力にこびへつらっている姿であるとすれば、看過できないですね、やはり」

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沖縄の土木・建設業者さん、基地を退かしてくださいませんか?

本題に入る前に、ひと言。

きのうの党首討論、貧相な内容でした。鳩山さんのお金の問題はもういいかげんにして、もっときちんと政策論をたたかわせていただきたいものです。その中で谷垣さんが言いました。

「総理、総理にはたいへん申し上げにくいですが、『平成の脱税王』という言い方もあるんです。」

でも、「平成の脱税王」って、12日の衆議院予算委員会で、与謝野さんが使った言い方です。それを「という言い方もあるんです」なんて、さも巷間言われているような思わせぶり、問題です。谷垣さんと与謝野さんが、ふたりで言ってるだけなのに。その後、与謝野さんは、鳩山弟さんの否定会見で「時差自爆」しました。

こんな駄弁で貴重な党首討論の時間を費やしていたのでは、与謝野さんに続いて、今にこちらも足元で地雷が爆発します。

さて、本題です。

沖縄の土木・建設業者さん、毎日ごくろうさまです。私は、土木・建設業者さんは地元にとってたいせつな存在だと思います。災害があった時、地元の地形や地質をよく知り、また人間関係や人情にも通じるみなさんがいてこそ、迅速な人命救助も復旧も可能になるからです。ですから、常日頃みなさんが地道にお仕事をし、会社を維持してくださっていることは、地元住民にとって心強い限りです。

ところが今、全国的に公共事業が減り、不況が深刻化する中で、みなさんの仕事が激減しています。全国どこに行っても、同業者さんたちの悲鳴を聞きます。沖縄のみなさんは、次なるおおきな仕事として、新しい米軍基地が県内のどこかに建設されることに希望を繋いでいらっしゃるのかもしれません。それどころか、まさにこの望みの綱を引き寄せたいと思っていらっしゃることでしょう。そのお気持ちは、よくわかります。

けれど、沖縄の土木・建設業界のみなさんは、けっして心から戦争施設を歓迎しているわけではない、ホンネのところでは米軍基地に反対している人たちと同じ、だけどとにかく仕事がほしいのだと、いつか沖縄に行った時に、ひとりの同業の方から打ち明けられました。なるほどそうなんだ、と私は考えこみました。

でしたら、ちょっと考えてみてください。米軍基地にかかわることで、みなさんにはこれからもっとおおきな仕事が待っています。基地の縮小、ひいては撤去、そして跡地の再開発です。広大な基地跡地が地元のために利用されるまでに、どれだけの工事が必要になることか。その規模は巨大で、期間も長期にわたるでしょう。そして、みなさんがプロジェクトを完成させたあかつきには、みなさんの親族や知り合いの働き口がたくさんできるのです。

みなさんの力で、沖縄を平和の島にしてください。今ちらつかされている辺野古陸上に滑走路をつくるとか、下地島の滑走路や嘉手納基地を整備するとか、東村高江にヘリパッドをつくるとか、そんなちいさな仕事には目もくれずに、基地跡地を地域のために活用したいと願う人びとと心をひとつにしてください。基地がなくなって跡地が利用されるまでには、もちろん国のお金が使われるべきです。基地のことでかくも長い間みなさんが迷惑をこうむってきたには、米軍だけでなく国、そして県外すべての人びとにも責任があるからです。私も一市民として、そう主張していくことをお約束して、みなさんのご一考をお願いします。

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國母と川口 ふたりの「非国民」

きのう、小沢幹事長を告発した市民団体はなぜ匿名なのか、と書いたら、命を狙われるからだろう、とのご指摘をいただきました。でも、そんなことを言ったら、命がいくつあっても足りない人はいくらでもいるのではないでしょうか。そして、ほんとうに命を狙われる虞がある場合は、むしろ名前を出したほうが安全です。

さて、たくさんの方がオリンピックに入れ込んでいらっしゃいますが、私はへんなことで面白いなあと思いました。

一つ目は、スノーボードの國母和宏選手の「腰パン」です。文科大臣までが衆議院予算委員会で、「きわめて遺憾……日本を代表して参加している自覚が著しく欠けていた」と言ったり、ちょっとした騒ぎになりました。謝罪会見でも、舌打ちと「うっせえなあ」という小声がマイクに拾われ、「反省してまーす」の言い方にも、多くの人が眉をひそめました。

もちろん、「うっせえなあ」はよくありません。私も、一連の國母選手の態度には目を白黒させる年長者の部類ですし、腰パンをかっこいいとするセンスも理解できません。けれど、國母選手の着こなしが批判されたのは、そうした個人の好みの問題ではなく、国の代表として適切な着こなしがあるとする人びとから、それに合致しないとされたからです。でも、「自分にとってオリンピックはスノーボードの一部で、特別なものでない」ということばに現れているように、そもそも国の代表という自覚をこの選手に求めるのは無い物ねだりなのです。むしろ、はしなくもその着こなしによって国家など背負っていないことを表現したことになったのが、國母選手なのでした。そんな國母選手に、「がんばればいいじゃん」と声援を送る人も、私の周囲にはけっこういます。

二つ目は、フィギュアスケートのペア競技、13連覇に挑むロシアが、日系ロシア人とでも言うべき川口悠子さんを代表に選んだことです。川口さんは去年、オリンピックに出る、ただそれだけのために国籍を変えました。そうした例は少なくありません。ペアの相手を捜すのは容易でなく、パートナー探しの専門サイトがあるほどで(icepartnersearch.com)、それを頼りに、人びとは競技者としてのチャンスを求めて国境を越え、国籍を変えています。

川口選手もまた、ロシアという国家に思い入れがあるから、その代表として競技したわけではなく、ロシアのフィギュアスケート界が自分にチャンスを与えてくれる可能性があったから、時代がかった言い方をすれば「国を捨てた」のです。重大な決断ではあったでしょうが、悲壮な決意とか、そういうことではなかったことが、「日本に行くのにビザがいるなんて、へんな気持ち」という川口選手のコメントに現れています。そんな川口選手を応援するのに、日本の人びとに抵抗感は皆無でした。

オリンピックに国威掲揚という側面があることは否めません。けれど、國母選手にしろ川口選手にしろ、競技者個人としての頂点をめざした。それが正しいのでしょう。国々はメダルの数を競いますが、メダルそのものは選手個人にあたえられるのですから。

国旗や国歌が入り乱れる場に、国民としてではなく一個人として、超一流のアスリートたちがすっくと立っている。ナショナリズムと、そこから飛び出した人びと、いわば「非国民」が呉越同舟しているのが、昨今のオリンピックなのかもしれません。そして、帰属する国にこだわらない選手たちを、多くの人びともまたこだわりなく応援しています。国家という縛りを棚上げしていることが気にもとめられず、むしろそうした上でみんなで高揚している。国家がきわめて色濃い現場から、国家が蒸発しているのです。近代国民国家という擬制が今後どう変化していくのか、注視している立場から、面白いと思った次第です。

この項、20日に続きます(こちら)。

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私はなぜ「小沢 告発 市民団体」を検索せねばならないのか メディアの沈黙

小沢幹事長が不起訴になるとすぐ、市民団体が検察審議会に申し立てをした、というニュースが流れました。ところが、この市民団体なるもの、新聞には「行政書士や元新聞記者らでつくる東京都内の市民団体」としか明かされていません(たとえばこちら)。代表者の名前くらい報道すべきだし、今まではそうだった、と私は思うのですが、代表者はおろか会の名前すら匿名扱いなのです。こうした行動を起こす時、市民団体は記者会見を開きますが、この市民団体は開かなかったのでしょうか。それも疑問です。

それで検索してみると、たくさんの方がたが私と同じ疑問をもって精力的に調べていらっしゃいます。さまざまな推理はほぼ一定の幅におさまっている感があります。それによると、市民団体メンバーと目されている人びとの中には、私でもすぐにお顔を思い出せる有名人が何人もいます。もしも、ネット探偵のみなさんの推理が正しいとしたら、有名人たちのアクションに、通例ならマスメディアは飛びつくのではないでしょうか。もちろん、名前も写真も出して、です。インタビューだって、競ってとるでしょう。テレビは出演を依頼するでしょう。なのに、そうではない。各紙各局、みごとに足並み揃えて。

これについて、最近とみに元気な夕刊紙や週刊誌は書いてくれるでしょうか。期待してしまいます。記事が出たら、私は買いに走ります。
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誘惑のオペラ8 ヴァルターの場合

新日本フィル定期演奏会プログラムに連載したエッセイを転載するシリーズ、前回の「スペードの女王」で誘惑というテーマはおしまい、と書きました(こちら)。ところが、うっかりしていました。もう一本あったのです。ワーグナーの「ニュルンベルクのマイスタージンガー」です。

ヨーロッパでは中世、シンガーソングライターたちがその腕を競っていました。かれらの本職は下級騎士や職人です。暮らしの中に詩が意味をもっていたところは、江戸時代、町民の間に俳諧が広まっていたのと一脈通じます。

 
ニュルンベルクの旧市街は、小高い城山を中心に、塔や建物がかさなりあいながらそびえ立っている。それをぐるりと取り囲む城壁の中に足を踏み入れると、そこは豪壮な石造りの館や、黒ずんだ木組みと白い漆喰壁のうつくしいハーフチェンバーの家屋といった、歴史的建造物のひしめく別世界だ。第二次世界大戦末期、これらがすべて文字通り瓦礫の山と化し、戦後、石をひとつずつ積み直して再現されたとは、にわかに信じがたいほどの壮麗さだ。
 
ドイツの中心からやや南に下がったあたりに位置する、いにしえのバイエルン王国の都市ニュルンベルクは、古くから手工業と交易で栄えた。神聖ローマ帝国の皇帝はここに城を置き、諸王諸侯はここで開かれた帝国議会ににぎにぎしく参集した。16世紀の中頃までのことだ。
 
ワーグナーのオペラ「ニュルンベルクのマイスタージンガー」の主役ハンス・ザックスは、ニュルンベルクの繁栄の最後の時代を生きた、実在の靴屋兼職匠歌人だ。手工業の職人が詩を書き、それに曲をつけて歌うのは、このころのドイツの伝統だった。彼らはマイスタージンガー(職匠歌人)、その歌は職匠歌と呼ばれる。たとえばこのオペラに登場する職匠歌人たちの本業は、錺(かざり)職、パン屋、毛皮職、ブリキ職、錫(すず)細工職と多彩だ。オペラにもあるように、彼らは組合をつくり、伝習館をもっていた。
 
このニュルンベルクに一人の若い騎士がやってくるところから、オペラの物語は始まる。騎士ヴァルター・フォン・シュトルツィングはフランケンの出だというから、その領地はさして遠くない。ニュルンベルクはバイエルン王国が北に飛び出たところにあって、むしろそのあたりにひろがるフランケン地方の中心といったほうがしっくりくるからだ。
 
ヴァルターはいう。

「故郷を離れ ニュルンベルクに来たのは
ひとえに芸術を愛するため」

芸術とは、職人たちの職匠歌だ。騎士と職匠歌人たちを仲立ちするポーグナー親方はいう。

「よろこばしいことだ
古きよき時代の再来だ」

じつは、自作自演の歌を披露しながら旅をする吟遊詩人は、かつては騎士階級の出と決まっていた。そうした下級貴族の伝統を、台頭した市民階級がひきついだのが職匠歌だった。だから、騎士がマイスタージンガーをめざすことは、「古きよき時代の再来」なのだ。ポーグナー親方の紹介によれば、

「ヴァルター・フォン・シュトルツィング
名門の 最後の一人でありながら
このほど先祖伝来の城や屋敷を離れ
このニュルンベルクに移り住み
市民になろうとの心づもり」

しかし、なぜだろう。ヴァルターはなぜ、せっかくの貴族の地位を捨てて一介の市民になろうとしたのだろう。都市はなぜ、名門貴族の末裔を惹きつけたのか。誘惑したのか。そのヒントは、ポーグナー親方のことばにひそんでいる。
 
「ドイツをくまなく 旅したときに
市民はけちで狭量と 噂されるのが残念だった
宮廷でも下々のあいだでも 市民は悪評さくさく
儲け話や金にしか 興味のないやつらだと」

つまり、市民は裕福だったのだ。たとえば遠隔地との交易は、都市市民だけに許された特権だった。レープクーヘンはいまでもニュルンベルクの名物だが、遠来の貴重な物産がいくらでも手に入る交易都市ならではの、オリエント原産の香料をふんだんに練りこんだ、香ばしい焼き菓子だ。
 
遠い外国との自由な交易により、都市市民は巨万の富を蓄積させる。すると、あいかわらず封建経済をいとなむ周辺の農業地帯は疲弊する。ちいさな領地ほど経営がなりたたなくなる。借金がかさんで、領地を手放さざるをえなくなる領主も出てくる。
 
そう、下級貴族である騎士ヴァルターは、なんらかの事情で領地を放棄することになり、残ったなけなしの金を手に、都市に移り住んだのだ。繁栄が、荒廃した領地から没落した田舎貴族を都市へと引き寄せた。「都市は人を自由にする」ということわざどおり、ニュルンベルクに足を踏み入れたヴァルターは、開放感のなか、うつくしい娘に一目惚れする。
 
しかしヴァルターには、これといってなりわいとなるような技術はない。しかし、歌は好きだった。そこで、マイスタージンガーになろうとしたのではないか。ヴァルターがその願いを叶え、おまけに、裕福な市民の娘と結ばれるのは、聖ヨハネ祭の日だった。これは、太古の夏至祭をキリスト教が引き継いだもので、本来は、復活と豊饒を祈る日だった。市民として生まれ変わったヴァルターの婚礼にふさわしい「佳き日」といえるだろう。

 

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若い女性の発音流儀とグリムの法則

ついでなので、きょうも発音の話題です。

銀行がテレビコマーシャルをしていいことになった直後ですから、20年以上も前になるでしょうか。ある銀行のコマーシャルに、女優の浅野温子さんが出ていました。場所は空港ロビーで、浅野さんは海外旅行に出るところのようです。ところが、銀行口座の残高が少なくて、自動引き落としに足りない、ということに気づきます。絶体絶命。そのとき、ナレーションが流れます。「ご安心ください、浅野さんのご口座は○○になっています」。「○○」は忘れましたが、残高が足りなくても引き落としはされ、足りない分は自動的に借金したことになるというものでした。その次、浅野さんの顔がアップになり、せりふが入ります。

「たすかった!」

語頭の「た」を発音する時、浅野さんの歯の間からはっきりと舌の先が見えました。私は驚きました。「た」音は舌の先を上の歯の裏の生え際につけて発音する破裂音なのに、あれでは閉鎖が不完全だからです。それから注意していると、ごく若い女性たちの中に、そうした発音をする人がけっこういることに気づきました。若い男性も、数は女性より少ないとは言え、いました。

驚いたのにはわけがあります。私はドイツのグリム兄弟の、おもにメルヒェンにかかわっていますが、兄のヤーコプは言語史の研究家でもあり、「グリムの法則」という発音の歴史的変遷を解き明かした業績を残しています。それによると、b音は時代が下るとp音になり、さらにこれにhがついてph音、つまりf音になる、というのです。同様に、d→t→th、g→k→khと変化する、とヤーコプ・グリムは考えました。

「グリムの法則」は、訂正が加えられ、より精密になって、現代の言語学でも通用しています。けれど、グリムはインドヨーロッパ語族の歴史を研究したのであって、「法則」もこの語族から引き出したものです。でも、日本語にもあてはまるのではないか。わたしは、言語学者に会うと尋ねることにしているのですが、日本語だけでなく、すべての人間の言語にあてはまるだろう、というのがおおかたの意見でした。

なぜ日本語にも適応可能と考えられるかというと、現代のh音は平安時代はf音で、その前はおそらくp音だったらしいからです。母、「はは」は「ふぁふぁ」、さらには「ぱぱ(パパ)」、もっと遡れば「ばば(婆)」だったはずというのは、よくできた冗談のようですが、事実です。

だったら、ほかの音列にも言えるでしょう。現に「た」音を発音するのに、浅野温子さんはじめとする若い女性たちは、20年以上前から、英語のth音のように舌の先を歯の間にはさんでいます。聞こえるのは、ちょっと軽いけれどれっきとしたt音で、今のところ舌の先は無意味に外に出ていますが、これがあと何十年、何百年かしたら英語のような擦音にならないとも限りません。

グリムの法則にのっとって日本語の発音が変化する、その瞬間を、もしかしたらあのCMは映像に記録したのかも知れません。このこと、発音の研究をしているNHKの放送研究所の方にお伝えしました。あの銀行CMは保存すべきです、日本語の発音の歴史の貴重な史料、それどころか、グリムの法則を裏付ける世界初の映像証拠になるかも知れませんよ、と。NHK放送研究所があのCMを入手保存したかどうかは、聞いていません。

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女子アナの発音流儀

きのう、声優さんについて書いたら、こちらも書きたくなりました。女子アナ、と括ってはいけないのでしょうが、ニュース番組に出ている女性一般の発音にも気になることがあります。

それは、語尾をだみ声、とまでは言わないでしょうが、声帯周りの筋肉に力を入れて、喉を絞めて発音する人がいることです。男性にはいません。女性特有の発音です。NHKの夜7時のニュースの最後に出てくるお天気キャスターの女性が典型です。彼女の場合、「です」だけでなく、かなり前の音からすでに喉が絞まっています。少し前まで民放のニュース番組に出ていた滝川クリステルさんも、語尾で喉がつぶれていました。ケーブルテレビ局の朝日ニュースターには「デモクラシー・ナウ」というアメリカの独立系テレビ局の番組がありますが、その司会役のエイミー・グッドマンさんは、ほぼすべて喉を絞めた状態で発音します。その日本版の司会役、ヒューマンライツ・ウォッチ・ジャパンの土井香苗さんも語尾喉絞め派で、個人的に存じ上げていますが、ふだんもそうした発音です。

日常会話でこうした発音をする人に、私は土井さん以外、会ったことがありません。滝川クリステルさんも、現場でのインタビューなどでは、喉を開放した発音をしていました。なのになぜ、テレビには語尾で喉を抑圧する女子アナが多いのでしょうか。そして、こうした発音をする動機はなんなのでしょう。強調したいとき、無意識に喉が力んで声がつぶれるのでしょうか。

これは電波に乗った時、お名前を挙げた方がたには申し訳ないことながら、あまり耳に心地よい発声ではないと私は思うのですが、そんな受け止め方をする人間はいないのですね。だから、しゃべる仕事にこの発音をする人がたくさんいるのでしょう。でも、私に限っては、NHKの7時のニュースが天気予報になると、テレビを消すのが習いです。

と、ここまで書いたら、つけっぱなしのテレビから、滝川クリステルさんの出ているコマーシャルが流れました。あれ、語尾で喉を絞めていません。CMの監督から、そうした発音はしないようにとの指示があったとしか考えられません。いいですねえ。だみ声になどしないほうが、滝川クリステルさんのきれいな声が引き立ちます。

どうでもいい話ですみません。でも私は昔話、つまり声の文学の勉強をしているので、発音は気になるのです。女性の発音については、まだ気になることがあるので、また書きます。

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声優の流儀

テレビは、おもにドキュメンタリーを見ます。NHKBSには、海外ものを含めて見応えのある作品が多く、録画してもなかなか見る時間がとれないほどです。海外ものは一部が吹き替えになっていて、字幕部分と併用のことが多いのですが、その吹き替えが気になってしかたありません。

理由はいくつかありますが、まずは有声音と無声音の問題です。日本語は「ん」を除いてすべて有声音、つまり母音をともなっていると考えられています。けれど、実際に私たちがしゃべる時、語尾は無声音になります。たとえば「ます」は「masu」ではなく「mas」に近いのが一般的です(もちろん、地域によっては例外があって、たとえば名古屋では語尾をしっかり有声音で発音します)。ところが、吹き替えの声優さんたちの多くは、「masu」と発音します。語尾だけでなく、無声音に近づく音はけっこう多いのですが、声優さんはべたに有声音で発音します。聞いていて不自然に感じるのですが、声優さんの業界では、そういう流儀があるのでしょうか。

語尾についてもうひとつ。語尾だけでなく、文節の最後もなのですが、おもに男性の声優さんが、言い終わったあと、勢いよく息を吐くのが気になります。「……そうなんだha!」「……知ってたよho!」「……ないからねhe!」などなどです。声優さんだけでなく男優さん、たとえば江口洋介さんや玉木宏さんもこうしたせりふ回しをします。

でも、こんな話し方は日常生活ではまずお目にかかりません。舞台には舞台の、映画には映画の、テレビドラマにはテレビドラマの発声法があるわけで、それを否定はしません。ドラマで男優さんがそうした発話をすることは気になりません。が、ドキュメンタリー映像は現実のシーンを記録したものです。その声を担当する吹き替えの声優さんが、ドラマの二枚目然と「ha!」「ho!」を連発するのは、はっきり言って気味の悪い光景です。

また、ドキュメンタリーでは原語が副音声として小さめの音量で流れています。その音程が、若い女性の場合は声優よりも低く、男性の場合は高いことがままあります。これは、若い女性はねちゃねちゃした高い声、男性、とくに責任ある地位にあるような中年男性はドスのきいた低い声という通念で機械的にキャスティングしているからではないか、そう疑ってしまいます。

そして、野性的な男性、あるいは自信に満ちた女性のせりふ回しには独特のものがあって、思い入れたっぷりに溜(ため)を多用したり、ところどころ音を長めにひきずったりします。高齢の方の吹き替えの声がなんとも哀れっぽいこともままあって、それは長い人生を生きてきた方がたの尊厳を無視した、安易な演技ではないでしょうか。

まだありますが、こういうこと、なんとかならないのでしょうか。声優は人気のある職業で、この仕事につくには専門の学校に通い、狭き門のオーディションを通らなければならないそうです。だとしたら、もっと洗練されてもいいはずです。それとも、声優コースの講師陣が因習的な発声や演技しか認めないので、異様な吹き替え流儀がはびこっているのでしょうか。

吹き替えの演出は異文化の解釈であり、日本語版制作者の異文化理解を示すものであるはずです。それが等閑視され、通念や慣習に頼った無自覚な処理をほどこされているのは残念です。私はいつもそんなことを考えながら、居心地の悪さをなんとか押し殺しつつ、海外ドキュメンタリーを見ています。あなたは気になりませんか? これを読んだために気になるようになったとしたら、謝ります。ごめんなさい。

ついでに。

そんなわけで、地上波で放映される映画は吹き替えなので、ほぼ見ることはありません。が、一度だけ、吹き替えのあまりの見事さに、思わず最初から最後まで見てしまった作品があります。それは「フロント・ページ」、主演のジャック・レモンの吹き替えは愛川欽也さんでした。みごとな滑舌とテンポのいいせりふ回しは、ジャック・レモン演じるエネルギッシュで人情味ある新聞記者にぴったりでした。この配役を考えた人に感謝し、この作品は吹き替えで見るに限る、とまで思ったものです。

字幕も含めて翻訳にも言いたいことがありますが、それはまたこんど気が向いたら書きます。

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トヨタ問題で見過ごされていること メディアの役割について

このところようやく、トヨタの問題が大々的に報道されています。ようやくと言うのは、アメリカではフロアマット問題に端を発して、新聞(web版)もテレビも半年前からとっくにいわば「炎上」していたからです。嘲りの論調で。その間の国内メディアの静けさは、対照的というのを超えて、まるで同じひとつの企業のことかと思うほどでした。

怒濤のようなトヨタ報道に較べると、ひっそりという感じでひとつのニュースが流れました。去年の国際特許出願数、欧米の国々が減らしているのにひきかえ、日本、中国、韓国は増やしていて、トップ20社のうち6社を日本の企業が占め、国別では最多だった、というのです。6社にはトヨタも入っていました(記事はこちら)。

問題になっている新型プリウスのブレーキシステムも、特許のかたまりなのでしょう。それが問題を起こし、リコールされることになった。トヨタの技術者のみなさんは、今、呆然とする暇もなく、深く傷つきながらさまざまな未経験の業務に忙殺されていることでしょう。健康だけは、おたがいに気をつけあってください。

私は技術的なことはわかりませんが、問題の「回生ブレーキ摩擦ブレーキ併用システム」は、新幹線のN700系で実用化され、それが新型プリウスに搭載されて一気に身近な省エネ技術になるはずのものでした。それに「ブレーキ抜け」という不具合が生じた。ブレーキの効きが0コンマ数秒遅いことがある、というのです。これは深刻です。ところが当初トヨタは、ドライバーの感覚の問題としていました。でも、私たちは従来のブレーキを操作する感覚しか持ち合わせません。それとは少々異なる反応をするシステムであるなら、そのことをしっかり知らせるべきだったのではないでしょうか。

けれど、このブレーキシステムは慣れればだいじょうぶというような類のものではなかった、という可能性はないでしょうか。人間が危険を察知してからブレーキを踏む、その反応速度では対応できないものだったかも知れないのです。だとしたら、ユーザーの不安をしっかり受けとめて、もっと早くプログラムを書き換えていれば、少なくともブレーキシステムについてだけは、こんな大騒動にならずにすんだかも知れません。顧客の立場に立つという、トヨタの本来の姿勢が、最新の省エネ技術へのプライドの陰になり、おろそかになった、そういうことはなかったでしょうか。

今おおきく紙面や時間を割いてトヨタ問題を報道しているマスメディアですが、こちらも問題なしとは言えないと思います。ブレーキシステムのトラブルを把握していたとしたらの話ですが、なぜここまで問題が大きくなる前に取り上げなかったのか、疑問なのです。自動車メーカーと食品メーカーは大手の広告主なので、不都合な報道はできない、そんなことをしたら、広告主や広告代理店が広告を減らす、ということがあるやに聞いています。問題の顕在化は、株価にただちに反映するでしょうから、企業としては見過ごせないのでしょう。

問題を指摘しても、企業にもメディアにもいいことはない、ここは見て見ぬふりがお互いのためとしてきた、その消費者を無視してきたツケが今回どかんとやってきた、そんな気がしてなりません。大手スポンサー企業の問題は、報道しない以前に、取材の対象から外れていた、ということは果たしてなかったのでしょうか。トヨタ不信はマスメディア不信をともなっているのです。なぜなら、プリウスの不具合については、ネットではとっくに指摘されていたのですから。

今、不況のあおりで、またメディア状況の変化で、マスメディアは広告収入が激減し、たいへんな経営状態だとは承知しています。でも、来月の広告収入が減るなどという目先のことにかかずらっていないで、メディアは是々非々で論じるべきです。そのほうが、結局企業にとってもいいことなのですから。メディアは、公益とは何か、腹を据えて仕事をしていただきたいと思います。そうすれば、購読者・視聴者の支持を集めることができるのではないでしょうか。広告収入がおおきいと言っても、新聞の場合、やはりなんといっても購読料のほうが多いのですから。この一事をとっても、新聞とテレビの経営を切り離す、原口総務相のクロスオーナーシップ規制案がおおきな意味をもってきます。

企業も、問題を指摘されたら、広告差し止めなどという報復に出るのではなく、反論があればすればいいのです。そうしたオープンでタフな気風が、結局、最新最高の技術の結晶をますます磨くことになると、私は思います。

きのうは電車の中で、「普天間の仇をリコールで トヨタは生贄」という週刊誌の中吊り広告を見ました。よしんばそういう側面があったとしても、そうした陰謀の存在をあげつらうことで、私たちの側の問題を軽んじてはならないと思います。それよりも、トヨタだけでなく多くの企業で先端技術の開発にいそしむ人びとが、技術とユーザーつまり人間のインターフェイスを見失わずにいい仕事ができるよう、社会的な環境を整える、その責務を、マスメディアと、オーディエンスでありユーザーである私たちすべてがきちんと引き受ける気構えが必要だと思います。問題のすり替えや隠蔽が恥ずかしいことであるような、まじめでたくましい情報環境、社会の雰囲気こそが大切だということを私たちが学ぶなら、今回の残念な事態も、きっといい方向に向かうと思います。と言うか、そのように望みたいものです。

そして技術者のみなさん、これからも失敗を恐れずに新しい技術に挑み続けてください。私たちユーザーは、クレームのためのクレームなどではない、建設的な意見を言うことで応援しますから。メディアのみなさんも、公正な場を提供すべく、がんばってください。そうやって鍛えられてきた、痒いところに手が届くといった、使うことの快感を必須とする商品文化こそは、他の追随を許さないこのくにのものづくりの強みだったはずです。せっかくの国際特許技術も、ユーザーにとって安全で使い勝手のいい商品に繋がらなければ、宝の持ち腐れです。
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「ゆうちょ銀行資金で米国債をダイナミックに買う」金融相って

悪い夢を見ているのでしょうか。今月2日、亀井金融担当相がフィナンシャルタイムズ紙のインタビューで、ゆうちょ銀行の資金でアメリカ国債を買う、と発言したそうです(記事はこちら)。「米国は資金不足で困難な状況にある。われわれが米国を支援するのは当然だ」というのが、その理由だとか。また、これまで運用が日本国債に偏っていたから、とも言及しています。運用先を多様化するなら、より有利なメニューを考えるのが当然で、中国の国債なんかいいんじゃないでしょうか。元切り上げは時間の問題ですから。

亀井さんの国民新党は、郵政民営化に反対した人びとが立ち上げました。この巨大資金が外資に支配されはしないか、というのが、郵便のユニバーサルサービスが守れなくなるということと並んで、この党が民営化に反対した理由でした。

なのに、外資が入ってゆうちょ資金をいいように使うまでもなく、こちらから「献上」するというのです。しかも、相手が困っているから、そうすると。アメリカから資本が流出し始めたというのに、おそらく世界で一国だけ、このくには流出し始めたから流入させるのだと。アメリカの経済学者でも、ここ数年でドルの値打ちは半減すると予測する昨今です。死なばもろとも? そんなこと、わたしたちは合意していないと思うのですが。

亀井さんは、連立政権成立前の去年5月にも、アメリカに渡ってすごいことを言っています。「新政権ではアメリカ国債をダイナミックに買っていく」と(記事は
こちら)。ということは亀井さん、前々からの確信なんですね。

どうしてかなあ。こういうとき、経済が理解できればいいのに、と思います。今年は、30年ものアメリカ国債が償還時期を迎えます。日本には一説に30兆円がようやく返ってくるのです。それが使えれば、このくにの財政はひと息つけるのではないでしょうか。わたしたちのお金が、やっとわたしたちの社会に回ることになるのです。

でも、そんなお金を今のアメリカが返せるわけもないので、結局買い換え(アメリカからすれば借り換え)するしかない、と金融専門家たちは言います。そのとおりだとしたら、お金の貸し借りでは借りた方が強い立場になるとは、ほんとうです。しかも、金融相は、さらにゆうちょ銀行のお金までつぎ込んで「ダイナミックに買っていく」のだと。そうだとしても、前もってそんな口約束をしたら、まったく外交カードとして機能しないのではないでしょうか。

私は以前、米国債償還を取引材料にして、沖縄の米軍基地をなんとかさせよう、と書きました(
こちら)。アメリカにとっては、辺野古に新しい基地をもらうことより、財政のほうがずっと深刻な問題のはずです。でも、亀井流対米外交だと、かけひきもなにもないような印象を受けます。最初から、「もっとあげます、借金はもちろん返してくれなくてけっこうです」と言っているように聞こえます。なんなのでしょう。わたしたちからは見えないところで、いったいなにが起こっているのでしょう。

30兆円、耳を揃えて返せとは言わないまでも、「全額買い換えはできません、こちらもきびしいので」となぜアメリカに言えないのでしょう。30年ぶりに、このくにがようやくアメリカのくびきから離れることができるというのに、また30年、アメリカの風下に居続けるつもりなのでしょうか。誰がそれを望んでいるのでしょうか。アメリカとの距離を測り直すと主張し続けてきた鳩山さんや小沢さんではないでしょう。30年後、アメリカは「唯一の超大国」でもなんでもなくなっている、ドルは強力な基軸通貨の座を降りているとは、しろうとでも知っているのに。不気味です。
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「寅さん在日説」の真相

永六輔さんのお話は面白すぎます。わかってはいるものの、まんまとのせられてしまいました。永さんによると、映画「男はつらいよ」の幻の最終回はストーリーが決まっていた、というのです。渥美清さんと山田洋次監督との3人で話し合った、と永さんは言います。それによると、最終回のラストシーン、寅さんは船に乗って「あばよ」と日本海を渡っていく、というのです。

「ええっ、寅さんは在日の人で、ふるさとに帰っていく、ということですか?」
「そうですよ。初期の作品はそれとなくそういうことを匂わしています」
「じゃあ、とらやのおいちゃんは寅さんのお父さんの兄弟ですから、お母さんが在日の方というわけですか? うーん、深いなあ。『国民的』人気者がそういう出自だったとは、うーん」

寅さんは、旅先でさまざまなトラブルを解決します。すると、しばらくの間は寅さん寅さんと慕われますが、結局、どこにも居着くことがない。これは、水戸黄門も同じです。共同体のエネルギーが低下して、自分たちでは問題を解決できなくなった時、どこからかよそ者がやってきてなんとかしてくれる。これは、民俗学の「まれびと」の思想です。まれびとは、共同体が秩序を取り戻すと、体よく送り出されるのが決まりです。寅さんにしろ、黄門さまにしろ、いっときはありがたがられても、まれびとである以上、いつまでも居座られては困るのです。

その、現代における最も偉大なまれびとの生みの母が「日本人」ではなかったとは。なつかしい「日本」の風土や人情を描くこの「国民的」物語は、寅さん=まれびとという、ちいさな共同体にとっての外部の視点から語られる一連のちいさな物語の集成であると同時に、じつはその全体がもう一回りおおきな外部性のまなざしに包まれていた。この想定は、このくにのあり方への強烈な批判になっている、すごい話だ、わたしは数年の間、そう納得していました。

あるところで、山田監督にお会いしました。それで、このことを確かめてみました。

「3人でそういう話、しましたねえ。でも、それは永さんの希望でしょ。僕はこんな最終回を考えていました。寅がおいぼれて、もう恋もできなくなった。憐れんだあるお寺の住職が寺男として置いてやる、寅は箒もって掃除なんかして」
「あら、寅さんが源公になるんですね」
「そう。でも、子どもにはやけに人気があってね、いつも境内でかくれんぼなんかしている。ある時、寅が鬼になって、お寺の縁の下で『もういいかい』『まあだだよ』『もういいかい』……そのうち、『もういいかい』が聞こえなくなったので、見に行くと、(両手で顔を覆って)こうしたまんま死んでいる。お寺は寅地蔵をつくって祀ってやった、そしたら恋に御利益があるってことになるんです」
「寅地蔵、イントロの物語にありましたね、あれですね。でも寅さんでしょう、恋の御利益なさそうだけど」
「死んだらあるんですよ」
「監督の最終回、あったかいですね、やさしいですね」

山田監督の語りは、いかにも楽しそうで、慈愛に溢れていました。でもこれで、寅さん在日説は永さんの秀抜な創作だということが明らかになりました。渥美さんご自身はどんな最終回がいいと思い描いておられたのでしょう。それも知りたいものですが、幻の最終回、寅さんファンがそれぞれに考えて楽しめばいいのかも知れません。

そして、わたしから寅さん在日説を聞かされた方がた、そんなに多くはありませんが、ごめんなさい、あれは忘れてください。
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はるかにすれちがった人 谷川雁

高二の古文は、非常勤の福田先生でした。いつも寝不足のような不機嫌な表情で、ぼそぼそと講義なさっていました。受験キッズは古文の授業を寝るか、内職をする時間と決めてかかり、先生もそうしたガキどもを軽蔑のまなざしで見ていたように思います。その福田先生が詩人那珂太郎として、現代詩壇最高の栄誉、H氏賞を受けられた時は驚きました。

その直後の定期試験、先生はいつもの重箱の隅をつつくような文法問題のほかに、小論文形式の問題を出しました。「赤人、憶良、人麻呂のうち一人を選んで論ぜよ。」わたしは迷わず人麻呂を選び、夢中で幼い感想を書きました。その音(おん)のつらなりが醸し出す呪術めいた悲しみの世界に惹かれていたのです。それが那珂太郎の世界に通じると知ったのは、試験が終わってようやくその詩集を手にした時でした。返された答案には、朱ペンでマルが何重にも書きなぐられていました。わたしの、学校時代の数少ない自慢のひとつです。

那珂太郎は、若い頃、北九州で谷川雁と出会っています。『原点が存在する』の詩人谷川雁は、同人誌「サークル村」を上野英信、森崎和江、石牟礼礼子といった人びとと創刊して炭鉱労働者のあいだで活動し、60年代には吉本隆明、埴谷雄高と並び称され、突如上京して、こんどは子ども向け語学教材や絵本をつくって普及させる仕事に転じた人として、インパクトの強い、けれどわたしにとっては大きな謎のかたまりでした。

ところで、わたしが翻訳の世界に入ったのは、大学の恩師、種村季弘先生が紹介してくださった矢川澄子さんのお導きです。種村先生は、当時矢川さんのおつれあいだった渋澤龍彦と、仕事上のいわば同志のような関係でした。矢川さんとのお出会いは1975年、ちょうど矢川さんが渋澤龍彦と別れた頃でした。そのきっかけをつくったのが谷川雁だとは、うすうす知ってはいましたが、矢川さんにそうした話題をぶつけたことはありません。おそらく谷川雁は、子ども向けの文学や絵本を訳したり書いたりしていた詩人矢川澄子の才能に注目して、接近したのではないでしょうか。

ほどなく、矢川さんが黒姫に引っ越した時は、意表を衝かれました。きゃしゃで、いかにも都会的な矢川さん、繊細でさびしがり屋の矢川さんがどうして東京を離れたのだろう、しかも人里離れた黒姫の山裾に、と理解できなかったのです。けれど、ほどなく黒姫におじゃました時、矢川さんはぽそっと言ったのです、森の向こうに谷川雁の家がある、と。それで合点がいきました。いかにも生活力のなさそうな矢川さんが、なぜ黒姫を選んだか、そこでの暮らしに耐えられたかが。谷川雁は独自に家庭生活を送っていましたが、森ひとつの距離をおいて、ひとりになってしまった矢川さんをさりげなく支えていたのでした。矢川さんのエッセイには、谷川家のちいさな子どもたちが登場するようになりました。

矢川さんは、けっしてわたしを谷川雁と会わせませんでした。ご自身の渋澤人脈と谷川人脈を分けておきたかったのかもしれません。けれど、わたしはその後、意外なところで谷川雁と遠くつながります。民俗学に足を踏み入れた私は、学会などでお兄さんの谷川健一さんをお見かけするようになったのです。スケールも体躯も、そして声もおおきな方で、構想力と組織力に富み、きっとそういうところが谷川雁と似ているのだろう、と思いました。

今、谷川雁が注目を集めています。谷川雁論や、谷川がかかわった雑誌の復刻が相次いでいるのです。国のエネルギー政策転換のあおりで、仕事も生活も、人によっては家族すらも奪われた炭坑婦・炭坑夫と同じ地面に立って、けれども頭ひとつ秀でた偉丈夫の大音声で呼ばわった谷川雁の言葉が、グローバリゼーションでどん底競争を強いられている現代のおびただしい人びとの胸に、改めて烈しく響くのかも知れません。

ついに直接お目にかかることのなかった谷川雁ですが、こうして何度もすれちがったということ自体、なんらかの縁があったのでしょう。人は歳をとってようやく、こうした細々とした破線のような縁を過去に引いて今を生きる自分に気づくのかも知れません。今まではなんとなく鬱陶しい感じがなくもなかった谷川雁ですが、遅ればせながら、じっくりと向きあってみようと思っています。
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「権力のふるまい」 瓜田(かでん)に履(くつ)を納(い)れず

山形に行きました。用意していただいた宿では、粉雪舞う露天風呂を満喫しました。スキーも、ましてや雪山登山もしないので、生まれて初めてです。その代わり、インターネットには接続できませんでした。

それで、ブログの更新をさぼったのですが、露天風呂で、雪を載せた植え込みを眺めながら考えました。不起訴に決まった小沢さんは、やけに晴れ晴れしていたなあ、と。自分の元秘書さんが3人も起訴されたのに、「検察は公平公正な捜査をした」なんて言っちゃっていいのかなあ、と。民主党大会では、元秘書さんたちの捜査について、口いっぱいに検察を批判していたのになあ、と。せっかくの露天風呂なのだから、もっと楽しいことを考えればいいようなものの、気になってしかたありませんでした。

民主党が方針にしていた検察改革を、捜査中は控えていた、だったら捜査が一段落した今、着手するのかと思いきや、そういう動きが見られません。郷原さんは、「小沢さんは検察に報復すべきではない」と言いました(こちらのpart1の31分あたりからです)。ここで民主党連立政権が検察改革に乗り出すと、郷原さんの言う報復になると疑われる、だからやめておこうとしたのでは、李下に冠を正さずも行き過ぎだ、とおとといは書いたのでした。

その後、同じサイトで神保さんのインタビューに応えて、郷原さんは、検察人事などは改革の要ありと発言していて、検察改革するな、などとはまったく言っておられないことがわかりました。それが、小沢さん側の恣意的なものになってはいけない、ということなのであって、わたしの短慮でした。

でも、民主党内にその動きが見られない。水面下では進んでいるのならいいのですが、ここで政権が検察改革に乗り出さなかったら、それは外からはどう見えるか。小沢さんを不起訴にする代わりに、政権は検察に手をつっこまないという取引があったのでは、との疑いが生じると思うのです。こんどは別の意味で、瓜田に履を納れることになるのではないでしょうか。

あらぬ疑いを招かないこともまた、政治家の重要な要件です。鳩山さん、ここは取り調べの可視化記録化・検察人事の刷新に踏み込んで、取引があったなんて勘ぐった向きを恥じ入らせてください。

きのう早朝の雪国のホーム、車輪周りにがっちりと新雪をつけた列車は、顔も体も雪にまみれながら、吹雪の白い闇の向こうから、ぬっとばかりに現れて定刻通りに入線し、それはそれは頼もしく見えました。このたびは、検察もマスメディアも、「権力のふるまい」をしたと思います。ましてや、実力ある政治家や政権党が「権力のふるまい」をするのは、当然のことなのでしょうか。でも、そんなことをよしとする有権者はいないと思います。より公正な民主主義の実現のために働くという、雪まみれの列車の実直こそが、政権に求められていると思いますが、いかがでしょうか。
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郷原会見&トークイベント『試験に出ない「イラク戦争」?!』 2/14@渋谷

きのう、横綱朝青龍が辞めました。まるで、大きな穴がぽっかりと開いたような喪失感です。それだけでもおおごとなのに、与党幹事長が不起訴になって(佐久間特捜部長の会見内容は、負け惜しみというか、未練たらたらというか、引かれ者の小唄というか……検察に「引かれ者」はヘンですね)、現職国会議員をふくむ3人の元秘書さんが起訴になりました。

検察の決定について、郷原信郎さんが18時から記者会見を行い、それがUSTREAMというシステムを使ってライブ配信されました。たまたま見たのですが、視聴者が感想をツイッターでどんどん書き込んで、情報環境が変わったなあと痛感しました。

小一時間の郷原会見は、今はここで配信されています。政治資金規正法を自動小銃、斡旋収賄罪を銃剣にたとえたのが印象的でした。ふたつの法律と、その違反と摘発の違いを、郷原さんはそんなふうに説明したのです。相対で狙いを定めるべきところに腰だめの自動小銃を連射したら、狙われた相手は、そりゃ怒るでしょう。徹底抗戦するでしょう。さらには、検察は一罰百戒の一罰の対象を選び間違えた、というのが、郷原さんの見立てのようです。

その上で、検察の重要性、小沢さんとお金のすっきりしない関係など、堰が切れたようにぶちまけておられました。小沢さんは土地などを民主党に寄贈しろ、というのは面白いと思いました。そして、忘れっぽいわたしたちに、元秘書さんたちの裁判を注視すべきだ、と呼びかけました。そのとおりです。これで一件落着ではなく、事実が明らかになるのはこれからなのですから。

郷原さんはまた、小沢さん側は検察に報復をしてはならない、とも主張しています。でも鳩山さんは、取り調べの可視化や検事総長人事など、民主党のかねてからの方針を、今までは捜査中ということで実施や検討を控える、としていましたが(じつにフェアなお坊ちゃま)、捜査は一段落したのですから検察改革に手をつけるべきだと思うのですが、それも「報復」なのでしょうか。李下に冠を正さずも、そこまで行くと行き過ぎのように感じます。

郷原さんの意見に賛同するしないに拘わらず、会見は中身が濃くて、聞き応えがあります。こんなの、テレビでは見られないでしょう。ほんとうに、マスメディアをしのぐ意味をもった情報環境がすでに機能しているのだと思い知りました。

日々、さまざまに派手なことが起きるわけですが、静かに着々と進行していることがらもあります。イラク戦争検証もそのひとつです。次の次の日曜日、東京でトークイベントがあります。若い方に関心をもってもらおうという狙いですが、young@heartの方がたももちろんご参加ください。わたしは、残念ながら東京にいないので……。


トークイベント『試験に出ない「イラク戦争」?!』 2/14@渋谷
http://isnn.tumblr.com/post/369880460/2-14

2月14日に行う、田中優さん、高遠菜穂子さんとのトークイベントの詳細が決まりました。どんどん転送していただけると助かります。特に学生さんはじめ若い方に来てもらうことを念頭に企画しました。


★転送歓迎☆−−−−−−★転送歓迎★−−−−−−☆転送歓迎★


☆====☆★===/ トークイベント /===★☆====
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=== 『試験に出ない「イラク戦争」?!』
== でも、これからの世界にきっと必要なこと!
===
☆==★=====/====☆====/=====★===


はい!注目ーーーーー!!
みなさん、イラクという国を知っていますよね。

日本からずっと西に離れた中東の国です。人類最古のメソポタミア文明は、ここに生まれました。

イラクはとても豊かな国でした。しかし、1990年に始まった湾岸戦争、その後12年も続いた国連の経済制裁、そして2003年からのイラク戦争のために、現在、5人に1人、あるいは4人に1人が1日1ドル以下の暮らしをしているといわれています。

あと数年もすれば、そのイラクから届く石油で、あなたの家で使う電気が作られるようになるかもしれません。

しかし、その前にしなくてはならないことがあります。

イラク戦争で、アメリカを始めとする国々が武力攻撃を決めたとき、日本はいち早くこれを支持しました。ところが、その後の調査で、攻撃理由の数々はすべてウソだったことが明らかになりました。

このでたらめな戦争によって、ふつうに暮らしていた市民が少なくとも15万人も犠牲になり、6人に1人が孤児になってしまったのです。二度とこんなあやまちを繰り返さないために、この戦争を支持した国のわたしたちは、何がいけなかったのか検証する必要があります。

ここ、試験には出ません(笑)! ですが、世界が抱える問題を武力によらずに解決するには、決して避けては通れないことだと思いませんか?

☆==★=====/====☆====/=====★===

◆日にち:2月14日(日)
◇時間:(14:00開場)14:30開始 17:00終了予定
◆場所:伊藤塾 東京校(渋谷区桜丘町17-5)
◇地図:
http://j.mp/aH8olx
◆参加費:学生500円/一般1,000円
◇トーク:田中優(ミスチル桜井和寿さんがap bankをつくるきっかけをつくった人)、高遠菜穂子(イラクの人々を支援するボランティア)
⇒イラク戦争が始まった経緯と現状をうかがいます。

♪当日、イラクの子ども達の支援につながるオリジナルパッケージに入った「六花亭のチョコレート」を販売します。

▼ウェブ:
http://isnn.tumblr.com/
▽メール:isnn.info@gmail.com
▼mixi:http://mixi.jp/view_community.pl?id=4672442
▽twitter:http://twitter.com/isnn_
▼主催:イラク戦争なんだったの!?
〜イラク戦争の検証を求めるネットワーク〜
▽協賛:市民社会フォーラム

◇田中優の持続する志
http://tanakayu.blogspot.com/
◇イラク・ホープ・ダイアリー(高遠さんブログ)
http://iraqhope.exblog.jp/

☆==★=====/====☆====/=====★===

【イラク戦争の検証】
BBCやNew York Timesといった海外メディアは、イラク戦争の報道を検証したり、釈明文を掲載しています。しかし、日本の新聞ではいまだそのような動きがありません。

また、英国やオランダでは自国政府の戦争への関与についてすでに検証が始まっています。日本でも市民による「イラク戦争の検証を求めるネットワーク」が誕生。国会議員とも連絡を取りながら、政府へ独立した検証機関の設立を求めています。


★転送歓迎☆−−−−−−★転送歓迎★−−−−−−☆転送歓迎★

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「嘘は見抜くものだ」 枠組みを壊すことの難しさについて

1日に、佐藤優さんの視点は既成の枠組みを壊す破壊力をもっている、と書きました。自分で書いたそのことばに縛られて、きょうまで過ごしてしまいました。つい先日、わたし自身が枠組み壊しに失敗するという苦杯を嘗めたからです。

金沢に行ったので、そこの友だちにお願いして15人ほどお集まりいただき、グリムのメルヒェンについて、短いお話をさせてもらったのです。1時間というごく短い時間だったのに、包括的な構えから入ったので、かなりとっちらかった話になってしまい、昔話とは何か、十分に説得力のある論は展開できませんでした。話を聞いてくださったのは、読み聞かせや語りに関心のある方がたでしたが、とっぴょうしもない話に当惑されたと思います。

その中に、わたしが、「昔話は正直さや勤勉さをそなえたいい人が幸せになるとはしない」、と言ったことに、強い抵抗感を示した方がおられました。それはそうでしょう。わたしたちは幼い時から、正直爺さんや気立てのいい娘が、不運にあっても悪意の人に傷つけられても、最後には幸せになる、という数々の昔話に親しんできたのですから。

けれど、たとえば昔話は「嘘をつくな」とは言いません。嘘について、昔話が主張することはふたつ。「弱い者は嘘をついてでも徹底抗戦しろ、生き延びるのが正しいのだ」、そして「嘘は見抜け」です。後者は、昨今言うところのメディアリテラシーに通じる知恵です。この昔話の知恵が忘れられていることと、ときとしてメディアに無防備なわたしたちの現状は通底していると、わたしはにらんでいます。嘘をついても生き延びろ、そして嘘は見抜け。わたしたちは、そうしたメッセージを面白いストーリーに託した昔話、つまり嘘ごまかしと紙一重のとんちで権力者を出し抜く話や、狐や狸の化けの皮を剥がす話を、好んで語ってきたのです。

昔話は、嘘だけでなく、策略も怠惰も排除しません。一寸法師は、姫に盗み食いの濡れ衣を着せる卑怯なやつですが出世しますし、怠け者は、わらしべ1本で長者の娘の婿におさまります。

昔も今も人の真情は変わらない、民話の心は脈々と受け継がれているのだということ自体が、近代イデオロギーとしか言いようのない虚構であって、わたしたちが書籍や絵本をつうじて昔話と思っているものは、明治期に新しい時代に合わせて伝承を切ったり貼ったりして作り直したものであり、そのお手本を示したのがグリム兄弟なのですが、それを短時間で納得していただくのは、しょせんむりな話なのでした。

昔話の換骨奪胎の過程で、わたしたちは生きる底力を殺がれ、嘘を見抜く知力を骨抜きにされ、いっぽう「お上の事には間違いはございますまいから」という前近代のDNAはおそらくは意図的に温存されて、従順で大本営発表に弱い近代日本国民へと仕立てられた、わたしはそう見ています。

「お上」から見ていい子ちゃんでなければ祝福されない? とんでもないことです。本来の昔話は、そんなことは言っていません。シンデレラ物の主人公は、粗野なほどたくましく、抜け抜けとしたウィットに富み、窮地にあっても知恵を働かせる意志の力に満ちています。わたしたちが知っているシンデレラのように、美しいとも、すなおとも、あるいは働き者とも語られてはいませんでした。どちらが生きる勇気をお裾分けしてくれるかは、言うまでもないでしょう。 

昔話をめぐる事情に限らず、ひとたび形づくられた思い込みは強固です。でも、これを壊していくことが、今求められています。そこに不安が伴うのはわかります。けれど、現に検察は正義だという枠組みはあっさりと壊れ、べつに不安ではないわたしたちがいます。それどころか、これを機に、わたしたちが情報を共有し、それを一人ひとりが判断し(「嘘は見抜け!」)、論じ合って、社会をより透明性の高い、公正なものにする一歩ととらえようという気運が高まっています。誰かがまっ黒で誰かがまっ白なのではなく、誰もがグレードの異なる灰色なのだというタフな状況に、早くもわたしたちは慣れつつあります。わたしたちの公共の利益を考えて懸案にどう決着をつけるべきかという、成熟した問題の捉え方が定着しつつあるのです。正義の味方検察が、巨悪の政治家をやっつけるという、ロッキード事件当時の図式にのって気勢をあげるほうが楽ちんだったかも知れません。けれど、すでにそれはかっこ悪いことになってはいないでしょうか。まさにひとつの枠組みが壊れた結果です。

壊すべき枠組みは際限なくあります。インド洋アラブ海域の給油をやめたら対米関係に亀裂が走るというのは、杞憂でした。日米安保条約がこのくにの平和を保証しているとか、死刑制度が治安を担保しているとか。あるいは、普天間米軍基地の移転先は、わたしたちが選んで提供しなければならないとか、外国人が参政権をもつと外国に政治を乗っ取られるとか。みんな壊すべき思い込みだと、わたしは思います。










40年来の友を亡くしました。もはや彼女がいないという、わたしの世界の枠組み変更を、わたしはいまだ頑として受け入れようとしません。
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「小泉元首相の手は小刻みに震えていた」

先月29日、イギリスのイラク独立調査委員会の公聴会にブレア元首相が証人として出席したことは、BBCがかなりの時間を使って報じていました。ブレア元首相は終始、「怪物フセインを排除したことは後悔しない」と主張しましたが、ミネラルウォーターのボトルに伸ばしたその手が小刻みに震えていたことは、記者にばっちり見られ、そのとおりに報じられてしまいました。

でもわたしとしては、ブレアさんではなく「小泉元首相の手は小刻みに震えていた」という記事を見たいと切に願うのです。その日は来ます。同じ29日に、このくにの国会でも院内集会が開かれたのです。以前お知らせしたイラク戦争なんだったの? イラク戦争の検証を求めるネットワーク」の呼びかけです。そこに出席した議員さんたちが、小泉内閣がイラク戦争を支持したことを検証するための第三者委員会設置を求める署名活動を始めることになりました。

過去の施策の過ちを正すことができなくて、なんの政権交代でしょう。政権交代政権のオーナーは、お金持ちの鳩山さんでも、選挙に強い小沢さんでもありません。わたしたち主権者です。政権オーナーとして、この動きに勢いをつけたいものです。ネットワークでは、賛同者を求めています。今すぐサイトからどうそ!

以下、NHKの報道です。今なら動画も見ることができると思います。


イラク戦争 検証を求め署名へ

1月30日12時15分

民主・社民両党の国会議員有志は、イラク戦争で、アメリカの武力行使を支持した、当時の小泉内閣の判断について、鳩山内閣として、検証すべきだとして、与党3党の国会議員に対し、これに賛同を求める署名を呼びかけることになりました。

民主党の齋藤*つよし衆議院議員ら民主・社民両党の国会議員の有志は、イラク戦争当時、アメリカの武力行使を支持した、当時の小泉内閣の判断について、「根拠となった大量破壊兵器の存在は確認されていない」などと批判しています。そして、政権交代をきっかけに、当時の判断を検証することが必要だとして、鳩山内閣が第三者委員会を設置すべきだとしており、このほど、与党3党の国会議員に、これに賛同を求める署名を呼びかけることになりました。イラク戦争をめぐって、イギリス政府は、アメリカとともにイラクに侵攻したしたことに、正統な法的根拠があったかどうか、当時の政府の政策を検証するための独立調査委員会を設置しています。齋藤氏らは、できるだけ多くの議員から賛同を得て、鳩山総理大臣に、イギリスの事例も参考にした、第三者委員会の設置を求めることにしています。(*「つよし」は「頸」の右側が「力」)
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日本のハイチ医療チームは麻酔薬を持参しなかった

ハイチの大地震救援にこのくにが出遅れたのは、指揮系統の問題、そして人的資質の問題があったと書きました(こちらです)。

遅ればせながら、このくにの救援隊がレオガン市で活動を始めたその日、アメリカのテレビニュースは、同市にはまったく海外の救援隊が入っていない、と伝えていました。取材能力に問題があるのか、あるいは……。

先月下旬、民主党は2人の議員を調査に派遣しました。首藤信彦さんも藤田幸久さんも、NGO活動が長く、適任です。でも、その
報告書を読んで驚きました。このくにの医療チームは、デジタル・エックス線装置など、エレクトロニクス機器は持っていったのに、手術に必要な麻酔薬は、国内法の制約で持ってきていなかったというのです。これでは、どこの骨が折れているかはわかっても、外科治療はできないではありませんか。

また、派遣された方の、「救援チーム(レスキュー隊)を派遣すべきであった。その準備はしていた」という言葉には、政府の初動のまずさに改めて腹立たしくなりました。

いずれも、政治がしゃんとしていれば避けられた失態です。報告書は、イスラエル・チームが持ち込んだ新生児の保育器をまぶしそうに描写していました。天災が起こると、ショックでお産が早まる人が多いので、未熟児の命を守るために、保育器はぜひ必要です。また、1000床をそなえるアメリカの病院船コンフォートのことも書いてありました。日本も早くそうした船を持つべきだと思います。あと、大型の救急車やゴミ収集車が有益だとの提言もありました。

首藤さん、藤田さん、体を張った視察、ごくろうさまでした。貴重なご報告を、ぜひ今後の政府の施策に生かしてください。鳩山さんは、1月30日の施政方針演説で、「世界のいのちを守りたい」とおっしゃっているのですから。
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「今回のリークはひどいなあ」と検事は言った

佐藤優さんが、石川知裕さんから直接聞いたそうです。取調室で検事が、「今回のリークはひどいなあ」と言った、と。

フォーラム神保町が1月18日に開いた緊急シンポジウム「『新撰組』化する警察&検察&官僚がニッポンを滅ぼす!」での発言です。3時間ほどのシンポジウムのようすは、
ここで見ることができます。パネラーは、魚住昭さん、大谷昭宏さん、岡田基志弁護士、木村三浩さん、佐藤優さん、田原総一郎さん、平野貞夫さん、前田裕司弁護士、宮崎学さん、コーディネーターは青木理さんです。会場から、鈴木宗男さんも発言しています(弁護士さんたちだけ、わたしがなじみのない方がただったので、肩書きをつけました。他意はありません)。

佐藤優さんは、『神皇正統記』の引用や神学的な発言に、上記のような生々しいディテイルを交えて異彩を放っています。そこまでおどろおどろしい文脈で発想する必要があるのかと、わたしなどは感じますが、ともあれ従来の枠組みを異質な視点からぶちこわす衝撃力はあるなあと思いました。

時間のある方、一見の価値ある迫力満点のシンポジウムだと思います。わたしは初めて聞くことも多々ありました。中身については、こんど機会を捉えて論じたいと思います。検事のリーク発言は、(1)の19分あたりからです。
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ikedakayoko

おしらせ
「引き返す道はもうないのだから」表紙180


「引き返す道は

 もうないのだから」
(かもがわ出版)

・このブログから抜粋して、信濃毎日新聞に連載したものなども少し加え、一冊の本にまとめました。(経緯はこちらに書きました。)
・かもがわ出版のHPから購入していただけましたら、送料無料でお届けします。
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