突然ですが、ブログを再開します。2011年11月11日以来ですから、じつに1年10カ月ぶりです。

ある名編集者のお勧めで、ブログから抜粋して、信濃毎日新聞に連載したものなども少し加えて、本にすることにしたからです。今月の20日に出ます。『池田香代子の怒りの処し方1 引き返す道はもうないのだから』(かもがわ出版)です。

本になるまでの間も、わたしが仕事をほったらかして、さんざん出版を引き延ばしました。なぜそんな、ライターの風上にも置けないことをしたのか、ひいてはなぜブログを休眠させてしまったのか、その理由も書いた本の「まえがき」をブログ再開のさいしょに転載します。

これから、毎日というわけにはいかないと思いますが、できれば2、3日に1回は更新していきたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。

(この記事は本のまえがきなのですが、カテゴリには「あとがき図書館」しか設定してないので、そこにいれることにしました)

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パソコンを立ち上げる。夜の闇をくぐって朝の光の中まで届いた思考の澱に思いをこらしていると、もわっとしたかたまりが浮びあがる。そこに、こと、こととキーを打ちこみ始める。それはいつしかそれなりの速度にたっし、気がつくと二時間あまりが過ぎていることもある。

 そして夜、脳内興奮の快い疲れとともに、仕事じまいにかかる。朝、打ちこんだ文章を呼び出すのも、一日の終わりの儀式だ。空回りしている思考や熟していない表現、弱気ゆえのくどい形容や実証に乏しい記述に、ようしゃなく手を加える。ひととおり気がすむと、インターネットの海に投げ入れ、パソコンの電源を切る。

 ブログとは、わたしにとって、思考がその時その時にたどった道筋の記録だ。それらは、ブログがなかったら文字にはならなかった。なぜなら、用命の文章にはテーマが決められているからで、テーマは、過去のわたしの文業からおのずと狭まってくるからだ。それらが、わたしの今現在の思考の中心にはないことも多い。だから、政治や社会現象、文化などなど、書きたいことを書けるブログに出会ったときは、なんとありがたい、という新鮮な驚きがあった。

 ブログは、長さも自在だ。注文原稿は、与えられる紙幅が決まっている。文章の長さに上限も下限もないブログには、味わったことのない自由を感じた。さらに、ブログには締切もない。書きたくない日、書けない日には気兼ねなく休載すればいい。

 こうした自由の見返りとして、ブログは原稿料を発生させない。けれど、ブログの利点を思えば、原稿料ゼロというのは歓迎すべきささいな代償なのだった。わたしという発注者とわたしという受注者のあいだに、架空の原稿料が行き来したと思えばいい。いつしか、ブログのありがたみを放棄する代償が、依頼原稿の原稿料なのだ、とうけとめている自分に気がついた。わたしのような弱小な書き手に原稿を発注してくださる向きには申し訳ないことながら、これは偽らざる気持ちだ。

 そんな、書くこと自体で報われてしまうブログにはしかし、思わぬ報酬があった。これほど多くの方がたが読んでくださるとは、思いもよらなかったのだ。これは嬉しかった。書き続けるうえで、おおいに励みになった。

 励みはもうひとつあった。あまたのブログを毎日チェックし、これはと思う記事を紹介するウェブサイトの存在だ。NPJ、News for the People in Japan(日本の人びとのためのニュース)という、故日隅一雄弁護士らが中心となって立ち上げた、司法、政治、経済、社会などの分野の新聞記事や、専門性に富んだ、高度の論評を集めたサイトだ。そこに自分のブログ記事も、尊敬する書き手の方がたのそれと並んで、いつのまにかリンクを貼られていたのだ。面映いやら、誇らしいやらだった。

 一方で、釈然としない出来事もあった。ある新聞社が主催するウェブサイトから、時に転載してもいいか、という連絡が来たのだ。原稿料はない。ひとたびインターネットの海に放ったものは、誰がどう引用しようがかまわない、と思っていたので、深く考えずに承諾した。けれど、何度かそのウェブサイトへの転載を経験するうちに、割り切れない思いが頭をもたげてきた。わたしは、注文原稿の制約のない発表の場として、ブログを選んだのだった。そこに書いたものが、大手新聞のウェブ雑誌の、注文原稿のページとは別に設けられた、いわば母屋から突き出した濡れ縁のようなページに置かれているのを見て、違和感を覚えたのだ。新聞社も、ますます厚みを増すネットとの対応を試行錯誤しているのだろう、これはその一環なのだろうとは想像がつく。それでも、これはないだろう、安直に過ぎるのではないか、と思ったのだ。

 けれど、いったん承諾したのにあらためて辞退するのも煩わしい。放置しているうちに、こちらがブログを更新できなくなり、転載は自然消滅して今にいたる。

 ブログを更新できなくなった理由は、東北大震災と東電原発事故にある。はじめのうちこそ、ことばでできることを求めて発信していた。けれど、押し寄せる悲痛な情報のおびただしさ、放射能にまつわるわけのわからなさに、情報を探し求めてネットの中を右往左往しているうちに、発することばを失った。今、わたしのことばにできることなどない、もっとずっと耳を傾けるべきことばは世に満ち満ちている、という思いは強かった。ブログの更新どころか、原稿や講演の依頼にも、既発表の文章をアンソロジーなどに収録することにも、応じることができなくなった。震災や原発事故にかんする出版物は世にあふれたが、意義があると思えるものは限られていると感じた。わたしの文章も、今読んでいただく意味はないと、確信していた。

 ありていに言って、鬱状態をこじらせ、何カ月も無為のまま、悲哀の深い水の底にうずくまっていたのだ。そこへ、信濃毎日新聞から、月一回の連載を提案された。かなり迷ったが、迷うということは、わたしはこの申し出を、もういいかげんことばで働きなさい、というなにかのシグナルと受け止めているのかもしれない、と思った。震災と津波と原発事故に運命を狂わされ、それでもせいいっぱい抗って生きる道を模索している人びとへの敬意を書き綴ろう、と決めた時、テーマは半年分がたちどころに定まった。これは、連載がうまくいく兆候だ。

 とは言え、毎回の執筆は楽ではなかった。中には、思い余って筆が滑り、誤解を招いた回もある。そういうケースは、最低限の訂正を加えたが、ほかはほぼ新聞掲載そのままを、ここに収めた。真意は、本書を通読していただければきっと通じると信じている。

 

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