世界平和アピール七人委員会はこのたび名古屋で、来年この地で開かれる生物多様性条約会議(COP10)に関連した集まりを、各委員の出前講演をふくめて、9回、もちました。わたしは、きょうの津市立瀬尻小学校での「授業」を最後に、帰京します。

委員会が先週金曜日に発表した「いのちを大切にする世界を目指して 生物多様性条約第10回締約国(2010年)に向けてのアピール」にちなみ、自然と人間のかかわりについて、わたしは名古屋でおよそこのような話をしました。


地名には、人と自然のかかわりが標(しる)されています。

ドイツには、パッサウ、ハーナウ、そしてナチの強制収容所のあったダッハウなど、「アウ」で終わる地名があります。「アウ」は、「川が蛇行して肥沃な土が堆積した場所」です。氷河に削られ、全体に地味(ちみ)が悪いヨーロッパでは、このような場所は貴重で、古くから人が農耕をいとなみ、住みついてきました。

ドイツの中世以来の歴史は、開拓の歴史です。ブーベンロイト、音楽祭がひらかれるバイロイトなどの「ロイト」は、「開墾」という意味です。「ブーベン」は若者という意味なので、ブーベンロイトは「若衆新田」といったところでしょうか。次男坊三男坊が開拓団をつくって村を出ていく情景が目に浮かびます。「バイ」は英語とほぼ同じ意味なので、バイロイト音楽祭は「脇墾田音楽祭」です。

ドイツで目立つのは、「インゲン」で終わる地名です。刃物で有名なゾーリンゲン、大学町のゲッティンゲン、やはり音楽祭がひらかれるシュヴェツィンゲン、ロートリンゲン、テュービンゲンなど、たくさんあります。この「インゲン」は、森が後退する、という意味です。人びとが原生林を切り開いて人間の領域を広げていったことを刻印する地名です。

昔、人間の技術力は、自然と共生するしかない水準でした。けれど、時代が下ると状況は変わります。北ドイツのリューネブルクのそばに、リューネブルガーハイデという場所があります。地平線の彼方まで、見渡すかぎりヒースや灌木しか生えない、ぬかるんだ荒れ地です。ルール地方の石炭が使えるようになるまで、製鉄にはドイツでも木炭を使っていました。ここも豊かな森だったのですが、すべて切り出して炭に焼いてしまいました。ここまで破壊されると、自然は自然の力だけでは復元できません。何百年たっても不毛の地です。その気になれば、植林技術で森の再生も可能なのですが、ドイツでは、この自然破壊という負の遺産を、教訓のためにあえて保全しているのです。観光地になっていますので、もしも北ドイツに行かれる機会があったら、立ち寄ってみてください。

「ハイデ」は、辞書には「原野、荒野」とありますが、このように、人の手が加わっていないという意味での原野ではないのです。「荒野」が適当かと思います。

人間は、行き過ぎた開発だけでなく、戦争によっても自然にダメージをあたえます。この季節、ドイツからアウトバーンでフランス国境を越えると、いきなりみごとな紅葉が広がります。ドイツの紅葉は貧しいのです。第二次世界大戦末期、連合国はドイツの都市だけでなく、森林にも徹底的な空爆を加えました。ドイツの森というと、もみの木が前へならえをしているような印象がありますが、それらはすべて戦後植林されたもので、ドイツの森には、かつては落葉広葉樹がうっそうと生い茂っていました。そうでなければ、そこだけはもともと針葉樹が多かったことから生まれたシュヴァルツヴァルト、「黒の森」という地名はありえなかったはずです。

わたしがドイツに暮らしたのは、30年ほど前ですが、当時は冷戦まっさかり。旧東西ドイツは全土にアメリカとソ連の核ミサイルがびっしりと配備されていました。まるで2匹のハリネズミです。なにかがあれば、それらがいっせいに発射され、ドイツは滅びる、と本気で考えられていました。若者たちはとほうにくれ、捨て鉢になっていました。それから20年もたたないうちにベルリンの壁がなくなり、冷戦体制が終わるなど、当時は想像もできませんでした。

冷戦が終わったいまもなお、世界には27,250発の核兵器があります。オバマさんがなくそうと呼びかけた、このとほうもない数の核兵器が、わたしたちだけでなく、すべての生命と自然を脅かしています。これをなくすことは、すべてのわたしたちの責務だと思います。

このあと、27,250個のBB弾を核兵器に見立てて金属板に落とす、「OVERKILLED」という、橋本公(いさお)さんのDVD作品を上映しました。すさまじい音といつまでも終わらないのではないかとすら思えてくるBB弾の洪水から、ご覧になったみなさんは強烈な印象を持ち帰ってくださったのではないかと思います。
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