チリの大地震、私の関心が偏っているのか、災害の甚大さにくらべて報道が少ないように感じられてなりません。その少ない報道で繰り返されるのが、「○○に在住する日本人○○人のうち、○○人の安全が確認されました」というフレーズです。

もちろん、これはたいせつな情報です。チリは南米の大国、駐在する会社員やその家族も多いでしょう。いちはやくその安否を掴み、本国に連絡することで、大使館の方がたは忙殺されていることでしょう。心からご苦労さまと申し上げたいと思います。

けれど、こうした海外の大事故大災害の報道に接するたびに、思い出す歌の一節があります。


外国で飛行機が墜ちました ニュースキャスターは嬉しそうに
「乗客に日本人はいませんでした」
「いませんでした」「いませんでした」
僕は何を思えばいいんだろう
僕は何て言えばいいんだろう

(THE YELLOW MONKEY「JAM」より 作詞 吉井和哉)


この歌は、発表当時、物議をかもしました。「そのとおりだ、日本人さえ死ななければ、他国の人が何人死のうがかまわないのか」という意見や、「まず日本人の家族を安心させるための、妥当な報道だ」という意見が飛び交ったのです。この観点ももちろんたいせつで、わたしは前者に組する者ですが、もうひとつ、考えるべきことがあります。このくにには、日本国籍以外の人が多数暮らしていて、その人たちも情報をマスメディアに頼っている、ということです。

今回も私は、家族や知人がチリにいても、日本で日本語で暮らしている外国籍の人は、日本のメディアからはなにもわからない、ならばどこの国のどの機関に安否を尋ねればいいのだろう、と思いました。日本の? それとも国籍のある国の? 

海外便に搭乗する時には、書類に国籍を記入します。そうである以上は、不幸にも航空機事故が起こったばあい、国籍しかわからないのだから、その人が国籍国以外に生活の拠点をもち、そこで家族や友人に囲まれていようとも、連絡はやはり国籍国が責任をもつしかないのでしょうか。でも、それでは情報が遠回りをします。遠回りでも伝わるならまだしも、伝わるかどうか、覚束ないものがあります。ましてや、テレビは「日本人はいませんでした」を繰り返すばかりでは、関係者の焦燥はつのるでしょう。

このつらさは、私にも憶えがあります。アフガニスタンから亡命して、在留特別許可をうけている友人が、学者や弁護士、フリージャーナリストたちが市民の立場で現地調査に行った際、通訳として一時帰国した時のことです。かれは当時の体制から迫害をうける虞があったために、難民に冷たい日本も在特を出したのです。危険を顧みず、アフガンの人びとのためと信じて出かけたかれの身の上が心配でした。実際、一目で少数民族とわかる友人は、殺すと脅され、通りすがりに殴られもしました。幸い、それ以上のことは起こりませんでしたが。

かれが出かけている間、奥さんは不安にうちひしがれていました。私は、そんな奥さんを前にして、心が曇りました。万が一、かれの身になにか起こっても、日本の報道は沈黙しているだろう、と思ったからです。

国籍国に暮らさない人は、世界にたくさんいます。搭乗の書類にもパスポートにも、国籍国のほかに2つぐらい欄をもうけて、現住所のある国や家族の暮らす国など、連絡してほしい国を記入するようにすればいいのに、世界中でそうするように決めればいいのにと、いつも思うのですが、それは難しいのでしょうか。

日本にも、在日の人びとなど、何世代も日本の社会に根を下ろしている外国籍の人びとがいるのです。国籍国のことばを身につけていない世代も増えました。そういう方がたの安否も日本政府が、つまり現地大使館が把握すべきではないでしょうか。この人びとは、日本の納税者なのですから。それよりなにより、この社会のメンバーなのですから。「日本人の安否」とテレビのニュースが言うたびに、外国籍の人びとがどんなに疎外感を覚えることか、そう考えるだに身がすくみます。ニュースが「日本人の安否」ではなく、「日本の市民の安否」と言うようになる日が、一日も早く来ますことを。

もう少し話を広げます。次に引用するのは、やはり海外の事件の報道のされ方をテーマとする歌の後半部分です。1996年に起きた在ペルー日本大使公邸占拠事件をうけてつくられました。


大きな救急車が扉を広く開けて待ち構え続けている
担架に乗り 肩にかつがれ 白い姿の人々が運び出される

日本人が救けられましたと 興奮したリポート
ディレクターの声もエンジニアの声もいり混じっている

人質が手を振っています元気そうです笑顔ですとリポートは続けられている
その時ひとかたまりの黒い姿の人々が担架を囲んでとび出して来る

リポーターは日本人が手を振っていますとだけ嬉々として語り続ける
担架の上には黒く煤けた兵士
腕は担架からぶらぶら下がり 足首がグラグラと揺れる
兵士の胸元に赤いしみが広がる
兵士の肩に彼の銃が ためらいがちに仲間によって載せられる
担架はそれきり全速力でいずこかへと運び出されてゆく

日本人が元気に手を振っていますとリポーターは興奮して伝え続ける
黒い蟻のようなあの1人の兵士のことはひと言も触れない ひと言も触れない

日本人の家族たちを喜ばせるためのリポートは 切れることなく続く
しかしあの兵士にも父も母も妻も子もあるのではなかったろうか
蟻のように真っ黒に煤けた彼にも 真っ黒に煤けた彼にも

あの国の人たちの正しさを ここにいる私は計り知れない
あの国の戦いの正しさを ここにいる私は計り知れない

しかし見知らぬ日本人の無事を喜ぶ心がある人たちが何故
救け出してくれた見知らぬ人には心を払うことがないのだろう

この国は危ない
何度でも同じあやまちを繰り返すだろう 平和を望むと言いながらも
日本と名の付いていないものにならば いくらだって冷たくなれるのだろう

慌てた時に 人は正体を顕わすね

あの国の中で事件は終わり
私の中ではこの国への怖れが 黒い炎を噴きあげはじめた

(中島みゆき「4.2.3.」より アルバム「わたしの子供になりなさい」所収)


またもや中島みゆきの、しかも同じアルバムで恐縮です。タイトルは、ここに歌われていることが起こった日付です。この事件では、ペルー人の判事と兵士2人の3人、そして犯人側の14人全員、合計17人が犠牲になったのでした。

歌詞からの引用が長くなってしまいましたが、きょう私が言いたかったことは、ここに言いつくされています。とくに、次のフレーズに。くどいのを承知で、最後にもう一度繰り返しておきます。外国籍の人に冷たい国は、その本性においてその国民にも冷たいのだ、と付け加えながら。


この国は危ない
何度でも同じあやまちを繰り返すだろう 平和を望むと言いながらも
日本と名の付いていないものにならば いくらだって冷たくなれるのだろう

慌てた時に 人は正体を顕わすね

あの国の中で事件は終わり
私の中ではこの国への怖れが 黒い炎を噴きあげはじめた


このエントリーをはてなブックマークに追加 Clip to Evernote