だって、フェリーニの「8 2/1」のリメイク・ミュージカルの映画化でしょう? フェリーニ命の私としては、いかにフェリーニへのオマージュとしてつくられた作品であろうと、パスです、パス。

「8 2/1」は、フェリーニ9本目の長篇劇映画ですが、映画がつくれない、という監督自身の絶不調をそのままテーマにしています。そんなテーマを映画にすること自体、天才の名に恥じないと思うのですが、この風変わりなタイトルには、1本に満たないできそこないという意味がこめられています(若い方向けの老婆心的解説です)。このたびのミュージカル映画は「NINE」ですから、完結した1本という自負があるのでしょうか。フェリーニを踏まえているというのに、なんとおこがましい。

今回の映画でも、主人公である映画監督の名前はフェリーニ作品と同じ、グイドです。イタリア人という想定で。アメリカ人に変えてもよさそうなのに、なぜか原作に律儀で、そこが気になります。もしかしたら映画館に確かめに行くかもと、パスすると言った舌の根も乾かぬうちに口走っています。でも、やはりパスです。

ともあれ、主人公のグイドという名前には、れっきとしたわけがあると思います。今からちょうど1000年前、イタリアに実在した聖歌隊長、グイド・ダレッツォという修道士にちなむ名前だと思うのです。

グイドは、ドレミファという音階名を発明したことで有名ですが、楽譜の創始者でもあります。もっとも、グイドが考案したのは五線譜ではなく二線譜でしたが、それにしてもこれは文字の発明くらいすごいことです。音楽、つまり音の高さや長さを記号で表す、という発想は、グイドのものなのです。それまでは、聖歌隊長が歌ってみせ、聖歌隊メンバーはそれを耳で憶えるしかありませんでした。また、音楽を記譜すれば、演奏家なしで持ち運ぶことができます。これは、当時の教会音楽の飛躍的な普及に役立ち、バチカンによる支配強化におおいに寄与しました。

さらにグイドは、左手の関節ひとつひとつに音階名をあてて、そこを右手で示して聖歌隊を指導しました。この教え方は効果抜群、グイドはスーパー指揮者の誉れをほしいままにしていました。これが、mano guidoniana「グイドの手」と呼ばれるもので、ドレミや楽譜とともに、ヨーロッパ中に広まりました。グイド・ダレッツォは、きわめて優秀な音楽指導者だったのです。グイドから派生したguidone「グイドーネ」という言葉は、「案内者、指導者」を意味しました。今はつかわれていませんが、英語ではguide「ガイド」となり、こちらは現役です。

指導者は、映画なら監督です。だから、「8 2/1」や「NINE」の主人公はグイドという名前なのだと思います。ガイドが迷子になった物語というわけです。ロベルト・ベニーニ監督主演の「ライフ・イズ・ビューティフル」で、強制収容所の中で幼い息子にすべてはゲームなのだと思い込ませるために命がけの嘘をつく父親の名前がグイドなのも、気になります。こちらは、道案内が成功した例です。

この説、亡くなった恩師、種村季弘先生にご披露したことがあります。先生、「嘘だろう!」と声が裏返っていました。映画評論でも名を馳せた、フェリーニ作品について論じた文章も多い先生の意表を衝くことができて、私は内心にんまりでした。

映画はともかくとしても、現実で道案内人が道に迷ったのでは、シャレになりません。このくにの道案内人は、普天間基地問題では道に迷っているフリをしていると、私は相変わらず思いたいのですが、どうでしょうか。きのうの党首討論、鳩山さんは本気で国内に代替地を捜し、そこの市民に理解を得るつもりのようにも聞こえました。そして、政府案をまとめると言っていた3月末は、なにごともないままに静かに過ぎてしまいました。

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