91年6月、ピナツボ火山が大噴火を起こし、スービック米海軍基地とクラーク米空軍基地に甚大な被害が及んだために、アメリカは両基地を放棄した、という説明をうのみにしていました。また、フィリピン政府が基地の地代を上げたら、米軍基地が出ていった、という説明にもうなづいてきました。

けれど、スービックの地元オロンガポ市には、粘り強くかしこい反基地運動がまずあったのだ、と知りました。それが政府を動かしたのだ、と。マルコス大統領がピープルズ革命で失脚し、代わって政権の座についたアキノ大統領は、当初は基地撤廃を唱えていたのが、就任後に基地存続に転じたのだそうです。どこかで聞いたことのあるような話です。けれど、それが全国的な人びとの反発を招き、それに押されて議会が新基地協定を否決し、米軍はそそくさと出ていった、となると、羨望のため息が出てしまいます。

火山噴火は天助ではあったでしょうが、基地はいらないという人びとの意志こそが、ひとつで沖縄県の基地すべてを合わせたほど広大なこの基地をアメリカに放棄させたのです。以前このブログに、「
法的には、わたしたちがいらないと言えば米軍基地はなくなる」という記事を書きましたが(12月19日)、そのとおりのことがフィリピンでは19年も前に起こっていたのでした。

そのあたりを追った「
米軍基地は必要か〜フィリピンの選択〜」という16分の番組を、OurPlanetTVが配信しています。91年に失効する基地協定に代わる新たな協定案は、フィリピン憲法に違反していたことを、反基地の理由のひとつに挙げた政治家の言葉にはっとしました。反基地に立ち上がったのは、最初は少数だった、基地協定改定時期をにらんで、ラジオに30秒のさまざまなスポットを流して理解を広めたなどという言葉は、「日米合意」間近という今この時、干天の慈雨のように心に沁みます。ラジオは、今ならインターネット、とくにツイッターなどでしょうか。

スービック基地があった地域は、今なお健康被害や環境汚染に苦しんでいるということも、この番組から知りました。また数日前には、経済特区で雇用は増えたけれど、基地ではたらくよりも収入は減っている、基地があったほうがよかったと考えている人が過半数を超える、というテレビニュースもありました。それでも、子どもたちが爆音から解放されてよかった、と静かに語る学校の先生の表情に、最後は価値観なのだ、なにを大切に思うかだ、と思いました。

5月23日の岩国大集会の動画(9分ほど)を続けて見たのですが、スービックの反基地運動と重なって見えました。この岩国の動画の続きを、米軍基地のない世界への歴史を、私たちがつくらないでどうする、と思えてなりません。希望はじゅうぶんすぎるほどあるのですから。フィリピンの人びとの、日本はフィリピンよりもアメリカへの依存度が低いのに、なぜ基地を容認しているのか、基地を追い出せないわけがない、といった言葉に、元気をいただきました。そして、きのうの琉球新報の社説、「アメリカに問う/民主主義の王道を 普天間海外移設に舵を切れ」の、真っ向からの立論に勇気をいただきました。

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