広島の平和式典はぶじ終わりました。憲法遵守と非核三原則堅持を誓った菅首相、みずからの行動をふくめた非核へのさまざま動きを列挙し、非核三原則の法制化、「核の傘」からの離脱、市独自の調査にもとづく「黒い雨降雨地域」拡大認定、世界のすべての被爆者への援護策を求めた秋葉市長、それぞれにいいスピーチだったと思います。でも、個人的には潘基文事務総長のスピーチがもっとも心に響きました(こちら)。朝鮮戦争の思い出から語り起こし、被爆した方がたが存命のうちに核のない世界を実現しようと訴える事務局長の英語は、独特のリズム感があり、謙虚ななかに強靱な意志を秘めた人柄をしのばせるに十分でした。

式典に先立つ朝、三々五々、花や線香を手に、早くも照りつける陽射しを避けるように木陰伝いに歩く人の流れから別れ、私は資料館の駐車場へと歩いていきました。テレビ局の中継車や警察車輌がびっしりと停まっているなかを、奥の生け垣が角になっているところをめざします。


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ちいさなワゴンがぎりぎりまでバックして駐車しているそのすみっこに、1本のポールが立っています。

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てっぺんにはブルーシートがかぶせられ、布テープでぐるぐる巻きにされています。シートの下は、丸い物体のようです。

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足下にちいさなプレート。そこにはこう書かれていました。

「朝鮮民主主義人民共和国帰国記念 広島県在留朝鮮人帰国者 1959年12月14日」

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韓国出身の被爆者慰霊碑は、りっぱなのが別のところにあります。巨大な亀の甲羅に黒御影石の角柱が高々とそびえ、その上に四角い石の彫刻がのって、地面にはそれを囲んで円形に敷石が並ぶという、宇宙観を表現したすばらしいモニュメントです。おととい5日にはセレモニーがあり、碑は豪華な花束にうずまりました。この慰霊碑が平和公園内に設置されるまでには、心が痛くなるようないきさつがありました。でも今は、安住の地を得て、韓国籍の犠牲者の無念をすこしでも和らげたいとの人びとの思いに支えられ、手厚く整備されています。

それにひきかえ、北朝鮮籍の犠牲者がいたことを示す記念物は、駐車場のすみのポールと、ブルーシートで無造作にくるまれた物体です。物体は時計だそうです。故障したので隠されているのでしょうか。これが設置されたのは東西冷戦のさなか、また帰国が奨励された時期でした。帰国記念に駐車場用の時計を寄贈するという名目で、設置が許されたのでしょうが、ここは平和公園のはずれとは言え、原爆の犠牲者の冥福を祈念する場です。帰国記念なら、ここでなくてもいいはずです。これを建てた人びとが平和公園の敷地内にこだわったとすれば、それは帰国記念のかたちを借りた原爆犠牲者の慰霊碑としか考えられません。


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広島で亡くなった人びとの中には、北朝鮮籍の人びともまたいたことを、銘に刻むことすら拒まれながら、プレートは声なき声で「わかる人はわかってくれ」と訴えているかのようです。平和公園に散在するあまたの慰霊碑の中で、同じ原爆犠牲者の碑なのにと、胸が痛みます。被爆したからだで北朝鮮に帰っていった人びとのその後を思いあわせると、なおさら胸が締めつけられます。せめてものことに、原爆投下のこの朝、向日葵の花を手向けました。


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式典会場で、写真家の森住卓さんにお会いしました。それで、この「慰霊碑」を撮影してほしいとお願いしました。私のへたな写真よりも心に訴える森住さんの作品に、いつかどこかで会えますように。

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