霜山徳爾訳『夜と霧』は、戦後最大のベストセラーであり、ロングセラーです。私は縁あって2002年にその第2版を訳しました。出版社は、霜山訳と同じみすず書房です。この新版が出たことで、霜山訳もまたあらためて読まれるようになり、うれしい限りです。霜山訳は、戦後すぐの世相を反映した、緊迫した文体の、歴史的名訳だからです。私は、高校生に読んでいただきたいと思って、訳しました。

その「あとがき」を転載します。


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本書は、 『……trotzdem ja zum Leben sagen』(一九七七年、KOSEL-VERLAG)所収の「Ein Psychologe erlebt das Konzentrationslager」を訳出したものである。タイトルはそれぞれ、『……それでも生にしかりと言う』、「心理学者、強制収容所を体験する」というほどの意味だ。

この作品は『夜と霧』というタイトルですでに半世紀も読み継がれてきた。霜山徳爾氏による誠実な翻訳は、敗戦直後という歴史の徴を帯び、今なお輝きを失わない。ある全国紙の二〇〇〇年元旦号が掲載した「二十一世紀に読み継ぎたい本」という大がかりなアンケートで、翻訳ドキュメント部門の第三位に挙げられたのも、この本がこのくにの戦後の精神風土に与えた影響の大きさを雄弁に物語っている。まさに特権的な書物なのだ。

若いころこの本に出会って深く感動し、影響を受けた者はおびただしい数にのぼるだろう。私もその一人だ。高校生のときに読んで震撼し、そこにうねる崇高とも言うべき思念の高潮に持ち上げられ、人間性の未聞の高みを垣間見た思いがした。

それを今なぜ改めて訳すのか。不審に思われる方もおられるだろう。私自身も、最初は荒唐無稽な話だと思った。遠く学恩に浴してきた霜山訳に、そのようなことはできない、とも思った。けれど、今この本を若い人に読んでもらいたい、という編集者の熱意に心を動かされ、また霜山氏から思いがけない励ましをいただいて、僭越は百も承知で改訳をお引き受けした。

けれど、これは訳すべきだった、というのが、訳し終わった感想だ。なぜなら、霜山氏が準拠した一九四七年刊の旧版とこのたび訳出した新版では、かなりの異同があったからだ。

細かいことから言うと、旧版には多出した「モラル」ということばが、新版からはほとんどすべて削られている。残ったのは二カ所だけだ。その真意は推し量るしかないが、ここで扱われるべきは精神医学の、あるいはより根源的な人間性なのだ、とする筆者の考え方がそうさせたのではないか。時をおいて旧版を検証したとき、フランクルは、冷静な科学者の立場から書いたつもりが、その実、それらの箇所ではやや主情的な方向に筆がすべったと見たのではないか。しかし、私は旧版は旧版として擁護したい。これが書かれたのは、収容所解放直後と言っていい時期だ。モラルの荒廃を目の当たりにした無惨な経験に、ここまで冷静に向き合った筆者の精神力には胸を衝かれるものがある。「モラル」と書きたくなるのも当然ではないか。

旧版と新版のもっとも大きな違いは、旧版にまつわる驚くべき事実から語り起こさなければならない。旧版には、「ユダヤ」という言葉が一度も使われていないのだ。「ユダヤ人」も「ユダヤ教」も、ただの一度も出てこない。かつて何度か読んだときには、このような重大なことにまったく気づかなかった。

まずなにより、フランクルはこの記録に普遍性を持たせたかったのだろう。一民族の悲劇ではなく、人類そのものの悲劇として、自己の体験を提示したかったのだろう。さらにフランクルは、ナチの強制収容所にはユダヤ人だけでなく、ジプシー(ロマ)、同性愛者、社会主義者といったさまざまな人びとが入れられていた、ということを踏まえていたのではないだろうか。このことに気づいたときは、思わず姿勢を正したくなるような厳粛な衝撃を受けた。

ところが新版では、新たに付け加えられたエピソードのひとつに、「ユダヤ人」という表現が二度出てくる。ついにアメリカ軍と赤十字がやってきて収容所を管理下においたとき、ユダヤ人グループが収容所長の処遇をめぐってアメリカ軍司令官と交渉した、という逸話である。彼らユダヤ人は、この温情的な所長をかばったのだ。

ここに敢えて「ユダヤ人グループ」と名指ししたのはなぜか。それまでの書き方を踏襲するなら、ただの「被収容者グループ」になったはずだ。このことからは、改訂版を出すことにした著者の動機に直結する事情が伺えるのではないだろうか。つまり、改訂版が出た一九七七年は、イスラエルが諸外国からのユダヤ人移住をこれまでに増して奨励しはじめた年だ。それは、一九七三年十月の第四次中東戦争でアラブ側が初めて勝利したことを受けて、国力増強のためにとられた政策だった。

そう、一九四八年の「イスラエル建国」と同時に勃発した第一次中東戦争から三十年足らずの間に、この地は四度も戦火に見舞われたのだ。戦争とカウントされなくても、流血の応酬はひきもきらず、難民はおびただしく流出し続けた。パレスティナは、世界でもっとも人間の血を吸いこんだ土地になった。

そのような同時代史がフランクルの目にどのように映ったかは、この本の読者なら想像に難くない。さらにあいにくなことに、十七カ国語に訳された『夜と霧』は、アンネ・フランクの『日記』とならんで、作者たちの思いとは別にひとり歩きし、世界の人びとにたいしてイスラエル建国神話をイデオロギーないし心情の面から支えていた、という事情を、フランクルは複雑な思いで見ていたのではないだろうか。

だからこの時期、『夜と霧』の作者は、立場を異にする他者同士が許しあい、尊厳を認めあうことの重要性を訴えるために、このエピソードを新たに挿入し、憎悪や復讐に突き進まず、他者を公正にもてなした「ユダヤ人グループ」を登場させたかったのだ、と私は見る。ちなみに、このエピソードが語っている収容所には、解放時わずかな被収容者しか残っておらず、フランクルは医師として指導的な立場にあった。したがって、所長擁護はフランクル自身が主導したと見て間違いない。その主体を「グループ」と複数で語っているのは、作者の謙譲はもちろんだが、それがユダヤ人の集団的行為だった、と強調したかったということもあるのではないか。

受難の民はきわめて攻撃的になることがあるという。それを地でいくのが、二十一世紀初頭のイスラエルであるような気がしてならない。フランクルの世代が断ち切ろうとして果たせなかった悪の連鎖に終わりをもたらす叡知が、今、私たちに求められている。そこに、この地球の生命の存続は懸かっている。

このたびも、日本語タイトルは先行訳に敬意を表して『夜と霧』を踏襲した。これは、夜闇に乗じ、霧にまぎれて人びとが連れ去られ、いずこともなく消え去った歴史的事実を表現する言い回しだ。しかし、フランクルの思いとはうらはらに、夜と霧はいまだ過去のものではない。相変わらず情報操作という「アメリカの夜」(人工的な夜を指す映画用語)が私たちの目をくらませようとしている今、私たちは目覚めていたい。夜と霧が私たちの身辺にたちこめることは拒否できるのだということを、忘れないでいたい。その一助となることを心から願って、先人への尊敬をこめて、本書を世に送る。


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