きのうの記事に思いの外たくさんのアクセスがあって、正直、驚きました。おとといの「竹島から尖閣を考える 領土とは何か」は満を持して書いたのですが、こちらのアクセスはそれほどでもありませんでした。複雑な心境です。

ともあれ、きのうの記事への付け足しです。「じゃあ、アフリカのお母さんを応援するにはどうすればいいのか」「ちいさくなった子供服をもらってくれる人がいないばあい、それを寄付するのはいいことではないのか」というようなDMを、複数いただいたためです。

子供服はバザーで売って、そのお金をNGOを通じてアフリカなどの開発支援に役立てていただくのがいい、と私は思います。子供服を配るなら、NGOはそのお金で現地生産のものを買い、配るのです。そのほうが、さまざまな意味で効率がいいのです。よりたくさんの衣類を購うことができるし、輸送費がかからないので、お金の使い方として効率がいい。輸送に必要な石油エネルギーも必要ないので、環境にいい。そして、現地経済に貢献できます。

けれど、こうした事業、子供服メーカーさんとしてはなかなか難しいでしょう。新品がその分売れなくならないような工夫が必要となり、ひと手間かかります。それでもやると、メーカーさんが言ってくださるといいのですが。今回、リサイクルした子供服をアフリカに送ることにしたメーカーさんは、たいへんユニークな企業で、センスのいい事業展開をしてきました。洋服屋さんなのに絵本も出版していて、私も1冊、出していただいています。ですから、あともう一声、と応援すれば、またいろいろ考えてくださる可能性はあると思います。

けれどとりあえず、これはやはり私たち生活者がやるのがいいのではないでしょうか。保育園や幼稚園単位で行えば、楽しいと思います。もちろん、お母さん同士、お金のやりとりなしで子供服の交換はなさっているでしょうが、それをバザーとして行い、ほんの少額のお金を介在させれば、アフリカのお母さんと手をつなぐことができるのです。きのう、衣料品を海外に寄付する時は輸送費も添えるのが望ましい、と書きましたが、それはたとえば小包ひとつにつき500円ていどです。もしも100円均一のバザーなら、ひとりが5点買えば500円になります。そして、国によっては、子供服は1枚数十円です。

田中優さんが新著『幸せを届けるボランティア、不幸を招くボランティア』で提唱なさっている、ペットボトルの行政による回収への異論については、「初耳だ」「なるほど」という声をいただきました。これはほんの一例ですので、ぜひこの本を読んでいただきたいと思いますが、ペットボトルにかんしてここに書いていない、書いていただきたかったことをひとつ、付け足しておきます。

ペットボトルのキャップを800個集めると、途上国の子どもひとりにワクチンを投与できる、という「ボランティア」活動についてです。ところが、そうやって回収されたキャップはボトル本体といっしょに破砕され、リサイクルされるので、キャップだけ集めることにはさしたる意味はありません。唯一考えられるのは、キャップを閉じたペットボトルは潰しにくいので、回収の効率が悪くなる、だからペットとキャップを分ける習慣を定着させるために、キャップを集めてワクチンを送ろう、というキャンペーンが考え出されたのではないか、私はそう勘ぐっています。

ひとつでも利点があればいいではないか、というご意見もあるでしょう。でも、ある小学校にうかがった時、衝撃的なものを見てしまいました。ある教室に、「夏休みのしゅくだい ボランティアをしよう」と貼り紙がしてあって、子どもたちが、自分がしようと思うボランティアを書いていました。その中に、「キャップを○○こあつめる」と書いている子どもがいました。100の単位でした。その学校では、子どもたちのボランティア活動の一環として、キャップを集めていたのです。この子は夏の間、自分でもせっせとペットボトルの清涼飲料水を飲むのか、と思いました。これでまたひとつ、キャップが貯まった、自分はいいことをしてるんだ、と思いながら。

本末転倒もいいところです。環境に配慮するなら、ペットボトルの消費を減らすことこそたいせつですし、キャップ800個でまかなえるひとり分のワクチン代は20円です。だったら、清涼飲料水を飲むのを1回がまんして120円を寄付すれば、6人のワクチン代を購えます。800本の清涼飲料水代は、1本120円とすると、4800人分のワクチン代にあたります。おおきなボトルならそれより高いので、実際はもっとたくさんの子どもを救えます。

カラフルな丸いキャップがたくさん集まった光景は、人によっては見た目にも楽しいものなのでしょう。それも、この「環境・国際たすけあい」キャンペーンに人気がある理由のひとつなのでしょう。ボトル本体と違って、キャップなら学校などの集積場所に持って行くにもかさばらないので、その手軽さもうけているのでしょう。ひところ、アルミ缶のプルトップを集めると車椅子になる、という都市伝説じみた「ボランティア」がはやったように。都市伝説じみた、と言うのは、だったらアルミ缶本体も集めたほうがたくさんのアルミをリサイクルできる、なのにプルトップだけというのは、やはり手軽さが歓迎されたためだ、と思うからです。ボランティアのしきいを低くする工夫と言っても、こうしたおかしげなことがあると考えものだ、と思います。

小学校の階段の下に、ドラム缶数個分のキャップが透明プラスティックの袋にびっしり入っているのを目にした時、私は薄暗がりの中の色とりどりを、きれい、とは感じませんでした。いやなものを見た、と思わずにはいられませんでした。

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