箱根湯本駅から、最終の登山電車に飛び乗った。乗客は数人。二輌編成の電車は静かに動き出した。鉄橋を渡り、ちいさなトンネルをくぐり、山肌をじりじりと登る。いくつめかのカーブを曲がって、ふもとの町がやや遠ざかり、車窓に夜の山の濃密な闇が広がる、と予想した目に飛びこんだのは、満開の紫陽花の壁だった。それが随所にもうけられた照明に映えて、延々と続く。
車内に歓声があがるでも、カメラのシャッターがおりるでもない。乗客は仕事帰りの地元の人びとだからだろう。観光客は、もっと早い時間に山に上がっているはずだ。みんなじっと腰掛けたまま、さすがにときおり目を窓の外に泳がせている。
紫陽花の群れに覗きこまれながら、登山電車はしずしずと山を登っていく。車窓の威圧感にいつしか異様な気分になり、「ああほんとうにどこまでもどこまでも僕といっしょに行くひとはいないのだろうか」−−『銀河鉄道の夜』のジョバンニになって、心の中で叫んでいた。紫陽花は星だった。星雲であり、ひとつひとつが宇宙だった。
「あじさい」の語源は「集(゙あづ)真(゙さ)藍(あい)」だという。けれども、こんにち一般的なセイヨウアジサイではなく、野生のガクアジサイにつけられた名前だから、手鞠型の花の姿を思い浮かべて納得したのでは、早合点ということになる。華麗なセイヨウアジサイは、日本原産のこの花が中国経由でヨーロッパに渡り、改良を重ねられて里帰りしたものだ。
知られているように、萼片が大きくなったのが紫陽花の「花」だ。花屋で売られている鉢物のなかには、巨大な萼片の先がかすかに縮れてさえいるものもある。それはそれで見事だが、額紫陽花のあるかなきかのかそけき色香が、私は好きだ。

(伏見文夫・絵) Tweet
車内に歓声があがるでも、カメラのシャッターがおりるでもない。乗客は仕事帰りの地元の人びとだからだろう。観光客は、もっと早い時間に山に上がっているはずだ。みんなじっと腰掛けたまま、さすがにときおり目を窓の外に泳がせている。
紫陽花の群れに覗きこまれながら、登山電車はしずしずと山を登っていく。車窓の威圧感にいつしか異様な気分になり、「ああほんとうにどこまでもどこまでも僕といっしょに行くひとはいないのだろうか」−−『銀河鉄道の夜』のジョバンニになって、心の中で叫んでいた。紫陽花は星だった。星雲であり、ひとつひとつが宇宙だった。
「あじさい」の語源は「集(゙あづ)真(゙さ)藍(あい)」だという。けれども、こんにち一般的なセイヨウアジサイではなく、野生のガクアジサイにつけられた名前だから、手鞠型の花の姿を思い浮かべて納得したのでは、早合点ということになる。華麗なセイヨウアジサイは、日本原産のこの花が中国経由でヨーロッパに渡り、改良を重ねられて里帰りしたものだ。
知られているように、萼片が大きくなったのが紫陽花の「花」だ。花屋で売られている鉢物のなかには、巨大な萼片の先がかすかに縮れてさえいるものもある。それはそれで見事だが、額紫陽花のあるかなきかのかそけき色香が、私は好きだ。

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