ずっと心に刺さった棘のようになっているテレビ報道があります。311からまだ日も浅い、ある日のある民放テレビの報道です。でも、いまだに事実として受け入れていいのか、迷うところがあるので、慎重に書きたいと思います。

福島の原発近くには、東電社員の奥さんと地元の奥さんの交流グループがあるそうです。あるいは、あったそうです。東電の肝いりでつくられたもので、地元の人びとに原発への理解を深めてもらうのが目的だそうです。テレビのインタビューに答えていたのは、そうしたグループの地元側のリーダーでした。ご自宅の茶の間とおぼしい畳の間で、 その方は声を絞り出すようにして訴えておられました。およそこんなお話でした。

「地震の翌日(もしかしたら翌々日)、大混乱の中で、東電の奥さんたちは無事かしらと、 電話をかけてみた。そうしたら、一人残らず遠くに逃げていた。わたしたちにはなにも言わずに。わたしは、原発のためにいっしょけんめい協力してきたつもり。東電の奥さんたちとはなかよくおつきあいしてきた。友だちだと思っていた。なのになぜ知らせてくれなかった、なぜ自分たちだけ逃げた...理解できない」

逃げること自体に、なんら責められる謂れはありません。多くは、小さな子どものいるお母さんたちでしょう。子どもを守るために逃げる。当然です。ひっかかるのは、なぜ地元の方がたに原発が危険だという情報が一切流れなかったのか、です。原発の町に暮らしていた東電家族は、数十にのぼるでしょう。交流グループのメンバーも数人ではすまないはずです。学校や保育園の子どもつながりで、地元と親しくつきあってきた方もおられるでしょう。なのに、テレビに出ていた方の話のとおりだとすると、なぜ誰一人、子どもの友だちのお母さんに、自分たちは避難すると伝えなかったのでしょう。

わたしは、戦争末期に旧満州からいち早く引き上げた関東軍とその関係者の家族のことを思い合わせずにはいられませんでした。日頃は親しくしていても、危険が喫緊に迫ってくるとどうでもよくなる、その程度の おつきあいでしかなかったのか。かつて東電に勤めていた蓮池透さんは、家族連れで福島の原発に勤務していたことがおありですが、地元とのつきあいはうわべのものでしかなかった、とご著書に書いています(『私が愛した東京電力』かもがわ出版)。そういうことだったのか、とインタビューに答えておられた方とともに、わたしは深くうなだれるしかありません。

多くの人に危険情報が伝わるとパニックが起こり、道路は渋滞し、スムースに避難することが困難になるかもしれない、という懸念が、情報が社外に出なかった理由でしょうか。だとしたら、自分たちだけが逃げるために情報を押さえたことになります。あるいは、会社ないし部署の上司などが逃げろと言っているから、自分たちは従うしかないが、その危険情報がどの程度確実なのかわからない以上、むやみに人に伝えて混乱させるのはよくない、との配慮でしょうか。それとも、箝口令が敷かれたのでしょうか。

いろいろ考えても、やはり避難情報を、せめて自分たちは避難するという情報を、地元のママ友には伝えなかったことを正当化する理由が、わたしには見つかりません。津波てんでんことは、津波が来たら自分だけ逃げろという、東北に伝わる悲しくも厳しい知恵です。それが、一家全滅、村落全滅をまぬかれる唯一の道だからです。このたびの原発てんでんこ、これがもしほんとうに起きたのだとしたら、これは津波てんでんことは同列には語れない、深刻な問題をはらんでいると思います。

事の真偽を確かめたくて、ここに記録しておくことにしました。ツイッターなどで情報をお寄せください。


追記
さっそく情報をお寄せくださった方がおられます。ネットメディアで、東電福島第一原発モニターOB会の方がインタビューに応じておられる動画です(こちら)。ひじょうに生々しい証言です。「原発てんでんこ」については、15〜20分あたりです。(1:23)


追記2
翌22日に補遺を書きました。そちらもぜひお読みいただければと思います(こちら)。



 
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