ゆうべ、拙ブログを読んだ永田淳一さんがさっそく教えてくださったインタビュー動画(こちら)は、311原発事故にかんするオーラルヒストリーの第一級史料だと思います。収録が4月2日と事故から日が浅く、話している方はすぐれた記憶力をもち、出来事を再構成する能力に長け、なにより微妙な感情を再現して伝える表現力に秀でておられるからです。またもちろん、これを報じている時代メディアのインタビュアー、MIKE-Tさんのあざやかな手腕が豊かな話を引き出した、ということもあります。まだの方はぜひご覧になることをお勧めします。

オーラルヒストリーとは、出来事の現場にいた人びとの語りを集めて歴史を記述する試みです。体験の、人生の圧倒的な現実感とともに語られるそれらのストーリーはしかし、事実であることはゆるがなくても、全体を見通すものではありません。話者が体験しなかったことは語られないのですから。ですから、ひとつのオーラルヒストリーは事実ですが、現実のすべてではないのです。

きのうの記事は、今にしてようやく書き留めることができたものです。気が重かったのです。それにたいする反響は驚くべきものでした。1日で1万3千人の方が読んでくださり、ツイッターやダイレクトメールをつうじて、たくさんのお声が寄せられました。東電社員の家族を批判するお声もありましたが、多数ではなかった、そのことに深く打たれました。

ご意見ご感想をお寄せくださった多くの方がたが、きっとわがこととして「原発てんでんこ」を心の深いところで受け止められたのだろうと思います。話者(Aさんとしておきます)の思いだけでなく、いちはやく避難した東電社員の家族の方がたの思いにも想像力をはたらかせ、考えてくださったのだと思います。Aさんに共感して、なぜ地元の人には情報が流れなかったのか、と沈痛な思いを吐露すると同時に、個々人に非難の矛先を向けるべきではない、とするご意見が目を引きました。東電や関連会社の社員やその家族は、今追いつめられようとしているのではないか、とのご意見に、予想していたこととは言え、わたしもそうした流れを後押ししてしまったかもしれないと、厳しく反省もしました。

芥川龍之介の「蜘蛛の糸」を思い出した、と書いた方がおられました。われ先に逃げるのは人間の業(ごう)だとする見方です。いいとか悪いとかではない、という悲しい達観です。でも、そこからニヒリズムの皮相な人間観に落ち着くのは間違っているのではないか、そんな思いがたくさんのつぶやきから聞こえてくるようにも思いました。

ようやく避難所にたどりついたAさんは、身内の、おそらくは原発関連の仕事をしている人から、原発が爆発したらしい、ここにいては危ない、と耳打ちされ、県内を転々とした末に大阪に落ち着きます。決断力も実行力も交渉能力もある方です。避難所を出るとき、周囲の何人かには、危ないから逃げる、と告げたそうです。避難所にいたすべての人に大声で告げて回ったのではないのです。そうしたからと言って、誰もが逃げる決意を下せるとは限らない、と見越したからではないでしょうか。

わたしは東京在住ですが、科学技術にくわしく、環境問題に明るい友人が、311直後に電話をくれました。政府は心配ないと言っているけれど、自分の情報分析だと原発でそうとう危険なことが起こっている、自分は妻と子どもを逃がした、関東一円はもう危ない、と言うのです。いちおう耳に入れておく、判断は任せる、とかれは言いました。わたしは米とミネラルウォーターなどの備蓄をチェックし、ペットフードなどを買い足し、古新聞とポリ袋がたっぷりあることを確認し(水洗トイレが使えなくなった場合を考えました)、太陽光発電を停電時の自立発電に切り替える練習をしました。地下室があるので、余震のおそれもいまだ去らない中、プルーム(原子雲)が通過する数日は、近所に住む親族11人と犬3匹猫3匹でそこにろう城する構えです。

東京地方をプルームが通過したのは、3月14日と15日と21日です。この3日で、今降り積もっている放射性物質の85%が落ちました。そういうことが明らかにされたのは、もちろんずっと後です。15日、わたしは歯医者さんに予約を入れてありました。気が進まなかったのですが、近所なのでマスクをして出かけました。町はいたって平穏で、いいお天気でした。早春の水色の空がきれいでした。治療用の椅子に座って順番を待つあいだ、複雑な、落ち着かない思いで大きな窓越しに外の道をながめていました。すると、すてきなジョギングウエアの若い女性が、ベビーカーを押した若いお母さんを追い越していきました。はっとして、椅子から立とうとしたその瞬間、「椅子を倒しますね」という看護師さんの声がして、わたしは背中から沈み、彼女たちはわたしの視野から消えました。

わたしは看護師さんに「ちょっと待って」と言って、あの若い女性に「きょうはジョギングは控えたほうがいいですよ」と告げることも、あのお母さんに「早くお帰りになったほうがいいですよ」と伝えることもなかったのです。わたしも、自分が得た情報を身内以外には伝えませんでした。もちろん、東電関係者の生の情報と、友人の鋭いとは言えたんなる観測では、精度が違います。わたしはやたらと触れて回るべきではなかった、との言い訳もなりたちます。けれど、たとえば多摩市の阿部市長は、14日から23日のあいだ子どもはマスク着用、外遊び禁止という通達を出しました。自身の知識と情報分析と判断で。すべての責任をとる覚悟で。わたしは阿部市長からそのことを伺って、あの時、歯科医院の窓の外を歩いていた3人のことを思い、痛恨の念にかられました。

わたしもまた、人のことは言えないのです。東電の奥さんの中に、避難する車窓から外の家並みを見て、子どもの友だちの家を見て、はっとした方がいなかったと、誰が決めつけられるでしょう。はっとした次の瞬間、その家はすでに背後に消え...。

いただいたご意見のなかに、わたしたちは敵を見誤ってはいけない、というのがありました。ほんとうにそうだと思います。わたしたちは、阿部市長のように高い倫理性にもとづいて行動すべきだし、できればそうしたい、けれどいつもそうできるとは限らない、弱い、情けない、業の深い存在なのだ、そのことを肝に銘じて、そんなわたしたちでもできることを模索していくしかないと、わたしは思います。

敵を見誤るな。敵は、今わたしたちが目の当たりにしているこの悲痛とていたらくを招いたシステムにあることを、それはわたしたちの意志で変えられることを、変えねばならないことを、銘記したいと思います。

 
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