刑事被告人を国家の権力から守るための条文はまだ続きます。

憲法は、家宅捜査や押収には裁判所の令状がいる、とする前に、まずこれらが本来ならば権力による個人の権利侵害であることをはっきりと示して、事の重大さを強調している印象です。

自民党の改憲案では、第36条から「ぜったいに」が消えています。まさか、拷問や残酷な懲罰へのしきいを低くするためではないと思いますが、いじった以上、なんらかの意図があるわけで、気になります。

死刑は第36条のいう「残酷な懲罰」にあたるのではないか、だから憲法違反ではないか、という議論があります。死刑そのものではなくても、絞首刑は残酷な刑罰だ、と主張する人びともいます。日本と違って処刑が一定の人びとに公開されているアメリカでそうした論争が起きたのは、皮肉なことに、日本が明治時代に刑法によって死刑は絞首によると定めたのとほぼ同じころでした。

被告人側の証人は国費で手配されるべき、というのは、そんなことは個人の手に余るからです。現在、証拠の開示が問題になっています。検察側が、集めた証拠のうち、自分たちにつごうの悪い、つまり被告人の無罪証明に役立ったり、減刑の根拠になったりするものは出さないことが、裁判の公正性にもとる、というのです。昨今の免罪事件でも、検察の証拠隠避が露見しています。

裁判が公開でなければならないのは、密室の裁判では圧倒的におおきな力をもつ検察のふるまいが妥当かどうか、わたしたちが判断できないからです。弁護士を自分でつけられない被告人には、国が用意しなければならないとするのも、おおきな権力をもつ検察や裁判所と、司法についてなんの予備知識もないわたしたちのバランスをとるためです。

このように、司法の場で公正性を裏書きする役割を振られている裁判所ですが、その職責をじゅうぶんに果たしているでしょうか。見えにくい分野ですが、それを少しでも見えるようにと取材を続けるジャーナリストを通じて、しっかりと監視しなければなりません。


第35条
住まいにたちいられたり、
書類や持ち物を、調べられたり、取りあげられたりしないことは、
すべての人の権利です。
ただし、じゅうぶんな理由のもとに発行され、
調べる場所や、取りあげるものを
きちんと書いた令状があるばあいは、別です。
33条にさだめてあるばあいも、別です。

調べたり取りあげたりするには、それぞれべつの令状がいります。
令状は、裁判所が発行します。

第36条
公務員による拷問と、残酷な懲罰は、ぜったいに禁止します。

第37条
公平な裁判所で、すみやかな公開の裁判をうけることは、
すべての刑事事件の被告の権利です。

被告人には、すべての証人を吟味する
じゅうぶんな機会があたえられます。
自分のかわりに国のお金で証人をえるための
手続きを求めるのは、被告人の権利です。

どんなときでも、被告人には、
資格のある弁護人の助けがなければなりません。
もしも被告人が自分で弁護人をたのめないばあいは、
国が弁護人をつけなければなりません。


やさしいことばで日本国憲法           (マガジンハウス刊)
 
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