ブログから遠ざかっているうちに、年が明け、おととい1月12日には沖縄の名護市長選挙が告示されました。辺野古に新しい米軍基地を受け入れるかどうかで、反対の現職と賛成の新人の一騎打ちという、たいへんなことになっています。

年末、仲井眞・沖縄県知事は、辺野古の海の埋め立てを承認しました。これで、情勢は新基地建設に大きく動いたわけですが、国はさらに辺野古のある名護市の承認もいくつかとりつけなければ、工事を始めることができません。それで、今回の名護市長選挙は、与党が人気のある国会議員を応援に送り込んで、なんとか勝とうとやっきになっているのです。

このように、いかに国の方針であっても、地元にはそれを拒否する権限があります。その思想は、第92条から始まる憲法第8章「地方自治」の最後の章、第95条にはっきりと示されています。この章は、『やさしいことばで日本国憲法』には訳出しませんでしたが、辺野古のまっ青な海を思い出しながら、ここに掲げておきます。


第95条
ひとつの県、郡、市、町、村、区だけにあてはまる特別法は、法律の定めにしたがって、そこに暮らす人びとが賛成か反対かの投票をし、半数以上が賛成しなければ、たとえ国会を通ったとしても無効です。



いかがでしょうか。住民投票でしめされた住民の意向は、国会の決議よりも重いのです。ここでは特別法、つまり法律について語られていますが、この、地元の意向は国の方針にまさるという思想は、政治のあらゆる場面で、じつは密かにつらぬかれています。国がどんなに沖縄に米軍基地を新設したくても、さまざまな許可権を盾に地元自治体が抗うのもそのひとつですし、原発立地も地元の意向によるという体裁を整えるために、市町村議会が誘致決議をし、県知事がそれを受けて認可する、ということになっています。

この第95条の思想をわたしたちがあまり知らないのは、知られると国策推進に支障をきたすので、国があまり表に出してこなかったからだ、というのはうがち過ぎでしょうか。けれど、この条文を知らなくても、この思想に立って行動する人びとを、わたしたちは知っています。沖縄だけでなく、住民投票で原発を追いやった新潟・巻町の人びとなどです。

外部の力がふるさとに害をなそうとするとき、たとえその外部が国であろうと臆せず敢然と弓を引く、それは憲法第95条が明確に認めている、正当な行為です。ちいさな地域であろうとも全体益の犠牲になることに甘んじてはならない、だから外の力からふるさとを守る。これこそが地域主義的保守主義だと思います。わたしたちの憲法には、この地域主義的保守主義が埋め込まれているのです。

じつは、GHQ民政局がつくった憲法のたたき台に先行する、いわばたたき台のたたき台というべき鈴木安蔵らの憲法草案には、第8章がそっくりありませんでした。地方自治を民主主義の原点ととらえるアメリカが、鈴木らの草案に付け加えたのですが、わたしは、第95条の原形は合衆国憲法修正第2条ではないか、と考えています。それについては、稿を改めて論じたいと思います。






 
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