「池田さんの話を聞いていると、自分が日本人になったような気がしてくる」

複雑な面持ちで複雑な感想をもらしたソ・ヘソンさんは韓国の詩人、おそらく50代だと思います。男性です。

去年の秋、わたしたちはピースボートの船上で出会いました。日中韓台が、沖縄をいわばハブとしていかに友情を深めていくか、といった趣旨の 船旅での、シンポジウムの一幕です。友情と言うのなら、そのずっと手前で、相互の近現代史理解には溝があることをまず認めあわねばなりません。不快な作業です。

中韓台の人たちが不快なことはわかりますが、日本のわたしだって不快です。クルーズのとちゅう、釜山で合流したわたしは、こんな発言をしました。

「韓国人に会うのはいやです。韓国に行くのもいやです。中でも釜山だけは来たくありませんでした。

なぜなら戦争中、祖父が日本油脂の釜山工場長だったからです。燃料油が足りない日本は、韓国の松林を濫伐して、その根から油を絞っていました。松根油です。工場は、韓国の人びとを昼夜交代の12時間労働でこき使っていました。祖父は晩年、機嫌のいいときには、子どものわたしを相手に、そういう話をしました。祖父の絶頂の時代だったのだろうと思います。工場は危険に満ち、過労でつい居眠りが出てけがややけどをした工員たちの「アイゴー!」という悲鳴が響いていたそうです。祖父の話には、よく憲兵が出てきました。しょっちゅう工場長室に憲兵がいるのです。祖父の話は、子どものわたしには恐怖で、悪夢にうなされました。

「アイゴー!」という声を想像するのも恐かったけれど、やさしい祖父がこんな恐ろしい話に興じることが恐怖だったのです。そんな祖父の足跡の残る韓国だから、来たくなかった」

それを受けてのソ・ヘソンさんの第一声は強烈でした。

「わたしの父は戦争中、中学生だったが、勤労奉仕で松の根っこを掘っていたそうです。あの根っこは、池田さんのお祖父さんの工場に行ってたんですね」

日本人韓国人半々の会場にはじける爆笑の中、だから韓国人とは会いたくないんだ、と思った瞬間でした。けれど、ソ・ヘソンさんは続けて言ったのです、「池田さんの話を聞いていると、自分が日本人になったような気がしてくる」と。

はっと息をのみました。自分が日本人だったら、やはりわたしのように、韓国人とは会いたくないと思い至るような、良心の呵責にさいなまれるだろう、という意味であることは、続いての発言でよくわかりました。目の前の相手の立場に自分を置いてみる。相手が開陳する心情をなぞってみる。それだけでもすでにすばらしく自由な寛容の精神のなせる技です。その上で、ソ・ヘソンさんは「わかった」と言ったのです。同じ時代を生きる者同士として、互いの父祖の代に起こった不幸な出来事を、なかったことにするのではなく、乗り越えて行く。それは可能だということを、ソ・ヘソンさんはみごとなパフォーマンスで表現し、日本人からも韓国人からも納得を得たのです。

シンポジウムのあと、訪れたあちらこちらの土地で、ソ・ヘソンさんとわたしは、タバコを吸いながらぼそぼそといろんな話をしました。

「もっとあなたのことが知りたい」

そんなことばを交わして別れるなんて、もう少し若かったら剣呑なことですが、この年ではことば以上でも以下でもありません。年をとるっていいことだな、としみじみ思ったことでした。


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