台湾からピースボートに乗り込んだ陳春生さんに会ったのは、歓迎のディナーの席でした。浅黒い、筋肉質の陳春生さんは、軽く猫背になってぎろりとこちらに視線を投げ、なにやらひとりごとをつぶやきました。

どこにいても、自前のスタイルを通す人のようでした。テーブルを囲んだ人びとが、陳春生さんのことを紹介してくれます。そのいちいちを、隣に座る通訳さんがかれにささやきます。そのいちいちに、少しふんぞり返り気味に腰かけた陳春生さんがうなづきます。

「陳さんはね、 組合員1万人以上をたばねる漁協の組合長なんですよ」
「小さいほうだ、もっと大きな漁協もある」と陳さん。
「石原が尖閣諸島を都有化するといったでしょ、あのあと陳さんは、漁船千隻出して、尖閣海域をデモしたんですよ」
 陳さんが、大きな目をぎろぎろさせながらうなづきます。 
 こちらは、「まあ、そうだったんですか」としか言いようがありません。解説者が続けます。
「政府のお役人は、『領土のためにがんばってください』と言ったそうです。でも陳さんは、『領土のためにデモするんじゃない。 生活権を守るためだ』とつっぱねたそうです」
 陳さんが、また目をぎろぎろさせながらうなづきます。
 わたしはうれしくなって、言いました。
「石垣の漁師さんも、同じことを言っていましたよ。日本も中国も、政府が領土だなんだって騒ぐと、あのあたりでおちおち魚も捕れない、って」
 陳さんが、やおら口を開きました。
「石垣の漁師とは、もう話がついている。会って話をしようとしたんだが、言葉が通じない。しょうがないので、ビールを飲ませた。ところが、石垣の漁師は飲んべえで、酒が強い。しかたないので、ジョッキの中に小さなグラスを入れて、そこに強い酒を注いでからビールを入れた。やっと酔っぱらった。で、話はついた。こんどはいっしょにやる」
 陳さんが愉快そうに大笑いしています。通訳も入れずに石垣の漁師さんと会って、いったいなにを話すつもりだったのでしょう。酔っぱらったから話はついたとは、次回の共同行動の話がまとまったとは、いったいどういうことでしょう。

わたしはおおいに戸惑いながらも、海人たちは悠久の歴史をこのようにして交流してきたのだろう、と想像をたくましくしました。そして、陳さんや石垣の漁師さんたちこそが、あの島をめぐる海で生きてきた、島のほんとうの持ち主たちなのだ、と思いました。

ソフトボーダーという考え方があります。国境線をびしっと引くのではなく、種々の条件をあいまいに取り決める、新しい領土紛争解決の方法です。東京や北京の政治家や官僚にはにわかには理解し難いでしょうが、現場の生活者、このばあいは尖閣海域で魚を追う日本や台湾や中国の漁師さんたちなら、きっと合意できる、自然で合理的な考え方です。

話がまとまった暁には、漁師さんたちはあの、強いお酒をしこんだおそろしいビールで乾杯するでしょう。


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