東京都知事選挙公示の前日、デモクラTV スタジオで、細川護煕さんのインタビューが行われ、わたしも立ち会いました。その模様は、宇都宮健児さんインタビューとともに、サイトトップからどなたでもご覧になることができます。

ウルマン、ニーチェ、蓮如、清厳宗渭。1時間のあいだにこれほどたくさんの詩人、哲学者、宗教者の引用が出てくる政治家のインタビューも珍しいと思います。 細川さんはまた、ある絵に言及しました。江戸初期の絵師、久隅守景(くすみもりかげ)の「夕顔棚納涼図」です。農民の親子が、ひょうたん棚の下にむしろを敷き、ゆったりと涼風に身をまかせている屏風絵です。この絵をめぐって、細川さんはある理想を語りました。


夕顔棚納涼図         久隅守景「夕顔棚納涼図」(部分)

それは、やみくもな経済成長では到達できない、「腹七分目」(と細川さんは言いました)で足るを知ることによって得られる至福の境地、というところでしょうか。細川さんは、日本でもっとも裕福な都市の首長選挙で、大胆なライフスタイルの転換を呼びかけたのです。しかも、絵のタイトルは知らなくても、見れば多くの人が、ああ、あれか、と思い至る名画の美をとおして、なつかしく新しい価値観を提唱したのです。

じつに魅力的な価値観です。これからの成熟社会では、ぜひとも考慮するべき思想です。すでにイタリアの農村では、スローフード運動に始まり、その発想が生活全体に及んだスローライフ運動が根付いています。

でも、とわたしは立ち止まってしまいました。この絵は夏です。家族は一日の労働の終わりに、家の中より外のほうが心地がいいので、おそらくは自分で丹精したひょうたん棚の下に、自分で編んだむしろを敷いてくつろいでいます。男の自負に満ちた表情も、若いのに威厳すら漂わせる女のたたずまいも、大切に育まれていることが見てとれる、まっすぐな子どものまなざしも、自立し、安定した生活への誇りに起因するのだと思います。

立ち止まったのは、スタジオに来るときにくぐった聖橋の下に、厳冬に家なく、段ボールで囲いをつくって眠っている人を思い出したからでした。大晦日に渋谷の公園を追い出された人びとを思い出したからでした。金満都市の濃い影にうずくまる、どうしようもなく生計(たづき)からも家族からも見放された人びとを思うとき、かれらと外形的に一致を見せるひょうたん棚の下の人びとは、強烈な皮肉の表象にも転化しうると、暗い考えをとつおいつしてしまったのです。

ところで、江戸時代の庶民の絵は、もちろん庶民が求め、所持したのではありません。上級の武士などが、絵師に描かせました。それは鑑戒画(かんかいが)というジャンルの絵で、為政者が戒めとし、支配者としての自覚を確認するために、身近に置いたのです。そこには、朱子学の影響が見てとれます。そうした来歴の絵に、熊本のお殿さまを祖先にもつ細川さんが惹かれたのは、ただの偶然でしょうか、それとも微苦笑を禁じ得ない、と書いてしまっていい事象なのでしょうか。

ひょうたん棚の下で、なにはなくとも大切な人たちと夏の夕暮れをゆったりと味わう。それは、わたしも理想だと思います。けれど、この理想を語る前に、あるいは同時に、政治家ならすべきことはないでしょうか。先日も、死ぬ前にお腹をくちくさせたいと、なにがしかの食べ物を盗んで捕まった、ふたりの野宿者のニュースが流れていました。野宿者だけではありません。弱い立場の、生きてゆくのも困難な人びとをどう手当するのか。それを語るのも政治ではないのか。

元宰相が語る哲学は、この社会にとって中長期的にはきわめて重要です。政治家が、価値観を変え、社会のあり方を変える理想を掲げたことには、新鮮な感動を覚えました。その理想への第一歩をしるすのは、早いに越したことはありません。インタビューが始まるまでの小一時間、親しくことばを交わさせていただきましたが、原発をこの理想と相反するものと位置づけた細川さんの思いには、みじんの嘘もなく、誠実さは疑いようもない、と感じました。宇都宮さんを応援するわたしですが、そのお人柄に触れて、すっかりファンになりました。

理想をめざすことと、いま目の前で痛んでいる人びとに早急に手当をほどこすことは、けっして両立しないものではないと思います。選挙戦は始まったばかりです。熱狂的な人びとに囲まれた遊説のようすを見るにつけ、元宰相にはそうしたことにも熱心であってほしい、と願わざるを得ません。悩ましい今日このごろです。



このエントリーをはてなブックマークに追加 Clip to Evernote