あまりにブログを更新しないのもどうかと思うので、最近、雑誌や新聞に書いたもののなかから転載することにします。

今日は書評です。紙幅に限りがあって書ききれなかった、ほんとうはとても気になることがあるので、後日、続編として書いてもいいけれど、それを書くにはネタバレが避けられず…悩ましいところです。


ティムール・ヴェルメシュ『帰ってきたヒトラー』(森内薫訳、河出書房新社)
 現代のベルリンによみがえり、そっくりさん芸人としてテレビ界の寵児になったヒトラー。彼と周囲の人々の、ボタンの掛け違いから生じるスラップスティックの体裁をとった、けれども内実は恐ろしい小説だ。
 
ドイツは反ナチス法で、ナチスを連想させる意匠や主張を禁じている。ヒトラーをパロディ芸人と思い込む人々や「演じる」本人に、いかにそのへんをすり抜けさせて説得力ある物語を展開するか、作者のお手並み拝見という興味もそそる。
 
たとえば、「ユダヤ人問題は冗談ではすまされない」というテレビ側の言い分に、ヒトラー氏が同意して、番組では触れないことにする。そう、ヒトラー氏にとってはまさに冗談ではない重大問題なのだ。こうしたすれ違いが、随所に苦笑や爆笑を巻き起こす。
 
ナチス風の服装や敬礼は、創作の中ではお目こぼしのようだ。この作品がドイツでベストセラーになったことから、この架空の設定が好意的に受け入れられたことが知れる。領土問題や政党批判、道徳的退廃の糾弾では、ヒトラー氏は七〇年前と同じ主張をぶちあげる。人々はそれを、現実とすれすれのところで齟齬をきたさない過激な意見、時には大胆不敵な批判として楽しむのだ。
 
ヒトラー氏は、インターネットを駆使する。現代史はウェブで学習した。動画投稿サイトに出たことがきっかけで、ブレイクした。自身のウェブサイトも運営する。そう言えば、プロパガンダによる大衆操作は、ナチス時代に完成されたのだった。よみがえったヒトラー氏は、手段をラジオと映画からテレビとインターネットに変えただけだ。柔軟な判断力と不屈の意志を持った、良識的な人物として造形されたヒトラー氏とつきあううちに、歴史上の彼を怪物として決着をつけたつもりでいいのか、過去と現在は地続きなのではないかとの疑念が高じ、ラストでは「冗談じゃない」と戦慄するのだ。

 
歴史的事実や現代ドイツの社会風俗を、註をつけずに読みやすく訳し切った翻訳者のご苦労に多謝。

 
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