11月30日、メリーが死にました。17年と4カ月に1週間満たない生涯でした。その夜、あいにくわたしは留守で、息子が腕の中で最期を看取りました。安らかだったそうです。餌を、初めて食べようとせず、なめただけで、くたっとなってそれきりだったそうです。
きのう、近くの動物霊園で火葬をすませました。死の前日に届いていた、区の獣医師会の長寿表彰状と、花と、元気だった頃のリードと、介護具、そしてレインコートが、お骨を取り巻いています。
あのレインコートを着せて散歩をしていたら、知らないおじさんが、「応援に行くのか? 埼玉アリーナは遠いぞ、急がないと間に合わないぞ」と言いました。その日、サッカーのワールドカップの試合が埼玉アリーナで行われていて、ブラジルチームが出ていたのです。メリーのレインコートは黄色と緑のブラジルカラー、まさにサポーター犬といったいでたちでした。
お悔やみをお寄せくださったみなさま、ありがとうございました。メリーは立派にちいさな命を生き切りました。
読売新聞の4回の連載、最後の回(11月22日掲載)です。
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ピッピは、外見は無骨だが、性格はいい。人間でも動物でも、とりわけ赤ん坊にはやさしい。散歩でバギーと行き会うと、耳を伏せて思わず近づいてしまう。
数年前、三角に折ったバンダナをスカーフのようにピッピの頭に被せ、顎の下で結んでみた。「赤ずきんのおばあさんを食べちゃったおおかみさんが、おばあさんのスカーフを被っている」図だ。ピッピはされるがままになっていた。
すると、そこに居合わせたよちよち歩きの赤ん坊が、お座りしていた「おおかみピッピ」の背中にまたがった。ピッピは、八の字に構えた細い前足をぶるぶる震わせながら、子どもの気がすむまで、その重みに耐えていた。
人間の赤ん坊が相手でも、こんなに心を砕くのだ。自分の子どもならどんなにかわいがって育てるだろう。でも、それをさせてやるわけにはいかない。生まれた子どもたちの飼い主を見つける自信がないからだ。ミックスの子は、どんな大きさ、どんな性格になるか、純血種よりも予測がつきにくい。引き取るのに二の足を踏む人も少なくないだろうと思うのだ。
そんな人間のつごうで、子孫を残すという生き物として当然の営みを封じてしまった。不自然だと思う。残酷だとすら思う。ごめんね、と心の中で詫びながら、やけに広い目と目の間をなでてやる。ピッピはこちらの負い目などつゆ知らず、麿眉の下の小さな目を輝かせて、ひたすら私を見あげている。
ピッピには、悪いなあ、と思っていることがもうひとつある。やや大きめの中型犬だから、運動はたっぷりさせてやりたい。走らせてもやりたい。少し前までは、真夜中に散歩に出て、思い切り走らせた。私がダッシュすると、ピッピは勇んで走り出した。
ドイツ語でグレーハウンドのことをヴィントフント、風の犬という。風のように走る犬。普段のピッピはグレーハウンドとはあまり似てないが、疾駆する時にはちょっとその姿に近づくと、飼い主は思っている。
また、福岡には羽犬という両翼の犬の伝説があって、島津攻めの豊臣軍を苦しめたとも、豊臣軍が連れてきたとも言われる。いずれにしても怪犬だ。ピッピのかっこいい走りを見るにつけ、きっと飛ぶように走ったのだろう犬に風犬と命名した昔の人の気持ちがわかる気がする。
しかし、最近はあまり走らせない。のんびりと歩くだけだ。私の体力が衰え、そんなに長い距離を走ることができなくなったのだ。
この夏、息子夫婦とともに3匹の猫が隣に越してきた。隣家とは2階の渡り廊下でつながっているので、ピッピはとことこと向こう側へ渡っていく。猫たちと仲よしになりたいのだ。けれど、初対面で、この犬は気がやさしい、組し易しと踏んだ猫たちからは、フーッと叱られ、猫パンチをもらうばかりだ。今日もピッピは、遠くからうらめしそうに猫たちをうかがっている。