よもやま話

仔犬その後 メリーの死

11月30日、メリーが死にました。17年と4カ月に1週間満たない生涯でした。その夜、あいにくわたしは留守で、息子が腕の中で最期を看取りました。安らかだったそうです。餌を、初めて食べようとせず、なめただけで、くたっとなってそれきりだったそうです。

きのう、近くの動物霊園で火葬をすませました。死の前日に届いていた、区の獣医師会の長寿表彰状と、花と、元気だった頃のリードと、介護具、そしてレインコートが、お骨を取り巻いています。

あのレインコートを着せて散歩をしていたら、知らないおじさんが、「応援に行くのか? 埼玉アリーナは遠いぞ、急がないと間に合わないぞ」と言いました。その日、サッカーのワールドカップの試合が埼玉アリーナで行われていて、ブラジルチームが出ていたのです。メリーのレインコートは黄色と緑のブラジルカラー、まさにサポーター犬といったいでたちでした。

お悔やみをお寄せくださったみなさま、ありがとうございました。メリーは立派にちいさな命を生き切りました。


読売新聞の4回の連載、最後の回(11月22日掲載)です。

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ピッピは、外見は無骨だが、性格はいい。人間でも動物でも、とりわけ赤ん坊にはやさしい。散歩でバギーと行き会うと、耳を伏せて思わず近づいてしまう。

数年前、三角に折ったバンダナをスカーフのようにピッピの頭に被せ、顎の下で結んでみた。「赤ずきんのおばあさんを食べちゃったおおかみさんが、おばあさんのスカーフを被っている」図だ。ピッピはされるがままになっていた。

すると、そこに居合わせたよちよち歩きの赤ん坊が、お座りしていた「おおかみピッピ」の背中にまたがった。ピッピは、八の字に構えた細い前足をぶるぶる震わせながら、子どもの気がすむまで、その重みに耐えていた。

人間の赤ん坊が相手でも、こんなに心を砕くのだ。自分の子どもならどんなにかわいがって育てるだろう。でも、それをさせてやるわけにはいかない。生まれた子どもたちの飼い主を見つける自信がないからだ。ミックスの子は、どんな大きさ、どんな性格になるか、純血種よりも予測がつきにくい。引き取るのに二の足を踏む人も少なくないだろうと思うのだ。

そんな人間のつごうで、子孫を残すという生き物として当然の営みを封じてしまった。不自然だと思う。残酷だとすら思う。ごめんね、と心の中で詫びながら、やけに広い目と目の間をなでてやる。ピッピはこちらの負い目などつゆ知らず、麿眉の下の小さな目を輝かせて、ひたすら私を見あげている。

ピッピには、悪いなあ、と思っていることがもうひとつある。やや大きめの中型犬だから、運動はたっぷりさせてやりたい。走らせてもやりたい。少し前までは、真夜中に散歩に出て、思い切り走らせた。私がダッシュすると、ピッピは勇んで走り出した。

ドイツ語でグレーハウンドのことをヴィントフント、風の犬という。風のように走る犬。普段のピッピはグレーハウンドとはあまり似てないが、疾駆する時にはちょっとその姿に近づくと、飼い主は思っている。

また、福岡には羽犬という両翼の犬の伝説があって、島津攻めの豊臣軍を苦しめたとも、豊臣軍が連れてきたとも言われる。いずれにしても怪犬だ。ピッピのかっこいい走りを見るにつけ、きっと飛ぶように走ったのだろう犬に風犬と命名した昔の人の気持ちがわかる気がする。

しかし、最近はあまり走らせない。のんびりと歩くだけだ。私の体力が衰え、そんなに長い距離を走ることができなくなったのだ。

この夏、息子夫婦とともに3匹の猫が隣に越してきた。隣家とは2階の渡り廊下でつながっているので、ピッピはとことこと向こう側へ渡っていく。猫たちと仲よしになりたいのだ。けれど、初対面で、この犬は気がやさしい、組し易しと踏んだ猫たちからは、フーッと叱られ、猫パンチをもらうばかりだ。今日もピッピは、遠くからうらめしそうに猫たちをうかがっている。

 

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仔犬騒動

読売新聞「ペット交遊録3」(11月15日掲載)です。2匹目の登場です。

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「名前、ピピンでどう?」息子が言った。メリーの相棒だから、ピピン。『指輪物語』の、主人公とともに旅するコンビにちなんだ名前だ。

「男の子の名前じゃない」と、私は躊躇した。仔犬は女の子だったのだ。

6年前に受け取った、メールの画像が始まりだ。息子の友人の、ヒップホップのミュージシャンが、大雨の日に茨城の港で拾った。工事現場の穴の底で鳴いていたという。近くに親きょうだいの姿はなかった。タトゥーを入れたいかつい彼だが、動物にはやさしい。深さが3メートルはある穴に降り、泥だらけになって仔犬を救出した。

写真では、泥を洗い落とし、タオルドライしてもらった仔犬が、車の助手席であどけない横顔を見せていた。

「メリーに似てるんだけど、どうかな」というコメントに反し、仔犬は黒くて短毛だ。茶色で長毛のメリーとは似ても似つかない。要は、飼わないか、ということだ。私の返事は、「ずるいよね」だった。愛くるしいところが、ずるい。引き取るしかないではないか。

仔犬は、やけに足が長いのが気になった。図体が大きくなるしるしだからだ。ベランダの花を掘り返され、大切な本をかじられ、ノートパソコンを壊されながら、つるつるのおなかをぽんぽん叩いたり、あくびのにおいを嗅いだりする楽しさに、日々は過ぎていった。

面白くないのは、気位の高いメリーだ。仔犬がむじゃきに近づくと、歯を剥き出して攻撃した。ギャンギャンと鳴き叫ぶ仔犬の声に、仔犬の心が傷つかないか、性格が歪んでしまわないか、心配だった。2匹を引き離しながら、仲よくなれそうにないのを残念に思った。

ある時、仔犬は、私の背中と椅子の背もたれのあいだに割り込み、ごそごそしていて、前足を変なぐあいに椅子に引っかけたまま、床に落ちた。いやな音がして、足の骨が折れた。夜だったので、保冷剤をあてがいながら朝を待った。痛むだろうに鳴きもせず、かえってこちらをねぎらうように、私の手を舐め続けた。子供だろうが、動物が苦痛に呻かないのは、野生の世界では手負いの獲物がいることを天敵に教えてしまうからではないか。そう考えて、けなげな仔犬に尊敬の念を覚えた。

仔犬は、大きなカラーを首に巻いたこっけいな姿で、ギプスの足をこつこつと鳴らしながら、元気に歩き回っていたが、数カ月後には快癒した。そして案の定、むくむくと成長した。大型犬というほどではないが、はんぱに大きい。

名前はピッピに落ちついた。出典は『長くつ下のピッピ』。足が妙に長いのだ。

ピッピは情が濃やかだ。老いたメリーが長鳴きを始めると、すっ飛んでいく。今も、心配そうにメリーのケージを覗きこんでいる。



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老犬メリー2

読売新聞「ペット交遊録2」(11月8日掲載)です。

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昔、農家の嫁は忙しかった。夕方、田んぼから一足早く家に戻って夕餉の支度をするのも、嫁の仕事だ。

ひとりの嫁が、その日も急いでかまどに焚きつけをつっこみ、火をつけた。ところが、かまどの奥にはその家の猫が寝ていた。猫は飛び出したものの、大やけどを負い、ほどなく死んだ。嫁は「むごいことしたよう」と、嘆き暮らしていたが、そのうち猫の霊が取り憑いた。猫のように鳴き、猫のようなしぐさを繰り返す。拝み屋と呼ばれる霊能者に祈祷してもらい、ようやく猫の霊は離れた。

祖母は、そんな事実とも虚構ともつかない昔語りをした後、「そやからな」と続けた。「動物にあんまり思い入れしたらあかんのや」と。

かつての農村の暮らしは、犬を番犬や猟犬として使い、猫にねずみを取らせ、牛馬に力仕事をさせて成り立っていた。常日頃、苦労をともにしている家畜には情が移る。けれど、役に立たなくなった動物に情けをかけていては生活が立ち行かないという、非情な一面もまたあった。それを受け入れる心構えを、祖母の昔語りは教えていた。

自分で食べられないメリーの口に、食事を運ぶたびに思う。野生動物の死は、飢えとともにやってくるのだ、と。けがにせよ病気にせよ、あるいは老衰にせよ、直接の死因は餌をとれなくなった末の餓死だ。昨今の犬猫はガンになるという。餓死という野生の死が訪れない長寿の、それはひとつの帰結だろう。

メリーはよく食べる。そしていい便をする。心臓さえもてば、もうしばらくは私のそばにいてくれるだろう。けれど、ずいぶんと肉がそげ落ちた。シェットランドシープドッグの血を引く長い毛並みに隠れているが、体じゅう、骨がごつごつと突き出ている。

メリーは、しょっちゅう体を弓なりに反らせてこわばらせ、鼻声で長鳴きをする。白濁した目を見開き、四肢で空を掻かくので、なでたり、とんとんとたたいてやったりする。抱いたまま、朝を迎える夜もある。

医師は、いよいよ大変になったら、睡眠薬を与えることも考えてはどうか、と助言してくれた。「人間の生活が狂ってしまうのは、考えものですからね」

祖母の昔語りがふいによみがえった瞬間だ。今のところ、睡眠薬のお世話にはならずにすんでいる。よく寝てくれる夜もあるからだ。

それにしても、メリーは何が悲しくてあんなに鳴き声を長く引くのだろう。今はもう、足も踏ん張れないおのれの衰えを嘆くのか。犬には、時間の概念が薄いという。ならば、近い未来に待ちかまえる死におびえているのではないはずで、それがせめてもの慰めだ。

夕焼けをながめる私の隣に、形よく座って夕風に鼻をふんふんさせていたあの穏やかな日々を夢になぞって、メリー、今夜はおとなしく眠ってね。

 

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老犬メリー

読売新聞に連載している「ペット交遊録」を、4回にわたって転載します。できれば、後日、写真もアップします。

これは11月1日掲載分です。



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犬に尻尾があってよかった。

17歳になるメリーのおむつを代えるたびに思う。ペット用の紙おむつには穴があいていて、そこに尻尾をとおすことで、おむつが左右にずれるのを防ぐことにもなっているのだ。

衰えは、ここ数年、ぼつぼつとやってきた。まず、瞳が白く濁った。医師から、心臓が弱っている、犬は体温調節が苦手なので、夏は室温に気をつけるように、と言われた。最近は、耳も鼻もあまり働かないらしい。

1年前に2階から落ちた時は、もうだめかと覚悟したが、奇跡的に持ち直した。けれど今は立つこともままならず、一日中、横になっている。生まれつき背骨がちょっと曲がっていて、右を下にしないと落ちつかないらしく、向きを変えさせるのはむつかしい。床ずれが固いかさぶたとなって、こめかみ、肩甲骨、後ろ足のももに定着してしまった。

メリーは、13年前にわが家にやってきた。飼っていた妹が、一戸建てからマンションに移るので、飼い続けることができなくなったのだ。

その4年前のある日、妹が車を運転していると、道ばたをがりがりに痩せた仔犬が歩いていた。妹はとっさに仔犬を車に乗せた。仔犬を保護しているというポスターを近所中に貼ったが、飼い主は現れなかった。

妹はほっとしたという。なにしろ、とてもかわいい仔犬だったのだ。成犬になっても、じつに写真写りのいい美犬だ。自分でも自覚しているのか、うちに撮影取材の人びとが来ると、カメラ目線でポーズをとる。すると、カメラマンは思わずシャッターを押してしまい、後日写真を送ってくださる。プロの手になるポートレイトをこんなにたくさん持っている雑種犬も珍しいだろう。

妹につれられて来た日、メリーは妹が出ていったドアの前に座って、いつまでもドアノブのあたりを見上げていた。なにかの折りに開けたとたん、死にものぐるいの勢いで表の道に走り出た。追いかけて、ようやく車の下から引きずり出すと、わたしの手を思い切り噛んだ。抱き上げると、暴れはしたがそれほど激しくはなかった。家の中で床に降ろし、わたしも腹が立っていたので、放ったらかしておいた。

しばらくして、そばを通りかかったときだ。メリーはゆっくりと横になり、お腹を見せた。わたしを主人として生きていく意志の表明だ。こんなに小さいのに、突然わけのわからない状況に投げ込まれて混乱しているだろうに、いっしょけんめい考えて、現実を受け入れたのだ。わたしは涙が出た。お腹をさすりながら、幸せにするよ、と心の中で語りかけた。

今、メリーは、見えない目で何かを見据えながら、一日一日を生きている。生きることにまっすぐだ。そういうところ、犬はえらい。人間にまねができるだろうか。わたしは自信がない。

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抑止はユクシ(嘘) インターバル

正直者の鳩山さんが証言してしまった重要なこと、列記するのはさほどの手間ではありません。けれど、その前に書いておかねばならないことがある、という思いを払拭できず、ぐずぐずときょうまで引き延ばしてきました。それは、何十年も前から私の心の中に響いている怒鳴り声に関係します。

「だから沖縄なんか行きたくないんだ!」

怒鳴ると言うよりどやす。私自身をどやす声です。旅行ブームがブームを越えてすっかり定着し、沖縄は北海道と並んでリゾート地として群を抜いた地位を獲得しました。みんなが沖縄に行きます。私も行けば、その自然に驚嘆し、その文化に感動することでしょう。本場のソーキそばやラフテーに感激するでしょう。「癒しの島」ですっかり「癒され」てしまったりするかもしれません(「癒し」、物欲しげでさもしい言葉だと、私は思います)。

「米国は沖縄にいることでパラダイスのような居心地の良さを感じている。戦略的なメリットも当然だが、思いやり予算、県民の優しさも含めて。」(2月13日付沖縄タイムス紙、紙面の写真がこちらのブログ「地元紙で識るオキナワ」さんの2月14日のエントリにあります)

ウェブ版では省略された「鳩山由紀夫前首相一問一答」の一節です。「戦略的なメリット」は、お体裁でしょう。だって、このインタビューによれば、沖縄の、すくなくとも海兵隊は抑止力つまり戦略とは無関係だというのが、鳩山さんの認識なのですから。思いやり予算が沖縄を米軍のパラダイスにしている、というのはそのとおりです。このブログに引用するのはこれで5度目ですが、しつこく繰り返しておきます。「沖縄が地政学的に重要なのではない、思いやり予算と、防衛施設庁のきめ細かい住民慰撫が、沖縄に地政学的価値をもたらしているのだ」(ケント・カルダー『米軍再編の政治学』)。

残る「県民の優しさ」。このひとことに悶々としています。そうか? 沖縄の人びとはやさしいか? ほんとうに? 

冗談ではない、と私は思います。この「やさしい」というのは、蹂躙する者のまなざしに捉えられた「やさしさ」ではないのか。自分が蹂躙した相手の怒りや苦痛や悲しみにゆがんだ顔は見たくないから見ないことにし、そのうえでおのれの行為をプラスにさえ評価したいあつかましさが言わせるのが、「沖縄の人はやさしい」ではないのか。これは根深い問題です。鳩山さんひとりにとどまるものではありません。沖縄県外に住むすべての人びとにかかわる問題、ひいては、侵略や植民や支配の歴史をもつすべての地域の人びとにかかわる問題です。アメリカにとってのハワイが、フランスにとってのタヒチが楽園としてイメージされることと同根の、根の深い問題だと思います。

サイードの『オリエンタリズム』を引き合いに出すのがいいかもしれません。ヨーロッパ人のオリエントへのまなざしは、欲望と、異質なものへの蔑視に引き裂かれ、あるいはそのふたつが複雑にまざりあっていた、そういう混濁した視野に広がるのが、ヨーロッパ人にとっての幻想のオリエントでした。それは、女性として思い描かれるのが一般的で、ドラクロワの「オダリスク」、すなわち中東風の豪奢な調度にかこまれて寝椅子に横たわる全裸の美女が、もののみごとにヨーロッパのまなざしを表現しています。欲望しているのはヨーロッパです。土地が痩せ、気候も寒冷なヨーロッパと異なり、「オリエント」は香料や高級木材を産し、その技術力は精巧な織物などを生み、また高度の文化を誇っていました。ヨーロッパの欲望の対象にならないほうがふしぎです。なのにヨーロッパは、自分が欲望しているのではない、「オリエント」が誘惑しているのだ、と表象するわけです。

鹿児島出身の、文学者である友人が言っていました。「鹿児島の人間は、琉球と聞くと、激しいあこがれと激しい見下しに心をかき乱される」 薩摩藩による琉球支配が、何百年もたったいまなお、そうした心情を温存させているのでしょう。かき乱された心が、欲望主体であることの罪深さをも否定したいという第二の欲望をみたすために、この欲望は相手が、琉球がひきだしたのだ、と妄想し、蹂躙した相手がそれを歓迎していると妄想して罪悪感から逃れようとする心機は、ごくありふれたものです。そこから、「沖縄の人はやさしい」まではほんの一跨ぎもありません。

沖縄県外の人間は、「沖縄の人はやさしい」などと、軽々に言ってはいけないと、私は思います。実際にやさしくても、です。それが、琉球支配をしたことのある、いまなお「差別だ」と沖縄の人びとが告発せざるをえないような仕打ちをしている沖縄県外の人間の、たしなみではないでしょうか。たしかに琉球王国は交易によって栄えた国ですから、来訪者を歓待するという気質をいまに伝えているでしょう。けれど、だからと言って、沖縄にのこのこ出かけていって観光客として歓待をうける、そんな気分になれなかったのが、私の年来の「だから沖縄なんか行きたくないんだ!」なのでした。同じような理由で、韓国にも中国にも、グアムにもサイパンにも、インドシナ、シンガポール、マレーシア、フィリピンにも、行くのは気が重い。このくにがかつて軍靴で踏みにじった土地は、踏みたくないのです。永六輔さんは、だからこそ行くべきだ、観光してお金を落とすべきだ、とおっしゃいます。永さん、すてきだと思います。私もそこまで達観したいとも思います。けれど、いまだに遊びには行けない、私はひねこびた性格です。

沖縄にも、取材だ、講演だと、必要に駆られてようやく海を渡ることができました。「運動家」としてまなじり決して行くには、私はやわな人間です。仕事か、あるいは親しい友人を訪ねるためなら、言い訳が立とうというものです。私は、自分のいじけた拘泥を捨てる気はありません。「沖縄の人はやさしい」と、「癒しの島で癒された」と、さらりと言ってしまえる人への異和感に、これからもこだわっていくだろうと思います。

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障がい者としてのもうひとりの私 きのうの続き

日本脳炎で昏睡状態に陥っていた6歳の私を、母は首を絞めて殺そうとしました。きのうそのことを初めて文字にして、考えこみました。これは深刻な、壮絶と言ってもいいほどのできごとなのに、私はおとなになってからも深く考えてこなかったかもしれない、と。

一般に、子どもが高い確率で障がい児になることがわかったら、命を絶とうとするのは当然だ、と母の行動を擁護しているのではありません。障がい児の命を絶つなんて、とんでもなく間違っていると思います。私がそれを強く否定するのは、当の殺されかけた子どもが私だからでしょうか。自分のバイヤスは自分ではわかりません。にも拘わらず、母の話を聞いて、それも無理なかったかもね、と軽く受け流したには、それなりのわけがあります。私が病気になるちょうど1年前に、母は夫を亡くしていました。それも自死で。ふたりの幼い子どもをかかえ、経済力もない、頼れる人もいない母は、弱冠30歳でした。そんなわけで、それは絶望するよね、と私はやけに物わかりのいい子なのでした。

けれど、無理ないよね、と受け流すお気楽なやりとりの下には、静かだけれどじつは周章狼狽するほど強い感情が、つねに潜んでいました。眠る私の首に何度も手をかけようとした母が、そのたびに思いとどまったことは、紛れもない事実だからです。絶望の淵から、私が生きることを何度も新たに肯定したことは、何度も殺そうとしたことと同じように、事実だからです。障がいを持ったこの子は生きていないほうがいい、という思いを、障がいを持ってもこの子は生きてほしい、という思いが、何度も繰り返し凌駕した、それはすごいことではないでしょうか。母の告白を聞いた当時も、それから何十年もたった今も、母を責める気にならないのはこのためです。深く考えてこなかったのも、とっくに瞬時に決着済み、乗り越え済みだったからです。

当時、事態は流動的だったと思います。母の思いに違いはなくても、事故のように、私の命が絶たれた可能性はじゅうぶんありました。紙一重でした。現実は、母は子殺しをせずにすみ、私は後遺症も残らず、のうのうと還暦を過ぎました。思い返してみると、私の人生、運はあまりよくありませんでした。でも、私の運、強くはあったのです。私の運は悪いけど強い、それが私の根っこのところにある思いです。それが、いろいろ屈折してはいるけれど、結局のところは肯定的な私の性格を決定づけている、そんな気がします。そして、6歳のときからいわば余生を生きているような、無頼に通じるあやうさもまた日本脳炎の置き土産だと、開き直って今に至っています。

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うめかよタン、放送事故じゃないもんね【動画あり】

きのう、ゆううつでバカなことを書きました。そしたら、アクセスがけっこうあって、バカなことをお読みくださった多くの方にたいし、とんだ時間泥棒をしてしまいました。すみません。

でも、きょうもおバカなエントリです(まだゆうつなもので)。しかし。「バカ」に「お」をつけます。高級だからです。高級なバカだからです。これはお時間を無駄にはさせません。私は今でも思い出し笑いをし、そして泣いています。


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ヤな先生 素敵な先生

雑誌などに書いた記事を転載することを、しばらく忘れていました。「クレスコ」9月号の記事です。「思い出の先生」というのは、おもに教育関係の雑誌の定番テーマのようで、何度か書いたことがあります。今回は、いやな先生について書きました。教師にたいして、いい思い出ばかりとは限らないのに、こうしたエッセイにはおおむねいい先生しか登場しない、そのことへのうっすらとした異和感があったからです。


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登校拒否をしました。小学五年生の時です。なにかにつけ、担任の女性教師の攻撃の的になったのです。決定的だったのは、「受け口」を説明するのに私を例に挙げ、「ほら、こうなってるでしょ」と下顎を突き出してグロテスクな顔を作ったことでした。でも、その先生は下顎を突き出すまでもなく、受け口でした。私は家に帰ると、「あんな人に勉強を教えてもらうのはいや」と母に宣言して、学校には行かず、時間割どおりにひとりで勉強していました。
 
なかよしの子が毎朝やってきて、家の前で「学校、行こうよう!」とどなるのに根負けして、登校拒否は一週間で終わりました。何年もあとになって、母が打ち明けました。図画のコンクールに私の作品が入賞したことがあり、母が担任に謙遜をこめた感想を言ったところ、「ほんと、どうしてこんなものが選ばれたんでしょうね」といまいましそうに言った、というのです。母は、私が担任からいじめられていると察知して、学校に行かないと言い出した時は、好きなようにさせてくれたのでした。母には感謝しています。
 
先生の思い出というと、いい先生のそればかりのように思います。けれど、そうではない教師に出会い、やすりでこすられるような思いをした子どもは、私だけではないでしょう。それで、ここに書いておきます。私はこの教師のおかげで、権威を笠にきて人を傷つけることの卑劣さを、身をもって知りました。
 
けれど、あとはおしなべて指導力も人間性も優れた先生たちでした。とくに思い出すのは、二人の先生です。一人は、小学一年の担任、桜井先生です。私は、今なら学習困難児に分類されるだろうと思います。すべての人が一人の人の話を聞くという状況が、理解できなかったのです。それで、教室を歩き回り、「あ、ちょうちょ!」と勝手に声を張り上げていました。ある日、やってきた母親が担任にぺこぺこ頭を下げています。私の態度を謝っていたのでしょう。耳をそばだてると、桜井先生は困ったように顔を赤くして、言ったのです、「いまにわかります」。
 
その言葉に、私は内心小躍りしました。何がわかるんだろう、楽しみだなあ、と。言うまでもなく先生は、学校で勉強するとはどういうことかがわかるようになる、と言ったわけですが、私は完全に誤解しました。いつかわかるようになる何かを楽しみに、それからも教室を歩き回って遊んでいました。先生も学校も大好きでした。
 
三年生になったある日、学校とは勉強をするところだということを、一瞬のひらめきとともに理解しました。それからは勉強が面白くてたまらず、よく勉強する子になりました。
 
私は団塊の世代です。一クラス五十人以上の教室は、すし詰め状態でした。そんな中で奇声をあげて遊んでいたのですから、どんなに迷惑だったでしょう。でも、若い桜井先生は、私が気づくまで待っていてくださったのです。二年間も。私にとって、桜井先生は偉大な先生です。
 
もう一人は高校一年の担任、栗田先生です。一学期の最後の日、通知表が配られたあとに、たまたま廊下ですれ違いました。先生は私を呼び止めました。クラスで2番と、かなりいい成績だったので、てっきり褒められると思いました。ところが、栗田先生はこうおっしゃったのです。

「君の成績はそつがないね。でも、ここは小学校や中学校じゃないんだよ、君は将来、いったいなにをやりたいんだい?」
 
いきなり頭をぶん殴られたような衝撃でした。恥ずかしさで、顔に血が上るのがわかりました。高校での勉強とは何なのか、考えこまざるを得ませんでした。どの教科もまじめにこなしてきた優等生としての私が死んだ瞬間でした。それからは、好きな勉強しかしなくなったのです。映画を観たり本を読んだりすることを、授業に優先させるようにすらなりました。栗田先生は、慣例を破って三年間担任してくださり、私が授業に出てこないと苦情を言ってくる家庭科や化学の先生の防波堤になってくださいました。まあ、それは先生自身が蒔いた種を刈ることだったとも言えると思います。時には私を呼び出して、小言をおっしゃることもありました。
「いろんな教科をまんべんなくさぼるわけにはいかないのかい?」
 
栗田先生、素敵過ぎです。今でも大好きです。
 
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南の国はキンキンに冷えていた

おとといの夜、ピースボートの旅から帰国しました。シンガポールで乗船し、5日後、インドのコーチンで下船、空路、ふたたびシンガポール経由で成田へ。行きも帰りも、港の町に1泊しました。

そのホテル、観光で乗ったバス、そして空港、どこも冷房が効きすぎて、寒いのなんの。インドでは、毎年、熱波で何百人も死者が出るというのに、外国人や富裕層が利用する施設ではこのありさまです。経済発展いちじるしいインドで、この過剰な冷房が豊かさを実感するものとして普及していったら、と考えると、空恐ろしくなります。これでは、原発をいくらつくっても足りないはずだ、と。ちいさな島嶼国シンガポールも、高層マンションが林立していましたが、風を入れて涼をとることができないその室内はどこもこんな低温にしているとすると、やはり空恐ろしい。

過剰な冷房は、わたしたちも最近ようやく反省するようになったわけですが、固定電話ではなく携帯電話がまず普及した新興国や途上国、環境意識も先行する国々のあやまった段階を飛び越えて、今すぐにでも先進国と肩を並べてくださらないものでしょうか。

わが家はこの夏、老犬のために一度だけ冷房を入れたきりです。きょうの東京は涼しかったこともあり、汗ばんだ肌を外気が心地よくなでていきます。夏はこうでなくちゃ。おまけに、屋根に太陽光発電のパネルを乗せていますが、電力の買い取り値が上がったため、毎月1万円以上、電力会社から入ってきます。うれしくて、ますますエアコンなどつける気になりません。

旅ではいろいろ貴重な体験をしました。おりおりにここにも書いていくつもりです。

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私の畑

畑をつくっていました。今はそこに真新しい家が建っています。ただでお借りしていた土地ですから、いつかはこうなると思っていました。その畑についての、去年の夏に書いたエッセイ(「FORBES」誌)です。


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三年前、空き地になっている隣の敷地の一部に、地主さんのご好意で畑を作り始めた。広さは畳にして十五枚ほど。水はできるだけ天水尊にためた雨水をつかっている。
 
かちかちの地面をスコップで六十センチほど掘り下げ、土を篩にかける。瓦礫に混ざって欠け茶碗やフィルムのかけらが出てくると、かつてここに建っていたしっとりとした日本家屋や、そこに歳月を重ねたご家族に思いを馳せた。長四角の穴に牛糞と腐葉土を入れ、篩を通ってさらさらになった土を戻して、鍬で混ぜ合わせる。そんなふうに、寸詰まりの畳ぐらいの大きさの畑を、一枚また一枚と作っていった。
 
今、畑は夏空に吹き上げる緑の噴水だ。玉蜀黍は、むくむくと実を太らせている。今年もまたトマトをジャングルにしてしまい、茄子はその中に飲み込まれてしまった。南瓜も芽掻きが必要で、目を離すとすぐにうねうねと蔓を伸ばし、黄色い花をいくつもつける。枝豆は、痩せた実を申し訳程度につけている。丹波の黒豆の枝豆のほうは、大収穫の兆しだ。ゴーヤはひと雨ごとにぐんぐん太る。里芋は、大きな葉を広げている。
 
そんな畑を眺めるたびに、「トライアンドエラー」ということばを思い出す。うまくいってもいかなくてもいいんだよ、と言われているような気がするのだ。
 
今日の夕餉は、胡瓜の酢の物、馬鈴薯の味噌汁、春菊のおひたし、隠元のごま和え、万能葱としらす入りの卵焼きおろし大根を添え。到来物の小鰺の開きは絶品だった。サラダにはピーマン、ルッコラ、ミニトマト、ラディッシュ、サラダ菜、水菜の摘み菜、人参、パセリを入れた。野菜はすべて自家製だ。自給自足の食卓の満足感といったらない。水菜が虫に食われてレース模様になっていようが、一向に気にならない。「とかいなか」暮らしの醍醐味だ。
 
わたしのようなのを都市農民というらしい。都市農民は、世界中で年々、倍増している。無農薬有機栽培なので体にいいし、食糧の輸送に石油を使わないので、環境にいい。農業のために誰かの生活水を奪うこともない。しかも住宅密集地の畑は、周囲の気温を約一度下げるので、ヒートアイランド対策にもなるそうだ。
 
畑の一隅には花を植えた。今年の大当たりは向日葵だ。二メートル以上の高いところで大輪の花が十以上、日がな一日高みの見物をしながら、聞こえない声で畑の主のうわさ話をしている。

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死刑のことまだ考えています 7月のアクセス

千葉景子法務大臣による死刑執行、保坂展人さんは、ブログ「どこどこ日記」7月29日号によると、官僚に籠絡されたのだ、という説のようです(こちら)。そうなのかなあ、そうなのでしょうね。でも、それだけでは説明がつきません。執行命令書にサインしなかった法相はいるのですから。森前法相による執行から1年目ということにヒントはないでしょうか。死刑を執行しないのが1年続くと、アムネスティなどから死刑モラトリアム国と認定されるからです。それを避けたかった。法務官僚も、そして統治能力におおきな疑問符がついたかたちで国会、そして予算編成に臨まなければならない官邸も。なにしろ死刑存置賛成の人が80%以上です。「ここで海外から『死刑モラトリアム国の仲間入り、歓迎します』なんて反応があると、世論が黙っちゃいないでしょう、なんとかお願いしますよ」なんて、首相周辺から声かけがあったのではないでしょうか。選挙に落選した千葉法相も、弱い立場です……。

つまり、政治家が保身のために2人の命を奪ったのではないか、という重苦しい想像にうちのめされています。死刑廃止論者の千葉サンは、そのためには願ってもない法相に就任してすぐ、政権交代の勢いのあった時に、それまで政治家として掲げてきた理念を実現すべく、死刑についての勉強会を発足させるべきでした。そうすれば、彼女が何度も言ってきた「国民的議論を興す」こともじゅうぶんできたでしょうし、そうした過程に入ったなら、その間、死刑が行われないことも自然な流れだったでしょう。私は秘かに、そういうなりゆきを期待していました。そのために、鳩山さんは千葉サンを法務大臣にしたのだ、とすら。

勝手に期待して、勝手に裏切られました。この理念のなさ、実際に仕事をしていくうえでの胆力のなさは、菅総理に、もしかしたら菅政権に共通しているのではないか。そんなことは考えたくありませんが。そして、こんなことは書くべきではないかも知れませんが、あの法務大臣の顔の崩れ(やつれではなく)は尋常ではありません。なにしろわたしと同年なのです。このブログの写真は5年前のものなので、近影とは言えません(早急に差し替える予定ではあります)。実物はこれより5年分、老けてはいますけれど、それでもテレビのニュースを見るたびに、激務に明け暮れている同い年の友人の誰彼を思い浮かべて、あんな人はいないなあ、と考えこむのです。菅サンの、これまた尋常ではない生彩のなさとともに、政権のなにかを象徴しているのでないといいのですが。


7月、特筆すべきは6月22日の「税金の話1 税を払うとは、また払う人とは」(
こちら)に集中豪雨的なアクセスがあったことです。参議院選挙がらみで、「YAHOO! みんなの選挙」のオピニオンに取り上げられたためです(こちら)。期せずして、外国人参政権という、法務省関係の話題でした。また、6月3日の「東京メディア発 沖縄への涙 升味佐江子さんinパックインジャーナル」(こちら)に、知久寿焼さんのブログ(こちら)から飛んできてくださる方もあとを絶ちません。知久さんは、ライブ情報は更新するのに、ずっと「これ読んでみて」とトップに置いてくださっています。あとは、お休みした日もあったのに、アクセスは平均して高止まり、という感じでした。書かない日にも来てくださる方に申し訳なく、8月はなるべく毎日、と思いつつ、初日からお休みしてしまいました。すみません。以後気をつけます。


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作っては壊す日本のビル

本が出てこないので、確かめないままに書いています。小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)は、明治期の日本についてたくさんのエッセイを書きました。その一篇は、『日本の面影』に入っていたか、あるいは『日本の心』だったか。

ある日、町を歩いていたハーンは、愕然と気づきます。日本人は、おとなになったとき、自分が生まれた家はもうないのだ、と。ごく庶民的な家屋は35年ほどで建て替えられる、そんなこのくにの習慣が、百年単位で石造りの家を維持するヨーロッパ人にとっては、驚きだったのです。

グランドプリンスホテル赤坂の新館が、来年の3月末で閉館し、取り壊されるそうです。旧館の旧李王家邸は、歴史的建造物として残すそうです。ということは、新館は歴史的建造物として残す価値はないということです。初めて「世界の」という形容詞がついた建築家、丹下健三の作品であっても、建て替えたほうが収益が上がるとそろばんをはじかれると、竣工は1982年ですから、たったの29年であの高層ビルは無価値の烙印を捺されてしまったのです。かくも経済原則は残酷なものです。

名古屋駅に隣接する名古屋ターミナルビルも、お役ご免だそうです。松坂屋デパートとホテルが入っていて、よくそのホテルには泊まりました。便利な場所にあって、こぢんまりとしていて、朝食がおいしくて、しかも安い。このあいだ泊まった時、フロントに「残念ですね」と言ったら、「はい、でも36年たちましたから」というお答えでした。

耐震性やバリアフリーの点で、補強するより建て替えたほうが安上がりということで、りっぱなビルがどんどん壊されています。ハーンを驚かせたこのくにの建築物にたいする無頓着さは、今につながっているのかも知れません。再開発の美名のもとに、外資を含めて資本はいくらでも集まるのでしょう。そういう趨勢、なんだかはしたないような気がするのは、私だけかもしれません。でも、都市が浮遊していくような、どこに行き着くのかもわからず暴走しているような、そこはかとなく不安な気分です。

個人的な好みからすると、丹下の後期の作品はモニュメントたらんとする意志があまり好きではありません。東京都庁が建ちあがっていくのを、新宿に近づくとゆるやかにカーブする中央線の車窓からながめていましたが、そのたびに、知らず知らずのうちに心の中で工事中の高層ビルに向かって、「相手にとって不足はない、どっからでもかかってらしゃい」とつぶやいていました。それは、そびえたつ権威そのもののように見えたからです。

ある時、電車通学の小学生の男の子がふたり、都庁ビルのことを話していました。

「あれ、夜になると、ガキンガキンって変身して、ロボットになるんだぜ、飛ぶんだぜ」

そのことをある建築家に言ったら、こう言われました。「それは正しい直感だなあ。あれはCAD(コンピュータ支援設計)を駆使して設計したからね。CADだと、この階は45度回転とか、すごく簡単にできるんですよ」

なるほど。部分を回してかたちを変える、バンダイの変身ロボットのおもちゃのように構想されたのだったら、私の「かかってらっしゃい」も、あながち的外れではなかったわけです。

丹下の初期の名作が、広島の平和資料館です。これは好きです。あののびやかに水平に広がり、安らぎと沈思を誘って公園や街のつくりと一体となり、その要になっている資料館は、赤プリの運命をたどることなく、末永くあってほしいと思います。今年、私は初めて、8月6日の広島を訪れることにしています。

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電話コメント 謝って泣く

今回の選挙結果を受けて、ある新聞社から電話がかかりました。

「谷亮子さんの当選をどう思うか、コメントせよ」

ふたつの理由で、コメントはご勘弁願いました。ひとつ目は、谷さんの政策を知らないということ、ふたつ目は、第一線で活躍する柔道選手の状況を知らない、ということでした。

じつはもうひとつ、電話取材に消極的になる理由がありました。03年の衆議院選挙で、社民党がおおきく後退し、党首の土井たか子さんも落選しましたが、それを含めて選挙結果についてどう思うか、ある新聞社から電話がかかったのは、選挙当日の深夜でした。思うままに答えたなかに、このような件(くだり)がありました。

「『だめなものはだめ』はだめなのか、ショックだ。私は深刻に受けとめている」

翌日の朝刊、その部分はこう書かれていました。

「『だめなものはだめ』はだめなのだ」

電話をかけてきた記者さんは、常からおつきあいがあり、私がどのような考えをもっているか、知らないはずはありませんでした。けれど、紙面に載ったコメントは、私が言わんとしたこととはまるきり逆の意味になっていました。あたかも、社民党の敗退を高飛車にあざ笑うようなニュアンスを帯びていたのです。これでは、土井さんに申し訳が立たない。それこそショックでした。

それからいくらもしないうちに、出席したあるパーティに、土井さんのお姿がありました。謝るには今しかない。私は意を決して土井さんに近づき、いきさつをお話ししました。膝はがくがく震えていました。「今後一切、電話取材には応じませんので、どうかお許しください。ほんとうに申し訳ありませんでした」と申し上げると、土井さんは、あの声量豊かな明るい声で、こうおっしゃったのです。「そんなこと言わないで。あなたはこれからも元気に活躍してください。私はなーんとも思っていませんよ」その度量のおおきさ、あたたかさに、私は人目はばからず不覚の涙をこぼしてしまいました。謝って泣いたのは、これが初めてです。

ついでに言うと、泣いて謝る人を、私は信用しません。それは、謝る自分への憐憫ないし感動の涙だと思うからです。

前にも書いたかと思いますが、取材とはよく言ったものです。なにしろ、材を取る、ですから。取ってきた材料をどう料理するかは、取材者の裁量です。取材源はまな板の鯉というわけで、その程度の覚悟はあります。なるべく記事の自分の部分だけは事前に見せていただくようにはしていますが、最終的には記者さんにお任せするしかないとは、よく理解しているつもりです。それで、こちらの言わんとすることが十全に伝わるかどうか覚束ない電話取材には、どうしても慎重になってしまいます。

なのに、雑誌の記者さんのなかには、お会いしたこともないのに、「小一時間、電話取材に応じてほしい」と申し込んでくる方がおられます。そんな手抜きをしてどうする、と思います。お互い、ちょっとたいへんでも、やはりどこかで落ち合ってじかにお会いし、目と目を見合わせてしっかり話を聞いていただかないと、と思うわたしは、めんどくさい、古い人間です。でも、そうやって時間をかけた分、記者さんに損はないと思うのですが。

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6月 アクセスの多かった日の記事

ほんとうはNHKスペシャル「密使 若泉敬 沖縄返還の代償」について書きたいのです。が、時間がなくて、7月に持ち越すことになってしまいました。

6月、アクセスの多かったのは以下の記事です、と言うのはやや語弊があるでしょう。14日の記事へのアクセスが、連日、続いたのです。今も続いています。3日で2万アクセスというのは、このブログを始めてちょうど1年になりますが、まさに異次元の出来事でした。この「14日集中」がなければ、10日の「菅さんが官僚の術中に陥った瞬間を憶えておく」が、確実に2位、3日の「東京メディア発 沖縄への涙 升味佐江子さんin『パックインジャーナル』」が3位でした。後者は、知久寿焼さんがご自身のサイト(こちら)で紹介してくださり、知久さんのファンのみなさんが見てくださったのが大きかった。

1位 14日 1965年沖縄 「少女轢殺」 報道写真家姫野京子の証言
2位 15日 【動画】「われわれは好きなところに好きなだけ基地を置く それが日米安保だ」
3位 16日 抵抗のオペラ6 抵抗しないという政治

アクセスの少なかったのは、以下のとおりです。

1位 27日 抵抗のオペラ7 引きこもり王子の反逆
2位 26日 消費税が上がると輸出産業が儲かる
3位 25日 お相撲の好きな女の子

7月からは、ブログ2年目に突入します。これからもよろしくご指導お願いいたします。

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お相撲の好きな女の子

大相撲賭博問題、まったくフォローしていないので、「野球の選手は相撲賭博してるのかな」ぐらいの感想しか出てきません。ぶん殴られそう。

思い合わされるのは、ひとりの相撲が大好きな女の子が、今後しばらくは観戦に行けなくなるのだろう、ということです。赤坂に住んでいる、このくにのいちばん古い神主さんの家柄のお子さんです。

いつか、テレビを見ていたら、この子が見物席にいました。ノートか何かを広げて、書き込むたびにうれしそうに母親を見上げる表情が、じつに生き生きとしていて、こちらまで幸せな気分になりました。好きなことをしてうれしくってたまらない子どもの姿は、まさに眼福です。だけどこれからは、ずらりと居並ぶお目付役たちが、しかつめらしい顔をして、「不祥事が起きている大相撲を見物に行かれるのはいかがなものでございましょう」とか言うんだろうなあ、と思うのです。

ある教育者の集まりに呼ばれた時、雑談の席でこの子のことが話題になりました。学校になじめなくて苦労している、という報道についてです。まず、先生たちの関心の高さにびっくりしました。そして、この子の好感度が抜群なことも、新鮮な驚きでした。先生たちは口々に言っていました。まとめると、だいたいこんなふうです。「ああいう子はいる、私も受け持っている、好きなことには熱中するけど、自分がぴんとこないことにはまったく無関心、だからやたら他人に愛想もふりまかない、あの子は芸術的な才能に恵まれているタイプだ、へんに無理強いせずに、あのままいいところを伸ばしてあげるのがいちばん、ほんとにいい子だ、かわいい」

時間も経っていることだし、創作的に再現することは控えますが、「ワー! キャー!」というミーハーな感じのたいへんなテンションで、先生たち、この子を話題にすることがうれしそうでした。子どもたちの成長に、そのために日々力を尽くすことに無情の喜びを感じている先生たちなんだなあ、と思いました。いろんな個性の子どもをたくさん見ている先生たちは、自分が接したあの子この子の面影を、その女の子に重ねたのだろうと思います。先生たちの認識のとおりだとしたらの話ですが、かく言う私も、小学校の低学年の頃は学校が何をするところかもわからない子だったので、長い目で見れば、学校になじめないなんてたいしたことじゃない、という意見です。もっと言えば、学校なんて行かなくたっていいとすら思います。それが何か問題のように言われているあの女の子、気の毒だと思います。

ここまで書いて、ふと思いました。あの先生たち、これを機に、自分たちが知っている、あの子と同じような子どもたちへの理解が深まるといいと願っていたのかも知れない、と。だとしたら、お目付役たちの役目は重大です。あの子の幸せをまず第一に考えて、きちんとした対応をして見せるべきです。マスメディアも責任重大です。そうしたことがうまく機能すれば、きっとこの社会はより懐の深い、より多くの人にとって居心地のいいものになるでしょう。なにしろ、社会的注目度ナンバーワンのファミリーなのですから、波及効果は計り知れません。

とは言え、そうだとしても、我知らずそんな大役を負わされているあの幼い女の子、ほんとに気の毒です。神主さんのお家柄については、直近の歴史的機能を別にすれば、今のところ私にとっては関心のとっかかりのない、つるつるしたテーマなので、どのメンバーも生身の人間として過酷な立場だなあと思うばかりです。すみません、この問題に関心をお持ちのミギの方にもヒダリの方にも、謝っておきます。

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結局負けるのはアメリカ&5月 アクセスの多かった日の記事

政権が交代しても留任された大臣は、継続中のことがらを前政権の方針どおりに進めるよう、指示されるはずです。大臣は、新たな最高指導者に忠誠を誓い、これまでしてきたことに意を強くして、これまでにも増して職務に励むでしょう。

アメリカのゲイツ国防長官のばあいがこれにあたります。オバマ政権は、アフガニスタンやイラクといった継続中の戦争政策を、ブッシュ前政権から引き継いだわけです。在日米軍基地問題は、それらに比べればごくちいさな問題だったでしょうが、それも、ブッシュ政権と自公連立政権のあいだで進められてきた方針を踏襲することにしたわけです。つまりは、辺野古埋め立て新基地建設です。

それが通って、ゲイツ長官はブッシュ大統領にたいして点数を稼いだかたちになりました。けれど、ひとつ疑問があります。アメリカは、地元の合意を基地建設の条件に挙げているはずです。そして、沖縄の、辺野古の合意はけっして得られないというこの事態を、アメリカやゲイツさんはどう見ているのでしょう。亀井さんが福島さんに言ったように、どうせ辺野古には基地などつくれっこないというこの状況を、オバマさんはどの程度知っているのでしょう。いつの日か、ゲイツさんがオバマさんから「よくも実現不可能なプランで糠喜びさせてくれたな!」と怒られるのが落ちです。最後に負けるのはアメリカ、私はそう思います。


今月のアクセスは異次元でした。軍事的な話題になると、そういうことに関心のある方がたからのアクセスが殺到するのです。しかも、このたびは私が間違った情報をお伝えし、次いでそれを訂正したので(とは言え、29日には懲りずにまた「異論」をご紹介していますが)、その方がたは快哉を叫んでいました。戦争に詳しい方がたは、戦争をやめること、撤退することの難しさをよくご存じだからでしょうか、軍事サイトには私が間違いを認めたことを評価してくださる書き込みも見受けられました。恐れ入ります。

もう一つ、特記すべきことがあります。5日の記事へのアクセスが途絶えることがないのです。それも沖縄から。こんなことは初めてです。すこしでも沖縄の方がたの琴線に触れることができたとしたら、これに勝る喜びはありません。今月のアクセス累計では、この記事が断然1位でした。

1位 24日 
沖縄の黄色いメディア&米原潜「コロンビア」はうるま市で抗議を受けていた
2位 22日 米原潜コロンビア未だ帰還せず 韓国軍艦沈没の闇
3位 5日 悪いけど鳩山さん、負ける気がしないんです

アクセスの少なかったのは、以下のとおりです。

1位 2日 
やっぱりガセネタ! 「米国防省が日米安保解消を研究というサンケイ情報」  
2位 4日 
「そろそろカヌーに乗る準備」 辺野古浜通信
3位 1日 南風さん

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南風椎さん

南風さん、

先月の13日と14日に、私が勝手に書いたブログ(こちらこちら)に、心のこもった記事をありがとうございました。ようやくお返事をお書きします。

矢も楯もたまらなくなりました。毎日、ブログは拝見していましたが、4月28日に沢田としきさんが亡くなられたことを書いていらしたからです(
こちら)。沢田さんには、1度だけ、絵本をつくっていただきました。伊藤美好さんと書いた、『11の約束 えほん教育基本法』という本です。2005年の春、教育基本法が変えられてしまうかも知れない、という危機感のなかでの出版でした。国家は人を型にはめてはいけない、ということをきちんと言っていた、今や旧のつく教育基本法を、生活の言葉で語りなおした絵本です。


11の約束


沢田さんは、私たちの意図を十分に汲みとった、いえ、それ以上の表現をしてくださいました。この表紙にしてからが、怒った顔や泣きべその顔を出してくるなんて、心地よさだけを描けばいいと思い込んでいる凡百の絵本作家には考えもつかないことです。それに、この黄緑の地。ふつう、本はこの色を敬遠しますよね。沢田さんは、ご自分の表現に自信があったのだと思います。仕事で、ご葬儀には伺えませんでした。ご病気だとは聞いていましたが、こんなに早くとは。まだお若いし。もっともっと沢田さんのお仕事が見たかった。残念です。

南風さんとは、『世界がもし100人の村だったら』の原案の、「村の現状報告」でもご縁があったのですね。ダネラ・メドウズさんともきちんと連絡をおとりになった(わたしは「ドネラ」と表記してしまいました)。私が字幕を担当した「ベルリン・天使の詩」もご存じだった。もっと驚いたのは、勝新太朗さんのお話です(
こちら)。ついこのあいだ、春日太一さんの『天才 勝新太朗』(文春新書)を一気に読んだところだったので、南風さんが紹介されている、繊細で含羞を含んだ勝新太朗像が心に沁みました。

10年以上も昔になるでしょうか、「ブロードキャスター」という番組があって、そこに出ていた時、勝さんがお父さまの納骨式でお骨にかぶりついた、という話題が取り上げられました。みなさん、相変わらずとんでもないことをするお騒がせな人だ、というようなコメントをしていました。私は思わず、「あれは由緒正しい行動で、地域によってはお葬式を『骨噛み』と呼ぶ。国文学者の折口信夫の一周忌には、そのお骨を混ぜたお酒を弟子たちが回し飲んだ」と言ってしまいました。場違いな発言だったようでした。

でも、お骨にむしゃぶりつく勝新太朗の映像に、心の深いところから感動、と言っては月並みですが、根源的ななにかがわき上がってくるのを、抑えることができませんでした。あれは、人目を意識した外連(けれん)などではない、勝新太朗という天才の中の始原的ななにかが躍り出た瞬間だったと言いたかったし、今もそう信じています。

でもこれは、「1000の風」の対極にある民俗的心情ではありますね。「1000の風」の話ですけど、盗作や無断借用、私も経験があります。人がそれにたいして戦うのをすぐそばで見ていたことも、私自身がされてしまったことも。そういうことをする人は、なかなかその事実を認めません。すぐにその事実を認め、謝罪し、活動を自粛した上で作品を書き直した立松和平さんなどは、希有な例外ではないでしょうか。あの騒動のさなか、複数の編集者が立松さんに「こんど仕事しましょう」と連絡したそうです。立松さんのお人柄がなせる技です。私も立松さん、好きでした。あの方もこのあいだお亡くなりになりましたね。その1年ほど前に、たしか出雲行きの飛行機で偶然ごいっしょしたのが最後でした。

盗作したほうは認めようとしない。そのことに、盗作されたほうは、さらにいやになってしまう。いやな気分で過ごさなくてはならない理不尽さに、なおいっそういやになる。たまりません。親しい友人に、「立場が逆でなくてよかった、私が盗作した側だったら、もっと耐えられないと思うわ」と言ったら、「そういう人は、初めから盗作なんかしないのよ」と笑われてしまいました。

南風さんも、心の隅でいやな思いをなさりながら、日々を過ごしておられることでしょう。でも、どのような決着がつくにせよ、たくさんの人びとが虚心にこの顛末を受けとめていると思います。それはきっと、南風さんの宝物になっているのではないでしょうか。

お返事にもなりませんが、こうして南風さんとお出会いをした、なにかご縁があるのでしょう。人はある年齢になると友だちの友だちにしか会えない、と言ったのはブルデュー、フランスの社会学者です。きっとそういうことだろうと思います。風になった何人もの人びとが、そうかもしれないね、とほほえんでいる気がします。

筍パーティ、すてきですね。わたしも畑、やってるんですよ。

(ご本の映像、きれいでなくてすみません。きょうの沢田さんの本の映像とともに、こんど入れ替えます)


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【訂正】4月 アクセスの多かった日の記事

記事の書き直しはしない、と夕べ書いたばかりです。アクセス順位に間違いがあったので、別記事として投稿する次第です。2位の記事を見落としていました。お恥ずかしい。


1位 20日 
政権交代政権という卓袱台(ちゃぶだい)、ひっくり返していいの?
2位 19日 米軍基地、所在地も候補地も液状化させた政治家鳩山由起夫の功績
3位 27日 
ぼやいてみせる守屋サン このエントリーをはてなブックマークに追加 Clip to Evernote





4月 アクセスの多かった日の記事

記事をあとから書き直す、ということがあります。午前0時にアップすることにしているのですが、一夜明けて、「てにをは」をより適切にするとか、表現をより的確にするとか、主張を強めるために語を加えるとか。でも、主張の方向を変えることは、しません。ちょっと間違ったかな、と思っても、その記事を訂正することはありません。自分の過誤も事実ですから。

今月もっともアクセスが多かっただけでなく、これまででもっとも多かったのが、20日の記事でした。ワシントンポストの記事を、へたくそに訳してみたものです。ツイッターで広まりました。ツイッター恐るべし。

1位 20日 
政権交代政権という卓袱台(ちゃぶだい)、ひっくり返していいの?
2位 27日 ぼやいてみせる守屋サン 
3位 22日 
党首討論で「ワシントンポストが」なんて言わないで

少なかったのは、以下のとおりです。ちょっと残念なラインナップではあります。石原サンのことを褒めると、退かれてしまうのでしょうか。でも、そうでもありません。3月8日にも石原サンを褒めたのですが、そのときはアクセスが集中しました(「わーい、石原サンがカストロさんを見習った! 「首都を耕そう」)。誰がやってもいいことはいいこと、その方針でこれからもやっていこうと思います。

1位 4日 
1分に1人お母さんが死んでいる 国連人口基金キャンペーン
2位 2日 いいことするじゃん石原サン 東京でCO2削減義務化
3位 17日 上関危機 原発をつくる理由はないのに

南風椎さん、お返事遅れてほんとうに申し訳ありません。今月はなにかとぞわぞわかっかしてしまい、静かにパソコンに向き合えませんでした、とこれは言い訳です。

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1000の風 100人の村

きのうの続きです。

『残された人に 1000の風』の訳者、南風椎さんは、時代を超えて読み継がれているあの『日本国憲法』(小学館)にたずさわった方なのでした。それで、ご自身の「ポケット・オラクル・シリーズ」の1冊目が憲法なのだし、そのシリーズが『日本国憲法』同様、うつくしい写真を全ページに配したものなわけだと、納得しました。

『世界がもし100人の村だったら』の編集者は、本づくりにとりかかったとき、まっさきに小学館の『日本国憲法』を思い浮かべたそうです。とは言え、そのまま踏襲して写真で構成するなんて恥ずかしいことはできないというわけで、イラストにすることにしました。でも、5冊の『100人の村』を出したあと、そのスピンアウト企画の『日本がもし100人の村だったら』(池上彰)では、写真とイラストを組み合わせて、『日本国憲法』への遠いオマージュとしたのでした。

井上ひさしさんも、憲法の絵本を出していました。『井上ひさしの子どもにつたえる日本国憲法』(講談社)は、いわさきちひろさんの絵を配した、易(やさ)しい言葉の優(やさ)しいイメージの、けれど硬骨な本です。きのうの東京新聞の追悼記事は、憲法、平和であふれていましたが、おおかたのテレビニュースがこうした井上さんの憲法への思いに口を閉ざしているのは、その全体像を歪めることにならないでしょうか。久しぶりにこのちいさな本を書棚からとりだして、遺影のように机に飾っています。

きのう、作者不明のテキストは誰が訳したり紹介したりしてもいい、と書きました。それは『世界がもし100人の村だったら』にもあてはまります。それで、この機会にその出版のてんまつを書いておくことにします。

ご存じのように、あれは「ある学級通信」というチェーンメールを書き直したものです。それが私のパソコンに飛び込んだのは、2001年10月4日でした。911の大惨事をうけて、多くの人がこのインターネットのうわさ話に感じるものがあったのでしょう。その後たくさんの方から、自分も受け取った、という話を聞きましたから。

数日後、これを書き直して絵本にし、その印税を中村哲先生のペシャワール会に寄付しよう、と思い立ちました。1週間ほどで出版社も決まり、1カ月あまりでテキストも英訳もイラストもデザインも完成して印刷所に送られ、12月始めには刷り上がったという、まさに超のつく緊急出版でした。

問題は、元になったメールの出所(でどころ)です。たどっていくと、なかのひろみさんというカウンセラーが、その年の始めに英語のメールを訳して講演で紙資料として配り、それをある方が911のあと打ち込んでメーリングリストに投稿し、それが変化しながらあっという間に広まって私のところにも届いた、ということが判明しました。そのてんまつは、『世界がもし100人の村だったら 2』に書きました。なかのさんバージョンは、快諾をいただいて最初の『100人の村』に全文を載せました。

なかのさんが依拠した英文メールは、アメリカの環境学者ドネラ・メドウズさんの、1995年5月31に新聞に掲載されたエッセイが元になっている、ということもわかりました。それがネットの世界に投げこまれ、改編を重ねてさまざまなバージョンとなって世界に広まったのです。この事情は、『100人の村』と『100人の村 2』に書きました。

以上のことがわかった時から、出版社の法務部が動きだします。元のエッセイに著作権はあるのか、また、メールに手を入れた人がその部分の著作権を主張してきたらどうしよう、と。後者については、チェーンメールとして送信したとたん、それは広まることを旨とした行為なのだから、著作権を放棄したことになる、というのが法律家の判断でした。

前者については、メドウズさんの新聞エッセイは原案であり、原案権というものは存在しない、原案に著作権はない、という結論でした。けれども出版社は、原案者に敬意を払うべきだと判断し、「あとがきにメドウズさんの新聞エッセイを載せ、著作権料をお支払いしたい」と問い合わせました。そうしたところが、奇しくもメールをなかのさんが訳した2001年2月の末に、メドウズさんは永眠されていることがわかりました。メドウズさんは、「サステナビリティ・インスティチュート(持続可能研究所)」という財団を遺していて、財団によると、メドウズさんはすべての著作権を放棄して亡くなった、けれども財団は寄付でなりたっているので、寄付はありがたい、とのことでした。それで、出版社は新聞著作権料の何倍かを寄付しました。

メドウズさんの新聞エッセイは、『100人の村 2』に絵本のかたちで、晴れて全文を納めました。最初の『100人の村』のあとがきにも載せたかったのですが、著作権のことが解決していなかったので、メールとエッセイの違いを分析するなかで部分的に紹介しました。念のため、著作権がクリアになったばあいの、全文を引用したあとがきも用意したのですが、連絡や交渉が間に合わず、こちらはボツになりました。それほどバタバタの本作りだったのです。

『100人の村』のテキストは、メール「ある学級通信」とも、なかのさんバージョンとも、かなり異なったものに落ち着きました。統計にあたって数字を入れ替えたのは、もちろんです。この本にとりかかっていた1カ月間、私は書き直しては朝昼晩とメールで編集者に送って意見を仰ぐ、ということをしていました。つごう100回は書き直したことになります。

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1000の風は誰のもの? あるブログのブレイク

きのうは、夜来の冷たい雨が一日中降り止みませんでした。テレビのニュースで、井上ひさしさんの娘さんの気丈な会見を見ました。その昔、井上さんがエッセイに書かれていた、「松田聖子っていいよねえ、わざとらしくて」とみごとな批評をなさったのはこの方か、ととりとめもないことを思い出しました。尊敬するお父さまとしっかり生き、しっかり看取った方の、凛とした緊張のなかに輝く一種の晴れやかさに、救われる思いでした。そうだ、民俗学では人の死も「ハレ」、日常を意味する「ケ」とは異なる非日常のできごとなのだ、と思い至ります。私も、望むらくはこの世に遺していく子どもたちにあのハレやかさを贈りたい、そうなるように日々に心を籠めようと思いました。

ほかにも、テレビのニュースは井上さんの逝去を報じていますが、演劇界での受けとめ方に重点が置かれ、私が見た範囲では、「九条の会」については横並びで触れないという、ふしぎなことになっています。複数の局に、呼びかけ人の梅原猛さんが出ておられるというのに。

「九条の会」は、これで小田実さん、加藤周一さんに次いで、3人目の呼びかけ人をお見送りしました。失いました、ではないのは、亡くなっていよいよその平和への思いが強く私たちの心に、歴史に刻まれると思うからです。世界平和アピール七人委員会は、どなたかに後任の委員をお願いすることになると思います。そうやって、55年の活動をつなげてきました。

七人委のメンバーである宇宙物理学者の池内了(さとる)さんと、こんな話をしたことがあります。

「『千の風になって』という歌がありますが、あれ、科学的に正しいですよね? 以前読んだ新書に、私たちが1日に吸ったり吐いたりする空気には、プラトンだった原子が必ず入っている、過去の全人類を構成していた原子が入っているのだから、と書いてあったんです」

「正しいです。全物質を構成する原子の数は10の○○乗(聞き取れず)ですから……(理解できず)なんですよ。このコップの水にも、ニュートンの脳みそだった原子が入ってます。僕はいつも、『きょうはガリレオ・ガリレイにしとこうかなあ』なんて、やってます」

ガリレオの脳みそだった原子を飲むことにしよう、という意味です。池内さんは、それでその日はガリレオになったつもりにおなりなのでしょう。井上さんも、これからは風になり、水になって、日々私たちを包み、潤してくださるわけです。私たちが風や水になる日まで。

その「千の風になって」という歌をめぐって、あるブログが話題になっています。去年の晩秋から書き起こされた断続的な連続記事(第1回はこちらの11月11日。その日のページだけにリンクが張れないので、11月のページを示しておきます)が、先月に入ってツイッターによって燎原の火のように広まったのです。
ブログ作者南風椎(はえ・しい)さんの3月16日の記事から、そのアクセス数をご紹介しますと……。

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  3/10(水)    81411
  3/11(木)  128661
  3/12(金)   73629
  3/13(土)   17172
  3/14(日)   12788
  3/15(月)   14187

13万アクセスになんなんとする日もあるとは、なんともすさまじい。なぜこんなことになったかと言うと、新井満さんが翻訳・作曲した「千の風になって」には、南風椎さんの『あとに残された人へ 1000の風』(三五館、1995)という先行作品があることを、沈黙を続けていた南風さんがブログで公にしたためです。剽窃だ、と。ブログには、新井満さんが遅すぎたごあいさつのために、山のような『千の風』関連商品をもって南風さんのもとを訪れたてんまつも書かれています(
こちら)。

ネットには新井さんの主張が見つからないので、南風さんの思いにのみ寄りかかって思うところを書くと、私は南風さんのきちんとした怒りに打たれました。ブログ全体のうつくしくて静謐なたたずまいからも、この方に肩入れしたくなりました。

英語の原詩は、作者不詳とすべきもののようです。そうしたものを翻訳紹介するについては、作者がほんとうに不明であることを確かめなければなりません。確かめられれば、誰が翻訳紹介してもいいのですが、先行する訳文をいわば和文和訳してしまったとしたら、これは話が違います。あきらかにルール違反です。南風さんは、新井さんがこのルール違反を犯している、とおっしゃるのです。「A THOUSAND WINDS」は誰のものでもなく、誰のものでもあるけれど、「1000の風」は南風椎さんの表現であり、新井満さんが「1000」を「千」と表記したり、ディテイルを変えたとしても、全体として南風椎さんの訳を踏襲していることは明らかだ、空の雲の写真をつかった本の意匠も同様だ、と。関心をもたれた方は、南風さんの連続日記から、ご自分で判定してみてください。

ところで、あの歌が一大ブームになった頃、うちにも1冊の瀟洒な本があることを思い出し、ああ、あれか、と思ったものです。その南風椎さんの『あとに残された人へ 1000の風』がどのようないきさつで我が家にやってきたのかは、判然としません。私が購ったのではないことは確かです。私なら、「ポケット・オラクル」というシリーズ名を見て、スピリチュアル系かと思い、きっと手を出さないだろうと思うからです。だって、敢えて訳せば「掌中神託」というほどの、神がかった意味だからです。スピリチュアル系は苦手です。でも、このシリーズをスピリチュアル系と言い切ってしまっていいのかどうかは、わかりません。シリーズの第1弾は『日本国憲法 前文』なのです。奥付を見ると、2001年の7刷とありました。


1000の風


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高すぎませんか このくにの女性の声

15年ほど前、女性の声と社会的立場の高さは反比例する、とエッセイに書いたことがあります。女性の社会的な地位が低いとその声は高くなり、男性の庇護が必要な弱い存在だということをアピールするものになる、というのがその趣旨でした。

けれど最近、あれは間違いだったのではないか、と考え始めています。この社会、女性の声がやたらと高いのです。その社会的地位は高いのに、と言いたいわけではありません。女性の声は高く、その社会的地位はあいかわらず低い。けれどそれだけではなく、女性の声の高さにはまた別の理由もからんでいるのではないか、と思うようになったのです。

その理由、まだ探り当てていませんが、キーワードは現代日本文化だろうと、ぼんやりと考えています。クール・ジャパンとか言いたい向きのある、この、今を生きる私たちの社会の文化です。アニメが重きをなすこの文化は、幼さを意匠として押し出しています。そして、その幼さは弱さや愚かさの現れではなかったりもするのです。

分析は措くとして、この女性の高い声に、私は困っています。歳をとるにつれて、高音が聞こえにくくなっているのです。これ、私だけではないようで、同年配やそれ以上の人びとからよく聞く話です。若者にしか聞こえない高周波のモスキート音というものもあるそうで、高音域は若い耳には聞こえるけれど、歳のいった者にはきびしい。

でもたとえば、女店員さんの言葉がきちんと聞き取れなくても、だいたい何を言っているのかは察しがつくので、不便はありません。そう、お店では私は聞こえたフリをして返事をしていることがあるのです。けれども、飛行機から降りてすぐ、まだ耳がおかしくなっているときなど、女店員さんの言葉がいつもに増して聞き取れず、がくっと疲れを覚えたりします。飛行機の客室乗務員さんが低めの声なのは、内耳の気圧調整がうまくいかない乗客への心遣いなのかも知れません。

とくに医療介護関係の若い女性が高い作り声を出すのは、問題ではないでしょうか。彼女たちと接する多くは、高齢者です。高齢者は、聞き取ろうと緊張して耳を傾けているのかも知れません。ついでに言うと、彼女たちの話し方、べたーっとして随所にたどたどしさの味つけがしてあり、どこか保育士さん風なのも気になります。

先日、ある大病院に行きました。そこの受付と会計では、女性事務員さんたちがスピーカーではなく生声を張り上げて患者さんを呼んでいましたが、その声にうれしくなりました。若い事務員さんも多いのですが、おしなべて低めなのです。声の高さは個人の生来のものと言うより、文化の要素がかなり左右するものだということを、改めて確認しました。この病院の文化では、声は低めと言うか、強いて高めにはしないのでした。意図してそうしているのかどうか、わかりませんが、私にはやさしい心遣いと感じられました。もちろん、園児扱いされている気になるような、保育士さん風の話し方でもありませんでした。

超高齢化社会が言われていますが、接客が欠かせない業種では、女性の声の高さについて、耳の聞こえの悪い高年齢層への対応を考える時期に来ているのではないでしょうか。

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迷子の案内人 映画「NINE」を見る気はないけど

だって、フェリーニの「8 2/1」のリメイク・ミュージカルの映画化でしょう? フェリーニ命の私としては、いかにフェリーニへのオマージュとしてつくられた作品であろうと、パスです、パス。

「8 2/1」は、フェリーニ9本目の長篇劇映画ですが、映画がつくれない、という監督自身の絶不調をそのままテーマにしています。そんなテーマを映画にすること自体、天才の名に恥じないと思うのですが、この風変わりなタイトルには、1本に満たないできそこないという意味がこめられています(若い方向けの老婆心的解説です)。このたびのミュージカル映画は「NINE」ですから、完結した1本という自負があるのでしょうか。フェリーニを踏まえているというのに、なんとおこがましい。

今回の映画でも、主人公である映画監督の名前はフェリーニ作品と同じ、グイドです。イタリア人という想定で。アメリカ人に変えてもよさそうなのに、なぜか原作に律儀で、そこが気になります。もしかしたら映画館に確かめに行くかもと、パスすると言った舌の根も乾かぬうちに口走っています。でも、やはりパスです。

ともあれ、主人公のグイドという名前には、れっきとしたわけがあると思います。今からちょうど1000年前、イタリアに実在した聖歌隊長、グイド・ダレッツォという修道士にちなむ名前だと思うのです。

グイドは、ドレミファという音階名を発明したことで有名ですが、楽譜の創始者でもあります。もっとも、グイドが考案したのは五線譜ではなく二線譜でしたが、それにしてもこれは文字の発明くらいすごいことです。音楽、つまり音の高さや長さを記号で表す、という発想は、グイドのものなのです。それまでは、聖歌隊長が歌ってみせ、聖歌隊メンバーはそれを耳で憶えるしかありませんでした。また、音楽を記譜すれば、演奏家なしで持ち運ぶことができます。これは、当時の教会音楽の飛躍的な普及に役立ち、バチカンによる支配強化におおいに寄与しました。

さらにグイドは、左手の関節ひとつひとつに音階名をあてて、そこを右手で示して聖歌隊を指導しました。この教え方は効果抜群、グイドはスーパー指揮者の誉れをほしいままにしていました。これが、mano guidoniana「グイドの手」と呼ばれるもので、ドレミや楽譜とともに、ヨーロッパ中に広まりました。グイド・ダレッツォは、きわめて優秀な音楽指導者だったのです。グイドから派生したguidone「グイドーネ」という言葉は、「案内者、指導者」を意味しました。今はつかわれていませんが、英語ではguide「ガイド」となり、こちらは現役です。

指導者は、映画なら監督です。だから、「8 2/1」や「NINE」の主人公はグイドという名前なのだと思います。ガイドが迷子になった物語というわけです。ロベルト・ベニーニ監督主演の「ライフ・イズ・ビューティフル」で、強制収容所の中で幼い息子にすべてはゲームなのだと思い込ませるために命がけの嘘をつく父親の名前がグイドなのも、気になります。こちらは、道案内が成功した例です。

この説、亡くなった恩師、種村季弘先生にご披露したことがあります。先生、「嘘だろう!」と声が裏返っていました。映画評論でも名を馳せた、フェリーニ作品について論じた文章も多い先生の意表を衝くことができて、私は内心にんまりでした。

映画はともかくとしても、現実で道案内人が道に迷ったのでは、シャレになりません。このくにの道案内人は、普天間基地問題では道に迷っているフリをしていると、私は相変わらず思いたいのですが、どうでしょうか。きのうの党首討論、鳩山さんは本気で国内に代替地を捜し、そこの市民に理解を得るつもりのようにも聞こえました。そして、政府案をまとめると言っていた3月末は、なにごともないままに静かに過ぎてしまいました。

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勝連沖案、なんでこんなに大きいの?&今月のアクセス

勝連沖につくるという米軍基地がどのくらいの規模なのか、映像ジャーナリストの小林アツシさんが地図に示してくださいました。

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面積は、上のほうの三角で示された辺野古沖案の6倍以上だそうです! これで沖縄の負担軽減とは、よくも言ったものです。これはいったいどういうことか、この図を見て考えてほしい、と小林さん。
こちらの図には文字も入っています。どんどん広めてください、とのことです。

勝連沖案は、完成までに時間がかかるので(10年続く土木・建設工事!)、暫定的に辺野古陸上を削って(ここでも土木・建設工事!)、滑走路をつくるのだそうです。あっちもこっちも、自然をとりかえしがつかないほど痛めつけて、巨大な基地をアメリカに貢ぐ、いったいそのどこにどんな合理性があるというのでしょう。

この地図をつらつら眺めるに、鳩山政権は、オバマ政権と組んで、わざと私たちを怒らせようとしているとしか思えません。こんなばかばかしくもあつかましい案を出すことによっていよいよ火がついた私たちの怒りを口実に、米軍基地を新たにつくること、米海兵隊を日本に置くことを画策してきた日米の旧勢力を、日米の新しい政府が一致協力してつぶしにかかっているとしか思えません(
こちら参照)。

岡田外相がアメリカで説明している訓練地の分散化も、その一環でしょう。そんなこと、前から米軍は「ナンセンス」と言っています。海兵隊をはじめとする軍部は反対するに決まっているとわかったうえで、日本政府がそんな無理筋の案を表明するのを黙認しているオバマ政権は、日本と米軍のあいだにはさまったかたちです。日本が、基地機能を分散化しなければ、米軍基地はどこにも置けない、と言い続ければ、調整役のオバマさんが軍に、「それが不都合ならグワムに行くしかありませんね」と引導を渡す、軍を納得させるために、「引っ越し費用やグワムのインフラ整備費は、日本からしっかりふんだくってあげますから」と付け加える、そういう筋書きなのではないでしょうか。

かくなるうえは、私たちはますます怒るしかありません。「米軍基地はいらない、どこにも」と、ますます声を大きくするしかありません。そうすることが、じつは鳩山さんの本心を応援することになるという、なんとも奇っ怪な事態になってきている、というのが私の読みです。4月6日(火)から9日(金)まで、沖縄の方がたが首相官邸前でデモンストレーションするそうです。この行動の呼びかけ人には、安里英子さん(基地・軍隊を許さない行動する女たちの会)、 安次富浩さん(名護市民) 、金城実さん(彫刻家) 、知花昌一さん(読谷村議)、真喜志好一さん(建築家、「琉球国・建設親方」)が名前を連ねています。首都圏の人びとには、ぜひとも3000人以上集まってほしいそうです。私もいずれかの日に参加するつもりです。

さらには、グワムの自治体の首長たちは基地を誘致したい考えですが、先住民のチャロモ族は反対しています。その方がたの意も汲んで、基地はアメリカ本土にお引き取り願う、それがいちばん好ましいと、私は思います。

さて、自分で勝手に恒例にしてしまったので、今月アクセス数の多かった日と少なかった日の記事を記録しておきます。

アクセスが多かった日、3位は同点でした。

1位 4日 
さむい政治家、世論を煽る 高校無償化と朝鮮高校
2位 3日 「日本人はいませんでした」 海外の出来事を伝えるメディアの流儀
3位 8日 わーい、石原さんがカストロさんを見習った! 「首都を耕そう」
3位 27日 
アメリカは日本に基地を置くことがとっくにいやになっている

アクセスが少なかった日は以下のとおりです。

1位 28日 
抵抗のオペラ3 ロマの抵抗「イル・トロヴァトーレ」
2位 22日 答弁書のもやもやも赤旗の暴投もふっとばすイラク戦争検証シンポ
3位 4日 抵抗のオペラ2 神々への抵抗「ワルキューレ」

オペラはいいんですけど、イラク戦争検証シンポが2位とは、私の心がけが悪いのでしょう。以後、反省します。

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席を譲って55年

焼きが回りました。先週の急性アル中に続いて、からだが黄色信号です。

きのう、講演中に背中に激痛が走り、まるで棒をのみこんだようなかっこうで、ほうほうの体で帰宅しました。動くどころか、咳もできないくらい、痛いのです。専門家に診てもらったら、僧帽筋が炎症を起こしているとのこと。ふつうは、重い物をもったり、急に動いたりした時になるそうですが、今回のばあいは、疲労がたまっているところに過度の緊張が引き金になったのかもしれない、とのことでした。

やれやれ。数日はおとなしくしているしかないそうです。そんなわけで、きょうは書かなければならないことがあるのですが、その元気がないので、お気楽なことを書きます。

初めて国電の切符をもたされた時には、なくしたらたいへんと、緊張しました。あの、固い紙製の、改札でハサミを入れる切符です。もう小学生なんだ、電車がタダの幼稚園児ではないのだ、という身の引き締まるような晴れがましさもありました。

同時に、小学生になったのだからお年寄りに席を譲るのだ、とも言い渡されました。赤ちゃんを脱したばかりの小さな子どもではない、車内で立っているだけの体力をそなえたのだ、ということです。切符を買うと言っても、おとなの半額です。立つのは当然と思いました。

けれど昨今、車内の風景は様変わりしました。小学生は当然のように座って、目の前にお年寄りが立っていても、ゲームに熱中しています。制服の私立の子たちなど、定期券は半額よりさらに安いだろうに、大挙してシートを占領して大騒ぎしています。私立に行かせるような親御さんは、子どもの教育に熱心なわけで、その子どもたちがかくも自己チューであるのは、熱心になされている教育の中身を疑います。

わたしはと言えば、小学校にあがってからですから、かれこれ55年、お年寄りに席を譲ってきました。自分より年上の人を立たせておくのは、美意識に反するからです。けれど、わたしも白髪が目立つようになってからは、自分の親の世代以上と、いちおうの基準を立てたものの、譲るべきか迷うことも増えました。たとえば、山歩きのスタイルを決めている、はつらつとしたお年寄りなど。また、わたしより若い人がたくさん座っている時は、年長のわたしが立つことは、なんだか当てつけがましいと思われるのではないかと思ったりして、居心地悪く、迷いながら座っていることも多くなりました。

もちろん、若い人だって、立ちたくても立てないことがあると思います。わたし自身、若い頃、貧血を起こしてやっとのことで座っていた時、真ん前に立ったお年寄りが、「立たんか」と言わんばかりに、手に持った紙袋の角をわたしの顔に何度もぶつけてきて、つらい思いをしたことがあります。

そんなことは論外として、一般に若い人は立ちません。若い人自身、多少席が空いていても立っている人も多いので、年寄りは座りたいものだという想像力が働かないのでしょうか。でも、それは合理的ではないと、わたしは思うのですが。だって、健康保険は助け合いなのですから、制度設計によって度合いは違いますが、若い人の保険料のなにがしかはお年寄りの治療費に回されるのです。そして、お年寄りは足が弱く、またバランスをとるのがへたで、反射神経も鈍っているので、電車がちょっとカーブしただけで転ぶ可能性があり、すると骨のもろいお年寄りは骨折する虞があり、その治療期間は長引くのが必定で、その経済的負担は若い人にいくのです。

それとも、若い人たちは、年金やらなにやら、取り得で去っていく高齢世代にたいして、自分たちはそうはいかない、という憂鬱に、お年寄りを見ても立つ気になんかなれないのかもしれません。とくに、お年寄りを尻目に優先席を占めてお化粧している若い女性など見ると、そんな気がしてしまいます。だとしたら、世代を分断するいやな感じが、うっすらとこの社会を覆っている、それを象徴するのが、お年寄りに席を譲らない若者という車内の光景なのだ、ということなのかもしれません。

ついでに書いておくと、優先席で携帯電話をいじっている人を見ると、はらはらします。心臓にペースメーカーを入れている親戚がいるので、かれは電車に乗るのが怖いだろうなあ、どこにも逃げ込むところはないのだから、と思うのです。

わたしは相変わらず、目立たない時、あるいは立っても不自然でない時は、席を譲ります。わたしはいったい何歳まで席を譲るのだろう、と思いながら。

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ハイジ!

「どうしてもハイジのアニメをつくりたくて、会社を興したのです」

30年ほども前になるでしょうか、瑞鷹(ズイヨー)の社長さんのお話を伺ったことがあります。この、「男も惚れる」原作はめでたく名作アニメとして、いまや古典の地位を占めています。古典の条件に、引用される、パロディされる、ということがありますが、ハイジもCMの世界で活躍しています。携帯電話の宣伝で、ロックバンドのうしろの巨大スクリーンにびっくり顔が出てきたり、車の宣伝で、やけに活発なクララや、軽いノリのおんじと空中ブランコをしたり。

数日前のテレビの番組表に、劇場版でしょうか、「アルプスの少女ハイジ」とありました。NHKBSです。春休みだからでしょう。この30数年間、ハイジは何度も再放送され、今では最初にアニメのハイジを見た人びとの子どもたちが見ているわけです。

瑞鷹の社長さんの話に戻ります。社長さんは、資金が調達できると、まず前途有望なアニメーターたちをスイスに送りましした。それが宮崎駿と高畑勲だったことは、その後のアニメ界の興隆におおきく影響することになります。1年近く、風景や人びとの暮らし、道具などをひたすらスケッチすることが、かれらの仕事でした。

その膨大なスケッチをもとにした作画は、ディテイルが正確だったために、このアニメがヨーロッパを席捲するにあたって重要な決め手になりました。アニメが放映されたのは74年ですが、私が76年にドイツに行った時には、すでに彼の地で一大ブームを引き起こしていました。スーパーのレジのそばには、ぺらぺらの1話1冊の漫画本があり、文房具にも子どもの靴下や下着にもハイジ、クリスマスは町中におんじやペーターや山羊たちがあふれていました。もちろん、ズイヨーのキャラクターです。

ある時、いっしょにテレビを見ていたドイツ人のおじさんに、「これ、日本製なんです」と言ったら、「冷蔵庫や車が日本製というのは、まあいいとしよう。でも、私たちのハイジまでが日本製だなんて、悪い冗談だ」と取り合ってもらえませんでした。ZUIYOとクレジットが出た時、「瑞鷹」と書くんです、と書いてみせても、おじさんは不信感を解きませんでした。

瑞鷹の社長さんに訊ねたことがあります。

「タイトルロールのバックの山、ああいう山は原作の舞台からは見えませんよね」

「そうなんです。でも、山がないとアルプスらしくないので、ユングフラウをもってきちゃいました。やっぱり、よくなかったでしょうか」

私は、「いえ、とんでもない。私はすてきだと思います」と、正直に答えました。

逆に、社長さんが訊いてきました。

「ハイジの髪の毛の色をどうしようか、かなり迷ったのです。アニメの女の子の髪は、だいたい茶色なんですよね。でも、原作は黒です。結局、原作どおりにしたんですがねえ、どうでしょう?」

「大正解です。南欧には西ゴート族の末裔がいて、黒い髪黒い瞳の人が多いんです。スイスあたりがその北限です。フランクフルトのクララは、北方系ということで、金髪に青い眼。その対照が物語のリアリティになっています」

「どうりで。アニメはまずスペインのテレビ局が買って、ヒットしたんですが、スペインの人は、『ハイジはスペイン人だ』と言うんですよ。その謎が解けたな。スペインでハイジのそっくりさんコンテストがあったんですよ。アニメのハイジのそっくりさんです。よちよち歩きからすらっとした娘さんまで、ハイジそっくりの女の子たちが、みんなアニメのハイジの服を着てずらりと並んだのは壮観でした」

ところで、原作者のヨハンナ・シュピリは、19世紀の人です。ハイジは、共感の力によっていろんな人の心を開いていく奔放な少女で、枠にとらわれないところが魅力ですが、そんなハイジを生みだしたシュピリは、当時の女性解放運動や女性の大学入学に反対していました。女性が男性と肩を並べて社会で活動するなどもってのほか、女性は家庭を経営し、子どもを育てるべきだ、という考え方だったのです。反女権運動の旗手として発言したりもしています。おもしろいと言うか、皮肉と言うか、作者の思いを裏切って、きょうもハイジはテレビ画面の中で元気をふりまいています。その姿からは、性役割なんて薬にしたくてもありません。

原作は、当時の社会のありようを踏まえた、よくできた物語だと思います。アニメ作品との違いで、もっともおおきいのは、キリスト教色が濃いことです。それをほぼすべて取り去って、じゅうぶん共感可能な物語性をもたせたアニメ作品は、たいしたものだと思います。私たちには、キリスト教はぴんときませんから。でも、それがヨーロッパ大陸でも歓迎されているというのは、興味深いと思います。ヨーロッパでも世俗化が進んでいるのですね。

アルムおんじと呼ばれるハイジのお祖父さんは、若い頃は賭博で先祖伝来の家屋敷を手放したとか、長いこと外国の軍隊で過ごしたとか、噂されています。人を殺したこともある、とも。たぶん、一文無しで故郷を出奔し、傭兵になったのでしょう。昔から、スイスの傭兵は有名ですから。バチカンの番兵は、ミケランジェロがデザインした華麗な制服を着ていますが、かれらも伝統的にスイス傭兵です。お祖父さんはナポリにいたらしい、とありますので、両シチリア王国の傭兵だったのでしょう。イタリア統一戦争で、ガリバルディ軍と戦ったかもしれません。

かつてのスイスは、食料もままならないほど貧しかったのです。それで、若者は外国に出稼ぎに行きました。男の子なら傭兵、女の子なら住み込みのお手伝いさんというわけです。ハイジをフランクフルトに連れていくデーテおばさんがそうでした。

数年前、ネパールに行きました。ここでもやはり、国外に出る若者は少なくありませんでした。グルカ兵と呼ばれる兵士になって国連軍に加わることは、若者の憧れです。それと引き替えに、国は先進国から援助を受けています。国が傭兵ビジネスをしているようなものです。ネパールの女の子も、インドの工場などに出稼ぎに行きます。ちょうど200年前のスイスと同じなのです。

だったら、国の運営のしかた次第で、耕地の少ないネパールも豊かに、つまりアジアのスイスになれるのではないでしょうか。山だって、スイスのアルプスに負けないヒマラヤがあります。よく働く、自然と調和して暮らしている人びとが、せめて水道や電気、基礎的な医療や教育に恵まれるようになるといいと、ネパールの地で願わずにはいられませんでした。

ところで、テレビ欄のハイジに触発されたのは、私もハイジを訳しているからです。ハイジやペーター、お祖父さんやロッテンマイヤーさんの声、そしてナレーションとして読まれる地の文まで、私はアニメの声優さんたちの声を想像しながら訳しました。

ちなみに、高畑勲や宮崎駿が選ぶ少女役の声優は、高度の技術といい、センスといい、いつもすばらしいと思います。子どもは、咽頭と喉頭の二重ボトルネック構造が発達していないので、子ども特有の発声をしますが、それをへたな声優がまねると、いやみなねちゃねちゃ声になってしまうのです。

とにかく、私もとんだハイジ・フリークです。ハイジについては、まだまだ書きたいことはありますが、あきれられると困るので、このへんにしておきます。もうとっくにあきれられていると思いますが。

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地下鉄サリンとソフィーと私

もう15年になるのですね。

あの日、『ソフィーの世界』の監修者、須田?さんが、翻訳のための資料収集を頼んでいた中央大学の大学院生が、サリンの撒かれた地下鉄丸ノ内線に乗り合わせ、病院に運ばれました。幸い、なにごともなくすぐに帰宅できたとのことでした。

その後、本栖湖畔にあった出版社の保養所で、最後の詰めの合宿をしていたときに、すぐそばのオウム施設に捜査が入り、「教組」が逮捕されました。私たち、監修者と編集者と私の3人は、毎日、食事休憩になるとテレビに見入っていました。いったいなにが起きたのか、わけもわからないままに。編集者が買い物に行くコンビニは、寒さの中、交代で暖をとる取材陣で満員電車状態だったそうです。

さらにその後、逮捕された信者のなかに、中川智正医師がいました。貧しい母子家庭に育ったかれが、母親に最初の差し入れとして頼んだのが、当時すでに出版され、話題になっていた『ソフィーの世界』だったと、新聞報道で知りました。教団を離れ、自由に読書ができるようになって、さまざまなことを考え直すよすがにしようとしたのでしょうか。あの本を買いに書店に走ったお母さまの気持ちを想像して、悲痛に胸もつぶれる思いでした。

『ソフィーの世界』は、若い人に向けたカルトへの警告に1章を割いています。それで、迷い、動揺し、なんとかオウムの呪縛から離れようとしている若い人びとに読んでいただくといいかもしれないと考えました。当時、オウム被害対策弁護団のひとりとして、オウムを離れた元信者たちの居場所作りをしていた滝本太郎弁護士と連絡をとり、数十冊の『ソフィーの世界』を送りました。

何人の元信者が読んでくださったか、わかりません。読んだ方に、なにかの役に立ったかも、わかりません。バブルの余熱で時代が思い上がり、そのいっぽうで、人の道を外れたカルト集団がやはり思い上がり、双方がなんらの接点ももたずに憎悪しあい、多くの死者すら出したあの時代。あの時代の不毛、荒廃。気がつくと、その不毛や荒廃が解き明かされないままにもちこされている。そんなうそ寒い自分の今に気づき、慄然とします。

中川さんの裁判は、まだ続いているのですね。死刑判決を不服として上告……。お母さまはご健在でしょうか。

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「そんなに私の隣がいいですか?」

気ままに動いていた頃は、JRの長距離チケットは、たいていその日に自由席を買いました。席がなければ立つか、指定席に移ればいい。急ぎでなければ、次の便にすればいい。けれど昨今は、早々と指定席を用意します。確実に、ストレス少なくスケジュールをこなすには、そうするしかありません。

指定席は、乗ってから隣が空いている席を選ぶ、ということができないのが不都合です。乗った時、自分の隣がふさがっていて、ほかに空いていれば、そしてたぶんこの先あまり混まないだろうと思われる時は、空いている席に座ります。お客さんが乗ってきたら移動する、というめんどうを見込んでも、そうします。

飛行機なら、途中乗車はありません。隣の空いた席を見つけるため、最終搭乗案内を聞いてから、ゲートに向かいます。すると、「あちらにゆったりしたお席があります」なんて、誘導してくれる客室乗務員さんもいます。

けれど、そうしたことを気にしない方のほうが圧倒的多数なのだと、いつも思い知らされます。車輌には10人も乗っていないのに、そこが自分の指定席だからと、私の隣にお座りになる。私のほうが先に乗っているばあい、席を移動するのはちょっとはばかられます。まるで、あなたの隣はいやなんです、と言っているようで。そうではなくて、本や書類を広げるなり、お弁当を広げるなり、あるいは目を閉じるなり、人目を気にせずにやりたいだけです。

ヒトという動物にもテリトリーというものがあって、それを脅かされると不安になるものです。テリトリー空間は、時と場合によって伸び縮みします。近郊電車の7人掛けの座席に7人の1人となって座ることに、私はなんの痛痒もありません。でも、若い人は、5人ぐらいでゆったりと座らないと不安のようです。だから、詰めてもらえば座れるのに、立っている若い人も多く見かけます。詰めてもらうほうが苦痛なのでしょう。そんなふうですから、目の前に人が立っても、若い人に席を詰める気配はありません。マナーの問題でもあるでしょうが、動物行動学の問題でもある、ゆったりと育った若い人は、年配者より広いテリトリーを必要とするのだ、それで、もしも年配者が席を詰めない若者に不満を感じているのなら、年配者と若い人の動物行動学的条件が異なっているため、ものごとの捉え方に行き違いが生じているのだ、と私は思います。私は、声をかけて詰めてもらいますけど。

話が飛びました。

1時間以上乗る長距離のばあいでも、満席なら苦痛はありません。が、ほかにたくさん座席が空いているのに隣がふさがっていると、俄然、居心地が悪くなるのです。面白いことに、ほかがいくらでも空いているのに隣に座ってくる人に、年齢の違いはありません。

なにごとも、誰もが自分と同じには感じない、考えない──がら空きなのに、あらかじめ決められたことに律儀な方が隣に乗りこんだ車中の時間は、そうしたあたりまえの事実を復習する、修行の時間になります。「そんなに私の隣がいいですか? そういうわけではありませんよね」と、心の中でお隣さんに語りかけながら。

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2月 アクセスの多かった日の記事

あっというまの2月でした。政治とお金の問題では、小沢事件がいちおうの区切りをむかえ、その過程でマスメディアと官の関係が検察リーク問題というかたちでかなり知られるようになりました。トヨタの社長が米議会の公聴会に呼びつけられ、「技術大国」「経済大国」の先行きがいよいよ不透明になる中、国会では政策論がたたかわされることもあるのですが、おおきく報じられるのは相変わらず鳩山さんと小沢さんのお金の問題の部分ばかりです。

目先の景気をどうするかも、「新衰退国家」へどう軟着陸するかもはっきりとは見えず、そこはかとない閉塞感や焦燥感をかきたてた、そんなひと月だったように思います。そのいっぽうで、辺野古や東村高江、岩国の米軍基地をめぐっても、油断ならない動きがあります。

政権交代の9月、あれほど清新な風を感じたのに。わたしたちは、これは民主主義社会が成熟していくうえで避けて通れない「踊り場」なのだと、覚悟するしかないのでしょうか。

今月も、アクセスランキングを記録しておきます。

1位 19日 
孫崎元外務省局長「検察の動きを見ればアメリカの意思がわかる」
2位 26日 「サンケイは社員の身元を公的機関で調査」 花岡信昭さんの記者クラブ観 
3位  3日 
「小泉元首相の手は小刻みに震えていた」
    25日 高校無償化、朝鮮学校はだめなの?! 後段

2本が同点で3位に並びました。柄にもなくバンクーバーオリンピックのスノーボードについて、というかその國母選手について書いたら、これを機に多くの方が読者になってくださいました(17日「國母と川口 ふたりの『非国民』」と20日の「スノーボードと近代五輪はクラッシュするはずだ」)。

下位は以下のとおりです。さもありなんです。きわめて個人的関心に限定された話題でしたから。12日も同様の話題でした(「声優の流儀」)。

1位 13日 
女子アナの発音流儀
2位 14日 若い女性の発音流儀とグリムの法則
3位 15日 誘惑のオペラ8 ヴァルターの場合

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スノーボードと近代五輪はクラッシュするはずだ

半可通で発言するものではありません。17日の記事「國母と川口 2人の『非国民』」、本筋では外れていないと思いますが、ちょっと気恥かしい思いをしています。國母選手の「腰パン」を、かれ個人の趣味と思い込んでいたからです。

國母選手のことを取り上げたので、なんだかかれを見届ける責任が生じたような気になって、スノーボード競技を録画してざざっと見ました。そうしたらなんと、飛び出す選手飛び出す選手、みんな「腰パン」風のぶかぶかパンツではありませんか。

国別のユニフォームはあまり目立ちません。アメリカはユニフォームでしたが、ジーンズ風のボトムはぶかパンでした。ほかの国の選手はそれぞれに個性的な、でも揃ってぶかパン。これはスノーボードというスポーツの文化の一部なのだと知りました。そして、スノーボードがスケートボードというストリート系スポーツから派生した以上、ヒップホップやストリートダンスと共通のファッションがここにも入ってきているのは、ごく自然なことなのだと納得しました。また、技の独創性を競う競技なのだということもわかりました。選手が個性的なウエアに凝るのももっともです。だったら、あの赤ちゃんのよだれかけみたいなゼッケンはかっこ悪い、せっかくストリート・カルチャーの文脈ですてきなウエアを選んでいる選手がかわいそう、と思ったのは、私だけでしょうか。

國母選手は、きっといつもストリート系ファッションなのでしょう。おそらく多くのスノーボード選手も。國母選手は、お仕着せのスーツのボトムをウエストで穿くのは慣れないことだし、気持ち悪かったのではないでしょうか。それで、選手団のユニフォームを高校生が制服を腰パン履きするように履いて、ぶかパン風にしたのでしょう。そして、高校生が生活指導の教師に叱られるように、寄ってたかって叱られてしまった。あの「腰パン」は、スノボーチームのなかでかれ1人、いつもどおりの自分を通した、ということではないしょうか。

スノーボード競技がオリンピック種目になったのはそんなに過去のことではなく、長野大会からなのですね。ストリート系スポーツがオリンピックに登場するのは、興味深いことです。なぜなら、近代オリンピックの草創期、選手には現役の軍人が多く、夏期の近代五種競技などはナポレオン戦争の故事をふまえています。冬期の種目ではスキーと射撃のバイアスロンが、狩猟から編み出されたとは言え、まるでいにしえの冬の行軍のようです。その選手の多くは、日本のばあい自衛隊員です。

つまり、平和の祭典オリンピックは、戦争と深く関わっているのです。国の威信を賭けて、というノリになりやすいのもうなずけます。そこへ、「お国のため? カンケーネー」みたいなストリート文化が生んだ競技が入ってきた、興味深いと言ったのはそういう意味です。そして、新しいスポーツが遠く「軍隊あがり」の血を引くスポーツ界と文化的衝突を起こしたとしても、おかしくはないと思いました。

懲りずにしろうと談義で恐縮ですが、國母選手はダブルコークという大技に挑戦しなければ、メダルは確実だったのではないでしょうか。あの批判の嵐の中で、自分の滑りを追求し、大技に挑戦して順位を落とした。すばらしいではありませんか。それにしても、あんなに高いところから氷壁めがけてくるくると舞い降りる、スノーボードとは恐ろしい競技です。

きのう、息子がスノーボードをしに出かけました。「あなたも滑る時はぶかパンなの?」と訊ねたら、「そうだよ」と当たり前のように答えるではありませんか。うちにも「ぶかパン野郎」がいたのです。知らなかった。

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「寅さん在日説」の真相

永六輔さんのお話は面白すぎます。わかってはいるものの、まんまとのせられてしまいました。永さんによると、映画「男はつらいよ」の幻の最終回はストーリーが決まっていた、というのです。渥美清さんと山田洋次監督との3人で話し合った、と永さんは言います。それによると、最終回のラストシーン、寅さんは船に乗って「あばよ」と日本海を渡っていく、というのです。

「ええっ、寅さんは在日の人で、ふるさとに帰っていく、ということですか?」
「そうですよ。初期の作品はそれとなくそういうことを匂わしています」
「じゃあ、とらやのおいちゃんは寅さんのお父さんの兄弟ですから、お母さんが在日の方というわけですか? うーん、深いなあ。『国民的』人気者がそういう出自だったとは、うーん」

寅さんは、旅先でさまざまなトラブルを解決します。すると、しばらくの間は寅さん寅さんと慕われますが、結局、どこにも居着くことがない。これは、水戸黄門も同じです。共同体のエネルギーが低下して、自分たちでは問題を解決できなくなった時、どこからかよそ者がやってきてなんとかしてくれる。これは、民俗学の「まれびと」の思想です。まれびとは、共同体が秩序を取り戻すと、体よく送り出されるのが決まりです。寅さんにしろ、黄門さまにしろ、いっときはありがたがられても、まれびとである以上、いつまでも居座られては困るのです。

その、現代における最も偉大なまれびとの生みの母が「日本人」ではなかったとは。なつかしい「日本」の風土や人情を描くこの「国民的」物語は、寅さん=まれびとという、ちいさな共同体にとっての外部の視点から語られる一連のちいさな物語の集成であると同時に、じつはその全体がもう一回りおおきな外部性のまなざしに包まれていた。この想定は、このくにのあり方への強烈な批判になっている、すごい話だ、わたしは数年の間、そう納得していました。

あるところで、山田監督にお会いしました。それで、このことを確かめてみました。

「3人でそういう話、しましたねえ。でも、それは永さんの希望でしょ。僕はこんな最終回を考えていました。寅がおいぼれて、もう恋もできなくなった。憐れんだあるお寺の住職が寺男として置いてやる、寅は箒もって掃除なんかして」
「あら、寅さんが源公になるんですね」
「そう。でも、子どもにはやけに人気があってね、いつも境内でかくれんぼなんかしている。ある時、寅が鬼になって、お寺の縁の下で『もういいかい』『まあだだよ』『もういいかい』……そのうち、『もういいかい』が聞こえなくなったので、見に行くと、(両手で顔を覆って)こうしたまんま死んでいる。お寺は寅地蔵をつくって祀ってやった、そしたら恋に御利益があるってことになるんです」
「寅地蔵、イントロの物語にありましたね、あれですね。でも寅さんでしょう、恋の御利益なさそうだけど」
「死んだらあるんですよ」
「監督の最終回、あったかいですね、やさしいですね」

山田監督の語りは、いかにも楽しそうで、慈愛に溢れていました。でもこれで、寅さん在日説は永さんの秀抜な創作だということが明らかになりました。渥美さんご自身はどんな最終回がいいと思い描いておられたのでしょう。それも知りたいものですが、幻の最終回、寅さんファンがそれぞれに考えて楽しめばいいのかも知れません。

そして、わたしから寅さん在日説を聞かされた方がた、そんなに多くはありませんが、ごめんなさい、あれは忘れてください。
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「嘘は見抜くものだ」 枠組みを壊すことの難しさについて

1日に、佐藤優さんの視点は既成の枠組みを壊す破壊力をもっている、と書きました。自分で書いたそのことばに縛られて、きょうまで過ごしてしまいました。つい先日、わたし自身が枠組み壊しに失敗するという苦杯を嘗めたからです。

金沢に行ったので、そこの友だちにお願いして15人ほどお集まりいただき、グリムのメルヒェンについて、短いお話をさせてもらったのです。1時間というごく短い時間だったのに、包括的な構えから入ったので、かなりとっちらかった話になってしまい、昔話とは何か、十分に説得力のある論は展開できませんでした。話を聞いてくださったのは、読み聞かせや語りに関心のある方がたでしたが、とっぴょうしもない話に当惑されたと思います。

その中に、わたしが、「昔話は正直さや勤勉さをそなえたいい人が幸せになるとはしない」、と言ったことに、強い抵抗感を示した方がおられました。それはそうでしょう。わたしたちは幼い時から、正直爺さんや気立てのいい娘が、不運にあっても悪意の人に傷つけられても、最後には幸せになる、という数々の昔話に親しんできたのですから。

けれど、たとえば昔話は「嘘をつくな」とは言いません。嘘について、昔話が主張することはふたつ。「弱い者は嘘をついてでも徹底抗戦しろ、生き延びるのが正しいのだ」、そして「嘘は見抜け」です。後者は、昨今言うところのメディアリテラシーに通じる知恵です。この昔話の知恵が忘れられていることと、ときとしてメディアに無防備なわたしたちの現状は通底していると、わたしはにらんでいます。嘘をついても生き延びろ、そして嘘は見抜け。わたしたちは、そうしたメッセージを面白いストーリーに託した昔話、つまり嘘ごまかしと紙一重のとんちで権力者を出し抜く話や、狐や狸の化けの皮を剥がす話を、好んで語ってきたのです。

昔話は、嘘だけでなく、策略も怠惰も排除しません。一寸法師は、姫に盗み食いの濡れ衣を着せる卑怯なやつですが出世しますし、怠け者は、わらしべ1本で長者の娘の婿におさまります。

昔も今も人の真情は変わらない、民話の心は脈々と受け継がれているのだということ自体が、近代イデオロギーとしか言いようのない虚構であって、わたしたちが書籍や絵本をつうじて昔話と思っているものは、明治期に新しい時代に合わせて伝承を切ったり貼ったりして作り直したものであり、そのお手本を示したのがグリム兄弟なのですが、それを短時間で納得していただくのは、しょせんむりな話なのでした。

昔話の換骨奪胎の過程で、わたしたちは生きる底力を殺がれ、嘘を見抜く知力を骨抜きにされ、いっぽう「お上の事には間違いはございますまいから」という前近代のDNAはおそらくは意図的に温存されて、従順で大本営発表に弱い近代日本国民へと仕立てられた、わたしはそう見ています。

「お上」から見ていい子ちゃんでなければ祝福されない? とんでもないことです。本来の昔話は、そんなことは言っていません。シンデレラ物の主人公は、粗野なほどたくましく、抜け抜けとしたウィットに富み、窮地にあっても知恵を働かせる意志の力に満ちています。わたしたちが知っているシンデレラのように、美しいとも、すなおとも、あるいは働き者とも語られてはいませんでした。どちらが生きる勇気をお裾分けしてくれるかは、言うまでもないでしょう。 

昔話をめぐる事情に限らず、ひとたび形づくられた思い込みは強固です。でも、これを壊していくことが、今求められています。そこに不安が伴うのはわかります。けれど、現に検察は正義だという枠組みはあっさりと壊れ、べつに不安ではないわたしたちがいます。それどころか、これを機に、わたしたちが情報を共有し、それを一人ひとりが判断し(「嘘は見抜け!」)、論じ合って、社会をより透明性の高い、公正なものにする一歩ととらえようという気運が高まっています。誰かがまっ黒で誰かがまっ白なのではなく、誰もがグレードの異なる灰色なのだというタフな状況に、早くもわたしたちは慣れつつあります。わたしたちの公共の利益を考えて懸案にどう決着をつけるべきかという、成熟した問題の捉え方が定着しつつあるのです。正義の味方検察が、巨悪の政治家をやっつけるという、ロッキード事件当時の図式にのって気勢をあげるほうが楽ちんだったかも知れません。けれど、すでにそれはかっこ悪いことになってはいないでしょうか。まさにひとつの枠組みが壊れた結果です。

壊すべき枠組みは際限なくあります。インド洋アラブ海域の給油をやめたら対米関係に亀裂が走るというのは、杞憂でした。日米安保条約がこのくにの平和を保証しているとか、死刑制度が治安を担保しているとか。あるいは、普天間米軍基地の移転先は、わたしたちが選んで提供しなければならないとか、外国人が参政権をもつと外国に政治を乗っ取られるとか。みんな壊すべき思い込みだと、わたしは思います。










40年来の友を亡くしました。もはや彼女がいないという、わたしの世界の枠組み変更を、わたしはいまだ頑として受け入れようとしません。
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1月 アクセスの多かった日の記事

さまざまなコミュニティがあるものです。まるで宇宙に浮かぶさまざまな銀河のようです。先月は、禁煙ファシズムと戦う会の会員さんがどっとアクセスしてくださいました。軍事のことを書くと、そうしたジャンルのコミュニティの方がたが訪問してくださいましたし、あるいは反検察コミュニティの存在も知りました。

また、ツイッターの伝播力のすごさも痛感しました。わたし自身がやらなくても、広めてくださる係の方がおられるみたいなので、ここは分業ということで、わたしはツイッターはもうすこし見合わせようかな、と思った次第です。

7カ月、ブログを書いてきて、自分の傾向がはっきりしてきました。
評価するマスメディア:東京新聞
応援する人:佐藤栄佐久さん、蓮池透さん
注目する人:河野太郎さん

さて、多かった日は以下のとおりです。これもあまり意味ないかなあと考え始めています。というのは、このブログはまだ発展途上にあるので、月末のほうがアクセス数が多いという傾向があるからです。また、先に書いたいろんなコミュニティがある記事を発見するのが、その記事を投稿した日ではないことのほうが多いので、その日に読んでいただいた記事はその日の記事とは限らない、ということもあるからです。でもまあ、とりあえず、挙げておきます。

1位 25日「
この喜びを1人でも多くの方がたと 名護市長選
2位 18日「
民主党、『社会の木鐸』なんぞにがたがたしないで
3位 26日「
今夜『インビクタス』試写会トーク イーストウッドは変わったのか

いっぽうで、少なかった日は以下のとおりです。
1位 2日「
回帰する時間 移転する歴史
2位 3日「
箱根駅伝
3位 10日「
『小国のエリート』

あとからのアクセスがダントツに多かったのは、4日の「
チョコやガムはもらったけど マーシャルプランの恩恵は受けてないゾ」でした。まさに過去7カ月を通じてもダントツでした。あと、23日「検察の首に鈴をつけるか がんばれ東京新聞」、19日「ムネオ語録『検察はフォワードに出てきたGP』@民主党大会」と続きます。

これからも、アクセス数にとらわれずにこつこつと書いていこうと思いますので、よろしくお願いします。
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「責任のへらへら」坊ちゃん 説明責任のばか

小説家にして詩人、町田康は、パンクロック歌手時代から大、大、大好きです。「メシ喰うな!」は、隠し撮りしたライブのビデオも持っています。

その志はどこまでも低く、意志は限りなく弱く、性状はとことん情けなく、毒舌だか寝言だか繰り言だか、どこまでも地を這う言葉の連なりをたどるうちに、でもこれは正論だ、これしかない、とすっかり町田教に染まって、深々と思想の深呼吸をしている、それが町田文学の魅力です。

数年前、出版業界のある地味な授賞式のパーティで、町田さん担当の編集者が、「町田さんが池田さんにぜひごあいさつをしたいっておっしゃってます」。

目の前に現れたのは、全身黒づくめのきゃしゃな青年でした。美しいこと、言うまでもありません。もちろん、町田康が池田香代子に会いたいなんて、思うはずがありません。気を利かせたつもりの編集者さんの差し金に決まっています。わかってはいるものの、ひるんだような表情でさしのべられたその手を、わたしは思わず両手で握りしめてしまいました。

「あらあ、どうしましょう! ご本、全部持ってます。ファンです。ご本、持ってくればよかった。お会いできるとわかっていたら、サインしていただくんだったわ。どうしましょう!」

なかなか手を離そうとしない中年女に、町田康であるその青年は、内心、舌打ちしていたに違いありません。そのエッセイから、それはもう決定的だとわかってはいるものの、頭に血が上ってしまったわたしは、そのあとどんな話をしたのか、まるで憶えていません。

その町田康さんの、北海道新聞(09年7月7日付夕刊)に掲載されたコラムを、
ブログ「釧路を知ろう『むしろ釧路』さんが「原文のまんま書き写し」てくださっています。あまりにもすばらしいので、ご紹介します。

説明責任という居丈高な言葉が幅をきかせ、いやな感じがこの社会に蔓延しています。せめて説得責任と言うべきです。相手から、「いいや、そんな説明では納得できない」と言われたらおしまいなのですから……とまあ、わたしが言うと身も蓋もないことが、町田康にかかるとこんなにすてきなエッセイになります(今日のタイトルは、町田康のエッセイ集『へらへら坊っちゃん』にかけています)。


「責任のへらへら」

いまの年齢になるまで物事に対する責任というものをちゃんと果たさないで適当にへらへら生きてきた。なぜかというと、その方が楽だったからだが、しかしこれからはそういうふざけた態度で生きていられなくなるかもしれない。なぜかというと、ここ数年で責任ということを追求する人が急激に増えたからである。

最近は説明責任を果たせと言って怒る人が増えた。この場合、何が恐ろしいかと言うと、説明をしていない、といって怒られるのではなく説明する責任を果たしていない、といって怒られるのが恐ろしい。

それのどこが恐ろしいかと言うと、例えば「午飯にすうどんを食べた」ということについて説明するのであれば「すうどんを食べたかったから」と嘘偽りない正直な気持ち、そしてまた事実を述べれば済む。しかし、説明責任となるとこれでは済まず、世間が納得するまで、ということは世間の興味・関心に沿い、そのうえで世間が納得し、気に入って満足する説明が出てくるまでずっと責任を取り続けなければならないというところが恐ろしい。

さっきのすうどんの例で言うと「すうどんを食べたかったから」と説明しただけでは説明責任は果たしたとみなされず、さらなる説明責任を問われる。

「なぜ、わざわざ味気ないすうどんが食べたかったのですか。おかしいじゃないですか。なぜ天ぷらうどんにしなかったんですか」

「実はお金がなかったのです。お金がなかったのですうどんで我慢したんです」

「なぜ、お金がなかったのですか」

「そんなことまで言うんですか?」

「当然です。説明責任というものがあります」

「昨日、お金を遣い過ぎたからです」

「何に遣ったんですか」

「それも説明責任ですか」

「そうです。説明責任です」

「・・・・・・ソープランドというところで遣いました」

「それはなにをするところですか」

「女性の方の接待を受ける場所です」

「なぜ、そんなところに行ったのですか」

「・・・・・・申し訳ありません・・・・・・」

「それはあなたが人間として最低最悪の脳味噌スポンジ鼻下6メートル級エロバカオヤジだからじゃないのですか」

「はあ?聞こえないんですけど」

「そうです」

「わかりました。ではあなたの口から説明責任を果たしてください」

「はい。私が午飯にすうどんを食べたのは私が人間として最低最悪の脳味噌スポンジ鼻下6メートル級エロバカオヤジだからです。申し訳ありませんでした」というところ、すなわち世間の興味・関心に沿い、そのうえで世間が納得、気に入って満足する説明が出てくるまで説明しないと説明責任を果たしたとは言えないのである。恐ろしいことである。

そのちょっと前は自己責任ということをいう人が多かった。似た言葉で自業自得という言葉が昔からあるが、自業自得が、あくまで自分単独で行なった行為による責任を指すのに比して、自己責任というと、それがたとえ法律の不備や偶然の不幸や運・不運みたいなところにまで拡大して、自分の身に起きたことはすべて自分が決定したことゆえ、自分ひとりで責任をとらなければならない、というニュアンスを帯びて恐ろしい。

そんなことで自分以外の他人にいろんな責任を負わせて怒る、という傾向はこれからますます強くなっていくに違いなく、油断をしていると思いもよらない、眼鏡責任、すし飯責任、ヘゲタレ責任、牛丼責任、散髪責任といった各種の責任を取ることを強く求められ、とても苦労をするのではないか、と思うと心配で心配で夜の目も眠れず、日中睡眠不足でぼうとしているものだから期日を過ぎても約束した仕事が完成せず、このままいくといずれ責任を追及されるのだろうなあ、厭だなあ、と思いつつ、いまのところは何も言われてないので、奥村チヨのヒット曲「中途半端はやめて」(作詞なかにし礼、作曲筒美京平)を、「いざとなったら手を合わせぇ逃げるというの?責任とって、責任とって」なんて、くちずさみつつ、昼酒を飲むなどして赤い顔でへらへらしている。いまのところは。いまのところは。
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「小国のエリート」

2日に、ドラマ「坂の上の雲」に出てくる、肩いからせた小国のエリートについて書きました。書きながら、思い出していたことがあります。

今から30年ちょっと前、旧西ドイツに留学しました。その頃のその大学では、教授が担当するゼミはじつに権威的でした。ロ(ろ)の字型に並んだ机の、正面には教授をまん中に助教授や助手がその両脇を固め、縦の列には研究生、院生、学部生が学年順に居並び、わたしたち留学生は教授たちと対面する下座にかたまって、ただ臨席させていただく、という感じでした。助教授でも、教授に指名されると、緊張して発言していました。

ゼミでは、毎回ひとりの学生の発表を聞いて討論をします。わたしにとっては、これが終わったら旅行に出て帰国、という最後のゼミでのことです。発表した男子学生のドイツ語がひとことも聞き取れません。あれれ、これが2年のドイツ生活、1年半の学生生活の成果か、と内心当惑していたら、発表が終わるのを待って、教授が言いました。

「一般的な議論に入る前に訊きたい、あなたはどこの出身ですか?」

どこか山の奥だったと思います。それを聞いて、わたしはほっとしました。あまりにきつい地域語で、教授にもわかりにくかったんだ、と。

ゼミが終わると、三々五々カフェテラスに移動します。だいたい、日本人は韓国人と仲良くなりますが、いつもいっしょに行動している韓国の男子留学生が、なかなか席を立とうとしません。

「どうしたの? カフェテラス、行こうよ」とわたしたち日本人が声をかけると、かれの広げたノートにぼたぼたっと、ほんとうにぼたぼたっと大粒の涙が滴り落ちました。「どうしたの? 何かあったの?」わたしたちが尋ねると、かれは言いました。

「きょうの発表、ひとこともわからなかった」

わたしたちは拍子抜けしました。「なあんだ、そんなことかよ! 教授がわからなかったんだよ、おれたちにわかるわけないじゃないか」日本からの留学生たちは、口々にそんな声をかけましたが、かれにはちっとも慰めにならなかったようでした。

かれは両班(ヤンバン)の家の人で、確か全羅南道(チョルラナンドウ)出身でした。郷土の名門の息子が国家を背負ってドイツに学びに来ている、たかがドイツ文学なのに、ここまで思い詰めて、とその背中を見下ろしながら、わたしは森林太郎(鴎外)のドイツ留学についてのエッセイを思い出していました。林太郎はきっとこんな意気込みで、ささいなことでもドイツ人にばかにされたと受けとめて、なにくそで勉強したんだろうなあ、ぜったいにドイツ語の聞き間違いや言い間違いをすまいと、緊張しきって過ごしていたんだろうなあ、と。

金(キム)さん、今ごろどうしているでしょう。大学の先生になって、もうそろそろ定年を迎えているのでしょうか。いつも日本人といっしょに行動するくせに、なにかというと35年の日本支配を持ち出して、わたしたちにつっかかっていたっけ。もうひとりの韓国からの女子留学生はソウルの人で、当時の韓国の軍政に反対の、政治的信念をもつ人でしたが、感覚的にはわたしたちとさほどへだたりがありませんでした。すぐに激する金さんを、しらっとした目で見ていました。韓国では、都市と農村でかなりの文化的思想的な違いがあるのかなあ、と思いました。今はいざ知らず、当時はそう思いました。

金さんはきりっとした、いい面構えをしていました。それに較べて、日本人はふやけた顔をしている、と思いました。わたしたち当時の日本の留学生は、国家など背負っていませんでした。そういう意味では、お気楽なものでした。それぞれの知的関心のおもむくままに、ドイツで勉強することを選んだのでした。例外はありましたが、おおかたは金君のような悲壮感なんて、薬にしたくてもありませんでした。若者の面構えがいいのは、その国がけっしてうまくはいっていない証左なのかも知れないと、その時わたしは本気で考えたものです。

そして今、韓国の若者の「面構え」、どうでしょうか。たとえば日本でも人気の高い俳優さんたち、ハンサムですが、あの金君のひりひりするような、切ないほどの悲壮感は……望むべくもないと思います。軍政の時代に比べて、韓国は今、いい時代を迎えているのではないでしょうか。
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アラ還は語る

きのう、全労済サイトからのアクセスがあることに気がつきました。そう言えば、去年の秋にインタビューを受け、元旦公開と聞いていました。なのに、忘れていたのです。でも、シリーズ名「アラ還を生きる」に免じて、早々に自分を許してしまいました。はい、昨年末に61歳になりました。物忘れが多くなるのも道理と、開き直っています。

シリーズには、高校のクラスメイト『黙っていられない』鎌田實さんも登場しています。インタビューに来られた方に、「カマタクンのご推挽?」と尋ねました。カマタクンは、過去、メディアにわたしの名前を出した前歴があるからです。「いえ、今回はそういうわけでは」とのことでした。

 

 

 

 


(鎌田實さんとの往復書簡集『黙っていられない いのちと平和を考える18通の往復書簡』)


全労済のインタビューでは、主に翻訳の仕事について語っています。「これからやろうとしていること」、言わされてしまいました。こうなったら、もう後戻りはできません。もっとも、後戻りなんてとっくにできない状況です。ある方が、解説をふたつ返事で引き受けてくださっていますので。

文中の『夜と霧』の前訳者、霜山徳爾先生は、昨年10月7日に90歳の天寿を全うされました。ガンと10数年、共存なさった晩年でした。なのに、『夜と霧』の翻訳に難渋しているわたしに、いつも「あなた、おからだだいじょうぶですか?」と、労ってくださいました。イラク戦争反対への賛同をお願いすると、「僕の名前でよかったら、なんでもお使いなさい」。ノブリス・オブリージュそのもののような方でした。

写真、けっこう気に入っています。お願いして借用し、このブログの写真と入れ替えようかと企み中です。なにしろ、今使っている写真は、4年ほど前の古いものだからです。インタビューのタイトルは「世界はシンプルだということを伝えたい」。そんなこと言ったっけ、なのですが、こちらからどうぞ。

ついでに書いておきます。このインタビューもあります。こちらは、20代を語っています。やってきたインタビュアーは、よく知っている人でした。息子だったのです。名詞を見たら、なんと鎌仲ひとみ監督と同じ会社。フリーランスなのですが、ここの仕事もやらせてもらっていることを、その時初めて知りました。実の息子に、改まって恥多き若い頃のことを語るなんて、お互いやりにくいったらありませんでした。でも、幸せでした。

さらについでに書いておきます。あとふたりの息子は、大学在学中にわたしの授業を聞いてくれました。その時も、わたしは内心、幸せで舞い上がっていました。すべてはこの日のためにあったのか、と思ったほどでした。ごめんね、朝も夜も、あなたが家にいる時間帯に机にかじりついていたのは、あるいは朝、寝ぼけ顔で「行ってらっしゃい」なんて言っていたのは、こういうことをやっていたからなのよ、と心の中で叫んでいました。

ひとりは、当時教えに行っていた大学に通っていたからです。じつに複雑な顔をして、最後列に座っていました。もうひとりが通っていた大学では、教えていませんでした。息子が構造言語学の担当教師に、「母がおなじようなことをやっている」と言ったら、「では一度、ゲストスピーカーに」ということになったのです。わたしは当時、言語学ではなく、昔話の構造分析をしていました。息子は、わたしがやっていることに無関心のようで、ちゃんと見ていたのだと、喜んでお受けしたところ、「授業は英語で」と言う。そんなこと、できるわけがありません。入試要項を引っ張り出して隅から隅まで読み、「日本語か英語ができれば全単位修得可」という文言を見つけ、なんとか日本語でやらせてもらいました。

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箱根駅伝

昔、早稲田と中央でドイツ語を教えていました。どちらも箱根駅伝の強い学校です。今も強いけれど、そのころはもっと強かった、2学で熾烈な先頭争い、優勝争いをした年もありました。わたしはテレビの前で、「どっちでもいいけど、がんばれー!」なんて、無責任な声援を送っていました。

早稲田でも中央でも、わたしは文学部に所属していましたが、早稲田で担当した授業に、第二文学部の上級ドイツ語がありました。必修ではなく、ドイツやドイツ語の好きな学生が自由に選択する授業です。10数人のこぢんまりとしたクラスで、和気藹々と、そのころわたしも字幕翻訳にかかわったドイツ映画「ベルリン・天使の詩」を観たり、シューベルトの歌曲を聴いたりして、映像芸術や近代初頭のドイツ文化について、おしゃべりしていました。

箱根駅伝のテレビ中継では、走っている選手を紹介します。ある年の早稲田の選手の紹介を聞いて、びっくりしました。

神奈川出身のかれは、子どもの頃から沿道で箱根駅伝を見てあこがれ、なかでも、早稲田のえんじ色のたすきにあこがれた、いつか自分もあのたすきをかけて走りたい、と。当時は早稲田にもスポーツ枠の入学がありましたが、かれはその選考には漏れた。それで、いろんな学部を受けて、一浪で第二文学部に合格した。スポーツ枠で入学した学生は、所沢キャンパスの人間科学部に属し、寮に入って、所沢グラウンドでトレーニングを積みますが、一般入学のかれは、早稲田キャンパスの文学部で授業を受け、1時間かけて所沢に通ったそうです。毎日、毎日。同じ陸上部に属しても、練習におけるスポーツ枠入学者と一般入学者の扱いは異なります。かれは「その他大勢」のひとりとして、黙々と走り続けて徐々に頭角を現し、ぎりぎり4年生になってついに念願の選手に選ばれた、そして今、箱根路を走っている。

改めてそのハンサムな横顔を注視すると、なんと、2年前に上級ドイツ語クラスで、1年間いっしょに勉強した学生です。いつもにこにこと、心から授業を楽しんでいました。出席率も悪くありませんでした。所沢でくたくたになって、電車に揺られて新宿早稲田に戻り、夕方からのわたしの授業に出ていたのだ。陸上部で箱根をめざしているなんて、コンパでもひとことも言わなかった。もしも、なんらかの事情で単位が必要なのだったら、万一出席が足りなくても、いくらでもあげたのに、評価Aだってあげたのに……おいおい、と自分でツッコミを入れたくなる問題発言ですが、そのときの動顛のなかでの正直な気持ちです。テレビの前で、わたしはまさに滂沱の涙でした。

正月2日3日、箱根駅伝を見るたびに、かれを思い出します。今、どうしているだろう、あんなすごいことをなし遂げたのだ、きっといい人生を送っていることだろう、と。

一人ひとりさまざまな思いを抱く若い人びとの一瞬の輝きに、今年も心からの声援を送りたいと思います。
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アクセスの多かった日の記事 12月

今年も終わろうとしています。一念発起でブログを始めて早、半年。ブログは、出来事に反応して即座に考えをまとめる訓練になると感じています。もしもその考えが間違っていたら、なぜ間違えたのかを、あとからたどることもできるでしょう。そのばあいは、あえて自分の不明を晒すことになるわけですが、それもいいかなと思います。みなさま、これからもいろいろなご指摘、ご教示、よろしくお願いします。

今月、アクセスの多かった上位3本です。

1位 13日 
辺野古の目はなくなった
2位 25日 嘘をついている人の顔 「呼びつけられた」藤崎駐米大使
3位 9日 NHKは世論操作をやめて! 普天間・辺野古

期せずして、普天間・辺野古問題が並びました。月間を通して、あるいはこれまでのどの月も、そういう話題が多かったこともたしかです。ある方がご自身のブログに、「女性のブログにしては珍しく安全保障問題を取り上げる」というようなことを書いておられましたが、べつにこういう話題が好きなわけではありません。また、辺野古や高江に行けば、そこにいる半数はもちろん女性です。もしもわたしが男性であっても、これは喫緊の課題のひとつと考えると思います。ですから、女性であっても、もちろん。

ほんとうに、辺野古の目はなくなりました。一時的に嘉手納へ、あるいは最近浮上した下地島などへという可能性は消えていませんが、2案とも難題山積ですから、実質、「県内」はなくなったと見ていいと思います。なぜなら、鳩山さんは、5月までに結論を出すそうですが、自民党沖縄県連は、この問題が年を越したら辺野古案反対に転じると、自民党本部に通告済みです。そうなると、来年、沖縄は県ぐるみで辺野古案反対になるからです。辺野古の作業は続いていますし、予断は禁物ですが、来月の名護市長選挙で辺野古案つまり「日米『旧政権間』合意」反対候補を、わたしたちがどれだけ圧勝させるかが鍵だと思います。

鳩山さん、意を強くしてください。あなたが主張してきた米軍常駐を廃するという方針は、限りなく正しいからです。占領軍が銃とブルドーザーでつくった基地が60余年居座り、しかもそれに毎年、巨額の貢ぎ物をし続けるなどということは、どう見ても異常です。世界にこんなところはありません。主権者である住民をアメとムチで分断統治するというやり口を、旧政権ないし外務省と防衛省は植民地支配から学んだのでしょうが、そんなことを踏襲するのは、民主主義によって正統性を付与された政治家として恥だと、肝に銘じていただきたい。嘉手納は封鎖、県内転がしはもうしない。まずは、安保とも「抑止」ともおよそ無関係の海兵隊常駐廃止への突破口であるこの一事をなしとげて、歴史に名を残してください。

ふう、かっかしてしまいました。

アクセスの少なかったのは、以下の記事です。

1位 6日 
校舎になった兵舎 友部にて
2位 1日 自民党終わってるかも 町村サンの野次
3位 5日 「アメリカか連立か」って本気で言ってるの?

こちらも、2本までが辺野古問題です。3位の記事で言ったことは、今ますます言わねばならないと感じています。繰り返しになりますが、鳩山さんは連立を組む前から「県外・国外へ」と主張してきたし、その年来の政治理念は「米軍常駐なき安保」です。マスメディアは、そのことを忘れたフリをしています。

今月の珍現象は、23日に先月25日に書いた「”やねだん”に行ってきました」へのアクセスがたくさんあったことです。メールをくださった方がいて、その日やねだんがテレビで取り上げられたことを知りました。わたしも、テレビで興味のあることをやっていると、すぐネットで調べます。そういう方は多いんですね。でもやねだんの記事を読み返してみて、そうやってこのブログにたどりついてくださっても、情報としてはあまりお役に立たなかったのではないかと思いました。写真もぼけていますし。すみませんでした。

来年は、写真を充実させることが課題、というご意見もあります。記事が長すぎるというご意見には、心してお答えできるようにします。が、短時間で書くので、長くなってしまうのです。なんとか解決すべくがんばります。

みなさま、よいお年をお迎えください。
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みなさん「天皇」お好きなんですね 2題

週刊誌などの見出しに、「○○天皇」という表現が躍ることがあります。今も誰かさんがそう呼ばれています。きのうは、かつてそう呼ばれた人の裁判で、有罪判決が出ました。

「○○天皇」とは、大企業や政党、あるいは官公庁やその周辺団体、NHK、学校など、それなりの規模の組織で絶大な権力を握り、好き勝手なことをしている人、というほどの意味のようです。

それが、陰口の域を超えておおっぴらに使われ出すのは、「○○天皇」のご威光に翳りが見えはじめた時や、なんとしても引きずり降ろそうという意志が生まれた時です。それまで、その横暴のもとで不満を抱えていてもものも言えなかった、だけどもう言うぞ、というわけです。

歴史をふりかえると、天皇に政治的権力がなく、現行憲法の象徴に近い位置取りをしていた時代は、天皇が実質的な権力を握っていた時代より長く、むしろそちらが常態だったぐらいです。戦後公職追放になったアイロニーの文芸評論家、保田輿重郎は戦中から、天皇が強い時代はろくなことがなかった、弱い天皇こそがいい天皇であり、このくにの美の源泉だ、という論陣を張りました。

そんなふうだから、象徴という、世界の憲政史上初めて登場した概念も、すんなり受け入れられたのだろうと思います。そもそも、戦後、憲法を起草する過程で象徴天皇を提案したのは、日本側でした。王政と袂を分かつために生まれたアメリカというくにの人びとに、王政にたいするセンスを期待するのはむりで、かれらに象徴という妙案が思いつけるものではありません。その後、王を象徴とする日本国憲法のまねっこは、世界の憲法にいくつも登場しました。

ともあれ、天皇は権力ではなく権威の源泉だったし、今も象徴という言い方で、その性格を保持しています。ですから、絶対的な権力を自分に集中させたワンマンな組織の長という意味での「○○天皇」というたとえは、実態に照らして間違っています。そして、「○○天皇」は悪口と決まっているのです。これ、ウヨクさんならずとも、「天皇」大好きなみなさんは気にならないのでしょうか。抗議したという話は、寡聞にして知りません。みなさん鷹揚なのか、あるいは「天皇」のイメージが分裂していて、しかもそれが意識されていないのか、わたしにはわかりかねます。どなたか、教えてください。


もうひとつ、お話をします。

数年前のことです。講演のあとの質問タイムに、高齢の男性が言いました。

「近ごろの皇室をどう思いますか?」

そういうお話をしたわけではまったくなかったのですが、話をしに来たよそ者に、個人的に気になっていることをなんでも聞いてやれ、と考える方はよくいらっしゃるもので、そのたびに面食らいます。この方は後継問題などを念頭に置いておられるのだろう、と推測しましたが、わたしはたまたま、ある歌が気にかかっていたので、それについてお話ししました。ある歌とは、戦後60年の正月の、歌会始の天皇の一首です。

戦(いくさ)なき世を歩みきて思ひ出づかの難(かた)き日を生きし人々

この年の「お題」は「歩み」。ほかの皇族の歌が、具体的な場所を挙げ、そこを静かに歩むことのみずからの満ち足りた思いを表現するなか、これにはおや、と思いました。世を歩むという、抽象的な次元でこのことばが使われている、しかも「戦なき世を」、です。そして作者の思いはみずからの内面ではなく、「かの難き日を生きし人々」に焦点を結びます。それは言うまでもなく、15年戦争の時代、そして戦後の混乱期を生き、また死んだ人びとです。

第二次世界戦後、一度も戦争をしたことのない、徴兵制を敷いたことのない先進国はこのくにだけです──わたしはそんなふうに、答えをしめくくりました。終了後、ホールの入口で本にサインをしていたわたしに、高齢の女性が2人までも、「天皇さまは戦争がお嫌いなんだね」と、うれしそうに念を押して帰って行きました。「はい、わたしはそう思います」とお答えしましたが、このくにの人びとは天皇が好きなんだ、そんなことを考えながら、筆ペンを走らせた一夕でした。

この日は、ダグラス・ラミスさんとつくった絵本、『やさしいことばで日本国憲法』がことのほかよく売れました。天皇も平和憲法も好きという層がぶ厚く存在する……このくにの一面を垣間見た気がしました。
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ツイッターってどうなの?

ブログの管理画面にはアクセス解析というページがあります。そのなかに、「リンク元」というのがあって、どのサイトでこのブログを見つけて訪れてくださったのかがわかるようになっています。

最近、twitterという文字列をふくむリンク元URLが急増しています。そこに飛んでみると、ほんの数行の投稿がざざーっと並んでいて、まさにtwitter、おしゃべり、つぶやきです。

みなさん携帯メールのノリで、ちょこちょこっと書かれるのでしょう。そこに、いろんなURLも出ています。でも、この書き込み全体の意味がよくわからない。書き手の時間の流れに飛び込まないと理解不能なのでしょうか。

でも、たとえば12月17日の
http://twitter.com/kappamanにこんな「つぶやき」がありました。

RT @
hanayuu: RT @yoshitaka_w: Twitter始めて、ますますテレビのニュースは見る気なくなった。いかに偏向報道してるかあらためてよくわかる。日本で1000万人ぐらいがTwitterやるようになったら、メディア・リテラシーが高まり、マスコミは完全に淘汰

ふうん、そうなんだ。ネットにはさまざまな情報が飛び交い、それらは必ずしもマスメディアの情報とは一致しません。マスメディアには流れないけれど、きわめて重要と思われる情報も多々あり、このブログもそうした情報をさらにネットに流す、ということをしてきました。伊波宜野湾市長のグワム環境アセス分析がそうですし、きのうのクローリー次官補記者会見がそうです。

それをtwitterユーザーがまた広める。twitterは即応性に優れていると言われます。ブログもメールマガジンもメーリングリストも、送信即受信で、すぐ見るかどうかは別として、即応性をそなえているのでは、と考えるわたしは、twitterのなんたるかがまったくわかっていません。

わたしの周りの人びとも、続々とtwitterを始めています。なんだか落ち着かない気分です。でも、そんな余力ないし、わたしはそんなに忠実(まめ)ではないし、ましてや雨あられと降り注ぐほかの方がたの「つぶやき」をフォローするのは無理。だけど、わたしよりも忙しそうな方もやっています。ブログやって、mixiやって、twitterやってる猛者(もさ)も。

今のところ自分はやらない、と表明している人もいます。たとえば、河野太郎さんはそのメルマガに書いていました(
ごまめの歯ぎしり12月11日号)。

でも、kappamanさんがおっしゃるように、twitterユーザーが1000万人になればマスメディアが変わるなら……うー、考えこみます。

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「村の鍛冶屋さん」

20091210f大阪から中国自動車道を高速バスで2時間あまり、宍粟(しそう)市の山崎で、鍛冶屋さんを発見しました。

そのバスでさらに2時間走った終点、津山で、かつて高齢のご夫婦がいとなむ鍛冶屋さんを訪ねたことを思い出しました。

おばあさんが炉の火加減を見、おじいさんが鎚をふるう。

「ふいごさまはどちらまで?」わたしがそんな質問をすると、おじいさんは喜んで、「ばあさんや、お茶淹れてくれ、まんじゅうがあっただろう」。まるで落語みたいな展開でした。「ふいごさま」とは、鍛冶屋さんが信仰する神さまのことで、お参りするふいごさまは鍛冶屋さんごとに決まっているのです。あのときは、小振りの出刃包丁を購いました。

こんどもまたそんな会話ができるかと、中をのぞくと……。


20091210e人の気配がなく、炉も長らく冷え切っているようでした。














20091210d仕事場は静まりかえっていました。















20091210cガラス戸の向こうには、かつてつくっていた鍬。昔、鍛冶屋さんは、使う人の体格や、その人独特の作業のしかたを踏まえてつくったものだそうです。よく知った仲だからこそ、そうしたこともできたのでしょう。

晩秋の陽射しの中、鍬は美しい光を放って、ここに鍛冶屋あり、と誇らしげに休らっていました。







20091210bいまは、研ぎでしのいでおられるのでしょうか。











20091210a道を隔てて全貌をおさめました。カメラを構えるわたしのうしろはコンビニです。その隣は、この町でいちばん大きなホテル、ホテルの向かいは市庁舎。鍛冶屋さんのまわりは、いつのまにか町の中心部になっていたのです。鍛冶屋さんだけを昔の村の時間のなかに残して。

 

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校舎になった兵舎 友部にて

11月15日に、12月になったら茨城の友部に行く予定だ、と書きました。

きのう、その友部に行ってきました。目的は、県立友部病院を訪れることです。そこは戦中、筑波海軍航空隊基地だったのです。さまざまな資料もいただいてきました。これについては後日書くことにして、きょうはひとつだけ。

戦争末期、ここは特攻隊の訓練基地でした。その訓練生たちの兵舎は「神風(じんぷう)寮」と呼ばれていましたが、戦後は友部中学の校舎として使われたそうです。
おととい、校舎と兵舎は同じ建築基準によってつくられた、と書きましたが、そうだったからこそ、この転用は容易に行われたのだろうと推測します。

やっぱり、校舎は兵舎だったのです。ひところ流行った「学校の怪談」では、校舎が元は軍の病院などだったりします。真偽のほどはともかくとして、これは、子どもたちの無意識の直感が校舎に兵舎を、つまり国家意志に従順な、ときには命をさしだすほどに従順な国民を育成する施設を見抜いていたために生まれた意匠だったのか、と思い至りました。数年前に友部で話をしたなかで、学校・軍隊・税制は近代国家の三大装置だ、と語ったときには、学校と軍隊がその設備においてこれほど重なった例が、講演会場の目と鼻の先にあるなどとは、夢にも思いませんでした。
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アクセスの多かった日の記事 11月

今月は異変がありました。単純にアクセスの多かった日は以下のとおりです。

1位 13日 
「殺人」へのまなざしが変わる
2位 16日 なんだかなあの大統領
3位 10日 オキナワのMARINEちゃん

なのですが、1位はこの記事の「実力」ではありません。この日、禁煙ファシズムと戦う会会長小谷野敦さんが、先月26日の「いとしい吸い殻」を発見し、ご自身のブログにほんのひとこと紹介してくださったところ、会員とおぼしき方がたが大挙してこの過去記事を読んでくださった、という事情があります。会員ないし小谷野さんシンパのみなさまのご訪問は、その後も続いています。恐るべし、反禁煙ファシズム勢力。

この「組織票」をのぞくと、順位はこのようになります。

1位 16日 
なんだかなあの大統領
2位 10日 オキナワのMARINEちゃん
3位 5日 検証「イラク戦争何だったの!?」

アクセスの少なかったのは、以下のとおりです。

1位 8日 
二人の少年は何を書いたか&わたしのエシカルファッション
2位 7日 世界平和アピール七人委員会@名古屋
3位 29日 誘惑のオペラ5 エルザの場合

わたしのファッションはどうでもいいのですが、少年たちのエッセイは読んでいただきたかった……。2位は、ただのお知らせだったからでしょう。3位は、おおかたの読者には、なんのこっちゃ、だったのだろうと思います。

月末のアクセスランキング、ほとんどわたし個人のために書いています。みなさんの時間をどろぼうしてすみません。
 
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日本ハム・ダルビッシュって面白い

投げているところを見たことはありません。写真ぐらいしか。かっこいいですよね。高校生のころから、実力も人気もたいしたものだとか。わたしはプロ野球に疎(うと)いので、そのくらいのことしか知りませんが、でも、「日本ハム・ダルビッシュ」とは面白いことばの組み合わせだなあと思います。

まず、球団名の日本ハム。このくにの伝統食では、肉食は特例的だったので、ハムという保存食は明治以降に入ってきて、戦後しばらくしてから一般に広まりました。「日本」と「ハム」は出会って日が浅いのです。

そして「ハム」と「ダルビッシュ」です。ダルビッシュ選手のお父さんはイラン人、つまりイスラム教徒です。選手は有(ゆう)さんという名前ですが、ほんとうは「あり」と読み、これはイスラムの聖人「アリー」にちなんだ名前だそうです。ですから、選手本人はもしかしたら豚肉からつくるハムを食べるかもしれませんが、名前からすると、食べないことが前提になっている。「ハム」と名前としての「ダルビッシュ・アリー」は交わらない。

たがいになじみの浅い、あるいはなじまない「日本」と「ハム」と「ダルビッシュ」が合わさって、あの長身でハンサムな若きプロ野球選手ができあがり、ファンの声援を集めています。面白いと思うのはそのことです。

この列島に生きてきた人びとは、他者を否定せず、なんとか折り合いをつけることで、混淆のなかから生活様式を編み出してきました。「折り合う」は、古くは「居り合う」と書いたように、異質を前提にした集団がひとところで生きるためにおたがい妥協することでした。自然信仰や祖先信仰の地付きのカミも、記紀の外来のカミも、そして仏も、すべて折り合いがつくとしてしまう過激なほどの多文化共生が、この列島の真骨頂なのでした。

島国根性と言いますが、島国なら大海原にひらかれていますから、人びとはそれを前提にさまざまなことがらを発想しました。真の島国根性はあけっぴろげなのです。幸は海のかなたから流れ寄るものでしたし、海の向こうにはすばらしい世界がある、あるいは死後はそこに行けるとする観念は、沖縄からずっと黒潮の流れに沿って広がっています。また近世、ヨーロッパから列島にたどりついた何人もの人びとが書き記しているのは、わらわらと浜辺に集まってくる大人や子どものほほえみと、控えめで礼儀正しいふるまい、そして質素だけれど清潔な衣服です。人びとは、海からやってくる「異人」を撃退するのではなく、歓待したのでした。

それがおかしなことになったのは、万世一系の貴い家系があって、すべての人はその分家だという、コテコテ内向きの純血イデオロギーでこの列島をまとめようとした、近代以降のことではないかと、わたしは疑っています。当時の世界情勢からは、まとめる以外に選択肢はなかった、だからそこには一定の合理性はあった、という見方はありうるでしょう。

でも、もういいかげんそうしたイデオロギー、つまりは物語ないし共同の幻想は、存在理由を失っていると思います。みんなそれを心の深いところで知っていて、いつのまにか列島の本然に戻っている。だから、ダルビッシュ有選手に、日ハムファンだけでなく、女性たちも夢中になるのだと思います。これこそこの列島にいにしえより培われてきた正統な伝統です。いい光景です。
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「すげーうめー!」

先日、ある教育者とお話をしました。先生は、若者のことばの乱れを憂慮しておられるような印象をうけました。

乱れとは、ある標準や基準があって初めて認識されるものです。日本語には共通語とされるものがあって、それはそれで便利です。遠方に行くと、相手の方のお話が半分もわからなくて往生することがたまにあって、共通語の便利さを改めて噛みしめたりします。

江戸時代、共通語は武士の間や花魁(おいらん)とのやりとりぐらいにしか存在しませんでした。ですから、伊賀と江戸のことばしか解さなかったであろう松尾芭蕉が、宿のふすま越しに漏れ聞こえてくる越後の女たちの話を理解できたはずがないと、わたしは思います。あれは創作。松尾芭蕉という文学者の嘘です。

それはともかく、ことばの乱れを嘆く心性は、国家が一糸乱れず統一されているのをよしとする心性とどこかでつながっているようで、どうも苦手です。それはいわゆる上から目線でなされる取り締まりの色合いを帯びています(「目線」という語の多用も気になる現象ですが、それはまたこんど)。

かつて、「ら抜きことば」が話題になったころ、それを翻訳に使ったというので、やり玉に挙げられました。『ソフィーの世界』でのことです。NHK教育の番組で、ゲストの「識者」に「困りますねえ」なんて言われてしまいました。こういうのは、こちらに反論の機会がないので、それこそ困ります。

「ら抜き」は名古屋地方などでは古くから使われているれっきとした活用です。「られる」だと、可能か受け身か尊敬か、とっさの判断が要求されるので、聞く者に緊張を強います。「ら抜き」なら可能の意味しかないので、わたしは合理的だと思います。

ことばには、時代を経るにつれて合理的に、シンプルになっていく傾向があります。インド・ヨーロッパ語族のなかで、確認できるもっとも複雑な文法をそなえているのは、現存する最古の文書に使用されたヴェーダ語で、もっともシンプルなのは英語です。英語で「三単現のs」と言ってしまえる活用の法則は、ヴェーダ語だと厚さ2、3センチの本になります(そのドイツ語の本はもっていますが、トホホなことに読んでいません)。シンプルさをめざすのは、ことばに内在する生理のようなものです。

そうは言っても、わたし個人は話しことばでも「ら抜き」は使わないし、書きことばで使うときも、「ら抜き三原則」を定めています。それは、
・可能か受け身か紛らわしい(尊敬は区別できます)
・複合動詞である
・原則、話しことばである
たとえば、「狐が……入って来れないように、垣根を直したんだよ」というようなばあいなどです。

ことばは変化する生き物です。自分は「着れる」「食べれる」とは言わない、という方針を立てるのはいいとしても、「ら抜き」を使う人に眉をひそめるのは、わたしは僭越だと思います。「ら抜き」どころか、このあいだは音便まで否定する方に会って、面食らいました。その方はたとえば「すいません」が許せない、「すみません」でないとだめだ、と言うのです。書きことばなら不適切な場面もあるでしょうが、話しことばで「すいません」がだめだなんて、厳しすぎるとわたしは思います。

かく言うわたしも、最近の若者ことばで気になることがあります。それは、女性のぞんざいな物言いです。「めし」「くう」「すげー」「うめー」など、おとなの神経を逆なでにすることを意図しているのなら、まだわかるのです。女ことばと男ことばに違いがあるなんておかしい、という異議申し立てですし、社会批判だからです。若者の反抗は、反抗される側としては受けて立つ覚悟を固める以外ありません。さあ、どこからでもかかってらっしゃい、というわけです(反論の根拠は「お姉ことば」の効用にありますが、これもまたこんど)。

ところが昨今は、そういう意識もなく、これらがぞんざいなことばだという認識もなく使われているようなのです。テレビでかわいらしい女性タレントが、「うまい」なんて言っているのを聞くと、古い人間としてはどう反応していいのかとほうに暮れ、虚脱感を覚えます。
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アクセスの多かった日の記事 10月

ブログを始めてから、4カ月がたちました。あっというまの4カ月でした。「笑いながら怒っているブログ」との評を複数いただいています。竹中直人さんの「笑いながら怒るオジサン」という至芸みたいで、ちょっとうれしい。

いえ、よろこんでいるばあいではなくて、それはこの右上の笑っている写真の効果でしょう。これは5年ほど前のものです。アラ還の5年の経年変化には、大きなものがあります。近日中になんとかしたいと思っています(写真を近影に変える、ということです)。

今月になって、管理ページのアクセス解析で、1時間単位のアクセス数がわかることを知りました(トロい話です)。朝の3時台4時台に、パソコンから、携帯電話からアクセスしてくださっている方がた。どんな方のどんな生活の一齣(こま)なのだろうと、ちょっと胸が熱くなります。

朝7時から10時に1回目のピークが来ます。パソコンを立ち上げたときに覗いてくださる方がたがいるのだろうかと、うれしいとともに責任感のようなものを感じます。

わたしは、いままでは印刷物に文章を発表してきました。そこでは当然、いつ何人の方が読んでくださったかということはわかりません。ところがブログに書くと、インターフェースの向こうにアクセスしてくださっている方がたが刻々リアルに感じられ、これは新鮮な経験です。また、紙媒体だと、「文壇」「論壇」とも言うように、壇上から発言しているような趣があるのかな、とも気づきました。それにたいして、ネットは平場です。そういうところもいいなと思います。

これからも、アタマや心の風通しをよくしたり、考えるとっかかりを提供したりできるような記事を書いていこうと思いますので、よろしくお願いします。

よく、「いつ書くのか」とのお尋ねをいただきます。朝、筆慣らしならぬ指慣らしにざっと書き、一日なんとなく考えていて、夜、投稿予定時刻の前に見直す、というのが一般的です。また、「あんなに長いものをよく書く」とも言っていただきますが、長いのは推敲がじゅうぶんではないからです。本業があるので、あまり時間をかけることができないためです。読んでくださる方には申し訳ないので、なるべく短くと心がけてはいるのですが、なかなかうまくいきません。

さて、今月もっともアクセスの多かった日の記事です。

1位 8日  
緊迫する祝島「ちょっとくらいの放射能」
2位 7日  政権交代「劇的ビフォーアフター・情報公開篇」自衛隊はイラクで何を運んだか
3位 14日 政権発足4週間 記者クラブはどうなった?

1位の祝島の記事には、携帯電話からのアクセスが殺到しました。若い方が読んでくださったのでしょうか。おとといの明け方も、中電は不意打ちでブイを設置。このことは改めて書きます。2位は、近藤ゆり子さんが開示要求によって入手した資料の映像をご紹介したのが、圧倒的支持をいただきました。3位の記者会見問題ですが、じわじわと公開する省庁が増えています。これも、いつかまとめて経過をご報告します。

もっともアクセスが少なかったのは、以下のとおりです。

1位 24日 
風邪をひきました
2位 18日 あと1週間で丸7年 ある政治家の死
3位 22日 41度目の正直「東京モーターショー」

1位は、そりゃそうだ、です。2位の石井紘基さんお命日は、政権交代を期に、「埋蔵金」や天下り公益法人の闇に単独で挑んだ方の非業の死を、ひとりでも多くの方に思い出していただきたく、書きました。

3位については、わたしの不明を指摘くださった方がいます。自動車産業において、「モーター」は一般的な発動機という意味で使われ始めたのではなく、GM(ゼネラルモーターズ)もフォードモーターズも、創業時は電気自動車を念頭に置いていたので、まさに電動機を意味する「モーター」を社名に掲げたのだそうです。それが、T型フォードの成功と、テキサスでの油田発見によって、あっというまにガソリンエンジンが主流になったのだそうです。知りませんでした。自動車産業は、初心に戻ったわけですね。教えてくださった方、ありがとうございました。


ついでに。
きのうの国会、鳩山首相の胸には赤っぽいリボン。あれは、児童虐待防止キャンペーンでしょうか。それとも、エイズ防止キャンペーン? 長妻厚労相もつけていましたが、どちらも長妻さんの担当ですので、判断の決め手にはなりません(厚労相は忙しすぎ、なんとかならないのでしょうか)。いろんなキャンペーンがありますから、これからもいろいろおつけになるのでしょうか。キャンペーンに関わっていらっしゃる方がたは、「つけて」ってプレゼントしたらいいかもしれません。
 
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二人の少年

一人は高校生。見上げるほど体格がよく、きちんと詰め襟のホックを留めて、紅潮した顔に汗すら浮かべています。むりもありません。世界各地から来た人びと、国会議員(自民党の丸山和也さん)、有名なロックンローラー(サンプラザ中野くんさん)が満員電車状態でひしめきあう中で、かれはある賞をうけるのです。

「山仕事でたいへんなのは、山は斜面だということです。ぼくは何百回も転げ落ちました」

かれの受賞の言葉の一部です。かれは東京のど真ん中に生まれ育ち、スピーチしているのは原宿のとあるビルの中。若さとはまぶしいものです。ふとしたことから林業に目覚めたかれは、北海道に行き、千葉の山に入り、山仕事の先達たちに導かれながら、植林した山の草刈りをします。そうやってからだを動かす中で考えたことを、鎌を研ぐ音や草いきれや息づかいが迫ってくるような、すばらしいエッセイにまとめた、それが最優秀賞に輝いた。

もう一人は、きゃしゃな中学生。長く日本に住む両親に参政権がないのはおかしいと、作文に書きます。ところが、そのことを母親に言うと、「よけいなことを」と言われてしまう。すると、身の回りの小さな幸せをたいせつに思っている母の立場はわかる、とこの中学生は言うのです。親の意見にすなおになるのがむつかしい、この年頃の少年が。でも、「多数のために少数が犠牲になるわけにはいかない」、自分は政府に参政権を要求し、この社会に参加して、「幸せになるつもりである」。

こんな美しい言葉に、わたしは久方ぶりに出会いました。ほんの短いエッセイですが、美しい心から出た言葉の一つひとつが重く、涙なしには読めませんでした。「受賞してうれしいです」、おおぜいの大人に囲まれて、かれはようやく言いました。

ジュニア対象のアワードではありません。おびただしい応募作の中からもっとも優れた作品を選んだら、たまたま二人の少年が受賞したのです。選考の基準は、「環境・平和・人権について、身近なところで行動する中から構造的な問題を発見し、その解決を見出そうとする作品」。主催団体はグリーンピース・ジャパン。20周年を記念して、この賞が設けられました。受賞作は近々GPのサイトにアップされます。そのときはお知らせします。岡部憲和さんと李珍京(イ・ジンギョン)さんの作品、ぜひ読んでいただきたいと思います。こんな若者がいると思うと、そしてきっと増えていくのだろうと思うと、胸が熱くなることうけあいです。

わたしは、総評と賞状などのプレゼンターをつとめました。二人とも、満面の笑みのやさしそうなご両親がいっしょでした。「親の顔が見たい」と思っていたわたしは、4人の親御さんたちを思い切り祝福して、こちらまでこぼれ幸いをいただきました。
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いとしい吸い殻

ある医科大学の学園祭に行きました。もちろん、キャンパスはすべて禁煙です。医師を養成する大学が、そこに学ぶ若者に喫煙の習慣を奨励するわけはありません。喫煙はいまやWHOのお墨付きをえた、健康にたいする極悪非道の悪役ですから。

ところが、キャンパスの通路に、タバコの吸い殻がひとつ、落ちていました。不心得者はどこにでもいるものだと、わたしはなんだかうれしくなりました。

うれしくなったなんて、おかしいですか。よくないことをみんなでやめよう、というのはいいことです。あたりまえすぎて、書いていてばからしくなるほどです。でも、どんなにいいことでも、また、みんながやっていることでも、なぜか背を向ける人間はいるものです。わたしは、そういう人間をいないことにしてしまおうとするのは、怖いと思う者です。

全体の足並みを乱す不心得者をも包みこむ社会、そういうのがいいなあと、タバコへのイントレランス(非寛容)がますます進むこのくにの現状を思って見ると、吸い殻がなんだかいとおしくなってきました。

ついでに言うと、タバコがここまで悪者になったのは、人間の寿命が延びたからでしょう。昔は、タバコに由来するガンや心臓病を怖れる前に、人は感染症などで命を落としていましたから。長生きがタバコ悪役論の根拠だと書くと、逆説めいてきますが、そういうことです。

帰りの新幹線のぞみ、驚いたことに喫煙車がありました。700系でないのぞみもまだ走っているのですね。シートに体を沈め、感慨を込めて一服しました。

はい、わたしは喫煙者です。
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風邪をひきました

新型インフルエンザではなさそうですが、ここ数日、回らない頭がますます回りません。手洗いなど、まめにやっていたのですが、ついにかかってしまいました。講演が控えているので、休んでもいられませんが、講演後に本にサインするときはマスクをかけなければならないかもしれません。なんだかなあ、ですが、しかたありません。

ときに、いつまで「新型」インフルエンザと呼ぶのでしょう。豚インフルエンザではなかったのでしょうか。メキシコの養豚場で発生したとされているのですから。あの養豚場はアメリカ合衆国の企業の所有で、USAもメキシコもアメリカ大陸の国なのですから、「豚インフルエンザ」を採用しないのなら、「アメリカインフルエンザ」としたらいいのではないでしょうか。

その養豚場は、過密飼育や屎尿の垂れ流しで以前から問題になっていたそうで、生産された豚肉は日本にも輸出されていました。「メキシコ産」と表示してある豚肉は、もうとっくにわたしたちにおなじみです。あのなかには、この問題の養豚場由来のものもあったわけです。

だとすると、安くたくさん肉を食べたいというわたしたちの欲望が、この新型インフルエンザ発生の遠因だったことになります。経済的な強者の行動が、自分たちだけでなく多くの国の人びと、とくに経済的弱者の命を危険にさらしている。もうこういう消費のしかたは、考え直す時期に来ているのではないでしょうか。

そう言えば、スペイン風邪もアメリカで発生しました。第一次大戦でヨーロッパに渡ったアメリカ兵が持ち込んで、蔓延したのです。けれど、各国は交戦中なので、報道管制がしかれていたために、新型インフルエンザのニュースもおさえられていました。スペインは参戦していなかったので、その流行は報道され、しかも王室から死者が出たので、「スペイン風邪」ということになってしまったのです。ほんとうは「アメリカ風邪」だったわけです。

ブログをお休みしても、見に来てくださる方の数はなぜか減りません。申し訳なくなって、きょうはとにかく「書きました」。

みなさん、風邪にはじゅうぶんお気をつけください。
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41度目の正直「東京モーターショー」

土曜日から、第41回東京モーターショーが開かれるそうです。わたしは1度だけ、高校生のときに行ったことがあります。べつにクルマに関心があったわけではありませんが、何人かでなんとなく「行こうか」ということになって。当時、1966、7年ごろには、そんなノリで学生でも「高嶺の花」を見に行ったわけです。

今年は不況の影響というよりも、日本市場がたんなるローカル市場になってしまったことがはっきりして、規模も参加社も展示車も最盛期の半分、中国のモーターショーの10分の1の規模だそうです。

まあ、よろしいんじゃないでしょうか。というのは、国内各社とも、目玉はエコカー、とくに電気自動車(EV)なのだそうですから。量より質なら東京モーターショー、という評判が定まればいいのだと思います。

ところで、モーターショーと言い、モータースポーツと言い、エンジンで走るのになぜモーターなのか、これまでうっすらと異和感を覚えながら、この疑問をほったらかしにしてきました。このたび英和辞典で調べてみたら、なんのことはない、「モーター」はもちろん「電動機」という意味ですが、電気で動くものに限らず「発動機」という意味もあって、そこには「エンジン」もふくまれるのだそうです。それなら、ガソリンエンジンで走る「モーターカー」に、なんら不都合はなかったわけです。

それがここへきて、電気で駆動する正真正銘の、と言うか、狭義の「モーターカー」がこれからの自動車のなかに大きな比重を占めるようになるという。ハイブリッドカーも、半分は電気で走るわけですし。三度目の正直ならぬ、41度目の正直です。

ほんとうのモータリゼーションはこれから始まるのですね。そのために、原発や火力発電を増やすなんて話にならないことを願っています。言うまでもなく、走るときにCO2を出さなくても、電気をつくるためにCO2を出したり、危険な放射性物質を蓄積したりしたのでは、環境の観点から本末転倒です。
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プロフィール
おしらせ
「引き返す道はもうないのだから」表紙180


「引き返す道は

 もうないのだから」
(かもがわ出版)

・このブログから抜粋して、信濃毎日新聞に連載したものなども少し加え、一冊の本にまとめました。(経緯はこちらに書きました。)
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