社会・世界情勢

「夕顔棚納涼図」の悩ましさ 都知事選にことよせて

東京都知事選挙公示の前日、デモクラTV スタジオで、細川護煕さんのインタビューが行われ、わたしも立ち会いました。その模様は、宇都宮健児さんインタビューとともに、サイトトップからどなたでもご覧になることができます。

ウルマン、ニーチェ、蓮如、清厳宗渭。1時間のあいだにこれほどたくさんの詩人、哲学者、宗教者の引用が出てくる政治家のインタビューも珍しいと思います。 細川さんはまた、ある絵に言及しました。江戸初期の絵師、久隅守景(くすみもりかげ)の「夕顔棚納涼図」です。農民の親子が、ひょうたん棚の下にむしろを敷き、ゆったりと涼風に身をまかせている屏風絵です。この絵をめぐって、細川さんはある理想を語りました。


夕顔棚納涼図         久隅守景「夕顔棚納涼図」(部分)

それは、やみくもな経済成長では到達できない、「腹七分目」(と細川さんは言いました)で足るを知ることによって得られる至福の境地、というところでしょうか。細川さんは、日本でもっとも裕福な都市の首長選挙で、大胆なライフスタイルの転換を呼びかけたのです。しかも、絵のタイトルは知らなくても、見れば多くの人が、ああ、あれか、と思い至る名画の美をとおして、なつかしく新しい価値観を提唱したのです。

じつに魅力的な価値観です。これからの成熟社会では、ぜひとも考慮するべき思想です。すでにイタリアの農村では、スローフード運動に始まり、その発想が生活全体に及んだスローライフ運動が根付いています。

でも、とわたしは立ち止まってしまいました。この絵は夏です。家族は一日の労働の終わりに、家の中より外のほうが心地がいいので、おそらくは自分で丹精したひょうたん棚の下に、自分で編んだむしろを敷いてくつろいでいます。男の自負に満ちた表情も、若いのに威厳すら漂わせる女のたたずまいも、大切に育まれていることが見てとれる、まっすぐな子どものまなざしも、自立し、安定した生活への誇りに起因するのだと思います。

立ち止まったのは、スタジオに来るときにくぐった聖橋の下に、厳冬に家なく、段ボールで囲いをつくって眠っている人を思い出したからでした。大晦日に渋谷の公園を追い出された人びとを思い出したからでした。金満都市の濃い影にうずくまる、どうしようもなく生計(たづき)からも家族からも見放された人びとを思うとき、かれらと外形的に一致を見せるひょうたん棚の下の人びとは、強烈な皮肉の表象にも転化しうると、暗い考えをとつおいつしてしまったのです。

ところで、江戸時代の庶民の絵は、もちろん庶民が求め、所持したのではありません。上級の武士などが、絵師に描かせました。それは鑑戒画(かんかいが)というジャンルの絵で、為政者が戒めとし、支配者としての自覚を確認するために、身近に置いたのです。そこには、朱子学の影響が見てとれます。そうした来歴の絵に、熊本のお殿さまを祖先にもつ細川さんが惹かれたのは、ただの偶然でしょうか、それとも微苦笑を禁じ得ない、と書いてしまっていい事象なのでしょうか。

ひょうたん棚の下で、なにはなくとも大切な人たちと夏の夕暮れをゆったりと味わう。それは、わたしも理想だと思います。けれど、この理想を語る前に、あるいは同時に、政治家ならすべきことはないでしょうか。先日も、死ぬ前にお腹をくちくさせたいと、なにがしかの食べ物を盗んで捕まった、ふたりの野宿者のニュースが流れていました。野宿者だけではありません。弱い立場の、生きてゆくのも困難な人びとをどう手当するのか。それを語るのも政治ではないのか。

元宰相が語る哲学は、この社会にとって中長期的にはきわめて重要です。政治家が、価値観を変え、社会のあり方を変える理想を掲げたことには、新鮮な感動を覚えました。その理想への第一歩をしるすのは、早いに越したことはありません。インタビューが始まるまでの小一時間、親しくことばを交わさせていただきましたが、原発をこの理想と相反するものと位置づけた細川さんの思いには、みじんの嘘もなく、誠実さは疑いようもない、と感じました。宇都宮さんを応援するわたしですが、そのお人柄に触れて、すっかりファンになりました。

理想をめざすことと、いま目の前で痛んでいる人びとに早急に手当をほどこすことは、けっして両立しないものではないと思います。選挙戦は始まったばかりです。熱狂的な人びとに囲まれた遊説のようすを見るにつけ、元宰相にはそうしたことにも熱心であってほしい、と願わざるを得ません。悩ましい今日このごろです。



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漁師 陳春生のこと

台湾からピースボートに乗り込んだ陳春生さんに会ったのは、歓迎のディナーの席でした。浅黒い、筋肉質の陳春生さんは、軽く猫背になってぎろりとこちらに視線を投げ、なにやらひとりごとをつぶやきました。

どこにいても、自前のスタイルを通す人のようでした。テーブルを囲んだ人びとが、陳春生さんのことを紹介してくれます。そのいちいちを、隣に座る通訳さんがかれにささやきます。そのいちいちに、少しふんぞり返り気味に腰かけた陳春生さんがうなづきます。

「陳さんはね、 組合員1万人以上をたばねる漁協の組合長なんですよ」
「小さいほうだ、もっと大きな漁協もある」と陳さん。
「石原が尖閣諸島を都有化するといったでしょ、あのあと陳さんは、漁船千隻出して、尖閣海域をデモしたんですよ」
 陳さんが、大きな目をぎろぎろさせながらうなづきます。 
 こちらは、「まあ、そうだったんですか」としか言いようがありません。解説者が続けます。
「政府のお役人は、『領土のためにがんばってください』と言ったそうです。でも陳さんは、『領土のためにデモするんじゃない。 生活権を守るためだ』とつっぱねたそうです」
 陳さんが、また目をぎろぎろさせながらうなづきます。
 わたしはうれしくなって、言いました。
「石垣の漁師さんも、同じことを言っていましたよ。日本も中国も、政府が領土だなんだって騒ぐと、あのあたりでおちおち魚も捕れない、って」
 陳さんが、やおら口を開きました。
「石垣の漁師とは、もう話がついている。会って話をしようとしたんだが、言葉が通じない。しょうがないので、ビールを飲ませた。ところが、石垣の漁師は飲んべえで、酒が強い。しかたないので、ジョッキの中に小さなグラスを入れて、そこに強い酒を注いでからビールを入れた。やっと酔っぱらった。で、話はついた。こんどはいっしょにやる」
 陳さんが愉快そうに大笑いしています。通訳も入れずに石垣の漁師さんと会って、いったいなにを話すつもりだったのでしょう。酔っぱらったから話はついたとは、次回の共同行動の話がまとまったとは、いったいどういうことでしょう。

わたしはおおいに戸惑いながらも、海人たちは悠久の歴史をこのようにして交流してきたのだろう、と想像をたくましくしました。そして、陳さんや石垣の漁師さんたちこそが、あの島をめぐる海で生きてきた、島のほんとうの持ち主たちなのだ、と思いました。

ソフトボーダーという考え方があります。国境線をびしっと引くのではなく、種々の条件をあいまいに取り決める、新しい領土紛争解決の方法です。東京や北京の政治家や官僚にはにわかには理解し難いでしょうが、現場の生活者、このばあいは尖閣海域で魚を追う日本や台湾や中国の漁師さんたちなら、きっと合意できる、自然で合理的な考え方です。

話がまとまった暁には、漁師さんたちはあの、強いお酒をしこんだおそろしいビールで乾杯するでしょう。


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詩人ソ・ヘソンのこと

「池田さんの話を聞いていると、自分が日本人になったような気がしてくる」

複雑な面持ちで複雑な感想をもらしたソ・ヘソンさんは韓国の詩人、おそらく50代だと思います。男性です。

去年の秋、わたしたちはピースボートの船上で出会いました。日中韓台が、沖縄をいわばハブとしていかに友情を深めていくか、といった趣旨の 船旅での、シンポジウムの一幕です。友情と言うのなら、そのずっと手前で、相互の近現代史理解には溝があることをまず認めあわねばなりません。不快な作業です。

中韓台の人たちが不快なことはわかりますが、日本のわたしだって不快です。クルーズのとちゅう、釜山で合流したわたしは、こんな発言をしました。

「韓国人に会うのはいやです。韓国に行くのもいやです。中でも釜山だけは来たくありませんでした。

なぜなら戦争中、祖父が日本油脂の釜山工場長だったからです。燃料油が足りない日本は、韓国の松林を濫伐して、その根から油を絞っていました。松根油です。工場は、韓国の人びとを昼夜交代の12時間労働でこき使っていました。祖父は晩年、機嫌のいいときには、子どものわたしを相手に、そういう話をしました。祖父の絶頂の時代だったのだろうと思います。工場は危険に満ち、過労でつい居眠りが出てけがややけどをした工員たちの「アイゴー!」という悲鳴が響いていたそうです。祖父の話には、よく憲兵が出てきました。しょっちゅう工場長室に憲兵がいるのです。祖父の話は、子どものわたしには恐怖で、悪夢にうなされました。

「アイゴー!」という声を想像するのも恐かったけれど、やさしい祖父がこんな恐ろしい話に興じることが恐怖だったのです。そんな祖父の足跡の残る韓国だから、来たくなかった」

それを受けてのソ・ヘソンさんの第一声は強烈でした。

「わたしの父は戦争中、中学生だったが、勤労奉仕で松の根っこを掘っていたそうです。あの根っこは、池田さんのお祖父さんの工場に行ってたんですね」

日本人韓国人半々の会場にはじける爆笑の中、だから韓国人とは会いたくないんだ、と思った瞬間でした。けれど、ソ・ヘソンさんは続けて言ったのです、「池田さんの話を聞いていると、自分が日本人になったような気がしてくる」と。

はっと息をのみました。自分が日本人だったら、やはりわたしのように、韓国人とは会いたくないと思い至るような、良心の呵責にさいなまれるだろう、という意味であることは、続いての発言でよくわかりました。目の前の相手の立場に自分を置いてみる。相手が開陳する心情をなぞってみる。それだけでもすでにすばらしく自由な寛容の精神のなせる技です。その上で、ソ・ヘソンさんは「わかった」と言ったのです。同じ時代を生きる者同士として、互いの父祖の代に起こった不幸な出来事を、なかったことにするのではなく、乗り越えて行く。それは可能だということを、ソ・ヘソンさんはみごとなパフォーマンスで表現し、日本人からも韓国人からも納得を得たのです。

シンポジウムのあと、訪れたあちらこちらの土地で、ソ・ヘソンさんとわたしは、タバコを吸いながらぼそぼそといろんな話をしました。

「もっとあなたのことが知りたい」

そんなことばを交わして別れるなんて、もう少し若かったら剣呑なことですが、この年ではことば以上でも以下でもありません。年をとるっていいことだな、としみじみ思ったことでした。


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やさしいことばで日本国憲法(17) 第99条 憲法を守るのは誰か

いよいよ憲法シリーズも今回でおしまいです。

序文で「日本のわたしたちは」と高らかに語り起こしたことの大きな意味が、この第99条でいよいよはっきりします。

憲法の主語は「日本のわたしたち」です。「日本のわたしたち」が、こういう決まりを発令している、ということです。では誰に向かってか、それを明記したのがこの第99条です。この決まり、つまり憲法を守るのはあなたたちですよ、と「日本のわたしたち」が言い渡しているのです。

「日本のわたしたち」は、ですから、憲法を守る立場にはありません。守らせる立場です。たとえば、街中でひどいヘイトスピーチを大音響でまきちらしている人びとが、差別を禁じた第14条に違反しているかというと、違反していません。あれは憲法違反ではありません。かれらも「日本のわたしたち」ですから、憲法に違反できる立場にはいないのです。

ついでですから定義しておくと、ヘイトスピーチとは、マイノリティへの憎悪を煽る差別的な発言や行為のことです。これを例に、憲法と法についてもうすこし説明します。

いうまでもなく、ヘイトスピーチはまずは道義のレベルで、人間として最低の行為です。が、それを国家や自治体が規制できるのは、禁止する法や条例をつくって初めて、ということになります。警察官や裁判官といった公務員に、あることをした「日本のわたしたち」を取り締まったり、罰則をあたえたりする権限をあたえるのが、法や条例なのです。去年、ヘイトスピーカーが何人も逮捕され、実刑をうけていますが、威力業務妨害などの、別の法律違反です。法も条例もないのに、警察官がヘイトスピーカーをヘイトスピーチゆえに逮捕したら、それが憲法違反になるのです。

ところが、ヘイトスピーチ禁止法は、憲法第14条、あるいは日本が守ると誓約した世界人権規約の観点からは好ましいだろうが、その反面、表現の自由をうたった憲法第21条に抵触することにはならないだろうか、という議論が起こっています。第98条にいわれているように、法や条例は憲法にそぐうものでなければなりませんから。その証拠に、時どき憲法違反だとして、法律が改正されることがあります。去年は、婚外子の相続差別を定めた民法が最高裁判所で違憲とされ、すぐに法律が改正されました。

すこしごちゃごちゃしましたが、憲法と法の違いと両者の関係、憲法や法をめぐる「日本のわたしたち」と公務員の関係、お分りいただけたでしょうか。

つまり、第99条に列記されている、わたしたちから国家権力の行使を委任されている人びとが、その力をいいことに勝手なことをしないように装着させている手かせ足かせが憲法です。そして、そのように憲法をとらえ、そのような憲法をふまえて国家を運営するのが立憲主義なのです。

なのに、聖徳太子の17条憲法から憲法ということばを借用してしまったためでしょう、憲法にはわたしたちみんなが守るべき、なにか道徳的ないいことが書いてあるのだ、と誤解している人が、とくに自民党の憲法改正推進本部あたりにたくさんいる気がします。「憲法」ではなく、植木枝盛のように「国憲」とかにしたほうがよかったかもしれません。

そしてあろうことか、自民党改憲案は第99条のあたりに「国民の憲法尊重義務」を加えています。そういえば、自民党は改憲案の随所に「国民」が守らなければならないこと、「国民」ならこう考えるべきこと、こうふるまうべきことどもをちりばめています。もちろん、道徳的なこともたっぷりと。17条憲法にじわりと近づいているかっこうです(17条憲法にしても、なにも道徳を説いたのではなく、豪族の仕事内容が変わったために出された、新しい就業マニュアルなので、「和を以て貴しとなす」を「ニッポン古来の美徳」とか言ってしまう人が続出するのは恥ずかしい限りなのですが、それはまた機会があったら)。

最後にひとこと。

わたしは「日本の人びと」で一貫させ、「日本国民」「日本人」とはしませんでした。それは、英文憲法に the Japanese people とあるからです(people には「人民」のほうがよりぴったりくるかもしれません)。「日本国民」と訳すべき Japanese national は、国籍条項である第10条に1回しか出てきません。それで、the Japanese people は日本国籍を有するかどうかにかかわりなく、日本に暮らすすべての人びとととれるのではないか、と考えた次第です。


第99条
天皇や摂政には、
この憲法を尊重し、支持する義務があります。
国務大臣には、この憲法を尊重し、支持する義務があります。
国会議員には、この憲法を尊重し、支持する義務があります。
裁判官には、この憲法を尊重し、支持する義務があります。
そのほかすべての公務員には、
この憲法を尊重し、支持する義務があります。

 
最後の最後に、もうひとこと。

天皇、そして皇后は、どうすれば自分たちがこの第99条を現実に落とし込むことになるのかと、日々腐心なさっているのでは、と思うことがあります。行動だけでなく、皇后が誕生日ステートメントで五日市憲法に触れたのを皮切りに、終戦記念日の戦没者慰霊式での天皇ステートメントにそっと埋め込まれた憲法前文からの引用、そして天皇の誕生日ステートメントでの憲法への言及と、高齢のお2人はとくにこの1年、ことあるごとに憲法についてのメッセージを発してきたように思います。

初めて日本国憲法下で即位した天皇として、そのあり方を模索してこられたであろう天皇皇后が、憲法に敬意を表する。当然といえば当然ですが、なんだか複雑な心境です。第99条に列記されている憲法遵守義務者のうち、これほど天皇皇后が突出して見えるのは、とくに大臣国会議員に憲法を守る見識も覚悟も感じられないからではないのか、と思えてならないからです。

そして、主権者であるはずのわたしたちの中にも、「天皇ならわかってくださる」、果ては「天皇ならなんとかしてくださる」と、まるで大日本帝国憲法下のアラヒトガミにふさわしいような、あらぬ妄想を天皇に投影している人びとが見受けられるからです。憲法が施行されて70年になんなんとするのに、「日本のわたしたち」の憲法理解はそんなものか、そこに明記された象徴天皇制理解はその程度かと、失望を禁じえません。そういう向きには、こう言いたいと思います。

「天皇にならって、憲法をよく読んでみたら?」

とちゅう、年末年始の中断をはさんで、長々と憲法談義におつきあいくださいまして、ありがとうございました。


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やさしいことばで日本国憲法(16) 第97章と第98章 最高の法

いよいよ憲法も最終章になりました。第10章「最高法規」です。

ぜひ熟読吟味していただきたいと思います。なぜなら、第97条を、自民党改憲案はさっくり削っているのです。

この条項に、いったいどんな不都合があるのでしょう。人類が長い歴史の中で基本的人権をかちとってきた、というのがよくないのでしょうか。だったら、人権は外からの借り物ということになってしまうから? すべては自前のものということにしたいから? だとしたら、なんて料簡が狭いのでしょう。そう言うのなら、世界のすべての憲法に書かれている人権は、借り物です。借り物のどこがいけないのでしょう。わたしはむしろ、悠久の人類史という潮に浮かぶ船に、胸を張って乗り合わせている晴れがましさを覚えます。

ところで、第97条には、人権は人類の共有財なのだから、憲法に書かれている人権は、それを拡充するのなら変えてもいいけれど、制限する改憲はしてはいけない、という意味があります。自民党改憲案を書いた人びとは、そこが気に入らなかったのでしょうか。きっとそうです。自民党改憲案は、さんざん人権を制限する改悪をほどこしていますから、第97条はそれらの条文と矛盾します。削除するよりほかなかったのでしょう。


第97条
この憲法が日本の人びとに保障する、
基本的な人権は、
人類が自由をもとめ、
長いあいだ戦ってえた成果です。
いくたびとなく、きびしい試練をのりこえて、
ゆるぎないものであることを証(あか)された成果です。
この基本的な人権が、
永久に侵してはならないものとして、
今と未来の世代の人びとにゆだねられます。

第98条
この憲法は、この国の最高の法です。
法律や、法令や、詔勅や、そのほかの政府が決めたことは、
憲法の条項とあいいれなければ、
拘束力がなく、したがう義務はありません。
日本がむすぶ条約や、さだめられた国際法は、
誠実にまもられます。



やさしいことばで日本国憲法
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やさしいことばで日本国憲法(15)第96章 憲法を変えるには

そういえば、ひところ騒がれた96条単独先行改憲論、とんと聞かれなくなりました。

つまり、改憲は衆参両院の3分の2の賛成で発議され、国民投票に回される、とされているのを、過半数でいいことにしよう、という議論です。 その理由は、日本の憲法はそもそも改正ができにく過ぎる、ほかの国では戦後何度も改憲しているのに、日本は1度もしていないため、世界最古の憲法になってしまった、これでは現実にあわないし、民意も反映できないではないか、というものです。

これはいろいろごまかしのある議論です。世界の憲法の改正方法はさまざまですが、議会が発議して国民投票などに付す、というのはほぼ共通しています。去年のある調査の中間報告によると、調査済み67カ国のうち、日本と同じおよそ3分の2で発議としているのが50カ国、よりきびしく4分の3としているのが5カ国、自民党の垂涎の的、過半数としているのが9カ国です。そして、憲法もふつうの法律も同じ変え方、つまり国民投票やら州承認やらのハードルを設けない国が3カ国です。

ちなみに、改正条項を変えた国もいくつかありますが、すべて改憲がしにくい方向に変えているそうです。もしも日本が改憲しやすく変えたとしたら、世界最初の「怪挙」です。

なーんだ、と拍子抜けします。日本の憲法は、飛び抜けて変えにくいのではなく、ほとんどの国が憲法は変えにくくしているのです。3分の2というのは、賛成がダブルスコアで多いくらいでないと、憲法は変えるべきでない、という発想にもとづいているのでしょう。現に、国会では全会一致で通る法律がけっこうあります。どんな立場の人が考えても、これは変えるべき、とならなければ、憲法は変えてはならない、というのが世界のほぼ共通の考え方で、立憲主義のなかに含まれているのです。1票差で過半数だから改憲なんて、とんでもない。

しつこいようですが、もう一度別の言い方で言います。憲法というものは、政権の意向によってくるくる変えていいものではありません。いつもそれが施行されたときの原点に立ち返り、なぜこのような憲法が制定されたのか、歴史を重く受け止め、憲法にこめられた思想に思いを馳せ、国の運営に反映させなくてはいけないのです。

日本と同等の変えにくい憲法を、各国は高いハードルを越えて変えているわけです。改憲したいなら、正々堂々、高いハードルに挑むべきです。よく自民党が引き合いに出す「ドイツなんて58回」というのは、東西ドイツの統合でさまざまな調整が必要だったことが大きく影響していますし、国によっては国会議員の定数も憲法で定めているので、それを変えるたびに改憲というケースもあります。

第96条改憲論が下火になったのは、悪評さくさくだったからです。口さがないわたしたちの言いたい放題は、こういうところでけっこう威力を発揮しています。代わりに、政権は人事や新法で憲法の外堀を埋めようと、着々と手を打ってきています。今年も、油断も隙もありません。


第96条
この憲法を変えるための手続きは、
衆議院と参議院のすべての議員の3分の2以上が
賛成に投票したときに始まります。
それをうけて、改正案でいいかどうかが、
人びとに問われます。
そして、特別の国民投票か、
国会がさだめる投票で、
すべての投票数の半数以上が
賛成でなければなりません。

これでいいとされた改正条項は、
この憲法と一体をなすものとして、
天皇が、人びとにかわっれ、ただちに公布します。



やさしいことばで日本国憲法           (マガジンハウス刊)

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やさしいことばで日本国憲法(14)第95条 地元第一主義

ブログから遠ざかっているうちに、年が明け、おととい1月12日には沖縄の名護市長選挙が告示されました。辺野古に新しい米軍基地を受け入れるかどうかで、反対の現職と賛成の新人の一騎打ちという、たいへんなことになっています。

年末、仲井眞・沖縄県知事は、辺野古の海の埋め立てを承認しました。これで、情勢は新基地建設に大きく動いたわけですが、国はさらに辺野古のある名護市の承認もいくつかとりつけなければ、工事を始めることができません。それで、今回の名護市長選挙は、与党が人気のある国会議員を応援に送り込んで、なんとか勝とうとやっきになっているのです。

このように、いかに国の方針であっても、地元にはそれを拒否する権限があります。その思想は、第92条から始まる憲法第8章「地方自治」の最後の章、第95条にはっきりと示されています。この章は、『やさしいことばで日本国憲法』には訳出しませんでしたが、辺野古のまっ青な海を思い出しながら、ここに掲げておきます。


第95条
ひとつの県、郡、市、町、村、区だけにあてはまる特別法は、法律の定めにしたがって、そこに暮らす人びとが賛成か反対かの投票をし、半数以上が賛成しなければ、たとえ国会を通ったとしても無効です。



いかがでしょうか。住民投票でしめされた住民の意向は、国会の決議よりも重いのです。ここでは特別法、つまり法律について語られていますが、この、地元の意向は国の方針にまさるという思想は、政治のあらゆる場面で、じつは密かにつらぬかれています。国がどんなに沖縄に米軍基地を新設したくても、さまざまな許可権を盾に地元自治体が抗うのもそのひとつですし、原発立地も地元の意向によるという体裁を整えるために、市町村議会が誘致決議をし、県知事がそれを受けて認可する、ということになっています。

この第95条の思想をわたしたちがあまり知らないのは、知られると国策推進に支障をきたすので、国があまり表に出してこなかったからだ、というのはうがち過ぎでしょうか。けれど、この条文を知らなくても、この思想に立って行動する人びとを、わたしたちは知っています。沖縄だけでなく、住民投票で原発を追いやった新潟・巻町の人びとなどです。

外部の力がふるさとに害をなそうとするとき、たとえその外部が国であろうと臆せず敢然と弓を引く、それは憲法第95条が明確に認めている、正当な行為です。ちいさな地域であろうとも全体益の犠牲になることに甘んじてはならない、だから外の力からふるさとを守る。これこそが地域主義的保守主義だと思います。わたしたちの憲法には、この地域主義的保守主義が埋め込まれているのです。

じつは、GHQ民政局がつくった憲法のたたき台に先行する、いわばたたき台のたたき台というべき鈴木安蔵らの憲法草案には、第8章がそっくりありませんでした。地方自治を民主主義の原点ととらえるアメリカが、鈴木らの草案に付け加えたのですが、わたしは、第95条の原形は合衆国憲法修正第2条ではないか、と考えています。それについては、稿を改めて論じたいと思います。






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やさしいことばで日本国憲法(13)第38条から第40章      国家権力から被疑者を守る

全31条もある第3章「人びとの権利と義務」もこれで終わりです。

第38条は、打ちこみながらため息が出ました。これらの憲法上の重い取り決めを、捜査機関は、裁判所は、国ははたして守っているでしょうか。

長期の拘束は、拷問に等しいとみなされ、そこで得られた自白は証拠にはならない、ということを厳密に解釈すれば、いったいいくつの裁判がやりなおしを余儀なくされるでしょう。自白だけ有罪にしてはならない、ということは、物証がなければならない、ということです。言うまでもないことですが、状況証拠も物証ではありません。なのに、状況証拠がなんと幅をきかせていることか。

裁判所に期待がもてない国に、希望はありません。


第38章
だれも、自分につごうの悪いことを
むりに言わせられてはなりません。

強いられたり、拷問されたり、脅されたりして言ったことや、
長いあいだ逮捕されたり
拘束されたりしたあげくに言ったことは、
証拠としてみとめてはなりません。

自分にとって不利な証拠が、本人の自白しかないときは、
有罪とされたり、罰をうけたりすることが
あってはなりません。

第39条
それが行われたときには法にかなっていたり、
罪ではなかったことで、
刑事上の責任を問われることはありません。
ひとつの犯罪で2度、処罰してはなりません。

第40条
逮捕されたり拘束されたりしてから、
無罪ということになったら、
国にたいして埋めあわせをもとめる訴えを
おこすことができます。



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やさしいことばで日本国憲法(12) 第35条から第37条     罪を問われる立場

刑事被告人を国家の権力から守るための条文はまだ続きます。

憲法は、家宅捜査や押収には裁判所の令状がいる、とする前に、まずこれらが本来ならば権力による個人の権利侵害であることをはっきりと示して、事の重大さを強調している印象です。

自民党の改憲案では、第36条から「ぜったいに」が消えています。まさか、拷問や残酷な懲罰へのしきいを低くするためではないと思いますが、いじった以上、なんらかの意図があるわけで、気になります。

死刑は第36条のいう「残酷な懲罰」にあたるのではないか、だから憲法違反ではないか、という議論があります。死刑そのものではなくても、絞首刑は残酷な刑罰だ、と主張する人びともいます。日本と違って処刑が一定の人びとに公開されているアメリカでそうした論争が起きたのは、皮肉なことに、日本が明治時代に刑法によって死刑は絞首によると定めたのとほぼ同じころでした。

被告人側の証人は国費で手配されるべき、というのは、そんなことは個人の手に余るからです。現在、証拠の開示が問題になっています。検察側が、集めた証拠のうち、自分たちにつごうの悪い、つまり被告人の無罪証明に役立ったり、減刑の根拠になったりするものは出さないことが、裁判の公正性にもとる、というのです。昨今の免罪事件でも、検察の証拠隠避が露見しています。

裁判が公開でなければならないのは、密室の裁判では圧倒的におおきな力をもつ検察のふるまいが妥当かどうか、わたしたちが判断できないからです。弁護士を自分でつけられない被告人には、国が用意しなければならないとするのも、おおきな権力をもつ検察や裁判所と、司法についてなんの予備知識もないわたしたちのバランスをとるためです。

このように、司法の場で公正性を裏書きする役割を振られている裁判所ですが、その職責をじゅうぶんに果たしているでしょうか。見えにくい分野ですが、それを少しでも見えるようにと取材を続けるジャーナリストを通じて、しっかりと監視しなければなりません。


第35条
住まいにたちいられたり、
書類や持ち物を、調べられたり、取りあげられたりしないことは、
すべての人の権利です。
ただし、じゅうぶんな理由のもとに発行され、
調べる場所や、取りあげるものを
きちんと書いた令状があるばあいは、別です。
33条にさだめてあるばあいも、別です。

調べたり取りあげたりするには、それぞれべつの令状がいります。
令状は、裁判所が発行します。

第36条
公務員による拷問と、残酷な懲罰は、ぜったいに禁止します。

第37条
公平な裁判所で、すみやかな公開の裁判をうけることは、
すべての刑事事件の被告の権利です。

被告人には、すべての証人を吟味する
じゅうぶんな機会があたえられます。
自分のかわりに国のお金で証人をえるための
手続きを求めるのは、被告人の権利です。

どんなときでも、被告人には、
資格のある弁護人の助けがなければなりません。
もしも被告人が自分で弁護人をたのめないばあいは、
国が弁護人をつけなければなりません。


やさしいことばで日本国憲法           (マガジンハウス刊)
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やさしいことばで日本国憲法(11) 第31条から第34条    罪を問われる立場で

第3章「人びとの権利と義務」は、第31条から最後の第40条まで、まるまる10条を刑事事件における被疑者・被告人の権利にあてています。

わたしは最初、さらっと読んで、「こんなの、当たり前じゃないの」と思いました。けれどすぐに、この当たり前が当たり前であるためには、つねに目を光らせているという緊張感を、わたしたちがもたないといけない、そのためにはメディアの責務は重い、と思い至りました。これらの当たり前がしばしばいいかげんにされているらしいことが、ネットメディアをつうじて当事者から、あるいは志あるジャーナリストから、伝えられることがあるからです。たとえば、「じゅうぶんな理由がないのに」長期にわたって拘束される例は、しばしば耳にします。

令状なしの逮捕、罪状を告げられない拘束は、世界にはいまだに横行していますが、戦前戦中はこのくにでも行われていました。それどころか、たとえば90年前には法的手続きを経ない殺害、大杉栄と伊藤野枝が幼い甥とともに憲兵隊によって連行殺害された甘粕事件すら起きました。

国家は、人びとの自由を奪うことのできる、きわめて危険な力つまり暴力(ゲバルト)を、主権者のわたしたちによって付与されています。であればこそ、憲法でその行使のしかたを厳密に定め、監視することは、ひじょうに重要です。

先に公布された特定秘密保護法のたてつけでは、憲法がさだめるように、罪状をつまびらかにした上での逮捕、つまりどんな特定秘密にかんするどんな容疑なのかを警察が把握して捜査し、裁判所と容疑者に説明して逮捕することは、はたして可能なのでしょうか。戦前には国防保安法という、まさになにが秘密なのかを法文には明記しない秘密保護法があって、なんのことかもわからずに逮捕された人びとがいましたが、まさかそれと同じようなことにはなりませんよね? なったとしたら、憲法の以下の条文への違反です。


第31条
だれも、法律がさだめるきちんとした手続きなしに、
命や自由をうばわれたり、
そのほかの罰を科されたりしません。

第32条
裁判をうけることは、すべての人の権利です。

第33条
だれも、かかわった犯罪をはっきりと書いた令状がなければ、
逮捕されることはありません。
令状は、裁判官が発行します。
ただし、まさに犯罪がおこなわれているさいちゅうは、別です。

第34条
だれも、すぐにどういう罪で逮捕されるのかを告げられず、
弁護人に相談する権利を保障されずに、
逮捕されたり、拘束されることはありません。
じゅうぶんな理由がないのに、拘束されることはありません。
逮捕や拘束の理由は、もとめられたら、
すぐに公開の法廷の、本人と弁護人のいるまえで、
しめされなければなりません。



やさしいことばで日本国憲法













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やさしいことばで日本国憲法(10) 第27条から第30条    義務への疑義

第27条には労働の、第30条には納税の義務が書かれています。第26条の教育の義務とならんで、憲法における国民の3つの義務、とされています。けれど、わたしのしろうと頭はもやもやしてしまいます。憲法にさだめられたわたしたちの義務は、第12条の、権利を維持する義務にきわまる、と思うからです。

教育の義務とは、前回書いたように、教育をうける権利が先行していて、その権利を自分では行使できない子どもがその権利を行使できるよう配慮する保護者の義務、ということです。純然たる義務ではないと思います。

第27条も、労働はまずは権利であり、同時に義務でもある、としています。100%の義務ではない。

そして第30条の納税の義務です。だれしも、税金を払うのはいやです。しぶしぶ払います。4月から消費税が上がるのを、苦々しく思っています。

でも、憲法前文の最初に、わたしたち自身が宣言しているように、このくにの主権者、主人公はわたしたちです。日本というくには、わたしたちがメンバーである、ひとつの組織です。およそ組織のメンバーは、組織を運営していくための費用を、会費というかたちで引き受けます。そうでない組織は、スポンサーというひもが付いていない限り、回らないでしょう。自分たちの組織は独立したものだ、その費用は自分たちでまかなうのだ、という高らかなオーナー宣言が第30条だと、わたしは思います。納税は義務とはいえ、そういうたぐいの義務だ、と。

そこから引き出されることが、ふたつあります。税金はわたしたちのお金なのだから、その使われ方に最大限の監視をし、意見を言うことは、それこそわたしたちの義務であり、権利だということがひとつ目です。つまり議会の監視です。議会とは税金の使い方を決めるところだ、と言ってもいい。以前アメリカのニュース番組で、「次は連邦予算の話題です」とキャスターが言った背景に浮び上がった、「OUR MONEY」、わたしたちのお金、という文字が目に沁みました。

そして、メンバーとして会費(税金)を払っているのは、日本国籍をもつ人びとだけではない、ということがふたつ目です。日本に生きる外国籍の人も、日本に本社や支社や工場などを置く企業も、いろんな税金を払っている以上、このくにのメンバーです。ひるがえって、税金を払うのはいやだから海外に移る、と公言し、あまつさえ実行する個人や企業は、メンバーとしてこの組織をともに支えていく気がない、ということになります。

労働条件が、昨今あろうことか法律によってより苛酷なものになる一方であることや、労働者の団結権や団体交渉権が十全に行使されているのか心許ないことを思うとき、第27、28条あたりがまぶしくて、目がしょぼしょぼしてしまいます。

第29条で思い出すのは、留学から帰国したとき、初めて空から見た、できたばかりの成田空港です。まわりの田園風景があまりに、あまりに美しかった。代々、時を超えて丹誠こめた土地が突然召し上げられると知った人びとが怒ったのはむりもない、と思いました。ずいぶん後になって、時の政府が正式に謝りましたが、埋め合わせは納得のいくものだったのでしょうか。成田を使うたびに思います。


第27条
働くことは、すべての人びとの権利であり、
義務でもあります。
賃金や労働時間や休憩など、労働条件は、
すべて法律によってさだめられます。

子どもを、本人ではないだれかのために働かせてはなりません。

第28条
働く人には、組合をつくったり、団体で交渉したり、
行動したりする権利があります。

第29条
財産を持ったり使ったりする権利を、侵してはなりません。
財産にまつわる権利は、社会全体の利益とおりあうように、
法律によってさだめられます。
社会全体が個人の財産を使うことがありますが、
そのばあいは、きちんと埋めあわせがなされます。

第30条
人びとには、法律にしたがって、税金を払う責任があります。 

やさしいことばで日本国憲法



















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やさしいことばで日本国憲法(9) 第25条と第26条     生きること、学ぶこと

第25条は、打ちこみながら、ため息が出ました。先の国会で、生活保護をうけるための手続きや条件を、よりきびしくする法律の改正案がとおったことを思い出したからです。生活保護をうけてしかるべきなのにうけていない人が7割、調査によっては8割にたっするという現状こそ、なんとかすべきなのに。不正受給がけたたましくあげつらわれましたが、そんなの0,4%だというのに。

老人介護も、門戸をせばめられました。これらは、第25条を満たすための、重要な施策です。そしてこの第25条は、憲法草案を議論した最後の帝国議会で追加された、世界に誇るべき条文のはずです。

義務教育とは教育をうける義務だ、というのは、じつは誤解です。第26条には、わたしたちは、おとなも子どもも、教育をうける権利をもっていて、子どもがそれを行使することを、保護者は支える義務がある、と書いてあります。あくまでも権利が先行するのです。


第25条
すくなくともこれだけは、というレベルの、
健康で文化的な生活をいとなむことは、
すべての人の権利です。
国は、
生活のあらゆる分野に、社会としての思いやりと、
安心と、すこやかさがいきわたり、
それらがますます充実するように、
努力しなければなりません。

第26条
能力にしたがって、ひとしく教育をうけることは、
すべての人の権利です。
自分が育てる子どもたちに、普通教育をうけさせることは、
すべての人びとの義務です。
この義務教育は無料です。
くわしいことは、法律でさだめます。

 

やさしいことばで日本国憲法 


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やさしいことばで日本国憲法(8) 第24条         さまざまな結婚は可能か乃巻

第3章「人びとの権利と義務」のなかでもよく知られた、結婚についての条項です。

最近、多様な性を生きる人びとがいるという認識が、じわじわとですが理解を深めています。LGBTは、レスビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスセクシャルの頭文字を並べたことばで、さまざまな性的少数者を総称するときに使います。

国によっては、すでに同性のカップルを社会的に認める、つまり同性婚を法的に認めることが、現実になっています。このくににもそんな未来がひらけたら、という願いをこめて、成文憲法に「両性」とあるのを、「当事者(どうし)」としてみました。


第24条
結婚は、当事者が同意すれば、
それだけで成立します。
結婚とは、当事者どうしが
おなじ権利を持つことをふまえ、
たがいに力をあわせて維持していくものです。
結婚相手をえらぶことや、離婚など、
結婚と家族にまつわる法律は、
個人の尊厳と当事者どうしの真の平等をふまえて
つくられます。



やさしいことばで日本国憲法
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やさしいことばで日本国憲法(7) 第21条から第23条    国家の制約をうける自由?乃巻

第3章「人びとの権利と義務」、もう少しおつきあいください。

特定秘密保護法と真正面から対立するのではないか、といわれているのが、第21条です。また、ヘイトスピーチは規制すべきだ、という主張にたいする慎重意見も、この第21条を根拠にしています。これらのことを念頭に、熟読吟味していただきたい条項です。

第22条の居住・移転・職業選択の自由には、「社会全体の利益とおりあうかぎり」、正文憲法では「公共の福祉に反しない限り」という制約がついています。これらの自由は、ことと次第によっては制限してもよい、ということです。

うーん。いかなる自由も、国家が制約するのは好ましくないのではないでしょうか。この点、自民党改憲案はこの制約を取り払っており、わたしは好ましいと思います。

そしてこの「社会全体の利益とおりあうかぎり」を、第21条や第23条の冒頭に付け足してみてください。表現の自由も、研究の自由も、いっぺんに絵に描いた餅になってしまうのが実感できるのではないでしょうか。そこにぬっと浮び上がるのは、明治憲法の亡霊です。

それなのにというか、案の定というか、自民党改憲案は第21条にあらたな第2項を追加して、「前項の規定にかかわらず、公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社をすることは、認められない」としています。「公共の福祉」が「公益及び公の秩序」へと、まるで異なる意味にずらされ(どう異なるかは稿を改めます)、第22条から引っ越してきたあんばいです。

この制約は、たとえばオウム事件の記憶がなまなましい世代には、一見もっともなようにも思えるかもしれませんが、「公益及び公の秩序」とはなにか、それを「害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社をすること」とはどういうことか、だれがどのようにそれを認定するのか、ときちんと考え始めると、特定秘密法や、上程がとりざたされる共謀罪や国家安全基本法案などなどが思いあわされ、空恐ろしくなるのはわたしだけでしょうか。



第21条
集会をひらいたり、団体をつくったりするのは、自由です。
考えを述べ、出版などのあらゆる方法で発表するのは、
自由です。
検閲をしてはなりません。
通信の秘密を侵してはなりません。

第22条
だれでも、社会全体の利益とおりあうかぎり、
住むところや仕事を自由にえらんだり、変えたりできます。
だれでも、自由に外国に移り住んだり、
国籍をはなれたりできます。

第23条
なにをどのように研究するかは、自由です。



やさしいことばで日本国憲法
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やさしいことばで日本国憲法(6) 第18条から第20条    徴兵制の足音乃巻

第3章「人びとの権利と義務」はまだまだ続きます。

第18条の「どんなかたちでも、隷属させられることはありません」とした箇所は、正文憲法では「いかなる奴隷的拘束も受けない」です。これが自民党の改憲案では、「社会的又は経済的関係において身体を拘束されない」となっています。

自民党憲法案のこの部分は、現行憲法とどう違うのでしょう。

「奴隷的拘束」には徴兵の意味があるのではないか、という議論がヒントを与えてくれます。つまり、拘束を「いかなる」ではなく「社会的又は経済的関係」におけると限定することで、限定からこぼれ落ちるのが国民の義務としての拘束、つまり徴兵なのではないか、というのです。

第20条の信教の自由にも、自民党改憲案は重要な付け足しをしています。「ただし、社会的儀礼又は習俗的行為の範囲を超えないものについては、この限りではない」と。

「社会的儀礼又は習俗的行為の範囲を超えない」宗教教育や宗教活動というものはあって、国や自治体がそれをやるのはかまわない、ということです。地鎮祭や、お祭りのようなものを指すのでしょうか。さらには、靖国神社や護国神社のような、明治以降に国家によって発明された宗教の、国家が音頭をとって設けられた施設に、社会的儀礼として参拝したりすることでしょうか。

このただし書き、けっこう問題の奥が深そうです。



第18条
だれも、どんなかたちでも、
隷属させられることはありません。
犯罪への処遇をのぞいて、強制労働を禁じます。

第19条
思想と良心の自由を侵してはなりません。

第20条
すべての人は、なにを信仰しても自由です。
宗教組織は、国から特権をあたえられたり、
政治に威力をおよぼしたりしてはなりません。
だれも、宗教にかかわる行動や、儀式や、典礼や、行事に
むりやり参加させられることはありません。
国と国の機関は、宗教教育そのほかの、
宗教にかかわることをしてはなりません。



やさしいことばで日本国憲法







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やさしいことばで日本国憲法(5)第15条から第17条     議員を「先生」と呼ぶなかれ乃巻

第3章「わたしたちの権利と義務」の続きです。

これらの条文には、首長や議員とわたしたち主権者の関係が、対等を通り越してわたしたちのほうが上位にあることが、謳われています(よね?)。ここから浮び上がる、首長や議員とわたしたちの関係から、あなたはどんな感想をもたれるでしょうか。わたしは、知らないよその国の話のように感じ、はっとして反省しました。

議員を「先生」と呼ぶのはやめよう、と提案している人びとがいます。たしかに、「先生」と呼んだとたんに、上下の関係が生まれてしまいます。そうではないのだということを、これらの条文から読みとるべきなのでしょう。投票権や請願権の重みを、改めて噛みしめました(しかし「請願」って、「請い願う」ですから、へりくだった表現ですね)。


第15条
自治体の議員や長などをえらんだり、
やめさせたりするのは、人びとの権利です。
これらの公務員はすべて、共同体全体の奉仕者であって、
一部の人びとの奉仕者ではありません。
公務員は、おとなが普通選挙でえらびます。
選挙では、投票の秘密がまもられます。
だれに投票しても、公的にも私的にも、責任を問われません。

第16条
損失をうめあわさせることや、公務員をやめさせることや、
法律や政令や条例などをつくったり、なくしたり、
変えたりすることを提案する権利は、
すべての人のものです。
そのような提案は、だれにでもできます。

第17条
公務員が法律に反することをしたために
被害をこうむった人は、
法律のさだめにしたがって、
国やおおやけの組織に、
損失の埋めあわせの訴えを起こすことができます。 



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やさしいことばで日本国憲法(4) 第13条と第14条     個人と人のあいだ乃巻

第3章「人びとの権利と義務」の続きです。

第13条の、すべての人は「個人」として尊重される、というところを、自民党の「日本国憲法改正草案」は、「人」として、に変えています。この、個人と人というちょっとした違いはなにを意味するのでしょう。なにが目当てで、自民党案は「個」をとったのでしょう。

英語に置き換えてみます。現行憲法の英文バージョンでは individual ですが、自民党案なら human being になるでしょう。個がつくとつかないとでは、まるで出自の異なることばです。individual、個人は社会における1人ひとりの人間に限定されることばでしょう。human being、人ないしヒトは、どちらかというと生物としての人間へと開いていくことばのように思います。

ヒトは、人類という集合をなす1人という感じなのです。その証拠に、個人個人といえばそれぞれめいめいという意味ですが、人びとといえば一定の同質性を暗に期待される集団がイメージされます。社会における1人ひとりは1人ひとりとして尊厳をもっているのであって、決して集団に埋没するものではない、それが、「個人」ということばに憲法がこめた意味なのだと、わたしは考えます。ですから、社会のおおもとをなす契約である憲法には、やはり「人」ではなく「個人」がふさわしいと思います。

第14条の、法のもとの平等は、じわじわと実現しています。じわじわとしか実現していない、といったほうがいいかもしれません。法そのものが平等に反していたりもします。たとえば先の国会では、最高裁の判決をうけて、婚外子への遺産がこれまでは婚内子の半分だったのを同じにする法改正がなされました。与党の中には、これに反対する意見が根強かったようで、同時に嫡出子非嫡出子の区別もなくそうという戸籍法の改正は、委員会でたったの1票差で否決されてしまいました。

けれど、めげてはいられません。これからもわたしたちは、法のもとの平等をじわじわと、しぶとく獲得していくほかありません。



第13条
すべての人びとは、個人として尊重されます。
法律をつくったり、政策をおこなうときには、
社会全体の利益をそこなわないかぎり、
生きる権利、自由である権利、
幸せを追いもとめる権利が、
まっさきに尊重されなければなりません。

第14条
すべての人びとは、法のもとに平等です。
政治や、経済や、社会のさまざまな分野で、
人種や、信仰や、性別や、境遇や、家柄を理由に、
差別してはなりません。
華族や貴族階級はみとめません。
栄誉賞や勲章などに、特権はありません。
そうした賞は、
それをうける本人の一代かぎりのものです。




やさしいことばで日本国憲法

             (マガジンハウス刊)


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やさしいことばで日本国憲法(3) 第10条から第12条    日々たたかいとられている権利乃巻

第10条から第40条までの計31条は、第3章「人びとの権利と義務」です。第3章はわたしたちの人権宣言、権利章典なのです。憲法全103条は11の章にわかれていますが、第3章はそのなかでいちばんボリュームがあります。この憲法が誕生した当時、世界でももっとも行き届いた権利宣言に数えられる、といわれました。もしかしたら、今もそうかもしれません。先頃、アメリカの法律学者たちが高く評価したのは、この第3章でした。

第10条に「国民」(national)ということばが出てきます。英文憲法では、唯一この国籍条項にだけ使われています。あとはすべて「人びと」(people)です。

訳したとき、第12条のまん中の文、「自由と権利は…人びとが、つねに努力して維持していきます」の意味がわからなかったので、いろんな方に教えていただきました。それによると、自分の人権が侵害されていると思ったら声に出して訴えることが、言ってもだめなら裁判に訴えることが、権利をもっている者の義務だ、ということなのだそうです。

人権にかかわるさまざまな裁判は、「ここで泣き寝入りしたら、自分で自分を尊敬できなくなる」とか、「過労死だったと認めさせなければ、お父さんの名誉が守れない」といった、瀬戸際に追い込まれた人びとが起こしています。かれらは、けっして人権の闘士などではなく、友人や家族にいてもおかしくない、どこにでもいる生活者です。

これが、第12条がいう、権利を維持する不断の努力なのです。これらの人びとは、自分や近しい人びとの人権を回復するためにたたかいますが、それは同時に、同じ権利をもっているわたしたちすべての人権のためのたたかいでもあります。それが、憲法第12条に定められた、主権者の義務としてのたたかいなのです。

そうして見ると、わたしたちは自分たちの権利を、70年近くずっとたたかいながら、努力しながら、維持してきたことになります。たんに与えられたものではない、すでに筋金が入った、わたしたちの権利です。



第10条
どういう人が日本の国民かは、
法律がさだめます。

第11条
人びとの、すべての基本的人権は、
さまたげられてはなりません。
この憲法に保障された基本的人権は、
今と未来の人びとに贈られた、
永久の、侵してはならない権利です。

第12条
この憲法は、人びとに自由と権利を保障します。
自由と権利は、
それらをみだりにふりかざすことをつつしむ人びとが、
つねに努力して維持していきます。
いつも社会全体の利益を考えながら、
自由や権利をもちいることは、人びとの義務です。



やさしいことばで日本国憲法
(マガジンハウス刊 ああ、どうしても画像が大きすぎるのが気になります)  

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やさしいことばで日本国憲法(2) 第1条と第9条     永久にこれからは、ずっと乃巻

憲法前文に続く、『やさしいことばで日本国憲法』からの引用です。

第9条の、正文憲法では、戦争と武力による威嚇や行使を「永久に」放棄する、とあるのを、「これからは、ずっと」としました。これまではそうではなかった、という歴史の重い事実を、憲法の記憶に刻むためです。また、「交戦権」を、「戦争で人を殺すのは罪ではないという特権」とときほぐしてみました。



第1条
天皇はこの国の象徴
人びとのまとまりの象徴です。
天皇の地位は、
主権者である人びとの意志によります。


第9条
わたしたちは、心からもとめます。
世界じゅうの国が、
正義と秩序をもとにした、
平和な関係になることを。
そのため、日本のわたしたちは、
戦争という国家の特別な権利を放棄します。
国と国との争いを解決するために、
武力で脅したり、それを使ったりしません。
これからは、ずっと。

この目的をまっとうするために、
陸軍、海軍、空軍そのほかの、
戦争で人を殺すための武器と、
そのために訓練された人びとの組織を
けっして持ちません。
戦争で人を殺すのは罪ではないという特権を
国にみとめません。



やさしいことばで日本国憲法
           (マガジンハウス刊)


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やさしいことばで日本国憲法(1) 前文          ラミス池田が読むとこうなる乃巻

南風椎さんの、3年半以上前のブログ記事が読まれています。凛とした美しい日本語に翻訳された「日本国憲法 前文」です。わたしも前にも拝読したし、ご本も手元にあります。それでも、読めば今さらに心に沁むのです。

今回気がついたのですが、コメント欄にわたしの名前がありました。わたしの仕事が南風椎さんの仕事と呼応しているのは、光栄ですし、うれしい限りです。 というのは、わたしも、政治学者のダグラス・ラミスさんと組んで、憲法を英文から訳し、絵本に仕立てているのです(南風椎さんのご本は写真です)。

それで、エール交換ということで、わたしも前文をブログに揚げようと思い立ちました。



日本国憲法 前文

日本のわたしたちは、
正しい方法でえらばれた国会議員をつうじ、
わたしたちと子孫のために、
かたく心に決めました。
すべての国ぐにと平和に力をあわせ、
その成果を手にいれよう、
自由の恵みを、この国にくまなくいきわたらせよう、
政府がひきおこす恐ろしい戦争に
二度とさらされないようにしよう、と。
わたしたちは、
主権は人びとのものだと高らかに宣言し、
この憲法をさだめます。

国政とは、その国の人びとの信頼を
なにより重くうけとめてなされるものです。
その権威のみなもとは、人びとです。
その権威をふるうのは、人びとの代表です。
そこから利益をうけるのは、人びとです。

これは、人類に共通するおおもとの考え方で、
この憲法は、この考え方をふまえています。
わたしたちは、
この考え方とはあいいれないいっさいの
憲法や、法令や、詔勅をうけいれません。
そういうものにしたがう義務はありません。

日本のわたしたちは、
平和がいつまでもつづくことを強く望みます。
人と人との関係にはたらくべき気高い理想を
深く心にきざみます。
わたしたちは、
世界の、平和を愛する人びとは、
公正で誠実だと信頼することにします。
そして、そうすることにより、
わたしたちの安全と命をまもろうと決意しました。

わたしたちは、
平和をまもろうとつとめる国際社会、
この世界から、圧政や隷属、抑圧や不寛容を
永久になくそうとつとめる国際社会で、
尊敬されるわたしたちになりたいと思います。

わたしたちは、確認します。
世界のすべての人びとには、
恐怖や貧しさからまぬがれて、
平和に生きる権利があることを。

わたしたちは、信じます。
自分の国さえよければいいのではなく、
どんな国も、政治のモラルをまもるべきだ、と。
そして、このモラルにしたがうことは、
独立した国であろうとし、
独立した国として
ほかの国ぐにとつきあおうとする、
すべての国のつとめだ、と。

日本のわたしたちは、誓います。
わたしたちの国の名誉にかけて、
この気高い理想と目的を実現するために。
あらゆる力をかたむけることを。


やさしいことばで日本国憲法

(マガジンハウス刊 書影がちょっと大きすぎなのですが、直せない…)




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ファシズムを通すな NO PASARAN

短く書きます。

民主主義からも全体主義は生まれる、とよく言われます。たしかに、当時もっとも民主的と言われたワイマール憲法下で、ナチスは政権をゆるぎないものにしました。けれど、そこには異常不正な選挙があり、異常不正な議会運営がありました。どんな制度も、議会人が率先して民主主義を真剣に実現しよう、謙虚により妥当なものにしていこうという意志がなければ、いっぺんに瓦解することの証左です。

今の国会を構成する議員は、「1票の格差」を言われて久しい、最高裁判所はじめ各地の裁判所で違憲とか、違憲状態とか言われ続けてきた、異常不正な選挙で選ばれた人びとです。

わたしは国会の運営には無知ですが、おととい深夜の、参議院に2人しかいない野党の常任委員長を、本会議の多数決で解任し、与党にすげ替えたことは、議員数に応じて委員長ポストを割り振るという慣例を踏みにじる暴挙と映りました。委員長に瑕疵があるなら、解任してやはり野党から出すようにすべきです。民主主義とはほど遠い、異常で不正な、数の横暴です。

自民党の委員長が委員長職権でなにもかも決めてしまい、委員会の運営を話し合う理事会が無視され軽視される光景も目に余ります。異常であり、不正です。 

特定秘密保護法案の上程過程も異常でした。概要しか出さずにパブリックコメントを、たったの15日(通例は1カ月ぐらい)に限って受けつけたことに始まり、委員会強行採決の行われたきのうになって、逐条解説などが出てきたり。衆議院審議のための公聴会で出された慎重審議を求める意見は、完全に無視されました。参議院の公聴会は開催を決めた翌日に、東京から近間の結婚式場で開くという、意見を述べる人も突然の指名に面食らうような展開でした。

少なくとも慎重審議を求める圧倒的多数の有権者の意志は、もっと早く臨時国会を開き、十分な審議時間をとるようにとの野党の要求を、政府与党がつっぱねたときから、すでに軽んじられていたのでしょう。社会保障関連法案にしろ、この特定秘密法案にしろ、バグだらけ、有権者によく知られてはまずいことだらけなことを承知の悪だくみと思えてきます。

その思いを強くしたのは、きのう特別委員会を傍聴したときでした。森まさこ担当相らの答弁がしどろもどろで、二転三転するのも、土壇場になってあれやこれやの新設機関が思いつきのように飛び出してくるのも、答弁者たちの頭が悪いのではなく、どうにでも解釈できる、どう解釈していいのかわからない、生煮えの法案だからではないのかと怪しみました。

そうしたものが法律になってしまうことの恐さには、計り知れないものがあります。どうとでも運用できるからです。

運用するのは官僚です。委員会では仁比議員(共産党)が、11月27日のブログでも触れた、公安警察によるイスラム教徒への人権侵害事件を取り上げていましたが、森担当相らの答弁は、法案成立後もそうしたことは公安に丸投げ、としか解釈できないものでした。答弁に立った官僚は、うろ覚えですが、「秩序と公の利益のためなら、人権は制限される」という意味のことを言いました。まさに自民党憲法案の先取りです。憲法には手をつけずに、下位の法律によって意味をなさないものにする、ナチスの手口そのものです。

「イスラム教徒が人権を侵害された わたしはイスラム教徒ではないので、なにもしなかった」ではだめなのです。そう、共産主義者が、社会主義者が、ユダヤ人が弾圧されていくのをひとごととして傍観していて、教会関係者に弾圧が及んだときに愕然としたマルティン・ニーメラー牧師の轍を、わたしは踏みたくありません。

この異常不正な一連のプロセスで日の目を見ようとしているのは、平和(「積極的」がつきます)と人権(公益や公の秩序より下に置かれます)と国民主権(今国会で見せてもらったような、名ばかりの主権です)を標榜する、しかし明らかに異常不正ななにかです。

けれど、希望はあります。きのう国会を取り巻いた7000人とも1万人とも言われる人びと、大宮公聴会に駆けつけ、シットインをした人びとに、民主主義を守ろうとする健全な意志が燃え上がっているからです。国会周辺の黄色く色づいた銀杏の並木のように。

きょうも国会正門前は、きのうに増して人びとが駆けつけるはずです。それも、若い人びとが。

(NO PASARAN は夕べ国会正門前に高々と、堂々と姿を現した大きな横断幕に書かれていたスペイン語です。ファシストの台頭に対抗するスローガン、「奴らを通すな」というほどの意味です)





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【転載】憲法骨抜きの手口

特定秘密保護法は、きのう衆議院を通過しました。異例で強引な議事運営だったこと、ネットユーザーはSNSや国会中継をつうじて、リアルタイムで追っていました。いてもたってもいられずに、誰が呼びかけたでもなく、国会正門前に集まってアピールした人びともいました。この動画には、スーツ姿の、お勤め帰りが一目瞭然の方も写っています。

人びとの大多数が反対や懸念を表明している法案なら、国会はルールに沿ってじっくりと議論すべきです。このような、なにごとも数の力を前面に押し出して国会運営をする政府与党に、これから先も国政を託すことが、ほんとうに心配になってきました。

衆議院でこれだけ揉めると、参議院の審議にはより多くの監視の目が注がれるでしょう。同じような乱暴なやり方は許されないでしょう。反対の声はますます勢いを増しています。 

おととい深夜に依頼があって、きょうの朝刊に載った信濃毎日新聞への寄稿を、新聞社のご好意で転載します。

*****************************

特定秘密保護法案が強行採決された衆議院特別委員会をインターネット中継で見ながら、これを書いている。そして、7月に麻生副総理が口にした「ナチスの手口」とはこれだったのだ、との思いを強くした。

「(ドイツの)ワイマール憲法がいつの間にかナチス憲法に変わった」というのは、麻生副総理の世迷い言だ。当時もっとも民主主義的だったこの憲法は、全権委任法の強引な成立で空文化されたのだ。改憲を回避し、からめ手から憲法を骨抜きにする。これが、「ナチスの手口」であり、安倍政権はここから「学んだ」と思えてならない。

国家安全保障会議に権力を集中させ、解釈改憲で集団的自衛権行使を容認し、歴史教科書は政府見解に沿うものにする。テレビメディアは、例えばNHK経営委員会の人事権行使、あるいは首相出演の許諾といった飴と鞭で手なずける。

そして特定秘密保護法で、情報をこれまで以上に非開示にして私たちの判断を不可能にする。公文書は実質、今まで通り好きなだけ廃棄できる可能性を残しつつ、「特定秘密」に手を伸ばす市民を取り締まり、同時に市民の個人情報を膨大に収集する。共謀罪を導入し、自首して自分以外の者の情報を提供すれば免罪とする。私たち市民に、相互監視の網をかけるのだ。これを実際に差配するのは官僚機構であり、同法は政低官高をますます堅固にするだろう。

国会の審議も裁判も、「特定秘密」の壁にぶち当たれば、そこで頓挫する。「特定秘密」が開示されるとしても、それは密室であり、私たちは決定事項を伝えられるに過ぎない。

あとは、国家安全保障基本法などの「戦争手続き法」を成立させさえすれば、国民に異論を許さない好戦的な国家はできあがる。国民主権と人権と平和主義を3本柱とする日本国憲法には、指一本触れずに。改憲はその後、おもむろにやる。

同法案は、他国への特定秘密の提供を可能にしている。たとえば、公安警察がイスラム教徒の個人情報をアメリカのFBIの依頼で収集したといわれる違法性の高い行為は、2010年に情報流出で発覚した。それを今後は合法とするのだ。戦前の治安維持法と比較される同法案だが、治安維持法にすらこのような規定はなかった。

この法案が、夏の参議院選挙で衆参の「ねじれ」を解消し、昨年末の衆議院選挙で与党が圧倒的多数を得た国会で審議されていることを、私たちは覚えておく。1票の格差裁判で最高裁が「違憲状態」、つまり、歯がゆい言い方ながらその身分を「違憲」とした衆議院議員たちが審議しているのだ。

正統性に疑義をつきつけられた国会であればなおのこと、政府与党は少数意見を汲むという民主主義の本義に立ち返り、慎重な審議を心がけるべきだが、現実はそうではない。民主主義はギリシャの古代から多数派の専横を否定しているのに、国会運営は横暴の一言に尽きる。審議過程の形骸化、低調な議論、内閣や議員の不勉強も目に余る。たとえば、安全保障と知る権利の国際基準である「ツワネ原則」を、安倍首相は私的なものと一蹴したが、政府が放射線防護にその提言を採用しているICRP(国際放射線防護委員会)も私的な民間団体だ。

私たちは、政府与党の人びとの発言を覚えておく。万一このまま法案が成立し、その後で彼らの真意が判明したり、空約束だったことが明らかになった時、私たちはどんなに悲惨な状況に立ち至っているかを思うと、暗澹としてくるのだが。

国連人権理事会は、同法案への懸念を表明した。ほかにも内外から批判が寄せられている。こんな恥ずかしいことが、過去あったろうか。私も参加している世界平和アピール七人委員会も、同法案の廃案を求めた。問題点は網羅したと自負している。ぜひサイトを訪れ、アピールを読んでほしい。

 

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世界平和アピール七人委員会は、特定秘密保護法案の廃案を求めます

きのう、11月25日の夜、世界アピール七人委員会は、特定秘密保護法案に反対するアピールを発表しました。サイトの冒頭から入ってお読みいただけますが、ここにも貼り付けておきます。

きょうにも衆議院特別委員会で強行採決か、といわれる同法案は、一言でいえば、奇代の悪法です。今からでも遅くはありません。あなたの選挙区の国会議員さんの事務所に電話を1本かけて、あなたの意見をお伝えください。与党や、賛成に回った野党の議員さんなら、なおのこと!


WP7 No. 110J

「特定秘密保護法案」の廃案を求める

 

20131125
世界平和アピール七人委員会
武者小路公秀 土山秀夫 大石芳野 池田香代子 小沼通二 池内了 辻井喬

 

私たち世界平和アピール七人委員会は、政府が今国会に提出している「特定秘密保護法案」は、その内容も審議の進め方も、民主主義と日本国憲法にとっての脅威であると危惧し、本法案を廃案とすることを求めます。

 

 民主主義は、主権者である私たちが政策の可否を判断できて初めて成立します。市民の知る権利は、その不可欠の前提です。私たちは、麻生内閣のもとで成立した「公文書等の管理に関する法律」(公文書管理法(注1200971日施行)において、公文書が「健全な民主主義の根幹を支える国民共有の知的資源として、主権者である国民が主体的に利用し得るものである」と位置づけられていることを高く評価します。

 

 私たちは、国家が直ちには公開できない情報を有することを理解します。ただし、政府は秘密の指定が適切であることを説明する義務を負うものと考えます。しかし本法案には、指定の妥当性を客観的な立場から検証判断する、政府から独立した第三者機関の設置は想定されていません。首相が第三者機関の役割を果たすことができないことは自明です。

 

国家の秘密は期限を定め、期限がきたものは、たとえ政府にとってマイナスであっても、歴史の検証にゆだね、政府に説明責任を果たさせ、その後の政策に役立たせるため、すべて公開すべきであると考えます。

 

 そのためには、指定解除前に関連文書が廃棄されることがないよう、保管が義務付けられなければなりません。沖縄返還をめぐる日米密約は、文書がきちんと保管されず、大臣や政権の交代に際しては、口頭ですら引き継ぎが行われず、著しく国益を損ねて今日に至っています。国家秘密の保管と例外なき開示を政府に義務づけない本法案は、こうした恣意性を追認するものであり、とうてい容認できません。

 

本法案は、安全保障、外交、諜報の防止とテロ対策に関する情報など、特定秘密に指定できる領域を広く定めています。これはただちに、裁判や国会審議の公開性や、国会議員の国政調査権の制限を招きます。

 

 また本法案では、研究者や政策提言組織、市民団体などの情報アクセス権が保証されていません。私たちは、時の政権の都合により、情報アクセスや表現の自由への制限が強まることを危惧します。のみならず、戦前の治安維持法の場合と同様、市民の側の萎縮を助長し、自由な情報の交換や闊達な議論をはばかる風潮が広がる危険性が少なくないと考えます。

 

 人権侵害に関する政府の秘密は、秘密取扱者にむしろ通報の権利と義務がある、とするのが世界の趨勢です。しかし本法案では、政府の違法行為にかかわる情報、政府が違法に秘密指定している情報、あるいは公益に資すると認められるにもかかわらず政府が秘密指定している情報などを公表した内部通報者やジャーナリストなどの保護が保証されていないことは、きわめて問題です。

 

 特定秘密取扱者の適性評価項目には、精神疾患・飲酒・経済状況などのほか、配偶者とその父母の国籍や元国籍なども含まれます。約6万5千人ともいわれる当該公務員だけでなく、官公庁と業務関係のある企業に勤める民間人まで含めて、広範な個人情報を国家が掌握し、家族の国籍や元国籍によって本人の処遇に差をつけることは、憲法に定められた法のもとの平等に抵触することは明らかであり、私たちは懸念を表明せざるを得ません。

 

 さらに本法案は、外国に特定秘密を提供できるとしています。具体的には、アメリカ合衆国への機密情報供与が想定されていることは明らかです。国家安全保障会議創設や集団的自衛権容認へと向かう現政府の動きを勘案すると、この規定は、核抑止を基本とする米国のグローバル戦略のなかにわが国を組み込むものであり、交戦権を放棄した憲法にも、国連の場で核兵器廃絶を支持しているわが国の方針にも、もとるものです。

 

 安全保障と市民の知る権利は、とくに2001年のアメリカ同時多発テロ事件以降、各国がその均衡に苦慮してきました。「国家安全保障と情報への権利に関する国際原則」(ツワネ原則)(注2は、世界の経験と英知の結集から生まれ、かつわが国も締結している国際人権規約にのっとったものであり、私たちはきわめて妥当であると考えます。

 

 とりわけ、「ツワネ原則」が秘密指定してはならない領域として、国際人権法や人道法に違反すること、公衆衛生に関することなどを提案していることは重要です。これは、東京電力福島第一原子力発電所事故に伴う放射性物質の拡散について、とくに初期の情報開示が充分ではなかったという痛恨の経験をした私たちにとり、切実さをもって理解できるものです。

 

かつて歩いた誤った道を、再び歩むことがあってはなりません。民主主義と相矛盾する本法案を廃案としたうえで、安全保障と市民の知る権利のバランスについてさらなる社会的な議論を深め、国会においても、性急な多数決に走ることなく、後世に悔いを残すことのないよう、野党の提案も真摯に審議し、取り入れるべきは謙虚に取り入れ、多くの市民が納得する方策を見出すことを、市民、政府、国会議員に呼びかけます。

 

注1 公文書管理法   http://law.e-gov.go.jp/htmldata/H21/H21HO066.html
2 ツワネ(Tshwane)原則 70カ国以上の500人を超える人権と安全保障の専門家の2年以上、10回以上の議論を経て、22の団体によって起草され、2013612日に発表された。ツワネは、最終会議が開かれた南アフリカ共和国の都市である。http://www.nichibenren.or.jp/library/ja/opinion/statement/data/2013/tshwane.pdf

 

連絡先:世界平和アピール七人委員会事務局長 小沼通二

メール: mkonuma254@m4.dion.ne.jp ファクス: 045−891−8386

URL: http://worldpeace7.jp 

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【動画】「女性たちは秘密保護法に反対する」記者会見

きのう11月21日、衆議院第二議員会館の会議室で、福島みずほさん(参議院議員、社民党)が呼びかけた「女性たちは秘密保護法に反対する」の記者会見が開かれました。

発言者は、落合恵子さん(作家)、神田香織さん(講談師)、鎌仲ひとみさん(映画監督)、満田夏花さん(国際環境NGO  FoE)、上原公子さん(元国立市長)、大林ミカさん(環境活動家)、鈴木たか子さん(衆議院議員、新党大地)、小宮山康子さん(衆議院議員、生活の党)、糸数慶子さん(参議院議員、沖縄社会大衆党)、田村智子さん(参議院議員、共産党)。

議員さんたちの即席コントあり、講談師さんの講談もかくやのスピーチありで、充実した1時間でした。

わたしも参加しました。今、頭の中は、議論中の世界平和アピール七人委員会の法案反対アピールでいっぱいなので、はしなくもその一端を口走ってしまいました。

当日は、IWJとOur Planet TV の中継が入りました。Our Planet TV さんでご覧になれます。

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手と手と手と手 園遊会のワンシーン(2)

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手紙を渡す議員の右手、それを受け取る天皇の両手、その左肘に添えられた皇后の右手。

この日、腕を組んで招待客のあいだをまわっておられたとしても、皇后という方は、 天皇の手の動きに差し支えるようなことはなさらないのではないでしょうか。いえ、皇后でなくても誰しも、腕を組んでいる人が何かを受け取ろうとしたら、くつろいだ場面ならいざ知らず、あらたまった場面では手は離すのではないでしょうか。とっさの、しかも異例のことで、テニスの腕前は天皇より上といわれる皇后にして反射神経がまにあわなかった、ということもありうるでしょう。手紙が侍従に渡ったときも、手はそのままでした。

それでも皇后の右手は、「お受け取りになられて、よろしいのでしょうか?」と声にならない声で戸惑いの問いを発しているように見えるのです。差し出されたものを両手で受け止めた天皇の自然な礼節とともに、後世そのように歴史にとどめられるのではないかと思うのです。それは、憲法のもとでの天皇皇后であろうとして、公衆の面前での一挙手一投足に神経を張りつめてこられたお2人のこれまでに照らして、あながち的外れな評価ではないと思うのです。

天皇、そして皇后は、存在それ自体が政治的です。非政治性をまとうことを求められる、高度に政治的な存在。たとえば、皇后の誕生日ステートメントの、五日市憲法の人権条項に触れたくだりは、すばらしいものでした。けれど、もしも春の園遊会で、だれかが憲法の危機をうったえる手紙を差し出したとしたら、あの言及が可能だったでしょうか。ある政治的文脈が生じてしまい、微妙だったかもしれないと、わたしは思います。

たとえ話を続けます。その手紙がいかに現憲法を思う心から書かれていたとしても、言い訳になりません。みずからが支持し遵守する義務を負った現憲法が、第3章で高らかに謳っている人権について、それが現憲法の生まれるはるか以前から学校の教師や農民が研究していたものであること、現憲法を超えた人類史的普遍性をもつものであることについて、みずからの思いを述べる自由を皇后から奪ったかもしれないのです。

それが、天皇と皇后が帯びる政治性です。憲法の内にあって、それを遵守する義務こそ負え、憲法がどうあるべきかには私見を一切表に出してはならないのが、天皇皇后という存在です。

ともあれ天皇になにがしかの実効力があるかのように主権者がふるまうのは、倒錯というものです。ましてや、選挙によって一時権力を主権者から委託された国会議員がそうするのは、二重の錯誤です。言うまでもないことですが、現実を動かすのは、天皇ではなく議員の仕事なのですから。 

今回、若い議員の幼い不見識を、政界や社会はとんでもない(ろくでもないと言いたいところです)騒ぎにしてしまいましたが、脅迫めいた手紙を送りつけられた若い議員を天皇が気遣う、というかたちでおさまっていきそうです。主権在民の民主憲法下にあるはずの天皇制が不穏な動きを見せたのを、天皇みずからが憲法の中に収拾した、ということでしょうか。将棋の米長氏のときと同じです。

やれやれ、です。この社会はいつまで今の天皇皇后の見識に依存して、憲法下の象徴天皇制を維持するつもりでしょう。社会が天皇制を欲するならなおのこと、すでに陵についての相談を進めていることを公表した、この高齢の、責任感の強い、強すぎるご夫婦から、早く「自立」しないと。そういえば、騒ぎの起きたとき、わたしはツイッターに、天皇に引退はないのか、と書きました。今回の騒動で、天皇皇后であり続けるのは苛酷なものだと、あらためて思いました。




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手と手と手と手 園遊会のワンシーン(1)

こういうことは、騒がないほうがいいのです。

将棋の米長氏のケースでは、天皇の「強制でないことが望ましい」という間髪入れぬ即答を、テレビのニュースは必ず伝えていたと記憶します。活字メディアもそうでした。天皇の政治利用になるとは、おそらく考え及ばなかった人の失態は、天皇自身が内閣の公式見解をそのまま繰り返されたことで、波紋を最小限にとどめて瞬時に封殺されました。

メディアや社会の扱いもおとなだったように思いますが、それよりなにより、非政治的であらねばならない立場を堅持するために、つねに政治的緊張のなかにみずからを置き、しかも精神の闊達さをかいま見せた天皇の凄みとでもいうべきものに、まいったなあ、と思ったものです。

これでいい。こうやって、象徴天皇制というガラス細工はなんとか戦後の社会にそのつど着地している。それを、おおかたが支持している。だから、わたしも別段なにも発言しませんでした。

今回も、事態は沈静化に向かっているし、すでにかなりまずいほどに、社会は騒いでしまいました。だったらなおのこと、騒ぎに輪をかけたくない。けれど、ここ数日にお会いした方がたから、感想を訊かれました。それで、心配なこともあるので、すこしだけ書くことにします。

わたしは自分の意見として、10月31日のツイッターに、こんな書き込みをしました。

「お救い下さい」って、どういう次元での話? 政治でも行政でもないし……精神的次元だったら、天皇皇后はご高齢を押して、これまで十二分に被災地の力になってると思うけど。もっと働けとは、よう言わん

ツイッターという場でのくだけた物言いには目をつぶっていただくとして、天皇になにか実効的なことを求めるのは憲法に照らしてアドレスミスであり、催しへの列席などの要請なら内閣をとおすと、請願法に定められている、天皇は憲法におけるその職責を充分に果たしている。それが、わたしの意見のすべてでした。若い議員にはルールとマナーを伝え、お灸を据えてさっさとおしまいにすべきだと思いました。

ところが、政界や社会に涌き起った激越なことばの洪水には、啞然としました。「世が世なら大変な刑」「不敬」「直訴」「天誅」「ご宸襟」、それから、それから…。いったい今は西暦何年なの、と問いたくなるような、古色蒼然としたことばの群れがいっせいに飛び出したのです。

憲法における象徴天皇制なんて、ごく薄い上っ面のようなもので、ひと皮剥けば国家の統治権力を総攬する天皇、さらには神聖冒すべからざる神としての天皇が、人びとの心の中には脈々と生きているのか、と愕然としました。それは、議員を批判する側も擁護する側も同じだ、と思いました。両側から天皇を憲法から、憲法が担保する戦後秩序から上へ上へと押し上げ、はみ出させようとしている。天皇を憲法から、いわば追放しようとしている。わたしにはそんなふうに見えました。

もしもそうだとしたら、危険な兆候です。こんなことでは、あの自民党改憲草案の、天皇を元首とするという提案を、この社会はあっさりとよしとしてしまうのではないか。天皇に政治的権限はないという憲法の考え方は、すでに見えない根っこのところでぐらついているのではないか。そんな危惧を抱きました。

ところで、わたしのツイートには間違いがありました。議員は手紙に「お救い下さい」ではなく、「お手をお貸し下さい」と書いたらしいのです。手紙の手、お手をの手。手という字が重なりましたが、あの園遊会の一枚の写真でも、手が雄弁になにごとかを語っていました。(続く)

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「嘘をついてはいけない」、のか?

いささか旧聞に属しますが、南風椎さんがブログ「南風椎の『森の日記』」の10月19日に、「嘘をついてはいけない」という一文をあげておられます。

安倍首相が、IOC総会で東電原発事故について大嘘をつき、それ以外にも嘘ばかりついててんとして恥じていないようすに、きっぱりと否をつきつけています。わたしも同じ気持ちです。けれど、ちょっとひっかかったところがありました。

「日本人は総じて正直者だし、嘘つきではない」

確かにそうです。でも、昔からそうだったし、嘘をつくな、はわたしたちが受け継いできたモラルだったはず、とのニュアンスに、ちょっと待って、と思ったのです。

わたしは、昔話の勉強をしています。昔話には、楽しい語りの中に生きていく上でたいせつな知恵をしのばせた、いわば人生の教材という面があります。そこから、昔の人の価値観を知ることができます。それで、昔話は嘘をどう語っていたかというと…ここは手っ取り早く、過去のエントリから引用することにします。元の文は、2010年2月4日の「嘘は見抜くものだ 枠組みを壊すことの難しさについて」です。

昔話は「嘘をつくな」とは言いません。嘘について、昔話が主張することはふたつ。「弱い者は嘘をついてでも徹底抗戦しろ、生き延びるのが正しいのだ」、そして「嘘は見抜け」です。後者は、昨今言うところのメディアリテラシーに通じる知恵です。この昔話の知恵が忘れられていることと、ときとしてメディアに無防備なわたしたちの現状は通底していると、わたしはにらんでいます。嘘をついても生き延びろ、そして嘘は見抜け。わたしたちは、そうしたメッセージを面白いストーリーに託した昔話、つまり嘘ごまかしと紙一重のとんちで権力者を出し抜く話や、狐や狸の化けの皮を剥がす話を、好んで語ってきたのです。 

ポイントは、昔話から読みとれるいにしえの人びとの価値観が嘘をつくことを許容しているのは、弱い者にだけだ、ということです。強い者がつく嘘、そして隠し事は、とことん唾棄すべきものとされています。

それがなぜ、正直爺さんたちが果報にあやかる話の印象ばかり強いのかは、元の文を読んでいただくとして(それでも釈然としない方はおられるでしょう。なにしろ、近代国民国家だの、マックス・ヴェーバーだのがからんでくる長い説明になるのですから。そういう方は、図書館で、講談社学術文庫の拙訳『完訳グリム童話集』全3巻のあとがきを読んでください)、ポイントはもうひとつあります。それは、嘘についてのこれら2つの教えは、ほぼ世界共通だ、ということです。なにも日本だけではないのです。ドイツの「ヘンゼルとグレーテル」のグレーテルは、魔女のおばあさんを騙してかまどを覗かせ、後ろから押し込んで焼き殺します。フランスのおやゆび太郎も、人食い鬼を騙します。

海外旅行で日本人が騙されることがあるとしたら、きっと今や日本人は強者の立場にあるからかな、と考えてみるのも、わたしたちを客観視することになるかもしれません。

そして、最後にもう一度いいますが、強い者、権力者の嘘がぜったいに許されないこと、昔話の時代も今も変わりありません。




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9条世界会議in関西で話したこと

きのうと今日、10月13日と14日は、大阪で9条世界会議 関西2013が開かれています。


世界の国々から、日本の憲法9条を通して世界の平和を考えようと、多くのゲストが参加しています。もちろん、日本の参加者も。きのう関西大学で開かれた、正確には「9条国際会議」は、大教室に立ち見ができ、それでもあふれた方々は別室でモニターを見ることになりました。


わたしも共同代表になっている関係で、きのう短い開会のスピーチをしました。こういうオフィシャルなスピーチは苦手です。しかも、同時通訳が入るため、原稿どおりに読まなければなりません。その原稿を入れたパソコンの立ち上げに手間取り、せっかくの会議にのっけから水を差してしまい、猛省しています(その模様はIWJがばっちりストリーミングしていました)。


その、いわくつきの原稿を、ここに記録しておきます。


******************************


みなさま、9条世界会議にようこそお越しくださいました。前回の2008年に続き、ふたたび大阪の地でみなさまにお会いできることを、たいへんうれしく思います。

 

あれから5年、国際社会は平和にむけて着実な歩みを重ねたでしょうか。私たちは、世界に平和を実現するために、自他に恥じない、また祖先や子孫に恥じない働きができたでしょうか。


答は複雑です。そうだと言えることもあるし、とてもではないけれど肯定的なことは言えずに、ただ黙ってこうべを垂れるしかないこともたくさんあります。たとえばシリアやエジプトやイラクなどでは、今この時も、政府がみずからの市民を軍隊をもちいて殺し、傷つけています。


けれど、だからこそ、前回に続いてはっきり言えるのは、平和をおしすすめる力は私たち市民の声をおいてほかにない、ということです。そのことを、自信と誇りをもって改めて確認するために、私たちは今ここに集まりました。平和を毀損する動きに対抗するのは私たち市民しかいないとの覚悟を固めるために、私たちはここに集まりました。

 

各国の市民の、平和への努力はさまざまです。世界の国々からおいでのみなさまから、私たち日本の市民は多くのことを学ぶでしょう。

 

私たち日本の市民も、この間、平和へのたゆみない努力を、それぞれの生活の中で積み重ねてきました。それは多種多様ですが、共通しているのは、日本の憲法の前文と9条にかかげられた平和主義にことあるごとに立ち返り、その精神に反することにはいち早く、大きな声をあげてきた、ということです。

 

この間、日本の私たちは大地震と津波と原発の苛酷事故を経験しました。これについては、海外のみなさまの多大なるお心遣いに接し、私たちは孤立していないのだと、また世界のだれも孤立しては生きていけないのだと、だから私たちは世界のだれをも孤立させてはならないのだと、感謝とともに痛切に感じました。この場を借りて、お礼申し上げます。ありがとうございました。

 

原発は、平和に反します。チェルノブイリ原発事故にあわれた人びととともに、私たちも声を大きくして申し上げます。原発は、人びとの平和を奪います。なぜなら、積極的な平和 positive peace は、戦争状態ではないだけでなく、あたりまえの暮らしが営めることに他ならないからです。

 

なのに、日本の安倍首相は、原発事故に平和を奪われたおびただしい人びとの苦しみを尻目に、あろうことか、この積極的な平和という、私たちが長年大切に培ってきたことばを使って、地球の裏側まで自衛隊を出動させることをもくろんでいます。そちらの積極的平和主義は、英語では proactive contribution for peace と言うべきで、たいへん危険なにおいがするのだと、このたびカナダからご参加くださった乗松聡子さんに教えていただきました。

 

安倍政権は、憲法9条を骨抜きにしようとしています。そのような意図をもつ人びとを集めて、なんら法的正当性のない会議を開かせ、集団的自衛権を行使してもよいという結論を出させて、9条をあってなきがごときものにしようとしています。憲法はどのように政府を縛るかを判断する、憲法裁判所のない日本ではたいへん重要な役割をになっている内閣法制局の局長に、やはり9条を目障りと考える人物を据えて、9条を変えないままに実質葬り去ろうとしています。

 

これらの動きは、副首相の麻生太郎氏の、憲法は市民が知らないうちに静かに変えるべきだというとんでもない発言とぴたりと符合します。改憲そのものは、今のところ私たち市民の抵抗によってすぐにはできないと見たのでしょうか、改憲はせずに改憲したと同じことにしてしまう、つまり静かに、いつのまにか憲法の息の根を止めてしまう、というもくろみが進行しています。

 

自民党改憲案に盛り込まれた知る権利の制限を、大々的に先取りする特定秘密保護法案も、来週から始まる国会に上程されます。この一連の動きで安倍政権が目指しているのは、9条の無化どころか、立憲主義の否定です。もちろん、改憲を諦めたわけではまったくありません。

 

このような時に、私たちが今ここに集まっているということは、むしろ愉快ではありませんか。私たちは、この、世界の平和を愛する人びと peace loving people に熱く支持されている9条を否定する者たち、立憲主義を否定する者たちの愚かな挑戦を、受けて立とうではありませんか。そしてこれからも何度でも、しつこくしぶとく集まって、声をあげていきましょう。そうすることによって、何度でも9条を獲得しましょう。立憲主義を獲得しましょう。平和を獲得しましょう。私たちみずからの、無限の力によって。

 

ありがとうございました。

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「画期的」オリンピック

東京タワーができたのが1958年で、その6年後、1964年に東京オリンピックが開催されました。

東京にはまだ、空襲で焼け落ちた建物の土台の、コンクリやレンガ積みが四角く囲む空き地に、丈高く草が生い茂り、水道やガスの管がにょっきりと突き出していたりしました。中央線のぶどう色の電車が西から新宿駅に近づくあたりには、バラック群が線路わきにびっしりと牡蠣のようにへばりついていました。それがある日すっかりなくなっていて、私は、あそこに住んでいた人たちはどうなったのだろう、と考えて、うっすらと恐怖をおぼえたものです。

そんな東京の町に出現した高速道路や国立競技場、そして新幹線は、いやおうなく次の時代への交代を告げていました。 焼け跡の時代から高度成長の時代です。

東京スカイツリーは去年、2012年に完成しました。2020年東京オリンピックは、その8年後ということになります。東京タワーと先のオリンピックと、相似の関係にあるといえるでしょう。では、次回のオリンピックは、どんな画期、つまり時代の節目になるのでしょうか。

1964年、このくにの人口は9,718万人、1億人になんなんとしていました。ちなみに、1億人を突破するのは1967年です。人口がピークに達したのは2008年、1億2,808万人でした。日本列島に人間が暮らし始めて以来の最高記録です。あなたもわたしもこの記録に貢献したという事実には、どんな反応をしたらいいのでしょうね。わたしはよくわかりません。

ともかく1964年、団塊の世代は高校生でした----そう言い切るのは、当時わたしは高校1年生だったからです。朝礼で並ぶと、2年生の列がいちばん長く、3年生と1年生の列はちょっと短かかった。日本列島開闢以来、もっともたくさんいた世代の人口グラフを、毎日見ていたようなあんばいです。いっぽう、高齢化率つまり65歳以上が全人口に占める割合は、6.3%でした。

GNP(国民総生産)は30兆3,020億円、働く人の給料は前の年より13.7%も増えました。1960年から76年まで17年間続く、2桁増加のただなかでした。

では、2020年はどうでしょう。いろんな推計がありますが、たとえば人口は1億2,410万人と推計されています。高齢化率は28,8%、団塊の世代は70代前半です。2013年8月の推計が1億2,731万人ですから、今より約300万人以上減っていることになります。

GDP(国内総生産)はどうでしょう。これこそまさにさまざまな推計があって、去年の529兆円と同じくらいがもっとも低い見積もり、547兆円が、わたしが見たなかではいちばん楽観的な数字でした。つまりは、ほとんど成長しない、ということです(GNPとGDP、とちゅうで統計が取り上げる指標が変わっているので、すっきりした比較ができません。ごめんなさい)。

人口が減り、急速に高齢化が進み、経済は高度どころか成長の段階をとうに後にして成熟を深めていく。わたしたちが佇んでいるのは、そんな時代です。今まで見たこともない交通インフラも建造物も、もはや出現しません。すべてはそれまであったものの改良型です。

たとえば新幹線、最新型のカモノハシタイプのN700系は、いちおう「おお!」と思いますが、64年オリンピック開催の10日前、最初に東京と新大阪の間を走ったイモムシのような顔をした0系の衝撃には遠く及びません。64年オリンピックを象徴する代々木の国立競技場は、度肝を抜くに足る斬新なデザインで、わたしたちをわくわくさせたものです。けれど、このたび作られようとしている新国立競技場(通称カブトガニ 画像はこちら)には、「いまどきこんなばかでかいものが必要だろうか?しかも1300億円もかけるのか、貴重な都心の歴史ある場所をつぶして」というしらけた声が伝わってきます。

これからは、新規になにかをつくる時代ではない、全国の道も橋も建物も、社会インフラのすべてが老朽化している、それを管理修繕していくのだとは、時代の共通認識だったのではないでしょうか。去年の暮れに笹子トンネルの天井が落ちた事故は、記憶に新しい。わたしたちは、あのパネルの落下をとらえた映像に、これからは全国でこういうことに備えなければならないのだ、と思い知らされたのではないでしょうか。

なのに、広大な空き地が広がる東京のベイエリアに、さまざまなスポーツ施設をつくろうというのです。それらはオリンピックの後にも活用されるでしょうか。維持費はだいじょうぶでしょうか。バブル期に箱モノを作ってしまって、今やその管理費の重圧に耐えかねている地方自治体はおびただしい。それと同じことに東京が、ひいては日本というくにが陥ってしまわないでしょうか。

2020年オリンピックが画期するのは、経済成長期から経済成熟期へのはずです。ここをうまく切り替えないと、このくにの先行きがあやうくなります。オリンピックを好機として公共投資をするのなら、モニュメンタルななにかをつくるのではなく、老朽化したインフラを刷新し、都市の防災化を進めるといった、目立たないことに注力すべきです。バリアフリー化、Wi-Fiの無料インフラ化、送電線の埋設…といった都市機能の改良も、地味ですが好ましいと思います。

それにしても、東京がますます突出してしまうことに変りはありません。というのは、さきごろ国立社会保障・人口問題研究所が発表した推計人口によると、2020年はすべての都道府県で人口が減り始める年だそうです。さしもの東京も減るのです。オリンピックで仕事がますます東京に集中するでしょうから、東京だけは踏みとどまるかもしれません。それは、そのあおりで東京以外の減り方の勾配が少し急になる、ということです。

2020年オリンピックのおかげで、国土のゆがみはますますひどくなったまま、大金を投じてつくりかえることは金輪際不可能になるのです。オリンピックを開催して、いっとき景気がよくなっても、その後どかんと落ちなかった例は、96年のアトランタだけ、という話もありますし…。

オリンピックを大局から冷静に、すこしでも好意的に見てみようと思ったのですが、やはり暗い結びになってしまいました。あしからず。



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オリンピック、ですか

2020年東京オリンピック、決まりました。とくに関心はなかったものの、思うことがいくつかあります。きょうは、そのうちのふたつについて、書いてみようと思います。

たまたまテレビをつけたら始まっていた、IOC総会での日本のプレゼンテーション。この、自然体でじつに上品な英語の女性はどなた、と思ったら、皇族の方だったのですね。

それはともかく、つい最後まで見てしまいました。 そして驚きました。こんな安倍首相は見たことがない、と。

とにかくフレンドリーでした。言いたいことを相手の心に届けよう、わかってもらおう、という気持ちにあふれていました。自分のアーチェリー歴を披露したり、前回の東京オリンピックに感銘を受けた自分は「たったの10歳」だったと強調したりとか、自分への言及の部分にはあいかわらず自己愛がにじんでいて、この方はそれが基調だから、そういうことに気づいてもいないのだろうなあ、とは思いましたが、総じて感じがよかったのです。

私は、この方がこんなふうににこやかに自国民に語りかけたことがあっただろうか、と考え込んでしまいました。私が知っている安倍さんのスピーチは、権力は自分の側にあることをことあるごとに聴衆に思い出させ、見えない敵への敵愾心をあらわにしながら、一方的に自説を述べたてるものでした。質問すらも、異論というより難癖やいちゃもんとのっけから決めつけて叩き返す、同じ土俵での言論による勝負は峻拒する、というスタイルでした。権力が好きなんだなあ、そして自信がないんだなあ、と感じていました。国内でもIOCでのように、暗い情念を込めずに演説したり議論したりしたほうが、メッセージが伝わりやすいし、威厳もそなわるのに、と思ったものです。

その感じのいいスピーチで、安倍さんは、東電原発事故処理について、とくに目下焦眉の問題として世界に知れ渡っている汚染水問題について、瞠目すべき発言を連発しました。「状況はコントロールされている」とか、「汚染水は原発港湾内に完全に封じ込められている」とか。それがほんとうだったら、どんなにいいでしょう。「原発問題の抜本解決に向けたプログラムを、わたくしが責任をもって決定し、すでに着手している」というのも初耳でした。

でも、日本の私たちは不安になることでも、必ずしも私たちほど詳細を知らないだろう外国の人びとは、頼もしくうけとめ、好感をもってうけいれたのでしょう。その結果、これは国際社会に向けた「お約束」(「しっかり」「わたくしが総理として」と並ぶ安倍さんの好きな言葉です)になったのです。

ということは、かつての年金問題でも「最後の1人まで見つける」とのすばらしい「お約束」を破られて、虚仮にされた気になった私たちに、今回は国際社会という味方ができたわけです。私たち主権者には「お約束」を反古にしても平気だった安倍さんですが、相手が国際社会となれば、真剣になるかもしれません(主権者としては納得がいきませんが)。まさにオリンピックというガイアツです。

汚染水問題をはじめとする東電原発事故収拾に国が責任をもつことは、これで国際的な公約になりました。まちがっても、東京で建設工事がいっせいに始まったあおりを受けて、原発事故サイトで働こうという人が集まらないという事態にならないよう、国が責任をもって調整してください。巷間噂される、働く人の報酬のひどいピンハネにも、この際メスを入れてください。政治日程やオリンピック関連日程で、現場のスケジュールにむりな変更を強いたり、これからも予想されるさまざまな困難を隠したり、データをごまかしたりして、まるで問題がないかのような情報操作はしないでください。

大地震や津波、そして原発事故すらもオリンピック招致に利用したのではないことを、これからの実践のつみかさねで明らかにするという重い責務が、安倍さんには生じたのです。こんどというこんどは、「お約束」をうやむやにするわけにはいかないことを、肝に銘じていただきたいと思います。安倍さんがそうしたことを実行してくださったら、私は心からオリンピックを招いてよかったと思うし、安倍さんへの賞賛を惜しまないでしょう。

もうひとつ、オリンピックについて書くつもりでしたが、ひとつ目が長くなったので、こんどにします。















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ちかごろ流行るもの、憲法の引用?

最近、連続して憲法の引用に出会いました。

まずは先月9日、長崎の式典で田上市長が読み上げた長崎平和宣言です(全文はこちら)。

「『政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないやうにする』という日本国憲法前文には、平和を希求するという日本国民の固い決意がこめられています」

長崎宣言が憲法の引用をしたのは、これが初めてのようです。伊藤一長市長の時代には、94、99、04年に「日本国憲法の平和理念」と、本島等市長は92年に「日本国憲法の平和原則」というように、憲法は言及されてはいます。けれど、文言の引用は初めてで、新鮮な感動がありました。翌日、宣言起草委員の土山秀夫さんのもとには、「よくあそこまで言った」という電話がひっきりなしだったそうです(わたしもお電話しました)。

次は8月15日、全国戦没者追悼式の会場に、「戦争の惨禍が再び繰り返されないことを」という天皇の声が響きました(全文はこちら)。語順は逆ですが、「戦争の惨禍」「再び」と聞いて憲法前文を連想した人は、少なくなかったのではないでしょうか。ほんの1週間足らず前に聞いた長崎宣言での引用と思いあわせ、この部分の前にあるはずの「政府の行為によって」を想起した人もいたかもしれません。

安倍首相は、改憲に意欲を燃やしていますが、その所属する党が出している改憲案に、はしなくも連続して引用された憲法のこの部分は、影もかたちもありません。それを日を置かずに、2つの大きな式典で聞かされた安倍さんは、どんな気持ちだったでしょう。

3つめは、9月4日の最高裁判決です。あの、「非嫡出子」差別は違憲と、大法廷で全員一致で出された、画期的な判決です(全文はこちら)。

そこには、当然の事ながら、憲法が引用されていました。

憲法24条1項は,『婚姻は,両性の合意のみに基いて成立し,夫婦が同 等の権利を有することを基本として,相互の協力により,維持されなければならな い。』と定め,同条2項は,『配偶者の選択,財産権,相続,住居の選定,離婚並 びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては,法律は,個人の尊厳と両性の 本質的平等に立脚して,制定されなければならない。』と定めている 」

むつかしい判決文のなかで、この部分は輝いて見えました。

「個人」は自民党改憲案を書いた人びとには不評のようで、13条の「すべて国民は、個人として尊重される」は「人として」にされています。「個人」なら、個々の人がその人として尊重されることになりますが、「人」だと、おおきなかたまりにひっくるめて、類として尊重されるというわけで、なにを言ったことにもなりません。「個」というたったの一字で、思想内容はがらりと変わってしまいます。

どうしても縁遠いように感じてしまう憲法に、たてつづけに出会った夏の終わり、たいせつな憲法のことをふつうの暮らしの中でもっとちゃんと考えませんか、と言われた気になりました。




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続 そしてみんなナショナリストになった 近接性ということ

100人村は現実にはありえない、というご意見があります。おなかをすかせている人が何人、という記述があるが、そんな人がいたら周囲がほっておかないだろう、だから村におなかをすかせている人はいなくなるはずだ、というのです。そのとおりです。身近に困っている人がいたら、ほっておけないのがわたしたちです。それが知人なら、友人なら、ましてや家族ならなおさらです。ここでは近接性がものを言います。身びいき、と言ってもいいかもしれません。

これが社会となるとどうでしょう。すべての人の境遇に家族なみの関心を寄せることはありえなくても、またみずから手を差し伸べなくても、困っている人がいればやっぱり気になります。せめて「行政はなにをしている」とか、「なんとかならないのか」とか言って、自分だって気にしてるんだ、ということを確かめることはします。一歩踏み込んでNGOやNPOを立ち上げ、問題に立ち向かう人びともいますし、そういう人を見て、なかなかやるもんだ、と感心したり、寄付したりする人びともいます。また、より広く格差や失業といった社会問題や、目下なら地震津波原発事故に見舞われた東北地方に、わたしたちはわがことのように心痛めます。

わたしたちのそうした気遣いが及ぶのは、多くはメディアによって網羅されている範囲です。情報が発せられ、受け止められる範囲です。情報は日本語で伝えられます。つまり配慮が届くのは日本語の使われている限りの空間、すなわち日本です。急いで付け加えておくと、海外のことがらに心砕く人びと、それどころかボランティアとして出かけていってそこの人びとのために尽くす人もいます。このたび、地震に見舞われたトルコに救援に入り、大きな余震で命を落とされた方のように。でも、そうした人びとは、もともと国内の問題に人一倍敏感です。インタビューすると決まって聞くのは、たまたま海外あるいは特定の国と関わることになった、というような表現です。他者への共感性の強い人が、偶然国内ではなく国外に導かれたということで、偶然はもしかしたら国内へと彼女や彼を導いたかもしれません。

話を戻します。国語とは国民的出版言語の略だ、とする説があります。近代メディアの嚆矢はなんと言っても新聞、活字でした。広げた新聞に投げかけられたまなざしが国民を作る、という言い方がありますが、津々浦々の出来事を知り、見ず知らずの人びとの動向に心を動かされるというのは、近代国家以前には想像だにできないことでした。江戸時代にも遠い地方の風物を紹介する書物はありましたが、あくまでもエキゾティシズムをもたらすものでしかありませんでした。

象徴的な例があります。1792年、パリの革命市民が危ないと新聞で知り、南仏のマルセイユから眦(まなじり)決して進軍してきた義勇兵たちがうたった歌、「ラ・マルセイエーズ」がなぜフランス国歌なのか、ということです。会ったこともないパリ市民に、マルセイユ市民が命をかけて加勢する、これはきわめて近代的な出来事です。封建時代にはありえない。この連帯を知る者が近代フランス国家の国民だ、というわけで、フランス国歌はいまなお「マルセイユ市民」という名前なのです。

この同胞感が、よくも悪くもナショナリズムの感情面の第一の特徴だろうと思います。悪くも、と言ったのは、「ラ・マルセイエーズ」の歌詞にあるように、ともすると同胞感の裏側にある敵への攻撃性を、ナショナリズムはその生まれたときから宿命のように背負っているからです。それは国連憲章によって、すべての国家は交戦権を持つ、とされて今に至っています。近代フランスは、内(王)とも外(外国軍)とも戦わなければ、つまり交戦権がなければ、生まれることすらできませんでした。近代国民国家は、剣を手にして生まれたギリシア神話のアテーナーのようです(ですから、交戦権を放棄したり常備軍を廃止したりした日本などの国々は、すでに近代国民国家の次の段階を先取りしているのかもしれません)。よくも、と言ったのは、この一体感が市場の統一と活性化をもたらし、近代を下支えする産業資本主義の驚異的な発展をもたらしたからです。

日本では、明治維新で、言葉も通じない、たとえば薩摩のくにびとと越後のくにびとが、ある日突然、大日本帝国と名付けられたひとつの国家のメンバーだということになりました。こういうこと、つまりたどっていけば必ず近親者や近在の者との直接の関係に行き当たるふるさとの人間関係を超えた、より大きな共同体の一員であることは、頭で理解して事足れりとはいきません。なんらかの情緒にうったえる仕掛けが必要です。それで、伝統が持ち出され、学校と軍隊で若い人びとをその存在ごとそっくり国民に仕立て上げる努力がなされたことは、ご存じの通りです。

そして今や、だれもが何国人かであることを、当然のように思っています。多くの日本人は日本国民であることに毫も疑いをはさみません。国家とも国民とも訳されるnationはnatio、ラテン語の「生まれ」に由来し、natureとも語源を共にしていますが、それに見合って、近代国家では、だれもが生まれながらの国民であることを、空気のように意識もしないほど自然なことだと思っています。だれもが意識するしないに拘らずナショナリストだということです。これはしかし、たかだか200年あまり前に出現した近代国民国家の特異な現象なのです。

ナショナリズムをすこし醒めた目で見直したい、あたかもわたしたちの血肉と化しているようではあるけれど、同時にそれほど根拠のあるものでもないということを、さらに、根拠はあやしいかもしれないけれどそれ抜きには物事が動かなかったりするということを、すこしずつ観察していきたいと思います。かったるいかもしれませんが、おつきあいいただければ幸いです。



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そしてみんなナショナリストになった

5日に有楽町で行われたTPP反対の街頭演説会の動画を流し見していました。

 

まさに多士済々、超党派と言っていい顔ぶれです。中野剛志さんや田中康夫さんのお話はわかりやすい。みなさん、さまざまな立場や視点から、「日本を守れ」と主張しています。 この一点ではミギもヒダリもないのだ、と思いました。別の会見で、社民党の阿部知子さんと自民党の稲田朋美さんという、政治信条からすればこれまでは両極に位置していたおふたりが並んでいる映像を見たときも、同じ感慨を覚えました。

それは、みんなナショナリストなのだ、という感慨です。ネーション・ステートを前提として発想するのはナショナリズムだ、というあたりまえのことを言うのはしかし、たいへんなことのようです。萱野稔人さんの『ナショナリズムは悪なのか』(NHK出版新書)を読んで、正直びっくりしました。わたしは、近代ドイツ国家の設計師ともいうべきグリム兄弟のことを考えてきたので、またこのくにの現代思想の流れを追ってきたわけではないので、ナショナリズムを巡ってこんなに奇妙な議論があるとは、思いもよりませんでした。

もちろん、巷間ナショナリズムというと、政府主導の愛国心教育とか、先の戦争の肯定とか、思わず眉をひそめたくなるものがほとんどです。あげく、昨今は「非国民は出て行け」「○○に帰れ」というような排他的な罵声が飛ぶことすらあります。わたしも言われたことがあります。けれど、わたしなりにナショナリズムを根源的という意味でラディカルにつきつめると、「約束事として国家というものがあり、国家は変化しつつもこの先少なくとも数百年は存続するだろうから、
自分は約束事としてそのメンバーである以上、とりあえずこれを枠組みとしてものごとを考える」という、ニュートラルというか、身も蓋もないものに落ち着きます。そして、その限りにおいて、わたしたちのうちほぼすべてはナショナリストといってかまわないのではないでしょうか。

一例を挙げます。先日探し物をしていたら、2002年のある講演のメモが出てきました。そこにはこんな、「世界がもし100人の村だったら」のバリエーションがありました。

「日本がもし100人の村だったら
20年前、
いちばん豊かな20人は
いちばん貧しい20人より
13倍多いお金を手に入れていました。
今は168倍です。
10年前も今も
会社などで働いているのは36人です。
でも、10年前には26人いた正規社員は
2人減って、今は24人です。
10人いた非正規社員は
2人増えて12人です」

2002年は、いわゆる小泉改革で格差が広がり、「ワーキングプア」が大きな問題となってきた頃でした。今はもっと深刻度を増しているでしょう。今もわたしは講演で、人びととくに未経験の若者は新興国の人びととのどん底競争にぶち込まれている、と言うことがあります。同じ職を求める人びとが国境のこちら側にもあちら側にもいるグローバル経済では、雇い主は「働きたいならこの賃金、この条件を受け入れろ」といいます。「いやなら工場ごと外国に行く、そこにはもっと安い賃金でも喜んで働く人びとがいる」と迫ります。かくして、国境の内と外での賃金格差は縮まっていきます。そう、世界規模で見ると、グローバル経済の進展のもと、格差は解消に向かい、世界は公正さに近づいている、という見方も成り立つのです。

けれど、それを喜べないわたしたちがいます。というか、世界規模の格差の解消に思いが至らないほど、目の前の若者たちの困窮に心痛めるわたしたちがいます。だからこそ、格差は「問題」だ、となるのです。もちろん、縮まる世界規模の格差ではなく、広がる国内の格差が問題だ、と。TPPはこの問題をさらに深刻化させるだろう、と。そこにいるのは、ネーションのメンバーとして他のメンバーを気遣う、ネーションに立脚して問題を設定するわたしたち、すなわちナショナリストとしてのわたしたちです。

それは、いい悪いの問題ではないのではないでしょうか。まず仲間を優先させる業(ごう)のようなものだ、と思うのです。いや、倫理的な問題だ、とする人びともいるでしょう。萱野さんによると、「ナショナリズムに訴えるぐらいなら国内労働市場を完全に解放して外国人労働者をどんどん入れたほうがいい」と主張した「(ポストモダン)知識人」がいたそうです。人はそこまで純粋観念的に公正さを追求できる、しかも社会規模でできるものなのか、わたしの心は揺らぎます。この揺らぎは当分おさまりそうにありません。世界の格差と国内の格差が、のっぴきならない関係にあることをどう考えるべきか、答えが見いだせるまでは。

なぜグリムにつきあっているとナショナリズムを前提とすることに抵抗がないのかは、説明が必要ですね。稿を改めて論じたいと思います。また、萱野稔人さんのご本についても、立ち入って論じられればと思います。

 
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みずから独裁への道の敷石となる者 大阪府教育基本条例案とわたし

ある新聞の記者さんから電話がありました。

「大阪府の教育基本条例案についてお話を伺いたいのですが」

わたしはこうお答えしました。

「ばかばかしすぎて、ちゃんと報道を追ってないのです。ですから、まとまった意見らしいことは申し上げられそうにありません、ごめんなさい」

けれど、電話を切った瞬間、自分の声が澱(おり)のようなものとなって沈んでいき、心のどこかにひっかかりました。それから何日かたったある日、別の新聞社から同じ取材依頼の電話がきました。
こんどは受ける気になりました。あの断った取材が気になっていたからです。そして初めて大阪府教育基本条例案を読み、澱の正体がわかった気がしました。

条例案の7割は、いかに「問題教師」を排除するかに文言を割いていました。教育委員会への、敵愾心の表明としか言いようのない文言も目につきます。あとは、上意下達と相互監視を義務づける組織論で、「上司」「部下」という言葉が頻出します。そこからは、子どもの育ちと学びをいかに支えるか、といった教育の理念は読み取れません。

一般に前文とは、その法律の理念を高らかにうたうものでしょう。ところが、この条例案の前文は、まるでまざまざと敵を見据えているようなマイナスの情念がその論理を支えています。いわく、教育は民意を受けた議会と首長の主導のもとで行われるべきものなのに、政治が教育の場から遠ざけられてきた結果、好ましくない状況を生んでいる、だから民意を反映させるために、政治が教育に乗り出すのだ…これを最もよく表しているのは、学校の目標は知事が定める、とする第6条でしょう。

この論法に思い出すものがありました。去年の初め、高校授業料無償化から朝鮮学校を除外すべしという声が上がったとき、いちばん声高だった1人が橋下徹大阪府知事でした。その危険性を、わたしはブログのなかで「ハシズム」と呼んでみました(「さむい政治家、世論を煽る 高校無償化と朝鮮学校」)。今、大阪で「反ハシズム」という言葉が躍っていますが、わたしもけっこう早い時期に思いついていたわけです。その言わんとするところは、まず敵を作り、攻撃して喝采を集める、その喝采を「民意」であるとして、「民意に従うのは政治家としてのわたしの務めだ」と大見得を切る、これは独裁者のふるまいだ、ということでした。教基条例案前文は、まさにこの1年半前の論法をそっくりなぞっています。きっと橋下さんご自身が気合いを入れて書いたのでしょう。

わたしはドイツに関わり、ナチス時代の作家、ケストナーの子ども向け作品なども訳しています。当時最も民主的といわれたワイマール憲法のもとでなぜナチスが政権をとったのか、知っているつもりでした。そこでは多くの人びとが、「あんなばかばかしい主張をする連中が政権などとるはずがない」と高をくくったことが、ナチスの政権奪取を助けたのでした。

なのに、それとそっくり同じ反応を、わたしはしていました。
大阪府教基条例? ばかばかしい…この軽視、この訳知り顔の無関心が、独裁への道の敷石となるのです。わたしは今、一番目の取材をお断りしたことを恥じ、反省しています。メモを取らなかったので、記者さんのお名前がわからず、困っています。記事の参考にしていただくにはもう遅いでしょうが、せめてお詫びがしたいのです。

 
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【動画】もう二度とまつろうまいぞ 東北の鬼

「わたしたちは今、静かに怒りを燃やす東北の鬼です」

これは、去る9月19日、東京の明治公園でひらかれ、じっさいには6万人が集まった「さようなら原発5万人集会」での、「ハイロアクション福島」の武藤類子さんのスピーチの一節です。武藤さんが声をふり絞るように、しかし毅然とこう言い放つのを、6万人の大群衆の1人として聞き届けたとき、初秋の晴天のもと、わたしのなかでまなざしの方向が決定的に変わったことを思い知りました。その感動は今なお続いています。それを、ここに記録することにしました。

わたしの親たちは西のほうの出身です。祖先は隼人の薩摩や霊熊の熊野という、征服された土地に生きてきました。東北のまつろわぬ民の裔、武藤さんたちと同じです。武藤さんの言う鬼は隠(オン)、か黒い闇の奥に潜む聖なる力です。クマ(隈)もどん詰まりの漆黒の闇を表し、熊と表象され、その闇はオン、鬼に通じます。熊本、熊野、阿武隈……そこは古来、「明るい中央」が誅殺するしかないとするほどに恐れた者どもの棲息する場なのでした。

東北の鬼が目を覚ました。近代日本の首都の、文明開化の時代を記念する人工の森のほとりで、東北の鬼が怒りを宣告した。これはもうただではすまないだろう。わたしは身震いするような衝撃とともに、まつろわぬと誓った土地から、蝦夷
(えみし)のまなぐ(眼)をかっと見開き、中央を睨み返す者たちの列につく覚悟を固めたのでした。

この秋、ぜったいに口にしてはならないとされたもの、憶えておいででしょう。栗、銀杏、あけび、きのこ、山菜、川魚、猪、鹿。これらは、この列島に人が住み始めたときから幾千年、幾万年ものあいだ、豊かな滋養を恵んでくれてきたものです。それがすべて、食べてはならないほどに汚染されてしまった。こんなこと、この列島の自然はかつて経験したことがありません。それほどの大罪を、わたしたちの時代は犯してしまった。過去未来をつうじて、わたしたちは最も呪われた世代です。

けれど、「明るい中央」と「昏(くら)いふるさと」の関係は一筋縄ではいきません。ふるさとが一方的に抑圧されてきた、などとは軽々に言えないのです。昏いふるさとは明るい中央にあこがれのまなざしを送り続けてきた、そういう側面も否定できません。先日、郡山に行ったとき、安積という地名に思わず、「芭蕉が日の暮れるまで『かつみ、かつみ』と花を探し歩いたところですね」とたずねたら、「ええ、でも見つからなかったのです。見つかって一句作ってくれていれば、名物にもなったのですが」と土地の方は残念がっていました。わたしはとっさに、芭蕉を引き合いに出したことを恥じました。ほんとうのところ、芭蕉が鴨長明という京の住人の書き物に出てくるからと言って、その花を実地検分しようとしたことが、安積をふるさととする人びとにどれだけの意味があるのでしょう。けれど、芭蕉に発見され、中央のまなざしというピンで文化の標本におさめられてナンボというわびしい価値観は、安積の人びとにも抜き難く内面化されているのです。

それが屈折したかたちで原発をみずから呼び込んだ、と福島出身の若い社会学者、開沼博さんは言います(『フクシマ論』)。中央従属一辺倒ではなく、いやいや押しつけられたばかりではなく、原発という時代の最先端を行く巨大科学で中央を見返してやる、原発誘致にはそんな歪んだ反中央の捨て身の決断もあったのだ、と。

そして、ふるさとは今また敗れました。30日のNHKのETV特集「果てしなき除染〜南相馬からの報告〜」は、いつ果てるともない除染の営みを描き、その原因となった原発事故と、それへの東電や国の対応への怒りを全篇にみなぎらせた、秀抜なドキュメンタリーでした。その中に、山を除染する実験がありました。「山の表土は100年でようやく1センチ生み出される、5センチ剥ぐ、500年分を剥ぐ」といった淡々としたナレーションの底に、怒りは正しく煮えたぎっていました。

「明るい中央」が「昏いふるさと」を見やるまなざしを、ふるさとを行きずりに情緒的につまみ食いする、中央文化に淫した芭蕉的なまなざしを、わたしたちは今、自分のなかから叩き出すべきだと思います。鬼のまなざしでしっかと「中央」を見据え、ひるがえって幼い者たちにいつくしみのまなざしを注ぎ、守る。ある集会で、若いお母さんが問いかけました。「メスのライオンたちだって、敵が近づいたら円陣を組んで子どもたちを守るでしょう?」

列島が地殻深くで身じろぐ今このとき、わたしたちもまた新しい価値の胎動をたしかに感じ、孕んだ腹を誇らしく未来へと突き出すのです。



 
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世界平和アピール七人委員会「辺野古への米軍基地移設に反対する」

きょう10月25日、世界平和アピール七人委員会(サイトはこちら)は、以下のようなアピールを緊急発表しました。そのようすはUST中継され、のちほどアピール本文とともに委員会サイトに載ることになっています。アピールは、発表に先立って官邸に届けられ、他の当該機関には後日郵送する予定です。

*****************************

WP7 No.105J

「名護市辺野古への米軍普天間飛行場の移設計画は直ちに取りやめなければならない」

2011年10月25日

世界平和アピール七人委員会
                   武者小路公秀 土山秀夫 大石芳野
                   池田香代子 小沼通二 池内了 辻井喬

1996年、日米両国政府は普天間飛行場返還に合意した。その後曲折を経ながらも、いまだに両政府は、米海兵隊基地は沖縄県名護市辺野古に移設することが現実的な解決策だと主張し続けている。しかし、沖縄県知事、県内41市町村の全首長、県議会、県民は辺野古移設への反対を明確にし、「危険性の除去」、「少なくとも県外移設」を繰り返し求めている。

これに対し、野田政権は発足からの短期間に、沖縄担当大臣、防衛大臣、外務大臣を相次いで沖縄に派遣しているが、誰一人沖縄のおかれている現状に目を向けることも、 沖縄の声に耳を傾けることもなく、県民の意志とは全く無関係にアメリカ政府の要求の伝達を繰り返しているとしか思えない。 

しかも、米軍基地の必要性を説明するのではなく、振興策と称して多額の交付金を投入して民意を変えようとするのは、民主主義に反する。沖縄県民が望んでいるのは、民意を尊重した解決であり、我々が望むのも同じである。

1945年3月26日の沖縄戦開始以来、戦争終結によっても、1972年の施政権返還を迎えても、冷戦が終わっても、沖縄の米軍基地の根本的軽減は行われず、今日においても、在日米軍施設の74%が国土の0.6%に過ぎない沖縄県に集中している。

私たちは、日本国憲法も国連憲章も仮想敵国を作ることを想定していないと考えるが、もし仮想敵国に対する国の安全保障上、米軍基地は減らせないのであれば、沖縄県以外の、99.4%の面積を占める都道府県に移転先を求めるべきである。他都道府県に移転先が見つからなければ、日本国外に移転するほかない。沖縄県のみに負担を押し付けるのは、差別以外のなにものでもない。市民の意思を踏みにじる都道府県の政策決定、都道府県民の意思を踏みにじる国の政策決定は、憲法第95条に定められた民主主義的地域主義の精神に反する。

対立する一方の国が、自衛権の下に軍備の質的、量的増強を図れば、相手国も軍備を増強し、軍拡の連鎖が戦争を引き起こし、双方を疲弊させることは、歴史が繰り返し示してきたところである。この連鎖を逆転させることこそ、政治、外交の目標でなければならない。政府が特使を送って説得しなければならない相手は、沖縄県ではなく米国政府である。

施政権返還以来、沖縄の米軍基地は幾度も不安定性を示してきたが、その根源的な原因は民意の無視にあった。この度またしても民意を無視して米海兵隊基地の辺野古移転を強行するなら、基地の円滑な運営など望むべくもなく、ひいては東北アジアにおける軍事バランスにアメリカそのものが望まないような不安定性を増大することは、火を見るより明らかである。私たち世界平和七人委員会は、このことを日本政府が直視し、沖縄の民意を重い委託と受け止め、アメリカ政府と真摯に向き合うことこそが重要と考える。

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KUNI破れずして山河うしなへり

おとといの記事の末尾に、「敵を見誤るな。敵は、今わたしたちが目の当たりにしているこの悲痛とていたらくを招いたシステムにあることを、それはわたしたちの意志で変えられることを、変えねばならないことを、銘記したいと思います」と書きました。

それにたいして、きのう星川淳さんが、「人間の卑怯さを正視したい。自分を含めて卑怯な行動しか取れないことがあるのは当然だが、良心の呵責は味わい続けよう。敵は「システム」か? いや、人間の弱さが積み重なり組み合わさって原発のようなシステムを支えている」とツイートなさっていました。なるほど、そのとおりだと思いました。「
今度からデモには『原発の本当の動力はみんなの無関心』とプラカードに書いて行こう」とツイートした方は、星川さんとそう遠くないところにいると思います。またある方は、中島みゆきの「ファイト」を連想なさっていました。「わたしの敵はわたしです」......。

水俣の水銀中毒事件でもそうでしたが、わたしたちを分断する線をことさら際立たせて対立させ、あわせて情報を隠すというのは、本来追求されるべき、ことの原因をつくった側の常套手段のようです。その術中にはまってはならないと、強く思います。

では、原因をつくった側、もしくはシステムとはなにか。これがもやもやして分からない。2年前の政権交代からこのかた、変わると期待したのにあれもこれも変わらない、そのなりゆきから時に透かし見えるなにかを仮にシステムと呼んでみているのですが、331後、それはますます臆面もなく表舞台に出てくるように思います。もしかしたら向こうも余裕がなくなっているのかもしれません。

66年前、このくには戦争に破れました。ありえないことですが、もしも勝ったとしても「戦争をした」ということがすでに負けです。勝ってもどのみち人命は奪われ、人心は疲弊し、田畑は荒れ、都市は灰燼に帰していたでしょうから。けれど、悠久の自然はそのままでした。無傷ではなかったけれど、そのままでした。「国破れて山河あり」だったのです。

ところが今回の311、とくに原発事故に目を凝らしてみると、1945年以来のカタストロフではあるものの、様相はかなり違っているように思います。つまり、311後は「KUNI破れずして山河うしなへり」だ、と思うのです。そして、311にも破れなかった「KUNI」に得体の知れないシステムの一端がかいま見られるのではないか、と。

Kはkenryoku、権力のKです。
UはUSA depended、アメリカ依存です。
Nはnuclear、核です。
Iはindustry、工業、なかでも重工業です。

Kはkanryo、官僚機構としてもいいかもしれませんが、それでは「敵」を矮小化するように思えて、また格差社会でわたしたちのすぐ上にいてうまい汁を吸っているかのように見える官僚だけを取り出して「敵」としたのでは、ほんとうの「敵」の思うつぼだと考えて、漠然と「権力」としました。そこには官僚機構も含まれます。まさに「システム」と置き換え可能かもしれません。Kですからkokka、「国家」でもいいのですが、含みをもたせたほうがいいと考えて、「権力」としました。もちろん、「国家」のほうがふさわしいと思われたら、そのように読み替えてください。

あとのU、N、Iは、東西対立のさなかこのくにに原発を導入させ、しかも欠陥がすぐに判明したGE製の原発を運転させ続けたアメリカ、そんなアメリカに依存することが所与の前提となっている政官学マスメディア界の人びと、原発を製造している重工業の大企業、そしてもちろん原発を金のなる木と見てしがみつく電力会社ということになります。

そして、人類史上最悪の原発事故を起こしてしまったこれらの当事者は、当事者性が強ければ強いほど、事故後も盤石の構えにいささかのゆるぎもないかのように見えるのです。これらが「システム」の主要パーツであることは疑えない、そんな気がしてなりません。

そのいっぽうで、福島をはじめとする東北や関東の山河は、列島の歴史の開闢以来の、金輪際起こってはならない災厄に見舞われています。山河は失われたのです。いつよみがえるか、見当もつきません。こんな不条理をまのあたりにして、福島のお母さんは言いました。「いまわたしたちは、静かに怒りを燃やす東北の鬼です」。鬼の眼力をもってすれば、敵の正体を見破れるでしょうか。いえ、見破らねばなりません。それがいま現在、わたしたちがいるところだと思います。

 
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[動画]「原発てんでんこ」? 補遺

ゆうべ、拙ブログを読んだ永田淳一さんがさっそく教えてくださったインタビュー動画(こちら)は、311原発事故にかんするオーラルヒストリーの第一級史料だと思います。収録が4月2日と事故から日が浅く、話している方はすぐれた記憶力をもち、出来事を再構成する能力に長け、なにより微妙な感情を再現して伝える表現力に秀でておられるからです。またもちろん、これを報じている時代メディアのインタビュアー、MIKE-Tさんのあざやかな手腕が豊かな話を引き出した、ということもあります。まだの方はぜひご覧になることをお勧めします。

オーラルヒストリーとは、出来事の現場にいた人びとの語りを集めて歴史を記述する試みです。体験の、人生の圧倒的な現実感とともに語られるそれらのストーリーはしかし、事実であることはゆるがなくても、全体を見通すものではありません。話者が体験しなかったことは語られないのですから。ですから、ひとつのオーラルヒストリーは事実ですが、現実のすべてではないのです。

きのうの記事は、今にしてようやく書き留めることができたものです。気が重かったのです。それにたいする反響は驚くべきものでした。1日で1万3千人の方が読んでくださり、ツイッターやダイレクトメールをつうじて、たくさんのお声が寄せられました。東電社員の家族を批判するお声もありましたが、多数ではなかった、そのことに深く打たれました。

ご意見ご感想をお寄せくださった多くの方がたが、きっとわがこととして「原発てんでんこ」を心の深いところで受け止められたのだろうと思います。話者(Aさんとしておきます)の思いだけでなく、いちはやく避難した東電社員の家族の方がたの思いにも想像力をはたらかせ、考えてくださったのだと思います。Aさんに共感して、なぜ地元の人には情報が流れなかったのか、と沈痛な思いを吐露すると同時に、個々人に非難の矛先を向けるべきではない、とするご意見が目を引きました。東電や関連会社の社員やその家族は、今追いつめられようとしているのではないか、とのご意見に、予想していたこととは言え、わたしもそうした流れを後押ししてしまったかもしれないと、厳しく反省もしました。

芥川龍之介の「蜘蛛の糸」を思い出した、と書いた方がおられました。われ先に逃げるのは人間の業(ごう)だとする見方です。いいとか悪いとかではない、という悲しい達観です。でも、そこからニヒリズムの皮相な人間観に落ち着くのは間違っているのではないか、そんな思いがたくさんのつぶやきから聞こえてくるようにも思いました。

ようやく避難所にたどりついたAさんは、身内の、おそらくは原発関連の仕事をしている人から、原発が爆発したらしい、ここにいては危ない、と耳打ちされ、県内を転々とした末に大阪に落ち着きます。決断力も実行力も交渉能力もある方です。避難所を出るとき、周囲の何人かには、危ないから逃げる、と告げたそうです。避難所にいたすべての人に大声で告げて回ったのではないのです。そうしたからと言って、誰もが逃げる決意を下せるとは限らない、と見越したからではないでしょうか。

わたしは東京在住ですが、科学技術にくわしく、環境問題に明るい友人が、311直後に電話をくれました。政府は心配ないと言っているけれど、自分の情報分析だと原発でそうとう危険なことが起こっている、自分は妻と子どもを逃がした、関東一円はもう危ない、と言うのです。いちおう耳に入れておく、判断は任せる、とかれは言いました。わたしは米とミネラルウォーターなどの備蓄をチェックし、ペットフードなどを買い足し、古新聞とポリ袋がたっぷりあることを確認し(水洗トイレが使えなくなった場合を考えました)、太陽光発電を停電時の自立発電に切り替える練習をしました。地下室があるので、余震のおそれもいまだ去らない中、プルーム(原子雲)が通過する数日は、近所に住む親族11人と犬3匹猫3匹でそこにろう城する構えです。

東京地方をプルームが通過したのは、3月14日と15日と21日です。この3日で、今降り積もっている放射性物質の85%が落ちました。そういうことが明らかにされたのは、もちろんずっと後です。15日、わたしは歯医者さんに予約を入れてありました。気が進まなかったのですが、近所なのでマスクをして出かけました。町はいたって平穏で、いいお天気でした。早春の水色の空がきれいでした。治療用の椅子に座って順番を待つあいだ、複雑な、落ち着かない思いで大きな窓越しに外の道をながめていました。すると、すてきなジョギングウエアの若い女性が、ベビーカーを押した若いお母さんを追い越していきました。はっとして、椅子から立とうとしたその瞬間、「椅子を倒しますね」という看護師さんの声がして、わたしは背中から沈み、彼女たちはわたしの視野から消えました。

わたしは看護師さんに「ちょっと待って」と言って、あの若い女性に「きょうはジョギングは控えたほうがいいですよ」と告げることも、あのお母さんに「早くお帰りになったほうがいいですよ」と伝えることもなかったのです。わたしも、自分が得た情報を身内以外には伝えませんでした。もちろん、東電関係者の生の情報と、友人の鋭いとは言えたんなる観測では、精度が違います。わたしはやたらと触れて回るべきではなかった、との言い訳もなりたちます。けれど、たとえば多摩市の阿部市長は、14日から23日のあいだ子どもはマスク着用、外遊び禁止という通達を出しました。自身の知識と情報分析と判断で。すべての責任をとる覚悟で。わたしは阿部市長からそのことを伺って、あの時、歯科医院の窓の外を歩いていた3人のことを思い、痛恨の念にかられました。

わたしもまた、人のことは言えないのです。東電の奥さんの中に、避難する車窓から外の家並みを見て、子どもの友だちの家を見て、はっとした方がいなかったと、誰が決めつけられるでしょう。はっとした次の瞬間、その家はすでに背後に消え...。

いただいたご意見のなかに、わたしたちは敵を見誤ってはいけない、というのがありました。ほんとうにそうだと思います。わたしたちは、阿部市長のように高い倫理性にもとづいて行動すべきだし、できればそうしたい、けれどいつもそうできるとは限らない、弱い、情けない、業の深い存在なのだ、そのことを肝に銘じて、そんなわたしたちでもできることを模索していくしかないと、わたしは思います。

敵を見誤るな。敵は、今わたしたちが目の当たりにしているこの悲痛とていたらくを招いたシステムにあることを、それはわたしたちの意志で変えられることを、変えねばならないことを、銘記したいと思います。

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「原発てんでんこ」?

ずっと心に刺さった棘のようになっているテレビ報道があります。311からまだ日も浅い、ある日のある民放テレビの報道です。でも、いまだに事実として受け入れていいのか、迷うところがあるので、慎重に書きたいと思います。

福島の原発近くには、東電社員の奥さんと地元の奥さんの交流グループがあるそうです。あるいは、あったそうです。東電の肝いりでつくられたもので、地元の人びとに原発への理解を深めてもらうのが目的だそうです。テレビのインタビューに答えていたのは、そうしたグループの地元側のリーダーでした。ご自宅の茶の間とおぼしい畳の間で、 その方は声を絞り出すようにして訴えておられました。およそこんなお話でした。

「地震の翌日(もしかしたら翌々日)、大混乱の中で、東電の奥さんたちは無事かしらと、 電話をかけてみた。そうしたら、一人残らず遠くに逃げていた。わたしたちにはなにも言わずに。わたしは、原発のためにいっしょけんめい協力してきたつもり。東電の奥さんたちとはなかよくおつきあいしてきた。友だちだと思っていた。なのになぜ知らせてくれなかった、なぜ自分たちだけ逃げた...理解できない」

逃げること自体に、なんら責められる謂れはありません。多くは、小さな子どものいるお母さんたちでしょう。子どもを守るために逃げる。当然です。ひっかかるのは、なぜ地元の方がたに原発が危険だという情報が一切流れなかったのか、です。原発の町に暮らしていた東電家族は、数十にのぼるでしょう。交流グループのメンバーも数人ではすまないはずです。学校や保育園の子どもつながりで、地元と親しくつきあってきた方もおられるでしょう。なのに、テレビに出ていた方の話のとおりだとすると、なぜ誰一人、子どもの友だちのお母さんに、自分たちは避難すると伝えなかったのでしょう。

わたしは、戦争末期に旧満州からいち早く引き上げた関東軍とその関係者の家族のことを思い合わせずにはいられませんでした。日頃は親しくしていても、危険が喫緊に迫ってくるとどうでもよくなる、その程度の おつきあいでしかなかったのか。かつて東電に勤めていた蓮池透さんは、家族連れで福島の原発に勤務していたことがおありですが、地元とのつきあいはうわべのものでしかなかった、とご著書に書いています(『私が愛した東京電力』かもがわ出版)。そういうことだったのか、とインタビューに答えておられた方とともに、わたしは深くうなだれるしかありません。

多くの人に危険情報が伝わるとパニックが起こり、道路は渋滞し、スムースに避難することが困難になるかもしれない、という懸念が、情報が社外に出なかった理由でしょうか。だとしたら、自分たちだけが逃げるために情報を押さえたことになります。あるいは、会社ないし部署の上司などが逃げろと言っているから、自分たちは従うしかないが、その危険情報がどの程度確実なのかわからない以上、むやみに人に伝えて混乱させるのはよくない、との配慮でしょうか。それとも、箝口令が敷かれたのでしょうか。

いろいろ考えても、やはり避難情報を、せめて自分たちは避難するという情報を、地元のママ友には伝えなかったことを正当化する理由が、わたしには見つかりません。津波てんでんことは、津波が来たら自分だけ逃げろという、東北に伝わる悲しくも厳しい知恵です。それが、一家全滅、村落全滅をまぬかれる唯一の道だからです。このたびの原発てんでんこ、これがもしほんとうに起きたのだとしたら、これは津波てんでんことは同列には語れない、深刻な問題をはらんでいると思います。

事の真偽を確かめたくて、ここに記録しておくことにしました。ツイッターなどで情報をお寄せください。


追記
さっそく情報をお寄せくださった方がおられます。ネットメディアで、東電福島第一原発モニターOB会の方がインタビューに応じておられる動画です(こちら)。ひじょうに生々しい証言です。「原発てんでんこ」については、15〜20分あたりです。(1:23)


追記2
翌22日に補遺を書きました。そちらもぜひお読みいただければと思います(こちら)。



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憲法第95条と修正第2条

このところ、憲法第95条にこだわっています。7月1日にも書きました(こちら)。今日もすこし付け足します。

第95条は、第92条から始まり、4条からなる第8章「地方自治」の最後の章です。この章は、地方公共団体には自治権があり、首長や議会議員は住民が直接選挙で選ぶことを定めています。戦前、県知事は中央政府の内務省からやってくる勅任官だったことからすると、天と地がひっくり返るくらいの変わりようです。

知られているように、日本国憲法は敗戦後の占領期、GHQ民政局の秘密グループが2週間でばたばた作ったものではありません。外形的にはそうでしたが、一国の憲法を2週間で作れたのは、しっかりとしたたたき台があったからです。それは、鈴木安蔵らの憲法研究会という民間人グループによる憲法案でした。

ところが、憲法研究会案は、地方自治についてはなに一つ触れていません。つまり、第8章ばかりはアメリカ人たちの手になるものなのです。地方自治こそは民主主義の学校、そんな思いをこめて、かれらはこの一章を廃墟から立ち上がる人びとに贈ったのでした。

地方自治、あるいは地方主権。この考え方はアメリカ人に深く根付いています。それを雄弁に物語る合衆国憲法の条文、日本国憲法第95条にあたる条文が、修正第2条です。

「修正第2条(人民の武装権)規律ある民兵は、自由な国家の安全にとって必要であるから、人民が武器を保有し、また携帯する権利は、これを侵してはならない。」

ここで「国家」と呼ばれているのはstate、単数の「州」です。
このころのアメリカ合衆国は東部13州からなり、それらの州は日本の県ほどの広さしかありません。修正条項が成立した1791年は独立戦争から日が浅く、いつまたイギリス軍が攻めてくるかもわからない、まだそんな空気が濃厚でした。外敵が迫ったら市民が武装してふるさとを守る、そのための武器保有だったのです。

そんなきな臭い条文がなぜ日本国憲法の第95条に通じるかというと、ひとつの地方であろうとも、外部(それは国家であったりします)の意向が自分たちのためにならないと判断すれば拒否する権利がある、ということでは同じだからです。ふるさとのためにならないことは一戦を交えてでも拒否するべきだ、とする合衆国憲法の思想を信奉する人びとが、日本国憲法では、住民投票に国家の意向に勝るきわめて強い権限を付与した、わたしはそう考えています。

合衆国憲法修正第2条から日本国憲法第95条へ。これはすばらしい進歩です。なぜならそれは、一地方と国家の紛争を、戦争による解決から投票による解決へと文明化させたからです。けれどそれは裏を返せば、住民投票の結果は、かつては流血によってあがなわれたほどの重い意味を持つ、ということです。

このことを、311後を生きるわたしたちは肝に銘じる必要があります。第95条を銘記する必要があります。なぜなら、原発や米軍基地などの立地で、国策とされることがらが一地方に重くのしかかる時、これまではいくらわたしたちが裁判に訴えようと、敗訴の連続でした。裁判官は、それは国の専権事項だ、と切り捨てるのが常でした。けれど、違うのです。いくら国家が国策で一地方に臨もうが、投票による住民の拒否にあえば指一本指すことはできないと、憲法は高らかに宣言しているのです。

わたしたちは第95条を改めて取り戻さねばなりません。そして、これを踏まえて国にふるさとの意志をつきつけねばなりません。希望はそこから生まれます。


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お上意識のゆらぎ

きのうは、田原総一朗さんがふるさと彦根で開いている「琵琶湖塾」でお話をし、田原さん、ジャーナリストで副塾長の坂本衛さん、塾生のみなさんと意見交換をしました。

質問の中に、「311以降、この社会はどう変わったと思うか」というのがありました。わたしは、「お上意識が薄れた。混乱の中にあって政府を信用できないのは不幸だし、腹立たしいし、つらいけど、これからわたしたちがこの社会を考えていく上で重要な一歩」というようなお答えをしました。お上意識の由来についてお話しできればよかったのですが、時間の制約で叶いませんでした。それで、以前のブログ記事のその部分を再掲します。2010年1月20日の「お上の事には間違いはございますまいから」です。省略した前半には、小沢一郎さんの、タンスから出てきた4億円と秘書さん3人の逮捕の事を書いています。改めて読んで、今もわたしの考えは変わらないなあ、と思いました。関心おありの方はお読みになってください。



...そろそろきょうのタイトルの話題に移ります。

これは森鴎外の「最後の一句」からの引用です。森鴎外は官僚、しかも軍医という職業アイデンティティに生きた体制側の人だったことから、近代化の影の部分を見つめた夏目漱石とくらべて、嫌う人も多いようです。その批判はこの短篇にもあてはまると、わたしも思いますが、明治という時代を考える時、避けて通れない文豪であることは確かです。

物語は、江戸時代の大阪が舞台です。ある船主の北回船が難破し、積荷の多くを失ったが、船主は残った米を売って、本来は荷主たちに配分しなければならないそのお金を猫糞(ねこばば)してしまう。それがばれて、いよいよあしたは死罪ということになると、16歳の長女は、自分を含めて4人の子どもたちの命と引き替えに、父親の助命を奉行所に願い出ます。

お白州で役人が言います。「そんなら今一つお前に聞くが、身代わりをお聞き届けになると、お前たちはすぐに殺されるぞよ。父の顔を見ることはできぬが、それでもいいか。」それにたいする娘の答が、「お上(かみ)の事には間違いはございますまいから」でした。

鴎外は、献身という崇高な概念を知らない江戸の役人は、娘に不遜な反逆の臭いを嗅ぎとって、敵意と不気味な恐れを抱いた、としています。結局、大嘗会(だいじょうえ)という宮中行事が行われて日が浅いという理由にもならない理由をつけて(だって、処刑の日を決めた時、大嘗会のことは問題にしなかったのですから)、父親は罪を一等減じて大阪から追放、ということになります。

奉行所の役人たちが、上役にお伺いを立てたり、右往左往するさまを、鴎外は「当時の行政司法の、元始的な機関」などと、見下したように書いています。そして、娘の行為を、「献身のうちに潜む反抗の鉾(ほこさき)」と高く評価するのです。

たしかに、ギリシア悲劇の「アンチゴネー」にしても、家族を思う強い気持ちが、意図しないに拘わらず時の権力と対立してしまう、ということはあるでしょう。近くは、北朝鮮による拉致問題で、蓮池透さんが政府の方針に批判的になっていった心情が思い起こされます(蓮池さんについては、このブログで再三論じていますので、検索してみてください)。

けれど、鴎外がとりあげたこの実在の事件では、事情はまるで異なるのです。「お上の事には間違いはございますまいから」には、体制への捨て身の反逆の思いなど籠められていない、むしろ体制への信頼が言わせた言葉だと、わたしは思います。

みなさんは「忠臣蔵」の赤穂城明け渡しの件(くだり)をご存じでしょう。大石内蔵助率いる赤穂藩士は、すべての武器兵糧を帳簿と寸分の違いもなく揃え、城内を塵ひとつないほど拭き清めて恭順の意をあらわし、幕府の使者を迎えます。芝居や小説は、あっぱれ大石、あっぱれ赤穂藩士、とほめたたえます。

でもこれ、江戸時代には常識でした。赤穂藩が格別優秀だったのではありません。この時代、どこの藩も、なにが江戸幕府ににらまれて、いつ取り潰しや国替えになるかも知れませんでした。そのとき、武器や書類やお金の管理がきちんとしていないと、たいへんなことになります。国替えのばあいは、それではすまなくなるかもしれません。取り潰しのばあいなら、お家再興など望むべくもなくなります。それで、江戸の官僚つまり武士たちは、ぜったいに間違いを犯さぬよう、日々緊張して職務にあたっていました。

文書管理も見上げたものでした。明治維新で、新政府の役人が江戸の南北町奉行所を接収に行くと、奉行所の役人たちは、幕府開闢以来の訴訟関連書類と金銭出納帳をすべて揃えて引き渡したそうです。幕府みずからが、各藩に範を垂れていたのです。

江戸時代は、文字通り、「お上の事には間違いはございますまいから」だったのです。それが、明治人である鴎外には読めなかった。もしかしたら、鴎外は明治のイデオローグとして、故意に異なる意味を物語に移植したのかも知れません。

江戸時代、官僚機構は厳正に機能し、人びとはそのことを知った上で、「お上」を信頼していた、と言うか、「お上」のすることに不条理があっても諦めて受け入れていました。けれど、いつの世にも、とくに革命的な体制変換のあとは、新体制は直近の旧体制をくそみそにけなすことで、みずからの正統性を誇示したがります。それで、鴎外に見られるように、明治イデオロギーは江戸を貶め、戦後も戦中時代と並んで、江戸はやっぱり貶められたままでした。そのことへの冷静な反省が、この30年ほど徐々に深まってはいますが、江戸の真の姿がわたしたちに明らかになるのはこれからです。

このくにの官僚は優秀でまじめだという神話は、江戸に端を発するものであって、明治維新で獲得された近代の形質ではないのです。この神話を食いつぶしてきたのが、旧日本軍上部の官僚機構であり、経済成長をなしとげたあと、使命感が薄れてしまった官僚機構だったのではないか、わたしはそう考えています。

たとえば社保庁のていたらくを、わたしたちはまざまざと見せつけられてしまいました。ですからもういいかげん、「お上の事には間違いはございますまいから」という呪縛から解き放たれ、優秀な官僚に任せておけば間違いないとする「お任せ主義」から脱する時が来ていると思います。そして、人の組織のすることには、人為的ミスはつきものだ、弱い心が犯すあやまちはつきものだ、というあたりまえのことを前提に、新政権には、霞ヶ関改革をぜひやり遂げていただきたい。

検察という官僚組織も例外ではないどころか、その筆頭です。取り調べの記録と可視化は、今すぐやるべきです。いつまでも「検察の事には間違いはございますまいから」ではないのです。新しい公正なルールのほうが士気が上がると考える、良心的な若い検事さんたちは、きっといると思います。刑事裁判の99%は有罪という事態を異常とうけとめる目をもたなければ、いくら裁判員制度を導入しても、国民主権はいつまでたっても絵に描いた餅です。


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【動画】「ザ・官僚」は心を失っていなかった イラク戦争検証の集いの柳沢協二

柳沢協二さんは元防衛官僚で、自衛隊のイラク派遣を取り仕切った方です。退官後、イラク戦争に協力したことは正しかったのだろうか、との疑念をもち、後世の研究のためにと、証言したり、さまざまな分野の方がたと対話を重ねています。ジャーナリストの志葉怜さんやわたしとも意見をたたかわせて、それらは1冊の本にまとめられました(『脱・同盟時代 総理官邸でイラクの自衛隊を総括した男の自省と対話』かもがわ出版)

9月24日、柳沢、志葉、池田が語り合う集会を開きました。主催は「イラク戦争検証委員会を求めるネットワーク」です。当日は岩上チャンネルがUST中継し、今はアーカイブで見ることができます。

わたしとは立場も意見も異なる柳沢さんですが、その率直さと公正さには感銘を受けます。それは、動画後半の吐露に尽きると思います。

「自分はプロフェッショナルとして政府を支えることに誇りを持ってきた。退職し、支えるものがなくなった時、自分は何者か、という問いが頭をもたげた。自分がしてきたこと、つまりイラク自衛隊派遣ははたして正しかったのか、という問いだ。恐いものがなくなった今、唯一恐いのは自分なのだ」

何十年にもわたる在職中、おのれの価値判断を封印し、政府が決定した政策の実現に努めてきた、まさにマックス・ヴェーバーの定義する官僚であることに徹したという意味での「ザ・官僚」は、その任を解かれた時、人間の心を失っていなかったのです。そして、実存的な問いに突き動かされるままに、発言し、証言している。これは、組織に働く人間として、けっしてありふれたことではないと思います。

わたしの発言に、自由な発言がえてして収入の道を断つことになりかねないなか、年金生活者はその点まさに怖いものなしだ、という件(くだり)があります。とはいえ柳沢さんは、イラク戦争批判などしなければ、退職した元高級官僚として、年金などかすむほど厚遇する向きはいくらでもあると思います。退職後もその待遇を競い、序列をつけたがるのが、どうやら官僚の性(さが)であるようなのです。

もちろん、柳沢さんは内外のシンポジウムやフォーラム、講演に忙しい日々を過ごしていらっしゃいますが、あえて過去の政策批判などしなければ、招聘先もかなり異なっていたことは、容易に想像がつきます。退職後の目先の利益には目もくれず、実存的な問いから発する道を選んだ、柳沢さんは退職後も「ザ・官僚」だと言えば褒め過ぎでしょうか。主義主張を超えて尊敬できる方ですし、こういう方と議論を深め、対立点を明らかにし、一致点を模索していくことは、これからきわめてたいせつになってくると思います。

どうぞ、動画で柳沢協二という人物の思想や人柄に振れてください。この日わたしは、スケジュール調整を失敗して、体調が万全ではなく、お2人の足を引っ張ってしまいました。申し訳なかったと反省しています。

このあとの打ち上げで、イラクに派遣され、今は国会議員になっている方が「オランダ軍が攻撃されたら、情報収集の名目で駆けつけ、わざと巻き込まれて発砲する機会を狙っていた」ことをどう思うか、伺いました。「ああいう人がわたしどもの仕事を一番じゃましてるんです」というお答えでした。また、「琉球語では嘘のことをユクシと言います。鳩山さんが抑止と言い出すずっと前から、沖縄では『抑止はユクシよ』と言っていたそうですよ」とお伝えしたら、我が意を得たりというように、おなかを抱えて大笑いなさっていました。




http://iwakamiyasumi.com/archives/12874

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メアのクビを差し出させろ

きのうのタイトルはイマイチでした。きょうのが表現として正しいと思います。せっかくなので、きょうはこのタイトルでもう1本書きます。

きのう、メア日本部長の上司、キャンベル米国務省次官補(東アジア・太平洋担当)が来日しました。きょう開かれる日米同盟深化にかんする局長級会議に出席するためです。くにがきちんと東京大空襲の慰霊施設をつくっていれば、必ずや献花なりしていただくところですが、ないのだから情けない。腹立たしい。66年前のきょう、ひと晩でおよそ10万人の市民を焼き殺した東京大空襲を指揮したカーティス・ルメイ、「もしわれわれが負けていたら、私は戦争犯罪人として裁かれていただろう。幸い私は勝者の方に属していた」とうそぶいた人物に、戦後、このくには勲一等旭日章を授与しました。なんという腑抜け。よりによってその日に同盟深化のための会議を開くとは、なんという健忘症。おととい、東京大空襲訴訟の集いで、癒えることのない体と心の傷を、しぼり出すような声で訴えるお年寄りにお会いしたところなので、ひとしおそう思います。

ともあれ、この会議には当初、メア日本部長ももちろん出ることになっていたのが、留守番を命じられたようです。さらには、沖縄タイムス紙によると、「6月ごろ在イラク米大使館のナッパー参事官(政治担当)と交代する方向だった」が、「交代が早まるのでは」との見方が出ているそうです。イラクに飛ばすまで蟄居してろ、ということでしょうか。

キャンベル次官補、8日に飛行機に乗る前に、「報道がもたらした誤解について個人的に陳謝したい」と発言したそうですが、沖縄県議会をはじめとして県内各市から抗議決議がつぎつぎとあがってくる情勢に、飛行機を降りた時には、「米国を代表して心からの謝罪をあらためて表明する」と、公式謝罪に切り替えていました。

「報道がもたらした誤解」のほうはどうなのでしょう。取り下げて、報道のせいにするのも、誤解と言い逃れるのもやめるのでしょうか。メア発言は、学生たちがノートを持ち寄って、記録と記憶をたよりに再現したものです。その「発言録は正確でも完全でもない」と、上司への言い訳のために学生たちをおとしめたメアという人の言い分を、次官補はうのみにし、部下の肩をもつのでしょうか。それとも、「講義は録音していないが、発言録は出席した14人のうち、4人で内容を確認して作った。全ての言葉はカバーしていないから完全ではないが、内容は非常に正確だ」という、学生たちの堂々とした反論を信じるのでしょうか。

メアサンの講義で、「日本に行ったら、本音と建前について気を付けるようにとアドバイスされた」ミヤギさんという日系4世の学生は、「僕らとの会合を、オフレコにしたいメアさんの方がむしろ本音と建前を使っている」と言っているそうです。学生たちは、保身に汲々として白を黒と言いくるめるおとなのぶざまさをまのあたりにしました。「沖縄の人はごまかしとゆすりの名人」と言った当の本人が、ごまかそうとするところを見たのです。(ついでに言えば、基地受け入れと沖縄振興を表裏一体とし、沖縄には「もしお金が欲しいならサインしろ」と言ってやらなければならないというメアサンの言い分は、ゆすりの論理そのものです。以上の引用は3月8日付沖縄タイムス紙より 元はこちら

キャンベル次官補が、政府高官としてそれなりの見識をそなえているとアピールしたいなら、不正確、不完全な語録を公表したという、部下が着せた汚名を、学生たちの前で取り消して謝るべきでしょう。ごまかしは通じず、きびしく対処されるということを示して、若者たちの社会への信頼をとりもどさせるべきでしょう
。その意味でも、メアサンへの処遇をきびしく見ていきたいと思います。いっぽうの日本政府、枝野サンはじめ、メア発言を率先して無問題視しようとして、おおかたのマスメディアもそのとぼけに協力している気配でしたが、あろうことかルース駐日大使のほうからうながされて、きちんと処理すべきという方向にかっこ悪く発言をずらしています。この人たちにはなにも期待できないことが、これでますますはっきりしました。

このいやな感じは、前原辞任にも通じる気がします。幼い頃、きびしい境遇になってしまった一家が引っ越した先で知り合った、前原少年をかわいがってくれた近所のおばさん、政治家になれば少額の、けれど焼き肉屋さんとしてはせいいっぱいふんぱつして献金してくれたおばさんが在日だとわかったために辞任すると、やけにさばさばと外務省を去っていった前原サン。おばさんは恐縮して、目に涙を浮かべて悔やんでいるそうです。でも、前原サンにはもっと大きな金額の、暴力団のフロント企業からの献金疑惑があるというではありませんか。そちらを追求されないために、政治家としての傷を最小限にとどめるために、在日の高齢の女性を楯に使った、そんな疑いが拭いきれません。家族づきあいをしていれば、なにしろ焼き肉屋さんです、いくら日本通名をつかっていても、在日だとわかってもよさそうなものではありませんか。しかも、指摘されるまでおばさんの献金を知らなかったと、前原サンは言います。たくさんの人びとから献金してもらっているとは言え、おばさんは何十年ものおつきあいのご近所さんです、いくらなんでも薄情すぎます。

片や政府高官と社会的にまだ地歩を築いていない若者、片や外務大臣と高齢の在日の女性。強い者が保身のために弱い者をおとしめ、利用している、そんなふうに見えてならないのです。そんなことを、66年前の3月10日、東京下町をおおいつくした市民の死体と、仲よく勲章のやりとりをしているエライサンたちの目もくらむような対比を思い浮かべながら考えました。きょう、東京の空は淡く晴れわたり、沈丁花の香りが流れています。

在日の、つまりこの社会で生きてきた、これからも生きていくおばさんの25万円が、外国の好ましからぬ干渉を招くとはとうてい思えません。献金はおろか投票することも、もちろん立候補することもできない外国籍の人びと、納税はするけれど政治にコミットできない人びとの存在が、このたびのことで意識されるようになるといいと思います。このくにがもし100人の村だったら、そういう人は2人です。2人もいるのです。しかも、そうした人びとのなかには、子どもが通っている高校によっては、授業料無償化の恩恵にあずかれない人もいるのです。今は確定申告の季節です。その人びとは、二重の理不尽にやりきれない思いでいるのではないでしょうか。そういえば、「代表なくして納税なし」がアメリカ独立戦争のスローガンだったことを思い出しました。

ごちゃごちゃした文章ですみません。怒りと情けなさで、もう一度推敲する気力を失ってしまいました。

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メアのクビを取れ

征服者が被征服者を尊敬することはありません。宗主国の人間は植民地の人間を軽蔑しかしません。このくにの、ついこのあいだの歴史を思い起こせばわかることです。植民地支配や侵略の記憶は、孫やひ孫の代になって嫌韓、嫌中といった言葉が発明され、それが定着するほどに、この社会の獲得形質を、ごく一部ではあれ不健全にゆがめています。かつて下に見て痛めつけた相手が痛手を乗り越えて立ち直ってきた時、「向こうは仕返しをたくらんでいるに決まっている」と考える、おのれの悪意や敵意を相手に反映させた防御反応が、そうした病理的な心理を生むのでしょう。

過去の悲惨を胸に、なにくそでがんばってきた韓国や中国の人びとが、時に怒りや悲しみをこちらにぶつけてくるのは、いかんともしがたい、自然なことです。こちらがするべきは、それを受け止めること、その悲しみや怒りは正当であることを何度でも肯うことです。謝ることです。お互いにとって取り返しのつかない過去の悲劇は、そうやって克服していくしかありません。火事を出したら3代謝り続ける、それがこのくにの伝統だったはずです。

のっけから話があらぬ方へと飛んでいってしまいました。言い訳すれば、私にとってはそのくらい考えさせるできごとではあるのです。

ケヴィン・メア。80年代から駐日大使館に勤務し、06年から09年までは在沖米総領事をつとめ、今は米国務省日本部長の座にあるアメリカの高級官僚です。この人の昨年末の発言がメディアに出た、なぜこの時期なのか、とまずは首を傾げました。ニュースのタイミングにはなにかしらの意図が隠されている、と考える癖がついてしまったからです。

ブログ「地元紙で識るオキナワ」さん(
こちら)が、連日にわたって網羅的に紹介してくださるメア関連記事によると、沖縄研修旅行を控えたワシントン・アメリカン大学の学生14人を対象に、昨年の12月3日、メアサンが講義をした、そこに沖縄出自の日系4世の学生がいた、この学生をはじめとする4人がノートを持ち寄って講義録をつくった、ということのようです。

12月18日から高江をふくむ沖縄各地を回って、米軍基地に苦しむ沖縄の現実に衝撃をうけた学生たちは、メアサンの言説と照らし合わせて、その外交官としての資質を「悲しい」と評しています。はたちそこそこの学生たちの感性はまっとうです。沖縄の現状も人びとも、メアサンから「聞いた話と違う」、ヘリパッドに反対している人びとは「勇敢だ」、「(辺野古の)現行案は米国と沖縄の関係を壊すだけだ。普天間は間違いなく危険だった。国務省や外務省だけでなく、沖縄を入れた議論を始めないといけない」(3月8日付「沖縄タイムス」、元は
こちら)と堂々と持論を展開して、すばらしいと思います。

メア語録を追いながら、私は奇妙な既視感にとらわれていました。守屋武昌元防衛事務次官の「ぼやき」調の述懐(拙ブログ「ぼやいてみせる守屋サン」10年4月27日 
こちら)と、メア日本部長の高飛車発言、立場や資質の違いからくるニュアンスを除けてみると、中身は驚くほど似ているのです。守屋サンとメアサンは、(たぶん沖縄のゴルフ場でまっ黒になりながら)辺野古新基地建設をおしすすめようと、ともに汗をかいた仲です。メアサンは任期中、基地を容認する沖縄の財界人としか接触しなかったそうですが、守屋サンの『「普天間」交渉秘録』(新潮社)を読むかぎり、守屋サンもそうでした。そして、かれらにきりきり舞させられ、いっぽうは沖縄に「手玉にとられた」とぼやき、いっぽうは沖縄は「ゆすりの名人」と軽蔑もあらわに言い捨てた。

つまりふたりとも、それぞれの政府からうけた厳命をまっとうできなかったどころか、1ミリも前進させることができなかった。上司から無能、使えないと烙印を捺されてもしかたなかった。沖縄の、かれらと交渉にあたった財界人ではなく、基地に出て行ってほしいと粘り強く行動し続けた沖縄の人びとの勝利です。でも、だから、ふたりは自分の不首尾を沖縄の人の不誠実のせいにして、役人としての保身にこれ努めているのです。人は失敗した時に本性をあらわすものです。ふたりは卑怯で小心なところがバレてしまいました。表向き、どんなに権力の中枢にいて肩で風を切っていようとも、しょせんは手柄に汲々とする小役人でしかないことがバレてしまいました。守屋サンは収賄の罪で服役中です。

だからと言って、メアサンに憐れをもよおす必要はありません。断乎、クビを取りに行くべきです。そうしない内閣は、植民地の下請け政庁であり、どんなにばかにされてもこちらからは波風をたてたくない、「へいこら」姿勢をとり続けたいと公言することになります。メアサンは沖縄を侮辱したと、沖縄のメディアは主張しますが、よく読むと、日本の和の文化はその実ゆすりの手段だとか、日本人は本音と建て前を使い分けるとか、このくにを丸ごと軽蔑したうえで、なかでも沖縄の人びとはそういうことに長けている、としています。県内外のウヨクさん、こぞって怒っていただきたい。いま怒らないで、いつ怒ります?

アメリカの国益を、アメリカの国益のみを追求する正直と言えば正直なメアサンの今回の発言、これからアメリカの外交を観察するのにおおいに役だってくれるでしょう。とくに、9条改憲してもらっては困る、あれがあるから米軍基地を沖縄などに置けるのだし、集団的自衛権は別の話として進めていけばいいし、そうできるのだから、自衛隊はどんどんアメリカにとって使い勝手のいいものにしていけばいい、という主張は、9条護憲を唱える県外の人びとの弱点をみごとに突いています。改憲して戦争のできるくにになるのはいや、かと言って米軍に居座られるのも拒否したいとする立場からこれに対抗するなら、辺野古・高江でがんばっている人びとと連帯することがますます重要になってきます。でもその前に、メアのクビを取れ、と政府に迫ることでしょうね。

なぜこの時期に報道されたのかは、いまだわかりません。メア発言、各論についてもいろいろ思うところがありますが、きょうはここまでにしておきます。

(エントリのタイトル、「メアのクビを取れ」は表現としておかしいですね。正しくは「メアのクビを差し出させろ」です。タイトルを訂正すると、すでにツイッターやあちこちのサイトに出回っているので混乱を招くと思うので、ここに訂正しておきます。16:06)

ウェブ版「沖縄タイムス」紙(3月8日付)の「メア日本部長発言録全文(日本語)」を以下に貼りつけます(元は
こちら)。「沖タイ」はウェブに英語全文も載せています。気合い、入ってます。ジャーナリズムの気概を感じます。

     ************************

アメリカン大の学生らが作成したメア日本部長発言録全文は次の通り。

   ×   ×   

私は2009年まで駐沖縄総領事だった。在日米軍基地の半分が沖縄にあるといわれているが、この統計は米軍専用基地だけ勘定している。もし、米軍基地と米軍と自衛隊が共用している基地のすべてを考慮に入れれば、沖縄の基地の割合はもっと小さくなる。沖縄で問題になっている基地はもともと水田地帯にあったが、沖縄が米施設を囲むように都市化と人口増を許したために今は市街地の中にある。

沖縄の米軍基地は地域の安全保障のために存在する。基地のために土地を提供するのが日米安保条約に基づく日本の責務だ。日米安全保障条約に基づく日米関係は非対称で、日本は米国の犠牲によって利益を得る。米国が攻撃されても日本は米国を守る責務はないが、米国は日本を守らなければならず、日本の人々と財産を保護する。

 集団的自衛権は憲法問題ではなく、政治問題だ。

1万8千人の米海兵隊と航空部隊が沖縄に駐留している。米国が沖縄に基地を必要とする理由は2つある。既にそこに基地があることと、沖縄は地理的に重要な位置にあることだ。(東アジアの地図を見せながら)、在日米軍の本部は東京にあり、そこは危機において、補給と部隊を調整する兵たん上の中心に位置する。冷戦時に重要な基地だった三沢はロシアに最も近い米軍基地であり、岩国基地は朝鮮半島からわずか30分だ。さらに、沖縄の地理的位置は地域の安全保障にとって重要だ。

沖縄は中国に朝貢していたが、独立した王国だった。中国の一部になったことはない。米国は1972年まで沖縄を占領した。

沖縄の人々の怒りや失望は米国でなく日本に向けられている。日本の民主党政権は沖縄を理解していない。日本政府は沖縄とのコミュニケーションのパイプを持っていない。私が沖縄の人と接触しようと提案すると、民主党の関係者は「はい!はい、お願いします」という。自民党の方が現在の民主党政権よりも、沖縄と通じ合い、沖縄の関心を理解している。

3分の1の人は軍隊がない方が世界はもっと平和になると思っているが、そんな人たちと話し合うのは不可能だ。

09年の選挙が民主党に政権をもたらした。これは日本では初の政権交代だ。鳩山首相は左派の政治家だ。民主党政権下で、しかも鳩山首相だったにもかかわらず、米国と日本は2+2(外務、防衛担当閣僚による日米安全保障協議委員会)の声明を(昨年)5月に発表することができた。

〈メア氏は部屋を退出し、彼の2人の同僚が日米の経済関係について講義。メア氏が戻ってきて講義を再開すると、2人の同僚は部屋を出た〉

米国は普天間飛行場から海兵隊8千人をグアムに移し、米軍の存在感を減らすが、軍事的プレゼンス(存在)は維持し、地域の安全を保障、抑止力を提供する。

(米軍再編の)ロードマップのもとで日本は移転費を払う。これは日本による実体的な努力のしるしだ。日本の民主党政権は実施を遅らせているが、私は現行案が実施されると確信している。日本政府は沖縄の知事に対して「もしお金が欲しいならサインしろ」と言う必要がある。ほかに海兵隊を持っていく場所はない。日本の民主党は日本本土への施設移設も言ってきているが、日本本土には米軍のための場所はない。

日本の文化は合意に基づく和の文化だ。合意形成は日本文化において重要だ。

しかし、彼らは合意と言うが、ここで言う合意とはゆすりで、日本人は合意文化をゆすりの手段に使う。合意を追い求めるふりをし、できるだけ多くの金を得ようとする。沖縄の人は日本政府に対するごまかしとゆすりの名人だ。

沖縄の主産業は観光だ。農業もあるが、主産業は観光だ。沖縄ではゴーヤー(ニガウリ)も栽培しているが、他県の栽培量の方が多い。沖縄の人は怠惰で栽培できないからだ。

沖縄は離婚率、出生率、特に婚外子の出生率、飲酒運転率が最も高い。飲酒運転はアルコール度の高い酒を飲む文化に由来する。

日本に行ったら本音と建前について気を付けるように。言葉と本当の考えが違うということだ。私が沖縄にいたとき、「普天間飛行場は特別に危険ではない」と言ったところ、沖縄の人は私のオフィスの前で抗議をした。

沖縄の人はいつも普天間飛行場は世界で最も危険な基地だと言うが、彼らは、それが本当でないと知っている。(住宅地に近い)福岡空港や伊丹空港だって同じように危険だ。

日本の政治家はいつも本音と建前を使う。沖縄の政治家は日本政府との交渉では合意しても沖縄に帰ると合意していないと言う。日本文化はあまりにも本音と建前を重視するので、駐日米国大使や担当者は真実を言うことによって批判され続けている。

米軍と日本の自衛隊は違った考え方を持っている。米軍はありうる実戦展開に備えて訓練しているが、自衛隊は実際の展開に備えることなく訓練をしている。

日本人は米軍による夜間訓練に反対しているが、現代の戦争はしばしば夜間に行われるので夜間訓練は必要だ。夜間訓練は抑止力維持に欠くことができない。

私は日本国憲法9条を変える必要はないと思っている。憲法9条が変わるとは思えない。日本の憲法が変わると日本は米軍を必要としなくなってしまうので、米国にとってはよくない。もし日本の憲法が変わると、米国は国益を増進するために日本の土地を使うことができなくなってしまう。日本政府が現在払っている高額の米軍駐留経費負担(おもいやり予算)は米国に利益をもたらしている。米国は日本で非常に得な取り引きをしている。(共同)

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NHK「死刑執行 法務大臣の苦悩」 ダメな人

ネガティヴなことを書くのは気が重いものです。だったら、書かなければいい。ここは、書きたいことを書きたい時に、書きたいだけ書くブログです。でも、それとは別の機微があります。自分にたいして自分が課した義務のようなものでしょうか。誰ひとり読まなくても、私が言葉でしてきたことの落とし前は言葉でつけなくてはいけない、という思いです。まあ、勝手な思いこみとどのくらい違うのか、客観的には測れません。

去年の7月30日と8月2日、千葉元法相のもとでおこなわれた2件の死刑について書きました(「法相が見るための死刑執行」
こちらと「死刑のことまだ考えています」こちら)。そして今月に入って、NHKのETV特集「死刑執行 法務大臣の苦悩」(放送は2月27日)を録画で見ました。ブログに書いたからには見なければ、見たからには書かなければ、というのが私の思考の筋道なのですが、そこで頓挫してしまいました。

番組を見た結果、去年の2本のエントリに付け加えるべき、あるいは訂正すべきことは、基本的にはありませんでした。でも、より具体的なディテイルは確認できました。それを書くのが、気が重いのです。

問題は2点だと思います。

1点目は、やはり官僚組織が大臣の言うことを聞かなかったということです。死刑執行の直後の、保坂展人さん情報のとおりでした。死刑を見学して、それをうけて死刑についての勉強会をもうけるなんて、と私は書きました。就任すぐに立ち上げるべきだったと。千葉サンの述懐によれば、法務官僚がまったく動かなかったのだそうです。あるいは、千葉サンでは動かすことができなかった。刑場公開も勉強会設置も、ぎりぎりの攻防の末実現したもののようです。その道筋で、死刑執行命令は避けて通れなかったらしい。2人の執行は、一省庁内部の政官のかけひき材料にされたとの印象を拭うことができません。

2点目は、法務大臣の資質の問題です。就任を打診されて、千葉サンはそれが死刑執行命令を出す職務をともなうということを重く受け止めなかった、死刑はいろいろあるひとつだと思った、就任せずという選択肢はのっけからなかった、と証言しました。大臣ポストに飛びついたのです。それが死刑廃止論者のすることか、と私は思います。

番組は歴代の法相のコメントもとっていました(鳩山ベルトコンベアー大臣は出てきませんでした)。1993年、死刑反対議連の代表をつとめていた二見伸明衆議院議員(当時)は、三ヶ月章大臣(当時)に死刑執行しないよう申し入れに行ったら、大臣が、「死刑執行命令にサインするポストに就くのだということを3日3晩考えた、判を捺せると決断できたから法相のポストを受けた」と言ってわっと泣き伏した、というエピソードを、まるできのうのことのように驚きを込めて語っていました(二見さん、去年10月29日のエントリ「政権はちゃんとしてほしい 事業仕分けと小沢デモ」(
こちら)でとりあげた小沢さん支持デモに参加しておられました。拙ブログに貼った映像でも、はつらつとコメントしていらっしゃいます)。元法相のなかには、官僚からの圧力など感じなかった、とおっしゃる方もいました。信念だからサインしなかった、といともあっさり言い放つ方も。中には、「仕事だから淡々と割り切って進めるしかない」とおっしゃる方もいて、私はとっさにアイヒマン、ナチスの絶滅収容所を仕事として取り仕切ったナチスの高官を思い浮かべました。

千葉サンはどうだったか。死刑執行命令にサインしないことで、死刑反対を主張してきた過去の自分と「自己矛盾しないだけでいいのか」と、考えたそうです。この言葉には、自己矛盾しないというのは自分個人に拘泥した自己満足だ、それでいいのか、というレトリックが透けて見えます。清濁併せのむおとなの政治家としてのあり方がある、という通念に逃げ込みたい言い訳が見え見えです。でも、現行制度を変えていきたいから、私たちはそれをすると約束した政治家を選ぶのです。法律と現行制度に忠実に、それまでどおりのことをするのが官僚の責務で、官僚にはそうしてもらわなければ困ります。そして、それを改める必要が出てきたと考える人が、政治家になるのです。政治家が選ばれたとたん、ポストに就いたとたん、それまでの主張をひっこめて現行制度に自分をあわせたのでは、私たちはなんのために政治家を、政権を選んでいるのか、わけがわかりません。政治家がその信念において自己矛盾しないことは、私たち主権者への厳粛な契約です。政治家に信念を貫く気がないのなら、政治家はいりません。国政は官僚に任せておけばいい。

千葉サンは、死刑執行命令に「サインすることで自分の中で次の重たいものをスタート」させた、と言います。それこそ、自分個人に拘泥したせりふではありませんか。しかも、直近の選挙で落選した千葉サンには、サインした時、政治家としての先は早晩なくなることになっていたのです。公人ではなくなる千葉サン個人の中で「次の重たいもの」がスタートしようがしまいが、それが国政を、社会を動かすまでの道のりははるかに迂遠なものになっていました。

番組の最後のほうで、千葉サンが見届けた元死刑囚のひとりが書いた手紙が紹介されました。自分は死刑になることと引き替えに、悔悟も懺悔もしなくていい立場に立ったのだとする、死刑という刑罰への根源的な問いを含んだ絶望の手紙です。かれなりの最後の思考をふりしぼった、みずからの尊厳を守ろうとする叫びです。それに目を落としていた千葉サンが言ったただ一言、「よく書けてますね」。

できればこういうことを言いたくはありませんが、とことんダメな人を目の当たりにした思いです。

もう一度、録画を見てから書こうとしましたが、きょうもとちゅうで気力が萎えてしまいました。たくさんメモもとりましたが、それも生かさずじまいです。雑ぱくですみません。願わくば、若き日に二見さんといっしょに三ヶ月法相(当時)と面談した江田五月法務大臣、死刑について、こんどこそ広く議論を起こしてください。江田さんの明るさ、明晰さ、誠実さに期待しています。
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植民地なき帝国の落日 属国のゆくえ

「アメリカ帝国」を意味する「アメ帝」という言葉は、サヨクさんの、一部、口の悪い方がたがつかってきました。でも、今や「アメリカの帝国主義」は、けっこう目にします。いろんな方が、「アメリカの単独覇権主義(ユニラテラリズム)」と違わない意味でつかっています。先おとといの2月26日にご紹介した『天皇とアメリカ』の吉見俊哉さんとテッサ・モーリス・スズキさんも、特別サヨクな学者さんではありませんが、ふつうに連発しています(サヨクウヨクなんていうのも時代錯誤の気がしますが、行きがかり上、言ってしまいました)。

第二次世界大戦後、アメリカは西側の盟主として、国際機関をつくったり国際的ルールを定める際に主導権を握り、ドルの世界の基軸通貨としての地位を確固たるものにし、またいろんな国で親米政権のたちあげに陰に陽に助力したりして、体制固めをしてきました。「世界の警察官」を名乗って、世界中の親米国に基地を展開し、さまざまな戦争を引き起こしてもきました。20世紀も残すところあと10年ほどになった時、冷戦が終わり、唯一の超大国となったアメリカは、グローバリゼーション(その実態はウェイ・オブ・アメリカ、アメリカ方式なのですが)を掲げて、全世界を単一の市場へと組み込んでいこうとしました。アメリカの単独覇権は圧倒的な現実で、ゆるぎないかに見えました。

けれど、しろうとの私には分かりませんでしたが、このアメリカの「世界支配」体制は、完成した時にすでに崩壊が始まっていたのでしょう。2001年の911事件このかた、戦争や金融危機がひきもきらず、異常気象のための不作が恒常化しています。当のアメリカを筆頭に、先進国はどこも財政難のため通貨をじゃぶじゃぶ供給し、行き場を失ったマネーは投機に流れ、金融グローバリゼーションでよりいっそう自由に動けるようになったこの投機マネーが農産品市場に流れ込み、食料の高騰を招いています。独裁によって政治的安定を確保してきた中東の国ぐには、食料をはじめとする生活物資を安く供給することで、人びとが政治的な行動に出ないようにしてきましたが、このところの食料高騰でそれができなくなった。すると、いっぺんに人びとの政府批判、ひいては攻撃が始まりました。石油を支配したいアメリカによってコントロールされてきた親米政権もつぎつぎと倒れ、あるいは危機に瀕しています。

アメリカは、民主主義を標榜しながら、世界のあちこちで親米独裁政権を支持してきました。中東の国ぐにでは、王による独裁的な統治に好意を示してきました。サウジアラビアは「サウド王家のアラビア」という意味です。王をアメリカの傀儡にしてきたのです。なぜこういうことをおさらいするかと言うと、進行中の中東革命から、日本の過去、そしてありえるかもしれない未来を思うからです。

アメリカ帝国主義と言いますが、そもそも帝国は植民地をもつものです。けれどアメリカは、フィリピンを手放したあとは、いちおう植民地をもっていないことになっています。第二次世界大戦後の世界秩序で、帝国主義と植民地支配が否定されたからですが、アメリカには北マリアナ諸島やグアム島、プエルト・リコなどの「自治的・未編入領域」があるので、「いちおう」と言いました。ともあれ、これらはかつてイギリスがインドを植民地にしたような意味での植民地はありません。

では、植民地なき帝国として、アメリカはどのようなふるまいをしてきたか。独立国に親米傀儡政権をつくる、そして政治的経済的軍事的、さらには文化的に従属させ、米軍基地を置く、ということだったと思います。軍隊を駐留させることができ、政府が言いなりなら、植民地経営の負担から逃れながら実質的には植民地をもっていることになります。これは、きわめて効率的な、新しいタイプの植民地支配です。

アメリカは、もちろん戦後の日本にも傀儡政権をつくることを画策しました。それも戦争中から。1942年の「ライシャワー・メモランダム」には、「ヒロヒト天皇はアメリカの政策実現のための最良の傀儡(best possible puppet)となりうる」と書かれてありました。ライシャワーとは、言うまでもありませんが、のちにもっとも有名な駐日アメリカ大使になるエドウィン・ライシャワーです。任期中にとどまらず退任後もたいへんな人気を博しましたが、その裏で冷徹なまでにアメリカの国益を追求し、先おととい書いたように、在沖米軍をグアムに退くにあたって法外な費用をふっかけたりして、日本政府を手玉に取ったしたたかな政治家です。

ライシャワーの進言にも拘わらず、このくににサウジアラビアやヨルダンのような、王が政治的な実権をにぎった「天皇による傀儡政権」ができなかったのは、天皇の戦争責任を問う国際世論にあらがってまで「天皇国ニッポン」をつくるのは得策ではない、とアメリカが判断したためでしょう。けれど、アメリカの帝国のまなざしは、日本を傀儡をいただくニュータイプの植民地と見て、その経営にいそしんできたのだと思います。しかも、その「ベスト・ポッシブル」な例として見ていた、いまも見ているのだろうと思います。

私たちはこのたびの政権交代で、何党が政権をとろうが、アメリカの意向に背けば鳩山政権のように潰される、潰されたくなければ、菅政権のようにぶざまなほどアメリカの便宜をおもんぱからなければならないということを、したたかに思い知らされました。でも、いや、だからこそ、中東革命がアメリカの傀儡政権をゆるがせているように、このくにでも、アメリカの傀儡となるしか政権を維持できないニュータイプ植民地であることを峻拒する、そうした動きが、この社会にふさわしいかたちで出てこないものでしょうか。

その昔、すべての道はローマに通ず、と言われました。ローマ街道は、ローマ帝国が属州を武力で支配するための軍事施設です。その維持費用が、属州をもつことによる経済的利益をうわまわるほどになったことが、ローマ帝国滅亡につながりました。いまアメリカでは、海外基地の縮小が議論されています。その維持が、破綻に瀕した国家財政をおおきく圧迫しているからです。ローマの落日と重なります。

そんないまだからこそ、全国の、とりわけなんと言っても沖縄の米軍基地について、私たちこのくにの主権者が真剣な議論をする時にきていると、私は思います。在日米軍基地は、傀儡政権のうしろにひかえる、帝国の意をうけた人形遣いである官僚組織(先おととい書いた「影の国家」)の、もしかしたら唯一かもしれない権力の源泉としては合理的なのですが、それ以外の、私たちいかなる他者の利益の道具にもされたくない市民、わけても基地の被害をこうむっている市民にとっては、とことん非合理なものでしかありません。

中東革命をアルジャジーラ・イングリッシュで見ながら、そんなことを考えました。

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抑止はユクシ(嘘)の続きのような続きでないような

2月13日、ハトリークスがウィキリークスにも負けないスピードで「抑止は方便だった」と明らかにしたことで、沖縄世論は硬化どころか激高し、県外の、とくに東京の一隅、霞ヶ関と永田町では火消しにやっきでした。

ハトリークスによって暴露されたことには、もしかしたら「抑止は方便」より深刻な衝撃として残っていくことがあるように思います。それは、このくにの官僚組織はひそかに独自の国家をつくっている、ということです。しかもこの影の国家は、日本という国家のまさに中核に位置しているにも拘わらず、アメリカという国家の外部機関として営々と機能してきた、ということです。内閣も国会も撮影所のセットのようなもので、中央マスメディアはそれを知りつつ照明をあて、カメラを回して、あたかも内閣や国会が国政について重要な決定をしているかのように見せかけている、実際は、官僚組織がその思うままに私たちを統治している、ということです。

在沖米軍は抑止力、というのも、官僚による影の国家の呪文のひとつです。ハトリークスの「抑止は方便」を、影の国家のエージェント北澤防衛相が「人生で1、2を争う衝撃」と、まるで芝居のセリフのような、極端なところが却って空疎さを露呈してしまう表現で否定しようとしても、もうむりでしょう。無類の説得力をもって私たちの胸にしっかりと刻み込まれてしまいましました。

官僚支配、そんなことはとっくにさんざん言われてきたことです。政権交代も、それを是正するという主張への共感が後押しした面があります。けれどこのたび、鳩山さんがしたかったこと、つまり沖縄から海兵隊基地を動かすということが、この影の国家の方針と真っ向対立したからこそここまであからさまに示された、影の国家がぬっと一瞬姿を現した、ということではなかったでしょうか。

奇しくも鳩山インタビューを追うように、18日、沖縄返還交渉の外交文書が公開されました。今はウィキリークスが、機密文書を時をへずに数カ月後に世界の審判の前にさらしてしまうわけですが、こうして40年以上たって生の情報に接した私たちは、驚き、怒り、そしてその後のなりゆきや今の状況に照らしての「やっぱり感」に脱力する、といったところでしょうか。当時ウィキリークスがあったら……いえ、あの頃は果敢な新聞記者が機密をすっぱ抜いてくださったのでした。なのに、それを抹殺したのも、影の国家である官僚機構と、その広報担当であるマスメディアでした。

公開された機密文書によると、沖縄返還が交渉に入る前の1967年、『4月15日付の「極秘」公電で、(元駐日大使)ライシャワー氏は日本大使館員に「沖縄の軍事施設をグアム島にそっくり移すことは理論的には可能」と指摘。ただ30億〜40億ドル(当時のレートで1兆800億〜1兆4400億円)の経費がかかると軍部が推定しており、米議会がそのような支出に反対するだろうと語った』(2月19日付沖縄タイムスより 元記事は
こちら)そうです。退(ど)いてやるから引っ越し費用を出せ、というアメリカの論法は、今も昔も変わらないようです。

ところが『日本政府は、事実上最初の返還協議となる7月15日の三木武夫外相(当時)とジョンソン駐日米大使(同)との会談で、基本的態度として「沖縄には米軍基地を存続せしめつつ施政権を返還する方途を探求」するとの覚書を米側に手渡し、最初から基地撤去を求めない姿勢をとった。』(同上)

その2日後、ごていねいに別ルートからも、在沖米軍基地は完全撤去できると、外務省に伝えられます。

『日本政府が沖縄返還を米国との交渉のテーブルに乗せようとしていた1967年7月、在日米大使館のザヘーレン参事官が「日本が強く決意すれば、米軍基地の完全撤去にせよ、基地付きの沖縄返還にせよ、何でも米側にのませ得るはずだ」と水面下で日本側に助言していたことが、18日公開の外交文書で分かった。

 この文書は、外務省の枝村純郎北米課長が7月17日に行った同参事官との懇談内容を書き留めた「極秘」扱いのメモ。同参事官は「離任前に話したいことがある」と枝村氏を呼び出し、「米国は日本か沖縄かの選択を迫られた場合、日本を取らざるを得ない。日本は自ら気付いている以上の強い立場にある」と、強気の交渉をアドバイスした。 

 ただ、「沖縄の施政権返還の方途」と題された極秘文書によると、日本政府は遅くとも同年8月10日の段階で「全面撤去は沖縄の米軍が重要な役割を果たしているとの政府の立場と両立しない」と判断し、完全撤去の選択肢を除外した。(2011/02/18-10:16)』(時事ドットコム 元記事はこちら

この2往復のやりとりを見ると、沖縄の米軍基地が米国領に帰ると言い出し、日本がそれを突っぱねて在沖米軍の背中にしがみついた、かのように見えます。とくにザヘーレン参事官は、親身に沖縄のこと、日本のことを考えてくれているように見えます。けれどこれについて、琉球新報の社説が鋭い分析をしています。

「この発言は米国が対日外交によく使う脅しの手法ではないか……グアム移転をちらつかせば日本が驚いて、沖縄に基地を置き続け、基地の自由使用を含む一層の防衛協力に動くとにらんだのだろう。」(2月20日付琉球新報 元記事は
こちら

私はこの見方に賛成です。では、なぜ外務省は沖縄から米軍がいなくなることを即座に願い下げにしたのか。アメリカのグアム移転提案に震え上がったのか。私は、怖かったのだろうと思います。明治以来、軍事力をこととしてきた習い性から、戦後というこの時代、おおっぴらに独自の軍隊によってアジアと対峙するわけにはいかないので怖かった。憲法9条で対峙するのが怖かった。なぜ怖かったのか。あの戦争をほんとうはきちんと精算していないと知っていたから怖かった。精算する気概がなかった、だから敗戦となれば素早くアメリカの庇護下に逃げ込み、内弁慶よろしくアジアと向き合わずにすませてきた。アジアからの戦争責任追及を、政治面でアメリカが抑えてくれていたけれど、さらに軍事面でも守ってもらいたかった……。

アジアが戦争責任をつきつめていけば、天皇までいきつくでしょう。外務省は、もっとも天皇に近い役所のひとつで、大使は天皇から直接認証される認証官です。そして、去年のクリスマス前後に数回にわたって書いた、米軍の恒久的沖縄駐留は昭和天皇の希望だった、という史実を思い起こしてもいいかもしれません(
こちら)。もしかしたらあの「成婚」には、外務省が文字通り皇室の外戚となって天皇を守り、あるいは守るふりをしてアメリカにしっかりと影の国家をつなぎ止めておくために利用し、日本がどうなろうが影の国家は未来永劫、栄華を続ける意図が隠されていたのかもしれません。入内(じゅだい)したのは、外務省主流の大物の娘さんで、自身も外交官でした。『天皇とアメリカ』(吉見俊哉・テッサ・モーリス・スズキ 集英社新書)を読んだところですが、戦後はこのふたつががっちりと組み合わさって体制を安定させてきたことを論じています。けれど、その肝腎の結束点である外務省についての言及は皆無でした。影の国家については、随所に暗示されていましたが。

悪いことをしたら潔く謝る。それをしないからアメリカに足元を見られて、たとえば法外な引っ越し費用を要求され(それにしてもライシャワーのふっかけた金額はべらぼうです)、しかも当のアメリカから、そんな巨額のお金は人びとの理解を得られないからないしょでよこせ、とまで言われて唯々諾々と密約を交わした、それが影の国家がしてきたことです。今もしています。影の国家は鳩山内閣をあっさり潰してまで、アメリカ「本国」に忠誠を誓い、それを副総理の立場で間近に見ていた菅サンは、いかにアメリカつまり外務省をはじめとする影の国家の歓心を買いながら総理の椅子に居座るかしか考えていないようで、影の国家はこれ以上は望めないほどの理想の「表の」総理大臣を得ています。そして、こうしているうちにも高江の木々が切られていきます。

影の国家がアメリカに貢いでいるのは、沖縄だけではありません。私たちのお金もこれまで以上に貢ごうとしています。改組した国際協力銀行の資金(私たちの税金やゆうちょ)をグアム移転や米国内の新規原発建設につぎ込んだり。きっと、こういうことは無数にあって、私たちの目からは隠されているのでしょう。なにしろアメリカは、国債評価トリプルAなど片腹痛い、世界最悪の債務国、お金が払底しているのです。これまでのいきさつからすれば、日本からむしれるだけむしってやろう、と考えないほうが不自然です。TPPは公然としているので、むしろたちがいいかもしれません。これについては、稿を改めます。

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抑止はユクシ(嘘) インターバル

正直者の鳩山さんが証言してしまった重要なこと、列記するのはさほどの手間ではありません。けれど、その前に書いておかねばならないことがある、という思いを払拭できず、ぐずぐずときょうまで引き延ばしてきました。それは、何十年も前から私の心の中に響いている怒鳴り声に関係します。

「だから沖縄なんか行きたくないんだ!」

怒鳴ると言うよりどやす。私自身をどやす声です。旅行ブームがブームを越えてすっかり定着し、沖縄は北海道と並んでリゾート地として群を抜いた地位を獲得しました。みんなが沖縄に行きます。私も行けば、その自然に驚嘆し、その文化に感動することでしょう。本場のソーキそばやラフテーに感激するでしょう。「癒しの島」ですっかり「癒され」てしまったりするかもしれません(「癒し」、物欲しげでさもしい言葉だと、私は思います)。

「米国は沖縄にいることでパラダイスのような居心地の良さを感じている。戦略的なメリットも当然だが、思いやり予算、県民の優しさも含めて。」(2月13日付沖縄タイムス紙、紙面の写真がこちらのブログ「地元紙で識るオキナワ」さんの2月14日のエントリにあります)

ウェブ版では省略された「鳩山由紀夫前首相一問一答」の一節です。「戦略的なメリット」は、お体裁でしょう。だって、このインタビューによれば、沖縄の、すくなくとも海兵隊は抑止力つまり戦略とは無関係だというのが、鳩山さんの認識なのですから。思いやり予算が沖縄を米軍のパラダイスにしている、というのはそのとおりです。このブログに引用するのはこれで5度目ですが、しつこく繰り返しておきます。「沖縄が地政学的に重要なのではない、思いやり予算と、防衛施設庁のきめ細かい住民慰撫が、沖縄に地政学的価値をもたらしているのだ」(ケント・カルダー『米軍再編の政治学』)。

残る「県民の優しさ」。このひとことに悶々としています。そうか? 沖縄の人びとはやさしいか? ほんとうに? 

冗談ではない、と私は思います。この「やさしい」というのは、蹂躙する者のまなざしに捉えられた「やさしさ」ではないのか。自分が蹂躙した相手の怒りや苦痛や悲しみにゆがんだ顔は見たくないから見ないことにし、そのうえでおのれの行為をプラスにさえ評価したいあつかましさが言わせるのが、「沖縄の人はやさしい」ではないのか。これは根深い問題です。鳩山さんひとりにとどまるものではありません。沖縄県外に住むすべての人びとにかかわる問題、ひいては、侵略や植民や支配の歴史をもつすべての地域の人びとにかかわる問題です。アメリカにとってのハワイが、フランスにとってのタヒチが楽園としてイメージされることと同根の、根の深い問題だと思います。

サイードの『オリエンタリズム』を引き合いに出すのがいいかもしれません。ヨーロッパ人のオリエントへのまなざしは、欲望と、異質なものへの蔑視に引き裂かれ、あるいはそのふたつが複雑にまざりあっていた、そういう混濁した視野に広がるのが、ヨーロッパ人にとっての幻想のオリエントでした。それは、女性として思い描かれるのが一般的で、ドラクロワの「オダリスク」、すなわち中東風の豪奢な調度にかこまれて寝椅子に横たわる全裸の美女が、もののみごとにヨーロッパのまなざしを表現しています。欲望しているのはヨーロッパです。土地が痩せ、気候も寒冷なヨーロッパと異なり、「オリエント」は香料や高級木材を産し、その技術力は精巧な織物などを生み、また高度の文化を誇っていました。ヨーロッパの欲望の対象にならないほうがふしぎです。なのにヨーロッパは、自分が欲望しているのではない、「オリエント」が誘惑しているのだ、と表象するわけです。

鹿児島出身の、文学者である友人が言っていました。「鹿児島の人間は、琉球と聞くと、激しいあこがれと激しい見下しに心をかき乱される」 薩摩藩による琉球支配が、何百年もたったいまなお、そうした心情を温存させているのでしょう。かき乱された心が、欲望主体であることの罪深さをも否定したいという第二の欲望をみたすために、この欲望は相手が、琉球がひきだしたのだ、と妄想し、蹂躙した相手がそれを歓迎していると妄想して罪悪感から逃れようとする心機は、ごくありふれたものです。そこから、「沖縄の人はやさしい」まではほんの一跨ぎもありません。

沖縄県外の人間は、「沖縄の人はやさしい」などと、軽々に言ってはいけないと、私は思います。実際にやさしくても、です。それが、琉球支配をしたことのある、いまなお「差別だ」と沖縄の人びとが告発せざるをえないような仕打ちをしている沖縄県外の人間の、たしなみではないでしょうか。たしかに琉球王国は交易によって栄えた国ですから、来訪者を歓待するという気質をいまに伝えているでしょう。けれど、だからと言って、沖縄にのこのこ出かけていって観光客として歓待をうける、そんな気分になれなかったのが、私の年来の「だから沖縄なんか行きたくないんだ!」なのでした。同じような理由で、韓国にも中国にも、グアムにもサイパンにも、インドシナ、シンガポール、マレーシア、フィリピンにも、行くのは気が重い。このくにがかつて軍靴で踏みにじった土地は、踏みたくないのです。永六輔さんは、だからこそ行くべきだ、観光してお金を落とすべきだ、とおっしゃいます。永さん、すてきだと思います。私もそこまで達観したいとも思います。けれど、いまだに遊びには行けない、私はひねこびた性格です。

沖縄にも、取材だ、講演だと、必要に駆られてようやく海を渡ることができました。「運動家」としてまなじり決して行くには、私はやわな人間です。仕事か、あるいは親しい友人を訪ねるためなら、言い訳が立とうというものです。私は、自分のいじけた拘泥を捨てる気はありません。「沖縄の人はやさしい」と、「癒しの島で癒された」と、さらりと言ってしまえる人への異和感に、これからもこだわっていくだろうと思います。

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「抑止はユクシ(嘘)」by琉球新報

「ほとんどの2月13日付新聞の1面トップはムバラク政権崩壊・大統領辞任の記事だったと思います。ところが沖縄の地元2紙はちがいました」──ブログ「地元紙で識るオキナワ」さんの2月14日のエントリの書き出しです(こちら)。この日、沖縄の2紙は、鳩山前首相のインタビューを1面トップにもってきたのでした。

最近、私は、政治家の言葉に向き合っていません。腹が立つばかりで、建設的なことがなにひとつ書けないからです。鳩山さんのインタビューにも脱力感を覚え、なにか言わなくてはと思うのですが、気が重くて、きょうまで放置していました。いまも気が重いことに変わりはありませんが、思い切って向き合うことにします。引用は、琉球新報「鳩山前首相一問一答 見通しなく『県外』発言」(2月13日付、
こちら)によります。

「民主党は沖縄ビジョンの中で、過重な基地負担を強いられている沖縄の現実を考えた時に、県民の苦しみを軽減するために党として『最低でも県外』と決めてきた。鳩山個人の考えで勝手に発言したというより党代表として党の基本的考えを大いなる期待感を持って申し上げた。見通しがあって発言したというより、しなければならないという使命感の中で申し上げた。」

「最低でも県外」は、鳩山さん個人の思いではなく、民主党の方針だったということが、まず確認されました。「しなければならないという使命感」、けっこうではありませんか。政治家なら、そうでなくてはなりません。ところが、これに続く「しっかりと詰めがあったわけではない」は、一言よけいというか、ふつう政治家は口が裂けても言わないたぐいの言葉ではないでしょうか。詰めがあったかなかったかなんて、たとえ訊かれたって答えなくていいのです。むしろ事前に詰めなんかなくたってかまわない、総理大臣というポジションに就いて初めて入手できる情報や人材を駆使して捜せばいいのです。この方、とことん正直というか、なんというか。

閣内が「県外」案で一致しなかったのは、「簡単じゃないとの思いから腰が引けた発想になった人も多かった。閣僚は今までの防衛、外務の発想があり、もともとの積み重ねの中で、国外は言うまでもなく県外も無理だという思いが政府内にまん延していたし、今でもしている。その発想に閣僚の考えが閉じ込められ」たのだそうです。「防衛、外務の発想」とは、「防衛、外務の官僚の発想」の意味であって、「その発想」とは「官僚の発想」でしょう。官僚が、大臣に個別にがんがんレクチャーした結果、大臣たちは簡単に「腰が引けた」わけです。これでは、政治家の存在意義が疑われます。官僚だけがいればいいということですから。

なんでそんな人を選んだのか、北澤防衛相は「防衛関係に安定した発想を持っているということだった。テーマを決めてそのための大臣だという前に、リストを決めてその中で一番ふさわしい人という形で当てはめていった」結果だというのです。「テーマ」とは、このばあい「国外、県外」実現だとしたら、そういうことは問わなかったし、任命時に「国外、県外に向けて働くように」と厳命をくだすこともしなかったのです。政治家としてどのような考えかではなく、ただ分野ごとに実力がありそうだったり、経験が豊富だったりする人を選んだわけで、これではいくら総理大臣がなにかを実現しようとしても、最初からむりというものです。

北澤サンは、「どこまで防衛省の考え方を超えられるか、新しい発想を主張していくかということが本当はもっと勝負だった気がする」とのことですから、鳩山さんの目からは、すぐに防衛官僚に籠絡されてしまったと見えていたのでしょう。岡田前外相は、「民主党が圧倒的な国民の支持を得て政権を中心的につくらせてもらったのだから、党のビジョンはしっかり打ち出すべきだと思った。一致して行動していただきたいという思いはあった」、つまり党首の言うことをぜんぜん聞かなかった、ということです。

そして極めつきは、やはり外交防衛官僚です。鳩山さんの「国外、県外」案という新しい発想を受け入れない土壌が「本当に強くあった。私のようなアイデアは一笑に付されていたところはあるのではないか。本当は私と一緒に移設問題を考えるべき防衛省、外務省が、実は米国との間のベース(県内移設)を大事にしたかった。官邸に両省の幹部2人ずつを呼んで、このメンバーで戦っていくから情報の機密性を大事にしようと言った翌日に、そのことが新聞記事になった。極めて切ない思いになった。誰を信じて議論を進めればいいんだと」

官僚組織がまったく言うことを聞かなかったのです。官僚たちの顔は、上司である総理大臣ではなく、アメリカに向いていた。アメリカこそが官僚たちの上司なわけです。鳩山さんは、5月の連休にオバマ大統領と直談判しようとしたけれど、それがつぶれたのも、お膳立てをすべき官僚組織が動かなかったからだし、官僚に入れ知恵された閣僚たちがてんでに足を引っぱったからでしょう。「密使」を置くことに失敗したのも、同様の理由でしょう。そして、首相のもとには岡本行男という買弁が何度も押しかけた。その手筈をととのえたのは、官僚でなくて誰だというのでしょう。

閣僚は腰が引けている、官僚はいっかな思い通りに動かず、冷笑的。これでは誰だって、「極めて切ない思いにな」るでしょう。でも、そこで突破口を見いだし、力技で道を切り開くのが政治家ではないでしょうか。それを、沖縄の人びとはじめ、政権交代を支持した人びとは期待したのではなかったでしょうか。「殺されたっていい」と言い放った首相もかつてはいたのです。「自分自身の力量が問われた」(この部分はウェブには出ていませんが、「地元紙で識るオキナワ」さんの紙面写真から読み取れます)、ようするに自分には力がなかったと認めたわけです。「極めて切ない」はこちらのセリフです。

私たちは、いったん国の舵取りを任せた人に、「相手は沖縄というより米国だった。最初から私自身が乗り込んでいかなきゃいけなかった。これしかあり得ないという押し込んでいく努力が必要だった」と、あとから反省されても困ります。「オバマ氏も今のままで落ち着かせるしか答えがないというぐらいに多分、(周囲から)インプットされている。日米双方が政治主導になっていなかった」と、官僚主導はおたがいさまみたいなことをおっしゃっていますが、オバマさんは外国の、海兵隊の一基地の問題なんて、さして関心がなかったのではないでしょうか。日本の首相の首が飛ぶほどの一大事だとの認識がなかったから、周囲にまかせっきりだったのだと、私は思います。

官僚は総理大臣を裏切り、忠誠など誓いませんでした。党幹部も閣僚の大部分も、党首の公約をなかったことにして、その手足となって働きはしませんでした。そんな連中は、即刻更迭すべきだったのではないでしょうか。そうすれば、アメリカに隷属するのではない、新しい、よりよい日米関係の始まりを思い描いていた人びとは、鳩山政権への支持をさらに強め、それが内閣や官僚組織を動かし、アメリカに対する外交力を強めたのではなかったでしょうか。鳩山さんという人は、そういう「冷酷な」ことのできない方なのですね。人がいいというのも、政治家、しかもその頂点に立つ総理大臣としては考えものです。

ここまで書いたら、がっくり疲れてしまいました。じつはこれは前置きです。正直な鳩山さんは、じつに重要なことを証言してしまいました。それはあしたに回します。

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「うんこがでた」の男の子と障がい者としてのもうひとりの私

きのうは、手違いで、おとといに続いて花のエッセイをアップしてしまいました。ほんとうは、おとといある集会でお話ししたことを記録しておこうと思っていました。

2月13日、水戸で開かれた、障がい者の医療、とくに重い障がいを負った子どもたちを地域や行政でどう支えるか、ということを考えるイベント「障がい者の医療を考える集い 地域でともに生きています」(「茨城の地域医療を考える会」主催)に参加したのです。そのなかで、私はおよそこんなことをお話ししました。初めておおっぴらにすることだったので、何度も口ごもり、聞いてくださった方がたには申し訳なかったと反省しています。ついでに言っておくと、主催者は私のこうした来歴はまったくご存じなく、指名されたのでした。


私の名前が初めて新聞に載ったのは、6歳の時です。社会面の下の方の数行のベタ記事ですが、「杉並区○○町○丁目の会社員○○さんの長女香代子ちゃん(6歳)が日本脳炎と診断された」。当時は、実名報道だったそうです。そうです、と言うのは、私はその記事を見ていず、親から聞いただけだからです。およその住所も出すべきほどのこわい伝染病だったのでしょう。私のばあい、命をとりとめる確率は五分五分、命拾いしても重い後遺症が残る確率は60パーセント以上と言われていました。深夜の隔離病棟で、昏睡状態の私につきそっていた母は、私の首に何度も手を伸ばした、と言います。

後年、医師の鎌田實さんは私のことを、「施設の障がい児と遊んで、なにが楽しいんだろうと思っていた」と告白しました。鎌田先生ことカマタクンと私は、高校の同級生なのです。カマタクンの言うように、高校時代、私は土曜日には施設に通って、今で言うボランティアをしていました。学校の友だちには知られていないつもりでしたが、話はいっしょに施設通いをしていた別の学校の友人から漏れ伝わっていたのでしょう。

なぜ私は、友人に誘われるままに施設に通ったのか。当時、なんとなくゆううつだったのです。ありていに言えば、目前に迫った受験勉強がおっくうだっただけの話です。こんな勉強してなんになる、という駄々こねが、生きていてなんになるという、哲学でかっこつけた「悩み」のかたちをとったのだと、今ならわかります。

そんななか、自分は日本脳炎で死にもせず、後遺症が残りもしなかったごく少数の幸運な人間のひとりだったのだ、100人のうちの20人か15人のひとりだったのだ、ということが意識に浮かびました。6歳で死んでいたかもしれないし、母に殺されていたかもしれないし、後遺症のために、高校ではなく施設が私の世界のすべてだったかもしれない、と。そんなわけで、社会福祉の仕事を将来の視野に入れていたしっかり者の友だちの誘いに乗って、施設に足を踏み入れる気になったのでした。

それは、ありえたかもしれないもうひとりの私に会うための訪問でした。もうひとりの私に寄り添い、彼女に流れる時間を追体験するための「ボランティア」でした。その時間は、学校や家に流れるあわただしいそれとはまったく異質で、天上のもののようにゆったりと流れていました。高校生ですから、せんたく物をたたむとか、汚れた床をきれいにするとか、食事のお盆を運ぶとかの、ごく簡単な作業しか任されません。ほとんどが、車椅子の子のそばにいることが、私に求められた仕事なのでした。私は、なにをするでもなく車椅子の子とぼんやりと過ごし、ときどき言葉を交わしなどしながら時間の瀞にひたっていました。それは、ほかではけっして味わえない心地よさでした。

そんな子どもたちの中に、快活な男の子がいました。小学校の高学年ぐらいだと思います。その子も、手伝ってもらわなければ食事もできず、もちろんトイレも介助が必要でした。ところがその子は、トイレから帰ってくると、決まってうれしそうに、「うんこがでた」と私に報告するのです。「いっぱい?」と訊くと、「うん、いっぱい」と顔じゅう口にして喜びを表します。「おっきいの?」と訊くと、「うん、おっきいの」と、からだをよじって面白がります。いつもそんな調子でした。その子を見ていて、私は思いました。食べるのも出すのも、ほんとはたいへんなことなんだ、食べることはおおいなる快楽で、だけど出すこともまたおおいなる快楽なのだ。人は、食べて、出して、笑って、それでじゅうぶんじゃないのか……。

いつしか私は、施設に通わなくなりました。すんなりと受験態勢に入っていったのです。私がいたかもしれない施設の時間の流れにいっとき身をひたしたから、あの男の子と「うんこがでた」のやりとりをしたから、無意識のなかでなにかがすとんと音たてて腑に落ちたのだろうと思います。施設に通ったことで福祉に目覚めたとか、そういうことは私には起こりませんでした。けれど、あそこにいたかもしれない私は、今もなお私のなかに生きています。ふたごの姉が今も施設にいて、あのゆったりとした時間を生きているような気がします。「うんこがでた」の男の子の、生きるよろこびに満ちた姿は、私の原点です。

とまあ、ここまでが私の障がい者をめぐるいわば純情編なのですが、そのわずか数年後に、この価値観をがらりと変えてしまう経験をしました。大学時代に始めた翻訳のアルバイトで出会った翻訳のお師匠さんは、後藤安彦とおっしゃる脳性麻痺の方だったのですが、後藤先生は語学の天才であると同時に、お酒の好きな、英語でポルノ小説を読むことを無上のよろこびとする、ただのおっさんだったのです。また、全国障がい者団体連絡協議会と言ったでしょうか、そういう団体の会長もつとめる、社会運動家でもありました。

障がいをもつからと言って、心が清らかだったり、特殊な才能に恵まれていたりするわけではないことを、後藤先生や先生をつうじてお近づきになった障がい者の方がたから学びました。ちょっと考えれば当然のことです。障がいがあろうとなかろうと、人は欲のかたまりで、いとおしい生を転がしているのです。この発見は痛快でした。後藤安彦先生のことも、おとといの講演ではお話ししたのですが、先生のことはまた稿を改めてきちんと書こうと思います。

講演が終わったあと、その日のもうひとりの講演者、土浦共同病院の小児科部長で、超重度障がい児の在宅ケアをサポートしておられる渡辺章光さんは、やさしい目をいっそうやさしそうに細め、でも科学者の率直な好奇心で輝かせながら、「日本脳炎に罹られたのですか。私は診たことがありません。年長の医師から話に聞いたことはありますが」と、うれしそうに話しかけてこられました。

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「引き返す道はもうないのだから」表紙180


「引き返す道は

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(かもがわ出版)

・このブログから抜粋して、信濃毎日新聞に連載したものなども少し加え、一冊の本にまとめました。(経緯はこちらに書きました。)
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