音楽

沖縄と升味佐江子さんと知久寿焼さん

こんなことがあるのですね。

半年前のブログ記事を、いまだに毎日10数人の方が読んでくださるのです。あるサイトから飛んできて。少なくとも3000人は読んでくださったことになります。その記事は、6月3日の「東京メディア発 沖縄への涙 升味佐江子さんin『パックインジャーナル』」(
こちら)、あるサイトとは、ミュージシャンの知久寿焼さんのサイトです(こちら)。知久さんは、毎年沖縄に行っていて、高江、とっても行きにくくて、私など1度しか行ったことがありませんが、知久さんは通っています。「ヘリパッドいらない」住民の会のテントで、ライブもやっています。ライブと言っても、道端で酒盛りしながらどんどん歌をうたった、という感じだったようですが。

クリスマスイブの夜、知久さんのライブに行きました。そこで知久さんに、「紹介してくれてありがとう、おかげで、ビデオを何度も見ながら書き起こした甲斐があったわ」とお礼を言いました。知久さんは、「あれが僕の気持ちにいちばん近かったから。じゃあ、当分、リンクしておくね」と言って、話がその前の日にテントが米軍ヘリに飛ばされたことに及ぶと、表情を引き締めました。

知久さんの歌はシュールです。chiku_sanでも、ことさらにシュールを衒(てら)っているのではありません。子どもの歌が多いのですが、子どもの頃、知久さんにとってこの世界はわけがわからなくて、悲しくて、ぶっ飛んでいて、ひりひりとつらかった、惻々とさびしかった、ときおりこよなく甘いものがバイバイと手を振って……あの世界いったいなんだったのだ、ということを表現しているから、どうしてもシュールになってしまうのだと思います。あの夜、ワンフレーズだけふつうの、ベルカントみたいに歌ったのは、私にはスキャンダルでした。ハイバリトンの、すごくいい声だったのです。知久さんがいい声を捨ててあの独特な発声を編み出したのは、それでなければ自分の世界を表現できないからなのだ、と納得しました。世界がでたらめに見える側、まっとうでえらそうな世界の裏側に閉じ込められた子どもが発する痛みの声があれなのだ、と。

「お留守番」という歌は、矢川澄子さんのことをうたっているのかな、と思ったとたんに、心の中でどばっと涙があふれました。「暑くもない、寒くもない、木漏れ日のこの家、目が覚めた、生きててよかった、細い肩で話していたね、君がいなくなってから、ぼくはずっとお留守番、君に会いたい……」そんな歌でした。黒姫の矢川さんの家でのいろんな楽しかったことがほうふつとしました。

矢川さんに知久さんのこと、と言うかバンド「たま」のことを最初に教えたのは私だって、知久さんは知ってる? うちの2つ先のブロックに、詩人仲間の白石かず子さんがお住まいで、矢川さんは白石さんのお宅に行く時、西荻窪駅からの道すがら、いつも子どもたちにケーキを買って、寄ってくださるのでした。そんなある日、「これ見てくださいな、きっと矢川さんお好きだから」と、半ば強引に「いか天」のビデオをお見せしたのでした。私はこの番組が大好きで、「たま」が破竹の勢いで勝ち進んでいた頃でした。矢川さんは、「ふうん」とか「ほお」とか、関心なさそうな反応しか示されませんでした。

ところが矢川さんは、秘かに強烈な興味をもったのです。そのことを矢川さんがさっそく、秘書みたいなサポートをしてもらっていた元編集者に言ったら、偶然、彼女は知久さんの親しい友だちで、一気に交流が始まり、この3人ともう1人、若い写真家の4人は荻窪でルームシェアをするまでになった。そこにうかがうと、矢川さんは、「私、お母さんごっこしてるの」といそいそという感じでうれしそうにおっしゃっていました。なのに、知久さんたちったら、「ええ?」なんて語尾を上げてにやにや。「『たま』を見ていると、小町の家を思い出すのよね」が、矢川さんの口癖でした。若き日の矢川さんが渋澤龍彦と過ごした、伝説の鎌倉小町の家。たしかに、「叩き物」担当の冬でもランニング姿の石川さんは、小町の常連、サンスクリット学者の松山俊太郎さんとおかしいほどそっくりだったけれど、矢川さんがだれを渋澤に同定していたのかは、ついにわかりませんでした。矢川さんと知久さんは、詩や絵や音楽でコラボして、そうそう、知久さんの昆虫採集にも矢川さんはつきあって、ツノゼミの食性なんかうんと詳しくなって、ほんとうにまるで永遠の夏休みを遊び惚ける母子のようでした。矢川さん亡きあと、知久さんは黒姫の家を矢川さんのご親族とともに管理している。まさにお留守番。

最後の歌、「今ちょっとここだけの歌」(だったか?)、歌詞はちゃんと憶えていませんが、だいたいこんな意味でした。「このへんな声の歌を聴いているあたしは、たしかに今ここにいる、このへんな声で歌っているぼくは、たしかに今ここにいる」 音楽表現によって煉獄巡りをした果てにたどりついた知久さんの居場所は、知久さんの表現を求める一人ひとりにもその居場所をもたらしている、それを確かめ合うことの深い意味、私たちはひとりぽっちで、でもひとりぽっちではなく、でもでもひとりぼっちで存在するという謎にまで達するほど深い意味が、単純な言葉にこめられていました。そういうこと、私たち芸術家じゃない人間は、芸術家が言ってくれないと、うっかり気がつかないまま死んでしまうのです。

知久さん、すばらしいクリスマスプレゼントありがとう。突然ハグハグするから、まだお客さんがみんなたくさん残っていたのでぎこちなくなってしまった私は、ダサイおばさんです。

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「人間のクズ」 沖縄は怒(いか)ってる

ほかの場所で「人間のクズ」という文字を見たら、あら、と興味をかき立てられます。キヨシローさまのことかしら、マチダコーさまのことかしら、と。しかも「を迎えよう」と続いているということは、キヨシローさまは無理でもコーさまがおいでになるのかしら、そのイベント、私も行きたいなあ、とスケジュール帳などたぐりよせ……ということになるのですが、今回ばかりはのっけからそんなことにはなりませんでした。この文言を見たのが、ブログ「辺野古浜通信」さんのきのうの記事のタイトルの中だったからです(こちら)。しかもよく見ると、「迎えようか」と「か」がついているではありませんか。これはもう、紛れもないけんか腰です。

ブログ「辺野古浜通信」さんは、これまで私が知る限り、どんなことがあっても怒りをあらわにしたことがありません。私など、とっくに怒り心頭に発していても、「辺野古浜通信」さんはふしぎなゆとりと言うか、ユーモアというか、静けさをたたえていました。それがこのたびはこのけんか腰です。少し引用します。


「人間のクズを迎えようか……沖縄の米軍基地負担「甘受して」 
沖縄の方々もそういう観点から、
誠に申し訳ないが、
こういうことについて
甘受していただく
というか、お願いしたい

沖縄の皆さん方に長年、
日本人、ヤマトンチュ(本土の人)として
しわ寄せを押しつけてきた

一朝一夕で
すべての基地を
国内の他の地に移す
とはいかない・・・・

仙谷由人発言より

(理由は自分の地元は「甘受できないから」だそうだ。)

すべての基地?今は普天間の話をしているが・・・
そちらも撤去してくれるということだろうか?
なにしろ、もう65年も経ている「一朝一夕」では・・・ない

・・・こんな人間のクズ そのクズの大将 菅直人が沖縄に来る。

わたしたちも、決意を持って全員でお迎えしよう。
もちろん日本国の首相さまがいらっしゃるのだ。
戦後日本で一番基地と共に貧困と暴力を「甘受」してきた県民、非正規雇用ばかりの、年末年始の仕事が無いと給料はたちまち10万円を割ってしまう私達だけれど・・
仕事なんかしていられない。

ぜひぜひ仕事を休んで日本国の首相さまをお迎えしよう。
100人でも
1000人でも
10000人でもいい
呼びかけに応えて、集まろう。

以下、12日平和市民連絡会からの連絡転載します。状況によって予定変更あります。
その際は詳細はツイッター、ブログ等でお知らせがあると思います。」


怒りのあまり、表現がへんです。通常なら、「10000人でも、1000人でも、100人でもいい」と、桁が少なくなっていくのに、それが逆になって、もう10000人集まるしかないと決めてかかる勢いです。人間のクズ、クズの大将菅直人、日本国の首相さま、というたたみかけからは、唯一、民意によって担保されるべき民主主義下の統治の正統性を、自分たちはこいつらにはまったく認めない、という激しい拒絶が高鳴っています。

怒りを招いたのは、例の仙谷「甘受」発言です。怒りの矛先にあるのは、急遽決まった17、18日の菅沖縄訪問です。私は、沖縄の人びとがそんなに怒っていることに、唇を噛みしめます。仙谷サンは、「私の(出身の)徳島県を含め、自分のところで引き受けようという議論は国民的に出ていない」と言い、だから沖縄に「七重のひざを八重に折ってでもお願いしないといけない」と言います。でも、だったらあなたは、沖縄にお願いしたいと言う前に、地元の徳島県の人びとに「七重のひざを八重に折ってでもお願い」なさったのですか。なさってないでしょう。涙がにじみます。政府の人びとは、沖縄の地政学的条件が、とかなんとか言って、だから米軍基地は沖縄でなければだめなのだ、という理屈を立てたりしてきました(大嘘なのですが)。かと思うと、ほかに引き受けるところがないから、と言い出したり。白々しいとはこのことです。沖縄こそが、もういいかげん引き受けるのはお断りだ、と明々白々な意思表示をしているのですから。

「辺野古浜通信」さん、最後まで読んだら、「怒り過ぎました…。PCでご覧の方はキヨシロー聴いて和んでください」ですって。てれ隠しみたいに、キヨシローさまの歌のyoutubeが貼りつけてありました。こういうところが、「辺野古浜通信」さんなんだなあ。和みながら、怒りながら、キヨシローさまを聴きながら、ほんとにスケジュール帳を繰ってみます。私が10000人目、1000人目、100人目になるかもしれないのだから、と。

キヨシローさま、私も貼っておきます。



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オペラと人権

オペラと人権について論ぜよ。あるところからの講演依頼です。えっ、そんな無理難題を、と思った次の瞬間、なるほど、と膝を打ちました。企画者の意図に舌を巻きました。なぜなら、人権という思想が生まれ成熟していったのと、私たちが親しんでいるオペラのレパートリーがつくられていったのは、歴史の中でほぼ同時期たからです。オペラのストーリーに人権が語り込まれていないはずはありません。その気になってみると、近代オペラのテーマは人権、個人の尊厳だ、と思えてきました。

前近代は「栄光は神にのみぞ帰さるべし」で、栄光や尊厳は神と、神から統治権をあたえられたとされる王の専有物でした。下々の者たちは、個人の尊厳など無縁の世界に生きていました。当時のオペラは、王の威光を示すための総合芸術でした。2階正面に王専用のロイヤルシートを備えたきらびやかなオペラハウスで、多くはギリシア神話に材を取った、神や王の栄光を讃える作品が上演されたのです。

ところが近代は、普通の人びとに人権も国家主権もあるということを前提にしています。フランス革命に見るように、自由・平等・友愛を掲げ、基本的人権と国民主権を高らかに宣して、近代は始まったのでした。それとともに開花した近代オペラでは、英雄的なキャラクターが自己の尊厳(人権)を守るために悲劇的な最期を迎え、それに感動した人びとが、それぞれの尊厳(人権)は不可侵なのだ、と意を強くする、オペラは近代人をつくるための「社会教育の教材」だったのです。たとえばヴェルディの「椿姫」は、パリの高級娼婦(「娼婦」はちょっと違う感じがします。お茶屋を経営する祇園の芸者さんをイメージしてください)と地方の名士が、最初の衝突から紆余曲折を経て、互いに尊厳ある人間としてふるまい、認め合う、という流れになっています。

前近代から近代へのはざまに位置するのがモーツァルトです。「フィガロの結婚」は、王の財源で王立のブルク劇場(ブルク=王城)で上演された「近代人権オペラ」だったので、物議を醸したのです。

フィガロの許嫁ズザンネにたいし、伯爵は初夜権という古めかしい権利を行使しようとします。初夜権には、かつては正統性がありました。処女には恐ろしい力があり、初めて夜をともにする者は、その力に匹敵する力の持ち主でなければ命を落とす、と信じられていたのです。領主にはその力(呪力)がある、というのが、前近代の民俗学的発想です。映画で、花婿が新居に花嫁を導き入れる時、お姫さま抱っこするシーンがありますが、かつてあれにはロマンティックな意味などなく、処女が敷居をまたぐと恐ろしいことが起こると信じられていたからです。ことほどさように、処女はタブーで包囲しなければならない、禍々しい存在でした。領民は領主にお願いして、花嫁と初夜をともにしてもらいました。

しかし、このキリスト教以前の信仰は、時代が下るにつれて、だんだん内実を失っていきます。領民は領主にお金を払って、初夜権を放棄してもらうようになりました。もちろんオペラでは、伯爵もフィガロもズザンネも、処女の恐ろしい力など、すでに信じていません。初夜権は伯爵の好色の口実でしかありません。伯爵を含めて、すべての登場人物はすでに近代市民の心性の持ち主、近代人です。だから、フィガロは自分とズザンネの尊厳をかけて抵抗するのです。伯爵夫人も抵抗します。大団円、伯爵は前近代の領主というタテマエを否定され、よき夫という近代人へと生まれ変わります……まあ、本物の改心かどうか、保証の限りではありませんが。

とまあ、講演ではこんなお話をしました。十分に意を尽くせたか、言わんとすることは伝わったか、心許ないものがあります。もっとよく練って、ていねいに論じられたら、と雪辱の機会を狙っています。

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秘密のオペラ8 権力闘争が暴く平凡人の心

新日本フィルハーモニー定期演奏会プログラムの、3年にわたる連載をここに転載してきました。それも今回で最後です。「誘惑」「抵抗」「秘密」というテーマのもと、1年に8公演、24作のオペラについて、自由に書かせていただきました。たいへんだったけれど、楽しい経験でした。次はどの連載原稿をここに載せようか、と考えているところです。

連載の最後にとりあげたのは権力の秘密、より正確には、政治権力という魔物にほんろうされた人びとの内心にきざす情念の秘密を浮き彫りにしようとした作品です。そんな苛烈な運命に遭遇しなければ、詩人にしろ令嬢にしろ召使いにしろ、おそらくはおだやかだけれど平凡な人生を歩んだであろう人びとが開示してくれた、これは私たちの秘密でもあるのだと、私は思います。



ウンベルト・ジョルダーノ「アンドレア・シェニエ」

 
フランス革命のさなか、ジャコバン党は反革命派だけでなく、革命派内でも自派以外は容赦なく断頭台に送った。彼らがわずか1年あまりの間に抹殺した人間は、パリだけでおよそ2,600人、フランス全土だと2万とも4万ともいわれる。38分で20人がギロチンにかけられたことすらあった。
 
新しい権力の中枢が混乱し、権力基盤がいまだ脆弱なとき、その確立のためなら、人はきのうの盟友でも殺すことができるのだろうか。それは人間の業なのか。その秘密は開示されぬまま、人類は幾度となく、革命という力による国家権力の移動が起こるごとに粛正を繰り返してきた。
 
そのたびに、なぜこの人が、と悲痛な疑問を投げかけずにはいられない犠牲者たちが現れる。ジャコバン党のもとでフル稼働したギロチンの下にも、また。
 
詩人のアンドレ・シェニエは、その代表格として名高い。古典期ギリシアの詩を愛し、みずからも自然を賛美する作品を書き、しかし革命が起きるとその成就のためにジャーナリズムで筆をふるったシェニエは、正義感につき動かされた当時の典型的なインテリ青年だったのだろう。しかし、だからこそ、ジャコバン党がやみくもな血の粛正を始めると、批判しないではいられなかった。そのあげくの逮捕、国家反逆罪の有罪判決、そして処刑。それは、ジャコバン党が失脚し、恐怖政治が終わりを告げるわずか3日前のことだった。享年31歳。
 
シェニエが最期に書いたとされる詩には、こんな一節がある。


 円盤をめぐる時が
 輝くエナメルの上で止まる前
 60歩進んだそのとき
 彼の道は閉ざされる

 
獄中の詩人は、文字にエナメルを用いた瀟洒な懐中時計をもっていたのだろうか。時計の文字盤に見入り、間近に迫ったみずからの死を思う孤独な青年を、後世はひとりにしておかなかった。100年後、彼をモデルにしたヴェリズモ・オペラの中で、すすんでともに死ぬ恋人を差し向けたのだ。
 
ベルカントで歌いあげられる極彩色の感情がぶつかりあい、華麗なオーケストレーションと相俟って、見せ場に次ぐ見せ場をつくりあげながら、悲劇的なクライマックスに向けてひたすら高まっていく──ヴェリズモ・オペラの醍醐味だ。恋、裏切り、友情、憎悪、そして死が随所にちりばめられるこの種のオペラに、アンドレ・シェニエはぴったりの素材だった。ただし、台本作家のルイージ・イッリカも作曲家のウンベルト・ジョルダーノもイタリア人だったので、名前はイタリア風に「アンドレア」となった。
 
オペラのアンドレア青年は不器用なまでの堅物だ。伯爵邸の宴で詩を所望されたときの返答はこうだ。


 霊感とは 命令にもやさしいお頼みにも膝を折らぬもの
 詩とはたいへん気まぐれなのです

 
まことににべもない。ましてや、そんな青年に「愛」ということばを織りこんだ詩を披露させられるかどうか、賭けをしようとする伯爵令嬢には、こう答えた。


 あなたは愛をご存じない
 それは神々の贈り物
 もてあそんではなりません

 
コケティッシュな若い女性を、しかつめらしく説教するしまつだ。
 
けれど、この軽薄な令嬢マッダレーナこそは、オペラ後半、革命で没落し、逃避行の中でめざましく成長して、最後には詩人とともにギロチンの露と消えるヒロインだ。甘やかされつけた金持ちの子が、生まれて初めてきびしく叱責した相手に惹かれてしまう──よくある話かもしれない。けれど、ジョルダーノの音楽が、だれでもまっとうに伸びようとする力を秘めていることを雄弁に周到に描くとき、高揚の中に心洗われる思いがするのは、わたしだけではないだろう。
 
まっとうといえば、召使いジェラールも魅力的な人物だ。親の代から伯爵家に仕え、人間扱いされないことへの怒りから革命に走り、ジャコバン党の幹部となったジェラールは、元の主家の令嬢マッダレーナへの思慕を秘めている。そのマッダレーナが恋い慕う詩人アンドレアがいなくなれば、と呪う気持ちはよくわかる。けれどジェラールは、革命によって手にした、詩人を死に追いやることも可能な権限を行使しようとする自分を恥じる矜持ももちあわせている。じつにまっとうな人物像だ。ふたつの気持ちのあいだを揺れ動くジェラールの等身大の弱さと強さにも、人間性への希望は読みとれるだろう。
 
困難のなか、たくましく成長してほんものの愛を知るにいたるマッダレーナと、思わぬ権力を手にしても、その行使の是非を良心に問い、煩悶するジェラールにくらべると、主人公のアンドレアの、終始一貫、ゆるがぬ理想を体現する好青年という役柄は、いささか硬直しているような印象が否めない。
 
けれど、理想とはそういう、退屈なものなのかもしれない。アンドレアという一本の理想がこの作品を貫くことが、おぞましい側面をともなわないわけにはいかなかった現実の革命の、もうひとつのありうべき像を、現実の汚濁のなかから救い出して高々と掲げるためには、必要だったのかもしれない。タイトルロールの人物像がそのために多少単調になったとしても、甘んじるべきなのかもしれない。史実のアンドレ・シェニエは、オペラのアンドレア・シェニエとなってもなお、犠牲を払い続けている。

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秘密のオペラ7 カードと革命

新日本フィルハーモニー定期演奏会プログラムの連載エッセイ、「秘密」の7作品目は、チャイコフスキーの「エフゲーニ・オネーギン」です。

若い頃は、このヒロインにいらいらしました。恋に恋したり、なのに打算的だったり。こういう女性、苦手だなあ、と思うタイプでした。けれど、今なら分かります。彼女が、当時のいわゆる「勝ち組」として安泰な人生を歩んでいるようで、その実、断崖絶壁から飛び降りるような決断を重ねるたびに、心を固く鎧って、生き難い時代をしたたかに生きたのだ、ということが。


 
オネーギンは、友人の許嫁を一目見るなり、「どんくさい娘だな」とけちをつける。初対面のタチアナには、「叔父は農園を遺贈してくれたが、看取るのはうんざりだった」とほざく。
 
人はどのような経験をすると、こんなに人の気持ちを逆なでできるようになるのだろう。骨の髄までシニカルなオネーギンに苛立ちながら、そんな男に一目惚れしたタチアナに心痛めながら、そう問わずにいられない。
 
舞台は帝政末期のロシア、かれらは地主貴族の若者だ。この時代、ヨーロッパは近代化をとげつつあった。その遠い槌音を受信できるのは、外国語教育をうけ、書物をとりよせ、さらには彼の地に旅したりできる地主貴族の子弟だった。若者にとって、日進月歩の外界を知りながら、自分の一生は百年一日のような辺境の雪とぬかるみの中に終わると考えるのは、耐え難いことだっただろう。
 
19世紀ロシア文学は、そうした焦燥に満ちている。無力に空回りする焦燥がカマイタチのように自他を傷つけまくった鮮血の跡は、プーシキンの「エフゲーニ・オネーギン」を嚆矢とするロシア近代文学の紋章といっていい。
 
オペラ冒頭の、タチアナの母親の思い出話には、これから始まるドラマへの暗示を読み取らないではいられない。文学少女だった夫人には、好きな相手がいた。「カードの好きなすてきな軍曹」だったという。だが、親のいうなりにほかの人と結婚した。


「はじめのうちは涙々だったけれど
慣れは天からの贈り物
幸せの代わりになるのね」

 
諦念と引き替えに、そこそこ満ち足りた静かな人生を手に入れたわけだ。けれど、母親の気質をうけついで小説の世界に耽溺するタチアナが、ふと本から目を上げたとき、あいにくそのまなざしの先にいたのは、世評芳しからぬオネーギンだった。眠れないタチアナは、オネーギンに手紙を書く。有名な「手紙の場」だ。


「あなたに一筆したためたくて
これを書いています」

 
この一行で、いいたいことは尽くされている。恋文とはそうしたものだ。あなたに一筆したためたくて。それがすべてだ。けれど、書いている当人の心の中には嵐が吹き荒れている。捨て身で告白しても、鼻で笑われ、恥をかくのではないか。誰にもいえない。誰にも頼れない。人は恋をして孤独を知る。


「破滅してもいい でもその前に
いまだ誰も味わったことのない
生きる喜びを知りたくて
その思いに目もくらむ」

 
案の定、オネーギンは冷ややかに、もったいぶって手紙を突き返す。あげく、タチアナの命名日のパーティで(振ったばかりの相手の誕生日にあたる祝いの席に現れるとは!)、退屈まぎれにいさかいを起こし、友人を決闘で殺してしまう。
 
それから6年、放浪の旅からモスクワに舞い戻ったオネーギンは、その足で社交界のパーティに駆けつける。超俗的なポーズとは裏腹に、世俗の魅力に弱いのだ。そこで、名家に嫁いで美しく変身したタチアナと再会し、恋に落ちる。
 

「破滅してもいい でもその前に
いまだ誰も味わったことのない
生きる喜びを知りたくて
その思いに目もくらむ」

 
かつてのタチアナの歌を、今度はオネーギンがそっくりそのまま歌う。なんという皮肉な繰り返し。だが、恋のベクトルは鏡のように反転した。そういえば、オネーギンの悪評には、タチアナの母親のかつての恋人と同じ、カード好きということが含まれていた。ここにも、世代を超えた繰り返しがある。「あなたへの情熱に苛まれることこそがわたしの幸せ」と無様にとりすがるオネーギンを、タチアナは毅然と振り切る。


「幸せならすぐそばにありましたのに
でも後戻りはできません
わたしは夫ある身 お諦めください」

 
オネーギンはみずからの冷笑に復讐されたのだ。ここで、最初の疑問が一回り大きくなって戻ってくる。オネーギンはなぜ自他の人生をむざむざとどぶに捨てるような生き方をしたのか。
 
それに答えるには、原作者の思想背景に目をやる必要がある。プーシキンはロシアの政治に批判的で、たびたび筆禍事件を起こした。体制への不満と、それをいかんともしがたい無力感に苛まれながら、貴族である以上、体制に寄生せざるをえない。それは、屈辱以外のなにものでもない。思考と自尊心だけは白熱し、絶望と投げやり、ルサンチマンと苛立ちのなか、流れゆく日々をただ見送る。その鬱屈を、プーシキンはオネーギンのシニシズムに結晶させ、まるでみずからを罰するかのように、かれを破滅に追いやったのだ。
 
タチアナ母娘の初恋の相手がともに好んだカードとは、革命思想のことだとみていい。それは、検閲の厳しかったこの時代、いわずもがなの事実であり、無力感とシニシズムは、ついにロシア革命が成るまでの百年間、世代を超えて共有され続けた感情だったのだ。このオペラの秘密は、オペラが生まれた時代というコンテクストに隠されている。
 
オネーギンが決闘で斃した友人は19歳、詩人志望だった。早熟の天才プーシキンが処女作「ルスランとリュドミラ」を発表したのは20歳。プーシキンは、詩人として世に出る前に死んでいればよかったと考えるほど絶望していたのかもしれない。若者が生きづらく、居場所がないと思わせる時代は、底なしに不幸だ。

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秘密のオペラ6 幸せのありようという秘密

トロンボーン奏者で俳優の谷啓さんが亡くなりました。クレージーキャッツのメンバー、と言ったほうが、ある年代より上の人間にはぴったりきます。NHKBSは、是枝裕和監督の「ワンダフルライフ」を放映して、谷さんを追悼しました。死者が人生最高の瞬間を選ぶと、それをさる組織が映像化し、死者はその思い出とともに「向こう側」へ行く、という設定でくり広げられる静かなドラマです。そこで谷さんは、飄々とした諦念と言えばいいのか、その持ち味をいかんなく発揮していました。追悼にこれ以上ふさわしい映画はありません。これを選んだNHKの担当部局の方がたに脱帽です。この作品については稿を改めたいと思いますが、唐突なようですが、このオペラを思い出しました。

新日本フィルハーモニー定期演奏会プログラム連載エッセイ、「秘密」の6作品目は、ガエターノ・ドニゼッティ「ランメルモールのルチア」です。

 
このオペラの山場は、言うまでもなく、名高い「ルチアの狂乱の場」だろう。ヒロインのルチアが、いやいや政略結婚させられた相手を、思いあまって新婚の床で殺し、正気を失って歌う長丁場のアリアだ。
 
けれど、「狂乱」というおどろおどろしいうたい文句は、美しく裏切られる。ルチアのアリアは、ありえたかもしれない幸せの幻影をしみじみとなぞって、恍惚の境地に達するのだ。名手が歌うと、無上の幸せがほんとうに実現したかのような錯覚を、聴き手にも共有させてしまう。それだけに、主人公の哀れさはひとしおだ。
 
ルチアの幸せとは、相思相愛のラヴェンスウッド卿エドガルドと結ばれることだった。あいにくなことに、エドガルドはルチアの兄、アシュトン卿エンリーコの政敵であるにとどまらず、両家は代々宿敵の関係にあった。しかも、背景は不明なものの、両家とも存亡の危機に瀕している。エドガルドはラヴェンスウッド家の最後のたったひとりの末裔だし、エンリーコはここで相手に優位に立たなければ断頭台の運命もありうるという。そこでエンリーコは、党派的利害をともにするバックロー卿アルトゥーロに妹ルチアを嫁がせて、同盟をかためようと意図したのだ。
 
ここで、ヨーロッパの言語に明るい読者なら、登場人物の名前に異和感を覚えるかもしれない。名字や称号はイギリス風なのに、名前はイタリア風だからだ。その理由は原作にある。作曲者ドニゼッティと台本作家カンマラーノはイタリア人だが、原作は18世紀末から19世紀にかけて活躍したスコットランドの詩人、ウォルター・スコットで、これは1669年に実際に起こった事件をもとにした、いわばモデル小説なのだ。オペラの舞台も、スコットランドが想定されている。それで、名字が英語風なのだが、イタリアのオペラ界の人びとも観客も、歌の中で何度も繰り返される名前だけは、イタリア風でないとしっくりこなかったのかもしれない。いっぽう、名字は歌詞にはほとんど出てこないために、そのままにされたのだろう。そして、スコットランドの荒涼としたわびしさは、そこでくり広げられる愛憎劇に濃い陰影を添えている。
 
狂乱のルチアのアリアは美しいと言った。だが、美しいのはこのアリアだけではない。兄に無理強いされて結婚の証書にサインしたルチアを囲んで主要人物たちが歌う、激しく渦巻くような六重唱しかり、終幕で、弔いの鐘の音にルチアの死を知ったエドガルドが歌う痛切なアリアしかり。ここまで全篇が美しいメロディをもつアリアや重唱に埋め尽くされているオペラも珍しいのではないかと思うほど、名曲がとぎれなく続く。
 
これは作曲家の資質によるのだろうが、この作品のばあい、そこからかもし出される余韻には不思議な味わいがある。オペラを見終わったとき、わたしは、幸せとはどのように現前するのだろう、結局、わたしたちは幸せをつねに幻影としてしか手に入れることはできないのではないか、という奇妙な問いを抱いたものだ。問いは想念をさそう。その人にとってもっとも本質的な幸せとは、繰り返し過去から浮かび上がっては、あれが幸せというものだったのかと思わせながら、少しずつその記憶を薄れさせていくものではないだろうか、と。記憶の表層から消えても、幸せそのものが消えるわけではない。それは記憶の底へと沈んで、その人の人となりに染みこんでいく。
 
そんな幸せの追憶もまた、現実ではない以上、ひとつの幻影だが、ルチアが狂気の中で見た幸せは、幻影そのものだった。ありえない未来のスクリーンに空しく投影されたものでしかなかった。ルチアは狂気によって、まるでわたしたちが過去から幸せの幻影を呼び出すように、彼女にはけっして訪れない未来から幸せの幻影を呼び出す。それが美しい音楽をともなうとき、幸せというもののありようが、ルチアのような悲劇の主人公とはほど遠い平凡な存在であるわたしたちに、過去と未来が反転した、ネガのかたちをとって現前するのだ。
 
だからこそ、この陰惨なドラマは人気があるのではないか。兄のエンリーコは徹頭徹尾、功利的で、みずからの保身しか考えないし、エンリーコとエドガルドは根深い遺恨に愚かなまでにこりかたまり、最後まで悪罵をあびせあう。よせばいいのにルチアとエドガルドの秘密の逢瀬を言いふらす、ノルマンノという卑小な小悪党も出てくる。どこにも救いのない筋書きにもかかわらず、そこに寄り添う音楽の力で、幸せに伸ばした手で空をつかみながら滅びていくルチアたちの悲劇に、わたしたちは幸せというものの不思議なありようを経験するのだ。わたしたち凡人の記憶の底には幸せが沈んでいることを、ついにそんな幸せを手に入れることがかなわなかったルチアが、その狂気によって思い出させてくれるのだ。
 
このオペラの筋書きに、とくに秘密といえるようなものは見あたらない。このオペラの秘密とは、悲劇がわたしたちにもたらす満ち足りた感覚の秘密であり、追憶という幻影としてしか経験できない、ほんものの幸せのありようという秘密だ。そしてなによりも、そうしたことを一切理屈のことばを介さずにわたしたちに解き明かす、音楽そのものに宿る力の秘密だ。

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秘密のオペラ5 今に通じる目も眩むほどの闇

ワーグナーの「ニーベルングの指輪」は、4部構成の壮大な楽劇です。これを好むというか、その上演に一度でも多く立ち会うことを人生の目的のようにしている人びとがいますが、私には気が知れません。とんでもないマゾヒストか悲観論者でもなければ、そんな情熱は持てないと思うのです。

とくに、第一夜に上演される「ラインの黄金」は、性愛や金銭や権力にたいする人間の欲望は、今も昔も、それらのために身を滅ぼすならまだしも、世界すら道連れにするほど強烈なのかと、暗澹としてきます。神話や伝承にことよせて、なんという暗い世界観を大がかりにうたいあげたものかと、あきれます。

ワーグナーが生きたのは初期資本主義ですが、そこから生みだされた作品が、21世紀の後期金融資本主義の現実をも射程に入れていたと見ることもでき、否定されるべきはこうした価値観なのだと、ため息とともに痛感します。


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ワーグナー「ラインの黄金」

 
神々の長ヴォータンは、巨人族の兄弟に、宮殿を建てたら妻フリッカの妹フライアをやろうと約束した。この取引を人でなしとなじる妻には、その時になれば腹心の火の神ローゲが奸計でなんとかしてくれる、とうそぶく。
 
虚栄心が強く、人まかせで場当たり的なこの神に共感を寄せるのはむつかしい。なにしろ、主神ともあろうものが、せこいことに空手形で宮殿を手に入れようとしたために、世界は没落へと導かれるのだ。思い上がった権力者の虫のいい打算は、とり返しのつかない厄災をひきおこす。
 
この悲劇を始動させるもうひとつの出来事は、地底の小人ニーベルング族のアルベリヒが、ラインの川底から黄金を奪った事件だ。その黄金からは、愛を断念する者だけが世界制覇を可能にする指環をつくることができる。ラインの黄金を守る乙女たちに求愛して拒絶されたアルベリヒは、やけくそになって愛を呪い、この黄金を奪って指環をつくらせた。
 
しかし、指環の威力で同朋のニーベルング族を酷使して蓄えた財宝も魔法の仮面も指環も、火の神ローゲに騙されて巻き上げられる。愛に破れて権力に走ったものの、騙されて身ぐるみ剥がれたアルベリヒは、愚かではあるけれど、ヴォータンよりもまだ同情の余地がある。
 
巨人族の兄弟はさらに愚かだ。彼ら、ファーゾルトとファーフナーも愛を手に入れようとしていた。彼らが宮殿建設の労働の対価に求めたフライアは、愛と永遠の青春の女神なのだ。その気持ちは分かる。ヴォータンの言葉を信じて宮殿をつくった誠意も認めよう。
 
しかし、神々に言いくるめられ、フライアの代わりにアルベリヒの財宝を、仮面と指環ともども手に入れてからがまずすぎる。その独占を争って兄弟は仲間割れし、ファーフナーによるファーゾルト撲殺に至るのだ。これは見苦しい。彼らが宮殿建設に払った努力への評価を帳消しにしてしまう。
 
アルベリヒは、奪われた指環に呪いをかけた。
 

今より後 指環の魔力は
それを持つ者に死をもたらす

 
ラインの乙女に守られて川底で静かに眠っていた黄金は、虚無的なアルベリヒによって指環となり、強欲なヴォータンに奪取され、最後は巨人族のファーフナーの手に落ちた。終幕、ヴォータンはおのれの力を濫用したことの代償の大きさと底知れぬ不安にうちのめされながら、神々をともなって新しい宮殿に入っていく。かなわぬ愛ゆえのシニシズム、物欲、そして権勢欲。それらの情念がぶつかりあったために、世界の均衡は破られたのだ。


わかったか 闇の軍勢に気をつけろ
地の底からニーベルングの宝が
陽のあたるところへ向かってくるぞ

 
このアルベリヒの警告に、胸騒ぎがするのはなぜだろう。白日のもとに解き放たれ、人から人へと暴力をともなって急速に移動し始めたニーベルングの宝とは、いったい何を暗示するのだろう。アルベリヒはなおも歌う。


持つ者は不安にさいなまれ
持たぬ者はねたみに苦しむ

 
ワーグナーがこの作品を構想した19世紀後半は、野蛮な資本主義が荒れ狂っていた。当時の世界支配の中心はロンドンだった。霧の都とは名ばかりの、汚染されたスモッグのもと、過酷な労働にあえぐ貧しい人びとがあふれ、カール・マルクスが資本主義分析に没頭していた。そこを訪れたワーグナーは、「ここはアルベリヒの夢そのものだ」と漏らしたという。事実、アルベリヒらニーベルング族の棲息する地下世界、「ニーベルハイム」の「ニーベル」は「ネーベル」、「霧」に通じるのだ。
 
バイエルン王ルートヴィヒ二世の支援によって大がかりな祝祭劇として構想され、ドイツの英雄伝説や北欧神話、ギリシア悲劇を自在に参照しているとされる「指環」のうち、とくにこの「ラインの黄金」は、そうした外部の輝かしい事情とはうらはらに、資本主義近代の暗黒の側面を描いているという見方もなりたつのだ。ワーグナーには、48年の反ブルジョワ革命にのめりこんだという過去がある。
 
アルベリヒから指環や財宝を巻き上げるローゲとヴォータンの身勝手な理屈は、ルールは強者が決めるとする、植民地時代からグローバル金融資本主義の現代まで一貫している、この世界の不公正を思い起こさせる。
 
そして、大国の陽気で無邪気な人びとが架空の金で家を建てたことが、昨今、世界経済を奈落の底に突き落とすきっかけとなったのなら、「快適な高みで暮らし、幸福に酔う」神々が、払うつもりのない報酬で宮殿を建てさせたことから世界が没落へと向かうこの疑似神話は、21世紀の今と瓜二つだ。初期資本主義の隠喩として企まれた楽劇が、なぜ末期グローバル金融資本主義を映す鏡ともなっているのか。その秘密を解く鍵は見あたらない。そして、今を生きるわたしたちの祝祭劇の次なる演し物は何なのだろう。恐ろしい秘密はそのあたりにも息をひそめている。

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秘密のオペラ4 裏切られたよき陰謀

よかれと思ってたくらまれた陰謀も、秘密保持者の選び方に抜かりがあると、目もあてられない結果に至ることがあります。名作ミュージカル「ウエストサイド・ストーリー」が、この作品に基づいていることを知らない若い人がいると知って、驚いています。


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グノー「ロメオとジュリエット」

 
恋人たちは、対立するふたつの勢力を出自とするために、恋に落ちると同時に絶望の淵に突き落とされる。それでもなお、若い命は生きることを渇望し、捨て身の策略に一縷の望みをかける。しかし、悲運としかいいようのない偶然がかさなったために、あえなくこの世を去ってゆく。若い恋人たちは、たった一夜の逢瀬を果たすと、あっというまに相次いで死んでしまうのだ。まるで蝶のように。
 
それにしても、人はなぜ、このおなじみのストーリーを飽かずたどり、恋人たちの運命に涙するのだろう。なぜ、わかりきった展開を固唾をのんで見守るのだろう。悲痛な結末を知っているのになぜ、もしかしたらと徒な望みをつなぐのだろう。
 
シェイクスピアの戯曲があらわれるのは16世紀末だが、物語の原型は古典期ギリシアにさかのぼるという。それが民間伝承として営々と語り継がれ、シェイクスピア以前にも幾多の詩や物語にとりあげられた。この物語は、人間の心が特別に感応する、普遍的ななにかを備えている。だからこそ、わたしたちは何度でも恋人たちのよろこびをなぞり、死を悼むのだ。
 
これを最初にオペラにとりあげたのは、1867年のグノーに先立つことほぼ40年のベリーニだが、音楽としてはなんといっても、20世紀に入ってからプロコフィエフが作曲したバレエ音楽がよく知られているだろう。それぞれに魅力ある解釈がほどこされているが、グノーのばあいは、開幕早々に恋人たちの死という、通常は伏せられてしかるべき結末が提示されることだ。冒頭、合唱は歌う。


その昔ベローナに いがみあう名家があった
モンタギュー家とキャピュレット家
報復に次ぐ報復が 両家をともに血で染めた
だが嵐の空に一筋の光がさすように
ジュリエットが現れ ロメオは恋に落ちた
ふたりは家名を忘れ 愛の炎を燃えあがらせた
なんというつたない運命 ゆえなき憎悪
幸薄き恋人たちは命を落とし、それと引き替えに
彼らの悲恋を生んだ積年の憎しみに終止符が打たれた

 
ここに、ドラマの全貌は語りつくされてしまっている。合唱は、あらかじめあらすじを提示する近世の民衆本の作法をなぞって、この物語が伝承世界に根ざすことを暗示しているのかもしれない。この祈りに似た荘重な合唱からは、すべての出来事や人びとの喜怒哀楽は、死という背景幕の前で展開する、どうしようもなくはかないものだとの世界観が胸に迫る。ストーリーがよく知られているという、物語る側には不利な条件を、いわば逆手にとった作劇術の勝利だ。
 
そしてもうひとつ、グノーの特色は、かりそめに死んだ状態になる毒薬を飲んだジュリエットがほんとうに死んだと思いこみ、みずからも死のうと本物の毒をあおいだロメオが息絶える前に、ジュリエットが目覚めるという設定だ。
 
陰謀渦巻くルネサンス期には、毒薬は政敵を倒すため、遺産や地位の相続を有利にするために、名門の家ではいわば置き薬と化していた。たとえば、フィレンツェの名家メディチ家からフランス王家に嫁いだカトリーヌは、夫を王位につかせるために夫の兄に毒を盛った廉であやうく死罪を賜りそうになっている。人をいっとき仮死状態にする毒薬も、当時の常識ではありうると考えられてもおかしくはない。毒薬に限らず、薬は主に修道院で調合された。ジュリエットに毒薬を渡すのが聖職者であるのは、そのためだ。
 
シェイクスピアでは、ジュリエットが息をふきかえしたとき、ロメオはすでに事切れていた。グノーは、死にゆくロメオと、命の世界へと帰ってきたジュリエットの、これ以上はない痛ましいすれちがいを、ふたりの二重唱によって限りなく哀切にうたいあげる。これは、シェイクスピアより古いルイジ・ダ・ポルトによる物語のシークエンスだが、こちらを採用したグノーのもくろみはみごとに功を奏し、わたしたちはいやがうえにも悲しみをかきたてられる。
 
秘密の恋、秘密の結婚、秘密の逢瀬。そしてもちろん、ジュリエットを死んだものとして秘かにロメオのもとへと逃がすはかりごとも秘密だ。このドラマには秘密が満載だ。表の世界が敵対一色に塗りつぶされている以上、敵対の反対である愛は秘密のとばりに閉ざされたなかで進行するしかない。
 
これらの秘密を共有しているのは、ジュリエットとその乳母と、恋人たちの相談相手、ローラン神父の三人だ。そこにロメオはいない。ロメオは、墓に横たわるジュリエットは仮死状態だという、最後の重大な秘密を知らなかった。このたったひとつの手抜かりが、とりかえしのつかない悲劇を呼び寄せる。死をもてあそんで運命の裏をかこうとした人間の不完全さが身にしみる。
 
それをかろうじて救うのは幕開きの、だれかを敵として憎んだおのれを恥じ、和解する両家の人びとの、悄然とした姿だ。人間がたどりつくべき賢さとは、愚かさにうちのめされることなのかもしれない。悔悟する人びとに崇高ともいえる音楽をあたえ、ドラマ全体をそこに収斂させたところからは、後年、宗教音楽につきすすんだグノーの資質がくっきりと浮かび上がる。

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秘密のオペラ3 せめぎあう新旧の力

これほど歴史と個人の情念が残酷なほどにみごとにからみあったオペラもないのではないでしょうか。また、さまざまな解釈がほどこされる作品でもありますが、私はオーソドックスな演出が好みです。


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ヴェルディ「ドン・カルロ」

 
暗いドラマだ。幕を追うごとに、陰惨さはますます凄みを増す。この暗さに匹敵するオペラは「マクベス」か、あるいは「ボリス・ゴドゥノフ」か。音のつくりも暗い。オーケストラは終始低音を響かせ、バスやバリトンが幅をきかせる。女声は、ドラマティックなメゾソプラノの印象が前に出、ソプラノは傷心と諦念をにじませてか細く歌う。
 
ソプラノの役は、フランスからスペインの老王フェリペに嫁いだ王妃エリザベッタだ。もとは皇太子ドン・カルロの許嫁だったが、前王妃の予期せぬ死を受けて、スペイン王家が勝手に結婚相手を息子から父へと変更した。スペイン王家は、フランス王家と姻戚関係を結びさえすればよかったのだ。政略結婚の常といえばそれまでのこと。しかし、もと許嫁同士はひそかに愛しあっていた。このおそろしい秘密がすべての登場人物の心を乱し、判断を狂わせ、悲劇へと投げこむのだ。
 
継母と王子の恋と聞けば、その存在が史料に登場してから今年で1000年目を迎える「源氏物語」が思い浮かぶ。こちらは、道ならぬ恋の結果生まれた子どもが天皇となり、登場人物たちは懊悩を逃れることはできないものの、内面性を深め、対外的には破綻せずに一生を終える。
 
けれど「ドン・カルロ」は違った。一般に物語では、継母への思慕は実母へのそれの語り替え、婉曲表現と見てよい。つまり、ドン・カルロは重度のマザコンなのだ。マザコンと切り離せないのが、男の友情を持ち上げるマチスモの心性だ。このドラマでも、王子ドン・カルロとポーザ侯爵ロドリーゴの絆は死に至るまでゆるがない。暗い情念が渦巻くこのドラマで、ただひとり理性を保っているのが、ロドリーゴだろう。かれは、スペイン領フランドルへの宗教弾圧はまちがっているとの信念にもとづいて、絶望的な現状を打破しようと努める。
 
時は1560年、宗教改革と反宗教改革が真っ向対立していた。ヨーロッパは流血のさなかにあり、「カトリックの楯」スペインは対立の一方の雄だった。そして、フランドルでは新教徒が力をつけていた。フランドルの力の源泉は、先進の工業技術と発達した商業、そして金融だ。フランドルは毛織物の特産地だった。その原料を供給するのは、宗主国スペイン。高い付加価値をもつ工業製品を生産するほうが、原料である農産品を供給する側よりも経済的に有利にたつ。そのフランドルの高度の商業・金融システムは、前世紀末にスペインを追放されたユダヤ人たちが築きあげたものだった。
 
スペインが、宗教的な純血と権威を守るためにとった政策が、新興勢力を用意したといえる。バチカンによって地上の最高権力を保証されることにその正統性を求め、繁栄をきわめていたカトリック・スペインが、まさにそのために歴史の表舞台からひきずりおろされる。その過程を、ドラマは登場人物たちの野望や切ない願いを幾重にもからませ、重厚で絢爛豪華な絵巻物として展開してみせる。
 
史実の王フェリペは、豪壮なエル・エスコリアル宮殿の3畳に満たない質素な居室で寝起きしていたという。王は孤独で憂鬱なものだが、フェリペのばあいはそれが目もくらむほどだ。

「后は余を愛したことがない その心は閉ざされたままだ
嫁いだ日 余の白髪につと止まった悲しみのまなざしが 今も目に焼きつく
蝋燭が燃え尽き曙光がさし 新たな1日が始まる今も 眠りは疲れはてた余を見捨てた
余が眠りにつけるのは 王冠も夫の名誉も失い 王家のマントが柩を覆うときか」
 
夫としても父としても、王は孤独だ。許嫁を奪われた息子は、政治的にも王に敵対する。衆人環視のもと、「フランドルをわたしにお与えください」と剣に手をかけて直訴したドン・カルロは、軽率のそしりを免れない。権威を失墜から守るためには皇太子を反逆者として捕らえるほかないところに、王を追い込んだのだから。その王を、神を笠に着て威嚇し、新教徒を火刑の炎に追い込み、皇太子の死刑を迫る異端審問の大審問官は、盲目という設定だ。かれは、彼岸にのみ精神の目を向けて、目の前の現実にもそこに萌す次の時代の動きにも目を閉ざした、古いイデオロギーを体現しているだろう。王は教会からも見放されているのだ。こんな輩に囲まれ、没落するしかない王国の舵取りという絶望的な重責をひとり担う王こそが、ドラマの真の主役なのではないか。
 
すべての登場人物が歴史のなかにモデルをもつなかで、ただひとりの架空の人物が、王子の親友ロドリーゴだ。かれのような聡明な人物が実在したら、スペイン王家はあれほど無惨な終焉は迎えなかったかもしれない。原作者のシラーが、そして作曲者のヴェルディが、あいにくの歴史の見果てぬ夢を託したロドリーゴが、王子の罪を着て王の凶弾にたおれるときのことばは、歴史の「もしも」を思わずにいられない心情をかきむしる。

「わたしは死にます だが満足です
スペインの救い主を 遺せたのですから」
 
ロドリーゴが新たな黄金時代を託した王子ドン・カルロはしかし、地の底から響くような、亡き祖父カルロ五世の声に導かれて、蹌踉と王家の霊廟の奥へと歩み入る。ドラマは、世継ぎの王子を生きながら葬ることによって、王権神授の時代の終わりを壮大に描ききった。すでに実効性を失ったシステムのなかでは、個人がどんなにあがこうが、破滅の歯車をいっそう駆動させることにしかならない。暗く長大なオペラの果てに、わたしたちは人間のむなしさや栄華のはかなさを思い知り、悲しみのカタルシスを味わうのだ。

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秘密のオペラ2

新日本フィルハーモニー定期演奏会プログラム連載エッセイ「秘密」の2回目は、軽い喜歌劇です。けれど、この作品が生まれた時代背景は複雑です。近代国民国家が誕生し、それに付随して国民軍なるものが創設され、国境を越えてその版図を広げていくという前代未聞のなりゆきを、人びとはどううけとめたか。そのような時代に翻弄されながら、どこで折り合ったか。作品は、軍隊を好意的に描いてはいますが、注意深くのぞきこめば、いくつもの対立項が浮かび上がるはずです。


ガエターノ・ドニゼッティ「連隊の娘」

 
軍隊を舞台にくりひろげられるこの作品の産みの親、ドニゼッティは、軍に籍をおいたまま作曲家としてのキャリアを重ねた。道理で、兵士へのまなざしが温かい。
 
戦場で拾われたマリーは、連隊の兵士すべてを父として、快活で美しい娘に育った。しかし、ひとつの軍隊がメンバーを変えずに、赤ん坊が妙齢の娘に成長するまでの十数年間、転戦を重ねるなどありうるだろうか。ドラマの時代設定は1815年前後という。だとすれば、ヨーロッパではナポレオンを中心とする動乱がようやく終結をみせようとするころだ。18世紀末から19世紀冒頭にかけて、ナポレオン率いるフランス国民軍はオーストリア、スイス、イタリア、スペインと、南方に兵を出した。エジプトまで達したことは、周知のとおり。
 
だとすれば、長征が数年に及ぶことはざらだっただろう。それでも、十数年とはやや長すぎるが、そこは目をつぶる。むくつけき兵士たちがひとりの女の子を連れ歩き、いつくしみ育てたというおとぎ話をうけいれたほうが楽しい。
 
それにしても、と思いはまた無粋な現実に戻ってしまう。男たちは乳飲み子をどうやって育てたのか。答えは簡単。冷凍装置も缶詰もなかった昔、軍隊は食糧にする家畜を、生きたままつれて移動した。牛や山羊は、乳を搾れる。赤ん坊にはそれを飲ませればいい。
 
ついでに言うと、近世までは、武器商や鍛冶屋や仕立て屋をはじめとする、兵士の用を足す各種の商人や職人や食べ物屋が、軍隊のあとにぞろぞろとつき従った。しんがりには、兵士の妻が子どもたちをつれて行軍にくわわっていた。兵士以外のほうが人数は多かったのだ。だから、記録に何十万の軍勢とあっても、それが将兵の数なのか、従軍するすべての人びとをふくむ数なのか、判然としないことが多い。いまでも軍隊は、衣食住のすべてを自分たちでまかなう、いわばちいさな社会だが、もちろん昔もそうだったのだ。ラグラン袖という、首の付け根から脇の下にかけて直線で胴着部分と袖をつなげる袖付け法がある。これは一説に、ロシア遠征のナポレオン軍が寒さに耐えかね、軍隊用の毛布を使って従軍仕立て屋に作らせたのが始まりで、それをイギリスのラグラン将軍が改良したものという。
 
日々の暮らしをまかなう人材や資材を備えていた軍隊では、その気になれば子どもを育てることも不可能ではなかっただろう。軍隊に親しみをもっていたこの軍人作曲家は、子育てする兵士たちという、かれらの人間味あふれる側面を強調したかったのかもしれない。
 
しかし、遠征軍の立場は微妙だ。現地の人びとが歓迎するとは限らない。むしろ恐れられ、迷惑がられることのほうが多い。敵対行為もあったろう。このドラマでも、チロルに進軍したフランス軍が、土地の若者をスパイとして捕らえる。今のスイス南部からイタリア北部にかけてのチロル地方も、ナポレオンの支配下に置かれた以上、抵抗運動に身を投じる者がいたとしても不思議はない。現に、1809年にはチロルの農民がナポレオン打倒に蜂起した。しかし、この若者こそが、マリーと相愛の仲になったトニオだった。気のいい父たちは当惑する。
 
軍隊そのものを敵視する者もいる。ベルケンフィールド侯爵夫人は歌う。

「戦争なんて 大嫌い
 フランス人は ごろつき揃い」
 
その侯爵夫人は、行方不明だった姪だと主張して、マリーをパリの邸宅に連れ帰る。夫人はフランス人なのに、フランス人の悪口を言っていることになるが、ここで夫人にごろつき呼ばわりされているのは、平民からなる国民軍の兵士たち。貴族である夫人にとっては、王政を倒したがまんならない連中なのだ。
 
夫人はパリで、マリーに貴族の娘としてのたしなみをたたき込む。ところで、ドニゼッティが初めて書いたオペラの習作は「ピグマリオン」だった。どのような作品だったのか、上演記録もないのでわかりかねるが、ギリシア神話のピグマリオンはキプロスの王で、みずから作った彫像に恋をし、アプロディテによって生きた乙女にしてもらったという。この物語は、ミュージカル「マイ・フェアレディ」の原案になった。神話同様、イギリス上流階級の淑女として新たな命をさずかった、下層出身の女性がハッピーエンドを迎えるのだが、連隊育ちのマリーは違った。自分の出自を愛し、貴族の娘としてふるまうことを拒むのだ。その率直さに、名門貴族たちは感動する。貴族よりも市民の価値が称揚されるこのなりゆきには、フランス革命後の市民の心意気が表されているだろう。
 
こうしてみると、この軽快で楽しい喜歌劇には、3つの対立が陰で物語を動かしていることに気付く。すなわち、兵士による戦争礼賛と侯爵夫人の厭戦、外国軍と地元の市民、市民と貴族だ。マリーが名門貴族の御曹司と婚約しようとする土壇場でそれを阻み、恋人トニオと結ばれるよう、状況をぐいと動かしたのは、侯爵夫人だった。名家の恥もものかは、夫人は貴族たちの見守るなか、告白する。

「わたくしには 心痛む秘密がございます」
 
マリーは夫人の姪ではなく、実の娘だった。恋い焦がれた貴族の若者が出征し、そのあとを追った夫人が戦地で産み落として、混乱のなか手放したのが、マリーだったのだ。恋人の命を奪った戦争を、そしてフランス国民軍を夫人がことさらに忌み嫌う理由が、ここで明らかになる。夫人はマリーの姿に、若き日の激しい恋を思い出したのだろう。だから、あえて秘密を打ち明け、愛する人との結婚を促したのだろう。叶わなかった侯爵夫人の夢は、娘のマリーによって叶えられた。

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秘密のオペラ1 秘密は暴かれるためにある

新日本フィルハーモニー定期演奏会プログラムの連載は、第3シーズンを迎えました。このたびの音楽監督のお題は「秘密」です。秘密なんて、それなしにはすべてのオペラは成立しないのではないかと思うくらい、オペラは秘密に満ちています。まず思い浮かんだのがこの作品でした。われながら、すなお過ぎる選択ではあります。


ヴェルディ「仮面舞踏会」

 
仮面はその人の面を秘する。それだけでもう秘密の匂いがする。秘密にとって、仮面はおなじみの小道具だ。
 
仮面をつけて自分ではないだれかに変身し、同じく自分ではないだれかになりおおせた異性を相手に踊るのが、仮面舞踏会だ。そこには、欲望の無礼講といった趣がついてまわり、また実際そうしたことが期待された。仮面で正体を隠すと、代わりに現れるのはなりふりかまわぬ欲望だったりするからだ。
 
それを本音とか本性というのなら、ふだん立場や役割にふさわしくふるまっている自分のほうが、仮の姿ということになる。そう、仮面はラテン語では「ペルソナ」、人格を表す英語の「パーソナリティ」はここから派生している。あなたもわたしも、その人格、その人となりは、まさに演じられつつあるかりそめの役でしかないのだ。そんな冷徹な人間観を、はるかいにしえの人びとは育んでいた。そして、人格という仮面につくりものの仮面を重ねることでいっとき解き放たれる、わたしたちの本性はなんともややこしい。
 
ヴェルディが脂ののりきった40代半ばに作曲したオペラ「仮面舞踏会」は、仮装やヴェールや仮面の陰で真情が激しくぶつかりあう悲劇だ。全篇がみごとなアリアや重唱の連なりでなりたっていて、1作品にこれほどたくさんの名曲をつかうのはもったいないと思うほどだ。名歌手が競演したら、さぞ聴き応え見応えがするだろう。
 
それにしても、主役のボストン総督リッカルドは、おせじにも英君とはいえないのではないか。まずだいいちに、腹心の妻への恋慕の情にひきずりまわされていたのでは、統治に支障をきたしてしまうのではと心配になる。また、陰謀が渦巻き、油断は禁物なのに、漁師に身をやつして町の女占い師のもとに出かけるなど、脇が甘すぎる。風俗紊乱の廉で追放されそうになっている女占い師を、そうまでしてみずから見極めなければ気がすまないとは、最高権力者としては軽すぎはしないか。まるで、社員に仕事を任すことができずに、いつも雑用で忙殺されている社長のようだ。人の上に立つことに向いているタイプではない。
 
それでも、総督リッカルドは情に厚く、民衆を愛することにかけては人後に落ちないという想定だ。美点はたっぷりともっている。民衆の支持も彼の強みだ。この役を演じる歌手は、演技以前に人間性がまっすぐで陽性でないと、ただの甘ちゃんの暗君にしか見えなくなるという危険がある。その点、これが先頃亡くなったルチアーノ・パヴァロッティの当たり役だったのは、おおいにうなずける。
 
この悲劇では、だれもが秘密をかかえている。リッカルドが人知れず人妻を愛していることは先にいった。その人妻アメリアもまた、リッカルドへの道ならぬ恋にひとり苦しんでいる。アメリアの夫でリッカルドの忠実な秘書レナートは、妻と主君の関係を疑って秘かに謀叛を企てる。リッカルドの政敵たちは、宮廷にあって面従背反、つねに暗殺の機をうかがっている。
 
そして、ここでは暴かれない秘密はひとつもない。リッカルドとアメリアの秘めた恋心は、当人同士だけでなく、痛ましいことにレナートまでが知るところとなるのだ。まるで、秘密は暴かれるためにある、とでも言いたげだ。この悲劇は、秘密が暴かれたら人はどうなるかをとことんまで追求した、残酷な実験の様相を帯びている。
 
それでも、暴かれていく秘密のいちばん奥底には美しいなにか、人は弱い存在だけれども、信じるに足る強さももっていると思わせるなにかもまた姿を現す。たとえばリッカルドは、レナートを昇進させたうえで本国に戻す命令書を用意して、忠臣への謝罪の気持ちを表すとともに、アメリアを永遠に諦める決意を固めていた。またたとえばアメリアは、リッカルドへの思いを断ち切るために、深夜ひとり、恐怖をおして処刑台の下に草をとりに行くのだ。
 
かつて、死刑になった罪人は、朽ち果てるまでそのまま放置された。死体は鳥についばまれ、腐爛して落ち、じつに凄惨なありさまだった。しかしそれは、見せしめというよりも、呪術的な意味をもつ処置だった。罪によって傷つけられた秩序は、罪をもたらした者の肉体が自然消滅することによってようやく回復すると考えられたのだ。
 
そのため、死刑囚の死体や処刑台には、秩序をとりもどすための呪力を秘めたさまざまなものが派生すると考えられた。死体の断片は、人を病からもとの健康な状態に戻す薬になると信じられ、高値で取り引きされた。昔話では、処刑台におりる露には、視力を失った目をふたたび見えるようにする力があるとされていた。そうした伝統があったために、処刑台の下に生える草には禁断の恋を絶って人を日常に復帰させる効力があるとするこのオペラの設定も、説得力をもつことができたのだ。
 
秘密の話に戻ろう。この物語では、秘密は提示されるととたんに暴かれることの連続だ。しかし、明かしてはならない秘密というものもあるのではないだろうか。それは死、非業の死の時期だ。女占い師はリッカルドの手相から、彼の死が近いことを読み取る。彼女はそれを告げることを拒む。当然だ。事前に知って避けることができるなら別だが、この占いは運命を先取りするものなので、知ったからといってどうなるものでもない。
 
無理に占いの結果を聞き出したリッカルドは、うろたえる。笑い飛ばそうとする。しかし、心の底では死の運命を受け入れたのだろう。そうでなければ、その後の彼が死へとみずから駆け込もうとするかのように見える理由がわからない。朗らかに、残る者たちへの思いやりをこめてしっかりと死へと歩んでいく人間ほどいとおしいものはない。

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抵抗のオペラ8 破滅という抵抗

新日本フィルハーモニー定期演奏会プログラムに連載した「抵抗のオペラ」も、今回が最後です。あまり知られていない作品ですが、メルヒェンや19世紀末に思いを致してきた者としては、ぞくぞくするほどの魅力に富んだ、残酷な物語です。それは人間の、人間くさい営みにたいする自虐的な残酷さとでも申しましょうか。ペレアスが呼びかけ歌う「メーリザーンドー」という、せっぱ詰まった思いのこもった暗いメロディを、ここに再現できないのが残念でなりません。きょうは七夕さまなのに、三角関係の物語で、どうもすみません。



ドビュッシー「ペレアスとメリザンド」

 
手負いの獣を追って深い森をさまよう王子が泉のほとりに美しい乙女を見つけ、妻にするという設定は、いかにもメルヒェンらしい。このオペラは、幻想的な舞台を楽しみながら、フランス語の流麗な響きとドビュッシーの繊細華麗な音の流れに身をゆだねるに限る。歌詞の意味がわからなくても、物語の大筋はわかる。時は中世、老王に王子がふたり、兄の妻と弟が恋に落ち、恋人たちは嫉妬の刃に倒れる。ワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」にも通じる、三角関係の悲劇だ。
 
ところが、対訳本や字幕を見ると、この作品は謎が多い。老王は王子たちの父親ではなく、祖父だった。王子たちは父親を異にする。父親たちは兄弟で、そのひとりはすでに亡い。母后は兄と弟、ふたりの王子と結婚し、それぞれからひとりずつ王子をもうけたのだ。この異父兄弟がひとりの女性をめぐって恋敵になる。親の代の関係をなぞるかのようだが、ややこしい。メルヒェンは、こんなにこみ入った家族関係は想定しない。この物語は、メルヒェンの装いをとりながらメルヒェンであることを拒絶している。
 
幕開けのシーンで、謎の乙女メリザンドは冠を森の泉に沈め、拾ってあげようという夫である王子ゴローの申し出を断る。メリザンドはこののちも、ゴローから贈られた指輪を城の泉に落とす。なんとも不可解なふるまいだが、冠は高貴な出自の証であり、指輪は婚姻関係をあらわす。つまり、メリザンドは出自という縦の糸も結婚という横の糸も断ち切って、天涯の孤独を選び取ったことになる。結婚はしても、それどころか身ごもっても、この世にたったひとりであることを選んだのだ。
 
メリザンドという名前の響きからは、伝説の人魚メルジーヌの記憶がよみがえる。メルジーヌはポアトゥーレ伯レイモンドの花嫁となったが、キリスト教徒の手にかかって死んだ。古代の深層からやってきた異教の女神が、つかのま中世の秩序を切り裂き、抹殺される。メリザンドも、メルジーヌに劣らず孤立している。その死はだれにも看取られなかった。
 
メリザンドも、人魚さながら海からやってきた。そして、泉のほとりで見いだされ、泉のほとりで恋人の死を見届ける。塔の上から身の丈よりも長い髪の毛を垂らし、ペレアスがその髪と恍惚のうちにたわむれる、グリムのメルヒェン「ラプンツェル」から暗示をうけたと思われる名高いシーンでも、たぎり落ちる髪の毛は滝、水そのものだ。メリザンドと水をむすびつける証拠はまだある。メリザンドとの最後の逢瀬で相思相愛だったことを知ったペレアスが歓喜する、その歌詞はこうだ。


春の海を渡ってきたのか
初めて耳にするような その声
ぼくの心に 雨となって降りしきる
ああその声は どんな水よりさわやかに
唇を 手のひらを 清らかにうるおす

 
メリザンドは水の女なのだ。けれど、それがわかったからといって、謎の霧が晴れるわけではない。謎の中心メリザンドは、物語が進むにつれていよいよ濃い霧につつまれていく。たとえばなぜ、夫のゴローに指輪は海辺の洞窟でなくしたと嘘をついたのか。なぜ、ペレアスとともに死を受け入れようとせず、悲劇のヒロインらしくもなく逃げまどったのか。不可解な言動をあげていたらきりがない。謎はメリザンドのまわりに渦巻いて、他の謎を巻き込みながら銀河のように成長していく。
 
原作は、「青い鳥」で有名なベルギーの詩人、マーテルランクだ。1862年生まれだから、ドビュッシーとは同い年だ。マーテルランクは幻想的な作風で生と死、それに翻弄される人間の悲しみを描いた。時は19世紀末、近代化が加速し、人間をどこに連れて行こうとしているのか、見通しは不安に包まれていた。破滅しかないと考える人びとはデカダンスの意匠のもと、さまざまな芸術を生み出した。ファム・ファタル、宿命の女は、どうせならエロティックな要因で破滅したいという男性の願望が投影された、19世紀末ならではの女性像だ。ファム・ファタルは男性からは理解不能な、魅力的で残酷な存在として描かれる。つまりは謎の美女だ。マーテルランクはメルヒェンの幻想によって不条理な世界を描き出し、メリザンドというファム・ファタルをそこに置いたのだ。破滅が近づいていることは、城を取り巻く浮浪者や餓死者によって暗示した。
 
そんななかでも、人は運命に抗って生きようとする。ただ、よりよい生が逆説的に破滅というかたちをとるのが19世紀末だ。そしてこの時代、人といえば成年男性に限られるのが、暗黙の了解だった。女も子どももそこにはいない。メリザンド、そしてゴローの幼い息子も、理解不能な存在として不条理の側においやられ、ゴローとペレアスだけが、血の通った人間として描かれる。だから、年の離れた兄の若い妻の同年配の弟として姉弟のように寄り添ううちに禁断の恋に気づき、とりかえしのつかないことになる前に身を引こうとするペレアスも、猜疑に苦しんで妻に暴力をふるい、ついには弟を殺して深く悔悟するゴローも、ごく自然に理解できるのだ。
 
そのいっぽうには、運命に抵抗しないと宣言する人物がいる。老王だ。
 

なにも言うまい
したいようにさせるがよい
わしは運命に逆らったことはない


老王はほとんど目が見えない。メリザンドが指輪を落とし、そのほとりで兄弟殺しが演じられたあの泉は、かつては盲人の目を開いたのだが、老王が盲目同然となってからは近づくのがはばかられるようになったという。老王こそこの泉で目を癒すべきなのに、なぜかしあわせへと通じるメルヒェンの奇跡は人びと、とりわけ老王その人の意志によって封じられている。ラスト、老王はメリザンドの遺児である姫を抱き、「こんどはこの者が生きる番だ」という。没落していく男性にはついに理解できなかった女性が、男性がみずからあえて見えなくしている未来へと、高々と差し出されるのだ。

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抵抗のオペラ7 ひきこもり王子の反逆

新日本フィルハーモニーの定期演奏会プログラムに連載していたエッセイ、「抵抗」の第7話は、昔話が下敷きの、けれど思い切りシュールで愉快な物語です。なじみのない話のはずなのに、どこかなつかしい物語でもあります。そのわけは……。


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プロコフィエフ「三つのオレンジへの恋」

オペラの原作はカルロ・ゴッツィの寓話劇。プッチーニの名作「トゥーランドット」も、この18世紀イタリアの作家の原作だ。こちらには、にこりともしない冷血の姫が出てくる。笑わぬ姫という、昔話におなじみの物語だ。
 
ところが、おなじく昔話をもとにしているのに、「三つのオレンジへの恋」では、王子が笑わない。昔話由来の物語としては珍しい設定だ。この王子、生活習慣病と思われるさまざまな症状をかかえ、そのうえ鬱病なのだという。王子が今生きていたら、「ひきこもり青年」とみなされるだろうか。ひきこもっていれば運動不足になり、いきおい生活習慣病にもなりやすい(よけいな忖度だが、この役は太めのテノール歌手でも安心して演じられるだろう)。
 
謎や秘密をもっている、笑わない、病んでいる、眠っている、あるいは魔物などに囚われているというのは、いずれも不活性な状態の、昔話流の表現だ。そこからいかにして脱出するか、脱出させるかをテーマとする昔話は、世界中におびただしい。日本にも、病気の娘を治して婿におさまる「わらしべ長者」など、枚挙に暇がない。
 
こうした一群の伝承を、死と眠りの季節から生と豊饒の季節へ、つまり冬から春への移り変わりを説明しようとする、いにしえ人の自然観の表現と見る向きがある。あるいは、語ることによって自然に働きかけ、四季の巡りをうながす呪術としての機能を見る向きもある。ギリシア神話では、豊饒母神デメテルは、半年間冥界の王ハデスに囚われていた娘コレを取り戻すと、母娘ふたりで森を駆け回ったという。ふたりが通り過ぎたあとには、木々が芽吹き、春の花が咲き乱れ、獣の子が生まれた。自然、とくに大地を女性に見立てる発想は人類に共通しており、この神話のコレのように、主人公は眠り姫や笑わぬ姫、あるいは囚われの姫ということになる。それで、笑わぬ王子とは珍しい、といったのだ。
 
デメテルとコレは、森を駆け抜けながら哄笑した。そう、笑いこそは生命力のもっとも典型的な表出なのだ。「三つのオレンジへの恋」でも、笑いがひきこもり王子を救う妙薬とされている。ところが、陰謀渦巻く宮廷の常で、かれを笑わせたくない、むしろかれが徐々に衰弱して死ぬことを望む勢力が存在する。かれらが後ろ盾として頼むのは、魔女のファタ・モルガナだ。魔女は、王子を笑わせるために開かれた、ゆかいな宴にまぎれ込む。魔女がいる限り、王子にだけは笑いは訪れないはずだった。はずだった、というのは、ファタ・モルガナその人がぶざまに転んでしまい、それを見た王子が大笑いしたからだ。
 
なんという皮肉。面目を失ったファタ・モルガナは腹立ちのあまり、「おまえは三つのオレンジに恋をすることになろうぞ」と王子に呪いをかける。王子はたちまち恋に目覚め、恋しい三つのオレンジを求めて旅に出る。
 
オレンジに恋をする。しかも三つのオレンジに。じつにナンセンスでシュールな設定だ。ゴッツィが下敷きにした民話では、まだ見ぬ美女を求めて旅立った王子が、旅の道すがら三つのオレンジを手に入れることになっていた。これをオレンジそのものへの思慕に変えたのは、ゴッツィの茶目っ気だ。
 
一転活動的になり、勇んで旅立とうとする王子を、年老いた王は引き止めようとする。「前途には危険が待ちかまえているのだぞ、おまえをなくしたら王国はどうなる」と。なんのことはない、父親が過保護だったために、息子はぬくぬくとひきこもりを決め込んでいたのだ。しかし、もはや王子は父王のいうことになど、聞く耳を持たない。おそらく、王子は生まれて初めて、あれをするなこれをするなと縛りをかける親に抵抗したのだろう。人は親に反抗して初めて、自分自身のものとなった人生にその第一歩をしるす。かくして王子は旅に出た。
 
また、視点を変えればこうもいえるだろう。春には冬が先行するように、人が活動し始めるには、それに先だって長い充電期間が必要なばあいもあるのだ、と。それがひきこもりと現象することもあり、ひきこもることはその人にとっては不可欠の、通過すべき段階だったのだ。
 
ところで、この物語には母后が出てこない。これはどういうことだろう。昔話では、母や父そのものではなく、母的なあるいは父的な存在が母性や父性を象徴することがある。この物語では、父王と匹敵するキャラクターで母性を象徴しうる存在といえば、魔女のファタ・モルガナしかいない。この「母」も、溺愛のあまり子どもの独立を阻んでいた父王とはまた別の思惑で、王子の生命力を抑えていた。両親がそろいもそろって、子どものすこやかな成長をじゃましていたのだ。
 
しかし、王子がそんな「母」のふるまいをこっけいに感じ、笑い飛ばしたとき、「母」の脅威は霧散し、その呪縛はあっけなく解ける。生命力を閉じこめていた殻を笑いが破る、劇的な瞬間だ。しかも、対象はともかく、王子を恋へと導いたのはこの「母」だ。恋こそは、人が親を離れて独り立ちし、新たなユニットをつくるきっかけなのだから、「母」ファタ・モルガナは、王子の成長を逆説的にだれよりも力強く後押ししたといえる。
 
ところで、ファタ・モルガナはイタリアの伝承に広く流布する名前だが、彼女は「モーガン・ル・フェイ」あるいは「モリガン」という名前でケルト神話に君臨し、人間の死を司る運命の女神であって、このオペラにあるような邪悪な魔女ではなかった。メソポタミア文明の太古から、この世に命をもたらし、はぐくむのが母性なら、命をあの世へと運び去るのもまた母性だと考えた人類は、命にかかわるこれら三様の神性を乙女、母、老婆の姿で表した。その老婆にあたるのが、ファタ・モルガナなのだ。死は忌み嫌われるために、いつしかファタ・モルガナは死の呪いをかける恐ろしい女神、ひいては邪悪な魔女へと転落させられてしまった。魔術で人を惑わすところから、「ファタ・モルガナ」には蜃気楼という意味もある。
 
伝承は旅する主人公を好むが、伝承そのものも旅をする。果物や木の実や花など、植物のなかに美しい娘が宿るとする伝承の広がりは、たどればイタリアから東のほう、イランやインドを通ってチベットへと至る。話のありようから、ここが源流のようだ。この話はチベットから東にも伝わった。日本にも「瓜子姫」がある。偽の花嫁が登場するところまで、「三つのオレンジへの恋」とそっくりだ。もしかしたら、竹の節から生まれるかぐや姫もこれらの姫たちの姉妹かも知れない。

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抵抗のオペラ6 抵抗しないという政治

新日本フィルハーモニー定期演奏会プログラムに連載していた、「抵抗」のテーマでオペラを論じるという趣旨のエッセイは、10日に1度ぐらいのペースでここに転載する予定でした。それが1カ月以上、記事はほぼ政治のことばかりで、オペラの出る幕はまったくありませんでした。それで、きょうは久しぶりにオペラエッセイにしたのですが、なんの因果か、政治がらみのオペレッタの出番でした。ちょっと斜に構えた作品です。肩の力を抜くのにいいかも知れません。


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ヨーハン・シュトラウス二世「ウィーン気質(かたぎ)」

「会議は踊る、されど進まず」と言ったのは誰だったか。オーストリアのリーニュ将軍か、それともフランスのタレイラン外務大臣か。それぞれをひいきする向きが主張をゆずらないままに、かれこれ200年になる。会議にふさわしい後日談だ。会議とは1814年のウィーン会議、ナポレオン失脚をうけて、ヨーロッパの旧勢力つまり諸王国が事後処理を話しあった。
 
議題の多くは、ナポレオンが占領した領土を各国が回復することで、大きなものだけでもざっと12もの国境線を新たに定めなければならない。ナポレオンはなんと派手に暴れまくってくれたことか。国境線の引き直しは、いまでももっともデリケートな国際問題だ。会議は長引き、結論は出ない。
 
各国は、会議に何十人もの使節団を送り込んでいる。ウィーンはさまざまな国からやってきた貴顕や政府要人であふれかえった。彼らは暇をもてあます。そこで「ウィーン」が活躍する。現代でも外交にパーティはつきものだが、ウィーンという街にはホストとしての才能があった。連日のパーティ、色恋沙汰、そこに欠かせないダンス、とくに当時おめみえしたばかりのワルツ。会議は踊った。
 
随行員の全員が踊り暮らしたわけではなかった。暇を幸い、民俗学的フィールドワークにいそしみ、昔話を聞き書きした人もいる。グリム兄弟の兄ヤーコプは、ヘッセン侯国の随行員だったのだ。その成果は兄弟のメルヒェン集に反映している、というのはまた別の話。
 
会議が進まなかったのは、議長国オーストリア帝国の首相メッテルニヒが無能だったためではなく、彼が各国を操って思い通りの結果を出そうとした高等戦略だった。事実はともあれ、少なくともウィーンっ子はそう考えている。足かけ2年のあの会議を、ウィーンならではの快挙とするのだ。それから80年あまりあと、ヨーハン・シュトラウス二世が最後のオペレッタの題材にとりあげたのも、ウィーンがあの空転会議の時代を誇りに思い、なつかしんでいたからにほかならない。奇妙といえば奇妙な街だ。
 
オペレッタの主人公は、ドイツの架空の小国からやってきたツェドラウ伯爵。妻も愛人もウィーンっ子だ。ごく最近、伯爵が熱を上げている町娘も、もちろんウィーンの産。伯爵はすっかりウィーンの水になじんでいる。この三角関係ならぬ四角関係をめぐるドタバタが、オペレッタのすべてだ。そこに、ヨーハン・シュトラウス二世が生涯かけてつくりあげた数々の名曲がはめこまれ、物語はこよなくウィーン風に進行する。ウィーン風とはつまり、なにごとにも抵抗しないということ。世界政治も世の中もなるようにしかならない。人の心もまた。伯爵は歌う。

意志がなんの役に立つ
誘惑がドアをたたくと モラルなどどこへやら
明日からは謹厳実直だ 今宵限りと思いはしても
いつも同じことの繰り返し
明日が来れば最初からやり直し

この心情は、私たちにもなじみ深い。「わかっちゃいるけどやめられない」という流行歌があったではないか。これを歌った人の父は浄土真宗の僧だが、開祖親鸞の教えそのものだ、と評価したという。「わかっちゃいるけどやめられない」のが人間だといううすら悲しい洞察を、親鸞はもっていたというのだ。ならば、歌のタイトル「スーダラ節」の「スーダラ」は「シュートラ」、「修多羅」ではないのか。「教典」という意味だ。
 
けれど、私たちの文化に深く根づいているらしい「わかっちゃいるけどやめられない」とウィーン風には、決定的な違いもまたある。伯爵の歌詞にある「意志がなんの役に立つ」は、シニシズムにほかならない。ウィーンの無抵抗はこのシニシズムに裏打ちされているのにひきかえ、親鸞は「わかっちゃいるけどやめられない」自分と戦った。抵抗を試みた。
 
ウィーンは、この「だめな私」といううすら悲しい自己認識に、ほほえみを覆いかぶせた。勇ましいところはみじんもない。けれど、ごまかしたのではない、ずるいのではない、と言ってあげたくなるのは、この作品をはじめとするウィーンが生んだ数々の音楽の魅力に、私が降参してしまっているからだろう。諦念を笑って肯う成熟を、ウィーンは描いてやまない。喜びは悲しみを内に含んでこそ味わいを深めるということを、ウィーンの文化は教えてくれた。
 
ところで、現実のウィーン会議はどうなったか。エルベ島に追放されたナポレオンが島を脱出したとの一報がはいると、それまで自国の利益を最大化することに腐心していた各国代表は、あわててばたばたと議定書を締結した。それまでの角の突き合わせはなんだったのかと言いたいくらい、妥協はあっけなく成立した。

時が熟せばなるようになる。なるようにしかならない。まさに「意志がなんの役に立つ」だ。ウィーン会議のてんまつに、ウィーンっ子は自分たちの世界観の正しさを改めて確信したことだろう。オペレッタのほうも、最後はおさまるところにおさまった。宰相メッテルニヒは歌う。

それを会議と言うのです 
もう政治なんてうんざりだ
さあみなさん ご一緒にヒルツィングへ 
世界情勢を忘れましょう

ヒルツィングは祭が開かれていた郊外の地名だ。やれやれ、と思うか。ばかばかしいオペレッタの世界のことだと思うか。それは各自の自由だ。けれどこのウィーン風は、いつまでも人の心にひそやかな慰めをあたえ、ウィーンという街への愛惜をゆるぎないものにした。たとえば往年の名画「会議は踊る」が、このオペレッタの遠い直系にあたるように。

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沖縄の人はすぐこれだ COCCOの肝苦(ちむぐ)りさ

六ヶ所のことを知らなかったからといって、謝ることはありません。今はなにも言えないからと、なにもできないからと、謝ることはありません。「青森の女」は助けてほしいと言わないのに、自分は誰かに、「日本の人」に助けてと言ってきたからといって、謝ることはありません。

類型化はよくないと知りつつも、沖縄の人はすぐこれだ、と言いたくなります、肝苦(ちむぐ)りさです。

雪の青森で、ステージ衣装とはいえ沖縄の夏を思わせるいでたちの、手紙を握りしめるか細い腕はしかし、しなやかで勁(つよ)そうです。この動画を教えてくださった
辺野古浜通信さん、ありがとう。そしてCOCCOさん、私を泣かすものではありません。「アメとムチ」というのはね、あなたの言うように、ムチを受け入れる代わりにアメももらう、という意味ではありません。でも、沖縄のあなた、沖縄の目で六ヶ所を見たあなたの実感では、そうなんですね。

「ここに、いるか? 知代、いるか?」

知代さんはコンサートに来ていた。知代さんには、マイクを外して生声で話しかけていましたね。ステージのミュージシャンとしてのあなたから私的なあなた自身へと、完全にではなく微妙にずれたところで、知代さんに語りかけたあなたの声、しばらくは思い出すたびに涙ぐむと思います。


 

「この映像は是枝裕和監督の『大丈夫であるように』の一部分で」、今夜8時から、テレビ朝日系「ミュージックステーション」にCOCCOさんが出るそうです。みるきい@金沢さんに教えていただきました(9:27)。

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祝オタクのガラパゴス スコット・マーフィー讃

「はい、タケコプター!」に不覚(おぼえず)涙ぐんでしまいました。歌とは、音楽とは、幸せのおすそ分けなんだと、改めて思いました。





歌とは、絶望の歌も、悲痛な歌も、全身全霊をこめてうたうものです。つまり、元気いっぱいにうたうものです。うたいたい歌をうたいたいように、元気いっぱいうたう、それが聞く人の心をぐっとつかむのです。このばあいは、「どらえもん」をロックで歌いたいからロックで歌った。スコット・マーフィーは、日本のアニメが大好きなのです。そのサウンドは、メロコア(メロディック・ハードコア)と言うのだそうですが、私は90年代で時間が止まってしまっているような印象をうけます。

最近、日本はガラパゴス化している、と言われます。携帯電話に始まって、家電も車も、独自の進化を遂げて世界にも稀な珍種がさきわっている、と。その技術力にものを言わせ、使いこなせないほどの高機能を満載して、需要を考えない、と。まあ、そうなんでしょう。世界の潮流に置いていかれつつあるのでしょう。

でも、それも悪いことばかりではないような気がします。きのう、秋葉原でJRから地下鉄に乗り換えたのですが、混み合う駅の構内にすでにメイド姿の若い女性があちこちにいて、ビラ(フライヤーというのですね)配りをしていました。ほんとにいるんだ、と感心してしまいました。おおきな紙袋を両手にぶらさげ、じつにうれしそうな笑顔を浮かべた外国の若い男性もたくさん歩いていました。音楽や漫画やアニメなど、このくにが育んできた若者文化が世界に「オタク」を生んでいます。今や秋葉原や中野ブロードウェイは、世界中のオタクの聖地です。

オタク文化ではありませんが、若い女性のファッションにしても、このくにの若者はいいものを生みだしています。たとえば今はやりのチュニックにレギンスは、少々脚が短くてもそれがむしろかわいいという独自の優れた美意識を表現して、アジア中の女の子たちから、かっこいい、と思われています。あるホテルのエレベーターに、超特大のスーツケースを押してきた若い女性2人組と乗り合わせました。「大きなお荷物ですね」と声をかけたら、台湾から買い物に来ていたのでした。恥ずかしそうに、「みんなお洋服」と片言の日本語で言っていました。

アニメソングを含む日本のポップスをロックでカバーするスコット・マーフィーは、オタク文化の華です。アメリカ人が超絶的にうまい発音で日本語の歌をうたう、それにたいして、政治的文化的に優位にある国の人が劣位にある国の文化を称揚してくれているなどという卑屈なありがたがりは、今の若者には理解できないでしょう。ただ同じものが好きな同士として、「かっこいい!」と叫ぶだけです。日本以外でも同じです。youtubeには、「歌詞の意味は分からないけどいい歌だ」という英語やドイツ語の書き込みがあります。

スコットのいでたちからしてオタクです。信じられないほどダサイ格子柄のシャツとか、イケてないTシャツとか、美的でない長髪とか、貧弱な体躯とか、はにかんだ笑顔とか。そんなスコットが、体中から喜びを発散させながら歌うのです。次の曲は「埋め込み」ができないそうなので、クリックしてからyoutubeに飛んでください。


 

「どんなときも、どんなときも、僕が僕らしくあるために、好きなものは好きと言える気持ち抱きしめてたい」というのは、まさに高らかなオタク宣言です。こんなにいい歌詞だったのか、音だったのかと、オリジナルの槇原敬之はまったく聞かないアーティストですが、スコットのカバーには心から感動してしまいました。

こんなすばらしい歌を聴いてしまった以上、日本は世界中からオタクが庇護を求めてくるオタクのガラパゴス島になったらいいと、私は本気で思いました。そうやって、このくにはニッチで生きていけばいい、と。イギリスの凋落が著しくなり、「イギリス病」という言葉が取り沙汰された頃、あのくにからはビートルズが生まれました。そんな文化の爛熟を予感させるスコット・マーフィー。「パスポート」などの英語の単語も、ちゃんと日本語で発音している、ほんとに日本の歌が好きで、日本語が好きで、日本語で歌うのがうれしい、そんな心躍りがつたわってくる、と私は思います。
youtubeで聴いてないで、スコットをリスペクトするためにCDを買おうと思う私は、かなり変わっているのでしょうか。オタク度が進んでいるのでしょうか。しかも、この映像を選んでしまうということは、けっこうな鉄子さん?




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抵抗のオペラ5 男の悲劇としてのマチスモ

柄にもなく政治のことばかり書き続けて、ちょっと疲れました。というわけで、きょうは新日フィル定期演奏会プログラム連載の「抵抗」の5回目、ヴェルディの「リゴレット」です。この中で歌われる「女心の歌」は有名ですが、それがどんな作品のなかで、どんな人物が歌うのかは、あまり知られていないのではないでしょうか。


ヴェルディ「リゴレット」

ロミオはなぜバルコニーのジュリエットと愛を語らい、バルコニーからジュリエットの部屋に入るのだろう。答えは、当時イタリアの身分ある女性の部屋の扉は、夜は外から鍵をかけられたから、だ。外との連絡も出入りも、バルコニーからするしかなかった。
 
当時とは、「ロミオとジュリエット」なら14世紀。ルネサンス華やかなりしイタリアの、巨匠の手になる美しい肖像を残しているあまたの貴婦人は、そんな囚われ人の暮らしをしていたのだ。
 
では、なぜ女性の部屋には外から鍵がかけられたのか。「リゴレット」は16世紀、いまだ女性の部屋に鍵をかけていた時代が想定されているのだが、このオペラのあらすじをご存じの方ならおわかりだろう。そう、女性を誘拐者や闖入者から守るためだ。娘や妻や姉妹の部屋に鍵をかけるのは、父や夫や兄の義務であり、権利でもあった。
 
視点を変えれば、当時のイタリア男たちは、自分の保護下にある女性たちの部屋にしっかり鍵がかかったことを確かめると、いそいそと出かけたということだ。もちろん、他家の女性を誘惑しに。「自分の女」は誰にも指一本ふれさせたくないが、自分は他人の女を「ものにしたい」。まさにダブルスタンダードだ。いずれにしても、女性は所有物であり、また「ものにする」対象だった。まさに「もの」として扱われていたのだ。
 
マントヴァ公爵に仕える道化のリゴレットは、このダブルスタンダードを生きていた。好色な公爵の女漁りをけしかけ、妻や娘を手にかけられて怒りに燃える廷臣たちをあざ笑うのが、道化リゴレットの表の顔だ。そしてもうひとつ、そうやって稼いだ金をつぎこみ、男手一つで育てた愛娘ジルダを守り抜こうとする父親の顔を、リゴレットはもっていた。
 
だがしかし、こんな虫のいいことはいつまでも続かない。虎の威を借る狐としての道化に、次第に廷臣たちの憎悪が集まっていく。本来なら、恨みはかれらの妻や娘や愛人に手を出したマントヴァ公爵その人に向かうべきだが、権力がそうした悪感情をはねつけている。それで、身代わりとして、道化のリゴレットが一身に恨みを買うことになる。
 
リゴレットはわかっていた。かれは歌う。

 道化の娘が辱められたら みな大笑いだ
 
道化の娘とは、怨嗟が渦巻く荒んだ宮廷では、きわめて危険な立場なのだ。それで、リゴレットは娘がいることをひた隠しにしている。ところが、それが裏目に出る。娘をリゴレットの伴侶と勘違いした廷臣たちが、誘拐して公爵に進呈し、リゴレットにたいする日頃のうっぷんを晴らそうとしたからだ。そのために、廷臣たちはバルコニーにはしごをかけるのだが(そう、バルコニーだ)、あろうことか、別の貴婦人の誘拐だと嘘をついて、リゴレットその人にはしごを押さえさせる。リゴレットは道化に徹し、おもしろがって手伝った。かれの人生の矛盾が、はしごの上と下でぶつかりあう。なんという残酷な図柄だろう。
 
事の次第が明らかになると、リゴレットは道化の仮面をかなぐり捨て、公爵にたいして復讐を誓う。公爵に刃向かったために破滅させられた老伯爵の前例があるにもかかわらず、その老伯爵が、自分をあざ笑った道化リゴレットに呪いをかけたにもかかわらず(呪いは必ず成就するのが、物語の鉄則だ)、リゴレットの復讐は、娘を略奪した廷臣たちではなく、娘を「ものにした」公爵を、権力の頂点をターゲットにするのだ。
 
リゴレットは、一世一代の抵抗に立ち上がる。だが、そこに思わぬ抵抗が、こんどはリゴレットに立ちはだかる。娘ジルダの、公爵への愛だ。しかし、公爵はうそぶく。

 女は気まぐれ 風に舞う羽根のよう 
 ことばも心も ころころ変わる(「女心の歌」)

この有名な歌は、公爵の裏切りをジルダに明らかにし、さらには公爵暗殺が失敗したことをリゴレットに思い知らせる。魅力にあふれた明るいメロディに残酷きわまりない機能を担わせる、作曲家のたくらみはみごとだ。
 
しかし、これに先立ち、公爵はこうも歌っていたのだった。

 あれもこれも こうして見れば
 女はどれも 似たようなもの
 今日はあの女に 惹かれるが
 明日は別の女が 心をとらえる

 
気まぐれなのはむしろ男で、「女心の歌」では、女は男の鏡像であって、濡れ衣を着せられているとわかるよう、オペラは仕組まれていたのだった。そして、「あなたと愛を交わせたら 世の男たちの羨望の的」という公爵のくどき文句からは、女性が男性にとって展示価値しかもたないマチスモ社会が、くっきりと浮かび上がる。そこでは、男たちはいい女を「ものにする」ことを競い、自分の女がほかの男の「ものになる」ことを極度の屈辱とする。気にするのはほかの男たちの目、男社会での自分の面目であって、女性の内面は一顧だにされなかった。ついでに言うと、女性の純潔が過大な価値をもたされるのも、こういう社会の特徴だ。
 
リゴレットも、このマチスモという価値観から自由ではなかった。それにたいする痛烈な批判が、ジルダが最後まで貫いた、公爵への純愛ではなかったか。原作者はヴィクトル・ユーゴー。社会の非人間性を暴き、人間の魂の奥深くまで描ききっている。伊達に文豪の名をほしいままにしてはいない。ヴェルディは、原作とがっぷり四つに組んで、みごとな勝負をしてみせた。

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抵抗のオペラ4 公序良俗への抵抗、社会への抵抗

きのうのアクセスはすさまじかった。驚きましたが、へんなニュースのソースにそれだけ多くの方が接して、それぞれに受けとめてくださったと思うと、すなおにうれしい。マスメディアのおかしさを、なんの取材力も経験もない一市民が指摘できるのも、インターネットのおかげです。メディアは、こうした情報環境を踏まえて、そろそろ反省する時期にさしかかっているのではないでしょうか。

あまりのアクセス数に、ちょっと熱を冷ましたくなりました。そこで、きょうは新日フィル定期演奏会プログラム連載の「抵抗」です。これを載せると、アクセス数は減りますので。今回は4回目になりますが、プッチーニの「ラ・ボエーム」です。ここに出てくる新聞は、若者の信頼を集めていたようです。


プッチーニ「ラ・ボエーム」

 
フランス語でボエーム、英語でボヘミアン。ボヘミア人という意味だ。15世紀、ジプシー(ロマ)が現在のチェコのボヘミア地方からフランスに流れ込んだ。そこから、一所不在の、まわりとは異なる伝統や習慣を持ち、白い目で見られても昂然としている人びとがボヘミア人、つまりボヘミアンと呼ばれるようになった。
 
これが19世紀には、大都市で貧しさと引き替えに、社会のしがらみから解放されて奔放な日々を送る人びとを意味するようになる。その代表格が、売れない芸術家や作家だ。彼らはアルコールやドラッグ(恐ろしいことに当時はハッシシ)に親近性をしめし、新しいと称して、善良な市民の保守的な感覚からすればわけのわからない文章や絵や音楽を生み出し、悪ふざけを好み、ぎょっとするような独特の風体をしてひんしゅくを買った。
 
けれど、わたしたちにも思い当たる筋がある。前世紀の70年代、ヒッピーが一大ムーブメントを巻き起こしたのだった。彼らも、おとなの世代がつくりあげた市民社会の価値観に反抗する生き方を実践してみせた。安定した生活や公序良俗に背を向け、政治に異議を唱え、公然と大麻を愛し、新しい文学やロックミュージックや絵画や映画を世に送り出して、社会に大きな影響をあたえた。ボヘミアンは、あのフラワーチルドレンの19世紀版と考えればいい。
 
オペラの舞台は、1830年代のパリ、カルチエ・ラタン。いまは学生街として有名だが、昔はボヘミアンの町でもあったのだ。この少しあとの時代になると、ボヘミアンは大挙してモンマルトルに移動する。
 
1830年代といえば、ルイ・フィリップが王政復古をなしとげたころだ。しかし、この王は、中下層市民にも配慮した政治をおこなわざるをえなかった。なにしろ、48年革命はもうすぐそこまで迫っているのだ。オペラの幕開けに、しがない絵描きや詩人たちが床に転がったコインを指して、「見ろよ、ルイ・フィリップがひれ伏してるぞ」と言っておもしろがるシークエンスには、そういう時代の雰囲気を表現しようとの意図がこめられているだろう。言うまでもなく、コインには国王ルイ・フィリップの肖像が刻印されていた。彼らが読んでいるのは「立憲新聞」。王権の時代は確実に終わりつつあった。
 
こうした時代の潮目には、既成の社会規範をものともしない若者が存在感を増すらしい。自由奔放な若者たちは、それまでの体制や価値観に身をもって否をつきつける。安定したコースからからドロップアウトした若者たちの存在自体が、体制への抵抗なのだ。そういう意味で、彼らは時代の花だ。しかしこの若者たち、とにかくお金がない。それに牽引されて、ドラマは進行する。
 
オペラでは、彼らはアパルトマンの屋根裏部屋で、共同生活をしている。いま風に言うならルームシェア。彼らとは、先に挙げた絵描きと詩人のほかに、作曲家と哲学者の4人の若者だ。エレベーターがなかった時代、アパルトマンは上階ほど家賃が安かった。いまは、マンションにしろホテルにしろ、最上階に高値がつくが、昔は逆だった。ヨーロッパの都市の古い建物は、下の階ほど天井が高く、つくりも豪華だ。
 
原作はアンリ・ミュルジェールの『ボヘミアン生活の情景』(1849年)。貧しい若者たちのエピソードを集めた短編集で、オペラ台本はそれらをないまぜてひとつのストーリーをつくりあげている。作曲家は、ワーグナーのライトモティーフの手法を存分に生かして、いくつものアリアを効果的に繰り返し引用しているが、その一つひとつが一人ひとりのちいさな人物のささやかな物語に呼応して、短編集というオリジナルの姿を喚起するかのような効果をかもし出している。そこが、ワーグナーへのたんなる追随ではない、プッチーニ独自の発明だろう。
 
なかでも「わたしの名前はミミ」は、可憐でけなげな、いかにもプッチーニ好みのヒロイン像を浮き彫りにする名曲だ。いまでこそこのタイトルが一般的だが、かつては「わが名はミミ」だった。しかし、貧しいお針子が「わが名は」などと名乗るだろうか。「わが名」という大仰な言い方は、人物像や音楽そのものからはどうもしっくりこない。オペラが、わたしたちにとって上等舶来文化だった時代をしのばせ、いまの目で見ると異和感がある。タイトルの変化は、オペラが身近な文化の一ジャンルとして定着したことのあらわれかもしれない。
 
ミミは、同じアパルトマンの詩人ロドルフォと恋仲になり、同棲することになる。けれども、ミミは胸の病に冒されている。この時代、肺結核は死を意味した。貧しいロドルフォは、自分にはミミに治療をうけさせる経済力がないことに苦悩し、わざとつれなくして、ミミにも別れることを納得させる。
 
けれど、そんなことをしたら、病身のミミが路頭に迷う、それこそ治療どころではないではないか、とわたしたちは考える。ところが、ロドルフォと別れたミミは、ほどなく裕福な男の愛人の座におさまる。肺結核が空気感染することがまだ知られていなかった当時、結核患者の皮膚はすきとおるような美しさを帯びるということがあって、これを珍重する向きがあったのだ。不治の病と知って、死ぬまでのいっとき、愛玩の対象にする。残酷このうえない話だが、江戸時代の遊郭にもこうした悲劇はあった。

ロドルフォは、そうしたなりゆきを見越して、ミミと別れたのだ。だとすれば、愛しあうふたりの苦悩の深さはいかばかりか。別れて数カ月後、死期を悟ってロドルフォのもとへ戻ってきたとき、ミミは金持ちの世話になっていたことに、一切の言い訳をしなかった。ロドルフォも、恨み言ひとつ言うでもなく、よくぞ帰ってきてくれたと、恋人をかき抱く。抵抗感や嫉妬という、人間としてごく自然な感情すら封じ込めてしまう怪物の名は、貧しさ。その前でなすすべもない無力な恋人たち。こんど「ラ・ボエーム」を観るときは、こうしたことにも思いを馳せていただきたい。きっと、恋人たちの運命の哀切さが、ひとしお胸に迫ることだろう。

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抵抗のオペラ3 ロマの抵抗「イル・トロヴァトーレ」

先日、アニメのハイジのことを書きました(こちら)。読んでくださる方は少ないだろうと思いきや、予想外のアクセス数に、ハイジも携帯電話のコマーシャルみたいにびっくり顔になってしまったことでしょう。ハイジファンは多いのですね。気をよくして、また書きます。

ハイジの記事の中で、イタリア統一戦争について触れました。その続きのようになりますが、新日フィル定期演奏会プログラム連載の「抵抗」3回目は、やはりイタリア統一戦争がらみの作品、ヴェルディの「イル・トロヴァトーレ」です。


ヴェルディ「イル・トロヴァトーレ」

 
昨年(2006年)は、映画監督ルキノ・ヴィスコンティ生誕100年だった。
 
そのメロドラマの傑作「夏の嵐」は、19世紀のイタリアが舞台だ。当時、イタリアはオーストリア帝国から独立して再統一をもとめる政治的動乱のただなかにあった。
 
映画は、ヴェネチアの絢爛豪華なオペラハウスのシーンに始まる。上演されているのは、ヴェルディの「イル・トロヴァトーレ」。「武器を取れ」という合唱を合図とするかのように、天井桟敷からおびただしいアジテーションのビラが舞い、それに呼応する観客の叫びに、劇場は大混乱におちいる。ドラマティックな幕開けだ。そこにオペラの内容からの暗示が相俟って、小暗い興奮はいやがうえにも高まる。
 
「イル・トロヴァトーレ」は陰惨な復讐劇だ。ロマ(ジプシー)のアズチェーナは、母親がルーナ伯爵によって火あぶりにされたことを恨み、伯爵家の次男を誘拐して、自分の息子として育てる。彼、マンリーコは、長じて吟遊詩人(トロヴァトール)になるが、出生の秘密を知らされていないため、ロマの一員としてルーナ伯爵家を敵視するばかりか、ひとりの女性をはさんで、いまや伯爵家を継いでいる実兄と恋敵の間柄にもある。戦闘の果てに、ルーナ伯爵がマンリーコを処刑するのを見届けたアズチェーナは、「今お前が殺したのは、お前の弟だ」と絶叫する。
 
なんとも救いのないドラマだ。対立と抗争、憎しみと嫉妬、たくらみと裏切り、そして、流される犠牲者たちの血。これが大当たりをとった背景には、先に触れたイタリア統一運動の機運があった。
 
それどころか、ヴェルディはこの政治運動と連動するかのような作品を、これ以外にもつぎつぎと発表していった。「ナブッコ」「ロンバルディア人」「エルナーニ」……。オペラが世論をかきたて糾合するメディアの役割を担い、独立運動の武器となったといえるだろう。オペラハウスは革命の揺籃だった。映画「夏の嵐」の冒頭シーンは、そのあたりの消息をみごとに表現している。
 
ヴェルディの独立運動のかかわりには、その作品にとどまらない特別のものがあった。ミラノ市民は、ヴィットーリオ・エマヌエーレをかついで再統一をはかろうとしたが、「イタリア国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ」(Vittorio Emanuele Re D ' Italia)の頭文字をつなげると「V.E.R.D.I.」、つまりヴェルディになるところから、この運動は「ヴェルディ万歳」(VIVA V.E.R.D.I.)と呼ばれた。当時の人びとは、合い言葉としてじつにふさわしいと、感動をもって迎えたことだろう。作曲家もこのことを知っており、おそらくは本意であったらしい。
 
とはいえ、オペラが世相から超越したものであることはいうまでもない。その証拠に、いにしえのイタリア独立運動とはなんのかかわりもない21世紀の聴衆に、この作品は支持され続けている。
 
オペラに戻ると、アズチェーナが伯爵家の次男を育てたにはわけがあった。母親の仇を討つために伯爵家の赤子をさらったまではいいが、その赤子を母親と同じように燃えさかる火の中に投げたと思いきや、それはアズチェーナ自身の産んだ子で、誘拐した赤子は自分の手元に残っていた。激情に駆られるあまり、とりかえしのつかない錯誤を犯したのだ。
 
アズチェーナは、仇敵の御曹司を育てることにする。なぜだろう。さらなる激情に、この子も火に投げ入れてもおかしくはないはずだ。しかし、アズチェーナはそうしなかった。火刑となった母親の無念を乳とともに注いで、この子を育てた。それは将来、伯爵家の兄弟を骨肉の争いへと仕向けるためだったのだろうか。そうして復讐をとげるつもりだったのだろうか。
 
オペラのクライマックスには、たしかに復讐をとげたアズチェーナの雄叫びが響きわたる。しかしその反面、アズチェーナとマンリーコの親子のきずな、信頼、情愛も、それを疑う余地のない音楽によって歌いあげられている。それすらもが、アズチェーナないし作曲家が仕掛けたたくらみととるべきなら、アズチェーナは人間的な理解を超えた怪物のような存在、まさにルーナ伯爵側のいう魔女ということになる。はたして、そうなのか。
 
アズチェーナを、復讐の一念にこりかたまったおどろおどろしい怪物とする公演もあることはたしかだ。そうではなく、アズチェーナの内心の葛藤と悲劇性を前面に出した演出もある。演出家それぞれの解釈なわけだが、わたしとしては、複雑で悲しい人間としてのアズチェーナ像を採りたい。
 
そうした目で見ると、敵役をふられたルーナ伯爵にも、極悪の相は見られない。ヒロインのレオノーラはマンリーコを愛していること、マンリーコとは敵対する政治勢力の一員であること、権力において伯爵のほうが圧倒的にまさっていることぐらいしか、伯爵が敵役とされる要素はない。
 
そうなのだ。世界は、単純な善玉と悪玉の対決がくりひろげられる場所ではない。すべての闘争はいわば身内どうしの争いであり、独立戦争も内戦の様相をきたすものなのだ。そのさなかで、個々の人間も引き裂かれ、いっぽうの思いを生かすためにもういっぽうの思いを踏みにじらざるをえないという痛恨を重ねていく。
 
アズチェーナは、伯爵家の赤子への情愛に負け、赤子を育てた。処刑された母親への無念の思いも消えることはなかった。その赤子が長じて、運命のいたずらで実兄によって殺されると、母の無念を晴らしたという思いと、手塩にかけた子どもが死んだ悲しみに引き裂かれ、絶叫するのだ。「今お前が殺したのは、お前の弟だ」と。抵抗はアズチェーナの心の中で乱反射し、心を張り裂けさせるほどの猛威をふるう。ここに勝者はひとりもいない。

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抵抗のオペラ2 神々への反逆「ワルキューレ」

この1週間のあいだに、国内便に6回乗りました。さすがに疲れました。だから、と言うわけでもないのですが、きょうは、新日本フィルハーモニー定期演奏会プログラムに連載したエッセイ、「抵抗」の2回目です。

今、政治課題を解く困難さが三次方程式、四次方程式にたとえられていますが、ワーグナーの「ワルキューレ」は、二次方程式ながら、それがいくつもからまりあって、いずれの方程式にも満足な解をえるのは不可能といった様相を呈しています。まさに、こちら立てればあちらが立たずなのですが、不可能の果てに別次元の可能性が開ける予感もまた孕んでいます。「ワルキューレ」は、未来が開けるためにはいくつもの旧来の理念が滅びざるをえないのだ、というメッセージを伝えているのかもしれません。


神々に反逆する者としての英雄 ワーグナー「ワルキューレ」
 
「ワルキューレ」と聞けば、耳はただちに思い出す。8台のホルンの咆吼をかき消すように猛々しくわきおこる女声コーラス、「ワルキューレの騎行」だ。

 ホヨトーホ! ホヨトーホ!
 ハイアー! ハイアー!

いくさの庭に馬を駆るワルキューレは、ゲルマン神話の主神ヴォータンの、誇り高い娘たちだ。そのおたけびは、殺戮の異様なエクスタシーに酔い痴れるかのようだ。

ワルキューレたちがヴォータンの宮殿ヴァルハラへと連れ去る戦死者は、英雄に限られる。ワルキューレという名前の意味するところは、古期スカンジナビア語で「死者を選ぶ者」。人間は、神々の意志で戦場にかりだされ、命のやりとりをしなければならない。そこに人間の自由はない。人間が選択を許されるのは、英雄的にふるまうか、卑怯者の汚名に甘んじるかの一点だ。そこにいくさびとの、ひいては人間の悲哀と栄光がある。
 
ワーグナーがゲルマン神話を奔放に脚色した楽劇「ニーベルングの指輪」の第2エピソード、「ワルキューレ」は、極彩色の抵抗と屈服に彩られている。そこには自由ということばがひんぱんに出てくる。自由を語るのはおもに主神ヴォータンだが、その口ぶりからは、神には自由がないことや、全能ではないことへの嘆きが伝わってくる。

 神々に逆らい 神々にできぬことをする自由人
 そのような者をこそ わしは育てんとしてきた

ヴォータンは複雑な神だ。世界の終焉を恐れているが、その種を蒔いたのは自分だということを承知しており、この事態を打開する「自由人」の出現に一縷の望みをかけている。また、妻のフリッカとは神の職掌にかかわって対立している。女神フリッカは婚姻の守護神で、結婚の神聖を汚す者にはきびしくあたるのだが、ヴォータンは最高神の原理にのっとり、女神や人間の女とのあいだにおびただしく子どもをもうけているのだ。二柱(ふたはしら)の神は、神性をまっこうから対立させた夫婦という、剣呑な関係にある。
 
ジークムントと人妻ジークリンデが恋におちると、フリッカは、ジークムントに死をあたえよと、夫に迫る。しかし、ジークムントはヴォータンと人間の女の息子であり、この神が育てた自由人候補にほかならない。夫は抗うが、結局は妻に屈する。これが、このドラマの第一の抵抗と屈服のてんまつだ。
 
第二の抵抗と屈服は、ヴォータンとワルキューレ姉妹の長姉ブリュンヒルデのあいだに生じる。ジークムントに死を、と命じる父神に、姫神が逆らったのだ。激怒するヴォータンに、ブリュンヒルデは抗弁する。

 わたしがいかなる悪事をなしたとお言いか
 わたしは父上の寵愛をうけた者に情けをかけたまで

たしかにヴォータンは、世界を破滅から救う自由人になるかもしれない実子ジークムントを殺したくない。だが、ヴォータンは矛盾した神だ。いっぽうでは自らに逆らう自由人を希求しているのに、おのれの命令に逆らう者は、それが神だろうと許さない。ヴォータンは、ブリュンヒルデから神性を奪い、深い眠りに落として荒野に放置する。しかし娘の懇願に折れ、眠る娘を守るために炎の壁をめぐらせることにしたのは、父の愛ゆえ、そして娘の言い分の正当さを認めたからにほかならない。ヴォータンはここでも屈折している。たてまえに本心が屈服し、本心にたてまえが揺らぐのだ。
 
ジークムントが神の意志に叛旗をひるがえすのは、彼をヴァルハラに伴おうとするブリュンヒルデと対峙したときだ。これが、第三の抵抗と屈服だ。
 
 わたしはここにとどまります
 ジークリンデの生きる場所に
 わたしもとどまりたいのです

そのことばにほだされたブリュンヒルデにより、いったんは命を救われたかに見えたジークムントだが、そうはさせじと乱入したヴォータンの手で斃される。しかし、このように高らかに神に歯向かう者をこそ、ヴォータンは欲していたのだ。世界を破滅から救うはずの、「神々に逆らい 神々にできぬことをする自由人」を。
 
ジークムントは、神々の意志よりもこの世で愛に生きることを尊んだ。それがジークムントの反逆だった。それこそが、神々には不可能な、ワーグナーが自由と名付けた、人間ならではの行動原理なのだろう。そして、この自由を行使する者が英雄なのだとしたら、ささやかな生への愛という、神々には思いつかない動機によって期せずして世界を救う者になってしまうのが、英雄なのかもしれない。

死んだジークムントは、英雄譚を完成させることはできなかった。しかし、ジークリンデの胎内には命が宿された。ふたりが離別した双子だったという設定は、あまたの神話が英雄の出自として語ってやまない、兄妹の聖婚を成就させるためにほかならない。ワーグナーの叙事詩は、神々や英雄の聖なる痛ましさを歌い上げながら、世界の奈落へと滔々と流れ落ちていく。


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抵抗のオペラ1 万人の万人にたいする抵抗

これまで、新日本フィルハーモニー定期演奏会プログラムに連載したエッセイのうち、1年目の8本を転載してきました。そのテーマは「誘惑」でした。

連載2年目のテーマは「抵抗」だ、と芸術監督に告げられました。1年目の「誘惑」から、まあ、監督としては順当だと考えたのでしょう。けれど、こちらは考えこみました。グランドオペラなんて、考えようによってはすべてが抵抗をテーマにしているようなものだ、どこから手をつけたやいいやら……。

考えたあげく、第1回目は軽いものにしました。最初からあまり深刻だったり重々しかったりすると、連載はしんどくなりますから。取り上げたのは「ガゼッタ」、訳せば「新聞」というタイトルの、ロッシーニのオペラ・ブッファ、19世紀初めの花形メディアとしての新聞をめぐる楽しい物語です。このブログでは、メディアのことをよく取り上げるので、その関連からも、今これを転載するのも面白いかも知れません。


万人が万人に抵抗する ロッシーニ「ガゼッタ」

オペラのテーマは古典的なものだ、現代にはあまり縁のないものだと思いがちだが、オペラは近代に入ってますます好まれ、新作が生み出されるようになっていった。となれば、人びとの興味を引くために、目新しいテーマがとりあげられてもおかしくはない。20世紀になると、プーランクには、歌い手がずっと電話をかけているという設定の、「声」というオペラもある。

「ガゼッタ」、新聞と銘打たれたオペラ・ブッファは、ロッシーニが1816年に作曲した。なんとまだ24歳、しかも直後には有名な「セビリアの理髪師」も作曲している。この年は、ロッシーニにとってオペラの当たり年だったようだ。
 
ところで、新聞を読むとはいったいどういうことだろう。新聞のない時代とある時代では、いったいどんな違いがあるのだろう。
 
ひとことでいえば、新聞によって、人びとの世界を見る目が変わった。新聞は、扱いの軽重はあっても、遠くの出来事も近くの出来事も同じ平面に並べて差し出す。新聞が出現するまでは知りもしなかった遠い地方や国の事件も、さあ興味をもてとばかりに紙面から迫ってくる。新聞によって、人びとは自分の実際の生活圏とは別に、世界大の関心圏とでもいうものをもつようになったのだ。
 
オペラ「ガゼッタ」の舞台となるパリのホテルには、さまざまな国の人びとが出入りする。オランダ人とトルコ人とアフリカ人は偽物だが、現れてもおかしくないとの前提があればこそ、そうした仮装もありうるのだ。話題にのぼるだけなら、ロシア人、イギリス人、スペイン人と、当時の人びとが思い描く世界の各地から、さまざまな人びとが呼び出される。雑多な人びとが入り乱れるホテルは、まさに新聞紙面そのものだ。
 
このホテルに、イタリアの豪商、ドン・ポンポーニが、娘のリゼッタを伴って滞在している。この父親、とっぴな思いつきを実行に移した。娘の結婚相手を募集する、新聞広告を出したのだ。
 
とっぴと言ったが、「交際相手求む」とか「伴侶求む」といった新聞広告は、欧米では珍しくない。自分を売り込むために、ここまで書くかと思うほど、髪の色や目の色に始まって、頭がいいとか背が高いとか、収入はいくらとか、臆面もなく自画自賛の魅力を並べ立てている。今はインターネットも、同様の場を提供しているのだろうか。
 
ともあれオペラでは、広告をうつのが本人ではなく父親なのが、現代の「伴侶求む」と違うところだ。しかし、父親が娘の伴侶を募集するという図式は、王さまがお触れを出して姫の婿がねを広く求めるという、メルヒェンのお決まりのストーリーを踏襲していて、奇抜でもなんでもない。こうしたメルヒェンをそのまま利用したオペラには、あのプッチーニの「トゥーランドット」がある。
 
しかもメルヒェンでは、課題に挑戦してお姫さまをわがものにしようとするのは、どこかからやってきた風来坊と相場は決まっている。オペラ「ガゼッタ」にも、理想の妻を求めて世界を旅する青年が登場して、いよいよメルヒェンらしさをかもし出す。オペラはごていねいなことに、もう一組の父と娘を登場させ、この娘もいわゆる適齢期ということになっている。二組の父娘が、これでもかこれでもかとメルヒェンを思い出させようとしているかのようだ。
 
けれども、そこに王さまのお触れではなく新聞広告が出てくるところに、オペラ発表当時の同時代性があったろう。登場人物たちは、新聞に書かれていることは本当かとか(メディアリテラシー!)、新聞に出れば話題になるとか有名になるとか、取りざたする。現代となんら変わりない。当時の観客は、新聞という斬新な小道具に目をくらまされて、ストーリーがメルヒェンを下敷きにしているとは気づかなかったかもしれない。
 
ところが、娘のリゼッタがおかんむりなのが、メルヒェンとは趣を異にする。昔むかしのメルヒェンでは、お姫さまは自分の意志を表明しない。けれど、新しい時代を生きるリゼッタは、自分の意志で行動しようとする。リゼッタは、ホテルの支配人フィリッポと恋仲なのだ。
 
一人ひとりが意志をもてば、それらが一致することのほうがまれだろう。そこにはあつれきが生じ、人びとは意志をつらぬくために、それを押しとどめようとするものにたいし、さまざまに抵抗をこころみる。娘は、勝手なことをする父親にあらがう。父親は、「給仕風情」と所帯をもとうとする娘に、そうはさせじと立ちはだかる。娘の恋人も、理不尽な父親の企てをくじこうとする。人びとが意志をもつとは、万人が万人にたいして対抗することなのかもしれない。そして、人と人の調和とは、その先にしか求められないのかもしれない。

オペラでは、ちょっとしたいきさつから恋人同士が仲違いをする。けれども、どちらも本気で怒っているわけではない。

リゼッタ「わたしのこの抵抗は あとどれくらいもつかしら」
フィリッポ「二つの気持ちが争っている 愛しているならなぜ逆らう」

まあ、痴話げんかの果ての意地の張り合いなのだが、こういうとき、抵抗の相手は自分の本心だ。この種の抵抗は、いずれもあえなく克服されることになっている。

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琉球弧の自然を踏みにじるのは 中島みゆき「阿檀の木の下で」

おとといご紹介した中島みゆきの「4.2.3.」には、爆撃音が効果音としてつかわれています。中島みゆきの全楽曲中、爆撃音が効果につかわれている曲があと1曲あります。まずは、その歌詞を。


波のかなたから流れて来るのは
私の知らない貝殻ばかり
波のかなたから流れて来るのは
私の知らない寿歌(ほぎうた)ばかり
遠い昔のあの日から この島に人はいない
みんなみんな阿檀(あだん)の木になった
波のかなたから流れて来るのは
私の知らない国歌(くにうた)ばかり

遠い昔にこの島は戦軍(いくさ)に負けて貢がれた
だれもだれも知らない日に決まった
波のかなたから流れてくるのは
私の知らない決めごとばかり

陽は焼きつける 阿檀は生きる
大地を抱いて阿檀は生きる
山の形は雨風まかせ
島の行方は波風まかせ
遠い昔にこの島は戦軍(いくさ)に負けて貢がれた
だれもだれも知らない日に決まった
誰も知らない木の根の下は
主(ぬし)の見捨てた貝殻ばかり


(中島みゆき「阿檀の木の下で」 アルバム「パラダイス・カフェ」所収)


歌詞については、敢えてなにも言いますまい。阿檀は、琉球弧の海辺に繁茂する喬木で、パイナップルに似た実をつけます。奄美に生きた田中一村は、ハイパーリアリズムを突き抜けて幻想の域に達するその作品に、くりかえし描きました。阿檀はマングローブの林にも見られ、琉球弧の島々の水辺を守る木と言えるでしょう。

言うまでもなく、自然は精妙なバランスの上になりたっています。島はなおさらです。小規模な完結した自然環境は、どこかに変更がなされると、きわめて壊れやすいのです。辺野古の陸上部に新たに滑走路をつくるとなると、大規模な土木工事になります。赤土が海に流れこみ、珊瑚礁に沈殿すると、珊瑚が窒息してしまいます。そうした事態は、琉球弧の大規模開発にはつきもので、各地で問題になっています。軍事基地建設だけではないのです。

奄美大島の南に、加計呂麻(かけろま)島というちいさな島があります。島の95%が山林なのですが、その47%を35年かけて伐採するという計画が浮上しています。木材をチップにしようというのです。加計呂麻の自然バランスは維持できるのでしょうか。危惧を抱いた人びとが、署名を集めています。一次締め切りは過ぎましたが、まだ集めるそうです。よろしかったら、
ここから入って、用紙をダウンロードしてください。

加計呂麻は、作家島尾敏雄が震洋特攻隊長として滞在し、『出発は遂に訪れず』などの作品に描いた島です。そのベニヤのボートを隠していた洞窟を見たくて、訪れたことがあります。寅さん最後の恋人、リリーさんが住んでいた島とはつゆ知らず。渡し場に立って、はっと気づいたのです。寅さん、最後の作品で、今まさに私がたっているここに立っていた、と。そして、何気なく入った食堂は、家出した満男がりりーさんにカレーを食べさせてもらった店でした。島はうっそうとした熱帯林におおわれ、穏やかに、美しく休らっていました。あの静けさがいつまでも続いてほしいと思います。

大規模開発に怯える小島はまだあります。たとえば
竹富島。あるいは西表島。沖縄は、奄美も含めて、エコリゾート一辺倒で行くわけにはいかないのでしょうか。海の彼方から巨大資本が大型重機とともにやってきて、大地を抱く阿檀をなぎ倒し、巨大リゾート開発をしたり、島の水源と豊かな海を守っている熱帯雨林をチップにしたりして、ただでさえ脆弱な自然のバランスはだいじょうぶなのでしょうか。心配です。ましてや、戦争施設のために自然に手を入れるなど、もちろん論外です。

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「日本人はいませんでした」 海外の出来事を伝えるメディアの流儀

チリの大地震、私の関心が偏っているのか、災害の甚大さにくらべて報道が少ないように感じられてなりません。その少ない報道で繰り返されるのが、「○○に在住する日本人○○人のうち、○○人の安全が確認されました」というフレーズです。

もちろん、これはたいせつな情報です。チリは南米の大国、駐在する会社員やその家族も多いでしょう。いちはやくその安否を掴み、本国に連絡することで、大使館の方がたは忙殺されていることでしょう。心からご苦労さまと申し上げたいと思います。

けれど、こうした海外の大事故大災害の報道に接するたびに、思い出す歌の一節があります。


外国で飛行機が墜ちました ニュースキャスターは嬉しそうに
「乗客に日本人はいませんでした」
「いませんでした」「いませんでした」
僕は何を思えばいいんだろう
僕は何て言えばいいんだろう

(THE YELLOW MONKEY「JAM」より 作詞 吉井和哉)


この歌は、発表当時、物議をかもしました。「そのとおりだ、日本人さえ死ななければ、他国の人が何人死のうがかまわないのか」という意見や、「まず日本人の家族を安心させるための、妥当な報道だ」という意見が飛び交ったのです。この観点ももちろんたいせつで、わたしは前者に組する者ですが、もうひとつ、考えるべきことがあります。このくにには、日本国籍以外の人が多数暮らしていて、その人たちも情報をマスメディアに頼っている、ということです。

今回も私は、家族や知人がチリにいても、日本で日本語で暮らしている外国籍の人は、日本のメディアからはなにもわからない、ならばどこの国のどの機関に安否を尋ねればいいのだろう、と思いました。日本の? それとも国籍のある国の? 

海外便に搭乗する時には、書類に国籍を記入します。そうである以上は、不幸にも航空機事故が起こったばあい、国籍しかわからないのだから、その人が国籍国以外に生活の拠点をもち、そこで家族や友人に囲まれていようとも、連絡はやはり国籍国が責任をもつしかないのでしょうか。でも、それでは情報が遠回りをします。遠回りでも伝わるならまだしも、伝わるかどうか、覚束ないものがあります。ましてや、テレビは「日本人はいませんでした」を繰り返すばかりでは、関係者の焦燥はつのるでしょう。

このつらさは、私にも憶えがあります。アフガニスタンから亡命して、在留特別許可をうけている友人が、学者や弁護士、フリージャーナリストたちが市民の立場で現地調査に行った際、通訳として一時帰国した時のことです。かれは当時の体制から迫害をうける虞があったために、難民に冷たい日本も在特を出したのです。危険を顧みず、アフガンの人びとのためと信じて出かけたかれの身の上が心配でした。実際、一目で少数民族とわかる友人は、殺すと脅され、通りすがりに殴られもしました。幸い、それ以上のことは起こりませんでしたが。

かれが出かけている間、奥さんは不安にうちひしがれていました。私は、そんな奥さんを前にして、心が曇りました。万が一、かれの身になにか起こっても、日本の報道は沈黙しているだろう、と思ったからです。

国籍国に暮らさない人は、世界にたくさんいます。搭乗の書類にもパスポートにも、国籍国のほかに2つぐらい欄をもうけて、現住所のある国や家族の暮らす国など、連絡してほしい国を記入するようにすればいいのに、世界中でそうするように決めればいいのにと、いつも思うのですが、それは難しいのでしょうか。

日本にも、在日の人びとなど、何世代も日本の社会に根を下ろしている外国籍の人びとがいるのです。国籍国のことばを身につけていない世代も増えました。そういう方がたの安否も日本政府が、つまり現地大使館が把握すべきではないでしょうか。この人びとは、日本の納税者なのですから。それよりなにより、この社会のメンバーなのですから。「日本人の安否」とテレビのニュースが言うたびに、外国籍の人びとがどんなに疎外感を覚えることか、そう考えるだに身がすくみます。ニュースが「日本人の安否」ではなく、「日本の市民の安否」と言うようになる日が、一日も早く来ますことを。

もう少し話を広げます。次に引用するのは、やはり海外の事件の報道のされ方をテーマとする歌の後半部分です。1996年に起きた在ペルー日本大使公邸占拠事件をうけてつくられました。


大きな救急車が扉を広く開けて待ち構え続けている
担架に乗り 肩にかつがれ 白い姿の人々が運び出される

日本人が救けられましたと 興奮したリポート
ディレクターの声もエンジニアの声もいり混じっている

人質が手を振っています元気そうです笑顔ですとリポートは続けられている
その時ひとかたまりの黒い姿の人々が担架を囲んでとび出して来る

リポーターは日本人が手を振っていますとだけ嬉々として語り続ける
担架の上には黒く煤けた兵士
腕は担架からぶらぶら下がり 足首がグラグラと揺れる
兵士の胸元に赤いしみが広がる
兵士の肩に彼の銃が ためらいがちに仲間によって載せられる
担架はそれきり全速力でいずこかへと運び出されてゆく

日本人が元気に手を振っていますとリポーターは興奮して伝え続ける
黒い蟻のようなあの1人の兵士のことはひと言も触れない ひと言も触れない

日本人の家族たちを喜ばせるためのリポートは 切れることなく続く
しかしあの兵士にも父も母も妻も子もあるのではなかったろうか
蟻のように真っ黒に煤けた彼にも 真っ黒に煤けた彼にも

あの国の人たちの正しさを ここにいる私は計り知れない
あの国の戦いの正しさを ここにいる私は計り知れない

しかし見知らぬ日本人の無事を喜ぶ心がある人たちが何故
救け出してくれた見知らぬ人には心を払うことがないのだろう

この国は危ない
何度でも同じあやまちを繰り返すだろう 平和を望むと言いながらも
日本と名の付いていないものにならば いくらだって冷たくなれるのだろう

慌てた時に 人は正体を顕わすね

あの国の中で事件は終わり
私の中ではこの国への怖れが 黒い炎を噴きあげはじめた

(中島みゆき「4.2.3.」より アルバム「わたしの子供になりなさい」所収)


またもや中島みゆきの、しかも同じアルバムで恐縮です。タイトルは、ここに歌われていることが起こった日付です。この事件では、ペルー人の判事と兵士2人の3人、そして犯人側の14人全員、合計17人が犠牲になったのでした。

歌詞からの引用が長くなってしまいましたが、きょう私が言いたかったことは、ここに言いつくされています。とくに、次のフレーズに。くどいのを承知で、最後にもう一度繰り返しておきます。外国籍の人に冷たい国は、その本性においてその国民にも冷たいのだ、と付け加えながら。


この国は危ない
何度でも同じあやまちを繰り返すだろう 平和を望むと言いながらも
日本と名の付いていないものにならば いくらだって冷たくなれるのだろう

慌てた時に 人は正体を顕わすね

あの国の中で事件は終わり
私の中ではこの国への怖れが 黒い炎を噴きあげはじめた


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矢川澄子さんを偲ぶライブ 原マスミ+知久寿焼

おととい、原マスミさんと知久寿焼さんのライブに行きました。ちらしには、こうあります。

詩人、作家の矢川澄子(1932-2002)は、原マスミ・知久寿焼の親しい友人でした。ふたりの音楽とことばを愛し、ふたりも彼女との交流を大切にしていました。

「天沼の会」と「黒姫 矢川澄子の会」の共催。「天沼の会」は、矢川さんが天沼でルームシェアしていた年下の人びと、「黒姫 矢川澄子の会」は晩年、黒姫にお住まいだった矢川さんのゆかりの人びとです。会場の別のフロアには、矢川さんの本が展示されました。これは、天沼のアジトを引き払うのを機に、矢川さんのことを思う人びとが集まるライブなのでした。「ふたりで矢川さんちでつくった曲」も何曲か歌われました。

「エントランスで寝そべってつくっていると、矢川さんはキッチンでごはんつくってるんだよね。引き戸を閉めると、矢川さんが来て開けて、閉めると開けて、『開けて、やりなさい』って言うんだよね」なんていうMCとともに。

いろいろな方がお見えでした。西江雅之さん、三宅榛名さん、堀内誠一さんの奥さま、そして矢川さんの妹小池一子さんとはごあいさつできました。

亡くなってもう8年になるのだ、と改めて時の流れの速さを思いました。あの日は朝から呆然として、飛行機の時刻を間違えて乗りそびれ、かろうじて別の社の便で所用に間に合ったのでした。

ある雑誌が追悼号を出すことになり、文章など書ける状態ではありませんでしたが、しぼり出すように書きました。その追悼号は出ませんでした。のちに、別の雑誌が追悼企画を出しました。わたしもそこで鼎談をしていますが、原稿は筐底ならぬパソコンの中に眠っています。それを、ここに載せておきます。

中島みゆきに「わたしの子供になりなさい」というアルバムがあります。白い花が両側からそよぐ道を歩きながら振り向いてほほえむ中島みゆき、その前をうつむき加減に歩くふたりの子ども。ほっそりとした中島みゆきの服、矢川さんにも似合うだろうな、この白いちいさな花は蕎麦かしら、矢川さん、黒姫のおいしいお蕎麦屋さんにつれていってくれたっけ……そんなことを考えながらジャケットを見ていると、ふたりの子どもが原さんと知久さんに見えてきました。


矢川さんが死んだ。

矢川澄子が亡くなった。

自死だという。新聞の死亡告知欄の「自殺」には、異和感をとおりこしていたく傷つくものがある。

最後に矢川さんを抱きしめたのはいつだったろうか。あの小さな集まり、矢川さんから「わたしは行くわよ」と聞いていたのに、わたしは行かなかった。共通の友人が受けた文学賞の授賞式、行けば矢川さんに会えると知りながら、わたしは行かなかった。それどころか、忙しさにかまけて、最近出した本をまだ発送していない。矢川さんは本の広告をご覧になって、わたしのところには来ていない、いつもは発売日より前に届くのに、と心外に思われたかもしれない。そして、長野にはとんとご無沙汰だ。伺います、と言うばっかりで。自責の念に狼狽する。あのとき、無理でもなんでも出かけていれば、もしかしたら、と思うのはおこがましいだろうかと、思いは千々に乱れる。

わたしが下訳をしたのはただの一度、矢川さんのクレー論だ。種村季弘先生のご紹介だった。わたしが27歳だったから、矢川さんは44歳でいらした。ひとりになられて、まだ日が浅い頃だった。自立の必要もあり、どんどんお仕事をなさっていた。どう訳したらいいのか、どうしてもわからない語がひとつ残った。正直に申し上げて、訳稿をお渡しした。後日、お電話をくださり、「あれは……にしておいたわ」。みごとだった。

編集者と原稿の詰めをなさっているところに、同席したことがある。矢川さんは、編集者の注文に、つぎつぎと即決で代案を出していった。決断力、強い、というふたつのことばが頭の中を交互にとびかい、舌を巻いた。わたしなら、ごめんなさいして締め切りを聞き、ひとりで考えさせてください、と持ち帰るところだ。ギャラリーはわたしのほかにもいた。わたしなら、あんな状況ではかっと頭に血がのぼって、なにも考えられない。

対立をすると、じゃんけんのグウとパアのように、わたしが必ず負けた。対立の原因は決まっていて、功名争い。といっても、世間でいうのとは方向が逆で、仕事でわたしが矢川さんを前面に押し立てようとすると、決まっていさかいが起きた。矢川さんが中心になって仕事をすることは、もちろん、つねに編集者の意向でもあった。編集者もわたしも、その作品を矢川訳で読みたくて、巣の雛のように切ない思いで懇願したものだ。この作品はアンソロジーのメインだから、訳は矢川さんにやっていただきたい、あとがきは矢川さんでないとだめです……。

「いやよ」

ことば少なにきっぱりと言われてしまうと、編集者とふたりがかりでも、頑として聞き入れていただけなかった。むやみとしゃしゃり出るのはエレガントではない。そういう信念が、矢川さんにはあった。すねたように黙られてしまうと、こちらは手も足も出ないのだった。美学を譲らないお嬢さまの保身の強さに、じゃりんこ育ちは歯が立たないことを思い知らされた。

わたしが勝つには、脅すに限った。もっと重要な仕事をしていただくことになる、というぐあいに。共訳で詩集を出したときだ。あとがきをどちらが書くかでもめた。

「あなたが書いてよ」と、矢川さんは言い張った。わたしは必死になって抗弁した。

「この子ども向けアンソロジーのあとがきを書かないと、こんどおとな向けを出すときに書いていただくことになりますよ」

「じゃあ……書く」

そんなふうに、一度だけ、じゃりんこが勝った。

児童文学の翻訳の世界にわたしをお導きくださったのは、矢川さんだ。先のクレーの下訳のあと、「児童文学や絵本はやらないの?」と聞いてくださった。わたしは3人目の子どもを身籠もっていた。幼い子どもも2人いる。もしも仕事をしくじったら、出版社からは、やっぱり女はだめだとか、子どものいる女に仕事など任せられないのだとか言われ、矢川さんにご迷惑がかかる、と思い、「1年たったらお願いします」と言った。きっかり1年後、ドイツにいたわたしに、矢川さんご紹介の仕事が舞いこんだ。グリムのメルヒェンだった。この仕事が、その後のわたしを決定づけることになる。

あのときはきっかり1年後に仕事を回してくださいましたね、とわたしが言うと、矢川さんはいつも、「あら、そう?」と言うのだった。ほんとうに「あら、そう?」だったのか、あるいは含羞がそう言わせたのか、あまりにさりげなく、じゃりんこには真意が読めなかった。はるかに後塵を拝する後輩を、目下として見るようなことは金輪際なかった。

先のクレーの下訳のときが初対面だったのだが、もうすぐ子どもが生まれる、しかも3人目が、というお話をしたとき、矢川さんはどぎまぎしたように、「わたし、あなたの歳でなにをしていたのかしら」と言った。悲しみにうろたえているように見えた。その思いは後年、いくつかの作品に結晶した。矢川さんは子どもをもうけたかったのだ。細いからだにしては、胸元が豊かだった。わたしはいつも、うるさい子どもたちをひきつれて、矢川さんの秘かな悲しみをかきむしっている、といううっすらとした罪悪感のようなものを覚えていた。

でも、だから、矢川さんは子どもが好きだった。若い人が好きだった。東京のアジトを若い人たちと共同で借りたマンションに設けていらして、伺うと、「お母さんごっこをやってるの」と、うれしそうにおっしゃった。同居の若者たちは、「えぇ?」と、いたずらっぽく笑いあっていた。黒姫では、昆虫採集にやってきた若者にいそいそと同行して、「ここにいるわよ!」と歓声をあげていた。その虫の食性にも詳しくなってしまっていた。子どもの夏休みに喜々としてつきあう、過保護の母親そのものだった。

その若者、バンド「たま」の知久寿焼くんのことは、わたしが矢川さんにお教えしたのだ。拙宅の近くに、詩人仲間の白石かずこさんがお住まいで、矢川さんは白石さんを訪ねる時、決まって子どもたちに豪華なケーキを買って、拙宅に寄ってくださった。そんなあるとき、知久くんが歌っている「いか天」のビデオを、なかば無理やりお見せした。きっと矢川さんがお好きだろう、と思ったのだ。その後、知久くんが矢川さんの3人の同居人のひとりにまでになるとは、思いも寄らなかった。横取りされたような気がした。

「たま」に囲まれて、矢川さんは幸せそうだった。「小町の家に集まっていた連中そっくり」というのが口癖だったが、叩き物(パーカッション)担当の石川くんが松山俊太郎さんだということはわかったが、あとは誰を誰に見立てていらっしゃるのか、さっぱりわからなかった。とくに、誰に澁澤龍彦のおもかげを見ていらしたのかが。

若い女性たちが生き生きと自分の道を行くのを、自分には拒まれていたこととして、一抹の寂しさとともに、まぶしい目で見ておられた。「ほんっと、いまの若い人はえらいわぁ」と言う矢川さんの声を、わたしは聞こうと思えばいつでも記憶のテープを再現できる。

片や若い者たち、片や正当に評価されていないと判断なさった過去の女性文学者に、わがことのように肩入れなさっていた。尾崎翠、野上弥生子、森茉莉、野溝七生子、アナイス・ニン。それから、それから……。矢川さんの書架には、「父の娘」がずらりと並んでいて、そればかりは、わたしには異質で入りこめない世界だった。たとえばラカンの娘について、声をひそめてお話になるのだったが、わたしにはついていけなかった。

自分などものの数ではない、と言い暮らしていた矢川さんの自意識と、矢川さんを囲む者たちの思いは、しかし決定的にずれていた。矢川澄子こそ、誰にもまねのできない日本語で綴られた美しい作品におびただしく囲まれて、燦然と輝く存在だった。ああいう日本語遣いは二度と現れないだろう、というのがお決まり文句だった翻訳仲間もいる。わたしは、いつか自分なりの仕事ができるかどうかなどまるでおぼつかないながら、この歳に、矢川さんにはこういうことがあった、こういうお仕事をなさった、こんなことをおっしゃっていた、と段を一段ずつ踏みしめながら、加齢の梯子を昇っていた。行く手には矢川さんがいた。だから、加齢は楽しみだった。なにしろ、お会いするたびに、矢川さんはすてきでいらしたからだ。

じゃりんこ育ちで、ぽこぽこ子どもを生んで、がさつで、太くもっさりとしていて、矢川さんとはある意味、好対照だったわたしが、45歳を目前に、矢川さんと同じくひとりになるという選択をしたとき、いのいちばんに話を聞いていただいたのは、矢川さんだった。ふらりと黒姫に行った。

矢川さんは、「あらまあ」と意外な展開に驚いていらした。心配してくださる反面、面白がってもいらした。わたしも、矢川さんとは似ても似つかないわたしがそのような仕儀になったことを、矢川さんといっしょに面白がった。まあ、やや常軌を逸した悲壮な興奮状態にあったのだろう。

それ以降は、ますます矢川さんを意識した。初めてわかる矢川さんのお気持ちも、肯定的なものも痛ましいものも含めて、多々あった。加齢の梯子は、はるかに矢川さんを仰ぎ見つつ、ますます楽しいものになった。この今のわたしの歳をこえた矢川さんが、今何歳でこういう存在だ、ということが希望にも励みにもなった。それが、これからは、ふり仰ぐ矢川さんの梯子は71歳でとぎれているのだ。この梯子は、もう伸びない。矢川さんは駆けっこのとちゅうで眠ってしまった兎のように、うずくまったまま動かない。

今のわたしの歳を17年前にこえた矢川さんは、71歳で自死した。わたしは、これからどうやって生きていったらいいのか、わからない。

矢川澄子の名訳ポール・ギャリコの『雪のひとひら』の、ラストの雪の死には、矢野顕子が曲をつけ、歌っている。「おかえり」と、やさしくエロティックな声が歌っている。

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誘惑のオペラ8 ヴァルターの場合

新日本フィル定期演奏会プログラムに連載したエッセイを転載するシリーズ、前回の「スペードの女王」で誘惑というテーマはおしまい、と書きました(こちら)。ところが、うっかりしていました。もう一本あったのです。ワーグナーの「ニュルンベルクのマイスタージンガー」です。

ヨーロッパでは中世、シンガーソングライターたちがその腕を競っていました。かれらの本職は下級騎士や職人です。暮らしの中に詩が意味をもっていたところは、江戸時代、町民の間に俳諧が広まっていたのと一脈通じます。

 
ニュルンベルクの旧市街は、小高い城山を中心に、塔や建物がかさなりあいながらそびえ立っている。それをぐるりと取り囲む城壁の中に足を踏み入れると、そこは豪壮な石造りの館や、黒ずんだ木組みと白い漆喰壁のうつくしいハーフチェンバーの家屋といった、歴史的建造物のひしめく別世界だ。第二次世界大戦末期、これらがすべて文字通り瓦礫の山と化し、戦後、石をひとつずつ積み直して再現されたとは、にわかに信じがたいほどの壮麗さだ。
 
ドイツの中心からやや南に下がったあたりに位置する、いにしえのバイエルン王国の都市ニュルンベルクは、古くから手工業と交易で栄えた。神聖ローマ帝国の皇帝はここに城を置き、諸王諸侯はここで開かれた帝国議会ににぎにぎしく参集した。16世紀の中頃までのことだ。
 
ワーグナーのオペラ「ニュルンベルクのマイスタージンガー」の主役ハンス・ザックスは、ニュルンベルクの繁栄の最後の時代を生きた、実在の靴屋兼職匠歌人だ。手工業の職人が詩を書き、それに曲をつけて歌うのは、このころのドイツの伝統だった。彼らはマイスタージンガー(職匠歌人)、その歌は職匠歌と呼ばれる。たとえばこのオペラに登場する職匠歌人たちの本業は、錺(かざり)職、パン屋、毛皮職、ブリキ職、錫(すず)細工職と多彩だ。オペラにもあるように、彼らは組合をつくり、伝習館をもっていた。
 
このニュルンベルクに一人の若い騎士がやってくるところから、オペラの物語は始まる。騎士ヴァルター・フォン・シュトルツィングはフランケンの出だというから、その領地はさして遠くない。ニュルンベルクはバイエルン王国が北に飛び出たところにあって、むしろそのあたりにひろがるフランケン地方の中心といったほうがしっくりくるからだ。
 
ヴァルターはいう。

「故郷を離れ ニュルンベルクに来たのは
ひとえに芸術を愛するため」

芸術とは、職人たちの職匠歌だ。騎士と職匠歌人たちを仲立ちするポーグナー親方はいう。

「よろこばしいことだ
古きよき時代の再来だ」

じつは、自作自演の歌を披露しながら旅をする吟遊詩人は、かつては騎士階級の出と決まっていた。そうした下級貴族の伝統を、台頭した市民階級がひきついだのが職匠歌だった。だから、騎士がマイスタージンガーをめざすことは、「古きよき時代の再来」なのだ。ポーグナー親方の紹介によれば、

「ヴァルター・フォン・シュトルツィング
名門の 最後の一人でありながら
このほど先祖伝来の城や屋敷を離れ
このニュルンベルクに移り住み
市民になろうとの心づもり」

しかし、なぜだろう。ヴァルターはなぜ、せっかくの貴族の地位を捨てて一介の市民になろうとしたのだろう。都市はなぜ、名門貴族の末裔を惹きつけたのか。誘惑したのか。そのヒントは、ポーグナー親方のことばにひそんでいる。
 
「ドイツをくまなく 旅したときに
市民はけちで狭量と 噂されるのが残念だった
宮廷でも下々のあいだでも 市民は悪評さくさく
儲け話や金にしか 興味のないやつらだと」

つまり、市民は裕福だったのだ。たとえば遠隔地との交易は、都市市民だけに許された特権だった。レープクーヘンはいまでもニュルンベルクの名物だが、遠来の貴重な物産がいくらでも手に入る交易都市ならではの、オリエント原産の香料をふんだんに練りこんだ、香ばしい焼き菓子だ。
 
遠い外国との自由な交易により、都市市民は巨万の富を蓄積させる。すると、あいかわらず封建経済をいとなむ周辺の農業地帯は疲弊する。ちいさな領地ほど経営がなりたたなくなる。借金がかさんで、領地を手放さざるをえなくなる領主も出てくる。
 
そう、下級貴族である騎士ヴァルターは、なんらかの事情で領地を放棄することになり、残ったなけなしの金を手に、都市に移り住んだのだ。繁栄が、荒廃した領地から没落した田舎貴族を都市へと引き寄せた。「都市は人を自由にする」ということわざどおり、ニュルンベルクに足を踏み入れたヴァルターは、開放感のなか、うつくしい娘に一目惚れする。
 
しかしヴァルターには、これといってなりわいとなるような技術はない。しかし、歌は好きだった。そこで、マイスタージンガーになろうとしたのではないか。ヴァルターがその願いを叶え、おまけに、裕福な市民の娘と結ばれるのは、聖ヨハネ祭の日だった。これは、太古の夏至祭をキリスト教が引き継いだもので、本来は、復活と豊饒を祈る日だった。市民として生まれ変わったヴァルターの婚礼にふさわしい「佳き日」といえるだろう。

 

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誘惑のオペラ7 ゲルマンの場合

わたしたちの毎日には、賭けのような一面があります。この季節は、受験生たちが最後の運をめぐって神経をすりへらしていることでしょう。

わたしたちは気が弱いので、運にまかせるだけでは心細い。いきおい「○○必勝法」にそそられます。ゲームの、パチンコの、競馬の、株の、仕事の、恋の必勝法。人生の必勝法ともなれば、ときどきベストセラーになるテーマです。いまも、人生の勝利者になる努力法を説く、自身、勝利者を名乗る女性会計士が人気を集めています。でも、そういうのはなんだかガツガツしていて気が引ける、そこまでして勝たなくてもいいや、と思うわたしは、気が弱い上にヘタレです。

ともあれ、「○○必勝法」というのは昔からあって、とくに賭け事の世界で人びとを悩ましく誘惑してきました。新日本フィル定期演奏会プログラム連載エッセイ転載の7回目、誘惑シリーズの最後は、チャイコフスキーの「スペードの女王」です。

 
貧しいということは、つらく切ない。子どもに食べさせる物がないとか、病気なのに薬が買えないといったつらさには、誰でも同情する。それらは、人として誰もが求める、当然のことだからだ。
 
いっぽう、裕福でなければ手の届かないものにあこがれて、わが身の不運を嘆くといったたぐいの貧苦もある。この、社会のなかでの相対的な貧しさとでもいうべき魔物がひときわ残酷さを発揮するのは、覇気はあっても貧しい人間が、社会の上澄みで人生を謳歌する人びととすれ違うときだ。ましてやそこが、自力では運命を切り開くことができないほどがっちりと固められた階級社会で、富は相続するしかなく、生まれが人生を決定づけるなら、やりきれなさはひとしおだろう。
 
帝政ロシア末期、貧富の差は絶望的で、社会は乱れ、人びとは出口のない閉塞感に支配されていた。帝政ロシアの文学は、そうした社会に生きる人びとの相対的な貧しさゆえの懊悩を、これでもかこれでもかと描く。主人公は、下級官吏、貧乏学生、小商人、貧しい士官。貴族でもなければ農奴でもなく、そのはざまに位置するまさにそのために、相対的な貧しさが彼らをじりじりと苦しめるのだ。
 
チャイコフスキーのオペラ「スペードの女王」は、プーシキンの同名の短編小説を原作とする。主人公ゲルマンは貧しい工兵の身で、貴族の娘リーザに一目惚れしてしまう。リーザもゲルマンに恋をする。しかし、ふたりの結婚はありえない。当時、財産のない男と貴族の娘が結婚することは、金輪際ありえなかったのだ。しあわせは、資産がもたらす不労所得なしにはなりたたなかった。
 
ゲルマンの周りでは、裕福な若者たちがカード賭博にうつつを抜かしていたが、ゲルマン自身は賭博には手を出さなかった。自分には分不相応だと思い定めていたのだ。ドストエフスキーの作品にも、賭博はひんぱんに出てくるが、前近代、賭博は特権階級の遊びで、賭場では目も眩むような大金が飛び交った。堅物で知られるオーストリアの女帝マリア・テレージアですら、若いころ、賭に負けて領地を取られたことがあるほどだ。
 
ところが、リーザの叔母にあたる老伯爵夫人が、かつてパリでサンジェルマン伯爵からカードの必勝法を伝授されたと聞くと、ゲルマンの心に変化が生じる。サンジェルマン伯爵は、ルイ15世の宮廷で一世を風靡した不老不死をうたう謎の人物で、魔術や錬金術に通じていたという。噂の真偽はともかく、ヴォルテールも記録している実在の人物だ。ゲルマンは、その必勝法でひと儲けし、リーザと結ばれたい、と思いつめるようになる。賭博こそは、貧乏人が一攫千金を夢見ることができる、唯一の手段だった。
 
そしてある夜、リーザの部屋へ忍ぶ「ついで」に、ゲルマンは老伯爵夫人の部屋に押し入り、必勝法を教えるよう、迫る。伯爵夫人は、恐怖のあまり心臓発作を起こし……それからあとの悲劇は措くとしよう。怪談のあらすじを聞かされるほど興醒めなものはない。
 
このオペラで猛威をふるう誘惑は、もちろん、カードの必勝法だ。誘惑者は、それを世間話の気軽さで口にする、トムスキー伯爵だ。トムスキー自身は金に困る身分ではないので、必勝法の一件は面白い逸話でしかなく、それを知りたいと切望する気配はこれっぽっちもないが、ゲルマンは違う。それは人生を大きく左右する重大な情報だ。一か八かの行動にいざなう、強烈な誘惑だ。
 
ここには、富める者とそうでない者の二重に残酷な非対称がある。富は、貧しい者にとっては渇望の的、誘惑そのものだが、さらにはその富を持つ者は持たざる者に、ときとして無意識のうちに罪深い誘惑をしかけるものらしい。
 
ところで、オペラ台本は、プーシキンの原作を微妙に、しかし大きく変えている。原作では、リーザは老伯爵夫人の姪ではなく、小間使いのようにこきつかわれる養女という設定だ。そうであれば、ゲルマンには、禁じ手を使ってでも金持ちにならなければ結婚できない、と思いつめる必然性もなかった。
 
しかも原作では、ゲルマンはリーザを利用して老伯爵夫人に近づこうとしただけで、恋などしてはいない。恋文は小説の引き写しだ。原作のゲルマンは、魔術的な方法で大金を手に入れるという暗い情熱にとりつかれた、性格破綻者でしかなかった。オペラでは、ゲルマンにとって金はリーザとの恋を成就させるために必要な手段だが、原作では金そのものがゲルマンの目的だったのだ。そんなプーシキンのゴシック・ロマンが、恋というメロドラマの要素を加えられたとき、オペラにふさわしい物語が生まれたといえるだろう。

ところで、サンジェルマン伯爵の「ジェルマン」は、「ゲルマン」のフランス語読みで、どちらも「ドイツ」という意味だ。この名前の類似は皮肉というほかはない。片や、賭け事の勝敗を自在にあやつる伝説の大貴族、片やその秘法にほんろうされるしがない士官。ここにも、名前を介した残酷な非対称がある。

それにしても、賭博とは狂おしい営みだ。ヨーロッパには、これが常軌を逸する時代と場所がふたつあって、ひとつは先のサンジェルマン伯爵が活躍した18世紀末のパリだった。「恐ろしい遊びが始まった。若い貴婦人たちは毎晩たがいを破産させようと集まってカードに興じ……もし突然頭上に革命の雷鳴がとどろかなかったら、われらは退屈のあまりとほうに暮れたことだろう」(カラムジン『ロシア人旅行者の手紙』)。そしてもうひとつが、19世紀末のペテルブルグ、チャイコフスキーが「スペードの女王」を作曲した時代と場所だ。そこにはロシア革命がひたひたと迫っていた。

サンジェルマン伯爵直伝のカード必勝法とは、「3、7、1」の順に賭けることだった。数字には秘められた意味がある。「3」は調和を、「7」は運命の分かれ目を象徴する。人が「7」という数字に出会うと、その次の展開は吉と出ることもあれば、凶と出ることもある。ゲルマンのばあいは後者だった。しあわせを含むすべての初まりを暗示する数「1」は、ゲルマンを永遠に見放した。

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誘惑のオペラ6 「楽しめ楽しめ ひたすらに」

このブログ、もっとお気楽なものにするつもりでした。それが、なぜか政治ブログもどきになり、最近は軍事ブログもどきになっています。

これではいけない、初心に戻ろう、クラシックと言えば映画「のだめカンタービレ」もがんばっているし、ということで、新日本フィル定期演奏会プログラム連載エッセイ転載の6回目、ヨーハン・シュトラウスの「こうもり」をお届けします。偶然ですが、いいタイミングです。わたしたちが忘年会のお酒で1年の憂さを流すように、ウィーンの人びとは、このオペレッタで年越しをするからです。

さあ、楽しい音楽の時間ですよ!


ヨーハン・シュトラウスのオペレッタ「こうもり」には、モラルなど薬にしたくてもない。では、アモラルな作品かというと、どうもそういうことでもない。

ありふれた欲望の数々が、つむじ風となって人びとを旋回させる。ただそれだけのことだ。舞台は、欲望にいそいそと駆り立てられる人びとがおりなす、巨大な万華鏡の感を呈する。

そこには、飲み、食べ、歌い、踊って、楽しくはめをはずしたいと願う人びとがいる。有名になりたいとか、あわよくば異性にちょっかいを出したいとか、ちょっと見栄を張ってセレブになりすましたいという人びともいる。

そうした欲望を目覚めさせる餌を撒かれると、人びとはつぎつぎと、例外なく引っかかる。なんともこらえ性のない人間たち。よくいえば、みずからの欲望にすなおな人間たち。欲望のはえなわ漁は、おもしろいほど大漁だ。

それにしても、ここに列挙してみた欲望の、なんと浅いことか。身を滅ぼすことを知ってもなお消すことのできない熾烈な欲望など、ひとつもない。どれもこれもが限りなく軽いのだ。

それに呼応して、誘惑のなんとたやすいことか。なんの工夫もほどこされていなければ、どんな努力もついやされていない。誘う。誘いに乗る。ただそれだけ。誘惑と呼ぶべきかどうかもためらうほどの安直さだ。

誘惑に直面した内心の葛藤ももちろん論外で、人びとは生まれながらにして懊悩を知らないかのようだ。せいぜい、世間体とのかねあいに一瞬ためらうのが関の山だ。

けれども、そんな軽佻浮薄絵巻とでもいいたくなる「こうもり」が、なぜこれほどまでに人を惹きつけるのだろう。ウィーンでは大晦日の夜、ふだんはあまりオペレッタなどやらない国立歌劇場に最高の歌い手を集めて、豪華絢爛な「こうもり」を上演するのが恒例だ。自作では深刻好みのグスタフ・マーラーも、好んでこの作品の指揮棒を執ったという。

それは、ちっぽけな欲望ではりさけそうなありきたりの人間を、けして否定せず、説教も垂れずに、華麗なワルツにのせて遊び回らせてくれるこの世界が、こよないなぐさめを与えてくれるからではないだろうか。なぐさめられるのは、自分も舞台上の群像とどっこいどっこいの卑小な人間だ、と思うところのある人びとだろう。そうした人びとは、つぎのようなフレーズに、思わずじんとしてしまうのだ。

ままならぬことを 忘れるすべを
知る人こそは 幸せ

深みも内省もないかのように浮かれている人びとにも、憂いはある。浮かれていればこそ、しみじみと身に沁みる憂いもある。それは、楽しいことだけを追っていたい人間にはあいにくの、つらいこともある人生と、時の移ろいのすみやかさへの、人間というちいさな存在の嘆きだ。

人生が 今宵のように軽やかに
過ぎ去るならば 時忘れ 楽しもう

この歌詞が意味するところは、晴れやかな見かけとはうらはらにかなり複雑で、だいいちとことん晴れやかというわけでもない。この歌詞が暗に踏まえている前提は、人生はいつも意のままになるわけではない、軽やかに流れてはくれないということだ。にもかかわらず、時はあきれるほど速く過ぎてしまう。ならば、そんな時を忘れていまこの一刻を楽しむしかないのだ、というほどの屈折と諦念が、ここからは読み取れるだろうか。

時のたつのの 速いこと
あっという間に 過ぎてゆく
ここでの合い言葉 それは
楽しめ 楽しめ ひたすらに

引用すればするほど、切なくなってくる。ああほんとうに人生ははかない、と思えてきて、欲望のまにまに踊らされるちっぽけな人間たちが、こよなく愛おしくなってくる。

がさつなブルジョワのアイゼンシュタイン、貞節と打算が渾然としているその妻ロザリンデ、アイゼンシュタインに手ひどいいたずらをしかける悪友ファルケ。驚いたことに、みんな憎めない人間たちに思えてくる。ロザリンデの独身時代の恋人アルフレードは、いけしゃあしゃあと人妻に言い寄るし、奥さまに嘘をつきドレスを無断借用するメイドのアデーレも、職務怠慢の刑務所長のフランクも、ばれなければいいとしか思っていない。なのに観ている側は、これら凡俗たちがひとときの煩悩を叶えることを願ってしまう。看守のフロッシュにいたっては、職務という観念すらもちあわせていないのに、がんばれ、よくやった、といいたくなってくる。つまり、ここには腹黒い人間が一人も出てこないのだ。
 
野放図に欲望を全開させた人間たちの、この無秩序きわまる世界が、にもかかわらずひとつのまとまりを保っているのは、ひとえに音楽の力あってのことだろう。不品行がある種の品のよさを漂わせ、説得力をもってしまうのも、音楽のなせる技だろう。これでもかこれでもかと繰り出される、ヨーハン・シュトラウスのみごとな楽曲の椀飯振舞が、いつしか下世話な人間の下世話な欲望を祝福したい気持ちにさせる。そして、これほどまでに欲望にすなおな人間たちには誘惑は無用だと、「こうもり」は教えてくれるのだ。

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オペラ番外篇 ワーグナーとメルヒェン ジークフリートの場合

もう40時間以上、起きています。この歳になって完(全)徹(夜)ができるとは。ちょっとうれしい。

さきほど終わりました。ずっと気がかりだった日本ワーグナー協会での話が。初台の新国立劇場大ホールで、オーケストラピットを背に話をするなんて、これが最初で最後でしょう。有名な専門家もおられて、冷や汗三斗でした。でも、メルヒェンの話をさせていただくと、うれしい。

ワーグナーの「ジークフリート」とメルヒェンの関係を述べよ、それがわたしに課されたテーマでした。すこしグリム兄弟の説明が長すぎ、もたもたしたかもしれません。反省。そこを省いて、きょうの話の一部をここに書いておきます。ちょっと長いのですが。


「ジークフリート」には、「ニーベルングの指輪」のなかでもとくにメルヒェンがそれとわかるかたちで使われています。グリムのメルヒェンで言うと、「こわがり修行に出た男」(KHM4)と「いばら姫」(KHM50)です。

みなさんはこのジークフリートという若者、お好きですか。かれは育ての親ミーメを殺すのですよ。ミーメは、ジークフリートを育て上げたあかつきには、かれを利用して権力をわがものにしようという魂胆です。けれども、なんといっても生まれたときからジークフリートを育てたのです。ミーメは嘆きます。

「乳飲み子のおまえを わしは育てた
赤子のおまえが凍えぬように
服を着せ 食べさせ飲ませ
わが身のようにたいせつにして
すくすく育てと世話を焼いた
おれがしつらえた寝床で おまえは眠り
おれが鍛冶でつくったおもちゃや角笛で遊んだ
おまえが喜ぶことなら 骨折りもいとわなかった
ためになることを教えて おまえを導いた
知恵もつけてやった
なのにおれが家にすっこんで
汗水たらして働いているあいだ
おまえときたら気の向くままに
遊び回っているではないか」

ジークフリートは、ミーメの苦労などどこ吹く風で、いつも森を駆け回って、熊や狼と遊びほうけています。ミーメは同情に値します。その育ての親を、主人公は毛嫌いし、罵詈雑言をあびせ、あげく殺すのです。こうした態度には、さまざまな解釈があるようですが、わたしはその原因を、ジークフリートの特異な境遇には求めません。ごくふつうのことだと思います。

ジークフリートはまだ10代の若者です。この役は全3幕出ずっぱりで、最後にはそこで初めて登場するブリュンヒルデと長丁場の歌を歌わなければなりません。それで、この役は技倆的にも脂ののりきった、しかも体力もじゅうぶんの歌手が歌うことになります。オペラは、歌唱力さえあれば元気いっぱいのソプラノが、肺病で死にかけているヴィオレッタやミミに見えてくるものです。でも、10代のガキに見えるジークフリートには、わたしはまだお目にかかったことがありません。この役を歌う能力とその歌手の外見には、いつも大きな隔たりがあるような気がします。そのことが、ジークフリート像を描くのに妨げになっていると思います。

ジークフリートは第2反抗期なのです。この年頃の男の子は、父親のようにはなりたくないと考えます。家には食事をするなど、しかたなく帰ってくるだけで、外で仲間、ジークフリートのばあいは熊や狼といったよからぬ連中とつるんで、乱暴な遊びにうつつを抜かしています。ミーメのグチを聞いても、「くどくて恩着せがましい、せちがらいやつ」としか思いません。親が、あくせくと生活に追われる小心な中年としか見えないのです。自分の理想とする大人像を親とは別のなにかに求めます。それがなにかはわからないので苛立ち、親に当たりますが、とにかく親のようにはなりたくないのです。

親から何かを学ぶなど、ぜったい抵抗します。ミーメは嘆きます。

「おまえが鍛冶のわざを
まじめに習いおぼえていたらよかったものを
なのにおまえはいつだって
上の空だった」

みなさんのなかには、今現在、こうした息子さんや娘さんとの葛藤の日々を送っている方もおられるのではないでしょうか。あるいはかつてそのような修羅場をくぐったと、思い出している方も。わたしもミーメの歌詞は、訳していてほろ苦いものがあります。
 
もっとさかのぼれば、みなさん自身が攻守ところを変えて、多かれ少なかれジークフリートだった過去があったのではないでしょうか。もしかしたら、このワーグナーの作品にめぐり会い、心惹かれたのはその頃だったのかもしれません。もちろん、自分自身をジークフリートに重ねて。ジークフリートは歌います。

「あんたのすることなすことが ウザイんだよ
立ってるところとか、ちょこまか歩くところとか、
猫背でうなずくところとか、
目をぱちぱちしばたくところとか
なにもかもがむかつくんだよ」

わざと今風の若者ことばで訳してみました。ミーメはこびと族です。息子は思春期になると父親よりも背が高くなります。父親を物理的に見下して生理的に反撥し、ああはなりたくないと、やり場のない苛立ちにとらわれます。ジークフリートはしごく尋常な、どこにでもいるティーンエイジャーだと思います。

このジークフリート像をつくるのに、ワーグナーが参考にしたメルヒェンが、「こわがり修行に出た男」だとされています。

父親が、なにをやらせても見込みのない息子を、なにかの修行をして身を立てろと、追い出します。息子は旅に出ますが、メルヒェンの英雄はみんな旅人です。生まれ故郷を離れることが、英雄になる第1の条件です。また、この息子は、ぞっとするとはどういうことかがわかりません。なにかが欠けていること、一人前ではないことも、意外なようですが、メルヒェンの英雄の条件です。英雄の欠損が補われ、一人前になることを目指すのが、メルヒェンです。

息子の門出に、父親は言い渡します。「どこの出だとか、親父はだれだとか、口が裂けても言うんじゃねえぞ。わしが赤っ恥さらすことになるからな」 息子はそれを真に受けて、道中話しかけてきた男とこんな問答をします。

「おまえ、何者だい?」
「わかんねえ」
「どこの出だ?」
「わかんねえ」
「親父さんは、なんて名だい?」
「そいつは言えねえ」

このやりとりは、落語的なおかしさをよそおってはいますが、英雄譚の発端として重要です。英雄は、その出自が謎に包まれていなければなりません。オイディプスがそうですし、ローエングリーンがそうです。メルヒェンでは、貧しいお百姓の三男坊とかお払い箱の元兵士が、冒険の主人公です。つまり、どこの馬の骨とも知れないという属性が、英雄の謎の出自のメルヒェン的な表現なのです。

若者は、呪われた城の三晩の見張りに挑むことになります。そうすれば、ぞっとするとはどういうことかわかる、とすすめられたからです。これをやりとげると、城にかけられた呪いが解け、城の宝物が自分のものになるうえに、王さまがお姫さまの婿に迎えるという、ごほうびがついています。もっとも、若者にとっては、ぞっとするとはどういうことかがわかればいいので、そんなおまけはどうでもいいことなのですが。

これは、難題求婚というメルヒェンのタイプです。なにか困難なことをやりとげると、女王や姫の配偶者になれる、という話は世界各地にあります。日本にも、娘の病を治して婿におさまったわらしべ長者とか、鬼を退治して姫と結婚した一寸法師とか、和歌のかけあいで長者の娘の婿になる山田白滝とか、枚挙に暇がありません。

難題はいろいろです。代表的なのは、姫の病気を治す、笑わない姫を笑わせる、物言わぬ姫になにか言わせる、眠っている姫を起こす、姫の出す謎なぞをとく、竜などの怪物にとらわれた姫を助け出すなどです。いずれも、不活性な状態にある女性を活性化させる、という性質のものです。

古来、大地は女性と深く関係づけられていました。不活性な姫イコール大地とすると、この大地は冬に閉ざされている、と考えることができます。その大地を目覚めさせ、実りをもたらすことのできる男が求められているわけです。男女の性的な交渉が大地にはたらきかけ、芽吹きの春を呼ぶという、農耕社会でひろくうけいれられていた呪術が、こうした難題求婚メルヒェンの基層にあります。

つまり、難題は男性の性的能力の試験の、メルヒェン的な言い換えなのです。メルヒェンの中には、ふたりの求婚者のあいだに姫が寝て、姫を振り返らせた者が勝ちという、かなりあからさまな話もあります。

そもそも太古の社会では、土地は女性が所有しました。狩猟採集の時代、女性は定住して、年寄りや子どもを守りながら、小規模な農耕と採集を営んでいました。土地は、ですから女性に属し、女系で相続されたのです。

いっぽう男性は、集団で狩りに出かけ、女性たちのもとにやってくるのは、たまに持ち帰るほどの獲物が捕れたときだけです。獲物はなかなか獲れず、獲れても自分たちの食料に消えました。現代アフリカの、ある伝統的な狩猟採集生活を送る種族では、栄養源に占める狩猟動物の割合はほとんどゼロだ、という研究もあります。

女性は土地に根づき、男性はいつも外をふらふらしています。男性が特定の土地に関係づけられるには、地主である女性の配偶者になるしかありませんでした。

難題求婚メルヒェンには、姫の父である王さまが出てくることもありますが、姫の配偶者の募集係ていどの役回りしかあたえられていません。プッチーニの「トゥーランドット」でも、王さまは極端に高齢で、無力で影の薄い存在です。

たったひとりでお城におさまって、われこそはと近づく男たちに難題をふっかけ、クリアしなければ命を奪うという、むちゃくちゃ横暴というか、威厳のある姫も、メルヒェンには登場します。父王は、男性が国を支配するという後世の通念にしたがって、後世になって登場したと考えられます。

神話によると、ギリシアのポリス国家の始祖は女性です。神話が書き記される過程で、男性の王へと王権が不自然なかたちで移行しています。地主としての女性からその正統性をうばいとる必要があったから、始祖の神話が改竄されながら文字によって記録された、ということなのかもしれません。

そんななかに、オイディプスの神話もあります。スフィンクスの謎を解き、またテーバイ王を死に至らせたオイディプスは、テーバイの女王イオカステと結婚してテーバイの王になります。つまりテーバイはイオカステの所有物であり、テーバイが豊かな実りをあげつづけるには、イオカステに性的能力をもった配偶者が必要だったのです。オイディプスに殺された王は、すでにその力が衰えていたと考えられます。農耕儀礼としての女王の配偶者の世代交代が、この神話の意味です。一般に古代には、王とは女王の配偶者でしかない、と考えたほうが自然です。王は力を失ったとき、新しい王に殺される、というのは、フレイザーの『金枝篇』に論じられているとおりです。

古代ギリシアでは、女王と新しい王は「母」「息子」と呼び合いました。この親族呼称は、現実の血縁関係をあらわすものではありません。それを現実のものとしたのは、後世、男性が権力を握った後の、政治的な配慮です。それまでの王権のありかたを完全に否定するために、近親相姦の濡れ衣を着せておとしめたわけです。

難題のなかの、謎を解く話は「トゥーランドット」、眠りを覚ますのは、「ジークフリート」にも使われている「いばら姫」です。竜退治も、「ジークフリート」の大蛇退治と重なります。

ブリュンヒルデは、いばら姫のように、英雄によって眠りを覚まされます
が、ブリュンヒルデにはメルヒェンのヒロインとは決定的な違いがあります。彼女は地主ではないのです。グラーネという名前の馬の馬主ではありますが。ですから、ジークフリートはブリュンヒルデと結ばれても、「お姫さまと結婚して、お国を手に入れました」というメルヒェンならではの結末にはなりません。

ジークフリートは大蛇ファーフナーを斃して指輪という至宝を手に入れ、眠れるブリュンヒルデを目ざませたのですから、難題求婚メルヒェンの英雄の偉業を2度もなぞっているかのように見えます。けれど、それは表面的ななぞりでしかありません。ファーフナーも指輪もブリュンヒルデも、ワーグナーの壮大なたくらみのなかで、それぞれの来歴をもたされ、複雑な意味づけがなされていますが、メルヒェンでは大蛇は退治されるもの、宝物は獲得されるもの、姫はヒーローと結ばれるものでしかなく、話はそこで完結します。ワーグナーは、より大きな、より深い物語を語るために、難題求婚メルヒェンのあらすじを利用したに過ぎません。

ジークフリートが忘れ薬によってブリュンヒルデとの契りを忘れる、というシークエンスは、メルヒェンにおなじみです。姫と結婚を約束した王子が、いったんひとりで城に帰り、姫の忠告を破って母親と三言以上のことばを交わしたために姫のことを忘れるとか、あるいはただもう忘れてしまうとかは、よくある話です。それらの王子は、べつの姫と婚約したり、結婚してしまったりします。メルヒェンでは、そこへ下働きとして潜入した姫が、べつの姫をドレスなどで買収して、三晩、王子が眠っている部屋に入れてもらい、朝まで自分の身の上を嘆く、最後の夜に王子が思い出し、本来の姫と結ばれる、という展開になります。けれど、ここでもワーグナーは、婚約者を忘れるというシークエンスのみをメルヒェンから採用して、まったく別の物語をつくりあげました。

話が「ジークフリート」からはみ出してしまいました。はみ出しついでに言いますと、「ジークフリート」の第一話「ラインの黄金」では、財宝を手に入れた巨人の兄弟が取り分をめぐってけんかを始め、いっぽうがもういっぽうを殺してしまいます。これも、メルヒェンにはよくあるシークエンスで、宝物をめぐってけんかをしている大男たちを尻目に、ヒーローが宝物を横取りしてしまう、というのが定番です。

「ラインの黄金」では、生き残ったファーフナーが宝物を独占し、けんかを見ていたヴォータンは横取りしません。ファーフナーが指輪をはじめすべての財宝をわがものにし、大蛇となって守っているわけですが、ここにもワーグナーは独自の意味をつけ加えています。つまり、メルヒェンでは強欲で愚かしい巨人ないし大男たち、としか描かれていないのですが、ワーグナーは、巨人族の同士討ちを指輪の呪いの実現として、「ニーベルングの指輪」全体の不吉な序章としているのです。ここにも、メルヒェンを借りて独自の世界を描こうというワーグナーの意図が読み取れます。

指輪などの財宝は、もとはといえば地底のニーベルハイムに住むニーベルング族のこびとのものでした。メルヒェンでも、こびとといえば地下から財宝を掘り出すものと決まっていて、「白雪姫」の7人のこびとが有名です。地下に財宝があるのは、鉱物が地中に産するからではありません。

ヴァイキング時代の古代ゲルマンでは、人びとは財宝を湿地帯や水中深くに埋めたり沈めたりしました。後で掘り出すために一時的に隠したのではありません。この時代、財宝は所有者の人格の一部をなすものでした。その人の幸運も財宝に宿っていると考えられました。ですから、これが他人の手に渡ることは、わが身に危険が迫ること、幸運を失うことでした。古代ゲルマン人は、死後も生前と同じような生活が死の国で続くと考えていたので、死んでも財宝は確実にわがものとしておかなければなりません。ですから、盗掘が心配される自分の墓には埋めず、誰も知らないところに隠したのです。そこから、「ラインの黄金」や「ニーベルンゲンの宝」といった埋蔵財宝伝説が生まれたのです。

「ジークフリート」に戻りますと、このヒーローは der Helle とも呼ばれています。「金の髪の男」といった意味です。金はメルヒェンに出てくる数少ない色のひとつです。あとは黒、白、赤ぐらいしか、メルヒェンには色は出てきません。

そして、ヒーローやヒロインの資格として、髪は金色か黒でなければなりません。黒髪の白雪姫を例外として、たいていのヒーロー・ヒロインは金の髪です。これは金髪ではありません。髪の毛一本一本がほんものの黄金だというのが、メルヒェンの想像力です。銀の髪というのもあります。とにかく、ジークフリートはヒーローの印を帯びているわけです。

さてところで、こわいということがわからないとは、いったいどういうことでしょう。こわいもの知らず、というのとはちょっと違うようです。ジークフリートはこわいということがわかりません。そしてワーグナーは、こわいということを知らない男にだけ、名剣ノートゥングを鍛え直すことができ、大蛇のファーフナーを斃すことができることにしました。これは、メルヒェンにはない想定です。

こわいとはどういうことか、ミーメがジークフリートに説明します。暗い森の中でえたいのしれない物音や光がせまったとき、

「ぞっとするものが体を走り抜けないか
火のようなおののきに手も足もわなわなふるえ
不安にかられた心臓が、いまにも破裂しそうに
ばくばくと早鐘のようにうたないか」

ジークフリートがこの感覚を知るのは、眠るブリュンヒルデを目の当たりにしたときです。

「火のような不安で 目が釘付けだ
ふらふらする くらくらする
まわりがぐらぐらして見える
痛いほどの憧れに 心が萎えてしまいそうだ
おどおどする胸に当てた手が震える
おれは臆病なのか?
これがこわいということなのか?
横たわって眠るこの女が
こわいということを教えてくれた」

つまり、人を愛し、自分という殻から他者へと一歩外へ踏み出たとき、こわいという感覚がジークフリートを襲ったのです。目覚めたブリュンヒルデがジークフリートの求愛をうけいれると、二人は歌います。

「愛が輝く 死が笑う」

愛のために「死んでもかまわない」とおそれを克服したとき、ジークフリートは真の勇気を手に入れます。死へのおそれとその克服なしでは、その勇気は蛮勇でしかありません。死のおそろしさを知った上で「死んでもかまわない」と大きく一歩を踏み出すとき、「愛が輝く 死が笑う」のでしょう。

ここで思い出すのは、佐野洋子の『100万回生きた猫』という絵本です。生まれ変わってはさまざまな生を生きてきた猫が、白猫と出会い、子供をもうけ、やがて白猫は年老いて死ぬ。猫は泣きに泣いて、あげく息を引き取る。そして二度と生まれ変わらなかった、という物語です。ここには、愛を知らないうちは100万回生きても無感動のまま、生は無意味のままだ、愛を知って初めて、生は意味を獲得し、輪廻から抜け出ることができるという、愛による解脱の思想が描かれています。仏教では愛着は解脱のさまたげの最たるものなのですが、ここではそうではない。

なぜこの絵本を連想するかというと、ワーグナーはドイツロマン派から続くインド哲学に傾倒していた節があるからです。とくに、「指輪」のもととなる「ジークフリートの死」の草稿に描かれたブリュンヒルデの原像にインド思想が反映しているとは、カール・スネソンが論じているところです。インド哲学では、認識の力が迷いと欲望から抜け出て輪廻を断ち切るとされるのに、ワーグナーの「ジークフリート」では、愛という欲望の最たるものが輪廻を断ち切るというように、180度逆転しています。そこがワーグナーらしいところだと思います。

ジークフリートの亡骸を焼く炎にブリュンヒルデが飛び込むのは、いかにもワーグナー好みの趣向です。これはエッダにあるシークエンスですが、ワーグナーは夫の火葬の炎に妻が飛び込む、インドのサティーの風習をも重ね合わせたかもしれません。

メルヒェンの、あのこわがり修行に出た男のことを忘れていました。めでたくお姫さまと結婚して王さまになりますが、あいかわらず「ぞっとしたい」と言い暮らすので、お后はうんざりして、寝ている男に小魚の入った冷たい水をバケツ一杯あびせかけます。すると、「小さな魚が、王さまのまわりでこにょこにょ動きまわった。王さまは目を冷まし、大声で言うことに、『わあっ、ぞっとする、ぞっとする。后や、いまやっとわかったぞ、ぞっとするとは、こういうことだったか!』」

まさに落語のような落ちですが、男が夫婦のベッドで、つまり愛によっておそれを知ったことの、これもメルヒェン的な言い換えです。ジークフリートとブリュンヒルデの悲劇の品格もなにもあったものではありませんが、エキセントリックな展開もいいけれど、この落語的な決着もいいな、と思います。

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誘惑のオペラ5 エルザの場合

目下、よんどころない事情でワーグナーについて考える必要に迫られ、以前自分が書いたものをそのよすがにするという、まさに藁にもすがりたい心境です。それで、新日フィル定期演奏会プログラムに連載したエッセイをご紹介する5回目は、ワーグナーの「ローエングリーン」です。


古来、わたしたち人間は、さまざまな禁止を課されてきた。ところがわたしたちは、禁止されるとそれを破りたくなる、やっかいな生き物らしい。禁止と聞くと、むらむらと反抗心が目をさます。わたしたち人間にとっては、禁止そのものがそれを破りたいという誘惑の疑似餌なのだ。

たとえば、バルトークのオペラ「青髭公の城」にもなったヨーロッパの昔話「青髭」。青髭は奥方に、開けてはならない部屋の鍵を預けて城を留守にする。案の定、奥方はその部屋を開け、惨殺された先妻たちを見つける。開けるなの扉のタブーとは、たんに開けることではなく、扉の向こうを見ること、知ることへのタブーなのだった。17世紀フランスのペローは、自身のおとぎ話集におさめた「青髭」を、「好奇心は高くつく」という教訓でしめくくった。

そう、ペローの言うとおりだ。好奇心は高くつく。それはわかっている。わかってはいても、抑えられないのが好奇心というものだ。わたしたちは知りたい。知ることを禁じられれば禁じられるほど、知りたい。思えばわたしたちは、開けてはならない箱を開けたパンドラや、食べてはならないリンゴを食べたイブ以来、やみがたい好奇心に突き動かされ、高い代償を払いながら、ここまで知識を広げてきた。もしかしたら、知ってはならないという禁止は、「知れ」という逆のメッセージ、それ自体が好奇心を満たせという誘惑なのかもしれない。

夫の素性を知ってはならないという禁止は、ギリシア神話の「アモールとプシュケー」以来、世界中に知られている。これは、娘が土地を相続する慣習のほうが、息子による相続よりも古いことを物語っている。その昔、男はよそ者としてどこからともなくやってきて、資格ありと判断されれば土地所有者の配偶者となり、その土地に根付いた。まさに逆玉の輿だが、土地を所有するのは女性だったいにしえの時代には、玉の輿に乗るのはむしろ男性のほうだった。

土地が大規模なら、王国ということになる。その所有者は姫ないし女王だ。旅の男が難題をこなしたり謎を解いたりして、姫と王国を手に入れる伝承はおびただしい。ギリシア悲劇「オイディプス」もこの祖型をなぞっている。
 
難題や謎が婿の資格試験にあたり、その奇想天外な多様さが昔話のおもしろさなのだが、男は、伴侶としての資格がありさえすれば、どこの誰かはどうでもいい。極論すれば、どこの馬の骨でもいいのだ。メルヒェンでは、貧農の三男坊や、お払い箱の兵士など、これよりひどい境遇はないような男たちが、一発逆転、めでたく姫と王冠を手に入れる。婿の素性は問われない。いきおい、問うてはならないということになる。名前を知られると力を失うという世界共通の信仰も、ここには影を落としているだろう。

プシュケーは、このタブーを破ったために夫に去られるが、幾多の困難を乗り越えて夫と再会する。この物語はハッピーエンドだ。ところが、ワーグナーがオペラ「ローエングリーン」に仕立てたゲルマンの言い伝えは、おおむね悲劇的な終わり方をする。おおむねと言ったのは、ワーグナーがさまざまな文献を参考にしてオペラ台本を作ったからだ。そのなかには、『メルヒェン集』で有名なグリム兄弟が、伝説だけを集めた『伝説集』も見受けられる。

それらの物語に共通するのは、白鳥が引く小舟に乗った騎士、偽りの訴えを起こされた王国の女相続人、勝負の行方により神意を問う神明裁判としての決闘、騎士と女相続人(あるいはその娘)の結婚、騎士の名前や素性を尋ねてはならないというタブー、そしてタブーが破られたために引き起こされる夫婦の別離だ。いずれの物語でも、尋ねた瞬間にすべては終わりを告げる。

それにしても殺生なタブーだ。愛する相手のことはなんでも知りたいと思うのが、人情というものだろう。それが、名前も、どこから来たのかも尋ねてはならないというのだから。夫の素性を尋ねたら終わりだ、ということを告げられて始まる結婚生活は、幸せであればあるほど、妻にとっては懊悩の深いものになるだろう。幸せが続くためには知ってはならない、けれども幸せをもたらした相手のことは知りたいという板挟みに、妻は懊悩する。そもそも、食欲や性欲といった生理的な欲求は動物にも共通するが、わたしたち人間を人間たらしめているのは、この知りたいという欲望なのだから。

オペラ「ローエングリーン」では、女主人公エルザがタブーを犯すには、それをそそのかす悪役が配されている。これは、主人公をできるだけ潔白な人物に造形するために、文学作品ではよく使われる手法だ。シェイクスピアの「オセロ」にも、主人公に妻への疑念を吹き込む悪臣が登場した。これらの誘惑者は、主人公たちの心の半分を擬人化したものと言っていい。主人公と誘惑者の葛藤は、主人公の心の葛藤を人間関係に置きかえたものなのだ。

なぜなら誘惑、とくに未知のなにかを明らかにすることへの誘惑は、人の心のなかに芽生え、たとえその人を滅ぼすことになってもおかまいなしに肥大化するのであって、本来、ほかの誰のせいにもできないものだからだ。科学もそうだと言えるかもしれない。たとえば、原子や遺伝子のなかを覗き、そこから核エネルギーを解放したり、未知の生物を作り出したりすることへの誘惑は、人類にとってはあらがいがたく、人類に幸せをもたらすとの期待とはうらはらに、滅びへと導くかもしれないのだから。

エルザと白鳥の騎士の婚礼をことほぐ有名な結婚行進曲は、いまも結婚式につかわれることがある。破局をむかえる結婚のために作られた不吉な曲を、なぜめでたい場面に使うのだろう。あの粛々とした至福の調べを聴くたびに、わたしは複雑な物思いにとらわれる。

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誘惑のオペラ4 パパゲーノの場合

新日フィル定期演奏会プログラム連載の4回目は「魔笛」、2回目の「ドン・ジョヴァンニ」に続いて、モーツァルトです。オペラに限らず、モーツァルトは大好きです。とくにこの「魔笛」が。そしてパパゲーノが。

パパゲーノ役は、サイモン・キーンリーサイドが最高だと思います。ルックスも身のこなしも上品で、しかもケンブリッジ大学で鳥類学を専攻したキーンリーサイドが、鳥刺しと言いながら鳥のような衣裳が伝統となっているこの役を演じるなんて、完璧です。もちろん、歌の実力も折り紙付き、しかも、この役に要求される歌手としての節度を守り、「どうだ!」とばかりに声を張り上げない。これはもう、並の知性ではありません。


パパゲーノは、沈黙を守れば伴侶をあたえる、と約束されていた。パパゲーノにしかけられた誘惑は、しゃべる、ということだったのだ。このモーツァルトのオペラ「魔笛」では、沈黙は毅然と忍耐を表しているらしい。

パパゲーノとは何者か。それは本人から聞くのが手っ取り早い。まずは、有名な名乗りの歌から。

おいら鳥刺しいつでも愉快 ごきげんハイサホプサッサ
おいら鳥刺しこの国じゃ どなたさんにも知れた顔
鳥を捕らせりゃ天下一品 笛を吹かせりゃくろうとはだし
鳥はみんなおいらがいただき だからいつでもごきげんなのさ
娘捕る網あったらなあ 片っ端から捕まえて
みんな篭に入れちまう 娘はみんなおいらのものさ

パパゲーノは鳥を捕ることをなりわいとし、笛の名手で、陽気で、まだ独身のようだ。のちに結ばれるパパゲーナが、自分は18歳で「いい人」は10歳年上だ、と言っているから、28歳ということになる。

お調子者で、やってもいない大蛇退治を自分の手柄と吹聴するが、嘘がばれ、罰をあたえられるとしゅんとなる。もっとも、反省はしていないようだ。ただ、いっとき悄気ただけ。危険な任務に赴く王子の供をおおせつかると、「やなこった」とにべもない。渋々引き受けても、「いざとなったら、おいらは命を大事にするよ」とうそぶく。じつに打算的な臆病者だ。

打算と言えば、暗い谷間で水とパンだけという境遇から抜け出るには、老婆のプロポーズを受けるしかないとなれば、「なら婆さんでもいいや。いつまでもあんたを愛すよ、代わりが見つかるまで」と、ご都合主義まる出しだ。

試練をのりこえれば英知と伴侶が手に入ると諭されても、「けんかは嫌い、英知もいらない。おいら、ありのままの人間だもん。食って寝てればごきげんさ」と受けつけない。ありのままの人間──このあたりがパパゲーノの真骨頂だろう。次の歌などは、このオペラで価値ありとされているものへの、巧まざる批判になっている。

かわいい娘がパパゲーノの 女房になってくれたなら
おいら なんにも言うことない
ふたりで食べればなんでもごちそう 王様の気分だろう
賢者のように心楽しく 毎日が天国だ

なにもあくせく苦労して英知を手に入れなくても、愛しあう人がいてごちそうがあれば、気分は王様や賢者と同じというわけだ。

パパゲーノは生きていることの喜びを野放図に体現したような人物で、その楽しみは食べること、飲むこと、愛しあうこと、そしてしゃべること。努力や精進、忠誠や忍耐は願い下げなのだ。パパゲーノは、伴侶のいない寂しさをかこつことはあっても、自分の生き方にとっくりと満足し、また彼を取り巻く世界もそんなパパゲーノをやさしく受け入れていた。
 
ところが唐突に、これからは禁欲によってしか近づけない高次の世界がいいのだとされ、筋の上からは主役の王子と姫は、試練を乗り越えてその世界へと参入していく。パパゲーノは、そんな新旧の世界のはざまでほんろうされる。ほんろうされても、パパゲーノは自分を見失わない。「ありのままの人間」でい続ける。晴れて結ばれたパパゲーナとともに、たくさんの子どもに囲まれる幸せな未来を思い描く。

新旧の世界のはざまと言った。そう、このオペラは、メルヒェンの衣をまとってはいるが、前近代と近代が激しくぶつかる時代の潮目を描いたものだと思うからだ。

前近代、「宵越しの金は持たねえ」のは、なにも日本の前近代の申し子である江戸っ子に限らなかった。「明日のことは明日煩え、今日の苦労は今日一日でたくさんだ」という新約聖書の教えを地で行っていたのが、ヨーロッパの前近代だった。
 
そのクライマックスに花開いたロココ、その大輪の花であるモーツァルトが生み出した、もっともロココ的で魅力あふれる人物がパパゲーノだとしたら、彼が禁欲や努力を尊ぶくそまじめな近代の価値観を御免被るのは、いわば当然なのだ。今日食べるものがあればいい、それがごちそうならなおけっこう、いまが楽しいことがすべてというのが、前近代の真情だった。
 
たあいのないおしゃべり、これはまぎれもなく生きる楽しみのひとつだ。稀代のおしゃべり男パパゲーノの楽しい減らず口を聞いていると、それがしみじみと納得される。この「ありのままの人間」の喜びを奪われることに、パパゲーノは抵抗しなかった。抵抗するまでもなく、おしゃべりの誘惑にそのつどいそいそと乗った。誘惑に抗うという、誘惑につきもののダイナミクスは、パパゲーノに限っては生じようもなかった。パパゲーノが黙るのは、その口がごちそうで封じられるときだけだ。なんとも理路整然としている。前近代の論理に照らして、理路整然としている。
 
この理路が無惨にもうちくだかれ、退場を余儀なくされるのが、オペラのたてまえの筋だ。パパゲーノの同類とおぼしい、夜の女王の侍女たちは、女王ともども「永遠の夜」に堕ちる。あとには近代の光が白々しくみなぎり、わたしたちは快楽を得る前には禁欲と忍耐を旨として働かねばならないというモラルを、自明のように生きている。

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誘惑のオペラ3 マックスの場合

久しぶりのオペラ談義、新日フィル定期演奏会プログラム連載の3回目は、ヴェーバーの「魔弾の射手」です。「狩人の合唱」という曲をご存じの方は多いでしょう。あの合唱曲は、このオペラのなかで歌われます。

この作品の背景には、封建制における臣と民の違い、ひいては対立が横たわっていること、オペラ解説者はあまり指摘しませんが、わたしの関心はついそういった社会的な関数に向きがちです。

今までは2回に分けて投稿してきましたが、今回からは1回で全文を掲載します。一般に記事が長くなってきたので、バランスをとるためです。



誘惑は色恋のそれに限らない。さまざまな誘惑がわたしたちを待ち受けている。なかでも悪の誘惑は、つねに悩ましいドラマを引き起こす。ヴェーバーのオペラ「魔弾の射手」では、主人公の若き狩人マックスがこの誘惑に負け、永遠の破滅の寸前までいった。

この経緯には、もうひとりの狩人がからんでいる。マックスの魂を手に入れさせてやると悪魔と約束をかわし、見返りに百発百中の「魔弾」を得たカスパールだ。だが、こちらはとりあえず措いておこう。はなから薄汚い小悪人として描かれている、歳ももう若くはないらしいカスパールは。

それよりも、輝かしい青春のさなかにあって、将来を嘱望され、上司である森林官クーノから、娘アガーテの婿がねにと見込まれたマックスが、なぜ悪魔との取り引きなどという恐ろしい所業におよんだのか。

マックスは、領主の御前で獲物をしとめ、狩猟の腕前を証明しなければならない。それをもって、森林官は領主に、マックスと娘が結婚する許しを請うという寸法だ。その日は近いというのに、マックスはひどいスランプに陥っている。御前での射撃披露の前日には、村人もくわわった射撃競技がおこなわれるが、マックスはそこでも村の若者キーリアーンに優勝をさらわれる。

鉄砲撃ちをなりわいとする狩人が、日頃は農作業にいそしむ村人に負けたのだ。これ以上の屈辱があるだろうか。それにしても、負けたマックスをあざ笑う村の娘たちの合唱「ヘ、ヘ、ヘ」にこめられた悪意の深さは異常なほどだ。それにますます気をよくして、居丈高に言いつのるキーリアーンには、マックスならずとも胸をかきむしられる。

狩人さんよ 射撃王はおれだな
何か不服が ありますかい?
帽子を取って くださいよ
ねえ どうなんですかい?
聞いてるんですよ!
的も花も おれのものだよ
ほらね この通りだ
あんた 目は確かかい?
いったい何を 撃ったんだい?

マックスの自制心が失われるのは、この恥辱の一件からだ。それには、これがたんなる敗北ではない、という事情がある。現代からは理解するのがむつかしいのだが、この物語が想定している30年戦争のすぐあと、17世紀の後半という時代、狩人と農民の身分にはそれこそ雲泥の差があったのだ。

農民は、生まれると領主の財産として記録され、死ぬまで村に縛りつけられた。つまり、農奴ないし半農奴だ。かたや狩人は領主の家来に準じる存在で、森林官ともなれば領主直属のれっきとした家臣だった。その名が示すとおり、森林官は官職だったのだ。

森林官の地位は世襲で、領主から屋敷をあたえられた。森林官は、領地の森の管理を任され、そこで捕った獲物を領主に献上した。ときには領主の狩りの手筈をととのえ、供をした。狩りは、王侯貴族の特権どころか、一種の国事だった。

いっぽう、農民には、森の動物を捕ることは固く禁じられていた。野獣や野鳥の肉を口にできるのは、王侯貴族とその家臣だけだった。いまでも狩猟動物の料理は、鹿のメダイヨンなど、高級感があるとされている。ほんとうは、長い歴史をへて食肉用に改良された豚のほうが、猪より美味なのだが、人の満足感には一筋縄ではいかないものがある。

農民の密猟を取り締まるのも、森林官の役目だった。森の木の伐採も、森林官によってきびしく監視され、禁を破った者への処罰は苛烈をきわめた。許可なく木を切り倒したら、切り株に伐採者の首を斬って置いた。木の幹を傷つけたら、下手人の腸を引き出し、その箇所にまきつけた。そうした処罰も、森林官の役目だった。

そんなわけで、狩人と農民は、近接したところに暮らしながら、きびしい敵対関係にあったのだ。農民からすれば、狩人は怨嗟の的だった。その狩人に、しかも次代の森林官と目された狩人に、農民が射撃試合に勝ったのだ。日頃のうっぷんが「ヘ、ヘ、ヘ」という嘲笑になって爆発した。

これで、マックスの屈辱の深さがおわかりいただけただろうか。さらには、森林官とそれに仕えるただの狩人とでは、まるで身分が違う。屋敷をもち、狩猟の酒宴では領主と席をならべ、何人もの狩人を従えた森林官になれるのは、息子や弟子のうちの腕を見込まれたただ一人だ。世襲の地位とはいえ、狩猟という特殊な職掌であるからには、技量も問われた。

その森林官になれるかどうかの瀬戸際で不運が続いたとなると、マックスが絶望にかられるのもうなずける。その絶望に、魂と引き替えに必ず命中する「魔弾」を鋳るという、禁忌破りへの誘惑がつけいった。悪の誘惑は、追いつめられた人間の懊悩を、狙い定めて刺し貫くものらしい。そして、それで懊悩が消えるかというと、そうではない。いやしくも良心があれば、新たな懊悩が彼を襲う。悪の誘惑に負けた、という懊悩が。悪の誘惑はたちが悪い。

ときに、マックスをそんな状況に陥れたもうひとりの狩人カスパールだが、彼の懸念は自分の魂を悪魔にとられないことに尽きる。ほかの誰がどうなってもかまわない。悪はカスパールを誘惑しないだろう。良心を欠き、のっけから悪の側にいるのだから、その必要はないのだ。良心をもちあわせた人間のみが、悪の誘惑に遭遇する、という逆説がなりたつような気がしてきた。

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誘惑のオペラ2 ドン・ジョヴァンニの場合2

(前回から読む方はここをクリック)

この営為を支える圧倒的な欲望は、いったいどこからきているのだろう。その前に、これは欲望といえるのだろうか。というのは、ドン・ジョヴァンニの所業には、過剰な欲望という外見とはうらはらに、なにか冷たい、ぞっとするほど冷たいものが感じられるからだ。欲望とはおよそ無縁の、そればかりか、人間とはおよそかけ離れたなにか冷たいものが。

欲望を満たすという。欲望は、満たされればもうそれ以上のものを必要としない。欲望は消え、欲望の主体はそこで行動を停止する。ところが、ドン・ジョヴァンニの場合は行動が止まない。ひとたび欲望が満たされることは、次なる欲望充足にむけて新たな行動を起こす理由でしかないのだ。

欲望は、人間が人間であることの証だろうが、その欲望もここまでくると人間の矩を超え、にわかに非人間的な容貌を呈してくるではないか。「えり好みはしない」という原則も、ドン・ジョヴァンニでは博愛の表向きを裏切る冷酷さ、つまりはその時どきの相手にたいする究極の無関心を意味するものでしかない。だとすれば、ドン・ジョヴァンニは相手に欲望していない、といういい方も可能だ。もしも、ドン・ジョヴァンニの欲望の体温を計ったとすれば、それは限りなく零度に近いだろう。そしてその欲望は、相手にではないとすれば、なにに向けられているのだろう。

そしてまた、そのような人間が誘惑するとはどういうことか。けっして満たされることのない、零度の、相手には向かわない欲望の誘惑とはいかなるものか。さらにいえば、それははたして誘惑といえるのか。

誘惑とは、まず相手への欲望があり、それを満たすために相手にも自分への欲望を呼び覚まそうとする試みだとすれば、ドン・ジョヴァンニにはあてはまらない。ドン・ジョヴァンニは、狙いをつけた女性をきわめて巧みなことばで言いくるめ、意のままにする。それだけを見れば、たしかにありふれた誘惑なのだが、ドン・ジョヴァンニは相手への欲望を欠き、したがって相手を籠絡してもその欲望は満たされない。

そう、ドン・ジョヴァンニは誘惑とまぎらわしいなにかをしていたのであって、誘惑はしなかった。2065回、誘惑だけはしなかったのだ。

ドン・ジョヴァンニの得体の知れない、人間としての分限を超えた欲望がどのように消えるのか、つまりどのような成り行きで満たされたことになったのかを見れば、それがなにに向かっていたかもわかる。ドン・ジョヴァンニの欲望は、石像の客に手をつかまれ、地獄へとひきずりこまれてようやく止んだのだった。だとすれば、ドン・ジョヴァンニの欲望は、死へと向かっていたことになる。2065人の女性のだれひとり、それを満たすことはできないのも当然だ。女性たちは生の側にいるからだ。死を欲望する男は、誘惑であるかのようななにかを介して、2065人の女性たちとすれ違った。

(この項終わり)

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誘惑のオペラ2 ドン・ジョヴァンニの場合1

新日フィル定期演奏会プログラム連載の2回目は、モーツァルトの「ドン・ジョヴァンニ」です(1回目の「サロメ」はこちら)


ドン・ジョヴァンニこそは誘惑者、それもきわめつきの誘惑者だろう。どんな女性を誘惑してきたか。まずはレポレロの「カタログの歌」を聞こう。

おかわいらしい奥方さまよ、
これなるは、うちの旦那が愛した女のカタログ、
あっしがお作りいたしました。
さあご覧あれ、
あっしといっしょにお読みなされ。
イタリアじゃ640人、ドイツじゃ231人、
フランスじゃ100人、トルコじゃ91人、
そしてスペインじゃ、なんと1003人。
田舎娘、小間使い、都会の女、
伯爵夫人、男爵夫人、公爵令嬢、王女さま、
あらゆる身分と顔かたち、
ありとあらゆる年齢の女。
金髪女なら美しさを、
茶色の髪の女ならかたい操を、
銀色の髪の女なら情の深さを、
旦那はほめちぎることに決めている。
冬には太った女をお望みで、
夏にはやせた女ときたもんだ。
大女には威厳があって、
小柄な女はかわいいもんだ。
年増を征服するのは、
カタログに載せる楽しみのため。
でも旦那がいちばんご執心なのは、
若くてうぶな娘っ子。
金持ちだろうが、醜かろうが、
美しかろうが、えり好みはしない。
相手がペチコートさえはいていりゃ、
旦那がなにをするかは知れたこと。

なんともすさまじい。数字の総計は2065人となる。ドン・ジョヴァンニは、少なくとも2065回誘惑した。「あらゆる身分と顔かたち、ありとあらゆる年齢の女」を誘惑したのだ。勤勉というべきか、律儀というべきか、手当たり次第に女性を誘惑してやまないのが、ドン・ジョヴァンニという男だ。

(この項続く

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佐藤しのぶさんの番組に出ます

テレビ神奈川が受信できる方限定のお知らせなのですが、今夜9時から、「佐藤しのぶ出逢いのハーモニー」というトーク番組に出ます。

なにしろ収録がンヵ月前だったので、話題が古くなってはいないかと気になりますが、編集の方がじょうずにやってくださるでしょう。

受信可能な方、ご覧ください。

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「イマジン」の意味

16日の記事を読んだ方が、「おまえは幕張でどんなスピーチをしたのか」と、DMをくださいました。

会議の記録は、充実した1冊の本になっています。
『9条世界会議の記録』

DVDもあります。

わたしのスピーチはそこに採録されていますが、ここにも載せておきます。でも、ほんとうは本を手にとっていただきたい。さまざまな分野の人びと、そして世界各国からやってきた人びとのすばらしい発言が満載です。

会場を埋め尽くす1万2千人、そして外にあふれた3千人(ほんとうに申し訳ありませんでした)。こんなにたくさんの方々の前で話をしたのは初めてでした。


今日ここに人類の希望の一里塚を築くという、人類史上きわめて重要でよろこばしいつとめを果たすために、全国から、全世界から、みなさんようこそお集まりくださいました。

このつとめは、わたしたち市民にしか果たし得ないものです。なぜならこのつとめは、わたしたち世界中の市民が、憲法によってそれぞれの国の交戦権を封印したときに、初めて完了するものであり、ご存じのように、憲法とは、わたしたち市民の政府にたいする命令であって、そこに想定される主語はわたしたち市民だからです。

幸いにして、わたしたち日本の市民は、政府に戦争を禁止する憲法をもっています。これは、人類が近代の歴史のなかで育んだ非戦の思想の本流に位置するものであり、このくにと市民が過去、とくに近隣諸国の市民にたいして犯したおそろしい戦争犯罪を心から慚愧し、また市民みずからが被った戦争被害の悲惨さを見据えるなかで、わたしたち市民が選び取り、日々選び取りなおし、61年、努力して維持し続けてきたものです。3日の憲法記念日に向けて、今年も全国でたくさんの市民が平和憲法を変えるか変えないかのシール投票を行いました。結果は、変えないが81%で、年々変えないという答えが増えています。

この憲法でわたしたちは、このくにの市民には平和のうちに生きる権利があると宣言し、政府にこの権利を擁護する義務を課しています。ところが、このくにの政府はともすればこれを無視したがっており、今このときも、日本政府はイラクに輸送機を送り、またインド洋アラブ海域に補給艦を出して、明らかに戦争に加担しています。このような政府のふるまいを止められないわたしたちは、世界の平和を愛する市民のみなさんに、申し訳ない気持ちでいっぱいです。

けれど、コーラ・ワイスさんが触れてくださいましたように、先月17日、名古屋高等裁判所は、イラクで航空自衛隊がしていることは憲法違反であるとの判決を下しました。3268人の市民が4年かかって勝ち取ったこの判決を、わたしも原告のひとりとして法廷で聞きました。憲法によって戦争を拒否するこの喜びを、今日ここでみなさんとともに改めて味わうことができ、たいへん幸せに思います。

政府が戦争に走ることを憲法によって封じるこの喜びはしかし、世界のすべての市民のものにならなければなりません。その重要性をもっとも理解しているのは、紛争地域で困難を強いられてきた市民です。たとえば今年の4月1日、エクアドル議会は、外国軍基地を国内に置くことを禁止する憲法条項を可決しました。これもコーラ・ワイスさんとかぶりますが……ワイスさんとちゃんと打ち合わせすればよかった……ボリビアの大統領は去年日本を訪れたとき、新たな憲法には戦争放棄を盛り込みたいと表明しました。コスタリカとパナマは常備軍をもちません。こうした勇気ある決断を下す政府を選んだ市民のみなさんに、心からの敬意を表したいと思います。

世界の憲法には、さまざまな形で平和への思いがこめられています。むしろそうした憲法のほうが圧倒的多数を占めます。それをもう一歩進めて、政府から交戦権を取り上げ、真に民主主義的な憲法へと完成させること、それがわたしたち世界の市民の願いであり、つとめであるということを、ここに再確認したいと思います。

今わたしたち市民が国際的な協力によってできること、すべきことはたくさんあります。わたしたち市民と言うとき、これまで思いをじゅうぶんに表明したり、行動に移すことを阻まれて、社会や歴史の片隅においやられてきた人びと、つまり先住民や途上国の市民、先進国の貧困にあえぐ市民、難民、障害や病気を持つ人びと、子ども、女性などがそこに大きな比重を占めていることは、わたしたちの強みです。かれらの知恵がいまこそ生かされることが、これまでの発想を変え、世界に新しい、さわやかな風を吹き込むことになるからです。

わたしたち市民がすべきこと、これはほんのたとえですが、すでに地球の大部分をおおっている非核地帯をさらに広めて、核兵器にしがみつく少数の国々を包囲し、核兵器が意味をなさなくなるようにすることです。そのほかの各種武器の禁止などもそうです。

世界には問題が山積みですが、問題の解決に、手段はふたつしかありません。戦争をはじめとする暴力か、話し合いかのふたつです。話し合い、つまり民主主義は、戦争を否定して初めて本物になるのだということを、わたしたちはいま一度銘記しなければなりません。世界は貧困と気候変動に待ったなしの対応を迫っています。もう戦争をしているばあいではありません。

ジョン・レノンは「イマジン」に歌いました。

「さあ、想像して 国家はないと 
難しくはないはず 
殺しあう理由がなく 
すべての人が平和のうちに生きてあるさまを」

ここで否定されている国家とは、それがなければわたしたち市民が殺し合う理由もなくなる、というのですから、交戦権を持った近代国民国家に限定されていることは明らかです。「イマジン」は、すべての国家が交戦権を放棄した世界を歌っているのです。だとしたらここには、日本国憲法が提案する平和の流儀が歌い込まれているのではないでしょうか。世界の平和を愛する市民のみなさんは、この歌を歌うことで、とっくに日本国憲法9条をわがものにしてきたのです。

さあみなさん、後世の人びとに2006年5月4日という日付を、日本の幕張という地名を、喜びとともに思い出していただくために、それぞれの持ち場につき、仕事にとりかかりましょう。お金のグローバリゼーションではない、市民が縦横につながりあうオルタグローバリゼーションの大波で世界をおおいつくしましょう。ありがとうございました。

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誘惑のオペラ1 サロメの場合2

(前回から読む方はここをクリック)

「そなたの髪はぶどうの房、
エドムのぶどうの木にたわわに実る。
そなたの髪はレバノンの杉の大木、
ライオンや盗人(ぬすびと)に影落とす。
月も星もない漆黒の夜も沈黙の森も、
そなたの髪にはかなうまい」

白、黒とくれば次は赤だというのは、メルヒェンに遠い源を発する象徴学の法則だ。サロメは絶唱する。

「そなたの唇は、象牙の塔に巻いた真紅の帯、
銀の刀で切り裂いたザクロ。
紅バラも、ツロの園の花も、
そなたの唇にはかなうまい。
敵もおののく王の先触れの、
血に染まったラッパの響きも、
そなたの唇にはかなうまい。
酒舟でぶどうを踏みつぶす男らの足も、
神殿の鳩の足も、そなたの唇にはかなうまい。
そなたの唇は夜明けの海の紅珊瑚(べにさんご)、
モアブの地底より掘り出される献上品の朱。
そなたの唇より赤いものなど、この世にはありはすまい」

聖書の詩篇から引いた比喩をちりばめて、サロメの狂おしい情欲を飾りたてた詩人ワイルドは、その情欲に純情の輝きをあたえた。R.シュトラウスは激しく流麗な弦の響きで、それを寿(ことほ)いだ。

ヨカナーンの警護にあたっていた武人ナラポートなら、サロメが誘惑したと言えるかもしれない。土牢の底から響いてくるヨカナーンの声を聞いたサロメは、その姿を見たくなり、ヨカナーンを引き出すよう、ナラポートに色仕掛けで迫ったからだ。ナラポートがかねてより自分に気があると知っての上だ。けれど、その魅力を武器としたのは、目的を達成するするためであり、自分の欲望がめざす相手そのものにたいしてではなかった。誘惑のまねごとをやってみた、というほどのことだろう。現代の援交少女にも通う、軽い気持ちだろう。真の誘惑ではない。

サロメは、男を惹きつける自分の魅力を知っている。義父ヘロデが自分に淫猥な酔眼を向けることの意味を知っている。けれど、幼さゆえにそれをわずらわしい重荷と感じ、もてあましている。酒席をあとに、戸外へ出てきたサロメは言う。

「あんなところはもうたくさん。
王がモグラじみた目で、わたしをねめ回すのだもの」

舞を所望するヘロデ王の、自分への欲望に利用価値があるとサロメが気づくのは、止みがたいヨカナーンへの思慕のゆえだ。切った首でもいいからくちづけをしたい、というのは、異常な残酷さというよりも、理論をとことんまで追求してしまうアドレッサンスの純粋さの、結果としての残酷さだろう。ヨカナーンの首に語りかけるサロメの歌は、涙なしに聞くことができない。

「さあ、今こそくちづけをするよ、ヨカナーン。
大河も海も、この情欲を消してはくれぬ。
おお、なぜにわたしを見なかった?
わたしを見ていたら、わたしに恋をしたろうに。
ああ、そなたの唇にくちづけをしたよ。
そなたの唇は苦いのだねえ」

生まれて初めて恋を知った瞬間、サロメの命は断ち切られる。その昂揚を、R.シュトラウスの音楽とともに永遠にとどめながら。


追記です。
ドクトル・ジマクさんという方が、このエッセイの末尾に引用したサロメの最期のせりふを、「言いようもなく淫靡なたたずまい」と批評してくださっています。
http://www.ne.jp/asahi/jurassic/page/talk/mozart/jimaku.htm
わたしはかつてNHKで放映されたこの作品に字幕をつけたことがあり、エッセイに引用したのも、すべてそのときの訳です。ドクトル・ジマクさんはその番組をご覧になったのでしょう。身にあまるお褒めのことばですが、R.シュトラウスの音に乗って流れるワイルドのことばはそのようにしか聞こえなかったということです。

(この項終わり)

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誘惑のオペラ1 サロメの場合1

新日本フィルハーモニー交響楽団の芸術監督、クリスティアン・アルミンクは、2006〜7年のシーズンから3年間、毎年テーマを掲げ、それに沿った楽曲で年間の定期演奏会のプログラムを組みました。

芸術監督(主席指揮者)は、音楽家の中でもきわめて特異な才能の持ち主です。その頭の中は、凡人には計り知れません。アルミンク氏が掲げたテーマは、「誘惑」「抵抗」「秘密」でした。

オーケストラの定期講演には、充実したプログラムがつくられます。そこに、テーマに即した、舞台芸術にまつわるエッセイを連載したい、という芸術監督の鶴の一声で、わたしにお鉢が回ってきました。

定演は年8回。合計24本のオペラにまつわるエッセイを、毎回うんうんいいながら書きました。アルミンク氏が今シーズンを最後に退任するこの機会に、それらをときどきこのブログに再掲していこうと思います。なんといっても、苦労したのですから。ほんとに。

第一回目はリヒャルト・シュトラウスの「サロメ」です。



サロメは誰を誘惑したのだろう。

サロメとは、言わずと知れたオスカー・ワイルド原作、リヒャルト・シュトラウス作曲のオペラのタイトルロールだ。

サロメは囚われの預言者ヨカナーンを誘惑したのだ、それをはねつけられた腹いせに、ヘロデ王の前で妖艶な舞を披露し、その褒美にヨカナーンの首を所望した、つまり命を奪ったのだ、それこそ言わずと知れたことだ、という声が聞こえてきそうだ。

けれど、穴から引き出されたヨカナーンにサロメが見せた反応は、はたして誘惑と言えるだろうか。

ヨカナーンは、目の前の少女が何者かを知ると、怒鳴りつける。

「失せろ、バビロンの娘よ、主に選ばれし者に近寄るな。
そちの母は淫欲の酒で大地を浸し、その大罪の叫喚(きょうかん)は神の耳に届く」

悪口の限りをつくすヨカナーンに、サロメは言う。

「もっと続けて、ヨカナーン、
そなたの声は楽の音さながら心地よい」

罵倒(ばとう)すら甘美だと、もっと聞いていたいと、サロメは言う。あげく、ヨカナーンの罵詈雑言(ばりぞうごん)に呼応してとしか言いようのない流れで、ヨカナーンの肌や髪の美しさを讃え、サロメは歌いあげるのだ。

「そなたの肌は、荒れ野の百合のように白い。
そなたの肌は、ユダヤの山の雪のように白い。
アラブの王妃の園に咲くバラも、
その葉に照り映える朝の光も、
海に落ちる月の光も、
そなたの肌にはかなうまい」

こう語りかけるのは誘惑だろうか。そうではないと思う。むしろ、生まれて初めて男に情欲を感じた、うぶ過ぎる娘の、狂おしい乱調ではないだろうか。突然、未知の情欲というものによって身も心も占領され、どうしたらいいのかわからず、じたばたともがく。じれる。拒絶するヨハネに腹を立て、けなし、けれどもふたたび抗(あらが)いがたい情欲にとりつかれる。

(この項続く

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マイケル・ジャクソン(3) モータウンの「死」、アメリカの「死」

マイケル・ジャクソン追悼イベントについては、これでおしまいです。

黒人運動家のシャープトン師も登壇しました。先日、「タイガー・ウッズにもオプラ・ウィンフリーにもオバマにも先駆けて、黒人のために扉を開けた」とマイケルを讃えた人です。とても熱のこもったスピーチでした。内容が日本語になるのが待ち遠しいと思います(オプラ・ウィンフリーとは、絶大な人気を誇るテレビの司会者で、さしずめアメリカ版女性みのもんた、あるいは黒柳徹子というところでしょうか)。

モータウンの重鎮らしい人が壇上に進み出て、マイケルを讃えました。

モータウンは、マイケルがジャクソン5のメンバーとしてデビューしたレーベルです。モータウンとはモーター・タウン、デトロイトのことです。この自動車産業の中心である黒人の多い街に、黒人音楽の枠を超えた新しい音楽を発信しようとモータウンが旗揚げしたのはちょうど50年前、マイケル・ジャクソンが生まれたのとほぼ同時でした。

モータウンの創業者は、レーベル経営が軌道に乗るまで、GMのラインで働いていたそうです。そのGMが経営破綻に陥り、アメリカ経済は世界を道連れにどこまで沈んでいくのかもわからない。そんな今、あの金ピカ80年代を象徴するスーパースター、マイケル・ジャクソンが亡くなったのです。黙祷を捧げるアメリカ下院議会をニュースで見ましたが、アメリカのアイコンの死を悼むというにとどまらない、二度と甦らないアメリカの繁栄そのものにこうべを垂れているようにも見えました。

けれどいま、ミュージックビデオのなかで肌の色も性別も超え(「ブラック・オア・ホワイト」)、生死の境すら超えようとした(「スリラー」)マイケルの越境願望は、天才の自己へのあくなき拘泥でありながら、同時にすべての存在へと、世界へと向かわざるをえない、とほうもないやさしさの表現だったことに、いやおうなく気づかされます。

とくに早すぎる「晩年」には、そうした思いにあふれる楽曲をつくっていました。なのに、所属レコード会社との確執で、マイケルは思うような活動ができませんでした。「ソニー・ウォーズ」と呼ばれるこのいきさつを、このくにのニュースはあまり報じないように思います。ソニーがこのくにの会社だからでしょうか。アメリカのソニー経営者はアメリカ人だし、マイケルは終始このくにの人びとへの好意を表して、一企業とこのくにの人びとを混同するような愚かなことはしなかったのに。

ここまで書いたら、「ウィー・アー・ザ・ワールド」を国連歌にしたらいいのに、という友人のメールがとびこみました。

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マイケル・ジャクソン(2) 「スマイル」

きのうに引き続き、マイケル・ジャクソンの追悼イベントについてです。

ライオネル・リッチーは出てきたけれど、もちろんクインシー・ジョーンズは出てこない、ポール・マッカートニーはなぜ……参加した人にもしなかった人にも、マイケルが大きな存在だったからこそ、いろいろ複雑なことがあるのでしょう。同時に、大きな存在だったからこそ、さまざまな事情を乗り越えて、その死の直後にここまで盛大なイベントを捧げることも可能だったのでしょう。ショービジネスの文脈で語られることがらもあるのでしょうが、それを差し引いても、「キング・オブ・ポップ」にふさわしい追悼イベントだったと思います。

(追悼イベントは無料だったそうですが、これだけの成功を収めれば、マイケルの不世出のスーパースタートしての位置づけは確固としたものになり、今後の印税収入に大きく影響するでしょう。もとよりポップスは「売れてなんぼ」の世界です。経済的な成功を過小評価したり度外視したりすべきではありません)

スティービー・ワンダーは、MCも歌声もピアノの音も、鋭すぎる悲しみに満ちていました。「この夏、きみがいなくなってしまうとは、夢にも思わなかった」……あんな痛切なスティービーを聴いたのは初めてでした。とちゅう、「マイケル」と呼びかけた声は、胸に突き刺さりました。

ブルック・シールズの、なにかを必死にこらえているようすは、女優ならではの演技だなどとはとうてい思えませんでした。「幼い頃から人目にさらされていたわたしたちは、いちばん心許せる、自然体でいられる友だちでした。子ども同士として、たくさんの時を過ごしました。彼は笑うのが好きでした。こよなくかわいらしく、繊細で純粋な笑いでした。マイケルは、『たいせつなものは目に見えないんだよ』といった星の王子さまのような人でした。見てください、三日月にマイケルが腰かけています。わたしたち、ほほえまなければ」といったことばには、真心とほんものの悲しみがにじみ出ていました。

彼女のスピーチには、何度となく「スマイル」ということばが出てきました。その次にマイケルのお兄さんが歌った「スマイル」が、あんなに悲しい歌だったとは。マイケルがいちばん好きな歌だったそうです。

キング牧師の娘にあたる方のスピーチは、威厳にあふれていました。早く日本語字幕つきで再見したいものです。わたしは、英語の聴き取りがほとんどできませんので。どんな人が登場したのかも、また大型スクリーンに映し出されたマイケルのさまざまな映像についても知りたいものです。苦痛に満ちた声でマイケルが語りかけていた内容も知りたい。文字でも出ましたが、理解のスピードが追いつきませんでした。スクリーンには、暴力的すぎるとMTVが拒否した作品も、ちらと映った気がします。黄色い帽子の子どもたちに囲まれた、日本でのマイケルの姿もありました。

(この項はあしたに続きます)

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マイケル・ジャクソン(1) 「スリラー」のモーツァルト

ガラスのような神経で、肉体的苦痛と山のようなトラブルを孤独に耐えねばならなかったマイケル・ジャクソン。ゴシップにまみれ、「もう終わった」といわれ、はんぱではない金銭トラブルを残したまま、最後まで創造意欲を燃えたたせていたにもかかわらず、若くして世を去った天才音楽家……モーツァルトを思い出さずにはいられません。
 
その追悼イベントをネットで見ました。
 
ファンのみなさまには申し訳ないことに、その生前はさして熱心な聞き手ではありませんでした。「バッド」はメッセージ性もあるし、ロックとしていい曲だ、ビデオで踊るふっくらとしたマイケルもいいな、と思ったことはあります。が、そこまででした。
 
そのダンスがオリジナリティそのものだということも、このたび初めて知りました。それほどに、だれも彼もがマイケルをまねしていたわけです。ミュージックビデオの独創性も、当時は認識していませんでした。歌とダンスに超絶的な才能を見せた彼だからこそ、その両方を表現できるミュージックビデオに注目し、新たなジャンルとして一気に完成の域にもっていったのでしょう。既存の容器に収まりきらず、みずからのジャンルを創設してこそ天才──リアルタイムでは、そんなことにも思い至りませんでした。
 
マイケルに関心がなかったのは、彼が全盛期を迎えていた80年代の音楽にあまりつきあわなかったためです。あのバブリーな時代、いろんな意味でみんなが踊っていました。そこに鳴り響いている音楽という印象があって、R&Bやこの時代の刻印をだれよりもくっきりとしるしたマイケルの楽曲には、どうにも入り込めなかったのです。
 
すばらしい作品がたくさんあることを認めるのに吝かではありません。たとえば「スリラー」。文句なしです。でも、なぜタイトルが「スリラー」なのでしょう。ゾンビ映画はホラーと呼ばれるのですから、あの歌のタイトルは「ホラー」でもよかったはずです。
 
でも、そうではないのがいかにも80年代だと思います。「ホラー」は「垂直」を表すラテン語「ホロリス」からきていて、この世の外、とくに上から襲いかかる超越的な恐怖を意味します。それにひきかえ「スリル」は、遊園地のジェットコースターが「スリル満点」といわれることを考えればわかるように、現世にとどまった面白怖いという感覚です。面白ければなんでもいい、恐怖さえ面白がる。そんな多幸感と自信にみちたバブルの時代には、タイトルは「スリラー」でなければならなかった、そんな気がするのです。
 
ついでにいうと、恐怖には「スリル」と「ホロリス(ホロル)」のほかに「テロル」があります。これはテラ(大地)に由来する恐怖で、現実の人間がくりひろげる思想や政治にまつわる暴力の恐怖です。21世紀は、この「テロル騒動」に幕を開けたのでした。
 
(この項はあしたに続きます)
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