映画

核の文明を問う 映画「100,000万年後の安全」

「100,000万年後の安全」は、原発から出される高レベル放射性廃棄物を地中深くに埋設する、フィンランドの国家施設「オンカロ」を描いた映画です(監督マイケル・マドセン、2009年、デンマーク、フィンランド、スウェーデン、イタリア合作)。そのパンフレットが届きました。私も一文を書かせていただいたからです。

ところが、ページを開けてびっくり。たいへんな執筆陣なのです。森直人(映画評論)、和合亮一(詩人)、小出裕章(京都大学原子炉研究所助教)、広河隆一(ジャーナリスト)、須永晃博(スウェーデン社会研究所所長)、舘野淳(元日本原子力研究所研究員)、飯田哲也(環境エネルギー制作研究所(ISEP)所長)、現下、考えられる最高の顔ぶれです。寄稿の依頼があったとき、これらのお名前を聞いていたら、お受けするかどうか、迷ったろうと思います。

でもまあ、あとの祭りです。こういうものは、知らずに書いてしまうのが一番ですね。私のページだけ、なんらの専門性もなく、ためになる知見も見あたらないのですが、こういう人もひとりぐらいいてもいいかな、と気を取り直しました。

この映画、1か月以上前にとっくに公開されています。ご覧になった方もおられるでしょう。311を受けて、パンフレットもできていないのに、急遽前倒しで、全国各地で封切りになったのです。今もあちこちで上映しています。ひとりでも多くの方に見ていただきたい、そして私たちがしでかしてしまった核汚染物質産出という事実の重さを、この映画から感じとっていただきたいと思います(公式サイトはこちら)。しかも、言うまでもなく、私たちは東電の原発事故により、核汚染物質を地球環境に拡散させ続け、それがいつ終熄させられるかわからないという、取り返しのつかない事態に陥っています……。

パンフレットには、シナリオも全文が採録されています。映像に語らせる寡黙な作品だからこそ可能な10万年後の安全わけですが、これは貴重です。映画のシーンから採った映像を背景にしたシナリオ採録ページを繰ると、今なお瞬時に作品世界が圧倒的な力で、でも静かに迫ってきます。一般書籍として、書店でも扱っているそうですので、すでに映画はご覧になった方も手に取ってみてください(こちら)。

以下に、配給会社のお許しを得て、私のエッセイを転載します。作品の片鱗なりと、味わっていただければ幸いです。そして、劇場に足を運ぶ気になってくだされば、もっとうれしい。

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オンカロ。謎めいたことばです。オンは隠を連想させ、秘密の印象を深めます。この映画を見た人には、忘れることを許されないことばになるでしょう。
 
映画のテーマは、原子力発電所から出る放射性廃棄物の最終処分。まことに地味です。しかしこの地味なテーマは思いもかけず、文明とは何かというとてつもなく大きな問いの前に私たちを引き据えます。もっとも汚いものに向き合うとシステムが見えてくる、その典型が、現存世界では核のゴミであり、作品はそこから私たちの文明を正面切って問おうとするのです。
 
核廃棄物が発する放射線には、10万年たたないと消えないものもあるので、核廃棄物はこの気の遠くなるような長い間、保管しなければなりません。その間には、地殻変動や氷河期も襲うでしょう。人間が引き起こす戦争もあるでしょう。それらすべてに耐える地層深くに危険きわまる物質を保管する、そのためのフィンランドの国家プロジェクトがオンカロです。
 
作品は、オンカロの技術的側面や、これが決定されるまでの政治的社会的プロセスには触れません。そうではなく、この巨大地下都市のような空間がつくられていくさまを、おそらくは撮影用の設定でしょう、ひとりの爆破技術者の孤独な姿を地下に追うことでたどり、巨大な蟻の巣のようなこの施設のとてつもなさに、見る者の思いを導きます。そして、数人の専門家たちへのインタビューによって、オンカロの持つ意味を私たちの心に静かに、けれどしたたかに刻みつけます。
 
オンカロの最大の難問は、ここが危険な場所であることを後世の人びとにどうやって伝え、知らせるか、ということです。専門家たちは、今の文明が10万年後まで途切れることなく存続するとは考えません。かれらは、それが現在の人類ではないかもしれない、という可能性すらほのめかします。確かに、時間をさかのぼれば、今から10万年前は、ホモ・サピエンスがアフリカ大陸を出発して世界に広がり始めた時代です。
 
その時、どのような「人びと」が出現しているにせよ、目がふたつ、手と脚が2本ずつということに変わりはないでしょう。目は一対でなければ距離感をとらえることができませんし、一対の脚がなければ移動ができませんし、一対の手がなければ文明はつくれません。そして、目も手も脚も、一対以上持つことは、それらを維持するためのエネルギーがよけいに必要になるので、生命維持の経済合理性に反するからです。とは言えその「人びと」が、たとえば胎生ではなくて卵生かも知れない、という可能性は払拭しきれないのです。アメリカのNASAは、宇宙の知的生命体に信号を送り続けています。それと同じことを、人びとはオンカロにも配慮しなければならないと考えています。NASAの計画と違うのは、そこには夢などかけらもないということです。あるのは、深刻な憂慮です。
 
はるかな未来のインディー・ジョーンズが解読するために、国連の6つの公用語を刻んだモノリスを建てよう、というアイディアもあります。まるで未来のロゼッタストーンです。けれどそこには、高らかに王を讃える古代の晴朗さはありません。それは、重大な警告を不吉で沈鬱な文体で伝える呪いの石、呪詛のいしぶみです。私たちは、このような絶対負を遠い後世に残さないわけにはいかない文明を築いてしまったのです。
 
その文明は、はたして正しいと言えるでしょうか。文明に正しいも正しくないもない、という意見もあるでしょう。でも私は、遠い未来の「人びと」にたいし、地球の一部に使用禁止を宣告することなくして成立しえない文明は許されないのではないか、と思うのです。たかだか数十年、ほんのひとつまみの裕福な人びとが核エネルギーの恩恵に浴する代償が、おびただしい「人びと」への10万年にも及ぶ呪いとは。その文明は果たしてそのエネルギーに手を出すべきだったのか、ほかの道はなかったのか、と問い質されてもしかたないのではないでしょうか。
 
けれど現に私たちは、呪詛を残す文明を築いてしまっています。しかも、オンカロの呪詛を石に刻もうとする人びとは、現存する人類のなかでも未来にたいしてきわめて誠実な、責任感のある人びとなのです。これまでに原子力発電所から排出された核廃棄物はおよそ25万トンに達し、フィンランド以外に「オンカロ」を建設できた国はありません。そして、新興国に原子力発電所が続々とつくられることも相俟って、忌まわしい核のゴミは今後その数倍に膨れあがる見通しです。
 
とくに日本の私たちは今、数千世代どころか目の前の子ども、つまり次世代への責任感すら稀薄な人びとが、「オンカロ」を確保するあてもないままに原子の火をもてあそんできたことを思い知らされています。暗澹たる思いに駆られるのは、はたして私だけでしょうか。

 

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「年次改革要望書は米ロビイストのおねだりリスト」町山智浩

町山智宏さんは、アメリカ西海岸在住の映画評論家(?)です。町山さんがプロデュースする「松嶋×町山 未公開映画を観るTV」(TOKYO MX)は、まずは一般公開されないアメリカのドキュメンタリー映画を紹介する貴重な番組です。

その町山さんが、先週の「ビデオニュース・ドットコム」に出ています。最近の映画を2本取り上げてぞんぶんに語っているのですが、その1本、「カジノジャック」は、アメリカのロビイストを描いたものでした。そのなかで町山さんは、「年次改革要望書は、日本は官僚がまじめに書いているけど、アメリカのはロビイストが挙げてきた各業界のリクエスト集でしかなく、あんなものは無視していい」というような発言をしています。その内容のすさまじさは、関岡英之さんの『拒否できない日本 アメリカの日本改造が進んでいる』(文春新書)であまねく知られることになりましたが、あれはロビイストの要望の羅列だったとは。

先週の「ビデオニュース・ドットコム」は無料で視聴できます。ちょっと長いのですが、お時間のある時、ぜひ。
こちらです。

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脱北を描く映画「クロッシング」 もうすぐ封切りです 

たまに、映画評をしたり、映画のプログラムに寄稿したりすることがあります。昔、字幕翻訳をしていたご縁です。

今回も、ある配給会社から依頼がありました。脱北を描いた韓国の作品だといいます。北寄りでも南寄りでも、また脱北者やかれらを支援するNGOを英雄的に描くものでも、とにかくなんらかの政治思想的な宣伝映画だったらいやだな、と思いました。観て、納得がいかなければ、寄稿はお断りしよう、そんなつもりで観ました。そして、憶測はみごとに裏切られました。描かれていたのは、人間の尊厳そのものだったのです。ここに、配給会社のお許しを得て、プログラムに書いた文章を転載します。

「クロッシング」は、4月17日からユーロスペース(東京・渋谷)で、5月1日からは銀座シネパトスとシネマート心斎橋でロードショーです。


映画パンフレット


映像に既視感を覚えたことに、不思議はありません。
 
大使館のフェンスを決死の覚悟で越えようとする脱北者たち、市場のぬかるみからなにかを拾って素早く口に入れるコッチェビ、強制労働にたずさわる収容者たちののろのろとした動き、国境の川を渡る脱北者。これらは、北朝鮮からもたらされた映像として、テレビのニュースで見たことがありました。それが映画のなかで、アングルから編集にいたるまで、なぞるように再現されていたからです。
 
映画なのだから、もっと効果的な映像表現は、望めばいくらでもできます。なのにあえてそれを封印し、言わばみずからの手を縛って、ドキュメント映像が存在するシークエンスは、それに限りなく近づけた。そこに、キム・テギュン監督のたくらみはある、と思いました。
 
なぜなら、ニュース映像を点とすれば、私たちはそれらをつないで、遠い世界でなにか非道なことが進行しているらしい、と漠然と想像するわけですが、私のばあい、その思い描いていた線が、映画を見終わったとき、もののみごとに消し去られていたからです。代わりに浮かびあがるのは、普遍的ななにかでした。自分の想像力のあさはかさも思い知らされました。ニュース映像の再現は、この作品、この監督に限っては、センセーショナルに感情にうったえる手っ取り早いテクニックなどではありません。そうではなく、いつか見たニュースという共有された視覚経験は、橋頭堡として、ニュース映像が暗黙のうちに私たちをつれていこうとするのとはまるで別の、意想外の方向に私たちを導くのです。
 
ところで、史実や記録にもとづく文学は、ノンフィクションあるいはルポルタージュと呼ばれます。作者は聞き取り取材に基づき、当事者が体験した現実を文章に再現します。けれど、言うまでもなく、その作品は作家性の強い創作物なわけです。
 
映画「クロッシング」は、体験者の聞き取りをふくめた綿密な取材をもとにし、そこまでやるかと思うほど徹底的な再現にこだわってみせました。ここに採られているのは、ノンフィクション文学に近い表現方法です。もちろん、現実の事件に材を取り、それをドラマティックなストーリーに仕立てあげた映画なら、星の数ほどあります。けれど、「クロッシング」は、それらとは一線を画しています。言わば、ここにノンフィクション映画という新しい映画のジャンルが誕生した、そんな驚きを禁じ得ません。
 
北朝鮮の村の家や市場のたたずまいの映像表現は、ノンフィクション作家の文章力に相当します。そうであるからには、ドア、窓の桟(さん)、棚板の質感といった細部を、キム・テギュン監督は魂をこめて表現します。そんなの、映画ではあたりまえではないか、と思われるのもむりはありません。けれど、違うのです。これは観ていただかなければ納得していただけないと思いますが、そうした細部がかもしだす空気感と、それに包まれた人間群像は、監督の思想を力強く発信しています。
 
それは、ひとことで言えば人間の尊厳への畏怖です。北朝鮮の人びとは、たしかに貧しいでしょう。その現実は理不尽に過酷でしょう。けれどこの映画は、これでもかこれでもかと人びとのみじめさを強調するのではないのです。それをしていたら、ただのあざといプロパガンダ映画に成り下がっていたでしょう。

全篇、墨流しのような美しい映像の底から立ち上がり、恐ろしいほどの満天の星空のもとで頂点にたっするのは、冷酷な現実を生きることを強いられた人びとが、幼い子どももふくめて、人間のもっとも人間たるゆえん、つまり生きる意志と心の気高さを最後の最後まで手放さない姿です。そこに、この作品の普遍性はあると、私は思います。
  
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迷子の案内人 映画「NINE」を見る気はないけど

だって、フェリーニの「8 2/1」のリメイク・ミュージカルの映画化でしょう? フェリーニ命の私としては、いかにフェリーニへのオマージュとしてつくられた作品であろうと、パスです、パス。

「8 2/1」は、フェリーニ9本目の長篇劇映画ですが、映画がつくれない、という監督自身の絶不調をそのままテーマにしています。そんなテーマを映画にすること自体、天才の名に恥じないと思うのですが、この風変わりなタイトルには、1本に満たないできそこないという意味がこめられています(若い方向けの老婆心的解説です)。このたびのミュージカル映画は「NINE」ですから、完結した1本という自負があるのでしょうか。フェリーニを踏まえているというのに、なんとおこがましい。

今回の映画でも、主人公である映画監督の名前はフェリーニ作品と同じ、グイドです。イタリア人という想定で。アメリカ人に変えてもよさそうなのに、なぜか原作に律儀で、そこが気になります。もしかしたら映画館に確かめに行くかもと、パスすると言った舌の根も乾かぬうちに口走っています。でも、やはりパスです。

ともあれ、主人公のグイドという名前には、れっきとしたわけがあると思います。今からちょうど1000年前、イタリアに実在した聖歌隊長、グイド・ダレッツォという修道士にちなむ名前だと思うのです。

グイドは、ドレミファという音階名を発明したことで有名ですが、楽譜の創始者でもあります。もっとも、グイドが考案したのは五線譜ではなく二線譜でしたが、それにしてもこれは文字の発明くらいすごいことです。音楽、つまり音の高さや長さを記号で表す、という発想は、グイドのものなのです。それまでは、聖歌隊長が歌ってみせ、聖歌隊メンバーはそれを耳で憶えるしかありませんでした。また、音楽を記譜すれば、演奏家なしで持ち運ぶことができます。これは、当時の教会音楽の飛躍的な普及に役立ち、バチカンによる支配強化におおいに寄与しました。

さらにグイドは、左手の関節ひとつひとつに音階名をあてて、そこを右手で示して聖歌隊を指導しました。この教え方は効果抜群、グイドはスーパー指揮者の誉れをほしいままにしていました。これが、mano guidoniana「グイドの手」と呼ばれるもので、ドレミや楽譜とともに、ヨーロッパ中に広まりました。グイド・ダレッツォは、きわめて優秀な音楽指導者だったのです。グイドから派生したguidone「グイドーネ」という言葉は、「案内者、指導者」を意味しました。今はつかわれていませんが、英語ではguide「ガイド」となり、こちらは現役です。

指導者は、映画なら監督です。だから、「8 2/1」や「NINE」の主人公はグイドという名前なのだと思います。ガイドが迷子になった物語というわけです。ロベルト・ベニーニ監督主演の「ライフ・イズ・ビューティフル」で、強制収容所の中で幼い息子にすべてはゲームなのだと思い込ませるために命がけの嘘をつく父親の名前がグイドなのも、気になります。こちらは、道案内が成功した例です。

この説、亡くなった恩師、種村季弘先生にご披露したことがあります。先生、「嘘だろう!」と声が裏返っていました。映画評論でも名を馳せた、フェリーニ作品について論じた文章も多い先生の意表を衝くことができて、私は内心にんまりでした。

映画はともかくとしても、現実で道案内人が道に迷ったのでは、シャレになりません。このくにの道案内人は、普天間基地問題では道に迷っているフリをしていると、私は相変わらず思いたいのですが、どうでしょうか。きのうの党首討論、鳩山さんは本気で国内に代替地を捜し、そこの市民に理解を得るつもりのようにも聞こえました。そして、政府案をまとめると言っていた3月末は、なにごともないままに静かに過ぎてしまいました。

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ハイジ!

「どうしてもハイジのアニメをつくりたくて、会社を興したのです」

30年ほども前になるでしょうか、瑞鷹(ズイヨー)の社長さんのお話を伺ったことがあります。この、「男も惚れる」原作はめでたく名作アニメとして、いまや古典の地位を占めています。古典の条件に、引用される、パロディされる、ということがありますが、ハイジもCMの世界で活躍しています。携帯電話の宣伝で、ロックバンドのうしろの巨大スクリーンにびっくり顔が出てきたり、車の宣伝で、やけに活発なクララや、軽いノリのおんじと空中ブランコをしたり。

数日前のテレビの番組表に、劇場版でしょうか、「アルプスの少女ハイジ」とありました。NHKBSです。春休みだからでしょう。この30数年間、ハイジは何度も再放送され、今では最初にアニメのハイジを見た人びとの子どもたちが見ているわけです。

瑞鷹の社長さんの話に戻ります。社長さんは、資金が調達できると、まず前途有望なアニメーターたちをスイスに送りましした。それが宮崎駿と高畑勲だったことは、その後のアニメ界の興隆におおきく影響することになります。1年近く、風景や人びとの暮らし、道具などをひたすらスケッチすることが、かれらの仕事でした。

その膨大なスケッチをもとにした作画は、ディテイルが正確だったために、このアニメがヨーロッパを席捲するにあたって重要な決め手になりました。アニメが放映されたのは74年ですが、私が76年にドイツに行った時には、すでに彼の地で一大ブームを引き起こしていました。スーパーのレジのそばには、ぺらぺらの1話1冊の漫画本があり、文房具にも子どもの靴下や下着にもハイジ、クリスマスは町中におんじやペーターや山羊たちがあふれていました。もちろん、ズイヨーのキャラクターです。

ある時、いっしょにテレビを見ていたドイツ人のおじさんに、「これ、日本製なんです」と言ったら、「冷蔵庫や車が日本製というのは、まあいいとしよう。でも、私たちのハイジまでが日本製だなんて、悪い冗談だ」と取り合ってもらえませんでした。ZUIYOとクレジットが出た時、「瑞鷹」と書くんです、と書いてみせても、おじさんは不信感を解きませんでした。

瑞鷹の社長さんに訊ねたことがあります。

「タイトルロールのバックの山、ああいう山は原作の舞台からは見えませんよね」

「そうなんです。でも、山がないとアルプスらしくないので、ユングフラウをもってきちゃいました。やっぱり、よくなかったでしょうか」

私は、「いえ、とんでもない。私はすてきだと思います」と、正直に答えました。

逆に、社長さんが訊いてきました。

「ハイジの髪の毛の色をどうしようか、かなり迷ったのです。アニメの女の子の髪は、だいたい茶色なんですよね。でも、原作は黒です。結局、原作どおりにしたんですがねえ、どうでしょう?」

「大正解です。南欧には西ゴート族の末裔がいて、黒い髪黒い瞳の人が多いんです。スイスあたりがその北限です。フランクフルトのクララは、北方系ということで、金髪に青い眼。その対照が物語のリアリティになっています」

「どうりで。アニメはまずスペインのテレビ局が買って、ヒットしたんですが、スペインの人は、『ハイジはスペイン人だ』と言うんですよ。その謎が解けたな。スペインでハイジのそっくりさんコンテストがあったんですよ。アニメのハイジのそっくりさんです。よちよち歩きからすらっとした娘さんまで、ハイジそっくりの女の子たちが、みんなアニメのハイジの服を着てずらりと並んだのは壮観でした」

ところで、原作者のヨハンナ・シュピリは、19世紀の人です。ハイジは、共感の力によっていろんな人の心を開いていく奔放な少女で、枠にとらわれないところが魅力ですが、そんなハイジを生みだしたシュピリは、当時の女性解放運動や女性の大学入学に反対していました。女性が男性と肩を並べて社会で活動するなどもってのほか、女性は家庭を経営し、子どもを育てるべきだ、という考え方だったのです。反女権運動の旗手として発言したりもしています。おもしろいと言うか、皮肉と言うか、作者の思いを裏切って、きょうもハイジはテレビ画面の中で元気をふりまいています。その姿からは、性役割なんて薬にしたくてもありません。

原作は、当時の社会のありようを踏まえた、よくできた物語だと思います。アニメ作品との違いで、もっともおおきいのは、キリスト教色が濃いことです。それをほぼすべて取り去って、じゅうぶん共感可能な物語性をもたせたアニメ作品は、たいしたものだと思います。私たちには、キリスト教はぴんときませんから。でも、それがヨーロッパ大陸でも歓迎されているというのは、興味深いと思います。ヨーロッパでも世俗化が進んでいるのですね。

アルムおんじと呼ばれるハイジのお祖父さんは、若い頃は賭博で先祖伝来の家屋敷を手放したとか、長いこと外国の軍隊で過ごしたとか、噂されています。人を殺したこともある、とも。たぶん、一文無しで故郷を出奔し、傭兵になったのでしょう。昔から、スイスの傭兵は有名ですから。バチカンの番兵は、ミケランジェロがデザインした華麗な制服を着ていますが、かれらも伝統的にスイス傭兵です。お祖父さんはナポリにいたらしい、とありますので、両シチリア王国の傭兵だったのでしょう。イタリア統一戦争で、ガリバルディ軍と戦ったかもしれません。

かつてのスイスは、食料もままならないほど貧しかったのです。それで、若者は外国に出稼ぎに行きました。男の子なら傭兵、女の子なら住み込みのお手伝いさんというわけです。ハイジをフランクフルトに連れていくデーテおばさんがそうでした。

数年前、ネパールに行きました。ここでもやはり、国外に出る若者は少なくありませんでした。グルカ兵と呼ばれる兵士になって国連軍に加わることは、若者の憧れです。それと引き替えに、国は先進国から援助を受けています。国が傭兵ビジネスをしているようなものです。ネパールの女の子も、インドの工場などに出稼ぎに行きます。ちょうど200年前のスイスと同じなのです。

だったら、国の運営のしかた次第で、耕地の少ないネパールも豊かに、つまりアジアのスイスになれるのではないでしょうか。山だって、スイスのアルプスに負けないヒマラヤがあります。よく働く、自然と調和して暮らしている人びとが、せめて水道や電気、基礎的な医療や教育に恵まれるようになるといいと、ネパールの地で願わずにはいられませんでした。

ところで、テレビ欄のハイジに触発されたのは、私もハイジを訳しているからです。ハイジやペーター、お祖父さんやロッテンマイヤーさんの声、そしてナレーションとして読まれる地の文まで、私はアニメの声優さんたちの声を想像しながら訳しました。

ちなみに、高畑勲や宮崎駿が選ぶ少女役の声優は、高度の技術といい、センスといい、いつもすばらしいと思います。子どもは、咽頭と喉頭の二重ボトルネック構造が発達していないので、子ども特有の発声をしますが、それをへたな声優がまねると、いやみなねちゃねちゃ声になってしまうのです。

とにかく、私もとんだハイジ・フリークです。ハイジについては、まだまだ書きたいことはありますが、あきれられると困るので、このへんにしておきます。もうとっくにあきれられていると思いますが。

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「寅さん在日説」の真相

永六輔さんのお話は面白すぎます。わかってはいるものの、まんまとのせられてしまいました。永さんによると、映画「男はつらいよ」の幻の最終回はストーリーが決まっていた、というのです。渥美清さんと山田洋次監督との3人で話し合った、と永さんは言います。それによると、最終回のラストシーン、寅さんは船に乗って「あばよ」と日本海を渡っていく、というのです。

「ええっ、寅さんは在日の人で、ふるさとに帰っていく、ということですか?」
「そうですよ。初期の作品はそれとなくそういうことを匂わしています」
「じゃあ、とらやのおいちゃんは寅さんのお父さんの兄弟ですから、お母さんが在日の方というわけですか? うーん、深いなあ。『国民的』人気者がそういう出自だったとは、うーん」

寅さんは、旅先でさまざまなトラブルを解決します。すると、しばらくの間は寅さん寅さんと慕われますが、結局、どこにも居着くことがない。これは、水戸黄門も同じです。共同体のエネルギーが低下して、自分たちでは問題を解決できなくなった時、どこからかよそ者がやってきてなんとかしてくれる。これは、民俗学の「まれびと」の思想です。まれびとは、共同体が秩序を取り戻すと、体よく送り出されるのが決まりです。寅さんにしろ、黄門さまにしろ、いっときはありがたがられても、まれびとである以上、いつまでも居座られては困るのです。

その、現代における最も偉大なまれびとの生みの母が「日本人」ではなかったとは。なつかしい「日本」の風土や人情を描くこの「国民的」物語は、寅さん=まれびとという、ちいさな共同体にとっての外部の視点から語られる一連のちいさな物語の集成であると同時に、じつはその全体がもう一回りおおきな外部性のまなざしに包まれていた。この想定は、このくにのあり方への強烈な批判になっている、すごい話だ、わたしは数年の間、そう納得していました。

あるところで、山田監督にお会いしました。それで、このことを確かめてみました。

「3人でそういう話、しましたねえ。でも、それは永さんの希望でしょ。僕はこんな最終回を考えていました。寅がおいぼれて、もう恋もできなくなった。憐れんだあるお寺の住職が寺男として置いてやる、寅は箒もって掃除なんかして」
「あら、寅さんが源公になるんですね」
「そう。でも、子どもにはやけに人気があってね、いつも境内でかくれんぼなんかしている。ある時、寅が鬼になって、お寺の縁の下で『もういいかい』『まあだだよ』『もういいかい』……そのうち、『もういいかい』が聞こえなくなったので、見に行くと、(両手で顔を覆って)こうしたまんま死んでいる。お寺は寅地蔵をつくって祀ってやった、そしたら恋に御利益があるってことになるんです」
「寅地蔵、イントロの物語にありましたね、あれですね。でも寅さんでしょう、恋の御利益なさそうだけど」
「死んだらあるんですよ」
「監督の最終回、あったかいですね、やさしいですね」

山田監督の語りは、いかにも楽しそうで、慈愛に溢れていました。でもこれで、寅さん在日説は永さんの秀抜な創作だということが明らかになりました。渥美さんご自身はどんな最終回がいいと思い描いておられたのでしょう。それも知りたいものですが、幻の最終回、寅さんファンがそれぞれに考えて楽しめばいいのかも知れません。

そして、わたしから寅さん在日説を聞かされた方がた、そんなに多くはありませんが、ごめんなさい、あれは忘れてください。
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今夜「インビクタス」試写会トーク イーストウッドは変わったのか

『インビクタス』3きょう、クリント・イーストウッド監督の新作「インビクタス(負けざる者たち)」の試写会で、竹田圭吾ニューズウィーク日本版編集長とトークをします。応募が殺到したので、アワープラネットTVがストリーミングしてくださることになりました。今夜7時からです(アーカイヴでも見られるそうです)。

本番でよけいなことを言わないよう、思うところをここに書いておきます。

イーストウッドの最大のテーマは、圧倒的に強い何かと個人のたたかいです。そんなものとたたかえば、個人は負けるに決まっています。たたかうと言っても、それを変革しようとか、その力の及ばないところに脱出しようとかするのではありません。あくまでも踏みとどまってたたかい、現象的にはボロ負けする。そして、主人公がスクリーンから消え、多くは物語上の死を迎えたあと、残るのは、打ちのめされたわたしたちの、尊厳は守り抜かれたという、畏怖に達するほど深い感銘です。

圧倒的な何かとは、『マディソン郡の橋』ではモラルでした。『ミリオンダラー・ベイビー』では、逆にアモラルでした。『チェンジリング』では、たたかいの相手はロサンゼルス市警だの官僚主義だのといった卑小なものではなく、宿命的な現実そのものでした。それは、ほんとうは映画の終わったところから始まる、悲惨そのもののたたかいでした。

圧倒的に強い何かとは究極的には国家だと、監督は『硫黄島からの手紙』と『父親たちの星条旗』で明らかにしました。『父親たち』の「たたかうのは国のため、でも死ぬのは友のため」というせりふは、『硫黄島』の「テンノウヘイカッ、バンザイッ」と言う渡辺謙の形相とともに、忘れようったって忘れられません。これについて論じ出すと長くなるのでやめますが、つまり、イーストウッドにとって国家は二の次なのです。親密な人間のつながり(友)が、国家の上に来ている。だって、個人にとっては、たたかうことより死ぬことの方が一大事ですから。

そして『グラントリノ』です。今にして思えば、イーストウッドはここで変わった。わたしは、これはダーティーハリーの遺言だと早合点して、滂沱の涙で見終わったのですが、ここには新しいテーマが打ち出されていたことに気づかされます。赦しです。そして、価値の継承者は変わっていくのが当然で、しかしそのいっぽう、価値そのものは変わらず継承されていくという吹っ切れというか、覚悟、信念、あるいは希望です。

赦しは、心を許しあうというもうひとつのゆるしも伴います。融和です。これまでイーストウッドにとって「友」とは、文字通りの戦友や、ともにボクシングのチャンピオンを目指す「戦友」といった、同一コミュニティの思いを同じくする人びとでした。それがここへ来て、「友」とは何者か、イーストウッドの中でその内実が劇的に変わります。

『グラントリノ』では、アメリカ的小市民の世界を根底から否定するかのような、アジア系コミュニティとの融和が描かれました。そのコミュニティに、とくにその次世代に、フォードの元組み立て工である老いたダーティーハリーは「友」を見出し、グラントリノという、みずから手塩にかけた往年の名車、すなわちアメリカ的価値を託すのです(ちょっとネタバレごめんなさい)。

従来のアメリカでも、出自を異にする移民たちが、軋轢を生じさせながらなんとか融和してきたわけで、映画はそのこともみごとなタッチで表現していますが、今やそこにとびきり異質の人びとがすさまじい勢いで流入している。アメリカの白人人口は、すでに50%を割り込もうとしています。そこでの新たな融和を、しかもアメリカの国家としての罪をとことん背負った果ての融和を、『グラントリノ』はひとりのアメリカ市民の、ひとりの人間の救いと重ねて描いています。

『インビクタス』では、ネルソン・マンデラが大統領に就任して日の浅い南アフリカ共和国で、ラグビーを介して黒人と白人が一瞬の融和を経験した、歴史的事実がとりあげられます。国家とは一線を画してきたイーストウッドが、真正面から国家を描き、しかも国家を寿(ことほ)いだのです。『グラントリノ』では、赦しと融和の先に見えていたのは新しいコミュニティでした。もちろん、新しいアメリカ合衆国なのではありましょうが、物語としてはそこまであからさまには言っていません。でも、『インビクタス』はずばり、南アフリカ共和国の建国神話なのです。「どうなってるの、いったい!?」と叫ばずにはいられません。

一般に、国家には建国の物語、もっと言えば建国神話が必要です。イギリスなら名誉革命、フランスならフランス革命、アメリカなら独立戦争というように。なぜなら、国家とはしょせんフィクションなので、国家には、なぜこのフィクションが「わたし」の与件であるのかを、人びとに感情のレベルで納得してもらう必要があるからです(このくににも、それを記紀神話に求める人や、『坂の上の雲』すなわち明治に求める人がいます。どちらも無理筋だと、わたしは思いますけど)。

南アの人びとは、幾世代も幾世代も、この映画を観るのでしょう。観るべきだと思います。なぜなら、現実の南アはいまだ悲惨だからです。経済成長は頓挫し、人権はアパルトヘイト時代さながらにじゅうりんされ続け、社会は荒廃しています。

イーストウッドは、この不幸な国にその輝かしい原点を提示したのだと思います。とは言え、建国神話のきれいごとで、悲惨な現実を糊塗しようというのではありません。そんなことで目くらましできるような柔(やわ)な現実ではありません。「初心はこうだったよね」と人びとの共通の成功体験にくりかえし立ち戻ることで、現実を乗り越えていく勇気をくりかえし取り戻す。この映画は、南アの人びとにとってそういう作品だと思います。これは、南アの苦しむ人びとへの、イーストウッドのおおいなる贈り物だと思います。

それは、アメリカにも言えると思います。アメリカは、初めて黒人系大統領をもちました。オバマ大統領は、「白いアメリカも、黒いアメリカも、ラティーノのアメリカもない、青いアメリカも、赤いアメリカもない、あるのはひとつのアメリカ、わたしたちがアメリカなのだ」と、選挙中くりかえし訴えました。それに先立つこと20年近く、白人も黒人もいる国で初めて黒人として大統領になったマンデラは、ラグビーのワールドカップ大会に臨んで、「ひとつのチーム、ひとつの国」と言いました。この言葉に、経済的凋落に苦しむアメリカの人びとは、政策実現の困難に苦しむオバマの初発のメッセージのこだまを、新鮮な思いで聞くでしょう。ですから『インビクタス』は、アメリカへの贈り物でもあると、わたしは思います。

異文化にぞくする人びとが、同じひとつの共同体に生きる。これは、世界中で進行している事態ですし、今後ますますその傾向は強まるでしょう。日本も、ようやく外国人参政権が話題になっているように、ひとごとではありません。

「対立を超えた融和が実現するかどうかは、君たち一人ひとりにかかっている」、ダーティーハリーはそう言って、にやりと笑います。そして『インビクタス』というおおきな贈り物を、こともなげに投げてくれました。グラントリノのキーをモン族の少年に投げたように。そう、これは南アの、あるいはアメリカの人びとにとどまらない、21世紀に生きるすべての人びとへの、イーストウッド監督の贈り物なのです。

それを、愕然としながら思い知らされたシーンがあります。ここに書くわけにはいきませんが、これは911以後の世界を、なにがあっても融和をめざして生きていかなければならないわたしたちすべてへの、監督の贈り物なのだと気づいてから、わたしは最後まで涙、涙でした。

それにしても、ネルソン・マンデラという不世出の指導者を描くには、国家を抜きにするわけにはいかない、それはわかります。けれど、あれだけ国家権力に対峙してきたイーストウッドが、なぜここまで踏み出して、国家を前提抜きに肯定的に描いたのか。その答はまだ見つかりません。見つかったら、また書きます。
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官邸は依然官僚支配!&コスプレ取材それが何か?

このブログ、深夜0時に更新することにしているのですが、きょうは緊急なので、2本目になる投稿です。


きのう発足した民主党政権、まずはおめでとうございます。

深夜に及んだ新閣僚の会見に、ほんとに政治が変わるんだ、という感慨を覚えました。まず、これまではお定まりだった「図らずも拝命した」「これから勉強して」といったフレーズが皆無だったこと。目を落とすペーパーは、マニフェストを踏まえた鳩山総理の「要望書」だけだったこと。どの新大臣も自分の言葉を緊張感をもって探り、ほぼどの新大臣もそれを自信をこめて発していたこと。どれをとっても新鮮でした。

深夜ということもあって時間がないことから、複数の新閣僚に同じ質問をすることは、冒頭、司会が禁じたにも拘わらず、記者さんたちはきっと切実だったのでしょう、禁を破って何度も質問していました。

「官僚の会見禁止は国民の知る権利をはばむのでは」と。

笑っちゃいました。

これまでは、記者クラブでの官僚のブリーフィングに情報を頼っていたマスメディアが、「国民」を口実に、「これからどう情報を採って記事を書いたらいいか、不安なんです」と告白しているようなものだ、と思ったからです。

それにたいする答えは、仙谷行政刷新担当大臣が、「政治家の頭越しにいろんなことが決定事項として流れることこそが国民無視、政治家は国民の代表なのだから、政府の情報は政治家がコントロールする」と、このとおりではありませんが、こうした趣旨の答弁をしていた、これに尽きると思います。

そのいっぽう、こちら「国民」ががっくりすることも起きていたようです。新政権発足前夜、あるテレビ番組を見てぶっ飛びました。これまで会見をオープンにしてきた民主党、政権を取っても会見はオープンにすると約束してきた民主党が、翌日の内閣記者会見を、これまでどおり記者クラブに限ることにした、というのです。

さっそく、これからは政権批判メディアの雄となるであろう日経が、ネットで書いています。

「鳩山政権早くも公約違反? 隠れた官僚支配の温床壊せず」

これを書いた井上理記者はりっぱだと思います。記者が所属する日経も、もちろん記者クラブのメンバーだからです。わたしがぶっ飛んだテレビ番組も、朝日新聞系列のケーブル局、朝日ニュースターですから、よく報じてくださったと、制作者に敬意を表したいと思います。大手メディアに属するまともなジャーナリストは、ネット配信やケーブルテレビなどの傍系に棲息しているのかもしれません。

その朝日ニュースターの問題の番組、「ニュースの深層 民主党 記者クラブ開放の公約を反故に 神保哲生 x 上杉隆」が、さっそくYouTubeにあがっています。なぜ記者会見をオープンにしないことが問題なのか、このくにの民主主義にとって、そして官僚主導打破をかかげた新政権にとって、ひじょうに重要なことが語られています。6まであって小一時間かかりますが、テレビ番組はすぐに抹消されることがあるので、お時間のある方はぜひお早めにご覧ください。鳩山さんや小沢さんが、力強く政権交代後の会見オープンを約束している生々しい証拠の映像も引用されています。

井上理記者が書いているように、 「就任会見はこれまでとは違って官邸主催になりますので。えっ、雑誌は5人なんですか? 知りませんでした…。一応、従来の党本部での会見のように、雑誌、海外、ネットを入れてくれと要求はしたんですがね…」 (民主党本部報道担当)ということだとしたら、「新政権発足のどたばたで内閣官房報道室への指示が徹底していなかった、すぐに改善を命じる」と言ってください、平野博文官房長官。これは、新しい統治権力の、主権者にたいする正統性の問題です、と大上段に構えて申し上げておきます。


ところで、たくさんの新人議員の中に、職歴が話題になっている方がいます。石川第2区選出の田中美絵子議員。いわく、風俗関連の取材に、みずからコスプレで臨んだとか。映画に出た、それもエロティックな役柄でとか。

映画とは、石井輝男監督の遺作となった「盲獣vs一寸法師」です。石井監督と言えば、成瀬巳喜男の助監督をつとめたこともある映画作家です。たしかな職人的な腕をもついっぽうで、人を不安にさせるどこかいびつな要素をもちこまずにいないという、不可解な側面もあります。「網走番外地」シリーズをヒットさせ、晩年はつげ義春原作作品(「ゲンセンカン主人」「ねじ式」「地獄」)を撮りました。つげに映画化を承諾させた、それだけでわたしにとっては特別な監督です。

また、江戸川乱歩に傾倒し、脂ののりきった40代の「江戸川乱歩全集 恐怖奇形人形」から30余年を経て撮ったのが、この遺作でした。わたしは未見ですが、いいかげんな映画作家があだやおろそかな思いで撮った作品ではない、と考えていいと思います。この間の「新人議員の職歴騒動」で、メディアは作品そのものや監督のことには触れないので、会見問題にくらべたらどうということのないことかもしれませんが、わたしとしては石井輝男のためにここに書いておこうと思いました。

せっかくなので、田中美絵子議員についてもひとこと。

映画出演は、田中議員がライターとしてがんばっていた姿が目にとまった結果でしょう。1975年生まれと言うことは、大学を出た時点で就職大氷河期です。ご自身が、初登院の囲み取材でおっしゃっていたように、大不況の中、若い女性が根性だけを頼りに、がむしゃらにいろんな仕事に挑戦していた、そういうことだと思います。コスプレで突撃取材したというのも、あっぱれではありませんか。

若く元気な田中議員が、これまでどおりの馬力を発揮して、政治家としてたくましく育っていくことを、がんばった20代を封印するのではなく、むしろけっして忘れないで政治にあたってくださることを、心から期待しています。

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祝 根岸吉太郎監督 モントリオール映画祭最優秀監督賞受賞

浅草寺の境内を五重塔のわきから外に出ると目と鼻の先、商店街の角に木馬館というちいさな劇場があります。いまは大衆劇団が月替わりで公演していますが、その前は浪曲専門館でした。

そのころ、ロビーの二階の、看板などをしまっておく細長い空間に、若い絵描きが住みついて、目つきの怖い招き猫の絵ばかり描いていました。絵はまるで売れませんでした。家賃ただでそこに置いてもらう代わりに、ふだんかれは劇場で「おせんにピーナツはいかがっすかぁ!」と声を張りあげていました。

劇場を仕切っていたのはにこやかで風格のある老婦人で、わたしたちは「木馬館のお母さん」とお呼びしていました。わたしはお母さんの昔語りを聞くのが好きでした。

お母さんのおつれあいの家は、かつては浅草六区のほとんどの劇場をもっていて、オペラや封切りの活動写真をかけてたいへんな勢いだったこと、夫となる人は駕籠で小学校に通ったこと、当主は洋行すると、当時は高価で入手も困難だったオペラのレコードをたくさん買い込んで、芸人たちに「勉強しろ」と惜しげもなく配ったこと、それもこれも、関東大震災までだった、すべては松竹のものになり、この木馬館と木馬亭だけが残った……。

浅草オペラ興行主の家の栄枯盛衰を、お母さんは淡々と語ってくれました。ビセーやヴェルディといったヨーロッパのオペラを、当時の働く若い人びとになじみやすく翻案した浅草オペラは、大正期のいっときの好況を背景に、いっきに花開いた大衆文化の花でした。

「ベアトリ姐ちゃん まだねんねかい
鼻からチョーチンを出して
ねぼすけ姐ちゃん 何を言っているんだい
ムニャムニャ寝言なんかいって
歌はトチチリチン トチチリチンツン
歌はトチチリチン トチチリチンツン
歌はペロペロペン 歌はペロペロペン
さあ 早く起きろよ」

これが、去年ウィーン・フォルクス・オーパが来日上演した豪華絢爛の「ボッカチオ」のなかの歌とは。「ベアトリーチェ」という、ダンテの「神曲」にも出てくる由緒ある名前を「ベアトリ姐ちゃん」と聞きなす、つまり「耳翻訳」するとは。当時の大衆文化の健啖ぶりには、驚くばかりです。なにしろあの「カルメン」序曲も、熱烈なオペラファンであるペラゴロにかかると、「チャンチャラオカシヤ チャンチャラオカシヤ チャンチャラオカシヤ エッヘッヘ」ですから。

「ベアトリ姐ちゃん」を歌ったなかに、榎本健一がいました。のちの天才も、興行主から舶来のレコードをもらい、その歌唱法を学んだことでしょう。それは、せりふがなだらかに歌になり、音程もあまりうるさいことを言わない、なんとも味のある歌い方です。森繁久弥の「俺は河原の枯れすすき」と言えば、わかっていただけるでしょうか。あるいは坂上二郎の懐メロとか……若い方にはむりでしょうか。この芝居歌(しばいうた)歌唱は、ウィーンの場末に生まれたウィーン大衆劇のものです。

ウィーン大衆劇は、さかのぼるとシカネーダという18世紀末の座長兼作者兼看板役者に行き着きます。戦後、浅草でデン助劇場を主催していた大宮俊充(デン助)のようなものです……って、また若い方にはわけのわからないたとえですが、メリヤスシャツに腹巻き、髭の禿オヤジというデン助の風体(ふうてい)は、加藤茶やビートたけしに受け継がれています……って、しつこいですね。

シカネーダ劇団の最大のあたり狂言は「魔笛」、そう、作曲はあのモーツァルトでした。シカネーダはその中で鳥刺しパパゲーノを演じました。夜の女王などは超絶技巧の歌唱を要求されるのに、パパゲーノの歌は1番、2番と同じメロディを繰り返す、超やさしい歌です。これを、シカネーダはコミカルな芝居歌歌唱でうたいました。ですから、パパゲーノを「ああ堂々の」という感じで正調オペラとしてうたう歌手は、わたし個人としてはあまりいただけません。クラシック歌手のこだわりはちょっと脇に置いて、軽妙洒脱に演じていただきたい。なにしろデン助ですから……すみません、もうやめます。

つまり、浅草オペラはモーツァルトにつながっているのです。あの世に行ったらオペラをプロデュースして、病気で脚を切断する前の天才エノケンが歌い演じるパパゲーノを見てみたい。ついでに言うと、坂上二郎はかつて二期会のオペレッタ「こうもり」に、看守の役でよく出ていました。あの一幕はウィーン大衆劇そのものなので、浅草軽演劇育ちの坂上二郎が演じるのは、歴史的に正統なのです……ぜんぜんやめていませんね、すみません。

浅草オペラ華やかなりしころ、木馬座のお母さんのおつれあい、根岸興行部三代目の根岸吉之助が、オペラ興行を一手に取り仕切っていたのでした。その息子が根岸吉太郎監督。監督には、芸人を仕切る血が脈々と流れているのだと思います。そして、かつては映画と言えば浅草六区だったのですから、監督は生まれながらに映画と縁が深い。

根岸吉太郎監督、「ヴィヨンの妻/桜桃とタンポポ」モントリオール映画祭最優秀監督賞受賞、遅ればせながら、心からおめでとうございます。

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”忠犬”HACHIの異見

旧のお盆ということでこの世に戻ってまいりましたら、わたくし、HACHIと表記されていました。飼い主はパーカー教授、待っているのはベッドリッジというアメリカ東海岸の郊外の駅。なんともバタ臭いですな。

はい、新しいアメリカ映画の話です。東京地方では、わたくしの名前にちなんで8月8日に封切られました。

その解説によると、わたくしは「明日すらも見えない不安に満ちたこの世界に生きる」人間のみなさまに、「今まさに見失いかけている大切なこと」、つまり「見返りも報酬も求めない、無償の愛と信頼の美しさと温かさ」を教えているのだそうです。

なんともたいそうな美辞麗句のオンパレード、恐れ入ります。しっぽを巻いて退散したくなります。

今も昔も、みなさま人間はわたくしども犬に過大な思い入れをなさるようです。不肖わたくしなんぞ、生前から「忠犬」の呼び声も高く、死後2年もたたないうちに教科書に載ったほどです。はい、「恩ヲ忘レルナ」というタイトルで、尋常小学校2年生の教科書に載りました。

わたくしがそのようなおもてなしを受けたのは、言うまでもなく、飼い主の上野先生が急逝されてからも、毎日、渋谷駅頭でお帰りを待ったとされているからです。

でも、わたくしはいやしくも秋田犬です(あ、「あきたいぬ」と読んでください)。秋田犬はかしこいのです。飼い主が亡くなったことぐらいわかります。馬鹿にしないでいただきたい。犬です、わたくしは。

夕方、渋谷駅に通ったのは、亡きご主人を迎えに行ったのではありません。駅前に焼鳥屋がありまして、そこで一杯やっている勤め帰りの人たちが、焼き鳥を投げてくれたからです。

上野先生の奥さまは、じつは犬が嫌いでした。先生が亡くなった後、食べ物もあまりくれませんでした。わたくしはあちこちのお宅をたらい回しされ、最後に置いてくれたお宅が、渋谷駅のそばだったのです。当時の犬は放し飼い、町をうろついていました。

駅前でも、最初のうちは邪険にされました。それを哀れんだ日本犬研究家の先生が、「いとしや老犬物語」というエッセイを新聞に書いてくださり、それからわたくしに投げかけられるみなさまの目が変わった、焼き鳥も投げてくださるようになった、というわけです。

みなさま人間は、いつの世にもメディアの煽りにはお弱いですな。それも、犬など動物を押し立てたキャンペーンにはころりとやられてしまう。そんな人間のみなさま、もちろん好きですよ、わたくしは。

新聞に載ったのは、1932年のことでした。満州国ができ、5・15事件が起こり、なにやらきな臭い空気が未来の方向から漂ってきていました。

そんななか、わたくしは主人の恩を忘れない忠犬として、渋谷の駅前に銅像も建てられました。除幕式にはわたくしも参列しました。そのときの心境ですか? いやあ、こそばゆいのなんの。それは、同じく参列なさった上野先生の奥さまも同様だったのではないでしょうか。犬として、ひたすら生きていこうとしただけのわたくしと、おつれあいが亡くなってからはわたくしをほったらかしにした奥さま。

そうは言っても、奥さまを責める気にはなれません。犬が苦手な方はいますからね。犬は、なかでもかしこい秋田犬は、そういう人間のみなさまをちゃんと理解しております。理解しなければ、犬は生きていけません。

像の左耳が垂れ下がり気味なのは、寄る年波のせいです。こういうのは、僭越ながら悪ノリアリズムと申し上げたい。ふるさと大館のわたくしの像では、本来どおり両耳ともぴんと立っていて、プライドの高いわたくしども秋田犬にたいする大館のみなさまのご理解に深く感じ入る次第です。

それはともかく、続く時代にわたくしが演じた役回りには、複雑な思いがいたします。忠君愛国、天皇のご恩には一死をもって報いよ。犬に負けるな。ハチ公に続け。いやはや、なんともすさまじい。わたくしはただおなかをすかせていて、焼き鳥がほしかっただけなのに。わたくしの死因は、はらわたにくしが刺さったことだったというのに。

ですから、映画の惹句には鼻白みますが、それでも「忠君愛国」よりはよっぽどましです。この映画が封切られたのが夏、あの戦争に命を落とした人びとに思いを致す季節であることも、なにかのご縁でしょう。

わたくしの周りは、きょうも待ち合わせの若い人びとでごった返しています。もちろん恋人たちもたくさんいます。いい時代になったものです。いまやわたくし、忠犬ならぬチュー犬、なんちゃってね。失礼いたしました。

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「引き返す道はもうないのだから」表紙180


「引き返す道は

 もうないのだから」
(かもがわ出版)

・このブログから抜粋して、信濃毎日新聞に連載したものなども少し加え、一冊の本にまとめました。(経緯はこちらに書きました。)
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