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NHK「死刑執行 法務大臣の苦悩」 ダメな人

ネガティヴなことを書くのは気が重いものです。だったら、書かなければいい。ここは、書きたいことを書きたい時に、書きたいだけ書くブログです。でも、それとは別の機微があります。自分にたいして自分が課した義務のようなものでしょうか。誰ひとり読まなくても、私が言葉でしてきたことの落とし前は言葉でつけなくてはいけない、という思いです。まあ、勝手な思いこみとどのくらい違うのか、客観的には測れません。

去年の7月30日と8月2日、千葉元法相のもとでおこなわれた2件の死刑について書きました(「法相が見るための死刑執行」
こちらと「死刑のことまだ考えています」こちら)。そして今月に入って、NHKのETV特集「死刑執行 法務大臣の苦悩」(放送は2月27日)を録画で見ました。ブログに書いたからには見なければ、見たからには書かなければ、というのが私の思考の筋道なのですが、そこで頓挫してしまいました。

番組を見た結果、去年の2本のエントリに付け加えるべき、あるいは訂正すべきことは、基本的にはありませんでした。でも、より具体的なディテイルは確認できました。それを書くのが、気が重いのです。

問題は2点だと思います。

1点目は、やはり官僚組織が大臣の言うことを聞かなかったということです。死刑執行の直後の、保坂展人さん情報のとおりでした。死刑を見学して、それをうけて死刑についての勉強会をもうけるなんて、と私は書きました。就任すぐに立ち上げるべきだったと。千葉サンの述懐によれば、法務官僚がまったく動かなかったのだそうです。あるいは、千葉サンでは動かすことができなかった。刑場公開も勉強会設置も、ぎりぎりの攻防の末実現したもののようです。その道筋で、死刑執行命令は避けて通れなかったらしい。2人の執行は、一省庁内部の政官のかけひき材料にされたとの印象を拭うことができません。

2点目は、法務大臣の資質の問題です。就任を打診されて、千葉サンはそれが死刑執行命令を出す職務をともなうということを重く受け止めなかった、死刑はいろいろあるひとつだと思った、就任せずという選択肢はのっけからなかった、と証言しました。大臣ポストに飛びついたのです。それが死刑廃止論者のすることか、と私は思います。

番組は歴代の法相のコメントもとっていました(鳩山ベルトコンベアー大臣は出てきませんでした)。1993年、死刑反対議連の代表をつとめていた二見伸明衆議院議員(当時)は、三ヶ月章大臣(当時)に死刑執行しないよう申し入れに行ったら、大臣が、「死刑執行命令にサインするポストに就くのだということを3日3晩考えた、判を捺せると決断できたから法相のポストを受けた」と言ってわっと泣き伏した、というエピソードを、まるできのうのことのように驚きを込めて語っていました(二見さん、去年10月29日のエントリ「政権はちゃんとしてほしい 事業仕分けと小沢デモ」(
こちら)でとりあげた小沢さん支持デモに参加しておられました。拙ブログに貼った映像でも、はつらつとコメントしていらっしゃいます)。元法相のなかには、官僚からの圧力など感じなかった、とおっしゃる方もいました。信念だからサインしなかった、といともあっさり言い放つ方も。中には、「仕事だから淡々と割り切って進めるしかない」とおっしゃる方もいて、私はとっさにアイヒマン、ナチスの絶滅収容所を仕事として取り仕切ったナチスの高官を思い浮かべました。

千葉サンはどうだったか。死刑執行命令にサインしないことで、死刑反対を主張してきた過去の自分と「自己矛盾しないだけでいいのか」と、考えたそうです。この言葉には、自己矛盾しないというのは自分個人に拘泥した自己満足だ、それでいいのか、というレトリックが透けて見えます。清濁併せのむおとなの政治家としてのあり方がある、という通念に逃げ込みたい言い訳が見え見えです。でも、現行制度を変えていきたいから、私たちはそれをすると約束した政治家を選ぶのです。法律と現行制度に忠実に、それまでどおりのことをするのが官僚の責務で、官僚にはそうしてもらわなければ困ります。そして、それを改める必要が出てきたと考える人が、政治家になるのです。政治家が選ばれたとたん、ポストに就いたとたん、それまでの主張をひっこめて現行制度に自分をあわせたのでは、私たちはなんのために政治家を、政権を選んでいるのか、わけがわかりません。政治家がその信念において自己矛盾しないことは、私たち主権者への厳粛な契約です。政治家に信念を貫く気がないのなら、政治家はいりません。国政は官僚に任せておけばいい。

千葉サンは、死刑執行命令に「サインすることで自分の中で次の重たいものをスタート」させた、と言います。それこそ、自分個人に拘泥したせりふではありませんか。しかも、直近の選挙で落選した千葉サンには、サインした時、政治家としての先は早晩なくなることになっていたのです。公人ではなくなる千葉サン個人の中で「次の重たいもの」がスタートしようがしまいが、それが国政を、社会を動かすまでの道のりははるかに迂遠なものになっていました。

番組の最後のほうで、千葉サンが見届けた元死刑囚のひとりが書いた手紙が紹介されました。自分は死刑になることと引き替えに、悔悟も懺悔もしなくていい立場に立ったのだとする、死刑という刑罰への根源的な問いを含んだ絶望の手紙です。かれなりの最後の思考をふりしぼった、みずからの尊厳を守ろうとする叫びです。それに目を落としていた千葉サンが言ったただ一言、「よく書けてますね」。

できればこういうことを言いたくはありませんが、とことんダメな人を目の当たりにした思いです。

もう一度、録画を見てから書こうとしましたが、きょうもとちゅうで気力が萎えてしまいました。たくさんメモもとりましたが、それも生かさずじまいです。雑ぱくですみません。願わくば、若き日に二見さんといっしょに三ヶ月法相(当時)と面談した江田五月法務大臣、死刑について、こんどこそ広く議論を起こしてください。江田さんの明るさ、明晰さ、誠実さに期待しています。
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言説の贈与経済システム 

「ブログ、よくそんなに書きますね」と言われることがあります。そんなにとは頻度のことか、分量のことか、あるいは両方か、よくわかりませんが、「時間をかけていないので、長くなってしまうのです」とお答えすることもあります。じっくり時間をかけさえすれば、もっと簡潔な文章だって書けるんです、という負け惜しみです。

朝、筆慣らしならぬ指慣らしにざっと書き、午前零時に更新する前に見直す、というのが標準的なスタイルです。ブログを始めたきっかけや動機はいくつかありますが、書きたいことを書きたい時に字数制限なしに書きたいだけ書けばいいブログ、すぐに病みつきになりました。

依頼原稿なら、それらすべてに条件がついていますが、その穴埋めになにがしかの金銭的見返りがあります。たくさんの方が手にする媒体に文章が載ることで、たくさんの方に読んでいただけるかも知れない、という思いもくすぐられます。こんな媒体に載った、という見栄の満足もあります。ネットに書くことは、そうしたいっさいと無縁です。ではなぜ書くのかというと、これは私に限ったことではないと思うのですが、表出や伝達の欲求もさることながら、誰に向かってともなくなにかを贈りたい、という不可解でやみくもな欲望がおおきいと思います。

文化人類学が発見した経済システムに、贈与経済というのがあります。トロブリアンド諸島のクラ、北米のポトラッチなどがよく知られていますが、これは、物と物あるいは物と貨幣を等価交換するのではなく、とにかく贈り物をすることが先です。贈り物をすればするほど、その人には社会的な名声や、万が一の時の助けが期待できるという、ネットワーク構築と富の再分配機能を兼ねたシステムです。

誰に頼まれたわけでもなく、ネットに膨大なアーカイヴを構築する個人や私的グループ、私のようなおびただしいブロガー、そしてメーリングリストに惜しげもなく情報や解説を提供する人びとは、贈与経済のエートスにしたがっていると言えます。もとよりネットには、オープンソース、フリーソフトウエア、また多くの人びとが知見を寄せることでなりたつウィキペディアのような事典など、贈与経済的なソフトウエアやコンテンツに支えられるという側面があって、私たちはその恩恵に浴しています。サイバースペースは贈与経済と相性がいい、あるいはサイバースペースは私たちの古層にまどろんでいた贈与経済的資質を目覚めさせたのかも知れません。そして、スイッチの入った贈与経済的エートスが、ウィキリークスに代表されるような、新しい、ワールドワイドな公共空間をひらいているのが、今この時なのかも知れません。

ネット空間に情報を提供する見返りは情報です。情報は、出せば出すほど集まるのです。情報贈与経済と名付けたいような現象です。これまで情報提供を担ってきたマスメディアと言えば、テレビやラジオやフリーペーパーのような広告収入に拠るもの以外は購読、購(あがな)って読む新聞や雑誌や書籍でした。ネットという無料の情報提供者の出現に、当然のことながら、とくに新聞雑誌は困っているでしょう。そのあり方の再考を余儀なくされています。今やすべての新聞が、痛し痒しでしょうが、ウェブ版をもち、そのコンテンツの充実を競っています。きっと、有料化への模索という意味もあるのでしょう。すでに一部有料のウェブ版新聞もあります。

「WEBRONZA(ウェブロンザ)は朝日新聞の新しい解説・言論サイトです」、こんなふれこみで始まったサイトが、有料の母屋の手前に、「Bloggers Today」という無料の、いわばテラスのような張り出しを設け、そこにさまざまなブログから記事を選んで載せる、という試みを始めました。私のところにも、ときどき引用してもいいか、という問い合わせが来ました。こちらは、もとより頼まれもしないのに発信しているのですから、どうぞご自由にお使いください、とお返事しました。原稿料が発生しない以上、いつなにをどのくらい書くかの自由はそのままだからです。それでも、見栄っ張りの性格なので、WEBRONZAに引用してもらおうという下心が働いてブログが変質していく、という危険性がないとは言えません。そのへんだけ気をつければ、私の側に問題はありません。これからも、WEBRONZAの編集者があきれるような、箸にも棒にもかからない記事もたくさん書いていこうと思います。

WEBRONZAのサイトは
こちらです。そして、拙ブログからの初エントリーは「禁句3連発のネットの菅サン、資源エネルギー庁前長官を東京電力に天下りさせるとは!」(1月13日)でした(こちら)。

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断腸の「北方領土」

2日続けて、このくにの領土問題の裏にはアメリカの戦略があったことを書いたのは、ある雑誌のコラム原稿を書くためのいわば助走でした。いただいたお題は「私のさようなら」。今はやりの断捨離にあやかってのことでしょう、身の回りのものでも社会制度や因習でも、「捨ててしまいたいけど、なかなか捨てられない……それと『さようなら』することで、どんな明日を描くことができるのでしょうか」と、依頼文にはありました。私がとっさに思い描いたのは、アメリカという理不尽な親分とおさらばしたい、ということでした。それで、たとえばということで、領土問題という切り口から考えてみたのでした。

そうしたら、驚きました。なんという偶然。夜、何気なくつけたテレビで、「北海道 朝まで生討論 激論どうなる北方領土 返還交渉の課題と行方」という番組をやっていたのです。BSの朝日ニュースターです。司会は、本家「朝生」と同じ、田原総一郎さん。ブログを書きながら気になっていた元外交官の東郷和彦さんも、本家の常連、山口二郎北大教授や森本敏さんも出ておられました。北海道で先月放送されたものの再放送のようでした。

3時間、しっかり見ていたわけではないので雑ぱくな印象ですが、このくにの対ソ連・ロシア外交は何度も好機をつかみそこなった、ということのようです。とくに、冷戦が終わった時、ドイツは時宜を逸することなく統一を果たしたのに、日本はなにもできなかった、と。このくにの外交が失敗するパターンとして、「蒋介石を相手にせず」のように、先方が交渉に応じようとするととたんに強気になって元も子もなくす、という話には考えさせられました。

出席者の中に、「軍隊がないから強気の交渉ができないのだ」と言う人がいて、あきれると同時に、それは外交力のなさの言い訳だ、と思いました。こと領土問題にかんしては、世界は武力で解決することの愚を両次の大戦で学んだはずです。だから、国連憲章にそうした条文があるのだし、中露も国境問題を結局は話し合いで解決するという、賢明な道を選んだのです。それも遠い過去になった今この時、武力で領土問題を解決する用意のなさをあげつらうなんて、歴史認識とセンスを思いっきり疑いました。

日本がとたんに強硬姿勢になる、ということに関連して、とても共感した発言がありました。どなただったか忘れましたが、こうおっしゃったのです。

「外交とはかっこ悪いものだ」

威勢のいいことを外交問題、とくに領土問題で言い散らすのは、内向きの大向こう狙い、つまりはポピュリズムであって、その典型が、「ソ連は『北方領土』を不法占拠している」と言った麻生首相と前原外相です。とくに後者の発言で、ロシアは日本との交渉を最終的に見限った、というのが東郷さんの分析です。そうだとすると、勇ましいことを言う人も、それを聞いて溜飲を下げる人も、じつはもっとも国益を損ねていることになります。

外交的勝利とは、ときに譲歩しすぎのように見えるみじめな勝利なのだ、ということを肝に銘じておかなければ、日露戦争の賠償条件に民衆が不満を爆発させた日比谷焼き討ち事件の轍を踏みかねません。日露戦争は、日本が国内向けに勝ったと言っただけで、いいところで切り上げて講和にもっていった政治手腕こそが評価されるべきなのです。なのに、「勝った」と思い込まされた人びとが、勝利したのに賠償金がない、弱腰だ、なめられている、と騒いだわけです。けれど、このくにのわたしたちは、「北方領土」問題にしても北朝鮮による拉致問題にしても、すでに性懲りもなくポーツマス条約時の二の舞三の舞を、繰り返しているのかも知れません。

外交問題は内政問題だ、と言われます。だとすると、交渉相手が国内でぎりぎりの支持を得られるような落としどころを互いに捜すのが外交交渉の要諦ということになります。暗礁に乗り上げた対ロシア外交を打開するには、相手が乗れる大きな物語を提示することがたいせつだ、というどなたかの発言に、なるほど、と思いました。大きな物語とは、たとえば「この地域に法と正義を実現させる」とか、「戦後処理をする」とか、「アジアの未来をともに描く」という、一段上のレベルで双方が共有できる理念のことだと理解しました。そうした、未来へ向けた理念を共有したうえで、では個別の問題をどう処理すればいいかを考えるのが、外務官僚や政治家の役割なのだと思います。「不法占拠、断乎四島返還だ」とぶち上げれば快感かもしれませんが、それは一瞬のことであり、事態をますます悪化させることにしかなりません。

ご高齢の元島民の方が、「現島民はわたしたちの言葉を受け入れてくれる、いかに現島民となかよくしていくかだ」とおっしゃっていたのが印象的でした。メンツにこだわらず、とにかくあの海域で安心して漁ができ、昆布がとれればいい、そのためには、貝殻島や水晶島といった、歯舞の近くのちいさな無人島を返してもらうのも手ではないか、どっちが主権者かなど言ってないで経済支援を進めることが重要だ、という発言にも共感しました。

意外だったのは、自民党の町村信孝元外務大臣が、「元来、四島一括返還を言う人は、党にも外務省にもいない」というようなことをおっしゃったことです。奇異なことに、国後択捉を放棄したサンフランシスコ条約には、どなたも触れませんでした。「ダレスの恫喝」にも。山口さんが、そういう研究がある、と一言触れただけでした。なにか不自然な縛りを感じたのは、私の考え方が偏頗だからでしょうか。

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小沢一郎さん、記念すべき会見でイラク戦争検証について(も)語る

きょうも、ネットが私たちに開く可能性についてです。

民主党は、政権をとったら記者会見を記者クラブメディア以外にも開く、と言っていたのに、いまだ一部にとどまり、進展ははかばかしくないようです。それに業を煮やしたフリージャーナリストやネット系メディアが、マスメディアに独占されてきた記者クラブに対抗するかたちで、「フリーランス・雑誌・ネットメディア有志の会」をたちあげました。その記念すべき第1回の会見がおととい開かれ、ニコニコ動画などで中継されました。国会が長引き、登壇者の到着が遅れたので、会見は放送開始から30分ほどたって始まりました。

登場したのは、小沢一郎さん。この旗揚げにふさわしい話題の大物です。司会は上杉隆さん。質問者も、ネットでおなじみの方がたでした。のっけに岩上安身さんが、ウィキリークス情報について質問しました(このブログの記事は
こちら)。「キャンベルはあの前日、小沢さんと会ったが、なにを話したのか」小沢さんは、話の中身についてははくらかしましたが、「相当きついことを言ったので、向こうは驚いていたかも」というようなことをおっしゃっていました。

放送開始から1時間12分ほどのところで、神保哲生さんが、イラク戦争検証について質問しました。イギリスはやっているのに、日本はやらないのか、と。それへの小沢さんの答え、私はうれしかった。小沢さんはこう言ったのです。かつて、与党幹部として湾岸戦争に協力することに腐心したことへのひそかな反省に立ってのことだったら、もっとうれしい。書き起こしはこちらのサイトによります。

「英国は民主主義の最も先進国といわれ、それが定着している国でもある。色んな問題でそのような検証作業が行われているのではないかと思う。日本の場合では、私は(イラク戦争は)参加すべきではないと思う。国連の活動ではないので、参加は憲法上許されないと思っている。その趣旨で発言してきた。イラク戦争そのものの善し悪しの検討、それと同時に日本の在り方としての、考え方としての、両面があると思う。たとえ、イラク戦争で大量破壊兵器が現実に見つかって、アメリカの言う通りであっても、国際社会の合意を得ないものに、日本が軍事力を提供するというのは、憲法に違反している、という考え方だ。両面あるが、日本にとってはその1点だけの検証でいいと思う。僕一人ではそういうことだが、党なら党、政府なら政府の中で、きちっとした考え方を取りまとめる作業が必要だと思う。」

久々に、筋の通った政治家の言葉を聞いたと思いました。もう一度引用します。「たとえ、イラク戦争で大量破壊兵器が現実に見つかって、アメリカの言う通りであっても、国際社会の合意を得ないものに、日本が軍事力を提供するというのは、憲法に違反している。」キャー、しびれます。けれど後半、ちょっと考えながら、小沢さんはこうも言ったのです。「党なら党、政府なら政府の中で、きちっとした考え方を取りまとめる」。あれ、ちゃんとわかっていらっしゃるのかなあ、小沢さん。検証委員会についてどう考えるかを取りまとめる場なら、政府あるいは党でしょう。が、なにを検証すべきか、どう検証すべきかといった委員会の活動自体は、政府から独立したものでなければ、その検証結果は正統性も説得性も得られないのです。たとえばアメリカの911、政府の公式調査報告書は出ましたが、その内容を吟味する以前に、委員会にブッシュに近い人が入っているので信用できない、とする意見がいまだくすぶっているのです。そうした懸念を払拭するような「検証委員会」でなくてはなりません。ですから、政府はもちろんのこと、党なんてどこの党だろうが、その活動への関与を疑われてはまずいのです。小沢さんは、独立した検証委員会については考えたことがなかったように見えました。こんどどなたか、小沢さんに説明してくださるといいのに。イギリスのチルコット委員会を調査に行った斉藤毅議員あたりが適任でしょうか。

動画は
こちらから見ることができます。会見場の雰囲気がとってもいい。政局話は皆無で、政策や政治そのものが終始、話題になっていました。くれぐれも、30分ほど経過したところから見てください。冒頭は上杉さんが必死に「前座」をつとめているだけです。菅首相のネット放送登場のときには、まったく視聴者数があがらなかったのに(本ブログの記事はこちら)、こちらは軽く6万を超えました。小沢さんは、よほどネットユーザーと相性がいいと見ました。

以下は、このくにでのイラク戦争検証についてのお知らせです。

<転送歓迎>
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  イラク戦争なんだったの!? 〜日本での検証実現にむけて〜
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 昨年、オランダでは「イラク戦争は違法」「戦争支持の政府判断は誤り」という結論が独立検証委員会により下され、イギリスでのイラク戦争の検証も、ブレア元首相が再び公聴会へ呼び出されるなど、大詰めを迎えています。日本においても、昨年末にイラク戦争検証を求める超党派の議員連盟が発足、この2月中にも政府へ提案すべく動き始めています。
 日本でのイラク戦争の検証はどうあるべきか。検証によって日本の政治・社会のあり方はどう変容していくのか。平和運動、人道支援活動、ジャーナリズム、外交などの分野の識者が、会場からの意見も交えたディスカッションを通じ、その道筋を明らかにしていきます。
 さらに、本シンポジウムでイラク戦争検証を求めるネットワークとしての、具体案を発表。市民からの政策提言を行います。
 日本の歴史を変えていく試みに、是非ご参加下さい。

フライヤーPDF↓
http://iraqwar-inquiry.net/files/iraq_20110211.pdf
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◆検証の実現にむけて我々がなすべきこと
 池住義憲さん(イラク派兵差止訴訟原告)
◆イラク戦争検証で問う日米同盟
 孫崎亨さん(元外交官)
◆日本の政治に根付かせるべき“検証する文化”
 松本一弥さん(朝日新聞記者)
◆コーディネーター
 谷山博史さん(日本国際ボランティアセンター)

日時:2011年2月11日(金)18:00〜20:30(開場17:30)
資料代:500円
会場:JICA地球ひろば講堂
      東京都渋谷区広尾4-2-24
   東京メトロ日比谷線 広尾駅下車(3番出口)徒歩1分
   http://www.jica.go.jp/hiroba/about/map.html
主催:イラク戦争の検証を求めるネットワーク
   E-mail:office@iraqwar-inquiry.net
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高江スラップ裁判とメディアと烏賀陽さん そして私もツイッター

おととい、東村高江のことを書きました(こちら)。きのうは裁判がある、とも。公判日も、と言うか、公判日だからこそ、と言うか、住民のみなさんが那覇に出払っている隙を狙うかのように、きのうも工事はおこなわれました。そのようすは、ブログ「やんばる東村 高江の現状」さんが、なまなましく伝えてくださっています(こちら)。

おとといご紹介した動画で高江ヘリパッド問題を解説してくださっている写真家の森住卓さんが、沖縄から情報をくださいました。

「QAB琉球朝日放送は、夕方のニュースの冒頭でこの問題を取り上げ、この裁判はスラップ裁判と言って、権力を持った者が住民や弱者を訴え、萎縮させるものだ。表現の自由など民主主義的権利を蹂躙するものだと解説した部分がこの後の時間の放送でカットされています。その部分は以下で
http://www.qab.co.jp/news/2011012625142.htmlご覧いただけます。終わり方がとても不自然です。」(森住卓さん)

ブログ「辺野古浜通信」さんも、QABのニュースについて触れています。高江の現場と裁判所、両方を取材したのはQABだけだったこと、スラップ裁判とは何か、きちんと伝えてくれたことに、「辺野古浜通信」さんは感謝なさっています(
こちら。きのうの記事もお読みください。辺野古の浜に米軍の水陸両用戦車が14台もびっしりと集結している写真に震え上がりました。こちらです)。けれど、QABのサイトで見ることのできるニュースでは、スラップ裁判の解説がカットされていると、「辺野古浜通信」さんは残念そうに書いています。

情報は錯綜しています。夕方のニュースだけでなく、夜のニュースでもスラップ裁判の解説はあり、サイトのみでカットされているのか、それとも夜のニュースでも解説は流されなかったのか。いずれにしても、QABの現場と編成部(?)のあいだになにかあったことはたしかのようです。「辺野古浜通信」さんが呼びかけているように、取材と報道ありがとうの声をQABに届けることがたいせつだと思いました。「なんでカットした」と抗議するより、「解説ありがとう」と感謝するほうがたいせつだと、私は思います。それは現場で取材し、ニュースをつくった人びとを応援することになるからです。

以下は余談というには重要な付け足りです。

ジャーナリストの烏賀陽弘道(うがやひろみち)さんがツイッターに、私のブログについて、「
SLAPPという言葉がこうやって他者から聞こえるだけでもすごい!」と書いていらっしゃいます。烏賀陽さんは、スラップ裁判でたいへん苦労なさった方です。雑誌の取材に応じてコメントしたら、コメントされたオリコンから5000万円の賠償金を払え、とめちゃくちゃな訴えをされたのです(烏賀陽・オリコン裁判)。雑誌社ではなく、烏賀陽さん個人だけ。しかも、烏賀陽さんのコメントとされたものは、雑誌社の「創作」だった。雑誌社も烏賀陽さん側に立ち、和解というかたちではありましたが、烏賀陽さんの勝利で裁判は決着しました。けれど、こんな裁判を起こされたら、個人はたまったものではありません。個人の口封じと疲弊、そして社会的信用失墜をねらった、とても悪質なものだと思います。それが今回、高江の人びとに襲いかかっているわけです。

当時、烏賀陽さんは、メディアがどこもきちんと取り上げてくれないので、機材を買い込み、youtubeでご自分の主張を伝えました。それも2007年当時は新鮮でした。私はそれを見て、スラップ裁判というものを知りました。
烏賀陽さんはネットメディアを使ってたたかったわけですが、ネットは私たちにいろんな可能性を開いてくれます。こうして、烏賀陽さんが感慨をもらしていらっしゃることを知ることができたのも、ネットのおかげ、ツイッターのおかげです。

きょうは長野の飯田風越高校にお話に行ったのですが、ゆうべ、そこの生徒さんがツイッターで、私が行くことをつぶやいていました。そんなこともあって、じつはさきほど、ツイッターに登録しました(こちら)。当面はブログ更新のお知らせだけになると思いますが、そのうちつぶやくかもしれません。講演への質問に答えるとかも、できればいいのですが、どうなりますか。


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鳩山降ろしは米の差し金(さしがね)〜ウィキリークスは「やっぱりねジャーナリズム」

東京新聞は、午後に菅外交演説(ブログ記事はこちら)が行われることになっていた今月20日、朝刊の「こちら特報部」に、菅政権はアメリカが望んだのか、という大きな記事を載せました。したがって、東新読者にとって菅サンのアメリカべったりの一語一句は、ひとしお味わい深いものだったわけです。

東新が依拠したのは、ウィキリークス(WL)です。その情報は、去年11月29日に英紙ガーディアンに報じられました(
こちら)。それをブログ「ウィキリークス・ウォッチ・ジャパン」さんが訳したのが12月13日(こちら)。私はそれを読んでいたので、東新こち特1月20日付は、菅外交演説のこの日に狙い定めて出したな、と即座に勘ぐった次第です(東新さん、その前に他紙が報じてしまい、せっかくの記事が二番煎じになる可能性は考えなかったのでしょうか。報じるわけがない、との読みが成り立ち、みごと命中したのなら、それはそれでこのくにの重篤なマスメディア状況を物語っていることになります。それとも、他紙もすでに報じていたのでしょうか。ネットでは、東新こち特ばかりが話題になっていましたが)。

去年2月3日、ソウルでキャンベル米国務次官補が韓国大統領府の金星煥(キム・ソンファン)外交安保首席秘書官と面会した際の、米本国に送られた公電に、こんな記述があった、とこち特は伝えます。「両者(キャンベル、金)は、民主党と自民党は『全く異なる』という認識で一致。北朝鮮との交渉で民主党が米韓と協調する重要性も確認した。また、金氏が北朝鮮が『複数のチャンネル』で民主党と接触していることは明らかと説明。キャンベル氏は、岡田克也外相と菅直人財務相と直接、話し合うことの重要性を指摘した」

東新こち特は続けます。

「その後もロシアのメドベージェフ大統領の北方領土訪問や、尖閣諸島沖の中国漁船衝突事件が発生すると、「日米関係の冷却が周辺事情に影響した」という脅威論が幅をきかせるようになり、結果として、鳩山氏が打ち出した「東アジア共同体構想」は忘れ去られた。これは偶然の結末か?」

アメリカは、鳩山政権発足時から、メディアを使ってなにかと揉め事の火種を撒き、進んで日米関係をぎくしゃくしさせようとしている、そんな印象をもっていました。最初は鳩山論文問題です。こんどの日本の政権は反米だ、と言わんばかりの記事が、ニューヨークタイムズ紙やワシントンポスト紙をいっせいに賑わしたのです。当時書いたブログ記事からすこし引用します(全文はこちら)。

鳩山論文、読んでみたらなんのことはない、金融資本主義やグローバリズムの行き過ぎとか、アメリカ一極から多極へとか、アメリカを筆頭にだれもがとっくに認めていることが書かれていました。

そのうえで、自由も平等も、ナショナリズムもグローバリズムも、行き過ぎはよくない、人が手段ではなく目的となり、だれもが幸せを感じられるのは、公共(NPO的なもの)がすこやかな社会であり、個人、家族、地域、地方、国、アジアと波紋のように広がりながら連帯し補いあう、そんなビジョンが友愛というキーワードで語られていました。当分はアメリカが世界の中心だろう、日米関係は基軸的に重要だ、とも。しろうとの目には、どこが問題なのか、よくわかりません。」

近隣諸国となかよくし、アメリカともいい関係を保つなんて、あたりまえのことだと思うのですが、アメリカは気に入らなかった。そして、「ソウルでの会談から2カ月後には、米紙ワシントン・ポストのコラムで鳩山氏が「ルーピー(現実離れした人)」と呼ばれ、笑いものにされる」(東新)ということが起きました。「ルーピー」と言ったのもキャンベル国務次官補です。この人は、米政権の鳩山降ろしの急先鋒だったわけです。「ルーピー」発言は、オバマ大統領に怒られて謝ったことになっていますが、ほんとうのところはどうだか。キャンベルという人は、表向き泥をかぶってでも権力のために働く使い走り、という感じです。メディアを使ってなにかと画策し、韓国にも「鳩山なんか相手にすんなよ、おれたちはもうすぐ菅か岡田を担ぐからな、今からそっちとつないでおけ」とささやいていた。それが、WLのおかげではっきりしたわけです。

アメリカのメディアは、鳩山さんとならんで小沢さんを貶めるような記事を書いてきました。それで私はこのブログに、去年9月12日には、「米英メディアが小沢潰しにやっきなら、敵の敵は味方で小沢?」という記事も書いてみたりしました(
こちら)。もちろん米英メディアだけでなく、このくにのマスメディアも、東新はちょっと違いましたが、一丸となって小沢はアヤシイ、限りなく黒に近い灰色だ、と書き立て言い立てていた頃でした。ネットでは小沢擁護が燃えさかり、マスメディアの論調と真っ向対立の様相を呈していました。もしも、米英メディアがアメリカ政権の意向を汲んで鳩山・小沢潰しにかかっていて、しかもこのくにではそうした風潮に迎合する勢力がマスメディアを牛耳っていて、普天間問題で鳩山さんに追い風ではなく逆風を浴びせ続け、退陣に追い込んだのだとしたら……暗澹としてきます。でも、WLのおかげで、やっぱりそうだったのかも知れない、という気がしています。WLという新しいジャーナリズムには、なんかヘンという感じを、何十年もあとの公文書開示を待たずに、数カ月後には「やっぱりね」という確信に変えてくれる、そういう機能があるのかも知れません。それで、WLは「やっぱりねジャーナリズム」、ときょうのタイトルに書いたわけです。

東新こち特は、元外交官の孫崎享さんの言葉を伝えます。菅政権は「米国にすべて丸投げしている……普天間飛行場の辺野古移転方針、日米共同統合演習の実施、在日米軍駐留経費(思いやり予算)の維持など、米国側の意向通りの施策を進めている」。
 
思いやり予算なんて5年継続の約束です。プロのスポーツ選手なら、破格の契約です。しかも、アメリカが日本に物を売りつけ、日本の虎の子であるゆうちょに手をつっこむためだけのTPP(トッピッピ)と来ました。菅サンは、「民主党と自民党は『全く異なる』」どころか、自民党より自民党らしい「戦後最も親米的な政権」をつくりあげ、これで鳩山の二の舞は踏まずにすむ、それどころか政権の座に長く居座れる、とほくほくしているのかも知れません。でも、いくらアメリカに恭順の意を示そうが、このくにの有権者がそれをよしとするかどうかはまた別の問題です。有権者が、アメリカの意向をうけた内外のマスメディアに踊らされて、沖縄の米軍基地をアメリカ本土にお引き取り願えたかも知れなかった好機を潰し、中国との融和外交を胡錦涛さんが政権を握っているあいだに確立しておこうとした小沢さんにダメージを与えてしまったことを深く恥じ入れば、ですけど。そうではなく、防衛大綱だ、南西諸島防衛だ、武器輸出三原則見直しだ、と走り出してしまったこの政権の危険を、領土問題でナイーブな「愛国心」にスイッチが入ってしまったこのくにの人びとが察知しそこなっているとしたら、それも望み薄かも知れません。天を仰ぎたくなりました。

 

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「自衛隊員と海兵隊員は血を流す」と菅首相は言った

腹が立ってブログが更新できなかったのは、これが初めてです。今までなら、「怒りのぉ〜コーシン!」という感じでしたが(昔の変身ヒーロー物の掛け声をまねています、念のため)、今回に限ってはそうはいきませんでした。かといって、この話題をスルーするのは良心が許さない。でも更新するには、ある動画を確認しなければならない。それが苦痛で、うじうじとブログを放置していました。

それは、去る20日に行われた菅首相の外交演説です(動画は
こちら)。年明け早々、国会召集もほっぽらかして民間の集まりで外交演説とは、ネット番組出演とならんで、新鮮な試みには違いありません。でも、その内容は寒々しいものでした。外務省や経産省の官僚から集めた短冊の切り貼りみたいなそらぞらしさの中に、聞いていて血が逆上するような言葉がちりばめられていました。まず、グローバリゼーションを言うのに、国家を超えた問題として、ネットへの情報漏洩、テロ、環境をあげましたが、多国籍企業や、ギリシアなどでは国家を破綻の淵まで追いやった国際金融マネーや、世界的な穀物高騰を招いている国際投機マネーの問題はパスです。これらパスした問題こそが、現下の世界を揺るがせ、危険なほどに不安定にしているのに。そして菅サンは言ったのです。冒頭7分半あたりです。

「はたちにも満たない若い自衛隊員や海兵隊員が、いざというときには血を流す覚悟で任務に当たっていることを忘れてはならない」

それは、日米同盟を深化させるためだそうです。それにかんして渡米してオバマ大統領と話し合うのだが、それには「沖縄の普天間飛行場の移設について、粘り強く取り組んでいくことが大変重要」なのだそうです。この文章の組立からは、どの方向に「粘り強く取り組んでいく」つもりなのかは明々白々です。なんとしても沖縄に基地新設を飲ませる、ということです。

「血を流す」と、菅サンは言ったのです。前任の鳩山さんは、自前の防衛を考えねば、というようなことを、まるでイタチの最後ッ屁みたいにつぶやいて退陣した方ではありましたが、あの国会演説の冒頭では、力みすぎて裏返った声で「命を守りたい」と言いました。そのスピーチをいっしょに書いた平田オリザさんという優れた文学者の力を感じます。それと菅サンの年明け早々の「血を流す」発言。あまりの違いに、頭がくらくらしてきます。政治家は、若者に血を流させてはいけないのです。血を流させないような政治をしなければいけないのです。それが、若者の血を前提とする政治をするのだと。この方は、言っている言葉の意味がわかっているのかと、疑わざるを得ません。頭に血が上るとはこのことです。「雇用、雇用」と連呼したとき、この方の念頭には若者のことがあったはずです。若者の雇用じゃなくて若者は「血を流す」ですか。あるいは、「血を流す雇用ならありますよ」ということでしょうか。

これを裏付ける事実を、さとうまきこさんが教えてくださいました。「日本政府は、朝鮮半島で有事が発生する場合の自衛隊による米軍支援を強化するため、周辺事態法の見直しを検討していると、政府関係筋が19日語った。想定される変更には主として、自衛隊が米軍に燃料や他の補給品を提供する地理的範囲を、日本領海から公海にまで拡大することが含まれる」という、The Mainichi Daily News の21日の記事です(全文は
こちら)。どうりで、外交演説のさいしょに、「日米同盟はアジア太平洋地域の公共財」と振ったわけです。沖縄の負担については、その文脈で北朝鮮をもちだしたのでは、「慚愧に堪えない」なんて言ってもそらぞらしく響くばかりです。演説の日に報じられた嘉手納の訓練をほんの一部(10数機を2週間ぽっち!)グワムに移すというニュースは、なんでも言うこと聞き放題の菅サンに、アメリカが持たせた花というわけでしょう。そんなことをれいれいしくマスメディアに報じさせ、マスメディアもやすやすとそれに応じて報じ、ホットニュースとしてこの演説に織りこむ。日米政権そしてマスメディアが組んだ世論操作の仕込みはばっちりです、と言ってさしあげたいところですが、沖縄は10数機の2週間の訓練移転ではなく、基地の撤去しか望んでいないのですから、怒りの火に油を注ぐことにしかなりません。

ここまでで10分ほど、あと40分、菅サンの演説を聞き直すのは、やっぱり無理です。いろいろ商売していくとか、パレスチナの和平を望むとか(チュニジアの政変がこの地域にどんな重大な影響を及ぼすのかの洞察もなく!)、核廃絶決議案を毎年国連に出しているとか(法的拘束力のある決議案には賛成しない「国是」には触れず!)、かいなでの空しい限りの言葉が続き、しめくくりは冒頭と同じテーマ、つまり軍事に戻りました。そして、故郷の偉人という触れ込みで松田松陰の清い心が云々を引用していました。それで感動を呼べると思ったのでしょう、きっと。

ぜんぶは確認せずに書いたので、不正確かもしれません。でももう勘弁していただきます。そして菅・民主党さん、来る地方選では大負けを覚悟なさってください。それで自民党が政権に返り咲くのも怖いし、前原サンが民主党をひきついだら最悪なのですが、若者の血を欲した政権はとにかくけじめをつけていただきたい。

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電子版DAYSJAPANは英語版だけではなかった

うかつでした。早とちりでした。8日に「フォトジャーナリズム、インターネットの世界へ」(こちら)で、「DAYSJAPAN」誌は英語版をネット配信する、と書きました。違いました。日本語版もだったのです。しかも、今後、海外に編集者を募って、さまざまな言語のヴァージョンを出していく、というのです。

とりあえず日本語と英語の電子版「DAYSJAPAN」が3月20日にスタートするには、「あと支援者100人、購読者1000人が必要」なのだそうです(1月12日現在)。購読料は年2000円(予約特別価格)、紙の雑誌の定期購読者は、ネット版も無料だそうです。ネット版は、その機能を生かして、ドキュメンタリー映画の予告版なども見られるようになっているとのこと。これからネット雑誌はますます面白くなりそうです。

編集長広河隆一さんの、ネット版発刊の辞を転載します。

「2010年秋、南仏で開催された「世界報道写真祭(VISA)」で世界トップクラスのフォトジャーナリストたちに会いました。彼らは、月刊誌DAYS JAPANのような編集指針を持つジャーナリズムが、世界中から消えつつあると熱弁していました。特にネット化の動きの中で、ジャーナリズムが急速に崩壊しつつあります。志あるジャーナリストたちの活動の場もどんどん狭まっています。支えるメディアや人々が存在しなくては、彼らはやがて取材活動を中止せざるを得ません。それは、世界で人々の目にふれない所で、戦争や事件が起こり続けるということを意味します。

これまで、月刊誌DAYS JAPANは海外の記事を多数扱ってきましたが、そのほとんどの流通は日本国内に限られていました。電子版DAYSは、日本語と共に英語版を発刊し、世界の人々が参加する初のジャーナリズム誌として、志あるジャーナリストたちと直接生きた交流をすることができます。是非、皆さまのご購読とご支援で世界のジャーナリズムを支えて下さい。
            フォトジャーナリズム月刊誌DAYS JAPAN編集長 広河隆一」

「DAYSJAPAN」誌の「DAYS国際フォトジャーナリズム大賞」は、今年で第7回目を迎えますが、応募作品は年々増え、世界のフォトジャーナリストにとって、最高に栄誉ある賞のひとつにまで成長しました。ですから、すでに世界的な評価の高い
「DAYSJAPAN」誌が、ネットの英語版を出すことには、ひいてはさまざまな言語版を出すことには、世界のフォトジャーナリズムを活気づけるうえで、計り知れない意味があります。

次は、「目指すもの」です。

「●DAYS INTERNATIONALの目指すもの
1.戦争、占領、差別、抑圧に対する否定。
2.写真と映像の力を信じる。
3.被害者の立場に立った報道を目指す。
4.志あるジャーナリストを支援する。
5.世界でもトップクラスの写真を掲載する 6.ビジュアル・ジャーナリズム誌を目指す。
写真雑誌ではなく、ジャーナリズムのメディアである。
(上記に同意する各国編集者がDAYS JAPANと契約し、それぞれの国の言葉で各国版の出版を目指します)」

なんだかわくわくしてきます。すごいことが始まろうとしています。日本発世界への、フォトジャーナリズムの発信です。今まで、紙媒体にはちょっと手が出ない(年8700円、今だと7700円)と思われていた方、年2000円でフォトジャーナリズムを支えませんか? そんなすてきなことができるのは、このくにに生きる私たちだけなのです。

詳しいことは、「DAYSJAPAN」のサイトをご覧ください(
こちら)。

そこにも出ていますが、発売中の1月号、特集は「浜岡原発〜爆発は防げるか〜」です。大地震がくることが確実視されているいま、そのもっとも危険なところにある老朽化した原発、ほんとにだいじょうぶなのか。しあさって1月17日は阪神淡路大震災の日、あの日の惨状がなまなましく甦ります。1月号、書店に並んでいるのは19日までです。ぜひ、手にとってご覧になってください。(15:30追記)

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【動画あり】ネット放送に出演した菅サン、ご覧になりました?

きょうはお休みなのですね。成人の日。ということで、85分間パソコンの前に座れる方も多いかと思い、この話題にします。

菅首相は、去年の10月から年末までの3カ月、記者会見を開きませんでしたが、これはどのくらいニュースになったのでしょうか。その菅サンが、歴代首相として初めてインターネット放送局に出たことは、新聞やテレビでとりあげていました。そりゃそうです。オープンな政治という民主党の約束などどこへやら、ずっと記者会見すら開かず、年初の記者会見もたったの30分。記者クラブメディアが「あっ、コノヤロ!」と、菅サンと、非記者クラブメディアであるインターネット放送局、両方につぶやきながらいやでも注目せざるをえなかったのは、理解できます。

ネット放送、私も見ました。今ここで感想を言うのは控えます。まだご覧になっていない方、まずはご覧ください。無料配信しています。私の感想は、後日(気が向いたら)書こうと思います。キャスターは神保哲生さんと宮台真司さんです。

ビデオニュース・ドットコム
第508回 マル激トーク・オン・デマンド
「菅首相、ネット放送初出演! 首相の言葉はネットに響くか」(
こちら

youtube にもアップされています。ぜひ、画面をできるだけ大きくしてご覧ください。




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アサンジュ氏、「911陰謀説はトンデモ(false)」と不快感

ウィキリークス(WL)の出現によって、メディア状況も政治状況も、官僚機構や企業経営のあり方も、一変せざるを得なくなりました。公表の時期を見計らわなければならない情報や、ぜったい表沙汰にはできない情報はつねに存在しますが、それがいつ暴露されるか、わからなくなったのです。そうである以上、あらゆる組織には、いつどんな機密がリークされても被害を最小限に食いとどめ得る備えが求められるようになりました。これからは、情報リークのダメージが少ない組織、すなわちできるだけガラス張りの運営ができる組織が有利になる、ということです。また、バレても、隠していたことを含めて、納得をとりつけられるようなことしかできなくなった、ということでもあります。

いっぽうで、機密がバレた時、それを機密扱いにしたことを許容するか、どのようなものが許せない機密であり、許容の範囲はどうあるべきかといった、新しい機密リテラシーとでもいう素養が、私たちに求められることにもなります。ともあれ、この前代未聞の状況では、情報を機密化することによる少数者の多数支配(官僚支配)や人心操作(マスメディアによる世論のミスリード)はますますやりにくくなる、沖縄返還交渉のようなことも、謀略による戦争開始も、これまでよりはやりにくくなる、と希望的観測をしておきます。

WLが分派し、また同様のリーク・ジャーナリズムが世界中に雨後の竹の子のように出現するのも、時間の問題になりました。これはいいことです。それを説明するのに、ちょうどいい例があります。「Veterans Today」紙は、アメリカの退役軍人対象のネット新聞です(同じようなネット新聞は、ほかにもたくさんあるのでしょう)。同紙は、911にはアメリカ政府に入り込んだユダヤ勢力が一枚噛んでいるが、WLはそうした情報は出さない、なぜならアサンジュ氏の背後にはイスラエルがいるからだ、との論陣を張っています(こちら

もしもそうだとしたら、いくらWLが隠しても、ほかにいくつもリーク・ジャーナリズムがあれば、どこかがその情報を出すはずです。まさか、リーク・ジャーナリズムのすべてにイスラエルの息がかかっている、なんてことはないでしょうから。これが、リーク・ジャーナリズムが複数あることの利点です。そのうちのどこが信頼をかちとるか、それなりの数が出そろったところで淘汰が始まるでしょう。その過程では、いわゆるガセネタがジャーナリズム空間を騒がせることもあるでしょう。新聞ジャーナリズムが発足当時、あることないこと書き立てたのと同じです。WLが、信頼できると判断した各国の高級紙と協力する体制で出発したことは、ですから賢い選択でした。

リーク・ジャーナリズムは、機密をめぐる市民の論争に、証拠や傍証や状況証拠を提供する可能性もあります。たとえば、先に挙げた911です。これにかんするアメリカ政府の調査は根本的におかしい、と主張する人びとは、「INSIDE JOB」というロゴを配したTシャツを販売していることからすると、911をアメリカ政府の内部犯行とする見方に傾いているようです。もしもその主張が正しければ、この「陰謀」にはそれこそおびただしい人びとが関わっているでしょうから、晩かれ早かれ情報がリーク・ジャーナリズムに持ち込まれずにはいないでしょう。あの事件をきっかけに始まった戦争に疑問や苦痛や怒りを覚え、いたたまれなくなるインサイダー、内部関係者がひとりでもいるという蓋然性のほうが、そういう人がたったのひとりもいないという蓋然性より高いと推測できるからです。

WLが知られるようになって以来、いつまでたっても911内部犯行説を裏付ける機密情報の片鱗たりと出てこなかったら、この論争は終息に向かうだろうと注視していました。そして、そろそろその時がきたかな、と思っていたら、北アイルランドの「ベルファストテレグラフ」紙に、「CIAのお尋ね者ジュリアン・アサンジュ ウィキリークス創始者」というインタビュー記事(
こちら。2010年7月19日付)が載っていて、そこでアサンジュ氏が911について語っている、と大阪大学の菊池誠さんが教えてくださいました。記事によると、アサンジュ氏は、911陰謀説を false と即座に否定した、というのです。false は、「誤った、誤解に基づいた、虚偽の、不誠実な、根拠のない……」といった意味です。「トンデモ」と訳すのがぴったりくるでしょう。ご参考までに、記事の当該のところを訳しておきます(ニュアンスを含めて、間違いもあるかも知れません)。

『人の秘密に手を伸ばし、自身は秘密のベールに包む。秘密にこだわるアサンジュ氏には、陰謀論者の雰囲気がただよう。かれは陰謀論者か。「じっさい、陰謀はいろいろあると思う」アサンジュ氏は、ゆっくりと言葉を選ぶ。「権力者たちは、四六時中、秘密裡に計画を練っている。陰謀をあやつっているということだ。世界は陰謀だらけだが、正気とは思えない陰謀論もあって、このふたつを混同しないことが重要だ。一般に、陰謀のじゅうぶんな証拠があれば、それは即、ニュースになる」
911はどうか。「人びとが911のようなトンデモ陰謀説ですったもんだしていることに、ずっといらいらしている。戦争や経済的不正行為のほんものの陰謀をしめす証拠なら、私たちが山ほど公表しているというのに」ビルダーバーグ会議はどうか。「人脈から、なんとなく陰謀のにおいがする。私たちは、かれらの議事録を表に出した」』

いかがでしょうか。あなたはアサンジュ氏の言葉から、911陰謀説に引導を渡す潮時だと判断した、あるいは判断を再確認しましたか。それとも、「Veterans Today」紙の「911・WL、イスラエル黒幕説」はひとつの興味ある視点だと思いましたか。これは、私たち一人ひとりが見極めをつけなければなりません。いやはや、政府や大企業だけでなく、私たちのメディア・リテラシーにとっても、なにかとしんどい時代になったものです。でも、それは民主主義を担保するコストです。組織も私たちも、タフになるしかありません。


     ******911討論会関連企画のご案内******   
       ****詳細はわかり次第、お知らせします****
        *****変更の可能性もあります******


2月6日(日) 
『映画「ZERO」(公式サイトはこちら)鑑賞会』(詳細未定)
【上映館】 テアトル梅田(こちら) 上映後、交流会の予定あり
【主催】 市民社会フォーラムcivilesocietyforum@gmail.com

3月13日(日)
『講演会』(詳細未定)
【講演者】 磯部大吾郎(筑波大学、構造エネルギー工学専攻。論文概要はこちら
【会場】 関西学院大学梅田キャンパス(こちら
【主催】 磯部大吾郎先生講演会実行委員会・市民社会フォーラムcivilesocietyforum@gmail.com

3月19日(土)
『(仮称)911事件を検証する公開討論会
             ―WTCタワー崩壊とペンタゴン攻撃を中心に―』(詳細未定)
【会場】 阿倍野市民学習センター講堂(こちら
【主催】 市民社会フォーラムcivilesocietyforum@gmail.com  
【プレゼンテーター】 きくちゆみ(ジャーナリスト、翻訳家、「ハーモニクスライフ」主宰者)、西牟田祐二(京都大学、経営史・経済史専攻、「911の真実を求める日本の科学者の会」共同設立者)、菊池誠(大阪大学、学際計算統計物理学専攻、「ニセ科学フォーラム」実行委員)
【コーディネーター】 西谷文和(ジャーナリスト)、池田香代子(翻訳家)
  
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フォトジャーナリズム、インターネットの世界へ

きょうも、うめかよタンです。「あちゃー」です。きのう出そうと思って書いてあった記事を、すっかり忘れていました。新しいフォトジャーナリズム雑誌が出る、しかも電子版のみで、しかもしかも、

『「fotgazet」の定期発行は、2011年1月15日までに、500人の発刊リクエストが集まった場合にのみ実現します。発刊実現のために、ぜひ発刊リクエストを送ってください。』(こちら

という情報です。おとといの時点で、あと100人を切りました。遅まきながらわたしもブログでお手伝い、と思っていたのですが。でも、きのうぶじ500人を超えました。上に引用した文章は、以下のように変わっていました。

『「fotgazet」創刊のために、500人の発刊リクエストを募りましたが、予想をこえる大きな反響を頂き、発行が実現することになりました。またリクエストを頂いた皆さまからは、たくさんの熱いメッセージが届きました。

その声に支えられ、これから私たちは新たな挑戦を始めます。「fotgazet」創刊号は2月中旬に発刊を予定しています。
 
しかし、運営のためには、少なくとも1000人の定期購読者が必要です。そのため、引き続き発刊リクエストを募集します。発刊リクエストからご意見やご感想をお送りください。 
 
リクエスト募集にあたり、Twitter・ブログ・メルマガ、または新聞や雑誌などで広げてくださった方々へ、心より感謝いたします。

日本ビジュアル・ジャーナリスト協会(JVJA)一同』」

私は「心より感謝いたし」ていただくことにしくじりましたが、そんなことはどうでもいいのです。今までは紙媒体の「DAYS JAPAN」だけだったところに、もう一誌、写真報道誌が誕生するのです。二誌はきっと切磋琢磨して、このくにのみならず世界の写真ジャーナリズムを充実、向上させていくに違いありません。

「fotgazet」創刊0号、面白いと思いました。字数に制限のないインタビューなどの長文記事、動画、検索機能……電子版ならではの特徴がいかんなく発揮されています。見て、読んで、じっくり考えるネットメディアのコンテンツはまだ少ないなかで、
「fotgazet」はネットメディア全体に心地よいショックを与えるのではないでしょうか。

老舗の「DAYS JAPAN」誌も、負けてはいません。3月には、英語版を電子版で発行する予定です(こちら)。これまで「DAYS JAPAN」は何冊か、英語版を出版してきました。費用の点でもこれはたいへんだろうと思っていたのですが、「DAYS」が一肌脱がねばならないほど、世界的にこうした媒体がなくなりつつあるのです。ぜひ、外国のお知り合いにお伝えください。そして、世界的に重要なこの雑誌を定期購読で支えることができるのは、このくにの私たちだけです。

電子版は、パソコンで見る限り、多くはひとり、せいぜい数人で、選択して呼び出して見ることになります。その点、紙媒体の雑誌は、そのものがグッズです。ぱさりとそこに置かれていたりして、ふと手に取られるという、すてきな可能性をもっています。また、パソコンを誰かが操作してほかの人はそれをのぞく電子版と異なり、紙の雑誌は、ページをめくるのは誰かではあっても、見る場所が操作によって限定される度合いは、電子版よりうんと低いと言えます。つまり、複数で見て、思いを語り合うのに、紙媒体はより適しているのではないでしょうか。

紙媒体と電子版、それぞれの特徴を生かして、それぞれに発展していっていただきたいものです。そして、「一枚の写真が国家を動かすこともある」(「DAYS JAPAN」)とは、その写真を受けとめ、行動に移る私たちがいて初めて言えることだと、改めて胸に刻みたいと思います。

 

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プルサーマルは高くつく 平均世帯で月240円も

輸入MOX燃料の値段は、ウラン燃料の4〜8倍もするそうです。最終処理の費用も電気料金に上乗せされていて、すべての電力会社を合わせると、年に4000億円、平均世帯で月240円(関電のばあい)負担していることになるのだそうです。ご存じでした? 12月22日付の毎日新聞福井版に出ていました(こちら)。

ずいぶん前、家庭用太陽光発電であまった電気を買い上げる制度が始まった時、それにかかる費用は電気料金に上乗せされ、その分の電気料金が値上げになる、というニュースが流れました。町の人の声を聞くというおなじみの構成で、「太陽光発電の電気を買い取るために、電気料金が上がるんですけど」と尋ねられた人びとは、一様に「困ります」と語気を強めていました。でも、この時の試算では、負担は世帯あたり月100円ほどでした。もしも「電気料金が100円上がるんですけど」と訊かれたら、「自然エネルギーにシフトするためなら、そのくらいいいんじゃないですか?」と答える人もいたのではないかと、いまだにあの時のニュースの報道ぶりは疑問に思っています。

ところが、プルサーマルは100円どころか240円です。世界一高い電気料金が、プルサーマル発電のためにまたしても一気に240円上がる。これ、太陽光発電の時のように、きちんと報道されたでしょうか。テレビカメラが町に出て、「プルサーマル発電のために電気代が月240円値上がりするんですけど」と人びとに尋ねたでしょうか。私はそういうニュース、見ていないのですよね。マスメディアはなぜか自然エネルギー発電を冷遇し、プルサーマルをふくむ原発は厚遇している、そんな気がしてなりません。なぜなんでしょう。そんななか、毎日新聞はきちんと書いてくださっています。座布団1枚、です。

新聞のWEB記事は消えてしまうので、下に貼りつけておきます。電気料金240円どころではない、不合理不条理としか言いようのない情報・見解をぜひお読みください。


     ****************************

高浜プルサーマル発電:10年越しの始動/4割高な経費、国民にツケ/福井

毎日新聞 2010年12月22日(水)15時32分配信

◇電気料金に上乗せ
 
関西電力高浜原発のプルサーマル発電開始で、電気料金を支払う消費者にとって一番身近なのが、経済性の問題だ。ウラン燃料だけで発電するより割高になることは、関電も認めている。
 
プルサーマル発電が先行実施された九州電力玄海原発(佐賀県玄海町)。貿易概況から、09年5月に購入されたMOX燃料16体の輸入額は約140億円だった。燃料価格に輸送費なども含まれているとみられるが、ウラン燃料の4〜8倍に相当するという。
 
関電は「発電経費のうち燃料代は1割程度。MOX燃料は、燃料全体の1割程度しか原発に装荷しないため、影響は小さい」としている。だがプルサーマル発電に伴うバックエンドコスト(使用済みウラン燃料の再処理費用や、高レベル放射性廃棄物の処理費用など)も、必要経費として電気料金に上乗せされている。関電は、「バックエンドコストの積み立て法制化を受けた06年2月の電気料金改定時に、料金に織り込まれることを報道発表している」というが、電力会社を選べない消費者は気付いているだろうか。
 
立命館大国際関係学部の大島堅一教授(43)=経済学=は、07年の電気事業者の有価証券報告書から、プルサーマル発電に伴うバックエンドコストの積立額を割り出した。単年度で、関電だけで約994億円、国内の電力事業者を合計すると4000億円を超える。平均的な電力使用量の世帯で、毎月240円の負担になる計算だ。
 
プルサーマル発電を前提とした使用済みウラン燃料の再処理を放棄すると、バックエンドコストはゼロにはならないが、国の試算でも半分〜3分の1程度圧縮できる。大島教授は「国の試算は青森県六ケ所村の再処理施設が100%稼働することなどを前提にしており、再処理路線を放棄すれば、国民の負担は膨らまずに済む」とみている。

12月22日朝刊

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名護市に「ふるさと納税」しませんか?

来年、税金を160億円納めることになる方、いらっしゃいませんか? もしもあなたがそうだったら、名護市に「ふるさと納税」なさいませんか? 納税額の10分の1つまり16億円は、どこの自治体に払っても(正確には寄付しても)、その分、税金から引かれます……冗談半分で書いています。と言うことは、残りの半分は本気です。

政府は、辺野古への米軍の新基地受け入れを拒んでいる名護市に、16億円を交付しないことにしました。ブログ「地元紙で識るオキナワ」さん(
こちら)に教えていただいた12月26日の「沖縄タイムス」社説(こちら)によると、名護市の稲嶺進市長は、今年1月、辺野古への基地建設反対を唱え、民主党の推薦を受けて当選したはずです。民主党のやることは、なにがなんだかわけがわかりません。

社説から引用します。

「1956年、米軍支配を糾弾していた瀬長亀次郎氏が那覇市長に当選すると、米軍政府は前市長時代に出していた戦災復興都市計画事業費の補助金を打ち切った。さらに米軍が大株主だった琉球銀行は那覇市の貯金を凍結したほか、都市計画事業への融資もストップさせた。

これに対し瀬長市長は就任会見で、「市民の責任ではない。凍結した人の責任だ」「理不尽なことには断固反対するだけだ」とひるむことはなかった。

瀬長市政を支えたのは市民だった。市長を守るには納税だ―と市民が市役所で長い列をつくった。前年の市民税納付率77%は、市長選後に86%になり、最高97%に上がった。那覇市は自前の予算で各種事業を展開した。

瀬長氏(享年94)は回想録に「生活が苦しいあの時代に誇りに満ちた表情で税金を納める市民こそ市政の主人公だ」「市民はみずからの力で基地権力者の圧政を突き崩しはじめた」と記した。」

社説の書き出しは、「米軍による異民族支配の歴史を思い起こした」です。今なお沖縄は異民族の支配者なら平然と採るやり口によってふみにじられています。いえ、今なお異民族支配は続いている、ヤマトゥーンチュという名の異民族の支配が、との暗澹たる思いが沖縄の人びとの心の奥でふつふつと湧き起こっていないと断言できるでしょうか。20日のコザ叛乱40周年を伝える沖縄のテレビニュースは、あの時のエネルギーが今噴出してもおかしくない、と結んでいました。こんな、民衆蜂起をあらかじめ正当化するような報道を、「中央」メディアがしたことがあるでしょうか。

政府は、防衛省は、私たちの税金をなんという使い方するのでしょう。おもいやり予算は、自公政権の時は少しずつでも減らしていたのに、減らさず、聖域などないはずの事業仕分けにももちろん掛けず、しかも向こう5年間今のままの額を約束してしまったのに。名護市民をふくむ私たち納税者つまりこのくにのオーナーとアメリカ、政府はどっちに顔を向けているのか、と思います。

「名護市ふるさと納税のご案内」(
こちら)には、「寄附者一覧」があって、メッセージとともに25人の方のお名前が出ています(匿名もいらっしゃるか)。なんと、知った方のお名前がいくつも。私はよっぽどトロイのですね。

とにかく私は、雀の涙、貧者の一灯、焼け石に水、蟷螂の斧、ごまめの歯ぎしり、なんでもいいのですが、名護市に「ふるさと納税」します。一覧にたくさんの名前が「誇りに満ちた表情」で「長い列をつく」ることを念じて。

名護市のふるさと納税総額は、現在3,093,000円です。

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アサンジュ氏逮捕にほっ! その性犯罪の「性」は政治の「政」

ウィキリークスのジュリアン・アサンジュ氏が、7日、イギリスで逮捕されました。出頭の意向が伝えられていましたから、もしかしたら出来レースの逮捕だったのかもしれません。これで一安心です。各国がアサンジュ・アサシン(刺客)を放っているからです。保護を求めるなら、スコットランドヤードのほうが、FBIなんかよりもちろんいいでしょう。

アサンジュ

容疑が性犯罪とは笑わせてくれます。と言うのも、身近に同様の経験をしたことがあるからです。2003年2月に星川淳さんたちと語らって、元国連イラク大量破壊兵器査察官スコット・リッターさんをアメリカからお呼びした時のことです。来日直前、リッターさんにCBSの「60minutes」という超メジャーな報道番組から急に出演依頼が来たのですが、そこで根掘り葉掘り聞かれたのも、とっくに決着がついている未成年にたいする性犯罪だったのです。この件には、「被害者」は警察の囮(おとり)で、未成年ではなかったという落ちもついています。リッターさんも脇が甘い、大甘なのですが、それでもアメリカの法律では犯罪になるらしく、リッターさんは、事件は公表しないという条件で司法取引に応じたのでした。テレビでも、事件については口外できない、と堂々と切り抜け、危ぶまれた訪日もスケジュールどおり実現しました。

S.リッターブッシュ政権は、イラク攻撃に「不都合な真実」を公言してはばからないスコット・リッターの社会的信用を失墜させ、あわよくば日本に行かせまいとして、三大ネットワークのひとつをつかって姑息な妨害を試みたのです。(これに引っかかったジャーナリストがいました。「こんな前歴の人の言うことは信用できない」と、シンポジウムへの賛同をとちゅうから断ってきました。今は議員バッジをつけておられます。)

イラクには世界をおびやかす大量破壊兵器はない、自分たちが工場ごと95%は破壊したから、とイラク開戦前夜に証言していたリッターさんは、当時のある週刊誌による「ブッシュが最も恐れる男」という表現が嘘ではないことを、このテレビ出演で思い知りました。そして来日中、リS.リッター本ッターさんが「不慮の事故」に遭遇するのでは、と震え上がりました。それで急遽、外国人VIP専門の警備会社に依頼して、アメリカ人ボディガードを2人つけました。おかげで、移動のためのレンタカーは大型のボックス型に変更するやら、思いの外費用がかさみましたが(100人村基金を充てました)、幸いなにごともなく、リッターさんは1週間、テレビ、新聞、週刊誌を席捲して日本をあとにしました。あの頃は、生身の人間が公開情報を自身の経験に基づいて分析し、事実をつきつける、という告発の仕方しかありませんでした。それがもはや無効というわけではまったくありませんが、ウィキリークスの登場した今、昔日の感があります。(一度だけ開いたシンポジウムの記事と写真はこちら。あまり中身はありませんが)。

あの時、私は、このくにの世論がおおきく動くのをその震央で感じていました。与党議員も合計50人ぐらいはリッターさんの話を聞いてくれたし、政府がアメリカにいい助言をしてくれるかもしれない、イラク戦争を回避できるかもしれないと、本気で思ったものです。私も悪い意味でナイーブでした……。

権力は、つごうの悪い人物の評判を貶めるために、性犯罪者のレッテルを貼るのです。政治的性犯罪です。小泉改革に疑義を呈して、エスカレーターでちいさな鏡を手にしたことで逮捕された評論家もいました。でももしかしたら、スウェーデン政府はアサンジュ氏保護のために、権力の常套手段である性犯罪容疑をわざとつかって、国際手配したのかもしれません。まあ、そんな可能性は低いと思いますが、もしもそうだとしたらチャーミングです。この容疑は冗談とすぐ分かりますので、世界中のウィキリークス支持者たちに受けるでしょうから。

ウィキリークスは、知る権利のために擁護されるべきジャーナリズムなのか、という議論があります。これは今後、検証していく必要があるでしょう。検証するのは私たち市民です。ついでにこの際、日本の調査捕鯨船関係者がクジラ肉を横領していることをあばくために現物を持ち出した、グリーンピースのクジラ肉裁判のことも思い出していただきたいものです。一審は有罪で、即刻控訴となりました。ウィキリークスがいいなら、あの「窃盗」も公益性の観点から、称讃されこそすれ、犯罪に問われるのはおかしいのではないでしょうか。

面白いことに、ウィキリークスは内部にかつて世界の高級紙で仕事をしていたジャーナリストを擁するだけでなく、入手した情報を信頼できる外部のメディアに検証してもらってから公開するのだそうです。アメリカはニューヨークタイムス紙です。それで、ニューヨークタイムス紙は米政府から、ウィキリークスとの関係を疑われています。政府ときちんと距離を保っているジャーナリズムだと、ウィキリークスが認定しただけなのに。イギリスはガーディアン紙です。あと、ドイツのデア・シュピーゲル誌、フランスのル・モンド紙、スペインのエル・パイス紙が、ウィキリークス認定ジャーナリズムです。

日本情報がまとまったかたちではなく、アメリカ情報のついでのようにしか出てこないのは、日本には検証を任せられる信頼性の高いジャーナリズムはないと、ウィキリークスが判断しているからだ、という噂には笑えません。日本には御用ジャーナリズムしかないと見られている、ということだからです。「東京新聞いかがでしょうか、琉球新報と沖縄タイムスもありますけど。ニューヨークタイムスだって地方紙でしょう」とウィキリークスに言えたらなあ、と思います。ともあれ、ウィキリークスの登場によって引導を渡されると思われていた現存ジャーナリズムですが、むしろウィキリークスは信頼できる新聞による検証なしには活動しないし、できないのだ、ウィキリークスはテレビではなくやはり新聞を選んだのだとわかって、面白いと思いました。

私は、ウィキリークスにはじゅうぶん公益性があると思います。スティーヴン・クレモンスさんは、リーク情報は周知のものばかり、たいしたことではない、と言います(こちら)。専門家はそうかもしれないけれど、一般市民はそうではありません。たとえば、IAEA(国際原子力機関)の事務局長に日本の人が就任した時、私が世界平和七人委員会で「よかったですね」と言ったら、しらっとした反応が返ってきました。天野之弥氏がいかなる人物か、長年、反核のために活動してきた核物理学の専門家には知れ渡っていても、私のような生活者までは伝わらないのです。また、ウィキリークス情報は誰でも閲覧できるとは言え、それをしようとするとなかなかたいへんです。おおかたは新聞によって知ることになり、ここでも新聞はおおきな役割をもっていることになります。各紙に「ウィキリークス部」ができるかもしれません。

ウィキリークスと、検証や調査報道を得意とする(はずの)新聞ジャーナリズムは、持ちつ持たれつのうちに緊張関係を維持して、新しい情報空間を開いていくのでしょうか。ウィキリークスがんばれ、新聞がんばれ、と言いたいと思います。そして、いくつもの新聞を比較することで、ウィキリークスが、そしてウィキリークスを巡って新聞ジャーナリズムがちゃんと公益のために仕事をしているかを点検し、判断するのは、しつこいようですが、私たち市民です。



おとといの記事「トイレにはそれはそれはイケメンの神様がいるんやで♪」はなぜ「音楽」にカテゴライズされていないのか、というDMをいただきました。ほんとだ、気づかないままに、「社会・世界情勢」のカテゴリに入れていました。私はあれを音楽耳では聞いていなかった、ということです。「音楽」のカテゴリを覗いてみたら、オペラのほかにはマイケル・ジャクソン、中島みゆき、知久寿焼、COCCO、スコット・マーフィー、ジョン・レノンが入っていました。そう、こういうのを歌というんですっ! 私の音楽耳の周波数帯はかなり偏っていると自覚はしていますが、それがとらえる音楽は、もちろんこれだけではありません。XTCやビーチ・ボーイズやケイト・ブッシュやフレディー・マーキュリーやビリー・ホリディについても、追い追い書ければと思っています。名前を挙げただけでよよと泣き崩れてしまう私は、やはりかなり偏向しています。

久しぶりにスコットの「ドラえもんのうた」を聴こうと思ったら、youtube から抹消されていました。まあね、仕方ありません。ほかのはまだ聞けます。「どんなときも。」は、何度聴いてもやっぱり本家よりいいと、私は思います(こちら)。

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謝名親方(じゃなーうぇーかた)と大田昌秀 NHK教育「沖縄・日本400年」

小森陽一さんの「沖縄・日本400年」(NHK教育「歴史は眠らない」)が、7月に2回まで放送され、続きを楽しみにしていたら3、4回分は放送延期になった時には、唐突感が否めませんでした。それが先週から放送再開されています。2回までは7月と同じ内容とのことです。なんらかの理由で後半、すなわちあの戦争と、戦後の「返還」の部分がつくり直された、ということです。テキストも新たになりましたが、米軍には沖縄に50年でもそれ以上でもいてほしい、その軍事占領は長期租借(リース)という虚構のもとで行われるのが望ましい、という昭和天皇の「沖縄メッセージ」はちゃんと載っていました。

県知事選挙が終わり、動員も期間も過去最大規模の日米合同軍事演習がおこなわれている今、番組を改めて見て、そのつきつけるものの重さにため息が出ました。

冒頭、小森さんは、高校生だった時、沖縄返還の海上デモに参加した、という個人史から語り起こします。これは、どのような立場の人がこれから沖縄・日本関係を論じるのかを明らかにする、フェアな導入だと思います。70年安保をはさんだあの時期、高校生の政治活動はさほど驚くことではありませんでしたが、参加したのはやはりなんと言っても政治的に早熟な少数の人たちでした。ましてや、東京から沖縄にまで出かける高校生ともなれば、かなり早熟です。

第1回は、「『琉球』と『日本』の激突」、薩摩侵攻まででした。ヨーロッパによるアジアの港湾都市の植民地化と海路貿易網がはりめぐらされつつあった当時の東アジアは、中国と周辺国が朝貢外交関係をむすび、たがいに交易するという封冊体制を秩序としていたことは、世界史で習いました。室町幕府も足利義満が明から「日本国王」として封冊されてよしとしていたことも。けれど、それが1402年のことで、琉球王国の正式の封冊がその2年後の1404年だったとは知りませんでした。1573年に室町幕府が滅びるまでの170年ばかり、日本と琉球王国はともに明の東アジア支配のもとにあったわけです。

この東アジア秩序を壊そうとしたのが日本で、信長も秀吉も、明に封冊を求めるどころか、秀吉などは明が「日本国王」に封じると伝えると激怒し、明征服を視野に入れて朝鮮に出兵して、明と覇権をあらそう構えを鮮明にします。琉球王国にも、そのための兵糧を要求するなどして、みずからの支配下に置こうと圧力をかけます。琉球王国は、明を頂点に日本とは横並びだとの認識から、独立を守るため、明との封冊関係をそのよりどころとしようと、日本と明の双方にたいし、必死の外交を続けますが、1609年、ついに島津軍の前に屈します。

その翌年、島津側は時の琉球王、尚寧らに「起請文」への署名を迫ります。そこには、琉球は昔から島津氏の「附庸」つまり支配下にあった、という史実に反することが書かれていました。重臣のひとり、謝名鄭どう親方(じゃなーていどううぇーかた。「どう」は同にしんにょう。「親方」は王族に次ぐ身分)だけは、署名を拒んで処刑されます。

それからはるか400年近くたった1995年、沖縄県知事だった大田昌秀さんが軍用地の代理署名を拒否した時、大田さんの脳裏には謝名親方の故事が浮かんだのではないか、日本が沖縄を専横することを拒絶するのは、自分が初めてではない、謝名親方と自分のあいだにはおびただしい人びとが死をもって築いた峻拒の山脈がつらなっている、と。「日本と沖縄の歴史は戦争で始まった」としめくくる小森さんの言葉を噛みしめながら、そんなことを思いました。

沖縄は独立国だったこと、今からちょうど400年前に日本が武力で支配下に置いたことは、どんなに強調してもし足りないと思います。薩摩侵攻のあとも、琉球王国は明、のちには清と封冊関係を維持したことも。そして、日本というくにが東アジアの覇権をねらう時、沖縄、そして朝鮮にまず軍事的野心を向けて中国と張り合おうとすることも。

第2回「琉球王国から沖縄県へ」は、きょうの夜10時25分からです。琉球処分、つまり近代という植民地帝国主義の時代に繰り返された「薩摩侵攻」が論じられます。また、第1回の再放送が、朝5時35分からあります。見逃された方、間に合うなら、どうぞ今から録画予約してお休みください。

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悪魔の税制 斎藤貴男『消費税のカラクリ』

きのう、いったんアップした記事を、操作を間違って消してしまいました。がっくりしていたら、ある方がRSSリーダーに残っている、と送ってくださいました。そんな技術があるのですね。ご親切に感謝しつつ、少し手を入れてもう一度、アップします。


読後、あやうく絶望しそうになる、でもこれが現実なのだ、ここから出発しなければならないのだ、と気を取り直す、そんな本にときどき出会います。このブログでも取り上げたい、そうした本が何冊か溜まっていますが、きょうはその1冊、斎藤貴男さんの『消費税のカラクリ』(講談社現代新書)をご紹介します。

以前、「消費税が上がると輸出産業が儲かる」という記事を書きました(6月26日、こちら)。それにたいして、「違うよ!」というご指摘をうけ、「【訂正】消費税のカラクリ、私にはお手上げです」を書きました(6月29日、こちら)。これは、輸出戻し税をめぐる議論です。部品を仕入れて製品をつくり、それを輸出する時は、海外の人に国内の消費税を負担させるのはおかしいので、部品の仕入れ値に上乗せして製品輸出業者が払ってあった消費税を製品輸出業者に戻すという、一見なるほど、の制度です。いったん払った消費税が戻るだけだから、輸出業者はプラスマイナスゼロ、つまり儲かってはいない、というのが、批判の眼目だったと思います。思います、と言うのは、とにかく私の頭では理解できなくなってしまったからです。それで、正直に「お手上げ」と書きました。

ただし、2本目の記事に、私はこんな懸念を書いていました。「たとえば輸出する車でも国内販売する車でも、自動車会社は同じ部品を調達するのですが、部品を納入する下請け業者は親会社からつねに値下げ圧力を受けていて、消費税をちゃんと上乗せできずに身を削って苦労している、けれど自動車会社は輸出分にはゆうゆうと消費税の還付を受けている、ということが問題なのではないかなあ、と思います。」

このしろうと考えは実は正解だったと、斉藤さんのご本を読んで確信しました。その実態はしかし、私の想像を超えていました。斉藤さんはご本についてインタビューをうけていて、それを見ればだいたいのことはわかります(こちら)。けれど、インタビューだけではわからないのが、私も愕然としたその実態です。消費税がどのように個々の人間を絶望の淵に追いやるか、これはぜひひとりでも多くの方に知っていただきたい。斉藤さんは、消費税に追い詰められて自死に至った小規模な会社経営者のご遺族を何人も取材しているのです。斉藤さんは言います。消費税は、それを価格に上乗せできる強者にとってはなんでもない、けれど上乗せができない、取引の場で弱い立場にある事業者にとっては命取りだ、と。

先日、NHKスペシャル「借金862兆円はこうして脹らんだ」を見ました。景気対策や福祉財源確保のため、あるいは身勝手なアメリカの圧力でどんどん赤字国債が発行されていくさまを、旧大蔵省の次官級の人びとの証言録やインタビューで描いていました。その中で終始ちらついていたのが、消費税という言葉でした。何度もこれを導入しようとしたけれどできなかった、それが国や地方自治体の借金を脹らませた、と言いたいのかな、と思いました。ある人が、「消費税は悪魔のような税、必ずとれるから」といった証言をしていました。悪魔のような税。そうなのです。消費税は、しくみが簡素で、広く浅くかけられるので公平だとしてもてはやされていますが、商取引があれば、儲けがあろうがなかろうが必ず発生する、徴税する側にとってこれほど確実な税はないのです。それにしても、悪魔のようなとは、なんと正直な。

悪魔性は、中小零細事業者に牙を剥きます。赤字なら、法人税は発生しません。でも、消費税は発生するのです。「あなた、これを売った時に取引先から消費税を預かったでしょう、それを払いなさい」というわけです。「いえ、値下げ圧力で儲けなどほとんどなかったのです、消費税なんて、もらったかたちにはなっているけど、原価や人件費を考えたら、実際はもらってないのが現実です」と言い訳しても通りません。「それはあなたの経営手腕の問題だ、預かったことになっているのだからとにかく払いなさい」とつっぱねられます。

斉藤さんは、ヨーロッパの消費税についても研究し、それが輸出助成金の側面をもつという、フランス政府の徴税部門の重鎮の証言を紹介しています。「消費税が上がると輸出業者が儲かる」ことの、まさに動かぬ証拠です。さらには、消費税は正社員を減らして派遣を増やすと節税できるしくみだ、という指摘も、これほど多くの人びとが不安定な雇用と低賃金に苦しんでいる今、きわめて重い。

NHKだけでなく、東京新聞(中日新聞)を除くほぼすべての新聞も、政権党も野党の多くも、そしてもちろん官僚機構も、消費税を上げるしかないと、連日声を張り上げている今、このちいさな本は貴重です。ぜひお読みになることをお薦めします。消費税が、その税率アップが、健全な資本主義ではなく、むくつけの弱肉強食資本主義を完成させる最後の仕上げであるという事実が、これ以上はないほど理解できると思います。

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「小沢が辞職しなければ新聞は『負けた』ことになりはしないか」?!

花岡信昭サンが、日経BSに書かれた記事「新聞は小沢氏を追い込めるのか」(こちら)がアクセス上位だというので、読んでみました。花岡サンは、同紙のプロフィールによると、元産経新聞論説副委員長で政治ジャーナリスト、「保守・革新のどちらにもぶれずに、現代政治、メディア、世相などを独自の視点で分析・解読、この国のありようをさぐる」とあります。

一読、二読、いったいなにをおっしゃりたいのか、私の頭では理解できませんでした。以前、花岡サンがテレビで話されたことをこのブログで取り上げたことがありますが(「『サンケイは社員の身元を公的機関で調査』花岡信昭さんの記者クラブ観」、こちら)、そのときもお話がわかりにくかった。お書き物も難解ということは、よっぽど私はこの方と波長が合わないのでしょう。単純に私の理解力が不足しているという可能性も大です。ですから、以下、花岡サンのご主張をなぞってみますが、ぜひあなたの目で元記事を検証してみてください。

花岡サンは、中央5紙はこぞって政治家小沢一郎の議員辞職を求めてきた、と言います。そして、「このまま小沢氏が辞職しなければ、新聞各紙は『負けた』ことになりはしないか」と言うのです。花岡サンは、検察審査会の2度目の決議を経て強制起訴になった今、各紙は手をゆるめずにここを先途ともっとやれ、と檄を飛ばしているのかな、と思ったのは、先の文に続けて、「新聞に小沢氏を追い込むだけの力は備わっているのか」と、新聞各紙を挑発するかのような言葉が書き連ねられていたからです。

ところが、どうもそうではないらしい。「政治家からその職を奪うことができるのは唯一、有権者だけである」とか、新聞が「神に代わって断罪するがごとき態度は、いかがなものか」とかの文言も見受けられるからです。これらの部分だけを見ると、小沢さんに辞職を迫った中央5紙への批判と読めます。だったら、「新聞に小沢氏を追い込むだけの力は備わっているのか」ではなく、「新聞に小沢氏を追い込む正統性はあるのか」でないとつじつまがあわないと、私は思うのですが。

ところがところが。「神に代わって」の次の文は、「新聞の指摘を受けて小沢氏が自ら議員辞職するのであれば、新聞は重要な役割を示したことになる」です。政治家にNOをつきつけることができるのは有権者だけだ、という前言と、これは矛盾しないのでしょうか。花岡サンは、有権者の選択がすべてと言ったそのすぐあとに、「その厳粛な事実に、新聞はどこまで介入できるのか」と書いていますから、介入の余地があることを前提に、それはどの程度か、と自問しているわけで、やっぱり新聞を始めとするメディアは、時には政治家の首を取りに行くのだ、と宣言していることになります。それなら、「新聞に小沢氏を追い込むだけの力は備わっているのか」は間違いではありません。

ところがところがところが。花岡サンは、小沢さんが「辞職しない場合は、『犬の遠吠え』に近く、それは新聞の持つべき権威や信頼を損ねることにつながる」「新聞の力の欠損を自ら認めることにな」る、「新聞が、はしなくもその脆弱(ぜいじゃく)さを証明することになってしまう」と、新聞のメンツがつぶれることが心配なんだ、ということを強調しています。だから、小沢追い落としにもっとがんばれ、と檄を飛ばしているのでしょうか。あるいは、恥をかくから小沢追撃はもうやめろ、と言っているのでしょうか。ほんとにわかりません。私にはお手上げです。

今回、花岡サンが言うように、ニュアンスの濃淡はあれ、5紙がそろって政治家小沢一郎に辞職を迫っているのなら、怖い、というのが唯一の私の感想です。たしかに、検察審査会のしろうとの決定なにするものぞという小沢さんの反応、決定の中身は措くとして、私は同じしろうととして、あまり感じのいいものではありませんでした。でも、花岡サンの言うとおりなら、第四の権力とも言われるマスメディア「の雄であってほしい」新聞が、ひとりの政治家にいっせいに襲いかかっているのです。恐ろしくて、愕然とします。

メディアの役割とはいったい何か。分からなくなりそうです。たとえば「ここで政府に戦争を許してしまったら、新聞はただの紙だ、がんばれ」と言うのなら、わかる。少なくとも、私はわかってしまう。でも、ひとりの政治家を失脚させられなければ新聞の沽券(こけん)にかかわる、と言われても、ごあいさつに困ります。メディアが同じ方向を向いて徒党を組むことへの恐ろしさのほうが先に立ちます。そういうことに、花岡サンの新聞批判はまったく向いていないようです。

だいたい、ひとりの人物への評価にはばらつきがあるのが自然というものではないでしょうか。評価はまた、時の経過によってさまざまな事実が明らかになることでも変わってきます。なのに、今この時点で、ある人物を否定するために、多様な情報も観点も分析も評価もあらばこそ、中央5紙はスクラムを組み直して攻撃せよ、と檄を飛ばしているかのような記事を書く新聞出身の言論人がいる、その記事にアクセスが集まっているということに、私は空恐ろしいものを感じます。

花岡サンは記事の後半で、唐突に13年前の江藤淳さんの言葉を引用します。小沢さんにいったん中央政界から引退することを勧めるエッセイです。花岡サンは、政治の世界は厳しくて、いったん身を引けば政治家は終わりだ、と文学者江藤さんの甘さを指摘し、小沢という政治家はそんな言葉には耳を傾けない、闘争心のかたまりだ、「新聞が果たすべきは、その構造の徹底分析と評価であって、なにやら高みからものを言うような姿勢は、いかにも浮世離れしたものに見える」と、かっこよく「高みから」締めくくっています。「その構造の徹底分析と評価」なんて、ちょっと取って付けたような感が否めません。「浮世離れしたものに見える」「高みからものを言うような姿勢」とは何か、私にはよく分かりませんでした。「小沢辞めろ」コールのことでしょうか。うー、ほんとに分かりません。

どうか、この花岡サンという方が新聞業界の変わり者でありますように。ほかのすべての新聞人は、もしかしたら、いろいろ防戦は張ってはいるものの、結局は、小沢潰しはあとひと息だと各紙にはっぱをかけることが眼目かと、少なくとも私には読めてしまうこの記事に、頭を抱えているのでありますように。


【追記】
花岡サンの文章の「新聞」を「記者クラブメディア」に置き換えたら、花岡サンの言わんとするところがもうすこし理解できたような気がしました。「小沢が辞職しなければ記者クラブメディアは『負けた』ことになりはしないか」……お試しあれ。(12:24)

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鈴木宗男という人

朝日ニュースターの「ニュースの深層」は、週末の深夜にまとめて1週間分再放送するのを録画して、雑用をする時に流す、という見方をしています。それで、話題が少し古くなるのですが、10月1日に鈴木宗男さんが出ていました。キャスターは上杉隆さんです。昨今の政治について、そしてもちろん検察の問題もご自身の「事件」ともからめて、縦横に論じていました。鈴木さんは健康が万全でなく、病院で検査をうけながら収監を待つ身です。なのに明るいな、これは虚勢ではない、この鈴木宗男という政治家はなんとタフなのだろう、と思いました。

その中で、驚くような発言がありました。上杉さんも戸惑っておられるようでした。それは、およそこんな発言です。

「ヤマリン事件は松岡さんが仕切った。ヤマリンは、自分より先に松岡さんに報告して、了解を得ている。裁判でその資料が出て、検察はあわてて松岡さんに事情聴取した。松岡さんの三回忌も過ぎているので明らかにするが、亡くなる4日前、虎ノ門パストラルで食事をした。松岡さんは、『一切、鈴木先生に押しつけて申し訳ない』と目に涙を浮かべて謝った。ただ、こうも言った。『ほんとうのことを言うと、大臣になれない。私はやっぱり1回大臣やりたかった』」

ここで上杉さんが、なぜ今までそれを言わなかったのか、と問いかけました。

「検察の狙いが私だけだったから、よけいなことは言わないほうがいいと思っていた。自分が捕まる前の10日間、松岡さんは『鈴木先生が捕まるなら、俺も捕まる。逮捕状が来たら、俺は先生ほど強くないから、選挙区に帰って首を吊る』と言っていた。良心の呵責があったと思う。松岡さんの地元秘書、栗原さんも週刊誌に実名で、『松岡はナントカ還元水や森林公団ではなく、ヤマリンを苦にしていた。車にロープを積んで、いつでも死ぬと言っていた』と証言している。私はヤマリンについては領収書も切っているので、堂々と公判でたたかえばいいと思っていたので、よけいなことは言わないほうがいいと思っていた」

上杉さんも、松岡さんが亡くなる少し前に取材した時、しきりと「申し訳ない」と言っていた、と補足しました。「誰に、とは言わない。鈴木さんだったのですね。そのことは当時、一部、聞いているメディアもいた。けれど、検察の狙いが鈴木さんだったので、誤報とされてしまうのを恐れてメンツを重んじ、霞ヶ関と一体になってごまかしてきた」

鈴木さんは、自分は潔白なのだから裁判で勝つと信じて、「真犯人」である親しい政治家に累が及ぶ、真実に迫る証言は控えた、というのです。たしかに立件や裁判とは、検察が見立てた犯罪を証拠によって立証できるかどうか、この一点にかかっています。真相を究明し、真の犯人を特定する場ではないのです。その意味で、鈴木さんの言っていることは、そして「ヤマリンは松岡利勝がやった」と言わなかったことは、法理に照らして正しいと言わざるを得ません。

それでも、です。国会議員が利権の口利きをしたということは、二重に主権者を裏切ったことになるのではないでしょうか。議員歳費は税金ですし、この時の利権は国有林にかんするものだったからです。私権を侵害するふつうの犯罪とはわけが違います。ですから、ふつうの法廷闘争の論理で足れりとするのではなく、鈴木さんは取り調べや裁判の過程で、きちんと私たち主権者への責任をはたす、つまり事の次第を明らかにすべきだったのではないでしょうか。

鈴木さんの事件が騒がれていた当時、北海道に住む友人が、「鈴木宗男を失うことは北海道にとって少なくとも20年の損失」と言ったのに驚いたものです。友人は大学時代、学園騒動で鳴らした人で、今も信念は変わっていません。そういう人が言うのだから、このメディアの騒ぎはちょっと疑ってかかったほうがいい、と思いました。あれが、いま思えば私のメディアリテラシーの初めの一歩でした。そして、上杉さんの言うとおりだとすると、メディアは真相解明という役割を、ヤマリン事件についてはみずから放棄したわけです。だとすれば、もしも鈴木さんの言うとおりならば、鈴木さんの下獄にメディアは責任の一端を担っている、メディアは冤罪の片棒を担いだことになります。

それにしても、改めて鈴木さんは明晰でタフな政治家だと、舌を巻かざるをえませんでした。ともあれ、「鈴木宗男の帰還」を待ちたいと思います。鈴木さん、おからだたいせつに。

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デマとしての国連「恵まれた日本の子どもは黙ってらっしゃい」

またもや「デマとしての」です。

ツイッターに、「国連で女子高生が『制服じゃなくて着ていく服の自由がほしい』というスピーチを特別にしたとき、ロシア代表から『あなた方は制服を着れるすばらしさを理解した方がいい。世界には着る服すらない国がたくさんあるのだから』という返答があったらしい」という書き込みが出まわっているそうです。ブログ「香港ボロ株ウォッチング」さんがこれを追跡して、どうも事実とは異なるようだとの興味深い記事を書いていらっしゃいます(もとは
こちら)。それによると、話は1998年にさかのぼります。ずいぶん息の長い都市伝説ということになります。

「子どもの権利条約」は、アメリカとソマリアをのぞく国連加盟国が批准していますが、締約国は国内の子どもの権利状況について、国連の「児童の権利に関する委員会」に報告し、勧告をうけることになっています(ユニセフのページがわかりやすくまとめています。こちら)。ツイッターの都市伝説は、その1998年の日本の予備審査で、政府とならんでNGO枠で出席していた高校生と委員のあいだのやりとりに端を発しているようです。

その直後、6月18日号(11日発売)の「週刊文春」がこれを取り上げた、これに荒巻・京都府知事が15日の府議会で言及しました。すこし長いのですが、知事の発言を「香港ボロ株ウォッチ」さんからたどって議事録から引用します。

ちなみにこの6月18日の週刊文春に載っておるわけでございますが(資料提示)、例の桂高校の制服の問題を国連の児童委員会に訴えに行った子供たちの話を聞きまして、国連の委員たちがみんなあっけにとられたと。そしてロシアのコロソフ委員は『我々の国では制服があっても貧しくて買えない子供がいる、それに比べたらあなた方は格段に幸せだ』と皮肉ったり、あるいはスウェーデンのパルメ委員長からは『スイスに来て意見が言えること自体が恵まれている。問題があるならまず親や周辺にアピールすることが重要ではないか』、このように言われたそうでございまして」(もとはこちら

知事の答弁は、この時知事が手にしていた週刊誌の記事をなぞっていると見ていいでしょう。この記事は、広島県議会でも取り上げられたそうです。そんなふうにこの話は広まり、今もなおツイッターなどを介してインターネットを飛び交っている、ということのようです。98年当時、国連の委員会で発言した高校生たちはずいぶん非難されたようで、その年の12月に来日した委員長は、「発言を改めて称讃し、『心ないメディアが彼らをおとしめた』ことに憤りを表明した」(読売新聞)そうです。

国連委員会でいったい何があったのか。「ボロ株ウォッチ」さんは国連のサイトをさぐり、「校則」についての日本政府の見解を見つけます。それによると、校則などの学校生活にかかわる決定権は学校にある、とされていて、これにたいして高校生たちは、意見表明だけで決定に影響を及ぼせないなら意味がないことの一例として、制服の問題を挙げたのではないか、と「ボロ株ウォッチ」さんは推測しています。

推測というのは、これは非公開の予備審査でのことだからです。そこで、委員からいろんな意見が出た。おそらく、制服が着られるのは幸せですね、というような意見も出たのでしょう。それを即刻、「週刊文春」にリークした何者かがいたということです。NGO側の出席者だとは、ちょっと想像できません。日弁連も入っているのですから。そして国連委員会の日本への所見は、「とくに学校生活において、一般の子どもたちが参加権を行使するうえで困難に直面していることを、とりわけ懸念するものである」としていて、委員たちは制服の例を持ち出した高校生たちのプレゼンテーションをもっともだと受けとめたことがわかります。

それが、日本にはまったく逆の意味で伝わり、その方向で地方議会で取り上げられ、来日した国連の委員長が不快感を表明するほどの騒ぎになったのです。たしなめられたのは高校生たちではなく、子どもたちの意見表明権、自己決定権を否定したいがために、国連委員会のお墨付きが出たとの間違った情報を流し、それをうのみにし、ふりかざしたおとなたちだったのです。「ボロ株ウォッチ」さんの言うように、立場を利用して情報を歪曲したうえでリークすること、それをメディアが広めることの弊害をまざまざと見せつけられる思いです。

意見表明権と自己決定権は、子どもの権利条約のなかでもきわめて重要な権利だと、私は思います。94年の日本での発効からすでに16年もたっているのに、子どもの権利など認めたくないおとなたちが子どもたちの頭を押さえつけている、そんな現実があるから、ツイッターの都市伝説は今もなおリアリティをもって流れ続けているのではないでしょうか。

ここに、子どもを取り巻く日本社会の病理があるのかもしれません。おとなはよく、日本の子どもの目は死んでいる、と言いたがりますが、もっと問題の根幹を見据えるべきです。ユニセフのインノチェンティ研究所が行った「金持ち国の子どもの幸せ度調査」で、日本の子どもたちがダントツに不幸だと感じているという結果が出たことは、また機会があったら取り上げます。

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デマとしての中国のレアアース「禁輸」

中国が世界市場をほぼ独占しているレアアースを、尖閣騒動へのいやがらせの一環として、日本向けは禁輸状態にした、まだ禁輸が解けないと、連日、政府が発表し、メディアが報じています。ところがこれ、とんだ言いがかりかも知れません……いえ、言いがかりです。

たしかに中国はレアアースでは「世界シェアの95%を占め……日本は世界の需要量の半分を占めるが、ほぼ100%を中国に頼っている。だが、今年は、中国の輸出政策の転換からなのか、その4分の1にも満たない3万8000トン程度しか輸出されない見込み」という現実があります(中国ニュース通信社 「Record China」、もとはこちら)。

ところが、ここで「今年」と言っているのは2009年、去年のことなのです。輸出政策の転換には、環境問題が影響しているそうです。レアアースは山に酸性の薬品を流して採取する、無許可の業者による違法採掘があとを絶たず、深刻な環境破壊が進行している、世界市場で圧倒的な優位を確保した今、ひと息ついて生産体制を見直そう、ということのようです。国内生産に回したい、また国際的な戦略商品としてよりしっかりと位置づけたい、という意図もあるとのことです。

中国は、7月に輸出枠を減らすことを通告してきました。日本は、8月に北京でひらかれた日中ハイレベル経済対話で、なんとかならないかと持ちかけたものの、話がまとまらないうちに、9月、尖閣での漁船と海保の警備船の衝突が起こってしまった、そういう流れのようです。

レアアース「禁輸」は、尖閣の一件とはなんの関係もありません。これは尖閣の事件をうけてと考えていいのでしょう、中国が日本向け輸出品全般の検査をのろのろやっていた時期がありました。そこに、もともとごくわずかしか入ってこないレアアースも含まれていた、そういうことなのでしょう。そのことを、8月に北京で日本側の議長をつとめた岡田外相(当時)は、重々知っていたはずです。なのに、岡田サンはなぜこのような、中国からすれば濡れ衣的な文脈でこのことが語られるのを、ほうっておくのでしょう。北京対話に参加したほかの人びともです。わけがわかりません。中国を貶めて印象を悪くしようとしている日本のレアアース「禁輸」報道を、中国は苦々しく見ていることでしょう。日本は中国から、なんと姑息な芝居を打つ国だろう、と思われていることでしょう。なにしろ、この「禁輸」騒動では、WTOに提訴できるとかできないとかの議論すら起きたのです。

なんだか恥ずかしくなる私は、けっこう愛国的です。どうせバレる嘘など、政府はなぜつくのでしょう。いつか恥をかくのは、私たちです。情報を握り、それを歪曲して私たちの耳に流し込んだ人びと、つまり政治家、官僚、マスメディアのために、私たちこのくにの市民は赤っ恥をかかされるのです。事情に通じているビジネス界の人びとや、中国経済の専門家は、もっと発信していただきたい。これらほんとうのことを知っている人びとに、発信の機会がもっとあたえられるべきです。

恥をかかされるだけならまだいいのです。その時に、デマに踊らされていたと気づくわけですから。怖いのは、政府やメディアが意図して流す間違った情報が積み重なって、人びとのあいだに他国への警戒心が生まれ、それが敵意や蔑視に変わっていった時です。それは、戦争への道の地ならしにほかなりません。

「Record China」には、違法採掘の写真も多数、載っています。酸性の泥水のなか、防護服どころか靴もはかずに働いている人びと、健康にいいわけはありません。中国政府が、一時、輸出できなくなっても取り締まることにしたのは、じゅうぶん理解できます。ハイブリッド車やEV車のモーター、省エネディスプレイなど、さまざまな最先端技術に欠かせない資源が、このようにして採取されていることを、私たちは知る必要があります。それは、レアメタルにも言えます。採取方法が人のいのちを脅かすだけでなく、その豊富な埋蔵量のために、コンゴは内戦が絶えず、おびただしい人が命を奪われました。

レアアースやレアメタルなど、現代生活に欠かせない資源をほぼすべて輸入に頼る以上、外国とケンカなどしていられないはずです。それが、資源安全保障というものでしょう。政府はしっかりしていただきたいものです。そして、輸入依存度を低めるために、廃棄物に含まれるレアメタル・レアアースをリサイクルする体制を、一刻も早く確立すべきです。これはもう、ひとえにやる気にかかっています。もう一度、政府はしっかりしていただきたい、と言いたいと思います。

メディアったらほんとにもう、と思っていたら、「しんぶん赤旗」がこのことをきちんと報じている、と教えていただきました。ウェブでは見られないようなので、その記事を以下に貼りつけます。


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外交関係・解説記事【『赤旗』本紙'10/10/14】
================経済面
◆《清流濁流》レアアース騒動の真相

尖閣諸島での中国漁船衝突事件をきっかけに、「中国脅威論」が勢いを増しています。とくに、日本が輸入するレアアース(希土類)の97%を占める中国産品が、事件を機に突然に禁輸措置が取られたかのような報道が展開されました。大手紙の論説責任者まで「対日報復外交に経済をからめた」と論難する始末です。

事実はかなり違います。対日輸出など需要増大に伴い、中国国内では乱開発が蔓延。環境破壊や環境汚染が広がり、“にわか開発業者”を閉め出す必要に迫られたのが、事の発端です。
 
9月の「衝突事故」のはるか以前、日本の会計年度の「4月出荷分から40%程度削減したい」というのが、中国側の意向でした。「それは困る」という日本側との交渉が長引いているうちに9月に至ったというのが、事実経過であり、〈闇討ち〉のような話ではありません。この件は、9月の日中経済界・経団連訪中ミッションでも議題として取り上げられました。

中国では、レアアースは主に鉄鉱石の副産物として採取されます。折からの鉄鋼大増産のあおりで、鉄鉱山そのものの乱開発が問題視されています。岩石に含有するレアアースを硫酸液など使用して抽出するわけですが、その岩石を奪い合い、採掘跡をきちんと整地もできない。また、廃液を適正に処理せず、川に流す事態が広がっているようです。

訪中団との協議では、環境処理技術の移転などが議論され、友好裏に解決することで一致しています。いたずらに日中対立をあおる議論は、百害あって一利なしです。
(丘民)

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米臨界前核実験容認と「もんじゅは核抑止力」証言が示すもの

アメリカの臨界前核実験に抗議します。

オバマサンは、私たちが選んだ大統領ではないので、第一の抗議先ではありません。まあ、ブッシュサンに較べれば、オバマサンにはもう少し抗議のし甲斐があるかもしれませんが、私たちがまず抗議すべきは、間接的にせよ私たちが選んだことになっているこのくにの首相と、官邸スポークスマンでもある官房長官です。ふたりは臨界前核実験を容認したからです。

9月15日に行われたとされるアメリカの臨界前核実験について、菅サンは「核のない世界になって、こういう、まあ未臨界の実験を含めてですね、必要がなくなるように、まあ努力しなきゃいけないなと、こう思っています」と、気の抜けたコメントをしました。

この発言が意味をなさないということ、ご本人は分かっているのでしょうか。核のない世界には核がないのだから、いかなる核実験も必要ないと言うよりむしろ、したくてもできません。菅サンのコメントは、核兵器廃絶を願望として述べたにすぎません。こんなことなら、誰でも、何千回でも言えます。国連で演説する外務官僚のセリフそのものです。いやしくも唯一の実戦被爆国の首相の座におさまっている政治家が、口にすべき言葉ではありません。

首相会見の場に、「核のない世界への努力とは、具体的にどういうことか」とたたみかけるジャーナリストは、ひとりもいませんでした。この社会の私たちは、そんな質問など思いも寄らない新聞社やテレビ会社の社員しか育ててきませんでした。私たちは、「臨界前核実験にもの申すことがその努力ではないのか」と食い下がらなければ読者や視聴者を失うというプレッシャーを、記者たちに与え得ませんでした。

仙谷サンは、「核実験全面禁止条約(CTBT)で禁止される核爆発を行うことなく、貯蔵する核兵器の安全性、信頼性確保のために従来、行っていると政府は理解している。抗議や申し入れは考えていない」と言ってのけました。そのあとで、臨界前核実験は「核兵器のない世界を目指すとの立場から核軍縮に取り組んでいく中で検討すべき事項だ」と付け足しても、菅サン同様、そらぞらしく聞こえます。

昨春の新START(戦略核兵器削減条約)で、米露は核搭載ミサイルを1550基に減らすことにしました。アメリカは5113基もっていますから、3565基を削減することになります。アメリカは、ミサイルから降ろされた、少なくとも3565発の核弾頭を保管するための予算を組んでいます。ミサイルから降ろされた核兵器は、手厚い予算措置がなされて貯蔵されるのであって、解体・廃棄されるわけではないのです。そしてアメリカは、「貯蔵する核兵器の安全性、信頼性確保のために」、つまりいつでも使えるように、臨界前核実験をしたのです。あと2回、するそうです。そんなアメリカと歩調を合わせて、このたびの核実験を是認する仙谷発言、私は容認できません。

この唯一の実戦被爆国は、いったいどこに行こうとしているのでしょう。じつは、このくににとって膨大なプルトニウムは外交上の隠れたパワーであり、もんじゅは核抑止力に相当するというのは、デタラメでも邪推でもなんでもありません。元原子力委員会委員が、テレビカメラの前でさらりと公言していることです。この映像、冒頭40秒めからの10秒だけでもご覧ください。





このビデオのあとのほうに出てくる鈴木達次郎・原子力委員会委員長代理は、「非核投票キャンペーン」を提唱しています(サイトは
こちら)。賛同者は、「私は、有権者としてわが国の『非核三原則』の堅持を明確にする候補者および政党に投票することを誓います」と誓約するのです。原子力政策と呼ばれる、実際は核政策であるところの、このくにのあり方の根幹に触れる政策に、その奥の院で深く関わっている核物理学者が、なぜこのようなキャンペーンを行うのか。万が一、その焦点が三原則のなかの「作らない」に定められているのだとしたら……だから「もんじゅ」は事業仕分けにもひっかからず、税金を湯水のように投入されるのだとしたら……私ははっと息をのみ、鈴木さんは私の疑問にはかばかしく答えてはくださらないだろうと思い定めて、問い質(ただ)す代わりに賛同者になりました。私のペンケースには、その証のピンバッジがついています。

「非核投票キャンペーン」を必要とするこのくにの深層で、政権交代もものかは、何事かがひそかにめざされてきた、今もめざされているのだとしたら、菅サンと仙谷サンの持って回った核肯定の言説は、そのことと齟齬をきたしはしないのではないでしょうか。

菅サン、仙谷サンの、アメリカ臨界前核実験容認に強く抗議します。

                  ☆☆☆☆☆

世界平和アピール7人委員会2010年講演会「武力によらない平和を 日米安保・沖縄・核」は、11月12日(金)18時より、明治大学リバティータワーで開かれます。すべての委員(武者小路公秀、土山秀夫、大石芳野、小沼通二、池内了、辻井喬、池田)がお話をします。参加無料、ぜひお越しください(詳細はこちら)。

20101112 7人委員会「武力によらない平和を」

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9.18記念切手と日中の度量較べ

きのうご紹介した反中デモ、マスメディアは報じなかったようですが、もうひとつの反中実力行使も地方版にしか載らなかったようです。メディアの「自制」なのでしょうか。

もうひとつのものは由々しい事件です。先月29日、福岡の中心部で中国からの団体旅行客1300人を乗せたバスの車列を数十台の街宣車が取り巻き、バスの車体に乱暴したり、罵声を浴びせた、というのです(新聞記事は
こちら)。3日の朝日ニュースター「愛川欽也のパックインジャーナル」でもどなたかが言っていましたが、こんなことが中国で起きたら、このくにのメディアは書き立てるのではないでしょうか。中国のメディアはどうなのでしょう。「人民網日本版」は、この事件には触れていません(こちら)。中国メディアも自制しているのでしょう。抑制している、と言うべきでしょうか。

それでも抑えきれないのが、この種のことがらのやっかいなところです。人びとの行動も、メディアの報道ぶりも。

というのは、ついにやってしまったのです。4日、中国の山東省でひらかれていたサッカーU19アジア選手権で、日本チームの試合前、君が代演奏のあいだにピッチに乱入した男性が日の丸を奪って逃げたり、試合中も、日本チームにブーイングがあびせられたり。それを、翌日の東京新聞は写真入りで報じました。他紙のウェブ版も伝えています。中国側からの陳謝があった、と付け加えているところ、いないところ、まちまちです。不穏な感情の内圧が抑えきれなくなっていて、それを日中どちらにせよ(今回は日本)、メディアは報じざるをえなくなっているのでしょうか。

スポーツの国際試合で示威行動に走るような「はね返り」は、どうしても出ます。福岡の観光バス取り囲み事件など、日の丸を奪った人のばあいよりもっと組織的で大がかりな分、悪質と言えます。こうした感情的な行動にうったえる人は、つねに一定数います。問題は、そうした軽挙妄動をどうやりすごし、「つまらないからやーめた」と考えてもらうかです。

報じない、というのも、もちろん有効かも知れません。そうではないことを坦々とやり続けることもたいせつだと思います。9月18日は、柳条湖事件が起きた日でした。この関東軍の謀略に端を発し、満州事変、15年戦争と、日本が中国をじゅうりんしていったのでした。9.18は中国の人びとにとって、怒りとともに想起される記念日です。今年も記念切手が発行されました。それは日中の女性のイラストをあしらった切手で、「ともに木を植えよう」と書いてあります。日中のお祭りの図柄の切手も。過去は過去として、これからの友好を培っていこうという、中国のメッセージです。3日の朝日ニュースター「愛川欽也のパックインジャーナル」で、石川好さんが現物を手に、紹介してくださいました。尖閣での一件が起きても、中国政府は予定どおり、粛々とこの記念切手を発行したのです。当初、中国はあくまでも事を穏便におさめようとしていた証左です。これは、中国が一枚役者が上だと言わざるを得ません。

ここはがまんのしどころです。熱すぎるお湯に浸かっている時は、じっと動かないでいるしかありません。じたばたすると、日本の市民にとっても中国の市民にとっても、ろくなことはありません。あちらにもこちらにもいる、嫌悪の感情を吹き上がらせたい、ごく少数の人びとをよろこばせるだけです。

こんな時、長年、中国の文化人と「ともに木を植え」てきた辻井喬さんのお話は貴重だと思います。関東地方のみなさま、11月12日の世界平和アピール七人委員会講演会に、ぜひお越しください。併せて、武者小路公秀さんと土山秀夫さんの安全保障論は、写真を交えて話される大石芳野さんの沖縄へのまなざしと呼応して、私たちが頭を冷やし心を熱くして向かうべき方向へのヒントになると思います。私は、核兵器についてお話しようと思います。明治大学軍縮平和研究所のご厚意で、参加無料です。ご参加のみなさまを交えた討論と質疑にも、じゅうぶんな時間をとりました。


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世界平和アピール7人委員会2010年講演会
「武力によらない平和を 日米安保・沖縄・核」

日時:2010 年11 月12 日(金)18 時〜21 時
会場:明治大学駿河台地区リバティタワー1 階1013 教室(入場無料)

冷戦が終結してまもなく20 年を迎える。しかし、東アジアには分断国家が存在し、領土問題や歴史認識問題など、冷戦思考が色濃く残り、軍事衝突の不安もくすぶり続けている。そうした中、日本は北朝鮮の核と中国の軍拡に対抗するためとして日米同盟を深化させ、「核の傘」に依存し続けている。戦争で核兵器が使われた唯一の国として日本が果たすべき歴史的役割は矮小化され、「基地の島」沖縄は依然として日米安保の犠牲にされ続けている。

これらの問題に正面から向きあうため、私たちは今こそ、武力によらない平和を東アジアに構築する道を探求すべきではないか。

今年4月に亡くなった七人委員会委員の一人、井上ひさしさんは、戦争や原爆をテーマに数多くの戯曲を発表し、沖縄戦を巡る芝居を構想し続けていた。今回の講演会は、新たに委員に迎えた辻井喬さんとともに、井上さんの思いを次代へ引き継ぐことを願って、「武力によらない平和を」をテーマに開催する。

【当日プログラム】
18:00 開会の言葉 小沼 通二
18:10 講 演
「東アジアの平和構築」 辻井 喬
「沖縄 命ぬちどぅ宝」 大石 芳野
「日米同盟と沖縄」 武者小路 公秀
「日米安保と憲法9条」 土山 秀夫
「核はいらない、過去も未来も」 池田 香代子
19:40 休 憩
19:50 講演を受けての討議と質疑応答 池内 了と講演者
20:55 閉会の言葉 福田 邦夫(明治大学軍縮平和研究所長)
21:00 閉 会

主 催:世界平和アピール七人委員会(HP:http://worldpeace7.jp
共同主催:明治大学軍縮平和研究所(HP:http://www.meiji.ac.jp/osri/gunsyuku/index.html
お問い合わせ:E-mail:mkonuma254@m4.dion.ne.jp、ファクス:045-891-8386(七人委員会事務局)
E-mail:gunsyuku@kisc.meiji.ac.jp(明治大学軍縮平和研究所)

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「深夜の会見」の中国流の意味

「領土問題」は気が重い。なぜなら、四方八方から「断乎決然!」「毅然と対処せよ!」などなど、威勢のいい声が澎湃としてわきおこるからです。それが、近代国民国家の国民の生理的反応なのでしょうか。ひとたびそうした過程が始まると、ことがらのすべてが物議を醸し、「相手はこちらをばかにしている」という反応をひきおこします。

たとえば、戴秉国(たいへいこく)国務委員が丹羽大使を深夜に呼び出した、いや、呼びつけたのだ、仙谷官房長官はこれを「異様」とし、遺憾の意を表明した、という一件です。ところがこれ、日本側の不可解で不手際な対応の結果だというのです。2日放送の朝日ニュースター「愛川欽也のパックインジャーナル」で、田岡俊次さんが、おおよそこんなことを言っていました。

「戴秉国国務委員は、夜8時ごろに、丹羽大使に来てくれるよう、連絡した。ところが日本大使館は、テーマなど聞いて準備が必要と、断った。大使館が大使をしろうととして信用していないのだ。戴秉国側は、日本の岡田外相に電話したが、岡田外相は電話に出ない。携帯にもかけたが、出ない。しかたないので、丹羽大使に再度申し込んだりしていたら、夜中の12時になった」

これは香港フェニックスの情報で、田岡さんは日本政府にも確認したのだそうです。いかに党代表戦のさなかだったとしても、国務を疎かにしてもらっては困ります。ひとつ間違うとたいへんなことが起きていたのですから。

しかも、中国では夜中の会談は珍しくなく、むしろ親密な、本音を言い合える場なのだそうで、戴秉国国務委員という、中国政府きっての実力者がそのような時刻に会いたいと言ってくるというのは、厚遇と言えるのだそうです。だとするとこの会見は、結果的に深夜になってしまったことを、中国側がむしろ好都合ととらえ、礼を尽くして事を穏便に収めようとしていたことの現れということになります。このこと、メディアは報じているでしょうか。新聞に目を通す時間がなく、地上波テレビはろくでもないことを言っているような気がして、見る気がしないので、チェックしていません。日本政府の勘違いととんちんかんな反応を、ちゃんと批判する報道をしていたのならいいのですが。

それにしても、北京の日本大使館の人びとにとって、深夜の会見が厚意の表れだということは常識でしょう。それがなぜ、日本政府の閣僚たちには伝わっていないのでしょう。その結果、「無礼だ」などという無礼な反応をひきおこし、メディアやネット世論が呼応し増幅しているのだとしたら、お粗末きわまると言ってすませられる話ではありません。民間人大使に外務省がおへそを曲げて、子ども染みたいやがらせをしているのでは、と勘ぐってしまいます。まさか、そんなことはないだろうと思いたいのですが。

「パックインジャーナル」では、もっと興味深い話が出ていました。その続きはあしたにします。

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辻井喬さんと信濃毎日と世界平和アピール7人委員会

「マスメディアの質の悪さと言ったら、ほんとうに気をつけないといけない……そのころでも桐生悠々(きりゅうゆうゆう)とか、菊竹六鼓(きくたけろっこ)とか、何人かのジャーナリストが最後まで軍国主義に反対したという事実だけは知っておいてほしい……ぼくが、『信濃毎日』の連載を承諾したのは、桐生悠々を最後まで守った新聞だということを知っていたからですよ」(『心をつなぐ左翼の言葉』より)

桐生悠々は、早くも1933年に防空訓練を批判して、「関東防空大演習を嗤(わら)ふ」という社説をものした、信濃毎日新聞の主幹です。菊竹六鼓は、同じ頃、福岡日日新聞で反ファシズム・反軍部に健筆をふるいました。このくにが戦争へと傾斜していくなかに、こうした反骨のジャーナリストがいたということを、この引用は指摘しています。語っているのは、詩人で小説家の辻井喬さん。セゾンの堤清二さん、と言ったほうがおわかりの方もおられるでしょう。本のタイトル、「左翼」とは今どき思い切った選択です。辻井さんは、「左翼」は人の心を動かす言葉を紡ぐことを怠ってきたのではないか、という思いから、今の時代を存分に語っておられます。文学者として「左翼」のためにできること、それは人の心と心を言葉を贈ることだという、静かな確信と覚悟が行間にあふれています。

ところで、この引用部分をイラク支援NGOで働く原文二郎さん、桐生悠々のお孫さんにお見せしたら、「でも、信濃毎日は悠々を追い出したんですけど」と、いたずらっぽく笑っていました。「守った、って言うほうが、辻井さんらしくてロマンチックでいいじゃない」と、私も笑って返しました。

辻井喬さんが、世界平和アピール7人委員会(サイトは
こちら)の委員になられました。井上ひさしさん亡きあとを、やはり文学者に引き継いでいただこうとお願いして、快諾をいただいたのです。来月の11日は、7人委の誕生日なので、毎年、この頃に各地で講演会を開いています。今年は12日(金)に、明治大学のリバティタワー(JR御茶ノ水)で開催します。辻井さんには「東アジアの平和構築」と題してお話しいただきます。長年、日中文化交流協会会長として中国文化人との交流を深めてこられた辻井さん、両国のあいだに不穏な空気が流れる昨今、どんなお話をしていただけるか、どんな心と心をつなぐ言葉がうかがえるか、今から楽しみです。

信濃毎日新聞と言えば、私は数年前、同紙のお正月特集で辻井さんと対談したことがあります。若輩者を過分にお引き立てくださるのは、私が高校の後輩だからではなく、お人柄だと思います。去年、辻井さんの小説を書評しました。複雑な物思いに誘う、けれどすきっと晴れわたった今の季節の空のような文体で綴られた、半ば自伝的な作品です。以下に転載します。あら、これが載ったのも信濃毎日新聞でした。


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辻井喬『遠い花火』(岩波書店)

財閥の重鎮、島内源三郎が、自身の膨大なメモをもとに彼の言行録をまとめることを、作家でもある主治医の「僕」に依頼する。
 
ジグソーパズルのような読解作業を進めるうちに、「宿命」と「原始的蓄積」の二語が「僕」の目に止まる。島内は財閥の保険会社を引き継ぎ、財界人として政治にも関わって、ときには厳しい判断も下してきた。「宿命」には、そうした生き方を選ばざるをえなかった島内の覚悟と鬱屈が込められているだろう。
 
財界人が、折に触れて「原始的蓄積」というマルクス経済学用語に立ち戻る光景は、一見奇異なようだが、財界には若い頃マルクスに打ち込み、政治活動にすら加わった世代が存在する。島内もその一人だ。
 
「原始的蓄積」とは、封建制が解体するなかで初発の資本が形成されること、というほどの意味だろう。しかし、メモに現れるこの語には、経済学の公式定義にとどまらない、島内の個人史に関わる複雑な思いがまとわりついている。それがもう一つのキーワード「宿命」と響き合ったときに見えてくるのは、島内の原罪意識だ。
 
「統ての財閥の創立期には血が流された」
 
維新や戦争などの社会変動を商機ととらえうる立場と才覚に恵まれた者たちの旺盛な「原始的蓄積」は、歴史の必然であり必要でもあったとは言え、その継承者を正統性や倫理性への問いという壁の前に佇ませるのだ。
 
誰しも出自や親の過去を覗けば、この国の近現代史と深く切り結んでいる。国の成り立ちに「血が流された」以上、島内の自問は私たちにも無縁とは言えない。島内を取り巻く人物群の来歴もまた、彼の内面世界とからみ合う。彼らの「宿命」と結びついた樺太や奄美やロシアやフランスが、思いがけない意味を帯びて浮上し、それぞれの流儀で島内の自問に呼応するのだ。

だが、困難な問いだ。問いからの解放は、人生そのものからの解放なのかもしれない。だとしたらまるで、手を伸ばしても届かない遠い花火だ。「僕」の語りは、問いを問いのままに定位する節度のうちに、人生の終幕は真情で走り切ろうとする生涯の囚われ人への共感に満ちて、うっすらと苦い。

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クリントンは本当に「安保」と言ったのか

ひやっとした新聞記事がありました。真相をさぐらねば、と思っていたら、すでにバンクーバーのサイト、「ピースフィロソフィー」さんが日米のメディアを比較分析してくださっていると、さとうまきこさんが教えてくださいました。

その記事とは、訪米している前原外相にクリントン米国務長官が、「尖閣は安保条約の適用対象」と言った、というものです。けれど、「ピースフィロソフィー」さんの綿密な報道分析によると、どうやらこれは事実とは微妙にずれているようです。ようするに、前原外相が、「尖閣は安保条約の適用対象ですよね?」と水を向け、クリントン長官がうなずいたか、あるいは「ですね」と思わず同意してしまったか、のどちらかのようなのです。それを、このくにのメディアは、長官が尖閣は安保の対象と「明言した」だの「強調した」だのと報じているのです。

アメリカは、日米安保を領土問題には一切関係させない、との立場をとってきました。ですから、北方「領土」をロシアが実効支配しようとも、竹島(独島)を韓国が実効支配しようとも、なにもしないし、なにも言いませんでした。いっぽうで、尖閣諸島について、日本は領土問題の存在を否定しています。完全に日本の領土だと。だから、ここには安保条約が及ぶのだ、というのが前原外相を初めとするこのくにの政府の見解です(だとしたら、領土かどうかあいまいなときに使う「実効支配」という言葉を、なぜこのくにのメディアは尖閣諸島にも使ったりするのでしょうか、「わが国が実効支配している」なんて)。蓮舫行政刷新担当相が「領土問題」と言ったのを即刻訂正させたのは、前原外相がクリントン長官にこうした確認をするにあたってのノイズとして、否定しておく必要があったからでしょう。

けれど、クリントン長官から「安保」という言葉は出なかったのです。もしも出したとしたら、この海域で起こっている日中のあつれきに、アメリカは軍事で対応すると意思表示したことになります。それで、ひやっとしたのです。クローリー国務次官補の会見も読まねば、と思っていたら、「ピースフィロソフィー」さんがちゃんと読んでくださっていました。ここにも、クリントン長官が「安保」と言った傍証はありません。全般に腰が引けたような調子で、「日中はおとななんですから、互いにしかるべく矛を収めるのでしょう、そう望みます」と言っているだけです。

ひと安心なわけですが、心配の種は蒔かれました。前原外相は、外務省は、そして菅政権は、「クリントンが尖閣は安保の対象と言った」と、鬼の首でも取ったように喧伝し、既成事実化しようとすることでしょう。だから沖縄に米海兵隊は必要なんだと、詭弁を弄することでしょう。おもいやり予算を増額する口実にするのでしょう。軍事大好きの従米勢力はほくほくものです。

そんなことを許しておくわけにはいきません。これは、あの「偽メール事件」を連想せずにはいられない、前原サンの自作自演劇なのだと、言い触らす必要があります。


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(転送歓迎)

http://peacephilosophy.blogspot.com/2010/09/blog-post.html

 Thursday, September 23, 2010

Did Clinton really say ANPO applies to Senkaku? クリントンが『尖閣は安保5条の適用対象』と言った」というのは前原外相が言っているだけでどこにも証拠がない

(English-language readers - this is about Japan's Foreign Minister Maehara's possible misrepresentation of Hilary Clinton from their talk in New York on September 23, 2010.)

 

この投稿のタイトルに反してクリントンが本当にそう言ったという証拠があるということだったらすぐ info@peacephilosophy.comに連絡が欲しい。

 

日本のメディアは24日、一斉に「クリントンが『尖閣は安保条約の適用対象』と言った」と報道した。

 

・日経: 「米国務長官、尖閣「安保条約の適用対象」 日米外相会談

 

・テレ朝: 「尖閣諸島も日米安保の対象」クリントン国務長官

(前原外相が「尖閣も含めて日米安保条約第五条の適用がなされるという話もクリントン長官からありました。」と言っている。)

 

 ・時事: 「米長官「尖閣は安保条約の対象」=日中対話に期待−日米外相会談

(時事は「クリントン長官は尖閣諸島について「日米安全保障条約は明らかに適用される」と述べ、米国の対日防衛義務を定めた同条約第5条の適用対象になるとの見解を表明した。」と、前原外相を引用するという形ではなく報道している)

 

・読売 クリントン米国務長官「尖閣は日米安保適用対象」

(「日本側の説明によると、沖縄・尖閣諸島沖での中国漁船衝突事件で日中間の緊張が高まっていることについて、外相は日本の国内法に基づいて粛々と対応していることを説明した。これに対し、長官は理解を示したうえで、「尖閣諸島には、(日本への防衛義務を定めた)日米安保条約5条が適用される」と明言した。」としている。「日本側の説明によると」というのがクリントンの発言とされている節にまでかかるのかどうか、曖昧である)

 

・共同 尖閣は安保の対象、米国務長官 日米外相が初会談、漁船衝突で

(「前原氏は沖縄県・尖閣諸島周辺の中国漁船衝突事件をめぐる日本政府の対応を説明。前原氏によると、国務長官は理解を示した上で、尖閣諸島が米側の日本防衛の義務を定めた日米安保条約第5条の適用対象になるとの見解を表明した。」とある。前原外相を引用する形になっているが、引用なら「表明したという」といった終わり方になるべきなのでここも曖昧だ)

 

 ・産経 「尖閣は日米安保適用対象」クリントン長官、明言 日米外相会談で

(「クリントン氏は沖縄・尖閣諸島付近で海上保安庁の巡視船と中国漁船が衝突した事件に関連して、尖閣諸島は日米安全保障条約の適用対象であるとの見解を強調した。」と、クリントンが主体的にこの発言をして「強調した」とまで書いている。)

 

・東京 尖閣諸島は安保対象』 日米外相会談 米国務長官が明言

(「米政府はこれまでも日本の施政下にある領域に適用される同条の対象に尖閣諸島が含まれるとの考えを示してきた。前原氏がこうした米側の姿勢に謝意を示したのに対し、クリントン氏は「日米安全保障条約第五条は明らかに適用される」と明言した。」とある。ここからは、前原氏が過去の米国の立場に言及して誘導的にクリントンからこの発言を引き出したかのようなニュアンスがある。)

 

日本のメディアは大差がないのでこれぐらいにしておく。

 

ロイターの報道には、この「安保適用発言」には触れていない。

米国務長官、尖閣漁船衝突事件で日中両国に迅速な解決求める

 (「クローリー国務次官補(広報担当)は記者団に対し、「対話の促進および問題が速やかに解決されることを希望する、とクリントン長官は応対した」と述べた。」とある。)

 

メディアの報道ばかりなぜ追っているかというと会談の全文が公開されていないからだ(私が調べた限りは)。外務省の「要旨」には「クリントン長官からは、日米安保条約第5条が尖閣諸島に適用されるという米国の立場について発言があった。」とある。米側のソースとしては国務省のクローリー国務次官補の記者会見のテキストが発表されているだけだ。その中では、クリントンは日中がこの問題を早期に解決するように求めているということを繰り返しているだけで、彼が「安保」に触れたとはひと言も言っていない。参考までに全文を一番下に貼り付けておく。

重要な部分だけ赤字にして翻訳してある。

 

AFPは Clinton urges dialogue to resolve China-Japan row (クリントンは日中の騒動を解決するための対話を)というタイトルで報道している。重要なのはこの部分だ(下記参照)。「ニューヨークの共同通信は、前原が『クリントンが尖閣に安保が適用されると確認した』と報道した」と報道していることだ。どうしてこんなに回りくどい言い方をしなければいけないのか。本当にクリントンがそう言ったという裏が取れていないから「共同によると、前原がこう言ったとのことだ」程度のことしか言えなかったのである。日本の数々のメディアにはクリントンが「名言した」とまで書かれているがここでは acknowledge, 「確認した」ということである。この acknowledge という言葉は、誰かに言われて、うなずいたり、「そうです」と答えた程度の消極的なものである。いずれにせよAFPは「わからないけど、共同によると前原がこういってたとのことだ」と言っているだけなのだ。 また、「記事では前原を引用しなかった」という不明な表現がある。(*英語省略)

 

このAFPの報道を、Yahoo News Clinton says disputed islands part of Japan-US pact: Maehara 「前原によると」という但し書きでクリントンがしたと言われる安保への言及について報道している。

AP通信も、「前原によると」との但し書きでクリントンの安保発言について触れている。

 

この会談は密室で行われたのでも何でもなく、公式会談である。なのにどうして当事者の前原外相がこの会談の内容をメディアに話す報道官のような役割を果たしているのか。とても客観的とは言えないのである。

 

結局、国務省と外務省に会談の全記録を求めるしか真実はわからないということである。前原外相が嘘を言ったりしている、もしくは限りなく嘘に近い誇大表現をしているとは思いたくない。しかし、記録を見せてもらわないと私には納得できない。

 

クローリーの会見を読んでも、アメリカ側のは「安保があるから軍事衝突があったら米国が日本を守ってあげるよ」というような趣意のことは全く言っていない。「大人の国なんだからしっかり解決してください」と言っているだけなのである。前原発言は、嘘ではなかったとしても、大きな誇張であることは間違いない。しかし全文を見るまでは、嘘でなかったという確信は得られないのである。冒頭で書いたように、本当にクリントンがそう言ったのか、言ったとしたらどのような言葉を用いてどんな文脈で言ったのか、わかった人がいたら連絡ください。

 

なぜこのことが大事なのか、言うまでもないと思うが、尖閣諸島での中国漁船と日本の海保の巡視船が衝突した事件に対して、両国間で政治、文化、経済交流がストップするケースが続出するほどの異常事態になっている。今回の事態の異常さはこの事件そのものよりも、この政治、市民レベルでのオーバーリアクションにある。こういったとき、まさしく成熟した国家として落ち着いて外交で対応するべきであるのに、武力行使をするような事態になることを匂わせるような発言をすることはとても賢明とは言えないからである。

 

ましてや、前原外相が自分の意見として発表するのではなく、米国務長官の名を借りて自分の言いたいことを言わせるような行為は到底受容できるものではない。尖閣諸島付近のトラブルを利用して中国の「脅威」を最大限に演出し、「いざとなったらアメリカが守ってくれる。なので日米安保は大事だ。日米安保が大事なら尖閣諸島の横にある沖縄の米軍はやはり大事だ。普天間代替施設はやはり沖縄に作らなければいけない」という論理を作り上げ世論に影響させようとしている、そのためにクリントン長官を利用したとしたら、その罪深さは計り知れないものがある。

 

9月23日米国国務省クローリー国務次官補記者会見

(*抜粋訳:赤字は同センター訳)


地域問題については北朝鮮、イラン、アフガニスタンについて討議した。前原外相は現在の中国との緊張状態の話題を取り上げ、中国の漁船と日本の海保による事件に関する日本の見かたを説明し、日本は法的プロセスと国際法に沿ってこの問題に取り組んでいると述べた。

 

クリントン長官の反応は、地域の安定にとって日中の関係は非常に重要なので、対話を奨励し、この問題が早期に解決されることを望むというものだった。さらに日米両国の問題について、普天間基地の移転努力や、貿易−それも様々な貿易問題−について語った。普天間に関しては、前原大臣は5月28日の政府間合意に言及し、その合意の完全実施に鋭意専心すると約束した。

 

 

 

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基地はなくせるんです! 「DAYSJAPAN」10月号

「プエルトリコのビスケス、フィリピンのクラークやスービック……人々の意志が基地を撤去した国々がある。基地の跡地は市民生活の要となり、雇用と豊かさを生み、暴力や事故などの基地被害をなくした。そして何より戦争をなくすことに一歩近づいた。次は、沖縄だ……。」

堂々たるリードです。見開きいっぱいに広がる、金網に取りつき、引き倒す褐色の背中たち。キャプションには、「米軍による爆撃訓練を阻止する 『人間の盾』 となるため、爆弾投下予定地で抗議行動をくり広げる住民たち」とあります。プエルトリコのビスケスの写真です。基地被害は、他地域より27%も高いガン発症率にも表れていました。フィリピンの米軍基地を撤去させた人びとについては、以前このブログでも動画を紹介しました(
こちら)。  「DAYSJAPAN」誌の特集は、力強い海外の写真に並べて、今年4月25日に開かれた沖縄の普天間県内移設反対集会の写真を最後に掲げています。黄色いプラカードや帽子に埋め尽くされた会場をとらえた1枚は、たしかな希望のありかを教えてくれている、私はそう思いました。


DAYS JAPAN201010



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「政治的無人島」

ほかのことを書く予定でしたが、急遽変更します。

嘉手納基地の滑走路を補修するために、1年半にわたって嘉手納所属機が普天間を使用するそうです。以前、普天間基地を閉鎖し、海兵隊を一時的に嘉手納に移す、という案が浮上していたことがあって、私も、ほんの短い間なら緊急避難として嘉手納周辺の方々にがまんしていただくのもひとつの考え方かもしれない、と思いました。ところが、森本ナントカさんだったか、岡本ナントカさんだったか、外務省関係者や当時の自公政権の人びとは、「嘉手納にいるのは空軍、普天間は海兵隊、空軍と海兵隊は伝統的に仲が悪いので、それは考えられない」と訳知り顔に一蹴していました。

嘘だったわけです。

世界一危険な、クリアゾーンもない、米国内法に照らせば違法の、日本の法律に照らしてもついこのあいだの騒音訴訟で違法とされた、沖縄の人びとは撤去しか要求していない普天間に、さらに多くの戦闘機が蝟集するのです。那覇空港も使うかもしれないのだそうです。その根拠が地位協定だというのなら、この決定は、地位協定の問題を強く、これ以上ないほど強く顕在化させるという、きわめて政治的な狙いをもっていることになります。米軍自体が、こちらが地位協定の見直しを迫らざるをえなくしているのだと受けとめるしかありません。そうでないのなら、あまりに政治的に愚かしいふるまいであるか、あるいはこちらをとことん馬鹿にしたふるまいです。どうせ日本のヘタレ政府は唯々諾々とのむに決まっている、沖縄の、日本の市民の反対など蟷螂(とうろう)の斧、いつものように無視すればいいのだ、と。

21日には、岩国所属機が鳥島にクラスター爆弾を落としました。日本はクラスター爆弾禁止条約締結国です。失礼ではありませんか。政府は厳重抗議すべきです。宮古島の平良港には、「親善友好」を掲げて掃海艇が入港し、グリーン在沖米総領事は「最近はソマリアや東シナ海、南シナ海、朝鮮半島で緊張が高まる中、航海自由の原則が大切だ」とぬけぬけとうそぶいて、「親善友好」なんて大ウソで、軍事的示威行動以外のなにものでもないと言い放ちました。なんとまあ、いけしゃあしゃあと。

「政治的無人島」、これは琉球新聞社説(9月23日)の表現です。主権者の民主主義的意志決定による統治が無効の島。中央政府が統治の意志を放棄している島。怒りが収まりません。以上、すべてはブログ「地元紙で識るオキナワ」さんの23日の記事で知りました。この日のブログに挙がっているすべての新聞記事を、どうかあなたもじっくり読んでください(
こちら)。

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切った剥いだ ある事件報道

「切った張った」の間違いではありません。認知症のお年寄りの足の爪を看護師がニッパーで「はがした」とされた事件は、「福岡爪はぎ事件」として報道され、世を震撼させました。一審は有罪でしたが、高裁での二審は無罪。厚労省元局長の村木さん無罪判決の印象がいまだ消えやらぬ中、またしても濡れ衣を晴らした女性が涙する映像が、テレビのニュースに流れました。

要は深爪。説明を求めた患者のご家族や、勤務先の病院側とのコミュニケーション不全は、看護師さん本人も認めていることで、今後、改善の余地はあるのでしょう。自分の意志を十全に伝えられない患者さんの看護が難しいことは、しろうとにも容易に想像できます。だからこそ、患者家族とのコミュニケーションは重要です。この看護師さんには、今回の経験をこれからの仕事に生かしていただきたいと思います。

問題は、病院側の告発をうけて看護師さんを100日以上も拘束し、無理に調書を取った警察と検察だけでなく、病院の発表をそのまま伝えたマスメディアにもあると思います。「爪はがし事件」はメディアの命名ですから。そして、爪を切りすぎたなら、最大限に見ても医療過誤ですが、剥がしたなら傷害、りっぱな犯罪です。「爪はがし事件」という表現は、メディアがこの事件を最初から犯罪と見なしていたことの証左です。二審の無罪判決をうけて、いっせいに「爪切り事件」と呼び替えていますが、ここはおおいに反省していただきたいと思います。高齢者を病院や施設でみていただいている家族は多いのです。そして、強い使命感で激務をこなしている人びとは数多くいます。報道の仕方によっては、双方が不安や報われぬ思いを深めるかもしれないということを肝に銘じていただきたいのです。

また、なぜ深爪になってしまったのかも、考える必要があります。お年寄りの中には、お元気でも足の爪を長く伸ばしている方が見受けられます。からだが固くなって、足の爪を切るのが困難なのです。家事ヘルパーさんは切ってはいけない、と聞いたことがあります。医療行為になるからだし、爪切りだけでなく、そもそもお年寄りのからだに触ってはいけない、とも(ほんとうでしょうか?)。家族なら、あるいは親しい人なら、もちろん切ってあげるでしょう。そういう係累が近くにいないお年寄りの足の爪は誰が切るのか。このへん、血の通った制度にしていただきたいものです。

今回、病院でたくさんの患者さんを診ている看護師さんは、仕事の多さに押されて、つい深く切ってしまったのではないでしょうか。その分、次に切るまでの間隔を伸ばせますから。そうした現場の現実にも目を向ける必要がある、今回の無罪判決をうけて、そんなことも思いました。

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常岡報道はクラブメディアの試金石

8月下旬、多忙をきわめてブログに注ぐエネルギーがぷっつんしてしまったのですが、再びスイッチか入るや、忙しさは変わらないのに、あれもこれも発信しなければ、と焦っています。

録画しておいた「ニュースの深層」(7日放送)を、ようやく見ました。録画してまで見たのは、その前日に有罪の判決が出たクジラ裁判の被告おふたりが、上杉隆さんの司会のもと、出演する予定だったからです。ところが前半は、こちらも前日、アフガニスタンで5カ月以上も拉致・監禁されていたところ、解放され、帰国したフリーのジャーナリスト、常岡浩介さんのお話でした。クジラ肉裁判については、これまでの記事(こちらとこちら)に譲るとして、常岡さんの生々しいお話について書きます。常岡さんのお話は、7日に開かれた外国特派員協会での記者会見でも聞くことができます(
こちら)。まずこれを30分ほどご覧になってから、私の感想を交えた会見および「ニュースの深層」見聞録をお読みいただければと思います。

まず、この方の平常心の保ち方に感服しました。5カ月以上、拘束され、6月14日からは、もう殺されると思って3日間を過ごした、それがここへきて急転直下の解放、そして帰国したその日であるにも拘わらず、じつに頭の中が整理されていて、情理兼ね備えた観察を、きちんと言葉にできる方だと思いました。面白かったのは、常岡さんが拘束されている間にツイッターが爆発的に広まったことを告げられ、びっくりなさっていたことです。常岡さんのフォロワーも千数百人から現在の一万数千人に増えていたそうです。それはそうでしょう。4日の5カ月ぶりの英語のツイッターで、私たちは常岡さんの生存を確信したわけですが、下級司令官がもっていた携帯電話に目をつけた常岡さんが、「それはインターネットに便利なんだ」と教え、ネットのなんたるかを知らない司令官のために(と言っても、半分は当たっていると思うのですが)ネットにつながるようにしてあげ、その携帯からツイートしたそうです。まさに命がけの歴史的ツイートです。こんなところにも、常岡さんの剛胆さ、コミュニケーション能力の高さがあらわれていると思います。

監禁中、血みどろで、両手両足縛られた農民を見たそうです。アメリカの無人攻撃機のために情報を流していたという、スパイ容疑がかけられていたようで、軍閥の兵士たちは手術用手袋や刃物を用意していた、農民をそれから見ていない、きっと殺されたのだろう、ということでした。そんななかで平常心を保つのは、容易な事ではなかったと思います。

常岡さんを拉致・拘束したのは、タリバンではなく、タリバンを騙った軍閥で、最初から金目当ての、カルザイ政権に近い、腐敗した要人、ラティフ司令官という人だったそうです。人びとは素朴で友好的だったそうです。

突然、日本政府に脅迫電話をかけるように言われ、電話口に出たところ、相手は旧知の毎日新聞の記者、この間違い電話が、毎日のスクープになったということで、どこかオマヌケな印象です。その電話番号を常岡さんを誘拐したヒズミ・イスラミに伝えたのは、戦闘状態にあるはずのタリバン。アフガンの情勢は複雑怪奇です。

帰国した常岡さんに、午前中、メディアが殺到しました。ところが昼過ぎ、外務省から暗黙の圧力がかかります。「退避勧告地域への取材は慎重に」、つまり、それをした常岡さんを扱うな、ということです。夕方には、メディアの潮が引いたそうです。現地でも期待の高い日本がアフガンでなにをすべきか、「カルザイ政権に好意的な人には1人しか会わなかった」などという常岡さんの貴重な情報は、広く知られるべきだと思うのですが、政府・外務省は、イラク人質事件のときと異なり、バッシングしない代わりに「なかったこと」にしたい気配です。今のところ、この朝日ニュースター、テレビ朝日、共同通信、東京新聞が常岡さんを取材したり、出演させたりしたそうです。いわゆる5大紙はまだ。

常岡さんに取材するかしないかは、「お上」の意向に従順か、それとも私たち市民の知る権利に奉仕するか、メディアの試金石です。注目したいと思います。

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米英メディアが小沢潰しにやっきなら、「敵の敵は味方」で小沢?

「英語屋のニュース屋」を自認する加藤祐子さんが「gooニュース」にもつコラム「ニュースな英語」(一覧はこちら)は、英語メディアで「日本」がどう扱われているかを知るうえで重宝させてもらっています。また、こちらには分からない英語の微妙なニュアンスも教えていただき、マスメディア、おもに新聞の海外ニュースが伝える「日本ニュース」とのズレも楽しんでいます(楽しんでいるばあいではないことが多いのですが)。この方、英語のニュアンスが分かると言うことは、英語に堪能、というばかりではありません。まず日本語にすこぶる堪能なのです。

最近のコラムによると、民主党代表選挙についてと言うか、小沢候補について、米英メディアがさかんにさえずっているようです。菅は気にならないけど、小沢は気になる、ということでしょうか。気になるのではなく、癇に障る、と言ったほうが近いかも知れません。と言うことは、とくにアメリカは小沢さんの「アメリカとの対等の関係」「米軍のプレゼンスは第7艦隊だけでいい」そして「辺野古は無理、もう一度話し合う」などの発言に身構えている、反攻の牙を剥いている、ということでしょう。鳩山さんへの、虚実とり混ぜ誇張したボロクソ論調を思い出します。アメリカは、アジアやロシアにじわりと重心を移すこと(アメリカからはそれだけ離れる)、海兵隊基地を従来どおりには提供しないことを掲げた鳩山さんを、なんとしても潰したかったのでしょう。そして今、小沢は鳩山路線を継承するのかと、まだ候補でしかない小沢さん潰しにかかっている。よほど「小沢総理」は困るのでしょう。菅さんは、早々にアメリカへの恭順の意をしめしたので、「愛(う)いやつじゃ」というわけで、どんな失言失態があろうとも、今のところお目こぼしです。

その菅候補について、東京新聞ったら今この時に何を持ち出すやら。9月10日付朝刊の「こちら特報部」の「デスクメモ」を全文ご紹介します。

「菅首相は、女性運動に尽力した故市川房枝氏の薫陶を受けたと自負する。その市川氏は菅氏の衆院選初陣について『私の名前を至る所で使い、私の支援者にカンパや協力を求め、私が主張し、実践した理想の選挙とは違う』旨の苦言を呈したという。利用できる者は何でも使う。政治家はみな同じか。(立)」

私も晩年の市川さんの周辺にいた方から、市川さんは菅さんの推薦人にならなかったと記憶する、と聞いたことがあります。なのに、代表戦が始まった時、菅さんは市川さんのお墓に詣でたのですよね。政治家がメディアに知らせてお墓参りするのは、われこそは故人の後継者、ということを知らしめるパフォーマンスです。やれやれ。

権力のためなら手段を問わない人間性がどっちもどっち、政策でも原発、宇宙の軍事利用、国会議員削減、はては憲法改正などなど、菅と小沢、どちらに転んでもお先真っ暗なら、せめて従米の卑屈を脱するという一点に賭けて(もう一点、天皇制見直しも!)、ここまで米英がいやがる小沢という選択もありだ、お金にまつわる古い自民党的体質で築き上げた政治力ではあるけれど、それをここでおしげなく使ってアメリカ従属一辺倒という岩盤にくさびの一本も打ってもらおうじゃないか、もしもそれで小沢がアメリカの逆鱗に触れてなんらかのスキャンダル情報爆弾を投げつけられ、失脚したのなら、それは身から出た錆だ、とする「小沢、1回きりの劇薬療法」論(たとえば精神科医の斎藤学さんなど)にも一理あるのかなあ、と思うこの頃です。

以下に、加藤さんの記事「アメリカ人は単細胞だし、イギリス人は紳士面……そんな小沢氏の『逆襲』に」(8月31日)を貼りつけます(元は
こちら)。それにしても小沢さん、これでは米英が子どもっぽい喧嘩を売られたととっても無理ありません。米英の反応にしても、売られた喧嘩への子どもっぽい言い返しではあるものの、その裏には本気で小沢を回避したい米英、もしも万が一小沢総理が実現したらどんな情報テロを仕掛けてくるかも知れない米英の姿勢が透けて見えます。それらの論評を軽妙に料理する加藤さんというすぐれた日本語遣いの文章に、私は快哉を叫びました。


     ***************************


アメリカ人は単細胞だしイギリス人は紳士面…そんな小沢氏の「逆襲」に

gooニュース・JAPANなニュース2010年8月31日(火)11:00

 

英語メディアが伝える「JAPAN」をご紹介するこのコラム、今週は民主党の小沢一郎氏についてです。英語メディアでは、小沢氏がアメリカ人を「単細胞」、イギリス人を「紳士面」と公言したことを大きく取り上げ、そんな人が「逆襲」に打って出てきたぞという論調です。なかには小沢氏が首相になるのは「とんでもない」と社説で断言する主要紙まで。(gooニュース 加藤祐子)

○それは大人になるための通過儀礼?

民主党代表選がトロイカだとかトロイカプラスワンだとかいう言葉が飛び交う流動的情勢なので、以下は31日午前現在の話ということでお含み置き下さい。

それにしてもです。そもそも、いくら「もうお前たちの言いなりにはならないぞ」と言いたいからといって「だってお前の母ちゃんでべそだからさー」と言うのは、あまりにガキっぽいことだと思うのです。唐突ですが。だとするならば、「もうお前たちの言いなりにはならない」と言うために「だってあいつら単細胞だからさー」と言うのはどうでしょう?

子供が親から独立する時に、過剰なまでに親に反発したり否定したりしてみせる様子をも連想します。心理学で言うところの、いわゆる通過儀礼としての精神的な「親殺し」でしょうか。オイディプス的というか。

小沢一郎氏がどういう思惑でもって25日の「小沢一郎政治塾」で、「アメリカ人は好きだが、どうも単細胞なところがあってだめだ」と言い、イギリスを「さんざん悪いことをして紳士面しているから好きではない」と言ったのか、真意のほどは分かりかねます(またそういう、国民に真意を伝達することなどどうでもいいと思っているらしいところが小沢氏の政治家として厄介なところです)。けれどもまさかそんな、「もうアメリカの言いなりにはならない」と言いたいがためのパフォーマンスなどではなかったはずです……よね? 日本の総理大臣になろうという人が。

小沢氏の「単細胞」発言を25日のAP通信は「monocellular」とまず直訳した上で、それは「simple-minded(単純)」という意味だと。「なぜそんなことを言い出したのか不明だ」とも。

米『ウォール・ストリート・ジャーナル』紙の記者ブログは同日、読者に向かって、小沢氏によると「アメリカ人は……覚悟はいい? 単純なんだそうだ。『単細胞(monocellular)』という意味の表現を比喩的に使って、小沢氏はそう講演した」と書いています。「決してアメリカ人は利口だと思っていないが、国民の意思による選択がきちんと実行されていることを非常に高く評価している」と、褒められているのか何なのかよく分からない発言もあったのだと。

イギリスの保守系『デイリー・テレグラフ』紙は25日、「未来の日本首相とみなされる」小沢氏が「イギリス人はきらいだ」と言ったと見出しにとり、「映画『戦場にかける橋』のイギリス人捕虜たちが整然と行進する姿は、イギリス人の最も優れた資質を表していると述べた」と書いています。

さらに、よほど腹に据えかねたのかそれとも面白がっているのか、続く26日には「『戦場にかける橋』のイギリス人しか好きじゃない日本人が代表選に出馬」と続報を書いています。「なにかと物議を醸すこの政治家は(中略)過去には仏教と比較して『キリスト教は排他的で独善的な宗教』とも発言している」と小沢氏情報を追加しつつ。<おいおい、そんな男が首相になるのか?>という呆れもしくは失笑が行間からにじみでてくるようです。

○小沢氏に比べれば単純で結構?

英『エコノミスト』誌は「機能不全な日本政治、小沢一郎の逆襲、壊し屋の再来」という見出しの26日付記事で、こう書き出しています(「strikes back」を「逆襲」と訳したのはもちろん、『スター・ウォーズ』にちなんでいるはずだと思うからです)。

「日本で最もマキャベリストな政治家の小沢一郎は先日、アメリカ人を『単細胞(monocellular)』と切って捨てた。これは日本語で『単純』という意味の表現だ。権謀術数に充ち満ちた小沢氏の頭の中と比べて『単純』と言われたなら、それはアメリカ人にとって褒め言葉と言えるだろう」と。そして小沢氏が民主党の代表選に出馬することで、民主党は政権を失うかもしれないとも。

小沢氏がこれで総理大臣になれば「驚異的なカムバックだ」としつつ、同誌は「なぜ与党・民主党が小沢氏を要職に戻したいのか、よく分からない」と。小沢氏は「foul-smelling(いやな臭いのする)」政治資金問題で訴追される可能性も残しているし、新聞世論調査では国民の約8割が小沢氏の政権要職復帰に反対しているのに。小沢氏自身が勝てると思っているかどうかはともかく、菅政権で冷遇されている小沢派議員たちの復権をねらってのことかもしれないし、そのために鳩山派の支持をとりつけるため鳩山氏に外務大臣のポストを約束したとも噂されていると、記事は書きます。

そして『エコノミスト』は、そんなことをしている場合かと。「円の高騰と株価急落で経済に対する信頼性が傷ついている」のに、「デフレが居座っている」この状況で与党が分裂し、総理大臣が「たえまないメリーゴーラウンド(constant merry-go-round)」でくるくる変わっている場合か、と。

そんなことをしている場合か、というのは、たとえば
英『フィナンシャル・タイムズ』紙のグウェン・ロビンソン記者も26日付の記者ブログで指摘。

いわく、民主党の党内権力闘争は「まるで果てしなく繰り返される歌舞伎のようだ」と(なぜここでことさらに「歌舞伎」と言うのかと歌舞伎好きな私は思うのですが、要するに「日本的なお芝居」という意味での比喩でしょうか)。「内閣が変わって2カ月そこそこしかたっていないし、7月には(またしても)政治的膠着を経験したばかりなのに、日本は例によって相変わらずのていたらくだ」と。

「一方で、菅直人政権で全体状況が見えている人は少なく、その一人が民主党の玄葉光一郎政調会長(公務員制度改革担当相)のようだ」とも。その玄葉氏が「一刻も早く」経済対策を推進するよう首相や日銀に訴えかけているのに、「誰か聞いている人はいるのか?(But, is anybody listening?)」とロビンソン記者。

フィナンシャル・タイムズは(多くの英語メディアの先陣を切るように)昨年春ごろから「民主党にとってチャンスだ」「政権交代を」と論を張り続けた新聞です。そのFTが民主党政権に落胆を示して「日本の夜明けは勘違いだった」と書いたのは今年の3月30日。

そしてFTは今回、もしこのまま小沢氏が総理大臣になるようなら「とんでもないことになる」と民主党にサジを投げかけています。社説で。「The wrong man for Japan」という見出しのこの社説は、「日本が選ぶべきでない人」としてこちらで訳出しました。

そこでFTは「つい先日、アメリカ人のことを『単細胞』と呼んだ小沢氏がもし総理大臣になるなら、小泉純一郎が2006年に辞めて以来の、最も興味深い首相となるだろう。かつ、とんでもないことになるだろう」と書きます。「とんでもないことになるだろう」と訳したのは、「He would also be a disaster」という表現。直訳すれば、「小沢首相」は日本にとって「大惨事、とんでもない事態、厄災」となるだろうというのです。

まあ、なんというか……。外国の総理大臣選びに対してよくもそこまではっきりキッパリと……とは私も思います。日本の行方がそれだけ世界にとって大事で、日本のこれまでのていたらくからして心配してくれているのだ……ともとれるし、幕末時代から続く上から目線なお節介気質は変わっていないなあ……ともとれるし、それは日本政治の質が黒船来航のころから大して進歩していないからかなあ……とも。

FT社説はさらにこうも書きます。

「もし民主党が小沢氏を党首に選び、よって総理大臣にするならば、日本に新しい政治をもたらすというそもそもの公約を裏切ることになる。もし民主党が敗れて権力を手放すことになれば、それはひとえにほかの何者でもない民主党自身のせいだ」

民主党、いよいよ引導を渡されています。

○言葉遣いには気をつけて

ところでFTの社説はわざと「単細胞」に「single-celled organisms(単細胞生物)」という直訳をあてているのではないかと思います。ほかのメディアのように「単細胞」は「単純(simple-minded)」の比喩だと解説を、あえてしていないのだろうと(もっとも「simple-minded」には、「頭が弱い」とか「知的障害」の意味もあるので、それはそれで困りものですが)。

そこからにじみ出るのは、「小沢一郎とはこういう言葉遣いをする人なのだ」という評価です。確かに、日本の総理大臣になろうという人ならば、自分の発言が翻訳されて世界中に伝えられることくらい承知していて然るべきなのですから。「アメリカ人は単細胞生物だ」と言ったかのように訳されてしまう表現を使う方が悪いです。それ以前に、「アメリカ人は単純だ」と公の場で十把一絡げに切って捨てるのだってどうかと思いますが。

そして、こちらも十把一絡げに断定しますが、そもそも「○○人は▽▽だ」などと単細胞に断定するのは得てして、その相手の国や人々をよく知らない人がやることだと思います。相手を人間として理解し、一つの国の中に当然ある多様性を経験すればするほど、そんな乱暴で単純な十把一絡げはできなくなるものです。

日本はアメリカの言いなりにならない、対等な関係を築くのだと頑張るのと、そんなくだらない言葉遣いで相手を不快にしてどうするかというのは、次元の違う話だと思います。

繰り返しますが以上は、小沢・菅会談が実現する前の、トロイカとかトロイカプラスワンなどと言っている段階での話です(それにしても「トロイカ」という言葉を聞くたびに私は、お寿司が食べたくなるし、同時に見たこともないロシアの雪景色を思い浮かべます。走〜れトロイカ、ほーがらーかに♪)。



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黒石と岩国 死亡交通事故容疑者2人の性を問う 

今さら言うまでもなく、メディア各社は、言葉づかいにいろんなルールを設けています。なかには、首を傾げたくなるものもあります。昨今気になるのが、容疑者の「性」です。どういうことかと言うと、被害にあった側は「女性」「男性」で、加害の疑いが持たれる側は「女」「男」という、「性」をつけるつけないのこの基準は見直すべきではないか、そう思うのです。裁判員制度が始まった時、報道はこれまで以上に慎重に、予断を持たせないようにすべきだ、という議論がありましたが、それにのっとれば、「コイツはクロだ!」と言わんばかりの「女」「男」表記は改めるべきだと思うのです。

一例として、NHKのウェブにこんな記述がありました。

「9月1日、黒石市で、歩道を歩いていた女性が軽トラックにはねられて死亡し、軽トラックが現場から走り去ったひき逃げ事件で、警察は、市内に住む69歳の男をひき逃げなどの疑いで逮捕しました。逮捕されたのは、黒石市南中野の農業、○○容疑者(69歳)です。」(元は
こちら)。

亡くなった被害者は「女性」、容疑者は「男」です。試みに、「男」を「男性」と置き換えて、もう一度この記事を読んでみてください。印象ががらりと変わるのではないでしょうか。男性の容疑を警察・検察が物証をもとに証明し、それを裁判所が認めるまで、彼は犯罪者と断定されはしないのだ、ということが言外に伝わって来はしないでしょうか。

ところが、同じNHKのウェブに、こんな「感心な」記事がありました。

「7日、岩国市で66歳の男性がアメリカ軍岩国基地に勤務する女性が運転する車にはねられて死亡した事故を受けて、県と市の担当者がアメリカ軍に対して再発防止に取り組むよう要請しました。この事故は、7日、岩国市牛野谷町で、近くに住む○○さん(66)が岩国基地で働くアメリカ人の32歳の女性が運転する車にはねられて死亡したものです。」(元は
こちら

容疑者がちゃんと「性」つきで「女性」と表記されています。こちらも、2箇所の「女性」を「女」に置き換えて読んでみてください。「なんて悪い女だ!」という印象をうけることでしょう。

これは、人権への配慮は青森局より山口局のほうが行き届いているとか、NHKの内部ルールに現場によって少々乱れが見られるとかで済む問題でしょうか。もしかしたら、現場で身柄を確保されたら「性」つき、いったん逃げて逮捕されたら「性」なし、という内規があるのかも知れません(書いていて、そんなチマチマした内規あるわけないでしょ、という気がしてきましたが)。

岩国の出来事の詳細が、地元から伝わってきます。それによると、車の正面より右側にキズがあり、道を横断していたところを牽かれたらしい、ブレーキ痕はなく、被害者は20メートル近く飛ばされていた、「女性」は車内でどこかに電話をしていた、警察・救急には後続車の運転手が連絡した、後続車の運転手がすぐに対向車を止め、一緒にYナンバーの車が逃げられないようにしたために、「女性」の身柄確保に至った、とのことです(「広島瀬戸内新聞ニュース」、元はこちら、7月9日の3つ目の記事)。

元記事を見ていただくとおわかりのように、亡くなったのは、岩国の愛宕山に米軍住宅をつくることに異議を申し立てている「愛宕山を守る会」のメンバーです。そして容疑者は米軍属。この容疑者の属性が、記者の無意識にたいして「性」をつけさせるよう作用したとしたら、恐ろしいことです。マスメディアには、そして5時間後にはあさっりと解放した警察にも、「アメリカさまに楯突くなんて」という属国根性が知らないうちにしみついているのだとしたら……!

山口放送のウェブ記事では、「警察は乗用車を運転していた米軍岩国基地の軍属の女を現行犯逮捕し詳しい事情を聞いている」(7日)と、慣例にしたがって「性」なしでした(こちら)。容疑者にも「性」をつけろ、というのが持論のはずなのに、なぜかほっとしてしまいました。

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祝 「ビッグイシュー日本版」150号そして7周年

「150円になったってことではないんですね?」

その方は、「はい」と苦笑しました。帽子のつばがへちゃげているのは真昼の陽射しとアスファルトの照り返し、上からと下からの圧力に揉まれているせいだと言われれば、一瞬その気になってしまいそうな極暑の数寄屋橋交差点で、300円をさしだし、「150」の顔文字が表紙になっている薄い雑誌、「ビッグイシュー」をうけとりました。「300円のうち、160円が販売者の収入になります」の文字が、力むこともためらうこともなく、過不足なく表紙の裾に納まっています。

ビックイシュー

7年前、大阪で創刊されたとき、ああようやくこのくにでも、と胸を熱くしました。この雑誌は、ホームレスの方がたが販売して自立の道を模索するための、イギリス発の仕掛けです。いつも表紙を飾るのは、映画や音楽の世界の、いわゆるセレブと呼ばれる有名人。インタビューに応えるのも、寄稿するのも、そのときどきの旬の人びと。今号は、経済学者の浜矩子さんが、「グローバル資本主義からグローバル市民主義へ」というタイトルで論じています。おそらく、ギャラはゼロに近いでしょう。編集や経営にたずさわる人びとも、高給を取っているとは思えません。自分の手でこの社会をじわじわ変えてやるという人びとの志が、この雑誌の原資です。最後のページに列記されている企業サポーター(個人や医院や塾や弁護士事務所も目立ちます)一覧もまぶしい。

この仕掛けは、施しのそれではありません。その証拠に、中身が面白い。いくら心意気が評価できても、面白くなければ買うべきではないのです。それは不純です。施しになってしまう。この仕掛けの意図に反してしまいます。これは街角で手渡され、「ここから開ける」という表示にしたがって封を切ると突如別世界が広がる、魔法のグッズのような雑誌です。きらびやかな雑踏を一皮むけばこういうことだよと、たしかな説得力でせまってきます。しかもこの別世界は、笑いさんざめきながら歩いている私たち、何かに追われてせかせかと小走りになっている私たちのこの現実としっかり地続きなのだ、むしろ雑誌が提示している世界がリアルで、私たちが現実と思っているのはその上っ面でしかないのだということを確信させるのです。それを、ホームレスという、いわば上っ面の現実から降りた状況を真芯で打ち返そうとしている人から手に入れる、その手応えがたまりません。雑誌のサイトの冒頭写真から、彼らの誇りを、心意気をぜひ読み取ってください(
こちら)。

雑誌を手にとり、硬貨を渡し、目と目が合う。ことばを交わす。この人は生きている、等身大の精進をしている、その同じ場所に私も生きていると感知する、その瞬間がたまらない。私はこれからも、街角でA4の雑誌を高々と掲げる人を見かけたら、磁力にひきつけられるように歩み寄るでしょう。

「ビッグイシュー日本版」、150号おめでとう。7周年おめでとう!

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クジラ肉裁判きょう判決&共同通信に座布団1枚

「ドロボー!」という声がして、目の前を、何かを抱えた人が猛烈ないきおいで走っていきました。あなたは、とっさに追いかけてタックルをかけました。その拍子に、倒された人がすりむいて怪我をし、駆けつけたお巡りさんは、「傷害の現行犯で逮捕します」、あなたをつれていきました。何かを抱えた人はお咎めなし。

もしもこんなことがあったとしたら、あなたはどう思いますか? もしももなにも、そんなことはありえない、と思われるでしょう。でも、実際に同様のことが起こっている。それがクジラ肉裁判で、きょうその判決が下されます。1日にこのブログで予告したように(
こちら)、その「前夜祭」が先週金曜日に行われ、私も参加しましたが、そのもようはustreamで見ることができます。新宿歌舞伎町のロフト・プラスワンは超満員で、上杉さんの軽妙な司会と多彩な出演者の話術に、4時間以上があっという間でした。私は、こうしたトークバトルは不慣れで、もたもたしてしまいました。反省。

前半の冒頭に解説映像がありますので、それだけでもご覧になって、青森地裁の判決が世界の人権水準に達しているか、またメディアがこの件をきちんと理解して報道するか、参考になさってください。

http://www.ustream.tv/recorded/9320916(前半)
http://www.ustream.tv/recorded/9322481(後半)

ところで、きのう5日付の東京新聞はケッサクでした。一面にでかでかと「鯨肉給食5000校超」との大見出し、そして「小中校18%で復活」「在庫だぶつき割安供給」と続きます。調査捕鯨の鯨肉が市場で売れないので、学校給食用に市価の3分の1で卸している、というのです(記事は
こちら)。判決を翌日に控えたこのタイミングに、いまどきクジラ肉なんて、船員が横領している最高級の部位以外は、たぶん進んで食べようという人などそれほどいないことを、満天下に知らしめました。インタビューに応えている星川淳・グリーンピース・ジャパン事務局長によると、いつも1年分ぐらい在庫があるそうです。倉庫代も税金なわけですから、じつにばかばかしい。

これは共同通信の配信記事です。それを一面に載せた東京新聞(おそらく中日新聞も)、8月15日の社説(こちら)に続いてお見事です。ウェブ版では省略されていますが、紙面によると、鯨肉給食は「食文化を伝えるため」としている県もあるそうです。でも、イベントで「被告」氏たちも言っているように、クジラ肉が全国的に食べられたのは60年代初めまでで、それはクジラ肉が当時もっとも安価なタンパク源だったからなのですが(それでも食肉の中に占める割合はごくわずか)、牛・豚・鳥肉の生産量が増えるとともに、いまや馬肉ほども消費されていません。ほかの肉に較べて、まずいからです。私も給食で、筋張っていて噛んでも噛んでも飲み込めず、獣臭くて魚臭いクジラの竜田揚げに往生したことを思い出します。私の世代の人間よりも舌の肥えた今どきの子どもたち、クジラ肉はまずい、ということを給食で記憶に刻み込んでいるのではないでしょうか。

新聞記事では、インタビューにもうおひとり、鯨肉給食賛成派の方も応えていますが、「食は地域の文化」という、おなじみの論法です。だけど、捕鯨や鯨肉食を文化と言い始めたのは、イベントでも明らかにされたように、クジラ肉の人気が落ちた70年代のことで、政府に雇われた広告会社のキャンペーンでのことです。東北や紀伊半島など、一部の地域で古くから沿岸捕鯨がおこなわれ、クジラが食されてきたことは事実ですが、保存や輸送手段の限られていた昔、クジラ肉を食べることは「日本の文化」と言えるような普遍的なものではありませんでした。それを件のキャンペーンは、あたかも全国的なひろがりをもっていたかのごとくに粉飾し、「鯨食は日本人の食文化」と言いくるめたわけです。それを未だにすり込まれている向きが多い。洗脳、恐るべし。

きょうの判決、じつは世界が注目していること、知らぬは私たちばかりなのかも知れません。このくにが市民の知る権利をきちんと擁護するほどに成熟しているかどうかを報じるために、青森地裁には世界のメディアが集まっていることでしょう。

  

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もしかしたらすごいことかも知れない代表選挙

今回の民主党代表選挙、どう捉えたらいいのか、メディアを管見するかぎりでは、あまり参考になる視点が見あたりません。おおかたの論調は、どっちもどっちと冷ややかに高みの見物を決めこみ、またぞろ「政治とカネ」の議論を蒸し返して、「訴追の可能性のある総理大臣をいただいてもいいのか」と問いかける、それでおしまいです。これは思考停止ではないのか。

たしかに、それで政治が停滞するとしたら、ゆゆしきことです。けれど、そうしたうっとうしい事態を進んでつくりだそうとしているのは、メディアそのものではないのか。メディアの大合唱に較べたら、野党第一党党首の谷垣サンの、「小沢さんになったら黙っちゃいませんぞ」という声など、か細く聞こえるくらいです。政治とカネと言うのなら、メディアに配られた官房機密費の問題、私はいまだ釈然としませんし、マスメディアの社員が政府の各種委員会・審議会にポストを割り振られていることも含めて、政治とマスメディアの仲良しぶりが報道にどう影響しているのか、おおいに気になります。もしかしたら、今回の民主党代表選は、マスメディアの拠って立つところが問われる、そんな側面もあったと、後世評価されるかも知れません。

ついでに言っておけば、小沢「総理」、訴追されたらいいではありませんか。私たちが、メディアの臆病な恫喝におたおたせずになりゆきを注視するタフさを身につければいいのです。裁判は公正か、私たちが自分の目で見極め、その結果をどう判断するか、私たちが決めればいいのです。それは、政治家小沢一郎の終わりか、検察をおしたてたなんらかの権力の終わり、そのどちらか(あるいはそのどちらも)に帰結するしかないでしょう。不透明な検察審査会制度の問い直しにつながる可能性もあります。いずれにしても、政治的な血が流れます。流れたらいいでしょう。ほんものの血ではないのだから。本気で戦後のこのくにの統治のありかたを根底から変えるつもりがあるなら、これは流れる必要のある血です。1年前の政権交代という無血革命の第2幕が、小沢「総理」訴追のもつ意味だと、私は思います。

話が先走りました。メディアではよく分からない民主党代表選ですが、冷笑的ですらあるメディアと異なり、私たちは主権者として、いったんまじめに考えてみなければなりません。ならば自分の目で、耳で、確かめるしかありません。9月2日に日本記者クラブ主催でおこなわれた立候補者討論会を見ました(
こちら。ネットはほんとに便利です)。

まずは、冒頭3分ずつの両者の主張です。

小沢さんは言いました。「親殺し子殺し、自殺、高齢者の行方不明などは、日本社会、日本人の精神的崩壊が始まりつつあることのシンボリックな現象」と。統計上だけでも年間3万人超が10年以上続いている自殺はともかく、この列挙はどんなものでしょう。所在不明の高齢者は、発覚したのが最近ということであって、「事件」発生は何十年も遡るものもあること、ニュースに明らかです。小沢さんの時間のものさしが半世紀とか、戦後65年とかの長さであるなら、これをこの社会の劣化の表れと見ることも妥当ではありましょうが。

けれど、「親殺し子殺し」を挙げたこと、これはいただけません。これらは今に始まったことではなく、それどころか昔のほうが多かった、多すぎてニュースにもならなかったというのが事実です(河合幹雄『日本の殺人』(ちくま新書)、犯罪白書など参照)。凡百の政治家は、なにかと言えば親族殺人をとりあげて、世の乱れを嘆いて見せますが、小沢一郎ともあろう政治家が同じレトリックを使うとは。一部の小沢待望論は、この政治家に強いリーダーシップを期待していますが、それがポピュリズムを踏まえた強権政治家の台頭願望にすり替わったのでは、目もあてられません。政治家小沢一郎がその政治的主張の第一声に「親殺し子殺し」を挙げたことに、私はかすかにポピュリズムのにおいを嗅ぎ、一抹の不安を覚えます。

小沢さんは、続けておよそこんなことを言いました。「民主党は、官僚任せではない、国民主導つまり政治家主導を訴えて、昨年、政権をゆだねられた、今日の困難を超えて生活第一の政策を実行するには、政治家が決断・実行する政治を作りあげるのが前提だ。それを通して、経済、生活、地域の再生を図っていく」つまりは、目的を09年マニフェストの実現に戻すということ、その道筋としては、官僚支配を廃して、主権者の支持を得た政治家が意志を発揮する統治を確立するということだ、と理解しました。鳩山さんにはできなかったこと、菅さんにはやる気もないらしいことを、小沢さんはやると言っているのなら、まさに革命の第2幕です。

いっぽうの菅さんの第一声はこうでした。「経済厳しい中、総理の仕事に手は抜かない」と、まずは自分が現下の総理大臣だということを誇示し、2つの変革をすると言います。ひとつは、行政・役所の文化を変えること、これは小沢さんの官僚任せを廃する、という主張と通じるでしょうが、かつて自分が担当したエイズ問題を例に挙げて、さりげなく実績を想起させました。もうひとつは、「カネまみれの政治文化を変え、クリーンでオープンな政治、全員参加の熟議民主主義という政治文化をめざす」のだと、菅さんは言いました。「政治とカネ」と言い、「独裁」牽制と言い、メディアや「世論」が批判を集中させている小沢さんのウィークポイントへの、あからさまなジャブです。そう言えば、小沢さんはみずからの所信を述べることに終始して、少なくとも冒頭3分では菅さんを打ち込まなかった。メディアにしろ「世論」にしろ、なんらかの尻馬に乗ることはなかった。政権交代をもたらした去年の選挙には触れたけれど、菅内閣下の参院選惨敗には言及しなかった。これは、双方の資質の違いとして憶えておきましょう。

菅さんは続けます。「政策課題は雇用に尽きる、雇用が経済低迷・社会の不安感・社会保障問題を変える鍵になる、仕事が増えれば経済が大きくなり税収も増える、介護・医療・保育の雇用は社会保障の充実につながる」、これが菅さんのめざすところのようです。分かる気もしますが、経済がだめだから雇用がないのではないでしょうか。この「ニワトリと卵」的な難題は、介護・医療・保育といった分野で雇用を増やせば(原資は? 税金? だから消費税値上げとつながる?)解決する、とも思えません。最後に菅さんは、「元気な日本に立て直す」とご自分のスローガンに着地し、併せて「生活第一の日本にする」と、09年マニフェストに言及して、このふたつは同じことだと整理した、私はそんなふうに理解しました。

さて、どちらの政治家にこのくにの舵取りを任せるべきか。私は民主党サポーターでもなんでもないので、なりゆきを見守るしかありません。公開討論、これはほんの序の口です。あなたもご自分で見て、判断してみてください。私も、あと10日ほどの間に、また気が向いたら分析してみようと思います。

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「米国依存は昭和天皇の構想」という中日(東京)新聞の出色の8・15社説

竹山徹朗さんのメールマガジン「PUBLICITY」は、たいせつと思われるのにマスメディアが取りこぼしている情報を紹介したり、独自のメディア論を展開したりして、読み続けることでいつしか読者がおのずとメディアについて考える仕掛けとなることをたくらんでいる、と私はにらんでいます。

きのうの記事は、竹山さんが時どきやる、地方紙社説の読み較べでした。私も、折に触れてネットで地方紙の社説を拾い読みすることがあります(便利になったものです)。安保・外交問題では、中央の政治家や官僚とずぶずぶのつきあいをしていない地方紙の論説委員ほうが、冷静で公正な議論を展開する傾向があるからです。

今回は、8・15の社説読み較べでした。私は今年の8・15、日本を留守にしていたので、こんな社説が出ていたのかと、今ごろびっくりしています。書籍や総合誌(と言っても、今やその種類は知れていますが)、そしてネット論壇ではつとに常識になっている見方にマスメディアの一角がようやく言及したことに、しかもそのマスメディアは、この戦後外交の主体に「なりふり構わぬ」とのあられもない、しかし誰であれそうとしか言えない正確な形容を付したことに、感無量です。


     ***************************
 
 
■■メールマガジン「PUBLICITY」No.1905 2010/08/29日■■


◆今号のポイント◆−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
「米国依存の原因は昭和天皇にある」との主張を紹介した中日(東京)新聞の社説は出色だった。皇室を相対化する知的勇気が、「ニッポンがニッポンである理由」を浮き彫りにする。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− ◆PUBLICITY◆


▼信濃毎日新聞からは、「アメリカはほんとにニッポンを守るのか」に疑問を呈する以下の挿話。


−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
10年ほど前、沖縄の米海兵隊を訪ねたときのことである。司令官が力説していた。

「この基地にいる兵士は全員、日本を守るために命を捨てる覚悟ができている」

本当なのか、と米国に詳しい友人に尋ねたら、「それは立て前」と一笑に付された。若者の多くは退役後の奨学金目当てで軍に志願している、日本のために死ぬなんてとてもとても、と。

貧しさゆえに、大勢の若者が軍の扉をたたく。米国の人々が「経済徴兵制」と呼ぶ仕組みである。
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▼戦争が景気対策である以上、徴兵制が「経済的」なのは当たり前。たくさんの新聞が、こうした挿話だけでなく、新しい事実に突っ込んでほしいが、東京新聞の半田滋さんの仕事がそれにあたる。


▼「終戦記念日」が過去のことではない、と具体的に網羅したのが福井新聞。


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■福井新聞

たとえば沖縄。民主党政権に変わり、米軍普天間飛行場移設問題が蒸し返された。国内最悪の地上戦の舞台となったばかりか、いまだ在日米軍基地の7割強が集中、県民に加重負担を強いている。この実態は「終戦」を意味しない。外交・安保の課題やアジアにおける日本の立ち位置を国民目線で考える必要がある。

たとえば核廃絶。広島の式典に潘基文国連事務総長、ルース駐日米大使が初めて参列したが、オバマ米大統領が提唱する「核兵器のない世界」は先が見えない。先導すべき唯一の被爆国・日本の使命は重い。

たとえば空襲。終戦の日をにらみ「全国空襲被害者と連帯する連絡協議会」が結成される。国に損害賠償と謝罪を求めて係争中の「東京大空襲訴訟」や「大阪空襲訴訟」の原告団が中心となり、救済法制定や被害者の実態調査などを求めていく。

旧軍人・軍属や原爆被害者、沖縄戦の犠牲者らは国から救済された。同じ戦争被害者なのに、なぜ空襲被害者は放置されたままなのか。国側は「(一般の)戦争被害者は国民が等しく受忍しなければならない」との判断を崩さない。
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▼なかには「沖縄の犠牲を放置してきたことを恥じる」(京都新聞)という率直な意見を述べる新聞もあった。


▼さて、出色だったのは、中日(東京)新聞。ぼくはたまにこの新聞が書く「ですます調」の社説が大嫌いで読む気もなくすのだが、「歴史は沖縄から変わる」と題した今回は、素晴らしかった。ですます調でなければなおよかった。

その核心は、「米国依存の原因は昭和天皇にある」との主張である(岩波現代文庫の「昭和天皇・マッカーサー会見」の豊下楢彦・関西学院大学法学部教授の論考)。

こういう場合、会社自身の考えを前面に打ち出さないのがニッポンの新聞の悪い特徴である。しかし、豊下さんの主張がブロック紙レベルでも取り上げられることが少ないから、今回のように紹介するだけでも、充分価値がある。適宜▼改行。


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▼敗戦で昭和天皇が直面したのは言うまでもなく戦犯としての訴追と憲法改正による天皇制消滅の危機でした。マッカーサー元帥の協力で極東軍事裁判を切り抜け、新憲法で象徴となった天皇が直面した次なる危機が共産主義の脅威。昭和天皇にとり日本を守ることと天皇制を守ることは同義でした。

非武装が日本の最大の安全保障とする理想主義のマッカーサーに対して昭和天皇はリアリストでした。憲法九条や機能不全の国際連合では日本を守れず、米軍依拠の天皇制防衛の結論に至ったといいます。

かくして、「米軍駐留の安全保障体制の構築」が昭和天皇の至上課題となり、象徴天皇になって以降も、なりふり構わぬ「天皇外交」が展開されたというのが豊下説の核心部です。

▼例えば一九四七年九月、宮内省御用掛寺崎英成を通じてマッカーサーの政治顧問シーボルトに伝えられた有名な天皇の沖縄メッセージは

「米国による琉球諸島の軍事占領の継続を望む」

「米国による沖縄占領は共産主義の影響を懸念する日本国民の賛同も得られる」

などの内容。沖縄の戦後の運命が決定付けられてしまったかもしれません。

(中略)

佐藤栄作首相の密約を交わしてまでもの核抜き・本土並みの返還要求でしたが、米側はしたたか。核をカードに狙いは基地の自由使用。懸念された通り基地の固定化になってしまいました。誠実、誠意が手玉に取られた格好でした。
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▼1947年に天皇が示した意向は、殆ど全く論議の俎上に乗らない。

ニッポンの戦争論の基底部には、皇室が横たわっている。そして、日米安保を論ずる場合にも、皇室が決定的な役割を果たした、という一事実を見落としてはならない。

中日新聞の社説は、豊下さんの研究成果を借りて、この当たり前の視点を提示した。

戦争中に皇室の抱えていた問題を、社会科学的に研究する努力は、これまで貧しかった。これからも貧しいなら、その貧しさこそがまさに「国体の危機」を招く。

皇室を相対化する知的勇気が、「ニッポンがニッポンである理由」を浮き彫りにするだろう。

いまのところ、1万人以上が目にするメディアでこの問題を主張する人は、皆無である。


freespeech21@yahoo.co.jp
http://www.emaga.com/info/7777.html
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「ジャパン・アズ・ナンバー3」が騒がれないわけ

金平茂紀さんは、ニューヨーク在住のTBS報道局アメリカ総局長です。そのブログ「NY発・チェンジング・アメリカ」は生活感に富み、もちろんアメリカ政治の貴重な生情報が満載です(こちら)。その金平さんが、「日本は、世界第二の経済大国の地位を中国に抜かれたことを、なぜ報じないのだろうか?」と題する記事を書いています。アメリカの新聞テレビは、大々的に報じているのに、「そこになにがしかのバイアスを感じざるを得ないのだ」と。

そうだったんですね、私が8月の中旬は日本にいなかったので、よく知らないだけで。ほんと、もっと騒げばいいのに。「The Second Largest Economy。この語の呪縛がいかに戦後の日本人の生活を縛り続けてきたか。ある時はそれは大いなる国民の「誇り」と「矜持」に結び付き、ある時は醜悪な「奢り」に結び付き、またある時は自らの境遇との比較においていかに無意味な数値にすぎないのかを思い知らされる「空虚」の象徴でもあった。さらには、幸福と言う概念と、この第二の経済大国という語がいかに無関係であったのかも私たちはある程度認識してきたはずだった」という金平さんの言葉に深くうなづきます。こうした視点から、新聞などはシリーズで取り上げてもよかったのに、残念です。これから私たちは何をめざし、どんな社会をつくっていくべきか、考えるチャンスだったのに。

四半期ベースのGDPには国によって季節的な特徴があって、そんなのを比べてもしょうがない、という意見もあるでしょう。加えて、実体経済はとっくにそうなっていたという実感があるので、数値が出ても反応が鈍いということもあるのではないか、私はそうも思います。なぜなら、GDPはドル換算で比較するわけですが、円と元の対ドル換算値は双方が逆方向に実力とはおおきくずれているので、そんなものを比べても数字の遊びでしかないからです。

つまり、こういうことです。ドルもユーロも、それぞれの深刻な事情をかかえてなりふり構わない対策をとっていて、その結果おおきく売られて値を落とし、緊急避難として、あいかわらず中央銀行の動きの鈍い円が買われ、実力以上の円高を招いています。いっぽう、元がドル・ペッグにしがみつき、実力以下の元安のままなのは、周知のとおりです。円と元がその実力どおりに評価されていれば、もしかしたらじつは去年のうちにも、日本と中国の経済規模は逆転していたのかもしれない、と思うのです。

経済分野の専門家はともかくとして、私たちはもう数字に踊らされて一喜一憂するのはやめたらどうだろう、もっと生活の質を見据えた社会設計をしていこう、そんな目覚めも、金平さんの思い描くありうべき報道の項目に付け加えたいと思います。もしも数字をうんぬんすることに意味があるとすると、アメリカにこう言うばあいです。「ご承知の通り、わがくにはもう世界第二の経済大国ではありません、おもいやり予算を出し続けるわけにはいかないし、基地があることでいつまでもある地域の経済を発展の埒外に置いておくゆとりもないのです」って。

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「オランダは二度と口蹄疫で家畜を殺さない」 第二の官製パニック

東海道新幹線で東京に帰ってくると、あと数分で到着という頃、左の車窓から「宮崎牛」の3文字が目に飛び込んできます。ビルの屋上に毛筆体の縦書きで、ただ「宮崎牛」とだけ。そこに宮崎の誇りを感じていましたが、今回の口蹄疫騒動のさなかには、痛ましい思いで看板の健在を確かめたものです。宮崎の口蹄疫については、これまでしつこく書いてきました(こちら「『旦那様のお出ましーっ!』 殺処分に思う」(5月21日)と、こちら「口蹄疫は治るのに、『しめしがつかないから種牛も殺処分』の意味」(5月26日)と、こちら「宮崎の家畜はなぜ殺される」(6月4日))。それは、この看板をいつも見ていたことで、他人事(ひとごと)ではないとの思いが心の底で育っていたからなのかも知れません。

18日、宮崎・高鍋町の薦田さんの種牛6頭がついに殺されてしまいました。ところがここへきて、口蹄疫は軽い、ありふれた病気で、これまでも牛たちは罹ったり治ったりしてきたことが、じつは国の検査でとっくのとうにわかっていた、ということがバレてしまいました。

いくつかの検査法のうち、これまで国はウイルスの有無を調べるPCR検査の結果しか明らかにしてきませんでしたが、抗体検査もしていたこと、あちこちの牛から抗体が発見され、それはいつどこからの感染によるものか一切わからないし、このたびの感染防止のためなら殺処分する必要もないのに、全頭殺処分の方針で突っ走ってきてしまった、だから抗体検査はしていないことにしていた、するとしても、そのやり方は疫学の常識を踏まえていない、というのです。

詳しいことは、以前もご紹介した原田和明さんのメルマガをお読みください。原田さんの連載は、すでに10回を重ねています。これらを読むと、いかに国の対策がデタラメか、よくわかります。10回目だけでもぜひ(
こちら)。

口蹄疫がありふれた、軽い伝染病なら、なぜこんな大騒ぎになったのでしょう。それは、日本は口蹄疫の清浄国で、よそから入ってこない限り、ウイルスは国内にはまったく棲息しないことになっていたからです。清浄国かどうかはその国が宣言するという国際ルールに、まず首を傾げたくなりますが、つまり口蹄疫清浄国というのは、事実に反して日本が、具体的には農水省の官僚が、勝手にそう言っていただけなのです。

そのとんでもない嘘をつき通し、官僚の無謬性を守り通し、農政の一貫性をむりやり押し通すために、3カ月前に突然、口蹄疫を中央官庁が見つけたことになってしまったので、いちおうA牧場が輸入した水牛がウイルスのキャリアーだったらしいことになっていますが、とにかくどこからか口蹄疫ウイルスが新たに国内に侵入して「宮崎限定で」猛威をふるったことにして、30万頭近くもの宮崎の牛や豚を殺しまくった、そんなホラー犯罪じみた真相が浮かび上がってきました。「宮崎限定」とカッコに括って強調したのは、口蹄疫が鹿児島県との県境を1ミリたりと越えなかった不自然さがこの騒動の恣意性を感じさせ、騒動全体を限りなくアヤシクしていると思うからです。けっきょく、国家は家畜の移動制限解除延期という強権発動をちらつかせて、農家でも畜産でもなく、霞ヶ関の官僚機構を守ったのです。

新型インフルエンザ(私は香港型、ソ連型のように、もういいかげん「アメリカ型」と呼ぶのがいいと思っていますが、なぜかそうはならない!)騒動の時、国の施策をきびしく批判した現役の厚労省検疫官、木村盛世さんのことは、記憶に新しいと思います。感染症疫学が専門の木村さんが、口蹄疫騒動は新型インフルに次ぐ第二の官製パニックだ、効果も定かでないのに殺処分が自己目的化している、と指摘しています。ブログで疫学の考え方をとてもわかりやすく解説してくださっているので、ぜひお読みください(
こちら)。

水際作戦だ、深夜の大臣会見だと、官僚も政治家も空しいパフォーマンスに走ったあの時、それに鉄槌を下すために木村さんを国会に参考人招致したのは、当時の野党、民主党ではなかったでしょうか。今回はなぜ、民主連立政権は木村さんに所見を求めないのでしょう。民主連立政権では、官僚ではなく政治家が政策を決定するのではなかったでしょうか。木村さんのような、官僚機構の権力ピラミッドに跪くことなく、是々非々で物を言う優秀な官僚に、その力をいかんなく発揮していただいて。なのに、現実はそうなってはいません。なにが政治主導だ、政権交代してますます官僚支配が強まっているではないか、と言いたくなります。

また、木村さんは口蹄疫のことでマスメディアに登場なさっているでしょうか。私は寡聞にして知りません。もしも、新型インフルの時よりも木村さんのメディア発言が抑えられているとしたら、なにか裏を感じざるを得ません。

木村さんによると、オランダはこのたびの宮崎の惨状を見て、今後一切、口蹄疫に罹った家畜は殺処分しない、と宣言したそうです。宮崎を犠牲にして、日本の官僚機構は権力を温存し、オランダは貴重な教訓を引き出しました。彼我のあまりの違いに、しろうとは天を仰ぐしかありませんが、このたびの口蹄疫騒動、国は信頼できる専門家に依頼してきっちりと検証し、情報をつぶさに開示するべきです。その専門家チームには、もちろん木村盛世さんも参加していただきたいと思います。

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電話コメント 謝って泣く

今回の選挙結果を受けて、ある新聞社から電話がかかりました。

「谷亮子さんの当選をどう思うか、コメントせよ」

ふたつの理由で、コメントはご勘弁願いました。ひとつ目は、谷さんの政策を知らないということ、ふたつ目は、第一線で活躍する柔道選手の状況を知らない、ということでした。

じつはもうひとつ、電話取材に消極的になる理由がありました。03年の衆議院選挙で、社民党がおおきく後退し、党首の土井たか子さんも落選しましたが、それを含めて選挙結果についてどう思うか、ある新聞社から電話がかかったのは、選挙当日の深夜でした。思うままに答えたなかに、このような件(くだり)がありました。

「『だめなものはだめ』はだめなのか、ショックだ。私は深刻に受けとめている」

翌日の朝刊、その部分はこう書かれていました。

「『だめなものはだめ』はだめなのだ」

電話をかけてきた記者さんは、常からおつきあいがあり、私がどのような考えをもっているか、知らないはずはありませんでした。けれど、紙面に載ったコメントは、私が言わんとしたこととはまるきり逆の意味になっていました。あたかも、社民党の敗退を高飛車にあざ笑うようなニュアンスを帯びていたのです。これでは、土井さんに申し訳が立たない。それこそショックでした。

それからいくらもしないうちに、出席したあるパーティに、土井さんのお姿がありました。謝るには今しかない。私は意を決して土井さんに近づき、いきさつをお話ししました。膝はがくがく震えていました。「今後一切、電話取材には応じませんので、どうかお許しください。ほんとうに申し訳ありませんでした」と申し上げると、土井さんは、あの声量豊かな明るい声で、こうおっしゃったのです。「そんなこと言わないで。あなたはこれからも元気に活躍してください。私はなーんとも思っていませんよ」その度量のおおきさ、あたたかさに、私は人目はばからず不覚の涙をこぼしてしまいました。謝って泣いたのは、これが初めてです。

ついでに言うと、泣いて謝る人を、私は信用しません。それは、謝る自分への憐憫ないし感動の涙だと思うからです。

前にも書いたかと思いますが、取材とはよく言ったものです。なにしろ、材を取る、ですから。取ってきた材料をどう料理するかは、取材者の裁量です。取材源はまな板の鯉というわけで、その程度の覚悟はあります。なるべく記事の自分の部分だけは事前に見せていただくようにはしていますが、最終的には記者さんにお任せするしかないとは、よく理解しているつもりです。それで、こちらの言わんとすることが十全に伝わるかどうか覚束ない電話取材には、どうしても慎重になってしまいます。

なのに、雑誌の記者さんのなかには、お会いしたこともないのに、「小一時間、電話取材に応じてほしい」と申し込んでくる方がおられます。そんな手抜きをしてどうする、と思います。お互い、ちょっとたいへんでも、やはりどこかで落ち合ってじかにお会いし、目と目を見合わせてしっかり話を聞いていただかないと、と思うわたしは、めんどくさい、古い人間です。でも、そうやって時間をかけた分、記者さんに損はないと思うのですが。

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「参院選、沖縄比例区では社民党が第一党」byヤメ蚊さんのブログ

ヤメ蚊さんのブログ、「情報流通促進計画byヤメ記者弁護士(ヤメ蚊)」は、ブログ名からおわかりのように、メディア出身の弁護士さんが、メディアと司法・政治にまたがる情報をわかりやすく解き明かしてくださいます。と言っても、国際法など私には難しいこともあるし、なにしろ文字がちいさい! きっと老眼などとは無縁の方なのでしょう。

その14日の記事を転載します(もとは
こちら)。沖縄県では、比例代表の得票数は社民党が1位だった、党首の福島瑞穂さんも沖縄県で驚異的な票を集めた、というのです。ヤメ蚊さんは、沖縄選挙区で自民党候補が当選したことに焦点をあてているので、各党の比例得票率の都道府県ランキング、自民党は沖縄県がビリだったことしか指摘していませんが、民主党も沖縄県がビリでした。それも、ブービー賞の大阪府(自民)と宮崎県(民主)まで、得票率はじりじりと下がっているのに、両党ともそこから沖縄県ではがくっと下げての、堂々のビリなのです(こちら)。沖縄では、民主も自民も支持されていない、ということです。ちなみに、民主党は岩手県がダントツ1位です。すごいな……。

それにしても、沖縄県と沖縄県外、こんなに選挙の争点も違えば支持政党も違うんですね。ため息。

ヤメ蚊さんも活用しているこの横道もんさんのブログ「都道府県別統計とランキングで見る県民性」はすごく面白いです(こちら)。


     *************************


【社民党、参院選沖縄選挙区で最多得票を報道しないマスメディア〜えっ、辺野古なんて忘れたよってか?】



今回の参議院選で、もっとも、真剣に投票したのは、普天間の県内(辺野古)移転を押し付けられた沖縄の人ではないだろうか。その沖縄の人が、比例区で最も多く投票したのは、県内移転にノーと言い続けた社民党だった。100票当たりの得票数はなんと、22.68票。他方、自民党は、100票あたり17.64票で、自民党としては全国最低の値。つまり、沖縄の人は、いまでも、辺野古移転を決めた自民党を拒否し、辺野古反対を貫いた社民党を支持しており、米軍基地の県内移転を容認していないことがはっきりと分かった。

ところが、沖縄で社民党が最多を占め、他方、自民党は全国で沖縄が一番得票率が低かったことは、ほとんど報じられていない。辺野古移転反対こそが、沖縄の人の願いだということがこんなにはっきりと分かったのに、なぜ、報道しないのか?  まるで、普天間移転問題に目をつむるかのような沈黙ぶりだ。

社民党の県別得票率→http://todofuken.ww8.jp/t/kiji/10866

自民党の県別得票率→http://todofuken.ww8.jp/t/kiji/12125

いまのところ、全国紙では朝日の13日付夕刊が次のようにまともな分析をしているようだ。

【民主が不戦敗を選択した沖縄の参院選は自民の島尻安伊子氏(45)が制した。ただ、比例区で最も多く票を集めたのは社民。全国では2議席獲得にとどまった同党への期待は、米軍普天間飛行場の移設問題を抱える沖縄が、民主にも自民にも厳しい見方をしていることを浮き彫りにした。】
http://mytown.asahi.com/areanews/okinawa/SEB201007120076.html


実は、もうひとつ報道されていないことがある。それは社民党福島党首が、公明党を除けば比例区で個人別得票2位だったことだ。民主党における蓮舫氏の一人勝ちは報道されているが、福島党首の健闘ぶりはまったく報道されていないのだ。

http://www.47news.jp/news/election/sanin2010/hireidaihyou_tokuhyousu_ranking.php

しかも、沖縄での得票数がすごい。上記の朝日新聞沖縄県版によると、

【福島氏の影響力は、県内での個人票の獲得状況に顕著に表れている。福島氏は04年選挙の1万351票から2万7679票へと倍増。再選を目指した民主県連代表の喜納昌吉氏(62)が、6万965票から3万6251票と激減させ落選したことと対照的だ。普天間飛行場の名護市辺野古への移設に反対し、閣僚を罷免された福島氏への支持が沖縄で続いていることが裏付けられた形だ。】

という。

こういうと、沖縄は全国で一番投票率が少なかったではないか、本当に危機感を持っていたとは思えない、という反論する人が出るだろう。

しかし、【最大の要因は、全国で唯一、政権政党が候補者を立てられなかったことだろう。政権へ審判を下す機会が失われれば、有権者の関心がそがれるのは必然だ】(
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-164875-storytopic-11.html)という琉球新報の分析は正しいだろう。

そして、自民党候補者までもが、基地県内移転反対を訴えたのだから、盛り上がらないことこのうえない。

そういうなかで、社民党に投票した人が一番多かったことは、それ自体が、ニュースであるはずだ。

こういう分析をちゃんと伝えられないようでは、そのうち、本当に、マスメディアが見捨てられますよ。崩れ始めれば、結構速いかもしれないですよ。

今は経済的にも苦しいから政府も含めたスポンサー依存が高まっているだろうが、新聞ならば購読者が減れば、スポンサーも金を払ってくれません。市民がマスメディアから本当に離れたら、スポンサーも離れていく…。そうなる前に、市民の側に立った報道を始めるべきだと思いますよ…。

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新しい議員会館

新しい議員会館が完成したそうです。きょうは、そのうちの参議院会館に入る人が決まります。

7月9日付東京新聞「こちら特報部」は、衆議院2棟、参議院1棟の3棟で1700億円、豪華すぎないか、と論じています。私は初めて、東新こち特と意見が異なりました。造りや付随施設については、どうだかわかりませんが、議員の部屋が2,5倍の100平米になったことに限っては、とてもいいことだと思うからです。

これまでがなにしろひどかった。6畳か7畳ぐらいの手前の部屋には秘書さんたちの机がたいてい3つとコピー機とミニキッチンとミニ冷蔵庫。あちこち雑然と物が積み重ねられているところを、蟹歩きで奥のドアにたどりつきます。奥の部屋には、執務机と応接セット(会議用のテーブルの部屋も)。壁一面に書籍・資料の並ぶ本棚。なにしろ合計40平米ですから、狭いのなんの。よく仕事をする議員さんの部屋では、置き場のない資料ファイルが床まで溢れています。これでは仕事はできないと、私は思います。今どきの公立小学校の校長室よりも、狭くて見劣りがします。

来客の多い部屋では、廊下にずらりと行列ができます。首から名札をぶら下げているのは、省庁からいろんな説明に来ている官僚のみなさんです。官僚のみなさんは、上司の、たとえば局長さんの部屋がどんなにりっぱで広いか、よく知っているでしょう。局長さんと打ち合わせたその足で、議員会館に来ることもあるでしょう。その時、部屋の落差は秘かに心理的な影響を及ぼすだろうと思うのです。官庁の建物は、国土交通省の担当部署が設計するのだそうです。ですから、官僚がいかに政治家を軽視してきたかを物語るのが議員会館だと、私はロビイングに行くたびに思っていました。

これまでは、奥の部屋での会話が、手前の部屋や廊下で待っている面会者まで筒抜けでした。仕切りがじつにちゃちだったのです。まさに議員長屋です。そんなこともなくなるわけで、「下町情緒」が失われるのは寂しいけれど、議員さんとの距離が広まるとしたらよくないとは思うけれど、まあ、当然の姿になるのだろうと思います。訪問者が待つところも、こんどは部屋の中になったそうです。

豪華な議員宿舎はまったく不要だと思いますが、議員が秘書さんたちと仕事をする議員会館の部屋は、せめてこのくらい広くないといけないと思います。その数については、東新こち特の言うように、議員定数削減が議論されようとしている以上、もしかしたらすぐにもあまってしまうかもしれません。せっかくの新しい議員会館がむだにならないために、ではなく、そもそも定数削減なんてとんでもないと、私は思っていますけど。

残念なことがあります。新しい議員会館は、これまでの議員会館のそれぞれ隣に建てられました。そこは空き地で、春には菜の花が咲いていました。菜の花が咲くのなら、紫金草にも向いているだろうと、ある時、種を蒔きました。中国の反日デモがさかんに報道された頃です。南京虐殺を目撃したひとりの軍医が、南京郊外の紫金山の麓をうずめていたこの花の種を持ち帰り、日中友好と平和の思いをこめて広め、今やこのくにに広く自生するほどになった紫金草が、国会の裏にも群れ咲いていたらいいな、と思ったのです。でも、そのすぐあとに新議員会館の工事が始まってしまい、紫のちいさな花は増える暇(いとま)もなく、工事現場にのみこまれてしまいました。

旧会館が取り壊されたら、その跡地にまたせっせと紫金草の種を蒔くつもりです。

紫金草

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替え歌「イマジン」 官房機密費とマスメディア

さあ 想像して 一面トップの大見出しに 
「相撲協会 賜杯辞退」ではなく 「新聞協会 機密費・政府委員辞退」を
考えてみれば あたりまえのこと
政権と距離をおいてこそ
ジャーナリズムなのだから
さあ 想像して すべての人が
報道を信頼して みずから判断するさまを

さあ 想像して 社説に 
「相撲協会は膿を出し切れ」ではなく 「新聞協会は膿を出し切ります」を
きっとできるはず
若い記者たちに 旧弊を擁護する理由はなく
組織の自浄努力は 評価されるのだから
さあ 想像して すべての記者が
記者であることに 胸を張るさまを

そんなのは夢だと あなたは言うかもしれない
でもこれは 私ひとりの夢ではない
いつかあなたも私たちと 夢をともにしてほしい
そうすれば 社会は変わる すこやかになる

さあ 想像して 新聞に名前が出るのが
賭博をした相撲協会員ではなく 機密費をもらった人であるさまを
やりにくいかもしれないけれど
賭博より メディアに流れた機密費のほうが 
深刻なお金の問題なのだから
さあ 想像して すべての人が
メディアと社会のあるべき未来を 考えるさまを

 
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無残なり日本外交 NHK「密使若泉敬 沖縄返還の代償」

6月19日に放映されたこの番組のことを、ようやく書きます。いまやNHKは、沖縄に向きあい続ける希有なテレビメディアではないでしょうか。先週からはNHK教育で「歴史は眠らない 沖縄・日本400年」が始まりました。小森陽一さんを起用するところに、番組の意図は鮮明です。第1回では小森さんの、「沖縄と日本の歴史は戦争で始まった、それがその後に影を落としていく」という締めくくりの言葉が心に重く残りました。

NHKスペシャル「密使若泉敬 沖縄返還の『代償』」が描く世界の印象をひとことで言えば、無残、です。いくつもの無残がここにはあると思いました。

まずは、日本外交の無残です。アメリカは、日本の非核三原則を最大限に利用し、沖縄を「返還」することで、米軍基地を固定化し、より自由に使えるようにした。沖縄「返還」交渉は、アメリカの完勝だったのです。

軍事技術の進歩で、当時すでに核兵器はどこからでも撃てるようになりつつあり、いつも沖縄に置いておく必要はなく、アメリカは撤去するつもりだった、けれどそれが困難なことのようにふるまって日本側の注意をそこにひきつけ、「有事核持ち込み」という、アメリカにとっては二義的な価値しかないことを密約というごたいそうな演出までほどこして日本に飲ませ、その裏で基地の固定化と自由使用を手に入れた、というのです。

佐藤首相(当時)の密使として、沖縄「返還」交渉にあたった若泉敬は、「返還」20年を記念してひらかれたシンポジウムでそのことを初めて知り、愕然とします。騙された、核問題は目くらましだったのだ、と。しかもアメリカ側の意図と交渉戦略を得々と発表したのは、若泉の交渉相手であり、アメリカ留学時からの友人でもあるハルペリンという人物でした。

若泉敬は、たったひとりで交渉にあたったのでしょうか。外務省にチームと呼べるようなものはなかったのでしょうか。番組は、そのあたりには言及しません。のちに若泉がその著書『他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス』 (1994年)を刊行して、日米交渉と密約の問題を世に問うた時、当時の外務省は「すんだこと」ととりあいませんでした。沖縄に米軍基地が居座っている現実を「すんだこと」とは。国会に証人喚問されることを覚悟して、と言うか、期待していた若泉の無念がしのばれます。若泉は、沖縄が米軍基地の桎梏から解放され、真の意味で「本土並み」になることをこそ期していたのですから。当時の野党は若泉の暴露をどう受けとめたのでしょうか。番組は、これにも触れていません。

若泉は自責の念をつのらせ、自分には結果責任がある、と公言します。そして、中央政界やメディアから遠ざかり、頻繁に沖縄を訪れるかたわら、問題と向きあわない人びと、とくに佐藤元首相への絶望を深めてゆきます。象徴的なのは、故佐藤首相宅に通って、その首相在任中の日記を閲覧した、というエピソードです。そこに、若泉は沖縄についての、佐藤の真情のこもった言葉を探した。けれど、一言隻句もなかったのです。閲覧のための訪問が重なるにつれて若泉の表情がだんだんと険しくなっていった、という元首相の子息の淡々とした証言が胸に突き刺さります。

そして、少女暴行事件が起きた1995年の翌年、自著の海外出版の契約を交わした7月27日、癌に冒されていた若泉は、午後2時50分、福井の自宅できちんとスーツを着てベッドによこたわり、そこにいた旧友たちに冷たい水をすすめて自分も飲み、すばやく青酸カリの錠剤を飲み下して自死をとげます。

番組のあらすじになってしまいましたが、この交渉は、日本にとっては心情的な、国家イデオロギー的に象徴的なものであり(沖縄が「帰って」こなければ戦後は終わらない)、アメリカにとっては軍事的利益をあくまでも合理的に追求するためのものだった、この歴然とした違いが事の趨勢を決定づけたのだ、ということがよくわかりました。

アメリカは、ベトナム戦争を遂行するために、どうしても沖縄が必要だったのです。基地を縮小したり、その使用に大幅な制限をかける「本土並み返還」など、頭から考えていなかった。そのことを若泉に助言し、ともに交渉戦略を練る外務・防衛官僚はいなかったとすれば、総理大臣と密使という立場の違いを超えて、若泉の孤影は鳩山前首相のそれと重なります。どちらも、日本政府の中で孤立し、沖縄をじゅうりんしてアメリカの意思を貫くために踊らされた道化だった、と言わざるを得ません。そして今も昔も外務・防衛の官僚組織は、アメリカの戦略をこちら側の利益を踏まえて真剣に、徹底的に分析し、こちら側の利益を最大化しようとする意志をまったく欠いている、と。「こちら側」とは、若泉が考えた「こちら側」とは、言うまでもなく、沖縄に生きる人びとのことです。

今回の普天間返還交渉にあたって、政府は沖縄「返還」交渉を研究したのでしょうか。それを踏まえ、たとえば宜野湾市の伊波市長のように、安保改訂時とも沖縄「返還」時とも様変わりした目下のアメリカの軍事的意図をきちんと読み解いた上で、交渉に臨んだのでしょうか。そもそも交渉と呼べるものがあったのでしょうか。またもや何かの目くらましを食らって、実態のないことで右往左往させられ、アメリカの思う壺にはまっているのではないでしょうか。海兵隊の本拠をグワム・テニアンに移すことを既定の事実としているにも拘わらず、なおも沖縄に代替の基地をよこさなければ普天間から退かないと言い張るアメリカの、強欲としか見えない態度の陰には、辺野古を手に入れることよりももっとアメリカにとって有意義ななんらかの真の目的が隠されているのではないでしょうか。鳩山さんは手玉に取られたけれども、もっと壮大な規模で、もっと悪質な事象で、私たちは辺野古新基地建設派を筆頭に、アメリカに手玉に取られているのではないでしょうか。考えたくはありませんが、若泉の交渉をたどるとき、そんな疑念が頭をもたげます。

沖縄のことを自分の政治家としての手柄とすることしか考えていなかったとおぼしい佐藤元首相のあさましさ、無残です。そして、沖縄の老いた女性の写真を「小指の痛みを全身の痛みと感じてほしい」という言葉とともに机上につねに置いて、基地のない沖縄を遠くにらんでその第一歩と信じて対米交渉にあたり、アメリカ側の交渉担当となった学友からも、自分を密使として遣わした上司である首相からも裏切られた若泉、無残です。

これまで私は、若泉の著書名しか知りませんでした。それで、この人は密約をしかたのなかったことと弁明しているのか、と誤解していました。ここへきて、政府は密約を認めました。これが政権交代の成果であることは、何度でも強調しておきたいと思います。けれど、「返還」から38年の今を生きる沖縄県外の私たちは、「すんだこと」と居直った外務官僚、うわべの「本土復帰」で事足れりとした元首相と同類であるとのそしりを受けてもいいものでしょうか。

NHKのこの番組が、沖縄「返還」とはなんだったのか、あえて蒸し返してくれたことに感謝します。沖縄の現状、そして政権交代をものともせずに不変一貫している中央政府の対米追随体質にかかわる大問題はここに端を発していることがよくわかりました。NHKはメディアの使命を果たした、そう思います。それを尻目に、首相の消費税への言及のしかたがよくないとか、そのために内閣支持率が下がったとか、くだらない議論に明け暮れるこの選挙列島、大相撲賭博と並んでそんなことしか伝えないマスメディア、無残と言わざるを得ません。


本記事をご紹介くださった「辺野古浜通信」さん(こちら)ほかいくつかのブログが、 youtubeの番組予告を貼りつけていたのに倣って、ここにも貼りつけます。ほんと、この番組は再放送、せめてオンデマンド配信してほしいですよね、「辺野古浜通信」さん(11:30)。




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犯罪報道はテレビニュースのふくらし粉

おととい(こちら)の補足です。犯罪一般も少年犯罪も、国際的に低いうえに減っているのに、なぜ私たちは治安が悪いと思い込んでいるのか、今、著作にテレビに大忙しの池上彰さんのご意見を、『日本がもし100人の村だったら』(こちら)のあとがき対談から引用します。

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池上彰「今の日本の姿で、ひとつ特徴的なのは犯罪が少ない、治安がいいということです」

池田香代子「ところが『体感治安』は悪くなって。『最近、なんだか物騒ね』なんて会話が出ます。こうした漠然とした不安が私たちにあるのはなぜなのだろうと思うのです」

池上「メディアの責任が大きいと思います。テレビでは、昔に比べてニュースの時間が増えています。するとニュースをたくさん集めなければいけない。しかしニュース取材には、人手も時間もお金も、とってもかかるんです」

池田「ドラマよりかかると聞きました」

池上「そして記者は、それこそ這いずり回ってネタを捜さなければなりません。ところが、殺人事件なら、ネタは警察が発表してくれます。カメラマンを派遣すれば現場の映像がとれる、近所にマイクを向ければ『怖いですね』と言ってくれる。昔ならローカルニュースだった殺人事件が、今では全国ニュースです」

池田「しかもちょっとショッキングだと連日、ワイドショーで繰り返す。そこで水増しされて、殺人が多いように錯覚してしまいます」

池上「しかし実は例えば、あのころはよかったと言われる映画『ALWAYS 三丁目の夕日』のころ、昭和33年前後、殺人事件は、人口比で言えば現在の倍もあって、今のほうが犯罪が少ないんです……戦前の少年犯罪を調べた本が、2007年に出版されています。統計がないので、当時の新聞から少年犯罪をひたすら収集してまとめているのですが、たいへんな件数です。しかも小学生が同級生を殺したとか、親殺しとか、すごい事件があふれている。なぜあの時代、教育勅語と修身が必要だったかと考えるべきだということで、目からウロコが落ちる思いがしました」

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ほんとに目からウロコです。池上さんは、NHK地方局の社会部記者として出発しました。当時、頻発する少年犯罪に、池上さんたちは、「また子どもの事件? 名前も顔も出せないんだろ、ボツだ」と言っていたそうです。それが今や、必ずローカルニュースどころか、全国ニュースになります。神戸の児童連続殺傷事件以降のことだそうです。こうしたことが、犯罪は増えている、と私たちが思い込む原因なのだろうと思います。いつぞや、NHKの定時ニュースまでがトップで殺人事件を報じていて、あきれるやら嘆かわしいやらでした。

私は対談では、「漠然とした不安が私たちにあるのはなぜなのだろう」と発言していますが、私たちの不安にはれっきとした理由があります。将来の暮らしはどうなるのだろう、社会保障や健康保険は持続可能な制度なのだろうか、子どもが社会に出てもやっていけるだろうか……それを、犯罪の発生と短絡させて、本来の不安の理由から私たちの目を逸らせようとする力がはたらいているのではないか、そして、犯罪防止の名目で私たちの自由をせばめるような規制取り締まりを強めようとしているのではないか、そう勘ぐりたくなるような、犯罪報道が幅をきかせる昨今のニュースです。

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沖縄は平和の果実を享受しているか

平和に異議を唱える人はいません。いましも軍隊を動かそうとする政治家も、火器をたずさえて都市に攻め込もうとする兵士も、それは平和を手に入れるためだと言います。ましてや、戦争のための飛行機や船や車輌を、それらを動かす兵士ともども置いておき、訓練するための基地ともなれば、「平和のためじゃないの?」となんとなく納得している人は数知れないことでしょう。基地があるから平和なんだと、考えるまでもなく、考えているのです。平和ってなんなのか、こういう人びとがいるおかげで、なにがなんだかわからなくなります。

アメリカの犯罪学者、アーチャーとガートナーは、暴力犯罪の国際比較という研究から、ひとつの結論を導きました。すなわち、戦争中、本国での殺人はどんどん増え、終戦直後にピークに達する、と。その理由を、ふたりはこのように分析しています。

「戦争は国家のこの上もない賛助によって合法化された殺人を含んでいる……戦争は、殺人はいくつかの条件下では国家指導者から見て受け入れ可能であるという具体的な証拠を提供している。このように、平時の殺人の禁止が戦時中には反転してしまうことは、日常生活で葛藤を解決する手段として殺人を用いてしまう歯止めに対してなんらかの形で影響を及ぼしているかもしれない」(『暴力と殺人の国際比較』日本評論社)

つまり、国家が戦争することで殺人を合法化すると、それが個人のレベルでも人を殺すことの敷居をひくめる、というのです。アーチャー/ガートナーは、豊富なデータを統計処理してこうした結論に到達しているのであって、けっして憶測や印象論ではありません。

アーチャー/ガートナーは、日本の殺人が世界各国のなかでもきわめて少ない理由として、「1945年以降、日本が長期間平和を享受してきたことが考えられる」と言っています。裏返せば、アメリカは第二次世界大戦後もずっと大小の戦争をして今に至っているので、殺人が増えこそすれ減る暇(いとま)がないために、異常な殺人大国になってしまっているのだというわけです。この研究書を監訳した影山任佐さんは、日本に殺人をはじめとする暴力犯罪が少ないのは、「戦争や徴兵体験が戦後50年以上もわが国ではないことが大きな要因」としています。

つまり平和とは、兵士として死ななくていい、頭上から爆弾が落ちてくることはない、というだけではないのです。殺人をはじめとする暴力に日々の暮らしを脅かされないということ、つまり治安のよさが、平和の正体なのです。見えない空気のように、私たちの暮らしを安全に守っているもの、それが平和なのです。

基地の話に戻りましょう。平和のためと称して基地が、それも外国軍の専用基地が、このくににはたくさん置かれています。しかも、沖縄に集中して置かれています。それによって、平和はもたらされているでしょうか。沖縄はほかのどの県よりも安全でしょうか。とんでもない。保坂展人さんのブログ「どこどこ日記」によると、沖縄では年に1000件もの米軍関係者による犯罪や事故が起こっているそうです(
こちら)。1日3件です。沖縄は平和の果実を味わっていません。おそらく、本国と同じか、あるいはイラクやアフガンといった戦場との行き来で心が不安定になっているためにそれ以上のペースで暴力犯罪を発生させているのであろう犯罪大国国民を擁する基地が、人びとの暮らしを脅かしている。これでは、平和を守る基地という話はあべこべの、でたらめです。

平和とは、戦争のすべてから遠く離れることによって初めて実現する、暴力に脅かされない日々の暮らしのことなのです。アーチャー/ガートナーの研究から導き出されるこの結論は、じつに心強い。平和をそう定義し直せば、「平和のために沖縄に米軍基地を置かねばならないのだ」などというふざけた主張は、吹っ飛んでしまいます。

それには、このくにがこの65年間に実証してみせた本当の平和のことを、まず私たち自身が知らなければなりません。なぜか私たちの多くは、そのことを知りません。奇妙な目隠し状態と言っていいでしょう。目隠しのゴーグルをかけられ、平和な現実の代わりに見せられるのは、殺人や、子どもたちの犯罪の映像……そう、テレビのニュースです。テレビのニュースは、平和という現実を覆い隠して、別の何かを見せ続けます。一昔前ならニュースにはならなかった事件が、ひとたび起こると連日しつように繰り返して報じられているのです。それで、私たちはあたかもこの社会が安全ではないと思い込んでしまう。暮らしの安全という究極の平和が実現しているなんて考えもつかずに、外国軍の基地によって平和を手に入れようとし、手に入れていると思い込んでいる。ここになんらかの企みがあるのか、ないのか、考えてみるだけの価値があります。

そしてなにより、実現しているはずの平和が、あらずもがなの基地のために、他県とは異なってそこだけ台無しになっている沖縄のことを、より深刻に受けとめる必要があると、私は強く思います。

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「日本の消費税は高い」という「日刊ゲンダイ」の主張

「日刊ゲンダイ」が新党日本代表の田中康夫さんの連載を売りにしているとは知りませんでした。ともあれ、面白い、そして頼もしいメディアです。ちなみに、私は新党日本支持者ではありませんが、田中さんのベーシックインカム論にはおおいに興味があります。

その「日刊ゲンダイ」のウェブ版Gendai.Net6月26日号に、「『日本の消費税は低い』は大ウソ」という記事が載っています(
こちら)。「投票9」の野田隆三郎さんから教えていただきました。単純な比率で比較するのではなく、生活必需品や教育・医療などが非課税か、政府の税収の直間比率はどうかを見なければいけない、という明快な論です。「。税収(国税)に占める消費税の割合を比べると、日本の36.3%に対して、イギリスは38.4%。日本の2倍の消費税(10%)のオーストラリアは26.8%だから、日本国民の消費税負担が極端に軽いワケではない」というのです。

日本で買い物をするのは日本人だけではありません。たとえばお隣の中国からの観光客は、ショッピングがお目当てです。家賃がン百万の超高級マンションに住む外国のビジネスマン(たぶん所得税は母国に払っている)も、お買い物はします。そう考えると、治安のよさを含むこの社会のインフラを利用する人に等しくその費用を少しは負担していただくために、消費税はいい仕組みかも知れません。けれど、非課税品目を設けるとか(アメリカ・カリフォルニア州では家の売買も非課税!)、輸出産業のおかしな還付金(
こちら)をなくすとか、所得税の最高税率を上げるとか、逆進性の強いこの税金の税率を上げる前に、やることはあると思います。さもないと、税による所得の再配分をした後のほうがじつは格差が広がっている、所得の再配分が、持たざる者から持てる者がさらに巻き上げるしくみに成り下がっている、まともじゃないこのくにが、ますますまともでなくなります。

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「国連総会 琉球臨時政府 加盟承認」 

それにしても、長いばかりでつまらない首相所信表明演説でした。「友愛」でも、あるいは「米百俵」でもいいのですが、目の前がぱっと明るくなるようなひとことが見あたりませんでした。そういうこと、菅さんはむしろお得意だと思っていたのですが。現実主義を言うのはいいのです。が、それは理念がないということではないでしょう。好ましい展望が開けそうだと期待させる、政治家の言葉がほしかったと思います。鳩山さんに平田オリザさんがいたように、菅さんにもスピーチをブラッシュアップする有能な日本語遣いが必要なのではないでしょうか(もしもすでにいらっしゃるなら、ごめんなさい)。

前政権が「政治と金」、普天間問題で信頼を失ったことを謝っても、それらにたいするなにか具体的な提言があるかと言うと、皆無です。「沖縄の負担に感謝」という件(くだり)は、「日米合意を実現するためにこれからも負担してもらうから前もって感謝しておく」としか聞こえませんでした。あとは、各省の官僚が持ち寄った箇条書きの羅列のようで、谷垣サンが「自民党時代みたいな役人の作文」とコメントしていたのは正直の極み、思わずくすっと笑ってしまいました。

さて、きょうのタイトルは、4月25日付の「琉球タイムス」(=(琉球新報+沖縄タイムス)÷2)号外の大見出しです。読谷村で開かれた県民大会で配られたそうです。6月10日付「東京新聞」の「こちら特報部」が、沖縄独立論を取り上げた中で紹介されました(こちらの志村建世さんのブログに映像があります)。

リードにいわく、「菅直人首相は普天間問題日米共同声明の見直しをためらいもなく否定した。怒りの火が燃える沖縄では今、数十年来一定の支持者を持ち続けてきた『自立・独立論』が、勢いを増す気配を見せている。『国家』とは−。『主権』とは−。日本人が目を背けてきた大きな問題が、現実感を持って目の前に現れた。」(
こちら)。

ウェブ版では本文が読めないのは残念ですが(と思ったら、辺野古浜通信さんに載っていました)、独立論を唱える地域政党「かりゆしクラブ」の屋良朝助代表や琉球大学の林泉忠准教授、作家の佐藤優さんらに取材して、沖縄独立という考え方を紹介しています。それによると、独立を望む県民はつねに2割はいて、独立論は、米兵による少女暴行事件(1995年)や、集団自決をめぐる教科書検定問題(2007年)など、沖縄にとってゆゆしい事が起きるたびに、人びとの意識に浮上するのだそうです。

去年の9月には、「識者や経済人が中心の『沖縄道州制懇話会』が『沖縄を「特例型単独州」として自治を強化』とする提言をまとめ……県民の多くから賛同が集ま」ったそうです。たとえば、「中国との関係が深かった琉球時代の経験を生かし、東アジアの平和外交に重要な役割を担っていける」という「琉球自治州の会」共同代表・大村博さんの評価は、なんと私の「沖縄ゆるさん(あいまいな)独立(ちゅいだち)論」といっしょです(こちら)。ちょっとうれしい、と言うか、私が考えたことなど、沖縄ではとっくに熟議されてきたのですね。

懇話会座長・仲地博沖縄大学教授の、「自己決定する沖縄にしたい、という意識の表れ」という言葉には、おおきくうなづきますし、喜納昌吉・参議院議員の「まずは『一国二制度』で、沖縄を地方分権の先行モデルとする」という提言となると、一気に現実味を帯びてくるではありませんか。

「祖国復帰」前、日本国憲法のいまだ及ばない沖縄で、高校の先生たちがその第8章(第92条から第96条)「地方自治」を読みこんでいたというエピソードが、大江健三郎『沖縄ノート』にあったことを思い出しました。憲法第3章「国民の権利及び義務」がいつまでたっても実現しない沖縄が、この憲法を空文にしてしまった日本国、日米合意を楯に沖縄の自己決定を阻止する日本国を見限る日が、ほんとうに来るのでしょうか。

おととい、メディアは沖縄の基地問題への関心を失った、と書きましたが(こちら)、失礼しました。東新だけは意気軒昂です。岩岡千景記者、鈴木伸幸記者、ありがとう。

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東京メディア発 沖縄への涙 升味佐江子さんin「パックインジャーナル」

CATV朝日ニュースターの「愛川欽也パックインジャーナル」は、専門性の高い出演者たちが2時間たっぷりさまざまな問題を議論する、にも拘わらず肩の凝らない番組だと思います。なかなか見ることができませんが、私にとってはチェックしたい番組のひとつです。

その「パックインジャーナル」に5月31日に出演した弁護士の升味佐江子さん(番組サイトの写真、向かっていちばん右)が、番組冒頭、辺野古新基地建設について話し出したとたん、何度も涙で絶句し、そのあと気を取り直して一気呵成にまくしたてました。いつも情熱的でありながら冷静でユーモアを忘れない升味さんを見慣れている私は、驚くとともに、思わずもらい泣きしてしまいました。以下、その部分です。再放送を録画して、聞き直しました(どなたかyoutubeにアップしてくださらないでしょうか)。

きのう、鳩山さんが辞意を表明しました。そこに至るまで情勢を突き動かしたのは、参議院選挙でも、政治と金の問題でもありません。升味さんの無念の涙、怒りの涙が代弁している、鳩山さんの登場によって火がついた私たちの、「米軍基地はいらない、どこにも、まずは辺野古にも普天間にも」という思いを、ほかならぬ鳩山さん自身が裏切ったことへの怒りだと、私は思います。


「政権交代をするということに価値があるから、民主党勝ってよかったなあと思っていて、民主党にはもともと幅があっていいかげんな人も多いからどうなるかなと不安をもっていたらやっぱりそうなっちゃったと思っているんですけど、私は理屈は別として、ずっと東京で生まれ育った人間として(絶句)、沖縄にたいしては非常に(絶句)、いろんな意味で申し訳ない(絶句)、できることがあるわけじゃないけれども、なんとかしなきゃいけないと思ってたんです(やっとという感じで一気にここまで)。

それを、なんとかしようとしてくれる、できるかどうかは別ですよ、沖縄の立場で初めて日本を代表してアメリカと話をしてくれる総理大臣になってくれると思ってたんです(声は依然ふるえている)。できないかも知れないけど、たとえば沖縄戦の時の白旗の少女の写真を持ってでも、あるいは1995年の少女暴行事件の時のアメリカのジャーナリストのレポートがあるんです、法廷の。通訳が、暴行された少女について、失神して倒れている少女にたいして、米兵3人がどんな卑猥な冗談を言ったか、翻訳できなくって泣き崩れたっていう、そういうレポートがあるぐらい。そういう状態なわけよね。他国の軍隊が、平和なところと近接して存在していて、そこに来る兵隊さんたちは戦場に行って帰ってきてて、だからぜんぜん価値観の違う状態で行き来している、そういう軍隊が同じ都市の中にあって、しかもそれが支配的に存在しているってことがどういうことかっていうことが、きっとわかってくれる人じゃないかなと思ってたんです。だから、そのことについてものすごく失望している。

これがたとえ今この結論になったとしても、政権ができた時に、岡田さんと一緒に、この件はなんとかしなきゃいけないから、どうなるかわからないけれども、とにかくアメリカと話をしたいと、沖縄の占領の歴史のところから、あの占領の状態の中で、でも日本に帰りたいと言ってあれだけの復帰運動をしてくれた県民にたいしてね、その代表者としてこういうふうにしてほしいということを、なぜ言ってくれなかったのか。何度もワシントンに行ったり、クリントンさんが来た時にもそれこそ膝詰めで話をし、けっこう鳩山さんて目が潤んだりする人だけど、目が潤んででも話をしてくれてね、その結果やっぱり今の情勢だとこういうふうにしなきゃいけないんだと、それをひとつのステップとして、まあかれもちょっとは言ってるけども、出発点として話を始めるっていうようなことで今こうなっているんだったら、まだいいと。なんにもないじゃないですか。

この政権になってから、1人でしゃべってあれですけど、鳩山さんと岡田さんは最初の頃わりと一所懸命かなっていう印象もあったけど、他方で北澤さんとか平野さんとか、わりとしらーっとした印象が、わたしはテレビを見ているだけですけど、あった。なんでそれをまとめきれないのか。国家戦略を考える会議はいったい何をしていたのか。非常に怒ってるんだけど。怒ってどうしていいかわからない」


4分近く。この番組でこんなに長い発言に接したのは初めてです。いつも誰もがどんどん口を挟むからです。川村晃司さんも愛川欽也さんも田岡俊次さんも、珍しくじっと聞き入っていました。吉岡忍さんの、「自民党政権はアメリカの代理人だった、それでは回らなくなったので交代した民主党もアメリカの代理人なのか、私たちにはオルタナティヴがないのかということが、私たちの失望だ」という沈痛な発言に、私もあやうく失望するところでした。

いえいえ、失望している暇も理由もありません。辺野古に基地はつくれないし、普天間は即時封鎖、これしか出口はないのですから。吉岡さんも言っていました。「福島さんの罷免はよかった。かろうじてあそこにオルタナティヴがある、もう一つの選択肢があるかも知れないという希望をつなぐことができる」と。

きのう、イスラエルという国家は一線を越えてしまっている、と書きました(こちら)。けれど、升味さんの涙に、考えてしまいました。日本という国家も、とっくに越えてはならない一線を越えていたのではないか、それが常態となって、空気のように意識されなくなって久しかったのではないか、と。ある地域に暮らしているというただそれだけのことで、その人びとは集団で人権を剥奪されている、その他の地域の人びとの「安全」を保証するために、ということならば。私も、升味さんと同じ東京生まれ東京育ちですので、陰惨な気持ちになります。

国防や安全保障を説きたがる人びとは、国民の命と財産を守ることは国家の至上の任務だ、と言います。そのための米軍基地なのだ、と。百歩も千歩も譲って(譲るつもりはさらさらありませんが)そうだとしても、その米軍基地が人びとの命や財産を、尊厳を蹂躙しているという事実を、私たちはどう考えたらいいのでしょう。どう考えたらもなにもありません。この現実は、即座に否定するしかありません。見て見ぬふりしていていいわけがないという思いを、鳩山さんが立てた波風が、全国津浦々に運んでくれました。やっぱり、失望している暇も理由もない、私はそう思います。

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沖縄から炎上しているこのくにで、政権とりたい人なんているのでしょうか?

・米海兵隊基地辺野古移設に反対84%、賛成6%
・米海兵隊の沖縄駐留は不要71%、必要15%
・日米安保条約は平和友好条約に55%、破棄14%、維持7%

毎日新聞と琉球新報が28日から30日にかけて、沖縄でおこなった世論調査の結果です(記事は
こちら)。

辺野古に基地をつくるには、埋め立てを沖縄県知事が認可しなければなりません。仲井眞さんは、認可したら次の県知事選をたたかえないでしょう。知事になってほしいとの呼び声の高い伊波・宜野湾市長は、もちろん認可しないでしょう。辺野古の海を埋め立てる許可を出す知事など、沖縄の人びとは許しません。

そうである以上、辺野古に新基地をつくるなど不可能なのですが、そればかりか沖縄の人びとは、ヨクシとキョーイというおばけにも、「沖縄の地政学的重要性」というまやかしにも惑わされません。前にも書きましたが、何度でも書きます、ケント・カルダー『米軍再編の政治学』にあるように、沖縄は米軍にとってその位置ではなく、「おもいやり予算」と防衛施設庁の手厚い住民対策があるからこそ、意味をもつのだ、と。これは、「おもいやり予算」と防衛施設庁の住民対策さえあれば、沖縄である必要はない、ということでもあります。ただ、現に基地が沖縄にあるから、日米とも財政逼迫の折、基地は沖縄に置き続けるのが合理的なのだ、とうだけの話です。

さあ、どうする、辺野古に舞い戻らせた外務省・防衛省の官僚のみなさん、アメリカのみなさん、そして次期政権を狙う勇気ある政治家のみなさん! こんな状態で政権を担うとは、まさに火中に栗を拾うことにほかなりません。自民党の谷垣サン、内閣不信任案を提出するのはけっこうですが、万が一(と、失礼ながら言ってしまう)政権に返り咲いたら、この沖縄の状況にどう収拾をつけるのか、「腹案」は早いとこ練っておいたほうがいいと思います。「やっぱり辺野古」は、どう考えても「なし」ですからね。

しかも、収拾をつけるべきはもはや沖縄だけではありません。私は、舞台に大きな日の丸が掲げられているところでもお話をします。最近は、「辺野古のおじいおばあこそがふるさとの暮らしを守るほんものの保守主義者です」と言うと、会場いっぱいにうんうんとうなづく動きが、まるで突然のさざ波のように起こります。今や沖縄の心が広く共有されている証です。そのたびに私は、気持ちはいっしょなんだ、と胸が熱くなります。

ブログ「地元紙で識るオキナワ」さんは、ぜひ多くの方に読者登録していただきたいブログです。日々そこに紹介される地元2紙の論評からは、沖縄の怒りがひしひしと伝わってきます。沖縄にはジャーナリズムがある、と思わざるを得ません。おとといの沖縄タイムズには、「今年は2月にタイでの共同訓練があり、グアムで訓練した4月にかけて、普天間に残っていたヘリコプターはたったの2機しかいなかった(宜野湾市の目視調査)」との件(くだり)がありました。ほんとうに、番犬小屋は空なのです。沖縄の方がたがヨクシおばけに騙されないはずです。

宜野湾市では、職員が基地を見張っているのですね。だったら、昔、別府の高崎山で、野生の猿が山を下りてくるのを、観光客向けに「ただいま○匹」と知らせたように、市のサイトで知らせてくださるといいのに、その費用を捻出するためのふるさと納税を呼びかけてくださるといいのに、と思いました。ヘリ部隊が帰ってきて、ここで訓練している時は、「きのうは何時何分にタッチアンドゴーで騒音がどのくらい」とかも。 イタリアにある米軍基地では、昼寝の時間も離発着訓練はしないそうです。なのに、このくにでは深夜早朝もおかまいなしだということを、広く知らせればいい、と思います。

民主党にしろ自民党にしろ、次期政権にとっての秘策は日米合意見直し、これしかありません。その暁には、自分たちが積み上げてきたことを反古にされてたまるかという、骨がらみの官僚体質に縛られて、鳩山政権の担当大臣たちを籠絡し、「国外、最低でも県外」という鳩山さんの思いの実現にまったく協力しなかった外務・防衛の官僚のみなさんは、このたびのやりすぎ、成功のしすぎのために命脈を絶たれることになります。霞ヶ関の従米勢力を無力化する、そのくらいのことをしなければどんな政権も保たない、それほどに、鳩山首相が提起した普天間基地問題は、私たちの目を覚ましてくれました。今のところ鳩山さんには、「適任の」政治家を見極め、その力を結集し、官僚を動かして目的を達成する、という手腕や技術に欠けていたと言わざるを得ませんが、そのおかげで私たちの目に外務・防衛官僚組織(と中央マスメディア、と付け加えたいと思います)の発想と行動があからさまになったのは、このたびの騒動のこぼれ幸いでした。

米軍基地整理に舵を切らなければ、このくにはかれら、疑似冷戦体制を温存することで既得権を得ている勢力によって、早晩つぶされます。

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「アメリカにたいする根源的な卑屈さ」 内橋克人さんのメディア批判

本題に入る前に、牛久のその後です。

難民支援に尽力なさっている魚住さんによると、10日から続いていた
牛久の入国管理センターでの被収容者のハンガーストライキは、21日、一時中止となりました。「早くも仮放免者が増えてきているようで、一定の成果は出ているようです。ただし収容者は、今後の対応が変わらなければまたハンストに入ると宣言してい」るとのことです。中止の2日前、「牛久入管収容所問題を考える会」がセンター側と話しあいをもち、それが中止につながったようです(毎日新聞茨城版5月20日)。

また、14日には参院決算委員会で、藤田幸久さん(民主党、茨城選出)が、この件について千葉景子法相に質問しました(
議員のサイトに質疑が載っています)。その中で千葉法相は、今年に入って自死した2人について、収容が精神的圧力になったことを認め、仮放免は積極的にやっていくと約束しました。それが、仮放免者増加に表れているわけですが、指摘され、表沙汰になるとしばらくは「いい子」するのは入管の体質です。千葉法相の改善約束が空手形にならないよう、このブログでもときどき情報を提供しますので、みなさま、その時は電話・ファックスアクションなど、よろしくお願いします。きょうは藤田さんが牛久の入管を視察します。国会議員は被収容者が入れられているところまで入ることができるので、しっかり見ていただきたいと思います。


さて、内橋克人さんは、そのご著書に感動する稀な経済評論家です。効率一辺倒の経済は持続できないことを、早くから警告なさってきました。20日に、NHKはBSや教育など、主流からはずれたところでいいことをやっている、と書きましたが(
こちら)、ラジオを忘れていました。そのNHKラジオで、内橋さんが最近のメディアについて、痛烈な批判をなさっています。

今、ジャーナリズムが衰退している、その根っこにあるのは、アメリカにたいする根源的な卑屈さだ、報道人に鋭い洞察力と奥行きの深い報道力が欠けている、政権交代の真意を深めるような報道をしてほしい、それには、組織内ジャーナリスト1人ひとりが、まず社内で言論の自由を獲得することが重要などなど、噛んで含めるような穏やかな口調で語られるのはしかし、マスメディアの現状への痛烈な批判です。聞き手のアナウンサーは、さぞ耳が痛かったことでしょう。

「ジャーナリズムを峻別するきびしい目」をもたねばならないという、私たちへの叱咤も。10分のごく短い番組です。下のURLからどうかお聞きください。今、私にしても沖縄の米軍基地問題で政権への信頼は揺らぎに揺らいでいますが、こうした流れの行き着く先に今があることを思い起こし、たらいの水といっしょに赤ん坊も流してしまうことにならずに、でも在沖米軍基地にかんしては政権の方針を改めさせるにはどうしたらいいか、頭を冷やして考えたいと思います。

内橋克人「ジャーナリズムはこれでいいのか」
http://bit.ly/9gJIvi

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沖縄の黄色いメディア&米原潜「コロンビア」はうるま市で抗議を受けていた

最近、黄色に敏感です。沖縄の基地反対のシンボルカラーだからです。人前に出る時は、1着しかない黄色いワンピースを着るようになりました。何年も前に買った服なので、外見の経年変化著しいこのごろでは、やや派手なのですが。

きのうの日曜日は朝からテレビをつけて、鳩山さんが沖縄県庁に入るようすに見入っていました。県庁の反対側の歩道には、幟旗、赤い傘、赤で「怒」と書いた黄色い紙、バナーなどなどを掲げた人びとが押し固められていました。黄色いTシャツも目立ちます。県庁側は警備の人びとで立て込んでいて、市民の姿はありません。黄色い腕章やチョッキをつけた警備の人びとは、その色に内心どんな思いかな、と考えて、不謹慎ながらおかしくなりました。お仕事柄、こっち側に立ってはいても、道のあっち側の人びとと思いは同じという人も多いのではないか、と。

県庁側に位置するカメラのすぐ前を、鮮やかな黄色のカリユシかアロハを来た人が横切り、おやっと思ったら、メディアのものらしい紺色の腕章が見えました。黄色いタオルを首に巻いたカメラマンもいます。

私は日頃、ウェブで沖縄新報や琉球タイムズをチェックし、最近はそれらの新聞に載った論説を教えてくださるサイト「地元紙で識るオキナワ」さんにも、更新通知していただけるよう登録しています。紙面の写真もあるので、まるで現物を読んでいるような臨場感があります。そうした情報に接している限りでは、沖縄のメディア論調は真っ黄色です。もちろん、センセーショナリズムをおしたてたイエロージャーナリズムという意味ではありません。挙げて基地反対なのです。

だから、黄色を身につけて取材に当たるメディア関係者がいるのだ、私はこの方がたが書いた記事を読み、撮った映像を見てきたのだ、そう思うと、胸が熱くなりました。私たちのメディアがここにある、と。

続けて、テレビカメラは知事室に入りました。前回の黄色と打って変わって、鳩山さんのカリユシは青灰色、ほかの人びともまるで墨流しのような色彩で、張りつめたとげとげしい雰囲気です。1人、鳩山さんの斜め後ろに座った県庁の方でしょうか、鮮やかな黄色がいやでも目につきます。冒頭、仲井真知事が短く発言しましたが、政府の決定を「報道からしか知り得ない」と、3度口にしていたのが印象的でした。次いで鳩山さんの発言ですが、「断腸の思い」という表現で辺野古という地名を挙げました。「日米合意」だとか、「昨今の朝鮮半島情勢」だとか、「安全保障環境」だとかの言葉を、私は半ば呆然としながら聞いていました。

と、そこでコマーシャルに切り替わってしまい、あとはスタジオのコメントです。あわててチャンネルを変えても、NHKまでが別の番組をやっていました。こうしたメディアしか、わたしたちはもっていないのだということを、思い知らされました。本来、政治家の重要な発言は、そのまま最初から最後まで、私たちは知るべきです。知事室の外からは、ときおり抗議の声がかすかに聞こえていました。

岡田外相も北澤防衛相も、北朝鮮のしわざとされた韓国軍艦船沈没を引き合いに出して、「やはり沖縄」「やはり辺野古」と主張しています。政権がこの事件にすがっているような印象は拭えません。漠然とした不安にたいするに、漠然とした抑止力。ある雰囲気がつくられ、気分を根拠にものごとが進められているような気がしてなりません。

ところで、申し訳ないことに、おとといの記事を訂正しなければなりません。米原潜「コロンビア」は、「天安」沈没後の4月にホワイトビーチに入港し、うるま市から抗議をうけていたことを、週刊オブイェクトさんが教えてくださいました。その後、5月3日にはパールハーバーに帰還している、と(こちら)。DMで教えてくださった方もいます。ありがとうございました。このブログが悪い意味のイエローになってしまうところでした(「ジャーナリズム」なんておこがましいことは言いません、もちろん)。

また、調査団はアメリカ、イギリス、オーストラリア、スウェーデンが参加した国際的な軍民合同の調査団だったのですね。おとといは「
国際調査団を組織するべきではないでしょうか」と書いてしまいました。こちらも、お詫びして訂正します。が、「まずは中国のような北関与説に慎重な国も入れた国際調査団」と書いたことは、間違っていなかったと思います。中国も入っていれば、国際的な説得力がうんと違っていたのではないでしょうか。

きのうの朝見ていたのは、テレビ朝日系列の「サンデー・フロントライン」です。番組は、首相の沖縄入りのライブ中継とあっちこっちしながら、韓国哨戒艦(ではなく、正しくは「コルベット」というのだそうです。これも週刊オブイェクトさんに教わりました)のことを伝えていました。

解説にあたっていた森本毅さんは、しきりと首を傾げていました。「調査団の報告書には、沈没した『天安』の航路など、事故に至る経緯が一行も一字も書かれていない、生存者の証言もない、『天安』は優秀なソナーなどを備えていたはずなのに、乗組員はなにをしていたのか……」専門家も、軍事常識に照らして、この調査報告書には釈然としないものを感じているようでした。

封印されたKBSスクープの謎は依然残るとはいえ、米原潜との同士討ちという説は、私も今はほぼ潰えたのだろうとは思います。が、だからと言って、北朝鮮の小型潜水艦が魚雷を発射し、「天安」の真下で爆破させた、とする説にもまだ納得できません。公開されたスクリュー、ずいぶん腐食し、貝殻がついているように見えましたが、1ヵ月半であそこまでになるのでしょうか。なるのかなあ。また、魚雷は本来、船体に当てるものです。船の数メートル下で爆破させてその衝撃波で破壊するより、じかにぶつけたほうが効果があると思うのですが。

機雷説もありました。かつて海底に敷設された機雷が作動したのだ、と。それなら、しろうとにもわかりやすい。海底で上を通る船体の金属を探知して爆発し、衝撃波によって損傷を起こす機雷なら、今回の調査の結果と一致します。そして、「天安」乗組員が見張りを怠った、という批判もなりたたなくなります。あのスクリューは漁網にかかったそうですが、かなり離れた海域だったのは、海流の関係などでありうると推測できます。でも、この海域は北と南が異なる境界を主張していて、何度も小競り合いめいた海戦がおこなわれたところです。だったら、魚雷の断片なんて、いくつ沈んでいてもおかしくないのではないでしょうか。そのひとつが、今回たまたま漁網にかかった……。

とまあ、頑迷なしろうとはなかなか納得しないのですが、週刊オブイェクトさん、また教えてください。もしも機雷だとしたら、国際調査団がそれを曲げて、不十分な調査報告書で北朝鮮の小型潜水艦が発射した魚雷だと断定する、何か理由があるでしょうか。考えられるのは、「天安」が演習海域を200キロも外れた問題海域にいた理由が明らかにできない、ということ、艦長以下乗組員がそこで何をしていたのか、明らかにできない、ということ、ぐらいでしょうか。それに国際調査団も同意して、機雷事故だったのを、北朝鮮の魚雷のせいにした。北朝鮮も、これまでけっして褒められたものではないふるまいをしてきたことは確かなのですが。

でも、そうだとしても、北朝鮮とへたに事を構えて、その結果、北朝鮮が崩壊などしたら、いちばん困るのは韓国のはずです。また、韓国の経済も対中貿易頼みですが、中国は北朝鮮の後見役をひきうけ(させられ?)ていて、中国としたら、韓国が北朝鮮と険悪になって支援をやめなどしては困る、と韓国に圧力をかけるでしょう。そのようなリスクを背負ってもなお、真相をゆがめてまで北朝鮮のせいにする動機が韓国にあるのかどうか、疑問です。すくなくとも、来月の統一地方選挙では、李明博大統領に有利にはたらくでしょうが。

陰謀論が苦手なので、なにがなんだかわからなくなりました。ともかく、北朝鮮犯行説にいのいちばんにとびついたのが、辺野古に米海兵隊基地をつくろうとする勢力だったことは、憶えておきましょう。そして、今一度、繰り返しておきたいと思います。「悪いけど鳩山さん、負ける気がしないんです」と。この5月5日の記事は、今なおアクセスしてくださる方がたが毎日何人もいらっしゃいます。それも、多くは沖縄から。私も力を尽くします。自信をもってまいりましょう。

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「引き返す道はもうないのだから」表紙180


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・このブログから抜粋して、信濃毎日新聞に連載したものなども少し加え、一冊の本にまとめました。(経緯はこちらに書きました。)
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