去年の7月30日と8月2日、千葉元法相のもとでおこなわれた2件の死刑について書きました(「法相が見るための死刑執行」こちらと「死刑のことまだ考えています」こちら)。そして今月に入って、NHKのETV特集「死刑執行 法務大臣の苦悩」(放送は2月27日)を録画で見ました。ブログに書いたからには見なければ、見たからには書かなければ、というのが私の思考の筋道なのですが、そこで頓挫してしまいました。
番組を見た結果、去年の2本のエントリに付け加えるべき、あるいは訂正すべきことは、基本的にはありませんでした。でも、より具体的なディテイルは確認できました。それを書くのが、気が重いのです。
問題は2点だと思います。
1点目は、やはり官僚組織が大臣の言うことを聞かなかったということです。死刑執行の直後の、保坂展人さん情報のとおりでした。死刑を見学して、それをうけて死刑についての勉強会をもうけるなんて、と私は書きました。就任すぐに立ち上げるべきだったと。千葉サンの述懐によれば、法務官僚がまったく動かなかったのだそうです。あるいは、千葉サンでは動かすことができなかった。刑場公開も勉強会設置も、ぎりぎりの攻防の末実現したもののようです。その道筋で、死刑執行命令は避けて通れなかったらしい。2人の執行は、一省庁内部の政官のかけひき材料にされたとの印象を拭うことができません。
2点目は、法務大臣の資質の問題です。就任を打診されて、千葉サンはそれが死刑執行命令を出す職務をともなうということを重く受け止めなかった、死刑はいろいろあるひとつだと思った、就任せずという選択肢はのっけからなかった、と証言しました。大臣ポストに飛びついたのです。それが死刑廃止論者のすることか、と私は思います。
番組は歴代の法相のコメントもとっていました(鳩山ベルトコンベアー大臣は出てきませんでした)。1993年、死刑反対議連の代表をつとめていた二見伸明衆議院議員(当時)は、三ヶ月章大臣(当時)に死刑執行しないよう申し入れに行ったら、大臣が、「死刑執行命令にサインするポストに就くのだということを3日3晩考えた、判を捺せると決断できたから法相のポストを受けた」と言ってわっと泣き伏した、というエピソードを、まるできのうのことのように驚きを込めて語っていました(二見さん、去年10月29日のエントリ「政権はちゃんとしてほしい 事業仕分けと小沢デモ」(こちら)でとりあげた小沢さん支持デモに参加しておられました。拙ブログに貼った映像でも、はつらつとコメントしていらっしゃいます)。元法相のなかには、官僚からの圧力など感じなかった、とおっしゃる方もいました。信念だからサインしなかった、といともあっさり言い放つ方も。中には、「仕事だから淡々と割り切って進めるしかない」とおっしゃる方もいて、私はとっさにアイヒマン、ナチスの絶滅収容所を仕事として取り仕切ったナチスの高官を思い浮かべました。
千葉サンはどうだったか。死刑執行命令にサインしないことで、死刑反対を主張してきた過去の自分と「自己矛盾しないだけでいいのか」と、考えたそうです。この言葉には、自己矛盾しないというのは自分個人に拘泥した自己満足だ、それでいいのか、というレトリックが透けて見えます。清濁併せのむおとなの政治家としてのあり方がある、という通念に逃げ込みたい言い訳が見え見えです。でも、現行制度を変えていきたいから、私たちはそれをすると約束した政治家を選ぶのです。法律と現行制度に忠実に、それまでどおりのことをするのが官僚の責務で、官僚にはそうしてもらわなければ困ります。そして、それを改める必要が出てきたと考える人が、政治家になるのです。政治家が選ばれたとたん、ポストに就いたとたん、それまでの主張をひっこめて現行制度に自分をあわせたのでは、私たちはなんのために政治家を、政権を選んでいるのか、わけがわかりません。政治家がその信念において自己矛盾しないことは、私たち主権者への厳粛な契約です。政治家に信念を貫く気がないのなら、政治家はいりません。国政は官僚に任せておけばいい。
千葉サンは、死刑執行命令に「サインすることで自分の中で次の重たいものをスタート」させた、と言います。それこそ、自分個人に拘泥したせりふではありませんか。しかも、直近の選挙で落選した千葉サンには、サインした時、政治家としての先は早晩なくなることになっていたのです。公人ではなくなる千葉サン個人の中で「次の重たいもの」がスタートしようがしまいが、それが国政を、社会を動かすまでの道のりははるかに迂遠なものになっていました。
番組の最後のほうで、千葉サンが見届けた元死刑囚のひとりが書いた手紙が紹介されました。自分は死刑になることと引き替えに、悔悟も懺悔もしなくていい立場に立ったのだとする、死刑という刑罰への根源的な問いを含んだ絶望の手紙です。かれなりの最後の思考をふりしぼった、みずからの尊厳を守ろうとする叫びです。それに目を落としていた千葉サンが言ったただ一言、「よく書けてますね」。
できればこういうことを言いたくはありませんが、とことんダメな人を目の当たりにした思いです。
もう一度、録画を見てから書こうとしましたが、きょうもとちゅうで気力が萎えてしまいました。たくさんメモもとりましたが、それも生かさずじまいです。雑ぱくですみません。願わくば、若き日に二見さんといっしょに三ヶ月法相(当時)と面談した江田五月法務大臣、死刑について、こんどこそ広く議論を起こしてください。江田さんの明るさ、明晰さ、誠実さに期待しています。
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