私も、若い頃にはいろいろなことがありました。今さら、取り繕うわけにはいきません。とくにこのインターネットの時代、ちょっと検索すれば、昔のさまざまな行状が瞬時に白日の元に晒されます。ですから、逃げも隠れもしません。たとえば、「酔いつぶれ」「池田香代子」で検索してみてください。証拠写真が出てきます。20年ほども前、名古屋の白川公園で楽しく飲んで笑い転げていただけなのにな。私だけ「先生」がついているのは、これより前に名古屋に住んでいた時「そう」だったことを知っていた名古屋の人が、このキャプションをつけたので「そう」なっているだけで、他意はないと思います。思いたい。
いろいろな人に出会いました。それが現代アート史研究の対象になるような人物ともなると、その謦咳に接したおかげで、私ごときの「家政婦は見た」風の証言も記録されるわけです。きょうご紹介する証言に出てくる口述筆記のエッセイは、土方巽の『美貌の青空』に納められています。
慶応のアートセンターには「土方巽アーカイブ」があります(こちら)。土方の写真は、もちろんネット上にたくさんアップされていますが、たとえば細江英公さんの完璧な作品など、さすがにブログにお借りするのははばかられるので、アーカイブでご覧になってください。
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池田香代子は、生活の裏側も舞踏手も客観的に見ていた。舞踏手たちのトレーニングは厳しく、例えば玉野が、既に太っていた元藤を肩に乗せて稽古場をグルグル回って足腰を鍛えていた。「そういうトレーニングをしなければ、きれいとか、きれいじゃないではなくて、シャープな線が出ないのだろう」と見抜いていた池田は、玉野と土方に膝詰め談判で舞踏手になるよう延々と説得されたことがあるが、首を縦に振らなかった。「動かないでいいから、動かないのも舞踏だから」などと言われたが、同じ動かないのでも、土方や舞踏手が動かないのと素人が動かないのとでは全然違う。その頃、アイドル的存在だった金井美恵子が、好奇心で出演したことがあった。特権的な存在のため、裸にならず、赤い着物を着ておかっぱ頭で動いたが、池田は、「やっぱり、素人が出てるから格好悪かったんですよね、だから私は嫌だったんです。もしやるならば、皆と同じように体を鍛えて、金粉ショーから始めて、それで舞台に出るのでなければ格好悪いから」と考えたためだ。
こうして池田は、ショーダンサーにも舞踏手にもなることなく、裏方の手伝いに徹した。当時の池田にとって舞踏手は、表現者であり、自分たち一般ピープルとは違う特別な人たちだ、という思いが強かった。なかでも特権的なのが芦川羊子だった。アスベスト館の中庭には、有名なドラム缶風呂があったが、芦川は男性と一緒に入り、それを週刊誌が面白おかしく書いていた。一方の池田は、小林嵯峨などその他の女性たちと一緒に銭湯へ通った。
池田は毎日、元藤から渡された食費で買い物に行き、魚屋では捨てられるような部分も買って、いかに安い材料でボリュームのある食事を作り、踊って腹を空かせている舞踏手たちを満足させるかに苦心した。アパートでは元藤がマネージメントをしており、そこへ行くと、娘がらとべらに両方の腕をしっかりとつかまれ、「がらのママになって!」「べらのママになって!」と言われては、子守をしたのだという。時には、土方のドテラのような衣裳に綿を詰めるなど衣裳作りの手伝いもし、キャバレーの金粉ショーを興行している暴力団事務所へダンサーのギャラを集金に行くこともあった。また、高橋睦郎の勤務先の広告会社や篠山紀信の写真スタジオなどへ、「土方のところから来ました」と言って公演チケットを売りに行ったという。
そして、池田のもう一つの重要な仕事が、土方の口述筆記であった。土方は「俺は漢字が書けないから。俺がしゃべるから、書け」と言って、話すことを書き取らせた。その場所は押し入れで、なかに置いてあった小さなこたつを挟んでの作業だった。押し入れに入るときには、芦川から「先生に手を出すんじゃないよ!」と、よくドヤされた。
池田が意外に思ったのは、土方も元藤も、クラシックバレエなど古典を踏まえたうえでの話が、日常的に多かったことだ。そういうものも全部やった、モダンダンスもやった、それで辿り着いたのがこれである、という意識を明確に抱き、日常的に確認していたように思われた。
池田はボランティアのつもりだったが、元藤は出勤簿を作ってきっちりと名前を書かせ、1日500円か700円か、相場の半分程度ではあってもアルバイト代を支払った。「お芸術をやっているんだから奉仕しろ!ではなくて、一日いくらで、という形をとっていらっしゃったから、とても大変だったと思います」と語る。ともかく、常に金がなかったため、夜になって舞踏手たちが酒を飲むこともなかった。
そのように苦しい台所事情を抱えてマネージメントに徹する元藤と、土方の舞踏を体現しているという自負が強かった芦川、この二人と土方の関係が疑問になってくる。池田は、同じ女性として、二人を見ていた。
「私は、裏方としての元藤さんしか知らないけれど、元藤さんだって踊っていたわけでしょう。それが、土方さんが踊ることで裏方になった。子どももお産みになって。踊るという特権を彼女から奪って、土方さんは踊っていくわけですよね。それは土方さんの残酷さと、マチスモと。そこに芦川さんが入ってくる。芦川さんと元藤さんを、土方先生は使い分けた。私はどっちつかずの透明な存在だったから、両方を見てたけど、二人は接しないところで共存共栄、折り合っていたんじゃないかな。そういう風に役割分担させた土方さんは、ぶっちゃけた話で言えば、ひどい人ですよね。でも、何かを作っていく、舞台を作っていく、チームで作っていく男というのは、ブレヒトにしろそういうところがありますね。彼女たちの内面がどうなっていたかは知りませんが、ともかく芦川さんには『自分だ!』という自負がものすごくあって、確かにそういう肉体をしていました。それは誰しもが認めるところだと思います」
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