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<title>池田香代子ブログ</title>
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<description>『夜と霧』、『ソフィーの世界』、ケストナー、グリム兄弟などの翻訳、『世界がもし１００人の村だったら』シリーズの著述をしている池田香代子の公式ブログです。「感じた　動いた　考えた」をキーワードにできるだけ毎日更新します。
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<title>続　そしてみんなナショナリストになった　近接性ということ</title>
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<description>100人村は現実にはありえない、というご意見があります。おなかをすかせている人が何人、という記述があるが、そんな人がいたら周囲がほっておかないだろう、だから村におなかをすかせている人はいなくなるはずだ、というのです。そのとおりです。身近に困っている人がいたら...</description>
<dc:creator>ikedakayoko</dc:creator>
<dc:date>2011-11-11T02:01:26+09:00</dc:date>
<dc:subject>社会・世界情勢</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[100人村は現実にはありえない、というご意見があります。おなかをすかせている人が何人、という記述があるが、そんな人がいたら周囲がほっておかないだろう、だから村におなかをすかせている人はいなくなるはずだ、というのです。そのとおりです。身近に困っている人がいたら、ほっておけないのがわたしたちです。それが知人なら、友人なら、ましてや家族ならなおさらです。ここでは近接性がものを言います。身びいき、と言ってもいいかもしれません。<br /><br />これが社会となるとどうでしょう。すべての人の境遇に家族なみの関心を寄せることはありえなくても、またみずから手を差し伸べなくても、困っている人がいればやっぱり気になります。せめて「行政はなにをしている」とか、「なんとかならないのか」とか言って、自分だって気にしてるんだ、ということを確かめることはします。一歩踏み込んでNGOやNPOを立ち上げ、問題に立ち向かう人びともいますし、そういう人を見て、なかなかやるもんだ、と感心したり、寄付したりする人びともいます。また、より広く格差や失業といった社会問題や、目下なら地震津波原発事故に見舞われた東北地方に、わたしたちはわがことのように心痛めます。<br /><br />わたしたちのそうした気遣いが及ぶのは、多くはメディアによって網羅されている範囲です。情報が発せられ、受け止められる範囲です。情報は日本語で伝えられます。つまり配慮が届くのは日本語の使われている限りの空間、すなわち日本です。急いで付け加えておくと、海外のことがらに心砕く人びと、それどころかボランティアとして出かけていってそこの人びとのために尽くす人もいます。このたび、地震に見舞われたトルコに救援に入り、大きな余震で命を落とされた方のように。でも、そうした人びとは、もともと国内の問題に人一倍敏感です。インタビューすると決まって聞くのは、たまたま海外あるいは特定の国と関わることになった、というような表現です。他者への共感性の強い人が、偶然国内ではなく国外に導かれたということで、偶然はもしかしたら国内へと彼女や彼を導いたかもしれません。<br /><br />話を戻します。国語とは国民的出版言語の略だ、とする説があります。近代メディアの嚆矢はなんと言っても新聞、活字でした。広げた新聞に投げかけられたまなざしが国民を作る、という言い方がありますが、津々浦々の出来事を知り、見ず知らずの人びとの動向に心を動かされるというのは、近代国家以前には想像だにできないことでした。江戸時代にも遠い地方の風物を紹介する書物はありましたが、あくまでもエキゾティシズムをもたらすものでしかありませんでした。<br /><br />象徴的な例があります。1792年、パリの革命市民が危ないと新聞で知り、南仏のマルセイユから眦（まなじり）決して進軍してきた義勇兵たちがうたった歌、「ラ・マルセイエーズ」がなぜフランス国歌なのか、ということです。会ったこともないパリ市民に、マルセイユ市民が命をかけて加勢する、これはきわめて近代的な出来事です。封建時代にはありえない。この連帯を知る者が近代フランス国家の国民だ、というわけで、フランス国歌はいまなお「マルセイユ市民」という名前なのです。<br /><br />この同胞感が、よくも悪くもナショナリズムの感情面の第一の特徴だろうと思います。悪くも、と言ったのは、「ラ・マルセイエーズ」の<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/ラ・マルセイエーズ" target="_blank">歌詞</a>にあるように、ともすると同胞感の裏側にある敵への攻撃性を、ナショナリズムはその生まれたときから宿命のように背負っているからです。それは国連憲章によって、すべての国家は交戦権を持つ、とされて今に至っています。近代フランスは、内（王）とも外（外国軍）とも戦わなければ、つまり交戦権がなければ、生まれることすらできませんでした。近代国民国家は、剣を手にして生まれたギリシア神話のアテーナーのようです（ですから、交戦権を放棄したり常備軍を廃止したりした日本などの国々は、すでに近代国民国家の次の段階を先取りしているのかもしれません）。よくも、と言ったのは、この一体感が市場の統一と活性化をもたらし、近代を下支えする産業資本主義の驚異的な発展をもたらしたからです。<br /><br />日本では、明治維新で、言葉も通じない、たとえば薩摩のくにびとと越後のくにびとが、ある日突然、大日本帝国と名付けられたひとつの国家のメンバーだということになりました。こういうこと、つまりたどっていけば必ず近親者や近在の者との直接の関係に行き当たるふるさとの人間関係を超えた、より大きな共同体の一員であることは、頭で理解して事足れりとはいきません。なんらかの情緒にうったえる仕掛けが必要です。それで、伝統が持ち出され、学校と軍隊で若い人びとをその存在ごとそっくり国民に仕立て上げる努力がなされたことは、ご存じの通りです。<br /><br />そして今や、だれもが何国人かであることを、当然のように思っています。多くの日本人は日本国民であることに毫も疑いをはさみません。国家とも国民とも訳されるnationはnatio、ラテン語の「生まれ」に由来し、natureとも語源を共にしていますが、それに見合って、近代国家では、だれもが生まれながらの国民であることを、空気のように意識もしないほど自然なことだと思っています。だれもが意識するしないに拘らずナショナリストだということです。これはしかし、たかだか200年あまり前に出現した近代国民国家の特異な現象なのです。<br /><br />ナショナリズムをすこし醒めた目で見直したい、あたかもわたしたちの血肉と化しているようではあるけれど、同時にそれほど根拠のあるものでもないということを、さらに、根拠はあやしいかもしれないけれどそれ抜きには物事が動かなかったりするということを、すこしずつ観察していきたいと思います。かったるいかもしれませんが、おつきあいいただければ幸いです。<br /><br /><br /><br />
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<item rdf:about="http://blog.livedoor.jp/ikedakayoko/archives/51834219.html">
<title>そしてみんなナショナリストになった</title>
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<description>５日に有楽町で行われたTPP反対の街頭演説会の動画を流し見していました。 まさに多士済々、超党派と言っていい顔ぶれです。中野剛志さんや田中康夫さんのお話はわかりやすい。みなさん、さまざまな立場や視点から、「日本を守れ」と主張しています。 この一点ではミギもヒ...</description>
<dc:creator>ikedakayoko</dc:creator>
<dc:date>2011-11-09T00:00:24+09:00</dc:date>
<dc:subject>社会・世界情勢</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[<span>５日に有楽町で行われたTPP反対の街頭演説会の動画を流し見していました。<br /><br /><object classid="clsid:d27cdb6e-ae6d-11cf-96b8-444553540000" width="425" height="350" codebase="http://download.macromedia.com/pub/shockwave/cabs/flash/swflash.cab#version=6,0,40,0"><param name="src" value="http://www.youtube.com/v/kFUpQsCCjUk&amp;feature=youtube_gdata_player" /><embed type="application/x-shockwave-flash" width="425" height="350" src="http://www.youtube.com/v/kFUpQsCCjUk&amp;feature=youtube_gdata_player"></embed></object>&nbsp;<br /><br />まさに多士済々、超党派と言っていい顔ぶれです。中野剛志さんや田中康夫さんのお話はわかりやすい。みなさん、さまざまな立場や視点から、「日本を守れ」と主張しています。 この一点ではミギもヒダリもないのだ、と思いました。別の会見で、社民党の阿部知子さんと自民党の稲田朋美さんという、政治信条からすればこれまでは両極に位置していたおふたりが並んでいる映像を見たときも、同じ感慨を覚えました。<br /><br />それは、みんなナショナリストなのだ、という感慨です。ネーション・ステートを前提として発想するのはナショナリズムだ、というあたりまえのことを言うのはしかし、たいへんなことのようです。萱野稔人さんの『ナショナリズムは悪なのか』（NHK出版新書）を読んで、正直びっくりしました。わたしは、近代ドイツ国家の設計師ともいうべきグリム兄弟のことを考えてきたので、またこのくにの現代思想の流れを追ってきたわけではないので、ナショナリズムを巡ってこんなに奇妙な議論があるとは、思いもよりませんでした。<br /><br />もちろん、巷間ナショナリズムというと、政府主導の愛国心教育とか、先の戦争の肯定とか、思わず眉をひそめたくなるものがほとんどです。あげく、昨今は「非国民は出て行け」「○○に帰れ」というような排他的な罵声が飛ぶことすらあります。わたしも言われたことがあります。けれど、わたしなりにナショナリズムを根源的という意味でラディカルにつきつめると、「約束事として国家というものがあり、国家は変化しつつもこの先少なくとも数百年は存続するだろうから、</span>自分は約束事としてそのメンバーである以上、とりあえず<span>これを枠組みとしてものごとを考える」という、ニュートラルというか、身も蓋もないものに落ち着きます。そして、その限りにおいて、わたしたちのうちほぼすべてはナショナリストといってかまわないのではないでしょうか。<br /><br />一例を挙げます。先日探し物をしていたら、2002年のある講演のメモが出てきました。そこにはこんな、「世界がもし100人の村だったら」のバリエーションがありました。<br /><br />「日本がもし100人の村だったら<br />20年前、<br />いちばん豊かな20人は<br />いちばん貧しい20人より<br />13倍多いお金を手に入れていました。<br />今は168倍です。<br />10年前も今も<br />会社などで働いているのは36人です。<br />でも、10年前には26人いた正規社員は<br />２人減って、今は24人です。<br />10人いた非正規社員は<br />２人増えて12人です」<br /><br />2002年は、いわゆる小泉改革で格差が広がり、「ワーキングプア」が大きな問題となってきた頃でした。今はもっと深刻度を増しているでしょう。今もわたしは講演で、人びととくに未経験の若者は新興国の人びととのどん底競争にぶち込まれている、と言うことがあります。同じ職を求める人びとが国境のこちら側にもあちら側にもいるグローバル経済では、雇い主は「働きたいならこの賃金、この条件を受け入れろ」といいます。「いやなら工場ごと外国に行く、そこにはもっと安い賃金でも喜んで働く人びとがいる」と迫ります。かくして、国境の内と外での賃金格差は縮まっていきます。そう、世界規模で見ると、グローバル経済の進展のもと、格差は解消に向かい、世界は公正さに近づいている、という見方も成り立つのです。<br /><br />けれど、それを喜べないわたしたちがいます。というか、世界規模の格差の解消に思いが至らないほど、目の前の若者たちの困窮に心痛めるわたしたちがいます。だからこそ、格差は「問題」だ、となるのです。もちろん、縮まる世界規模の格差ではなく、広がる国内の格差が問題だ、と。TPPはこの問題をさらに深刻化させるだろう、と。そこにいるのは、ネーションのメンバーとして他のメンバーを気遣う、ネーションに立脚して問題を設定するわたしたち、すなわちナショナリストとしてのわたしたちです。<br /><br />それは、いい悪いの問題ではないのではないでしょうか。まず仲間を優先させる業（ごう）のようなものだ、と思うのです。いや、倫理的な問題だ、とする人びともいるでしょう。萱野さんによると、「ナショナリズムに訴えるぐらいなら国内労働市場を完全に解放して外国人労働者をどんどん入れたほうがいい」と主張した「（ポストモダン）知識人」がいたそうです。人はそこまで純粋観念的に公正さを追求できる、しかも社会規模でできるものなのか、わたしの心は揺らぎます。この揺らぎは当分おさまりそうにありません。世界の格差と国内の格差が、のっぴきならない関係にあることをどう考えるべきか、答えが見いだせるまでは。<br /><br />なぜグリムにつきあっているとナショナリズムを前提とすることに抵抗がないのかは、説明が必要ですね。稿を改めて論じたいと思います。また、萱野稔人さんのご本についても、立ち入って論じられればと思います。<br /><br />&nbsp;</span>
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<item rdf:about="http://blog.livedoor.jp/ikedakayoko/archives/51833533.html">
<title>みずから独裁への道の敷石となる者　大阪府教育基本条例案とわたし</title>
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<description>ある新聞の記者さんから電話がありました。「大阪府の教育基本条例案についてお話を伺いたいのですが」わたしはこうお答えしました。「ばかばかしすぎて、ちゃんと報道を追ってないのです。ですから、まとまった意見らしいことは申し上げられそうにありません、ごめんなさい...</description>
<dc:creator>ikedakayoko</dc:creator>
<dc:date>2011-11-06T01:17:08+09:00</dc:date>
<dc:subject>社会・世界情勢</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[<span>ある新聞の記者さんから電話がありました。<br /><br />「大阪府の教育基本条例案についてお話を伺いたいのですが」<br /><br />わたしはこうお答えしました。<br /><br />「ばかばかしすぎて、ちゃんと報道を追ってないのです。ですから、まとまった意見らしいことは申し上げられそうにありません、ごめんなさい」<br /><br />けれど、電話を切った瞬間、自分の声が澱（おり）のようなものとなって沈んでいき、心のどこかにひっかかりました。それから何日かたったある日、別の新聞社から同じ取材依頼の電話がきました。</span>こんどは受ける気になりました。<span>あの断った取材が気になっていたからです。そして初めて<a href="http://www.pref.osaka.jp/gikai_giji/2309gian/100503outlines.html" target="_blank">大阪府教育基本条例案</a>を読み、澱の正体がわかった気がしました。<br /><br />条例案の７割は、いかに「問題教師」を排除するかに文言を割いていました。教育委員会への、敵愾心の表明としか言いようのない文言も目につきます。あとは、上意下達と相互監視を義務づける組織論で、「上司」「部下」という言葉が頻出します。そこからは、子どもの育ちと学びをいかに支えるか、といった教育の理念は読み取れません。<br /><br />一般に前文とは、その法律の理念を高らかにうたうものでしょう。ところが、この条例案の前文は、まるでまざまざと敵を見据えているようなマイナスの情念がその論理を支えています。いわく、教育は民意を受けた議会と首長の主導のもとで行われるべきものなのに、政治が教育の場から遠ざけられてきた結果、好ましくない状況を生んでいる、だから民意を反映させるために、政治が教育に乗り出すのだ&hellip;これを最もよく表しているのは、学校の目標は知事が定める、とする第６条でしょう。<br /><br />この論法に思い出すものがありました。去年の初め、高校授業料無償化から朝鮮学校を除外すべしという声が上がったとき、いちばん声高だった１人が橋下徹大阪府知事でした。その危険性を、わたしはブログのなかで「ハシズム」と呼んでみました（<a href="http://blog.livedoor.jp/ikedakayoko/archives/2010-03.html#20100304" target="_blank">「さむい政治家、世論を煽る　高校無償化と朝鮮学校」</a>）。今、大阪で「反ハシズム」という言葉が躍っていますが、わたしもけっこう早い時期に思いついていたわけです。その言わんとするところは、まず敵を作り、攻撃して喝采を集める、その喝采を「民意」であるとして、「民意に従うのは政治家としてのわたしの務めだ」と大見得を切る、これは独裁者のふるまいだ、ということでした。教基条例案前文は、まさにこの１年半前の論法をそっくりなぞっています。きっと橋下さんご自身が気合いを入れて書いたのでしょう。<br /><br />わたしはドイツに関わり、ナチス時代の作家、ケストナーの子ども向け作品なども訳しています。当時最も民主的といわれたワイマール憲法のもとでなぜナチスが政権をとったのか、知っているつもりでした。そこでは多くの人びとが、「あんなばかばかしい主張をする連中が政権などとるはずがない」と高をくくったことが、ナチスの政権奪取を助けたのでした。<br /><br />なのに、それとそっくり同じ反応を、わたしはしていました。</span>大阪府教基条例？　ばかばかしい&hellip;<span>この軽視、この訳知り顔の無関心が、独裁への道の敷石となるのです。わたしは今、一番目の取材をお断りしたことを恥じ、反省しています。メモを取らなかったので、記者さんのお名前がわからず、困っています。記事の参考にしていただくにはもう遅いでしょうが、せめてお詫びがしたいのです。<br /><br />&nbsp;</span>
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<item rdf:about="http://blog.livedoor.jp/ikedakayoko/archives/51832275.html">
<title>【動画】もう二度とまつろうまいぞ　東北の鬼</title>
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<description>「わたしたちは今、静かに怒りを燃やす東北の鬼です」これは、去る９月19日、東京の明治公園でひらかれ、じっさいには６万人が集まった「さようなら原発５万人集会」での、「ハイロアクション福島」の武藤類子さんのスピーチの一節です。武藤さんが声をふり絞るように、しか...</description>
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<dc:subject>社会・世界情勢</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[<span>「わたしたちは今、静かに怒りを燃やす東北の鬼です」<br /><br />これは、去る９月19日、東京の明治公園でひらかれ、じっさいには６万人が集まった「さようなら原発５万人集会」での、「ハイロアクション福島」の武藤類子さんのスピーチの一節です。武藤さんが声をふり絞るように、しかし毅然とこう言い放つのを、６万人の大群衆の１人として聞き届けたとき、初秋の晴天のもと、わたしのなかでまなざしの方向が決定的に変わったことを思い知りました。その感動は今なお続いています。それを、ここに記録することにしました。<br /><br />わたしの親たちは西のほうの出身です。祖先は隼人の薩摩や霊熊の熊野という、征服された土地に生きてきました。東北のまつろわぬ民の裔、武藤さんたちと同じです。武藤さんの言う鬼は隠（オン）、か黒い闇の奥に潜む聖なる力です。クマ（隈）もどん詰まりの漆黒の闇を表し、熊と表象され、その闇はオン、鬼に通じます。熊本、熊野、阿武隈&hellip;&hellip;そこは古来、「明るい中央」が誅殺するしかないとするほどに恐れた者どもの棲息する場なのでした。<br /><br />東北の鬼が目を覚ました。近代日本の首都の、文明開化の時代を記念する人工の森のほとりで、東北の鬼が怒りを宣告した。これはもうただではすまないだろう。わたしは身震いするような衝撃とともに、まつろわぬと誓った土地から、蝦夷</span><span>（えみし）のまなぐ（眼）をかっと見開き、中央を睨み返す者たちの列につく覚悟を固めたのでした。<br /><br />この秋、ぜったいに口にしてはならないとされたもの、憶えておいででしょう。栗、銀杏、あけび、きのこ、山菜、川魚、猪、鹿。これらは、この列島に人が住み始めたときから幾千年、幾万年ものあいだ、豊かな滋養を恵んでくれてきたものです。それがすべて、食べてはならないほどに汚染されてしまった。こんなこと、この列島の自然はかつて経験したことがありません。それほどの大罪を、わたしたちの時代は犯してしまった。過去未来をつうじて、わたしたちは最も呪われた世代です。<br /><br />けれど、「明るい中央」と「昏（くら）いふるさと」の関係は一筋縄ではいきません。ふるさとが一方的に抑圧されてきた、などとは軽々に言えないのです。昏いふるさとは明るい中央にあこがれのまなざしを送り続けてきた、そういう側面も否定できません。先日、郡山に行ったとき、安積という地名に思わず、「芭蕉が日の暮れるまで『かつみ、かつみ』と花を探し歩いたところですね」とたずねたら、「ええ、でも見つからなかったのです。見つかって一句作ってくれていれば、名物にもなったのですが」と土地の方は残念がっていました。わたしはとっさに、芭蕉を引き合いに出したことを恥じました。ほんとうのところ、芭蕉が鴨長明という京の住人の書き物に出てくるからと言って、その花を実地検分しようとしたことが、安積をふるさととする人びとにどれだけの意味があるのでしょう。けれど、芭蕉に発見され、中央のまなざしというピンで文化の標本におさめられてナンボというわびしい価値観は、安積の人びとにも抜き難く内面化されているのです。<br /><br />それが屈折したかたちで原発をみずから呼び込んだ、と福島出身の若い社会学者、開沼博さんは言います（『フクシマ論』）。中央従属一辺倒ではなく、いやいや押しつけられたばかりではなく、原発という時代の最先端を行く巨大科学で中央を見返してやる、原発誘致にはそんな歪んだ反中央の捨て身の決断もあったのだ、と。<br /><br />そして、ふるさとは今また敗れました。30日のNHKのETV特集「果てしなき除染～南相馬からの報告～」は、いつ果てるともない除染の営みを描き、その原因となった原発事故と、それへの東電や国の対応への怒りを全篇にみなぎらせた、秀抜なドキュメンタリーでした。その中に、山を除染する実験がありました。「山の表土は100年でようやく１センチ生み出される、５センチ剥ぐ、500年分を剥ぐ」といった淡々としたナレーションの底に、怒りは正しく煮えたぎっていました。<br /><br />「明るい中央」が「昏いふるさと」を見やるまなざしを、ふるさとを行きずりに情緒的につまみ食いする、中央文化に淫した芭蕉的なまなざしを、わたしたちは今、自分のなかから叩き出すべきだと思います。鬼のまなざしでしっかと「中央」を見据え、ひるがえって幼い者たちにいつくしみのまなざしを注ぎ、守る。ある集会で、若いお母さんが問いかけました。「メスのライオンたちだって、敵が近づいたら円陣を組んで子どもたちを守るでしょう？」<br /><br />列島が地殻深くで身じろぐ今このとき、わたしたちもまた新しい価値の胎動をたしかに感じ、孕んだ腹を誇らしく未来へと突き出すのです。<br /><br /><object classid="clsid:d27cdb6e-ae6d-11cf-96b8-444553540000" width="425" height="350" codebase="http://download.macromedia.com/pub/shockwave/cabs/flash/swflash.cab#version=6,0,40,0"><param name="src" value="http://www.youtube.com/v/5xdszFXI2J0&amp;feature=youtube_gdata_player" /><embed type="application/x-shockwave-flash" width="425" height="350" src="http://www.youtube.com/v/5xdszFXI2J0&amp;feature=youtube_gdata_player"></embed></object><br /><br />&nbsp;</span>
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<title>世界平和アピール七人委員会「辺野古への米軍基地移設に反対する」</title>
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<description>きょう10月25日、世界平和アピール七人委員会（サイトはこちら）は、以下のようなアピールを緊急発表しました。そのようすはUST中継され、のちほどアピール本文とともに委員会サイトに載ることになっています。アピールは、発表に先立って官邸に届けられ、他の当該機関には後...</description>
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<dc:date>2011-10-25T16:00:21+09:00</dc:date>
<dc:subject>社会・世界情勢</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[きょう10月25日、世界平和アピール七人委員会（サイトは<a href="http://worldpeace7.jp/" target="_blank">こちら</a>）は、以下のようなアピールを緊急発表しました。そのようすはUST中継され、のちほどアピール本文とともに委員会サイトに載ることになっています。アピールは、発表に先立って官邸に届けられ、他の当該機関には後日郵送する予定です。<br /><br />＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊<br /><br />ＷＰ７ No.105J<br /><br />「名護市辺野古への米軍普天間飛行場の移設計画は直ちに取りやめなければならない」<br /><br />2011年10月25日<br /><br />世界平和アピール七人委員会<br />&nbsp; 　　　　　　　　　　　　　　　　　武者小路公秀 土山秀夫 大石芳野<br />&nbsp; 　　　　　　　　　　　　　　　　　池田香代子 小沼通二 池内了 辻井喬<br /><br />1996年、日米両国政府は普天間飛行場返還に合意した。その後曲折を経ながらも、いまだに両政府は、米海兵隊基地は沖縄県名護市辺野古に移設することが現実的な解決策だと主張し続けている。しかし、沖縄県知事、県内41市町村の全首長、県議会、県民は辺野古移設への反対を明確にし、「危険性の除去」、「少なくとも県外移設」を繰り返し求めている。<br /><br />これに対し、野田政権は発足からの短期間に、沖縄担当大臣、防衛大臣、外務大臣を相次いで沖縄に派遣しているが、誰一人沖縄のおかれている現状に目を向けることも、 沖縄の声に耳を傾けることもなく、県民の意志とは全く無関係にアメリカ政府の要求の伝達を繰り返しているとしか思えない。&nbsp;<br /><br />しかも、米軍基地の必要性を説明するのではなく、振興策と称して多額の交付金を投入して民意を変えようとするのは、民主主義に反する。沖縄県民が望んでいるのは、民意を尊重した解決であり、我々が望むのも同じである。<br /><br />1945年3月26日の沖縄戦開始以来、戦争終結によっても、1972年の施政権返還を迎えても、冷戦が終わっても、沖縄の米軍基地の根本的軽減は行われず、今日においても、在日米軍施設の74％が国土の0.6％に過ぎない沖縄県に集中している。<br /><br />私たちは、日本国憲法も国連憲章も仮想敵国を作ることを想定していないと考えるが、もし仮想敵国に対する国の安全保障上、米軍基地は減らせないのであれば、沖縄県以外の、99.4％の面積を占める都道府県に移転先を求めるべきである。他都道府県に移転先が見つからなければ、日本国外に移転するほかない。沖縄県のみに負担を押し付けるのは、差別以外のなにものでもない。市民の意思を踏みにじる都道府県の政策決定、都道府県民の意思を踏みにじる国の政策決定は、憲法第95条に定められた民主主義的地域主義の精神に反する。<br /><br />対立する一方の国が、自衛権の下に軍備の質的、量的増強を図れば、相手国も軍備を増強し、軍拡の連鎖が戦争を引き起こし、双方を疲弊させることは、歴史が繰り返し示してきたところである。この連鎖を逆転させることこそ、政治、外交の目標でなければならない。政府が特使を送って説得しなければならない相手は、沖縄県ではなく米国政府である。<br /><br />施政権返還以来、沖縄の米軍基地は幾度も不安定性を示してきたが、その根源的な原因は民意の無視にあった。この度またしても民意を無視して米海兵隊基地の辺野古移転を強行するなら、基地の円滑な運営など望むべくもなく、ひいては東北アジアにおける軍事バランスにアメリカそのものが望まないような不安定性を増大することは、火を見るより明らかである。私たち世界平和七人委員会は、このことを日本政府が直視し、沖縄の民意を重い委託と受け止め、アメリカ政府と真摯に向き合うことこそが重要と考える。<br /><br />&nbsp;
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<item rdf:about="http://blog.livedoor.jp/ikedakayoko/archives/51830062.html">
<title>KUNI破れずして山河うしなへり</title>
<link>http://blog.livedoor.jp/ikedakayoko/archives/51830062.html</link>
<description>おとといの記事の末尾に、「敵を見誤るな。敵は、今わたしたちが目の当たりにしているこの悲痛とていたらくを招いたシステムにあることを、それはわたしたちの意志で変えられることを、変えねばならないことを、銘記したいと思います」と書きました。それにたいして、きのう...</description>
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<dc:date>2011-10-25T00:16:19+09:00</dc:date>
<dc:subject>社会・世界情勢</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[おとといの記事の末尾に、「<span>敵を見誤るな。敵は、今わたしたちが目の当たりにしているこの悲痛とていたらくを招いたシステムにあることを、それはわたしたちの意志で変えられることを、変えねばならないことを、銘記したいと思います」と書きました。<br /><br />それにたいして、きのう星川淳さんが、「<span>人間の卑怯さを正視したい。自分を含めて卑怯な行動しか取れないことがあるのは当然だが、良心の呵責は味わい続けよう。敵は「システム」か？ いや、人間の弱さが積み重なり組み合わさって原発のようなシステムを支えている」とツイートなさっていました。なるほど、そのとおりだと思いました。「</span></span><span>今度から</span><span>デモには『原発の本当の動力はみんなの無関心』とプラカードに書いて行こう」とツイートした方は、星川さんとそう遠くないところにいると思います。</span><span>またある方は、中島みゆきの「ファイト」を連想なさっていました。「わたしの敵はわたしです」......。<br /><br />水俣の水銀中毒事件でもそうでしたが、わたしたちを分断する線をことさら際立たせて対立させ、あわせて情報を隠すというのは、本来追求されるべき、ことの原因をつくった側の常套手段のようです。その術中にはまってはならないと、強く思います。<br /><br />では、原因をつくった側、もしくはシステムとはなにか。これがもやもやして分からない。２年前の政権交代からこのかた、変わると期待したのにあれもこれも変わらない、そのなりゆきから時に透かし見えるなにかを仮にシステムと呼んでみているのですが、３３１後、それはますます臆面もなく表舞台に出てくるように思います。もしかしたら向こうも余裕がなくなっているのかもしれません。<br /><br />66年前、このくには戦争に破れました。ありえないことですが、もしも勝ったとしても「戦争をした」ということがすでに負けです。勝ってもどのみち人命は奪われ、人心は疲弊し、田畑は荒れ、都市は灰燼に帰していたでしょうから。けれど、悠久の自然はそのままでした。無傷ではなかったけれど、そのままでした。「国破れて山河あり」だったのです。<br /><br />ところが今回の３１１、とくに原発事故に目を凝らしてみると、1945年以来のカタストロフではあるものの、様相はかなり違っているように思います。つまり、３１１後は「KUNI破れずして山河うしなへり」だ、と思うのです。そして、３１１にも破れなかった「KUNI」に得体の知れないシステムの一端がかいま見られるのではないか、と。<br /><br />Kはkenryoku、権力のKです。<br />UはUSA depended、アメリカ依存です。<br />Nはnuclear、核です。<br />Iはindustry、工業、なかでも重工業です。<br /><br />Kはkanryo、官僚機構としてもいいかもしれませんが、それでは「敵」を矮小化するように思えて、また格差社会でわたしたちのすぐ上にいてうまい汁を吸っているかのように見える官僚だけを取り出して「敵」としたのでは、ほんとうの「敵」の思うつぼだと考えて、漠然と「権力」としました。そこには官僚機構も含まれます。まさに「システム」と置き換え可能かもしれません。Kですからkokka、「国家」でもいいのですが、含みをもたせたほうがいいと考えて、「権力」としました。もちろん、「国家」のほうがふさわしいと思われたら、そのように読み替えてください。<br /><br />あとのU、N、Iは、東西対立のさなかこのくにに原発を導入させ、しかも欠陥がすぐに判明したGE製の原発を運転させ続けたアメリカ、そんなアメリカに依存することが所与の前提となっている政官学マスメディア界の人びと、原発を製造している重工業の大企業、そしてもちろん原発を金のなる木と見てしがみつく電力会社ということになります。<br /><br />そして、人類史上最悪の原発事故を起こしてしまったこれらの当事者は、当事者性が強ければ強いほど、事故後も盤石の構えにいささかのゆるぎもないかのように見えるのです。これらが「システム」の主要パーツであることは疑えない、そんな気がしてなりません。<br /><br />そのいっぽうで、福島をはじめとする東北や関東の山河は、列島の歴史の開闢以来の、金輪際起こってはならない災厄に見舞われています。山河は失われたのです。いつよみがえるか、見当もつきません。こんな不条理をまのあたりにして、福島のお母さんは言いました。「いまわたしたちは、静かに怒りを燃やす東北の鬼です」。鬼の眼力をもってすれば、敵の正体を見破れるでしょうか。いえ、見破らねばなりません。それがいま現在、わたしたちがいるところだと思います。<br /><br />&nbsp;</span>
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<item rdf:about="http://blog.livedoor.jp/ikedakayoko/archives/51829742.html">
<title>[動画]「原発てんでんこ」？　補遺</title>
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<description>ゆうべ、拙ブログを読んだ永田淳一さんがさっそく教えてくださったインタビュー動画（こちら）は、３１１原発事故にかんするオーラルヒストリーの第一級史料だと思います。収録が４月２日と事故から日が浅く、話している方はすぐれた記憶力をもち、出来事を再構成する能力に...</description>
<dc:creator>ikedakayoko</dc:creator>
<dc:date>2011-10-22T00:32:34+09:00</dc:date>
<dc:subject>社会・世界情勢</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[ゆうべ、拙ブログを読んだ永田淳一さんがさっそく教えてくださったインタビュー動画（<a href="http://www.youtube.com/watch?v=EcF_75slgwk">こちら</a>）は、３１１原発事故にかんするオーラルヒストリーの第一級史料だと思います。収録が４月２日と事故から日が浅く、話している方はすぐれた記憶力をもち、出来事を再構成する能力に長け、なにより微妙な感情を再現して伝える表現力に秀でておられるからです。またもちろん、これを報じている時代メディアのインタビュアー、MIKE-Tさんのあざやかな手腕が豊かな話を引き出した、ということもあります。まだの方はぜひご覧になることをお勧めします。<br /><br />オーラルヒストリーとは、出来事の現場にいた人びとの語りを集めて歴史を記述する試みです。体験の、人生の圧倒的な現実感とともに語られるそれらのストーリーはしかし、事実であることはゆるがなくても、全体を見通すものではありません。話者が体験しなかったことは語られないのですから。ですから、ひとつのオーラルヒストリーは事実ですが、現実のすべてではないのです。<br /><br />きのうの記事は、今にしてようやく書き留めることができたものです。気が重かったのです。それにたいする反響は驚くべきものでした。１日で１万３千人の方が読んでくださり、ツイッターやダイレクトメールをつうじて、たくさんのお声が寄せられました。東電社員の家族を批判するお声もありましたが、多数ではなかった、そのことに深く打たれました。<br /><br />ご意見ご感想をお寄せくださった多くの方がたが、きっとわがこととして「原発てんでんこ」を心の深いところで受け止められたのだろうと思います。話者（Aさんとしておきます）の思いだけでなく、いちはやく避難した東電社員の家族の方がたの思いにも想像力をはたらかせ、考えてくださったのだと思います。Aさんに共感して、なぜ地元の人には情報が流れなかったのか、と沈痛な思いを吐露すると同時に、個々人に非難の矛先を向けるべきではない、とするご意見が目を引きました。東電や関連会社の社員やその家族は、今追いつめられようとしているのではないか、とのご意見に、予想していたこととは言え、わたしもそうした流れを後押ししてしまったかもしれないと、厳しく反省もしました。<br /><br />芥川龍之介の「蜘蛛の糸」を思い出した、と書いた方がおられました。われ先に逃げるのは人間の業（ごう）だとする見方です。いいとか悪いとかではない、という悲しい達観です。でも、そこからニヒリズムの皮相な人間観に落ち着くのは間違っているのではないか、そんな思いがたくさんのつぶやきから聞こえてくるようにも思いました。<br /><br />ようやく避難所にたどりついたAさんは、身内の、おそらくは原発関連の仕事をしている人から、原発が爆発したらしい、ここにいては危ない、と耳打ちされ、県内を転々とした末に大阪に落ち着きます。決断力も実行力も交渉能力もある方です。避難所を出るとき、周囲の何人かには、危ないから逃げる、と告げたそうです。避難所にいたすべての人に大声で告げて回ったのではないのです。そうしたからと言って、誰もが逃げる決意を下せるとは限らない、と見越したからではないでしょうか。<br /><br />わたしは東京在住ですが、科学技術にくわしく、環境問題に明るい友人が、３１１直後に電話をくれました。政府は心配ないと言っているけれど、自分の情報分析だと原発でそうとう危険なことが起こっている、自分は妻と子どもを逃がした、関東一円はもう危ない、と言うのです。いちおう耳に入れておく、判断は任せる、とかれは言いました。わたしは米とミネラルウォーターなどの備蓄をチェックし、ペットフードなどを買い足し、古新聞とポリ袋がたっぷりあることを確認し（水洗トイレが使えなくなった場合を考えました）、太陽光発電を停電時の自立発電に切り替える練習をしました。地下室があるので、余震のおそれもいまだ去らない中、プルーム（原子雲）が通過する数日は、近所に住む親族11人と犬３匹猫３匹でそこにろう城する構えです。<br /><br />東京地方をプルームが通過したのは、３月14日と15日と21日です。この3日で、今降り積もっている放射性物質の85％が落ちました。そういうことが明らかにされたのは、もちろんずっと後です。15日、わたしは歯医者さんに予約を入れてありました。気が進まなかったのですが、近所なのでマスクをして出かけました。町はいたって平穏で、いいお天気でした。早春の水色の空がきれいでした。治療用の椅子に座って順番を待つあいだ、複雑な、落ち着かない思いで大きな窓越しに外の道をながめていました。すると、すてきなジョギングウエアの若い女性が、ベビーカーを押した若いお母さんを追い越していきました。はっとして、椅子から立とうとしたその瞬間、「椅子を倒しますね」という看護師さんの声がして、わたしは背中から沈み、彼女たちはわたしの視野から消えました。<br /><br />わたしは看護師さんに「ちょっと待って」と言って、あの若い女性に「きょうはジョギングは控えたほうがいいですよ」と告げることも、あのお母さんに「早くお帰りになったほうがいいですよ」と伝えることもなかったのです。わたしも、自分が得た情報を身内以外には伝えませんでした。もちろん、東電関係者の生の情報と、友人の鋭いとは言えたんなる観測では、精度が違います。わたしはやたらと触れて回るべきではなかった、との言い訳もなりたちます。けれど、たとえば多摩市の阿部市長は、14日から23日のあいだ子どもはマスク着用、外遊び禁止という通達を出しました。自身の知識と情報分析と判断で。すべての責任をとる覚悟で。わたしは阿部市長からそのことを伺って、あの時、歯科医院の窓の外を歩いていた３人のことを思い、痛恨の念にかられました。<br /><br />わたしもまた、人のことは言えないのです。東電の奥さんの中に、避難する車窓から外の家並みを見て、子どもの友だちの家を見て、はっとした方がいなかったと、誰が決めつけられるでしょう。はっとした次の瞬間、その家はすでに背後に消え...。<br /><br />いただいたご意見のなかに、わたしたちは敵を見誤ってはいけない、というのがありました。ほんとうにそうだと思います。わたしたちは、阿部市長のように高い倫理性にもとづいて行動すべきだし、できればそうしたい、けれどいつもそうできるとは限らない、弱い、情けない、業の深い存在なのだ、そのことを肝に銘じて、そんなわたしたちでもできることを模索していくしかないと、わたしは思います。<br /><br />敵を見誤るな。敵は、今わたしたちが目の当たりにしているこの悲痛とていたらくを招いたシステムにあることを、それはわたしたちの意志で変えられることを、変えねばならないことを、銘記したいと思います。<br /><br />&nbsp;
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<item rdf:about="http://blog.livedoor.jp/ikedakayoko/archives/51829488.html">
<title>「原発てんでんこ」？</title>
<link>http://blog.livedoor.jp/ikedakayoko/archives/51829488.html</link>
<description>ずっと心に刺さった棘のようになっているテレビ報道があります。３１１からまだ日も浅い、ある日のある民放テレビの報道です。でも、いまだに事実として受け入れていいのか、迷うところがあるので、慎重に書きたいと思います。福島の原発近くには、東電社員の奥さんと地元の...</description>
<dc:creator>ikedakayoko</dc:creator>
<dc:date>2011-10-21T00:22:24+09:00</dc:date>
<dc:subject>社会・世界情勢</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[ずっと心に刺さった棘のようになっているテレビ報道があります。３１１からまだ日も浅い、ある日のある民放テレビの報道です。でも、いまだに事実として受け入れていいのか、迷うところがあるので、慎重に書きたいと思います。<br /><br />福島の原発近くには、東電社員の奥さんと地元の奥さんの交流グループがあるそうです。あるいは、あったそうです。東電の肝いりでつくられたもので、地元の人びとに原発への理解を深めてもらうのが目的だそうです。テレビのインタビューに答えていたのは、そうしたグループの地元側のリーダーでした。ご自宅の茶の間とおぼしい畳の間で、 その方は声を絞り出すようにして訴えておられました。およそこんなお話でした。<br /><br />「地震の翌日（もしかしたら翌々日）、大混乱の中で、東電の奥さんたちは無事かしらと、 電話をかけてみた。そうしたら、一人残らず遠くに逃げていた。わたしたちにはなにも言わずに。わたしは、原発のためにいっしょけんめい協力してきたつもり。東電の奥さんたちとはなかよくおつきあいしてきた。友だちだと思っていた。なのになぜ知らせてくれなかった、なぜ自分たちだけ逃げた...理解できない」<br /><br />逃げること自体に、なんら責められる謂れはありません。多くは、小さな子どものいるお母さんたちでしょう。子どもを守るために逃げる。当然です。ひっかかるのは、なぜ地元の方がたに原発が危険だという情報が一切流れなかったのか、です。原発の町に暮らしていた東電家族は、数十にのぼるでしょう。交流グループのメンバーも数人ではすまないはずです。学校や保育園の子どもつながりで、地元と親しくつきあってきた方もおられるでしょう。なのに、テレビに出ていた方の話のとおりだとすると、なぜ誰一人、子どもの友だちのお母さんに、自分たちは避難すると伝えなかったのでしょう。<br /><br />わたしは、戦争末期に旧満州からいち早く引き上げた関東軍とその関係者の家族のことを思い合わせずにはいられませんでした。日頃は親しくしていても、危険が喫緊に迫ってくるとどうでもよくなる、その程度の おつきあいでしかなかったのか。かつて東電に勤めていた蓮池透さんは、家族連れで福島の原発に勤務していたことがおありですが、地元とのつきあいはうわべのものでしかなかった、とご著書に書いています（『私が愛した東京電力』かもがわ出版）。そういうことだったのか、とインタビューに答えておられた方とともに、わたしは深くうなだれるしかありません。<br /><br />多くの人に危険情報が伝わるとパニックが起こり、道路は渋滞し、スムースに避難することが困難になるかもしれない、という懸念が、情報が社外に出なかった理由でしょうか。だとしたら、自分たちだけが逃げるために情報を押さえたことになります。あるいは、会社ないし部署の上司などが逃げろと言っているから、自分たちは従うしかないが、その危険情報がどの程度確実なのかわからない以上、むやみに人に伝えて混乱させるのはよくない、との配慮でしょうか。それとも、箝口令が敷かれたのでしょうか。<br /><br />いろいろ考えても、やはり避難情報を、せめて自分たちは避難するという情報を、地元のママ友には伝えなかったことを正当化する理由が、わたしには見つかりません。津波てんでんことは、津波が来たら自分だけ逃げろという、東北に伝わる悲しくも厳しい知恵です。それが、一家全滅、村落全滅をまぬかれる唯一の道だからです。このたびの原発てんでんこ、これがもしほんとうに起きたのだとしたら、これは津波てんでんことは同列には語れない、深刻な問題をはらんでいると思います。<br /><br />事の真偽を確かめたくて、ここに記録しておくことにしました。ツイッターなどで情報をお寄せください。<br /><br /><br />追記<br />さっそく情報をお寄せくださった方がおられます。ネットメディアで、東電福島第一原発モニターOB会の方がインタビューに応じておられる動画です（<a href="http://www.youtube.com/watch?v=EcF_75slgwk">こちら</a>）。ひじょうに生々しい証言です。「原発てんでんこ」については、15～20分あたりです。（１：23）<br /> <br /><br />追記２<br />翌22日に補遺を書きました。そちらもぜひお読みいただければと思います（<a target="_blank" href="http://blog.livedoor.jp/ikedakayoko/archives/2011-10.html#20111022">こちら</a>）。<br /><br /><br /><br />&nbsp;</span>
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<item rdf:about="http://blog.livedoor.jp/ikedakayoko/archives/51825731.html">
<title>花の文化史43　薔薇（原種）</title>
<link>http://blog.livedoor.jp/ikedakayoko/archives/51825731.html</link>
<description>今回で、花の連載はおしまいです。もっとも、ブログをお休みしていた間に掲載すべきだった８点が残っています。季節外れになってしまったのは、睡蓮、露草、朝顔、浜木綿、瑠璃玉薊、コスモス、野薊、鳥兜です。これらは来年、ふさわしい季節が巡ってきたらアップすることに...</description>
<dc:creator>ikedakayoko</dc:creator>
<dc:date>2011-10-20T00:00:07+09:00</dc:date>
<dc:subject>花</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[<p>今回で、花の連載はおしまいです。もっとも、ブログをお休みしていた間に掲載すべきだった８点が残っています。季節外れになってしまったのは、睡蓮、露草、朝顔、浜木綿、瑠璃玉薊、コスモス、野薊、鳥兜です。これらは来年、ふさわしい季節が巡ってきたらアップすることにします。<br /><br />この連載を毎日新聞にしていた１年は、けっこうたいへんでした。なにしろそれまで花のことはあまり知らなかったからです。伏見先生から「次はこれを描くよ」とご連絡をいただくと、図書館に行ったり、取材にでかけたり、その下調べにネットをあちこちしたり。今となってはいい思い出です。最後の原稿を入れた１週間後、９１１が起き、生活は一変しました。その意味でわたしの物書き人生前半の最後となる、思い入れのある作品です。次回は「あとがき」を掲載しようと思います。<br /><br />伏見文夫さんは、薔薇と薊がお好きです。それぞれ、何点もお描きになりました。わたしはようやくの思いで一文一文をこなしていたので、「また薊？また薔薇？　もうネタがないわ」と意気消沈したものです。けれど、美しい絵を眺めていると、ふしぎと書きたいことが心のどこかからうらうらと陽炎のように立ち昇ってくるのでした。<br /><br />最終回も薔薇です。あれから10年、白い一重の難波茨の花は、今や拙宅の南側の壁を２階まで埋め尽くしています。１年にたったの１週間だけ。<br /><br /> ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊<br /><br />鹿児島のほうだったと思う。家一軒がそっくり白い薔薇におおわれている映像を、この春テレビのニュースで見た。蔓は屋根にも登り、びっしりと花をつけている。見事というしかない光景に息をのんだ。</p> <p>花の主の、長年花に注いできた心意気のほどを思う。大写しにされた花は小ぶりの一重咲きだった。原種に近いものという。園芸種よりはまだしも強いだろう。海風の吹きつける岩陰にも、照葉野茨の可憐な花を見ることがあるが、人の手のかかっていないものは強いのだ。</p> <p>それにしても、薔薇といえば丹精こめた、とくるように、手のかかる花の代表格であること、今も昔も変わりはない。野生の薔薇も、シェークスピアによれば妖精たちが手入れをしているらしい。『真夏の夜の夢』の妖精の女王タイターニアは、「麝香茨が天蓋のように覆いかぶさ」（福田恒存訳）った下で夢をみる。その花の手入れを、妖精たちに命じているのだ。</p> <p>「麝香茨の蕾の毛虫を殺しておいで」</p> <p>明治の翻訳家、若松賎子は、結婚したときに夫にあてて格調高い英詩を書いた。</p> <p>「私を薔薇だと思って丹精しても、骨折り損を後悔するわ」</p> <p>自分はありふれた土や露なのだから、という一行に続けて、二十歳の賎子はこう歌っている。けれども、夫はこの土をこよなく貴重に思い、豊かに肥やすことに労を厭わなかったようだ。賎子は『小公子』『小公女』の名訳を残した。男を飾る花として、愛でられる受身に甘んじるのではなく、みずからの薔薇の花を咲かせたのだ。</p> <p>テレビを消し、花屋に走って難波茨を四株買った。二十年後に我が家が白薔薇に埋もれる幻に衝き動かされて。<br /><br /><br /><a href="http://livedoor.blogimg.jp/ikedakayoko/imgs/9/2/92a1282f.jpg" target="_blank"><img class="pict" src="http://livedoor.blogimg.jp/ikedakayoko/imgs/9/2/92a1282f-s.jpg" border="0" alt="P105ラブ" hspace="5" width="580" height="481" /></a><br /> <span style="font-family: mceinline; "> （伏見文夫・絵）</span>&nbsp;</p>
<img src="http://counter2.blog.livedoor.com/c?ro=1&act=rss&output=no&id=3274426&name=ikedakayoko&pid=51825731" width="1" height="1" />
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<item rdf:about="http://blog.livedoor.jp/ikedakayoko/archives/51829084.html">
<title>憲法第95条と修正第２条</title>
<link>http://blog.livedoor.jp/ikedakayoko/archives/51829084.html</link>
<description>このところ、憲法第95条にこだわっています。７月１日にも書きました（こちら）。今日もすこし付け足します。第95条は、第92条から始まり、４条からなる第８章「地方自治」の最後の章です。この章は、地方公共団体には自治権があり、首長や議会議員は住民が直接選挙で選ぶこ...</description>
<dc:creator>ikedakayoko</dc:creator>
<dc:date>2011-10-19T02:46:53+09:00</dc:date>
<dc:subject>社会・世界情勢</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[このところ、憲法第95条にこだわっています。７月１日にも書きました（<a href="http://blog.livedoor.jp/ikedakayoko/archives/2011-07.html#20110701">こちら</a>）。今日もすこし付け足します。<br /><br />第95条は、第92条から始まり、４条からなる第８章「地方自治」の最後の章です。この章は、地方公共団体には自治権があり、首長や議会議員は住民が直接選挙で選ぶことを定めています。戦前、県知事は中央政府の内務省からやってくる勅任官だったことからすると、天と地がひっくり返るくらいの変わりようです。<br /><br />知られているように、日本国憲法は敗戦後の占領期、GHQ民政局の秘密グループが２週間でばたばた作ったものではありません。外形的にはそうでしたが、一国の憲法を２週間で作れたのは、しっかりとしたたたき台があったからです。それは、鈴木安蔵らの憲法研究会という民間人グループによる憲法案でした。<br /><br />ところが、憲法研究会案は、地方自治についてはなに一つ触れていません。つまり、第８章ばかりはアメリカ人たちの手になるものなのです。地方自治こそは民主主義の学校、そんな思いをこめて、かれらはこの一章を廃墟から立ち上がる人びとに贈ったのでした。<br /><br />地方自治、あるいは地方主権。この考え方はアメリカ人に深く根付いています。それを雄弁に物語る合衆国憲法の条文、日本国憲法第95条にあたる条文が、修正第２条です。<br /><br />「修正第２条<span>（人民の武装権）規律ある民兵は、自由な国家の安全にとって必要であるから、人民が武器を保有し、また携帯する権利は、これを侵してはならない。」<br /><br />ここで「国家」と呼ばれているのはstate、単数の「州」です。</span>このころのアメリカ合衆国は東部13州からなり、それらの州は日本の県ほどの広さしかありません。修正条項が成立した1791年は<span>独立戦争から日が浅く、いつまたイギリス軍が攻めてくるかもわからない、まだそんな空気が濃厚でした。外敵が迫ったら市民が武装してふるさとを守る、そのための武器保有だったのです。<br /><br />そんなきな臭い条文がなぜ日本国憲法の第95条に通じるかというと、ひとつの地方であろうとも、外部（それは国家であったりします）の意向が自分たちのためにならないと判断すれば拒否する権利がある、ということでは同じだからです。ふるさとのためにならないことは一戦を交えてでも拒否するべきだ、とする合衆国憲法の思想を信奉する人びとが、日本国憲法では、住民投票に国家の意向に勝るきわめて強い権限を付与した、わたしはそう考えています。<br /><br />合衆国憲法修正第２条から日本国憲法第95条へ。これはすばらしい進歩です。なぜならそれは、一地方と国家の紛争を、戦争による解決から投票による解決へと文明化させたからです。けれどそれは裏を返せば、住民投票の結果は、かつては流血によってあがなわれたほどの重い意味を持つ、ということです。<br /><br />このことを、３１１後を生きるわたしたちは肝に銘じる必要があります。第95条を銘記する必要があります。なぜなら、原発や米軍基地などの立地で、国策とされることがらが一地方に重くのしかかる時、これまではいくらわたしたちが裁判に訴えようと、敗訴の連続でした。裁判官は、それは国の専権事項だ、と切り捨てるのが常でした。けれど、違うのです。いくら国家が国策で一地方に臨もうが、投票による住民の拒否にあえば指一本指すことはできないと、憲法は高らかに宣言しているのです。<br /><br />わたしたちは第95条を改めて取り戻さねばなりません。そして、これを踏まえて国にふるさとの意志をつきつけねばなりません。希望はそこから生まれます。<br /><br /></span><br />&nbsp;
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<item rdf:about="http://blog.livedoor.jp/ikedakayoko/archives/51825732.html">
<title>花の文化史42　菊</title>
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<description>明治のこのくにを訪れた欧米人は、人びとの暮らしを彩る菊がよほど印象的だったらしい。このくにを「菊愛(め)ずる人びとのくに」と呼んだ。フランス士官ピエール・ロティが書いた短篇小説のタイトルが「お菊さん」であるのには、そのような背景がある。ヒロインは蝶々夫人と...</description>
<dc:creator>ikedakayoko</dc:creator>
<dc:date>2011-10-15T00:00:02+09:00</dc:date>
<dc:subject>花</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[<p>明治のこのくにを訪れた欧米人は、人びとの暮らしを彩る菊がよほど印象的だったらしい。このくにを「菊愛(め)ずる人びとのくに」と呼んだ。フランス士官ピエール・ロティが書いた短篇小説のタイトルが「お菊さん」であるのには、そのような背景がある。ヒロインは蝶々夫人と同じ境遇の女性だった。</p> <p>菊ははなやかだが、どこか屈折した翳がある。菊は、八世紀半ばに成立した「懐風藻」で初めてこのくにの文学に登場するが、翳ははやくもこのとき、この花にまとわりついた。</p> <p>それらの漢詩は、長屋王が催した菊花の宴で披露されたものだった。ところが、これがいけなかった。王を煙たく思っていた藤原氏から、宴は謀反に他ならないと騒ぎ立てられ、王は自刃を命じられた。菊は不老長寿の霊薬、道教呪法の花として中国から伝わったのだが、菊の宴を催した王は、政敵を呪う黒魔術をとりおこなったとの嫌疑をかけられたのだ。</p> <p>そして藤原氏の栄華のきわみ、その庇護下にあった紫式部は、菊をながめて鬱々としている。「めでたきことおもしろきことを見聞くにつけても&hellip;&hellip;ものうく思はずになげかしきことのまさるぞいとくるしき」が、式部がひそかに菊に抱いた感慨だ。まるで、みずからのパトロンの先祖が無念の死に追いやった長屋王の悲憤にのりうつられているかのようだ。</p> <p>紫式部から数百年、江戸の町人世界の菊は、貴族文化も呪法もどこへやら、江戸・団子坂の菊人形になどなりながら、人びとの生活のなかで陽気にはじけている。じつはロティのお菊さんも、男が別れを告げに訪れると、男から得た報酬を満足げに勘定していた。いいではないか。現地妻などもち、帰国するといっては感傷に浸っている男のほうがよっぽどおかしいのだ。複雑でたくましく、一筋縄では行かない菊は、そこに痛快な一矢を報いた。<br /><br /><a href="http://livedoor.blogimg.jp/ikedakayoko/imgs/d/0/d0ac2290.jpg" target="_blank"><img class="pict" src="http://livedoor.blogimg.jp/ikedakayoko/imgs/d/0/d0ac2290-s.jpg" border="0" alt="P99菊" hspace="5" width="580" height="501" /><br /></a> <span style="font-family: mceinline; ">（伏見文夫・絵）<br />&nbsp;</span></p>
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<item rdf:about="http://blog.livedoor.jp/ikedakayoko/archives/51827672.html">
<title>お上意識のゆらぎ</title>
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<description>きのうは、田原総一朗さんがふるさと彦根で開いている「琵琶湖塾」でお話をし、田原さん、ジャーナリストで副塾長の坂本衛さん、塾生のみなさんと意見交換をしました。質問の中に、「３１１以降、この社会はどう変わったと思うか」というのがありました。わたしは、「お上意...</description>
<dc:creator>ikedakayoko</dc:creator>
<dc:date>2011-10-13T10:11:04+09:00</dc:date>
<dc:subject>社会・世界情勢</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[きのうは、田原総一朗さんがふるさと彦根で開いている「琵琶湖塾」でお話をし、田原さん、ジャーナリストで副塾長の坂本衛さん、塾生のみなさんと意見交換をしました。<br /><br />質問の中に、「３１１以降、この社会はどう変わったと思うか」というのがありました。わたしは、「お上意識が薄れた。混乱の中にあって政府を信用できないのは不幸だし、腹立たしいし、つらいけど、これからわたしたちがこの社会を考えていく上で重要な一歩」というようなお答えをしました。お上意識の由来についてお話しできればよかったのですが、時間の制約で叶いませんでした。それで、以前のブログ記事のその部分を再掲します。<a href="http://blog.livedoor.jp/ikedakayoko/search?q=%BF%B9%B2%AA%B3%B0">2010年１月20日の「お上の事には間違いはございますまいから」</a>です。省略した前半には、小沢一郎さんの、タンスから出てきた４億円と秘書さん３人の逮捕の事を書いています。改めて読んで、今もわたしの考えは変わらないなあ、と思いました。関心おありの方はお読みになってください。<br /><br /><br /><br /><span>...そろそろきょうのタイトルの話題に移ります。<br /><br />これは<a href="http://www.aozora.gr.jp/cards/000129/files/45244_22341.html" target="_blank">森鴎外の「最後の一句」</a>からの引用です。森鴎外は官僚、しかも軍医という職業アイデンティティに生きた体制側の人だったことから、近代化の影の部分を見つめた夏目漱石とくらべて、嫌う人も多いようです。その批判はこの短篇にもあてはまると、わたしも思いますが、明治という時代を考える時、避けて通れない文豪であることは確かです。<br /><br />物語は、江戸時代の大阪が舞台です。ある船主の北回船が難破し、積荷の多くを失ったが、船主は残った米を売って、本来は荷主たちに配分しなければならないそのお金を猫糞（ねこばば）してしまう。それがばれて、いよいよあしたは死罪ということになると、16歳の長女は、自分を含めて４人の子どもたちの命と引き替えに、父親の助命を奉行所に願い出ます。<br /><br />お白州で役人が言います。「そんなら今一つお前に聞くが、身代わりをお聞き届けになると、お前たちはすぐに殺されるぞよ。父の顔を見ることはできぬが、それでもいいか。」それにたいする娘の答が、「お上（かみ）の事には間違いはございますまいから」でした。<br /><br />鴎外は、献身という崇高な概念を知らない江戸の役人は、娘に不遜な反逆の臭いを嗅ぎとって、敵意と不気味な恐れを抱いた、としています。結局、大嘗会（だいじょうえ）という宮中行事が行われて日が浅いという理由にもならない理由をつけて（だって、処刑の日を決めた時、大嘗会のことは問題にしなかったのですから）、父親は罪を一等減じて大阪から追放、ということになります。<br /><br />奉行所の役人たちが、上役にお伺いを立てたり、右往左往するさまを、鴎外は「当時の行政司法の、元始的な機関」などと、見下したように書いています。そして、娘の行為を、「献身のうちに潜む反抗の鉾（ほこさき）」と高く評価するのです。<br /><br />たしかに、ギリシア悲劇の「アンチゴネー」にしても、家族を思う強い気持ちが、意図しないに拘わらず時の権力と対立してしまう、ということはあるでしょう。近くは、北朝鮮による拉致問題で、蓮池透さんが政府の方針に批判的になっていった心情が思い起こされます（蓮池さんについては、このブログで再三論じていますので、検索してみてください）。<br /><br />けれど、鴎外がとりあげたこの実在の事件では、事情はまるで異なるのです。「お上の事には間違いはございますまいから」には、体制への捨て身の反逆の思いなど籠められていない、むしろ体制への信頼が言わせた言葉だと、わたしは思います。<br /><br />みなさんは「忠臣蔵」の赤穂城明け渡しの件（くだり）をご存じでしょう。大石内蔵助率いる赤穂藩士は、すべての武器兵糧を帳簿と寸分の違いもなく揃え、城内を塵ひとつないほど拭き清めて恭順の意をあらわし、幕府の使者を迎えます。芝居や小説は、あっぱれ大石、あっぱれ赤穂藩士、とほめたたえます。<br /><br />でもこれ、江戸時代には常識でした。赤穂藩が格別優秀だったのではありません。この時代、どこの藩も、なにが江戸幕府ににらまれて、いつ取り潰しや国替えになるかも知れませんでした。そのとき、武器や書類やお金の管理がきちんとしていないと、たいへんなことになります。国替えのばあいは、それではすまなくなるかもしれません。取り潰しのばあいなら、お家再興など望むべくもなくなります。それで、江戸の官僚つまり武士たちは、ぜったいに間違いを犯さぬよう、日々緊張して職務にあたっていました。<br /><br />文書管理も見上げたものでした。明治維新で、新政府の役人が江戸の南北町奉行所を接収に行くと、奉行所の役人たちは、幕府開闢以来の訴訟関連書類と金銭出納帳をすべて揃えて引き渡したそうです。幕府みずからが、各藩に範を垂れていたのです。<br /><br />江戸時代は、文字通り、「お上の事には間違いはございますまいから」だったのです。それが、明治人である鴎外には読めなかった。もしかしたら、鴎外は明治のイデオローグとして、故意に異なる意味を物語に移植したのかも知れません。<br /><br />江戸時代、官僚機構は厳正に機能し、人びとはそのことを知った上で、「お上」を信頼していた、と言うか、「お上」のすることに不条理があっても諦めて受け入れていました。けれど、いつの世にも、とくに革命的な体制変換のあとは、新体制は直近の旧体制をくそみそにけなすことで、みずからの正統性を誇示したがります。それで、鴎外に見られるように、明治イデオロギーは江戸を貶め、戦後も戦中時代と並んで、江戸はやっぱり貶められたままでした。そのことへの冷静な反省が、この30年ほど徐々に深まってはいますが、江戸の真の姿がわたしたちに明らかになるのはこれからです。<br /><br />このくにの官僚は優秀でまじめだという神話は、江戸に端を発するものであって、明治維新で獲得された近代の形質ではないのです。この神話を食いつぶしてきたのが、旧日本軍上部の官僚機構であり、経済成長をなしとげたあと、使命感が薄れてしまった官僚機構だったのではないか、わたしはそう考えています。<br /><br />たとえば社保庁のていたらくを、わたしたちはまざまざと見せつけられてしまいました。ですからもういいかげん、「お上の事には間違いはございますまいから」という呪縛から解き放たれ、優秀な官僚に任せておけば間違いないとする「お任せ主義」から脱する時が来ていると思います。そして、人の組織のすることには、人為的ミスはつきものだ、弱い心が犯すあやまちはつきものだ、というあたりまえのことを前提に、新政権には、霞ヶ関改革をぜひやり遂げていただきたい。<br /><br />検察という官僚組織も例外ではないどころか、その筆頭です。取り調べの記録と可視化は、今すぐやるべきです。いつまでも「検察の事には間違いはございますまいから」ではないのです。新しい公正なルールのほうが士気が上がると考える、良心的な若い検事さんたちは、きっといると思います。刑事裁判の99％は有罪という事態を異常とうけとめる目をもたなければ、いくら裁判員制度を導入しても、国民主権はいつまでたっても絵に描いた餅です。</span><br /><br />
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<item rdf:about="http://blog.livedoor.jp/ikedakayoko/archives/51827103.html">
<title>【動画】「ザ・官僚」は心を失っていなかった　イラク戦争検証の集いの柳沢協二</title>
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<description>柳沢協二さんは元防衛官僚で、自衛隊のイラク派遣を取り仕切った方です。退官後、イラク戦争に協力したことは正しかったのだろうか、との疑念をもち、後世の研究のためにと、証言したり、さまざまな分野の方がたと対話を重ねています。ジャーナリストの志葉怜さんやわたしと...</description>
<dc:creator>ikedakayoko</dc:creator>
<dc:date>2011-10-12T00:07:49+09:00</dc:date>
<dc:subject>社会・世界情勢</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[柳沢協二さんは元防衛官僚で、自衛隊のイラク派遣を取り仕切った方です。退官後、イラク戦争に協力したことは正しかったのだろうか、との疑念をもち、後世の研究のためにと、証言したり、さまざまな分野の方がたと対話を重ねています。ジャーナリストの志葉怜さんやわたしとも意見をたたかわせて、それらは１冊の本にまとめられました（『脱・同盟時代　総理官邸でイラクの自衛隊を総括した男の自省と対話』かもがわ出版）<br /><br />９月24日、柳沢、志葉、池田が語り合う集会を開きました。主催は「イラク戦争検証委員会を求めるネットワーク」です。当日は岩上チャンネルがUST中継し、今はアーカイブで見ることができます。<br /><br />わたしとは立場も意見も異なる柳沢さんですが、その率直さと公正さには感銘を受けます。それは、動画後半の吐露に尽きると思います。<br /><br />「自分はプロフェッショナルとして政府を支えることに誇りを持ってきた。退職し、支えるものがなくなった時、自分は何者か、という問いが頭をもたげた。自分がしてきたこと、つまりイラク自衛隊派遣ははたして正しかったのか、という問いだ。恐いものがなくなった今、唯一恐いのは自分なのだ」<br /><br />何十年にもわたる在職中、おのれの価値判断を封印し、政府が決定した政策の実現に努めてきた、まさにマックス・ヴェーバーの定義する官僚であることに徹したという意味での「ザ・官僚」は、その任を解かれた時、人間の心を失っていなかったのです。そして、実存的な問いに突き動かされるままに、発言し、証言している。これは、組織に働く人間として、けっしてありふれたことではないと思います。<br /><br />わたしの発言に、自由な発言がえてして収入の道を断つことになりかねないなか、年金生活者はその点まさに怖いものなしだ、という件（くだり）があります。とはいえ柳沢さんは、イラク戦争批判などしなければ、退職した元高級官僚として、年金などかすむほど厚遇する向きはいくらでもあると思います。退職後もその待遇を競い、序列をつけたがるのが、どうやら官僚の性（さが）であるようなのです。<br /><br />もちろん、柳沢さんは内外のシンポジウムやフォーラム、講演に忙しい日々を過ごしていらっしゃいますが、あえて過去の政策批判などしなければ、招聘先もかなり異なっていたことは、容易に想像がつきます。退職後の目先の利益には目もくれず、実存的な問いから発する道を選んだ、柳沢さんは退職後も「ザ・官僚」だと言えば褒め過ぎでしょうか。主義主張を超えて尊敬できる方ですし、こういう方と議論を深め、対立点を明らかにし、一致点を模索していくことは、これからきわめてたいせつになってくると思います。<br /><br />どうぞ、動画で柳沢協二という人物の思想や人柄に振れてください。この日わたしは、スケジュール調整を失敗して、体調が万全ではなく、お２人の足を引っ張ってしまいました。申し訳なかったと反省しています。<br /><br />このあとの打ち上げで、イラクに派遣され、今は国会議員になっている方が「オランダ軍が攻撃されたら、情報収集の名目で駆けつけ、わざと巻き込まれて発砲する機会を狙っていた」ことをどう思うか、伺いました。「ああいう人がわたしどもの仕事を一番じゃましてるんです」というお答えでした。また、「琉球語では嘘のことをユクシと言います。鳩山さんが抑止と言い出すずっと前から、沖縄では『抑止はユクシよ』と言っていたそうですよ」とお伝えしたら、我が意を得たりというように、おなかを抱えて大笑いなさっていました。
<br /><br /><iframe src="http://www.ustream.tv/embed/recorded/17471711" width="480" height="270" scrolling="no" frameborder="0" style="border: 0px none transparent;"></iframe><br />
<br /><iframe src="http://www.ustream.tv/embed/recorded/17472693" width="480" height="270" scrolling="no" frameborder="0" style="border: 0px none transparent;"></iframe>
<br />
<a href="http://iwakamiyasumi.com/archives/12874">http://iwakamiyasumi.com/archives/12874</a><br />
<br />
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<item rdf:about="http://blog.livedoor.jp/ikedakayoko/archives/51825730.html">
<title>花の文化史41　薄</title>
<link>http://blog.livedoor.jp/ikedakayoko/archives/51825730.html</link>
<description>ついさきごろ、先史時代の遺跡から薄が発見されたというニュースを目にした。穴の底に薄が敷いてあり、その上に小枝が並べてあった。食物を貯蔵したのだろうとのこと。 薄は万葉集に「尾花が末を秋とはいはむ」とあるように、昔からこのくににあって、人びとの心になじんでき...</description>
<dc:creator>ikedakayoko</dc:creator>
<dc:date>2011-10-10T00:00:50+09:00</dc:date>
<dc:subject>花</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[<p>ついさきごろ、先史時代の遺跡から薄が発見されたというニュースを目にした。穴の底に薄が敷いてあり、その上に小枝が並べてあった。食物を貯蔵したのだろうとのこと。</p> <p>薄は万葉集に「尾花が末を秋とはいはむ」とあるように、昔からこのくににあって、人びとの心になじんできた。山火事や伐採のあと、傷ついた自然を癒すように、まずは薄が大地をうめつくす。高度成長期には、筑豊の炭坑が閉じられると、薄があっというまにボタ山のてっぺんまで這いあがった。そんな薄は「閉山草」と呼ばれたが、このとき薄は失意の人びとの心の傷を覆うことができたのだろうか。</p> <p>高原で、薄の穂が目路はるか、同じ方向に弧を描いてなびいているのに目を凝らしていて、ふいに悠久の時間の流れにひとり取り残されたような気になり、底無しに恐ろしくなったことがある。そそくさとすぐそばの駐車場に引き返し、自動販売機でジュースを買った。</p> <p>ひところ、背高泡立草(ﾙﾋﾞせいたかあわだちそう)に押されて、薄の行く末があやぶまれたことかあった。麒麟草(ﾙﾋﾞきりんそう)とも呼ばれるように、まっ黄色の穂状の花をふりたてたこの外来種は、いまにこのくにの秋の景観をぶち壊す、というわけだ。けれども、陣地が広がるとかえって劣勢に転じるバックギャモンというゲームのように、黄色一色になったところでは、次の年、薄が盛り返す。麒麟草と薄はこのくにで、なかよく押しくらまんじゅうをすることにしたらしい。若い人の中には、麒麟草のそよぐさまを好ましく感じる人もいる。景観とは人の心と自然が作り上げるものである以上、そんなものだ。</p> <p>「遊行寺のすすき光沢持ち始む」（高澤良一）</p> <p>鎌倉の遊行寺の薄念仏が近づくと、関東の残暑は先が見えてくる。<br /><br /><br /><a href="http://livedoor.blogimg.jp/ikedakayoko/imgs/2/b/2b65eebe.jpg" target="_blank"><img class="pict" src="http://livedoor.blogimg.jp/ikedakayoko/imgs/2/b/2b65eebe-s.jpg" border="0" alt="P101薄" hspace="5" width="580" height="508" /></a><br /> <span style="font-family: mceinline;">（伏見文夫・絵）&nbsp;</span></p><div></div>
<img src="http://counter2.blog.livedoor.com/c?ro=1&act=rss&output=no&id=3274426&name=ikedakayoko&pid=51825730" width="1" height="1" />
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<item rdf:about="http://blog.livedoor.jp/ikedakayoko/archives/51826346.html">
<title>ブログを再開します</title>
<link>http://blog.livedoor.jp/ikedakayoko/archives/51826346.html</link>
<description>長らくブログを留守にしていました。たまに花のエッセイをアップするだけで。でもそれも、７月末には途絶えてしまいました。あの３１１以降、おもにツイッターと向き合っていました。ブログ更新を自動告知するために始めたツイッターでしたが、どっぷりと言っていいくらい、...</description>
<dc:creator>ikedakayoko</dc:creator>
<dc:date>2011-10-08T03:09:24+09:00</dc:date>
<dc:subject></dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[長らくブログを留守にしていました。たまに花のエッセイをアップするだけで。でもそれも、７月末には途絶えてしまいました。<br /><br />あの３１１以降、おもにツイッターと向き合っていました。ブログ更新を自動告知するために始めたツイッターでしたが、どっぷりと言っていいくらい、せわしなく入ってくる無数のツイートに目を凝らしていました。<br /><br />３１１より前、去年の暮れだったか、津田大介さんが、ツイッターは災害に強い、と書いていました。読んだときにはぴんときませんでしたが、３１１でその意味を思い知りました。今どこでなにが起こっている、助けを求めている、どんな物資が足りない、どこの道は通れる......情報はつけっぱなしのテレビより早く、もちろん新聞よりも素早くきめ細かく、しかも膨大でした。世界はディテイルでなりたっている、人びとなどいない、名前も顔もある１人ひとりがいるだけだ、そんな生々しい感覚を災害に際して持ったのは始めてでした。見知らぬ同士が必死に叫びあっていました。<br /><br />自分のパソコンの画面に入ってきた叫びは、もうひとごとではなくなります。叫んでいる人は見知らぬ他人ではなくなります。泣いている人のツイートにはともに泣き、恐怖している人のツイートにはともに恐怖しました。あまりの悲痛事のおびただしさに心は飽和し、こわれてしまいそうでした。入ってくるツイートの脈絡のなさに、心はまさに千々に乱れて悲鳴をあげていました。<br /><br />知識も押し寄せました。その前に、まったく知らない分野の事柄が、しんそこ震え上がるような出来事が押し寄せました。原発事故です。ツイッターが示すURLを開き、必死に読み、でも理解できず、ツイッターが告げるユーストリーム中継に急いで画面を切り替え、そこでも未知の世界に戸惑いおろおろする、そんな毎日でした。解説を求め、その糸口をツイッターに求めて、恐怖の日々は過ぎていきました。<br /><br />小雪が舞っていた地震津波そして原発事故の被災地は、見る人もない桜の季節を過ぎ、きびしい夏を迎え、中秋の名月が一面のコンクリの家の土台を照らすと、すさまじい台風に幾度も見舞われ、今はついに冬の訪れを待つ頃となりました。この冬を、東北のみなさんはたくましくしのいでくださるでしょうか。<br /><br />この間、おびただしいことばが発せられました。わたしが接していたのは、多くは原発にかんすることばです。もちろん津波被害の悲痛さを語ることばも、原発のない社会へと歩みだすのは今だ、ということばも、心からの共感をもって追いました。追うだけで、せいいっぱいでした。しかも、山ほどことばがあふれていることに、うっすらとした怨嗟の思いすらきざしました。必要最小限のことばだけでも処理できないほどなのに、そこにわたしまでが発話するのは、なんだか気が引けました。それで、ブログという自分専用の発言空間は空白のままでした。<br /><br />けれど、ツイッターでないと追いつかない、という意味での緊急時は過ぎたと感じます。もちろん、緊張を解くわけにはいかない非日常の日々はいやがおうでも続きます。それでも、すこし落ち着いてことばを綴っていく時だ、と感じるほどにはなりました。<br /><br />すこしずつブログにことばを刻んでいこうと思います。お約束の、２日に１度は更新、が果たせるといいなと思います。<br /><br /><br />
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