イラク戦争

辺野古沖桟橋方式は自然への冒涜です

キャンベル国務次官補が上機嫌で来日したり、鳩山さんが徳田虎雄さんをお見舞いして、徳之島移設を打診したり、政府があるひとつの方向に向かって走り出した感があります。

そのなかで、辺野古沖に杭を打ち、桟橋方式で飛行場をつくる、という案が取り沙汰されています。でも、埋め立てでなくても、広大な海面を覆えば、その下の珊瑚は日光を奪われて死んでしまいます。藻も育たないでしょう。藻を食むジュゴンは姿を消すでしょう。デリケートな動物です。基地から発せられる騒音に耐えられるでしょうか。さらには、無数の杭そのものが、珊瑚をばりばり壊して打ち込まれるのです。当然、潮の流れも変わり、漁場への影響は計り知れません。そんな工事が始まろうものなら、またしてもたくさんの人びとが連日カヌーで海に漕ぎ出して阻止する騒ぎになるでしょう。私も、機会を捉えて、短時間なりとまた浜の座りこみに参加すると思います。

徳之島案というのは、海兵隊が常駐するのではなく、有事の時に軍隊が来る、ということのようですが、この案をつくった人は有事法制をどうお考えなのでしょうか。有事の際には、自衛隊も米軍も、すべての民間空港をつかえることになっています。なのに、こと改めて徳之島にこのような話を持ちかけるとは、いったいどういうことでしょうか。

こんな無理筋の「政府案」、アメリカにたいする「せいいっぱいやりました」というアリバイづくりなのだ、と言う人がいます。金子勝さんとか。「やったけれど、だめでした、国外に移してもらうしかありません」と言うための策動だ、ということでしょうか。たしかに、そうとでも考えなければ腑に落ちません。鳩山さんが、自民党の徳田さんに直談判なんていう、やる前から「当たって砕けちゃう」のがわかりきっている手に出たのも、そうであって初めて納得できます。

そもそも、アメリカがアフガニスタンとイラクで大失敗をやらかした延長線上に、米軍再編計画は立案されました。金銭面をふくめてその一翼を担うというのなら、自衛隊が参戦したあのイラク戦争は果たして支持し、参加するべきものだったのかを検証するところから出発しなければなりません。すでに100人の国会議員がこれに向けて動きだしています。私たちは、アメリカの軍事行動とは、今後もあのように協力すべきものなのかどうかを、自分たちで判断する基準を、イラク戦争参戦という手痛い経験から学ばなければなりません。それをなおざりにして、アメリカの軍事計画にはとにかく協力するのが同盟国のつとめだとするのは、おおいに疑問です。無残な思考停止以外のなにものでもありません。

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答弁書のもやもや・赤旗の暴投 本編

政治家や官僚の言い回しには独特のものがあって、わかりにくいものです。とくに、解散や政府内人事といった政局にかんするものは、片言隻句から新聞などが絵解きをしてくれて、そういう意味なのか、とわかった気になってきました。そこに、メディアの存在意義はあったと、すくなくとも私にとってはあったと思います。ですから、メディアがことがらをねじ曲げて伝えたとしたら、私のような政治の門外漢はたあいなく間違った認識を持たされかねません。

共産党の赤嶺議員が、イラク自衛隊派遣について、鳩山内閣の考え方をただす質問主意書を出しました。それにたいする政府の答弁書が出て、一部で物議を醸しています。その筆頭が、赤嶺議員の所属する党派が出している「しんぶん赤旗」で、「イラク派兵 鳩山内閣が正当化 戦争支持の検証棚上げ 赤嶺議員に答弁書 野党時の主張翻す」と、かなりセンセーショナルに伝えています(記事はこちら)。 

「戦争支持の検証棚上げ」というのは外れてはいません。答弁書は「将来の課題」と言っていますが、これは「今すぐやる気はありません」ということでしょうから。

けれど、「イラク派兵を正当化」というのは、答弁書のどこをどう読んでも出てきません。この答弁書、まさに木で鼻をくくるの類の、何も言ってないに等しいものです。「イラク攻撃は、国連決議でOKになったと、当時の政府は考えていました」と忖度(そんたく)したり、「自衛隊の活動が非戦闘地域なら違憲ではないでしょう」と論評したり。終始、他人事(ひとごと)です。議員は、鳩山政権はどう考えるかを訊ねているのです。当時の政府の考え方など、訊いてはいません。そして、名古屋違憲判決で、当時バグダッド空港が非戦闘地域だったなんてとんでもないと断定され、「非戦闘地域なら」という前提は崩れています。

後者についての答弁書の件(くだり)を引用します。

「同法第八条第三項に規定する実施区域が、現に戦闘行為が行われておらず、かつ、そこで実施される活動の期間を通じて戦闘行為が行われることがないと認められる地域であるなど、同法の規定に従って行われるものである限りにおいては、違憲となるとは考えていない。」

こうした文章の「くせ」は知りませんが、「行われるものである限りにおいては」というのは、事実ではなく一般論としての前提に読めます。事実なら、「行われたものである限りにおいては」と、過去形にするのではないでしょうか(まあ、悪文ですけど)。過去形で事実を述べ、それは違憲ではないと締めくくれば、自衛隊のイラク派兵という過去の事実を合憲として追認していることになりますが、そうではない以上、鳩山政権はイラク派兵を正当化していると断定するのは勇み足です。なのに、見出して「正当化」と謳(うた)うのは、赤旗のミスリード、感情的な反撥を見込んだミスリードであって、ポピュリズムの手法だと思います。

でも、今すぐ検証するつもりはないというのは、先に書いたように、赤旗の言うとおりです。政権が変わったのだから検証は容易だし、野党時代にあれだけ反対したことを市民は忘れている、などと高をくくらないほうが、政権のためだと、私は思います。

名古屋での3月20日の集会で配布された質問主意書と答弁書のコピーです。クリックしてじっくりお読みください。そして、鳩山政権はイラク派兵を正当化したかどうか、ご判断ください。


_100319主意書/答弁書



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密約を密約たらしめたのは

嘘は見抜け。これは、民話に営々と受け継がれてきた民の知恵でした(こちらを参照)。民話はまた、嘘をついてもいいのは、窮地においこまれた弱者だけだ、とも言っています。ところが、民話がのどかな子ども向けの話とされたのと機を一にするかのように、倒錯が世界を支配してしまっています。民が嘘を見抜くかしこさを忘れ、弱者ではなく強者であるはずの権力が嘘をついている、それがおおかたの私たちの現実だからです。

なぜ、昔の人は嘘を見抜くよう教えたのか。それは、騙されていたのでは命がいくつあっても足りないからです。嘘を見抜けるかどうかには、命がかかっていた。今、私たちの多くが嘘にたいして無防備なのは、嘘によって命を脅かされないからです。それどころか、嘘に立脚しているものであろうとも、うそ寒い平和と豊かさが心地よかったからです。

けれど、その一方には、嘘に命を脅かされ続けた人びとがいたことを忘れるわけにはいきません。かれらはみごとに嘘を見抜いていました。私が
オスプレイという米海兵隊の次期輸送機のことを知ったのは、沖縄の人びとが教えてくれたからでした。60年代のベトナム戦争当時、アメリカは滑走路と軍港をそなえた基地の候補地として、辺野古に目をつけていたことも、同様です。アメリカの国益からすると沖縄に基地を置く必要はない、というアメリカの見方は、太田昌秀元沖縄県知事から教えていただきました(こちら参照)。

もちろん、私にその気さえあれば、こうしたことは東京にいても知ることができたでしょう。でも、東京では事実は学者やジャーナリストが書いたものの中にあります。片や沖縄では、それらが生身の人の生の声の中にあるのです。常日頃、私がぼんやり過ごしているから、沖縄に行って初めて、頭をぶん殴られるような衝撃とともに、そうした事実をつきつけられるわけです。太田元知事のような政治家であり学者である方だけでなく、辺野古の浜に、東村の道路脇に座りこんでいる方がたから、嘘を見抜かなければ命が危ないと知っている方がたから、恥かしいことに、事実を突きつけられたのです。

現地で話を聞くだけでなく、沖縄から発信されるブログやサイトや新聞記事といった情報により、私は嘘という目隠しを解いていただいてきました。伊波市長率いる宜野湾市のサイトから、米海兵隊はすべてグワムに退く計画であることを知ったように。

このたび外務省が発表した密約の数々は、まさに権力側の嘘ですが、沖縄をはじめとする基地を抱える地域の人びと以外にとっては、これに疑問をはさまなくても命に別状がなかったということが、これらの嘘を延命させてきたのでしょう。むしろ、嘘とうすうす知りながら、基地と隣り合わせに暮らしているのではない自分も、その恩恵に浴しているとうけとめればこそ、嘘を嘘のまま温存させてきたのでしょう。

けれど20年前、冷戦構造が終わりを告げてからは、嘘はグロテスクな様相を呈してきたと思います。百歩譲って、それまでは嘘にもそれなりの存在意義があったとしても、冷戦体制が終わってからは、嘘をつき続ける理由はなかったはずです。なのに嘘がまかり通ってきた。政府は虚偽答弁を繰り返してきた。それは、これらの嘘を不可欠としてきた勢力が、その後も延命したからです。延命のために、積極的に嘘をつき続けたからです。その勢力は、冷戦構造の中でこそみずからに存在意義があると信じていました。その勢力とは、冷戦体制に処するために、CIAという産婆の手を借りて生まれた自民党であり、外務省と防衛省の主流だと、私は思います。

その勢力は、北朝鮮の核問題を言い立て、拉致問題が解決しないよう温存し、中国の脅威を唱え、アメリカが核の軍事的役割を縮小させようとすることに抵抗してきました(
こちら参照)。ひとえに、みずからの権力の源泉である冷戦構造の幻を、私たちの前になんとか維持するために。そして20年間、かれらは権力の座にあり続けました。それは、経済にかんする「失われた20年」だったわけですが、政治的にも「失われた20年」だったと、私は思います。

今また、すでに20年前からアメリカの艦船は核を搭載していない以上、日本に核を持ち込む可能性はとっくにないにも拘わらず、「実態」にあわせて核搭載船の通過や寄港を認めよう、と言う人びとがいます。かれらは、オバマ大統領が「核のない世界」(「核の『少』ない世界」でしょう、とツッコミを入れたいところですが)を唱えてノーベル平和賞を受けた以上、アメリカが核兵器を実戦使用するには道義的ハードルがきわめて高くなっているにも拘わらず、「非核三原則は有名無実だったのだから、実情に合わせて非核二、五原則に改めるべし」と主張しています。かれらこそが、ありもしない冷戦構造の中でアメリカに追随することからみずからの権力を汲んできた勢力だと断定していいと思います。

とっくの昔に閉鎖が決まっていた普天間基地に代替が必要というのも、私は新たな嘘だと思います。アメリカ追随を権力の源泉とする勢力の嘘だと。アメリカは、普天間どころか、沖縄どころか、このくにすべてから基地を引き払うことが、軍事技術の更新とみずからの財政をにらんで有意義と考えて、まずは海兵隊をグワムに移そうとしているのです。昨今のアメリカの戦い方を見ると、まずミサイルをさんざん撃ち込み、空爆してから、斬り込み部隊である海兵隊を投入します。それが、自国兵士の死傷者の数を恐れる民主主義国家の最新の戦法です。である以上、海兵隊は出動まで時間があるので、本国にいても一向にかまいません。遠く外国に出張っていて、そこの住民とトラブルを起こすほうが、アメリカにとってマイナスが大きいのです。世界唯一最大の海軍大国アメリカは、海軍基地として横須賀や岩国はほしいけれど、あとは有事法制と安保条約によって、一朝事あればこのくにのすべての空港港湾を使用できることになってしまっている以上、部隊を常駐させておく合理的理由がアメリカ側にはないのです。日本が米軍基地に莫大なお金を出す、ということ以外は(こちら参照)。

鳩山さんは「常駐なき安保」を唱え、小沢さんは「第7艦隊だけいればいい」と言いました。これらの主張は、ポスト冷戦の対米関係を踏まえており、アメリカの方針と論理的に整合しているはずです。なのに、それがおかしな方向に行こうとしているのだとしたら、冷戦構造に頼る理由のない新政権、アメリカ追随を権力の源泉としないことを旗印に誕生したはずの新政権に、なにかが起こっていると考えざるを得ません。アメリカは、そこからみずからの利益を獲得することを考えるまでです。

私たちが、直近の普天間「代替」問題を考える時、明るみに出た密約の歴史から学ぶことはたくさんあると、私は思います。イラク戦争へのこのくにの対処も、同様にアメリカ追随によって権力を維持しようとした勢力のしたことである以上、新政権はこれを検証しなくては、そのアイデンティティが疑われます。そして、ここでまた騙され続けることを選択したら、私たちは軽蔑に値すると、私は思います。

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政権交代「劇的ビフォーアフター・情報公開篇」自衛隊はイラクで何を運んだか

_空自開示資料(黒塗り)1まずはこれ。画像をクリック。別ウィンドウが開いたら、もう一度画像をクリックしてください。文字がはっきり読み取れます。→                               



_空自開示資料(空輸実績)1そしてこれ。同じようにクリックして拡大してください。→



呼び出して拡大した2つの画像を並べるとサイコーです。





同じ書類ですよねっ、ねっ、ねっ?! 空自はイラクで何を運んだのか、イラク派兵違憲訴訟の名古屋原告団の近藤ゆり子さんが、何度も情報公開を求め、そのたびに、1つめの画像のようなまっ黒の空輸週報が「開示」されてきました。近藤さんは、「こんなものが情報開示とはおかしい」と、これまた何度も異議申し立てをしてきました。

そして、ついにこの7月、政権交代直前に申し立てた異議にたいし、10月に入って、黒塗りなしの空輸週報がどさっと郵送されてきたとのことです。

このこと、東京新聞はきょうの一面と
社会面にトップで報じています(中日新聞も)。毎日新聞にも載っています。TBSもきょうのニュースで伝えました。朝日新聞も、讀賣新聞も、共同通信も、時事通信も。NHKも夜の定時ニュースで取り上げました。

日経新聞は共同配信(でお茶をにごしている?)。産経新聞は出遅れているのでしょうか、ネットでは確認できません。その系列のフジテレビは、最終ニュースでも取り上げませんでした。ということは、出遅れの問題ではないのかもしれませんね(フフフ)。

ご説明するまでもありません。航空自衛隊が運んでいたのは、ほとんどが米兵をはじめとする多国籍軍兵士と、禁じられていたはずの武器でした。

自公連立小泉政権がいちはやく支持し、参戦までしたイラク戦争、そして名古屋高裁が違憲判決を出した空自の活動。公開された情報をふまえ、国会はその是非を早急に検証してください。アメリカもイギリスも、とっくにやっていることです。その結果は、いずれもクロでした。開示資料が黒塗りだったのは、その中身がクロだったからだとの明確な結論を出して、きっちり落とし前をつけてほしいと思います。きのう書いた拉致問題に続いて、お忙しいことですが、鈴木宗男衆院外交委員長、よろしくお願いしますよ。

これが政権交代の果実なのだと、このうれしいニュースを、山梨の旬の葡萄をおいしくいただきながら味わいました。果実はまだまだあるでしょう。楽しみな秋です。

きょう10月7日17時から、東京弁護士会館5階509号室で、イラク訴訟全国弁護団連絡会議の記者会見が開かれます。開示資料の現物が示されることでしょう。メディアのみなさん、どうぞお越しください。うー、わたしも見物に行きたい!
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お疲れさま、河野洋平さん

きょう、衆議院解散の詔勅を読むことを最後に、河野洋平衆議院議長が政界を引退します。

従軍慰安婦問題の政府調査を踏まえた「河野談話」(1993年)には、間違ったことをしたのに認めようとしない政府にずっとわだかまりを抱えていた者として、ほっとしました。これでようやく、アジアの、世界の人びとと共通の未来をひらいていくスタートラインに立てた、と。ここに、忘れてはいけないと思う件を抜き書きしておきます。

「本件は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題である。政府は、この機会に、改めて、その出身地のいかんを問わず、いわゆる従軍慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し心からお詫びと反省の気持ちを申し上げる。」

「われわれはこのような歴史の真実を回避することなく、むしろこれを歴史の教訓として直視していきたい。われわれは、歴史研究、歴史教育を通じて、このような問題を永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さないという固い決意を改めて表明する。」

2007年の戦没者追悼式での、「日本軍の一部による非人道的な行為によって人権を侵害され、心身に深い傷を負い、今もなお苦しんでおられる方々に、心からなる謝罪とお見舞いの気持ちを申し上げたい 」という率直なことばにも共感しました。

河野さんは2001年、外務大臣だったとき、「イスラム世界との文明間対話セミナー」を提唱しました。1回の東京会合を除いて、イスラム圏の各国でほぼ毎年開催されています。今年のクウェートシティでの第7回のセミナーには、わたしも参加しました。

2001年は、9.11の大惨事を受けて、ハンティントンの「文明の衝突」が現実のものになったと喧伝された年です。その同じ年に、文明間は衝突ではなく対話だ、というメッセージが日本から発せられたことには、深い意味があると思います。

与党が数をたのみにさまざまな法案を通していったこの時期、河野さんが議長席に座っていたことには、皮肉のような、一縷の望みを見るような気がしたものです。もしも河野さん以外の方が議長になっていたら、さぞ乱暴な国会運営がなされていたことでしょう。もちろん、政府の思惑とは異なるなりゆきをいつも期待しているわたしとしては、裏切られることも多々ありましたが。

でもたとえば2006年、共謀罪の強行採決が「河野裁定」によって回避されたことには、驚くとともに、首の皮一枚で助かった、と胸をなでおろしたものです。なにしろその日の朝刊トップには、「共謀罪 一転成立へ」との大見出しが躍っていたのですから。

去年、ガソリン税で国会がもめ、江田五月参議院議長とともに収拾をはかったときにも、政界の良識が党を超えて目にもの見せてくれた、と思いました。

個人的には、2003年のアメリカによるイラク攻撃直前に、日本には北朝鮮問題があるので、ここはアメリカを支持しておくべきでは、というインタビュアーの問いに答えて、「イラクという他国の人びとが相当数死ぬかもしれないことと、日本の安全を取引してはいけない」とぴしゃりと言った、あの発言からうけた感銘はいまも鮮明です。同じインタビューで河野さんは、何度も憲法の平和主義に触れ、アメリカには言うべきことを言わねばならない、アラブの信頼を損ねてはいけない、と強調していました(東京新聞 03年3月6日付)。

去年、米下院議長のペロシさんたちを広島に案内したことも、忘れられません。

このくにがもっと危険な舵を切ったかもしれなかった時期に、保守の平和主義者として渾身の働きで重責をまっとうされた河野さん、ほんとうにお疲れさまでした。

(自民党の両院議員懇談会は「混乱会」の様相を呈して、ばたばたのうちに終わりました。野中広務さん、故後藤田正晴さんに次いで国会を去る自民党ハト派政治家、河野洋平さんを、これからテレビで見守りたいと思います)

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おしらせ
「引き返す道はもうないのだから」表紙180


「引き返す道は

 もうないのだから」
(かもがわ出版)

・このブログから抜粋して、信濃毎日新聞に連載したものなども少し加え、一冊の本にまとめました。(経緯はこちらに書きました。)
・かもがわ出版のHPから購入していただけましたら、送料無料でお届けします。
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