グリムのメルヒェンには、30年前に出会って以来、ずっと関わってきました.その過程で、個人全訳もやりました(講談社刊、文庫版もあり)。
そのため、たとえばWikipediaによると、わたしは「グリム童話の翻訳をライフワークとし」ているそうです。
そんなことはありません。
自分の研究、というとおおげさですね、探求、でもごたいそうだけど、とにかく興味のおもむくままに対象にとりくんできた、その過程に避けて通れないものとしてグリムがあり、その翻訳があった、ということです。
20年ほどグリムに思いを凝らしているうちに、突然、あの話この話がアタマの中で暴れ出し、気がつけば、わたしはまるで憑かれたようにパロディを書いていました。
それが、2冊の本になりました。『魔女が語るグリム童話』と、『続・魔女が語るグリム童話』(洋泉社、1998年刊、1999年刊)です。正編の評判がよかったので、出版社の要請で続編を書いたのではありません。1冊出してもまだパロディが止まらなかったので、こちらからお願いして続編を出していただきました。しかも、続編のほうが厚いという、念の入れようです。
いまの時代になおメッセージを発しているいにしえの作品が、古典と呼ばれるのだと思います。その点、グリムはまさに古典の名にふさわしい。表面的にはその当時の価値をさししめすかのように見えるグリムのメルヒェンは、その奥底からいまという時代にガンガン鳴り響く声でメッセージを発していました。それを書き留めました。メルヒェンとはどういう文芸か、ということも書き込みました。
基調はお笑いです。グリムのパロディと聞いて、残酷とエロティシズムにおどろおどろしく彩られたゴシックな味わいを連想した方、ごめんなさい。
どちらも挿絵はスズキコージさん。コージさんとは40年来の友だちです。これまで、8冊のグリム本に絵を描いていただいています。表紙絵はわたしがモデルらしい。わたしがこんなふうに見えるなんて、コージさんの目は変わっていると言わせてもらいたい。
このたび、正編が文庫になりました(宝島社刊)。よろしかったら、お手にとってみてください。
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そのため、たとえばWikipediaによると、わたしは「グリム童話の翻訳をライフワークとし」ているそうです。
そんなことはありません。
自分の研究、というとおおげさですね、探求、でもごたいそうだけど、とにかく興味のおもむくままに対象にとりくんできた、その過程に避けて通れないものとしてグリムがあり、その翻訳があった、ということです。
20年ほどグリムに思いを凝らしているうちに、突然、あの話この話がアタマの中で暴れ出し、気がつけば、わたしはまるで憑かれたようにパロディを書いていました。
それが、2冊の本になりました。『魔女が語るグリム童話』と、『続・魔女が語るグリム童話』(洋泉社、1998年刊、1999年刊)です。正編の評判がよかったので、出版社の要請で続編を書いたのではありません。1冊出してもまだパロディが止まらなかったので、こちらからお願いして続編を出していただきました。しかも、続編のほうが厚いという、念の入れようです。
いまの時代になおメッセージを発しているいにしえの作品が、古典と呼ばれるのだと思います。その点、グリムはまさに古典の名にふさわしい。表面的にはその当時の価値をさししめすかのように見えるグリムのメルヒェンは、その奥底からいまという時代にガンガン鳴り響く声でメッセージを発していました。それを書き留めました。メルヒェンとはどういう文芸か、ということも書き込みました。
基調はお笑いです。グリムのパロディと聞いて、残酷とエロティシズムにおどろおどろしく彩られたゴシックな味わいを連想した方、ごめんなさい。
どちらも挿絵はスズキコージさん。コージさんとは40年来の友だちです。これまで、8冊のグリム本に絵を描いていただいています。表紙絵はわたしがモデルらしい。わたしがこんなふうに見えるなんて、コージさんの目は変わっていると言わせてもらいたい。
このたび、正編が文庫になりました(宝島社刊)。よろしかったら、お手にとってみてください。
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