「ほとんどの2月13日付新聞の1面トップはムバラク政権崩壊・大統領辞任の記事だったと思います。ところが沖縄の地元2紙はちがいました」──ブログ「地元紙で識るオキナワ」さんの2月14日のエントリの書き出しです(こちら)。この日、沖縄の2紙は、鳩山前首相のインタビューを1面トップにもってきたのでした。
最近、私は、政治家の言葉に向き合っていません。腹が立つばかりで、建設的なことがなにひとつ書けないからです。鳩山さんのインタビューにも脱力感を覚え、なにか言わなくてはと思うのですが、気が重くて、きょうまで放置していました。いまも気が重いことに変わりはありませんが、思い切って向き合うことにします。引用は、琉球新報「鳩山前首相一問一答 見通しなく『県外』発言」(2月13日付、こちら)によります。
「民主党は沖縄ビジョンの中で、過重な基地負担を強いられている沖縄の現実を考えた時に、県民の苦しみを軽減するために党として『最低でも県外』と決めてきた。鳩山個人の考えで勝手に発言したというより党代表として党の基本的考えを大いなる期待感を持って申し上げた。見通しがあって発言したというより、しなければならないという使命感の中で申し上げた。」
「最低でも県外」は、鳩山さん個人の思いではなく、民主党の方針だったということが、まず確認されました。「しなければならないという使命感」、けっこうではありませんか。政治家なら、そうでなくてはなりません。ところが、これに続く「しっかりと詰めがあったわけではない」は、一言よけいというか、ふつう政治家は口が裂けても言わないたぐいの言葉ではないでしょうか。詰めがあったかなかったかなんて、たとえ訊かれたって答えなくていいのです。むしろ事前に詰めなんかなくたってかまわない、総理大臣というポジションに就いて初めて入手できる情報や人材を駆使して捜せばいいのです。この方、とことん正直というか、なんというか。
閣内が「県外」案で一致しなかったのは、「簡単じゃないとの思いから腰が引けた発想になった人も多かった。閣僚は今までの防衛、外務の発想があり、もともとの積み重ねの中で、国外は言うまでもなく県外も無理だという思いが政府内にまん延していたし、今でもしている。その発想に閣僚の考えが閉じ込められ」たのだそうです。「防衛、外務の発想」とは、「防衛、外務の官僚の発想」の意味であって、「その発想」とは「官僚の発想」でしょう。官僚が、大臣に個別にがんがんレクチャーした結果、大臣たちは簡単に「腰が引けた」わけです。これでは、政治家の存在意義が疑われます。官僚だけがいればいいということですから。
なんでそんな人を選んだのか、北澤防衛相は「防衛関係に安定した発想を持っているということだった。テーマを決めてそのための大臣だという前に、リストを決めてその中で一番ふさわしい人という形で当てはめていった」結果だというのです。「テーマ」とは、このばあい「国外、県外」実現だとしたら、そういうことは問わなかったし、任命時に「国外、県外に向けて働くように」と厳命をくだすこともしなかったのです。政治家としてどのような考えかではなく、ただ分野ごとに実力がありそうだったり、経験が豊富だったりする人を選んだわけで、これではいくら総理大臣がなにかを実現しようとしても、最初からむりというものです。
北澤サンは、「どこまで防衛省の考え方を超えられるか、新しい発想を主張していくかということが本当はもっと勝負だった気がする」とのことですから、鳩山さんの目からは、すぐに防衛官僚に籠絡されてしまったと見えていたのでしょう。岡田前外相は、「民主党が圧倒的な国民の支持を得て政権を中心的につくらせてもらったのだから、党のビジョンはしっかり打ち出すべきだと思った。一致して行動していただきたいという思いはあった」、つまり党首の言うことをぜんぜん聞かなかった、ということです。
そして極めつきは、やはり外交防衛官僚です。鳩山さんの「国外、県外」案という新しい発想を受け入れない土壌が「本当に強くあった。私のようなアイデアは一笑に付されていたところはあるのではないか。本当は私と一緒に移設問題を考えるべき防衛省、外務省が、実は米国との間のベース(県内移設)を大事にしたかった。官邸に両省の幹部2人ずつを呼んで、このメンバーで戦っていくから情報の機密性を大事にしようと言った翌日に、そのことが新聞記事になった。極めて切ない思いになった。誰を信じて議論を進めればいいんだと」
官僚組織がまったく言うことを聞かなかったのです。官僚たちの顔は、上司である総理大臣ではなく、アメリカに向いていた。アメリカこそが官僚たちの上司なわけです。鳩山さんは、5月の連休にオバマ大統領と直談判しようとしたけれど、それがつぶれたのも、お膳立てをすべき官僚組織が動かなかったからだし、官僚に入れ知恵された閣僚たちがてんでに足を引っぱったからでしょう。「密使」を置くことに失敗したのも、同様の理由でしょう。そして、首相のもとには岡本行男という買弁が何度も押しかけた。その手筈をととのえたのは、官僚でなくて誰だというのでしょう。
閣僚は腰が引けている、官僚はいっかな思い通りに動かず、冷笑的。これでは誰だって、「極めて切ない思いにな」るでしょう。でも、そこで突破口を見いだし、力技で道を切り開くのが政治家ではないでしょうか。それを、沖縄の人びとはじめ、政権交代を支持した人びとは期待したのではなかったでしょうか。「殺されたっていい」と言い放った首相もかつてはいたのです。「自分自身の力量が問われた」(この部分はウェブには出ていませんが、「地元紙で識るオキナワ」さんの紙面写真から読み取れます)、ようするに自分には力がなかったと認めたわけです。「極めて切ない」はこちらのセリフです。
私たちは、いったん国の舵取りを任せた人に、「相手は沖縄というより米国だった。最初から私自身が乗り込んでいかなきゃいけなかった。これしかあり得ないという押し込んでいく努力が必要だった」と、あとから反省されても困ります。「オバマ氏も今のままで落ち着かせるしか答えがないというぐらいに多分、(周囲から)インプットされている。日米双方が政治主導になっていなかった」と、官僚主導はおたがいさまみたいなことをおっしゃっていますが、オバマさんは外国の、海兵隊の一基地の問題なんて、さして関心がなかったのではないでしょうか。日本の首相の首が飛ぶほどの一大事だとの認識がなかったから、周囲にまかせっきりだったのだと、私は思います。
官僚は総理大臣を裏切り、忠誠など誓いませんでした。党幹部も閣僚の大部分も、党首の公約をなかったことにして、その手足となって働きはしませんでした。そんな連中は、即刻更迭すべきだったのではないでしょうか。そうすれば、アメリカに隷属するのではない、新しい、よりよい日米関係の始まりを思い描いていた人びとは、鳩山政権への支持をさらに強め、それが内閣や官僚組織を動かし、アメリカに対する外交力を強めたのではなかったでしょうか。鳩山さんという人は、そういう「冷酷な」ことのできない方なのですね。人がいいというのも、政治家、しかもその頂点に立つ総理大臣としては考えものです。
ここまで書いたら、がっくり疲れてしまいました。じつはこれは前置きです。正直な鳩山さんは、じつに重要なことを証言してしまいました。それはあしたに回します。
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最近、私は、政治家の言葉に向き合っていません。腹が立つばかりで、建設的なことがなにひとつ書けないからです。鳩山さんのインタビューにも脱力感を覚え、なにか言わなくてはと思うのですが、気が重くて、きょうまで放置していました。いまも気が重いことに変わりはありませんが、思い切って向き合うことにします。引用は、琉球新報「鳩山前首相一問一答 見通しなく『県外』発言」(2月13日付、こちら)によります。
「民主党は沖縄ビジョンの中で、過重な基地負担を強いられている沖縄の現実を考えた時に、県民の苦しみを軽減するために党として『最低でも県外』と決めてきた。鳩山個人の考えで勝手に発言したというより党代表として党の基本的考えを大いなる期待感を持って申し上げた。見通しがあって発言したというより、しなければならないという使命感の中で申し上げた。」
「最低でも県外」は、鳩山さん個人の思いではなく、民主党の方針だったということが、まず確認されました。「しなければならないという使命感」、けっこうではありませんか。政治家なら、そうでなくてはなりません。ところが、これに続く「しっかりと詰めがあったわけではない」は、一言よけいというか、ふつう政治家は口が裂けても言わないたぐいの言葉ではないでしょうか。詰めがあったかなかったかなんて、たとえ訊かれたって答えなくていいのです。むしろ事前に詰めなんかなくたってかまわない、総理大臣というポジションに就いて初めて入手できる情報や人材を駆使して捜せばいいのです。この方、とことん正直というか、なんというか。
閣内が「県外」案で一致しなかったのは、「簡単じゃないとの思いから腰が引けた発想になった人も多かった。閣僚は今までの防衛、外務の発想があり、もともとの積み重ねの中で、国外は言うまでもなく県外も無理だという思いが政府内にまん延していたし、今でもしている。その発想に閣僚の考えが閉じ込められ」たのだそうです。「防衛、外務の発想」とは、「防衛、外務の官僚の発想」の意味であって、「その発想」とは「官僚の発想」でしょう。官僚が、大臣に個別にがんがんレクチャーした結果、大臣たちは簡単に「腰が引けた」わけです。これでは、政治家の存在意義が疑われます。官僚だけがいればいいということですから。
なんでそんな人を選んだのか、北澤防衛相は「防衛関係に安定した発想を持っているということだった。テーマを決めてそのための大臣だという前に、リストを決めてその中で一番ふさわしい人という形で当てはめていった」結果だというのです。「テーマ」とは、このばあい「国外、県外」実現だとしたら、そういうことは問わなかったし、任命時に「国外、県外に向けて働くように」と厳命をくだすこともしなかったのです。政治家としてどのような考えかではなく、ただ分野ごとに実力がありそうだったり、経験が豊富だったりする人を選んだわけで、これではいくら総理大臣がなにかを実現しようとしても、最初からむりというものです。
北澤サンは、「どこまで防衛省の考え方を超えられるか、新しい発想を主張していくかということが本当はもっと勝負だった気がする」とのことですから、鳩山さんの目からは、すぐに防衛官僚に籠絡されてしまったと見えていたのでしょう。岡田前外相は、「民主党が圧倒的な国民の支持を得て政権を中心的につくらせてもらったのだから、党のビジョンはしっかり打ち出すべきだと思った。一致して行動していただきたいという思いはあった」、つまり党首の言うことをぜんぜん聞かなかった、ということです。
そして極めつきは、やはり外交防衛官僚です。鳩山さんの「国外、県外」案という新しい発想を受け入れない土壌が「本当に強くあった。私のようなアイデアは一笑に付されていたところはあるのではないか。本当は私と一緒に移設問題を考えるべき防衛省、外務省が、実は米国との間のベース(県内移設)を大事にしたかった。官邸に両省の幹部2人ずつを呼んで、このメンバーで戦っていくから情報の機密性を大事にしようと言った翌日に、そのことが新聞記事になった。極めて切ない思いになった。誰を信じて議論を進めればいいんだと」
官僚組織がまったく言うことを聞かなかったのです。官僚たちの顔は、上司である総理大臣ではなく、アメリカに向いていた。アメリカこそが官僚たちの上司なわけです。鳩山さんは、5月の連休にオバマ大統領と直談判しようとしたけれど、それがつぶれたのも、お膳立てをすべき官僚組織が動かなかったからだし、官僚に入れ知恵された閣僚たちがてんでに足を引っぱったからでしょう。「密使」を置くことに失敗したのも、同様の理由でしょう。そして、首相のもとには岡本行男という買弁が何度も押しかけた。その手筈をととのえたのは、官僚でなくて誰だというのでしょう。
閣僚は腰が引けている、官僚はいっかな思い通りに動かず、冷笑的。これでは誰だって、「極めて切ない思いにな」るでしょう。でも、そこで突破口を見いだし、力技で道を切り開くのが政治家ではないでしょうか。それを、沖縄の人びとはじめ、政権交代を支持した人びとは期待したのではなかったでしょうか。「殺されたっていい」と言い放った首相もかつてはいたのです。「自分自身の力量が問われた」(この部分はウェブには出ていませんが、「地元紙で識るオキナワ」さんの紙面写真から読み取れます)、ようするに自分には力がなかったと認めたわけです。「極めて切ない」はこちらのセリフです。
私たちは、いったん国の舵取りを任せた人に、「相手は沖縄というより米国だった。最初から私自身が乗り込んでいかなきゃいけなかった。これしかあり得ないという押し込んでいく努力が必要だった」と、あとから反省されても困ります。「オバマ氏も今のままで落ち着かせるしか答えがないというぐらいに多分、(周囲から)インプットされている。日米双方が政治主導になっていなかった」と、官僚主導はおたがいさまみたいなことをおっしゃっていますが、オバマさんは外国の、海兵隊の一基地の問題なんて、さして関心がなかったのではないでしょうか。日本の首相の首が飛ぶほどの一大事だとの認識がなかったから、周囲にまかせっきりだったのだと、私は思います。
官僚は総理大臣を裏切り、忠誠など誓いませんでした。党幹部も閣僚の大部分も、党首の公約をなかったことにして、その手足となって働きはしませんでした。そんな連中は、即刻更迭すべきだったのではないでしょうか。そうすれば、アメリカに隷属するのではない、新しい、よりよい日米関係の始まりを思い描いていた人びとは、鳩山政権への支持をさらに強め、それが内閣や官僚組織を動かし、アメリカに対する外交力を強めたのではなかったでしょうか。鳩山さんという人は、そういう「冷酷な」ことのできない方なのですね。人がいいというのも、政治家、しかもその頂点に立つ総理大臣としては考えものです。
ここまで書いたら、がっくり疲れてしまいました。じつはこれは前置きです。正直な鳩山さんは、じつに重要なことを証言してしまいました。それはあしたに回します。
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