甲斐駒黒戸尾根
November 11, 2010
甲斐駒黒戸尾根は、大きく険しい
出だしの駒ヶ岳神社駐車場が標高780mで、甲斐駒山頂が2967m、その登高差は、ほぼ2200m。所要時間は10時間が目安と言われる。しかも、途中には刃渡り、烏利天狗(とりてんぐ)、屏風岩と、難所がつづく。鋭峰で難所が多いだけに、戦前は宗教的な意味合いの登山が盛んにおこなわれた。だが、その後五丈小屋、七丈小屋が老朽化してきて閉鎖し、1980年ごろついには使用不能になったため、黒戸尾根はすっかり寂れてしまった。当時訪れたのは、岩場や沢、氷瀑登攀を目指す、いわゆるクライマーがほとんどだった。だが近年、七丈小屋が建て替えられ、営母体が北杜市に代わって、小屋番も常駐に近い形で詰めているようになったので、だいぶ登りやすくなった。また、ここ20年ほど中高年の登山ブームがつづき、それにオーバーラップする形で、ごく近年は山ガールに象徴される若者たちも、山に進出してくる傾向にある。そんな中にあって、この黒戸尾根は骨っぽい本格的登山ルートとして一部のあいだで話題になっているようだ。今回は、11月6日〜7日の土曜、日曜で「山登りが好きなわけじゃない」わが家の次男坊(29歳)と、晩秋の黒戸尾根に登ってきた。テント泊装備の重荷のせいで、私がバテたこともあり、ゆっくりペースになってしまったが、息子は「落ちたら死んじゃうような場所がそこら中にあって、緊張のしっぱなしだった」と言っていた。梯子や鎖、ときにはその両方が掛けてある場所も多く、富士山と谷川岳ぐらいしか登ったことのない息子には、この山が新鮮に映ったようだ。テント泊について息子曰く、「山のやつらは真面目って言うか何て言うか、夜6時過ぎにはもう寝ちゃっうんだから、まいっちゃうよな」息子にとってテント泊そのものは、思ったほど面白いものではなかったようだ。でも、もしかしたら、黒戸尾根の迫力に押されて、テント泊の印象が薄れた、ということではないかな?
黒戸尾根の登りは、この吊橋を渡るところからはじまる。
樹林帯の長い登りを終えると、いよいよ難場がはじまる。まずは、刃渡り。
次の難場は、烏利天狗。長い梯子と岩場に鎖。それを登り切った天辺の祠4の辺りで昼前後になる。
2軒あった五丈小屋はどちらも潰れて、跡形もない。眼前に屏風岩が立ちはだかり、その後ろに遠く甲斐駒の頂上付近が見える。
屏風岩の難所を越えた先に七丈小屋が現れる。その先6、7分登った指定テント場に幕営した。花崗岩砂の平地での幕営料は600円、鉄ペグも用意してあり、小屋脇の蛇口から水をいただける。ありがたいことだ。小屋番氏は一人で、小屋の管理から、宿泊の世話、道普請までおこなっている。登山道を歩いていると、随所に、小屋番氏の細かな心遣いがうかがわれる。この小屋番氏は現代に生きる修験者か? とさえ思われてくる。写真を撮らせてくれと言い出せなかった。
七丈の天幕場に一晩泊ったあと、早朝6時20分、出発。
赤く染まる甲斐駒山頂。八丈遙拝所にて。
鎖が頼り。
辺りを圧して聳える怪物、北岳。大面大神の平地より。
山頂の祠と、山登りが好きなわけではないわが息子。
いっしょに登ってきた仲良し夫婦が、北アルプスの山座を同定していた。
八ヶ岳
鳳凰三山の後ろに、冠雪した富士山が頭を出している。
紅葉した樹林の中をくだっていく。
帰路、車中から見た甲斐駒。
海津正彦
黒戸尾根の登りは、この吊橋を渡るところからはじまる。
樹林帯の長い登りを終えると、いよいよ難場がはじまる。まずは、刃渡り。
次の難場は、烏利天狗。長い梯子と岩場に鎖。それを登り切った天辺の祠4の辺りで昼前後になる。
2軒あった五丈小屋はどちらも潰れて、跡形もない。眼前に屏風岩が立ちはだかり、その後ろに遠く甲斐駒の頂上付近が見える。
屏風岩の難所を越えた先に七丈小屋が現れる。その先6、7分登った指定テント場に幕営した。花崗岩砂の平地での幕営料は600円、鉄ペグも用意してあり、小屋脇の蛇口から水をいただける。ありがたいことだ。小屋番氏は一人で、小屋の管理から、宿泊の世話、道普請までおこなっている。登山道を歩いていると、随所に、小屋番氏の細かな心遣いがうかがわれる。この小屋番氏は現代に生きる修験者か? とさえ思われてくる。写真を撮らせてくれと言い出せなかった。
七丈の天幕場に一晩泊ったあと、早朝6時20分、出発。
赤く染まる甲斐駒山頂。八丈遙拝所にて。
鎖が頼り。
辺りを圧して聳える怪物、北岳。大面大神の平地より。
山頂の祠と、山登りが好きなわけではないわが息子。
いっしょに登ってきた仲良し夫婦が、北アルプスの山座を同定していた。
八ヶ岳
鳳凰三山の後ろに、冠雪した富士山が頭を出している。
紅葉した樹林の中をくだっていく。
帰路、車中から見た甲斐駒。
海津正彦